まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

ときわ路パスで行くローカル私鉄の旅・2

2006年10月29日 | 旅行記C・関東甲信越

28日の「ときわ路パス」の旅の続き。水戸から勝田までJR常磐線で移動。反対側の上りホームを半分切り取ったところにある茨城交通湊線の乗り場に向かう。この茨城交通も廃止の話が取りざたされているとか。茨城交通としては元々バス事業をメインに展開しており、鉄道部門がそれだけ「お荷物」なのだろうか。茨城県には、少し前までは他にも小規模な私鉄も多く走っていたのだが、その多くが廃止。通勤通学客の流れを変えた「つくばエクスプレス」が開業する一方で、鹿島鉄道や茨城交通の廃止話が出てくる。今ちょうど、茨城県の鉄道というのが過渡期にあるのだろう。

P1011430_2さて私は初めての乗車となる茨城交通であるが、またレトロな雰囲気の車両に出会う。キハ222というやつだが、その面構えといい、旧国鉄型の塗装といい、「ディーゼルカー」というよりは「気動車」と呼びたくなるやつだ。何でも「羽幌炭砿鉄道」という路線で走っていたのを、同線の廃止に伴い譲り受けたとか。(茨城交通には新しい車両も走ってます)

P1011431 地元の人らしき人がほどよく乗車して出発。住宅地や田園地帯を抜ける。車窓に特段のものがあるわけではないが、こうして昔ながらの車両に揺られているのがよい。あぜ道にクルマを停めて、こちらに向けてカメラを構える人間が多い。那珂湊の駅構内には、かつて使用されていた気動車が側線に安置されていた。沿線の中心といえるこの駅でほとんどの乗客が下車した。

P1011435私はそのまま終点の阿字ヶ浦まで乗車。終点であるが、何だかこの先もうしばらく線路が伸びていそうな雰囲気である。

P1011434 側線にはこのキハ222の兄貴分ともいえるキハ221というのが安置されている。チョコレート色の車体に「羽幌炭砿鉄道」の文字が色あせている。その車両の前に女の子を立たせて、何やらいろんなアングルから写真を撮っている人がいる。よく廃墟をバックにした女の子の写真集などがあるが、この廃棄車両にもそのような雰囲気を感じたのだろうか。何だか時間が止まったかのような終着駅。

さて、このまま引き返してもよいのだが、駅前の看板に「海まで徒歩5分」とある。急ぐわけでもなし、行ってみよう。海までの道はわかりやすく、すぐに海岸に出る。

P1011440 このあたりは海水浴場になっており、夏場ならちょっとした穴場的な楽しみが味わえるのだろうが、今は散歩する人がパラパラいる程度の静かな海。やはり水平線を見るというのは気持ちがいいもんだ。左手に目をこらすと遠くに要塞のような建物群が見える。東海村の発電所だろうか。

P1011441 そして、この海岸を見下ろすように建っているのが、「阿字ヶ浦温泉 のぞみ」。入浴料は土日1150円と高めだが、ここがなかなか凝った温泉である。「風水温泉」というのがここの売りのようで、浴槽ごとの能書きにやたら「気」という言葉が出てくる。四方に「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」の文字が刻まれた岩風呂があったり、洞窟風呂や香り風呂、そして、太平洋を望む展望風呂・・・。「気」の効能のほどはさておき、入浴施設としてはなかなか充実している。結構長い風呂となった。風呂上りの地ビールも格別。

P1011443 阿字ヶ浦駅に戻る。ちょうど勝田からの列車が来ており、またキハ222。数人のファンが車両や駅舎にカメラを向けている。どうだろう、やはり「ときわ路パス」の利用者が多いのかな。

P1011448 再び旧型の気動車に揺られる。那珂湊で途中下車する選択肢もあったが、結局このまま勝田まで戻る。勝田からさらに北上して、磯原や大津港に行く時間もあるが、結局水戸に戻る。だいたい、水戸の市内も訪れたことがないので、せっかく来たのだから回ることにする・・・・。(続く)

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ときわ路パスで行くローカル私鉄の旅・1

2006年10月29日 | 旅行記C・関東甲信越

「ときわ路パス」というのを、JR東日本の水戸支社で発売している。これは、茨城県内のJR常磐線(取手~大津港)、水郡線(水戸~常陸太田、常陸大子)、水戸線(友部~下館)の普通列車が1日乗り放題というもの。そしてそれだけではなく、関東鉄道常総線、鹿島鉄道、鹿島臨海鉄道(水戸~新鉾田)、茨城交通湊線という、私鉄線も1日乗り放題。

P1011409 これらの条件がついて、料金はなんと2000円。11月までの土・日・祝日限定発売であるが、これは行っとけでしょ。ということで、28日に出かけるとする。ただし、JRのどこの駅でも発売しているわけではなく、フリー区間内の駅で買い求めるのが条件。このため、入口である取手駅で一度下車してから購入。

朝の常磐線に揺られながら、このパスをどのように利用するか考える。2000円という金額は、単純に取手~水戸を往復しただけでも元が取れる値段だ。ただ、せっかく私鉄線も乗り放題であるわけだから、これを生かさない手はない。そこで、まず石岡で下車し、鹿島鉄道に乗ることにする。

P1011412廃止が取りざたされている鹿島鉄道。先日も乗りに来たのだが、今日もこうして乗ることになる。ただし、JRを含めて他の私鉄も乗り放題のきっぷなので、鹿島鉄道の売り上げに直接貢献しているわけでないのが複雑。思うに、その手のフリーきっぷの各会社への「配分」はどのように行われるのだろうか。

P1011419 やってきたのは古参車両のキハ602。先般、今年車齢70年というキハ601というのに乗ったが、このキハ602は一つ下の弟といったところ。ただ、発車間際にいろんな制服を着た高校生がどっと詰め掛ける。東京の朝の通勤ラッシュのように、高校生でギュウギュウ詰め。何とも意外。

P1011422 しかし、その高校生たちは全員、2つ目の東田中で下車。列車はワンマン運転扱いであるが、ドアが全て開いてぞろぞろ降りていく。普段無人のホームには係員が出て改札に当たっている。この駅のすぐ横に石岡市運動公園があるが、そこで何かの大会が行われるのだろうか。そして、高校生がいなくなった車内は、ほとんどが鉄道ファンとおぼしき顔ばかりが残った。そして、途中の駅から乗ってくるのも、カメラを抱えた人間ばかり。

霞ヶ浦沿いに走る。振動が激しい。振動といえば、先日の日本シリーズで、日本ハムの稲葉選手が打席に入るとジャンプ応援で札幌ドームが揺れる、中継のテレビカメラも揺れるというのがあったが、今の振動もジャンプ応援しているかのような感じだ。

P1011424 終点の鉾田着。今日はここから鹿島臨海鉄道の新鉾田駅に歩いて抜けることにする。鉾田駅に案内図があり、道もわかりやすい。15分ほど歩くと、鹿島臨海鉄道の高架線が見えてきた。なるほど、鉾田駅の独特の造りとは雰囲気が全然違い、「新」鉾田駅かなと。

P1011429 ここから鹿島臨海鉄道の気動車に揺られる。先ほどの鹿島鉄道とは異なり、転換クロスシートの車両で、高架線を快走する。ジャンプ応援のような揺れを感じることもない。

稲刈りを終えた水田地帯が広がる中を走り抜け、水戸着。運賃がJRより高めの私鉄線に乗ったために、すでにこの時点で「ときわ路パス」の2000円分をクリアしたことになる。この後は気軽に乗るだけである・・・・。(続く)

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日本ハム、44年ぶり(ハムとしては初!)日本一!!

