まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

可部線延伸区間に乗る

2019年06月30日 | 旅行記F・中国

6月23日、マツダスタジアムでの観戦前の時間をどう過ごすか。それほど深く考えずに、可部線の延伸区間(可部~あき亀山)に乗りに行くことにした。元・JR全線乗りつぶし経験者だが、その後開業した区間は手つかずのところがある。その一つが可部線の延伸区間である。

ホテルで朝食を取り、広島駅に来たのは朝の7時半。平日なら通勤・通学客が多く降り立つ時間帯だろうが、この日はこの時間からカープのユニフォーム姿の人が結構いる。情報では開門11時、試合開始は13時30分とあったが、この人たちは今からでも2階自由席にでも並ぶのだろう。

7時41分発のあき亀山行きに乗る。車両は昨日からずっとお付き合いの227系だ。可部線の車両もほんの少し前までは105系、103系、なぜかたまに乗り入れる115系など、それこそ「國鐵廣嶋」のものだったが、リニューアルである。

横川から可部線に入る。太田川の放水路を渡り、三滝に到着。この先にある三瀧寺は、最近始めた中国三十三観音の第15番で、またいずれ訪ねることになる。

可部線の沿線も住宅やマンションが建ち並び、大型ショッピングセンターもある。広島勤務時代はこの一帯を担当していたこともあり懐かしく思う一方、沿線の様子もいろいろ変わったなと思う。

緑井、八木という地区に入る。2014年8月の広島豪雨災害では74人の死者を出したが、その多くがこの地区である。ここには豪雨災害後から数か月後に様子を見に行ったのだが、車窓から見ても砂防ダムが造られている一方で、5年が経とうとしてもまだまだ爪痕もあるのかなと思う。広島市が策定した「復興まちづくりビジョン」では、災害発生から5年を「集中復興期間」、その後5年を「継続復興期間」としており、これだと今はちょうど「集中復興期間」の最終期間で、とりあえずハード面の一定の整備は終え、今後は次の段階に進む頃合いだと言える。これからの町づくりというのも見守ってみたい。

再び太田川を渡り、可部に到着。ここから延伸区間ということで、運転席の後ろに移動して前方の様子を見ることにする。

可部線はかつて横川~三段峡間を走っていた。元々はさらに北上して浜田まで結ぶ構想があったのだが御多分に漏れず資金難で建設は中止。おまけに非電化区間の可部~三段峡間も利用客の減少で2003年で廃止となった。ただ、可部と隣の河戸の間は住宅も多く、地元亀山地区の運動もあり、路盤等はそのまま残された。その後、広島市、JR西日本、国土交通省の間でさまざまな折衝が行われた末、「電化延伸」の形で2017年に可部~あき亀山間が開業した。廃止されたJRの路線が復活した最初の事例である。

延伸にともない新たに設けられた河戸帆待川。

さらに進んであき亀山に到着。廃止区間にも「安芸亀山」という駅があったが、それとは別である。島式ホーム1本で、側線もあるがここで完全に「行き止まり」の構造である。さすがにこの先まで復活させようという話はないようだ。

駅そのものは無人。

駅前には小ぶりなロータリーがあるが、その先は工事中である。降り立った時は「ここも豪雨災害に遭ったのか」と勘違いしたが、かつて県営住宅があったところ、ここに広島市立安佐市民病院を移転させるための工事だった。建物の老朽化にともない現在地での建て替えか移転かで議論も分かれたそうだが、最後には現在地に一部機能を残しつつ、移転させることになった。あき亀山駅前に将来の構想図の看板があり、市民病院の移転というのが可部線の一部復活の後押し材料になったのかなと思う。

折り返し列車は1本見送り、駅前を少し歩く。坂道を少し上るところに伊勢社がある。伊勢社そのものは江戸時代にできたそうだが、ここには「長井ふたたびの宮」という額が掲げられている。可部線の延伸が決まったのにともない、可部線と同じく「ふたたび」の願いが叶うお宮として、復縁や再会など(中には、金が返ってくる?)のご利益を願うスポットとして地元ではPRしている。

その横には旧河戸駅の駅名標と待合室が移築保存されている。旧河戸駅は現在の河戸帆待川とあき亀山の中間にあったが、このたびの延伸で2駅ができる形になった。地元の人とすればかつての廃線の無念と延伸の喜びを後世に伝える意味もあるのかな。

ただ一方でこの先、三段峡までの区間がどうなっているか、また三段峡そのものも遠い存在になったがどんな様子か、それも気になるところである。それらもまた見ることができればと思う。

あき亀山駅に戻り、広島行きの列車に乗る。あき亀山を出る時には数人の客だったが、その後駅からの乗車が多く、カープのユニフォーム姿の人も結構見るようになった。

広島駅に戻り、時間があるので駅前で散髪をした後、昼食ということで駅ビルに新たにできたekieに移転したお好み焼の「麗ちゃん」に向かう。人気店ということで11時の開店時にはすでに長蛇の列になっていた。結局口にするまで1時間近くかかったが美味しくいただき、多くの人に交じってマツダスタジアムに向かうのであった・・・。

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広島大衆酒場「源蔵本店」

2019年06月29日 | 旅行記F・中国

竹原13時53分発の広行きに乗車する。今度は227系の2両編成。この形式は2両もしくは3両で運用されており、朝夕のラッシュ時には連結も可能である。かつての主力だった115系も「万能選手」のような評価があったが、この227系もそれを受け継いでいる。

2018年7月の西日本豪雨では呉線も各所で被害を受けた。竹原~広間でも土砂の流入や路盤の崩壊、駅の冠水があったが、約5ヶ月で全面復旧にこぎつけた。それでも修復した区間では今でも時速25キロに落としてのゆっくり走行である。まあ、急ぐわけでもなく、時折見える瀬戸内の島々、牡蠣の養殖いかだの車窓を楽しむ。

1時間ほどで広に到着。ここからも227系への乗り継ぎである。次は15時03分発の快速広島行きである。次の新広は2002年にできた簡易委託駅だが、その後年々乗客が増え、立派な駅舎ができていた。中国労災病院に接していることもあるし、呉の市街地の広がりということで近くには高層マンションや大型店舗もできている。ここから駅ごとに乗客が増える。

呉を発車。今回の広島行きの前泊の場所の候補の一つでもあった。呉の夜グルメとして屋台通りというのもある。その呉市内を抜けていくが、冠水した駅もあるし、山の手のほうにはまだブルーシートがかけられたところもある。坂~呉の間も2ヶ月ほど運休していた。

あの豪雨のあった翌朝、テレビで広島、岡山各地の被害状況が映し出されていたが、坂駅近辺の被害も大きく、そこら中が泥水になっていたのを今も覚えている。今は町も普通に動いているが、ところどころに更地になった箇所も見える。あの豪雨から間もなく1年である。今年の夏はあのような被害が各地で出ないことを願うばかりである。

海田市を過ぎて山陽線に入る。そろそろ広島駅に近づくということは、その前にマツダスタジアムの横を通ることになる。この22日はバファローズ対カープの2回戦の最中で、多くの観客が入っているのが見える。このスタジアムは外に向けて(電車の乗客に向けて)スコアを表示しているが、通過時は6回まで進んで3対0、バファローズがカープに対して先制している。前日は9回に吉田正の逆転2ランで勝利しており、この日も先制。何とか逃げ切ってほしいものだ。

広島に到着。コンコースもすっかり新しくなり、昔の姿とは全くイメージも異なっている。まだ試合中ということでカープファンの姿はなく、駅前も落ち着いた雰囲気だ。

また駅前も装いを新たにしている。いずれもマツダスタジアムの建設とも合わせて広島駅周辺エリアの再開発によるものであるが、玄関駅が賑わうというのは来る人にもいい印象を与えるのではないかと思う。私がいた15年より前の時期というのは、駅に降り立っても「これでも中国地方を代表する町の玄関なのか」とがっかりした思いを持ったこともあったので・・(まあ、今でも通りを一つ入るとまだまだ昔の風情を残すところはいろいろあるが)。

この日の宿泊は5分ほど歩いたアークホテル広島。広島駅周辺も最近新たなホテルが建てられるようになったが、時季柄かいずれも結構な値段がする。このアークホテルも朝食つきで8000円ほどしたが、大浴場もあることを考えるとまだ良心的なのかもしれない。広島の宿泊事情も、結構な値段のいいホテルか、格安のカプセルホテル・ゲストハウスの二極化が進んでいるようだ。

大浴場は夜の楽しみとして、早めの夕食ということで外に出る。向かったのはホテルにも近い「源蔵本店」。ベースは食堂、定食屋なのだが酒や一品も出す。そうなると昼間から、いやこの店は朝からやっているので一杯やろうかという客層もいる。実は入るのは初めてだがのれんをくぐる。

ベースは食堂なのでカウンターはなくテーブル席が並び、混雑したら相席でということになる。奥の席が空いていたので通され、ビールのジョッキをあおる。角にはテレビが置かれていて、すぐ近くでやっている試合の中継の最中だ。先ほど車窓のスタジアムでは3対0だったが、3対2とカープが追い上げてきている。この日の先発はプロ初勝利を目指すルーキーの荒西だったが、勝ちをつけてやることができるか。食堂でビールを飲みながら野球のテレビを見るとは、やっていることは完全にオヤジ。広島にいた20歳代は大衆酒場に入る習慣がなかったので、実は広島の居酒屋といっても多くを知っているわけではない。「源蔵」はその筋では有名で地元のファンも結構多い名店だという。

刺身は自分でショーケースから取ることもできるが、注文で小いわしとタコを注文。小いわしは広島の夏の味覚であり、最近になって入荷が始まったもの。広島の酒場で小いわしはなくてはならないもので、かつ人気の一品。早くから売れる。この刺身もどうやらこの日最後の一皿だったようだ。臭みもなくいわしのいいところがのどに入ってくる。タコも厚く切っており食べごたえがある。

サザエの煮つけもいただく。一つ一つは小ぶりだが酒のつまみにはちょうどよい。「昭和のガラ入れです」と、チラシを折って作った紙箱をつけてくれる。

さて試合のほうだが、バファローズがリードのまま、17時前に地上波の放送は終了となった。あらあら、後はスマホで結果を見るとするか。

この後は呉の酒「雨後の月」の冷酒と、鯛ちりをいただく。鯛ちりは鯛の切り身と豆腐が入った小鍋で、夏に食べてもいける。これらをちびちびいただく間に試合は終了した。3対2でバファローズが逃げ切り、カープ相手に連勝となった。荒西が初勝利。翌日私も観に行く試合に向けて弾みがついた。

しばらくするとこの店にも赤いユニフォーム姿の人がぞろぞろと入ってきて、多くのテーブルが相席で埋まった。これは私もそろそろ席を立つ頃かなと、料理の片付けにかかる。この日はバファローズのユニフォーム姿でも何でもなかったのだが、接客してくれた店の大将からは、「これからこの辺り、無法地帯になるんで気をつけてくださいね」と送り出される。これは特に深い意味はなく、単に駅に向かう人が道一杯にあふれるから気を付けてということだと思うが、ひょっとしたら野球の結果を見てニヤついていたように見えたのかな・・・。

