まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第21番「神護寺」(八面山の桜と修行場)

2023年03月31日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの中津・宇佐シリーズ、この日(3月25日)3ヶ所目となる第21番・神護寺に向かう。神護寺と聞くと京都の高雄にある名刹を連想するが、大分にもあるのね。

神護寺があるのは中津市三光地区にある八面山の中腹である。中津の人たちにとってはシンボルともいえる山だという。

その中腹にある八面山平和公園の駐車場に停める。神護寺へもここから入ることになる。この駐車場の桜がちょうど見頃であった。今年は全国的に桜の開花が早く、その分見頃も早くなっている。いいタイミングに来たものだ。この日乗っているレンタカーとの1枚も収める。

そのまま、神護寺の境内に入る。山門の建物はないが石造りの仁王像が出迎える。山全体が修行の場であるような雰囲気が漂ってくる。参道には狩場明神にはじまり、弘法大師、諸仏の石像が祀られている。

神護寺が開かれたのは白鳳時代、法蓮上人によるという。法蓮は宇佐八幡の別当にして、各地の山々で修行を行った人物である。先般まで私も巡拝していた九州西国霊場も法蓮が開いたとされるし、国東半島の六郷満山にも深い縁がある。そしてここ八面山でも修行していたそうだ。当初は猪山八幡宮の神宮司として宇佐八幡とのつながりも強かったそうだ。

先に、「神護寺と聞くと京都の・・」と書いたが、改めて調べると、神護寺という名前は京都に限らず、神仏習合の時代にあって神社のあれこれを担当していたところの呼び名であり、神宮寺、別当寺というのと同じようなものだという。

中津の神護寺は明治の廃仏毀釈の時には大きく衰退したが、昭和の初めに覚瑞という和尚が心願成就のために修行した縁があり、一念発起して復興させたという。

石段を上がり本堂に向かう。本堂といっても寺院のお堂というよりは一般の家屋の園側から上がるような造りである。中に入って自由にお参りとのことで扉を開けて中に入る。奥には本尊の不動明王が祀られている。毎月このお堂でも護摩供が行われるそうだ。

ここでお勤めとして、お堂の中に置かれている印鑑にてセルフでの朱印とする。

先ほど本堂とともに五大力明王像の案内板があったので、もう少し奥を目指す。その途中にも四天王像などが祀られている。

屋外での護摩供を行う広場があり、不動明王をはじめとした五大力明王像が囲む形で並ぶ。その姿も力強く感じられる。

ここで折り返しとして境内を下ると、滝行の場に出る。ここでは実際に滝行ができるようで、更衣室も設けられている。これまでに滝行を行ったとおぼしき方たちの札も掲げられている。私が訪ねた時には参詣者の姿もまばらだったが、中津の人たちにとっては事あるごとに参詣してさまざまな祈りを捧げる場なのだなと思わせる。

滝から下ったところには石造りの釈迦涅槃像が祀られている。長さは7.88メートルあり、一つの石から彫られた涅槃像としては西日本一という。大分県といえばさまざまな石の文化があるイメージだが、昭和の作とはいえ、こうした釈迦涅槃像があるというのも中津の隠れた見どころと言える。

一通り回り終え、もう一度駐車場の桜を愛でて神護寺を後にする。この先は宇佐神宮に隣接する第22番・大楽寺まで行けば今回の予定は終了となる。

その前に、もう少し八面山麓を楽しむことにする。神護寺に来る途中、道端にところどころある「かないろ(金色)温泉」という看板が目についていた。大分県といえば「おんせん県」ということもあり、ここまでの九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはほとんどなかったが、日帰り温泉に浸かるのもいいだろう。

旅館「こがね山荘」を中心に、日帰りの「八面山金色温泉館」や料理店が建つ一角。この敷地の桜も見事である。ここまで来ると、前回2月、札所めぐりの前泊で旅程を中断して引き返したのがかえってよかったという気持ちである。あの時は入院中の父親の容体が悪くなったという知らせがあり、ともかく翌日はそのまま帰宅したのだが、その知らせがなかったとしてそのまま中津、宇佐を回っても雨の中だった。今思えば、その時は「時季が悪いからもう少し後にしろ」というメッセージが父親から発せられたのかなとすら感じられる(これまで父親が中津を訪ねたことはないのだが・・)。

温泉は屋内の他に八面山の自然を活かした露天風呂もあり、ゆったりできる。さすがに露天風呂から桜を見ることはできないが、風も心地よく、春の穏やかな日差しも感じられる。

八面山の一時を過ごし、ここから宇佐を目指すことに・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第20番「三明院」(求聞持秘法の寺)

2023年03月29日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

中津の市街地を後にして、レンタカーを南東の方向に走らせる。向かうのは郊外の永添地区にある第20番・三明院である。

三明院は住宅地の中にある。特に山門があるわけでなく、寺の名前が掘られた石碑が表札がわりである。そんな中、まず目に入るのは八角形の夢殿。こちらは位牌を祀るお堂かな。すぐ横の桜もちょうど見頃を迎えている。

その脇のお堂が本堂だ。九州八十八ヶ所百八霊場のほか、九州三十六不動、九州三十三観音(先日まで回っていた九州西国霊場とは別物)の札所でもある。

扉は閉まっているが、上り口には中に入ってご自由にお参りくださいとの紙がある。扉に手を掛けると開いたので中に入る。ちょうど外陣、内陣があり、手前には御守りの類も置かれている。朱印もここでセルフで押すことになる。こういうところなら、気兼ねなくお勤めができる。

三明院が開かれたのは新しく、弘法大師入定1150年を機としてとあるから、1983年頃のことである。古梶英明という和尚が開いた寺である。宮島の弥山に籠って求聞持秘法の修行を行ったところ、生家がある現在の地に紫雲がたなびき、弘法大師が座しているのが見えたという。そして弘法大師を祀るとともに、父親が病に倒れた時に身代わりとなったとされる不動明王を祀ったのが三明院の由来だという。

求聞持秘法の修行は真言宗の中でも過酷なものとされる。50日の間、五穀を断って木の実だけで過ごし、冷水をかぶっての沐浴、そして虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えるというものである。御守りその他とともに、その修行体験を表した古梶英明和尚の著作「行者日誌 虚空蔵求聞持法」が積まれている。ちょっと手に取って何ページかめくってみて、面白そうかなとも思ったが、この場で購入まではいいかなということでそのまま元の位置に置いた。

この記事を書くにあたり、改めてこの本のタイトルについてネット検索し、著者についての紹介にも触れたのだが、プロフィールには「2017年遷化」とある。これはその時には知らなかったことで、まだお若いのではなかったかと思う。今思えば、そのままお金を置いて買っておこえばよかったかな。

お勤めを終え、セルフにて朱印をいただく。現在の三明院はどなたが世話しているのだろうか。

本堂の奥には大師堂があり、四国八十八ヶ所のお砂踏みもある。「求聞持秘法成満記念樹」の「第1回」と「第4回」の碑もある。先に記した求聞持秘法を4回も成就させたというのもすごい。

三明院を後にして、さらに南に向けて第21番・神護寺を目指す。途中で国道10号線に出て、「道の駅なかつ」から南へ、八面山の方角に向かう・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~黒田官兵衛、奥平氏ゆかりの中津城へ

2023年03月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、第19番の普門院、そして赤壁の合元寺に参詣した後、中津城に向かう。山国川に面したところに黒田官兵衛により築城され、現在の天守閣は1964年に再建された鉄筋コンクリート造りの模擬天守である。模擬天守といえども50年も経てばそれなりの風格が出るもので、往年の姿もイメージできる。合元寺の血染めの赤と、天守閣の黒が中津の象徴のように見える。

その天守閣の土台となる石垣だが、築城した黒田官兵衛が普請したものと、その後に入城した細川忠興が普請した石垣が混在しており、それを継いだ境目を見ることができる。画像でいえば、右側が黒田官兵衛、左側が細川忠興によるものだという。

中津城は黒田官兵衛・長政、その後は細川忠興・忠利が城主となり、大坂の陣の後に細川忠利が肥後に移った後には小笠原氏、そして江戸中期からは奥平氏が藩主となった。

黒田官兵衛関連の資料館がある。豊前の国を与えられた官兵衛の豊前平定(その中に、赤壁合元寺で抵抗した宇都宮鎮房との戦いもある)や、中津城の築城、そして関ヶ原の戦いに乗じた自らの九州での勢力拡大・・について触れられている。ここに築城したのは周防灘に面していることが大きく、周防灘~瀬戸内海を経由した早舟のネットワークが構築できるのが大きかったそうだ。官兵衛は豊臣、徳川の対立に乗じて自らの勢力を拡げるべく豊後にも進軍したが、関ヶ原の戦いがまさかの1日で決着がついたことで目論見が外れ、しぶしぶ軍を退き、後は筑前福岡にて隠居生活となる。

さて、天守閣であるが、手前にあるのは奥平神社。江戸中期から中津藩主となった奥平氏の神社である。天守閣の建物も現在は別法人により運営されているが、元々は事実上奥平氏の持ち物のようで、天守閣も「奥平家歴史資料館」という位置づけのようだ。

天守閣に入る。最初に目に入るのが、大分出身の横綱・双葉山の化粧まわし。あしらわれている軍配の絵柄は奥平氏の家紋だという。

その後は奥平氏に伝わる甲冑や、築城した黒田官兵衛関連の展示が続く。大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映当時は城内の整備も行われ、先に訪ねた資料館もできたという。

天守閣内の一角に、長篠の戦いに関するコーナーが設けられている。合戦の屏風絵(模写?)も展示されている。中津城で長篠の戦いとは・・?というところだが、藩主の奥平氏の元をたどると、徳川家康の家臣(武田勝頼から寝返って)で、長篠の城主でもあった奥平信昌につながる。この信昌は武田勝頼による長篠城への攻撃に籠城し、織田・徳川の連合軍が駆け付けるまで持ちこたえ、そして三千丁の鉄砲で武田軍を壊滅させるのに貢献した。そのこともあり、家康の娘を正室に迎えた。その後奥平氏は宇都宮や宮津の藩主を経て、中津藩に入る。