2006年10月26日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

北海道日本ハムが日本一!! とうとう日本一のペナントは津軽海峡を越え、北の大地にもたらされた。

シリーズ開幕前は中日の有利を予想していたが、チームの勢い、北海道のファン、そして世論の後押しで一気に日本ハムが日本シリーズを制した。実に見事な戦いだったのではないだろうか。シリーズとしてはちょっとあっけなかった気はするが。

それにしてもファイターズ、本当におめでとう。

そして、印象的だったのが胴上げのシーン。普通であれば監督の胴上げが行われるものだが、真っ先に胴上げされたのが新庄。その次が小笠原、そして「東京時代」を知る田中幸雄。

その次が、大社啓二オーナーと、なんと「先代」の大社義規オーナーの遺影の胴上げ。北海道のファンも熱心だが、誰よりもファイターズを愛していたのはこの先代オーナーではなかっただろうか。徳島の肉屋さんがプロ野球に進出し、どのオーナーよりも熱心に自分のチームの試合を観戦した。日本ハムの牛肉偽装問題でオーナーの座を追われ、チームも東京を「去る」形となり、失意のうちにお亡くなりになったのかもしれないが、札幌に移転したというファイターズの戦略は、3年にして見事に花開いたのだ。泉下でも大喜びだろう。

新庄の涙も印象的だが、私としては、この名物オーナーの遺影の胴上げのほうが強烈だったな・・・。

さあ、この次はアジアシリーズ。昨年のロッテに続くアジア王者の地位を目指して頑張ってほしいものである。

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サッポロ「冬物語」

2006年10月24日 | ブログ

24日の関東地方は大雨の影響で、この秋一番の冷え込みだったとか。風も強く、交通機関にも若干の影響が出たようだ。

そんな中、史上初めて北海道での日本シリーズ。札幌は気温が10度を下回り、初氷も観測されたとか。しかし外は寒いが札幌ドームでは熱い戦いが繰り広げられ、日本ハムが2勝1敗とした。こうなると完全に勢いは日本ハムで、北海道民の熱い声援を受けてこのまま日本一になってしまうのかな?というのが世間の予想である。世論は完全に日本ハム(というか新庄)に味方している。

さて、そんな秋のような冬のような、そうはいうもののまだ電車では送風が入るこの頃であるが、一足早い冬のたより。それがサッポロ「冬物語」。

ビール党の私としては、店頭に「冬物語」の文字が並んでいるのを見ると、「ああ、今年もこの季節になったか」と感じ、そして買い求めるのである。同じ陳列棚には「秋季限定」のビールや発泡酒が並んでいるというのに。

P1011408 ビール会社がまだビールのみ販売していた当時、一時「地域限定」や「季節限定」を各社が競争して売り出していた。「生」、「ドライ」に続く競争の舞台と言えただろう。その「季節限定」、特にビールとは馴染みが薄いと思われる「冬」の競争に打ち勝ったのがこの「冬物語」である。また、「地域限定」で現在もっとも根強いと言われているのが「サッポロクラシック」であるが(オリオンビールは私は認めません)、サッポロビールは全国的なシェアでは弱いが、こうした地域限定もの、そして季節限定もので固定ファンをつかんではいる。

「冬物語」は一昔前はCMにも力を入れており、タイアップ曲も数多く出ていた。槇原敬之の「冬がはじまるよ」にはじまり、高野寛&田島貴男の「Winter's tale」、カズン「冬のファンタジー」、CHARA+YUKI「愛の火 3つ オレンジ」など、素敵なナンバーがならぶ。(ただ、その後タイアップ曲もなくなり、CM自体やっているのかやっていないのかわからないくらい地味になってしまいましたが)

東京ではさすがに冬にはまだまだほど遠いが、一足早く、(太平洋側の連中の発想ですが)冬のスッキリした空のような飲みごたえを味わうのであった。

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新潟県中越地震から2年

2006年10月23日 | ブログ

日本シリーズは中日、日本ハム1勝1敗のタイで舞台は札幌に移る。予想通り終盤まで接戦となる試合が続いており、この先もこの流れは変わらないだろう。日本ハムが札幌でこのまま決めるのか、あるいはもう一度名古屋で決着をつけるのか(私の予想は4勝3敗で中日ですが)、楽しみである。

さて、そんな中この23日で、新潟県中越地震からまる2年という月日が経った。それもニュースを見て「そういえば」と思い出したくらいだから、ちょっと恥ずかしいな。土砂崩れに遭い、奇跡的に子どもだけ救出されたということもあったのに。

当時はJRの貨物列車に関わる仕事をしており、地震の当日に第一報を受けてから、その後被害状況が判明し、悪い方向にどんどん引きずられるのを聞くにつれ、線路や仕事への影響に想いをめぐらせたのを覚えている。長岡近くのひん曲がった線路の写真を見て、被災された方には申し訳ないが「線路をどないしてくれるねん」と、そちらのほうを心配したものだ。

あれから2年。かなり前のことのように思われるし、「まだ2年か」という思いもある。幸いにして道路や公共設備は元の状態に戻りつつあるそうだが、被災された方の心のケアや、慣れない仮設住宅に長く住んだことによる健康への影響も心配されている。世間はいろいろな出来事が多すぎて、なかなか新潟のことまで意識が回らないのだろうが、2年という節目を契機に、改めてこの地域に想いを致すのも必要なことであろう。

かくいう私、先日も新潟県を通ったにもかかわらず、酒飲んでコシヒカリのおにぎりを食べただけで満足したのだが・・・・。しかし彼の地の特産品を味わう、そしてまた新潟を訪れる、そのことが地域復興に少しでも力になれればと思う。

これからまた長く厳しい冬にさしかかる中、本当の意味での復興を祈るばかりである。

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日本シリーズ第1戦

2006年10月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

中日対日本ハムの日本シリーズ第1戦。4対2で中日の勝利。多くの予想通り、少ない点を争う接戦となったが、川上とダルビッシュの投げ合いはなかなか見ごたえがあった。その中で、一つの四球や、一つのミスが勝負のアヤとなる。短期決戦の日本シリーズではその勝負のアヤが大きくのしかかって来る。

今日はテレビの音声は消して画像のみ表示させ、NHKラジオで大島康徳の解説による中継を聴いていた。このカードの解説にうってつけの人材であろう。

テレビの音声を消したのは、CMがうざかったから。なぜ、日本シリーズのメインスポンサーがパチンコ屋やねん。モロボシダンとメトロン星人と美空ひばりの姿が何回出てきたことか。画像だけ見ていても「ええ加減にせえよ」と言いたくなるくらいのしつこさ。

子どもたちもたくさん観ている日本シリーズ中継に、バクチ心をあおるようなCMをじゃんじゃん流すのはいかがなものか。テレビ局はもう少しその辺の配慮をしたほうがよいのでは?