その駅前はスタジアムから帰途に着くのか、あるいはその前に一杯やるか、多くのカープファンであふれかえっている。

駅のすぐ横のフタバ図書GIGA(広島勤務時にはよく立ち寄っていた)は、今や書店スペースは上の階にやられ、1階は広島市内でも最大級のカープグッズ売り場である。また上の書籍売り場にもカープ関連本が並び、おまけに非売品扱いの雑誌のバックナンバーもあり、カープの歴史の展示場にもなっている。(この上階にはネットカフェがあり、確か1年前は、愛媛の刑務所から脱獄して、向島に潜伏したり、尾道水道を泳いで渡ったH受刑者が身柄を捕獲されるつながりとなった場所だったか)

時刻はまだ18時。外も明るいし、中心部に出ることにしよう。駅前から広電に乗車して八丁堀に向かう。この辺りをぶらつくのも久しぶりである。居酒屋はもういいかなと思うが、「源蔵」では締めのものはいただかなかったので、お好み焼などどうか。

お好み焼の店舗はいくらでもあり、人によってそれぞれ好みの店があるものだが、私の場合このエリアだと、あのお好み村の斜向かいでやっている「へんくつや」に入る。広島の中心部にありながらなぜか「タイガース御用達」として知られる店である。私がタイガースファンではないのはブログで何度となく触れていることだが、それはそれとして。店がタイガース御用達になったのは村山実の現役時代にまでさかのぼるというから、その意味では老舗である。こちらでも美味しく1枚いただいた。

帰りはこのままぶらぶらとホテルまで歩いて帰る。流川、胡町・・・20歳代にはそこまで飲み歩いていたわけではなく、会社の付き合いとかお供で来ることがほとんどだったが、何となくちょうどよい規模感というのが今でも思い出としてある。

ホテルに戻って大浴場に入り、後は部屋でリラックスする。翌日23日は13時30分試合開始だが、それまで半日どのように過ごそうか・・・。

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竹原町並み歩き

2019年06月28日 | 旅行記F・中国

広島に向かう途中、呉線の竹原に下車する。列車では何度か通っているし、かつての広島勤務当時は仕事で来たこともあるが、古い町並みを散策したことはなかった。時刻表を見ると竹原をゆっくり見て、その後は広乗り換えでそのまま呉線を走破して広島に向かう形になる。

町並みへは駅から歩いて10分ほど。まずは駅前のアーケード街を通るが、シャッターを下ろしている店も多く、今一つ活気が感じられない。

町並みの入口に道の駅がある。物産館がメインで、のぞいて見ると水産加工品や広島グルメが並び、2階には竹原の地酒がずらり。土産物は駅への帰りにここで揃えることにしよう。

竹原は「安芸の小京都」とPRしているが、全国的な知名度となるとどうだろうか。広島県で見ると広島市内や宮島は有名だし、東部となると尾道、しまなみ海道、鞆の浦となるか(いずれもシブイが)。竹原はその間にあってやや隠れた存在かな。ただそのぶん古い建物も素朴な感じで残されていて、映画や時代劇のロケ地にもなるそうだ。最近ではNHK朝ドラマの舞台にもなったが、それは後ほど触れる。

竹原は元は賀茂川流域の荘園が置かれたところ。また港町でもあったが、竹原が栄えたのは製塩業にあるという。江戸時代、新田開発のために賀茂川の河口を干拓して土地を広げたが、土壌に塩分が多く水田には向かなかった。ただそれを逆手に取り、播州赤穂から技術者を招いて製塩を行ったところ、これが当たった。そこから港町として、さらには酒や醤油の醸造で発展した。

そのメインとなるのは本通り。長さは400メートルくらいか。この両側には飲食店や土産物店もあるが、自然な感じで町並みに溶け込んでいる。まずは歩いてみる。

三棟続きの黒壁の建物がある。竹鶴酒造。ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝~朝ドラ「マッサン」のモデル~の生家である。

その向かいの白壁の邸宅は、いかにも商家という造りの松阪家住宅。今は「マッサン」の竹鶴家が注目だが、昔の家の「格」とすれば同じ「マッサン」でも松阪家が羽振りを利かせてたのではないかと思う。

時刻は11時前。蔵の前に何人か行列している。「ほり川」というお好み焼と喫茶の店。「ほり川」は斜向かいの醤油の老舗で、その蔵を改装して店にしたという。朝も早かったし、広島に来たらお好み焼かなと、昼食はここにする。並んでしばらくすると開店で中に通される。内装は蔵の雰囲気を残しつつカフェ風にもアレンジした感じである。

「竹原焼き」というのがある。お好み焼の生地に酒粕を練り込んだもので、通常メニュープラス200円での提供。これも現地ならではと注文する。

トッピングは海鮮も含めたスペシャルだが、思えば別にスペシャルにしなければならなかったわけでもなく、肉玉ともう一品でもよかったかな。酒粕入りと言われれば生地にしっとり感、コクのようなものを感じるのだろうが、そこまで舌は肥えていないので特筆するまでには行かなかった。もちろん不味いわけではなく美味いので、店はぜひお薦めしたい。

「ほり川」の向かいに石段がある。周囲にも石垣が張り巡らされていて、竹原の城郭かと思わせるが、西方寺という浄土宗の寺である。江戸時代初期にこの地に建てられたそうで、境内は狭いながらも竹原の町の人たちの信仰を集めてきた歴史を感じさせる。

その奥に普明閣という建物がある。京都の清水寺を模したという舞台造りで、竹原に来たならここに立って町並みを眺めるのが観光の醍醐味とされている。現在は修復工事中のためその舞台には上がることができないが、なかなか風格のある建物だ。

竹原町並み保存センターがある。竹原の町を紹介したビデオ映像が流れ、2階では北前船に関する特別展示が行われている。今年の5月に日本遺産認定を祝してのものである。実は北前船の寄港地はすでに日本遺産に認定されているのだが、エリアが北海道から北陸までのものだった。それが北日本、北陸だけではなく山陰、山陽の港町がこのたび追加で認定されたという。そのタイトルは「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」というから結構濃い。ちなみに日本遺産は全国いたるところで認定があり、四国八十八所や西国三十三所も札所めぐりそのものが認定されている。個人的には、無理やり世界遺産を推薦するよりは、日本遺産にもっとスポットライトを当ててあげたほうがよいのではと思うが。

竹原は追加認定組だが、そこには製塩が絡んでくる。竹原の塩が日本海の各地に向けて商品になったのである。展示室には塩の取引の台帳や、当時の塩田の図が紹介されている。これによると、現在の竹原駅や市役所などの中心部は当時塩田だったことがわかる。今の町並み保存地区は川を挟んで塩田に接していたようだ。

さらに進むと歴史民俗資料館がある。先ほどまでの商家とは違い、昭和初期に図書館として建てられたものだ。入口にはドラマ「マッサン」関連の展示。外にはマッサンとリタの銅像も建ち、「よいウヰスキーづくりにトリックはない」の一文がある。何事も愚直に、謙虚にという意味も含まれているのだろう。

先に触れた製塩、酒造もあり、また儒学者の頼山陽を輩出した頼家の展示もある。

また竹原といえばマッサン竹鶴政孝だけではなく、戦後の首相・池田勇人も偉人と讃えられている。本町通りの突き当たりには胡子神社のお堂がある。胡堂というが、通りの突き当たりにあることから、この町並みも胡堂をベースとして形成されたのかなと思う。奥には浄土真宗の照蓮寺もあるが。

一本脇の通りを歩き、藤井酒造の酒蔵もちょいとのぞく。お願いすれば試飲もできたのかもしれないが、ここは見るだけで。

本町通りに出て、道の駅に戻る。ここは竹原の代表的な酒として、竹鶴酒造の竹鶴と、藤井酒造の宝寿をそれぞれ300ミリ瓶で購入した。またこの先の楽しみである。

もう少し歩いて町の中心部に出る。かつての塩田跡をしめす祠を見る。

そしてこちらの銅像。竹原書院図書館の前にあるこの像の「池田勇人君」という銘文は師匠にあたる吉田茂の筆によるという。池田勇人の銅像は広島城内にもあり、そちらは洋服姿で右手を開いた姿だが、竹原では和服姿である。賛否はいろいろあるだろうが、昭和の日本の高度成長の基礎を築いた実績は揺るぎないものだろう。また広島県の選挙は自民党が強いが、そのベースである宏池会を創設したのも池田勇人である。現在その系譜を受け継ぐのは広島1区の岸田文雄だが、ちょっとその存在感が・・・。

駅に戻る。ここからは再び呉線に乗って広島に向かう・・・・。

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500系新幹線と「Red Wing」

2019年06月27日 | 旅行記F・中国

6月22~23日はマツダスタジアムでのカープ対バファローズの観戦旅行。観戦した23日の模様は前の記事にしたが、そこまでの道中も書いてみることにする。

22日は移動しながら観光ということでルートをいろいろ考えていた。夜は広島に泊まるつもりでチケット確保後すぐにビジネスホテルを取ることができたが、それまでどうするか。3年前の広島行きの時は三原からフェリーで生口島に渡り、レンタサイクルで大三島まで行き、三原に泊まった。今回はどうするか。山陽線沿いと考えたが、先日始めた中国観音霊場めぐりとかぶり、かつ札所順を飛ばすことになる。

他にはJRの「広島・松山割引きっぷ」というのも考えた。新大阪から岡山で特急しおかぜで松山まで行き、松山から呉までは高速艇のスーパージェットに乗船し、呉から呉線で広島へ。帰りはのぞみ(列車限定)で新大阪へというもの。松山、広島それぞれのエリアでは乗り降り自由で15000円と、新大阪~広島ののぞみ単純往復より安い。松山に1泊して当日朝のスーパージェットで広島に向かうのも面白そうだ。

いろいろ考えたが、今回は三原から呉線に乗って広島に向かうことにした。昨年7月の西日本豪雨で広島県内、特に山間部の区間で甚大な被害を受けた。山陽線の被害は貨物列車の運休につながり、物流面でも影響が多大だったのも記憶に新しい。現在も芸備線の中三田~狩留家間で運休中である。その中で今回呉線に乗ることにしたのはそうした路線の一つなのと、途中下車で竹原に行こうというところからだ。

三原に向かうのに、新大阪6時59分発の「こだま731号」の指定席を確保した。のんびり各駅に停まりながら行こうというものだ。この列車にしたのは、今では貴重な乗車機会である500系に乗るためである。

列車が入線。指定の6号車に乗り込む。500系の指定席車両(4~6号車)は2列シートで、このうち6号車はかつてグリーン車として走っていた車両である。このため、座席も実にゆったりしている。なぜ6号車だけなのかといえば車掌室の設備があるからとされている。8両編成の今は車掌室は6号車だけで、シートを張り替えるのも手間だからそのままおトクな座席の車両にしたということだ。