別の階では、奥平氏が蘭学にも力を入れていたことが紹介されている。その中津藩が輩出した中に、「解体新書」にも携わった藩医の前野良沢もいる。

最上階に出る。外の通路に出て、中津の街並みを見下ろす。山国川の河口の先の周防灘も見ることができる。

・・さて、天守閣内の展示も一通り見たが、先ほど中津駅でいろいろ見かけた福沢諭吉についてはほとんどといっていいほど取り上げられていなかった。近くに旧宅跡を活用した資料館があるからと思うが(共通券も販売されている)、あえて一線を画しているようにも見える。

福沢諭吉自身は中津といっても大坂にあった中津藩の蔵屋敷勤めの下級藩士の家に生まれ、父親の死去にともない中津に移ったのだが、少年の時はその言動で周囲からは変わり者、厄介者扱いをされていたという。そして青年となり、勉学を志して長崎、大坂、江戸に向かうのだが、諭吉当人は中津に戻る気はさらさらなかったそうだ。旧態依然とした国を見限ったともいえる。中津に対する思い入れもほとんどなかったように思われる。

そして時代を経て、1万円札の肖像画にもなったことで中津は福沢諭吉ゆかりの地としてPRし、駅前にも巨大な像が建つ。諭吉本人がその様子を見たらどういう感想を持つだろうか。

その中で中津城があくまで藩主・奥平氏側、そして築城した黒田官兵衛の視点での展示だったことは、下級武士のくせに中津を見限った福沢諭吉への対抗心が出ているように思った。廃藩置県の際に城の建物をことごとく破却するよう進言したのが諭吉だったことも関係しているのかな・・。

別に、中津に思い入れがなかった福沢諭吉関連のスポットは見る必要もないなと思い、中津城を後にして次の札所を目指すことにする・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第19番「普門院」(中津の寺町へ)

2023年03月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

当初は2月に訪ねる予定だった九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの中津・宇佐シリーズ。1ヶ月が過ぎ、季節は冬から春に移った。ここまでの沿線でも桜の花が開いていた。今年は例年以上に桜の開花が早く、4月にもならぬうちに散ってしまうのではないかというくらいである。

中津駅南のトヨタレンタカーに向かい、この日の手段となるヤリスに乗車。中津から宇佐の4ヶ所を回り、17時30分に乗り捨てで宇佐駅前店に返却予定である。

最初に向かうのは第19番の普門院。中津城の東側にあり、駅からも歩いて行ける範囲である。狭い道に入り、早速到着する。この辺りは中津城の城下町で、城の防衛の役割も果たしていたところ。城下の一角に防衛を兼ねて寺を集めるというのはあちこちの藩で取られた町造りの手法である。

駐車場に停めた後、まず楼門が目に入る。こちらは向かいの寶蓮坊という浄土真宗の寺で、細川忠興の時に開かれた寺という。

そして普門院へ。道から見ると木々が生い茂っていて、寶蓮坊とは対照的に感じる。こちらは山門などなく、そのまま小ぢんまりとした境内に入る。ちょうど寺の方が参道の掃除中で、頭を下げる。まずは境内の祠、石仏に手を合わせる。木々が生い茂るのも、緑に囲まれているとも言えるが、もう少し剪定をしたほうがよいのではとも思う。

こちらは大師堂のようだ。

正面の奥に本堂がある。普門院は江戸時代、小笠原氏が中津藩に封じられた頃からの歴史があり、本堂も江戸時代のものだという。確かに年季が入っているように見える。

お堂の外でお勤めしていると、寺の方が声をかける。「どうぞ上がってください」と言われる。本堂の左手の扉から中に入れるようだ。せっかくなので中に入り、改めてお勤めとする。本尊は如意輪観音である。さらに住職が「何か押すものありますか?」と声をかけてくる。九州八十八ヶ所百八霊場の朱印帳を預ける。これから法事にでも行くのだろうか、私が寺を後にして駐車場に向かうと、法衣姿でスクーターに乗る姿が見られた。

さて、中津の寺町といえば知られたスポットがある。普門院から100メートルほどのところにある合元寺というところだ。赤い外壁が存在感を発している。「赤壁の寺」という名前がある。司馬遼太郎の「街道をゆく」にも登場する。

門の横に「この壁色は戒めの赤 願い続ける平和への道」との貼り紙がある。それにしても赤い壁というのもものものしい。

合元寺が開かれたのは戦国時代末期。豊前の国を与えられ姫路から中津に移った黒田官兵衛が空誉上人を招いて開山としたという。官兵衛は豊前を平定するが、その中で宇都宮鎮房だけは最後まで激しく抵抗した。そこで官兵衛は政略結婚により和睦を図ろうとして鎮房を中津城に招き、そこで謀殺した。その時鎮房に従っていた家臣団は合元寺に待機していたが、そこに官兵衛の軍勢が押し寄せた。家臣たちは必死に抵抗したがことごとく打ち取られ、その血で寺の白壁が赤く染まったという。庫裡の柱にはその時の刀傷も残っているそうだ。

その後、何度白壁を塗り直しても血がにじみ出て赤く染まるため、ついに赤い壁にしてしまったという。これだけ聞くと何とも怨念が籠った寺のように思われる。また官兵衛もここでは「軍師」とはちょっと違う顔を見せているようである。

そうした歴史の寺だが、門をくぐって中に入ると小ぢんまりとして落ち着いた雰囲気の寺である。「おねがい地蔵さんの寺」としても親しまれている。さまざまな祈願が叶った言い伝えが残されている。

まず、九州八十八ヶ所百八霊場は一つ進んだことで、せっかく近くに来たのだから中津城に向かう。実は中津城も初めて訪ねるスポットで・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~仕切り直しは「にちりんシーガイア」で

2023年03月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

2月の中旬、第7回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとして大分県の中津、宇佐といった豊前地区を訪ねるべく自分の軽自動車で出発し、手前の築上町で前泊とした。しかし、入院中の父親の病状が悪化したとの連絡を受け、翌日の札所めぐりは取り止めて帰宅した。それから1ヶ月あまり、病状は落ち着いているようだが、病院自体がコロナ禍から引き続いて面会制限を行っているため、家族から状況を聞くばかりだ。5月の連休明けにも予定されている5類への移行後はその辺りは緩和されると思うのだが。

そこで仕切り直して、前回の続きを進めることにする。2月は札所には行けていないので、今回も「第7回」として出かけよう。行先は中津から宇佐にかけての4ヶ所だが、スケジュールの関係で前泊の手を使わず、3月25日の日帰りでの往復とする。そうすると新幹線+特急ということになる。そして、現地の公共交通機関も利便性がよくないので、レンタカーとの組み合わせだ。宇佐まで行けば豊前の国は終了となる。

広島6時53分発の「こだま781号」で出発。広島駅のコンコースは多くの客が出ていたが、こちらの「こだま」はガラガラである。この日の天気予報、朝方は傘マークが出ていたが九州は回復に向かうところという。

新関門トンネルを抜け、8時03分、小倉に到着。これから東九州編が続くので、小倉に降り立つ機会も増えそうだ。

コンコースに出ると、北九州市制60周年記念のロゴが目立つ(目の前のブルーシートの中身が何かはこの後で)。門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5つの市が対等合併してできたのが北九州市だが、これだけの対等合併というのは世界でもまれなケースだそうで、この合併により九州で初めて政令指定都市となった。福岡より先だったんですな。やはり鉄鋼をはじめとした重工業で栄えていただけのことはある。現在は福岡市のほうが人口も多くなり、産業構造の変化で市の衰退も言われているとはいえ、福岡県第2の都市としてさまざまなものがあって頑張っている。見ようによっては、広島よりも都会に感じるところもある。

そんなことを思いながら、ホームの「かしわうどん」で腹ごしらえとする。帰りには自宅調理用を土産に買おう。

さて、中津まで向かうのは8時34分発の「にちりんシーガイア5号」。JR九州のネット割で検索すると指定席がほぼ満席で、窓側の席が取れなかったので、思い切ってグリーン車に乗ってみる。もっとも、現地に来てみると6両編成のうち、1号車グリーン車、2号車指定席以外の3~6号車は自由席で、自由席なら好きなところに座れたかもしれない。

それはさておき、787系である。グリーン車の中にも、「普通の」グリーン車と、「DXグリーン」、さらに「グリーン個室」がある。仕切り前方の「DXグリーン」はより座席が広くなっており、まさに特等席といえる。そして1室のみの個室は言わずもがなである。

「にちりんシーガイア」という名前も旅心をくすぐる。日豊線の特急は博多~大分が「ソニック」、大分~宮崎が「にちりん」だが、「にちりんシーガイア」は博多~宮崎空港を直通する。今回は30分ほどの乗車で降りるが、いずれこの特急で宮崎まで乗り通してみたいものだ。

途中、前回築上町で宿泊したホテルAZの横を通過する。宿泊した時、部屋の外を時折コトコトいう音がするのでのぞいてみると日豊線の線路だった。このホテルの横を過ぎたことで、九州八十八ヶ所百八霊場のコマも進むことができる。

9時07分、中津到着。到着前の自動アナウンスでは「福沢諭吉記念館へお越しの方はこちらで下車」との言葉がつく。

高架ホームから改札への通路にも福沢諭吉関連の展示が並ぶ。1984年から1万円札の顔としておなじみだったが(いやいや、普段目にするのは野口英世ばっかりだったが)、2024年からは新しい渋沢栄一に代わる。福沢諭吉の1万円札の印刷はすでに終了しているそうで、この肖像画が見られるのもそう長くなさそうだ。

中津駅前には各社のレンタカー店があるが、少し離れたトヨタレンタカーに向かう。今回は宇佐までの予定だが、宇佐駅前に営業所があり、県内なら乗り捨て無料ということでの利用である・・・。

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芸備線の1日3往復区間が「当面の間」運休、はたして存続は大丈夫か・・

2023年03月24日 | ブログ

3月23日、芸備線の備後八幡~内名間を走行中の列車が、線路上に落下した石に接触し、脱線する事故が発生した。原因調査等を行うこともあり、翌24日から「当面の間」列車の運転を取りやめ、代行輸送を行うという。