野球を楽しむ分には関係ないことかもしれないが、ちょっと気になったので・・・。

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日本シリーズ予想

2006年10月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今年の日本シリーズ(来年からセリーグにもプレーオフが導入されるために、「日本シリーズ」という呼び方も変わるのではないかという話が出ている。この呼び方だけは残してほしいのだが・・・)が21日から始まる。

中日対日本ハム。シーズン当初は予想する人も少なかった組み合わせ。果たしてどちらが日本一になるか。

いろんな人が言うように、「似たもの同士のシリーズ」という。もっとも、このところのシリーズは「似たもの同士」が対戦することが多いのではないだろうか。それも、投手力や守備力が前面に出たチーム同士。「豪打のチーム対投手力のチーム」とか、「重量打線対機動力野球」とかいう組み合わせが少なくなっているような気がする。打者の打撃能力が向上したといっても、ペナントレースは投手力や守備力が結局は制するのだというのが現代の野球である。

さて、中日対日本ハムとなると、その似たもの同士の対戦とはいえ、選手層の厚さでは中日がやや有利かなという気がする。そして、名古屋対札幌という、それぞれの土地で熱い声援が後押しすることを加味して、「4勝3敗で中日」という予想をしておこう。パリーグファンとしては、北海道に初の日本一が渡るのも見てみたいが、最後は中日が押し切って52年ぶりの日本一ということになるだろう。

また、こういう組み合わせだから、地方局による中継も楽しみである。もし、北海道と名古屋のラジオなんかが東京で聴けたら、それぞれの地域局による「イレコミ実況」が楽しめるのだろうが。そこに来るとNHKラジオあたりは、大島康徳、武田一浩という、「中日・日本ハム両チームに在籍していたOB」による解説で実にバランスのよい放送をするか。

東京ではやや盛り上がりに欠ける感のある日本シリーズであるが、楽しみに見てみたいと思う。

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越後湯沢から只見線へ(後)

2006年10月18日 | 旅行記C・関東甲信越

P1011358 昼の列車で小出駅に着く。一番端に位置する只見線ホームには、「只見風っこリレー号」というのが停まっている。トロッコ型気動車の「風っこ」の運転が会津若松~只見の往復で、その先の只見~小出は「リレー号」という名の臨時列車が出る。こちら、元の「急行色」に塗りなおされたキハ58+キハ28という編成。車内はほぼ100%、この先の「風っこ」に乗り継ぐとおぼしき人たちばかりだ。先客がボックス席を占領していたので、車端部のロングシートに陣取る。反対側のロングシートに座っていた男性客が、私の横の窓を全開にする。「どうせこの先トロッコだから、一緒でしょ」と。私も異存はない。そしてディーゼルエンジンの音が大きく伝わってくると「この感じがいいよね。何なら、このまま会津若松まで行ってくれてもいいんだけどなー」と。

P1011364 辺りの水田はほぼ刈り入れも終わったが、秋の風情の下、気動車は走る。車窓には日本の原風景ともいえる田園地帯が広がる。この只見線、列車本数が少ないローカル線というのがファンの「乗り気」を掻き立てるのだろうが、今や懐かしい日本の農村風景をたどるというのが、旅人の心をくすぐるものである。そのあたりが人気の要因だろうか。

リレー号は只見までの間、大白川のみ停車。ほとんど汽車旅ファンの貸切状態。それを見越してか、「魚沼市」のハッピを来た女性がパンフレットを乗客に配布して回り、それだけではなく弁当や飲み物の販売もやりだした。普段ならここで弁当というところだが、何せ先ほど「大爆おにぎり」を食べたばかりである。腹のほうはこの先しばらく持ちそうなので、ワンカップだけ買い求める。(実は先ほど越後湯沢で、アルビレックス新潟のマークの入った、柿の種ならぬ「勝ちの種」をもらっていたので、つまみも大丈夫なのだ)

P1011369 只見ではホームの向い側に、「風っこ」が停車していた。とりあえずホームで記念撮影する人でごった返す。乗り換えがわずか5分しかないのがもったいない。窓が切り取られ、木製のイスが並ぶ席に陣取る。4人がけだが、私のボックスには相客がおらず、買い占め状態である。

P1011373 その「風っこ」、先ほどのリレー号でも窓を開けていたが、あれよりも開放的なので、風がモロに入ってくる。今日はジャケットを持ってきていてよかった。自然の風を満喫できるのは気持ちよいが、トンネルに入るとさすがにヒンヤリとしてきた。それでも普段なかなか体験できないことだけに、乗客からの歓声もあがる。

P1011378 列車は只見川に沿って走る。ダム湖でもあるからか、水量も多く、流れが静かで実にゆったりしている。会津の山奥にあって、水力発電というのは重要な産業なのだろう。

こんな列車なので、沿線からもカメラの被写体になったり、並行する国道で追い抜いて行ったクルマが、先回りしてこの「風っこ」に手を振って出迎える、などという芸当をする。「風っこ」自体はスピードを落として走るが、それだけにじっくりと周りを見ることができる。列車の中と外にいて、お互いに手を振る光景というのもほほえましい。このオープン型車両の存在感は、他の気動車ではマネができない。

P1011391 会津宮下着。ここで列車の行き違い。ここは格好の記念撮影タイム。また、地元の人が、地元の湧き水をふるまってくれたり、ちょっとした小休止である。タブレットの交換が見られるのも珍しい。

P1011399 この後、会津柳津、会津坂下と停車する。もっともこの辺りになってくると、旅の疲れか、ボックス席真ん中のテーブルに顔をおろして昼寝する人もいる。

只見から3時間弱で、終点の会津若松着。当初の予定では磐越西線で郡山に出て、東北線を乗り継ぐのだったが、急に気が変わり、会津鉄道のホームに停まっていた気動車に乗り込む。この会津若松から会津鉄道・野岩鉄道、そして東武鉄道という乗り継ぎで、北千住まで戻ることができる。「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」の範囲からは外れるが、どこまで日が持つかわからないまま、初めての路線にカネを払って乗るのもよいだろう。

P1011406 で、結局途中の会津田島まで乗り、会津田島からは東武の急行形、ボックスシートに陣取って帰京したのである・・・・。またこのルート、日のあるうちに通ってみたいな。

今回は日帰りだったものの、朝早くからいろいろなものに触れることができた。まだまだ魅力的なスポット、車窓の美しさを持つローカル線には、まだまだこれからも訪ねてみたいものである・・・。

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越後湯沢から只見線へ(前)