新大阪からのんびり進む。まあ、のんびりといっても普段の鈍行旅行からすればむちゃくちゃ速いが・・。座席上の棚にはメガホンも見える。大阪から広島に遠征するカープファンなのかな。

姫路、相生で後続列車の通過待ちがあるのでホームに出る。特にこの両駅は通過列車のスピードが速いそうだ。間近で通過列車を見ると、よくあんな速いものに何の気なしに身を任せているなと思う。

8時55分、三原に到着。新大阪から2時間の乗車は快適だった。列車はそのまま広島に向かい、さらに終点は博多だが、いずれ博多に行く機会があれば500系こだまを乗り通すのもいいかなと思う。乗り通しても昼前には博多に着く。みずほ、さくらのN700系とは違った味わいである。

次の呉線の広行きは9時47分発と時間があるのでいったん改札を出る。カープのユニフォーム姿の人もちらほらいて、これから新幹線または在来線でマツダスタジアムに向かうのだろう(22日の試合は14時開始)。JRも「赤ヘルきっぷ」を売っていて、この日は改札前に臨時のワゴンが出ていた。かつては、往復の新幹線と市民球場~マツダスタジアムの指定席券がセットの切符だったが、このところのカープ人気でチケットが取れない状況である。「赤ヘルきっぷ」も往復乗車券、新幹線自由席の割引のみとなり、当日のチケットを提示して購入できる商品に変わっていた。それでも新幹線に乗れる割引きっぷというのは魅力で、山陽新幹線の利用増にもいくらか貢献しているのだろう。

駅の北にある三原城跡に行ってみる。小早川隆景が築城し、現在の三原駅もその上に建つ。駅コンコース奥の階段を上がると扉があり、それを出ると本丸跡に出る。福山城のように天守閣があるわけではないが、駅に隣接、いや城跡に駅があるという点では福山よりも濃い。

早めにホームに上がると、呉線の折り返しとなる列車が着いたところだった。227系の新型車両、関西の新快速車両を2~3両単位で組んだものといえばわかりやすい(メカニズムについては独特のものがあるそうだが)。2019年3月のダイヤ改正で、山陽線の糸崎~岩国間、呉線、可部線の列車は全てこの形式に入れ替わった。ほんの少し前までは国鉄型車両もバリバリで走っていて、ただオンボロな車両も多く「國鐵廣島」などと揶揄する向きもあった。イメージアップと利便性向上のため「JRシティネットワーク広島」の愛称を持つ運行ダイヤにする中、227系は「Red Wing」の愛称があるように赤をモチーフにしており、ロゴもシティの頭文字「C」を強調している。赤とC・・・車両の見た目はスマートだが、込められたものは言わなくても明らかだろう。

早くから乗り込んでゆったり待つうちに時刻となり、発車。まずは三原近郊の海沿いの区間を走る。

列車は風光明媚な区間を行くが、スピードは上がらない。観光列車並みのゆっくりとした速度で行く。別に乗客へのサービスでもなく、速度規制のようだ。この先も何ヵ所かで徐行があったが、時速25キロを示す標識があった。昨年の豪雨から復旧したとは言え、慎重にならざるを得ない区間が多くあるのだろう。ダイヤもそれを含めたものかな。

三原~須波~忠海と続く海岸線は見事で、対岸の島々とセットの景色を楽しむ。呉線の線路も海岸線ギリギリに敷かれたところがある。

一方では今治造船のドックや、Jパワーの竹原火力発電所の横も過ぎる。忠海の手前では桟橋に行列ができている。この後、毒ガス実験とウサギの島で知られる大久野島に向かう人たちである。

10時22分、竹原に到着。呉線は何度も乗っているが竹原で下車するのは初めてである。町歩きのためコインロッカーにキャリーバッグを預ける。

まあせめて竹原の町並みを歩くことにする。その辺りは次の記事にて・・・。

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第1回中国観音霊場めぐり~第2番「餘慶寺」

2019年06月25日 | 中国観音霊場

話は中国観音霊場めぐりに戻る。6月16日。

第1番の西大寺の参詣を終え、吉井川にかかる雄川橋を渡って瀬戸内市に入る。日が当たると結構暑く感じる。

目指す餘慶寺の案内板が出る。お堂は道の正面上に見えていたのだが、案内板によると結構南下してから坂道を上るように出ている。仕方ないかなと引き続き歩く。

少し行くと墓地があり、その脇に上りの山道が見える。ここを上がることはできないか。

道はそのまま続いていて、これはいい感じで上がれそうだ。寺の敷地らしい雰囲気になり、そのまま餘慶寺の一角に出た。吉井川とその向こうに西大寺の伽藍も見ることができる。西大寺からは歩いて40分くらいで着いた。た

何やら供養塔が見える。南朝方の武将だった児島高徳とその一族である和田氏を顕彰するものである。児島高徳はこのあたりの出身だということもあるが、最近歴史の表舞台から忘れ去られているのでは?ということで建てられたものである。

この一帯は地元では上寺山(うえてらやま)という呼び方で親しまれているそうだ。中国観音霊場の2番札所と書かれた石柱があり、その奥に諸堂が並ぶ。本堂と三重塔が存在感を出している。

まずは本堂に向かう。靴を脱いで畳敷きの外陣でお勤めである。本尊の千手観音はその向きから「東向き観音」として親しまれている。

餘慶寺は奈良時代、報恩大師により創建されたとある。当初は日輪寺という名前だった。この報恩大師という僧は岡山県下の古い寺の多くの由緒に出てくる人物とされている。その後、慈覚大師円仁により「本覚寺」と改められ、平安後期には近衛天皇の勅願寺となった。戦火で焼失したこともあったが復興して、中世は浦上氏、宇喜多氏の保護を受け、江戸時代は岡山藩主池田氏の保護を受けた。今でも上寺山にいくつかの塔頭寺院を持つ。もちろん初めて訪ねた寺院だが、結構な歴史がある。この本堂も江戸時代前期に再建された長い歴史を持ち、国の重要文化財にも指定されている。

こうした札所めぐりにはご詠歌がつきものである。古くは西国三十三所の各札所で花山法皇が御製の和歌を詠んだものだが、中国観音霊場にもご詠歌はある。これまでさほど意識しなかったのだが、餘慶寺の本堂に掲げられたのがふと目に留まった。

「けんやくに みをつつしみて おごりなく ただよきことを すればよけいじ」

ご詠歌は寺の由緒などが詠み込まれることもあるのだが、この歌は法話の一節でも聞いているかのようである。中国観音霊場のご詠歌はどのように作られたかは知らないが、各札所にそう都合よく伝わる歌があるわけでもなく、ひょっとしたら各札所の住職が直々に詠んだのもあるかもしれない。

隣接する三重塔、さらに奥にある薬師堂も由緒ある。

一方で新しい建物もある。八角堂では法華経に出てくる数多くの仏の名号を唱えることができるし、地下にある十三仏堂にはあの世に行くにあたり巡り会う十三の石仏が並ぶ。さらには納骨堂である阿弥陀堂もある。結構手広い。

この餘慶寺、神仏習合の昔ながらの姿を今に留めているのもうかがえる。写真を見ると、本堂や三重塔が建つのと同等の存在感で石の鳥居が建つ。豊原北島神社という。

寺と神社の境界を示す石標もある。神仏習合ではなく寺と神社が明確に分かれているではないかと思われるが、これは江戸時代の初期、初代の岡山藩主池田光政の政策によるものである。光政は岡山藩の発展に尽くした名君と称される人物で、そのベースとして儒学(ただし朱子学ではなく陽明学)を信奉していた。閑谷学校を作ったのも光政である。その中に「神儒一致思想」というのがあり、儒学的合理思想から神道を中心とする政策を取り、神仏分離を実施した。ただ、後の明治時代にあった廃仏毀釈のようなことはなかったようで、寺の本尊は今でも貴重な文化財として伝わっているし、神社と寺が共存しているようにも見える。

元々、神仏分離はこのような形で行われていたのだが、明治の新政府になっておかしなことになった。最近読んだ鵜飼秀徳著『仏教抹殺』にその辺りの経緯が書かれていたが、事の本質を理解せずに、明治新政府に気をつかって、あるいは点数稼ぎのために無茶をした連中が我先にと寺や仏像を破壊した。あくまでも餘慶寺を見ただけのことだが、その点でいえば岡山、備前は皮肉なことに以前から神仏が分離されていたから寺が無事だったともいえる。

神社と寺の境界があるといっても、薬師堂の横には日枝社と愛宕社もある。

納経所は餘慶寺会館の一角にある。こちらで中国観音霊場の第2番の朱印をいただく。

帰りは最寄り駅の大富まで歩いてみる。道標では1.5キロほどとあるが、下り坂が続くのでそれほど苦にはならない。住宅地もあるし、あじさいが咲く庭もある。

15分ほどで大富駅に近づいたが、岡山方面の列車が発車する音が聞こえてくる。実はこの後は赤穂線で播州赤穂方面に行くのではなく、いったん岡山に出て新幹線に乗ることにしている。いきなり新幹線登場だが、これは早く帰宅したかったのと、後の展開を考えて岡山駅に布石を打とうというもっともらしい理由がある。

大富駅だが、ホーム1本きりなのはよいとして、駅舎もなければ周りに時間をつぶせそうなところもない。停留所のようなものである。

時刻表を見ると、次の岡山方面の列車の前に来るのは東方面の長船行き。で、この列車が長船で折り返して、次の岡山方面の列車である備中高梁行きになる。ならば、長船へのちょい乗り往復はきちんと支払うとして、大富駅でじっと待つより冷房の効いた列車で過ごすほうを選ぶ。

長船では10分足らずの時間だったが、改札を出て再び入場し、備中高梁行きの客となった。これはこれで楽に過ごせたと思う。

そのまま岡山に到着し、そのまま新幹線「さくら」号に乗る。岡山に来たらあのミシュラン居酒屋に寄るのが定番だが、またの機会とする。

・・西大寺と合わせて2番まで訪ねた中国観音霊場。今回については、西国や四国で目にしたような中国観音霊場の熱心な巡拝者や、個性的な人を見かけることはなかった。ただ、寺としての歴史は西国や四国に負けない奥深さを垣間見ることができて、これからが楽しみである。

次回は第3番の正楽寺を訪ねる。同じ赤穂線でも東側にあり、中国地方一周というなら逆方向だが気にしない。備前の名刹をもう一つ訪ねるのだなという気持ちで、いつ行くかカレンダーを確認することに・・・。

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観戦記・交流戦カープ対バファローズ3回戦(10回表に打線が一挙9点でカープを3タテ&今季日曜日初白星)

2019年06月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

バファローズ交流戦最後のカードとなるカープ戦(正しくは、雨天中止の神宮でのスワローズ戦が1試合残っているのだが)。その3戦目となる23日を現地観戦することができた。三塁側の1階席だが、今思えばよくチケットが取れたものだと思う。