芸備線のこの区間といえば東城~備後落合間の1日3往復の運転で、かねてから今後の存続のあり方についてJRが地元への協議を働きかけているところである。事故に遭った列車は備後落合への夕方の最終列車。発生したのが19時25分頃だが、列車には乗客が乗っておらず、運転士にもけがはなかったそうである。死傷者がなかったのは幸い・・・であるが、平日の19時台にして「乗客ゼロ」というのが、この区間の現状を物語っている。

芸備線の東城~備後落合間も、青春18きっぷの時季には全国から乗りに来る人が多く立ち客も出るくらいの乗車数になるのだが、それも昼の1往復に限ったことだという。この列車で備後落合に着いたとしてもその先の三次方面や木次線の列車はなく、何もないところで朝を迎える羽目になる(三次行きはこの列車が着く30分あまり前に出たばかり。どうせならもう少し待ったれやと思うのだが・・)。

線路のほうも大きな土砂崩れが発生したわけではないようだが、落石というのはこれからもあるだろう。ただ、それに対する保線というのも費用対効果を考えると十分ではないと見受けられるし、線路や路盤への衝撃を最小限にするために「時速25km運転」も行われているのがせいぜいである。運休期間がどのくらいになるかわからないが、JRとしては廃止に向けた材料の一つにもなるのではないかと思う。

今後の対応が気になるところである・・・。

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WBC日本代表、優勝おめでとう

2023年03月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

アメリカとの決勝戦は仕事のため生中継を見ることはなかったが、昼前に3対2で日本勝利の一報があり、ともかく優勝おめでとう。

私の勤務先企業は「侍JAPAN」に協賛しており(その割には、社員として何か恩恵があるわけではなく)、バファローズファンとしては山本、宮城、宇田川、山﨑颯の4人、そして昨季まで在籍していた吉田が決勝ラウンドに選出されたことでうれしかったが、いかんせん一部マスゴミのはしゃぎように閉口して、試合の中継も見ることはなかった。予選を通過するとますますその度合が高くなり、他にも報道すべき出来事がいろいろあったにも関わらずWBC一色だったので、この数日は朝はテレビをつけない日が続いていた。この対応、コロナ禍初期にいろんなコメンテーターとやらが不安を煽り立てた時以来である。

・・・あ、でもよく考えればその後の五輪や、W杯、そして感動押し売りの甲子園の話題になるとチャンネルを変えたり、テレビを消していたな。プロ野球と大相撲の時はそうでもなかったから、典型的なアラフィフおっさんの行動パターンですな。

WBCで日本代表が優勝したところで、渋谷のスクランブル交差点で騒ぐ連中もいなければ、道頓堀に飛び込む輩もいない。それだけ、一部マスゴミが騒ぐ一方で世の中は冷静に受け止めているのだろう。

選手たちはそのまま帰国の途につき、それは熱狂的に迎えられることだろう。そして国内組、アメリカ組それぞれが、レギュラーシーズンに向けて準備に入る。WBC効果で、プロ野球の観客も増えることだろう。

ひそかに、楽しみます・・・。

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オープン戦観戦記~カープ対バファローズ@マツダ(3月19日は最後までもつれる展開に・・)

2023年03月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

NPBの開幕前ということで、17日にNHK広島でカープ関連の番組をやっていたのだが、確かに選手に期待するのはわかるが、出演者が揃いも揃ってカープの優勝を予想するという構成に、まあ、NHKといえども地元局となるとそうならざるを得ないのだろうが、何といいますか・・。

そして18日、19日は広島でカープ対バファローズの2連戦である。18日は仕事のため行けなかったが、2対1でバファローズの逆転勝ち。そして19日、現地にて観戦である。マツダスタジアムでのカープ戦ということで、アウェイの雰囲気を楽しみ、そしてカープに勝つことを願うばかりである。

オープン戦ということで内野席はネット裏も含めて自由席(下段と上段で値段は違う)である。そうすると、良い席は早い者勝ちである。どのくらい前に行けばよいか見当つかないが、開門の11時少し前にマツダスタジアムの正面ゲートに着く。開門を待つ人で結構な列ができている。早い人は何時くらいから並んでいるだろうか。

エントランスには今季就任した新井監督のさまざまな姿が並ぶ。

三塁側ベンチの少し上の場所に陣取る。マツダスタジアムといえば開放感、臨場感を楽しんでもらおうと、防球ネットはバックネット裏の最小限だったのだが、このオープン戦に合わせて、内野席の結構な範囲にネットが張られた。ファウルボールが観客に当たってケガをする事故が毎年130件ほど発生しているとのことで、やむを得ない措置とのこと。打球の行方への注意は何度もされているが、飲食したり、最近はスマホでさまざまな情報をリアルタイムでチェックしながらということで、どうしても打球から目を離すことが多いという。ネットがあるとグラウンド内の撮影に苦労するのだが・・。

グラウンドではバファローズの試合前練習中。ちょうど森がゲージの中で打球を飛ばしているところ。

ルーキーの内藤もここまで1軍に帯同している。「内藤鵬」って、力士みたいな力強さを感じる将来の大鵬、もとい大砲候補。このまま開幕1軍につなげることができるか。

試合開始が近づくと下段席の中央よりはほとんど埋まるくらいになった。このオープン戦からは鳴り物応援、スクワット応援も復活しており、スタンドの声援も大きなものになるだろう。

守備練習も終わり、ベンチ前での声出し。

スタメン発表。バファローズの先発捕手は若月で、森は4番・DHでの出場である。そして先発は新加入のニックス。オープン戦は2試合目の登板で、先発は初めてである。山本、宮城がWBC出場中のため先発ローテーションをどうするかだが、1週間前の12日に先発した黒木、そして18日に先発した山下、そしてこのニックスも候補に挙がっている。年俸2000万円の「掘り出し物」と言われているそうで・・。

この日の冠試合スポンサー企業からの花束贈呈と、両監督によるメンバー表の交換。新井監督の姿を現役時代含めて生で観るのは何年ぶりだろうか。

カープの先発は九里。カープの先発陣は森下が故障で抜ける中、大瀬良、床田に続くこの人の役割は大きい。

初回、先頭打者は野口。その初球を振ると、打球はそのまま伸びて右中間スタンドに入る。先頭打者初球本塁打、これ以上ない先制で、私も驚いた。

続く西野が粘って四球で出塁。中川、そして森と倒れ、打席には杉本。ここで西野が盗塁を決め、さらに坂倉の悪送球で三塁まで進む。しかし杉本の打球はショートライナーで追加点ならず。

さて、バファローズ先発のニックスだが、先頭の秋山、野間と続けて空振り三振に打ち取り、西川も一塁ゴロで三者凡退とする。上々の立ち上がりだ。

ニックスは2回もマクブルームから三振を奪い、デビッドソンにはチーム初安打となる二塁打を許すも後続を退ける。

3回表、一死から野口がこの日2本目となるヒットで出塁。そして西野にも連打が出て一・二塁とする。さらに、九里の暴投で一・三塁として中川。この場面、中川は投ゴロ、そして三塁走者の野口が本塁に突入してタッチアウト。ゴロならスタートというサインだったのだろうが、飛んだところが悪かった。中嶋監督が物言いをつけるも、軍配通り。続く森の当たりも一塁へのライナーで追加点ならず。

ニックスは3回も田中、大盛から空振り三振を奪い、3回まで1安打、5奪三振の好投。外国人枠の関係や、先発といえども何イニングくらい目途となるかはわからないが、結構期待できそうだ。

一方、九里も1回、3回とピンチを招いたもののそれ以外は安定した投球を見せる。この投手を見ると、どうしても広島の不動産会社のCM(吉本新喜劇の諸見里大介さんと共演の「アイシュタイル」・・・もとい「アイスタイル」)を連想する。

4回からは2人目の小木田が登板。順調に二死までとったが、マクブルームに死球を与える。そして続く坂倉がライトに同点となる二塁打を放つ。さらにデビッドソンが二遊間を抜くタイムリーを放ち、2対1とカープが逆転する。球場の雰囲気も一気に盛り上がる。

5回は近藤が登板。大盛に四球を与えるも秋山、野間を連続三振に打ち取り申し分ない結果。5回裏を終わったところでスタンドでは、ビールの売り子さんも一緒に参加する「CCダンス」である。これも今季から復活のようだ。そして、一塁ベンチ前では新井監督がテレビのインタビューに応じている様子。この試合は広島テレビが中継で、解説は野村謙二郎・元監督だった。

6回裏は阿部が登板。マクブルームからの打線だったが三者凡退と危なげない内容。

カープの九里は予定では6回までだったようだが、志願して7回にも登板。バファローズも何とか追いつきたいところだが、二死からゴンザレスが死球で出るもののあと1点が遠い。結局九里は7回まで投げて失点は野口の先頭打者本塁打のみ、3安打、四球1、死球2ということで、新井監督は開幕2カード目となるマツダスタジアムでの開幕戦の先発を明言したそうだ。

そして7回裏、バファローズのマウンドはワゲスパック。ところがこの日は今一つで、先頭のデビッドソンに四球、続く途中出場の上本に死球。一死後、大盛がセンター横への二塁打を放ち、3対1と点差を広げる。

そして秋山のところで代打・松山。内野ゴロの間にもう1点入り、4対1とカープがさらにリードを広げる。さすがに、この日はダメかなあ・・。さらに途中出場の田村にも四球を出したことでワゲスパックは降板。漆原がおそらく予定を前倒す形で登板となり、西川を三振に打ち取って何とか食い止める。

栗林がWBCの日本代表に選ばれながら故障で離脱となったこともあり、リリーフ陣をどうするかが課題のカープ。8回は2人目としてケムナが登板。先頭の代打・福田がヒットで出塁し、続く野口のところで内藤が代打で登場した。ここまで三振が続く中、久しぶりのヒットでうれしそうな表情を見せる。さらに途中出場の小田が四球を選んで無死満塁。

ここで紅林がレフトへの犠牲フライを放ち、4体2とする。しかし続く森がまたもライナーで二死、太田も凡退して、結局無死満塁ながら1点しか取れなかった。今季も打線はこんな拙攻が続くのかな・・。

