まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

浅野史郎氏が東京都知事選挙立候補に前向き

2007年02月28日 | ブログ

民主党による東京都知事選挙の候補者選びが難航している中、民主党が候補者としての擁立を目指していたうちの一人、浅野史郎元宮城県知事が立候補に前向きな姿勢とか。

ただ、あくまでも市民団体からの後押しによるものであり、必ずしも民主党に要請されたから立候補に前向きになったわけではなく、これが「民主党が擁立した候補」といえるかどうかは疑問であるが。出るとすれば無所属なのかな。

浅野元知事といえば「改革派知事」のイメージがあり、クリーンさという点はアピール部分と言えるだろうが、果たして知事としての実績を問われたときには、それほど印象がないというものである。まあ、パフォーマンス型というよりは実務型で、マスコミで興味本位に取り上げる類の知事でなかったということだろう。しかし果たして「反石原」の受け皿たる人物であるかどうか。まあ、本人がこの都知事選挙についてどうお考えかは、次の日曜日の朝の「じじい放談」もとい「時事放談」の出演が予定されているらしいから、そこで何某かの発言が出るかどうか。

都知事選挙の候補者として、どこぞの新聞が社説でリードするように、菅直人民主党代表代行であれば受け皿になるというものでもない。民主党の首脳陣こそ変わり映えのしない連中ですよ。小沢代表なんて、かつて自民党の幹事長時代に、当時の鈴木都知事から、「東京の知事は、東京の人間が決めるものだ。岩手県かどっかから出てきた田舎の人間が決めるものではない」と大見得を切られて面子をつぶしたこともある。それはさておき、そもそも、なぜ新聞の社説で、誰それを候補者として立てるべきだという論調をしなければならないのか。まあ、あの新聞だからそういう社説を述べて「ジャーナリズム宣言」ができるのだろうけど。あんなものを目にすると、ますます民主党の息のかかった候補者には入れたくなくなる。

どうなんだろう。現段階では、浅野元知事が出たところで、石原政権の座は揺るがないのではないだろうか。前回の「ぶっちぎり」が、「多少押し込まれたけど余裕を持って残って上手投げ」というくらいになるものかな。まあ、選挙本番までは1ヶ月あるので、それぞれの候補者の考えについていろいろと触れてみて、考える時間はまだまだある。

・・・前の記事で紹介した、黒川紀章著の「都市革命 公有から共有へ」が届いた。何だか氏の商法にノセられた感じがするが、建築家の視点で見た都市論としてこれから読んでみよう。都知事選挙のヒントになるかもしれない。

また、まつなるの読書感想文としてこのブログで触れることもあるだろう・・・・。

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イインダヨ! グリーンダヨ!!

2007年02月27日 | ブログ

ビール、発泡酒、第三のビールのテレビCMというのは、好きな商品だけにいろいろとチェックしてしまうところがある。これらのCMとタイアップしたナンバーも多い。

好きだったのは、アサヒ・スーパードライのCMシリーズ。ハードなビジネスや勝負の世界に生きる男たちが、一つ大きな仕事をやり終えて「カーッ!!」てな感じでスーパードライを飲む。「辛口」のイメージとよく似合っており、若かりし頃の私も「あんな感じでバリッとビジネスの世界に生きれたらカッコええなあ・・・」と思っていた。のだが、今ではスーパードライを飲むことはしてもバリッと仕事が出来ていない・・・。現実はなかなか思うようにはいかないものである。

Beercans_3現在お気に入りなのは、その対極にあるCMかな。キリンの淡麗グリーンラベル。あの、どこかで見覚えのある、懐かしい5人組の風貌を受け継いだ外国人のキャラクターたちが、あのテレビ番組のイントロに乗せてコミカルかつほのぼのとした演技をするというもの。キャラの名前も、リーダーのアンカー、そしてジェイコブ、マット、ブラウン、ケント・・・とくれば、誰をモデルにしているかはピンとくる人はすぐわかるだろう。

グリーンラベルの名にふさわしく、緑の風景というのも気持ちよさそうである。外で飲むビール(発泡酒でもいい)の味は格別のものがある。

そんな季節が来るのが待ち遠しい。

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湯島天神と国立新美術館

2007年02月25日 | まち歩き

P2251173今日2月25日からは、国公立大学の2次前期試験。入試シーズンもヤマ場である。というわけでもないが、学問の神様であり、また梅の花も見ごろということで、朝方に湯島天神に出かける。本殿には参拝者が行列をなしている。中には、今日受験本番に臨んでいる子どもを持つ親御さんもいるだろう。

P2251170その本殿を囲むように、梅の花が咲いている。花びらの色合いが青空によく映えている。また、梅の花にも負けずに今を盛りと咲いているのが、奉納された絵馬の数々。湯島天神に近いということで「東京大学合格」が目立つが、それ以外にも私大だったり、高校入試だったり、あるいは資格試験の合格祈願も書かれている。いつも思うのだが、これだけ大勢から祈願されては天神さんも捌くのに大変だろう。