2006年10月17日 | 旅行記C・関東甲信越

先日の15日、「鉄道の日記念・JR乗り放題きっぷ」が1回分あまっていたので、最終日にどこかで使おうと、時刻表を見てプランを練っていた。すると、只見線の臨時列車に「風っこ奥只見」(トロッコ車両で運転)というのを見つけた。これまでにも只見線には何回か乗ったことがあるが、こういうイベント列車に乗るのは初めてだし、また別な楽しみがあるだろう。全車指定席という表示だが、思い立ったのが前日14日の夕方だったにも関わらず、指定席は最寄り駅で余裕で確保することができた。

只見線に乗るためには上越線の小出まで行くが、ならばそれまでの間に越後湯沢で途中下車しよう。

P1011344 上野から高崎線の始発電車に乗り、高崎と水上で乗り継ぐ。上越線の長岡行きは2両編成で、朝早くからハイカー姿の乗客が目立つ。今日などは秋晴れだし、レジャーには最適の天候である。そんなハイカーたちも、谷川岳を望む「地下駅」の土合でほとんど下車。トンネルの暗闇に人影がぞろぞろする。この駅は地上まで400段以上の階段を登るのだが、これは谷川岳に挑む人たちの「準備運動」のためにわざとそういう造りにしているとしか思えない。(ちなみに水上方面への上り線は、地上と同じレベルにあり、逆に階段がない)

P1011350越後の国に入り、越後湯沢着。ここでしばしの途中下車。ホテル、土産物屋、飲食店など、レジャーの街らしい駅前の道を歩き、湯沢町歴史民俗資料館へ。ここでは越後湯沢の雪国の生活用具が展示されていたり、川端康成の小説『雪国』の世界を味わうことができる。川端康成の直筆による「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた・・・」の書も飾られている。それらの諸々のものを見るうちに、この資料館はこの時期ではなく、雪に埋もれた冬の時期に来たほうが見るものによる深く残るのではないかという気がしてくる。愛称も「雪国館」だし。

P1011351再び駅に戻り、駅の中の賑わいスポットである「CoCoLo湯沢」へ。ここでは何といっても魚沼産コシヒカリと、越後の地酒を堪能できるのである。朝の9時半というのにすでに「ぽんしゅ館」の利き酒コーナーは開いており、朝っぱらから利き酒である。ここでは500円でコイン5枚を買い求め、ずらりと並んでいる酒の注ぎ口にコインを1枚入れてやると、ちょうどお猪口一杯分の酒が注がれるという仕組み。

P1011353今回利き酒したのは、「越の誉」、「ひやおろし(白龍)」、「景浦安武」、「雪国」、そして「さむらい」の5種類。いずれも新潟らしい辛口の酒。その中でも最後に飲む「さむらい」は、「これでも日本酒か!」というくらいの辛さと濃さ。一瞬、ウォッカでも飲んだかと錯覚するくらいである。面白いもので、これまでにも2回ほどこの利き酒コーナーに来たことがあるが、いずれも5杯目は「さむらい」。そのくせ土産として買って帰らないのである。

つづいては、魚沼産コシヒカリを味わえる「雪ん洞」。ここのおすすめは魚沼産コシヒカリを使ったおにぎり。しかも、1個がコシヒカリ1合分という「爆弾おにぎり」。そしてその上を行くのが「特A大爆おにぎり」というやつ。これはコシヒカリ4合の中に具を豪快に詰め込んだ一品である。前に「爆弾」はやったことがあるのだが、今日は一つ、この「大爆」に挑戦してみよう・・・。今まで一人で平らげた人はいるのだろうか。そう店の人に聞くと「ええ、完食されたら、記念写真を撮ってレジに飾っていますよ」と、そう驚く様子もない。

P1011356 そしてやってきた「大爆おにぎり」。・・・・写真で見て、こんな感じ。横にスライド式の携帯電話を置いているので、参考までに。もっとでかいのかと思ったが、特に制限時間があるわけでもなく、これなら何とかなりそう?

中の具は5種類選べるが、私は鮭、たらこ、きゃらぶき、高菜の4点で勝負。随所に韃靼そばのふりかけを織り交ぜるし、味噌汁に漬物もついている。何だかんだいいながら、それらの力も借りつつ、結局15分くらいで完食することができた。やはり美味いものは自然とのどを通って身体にスンナリ入ってくる。それでもいっぺんに4合だから、身体に影響してきそうだが。「完食おめでとうございます」と、淡々と祝福され、記念の写真を撮ってもらう。もしこれを読まれた方で、越後湯沢駅内の「雪ん洞」に行かれる方がいらっしゃれば、お会計の時に私の小さなポラロイド写真を見ることができる・・・はず。そしておまけに「ぽんしゅ館」内の酒風呂の温泉の優待券もプレゼントされた。

P1011357その温泉だが、今日は通常の入浴料800円のところが400円とある。優待券は有効期限がないのでまたの機会とし、食後の酒風呂でしばし疲れをいやす。いや、このスポット、何回来ても楽しめるところだ。

そろそろ列車の時間となったので、再び上越線の人となる。小出から、いよいよ只見線の旅である・・・・。(続く)

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大糸線と「ほうとう」

2006年10月16日 | 旅行記C・関東甲信越

10月の連休も最終日、今日は富山から東京に戻る日である。時刻表を見ると、東京に戻るのが遅くてもよいのであれば富山滞在時間が昼頃まで延びるのだが、今回の富山行きは昨日までで目的は達成したので、早い便で戻ることにする。日本海に面したこの街にはこれからも来ることがあるだろう。

P1011298 さて、富山からの直江津行きは、この旅で初めて出会った419系。寝台電車を改造した、いびつな形の車両である。しかし、元は寝台にも変身したボックス席(その当時は昼間は座席車、夜は寝台車とフル稼働していたのだ)は実にゆったりしており、鈍行汽車旅をする者にとってみればお得感のある車両である。ただ出入口がせまく、通勤通学輸送時には不向きなのと、車両自体の耐久年数のこともあり、この先何回乗れるかわからない。その意味では貴重な乗車となる。P1011296

昨日までとは打って変わって朝から好天である。しかし、光の加減で立山連峰の姿はよく見えない。今回の旅で残念なこととすれば、この山々の姿を見ることができなかったことである。

P1011309 糸魚川着。ここで、大糸線に乗り換える。結局富山からの帰途は、北陸~大糸~中央線ということにした。大糸線ホームには、いわゆる「首都圏色」のキハ52が停車中。先ほどの419系、昨日の455系(往年の急行色)といい、北陸地区ではまだまだ「国鉄型」が頑張っている姿に出会えるのがよい。物持ちがいいのか、新車投入のカネがないのか。

おそらくあえて大糸線を選択したという感じの旅行者も多く、1両の座席がほぼ埋まる形で発車。鈍行でも猛スピードでぶっとばす北陸線に比べ、実にのんびりした走りで山中へと向かう。沿線には朝早くからカメラを構えた撮影部隊が陣取っている。根知駅では同じキハ52の「旧塗色」に出会う。このところ各地でみられる、国鉄型として登場当時の塗装に塗り直した車両がファンの人気を呼んでいる。これも「昭和」ブームの一つなのだろうか。