4対2のまま、9回表に入る。カープのマウンドにはリーグ3連覇時の守護神・中崎が上がる。曾澤とのベテランバッテリーだ。栗林がいない分、この人の復活も待たれるところだが、何か「劇場」のにおいがしないでもない。果たして、先頭の宗が初球をライトに弾き返して出塁する。

続く代打・大里の時にパスボールがあって宗は二塁へ。そして大里がセンターへのタイムリーを放ち、4対3とする。育成2年目、何とか支配下選手を勝ち取ろうとこちらも正念場である。さらに石川が高いバウンドの内野安打で続き、福田の送りバントで一死二・三塁、一打逆転の場面を作る。9回になってしびれる場面となった。しかし続く渡辺は遊ゴロ。三塁走者の大里が三本間に挟まれてアウト。

二死となり、さすがに追い上げもここまでかと思われたが、続く小田がフルカウントまで粘った末、ライト線へのタイムリー二塁打を放つ。これで2人が生還し、5対4と逆転する。やはり「劇場」だった。よし、これでまたもカープに勝つことができる・・・。

9回裏も漆原が続投する。また、2人目の捕手・石川に代走が出たことで9回裏は指名打者を解除し、森がマスクをかぶった。シーズン中にもこうした起用はあるのだろうか。

カープ最後の攻撃は上本から。遊撃への深いゴロを紅林が追いついて一塁へ投げるも、送球が少し浮いたのと、上本のヘッドスライディングで内野安打となる。続く田中がバントで送り、大盛は凡退。

二死三塁として松山に打席が回る。ここを抑えれば勝利だったのだが・・しぶとくレフト前に放って5対5の同点とする。こちらのベテランが2打点と気を吐いた。新井監督も交代となった松山を祝福する。

あと一死というところで漆原は降板。2回イニングまたぎをしたから仕方ないかもしれない。代わりに本田が登板し、続く田村を三振に打ち取り、結局5対5の引き分け。9回表まではこのままバファローズの敗戦かと思い、逆転して喜んだのもつかの間、最後は痛み分けのような形になった。現地観戦としては終盤熱が入ったことで満足。

私のオープン戦観戦予定はこれが最後である。さて公式戦、どのようなメンバーで開幕を迎えるのかが楽しみだが、もう少し中軸に当たりが出てくれれば・・・。

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奈良23番「室生寺」~神仏霊場巡拝の道・49(古代からのパワースポットの後は・・・焼きとんとキンミヤ)

2023年03月16日 | 神仏霊場巡拝の道

3月12日、神仏霊場めぐりは大和の女人高野・室生寺に向かう。近鉄大阪線の室生口大野駅から出るバスは「室生寺方面 室生龍穴神社行き」とある。室生龍穴神社とは室生寺よりも歴史が古く、水の神である龍神を祀っており、平安時代には朝廷により雨乞いの祈祷も行われていたそうだ。この神社のさらに奥には「吉祥龍穴」と呼ばれる穴があり、知る人ぞ知るパワースポットなのだという。

室生寺も平安時代から続く寺院だが、室生龍穴神社の神宮寺として開かれたとも言われているくらい。それだけ、神社、龍穴の存在は大きいそうだ。・・・初めて知った。

最近はその吉祥龍穴を目指す人も多いのか、2022年のダイヤ改正で、室生寺行きのバスが室生龍穴神社まで延長したそうである。ただ、今回のスケジュールだと、室生寺から1キロほど奥にある室生龍穴神社までなら行けそうだが、その奥の吉祥龍穴まで歩くとそれなりの時間がかかり、この後は間に合わない。

バスに乗っていた7~8人の客のうち、車内の会話でいかにも旅や歴史が好きと言った感じの女性二人連れがいた。バスが室生寺に到着し、私を含めた他の客は下車したが、その二人だけはそのまま終点の室生龍穴神社まで乗った。時間をかけてパワースポットをめぐるのだろう。

さて、こちらは室生寺拝観である。太鼓橋を渡り参道を行くと、早咲きの桜の花もほころんでいる。

境内を行くと宝物殿の案内板がある。文化財の保護と次世代への継承のために、令和に入った2020年に完成した建物である。拝観料とは別に入館料が入るが、せっかくなので後で訪ねてみよう。

仁王門をくぐり、鎧坂を上る。少しずつ姿を現すのは国宝の金堂である。こちらには釈迦如来、文殊菩薩、薬師如来が祀られている。なお、その両脇に十一面観音と地蔵菩薩が祀られており、さらに十二神将が周りを固める・・という配置だったのだが、十一面観音、地蔵菩薩、そして十二神将のうち6体が上に書いた宝物殿に移されているとのこと。山中の寺、仏像の維持も大変なものである。まずはここでお勤めとする。

その横に建つのは弥勒堂。

さらに石段を上ると、本堂である灌頂堂に着く。こちらも国宝で、鎌倉時代の建物である。先の金堂とは異なり、靴を脱いで上がることができる。室生寺によると、本尊の如意輪観音は河内長野の観心寺、西宮の神呪寺と並ぶ「日本三如意輪」の一つとされているという。ともかく、こちらでもお勤めとする。

本堂の奥に五重塔。先ほど本堂に着いた時、五重塔の方向から般若心経を読む声が聞こえて来た。私が本堂を出た時にはすでに立ち去った後だったが、山中に響く度胸もよいものである。この五重塔は屋外に建つ木造としては法隆寺に次ぐ2番目の古さだが、1998年の台風による倒木のために損壊し、2年後に復旧を果たしたことは記憶に新しい。

さて、本来ならこの先、奥の院を目指すところだろう。奥の院までは合計700段の石段が続き・・(門前の回転焼き店のおばちゃんの声掛けも「700段の石段えらいよ~」というもので)というところだが、私は五重塔で折り返す。別に奥の院をパスする口実というわけではないが、先ほど見かけた宝物殿に入るためである。

宝物殿は収蔵庫も兼ねており、まずは室生寺の歴史年表、そして宝物殿の建立に多額の寄附を行った芳名帳が並ぶ。

そして扉の向こうの部屋では、金堂に祀られていた十一面観音、地蔵菩薩、そして弥勒堂の釈迦如来が並ぶ。その前には十二神将のうち6体が並ぶ。こうしたケースに収められた仏像に対してはさまざまな見方があるだろうし、寺のお堂の厨子に祀られていてこその仏像という向きもあるが、厳しい気候環境の室生寺である。こうした保存、保護というのはなくてはならないものだろう。

他には室生寺に伝わる金剛界・胎蔵界の曼荼羅や、大神宮御正体という鏡も展示されている。室生寺がある室生山は、大和の日の出の山である三輪山と、伊勢神宮の元の内宮である斎宮とを結ぶ直線上にあるとされ、太陽の祭祀にも関係していたという。先ほど触れた龍穴神社とも合わせて、室生一帯がさまざまな信仰の地であることがうかがえる。

宝物殿を出て、ここで朱印をいただく。室生寺にはさまざまな種類の朱印があり、納経所、本堂、そして奥の院でいただける朱印もさまざまである。神仏霊場の朱印帳を差し出したところ、「如意宝珠と書かせていただきました」と返される。如意輪観音が手に持つ、あらゆる願いを叶えるとされるありがたい玉のことだという。「如意」=思いのままに、というのは良い意味にも悪い意味にも取れるように見えるのだが・・。

さて、ここで次の行き先を決めるあみだくじである。まず、予備選のくじ引きで出たのは、

・忉利天上寺(兵庫4番)

・曼殊院(京都28番)

・岩船寺(京都49番)

・平安神宮(京都33番)

・播州清水寺(兵庫13番)

・藤白神社(和歌山7番)

西の兵庫県、京都市内、そして京都でも南部のところと、和歌山もある。行き先はどこでもいい。

そして出たのは、6枠に割り当てられた平安神宮。京都市街でも周辺の札所を回ったところで、これでいくつかの札所と合わせて訪ねることになる。そして、この後スマホを操作して、京都に向かう日、そしてアクセスする列車を早速決めることになった。何が出るかはお楽しみに・・・。

今回の参詣で、室生寺に対しては女人高野というよりは古代からのパワースポットの歴史があるのだなと感じたところが多かった。室生寺10時49分発のバスに乗り、室生口大野駅に戻る。

さて、室生口大野からそのまま近鉄大阪線で移動する。やって来た大阪上本町行きの急行は転換クロスシート車。このまま快適に天気のいい中を移動する。車内ではしばしウトウトと・・。

鶴橋で奈良線~阪神なんば線の直通列車に乗り換える。この後は京セラドーム大阪にオープン戦観戦に向かうが、時刻は12時すぎ、多少時間が取れるということで、次の大阪上本町の地下ホームに降り立つ。思いついたのは、上本町のハイハイタウンである。

その名物といえるのが、ズラリと長いカウンターが並ぶ「天山閣ハイハイ横丁」。久しぶりに訪ねようかと向かったのだが、カウンターの上に椅子が上げられている。何と、日曜日は定休日だった・・。あらあら。そして周りを見ると、日曜定休という店も結構ある。

さて、ならばどこかで代わりに一献・・としてフロアをぶらつく中で見つけたのが「チエちゃん」という店。「ホルモン焼き」の文字も見え、この2つのキーワード、そして大阪となると「じゃりン子チエ」の世界である。もっとも、こちらの「チエちゃん」は漫画とは無縁の神戸の店のようだ。

それでも、メニューはホッピーあり、「元祖酎ハイ」として各種甲類焼酎のプレーンサワーあり。しっかりとキンミヤもある。また焼きとんも1本単位でさまざまな部位が楽しめる。メニューの右から左まで順番に行ってしまうところだ。

その前には煮込みあり、ガツ刺しあり、間には新潟の栃尾揚げもいただける。たまたま出会った店だが、なかなかよい印象の店だった。

・・・とはいうものの、これ以外にもさまざまな店が軒を連ねる上本町ハイハイタウン。キタやミナミとはまた違った佇まいだが、大阪在住時代にもほとんど訪ねたことがないだけに未知のところでもある。これからの神仏霊場めぐりでも登場するかな・・?