広島には前日22日から入っていたがその時の様子はまた別に書くとして、広島駅から「カープロード」を歩いてマツダスタジアムに向かう。

この球場に来るのも3年ぶりで、前回はといえば、カープの鈴木に3試合連続本塁打(うち2本はサヨナラ)を浴び、「神ってる」という流行語が世に出るきっかけとなった試合である。

球場入りしたのは試合開始の1時間ほど前。バファローズの試合前の打撃練習も終わったところ。ちょうどバファローズの山岡が調整を終えて三塁側スタンド前に来たところで、ファンからのサイン、記念撮影のリクエストに応えていた。砂かぶり席の観客の「特典」といったところだが、ガチガチのカープのユニフォーム姿のファンも結構な数が集まる。山岡が広島出身ということもあるのだろうが、さすがにカープのそういうので記念撮影というのは失礼ではないかという気がするが・・・(単にひがんでいるだけなのかもしれないが)。

三塁側後方の上段がビジターのパフォーマンスシートだが、下から見上げるので全体像はわからないが、何だかバファローズファンの数が減っているように見える。3年前はビジターシート全体にバファローズファンがいたように思うが、これは減っているというより、カープファンがここまで進出(侵食?)しているのが実情のようだ。今やマツダスタジアムのチケットは手に入れることができないプラチナもので、今季は前売り販売の抽選券を得るための整理券を求める列が数百メートル先のJRの踏切までできて混乱したこともニュースになったくらいだ。実際はその行列以外にもプレイガイドの発売開始日のチャンスがあり、私がこの日のチケットを手にしたのもこのルートだったのだが、ビジターパフォーマンスシートも即日完売になったようである。そのエリアも一応指定席のはずだが、球場側が整理をしたのか、カープファンはホームベース寄り、バファローズファンはレフトスタンド寄りにそれぞれ分けられたようである。

ビジターシートでその様子なので、1階席は三塁側も当然カープファンが圧倒的に多い。ところどころにバファローズのユニフォーム姿の人を認めるくらいか。試合開始までに、私の前後左右(横は通路で挟まれるが)も「赤い人たち」で囲まれる形になる。

試合前の守備練習、選手発表。カープのスタメンには1番・ショートで4試合ぶりに田中が戻って来て、スタンドからも大きな拍手が送られる。3試合はドラフト1位の小園を起用し、初安打初打点を挙げた一方で、バファローズとのこれまでの2戦は失点につながるエラーも献上してプロの厳しさを味わったところだが、田中復帰でカープ打線にも活気が出るか。

バファローズの先発は田嶋。前回は16日のタイガース戦で好投するも、9回に抑えの増井が打たれて今季初勝利が消え、またチームの日曜日今季初勝利を逃した試合である。

カープの先発はジョンソン。先頭の福田が初球をセンター前に運んで出塁。続く佐野のところで盗塁を仕掛ける。見た中ではアウトの感じだったが審判はセーフの判定。早速カープからリクエストが出て審判が協議する。大型ビジョンでリプレイが出たが、これは明らかにアウト。リクエスト成功でランナーが消え、後続も倒れて3人で攻撃終了。

2回表も先頭の吉田正が四球で出塁も、続く中川が4-6-3の併殺。スタメンに戻っている安達が二塁打を放つが後が続かない。

3回表も先頭の若月が死球で出塁も、続く田嶋が送ることができず三振。この後は福田がヒット、大城が四球で二死満塁となり、吉田正を迎える。カープファンからも「怖いなあ」との声が出るが、ここはジョンソンがズバッと決めて見逃し三振。1点が遠い。続く4回も西村が内野安打で出塁するも得点にはいたらず、拙攻が続く。

一方の田嶋は初回から140キロ台後半のストレートもよく、3回まで3人ずつで片づける。4回裏一死から菊池にチーム初安打となるセンター越えの二塁打が出て、西川も四球を選ぶが、鈴木を打ち取って無得点。

試合は速いテンポで進む。田嶋の好投に応えたいバファローズ打線だがジョンソンの前にあと1本が出ないまま、6回裏まで0対0。

7回表、二死から打順が田嶋に回ったところで代打・頓宮が登場。再コンバートの形で捕手挑戦で、2軍でじっくり育成かという中、第2捕手の伏見の故障もあり昇格したが、代打策は実らず。田嶋は6回までで被安打2、四球1、奪三振7と好投したがまたも勝ち星がつかなかった。

赤いロケット風船が飛ぶ中で登場したのは、リリーフに回って勝ち運が出てきたエップラー。3番西川からの攻撃だったが危なげなく3人で片づける。

ジョンソンも100球を超えたためか7回で降板となり、8回表は同じ左腕のレグナルトが登板。こちらも1番福田からの攻撃をあっさりと3人で打ち取る。

完全に1点勝負となった8回裏、バファローズは近藤が登板。ここで先頭のバティスタがヒットで出塁し、上本の犠打で一死二塁。この場面で石原の代打で松山が登場し、スタンドが大いに沸く。ここは近藤が力勝負で松山を打ち取り、二死二塁。しかし続く途中出場の野間にはボール3つ先行し、ベンチは選択敬遠を取る。迎えるのは田中。打撃不振もあって3試合スタメンを下げられたとあって「広輔!舐められとるんやぞ!ここで打て!」とファンからの檄も飛ぶ。ファンも田中の復活を願って大きな声援を送るが、ここはライトフライで近藤の勝ち。

9回表、カープは中崎に代わる守護神のフランスアが登板。ここまでチャンスに三振もあった吉田正が力でセンターに弾き返す。ここで小田が代走に出る。盗塁を決めて二死二塁とチャンスを作るがそれでも点が入らない。野手の編成上、カープの左腕3人に対しては代打攻勢も難しい状況だったのは否めない。

こうなると9回裏のバファローズは、こちらも増井に代わる守護神のディクソンが登板。一死から西川がヒットで出塁、サヨナラのランナーだ。そして迎えるのは鈴木。ここでふと、3年前のことを思い出してしまうのだが、粘った末にライトへのヒットを放つ。西川は一気に三塁まで進み、一死一・三塁となる。ここで途中出場の會澤。打球が内野の頭を越したところでサヨナラ勝ちと、カープとしては大チャンスとなる。

會澤の当たりはショートへ。ショートの大城は前に突っ込んで捕球し、本塁に投げる。タッチプレーだったが若月がよく押さえて西川はアウト。

打順はフランスアのところに回り、カープとしてはとっておきの代打・長野が登場する。9回裏二死一・二塁。一打サヨナラには変わりない場面で、スタンドのファンももう必死である。私もカープファンに囲まれる中、試合の流れがカープに行っているのであればこのままサヨナラ試合かなと半ば「覚悟」していた。

ディクソンは生命線であるナックルカーブを軸に長野に挑み、最後はストレートで見逃し三振に取った。落胆するスタンド。それでもディクソンは感情を表に出すことなく、静かにベンチに戻って行った。0対0というスコアレスのまま延長戦ということになった。「あれで決められんのか」とカープファンからはがっかりした声が出る。「まあ、交流戦ドベのチームじゃけぇ」。

両チームとも抑え投手を使った後の延長戦、カープのマウンドには一岡あたりが来るのかなと思いきや、同じ右でも菊池保。これまで左腕が3人投げてきたが、右投手に代わると何か流れが変わらないかなと期待してしまう。

10回表、先頭は若月に代打・西野。初球を上手くレフトに流し打ちで、二塁打となる。次がディクソンということで続く代打は後藤。打撃のいいディクソンに打たせたら面白かったのにと思いつつ、後藤は送りバント。まずは三塁にランナーを進めてプレッシャーをかけようというところか。

福田が四球を選ぶと、佐野に代打・小島。福田が二塁盗塁でプレッシャーをかけるが、小島は空振り三振。またも拙攻のパターンかと思った。

そして大城。レフトへ、あと少しでフェンスを越えるかという大きな当たりが出る。スタンドに大きなため息が出る中、2人が還って2対0、ようやくバファローズが先制する。ここで席を立つ人も目立った。

続くは途中で代走出場の小田。初球を叩くと鋭い打球が飛ぶ。外野の間を抜けると大城が還って3対0、小田も三塁に進んだ。

続く中川もいい当たり。これも外野の間を抜けて二塁打となる。4対0。さらに安達も右中間への当たり。俊足を飛ばして三塁打となり、5対0。ここまではいずれも早いカウントから打ちに行ったのが功を奏した形である。もうバファローズの勝ちは確実だろう。菊池はここで降板となったが、同時に席を立つ人も増えた。

登板したのは藤井。今度は制球が定まらず、西村、打者一巡して西野に連続で四球を与えて満塁とする。そして後藤が鮮やかな打球を右中間に放ち、走者一掃の三塁打で8対0とさらに突き放す。

最後は福田もライトへ。打球の処理に手こずる間に福田は三塁へ、9対0。延長の1イニングでそんなに取らなくても、今日でも序盤であと1本が出ていれば少数得点でも勝てた試合である・・・と言えば現金なものだが、相手投手が左腕から右腕に代わった途端に左の代打攻勢で当たってしまうのも野球の不思議さである。ちなみに10回表だけで小田、安達、後藤、福田と4本の三塁打が出たが、1イニング4本の三塁打は2リーグ制以降初めての記録だという。一方のカープファンからは「緒方が悪いんじゃ!」「交流戦限りで辞めてまえ!」という罵声も飛ぶ。

球場全体の応援のテンションも下がって10回裏、山﨑が登板。得点が入る入らないに関わらず10回は予定の登板だったかな。

一死一塁で打者は野間。ヘルメットがバコッとスタンドまで聞こえる音がして野間がうずくまる。山﨑は何をやっているのか。当然危険球で退場となり、小林が急きょ登板する。野間もこのまま病院で検査を受けるとのことである。

これでようやくカープ打線が目を覚ましたか、田中があと少しでホームランになるかというセンターへの大きな二塁打を放つ。これで9対1、さらに二死満塁となり、鈴木の当たりは高いバウンドで小林のところへ。しかし処理にもたつき内野安打となり、2者が生還する。9対3で、何やかんや追い上げ、最後の意地を見せてきた。「1点でも2点でも取り返せ!」と檄を飛ばしていたファンの方も少しは満足されたかな。

急な登板は仕方ないが小林には試合を締めるだけの力はなく、さらに比嘉が登板。カープももう少し反撃したかっただろうが、會澤が打ち取られて試合終了。延長10回の表裏だけで9対3、前半の展開が嘘のような結果になった。

インタビューは先制、決勝の二塁打の大城。この球場では残念なことに相手チームのインタビューの音声は流れず、何をしゃべっていたかはわからないが、カープ相手に3連勝、チームも交流戦は上位につけているが、それでも借金はあるしパ・リーグ最下位のまま、それでもこれから巻き返しを図る・・・とでも話していたのかな。

帰りは広島駅までの大群衆の中を歩く。カープは今季好不調の波が激しすぎて、1試合を残して交流戦の最下位が決定したが、ほとんどのファンは淡々と、静かに駅まで歩く感じだ。

