蒜山から国道482号線を通り、いったん鳥取県に入る。やって来たのは江府町で、国道181号線に出て伯備線の江尾駅の横を通る。以前、このルートで米子、鳥取と向かった時、蒜山への標識が出ていたのを覚えている。
そのまま国道183号線に出て、日野川に沿って走って日南町に入り、「道の駅にちなん日野川の郷」に立ち寄る。地元産の新米とともに、名物のトマトを購入する。ここまで来ても、まだ雨は降ったりやんだりである。
鍵掛(かっかけ)峠を上る。広島県との県境だが、鳥取県側では道路整備工事が進められている。山陽、山陰間の物流強化とともに、冬期の安全や定時制を確保するためとしてかなり以前から計画されていたそうだが、完成まで結構長い年月を要している。
広島県に入る。道後山のリゾート地区を抜け、今度は急坂を下る。その先に見えるのが芸備線の小鳥原(ひととばら)川橋梁。このうち第1小鳥原川橋梁は中国地方一の高さ30メートルを誇る。芸備線の中でも難所の区間と言える。
それを過ぎたところでやって来たのが備後落合駅。蒜山の道の駅を出たのが12時すぎで、駅に着いたのは14時すぎ。別に狙っていたわけではないが、ちょうどよい時間である。というのも、芸備線、木次線とも1日の本数がわずかという中で、14時台というのは3方向からの列車がちょうど「落ち合う」時間帯である。これは、列車が発着する光景を見なければ(それにしても、昨年10月に広島に移ってからまだ1年なのに、この駅に何度来ているやら)。
ということで駅に続く坂道を上がり、駅舎の前にクルマを停める。突き当りにJR西日本の軽自動車が停まっていて中に係の人が乗っていたが、特に何か言われることもなかった。3方向からの列車の到着まではまだ少し時間がある。
駅舎の扉を開けると、備後落合駅のボランティアガイドで知られる永橋則夫さんが、旅行者とおぼしき2人連れに備後落合駅や木次線の歴史のガイドをしているところだった。私も後ろについて一緒に話を聞く。ちょうど、木次線のスイッチバック、そしておろちループについて触れていたところで、1983年に三井野原~出雲坂根間で発生した列車転落事故についても語られていた。
そして、いったん駅舎から出て構内の小屋の鍵を開ける。そこにはかつて賑わっていた備後落合駅のNゲージジオラマが保存されていた。以前、庄原市のツアーで備後落合駅を訪ねた時に初めて永橋さんのガイドを聞いたのだが、その時改札口で展示されていたのがこの模型である。普段はここに保存されているのか。SL列車もあれば気動車、そしてかつて木次線で運行されていたレールバスの模型もある。かつての賑わいの想像をかきたてる。
これでガイドは終わり、私もホームに出て列車の到着を待つ。すると永橋さんが私の横に来て、二言三言話しかけてくる。私は何度かお見かけしたが、先方は私のことなどご存知なかろうに。その中には今のJRに対するグチのようなものもあったのだが・・。
まず、三次からの列車が到着。満員ではないが、その筋の人たちもそこそこ乗っている。
続いて、新見からの列車がやって来た。同じキハ120だが、車体の帯が山陰線、旧三江線の色である。そこへ、先ほど駅前に待機していたJRの係の人が来た。新見からの列車に車椅子の乗客がいて、その乗降の補助である。その乗客は係の人の後押しで、ホーム向かいの三次行きに乗り継いだ。後で永橋さんが「(木次線の出る)1番線だったら大変じゃったろう・・」とつぶやいていた。
そして、ホームや駅舎にそれなりの客が出たところに木次線からの列車が到着。1日に1回、3方向からの列車が落ち合い、そしてまた離れていく時間である。
それぞれの乗り換え時間が終わり、まず新見行きが発車する。ホームで見送る。
次に宍道行きが発車。永橋さんが両手を振ってのお見送り。これは今の備後落合駅の名物の一つと言っていいだろう。
最後に三次行きが出発・・・だが、その時私はホームにいなかった。列車の発車に合わせる形でクルマに戻り、同じ三次に向けて発車するところだった。
ローカル線の列車と国道を走るクルマが競争になる場面がある。芸備線もそうなるかなと思ったが・・・備後落合駅を出るとすぐにJR中国山地名物の時速25キロ区間に入る。列車が見えやすいところまで走ってクルマを停めるが、気動車はなかなかやって来ない。そのうちに来たが、外から見ても何ともゆっくりした走りである。スピード感でいえば、マラソンや駅伝の選手を沿道で応援するようなものだ。
気動車を見送って発車するが、すぐに追い越してしまう。そしてもう少し先のポイントで気動車を待ち構える。まあ、休日に遊びに来てこのように気動車を眺めるぶんにはいいのだろうが、これが通勤通学の足です・・という方にとってはたまったものではないだろう。
芸備線については、この秋は「庄原ライナー」の運行(「みよしライナー」の延長)とともに、新たに臨時列車も走る。また、カープのラッピング車両も協賛金・募金が目標に達したことで実現の運びである。何とか存続への動きはあるにしても、(一部区間とはいえ)時速25キロが通常運転と言われると・・・。
再び気動車を追い越した後はもう待つこともなく、そのまま淡々と国道を走り、三次インターから中国道に乗り、広島まで戻った。
第4回までで、1回につき1ヶ所だけめぐる中国四十九薬師。次回は津山から津山線沿いに岡山にかけて札所が並ぶ。またローカル線や穏やかな景色とともに楽しめる日を待つことに・・・。