そして慌ただしい日帰り旅は京セラドーム大阪へ・・・。

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神仏霊場巡拝の道~夜行バスと「ひのとり」で大和路へ

2023年03月15日 | 神仏霊場巡拝の道

3月に入っての神仏霊場めぐりである。前回、播磨西部の赤穂大石神社、廣峯神社、圓教寺を回り、次の行き先は奈良の室生寺である。これまでにも近くの長谷寺と合わせての参詣や、西国四十九薬師の札所として訪ねたところである。

どのタイミングで行こうかといろいろ考えたが、3月12日に大阪でのバファローズのオープン戦観戦と合わせて出かけることにした。理想なら、前日の3月11日から関西に出向いて、室生寺だけでなく長谷寺も訪ね(西国三十三所の4巡目にもなる)、どこかに泊まっての一献。そして12日午前中に次のシリーズを訪ねた後に京セラドーム大阪に向かうところだが・・仕事も忙しく、11日の日中は出勤ということになった。

このところ、土曜日に所用や仕事を済ませた後に出発し、前泊の形で近くまでアクセス、そして翌日に1日かけて札所をめぐるケースが増えているのもそのせいである。まあ、職場の連中からすればそれでも出かけられるだけ結構な身分と見られているのかもしれないが・・まあ、そういうところですわ。

さて、3月11日。この日は日中の業務が長引くことを見越して広島から大阪への夜行バスを予約していた。果たしてその通りとなり、それでも帰宅して夕食、入浴を済ませた後、夜の広島駅に現れる。新幹線口のバス乗り場には若い人を中心に結構な人がバスを待っている。予約サイトで検索するとこの夜の大阪行きは満席の表示だった。

23時15分、広島駅を出発。割当の最前列のシートに腰掛け、カーテンを引っ張って自分のスペースを作る。前からシートが倒されることがなく、その分空間が確保できる。

広島駅出発時点でほとんどの客が乗ったようで、広島バスセンターからの乗客も1~2人、中筋駅で1人いたくらいだった。そして日付が変わる直前で山陽道に入る。

途中、八幡パーキングエリアで休憩があるのだが、この日の私はいい意味で疲れていたのか、その停車時間にはまったく気づかなかった。目覚めたのは途中のどこかで長く停まっていた時。おそらく、姫路の西にある白鳥パーキングエリアだろう。この後は眠ったような眠れないような、夜行バスに乗るといつも感じる曖昧な心持ちで進む。

大阪駅到着直前で車内放送が入る。カーテンからそっとのぞくと大阪駅の北側、「うめきた」の景色がぼんやり見える。いよいよ3月18日、大阪駅の新駅「うめきたエリア」が開業する。次の週末ならば開業直後の初乗りに合わせたタイミングになるのだが、ちょっと早かった。

大阪駅で半数ほどが下車したようだ。その後もう少し走り、JR難波、湊町バスターミナルに到着。ここで下車する。時刻は定刻の6時23分より10分ほど早かった。

この後だが、大阪難波8時00分発の「ひのとり」に乗車し、室生寺に向かう予定である。それまで時間がある(取っている)ので、近くで朝風呂とする。

向かったのは、過去にも利用した「グランドサウナ心斎橋」。これまではコロナ禍ということもあり、朝風呂や休憩スペースもゆったり利用できたが、ここに来て客足も戻っているようで、入口には「カプセル満室」の札も出ていた。朝の時間帯のサウナ利用は1300円(5時間まで)。浴室、サウナとも宿泊・朝風呂利用で結構混雑している。それも含めて、以前の光景が戻って来たと言えるだろう。

これでさっぱりして、近鉄の大阪難波に移動する。途中、道頓堀、戎橋かいわいを歩くが、日曜の朝独特のけだるさである。前の夜からオールナイトで楽しんだものの、朝になって道端でダウンしている人、何やらわけのわからん大声を吐きながら歩く親父、外国人の集団、朝まで過ごしたと思われる女の子2人組をナンパするお兄さん、そうした人の前で黙々と清掃車を走らせるお父さん・・・。

大阪難波からは、8時ちょうど発の名古屋行き特急「ひのとり」8列車に乗る。途中、大和八木にも停まるのでこれで進み、急行に乗り換えることにする。プレミアムカーの1人席を確保できた。

プレミアム、レギュラー含めて全席バックシェルシートを採用する「ひのとり」。リクライニングシートで前後の客に気をつかう必要がない。大和八木まで30分ほどの乗車だが、快適に移動する。あまりの気持ちよさに寝過ごしてしまうと大変なことになるのだが・・。

大和八木に到着。ホーム向かいの名張行き急行に乗り継ぐ。途中、長谷寺を通過する。今回、あみだくじで行き先となった室生寺だが、本来であれば室生寺とセットで長谷寺を訪ねるべきところである。この2ヶ所を回ると、奈良県の東部から南部にかけてが埋まることになるのだが、残念ながら長谷寺は素通りとした。先に記したとおり、午後からの京セラドーム大阪での野球観戦との両立となると、午前中のうちに大阪に向けて移動する必要があり、またの機会とした。いずれ、長谷寺だけのためにもう一度遠征することになるのだが・・。

室生口大野に到着。「令和2年度日本遺産認定 女人高野室生寺」の張り紙が目につく。室生寺ととともに、河内長野の金剛寺、九度山の慈尊院、そして高野山の女人堂が「女性とともに今に息づく」として日本遺産に認定された。

しばらく駅前での待ち時間となり、9時19分、7~8人の乗客を乗せてバスが発車する・・・。

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オープン戦観戦記・バファローズ対ファイターズ@京セラドーム大阪

2023年03月13日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

このところ情報番組でもっとも取り上げられているのが野球のWBCである。連日、大谷、ヌートバーといったところの活躍が話題をさらっている(地味に、レッドソックスの吉田もいいところでタイムリーを打っているし、山本も好投を見せたがあまり取り上げられないなあ)。

私も野球観戦は好きだし、日本代表の活躍を願っているのだが、実は中継そのものは見ていない。開始時間も遅いので仕事が終わって帰宅してもまだ試合は続いているのだが、メディアのああいう騒ぎ方(ニッポン!!ニッポン!!というノリ)が好きではないのだろう(サッカーのW杯やオリンピックなども同じ理由。特に、2021年の東京五輪については、テレビのニュースがその関連になるとテレビを切っていたくらいだ)。

そんなひねくれた感のある私だが、WBCの陰には隠れているが、プロ野球もオープン戦真っただ中で、シーズンの開幕は楽しみにしている。そして、バファローズ戦を大阪でせめて1試合だけでも観戦しようと、3月12日に行われたバファローズ対ファイターズ戦に出向いた。

2022年のクライマックスシリーズ以来の京セラドーム大阪である。この日は午前中に神仏霊場の札所めぐりを行った後で、球場入りしたのも試合開始に近い時間だった。コンコースには、2022年に日本シリーズで勝利し、ペナントを手にした全員の記念写真がデカデカと飾られている。改めて、日本一になったのだなと実感する。

オープン戦ということで、普段は購入しにくい1階のグラウンド近くの席に陣取る。まあ、この試合では上段席が閉鎖されていたのだが・・。ちょうどスタメン発表が始まったところだ。先攻のファイターズは1番にドラフト1位の矢澤が入る。この日クリーンアップは万波、野村、清宮といった若手。そして先発捕手でバファローズからFA移籍した伏見がコールされると、一塁側からも拍手が起こった。

一方のバファローズ、この日は池田、元の若手が1・2番を組み、4番には新外国人のゴンザレス、そしてFA移籍の森は5番で先発捕手である。

さて、今季からはコロナ禍からの応援ルールも緩和され、鳴り物、声出しでの応援が解禁になった。これまでもあらかじめ録音された演奏やコールが流れることはあったが、やはり生演奏?のほうが迫力あるし、グラウンドの動きにもよく合っている。なお、ジェット風船の使用は引き続き禁止とのこと。コンビニのゴミ復路もそうだし、米子の吾左衛門鮓のカット用のプラスチックナイフも資源保護のために削減される時代だ(前の記事を参照のこと)。あれこそプラ資源の無駄遣いだし、人の唾液の飛散そのもの、これからもずっと禁止にしてほしい。

試合開始。バファローズの先発は黒木。これまで中継ぎで活躍し、手術で一時は育成契約となったが昨季に復活。そして今季は先発に挑戦で、ここまで順調に来ている。森とのバッテリー、まずは先頭の矢澤をはじめ、三者凡退であっさりと抑える。

ファイターズの先発は上原(広陵高校出身)。こちらも初めての開幕ローテーション入りに向けてアピール中で、池田、元、そして安達を難なく退ける。

試合が動いたのは2回裏。ゴンザレス凡退後、森が左中間への当たりを放つ。落ちたところがよかったのか、森は一気に三塁まで進む。

続く杉本がレフト前のタイムリーで1点先制。一塁上で、両手で胡椒を挽くポーズを見せる。WBCで日本代表ベンチがやったことで一気に知られた「ペッパーミル」。このポーズ、今季のペナントレースのいたるところで目にしそうだ。ならば、その胡椒でもってラーメンをすするとか、そういう続きのパフォーマンスがあってもいいかな。

3回表、先頭の上川畑がチーム初安打で出塁し、打席には伏見。一塁側からも拍手が起こるが、この打席では併殺打。

4回裏には、前の打席で退いた杉本に代わって出場の育成契約・茶野が打席に立つ。茶野篤政って、「信長の野望」で出てきそうな名前だが、徳島インディゴソックスからの入団である。上原からヒットを放ち、こちらは支配下登録に向けてのアピールである。なかなかしぶとそうだ。

5回表から、バファローズの捕手は森に代わり石川。齋藤とのトレードでバファローズに移った選手である。バファローズに森が来て、それを見据えて伏見がファイターズに移籍し、それもあってか石川がトレードでバファローズに。そして、ファイターズにはドラゴンズで捕手としての登録経験もあるアリエル・マルティネスが入団・・・。