私としては3年前の鈴木の本塁打で敗れた試合を「やり返したった」という気持ちである。広島は私の思い出の町だし好きなところだが、カープに対してはこのところ複雑な思いを持っている。この試合はそういう意味で思い出に残る熱戦で、またこのスタジアムには足を運びたいと思う・・・。

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第1回中国観音霊場めぐり~第1番「西大寺」その2

2019年06月22日 | 中国観音霊場

西大寺の本堂の脇に高さ3メートルほどの金色の観音像が建つ。普陀南海観音像という名前で、2003年に落慶したものだ。 中国の浙江省に普陀山という観音信仰の聖地の島がある。9世紀の中頃、遣唐使の僧として渡っていた恵鍔(えがく)が唐から観音像を日本に伝えようと出航したところ、この地で船が動かなくなった。これに霊感を得た恵鍔は普陀山に観音像を祀り、後に観音信仰の聖地の一つになった。 時代は下って1990年、中国観音霊場会は普陀山の仏教教会との交流を始め(同じ中国つながりやな)、後には中国観音霊場会の主催で普陀山への参拝団を派遣するようにもなった。その友好の証として普陀山の10分の1サイズの観音像が贈られ、西大寺の境内に祀られている。像の台座にはそのような内容の中国語が刻まれ、脇には「百八観音第2番 南海観音」とある。この像を前にもう一度お勤めとする。 中国、四国、九州の観音霊場が合同して「百八観音霊場」を結成していることは以前の記事で触れたが、中国観音霊場では西大寺の中の観音像の一つだが、百八観音霊場では独立した番号が与えられている。先ほどの納経所では百八観音霊場としての南海観音の朱印もいただけるが、私の場合は中国観音霊場めぐりなので南海観音はお参りしたに止める。 本堂の奥には、神社の拝殿のような建物がある。牛玉所殿(ごおうしょでん)である。現在の建物は1880年に建てられ、中には牛玉所大権現と金毘羅大権現を祀っている。かつての神仏習合の姿を今に伝えている。先ほどから会陽で宝木を争うはだか祭りに触れているが、元々は牛玉大権現の護符を得ようと信者が集まって取り合いになったことから来ている。 一方の金毘羅大権現は元々讃岐のこんぴらさんだったのが、明治時代の廃仏毀釈で仏像が壊される中、本地仏である不動明王と毘沙門天を西大寺で引き取って牛玉所殿で祀ったとある。神仏習合、廃仏毀釈はこれまでの札所めぐりで何度も触れた歴史だが、中国観音霊場にもそうしたいわれを見つけることができる。 境内を一周したところで、次の餘慶寺に向かう。餘慶寺は西大寺駅から赤穂線で1駅東の大富駅からから徒歩20分とあるが、西大寺駅に戻って列車に乗るよりも、直接歩いたほうが近そうだ。 仁王門を出て右手の五福通りという商店街を歩く。伝統的建造物が並ぶわけではないが、昔の風情を残す一角である。赤穂線の東岡山~伊部間が開通したのは1962年と意外にも新しく、それまでは西大寺鉄道というローカル私鉄、さらに昔は吉井川の水運で賑わったところ。その名残を伝えている。 その吉井川の土手に出る。岡山県では高梁川、旭川と並ぶ大きな川で、川幅も広い。 その吉井川にかかるのは雄川橋。写真では見づらいかもしれないが、橋の向こうの丘の上に寺のお堂や塔を望むことができる。あれが次に向かう餘慶寺だが、中国観音霊場もいきなり上り坂との対面か・・・。

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第1回中国観音霊場めぐり~第1番「西大寺」その1

2019年06月21日 | 中国観音霊場

赤穂線に揺られて西大寺駅に到着。ここから目指すのは中国観音霊場の第1番札所の西大寺である。

西大寺といえば「はだか祭り」としても知られる西大寺会陽がある。メインイベントは例年2月の第三土曜日に行われる宝木(しんぎ)争奪戦で、裸にまわしを締めた男衆が本堂内陣の御福窓から投下された宝木を奪い合うものである。日本三大奇祭の一つとされていて(こう書くと残りの二つはどこかとか、そもそも西大寺会陽は三大奇祭に数えられるのかというのがまた問題になる)、毎年大勢の参加者が集まる。

駅前のロータリーには宝木を奪い合う男衆の像が建つ。会陽の様子はYouTubeにも多くの動画がアップされているし、西大寺のサイトにも画像がたくさんあるのでご覧いただけるとよいが、まあすごいわ。あれだけの男たちが本堂の舞台でもみくちゃになっているし、本堂の外にも多くのまわし姿が取り巻いている。そのすさまじさ、毎年担架で運ばれる人も出るし、10年あまり前には群衆の下敷きになって亡くなった人もいたそうだ。

会陽の宝木は天井の御福窓から2本投下され、それを奪い合うわけだが、個人が野次馬気分で参加して簡単に取れるものではない。エントリーじたいは個人単位でも、何なら当日飛び入りでも可能だが、怪我防止のため腕時計はおろか眼鏡も着用禁止である。眼鏡がかけられないという時点で私などは参加できない。まあ多くの参加者はまわし姿になることや境内でもみくちゃになって参加することそのものを楽しんでいるようだが、毎年本気で宝木を取ろうというグループも多く参加するそうだ。そうしたグループは綿密な作戦を立て、事前のシミュレーションも行うなどして臨むのだとか。毎年1月に行われる西宮戎神社の福男選びの競走にも共通するものがあるかな。

寺に参詣の前に、駅から歩いた水路沿いにある西大寺文化資料館に行ってみる。岡山を中心に店舗を持つ百貨店の天満屋(現在は女子のマラソン、駅伝の強豪としても知られる)を創業した伊原木家の旧邸宅にあり、敷地内の衣装蔵を1979年に地元の西大寺愛郷会に寄贈したものである。それ以来、西大寺地区に関する資料の保存・展示を行っている。この建物が日曜日のみ公開のため、今回の中国観音霊場めぐりを日曜日に行ったわけだ。

係の人に迎えられ、記帳して中に上がる。やはり見所は会陽に関するもので、かつての宝木や護符も展示されている。古くは江戸時代のものもある。

宝木を取ったら立会人(現在は商工会議所)の元に持ち込まれ、福男に認定されるそうだが、昔はその辺の似たような棒切れを持ち込む不正もあったそうだ。そのため現在は宝木を切り出した際にわざと切れ込みを入れておき、それと凹凸を合わせて本物かどうか判定するとのこと。また福男は自分に福が訪れるというよりはむしろ、商店街や施設を回るなどして人々に福を授ける役目がある。これも、西宮戎神社の福男にも通じるところだ。

西大寺の本堂には会陽の様子を描いた絵馬が奉納されているが経年で見にくいため、資料館には絵馬を撮影したパネルがある。江戸時代のものらしいが、境内の男衆のエネルギッシュな様子が伝わってくる。また他には昔の生活道具や、元は呉服屋が発祥の天満屋の帳場の展示もある。西大寺の歴史の一端を学ぶことができるスポットだった。

資料館から西大寺の参道を歩き、仁王門に着く。中国観音霊場の1番札所の標札も掲げられている。いよいよ、巡拝が始まる。

仁王門をくぐるとまずは三重塔が出迎えてくれ、その奥に本堂が建つ。境内がガランと、中途半端に広く感じるのはやはり会陽の会場だからだろうか。

本堂に対面する形でスタンドがある。会陽では有料の観覧席となり、宝木を奪い合う様子を格闘技でも観戦するかのように見守ることができる。2月だから熱燗でもやりながら宝木投下までの時間を楽しむのも面白そうだなと勝手に想像する。

さてここまで会陽、はだか祭りを中心に触れてきたが、西大寺の寺としての歴史にも触れておく。関西で西大寺というと、奈良にある近鉄のターミナル駅のイメージが強いが、寺としては岡山の西大寺のほうが名高い。

その奈良時代、周防国に藤原皆足姫という女性がいて、観音菩薩を篤く信仰していた。ある日、姫のところに一人の仏師が宿を求めてやってきた。姫は泊めるかわりに香木を差し出して観音像を彫ってほしいと頼んだところ、仏師は「仏像が出来上がるまで部屋を覗いてはいけない」と言って部屋に籠った。

ある日姫が部屋の前を通ると何やら話し声がするので、ふと部屋を覗いた。そこでは仏師と仏像が問答をしていたが、仏師は姫が約束を違えたとして外に走り去る。姫が押し止めてどこのお方かと訊ねると、仏師は「大和の長谷が仮の住まいだ」と言い残して姿を消した。大和の長谷とは観音信仰の象徴でもある長谷寺のことで、姫は「仏師は長谷寺の観音の化身だった」と思い、彫られた観音像を舟に積んで大和を目指した。

舟は吉井川まで来たところで停泊したが、出発しようとして動かなくなってしまった。そこで観音像を降ろすと舟は楽に動いた。これは観音様の思し召しとしてお堂を建てたのが、西大寺の発祥とされている。

その西大寺だが、当初は「犀戴寺」という字だったそうだ。長谷寺で修行していた安隆上人の夢のお告げに「吉井川にある観音堂を修復するように」というのが出て、上人がその通り備前に向かったところ、犀の角を持った仙人に遭遇した。そこでこの犀の角を安置するよう告げられ、その場所に観音堂を移した。犀の角を戴く寺だから「犀戴寺」と称したが、後に朝廷の祈願文から「西大寺」とした。

会陽のはだか祭りは今から500年ほど前に始まったとされている。修正会の結願の日に参詣者に御札を授けたところ、人々が殺到して奪い合いになったため、身の自由を得るために裸になったのが起こりという。それが水垢離を取るのと合わさり、今のような祭りの形になっていった。

その本堂に上がる。はだか祭りであれだけの人間がもみくちゃになるのだからもう少し広いのかと思っていたがそこまででもない。本尊は秘仏の千手観音で、賽銭箱に真言と延命十句観音経の文言が書かれたプレートがある。まずはお勤めとする。

何やら昔の旅姿の一行が、ガイドの案内を受けている。そうした体験でもあるのだろうか。

上には巨大な絵馬が掲げられている。先ほど資料館で撮影版を見た、会陽の様子を描いた絵馬の現物である。確かに絵は見づらい。

宝木を投下する御福窓もある。宝木は何せ2本しかない。それを大勢で争うのだが、そもそもこの本堂の中でそれを待つことじたいが熾烈な争いではないかと思う。

・・そんなに会陽が気になるなら、自分が一度参加してその様子を記事にすればいいのでは?と言われるだろうが・・・。

本堂の中にある納経所で中国観音霊場初めての朱印をいただく。購入したのは専用の折れ本式の納経帳で、各ページには札所の由緒やご詠歌も記載されている。また本尊の御影ももれなくついてくる。綴じ込み式の朱印と本尊御影がセットで保存できるバインダーもあるのだが、まあ、御影の保存は別に考えようか。