P2251172梅の花を見ると、春の訪れももうすぐだなと感じさせられるものがある。

P2251197さて、地下鉄の千代田線で湯島から乃木坂に移動。乃木坂駅の出口から地上にあがると、そこには1月に開館したばかりの国立新美術館がある。

窓を大きくとった開放的な空間。美術ファン、カップルなどで大賑わい。オープン型のカフェやレストランもあり、ちょうど昼時とあって行列もできていた。

P2251190この国立新美術館、特定の収蔵品を持たずに、展示会を行いたいという団体への展示スペースの提供や、新たな美術の動向もターゲットにした自主企画展、新聞社等主催の展覧会などを中心に行うというのがコンセプトということである。場所が六本木ということもあり、新しい発想で、美術というものを身近に感じてもらおうという意図もあるのだろう。

現在、開館記念展として「20世紀美術探検-アーティストたちの三つの冒険物語」なるものが行われており、せっかくなのでこちらを鑑賞する。「20世紀以降現代までの美術の展開と物質文明の関係を探る」というのが意図のようだが、広大な展示スペースを3つに分けて、さらにパーテーションで通路を区切って、実に膨大な数の展示。

で、並んでいるのはいわゆる「現代美術」の数々。いやー、わからん。何でこの「オブジェ」はこういうタイトルなんだとか、自分の何を表現しようとしているのかがわからん。これが実用に供する品物とか、工芸品ならわかる。でも現代美術とかアートというのは違うよな・・・。他の人たちも、何だか納得したような、腑に落ちないような、曖昧な表情で広大な展示スペースを回っていた。

P2251192今日、この国立新美術館を訪れることにしたのは、この美術館の設計者があの黒川紀章だからである。前の記事でも触れたが、4月の東京都知事選挙に出馬することを表明している黒川紀章。ちょうどタイミングがいいというのか、開館を記念して「黒川紀章展」も行われている。ひょっとして都知事選挙出馬は、私のような人間が美術館に訪れさせるための宣伝かいなと思う。

その「黒川紀章展」、ここは無料で鑑賞できる。まあ、氏がこれまでに手がけた建築物や都市計画の実績紹介というか、氏の思想の発表の場だから・・・。氏の著作か講演からの引用か、情熱的な文言に建築物の縮小模型が並ぶ。それでもまあ、モノが建築物だけに、先ほどの現代美術の数々の主題よりはよくわかる。

氏の著書も手にとって見ることができるが、その中の一冊に「都市革命 公有から共有へ」というのがあったので、パラパラとめくる。さまざまな面での「構造改革」が叫ばれる中、都市のあり方というのはどうあるべきかというのを論じたもののようである。パッと見た感じでは私的には面白そうだ。この会場では販売していなかったのだが、通販か何かで購入して読んでみようか。

P2251191話が都知事選挙のことになるが、世界的な著名度からすれば、石原都知事より黒川紀章のほうが断然有名である。ただ、政治の世界に身を置くのはどうだろうか。東国原知事がタレントをやめて県知事になるのとは、状況が違うと思う。大どんでん返しで都知事に当選してしまい、さまざまな問題に取り組まなければならないという状況を迎えるよりは、都政のアドバイザー的存在として、氏の得意分野である都市論をもとに政策提言を行っていったほうがよいのではないかと思う。反石原票が黒川氏に流れるのも、それはそれで結果的にはあまりよろしくないのでは・・・。

それはともかく、東京の新しいスポット、国立新美術館。これから人気のスポットになるように応援したいものである。

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オープン戦始まりました

2007年02月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

いよいよ今日からプロ野球オープン戦開幕。早いものでもう「春」を感じさせる話題である。

さて、オリックス・バファローズは高知安芸で阪神と対戦。3対1でコリンズ監督の初戦を飾る。開幕投手が決定的なエース川越の好投、ルーキー大引の巧打、3三振を喫したものの4番を務めた「浪速のゴジラ」岡田など、見所もあったようで。ポジションが約束された選手が少ないために、若手の奮起に期待したいものである。3月になれば関東遠征もあるので、その時にはぜひ観戦に行きたいものだ。

それはそうと、オリックスを退団した中村紀洋の中日入りが決定的とか。まあ、何だかんだいっても、どんな形であれ、プロ野球の選手として何とか生き残れたのはよかった。落合監督もトボけたふりして、実は狙っていたのではないのかな。育成選手枠で獲得するとはいえ、早い段階で正式な選手登録を行うのはないだろうか。オリックスとの交流戦に合わせて出場なんてことになると面白い。ヤジが飛ぶだろうな・・・・。

再び、「驚弾炸裂」なるか。

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黒川紀章が石原都知事に挑む

2007年02月22日 | ブログ

今年の統一地方選挙、もっとも注目される選挙区ではあるが、宮崎での東国原知事の当選を受けてか、どうも政党の候補者の擁立に苦心しているのが東京都知事選挙。まあ、石原慎太郎都知事が何だかんだ言われてもぶっちぎりで当選するのは目に見えている。それに対抗するはずの民主党が、独自候補と立てると大言したもののいまだに候補者選びで難航しているという現状は何なのか。所詮は土台の不確かな連中が集まっている政党、何もできやしないのがこの党の実情なのだろう。