P1011320 沿線の中心は姫川。ただしこの姫川、その名に比べて実は暴れん坊で、やはり山から急勾配で流れるためか、大雨でもあるとすぐに氾濫してしまう。この大糸線も何度も「暴れ姫」の被害に遭い、不通になっている。北陸を流れる川というのは、日本アルプスにその源があり、豊富な水が急勾配を大量に流れるため、氾濫が起きやすいところである。この日の姫川も、ここのところの大雨のために濁流となっている。大きな石も下流にゴロゴロしている。そのため、時速30キロくらいに速度を落としての運転である。流れに沿ったり、鉄橋を渡るごとに、車内から「すごい流れだな」と歓声とも驚きともとれる声があがる。

P1011328 南小谷着。この先の乗り継ぎダイヤには影響なく、今度は頭に雪を抱いた白馬の山々に沿って走る。信濃大町か穂高で途中下車・・・という考えがなくもなかったが、結局そのまま終点の松本まで行ってしまう。松本でも次の列車に乗り継ぎ、上諏訪着。

P1011337 上諏訪では駅ホーム内の「足湯」へ。実は松本から乗った列車が特急に追い抜かれるためにそれなりの停車時間があり、「途中下車せずに足湯」を楽しむという荒技。この足湯も昔は駅の中の「露天風呂」であったが、さすがに露天風呂では抵抗感があったのか。あるいは「気軽に」味わえる雰囲気を取ったか。そうして見ると、ホームとはのれんで仕切られているものの、ホームからも楽しんでいる様子がうかがえるのが、より臨場感をもたらしていると思われる。

特急も行ったので、急いで列車に戻る。再び秋晴れの中、長野県から山梨県に入り、車窓には富士山の姿も見える。実は山梨県の中央線から富士山を見るのは初めてで、静岡県側のように裾野が広がるわけではないが、甲斐の山々の向こうに頭をちょこんと出す頂上の風景も悪くない。列車が右に左にカーブをとるので、写真がうまく撮れなかったのは残念だが。

P1011339P1011343 甲府着。甲府といえば武田信玄。駅前でも武田信玄の力強い銅像が旅人を出迎えてくれるが、現在の甲府のシンボルは信玄だけではなく、Jリーグの「ヴァンフォーレ甲府」。J1昇格1年目だが、エースのバレーを中心にホームゲームでは好成績を残しており、なかなか健闘している。そしてこのチーム名、「ヴァン」=風、「フォーレ」=林ということで、もちろん、「風林火山」から取っている。チーム名が戦国武将ゆかりといえば、広島のチームが「サンフレッチェ」(3本の矢)というのがあり、史実ではあり得なかった武田軍対毛利軍の戦いが見られるのも面白い。

P1011341 ・・・などということを考えつつ、昼食は甲府駅前のほうとう料理店「小作」に入る。以前仕事で甲府に来たときに案内していただいて以来、甲府での私のお気に入りスポットである。ほうとうだけでなく地鶏料理とか、馬肉料理を味わうことができ、甲府の地酒やワインも取り揃えている。かぼちゃや里芋で野菜と暖を採れるほうとうだけでなく、昼間から馬刺、馬のモツ煮も注文し、冷酒をあおる。観光せずに昼間から飲みに走るとは怒られそうだが・・・・。

この後、ほろ酔い加減で中央線に乗る。ボックス席に座り、そのままぼんやりと車窓を眺めながら走りぬけ、都内に戻る。

「鉄道の日記念・乗り放題きっぷ」も、利用期間の幅が短いものの、ちょうど秋の風情を楽しめるとあって、なかなか利用客が多いようだ。こうしたきっぷにより、旅に出るきっかけができるのはありがたい。

今回はその3回分のうち、2日目は使用せず往復の2回分のみ使用したため、1回分残った。それを使ったのが使用期限最終日の15日だったわけだが・・・・。その時の旅行記については、この後に書いてみようと思う。(終わり)

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富山ライトレールと富山港

2006年10月15日 | 旅行記D・東海北陸

今日15日は、「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」の最終日ということもあり、一日かけて出かけていたのだが、その記事は後回しにするとして、先日8日の富山紀行の続き。

P1011261 富山駅に戻り、メインの改札口とは反対側の北口から出る。きれに整備された駅前広場に、2両連結の小さな電車が停まっていた。これが元のJR富山港線、現在「富山ライトレール」(通称:ポートラム)として、何かと注目を集めているヤツである。今回私が富山に来たのも、このライトレールに乗ることが大きな目的であった。

ちょうど折り返し便が着いたところで、運賃を払って下車する人と、これから乗ろうとする人で賑わっている。夕方の時間帯だが、家族連れ、旅行者、お年寄り、おばちゃんたちなどで盛況。ちょうどこの日は「交通量調査」ということで、切符サイズの色紙が配られていた。乗った駅名が書かれており、下車駅で係員に渡すとのことである。

P1011263 さてこのライトレール、都市部の渋滞緩和、環境問題への配慮ということで、富山港線の一部区間の線路を道路上に移し、そこに路面電車を走らせたものである。駅の南側にも市街地を走る富山地鉄の路面電車があるが、あちらが昔から走っていたのが今でも残っているのに対し、ライトレールは新たな交通手段の試みである。母体となった富山港線が元々私鉄で駅間も短く、また路線の性格や需要など、この試みに合ったサイズだったということもあるだろう。

20038_004_1 以前はこのようなバカでかい車両が窮屈そうに走っていたものだが・・・。

このライトレール、日中でも15分間隔での運行、また運賃も200円均一である。ただ、来年までの試みとして、土日祝日はなんと100円均一。100円で終点の岩瀬浜まで行けるのである。鉄道としては日本一安い水準だろう。小回りが効くことで頻発運転が可能なのと、運賃の安さで利用客を確保しようという狙いのようだ。この賑わいを見る限り、今のところは当たっているのかな?

P1011264_1 富山駅北停留所を出発し、駅の北側に立つのっぽビル(インテック本社)の前を走る。しばらく道路上を走り、奥田中学校前の停留所から、旧富山港線の線路に入る。もっとも、電停は全て新装し、バリアフリー対応となっている。線路は単線のままなので、上り下りでホームをずらした位置に設けたり、交換ポイントを増やしている。これで、単線でも頻発は可能だ。

停留所に着くたびに、乗客が100円玉1枚を運賃箱に落として下車する。また中にはpasscaと呼ばれるICカードを読み取り機に当てて下車する人も。こういうのも、富山で意外にも・・・といっては失礼だが、他の都市の公共交通機関より進んでいる。

P1011270 富山駅北から岩瀬浜まで22分。JR時代とさほど変わらない所用時間で到着。ただこの駅も、ガラリと様子が変わっていた。確か前に来たのが3年前だったと思うが、その時にあった古い駅舎はすっかり撤去されており、小さな公園とロータリーになっていた。あっという間である。