話が長くなる中、これでまずは西大寺をお参りとなった。ただ中国観音霊場第1番西大寺、実は境内にはもう一体、中国観音霊場として由緒ある観音像がある。そちらにも手を合わせることに・・・。

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第1回中国観音霊場めぐり~まずは赤穂線でアプローチ

2019年06月19日 | 中国観音霊場

新たな札所めぐりの目的地に選んだ中国観音霊場めぐり。岡山から瀬戸内側を下関まで行き、後は日本海側を回って鳥取に至る巡拝ルート。多様な気候の変化を持つとともに古くからの歴史文化を有する中国地方を楽しむことができる。合計37の札所をさまざまに楽しむつもりである。

その第1番札所があるのは、岡山の西大寺。鉄道でのアクセスなら赤穂線に西大寺駅がある。第1番から第3番までは赤穂線を東に進むルートとなっており、第2番の餘慶寺は隣の大富駅、第3番の正楽寺はさらに東の伊里駅が最寄りである。まずは備前の国・赤穂線シリーズということだ。

大阪を朝早くに出れば鈍行利用でも西大寺から順に東に向かうコースを取れば、1日で3ヶ所を回ることはできる。ただその中で伊里駅から正楽寺へは結構歩く距離が長いのと、朝は多少ゆっくりしたくて遅い時間の出発になったこと、さらに、同じ赤穂線でも岡山市・瀬戸内市のエリアと、東の備前市のエリアに分けて回ればよいのではないかということで、第1回は西大寺と餘慶寺の2ヶ所を日帰りで回ることにした。ちなみに両札所間を結ぶバスなどはないが、地図を見れば赤穂線に1駅乗らずとも徒歩で40~50分もあればたどり着けそうに思う。

訪ねたのは6月16日の日曜日。出発を日曜日にしたのは理由があり、後ほど触れることにする。15日~16日は天候の移り変わりが激しく、強い雨が降る時間帯もあった。16日は回復傾向とはいうもののどんよりした雲に覆われている。大阪を新快速で出発し、姫路で11時06分発の播州赤穂行きに乗り継ぐ。この列車は相生から赤穂線に入り、終点の播州赤穂からすぐに連絡の岡山行きに乗れば西大寺には12時42分に着く。一方、相生では相生始発の岡山行きが連絡しており、こちらに乗ると途中東岡山で赤穂線に乗り換えて、同じく12時42分に西大寺に着く。本線と赤穂線のスピードの差である。相生では2本の列車が同時刻に出発し、それぞれ2方向に離れる。

相変わらず雲が広がり、時に小雨もぱらつく中で播州赤穂に到着。ホーム向かいの岡山行きに乗り継ぐ。115系の2両編成・ワンマン改造車両で、岡山方面の車両の先頭部がスパッとカットされた平面顔をしているのが特徴だ。

ワンマン運転ではあるが全ての駅でドアは2両とも開く。赤穂線の全駅でICカードを使用することができるのもその理由の一つだろう。昔ながらのセミクロスシートのボックス席に陣取って西に進む。

播州赤穂から2駅目の備前福河に着く。さあいよいよ岡山、中国観音霊場が始まるぞと気持ちを新たにしたが、駅舎の看板を見てあれれ?となる。実は「備前」といいながらここはまだ兵庫県だった。但し書きによると、1955年に赤穂線の播州赤穂~日生間が開業した当時は、駅のある場所は岡山県福河村だった。しかし地元からは兵庫県への編入の要望が強く、1963年に兵庫県赤穂市に編入されたという歴史がある。駅名だけは開業当時の名残で「備前」がついている。「住民の長年の要望」とわざわざ書かれているのは赤穂との経済的な結びつきが強かったということもあるが、見方によっては「中国地方よりも関西のほうがいい」という憧れの結果とも取れる。ネットには、そうした「越境合併」をした町ということで、駅の周辺を巡った記事もいろいろと載っている。

ということで、現在の岡山県最初の駅は一つ先の寒河駅である。駅名標もそれまでの青帯のものから赤ベースのものに変わった。岡山管内のJR線は大阪近郊区間と同様に路線ごとにカラー分けをしているが、ここが赤ベースというのはやはり「赤穂」線だからか。

日生から伊里を通る。今回は訪ねないが第3番の正楽寺へは伊里駅下車で徒歩30分とも50分とも言われている。歩くのは別に構わないとして、駅の周辺には少しの住宅と学校、田畑が広がるくらいでコンビニやスーパーなどがないのは気になるところだ。飲食物は事前に仕入れておかなければ。

どんよりした雲も時間が経つに連れて少しずつ明るくなってきた。さすがは「晴れの国岡山」だと勝手に感心する。

伊部、長船というところを過ぎる。伊部では備前焼、長船には(駅から離れているが)刀剣博物館がある。こうした伝統産業に触れるのも興味あるが、いくらぼちぼちの巡拝といっても何でもかんでも立ち寄りしたら少ししんどいかな・・・。

大富を過ぎて川幅の広い吉井川の橋梁を渡る。川の先は岡山市。時刻はすっかり昼を回ってしまったが、12時42分に西大寺着。「はだか祭り」で知られる西大寺会陽が国の重要無形民俗文化財に指定(2016年)されたことを祝う横断幕がホームに掲げられている。

ここまでICカード(Pitapa)1枚で来ることができたが、自動改札では残高不足でエラーとなり、チャージすることになった。確かJR区間でもポストペイだったはずではと思うが、後で確認したところではそのサービスは大阪近郊エリアのみで、赤穂線なら播州赤穂までだった。

駅から西大寺までは徒歩で10分ほど。さてこれから巡拝の始まりである・・・。

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中国観音霊場めぐり、始めます

2019年06月18日 | 中国観音霊場

令和になった先月に西国四十九薬師霊場めぐりを始めた(と言っても第1番の薬師寺に行っただけだが)のに続き、新たな観音霊場めぐりを始めることにした。

中国観音霊場。中国といってももちろん中華人民共和国のことではなく、中国5県のことである。1982年3月に、岡山、広島、山口、島根、鳥取の5県に点在する33ヶ所の観音霊場が集まって開かれた。そこに4つの特別霊場が加わり、合計37の札所を回る。さらに、2013年には四国三十三観音霊場と九州西国三十三ヶ所と結びつき、百八観音霊場というものが開かれている。さすがに百八、それも広範囲にわたっている霊場をシリーズで回るのは大変ということで、中国5県に焦点を絞ることにする。

これを回ってみようと思ったきっかけ・・・それも何となくなのだが、四国八十八所を一巡した後、続いて2巡目をやるよりは、四国はしばらく休みでもよいかなという気になった。その一方で、新しいエリアを訪ねてみたい、それも旅の幅を広げて・・という気になっていた。四国霊場の写しなら知多半島や小豆島のミニ八十八所が古くから存在するが、何かの拍子に目に留まったのが、四国の対岸の中国地方である。

中国地方といえば私の祖先のルーツでもあるし、自身も社会人のはじめは広島に勤務していたこともあり、山陽・山陰というのは親しみを感じている。中国観音霊場のホームページの挨拶文には、「中国山脈を挟んで山陽と山陰に分かれ、四季折々、気候風土の違いがそれぞれに独自の文化をもたらしているため、異なる人情の機微に触れられる霊場」とある。四国も瀬戸内側、太平洋側と分かれているが、四季の変化や気候風土の違いとなると山陽と山陰のほうが際立っているのではないかと思う。ならば中国観音霊場は四季の変化が感じられるような行程を組むとするかな。

札所の分布はこのようになっている。

岡山県:8ヶ所、広島県:8ヶ所、山口県:8ヶ所、島根県:7ヶ所、鳥取県:6ヶ所で合計37ヶ所。中には観光名所としても名高い寺院もあれば、初めて聞く名前の寺院もあるが、古くから大陸との交流もあり、文化的に豊かな時代を築いてきた中国地方にあってなかなかの古刹が揃っている。これをベースに、寄り道で観光の要素を加えれば実りある中国一周旅行となりそうだ。

ただ、やはり四国八十八所や西国三十三所のように多くの人が巡拝しているわけでもないようで、巡拝記のブログ記事もそれほど多くないのが実情である。第1番の西大寺から第33番の大雲院までを1本のルートでつなぐと約1500キロあり、四国八十八所の遍路ルートより距離が長く、一つ一つの札所の間隔も四国遍路とは比べものにならないほど長い。だから歩いて回ろうという人はまずいない。また、公共交通機関で行くのも結構厳しそうだ(中には、そこに行くバスが実質1日1本しかないとか、バス停から何キロも延々と歩かなければならないところも)。巡拝した人の記事を見ると多くが自家用車、バイク利用で、中にはバスツアーという人が少しいた程度である。霊場会側も「クルマ利用」を前提とした案内をしている。まあ私の場合は、そうした実態を見ると「行けるところまで公共交通機関で行ってやろう」という気になるのだが。

中国観音霊場めぐりにあたっての私のルールとしては・・

・移動は公共交通機関を基本とする。レンタカー、レンタサイクルはよほどやむを得ない場合として、タクシーは原則利用しない。

・巡拝は「くじ引き&サイコロ」によるランダム順ではなく、札所番号順に行くことを基本とする。

・当然「区切り打ち」となるが、次回に続きを始める時は前回中断した地点(駅、バス停など)に立ち寄る、または通過することとする。

・最後は鳥取市内で結願となるが、その後で「鳥取~岡山」に移動する回を設ける。(要は中国地方を一巡したことにする)

これを元にして、大阪から日帰り、もしくは1泊2日で時刻表のシュミレーションをすると、20回近くの「コマ切れ打ち」になった。中には、公共交通機関のルート検索に苦労したところもある。四国のような「遍路ころがし」はないにしても、駅やバス停から数キロ歩くところも出てくる。

2泊3日、3泊4日を組んで一気に進めばいいのだろうが、そう急ぐものでもないし、少なくとも山陽側、山陰側で季節を一巡させたいなと思っている。となると2年がかりとなる。また四国の時と同様、現地までのアクセスの変化も楽しみである。高速バスよりは特急・新幹線の利用頻度が高く、運賃もそれだけかかりそうだが・・・。

まずは岡山近郊ということで、第1番の西大寺、第2番の餘慶寺に向かうことにする。新たな観音霊場めぐり、どのようなシリーズになっていくだろうか・・・。

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BCリーグ観戦記・滋賀対信濃@守山(拙攻戦は土壇場でドロー)

2019年06月17日 | プロ野球(独立リーグほか)

野球独立リーグのBCリーグの前期も大詰めになってきた。今季から茨城が新規加入して6球団で争う東地区は、6月16日終了時点で強豪・群馬優勝マジックを2としているが、ここまで新潟と接戦である。一方5球団で争う西地区は、当初は富山が優勝争いをリードしていたが信濃が追い抜き、21勝13敗1分で首位。富山は2位で17勝12敗3分の2位である。ちなみに関西唯一のBCリーグ球団である滋賀は開幕当初は健闘していたが10勝19敗4分で4位。