そんな中、石原都知事に対抗するとして立候補を表明しているのが、現代建築家の黒川紀章である。昔、マイホームの宣伝だったか、ショパンの「革命」に乗せて図面を引いている姿がCMになっていたっけ。

作家対建築家の選挙戦も面白いのだろうが、結局は石原都知事の敵ではないだろう。

黒川氏自身、現代建築家として、居住性がよいのか悪いのかよくわからない建造物を建てたり、全国のハコモノ行政の一翼を担っていたり(地方に行けば、結構黒川紀章のデザインによるハコモノが転がっている)、まあ、知事に当選したらそれこそ黒川デザインで東京都のハコモノを一新するくらいのことはするだろう。しかし、その程度だ。

都知事選挙立候補がその宣伝というわけではないだろうが、いま、国立新美術館で黒川紀章展をやっているとか。近く休日にでも鑑賞しようとも思うのだが、さぞかし人だかりが多いだろうな・・・・。

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「バファローズ」今季限りで消滅か

2007年02月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

久しぶりにプロ野球のことを書く。プロ野球春季キャンプも後半。今度の週末からはオープン戦も始まるのだから、球春到来も早いものだ。選手名鑑を購入しての予習の時間もつくらなければ。ちなみに私が毎年購入しているのは、日本スポーツ出版社発行の「12球団全選手百科名鑑」。980円と多少値段は張るが、A5版と持ち歩きには手ごろだし、選手情報や記録関係、審判や解説者の名鑑もありなかなか充実しているので気に入っている。

さて、オリックス・バファローズのキャンプであるが、あのタフィ・ローズがテスト受験する一方、谷・中村を放出して「チームはこの人中心でまわす」とうたったばかりの清原が古傷の故障で開幕絶望という、あいかわらずのチグハグぶり。このような状況ではローズは間違いなく戦力として合格するだけではなく、ローズに主軸を任せざるを得ないだろう。開幕オーダーはどうなるのだ。

もし、開幕オーダーを予想せよとなると・・・

4 塩崎

8 平野恵

7 ローズ

3 北川

5 ラロッカ

D アレン

9 大西

2 日高

6 大引

P 川越

村松や相川がいないじゃないかというご指摘はあるでしょうがね。

いや本当、ラロッカとローズという「顔」はあるけど、往年の実力がどのくらい保たれているか次第やな。

さて、それはそうと、一部報道によれば、「バファローズ」のチーム名が今季限りとか。近鉄が明言していた3年目で出資を打ち切ることもあり、「合併球団」からのイメージ脱却を図るる意図もあって、チーム名の変更を検討しているとか。現在も「Bs」のロゴを前面に出して使用しているが、「Bs」を軸に新たなチーム名を公募する案も出ているという。

まあ、近鉄がオリックスに統合されたときに、「バファローズ」の名称は残ったものの、これはいずれは消えるのだろうなとは、旧近鉄ファンとしては予想できたこと。過去に、「ブレーブス」が「ブルーウェーブ」に変わったということもある。歴史は繰り返すのだ。「バファローズ」という名前によりどころを求めていたファンとしては淋しい話なのだが、やはり受け止めなければならないのだろう。

ただ、本気で新しい球団にしたい、「合併」のイメージから脱却したいのであれば、もっともっと根本から変えないと。新しいチーム名が何になるかわからないが、チーム名が変わるのであれば、まず、ネッピー&リプシーには「勇退」してもらうのは絶対条件。あのキャラだけが継続されたのが、旧近鉄ファンには我慢ならんところがあったと思う。だから、今の親会社そのまんまのコーポレートカラーも見直す必要があるだろう。それと、今の主流である「地域名」と冠すること。これは「大阪」より「関西」のほうがよいのではないか。

どうせやるならそのくらいのことをやって、過去のしがらみは全て断ち切ってやらないとね。(まあ、そこまでのことはようせんでしょうが)

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羽村山口軽便鉄道廃線跡とベースサイドストリート散策

2007年02月20日 | まち歩き

話が前後するが、17日の土曜日はJR・西武鉄道・多摩モノレール3社共催による「駅からハイキング」3番勝負の第1弾、「羽村山口軽便鉄道廃線跡とベースサイドストリート散策」に参加した。久しぶりの「駅からハイキング」参加、日頃多摩地区に出かけることがないことや、軽便鉄道の廃線跡という名前に魅かれての参加である。

P2171128_2青梅線の羽村駅着。9時半から受付のところ、10時半頃のエントリー。集団の多くはすでに行ってしまった後であるが、それでも参加者の姿を多く見かける。この手のイベントには中高年の参加が多いのだが、今回は軽便鉄道が絡んでいるだけに、「その筋」の人間の姿も見かける。まあ、私もウォーキングの達人から見れば「その筋」のアブナイ奴にしか見られていないのだろうが。

P2171129_2まずは羽村駅近くの閑静な住宅街を歩く。ここは「旧鎌倉街道」ということで、由緒ある道のようである。それで、コースに組み込まれたのだろうか。もっとも、今日歩いた中で目立つのは「区画整理反対」の立て看板。3軒に1軒くらいはこの看板をかけていたかな。この地をめぐって大規模な区画整理が計画されているのだろうか。道路を通すのか何かを建てるのかは知らないが。