P1011273 富山港まで来たのだからと、しばらく港周辺を散策する。桟橋からはちょうど、大量の中古車を積んだロシア船が出港するところであった。富山に来るとロシアという国が非常に身近な国に感じられる。看板にもロシア語表記が見られる。太平洋側ではなかなか遭遇しないものである。

P1011274P1011276 富山港展望台に上がる。積み出しを待つ自動車や、なぜか鉄くずの山、石油備蓄タンクなどが手に取るように見える。高岡の伏木港と合わせて、環日本海の物流の中心地としての役割を担う港の様子がわかる。雨は昼頃からやんでおり、少しずつ晴れ間ものぞくようになった。波は依然として高いが、その向こうに薄っすらではあるが能登半島の姿も遠くに望む。

この展望台の近くが岩瀬浜の町で、往年の街並みが保存されている一角である。そのうちの一つに、廻船問屋の森家が保存されており、見学ができる。

P1011287 北前船といえば単に物資を輸送するだけではなく、国内の物資の需給調整をしながら品物を売りさばきもしたし、商社活動のようなこともやっていた。また南北の文化交流にも大きな役割を果たしたこともある。北海道で採れる昆布が琉球にもたらされる橋渡しをし、その上で自分のところでも大量に消費し、昆布が富山の郷土料理になくてはならないものになったのも、北前船がもたらしたものである。

P1011283 この森家にもさまざまな展示がされていたが、私が一番うなったのが、奥へ抜ける通路の壁に貼られていたこの地図。南北を逆にし、なおかつ日本海、そして富山を中心に描いた「環日本海」の地図である。この地図では、東京は富山の左上、韓国が富山のちょうど右側ということになる。いつも見慣れている地図からすれば初めはかなり違和感をおぼえるが、見ているうちになるほどと思う。心なしか、見慣れた地図に比べ、日本海を隔てる大陸との距離が短いようにも思われる。隣国との付き合い、隣国へのイメージというものについて、一石を投じているかのように思う。何でもこの地図は個人が勝手に作成したものではなく、県のお墨付きがあるとのことだ。

P1011267 富山港の風情を楽しみ、再びライトレールで富山駅北に戻る。専用軌道から道路への乗り入れもスムーズに行き、実に快適な小旅行であった。富山市は今後も公共交通機関の充実を図るとかで、この試みが各地にどのような影響をもたらすのか、注目してみたい。また富山に来ることはあるはずなので、その時にはまたライトレールに乗ってみよう。

P1011291 今日は富山駅前の「さんじゅうまる」という居酒屋で、富山の地酒と魚料理を味わう。白えびの刺身、げんげの唐揚げもよかったが、一番美味かったのが「カキの昆布焼き」。蒸し焼きにしたカキの身に昆布の風味が実によく伝わっている。先ほど昆布の話をしたが、まさに富山ならではかな。(広島にはこのような調理法は果たしてあったかな?)

ホテルに戻った後、昨夜に引き続き今夜も送迎車にて「満天の湯」に向かう。この日も一日いろいろなことがあったが、富山というところを満喫することができた日であったことは間違いない・・・・。(続く)

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雨の五箇山

2006年10月14日 | 旅行記D・東海北陸

10月8日の早朝、富山駅に向かう。昨日の大雨の影響で寝台列車が遅れていたり、北越急行線が運転を見合わせるようだとか、改札口に貼り紙がなされている。そういえばこの荒天で、太平洋ではあるが貨物船が転覆するなどの海難事故が相次いだとニュースで言っていた。

P1011221 この日はまず、富山から高岡に移動する。高岡も産業の町、駅も「鉄道」の香りがするのでなかなか好きなところである。ここからは南に向かう城端線に乗る。「常花線」というのがキャッチフレーズになっているようだ。ワインレッドの塗装はこの城端線と氷見線独特のものだ。

砺波平野を南下する。高岡を出る時は雨は降っていなかったが、今日の予報は雨のち曇り。前方にそびえる白山の山々の上空には分厚い雲が垂れ込めている。

P1011222 終点の城端着。今日はここからさらに山の中に分け入り、世界遺産の五箇山に向かうのである。7~8年くらい前だったか、ちょうど五箇山や白川郷が世界遺産に登録されて間もないころに、五箇山の菅沼集落と、相倉集落を訪ねたことがある。今日は時間的なこともあるので、菅沼と相倉のいずれか1ヶ所を訪ねることにする。

城端の駅前に五箇山経由の白川郷行きのバスがやってきた。高岡方面からやってきたバスの乗客は5人、城端から乗ったのは私とカップルの旅行者の計3人。いずれも世界遺産めぐりと思われる旅行者風情である。

発車の時間だが、運転手がバスを降りて携帯で何やら話をしている。そして車内に顔を出し、「皆さんどちらまで行きますか」と訊く。私を含め、「白川郷」「五箇山」というのが全員の答え。すると運転手いわく、「この先の道路が、昨日からの大雨で大型の通行規制が行われているとのことで、通常のルートでは五箇山を通過できないようだ。それでこの先の運転をどうするかを会社と相談しているのだ」と。

そこで出た仰天のプラン。一旦、東海北陸自動車道の福光インターに戻り、東海北陸自動車道で次の五箇山インターまで高速走行。五箇山インターに近い菅沼に立ち寄り(この結果、国道で手前にある相倉には行かない)、その先白川郷まで行くという。菅沼までの途中の区間は「運休」となるが、どうせ途中の利用などないのであろう。この区間のバス、1日4往復だけ。五箇山と白川郷に行く観光客専用のようだ。

P1011223 というわけで、路線バスの車両で高速道路をぶっとばすという体験をすることになった。長いトンネルをくぐる。深い深いと思われた五箇山へもトンネルのために一直線だ。トンネルを抜けると雨雲の中で、激しい雨が降っていた。

五箇山の菅沼着。ここまで来た8人のうち、1人を残して全員が降りる。ダイヤ上ではこのバスが白川郷まで行って、城端・高岡方面への折り返しの菅沼発は11時過ぎとなっているが・・・・。

P1011242 世界遺産の菅沼集落。庄川のつくる深い谷に包まれた、10戸ほどの合掌造りの家屋が並ぶ小さな集落である。日本昔話の世界だ。以前、相倉集落を訪ねたときに、「世界遺産っていうけど、なんだオレの田舎と同じじゃないか。どこが世界遺産なんだ」と観光客が話していたのを思い出す。世界遺産といえば神社仏閣や城郭建築などが挙げられるが、その一方で、昔ながらの風情を残す集落も「遺産」として後世に伝えられるものということか。

P1011233 集落の中には水田もあり、風雨のために稲穂が倒れてしまっているが、秋の風情である。このあたりの人たちはかつては加賀藩の塩硝づくりに携わっていたり、和紙作り、養蚕などで生計を立てていたとか。そんな産業を紹介した館もある。

集落自体は狭いので、バスの時間まで集落をぐるぐると何周かまわる。いろんな角度から合掌つくりの家を眺めることができる。すっかり日本の懐かしい風景を満喫する。都市文化が対象である「昭和ブーム」とは少々異なるが、懐かしい風景を訪ねたいという欲求は人間の心としてあることなのだろう。