6月17日の月曜日。この日はたまたま土日出勤分の振替ということで元から休日に割り当てていて、当初は札所めぐりのつづきでもやろうかと思っていた。しかし、前週の雨天中止分とかで、この日の12時試合開始で、守山市民球場で滋賀対福井戦が組まれることになった。まあ、リーグ全体の当初の公式戦日程では、前期は6月16日に全日程終了だったが、やはり中止分の振替が何試合かが17日以降に組み込まれ、地区優勝争いもそこまでもつれることになったわけだ。

BCリーグは前期は滋賀対巨人3軍、富山対福井という2試合の観戦だったが、もう1~2試合は行ってもよかったかなと思う。それが急遽17日に組まれ、それも信濃にとっては優勝に向けて大切な試合(前期最終戦)である。札所めぐりは別の日でも全然問題ないので、この日は守山に行くことにした。

しかし、12時開始とはねえ・・・。試合開始1時間半前に開場だと踏んで、逆算して大阪駅朝9時の新快速に乗る。ちょうど朝のラッシュが落ち着いた時間帯で、大阪からでも座って行けた。この時間の電車に乗ることがめったにないので逆に新鮮である。週末のモヤッとした天候から一転、夏の日差しである。関西はまだ梅雨入りしていないのだが。

守山に到着。市民球場には2年前に一度、滋賀対巨人3軍戦で訪ねたことがある。その時は行きは駅から歩き、途中で中山道の守山宿の跡を見てから着いた。巨人戦ということで超満員、立ち見もたくさん出ていた。帰りは選手移動用のバスを使っての送迎サービスを利用した。ただ今回は普通に路線バスで行くことにする。守山駅からだと立命館守山高校・中学校行きのバスに乗り、市民ホール前下車である。

守山はホタルの町というのをアピールしており、球場のある運動公園はホタルの生息地でもある。その公園の中を抜けると球場の外野フェンスに出る。外野はフェンスがあるだけだからグラウンドの様子は丸見えだ。ということはタダで観戦しようと思えばできるということか?

かくいう私もファンクラブ特典でついてきたチケットで入場。スタンドには1人、もう1人いるというところ。平日、月曜日の12時試合開始である。果たして何人の観客が来るのやら。

グラウンドでは信濃の練習中。ネット裏で打撃練習を見守るのは今季から就任の柳澤裕一監督。巨人、オリックス、中日で控えながら合計13年間捕手としてプレーし、引退後は昨年まで3年間楽天のコーチを務めていた。松本市出身で、長野県出身者が信濃の監督になるのは初めてだという。

ノックバットを振るのは南渕時高コーチ。ロッテなどで小柄ながら内野手として活躍。

滋賀の選手たちも試合前のアップに登場。白の練習用Tシャツが涼しげだ。

平日の試合ということで特にイベントもなく(スタジアムDJ、ウグイス嬢が今後のイベントの告知やら、昨年までのグッズのアウトレット販売の告知はあったが)、直前に両チームの選手がライン上に整列して国歌斉唱、試合前の一礼、滋賀の成本監督と信濃の柳澤監督とのメンバー表交換という一連の流れがあって12時に試合開始。

滋賀の先発はセンテノ。見覚えあるなと思って検索すると、昨年は群馬に在籍して12勝を挙げ、チームのリーグ制覇に貢献。見覚えあるなというのは香川とのグランドチャンピオンシップの第1戦で、2人目として登板し香川の反撃を封じた試合だった。今季は滋賀に途中入団となったがここまでまだ勝ち星に恵まれていない。まずは初回、力のあるボールで信濃の攻撃を3人で抑える。

一方の信濃の先発は2年目のギジェン。昨年は9勝を挙げたが今季はまだ2勝止まり。こちらも左腕から140キロ台後半のストレートを投げ込んでくる。これに対して滋賀先頭の茨木がセンター返しのヒットで出塁するが、二塁への盗塁失敗でチャンスをつぶす。

先制は信濃。2回一死から佐野が二塁打でチャンスを作り、7番・松井が三塁・纐纈(こうけつ)のグラブをはじくヒットを放ち、1点先制。

その裏、滋賀は先頭の纐纈がセンターに抜ける当たりを放つが、二塁・山本が飛びつく好プレーが出る。その後ジャクソンのヒットと前本の四球で一死1・2塁とチャンスを作るが、青木が一塁へのライナー。ランナーが戻れず併殺となる。

この後は両チームともランナーを出すが得点に結びつかない。3回表には二死1塁とするがランナーの田島が盗塁失敗。

3回裏は滋賀が小見山のヒット、大前送りバント、茨木のヒットで一死1・3塁として、さらに茨木が2塁への盗塁成功。湯井が四球を選んで一死満塁と一打逆転のチャンスを作る。ここで主軸のジェウディーに回るが、6-4-3の併殺で無得点。

4回表は信濃の4番・ペレス(愛媛から移籍)が10球以上ファウルで粘った末に四球を選ぶが、続く佐野が6-4-3の併殺。

4回裏は纐纈がヒット、ジャクソンが四球とするが、前本が送れず最後は空振り三振。続く青木も5-4-3とこの日2本目の併殺。

5回表は信濃が松井、赤羽の連打、安野が四球で無死満塁と追加点のチャンス。この回、先発センテノの制球にも乱れが見られる。左打者の内角を突こうとするが、突きすぎてボールになってしまう。最後は田島に四球を与えて押し出しで2対0と信濃のリードが広がる。ただ満塁というのが逆に幸いしたか、次の山本の当たりは三塁ゴロ。本塁ー一塁と転送され、5-2-3の併殺でこのピンチを1失点で切り抜ける。

5回裏はギジェンが緩急をうまく使って2三振を奪うなど三人で抑え、これでハーフタイム。改めてスタンドを見渡すが、この日の観客は30人いるかいないかという程度。このうち滋賀の応援団「近江豪勝連合」のメンバーが2人、信濃からの応援団とファン合計5人が含まれるが、その気になれば手で実数を数えられるくらいだ。両チームの選手、監督よりファンの数が少ないという、プロの興行としては笑えない状況である。通常、BCリーグの各試合では試合途中で観客数が発表されるのだが、この試合ではそれがなかった(帰宅後に見たリーグの公式ホームページにも記載なし)。いくら平日の昼間、中止試合の振替試合といってもねえ・・・。

さて6回もセンテノが続投。一死からペレスのゴロを二塁・ジェウディーがトンネル、続く佐野にもヒットが出て一死1・2塁とするが何とか後続を抑える。

6回裏、こちらも続投のギジェンから湯井、ジェウディーの連打で無死1・3塁とチャンスを作るも、纐纈が空振り三振、スタートを切っていたジェウディーも二塁で封殺で三振ゲッツー。続くジャクソンも凡退してまたも無得点。

7回表、滋賀は2人目の上原が登板。一死1塁から田島を1-6-3の併殺に打ち取る。

8回裏、信濃は2人目の平尾が登板。四球をきっかけに二死3塁とするが、代打・田村が空振り三振でまたまた無得点。

9回表、滋賀は4人目で抑えのタバーレスが登板。しかしヒットと四球で二死1・2塁となった後で、安野への投球がパスボール気味となり、捕手・小見山が一瞬ボールを見失う。この隙にランナーがそれぞれ次の塁へ走ったが、ボールを見つけた小見山が2塁へ送球し、1塁走者の松井を封殺。両チームともにドタバタのまま、それでも試合は2対0というロースコアで9回の裏に入った。

信濃とすればこの回を抑えると前期優勝がグッと近くなる。というより、同日に行われている富山の結果次第では優勝なのではないかと思う。マウンドを託されたのは抑えの保田。まずは先頭の纐纈を空振り三振に抑える。

ところが続くジャクソンがライトへの大きな当たりを放つ。ライトの頭上を越える二塁打となり、さらに前本も四球を選ぶ。これで同点のランナーが出た。

次の途中出場の川上のレフトへの当たりそこないの打球がヒットになり、一死満塁。ここで迎えるのは小見山。

一打同点だが一打で併殺もありうる場面、左中間へのいい当たりが出た。タイムリー二塁打となって最終回で2対2の同点。滋賀ベンチは大喜びだ。

さらに2・3塁となり一打サヨナラの場面だったが、後は大前、茨木が凡退して2対2のまま。なお、リーグの規定では、延長の場合試合時間が3時間10分を超えると新たなイニングに入らないとあり、この試合では9回裏終了時点で3時間10分を超えたので延長には入らないとのこと。そのため9回終了で2対2、引き分けとなった。スコアだけ見れば2対2の接戦だったが、内容は上に長々と書いてきたように併殺あり、盗塁失敗あり、チャンスでの凡打ありというもので、併殺や盗塁失敗を伴わない純粋な「三者凡退」は1回表、5回裏、7回裏、8回表だけだった。

帰りの監督・選手のお見送りも客のほうの人数が少ないからあっさりしたもので(いや、コアなファンからすれば選手一人ひとりと握手でもサインでも記念撮影でもし放題だったと思うが)、私もそのまま戻る。予定していたバスには時間があるので、帰りは歩くことにした。駅まで30分あまりという距離だが、途中、守山高校の近くには江戸時代にひかれた水路が残っており、ちょうどあじさいも見ごろだった。ホタルが生息することにもあるように、守山は「水の町」とも言える一面を感じられた。

・・・さてこの試合と、同じ17日に行われた他の試合の結果、両地区の前期優勝の行方はどうなったか。

東地区は群馬が2位の新潟に1.5ゲーム差としてマジック1。ともに残り2試合だが、なんとそのうち1試合が両チームの直接対戦で、19日以降に組まれる。ひょっとしたらこれが優勝決定戦を兼ねるかもしれない。

一方の西地区は信濃がこの試合の引き分けで21勝13敗2分で前期を終了。2位の富山はこの日勝利して18勝12敗3分として残り3試合だが、優勝マジック3が点灯した。富山が残り3試合で1敗でもすれば信濃が優勝だが、逆に2勝1分、もしくは3勝0敗なら最終の勝率で富山が上回り、逆転優勝となる。こちらも混沌としてきた。

で、滋賀はといえば残り2試合、このまま4位で終わりそうだが、その対戦相手はいずれも富山である。17日の試合もそうだが、何だか最後になって前期優勝のカギを握る存在になってきた。まあ、この辺りのところが球場で話題になることもなかったが、はたしてこの後どうなることやら・・・。

(追記)

記事を投稿した後で、実は西地区は3位の石川にも「勝率1位」の可能性があることに気付いた。19勝13敗2分で残り2試合は福井、富山戦。これに全勝すれば21勝13敗2分で、信濃と勝率で並ぶ。しかしリーグの規定で、勝率が同じ場合は今期の対戦成績で優勝を決めるそうで、対戦成績は信濃の5勝3敗。そのため信濃が優勝となる。

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日曜日初勝利は逃すし、タイガース相手の3タテは逃すし・・・