地図によれば、この辺りから軽便鉄道が走っていたのだという。この「羽村山口軽便鉄道」、この先の村山貯水池のダム建設用の砂利運搬を目的として敷設されたもので、戦前の話であるが機関車に牽引されたトロッコ列車が走っていたという。ただ、特に旅客営業をしていたわけでもなし、現在の私鉄の前身というわけでもなし、こういうイベントで紹介されない限り、ほぼ全ての人がその存在すら知らずに過ごすことになっただろう。私もこの鉄道のことは初めてきいた。

P2171133_1今日歩くコースでは、鉄道に関する史料や遺跡がそれとわかる形で残っているわけではなく(この先にはトンネル跡があるらしいが、それは来月の「駅からハイキング」での話)、わずかに「神明緑道」という遊歩道がかつての軽便鉄道のルートであったことを物語るのみ。時には住宅団地の敷地内も歩く。知らない人がみれば何の集団かと思うだろう。この緑道にも特に軽便鉄道のことが紹介されているわけでもなく、恐らく戦後になって宅地開発で移ってきた人たちから見ればただの遊歩道くらいにしか思わないだろう。逆に、遊歩道の形で残ったことが不思議なくらいだ。参加者も特段軽便鉄道に想いを馳せるようでもなく、淡々と歩き通す。

P2171134_1この廃線跡も本来であればまだまだ直進するのだが、今日のハイキングでは途中で右折を余儀なくされる。正面にはあの横田基地があるからだ。ここから右手にごく普通の近郊住宅街、左手には侵入禁止の看板も立つフェンスをはさんで、米軍ハウスが並ぶ。フェンスの向こうでは、兵隊の子どもたちが庭で歓声を挙げて遊ぶ光景が見られる。

P2171139羽村市から福生市に入り、そしてやってきたのが国道16号線。有事の際には軍事用道路として、また首都の防衛線としての役割を求められているのがこの国道である。ここからは左手に横田基地を見る。軍事用飛行機の爆音などは聞こえないが、フェンスの向こうの検問の雰囲気はピリピリしており、やはり軍隊がすぐそこにいるのだなと実感させられる。歩道は右手にしかなく、その歩道に沿って、「ベースサイドストリート」という商店街が広がる。

P2171143_1この福生、横田基地を前にして、米国的な雰囲気というのを醸し出しているのが売りのようで、いわゆる70年代の香りが漂うというのでこの町を愛好する人が多い。小説家やミュージシャンにも福生ゆかりの人や、福生をイメージした作品を残す人が見られる。今日ハイキングに参加している人には、その70年代に青春時代を過ごしたいわゆる「団塊の世代」らしき人が多く、それらの人たちにとってみれば福生というのはカッコイイ響きを持って受け入れられているのかもしれない。今日のコース設定の目的はそこだろう。

確かに看板には米国風のものが多く、アクセサリーや衣類、玩具などを扱う店が多い。確かに広々とした、カラッとしたものを感じるのだが、私の嗜好からすれば米国そのものはちょっと・・・というのがある。これが漢字ばかりが縦横に並んでいるというのであれば別だが。別に福生をどうこういうのではないが、福生でなくても米国風の店はあちこちで見られる。まあ、それだけ米国文化が日本に浸透しているのだろう。

P2171145P2171144米国風レストランもあるのだがどうも入りづらい雰囲気で、結局ラーメン屋「福実」という店で昼食。何でもマグロの頭をベースにしたダシが売り物とか。さすがは横田基地の前だけあって、米国兵らしき白人が上手に箸を使いこなしてラーメンをすすって餃子をぱくついているし、メニューも日英2ヶ国語。さて出されたラーメンは、マグロだなとすぐわかるくらいダシが効いている。何だかネギマ鍋を食べたあとに、中華そばの麺を入れて仕上げをしているような感じだ。おいしくいただく。

P2171151P2171152ベースサイドストリートから分かれ、拝島駅近くの水喰土公園へ。ここで昼食をとっている人が多い。今日のコースはなかなか立ち寄りスポットがなく、駅前のロータリーや道端の公園で弁当を広げる人もいたのだが、やはりこの公園が一番落ち着きそうだ。玉川上水に沿った公園で、その上水にはカモや鯉の姿を見かける。今は冬のこととて木々には何もないが、新緑の頃などにくれば実に清々しい雰囲気だろう。

P2171153 7キロあまりのコースを食事込みで2時間ほどかかって、ゴールの拝島駅に着く。何だかあっけなかったかな。往復でコースに変化をつけるために、ここからは西武拝島線のきっぷを買って、西武新宿に向かう。

このシリーズのイベント、次回は3月3日(土)に、この拝島駅を起点として、「五日市鉄道廃線跡と鉄道遺産散策」が行われる。さて、次回はどんな表情を見せてくれるのか、楽しみである。