P1011250 それにしても山の中で大雨が降ったかと思えば急に青空が見えたり、そしてまた強く降ったり、変わりやすい天気だ。

さて、帰りのバスである。ただ今日の様子ではどうだろうか。とりあえずバス停に戻り、時刻表に書いてあるバス会社に電話するも、まずは「只今の時間はこの番号に・・」と音声案内。その番号に電話すると「ウチは高岡だから状況はわかりません。砺波の事務所を案内するのでそちらへ・・」。砺波に電話すると「運転手と連絡が取れないから、わからん。連絡取ってみるから、また電話して」と言われる。1日4往復のローカルバスだけに対応ものんびりしたものだ。

そこへ、私と同じ城端からバスに乗ってきたカップルの旅行者、そしてもう一人の旅行者がやってきた。どうやら彼らも城端・高岡方面に戻るようだ。彼らも同じようにバス会社に連絡をとっていた。ここでもう一度情報を整理すると、通常ダイヤに戻るのは午後の便からで、私たちが乗るつもりにしていた11時過ぎの便はすでに高速道路で城端まで戻っており、菅沼にはやってこないということだ。白川郷行きのバスは、先ほどと同じように高速道路を使って菅沼に立ち寄るということだが・・。

そこで協議し、タクシーを呼んで城端に出ることにした。さすがにこの集落でもう何時間も過ごすのはちょっと持て余し、次のバスを待っていたのでは高岡に戻るのが夕方になる。それはちょっと避けたい。結局、カップルの旅行者と私の3人がタクシーに乗る。もう一人の旅行者は相倉に立ち寄りたかったそうだが、あきらめて白川郷までバスで行って、その便で折り返すという。高速道路を使い、城端駅まで7200円。3人で割って2400円。路線バスは1100円だったので割り増しになるが、よくこの額で抑えられたなというところか。

城端駅には、先ほど菅沼まで乗ったバスと、見覚えのある運転手が待っていた。このバスはあの後、白川郷まで行き、そのまま高速道路で城端まで戻り、城端からは通常ダイヤで運転するとか。やれやれ。

城端線の便が合わないので、このバスで高岡に戻る。ようやく雨がやんだ。高岡では氷見線や万葉線に乗ったり、古い町並みを歩く楽しみがあるのだが、今日のところは国宝の瑞龍寺に参詣するのみにし、富山に戻る。

P1011229 今日は菅沼集落のみだったが、この次は相倉、そして、未踏の地である白川郷にも行ってみたいものである・・・・。(続く)

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長野から富山へ

2006年10月14日 | 旅行記D・東海北陸

しなの鉄道にて長野にやって来た。ここで少し時間があるので、100円のコミュニティバスに乗って善光寺へ。

P1011194 善光寺に参詣するのも久しぶりである。門前町の雑踏を抜けると、巨大な工事中のフェンスが正面にたちはだかる。重要文化財の三門が大修復工事中とか。あの「善光寺」という巨大な額が飾られている門である。何でも10億円以上の工費がかかるとか。重要文化財を維持するのも難しい。

P1011196 本堂はこれまで通り拝観できるので、大勢の参詣客に交じり手を合わせる。・・・とここで「戒壇めぐり」にも挑戦せず、そのまま本堂を後にする。本日は次の列車までの立ち寄りである。この次は三門の修復が終わり、新しい姿になった時にまた来るとしよう。

P1011202 次の列車は信越線を行く「妙高号」である。直江津までの各駅に停まるのだが指定席もあるという列車。車両はかつて「あさま」として碓氷峠を越えていた189系である。「乗り放題きっぷ」で特急型車両に乗れる。またガラガラなので、前のシートを回転させてどっかりと腰をすえる。

そろそろ実のついたリンゴ畑の中を走り、妙高の山の中へと分け入っていく。すると、これまで何とか持っていた空模様が崩れはじめ、そして本降りになった。川の水量も増えており、またところどころ土砂が崩れている箇所も見られる。日本海側、そして北日本と大雨の前線が居座っているようだ。まだ時刻は14時くらいなのに、もう夕方か、あるいは冬かと思うような空の表情である。

P1011204 直江津から北陸線に出る。通常、このあたりの北陸線の車両は、白地に青色の帯を巻いた塗装なのだが、これから乗る富山行きは、かつての、赤茶色とクリーム色のツートンカラー。かつて、本当に急行として走っていた時の姿であり、これも昨今の懐かさのブームによるものだろうかと思う。乗ってしまえば他の車両と変わったところはないのだが・・・。

P1011205 直江津は名物駅弁の多いところだが、遅めの昼食を兼ねて「鱈めし」を買い求める。棒鱈と鱈の子の親子めしで、日本海の風味が感じられるおススメの一品。これを、北陸線の車窓と共に味わう。

その日本海だが、実に波が高く、風雨ともに強い。海の色も濁っている。私が車窓の写真を撮っていると「今日はほんま荒れとるなあ」と、横のボックスに座っていたおばあさんが独り言のようにつぶやく。

P1011206 難所である親不知を通過。海上に突き出た高速道路はそれでも通行止めにはなっていないようで、そろそろと走り抜ける自動車の姿もある。ハンドルを握るのは怖いだろうな。

その後、降ったりやんだりを繰り返し、富山に着く。今回の旅の宿は、市内電車の桜橋電停すぐの「富山マンテンホテル」。これまでの旅の経歴を振り返るに、北陸三県(富山、石川、福井)の中では、富山に来ることが多い。今回の旅の目的地自体も富山である。私の中では金沢よりも富山のほうが馴染みがあるし、どちらかに泊まるとなれば富山を選んでいる。

P1011210 ホテルは団体客などでごった返していたが、与えられた部屋はシングル料金だがダブルベッドとゆったりしている。しばらく休憩した後、繁華街に飲みに行こうとホテルを出る。すると、それまでは雨がやんでいたのが急に叩きつけるような大雨。この雨の中歩いていくのも面倒だし、今回の旅ではもう1泊するのだからと、街歩きはあきらめ、ホテル内の魚料理の店「鯛家」へ。富山湾の白えびの造りと、ホタルイカの沖漬などを賞味。

P1011214 そして締めは、部屋に戻り、あらかじめ富山駅で仕入れていた、株式会社源の「ますのすし」と、「銀嶺立山」の冷酒。ただこの写真、よくご覧頂きたいのだが・・・。旅先やあるいは駅弁大会などでよく目にする「ますのすし」のラベルは、白と紺の箱になっているかと思うのだが、本日私が味わおうとしているのは、なんと「特選ますのすし」というもの。普通の「ますのすし」が1300円であるのに対して、「特選」は1700円。

で、普通と特選ではどう違うのかと味わってみたのだが・・・・。翌日に味わった普通のますのすしとの比較では、ますの脂の乗り具合が違うのかなと感じられたが、正直自信が持てない。「芸能人格付け」ではないが、外装を取られて中身だけで見分けろと言われても、どっちがどっちかわからないだろう。さも知ったような口を聞いていて、実は思いっきり逆を選んでいたら・・・てなもんである。