2019年06月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

バファローズ対タイガースの交流戦3連戦。ここまで現地観戦はしておらず、CS中継も観ることもできずスマホで結果を知るばかりだったが、1戦目、2戦目と盛り上がる形での逆転勝ちだった。また3戦目も田嶋の好投もあり5対0とリード。これは今季日曜日初勝利、それもタイガースを3タテしての勝利でバファローズファンとしては最高の結果ではないかと思っていた。

しかし帰宅後にチェックすると、何?5対5の引き分けって・・・。

9回表、また増井がやらかしたようだ。

試合は結局引き分けだったが、これでは負けも同然。前日の逆転サヨナラ勝ちで高まったムードもしぼんでしまった。これで月曜日の朝の関西マスゴミは金曜、土曜の敗戦などなかったかのように、日曜に5点差を追いついたことをもってバカ騒ぎするのだろう。こうした番組は一切視聴しないのでどうでもいいが、朝から公共の電波を使ってダミ声の六甲おろしを大音量で流すとか、クソ眼鏡が背中で旗をぐるぐる回すとかするのだろう。それが関西のプロ野球ファンの「総意」、「正義」であるかのように。

勝負事なので勝った負けたは仕方ないが、それにしても増井という投手、何を考えているのか。いっそのこと打たれまくってKOされればいいのに、なぜか同点で止まる。で、延長戦になってから登板させられた投手に黒星がつくと。自分は勝ち負けつかずおとがめなし、抑えの座は引き続き安泰と。

沼津だか清水だか焼津だか知らないが、もうその大漁旗もたたんでお引き取り願いたい・・・。

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モヤッと・・

2019年06月13日 | ブログ

しんどい。

ニュースも見たくない。

ブログも書かなければならないのだが上手く進まない。
 
野球も行きたくても行けないし、どうでもええわ・・・。
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日曜日は10連敗、勝ち星なしですか・・

2019年06月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦は2カードが終了。今季はここまで両リーグの対戦成績が拮抗しているようだ。

そんな中バファローズは・・またも日曜日に勝てず。今季の日曜日は0勝10敗、引き分けがいくつあるか知らないが、ともかく勝てない。で、借金10でリーグ最下位と。

ん?日曜日が0勝10敗で借金10なら、日曜日の負け越しがそのまま借金、後の曜日は勝率5割で行っているということになる。これは同じ借金でも、実生活に置き換えると日々の暮らしはそれなりに何とかなっているが、日曜日になると遊びや高級品の買い物で極端に散財してしまい、結果多額のカードローンを背負ってしまった人みたいなものか?

まあこれはいい加減な例えだが、日曜日に勝てないのは何か原因があるはずだ。対戦相手の巡り合わせ、先発投手の人材難、打線の波長が合わない、サザエさん症候群・・。

サザエさん症候群はないか。逆に日曜日が終われば月曜日は休みなのだから。だとすると世間の金曜日か土曜日と同じで、今日の仕事が終わったら明日は休みや、帰りに一杯やるぞー!とモチベーションも上がりそうなものだが、ひょっとしたら目の前の試合よりもそっちが気になってプレーに集中できなかったりして(決して、私の日常になぞらえているのではありません)。

プロの集団ならその打開策はわかっているはず。ともかく次からの週末はタイガース、カープと、セ・リーグ上位球団だけにしっかり叩きたいところ。あきらめるのはまだ早い、と思いたい・・・。
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四天王寺にて新西国霊場90周年「霊場巡拝いこか」

2019年06月08日 | 新西国三十三所

前の記事で、6月8日はBCリーグ観戦に敦賀、もしくは守山に行こうか、それとも四天王寺で開催される新西国三十三観音霊場発足90周年記念行事の「霊場巡拝(おまいり)いこか」(6月5日~6月9日)に行こうか迷っているとした。私のスケジュールの都合と天気の具合をにらめっこしてのことだった。

結局、雨雲は前日の夕方にはピークを過ぎたが天気がはっきりしないのと、今回限りのイベントが行われるということから、遠征は控えて四天王寺に向かうことにした。(結果を言うと敦賀での福井対石川の試合は中止、守山での滋賀対信濃は4対3で信濃の勝利。遠征するなら敦賀かなと思っていたが、強行しないでよかった)

JR天王寺駅には、前日の6月7日で大阪環状線の運用から引退した201系の写真パネルが展示されている。大阪環状線の車両置き換えは少し前から進んでいたが、6月7日で引退とは中途半端といえば中途半端。しかも午前中には最終運転が行われたそうである。環状線といえばオレンジ一色のイメージだったのだが、これも時代の流れだろう。

駅から北、四天王寺に着く。四天王寺は西国四十九薬師霊場の一つでもあり、いずれは先日始めたばかりのこの霊場めぐりでくじ引きとサイコロに導かれてお参りすることになるのだが、この日はそれは封印して、新西国霊場である。

境内のいたるところに、「霊場巡拝いこか」のポスターが掲示されている。またこのイベントに合わせて縁日露店が出ており、さまざまな食べ物やらガラクタ、骨董品などが並ぶ。

「霊場巡拝いこか」のチケット売り場がある。出開帳の参拝料として1000円を納める。これで中心伽藍に入るわけだが、中心伽藍は普通の参詣者、拝観の人も入る。それと区別するためか、チケットは手首に巻くタイプだ。

まずは新西国霊場の一番札所である救世観音が祀られる金堂に向かう。ちょうど時間的に、毎日行われる「舎利出」の法要が行われているところ。「舎利出」とは、金堂の舎利塔に安置されている仏舎利を出し奉り、僧侶が供養して参詣者の頭上にいただくもの。参詣者が釈尊と結縁すること、また精霊追善の功徳があるとして日々多くの人がお参りするという。実はこれをいただくのは初めてである。

その金堂、五重塔を囲む四方の回廊では「ご朱印巡礼」が行われている。新西国の33ヶ所、そして客番の5ヶ所の合計38の札所が回廊にずらりと机を並べ、その場で書く札所の朱印を授けるというものである。これまで新西国を回っていない人、また途中の人でも、期間中はここに来れば満願成就も可能になるというものだ。

ということで第1番の四天王寺に始まり、それぞれで朱印をいただく人が列をなしている。1ヶ所300円、それが38となると11,400円。専用の納経帳が1000円だから全てを回ると結構な出費になる。まあ、実際にその霊場まで足を運ぶとなると当然交通費もかかるし、公共交通機関だけではたどり着くのも困難な寺もある。

私は2016年1月~2017年7月までの約1年半をかけて一度満願しているし、別に重ね印をいただこうというつもりもなかったので、各寺のブースの前を通るだけ。それでも、それぞれの札所を訪ねた時のことを思い出して懐かしく思う。

これを一巡すると最後には「満願之証」までいただくこともできる。これで新西国を満願したことになる。ただ霊場会の本音としては、ここで朱印をいただくのは一つのきっかけとして、やはり実際に寺院までお参りに来てほしいところだろう。そこの寺に足を運ぶ、手を合わせることで得られるものもあるし、寺院全体の雰囲気、あるいはそこに行くまでの道中を含めて感じることも札所めぐりの面白さだと思う。

西国四十九薬師の札所である六時堂でも手を合わせた後、奥の本坊・五智光院に向かう。四天王寺でも訪ねる人の少ないところで、そもそも普段は入れるのかなというエリアだ。五智光院は五智如来を本尊として、平安末期に後白河法皇が創建したそうだが、現在の建物は江戸初期に徳川家光が再建、徳川初代~4代までの位牌も祀られている。今回、この五智光院で新西国のお砂踏み巡礼が行われる。

その入口が本坊の客殿だが、ここでは「ダンボール迷路巡礼」というものが行われている。漫画『ギャグマンガ日和』とのコラボ企画なのだそうだ。・・・と言われて、『ギャグマンガ日和』とは何ぞや?というところだが、漫画家の増田こうすけさんの作品で、集英社の『ジャンプスクエア』に20年近く連載されているそれこそギャグマンガのタイトルなのだという。

「霊場巡拝いこか」のポスター、パンフレットに聖徳太子のイラストが描かれているが、この聖徳太子は作品のキャラクターだという。といって歴史漫画ではなく、歴史上の人物や名作の登場人物をキャラクターにして、パロディで描いたもの。パンフレットに作品の一部が掲載されていたが、読んだ感想は、うーん・・・。

せっかく来たのでダンボール迷路にも挑戦する。ダンボールの壁にキャラクターのイラストや、漫画の中の台詞が登場する。ダンボール迷路には若い人の姿が目立ち、イラストや台詞を見つけてはそれに反応してスマホを構えている。若い人の間では結構人気があるのかな。作品を知っている人なら楽しめる企画だと思う。

ダンボール迷路を抜けて、五智光院の本殿に向かう(別にダンボール迷路巡礼を抜けずとも直接お砂踏み巡礼には行ける)。ここから先は撮影禁止である。

こちらでは札所順に仏像が並ぶ。また順路に毛氈が敷かれており、その下に、各札所からもたらされた砂が敷かれている。毛氈の上を歩き、仏像の正面に来るとお砂踏みとなる。小銭を用意しておけばよかったなと思いつつ、その一つ一つに手を合わせる。やはりこちらでも、それぞれの札所を訪ねた時のことが思い出される。新西国めぐりをもう一巡というより、その中でも特によかったところを何かの折にでももう一度訪ねてみるのもいいなと思う。

こちらでも38の札所を順に回り、出口にて結願之証をいただく。こちらは通常の文字タイプのものと、『ギャグマンガ日和』の聖徳太子のイラストタイプのものの2種類があり、どちらか片方を選ぶ。私は通常の文字タイプをいただいたが、後から思うに聖徳太子版のほうが記念になったかなとも思う。ただし、結願之証をいただいた時点で手首にまいたチケットにチェックを入れられるから、「おかわり」はできない。

この後は聖徳太子を祀る聖霊殿に向かう。こちらの絵堂では通常毎月22日の聖徳太子の月命日のみ公開される「聖徳太子絵伝」が特別に公開されている。聖徳太子の生涯が7面の障子絵で描かれ、改めて太子の業績をしのぶことができる。

聖徳太子といえば十七条憲法。その中に「和を以て貴しと為す」という言葉がある。この「和」は、新元号「令和」の「和」の由来であると、「令和」の考案者とされる中西進氏の講演を聴いたばかりである。四天王寺でも「霊場巡拝いこか」に際して、新元号「令和」の記念法要を行っている。

新元号となってちょうど1ヶ月が経過した。一時のブームは落ち着いたように見えるが、そうなるとこのところ続く暗いニュース、話題がまた影を落としてくるのを感じる。ただその中で、かつての偉人に思いを馳せ(『ギャグマンガ日和』ではかなりクセの濃いキャラクターで描かれているそうだが)、先人たちに学び、新たな時代をどう築いていくか考えるのは悪いことではない。また心のよりどころをどこかに見つけることで、落ち着いた日々の暮らしにもつながるのかなと思う。そんなきっかけになった「霊場巡拝いこか」であった・・・。

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