6回表、黒木は先頭の上川畑に四球を与え、続く伏見は強攻で内野安打で無死一・二塁とする。一死後、矢澤がタイムリーを放って1対1の同点とする。するとここで黒木はマウンドを降りる。この時は「手当のため」との放送があったが、結局そのまま漆原に交代となった。ネットニュースによると、脚がつったための降板とのことだった。大事には至らなそうとのことだが、何せプロで先発が初めてのシーズンである。無理しないに越したことはない。

そして登板の漆原。この投手も心中期するものはあるだろう。一時は抑えとしての構想もあったのだが、いろいろあって不本意な成績が続いている。

緊急登板とはいえ、続く五十幡がライトへのタイムリー三塁打を放ち、2人が生還する。3対1。そして万波にタイムリーが出て4対1となる。レフトスタンドも盛り上がるところだ。

6回裏、ファイターズは3人目の福田俊が登板。一死二塁後、ゴンザレスの代打で出たのはセデーニョ。ベネズエラ出身の育成選手で、背番号も121番だが、風格からすると先ほどのゴンザレスよりも「当たれば飛ぶ」ロマンありそうな選手である。構えも「全球ホームランを狙う!」という、そしてフルスイングの空振り三振も、古き良き時代の外国人選手らしい。この選手には、かつての近鉄系の外国人選手に使われたあの応援歌を使ってほしいなあ。

セデーニョの次の石川が食らいついた当たりでタイムリーを放ち、4体2と詰め寄る。さらに茶野が2打席連続のヒットでつなぐが、追加点とはならなかった。

レフト側ではラッキー7の声援が流れるところ、7回表には比嘉が登板。三者凡退に抑える。

一方の7回裏ではライト側からダンスタイムだが、ファイターズは昨年活躍の北山が登場し、西野がヒットで出塁するも併殺でチャンスをつぶし、三者凡退。

8回表は、2022年の日本シリーズ胴上げ投手のワゲスパックが登板。昨年在籍した外国人選手の中で唯一今季もプレーする選手。危なげなく三者凡退とする。

8回裏、ファイターズのマウンドにはメネズ。一死一塁でセデーニョに打席が回るが、今度は三塁ゴロ。石川のヒットでチャンスを広げるが結局無得点。なかなか追加点といかないのが厳しいところだ。

9回表は平野が登板。バファローズの後半に登場する投手がいろいろいる中で、この日はワゲスパック~平野の予定ということだろう。野村に死球を与えたが、続く清宮を併殺に打ち取り、シーズン同様の無事な投球だった。

9回裏、ファイターズのマウンドは長谷川だったが、バファローズ打線は途中出場の渡邉(現役ドラフトで加入)にヒットが出たものの、併殺で無得点。4対2でファイターズ勝利。オープン戦とはいえ、やはり買ったほうが気持ちよかったのだが、それよりも、序盤に先制したもののその後は何だかつかみどころがなかった試合のように見えたのが残念だった。

まあ、仕方ない。昨年日本一になったとはいえ、まだまだ発展途上のチームだと思うし、今季は吉田が抜けてしまったし、山本、宮城、宇田川がWBCの日本代表で抜けている中で、残留組がどれだけアピールするかである。今季、何試合ホーム・ビジター含めて観戦できるかだが、難しいとされるリーグ3連覇に向けてどれだけがんばれるか、引き続き応援したいものである・・。

さてこのままJR大正駅まで向かい、広島への帰途に就く。新大阪駅の乗り換え口は結構賑わっており、駅弁や構内コンビニにも長蛇の列ができている。また、構内のみどりの窓口、みどりの券売機にも長い列ができている。当初、新大阪からは「のぞみ」に乗るつもりで指定席を押さえていたが、このタイミングだとそれより先の18時06分に発車する「みずほ613号」に乗車する。

新大阪始発だが自由席に座れるか気になったが、実際にホームに向かうと、乗車口に列はできていたが、自由席なガラガラといっていいくらいの乗客しかいなかった。発車前、「指定席・グレーン席は満席です」「自由席のお客様は座席に荷物を置かず、棚の上か足元に置いてください」としきりにアナウンスしていたが・・。

そういう状況なので、新幹線内では「飲み鉄」。まずは、紅ショウガ天で一献・・・。

コンコースの駅弁売り場に結構並ぶ中、今回のお供は「神戸中華焼売弁当」。焼売の弁当といえば横浜の崎陽軒「シウマイ弁当」、そして鳥栖の「焼麦」が有名で、鳥栖の「焼麦」はこのブログでもたびたび登場するが、中華といえば神戸も黙っていない。神戸の駅弁の名店・淡路屋の一品で、神戸でのバファローズの試合でも販売されているところだ。焼売、ザーサイ、エビチリ、麻婆豆腐などが特にビールに合う。中華料理の弁当という点でいえば、焼売がメインの横浜、鳥栖を押さえて日本一ではないだろうか。

なお、同時に柿の葉寿司と、富山のますのすしも買い求めていた。こちらは翌日にいただいたが、ますのすしには、安心してください、(プラスチックのナイフが)入ってますよ・・・。

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第24回中国四十九薬師めぐり~「スーパーやくも」にて「吾左衛門鮓」の丸かじり

2023年03月11日 | 中国四十九薬師

今回の中国四十九薬師めぐりを終え、予定より早く、米子14時25分発の「やくも20号」にて出発することにする。

列車の発車まで少し時間があるので、境線ホームに行ってみる。ちょうど境港からの列車が到着したところで、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するキャラクターが描かれた車両が目を引く。境港は「鬼太郎」の作者・水木しげるの出身地で、今や漁港というより妖怪の町として人気を集めており、そのアクセスとなる境線も妖怪を前面に出している。札所めぐりでは境港に行くことはなかったが、また訪ねてみたいところだ。

そうするうちに「やくも20号」が入線。薄紫色の車体に、紫と赤の帯をまとった「スーパーやくも」の復刻塗装である。「スーパーやくも」とは、かつて「やくも」のうち速達列車につけられた名前。また、「やく20号」は6両編成だが、「スーパーやくも」色はそのうち4両だけで、中間の2両は現在の「ゆったりやくも」塗装である。近いうち、この2両も「スーパーやくも」色になるそうだ。

その一方で、2024年からは新型車両への置き換えが始まる。旧国鉄特急色もそうだが、これらに乗っておくのも今のうちである。

さて、米子市街を回る中で昼食がまだだったのだが、特急に乗るということで「飲み鉄」を兼ねて遅い食事とする。駅外の土産物コーナーにてアテとともに購入したのが「吾左衛門鮓」(鯖)。米子の名物駅弁である。江戸時代、廻船問屋を営んでいた米屋吾左衛門が、船子たちの航海の安全を願い、酢飯の握りに鯖の切り身を載せ、ワカメで包んだ弁当として持たせたのが始まりという。後に改良が重ねられ、現在の鯖の押し寿司に昆布を巻いたものになった。米子駅の改装前には1階の待合室とホームとの間に駅そばの店があったが、そこでそばと吾左衛門鮓のセットを食べたのを思い出す。

さて、箱から出してみる。昆布を巻き、さらにラップで包んだ一品が出てくる。イメージ写真のような切り身ではなく丸のまま一本である。こういう場合は、のこぎり型のギザギザがついたプラスチックのナイフで自分の好みの厚さに切って食べることになる。

・・ただ、そのナイフが入っていない。改めて箱の中を見るが、あるのは割りばしとお手拭き、醤油である。まさか入れ忘れがあったとか?

こうなるとどうするか・・・思い切って、そのまま恵方巻みたいに頭からがぶりとやった。丸かぶりした吾左衛門鮓を片手に、缶ビールをグィッとやるのは傍から見るとお行儀のよくない図だが、仕方ない。他の駅弁と一緒に売られていたのだから、「やくも」などの車内で食べることは想定されているはずなのに、ナイフがないとは・・。

後で旅のブログや動画などを見ると、プラスチックの削減のためにあらかじめ箱には入れず、駅弁として車内で食べる場合は店員からナイフをもらう必要があるという解説が出てきた。そうだとすれば、私の場合、他の土産物と一緒に買ったから自宅用と判断されたのかもしれないが、そんなルールは聞いていないぞ。今後は注意が必要だ。今回、「吾左衛門鮓」だからまだ丸かぶりできたが、これが富山の「ますのすし」だったらどうなっていたか。

「吾左衛門鮓」と格闘するうち、左手に大山が見えてきた。朝の「サンライズ出雲」、そして先ほど米子城跡からそのくっきりした稜線を遠くに見たが、この日最後にもう一度眺めておく。改めて、「伯耆富士」の名にふさわしいなと思う。

この後は車窓を楽しむ。日野川沿いに走るが、外もこれから春の訪れである。

岡山県に戻り、新見からは高梁川沿いとなる。

16時39分、終点岡山に到着。改めて、私が乗っていた先頭の6号車から編成を順番に見て、途中の「ゆったりやくも」塗装の車両も見る。塗装の違う車両が混在して走るのも、一昔前ならよくあることだったと思う。最後に展望車タイプのグリーン車に出たが、一度はこの車両にも乗ってみたいものだ。

この時間、ちょうど大衆酒場「鳥好」は開いている。前日に続けて行こうと思えば行けるが、それはまたのお楽しみとして、この日はこのまま新幹線に乗り継ぎ、広島に戻る。

さて、中国四十九薬師めぐりは今回で40番まで到達し、残りは9ヶ所である。改めて各寺院の紹介を見たが、それぞれに歴史があり、また広島から遠くて交通の便が必ずしも良いとはいえない鳥取県をどう回るかが楽しみである。必然的にクルマ、もしくはレンタカーの登場が多くなりそうな気がするが・・・。

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第24回中国四十九薬師めぐり~第40番「安国寺」(寺町から米子城に向かう)

2023年03月10日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりはようやく最後の県である鳥取県に入る。鳥取県には10の札所があり、東西に広がっている。広島からもっとも遠い県ということもあり、回るにはそれなりの回数を費やすことになるだろう。

まずは西の米子から始める。山陰線で島根県から鳥取県に入り、米子で下車する。現在、南北自由通路の設置を含めた橋上駅舎の建設工事が進められており、今年の夏に完成予定という。