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東京マラソン

2007年02月18日 | まち歩き

今日18日は、「東京マラソン2007」の日。東京都庁からお台場のビッグサイトまでのコースを、途中皇居、銀座、品川、浅草などの主だったスポットを回りながら走るコース設定や、3万人規模(何でも、レースの一般参加者は3倍の競争率の抽選だったとか)で走るというものや、また、沿道の大規模な交通規制とか、有森裕子選手の「引退レース」だとか、初めてのこととて何かと話題になったマラソンである。

P2181156 私はもちろんマラソンをやるわけでもないが、どんなものかは見てみたい。都心に出る用事があったので、時間もあることだし沿道に行ってみよう。ということで訪れたのは、皇居前広場。レース中はあいにくの雨模様。時折強く降ったり、また風も吹きぬけるコンディション。その中を走りぬけるランナーたちの姿が遠くからでも見える。雨のせいか、思ったほど沿道の観客は少なかった。

P2181157ちょうど、テレビカメラが回っており、カメラに向かってしゃべっている女性がいた。近づくと、NHKの「クローズアップ現代」のキャスターの国谷裕子さん。後でNHKのHPを見ると、「3万人、TOKYOを駆ける マラソン文化は定着するか」というのを19日に放送するとかで、皇居前広場を駆けるランナーたちをバックに国谷キャスターがコメントする場面を収録しているようだ。寒い中お疲れ様である。

お疲れ様といえばランナーたちのほうもお疲れ様のようで、私が皇居前広場に着いた時には、3万人のランナーのうち、9割くらいは通過した後だった。だから沿道の観客も少なかったのかな。このくらいの順位を走るのだから順位はおろか、果たして制限時間内に完走できるかというものである。雨のために「東京メトロ」の合羽を着て、もう走っているのか歩いているのかわからないくらいのスピードの人も多い。それでも、マラソンにチャレンジしようというその気持ちには拍手を送ってあげようではないか。

同じくらいにやってきたおばさま方が沿道のスタッフの人に「有森さんはもう行ったの?」と尋ね、スタッフから「何言ってんのよ。もうとっくの昔に過ぎちゃったよ。もうゴールしちゃってるんじゃないの?」と返される場面も。

P2181159 結局沿道見物はここだけとなったが、夕方のニュースではスタートからゴールまでの様子が報道されていた。それにしても3万人が走り出した時のシーン、最後尾の人が「スタートラインを通過」するまでに20分以上かかったとか、浅草など観戦スポットの賑わい、仮装して走るランナー、家族や知り合いが走るということで沿道の応援や給水のアシストをしたりする人の姿とか、通常のマラソン大会とはまた違った雰囲気のようであった。

交通規制の問題やら、本当に都民本位の大会なのかという疑問視の声もあるようだが(そのあたりを、それこそ「クローズアップ現代」で放送するのだろうけど)、これだけ賑わったのだから、年に1回くらいならやってもいいのではないだろうか。五輪を招致するためのアピールとか、そういうのは置いといて。何よりも、3万人の出場枠の数倍の参加申し込みがあるのだから・・・。

来年やるとすれば、今度は浅草で観戦しようかな。

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会津若松のレトロ建物とお座敷列車

2007年02月17日 | 旅行記B・東北

再び会津若松市街に出る。今度はレンタサイクルを利用。

会津若松というのは「ご当地グルメ」として、ソースカツ丼をPRしているそうだ。大正時代から親しまれてきた庶民の味という。これまでソースカツ丼といえば信州駒ヶ根が有名だったと思うが、最近は会津が注目という。

P2121058ソースの味にこだわったり、カツの厚さを売りにしていたり、パンフレットには20店舗ほどあって目移りするが、「昭和5年開店当時の味を頑固なまでに守り抜いている」という「若松食堂」へ。いかにも昔の食堂やなという店構え。老夫婦お二人でやっているようだ。出てきた一品は、ごはんの上にキャベツ、そして、厚くはないがあっさり味のカツが乗る素朴なもの。うーん、でもソースカツ丼は一杯に限るかな。別に不味かったというわけではないのだが、個人的にカツ丼はソースより卵とじで煮た一品のほうが好みだし、カツとキャベツは定食のおかずとして食べたいなあ。まあ、ご当地名物を味わったということでよしとする。

P2121068P2121064腹ごしらえもできたことで、市内をペダルをこいで回る。時折雪が舞ったかと思えばすぐに晴れたり、目まぐるしく天気が変わる。そしてやってきたのが、昔からの中心部である七日町あたり。大正時代から昭和初期にかけての建物が多く残っている。これらを流して回るのが面白い。昨日の大内宿とはまた違った歴史を感じさせる。会津若松といえば鶴ヶ城に白虎隊というのが有名だろうが、私としてはこちらの町並みのほうが雰囲気があって気に入った。

P2121074それは、会津若松の市役所自体が、昭和初期にできた建物であり、今日は休日のこととて中には入れないが、ものの本によればインテリアも当時のものが今でも現役で、当時の風情が味わえるという。なるほど、歴史ある町というのは、役所も風情があるものなのかもしれない。