「マンテンホテル」から「満天の湯」行きの送迎があるという。ネット予約での宿泊客には入浴券がサービスでついており、利用することに。ホテルの東側、5分くらい走らせたところに「満天の湯」はあった。地元客だろうか、広い駐車場はほぼ満車。ちなみに、富山地鉄の不二越駅のまん前にある。

P1011212 「満天の湯」という名前だけあって、「黒部の湯」という名前の浴槽からは空が眺められる(もっとも今夜は雨がぱらつき、満天の星が見えるというわけにはいかないが)。広い露天風呂はじめ、薬湯、ジェットバス、塩サウナなど各種浴槽が備えられており、ここならば何時間でも温泉気分を満喫できる。一日の疲れを落とすにはもってこいだ。ここも富山のお気に入りスポットになりそうである。

これで1日目は終了。明日も富山を基点に動くことになる。天気が回復してくれればいいのだが・・・。(続く)

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碓氷峠から軽井沢へ

2006年10月13日 | 旅行記C・関東甲信越

今月7~9日の3連休、「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」を使用した旅行に出かけた。以前の記事にも書いたが、目的地は富山。ただ、どのルートで行こうかを決めておらず、とりあえず目が覚めて出発できる時間を見て、上野なら東京なり新宿なりからの列車を選ぶことにした。

結果として、上野から高崎線の列車に乗る。東京を出ると少しずつ天気が回復してきた。前日は秋雨前線が台風に刺激されたため強力なものになり、東京でも大雨だったので、やれやれである。(まあ、このあとでまた強力な雨に出会うことになるのだが・・・)

P1011173高崎に着く。ここから上越線で越後湯沢、はては長岡まで出ることができるが、今日のところは横川までの信越線を選択。安中までは高校生の乗車も多かったが、横川に着いたときには数えるほどの乗客しかいなかった。ホームに「峠の釜めし」の立ち売りがいたので、買い求める。

P1011174 横川に来て、そして富山に抜けるとなれば、ここは横川~軽井沢間のバスに乗ることになる。この区間のバスに乗るのは初めて。早朝のため横川の鉄道文化村はまだ開園しておらず、機関車などをフェンス越しに眺めるのみだ。軽井沢へのバスの乗客は10人程度だが、いずれも「鉄道の日きっぷ」を使用するような顔ぶればかりである。同区間が廃止されてかなりの年数が経つが、このバスを利用する人というのはどのくらいあるのだろうか。汽車旅をする人たちだけのために運転しているのかとさえ思う。

途中の停留所もなく、国道18号線を登る。右に左にカーブをとり、なかなか忙しい。この分では釜めしのふたを開けることはできず、ひたすら登りに身を任せる。

長野県の看板が見え、周りには別荘地も見えるようになり、軽井沢に入ったことを知らせる。このバスで軽井沢に来たのは初めてだが、やはり軽井沢は別荘なんだなあ・・・。そして駅に近づくにつれ、ショッピングモールやら、ペンションやら、土産物店などが道路沿いに林立するようになる。なるほど軽井沢だ。そんな中、新幹線の高架駅舎も町の様子になじんでしまった感のある軽井沢駅に着く。

P1011179 現在、軽井沢から先は第三セクターしなの鉄道の路線だが、新幹線駅に隣接して、「旧軽井沢駅舎記念館」というのがある。バスに接続する列車ですぐに長野方面に向かう予定にしていたのだが、せっかくなのでここで1本落として、記念館見学とする。

P1011188 駅舎は明治43年の大改築当時の姿を再現したとあり、2階に設けられていた貴賓室も再現されている。皇室の方々や政界の名士も多く利用したといい、ソファーに腰掛けてしばしVIP気分を味わう。そのほか、かつて碓氷峠を越えた列車たち、アプト式レールで峠を越えていた時代の紹介、そして、ナロー鉄道「草軽電鉄」の歴史なども紹介されている。そして、元の信越線ホームには、客車や電車を牽引しつづけた機関車も静態ながら残っている。

P1011186 軽井沢で自然と戯れたり、おしゃれな店をめぐるのも楽しいのだろうが、こうした「近代化遺産」にも、見るものを楽しませるものがある。ぜひ、軽井沢散策の際に入れてほしいスポットだ。

P1011191 かくいう私の軽井沢散策はこの記念館だけで終わり、しなの鉄道の長野行きに乗車する。この車内で、横川の「峠の釜めし」を開封。横川で出来たてを買ったためか、まだ温かみが残っており、おいしくいただく。ただ、いつもそうなのだが食べ終えた後の釜の始末に困る。よく釜を持ち帰って釜飯を炊こうか・・・という話を聞くが、果たしてどのくらいの人が実践しているのだろうか。

充分に実った稲穂と高原野菜の畑の中を走る。残念ながら浅間山は雲にかかって見えなかったが、なかなかの走りっぷり。途中の駅ごとに乗客が増えて、混雑する。結構都市間の移動はあると思われるのに、新幹線が出来たからといって切り離すのはJRとしてもったいないのではないだろうか。

篠ノ井から再びJRの線路となり、長野駅着。(続く)

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日本ハム優勝!北の大地に大輪咲かす

2006年10月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

2006101200000013yomspothum001_1  パ・リーグのプレーオフ第2戦、日本ハムが見事サヨナラ勝ちでソフトバンクを下し、アドバンテージの1勝と、本試合での2連勝でリーグ優勝を決めた。この制度になってから、シーズン1位のチームがそのまま勝ちあがるのは初めて。ダルビッシュ、八木の連夜の快投で、武田久やマイケルを出す展開にもならなかった完勝である。

東京の「借家住まい」から北海道の我が家に移って3年。見事に北の大地に大輪を咲かせることになった。完全に「北海道」日本ハムファイターズになった瞬間である。

ただ、ソフトバンクにとっては残念な戦いであっただろう。ストレート負けで福岡にも帰れず、王監督を胴上げすることができなかった。今シーズン、ソフトバンク戦をともに観戦した会社の同僚のK氏に、残念メールを送ったのだが返事が来ない。朝顔を合わせたときに「今日は八木が完封するよ」と、いらんことを言ったからかな・・・。ちょっと悪いことしちゃったかな。

さて、これで日本シリーズは日本ハム対中日という、シーズン前ではなかなか予想できなかった組み合わせとなった。テレビ業界の人間はいまだに「巨人じゃないから地上波では放送しない」というわけのわからないことを言っているのだろうが、やはり日本シリーズは全国のプロ野球ファンが注目するところ。

両チームとも投手陣がいいし、攻撃もバランスがよい。予想するのが非常に難しい。日本一のペナントは初めて北の大地に渡るのも見てみたいし、落合監督の男泣きももう一度見たい。「日本一」ということになれば中日は1954年、日本ハムは東映時代の1962年以来のこととなる。

またシリーズが近づいたら、勝敗予想のことでも書こうと思う。

※写真 読売新聞社

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