さてこれから向かうのは、この直前に訪ねたのと同じ名前の安国寺。安国寺は足利尊氏が全国に建立を命じた寺院で、先ほど訪ねたのが出雲の安国寺、そしてこれから訪ねるのが伯耆の安国寺である。米子の街中、寺町エリアにある。歩いて行けないこともないが、ちょうど発車する米子市循環バス「だんだんバス」に揺られることにする。

米子には何度も来ているし、宿泊したこともあるのだが、それは山陰の交通の要衝ということが大きく、米子の街並みというのはそれほど触れたことがない。皆生温泉に行くバスに乗るとか、仕事の関係で米子市内にある高校を訪ねたくらいのものである。近くには皆生温泉、大山、境港と人気の観光スポットは多いが、米子市街となると・・というところだろう。

天神橋で下車。目の前には加茂川、そして白壁の土蔵が並ぶ一角である。米子はかつて尼子氏と毛利氏の間で熾烈な争いが繰り広げられた地で、毛利氏の勝利に終わり、吉川広家が米子城を築いた。関ヶ原の戦いの後、中村一忠が米子藩主となり、その後城主が変わる中で、「山陰の大坂」として商業が盛んになったところである。

こういうスポットがあるのかと感心しながら歩くうち、寺町に入る。城下の一角に寺を集めて寺町を構成するのは城の防衛の一環であり、先般訪ねた松江もそうだった。各宗派の立派な寺が並ぶ。

その一角、というより中心にあるかのように見えるのが安国寺である。元々は足利尊氏により別の地で開創したが、足利氏の勢力が衰えるとともに寺も衰退、後に復興するが尼子氏と毛利氏の兵火の中で焼失し、江戸時代の城下町の整備にともなって現在の地に移されたという。

正面には比較的新しい本堂が建つ。「安国寺」の額もよい。

ただ、その手前の右手にもう一つのお堂があり、ガラス戸から中をのぞくと「瑠璃殿」の額がかかっているのが見える。「瑠璃」という言葉は薬師如来につながるから、中国四十九薬師めぐりとしてはこちらが本尊である。扉は閉まっているので外からのお勤めである。

さて朱印ということだが、瑠璃殿の扉は閉まっているので、間にある庫裏を訪ねる。「全国安国寺会」の札が掲げられている。安国寺、元々は全国六十余州に合計68ヶ所あったが、足利氏の勢力の衰えや戦乱、災害、さらには明治の廃仏毀釈などの影響で、建立当時の姿を残している寺院はごくわずかだという。再興により安国寺の名を受け継ぐ寺院、あるいはその流れを汲むものの別の名前になっている寺院もあるが、それらと合わせても当初の半分程度だそうだ。

インターフォンを押そうとすると、ちょうど犬を連れて境内に入って来た女性が「ご朱印ですか?」と声をかける。寺の方が犬の散歩からちょうど戻って来たようだ。「こちらから」と瑠璃殿の横から入り、正面の扉を開けて中に上げていただく。

国分寺を後にして、もう少し歩く。先ほど少し触れた米子城が市街地の西にある。小高い丘に石垣が見える。

現在の米子城は江戸時代初めに湊山に築かれた城で、米子藩主となった中村一忠による。現在の商都・米子の基礎もこの頃に築かれた。しかし一忠が急死し、後継ぎがいなかったために取り潰しとなり、米子藩も廃藩となった。後に池田氏の鳥取藩に吸収され、米子城は支城扱いとなった。明治の初めに石垣を残して建物が取り壊され、その後は公園として開放されて現在に至る。

恥ずかしながら、米子にこうした城があるとは知らなかった。ただ、天気が良いこともあって地元の家族連れも結構訪ねている。石段を上がっていく。

上がるにつれ、米子の街並みが眼下に広がる。米子港から続く中海も見える。この中海も天然の要害だったことだろう。合わせて、何層にもわたる石垣も見事なもので、いかにも「城跡」という感じで迫ってくる。

その中にあって、何といっても一番の景色は雪をかぶった大山である。「今日はええ天気じゃ」と、訪ねる人も口々に言う。

この米子城、地元では「絶景の城」としてPRしているそうだ。大山、米子の街並み、中海、さらには弓ヶ浜半島から美保関、日本海も見渡せる。日の出のスポットとして、特定の時季にはダイヤモンド富士ならぬ「ダイヤモンド大山」を見ることができ、大勢の人で賑わうそうだ。また、山陰なのでなかなか見られる確率は低いだろうが、元日の初日の出でも賑わうとのこと。

これで米子の札所を回り終え、駅に戻る。当初予約していたのは旧国鉄特急色の編成で運転する「やくも24号」だったが、この時間ならその2本前の「やくも20号」に間に合う。そしてその「やくも20号」は、先ほど揖屋駅で通過するのに出会った、「スーパーやくも」の紫色の編成が使われている。旧国鉄特急色は以前にも乗ったし駅で目にしたこともあるが、先月登場したばかりの復刻紫色は初めてである。乗ってしまえば塗色は関係ないのだが、空席もあるので、「やくも20号」に変更する。これで帰宅も早まって日曜日の夜もゆっくりできることに・・・。

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第24回中国四十九薬師めぐり~第39番「安国寺」(出雲街道を行く)

2023年03月08日 | 中国四十九薬師

「サンライズ出雲」に乗って到着した松江。ここで折り返して島根県を後にすることから、駅高架下にて地酒「李白」や水産加工物のあれこれを購入して土産とする。

これから、島根県最後の札所である第39番・安国寺に向かう。最寄り駅は山陰線で1駅米子方面にある東松江だが、松江市バスの竹矢という停留所からでも歩いて行けそうだ。どちらにするかは時刻表次第だが、このタイミングだと列車のほうが先に発車する。

松江から乗るのは10時06分発の米子行きである。ワンマン列車で、次の東松江は無人駅のため、あらかじめ1両目の前扉に近い席に座る。次の駅といっても乗車時間は7分、結構距離がある。

東松江到着。ICカードの利用範囲ということで、カードだけ運転士に提示してそのまま下車する。駅の北側にはJR貨物の集配基地があり、かつては貨物列車の駅でもあったが現在はトラックによるコンテナの集配のみ行われている(山陰線で貨物「列車」が発着するのは伯耆大山だけ)。それ以外は田園風景が広がる。

スマホの地図を頼りに駅前を歩く。圃場整備の記念碑が建ち、昔からの農家もある中、最近建てられた住宅も目立つ。松江の郊外ということで通勤圏内なのだろう。

安国寺に到着。安国寺といえば南北朝時代、足利尊氏が全国に建立整備を求めた寺で、この次に行く米子の札所も安国寺という名前だ。今いるのが出雲、その次は伯耆の国である。他にも、安芸の国の安国寺として不動院にもお参りしたなあ。

こちら松江の安国寺が開かれたのは奈良時代の後期、光仁天皇の勅願による。当初は円通寺という名前だったが、足利尊氏が全国に安国寺を建立するにあたり、出雲の国では円通寺が割り当てられた。一時は巨大な伽藍を有していたが、兵火等による焼失で一時衰退した。江戸時代になり松江藩の保護を受け、現在に至る。近くには出雲国分寺もあったが、国分寺の衰退後は十一面観音等が安国寺に移され、現在の本尊となっている。

境内はちょっとした庭園といった趣で、白砂がまぶしい。

奥には松江藩につながる京極高次の供養塔も建つ。

本堂の扉が閉まっているので、とりあえずその前でお勤めとする。

さて朱印だが、本堂の扉が閉まっているので隣の庫裏のインターフォンを鳴らす。しかし応答がない。先ほど、法事を終えたらしき家族連れが庫裏の扉から出ていったのを見かけたので、寺の方もいるのではないかと思う。扉が開いたので声をかけるも応答がない。

これは出直しか・・と思い、ふと庫裏の反対側に回ると取付棚を見つけた。先ほどは気づかなかった。これを開けると書き置きの朱印が入っており、一安心する。

さて、このまま東松江駅に戻っても次の米子行きの列車までは50分ほど時間がある。先ほど通ったが、駅周辺には時間をつぶせそうな場所はない。また松江駅からの路線バスも竹矢が終着で、それ以上東には行かない。

そんな中地図を見ると、東松江から次の揖屋まで歩いても、乗ろうとする列車に間に合うのではないかという気がした。安国寺から揖屋駅まで、スマホのナビだと38分と表示される。天気もよく暖かいので、そのまま駅まで歩くことにしよう。

この辺りのメイン道路は国道9号線だが、それに並走する形でかつての出雲街道が走っている。ちょうどこの辺りは「出雲郷」という宿場町があったそうだ。

・・・「出雲郷」、これは普通「いずもごう」と読むところだし、私もそのつもりで読んでいたが、ブログ記事を書くに当たってサイトでこの辺りのことを改めて検索するうち、正しくは「あだかえ」と呼ぶことを初めて知った。街道沿いの鳥居の先にあるのは「阿太加夜(あだかや)神社」である。「出雲国風土記」にも登場し、祭神は「阿太加夜怒志多伎吉日女(あだかやぬしたききひめ)命」とある。松江の伝統行事「ホーライエンヤ」の舞台となる神社と言えばご存知の方も多いのではないだろうか。

山陰線の踏切を渡る。ちょうど、出雲市から岡山に向かう特急「やくも14号」が通過していった。

昔からの街道沿いの風情もうかがえる一方、三菱マヒンドラ農機の工場も建つ中、ナビ通りの時間で揖屋駅に到着。ちょっとしたウォーキングということで、これはこれで島根県のよい思い出になった。

ロータリーには、女形の役者らしき銅像が建つ。一瞬、「出雲阿国?」と思ったが、銘板には「女寅(めとら)はん」とある。こちらの出身で、市川女寅、後には市川門之助と名乗った明治時代の女形の歌舞伎役者である。駅舎に「まちの駅」が併設され、観光案内なども行っているが、この駅にも「女寅」と名付けられている。

次に乗る11時44分発の米子行きまで少し時間があるので、ホームのベンチに座って文庫本など読みながら過ごす。列車の通過を知らせる放送が流れ、米子方面からは観光列車「あめつち」、そしてその後には「やくも5号」が通過する。この「やくも5号」だが、先日、JR西日本の「スーパーやくも」として車体を紫色に塗り替えた編成が使われている。旧国鉄特急色とはまた違った趣である。伯備線の「やくも」はこの後順次新型車両に置き換えられるが、それまでの間は、あえて古い車両を前面に出すとか、塗色のリバイバルなど、懐かしさを求めるその筋の人たちを引き寄せるイベントを仕掛けている。

