中国観音霊場の第25番、鰐淵寺(がくえんじ)。先ほど駐車場にて、「武蔵坊弁慶修行の地」の石碑があり、弁慶が松江の出身だとする説明があったが、主人の源義経ともども、弁慶についても各地にさまざまな言い伝えがあるものだと感じる。
まずは駐車場から山門まで参道を上がる。前日の雨のせいか周囲はぬかるんでいるが、山間の修行の地らしい気配が漂ってくる。寺の歴史について絵図でも紹介されているので、ここで触れておこう。
鰐淵寺が開かれたのは、飛鳥時代、聖徳太子の時代。信濃の智春上人が遊化して、因幡まで迎えに来た「智尾」「白滝」「旅伏」の老翁に導かれる形でやって来た。この頃、推古天皇が病にあったが、上人が加持をすると回復した。そのことから推古天皇の勅願として建てられたのが鰐淵寺とされる。「鰐淵」の名前だが、上人が滝で修行をしている時に誤って仏具を滝壺に落とした際、鰐がそのえらにひっかけて捧げたという言い伝えから来ている。この鰐だが、山陰のこととて、アリゲーターのワニではなく、ワニザメを指すという。
もっとも、これら一連のことは伝承の話として、実のところは修験道や蔵王信仰の道場が起こりだったのではないかとされている。そうした修行の地と言われれば何となくわかる気がする。
以後、平安初期には慈覚大師円仁が薬師如来と千手観音を奉納したり、先に触れたように武蔵坊弁慶が修行したり、南北朝のころには後醍醐天皇を応援した歴史があったという。また戦国時代、中国地方の覇者をめぐって毛利氏と尼子氏が争った際には、出雲にいながら鰐淵寺は毛利氏を支持し、毛利氏の勝利後はその保護を受けることになった。
さらには、八百屋お七と小姓吉三郎の墓が参道から少し山に入ったところにある。八百屋お七・・・中国観音霊場めぐりの中でその名を目にしたことがある。岡山にある特別霊場の誕生寺。八百屋お七の振袖と位牌が祀られていて、お七の分骨を手に供養の旅に出ていた吉三郎が誕生寺を訪ねた後に美作で行き倒れ、そのままお七とともに葬られたという。ただこちらでは吉三郎は鰐淵寺で行き倒れたとしている。どちらとも言い難いところだが、修行の末に果てたというならば鰐淵寺のほうが舞台としては絵になるのではないかと思う。
山門をくぐる。この先の第二受付で入山料を納め、合わせて朱印をお願いする。
すると、「当寺は書き置きでのお渡しとなっています」とのこと。こちらは納経帳を持っている。こちらに書いてもらわないとせっかくの納経帳の意味がないではないか。以前にも住職不在ということでこうしたことがあり、納得いかないので納経帳を引っ込めて後日出直した寺がある。寺の人がそこにいるのに書かないのはどういうわけか。納経帳の意味がないやないか。それを問い質すも「コロナの影響です。当寺はこういう方針なんです」と聞く耳を持たない。
「コロナと言えば何でも通るのか」と言いたいことを喉元でぐっとこらえ、かと言ってもう一度出直すのも時間とカネのかかることで、そこは仕方なく書き置きのものをいただく。寺の人の言い分でその書き置きを切って納経帳に貼りつけたが、どうもしっくり来ない。果たしてこれで満願の証はいただけるのやら。
長い石段を上る。天候は今一つで、前日の雨でのぬかるみも残るが、さすがは紅葉まつりが行われるだけのスポットである。
根本堂に着き、ここでお勤めとする。現在のお堂は戦国時代の争いに勝利した毛利輝元の手で再建されたという。
根本堂の奥に鐘楼がある。この鐘は、弁慶が鳥取の大山寺から一夜でここまで運んだという伝説がある。弁慶と鐘・・・伝説では、弁慶が比叡山にいた時、麓の三井寺と争った際に三井寺の鐘を比叡山まで引きずり上げ、後に谷底に投げ入れたというものもある。どれだけ伝説があることやら。
紅葉見物の混雑を避けるためか、境内でも立入禁止のエリアがあり、境内そのもの(いや、山全体が境内なのだが)の見るところは限られる。
せっかくなので、この奥にある浮浪の滝に向かう。鰐淵寺の奥の院といったところか。川を渡り、山道を歩くこと10分。東屋があり、さらにその先を回り込むと滝が現れる。
この浮浪の滝は智春上人が修行をして、落とした仏具を鰐が引っかけて捧げたとされる場所。いや、こんな山の中にアリゲーターだろうがサメだろうが来るのは難しいだろう。それは伝説のこととして、奥に蔵王堂があり、武蔵坊弁慶もここで修行したということについては、さもありなんと思う。今は穏やかな水量だが、その昔は激しく落ちていた滝だったのかなと想像する。水量はともかく、この岩肌、そして蔵王堂というのは修行の場として一幅の絵のようである。
島根にこうした寺があったことは以前の広島勤務時にはまったく知らず、今回の中国観音霊場めぐりをきっかけに出会うことができて素晴らしいと感じた。出雲は、出雲大社だけではない。
ここで鰐淵寺を後にする。来た時はガラガラだった駐車場も満車になり、誘導員の人が出ている。この後は来た道を下った第2、第3駐車場に誘導されるのだろう。
次は札所順がさかのぼるが第24番の禅定寺を訪ねる。ただまっすぐ行くのではなく、せっかく日本海、それも初めてくるエリアまで来たのだから、海岸線を少したどってから南下しようかなと思う。まずは、これまでの標識で気になった「十六島(うっぷるい)」へ・・・。