P2121077宮泉醸造の酒蔵のある「会津酒造歴史館」にも訪れる。今は仕込みの時期だが、昼休みということで職人たちの姿はなく、ほのかな酒の香りただよう蔵を抜けて、「小原庄助コーナー」へ。朝寝、朝酒、朝風呂が大好きで身上をつぶしたという伝説の人物。こちらでは伝説の酒豪やら、酒癖の分析など、酒と人間の相性についても紹介されている。こうして見ると、本当に酒の好きな人は好きだし、昔から受け継がれた哲学というのがあるなと感じさせる。

P2121090最後は、昨夜も訪れた鶴ヶ城へ。昨夜の雪はすっかりとけ、本丸には芝生の広場。天守閣に登るのも久しぶりだが、中がすっかりリニューアルされたようだ。会津藩の歴史やら会津の伝統工芸についての紹介。昨夜照らされたいた絵ろうそくというのも紹介されている。最後は天守閣の最上階から市街地を眺めて、会津旅行の締めとする。(雲が出ていて磐梯山を見ることができなかったのは残念だが・・・)

会津からの復路は、会津鉄道が運転している「お座敷トロ雪見号」。3両編成で、会津田島寄りの先頭車が畳にテーブルのついたお座敷車両、中間がトロッコ車両。この時期は窓がつけられているが、夏場は窓を取って自然の風を受けるトロッコになる。そして最後がハイデッカーの展望車。運転台横にもシートがあり、運転士気分を味わうことができる。

P2121105昨日のこの列車は、旅行会社の団体のほぼ貸切だったそうだが、今日は個人客ばかり。やはり人気があるのはお座敷車両。私もこちらに陣取る。この列車に乗るには、席は指定されていないが整理券として300円が必要。私は前売りで買っていたが、当日車掌から購入する人も結構いる。

P2121104まあ、こういう列車に乗るなれば、やはり酒は必要で・・・。会津若松の駅で買い求めたビールにカップ酒を広げる。そしてアテは、会津名物の「まんじゅうの天ぷら」。左党のくせにまんじゅうを酒のサカナにするとはどういう神経かと思われるだろうが、これが妙に酒と合うのだ。地元の人はこのまんじゅうの天ぷらをご飯のおかず、普通に天ぷらの一つの具材として食すようだ。これをつまみながら、お座敷列車の揺れに身を任せる。

P2121116意外にも芦ノ牧温泉で下車する人が多い。そしてこの先山間に入るに連れ、また車窓に雪が見えるようになった。積雪量は少ないのだろうがようやく雪見列車らしくなってきた。車内が空いているので座布団で枕をつくり、ごろりと横になる。寝転んでの雪見というのもいいものだ。会津田島まで1時間あまりの時間があっという間に感じられた。ここからは日も暮れることだし、後続の快速と東武特急スペーシアを乗り継いで帰るだけだ。

P2121106あっという間に過ぎた1泊2日の会津紀行。思った以上に雪が少なかったのだが、その分交通には不自由せずに、冬の雰囲気は十分楽しむことができた。また、今回訪れなかったポイントや、またじっくり回ってみたいポイントもある。豊かな自然と歴史を持つ会津、また行ってみたいものである・・・。(終わり)

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喜多方・ラーメンと蔵めぐり

2007年02月16日 | 旅行記B・東北

12日、会津若松のホテルで目ざめる。窓の外には薄くパウダーを撒いたような雪。今日は朝の列車で喜多方に向かう。急行型のボックスシートだ。昨日乗った東武鉄道の6000系もよいが、やはりゆったり感はこちらのほうが上手かな。

P2121026喜多方に来たのは、学生の時以来13年ぶりくらい。その時はラーメンを食べて、蔵も少し見たはずだがそれほど印象に残っていなかった。だから的には初めて訪れるようなものである。駅のパンフレットに、喜多方の「老麺会」のパンフレットが置いてあったので、これを手に歩き出す。この「老麺会」には60軒ほどが登録されているとのことで、早い店では朝の7時から開いているという。讃岐のうどん屋もそうだが、ほんと、喫茶店代わりやね。そこで、まずラーメンを攻略して、その後で蔵めぐりをしようというプランにしたのだ。

P2121030駅から歩くこと15分、昔ながらの路地の一角にあるのが「坂内食堂」。「喜多方ラーメン坂内・小法師」は東京や大阪にもある店だが、こちら坂内食堂はその「のれん元」というところ。昼間ともなれば行列のできるこの店が、朝からやっているのだ。さすがに朝なので行列はできていなかったが、のれんをくぐると観光客半分地元のオヤジ半分という構成で結構席が埋まっている。本当に食堂といった雰囲気だ。

P2121029 ここはカウンターで注文をして代金先払い方式で、名物の「肉そば」をいただく。厨房でてきぱきとこしらえており、すぐに出てきた。この、丼の表面が全てチャーシューで覆われている一品。いや、朝からガツンとくるな。肉→肉→ラーメン→肉→ラーメン・・・という順番でいただく。麺も太すぎず細すぎず、あっさり系のスープとの相性がよい。さすが、人気ある一品である。