そしてやって来た米子行きはキハ47の2両編成。これも今や昔からの汽車旅の風情を感じる車両である。ボックス席に陣取ると、隣のボックスでは青春18きっぷ利用らしい二人連れがこの後の旅程についてあれこれ話をしている。どうやらこのまま山陰線の列車を何度も乗り継いで関西に向かうようである。それは結構ハードな道のりになりそうだ・・・。

12時10分、米子に到着。現在、新しい駅舎の建設工事が続いている・・・。

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第24回中国四十九薬師めぐり~「サンライズ出雲」にあえて岡山から乗って山陰入り

2023年03月07日 | 中国四十九薬師

これまで、大阪時代、そして現在の広島勤務において、中国観音霊場、中国四十九薬師といった札所めぐりのため、さまざまなルート、手段にて札所までアクセスしてきた。札所よりもその行き帰りの方法が紀行文の重きを置いていたといえなくもないし、「この列車に乗るついでに札所を回ろう」ということで訪ねたこともしばしばあった。その最たるものは「WEST EXPRESS銀河」だろう。当時は目的地へのツアーへの抽選だったが、ご縁があって山陰、紀南、山陽各コースに繰り上げも含めて当選し、その御礼も込めて足を延ばして各地の札所めぐりを絡めたこともある。

そんな中、ついにこの列車に乗る時が来た。寝台特急「サンライズ出雲」である。

「サンライズ瀬戸・出雲」そのものはかなり以前2回乗ったことがある。いずれもこのブログの記事になっていないのだが、1回目として今も憶えているのは、「サンライズ瀬戸」で高松から東京に向かったこと。この時は、広島から東京に勤務先の労働組合の行事で向かうのに、日程に余裕があったので前段の休日を利用して、高松で行われたタイガースと「近鉄」バファローズのオープン戦観戦に立ち寄った。そしてそのまま「サンライズ瀬戸」に乗ったのである。ネットで戦績を見るに、2002年春のことである。当時は、広島~東京までを新幹線で往復したものとして定額の旅費が現金で支給されており、このように寄り道したり珍しい列車に乗ったとしても、差額を自腹で出す分には特に何も言われなかった。時効だから振り返ると、東京までの移動には、かつての「あさかぜ」、「さくら・富士・はやぶさ(の連結列車)」、新幹線100系のグリーン個室(「こだま」なので帰りの東京~新大阪間)・・・も乗ったなあ。

そしてもう1回というのは、それから数年後の東京勤務時、東京から「瀬戸」、「出雲」のどちらかに岡山まで乗ったかな・・と思うが、何年のことなのか、そして岡山からどちらに行ったかが定かではない。

関西に戻った2009年以降は、「サンライズ」に乗る機会はなかった。そもそも東京と関西を結ぶ列車ではなく、唯一、日付が変わった後の大阪から東京行きに乗ることはできるが、そこまでして東京に行く人はごくわずかだろう。

そんな「サンライズ出雲」に今回乗るのは、もちろん東京行きではなく出雲市行きである。東京から夜通し走って岡山に到着した列車に、朝から乗るのである。ご存知の方も多いと思うが、この列車は各種個室がほとんどの中、1両だけ「ノビノビ座席」という、特急料金だけで乗車できる車両がある。扱いとしては寝台車ではなく座席車。今回、この「ノビノビ座席」で岡山から先に空席があったのを確保した。ちなみに寝台は1運行で1顧客のようで、仮に岡山から先で空いていたとしても、それまでに少しでも乗車していれば販売不可という。確かに、つい先ほどまで誰かがいた個室寝台に朝からお邪魔するというのもあまり心持ちがよくないようで・・・。

「サンライズ出雲」の岡山発は6時34分。その31分後に「やくも1号」が発車する。通常、岡山を早い時間に出発するなら7時05分発の「やくも1号」だろう。山陰線に入ってからはその差は縮まり、普通ならシートに座っていくところ、横になってノビノビ行けるというのを体験しようと思う。事前に、当該座席のe5489でノビノビ座席の予約状況を座席表で検索したが、岡山までは「×印」がついていた。先客はどうやら岡山で下車するようだ。なお、終点の出雲市には9時58分着。いったん出雲市まで行き、そこから東に進んで東松江、米子の順番に札所を回ることにしよう。

いつものように前置きが長くなったが、前日早くから就寝して明けた3月5日。東横インでは無料の朝食サービスが6時30分からあり、うんざりするほどの行列ができる超人気なのだが、「サンライズ出雲」は6時34分発である。車内で3時間半近く過ごすのだからと朝食は駅構内のコンビニで買い求める。全国旅行支援の地域クーポン券はとりあえず手元に置いておく。

夜行列車に乗るためにホテルに1泊した・・・というのも、ねえ。

6時台だがこの時季となるとだいぶ外も明るくなっている。そんな中、「サンライズ瀬戸・出雲」の到着案内である。列車は6時27分に着く。「瀬戸」が前7両ということで、着くのは四国行き特急が発着する8番線である。私と同じように岡山で乗る人がいるのかなと期待する(別にいたからと言ってどうというわけではないが)。

その前に、隣の9番線には津山線の旧国鉄急行色の車両が到着する。ちなみに、米子からの帰りは旧国鉄特急色の「やくも24号」の指定席を予約している。寝台特急と旧国鉄特急色列車・・こうした回り方もいいだろう。

6時27分、7両ずつ、合計14両の列車が静かにやって来る。現在では在来線の特急で14両編成というのもなかなか見ることがなく、長い岡山駅のホームをいっぱいに使う。そして、「瀬戸」、「出雲」のそれぞれから結構な乗客が降りてくる。岡山が目的地という人もいるだろうが、山陰、四国を含めた各方面への乗換駅として問い合わせも多そうだ。

岡山からなら、新幹線に乗り継げば広島も近い。これ、広島にいる間にぜひ東京との移動手段で使ってみたい(その時は個室で・・・)。

さて、「サンライズ」に目を向けると、ちょうど真ん中で列車の切り離し作業が行われているのを見て、後方の「出雲」編成に向かう。そして12号車の「ノビノビ座席」へ。私が確保したのが上段の一番前の場所。先ほどまで使われていたらしく、ブランケットが畳まれている。隣のスペースも同じように片付けられた後だが、ここから乗って来る客はいないようだ。

上段は屋根裏といった感じで、寝転がる分にはいいが、座るにはちょっと背中を丸める必要がある。ただ、車両の端まで見渡すことができるので、それほど圧迫感はない。隣のスペースとは頭の部分で40~50cmほどの仕切り板で区切られており、そこに頭を入れて置く分には隣の人もそれほど気にならなさそうだ。小柄な人ならこの枠内に納まりそうだ(事実、そうして過ごしていた人もいた)。ただ、一夜を過ごすとなれば話は別で、気になる人は気になるだろうなあ。床も硬いし、それで寝付けないという向きもあるだろう。この日は寝袋や登山で使うマット持参の客もいたくらいで、特急料金のみで移動できるメリットと天秤にかけつつ、ある程度の対策も必要だろう。

そんな中、この日の私は朝一番の特急で岡山から山陰に移動する感覚で、別に睡眠をとるわけではなくただ横になることもできるだけプラスという気持ちである(もっとも、前日移動にともなう宿泊代と一献代が余計にかかっているのだが・・)。

普通の「やくも」とは違った感覚で、倉敷から伯備線に入る。ちょうど窓の外から明るい朝日が差し込んで来た。正に「サンライズ」である。

高梁川に沿って進む。うつ伏せになって読書しながら、あるいはスマホにも目をやり、その視線の先の景色も眺める。

途中、トイレに立ったついでに車内を散策する。ところどころ、下車した後の個室の扉が開ていたのでちょっとだけお邪魔してみる。いずれも、「ノビノビ座席」と比べれば自分のスペースは断然広い。

以前「デイリーポータルZ」という面白サイトで、「サンライズ瀬戸・出雲」の乗車記を読んだことがあるのだが、その中に、ライターが自ら食材や小道具を持ち込んで、列車の個室の中で「マイ食堂車を作る試み」や「マイ寿司屋を作る試み」といった、自ら「豪華列車」を演出しようとするバカバカしくも面白い記事があった。個室ならこうしたある種贅沢な遊びも(他人に迷惑をかけるのでなければ)許される。帰宅の満員電車に揺られる人たちを後目にぜいたくなひと時・・・いいですねえ。

備中高梁を過ぎ、次の新見に到着。新見ではホームに立っていた人がそのまま列車に近づき、「ノビノビ座席」に入って来た。これも、山陰までゆったり移動のクチだろう。

新見からは鳥取県境に向けて山深い区間である。日陰にほんの少しだけ雪が残っているところがあるが、さすがに3月ともなれば春の雰囲気である。さすがに広島からの中国山地越えも冬用タイヤの必要はなく、今回の行き先ならマイカーで来るのがもっとも手っ取り早いのは承知だが・・。

新見から米子までは時刻表では1時間以上ノンストップで走るが、実際には途中で行き違いのための停車がある。そうするうちに少しずつ車窓が開け、右手に大山の雄姿が見えるようになる。標高の高いところはすっぽり雪に覆われている。画像は綺麗に撮れていないが、車窓に目にする青空に映えた大山、さすが中国地方一の秀峰である。

9時03分、米子到着。ここで「ノビノビ座席」からもまとまった下車があった。

さてこの後、終点の出雲市まで1時間近く走るが、ここまで乗って「ノビノビ座席」を十分楽しむことができたので、終点にこだわらなくてもいいかなという気になった。本題である中国四十九薬師めぐりのコマは松江まで進んでおり、松江で下車すれば、その分早く札所めぐりに入れる。

というこどで、9時29分着の松江で下車した。ここで発車する列車を見送るのもいいだろう。次に乗る時はぜひ個室にて、そして久しく訪ねていない関東へ・・・。

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