P2121031一軒では惜しいので、もう一軒、路地を歩いてたどり着いたのが「あべ食堂」。これも朝から開いているうちの一軒。こちらではオーソドックスな中華そばがおすすめ。とんこつをベースにしつつも、煮干しのダシを加えた一品ということで、いかにも「ラーメン」というよりは「中華そば」という名前がしっくり来る一品。ラーメンの古典の作品かな。

P2121034で、喜多方ラーメンめぐりは朝の2軒で終了。讃岐のうどん屋だと、それこそ一日に何軒でも回れるのだろうが、やはりうどんとラーメンでは違う。それにしても思うのだが、「老麺会」の屋号を見ると、「○○食堂」というのが目立つ。ラーメン屋というと「○○軒」とか(確かにその屋号も結構あるが)、妙に哲学的な屋号が多いのだが、何せ「食堂」である。その来歴についてはもっと詳しい方がいらっしゃるだろうからここでは私の推測だが、やはり元は本当の食堂だったのかな。意地悪な見方をすれば、食堂ではやって行けないからラーメン屋に転業したのかなとも思う。いやそうではなく、喜多方では主食は中華そばで、米を食べるのはハレの日のことで、贅沢極まりないことなのかとか、いろんなことを邪推する。(おそらくどっちもむちゃくちゃな偏見で間違っているだろうが)

P2121046さて、腹もふくれたところで町歩きである。喜多方は蔵の町として名高いが、その蔵を単に収蔵用のスペースとして用いただけではなく、商家の建物や蔵座敷としても大いに活用したことが特徴である。寒い気候には却って蔵造りのほうが居住には適していたのだろうか。その蔵座敷として有名なのが、甲斐本家蔵座敷。江戸時代からの名家で、酒造りをはじめ味噌・醤油などの醸造で栄えた甲斐家の座敷である。この蔵座敷は大正時代に建てられたものだが、外見の黒は岡山の烏城をイメージしたものという。

P2121057その後、市内に点在する蔵を見物した後、やってきたのが小原酒造。やはり蔵ときいてしっくり来るのが酒蔵かな。建物自体雰囲気がよさげで、「どうぞご見学ください」という案内もあったのでおじゃまする。「今仕込みをやってるんですが、よかったらどうぞ」と案内されて、その現場に入る。冬といえば酒造りのシーズンで、米を蒸すなどの作業で立ち回っている最中だ。さすがにカメラを向けるのは気が引ける。

この蔵の特徴は、酒の酵母にモーツァルトを聴かせていることだ。音楽を聴かせることで酵母がよりよく発酵するとのことで、演歌やジャズやらベートーベンなど、いろんな実験をした結果、モーツァルトにたどり着いたとか。仕込蔵の中でかすかにオーケストラの演奏が聞こえる。そして出来たのが、この酒造のブランドである「蔵粋(くらしっく)」。酒蔵見学後、子音もとい試飲させてもらったが、何だかスーッと来る。いいやね。酒のクラスによって「オーケストラ」「シンフォニー」「マエストロ」「クラシック」「コンサート」「セレナーデ」などの商品が分かれており、ここは大衆的に「クラシック」とついた特別本醸造の四合瓶を買い求める。

P2121051ここで店の人から聞いたのだが、喜多方は冬の寒さ、そして水のよさが、酒とラーメンという二大名物を産む要素だという。しかし、やはりこの冬の暖冬は異常なほどで、「喜多方にも蔵元が多いのですが、暖かいと酒造りも上手くいかないようですね。温度調節が上手くいかなくて苦労している蔵元さんも多いようですよ」とのこと。いつも冬の寒さで苦労しているというイメージを北国の人に対して持っており、そりゃ寒いより暖かいほうが過ごしやすくていいのではないか、という思いもあるのだが、自然とともに生きる産業にとってみればそれが必ずしも歓迎すべきことではないということだろう。酒も土地のめぐみと気候風土によって産まれるもの。難しいものだ。

四合瓶を土産に喜多方を後にし、会津若松に戻る。そろそろお昼どきである・・・。(続く)

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会津絵ろうそくまつり・ゆきほたる

2007年02月15日 | 旅行記B・東北

会津若松駅でパンフレットを見つけた。「幽玄の時の流れが其処にある。 第8回会津絵ろうそくまつり~ゆきほたる~」。会津の伝統工芸品である絵ろうそくを、市のシンボル鶴ヶ城はじめ市内のあらゆるところに灯すというものである。この日11日までのイベントということで、これは夜の楽しみとして観に行くことにしよう。

というわけで、その前に夕食である。市内をあちこち回った結果、市役所の近くに「会津名物桜肉専門店 吉し多」というのを発見。桜肉といえば馬の肉。よし、今夜は珍しく馬で攻めることにするか。

P2110967カウンターには有名人の色紙も多数飾られている。有名な店なのだろう。ここでまずはいわゆる馬刺しであるところの「桜さしみ」を、会津の地酒「花春」で味わう。東京の居酒屋メニューにも馬刺しはよく見かけるが、いかにも「今冷凍庫から出してきました」というものばかり。それを、魚をさばくかのように目の前で大将が肉塊をさばいて出してくれる。やわらかくて味わいが広がる。馬刺しって、こんなに旨いもんだ。今日はあいにくレバとかハツなどの内蔵モノは入っていなかったのだが、その分、カルビ焼きに冬期限定の桜鍋をいただく。他の店はどうか知らないが、こちらの桜鍋はスキヤキとしゃぶしゃぶの間というもの。鍋に入った汁や野菜の具材、そして生卵はスキヤキのものだが、大将の言葉では馬の肉はあまり煮込まず、しゃぶしゃぶしてちょっと色がつくくらいが旨いのだとか。いやいいねこれは。

P2110969ただ思うに、牛肉や豚肉、鶏肉は「その地のブランド」というのがあるが、馬の肉はどうなのだろうか。会津に馬肉を大量に産出する牧場があるのだろうか。大将と差し向かいなので自然と会話をするようになったのでふとそのことを尋ねたが、詳しいことは教えてもらえなかった。「まあ、北海道とか、いろいろだね」と。まあ、旨ければ北海道だろうが外国産だろうがいいんだけどね。

その足で、鶴ヶ城に向かう。店に入る前は雪の気配もなかったのだが、ここにきてしんしんと降っている。北出丸から場内に入る。

P2110986_1P2110977 すると、そこには幽玄としたほのかな灯りの世界。デザインがほどこされた筒やら、陶器のような器やらに包まれたろうそくが、しずかに辺りを照らしている。

P2111007目を上げれば幻想的に照らされた鶴ヶ城の天守閣。電飾で飾られたライトアップよりも、自然の火の灯りのほうが何だか暖かく感じられる。そのろうそくの灯を絶やさないように、スタッフのジャンパーを着た人たちが目を配って灯をついで回る。酒の酔いのせいもあって、ろうそくの灯がにじんで見える。

さて、パンフレットによれば「ナスカコンサート」というのが行われるそうだ。ナスカといえば「君の中で僕の中で」「金町娘」という作品のあるユニットである。「金町」ということで思いっきり葛飾区の匂いがするのだが、会津でコンサートとはねえ・・・、と思いつつ、本丸前に上がると、テントの中にはデュオの姿が。どうやら思っていたナスカとは違うようだ。

P2110990_1そこで唄われたのが、この「会津絵ろうそくまつり」のテーマソングという「ゆきほたる」。

ぼくたちはゆきほたる 冬のともしび 地上に降りた 北国の星

ぼくたちはゆきほたる 冬のともしび あなたの胸の ちいさな明かり

ボーカルを担当する女性と、ギターを奏でコーラスする男性のハーモニーが絶妙で、雪こそ少ないが冬のまつりのムードを感じさせる。前のほうにいたのでそれだけストレートに感情が伝わってきたといいうのかな。このナスカというデュオ、千代竜太さんと本田華奈子さんという二人組だが、どうやらこの場にいた中で彼らを知らないのは私くらいのようで、地元会津を中心に活動し、地元のFM放送やテレビにもよく出ているとか。ボーカルの本田さんは会津民謡もよくするとか。こういう「ご当地もの」に出会えるのもうれしいものだ。しんしんと降る雪の中、彼らの歌声で心温まる一時。

P2110992_13月には会津でライブを行うとかで、ミニコンサート後にはチケットの販売が行われた。残念ながら私は行けないので、彼らのCD「紅立葵」を購入。歌詞カードに2人の直筆サインを入れてもらった。先ほどのナスカが頭にあったものだから、「ナスカって、ほら最近いるでしょ?」と聞くと、そこは商売からか千代さんのほうが「あ、知ってますよ。バンドの方でしょ」と。そこで、「彼らより全然いいよ。コンサートには行けないけど、これからも頑張ってね」と声をかける。まあ、メジャーデビューというよりは、会津という地に根をおろして、会津の声、ハートというものを伝えてくれる、そんなデュオであってほしいなと勝手に思う。

P2110987本丸前では「ゆきほたる」の花火も上がり、いよいよ絵ろうそくまつりも終盤に向かう。天守閣のライトアップが消え、本当にろうそくの灯りが主役になる。雪は広場に薄く広がる程度なのだが、ムードはよい。ただこの暗さで写真を撮るのは非常に難しい。芝生を仕切る柵を三脚代わりにする。鶴ヶ城自体には2、3回来たことがあるが、こうした夜の風情は初めて。今はこういう魅力的なイベントがあるんだ。先の「大内宿雪まつり」ともども、また訪れたいものである。

雪にちなんだ一日を楽しんだ最後の締めは、会津若松駅すぐの「日帰り温泉 富士の湯」へ。入浴料が350円。タオル・バスタオルに館内着のセットが200円の追加。合計550円で各種浴槽を楽しめる。会津に数多くある温泉とはちょいと趣旨が異なるが、やはり最後は風呂で暖まるのが一番。

翌日は早起きして、往復きっぷの折り返し点である喜多方を目指す・・・。(続く)

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大内宿雪まつり

2007年02月14日 | 旅行記B・東北

P2110870_311日は「大内宿雪まつり」の2日目。町並みの入口から雪で立てた灯籠が並ぶ。昨夜は灯籠に灯がいれられていたという。そして、その灯籠のさらに両側には、茅葺き屋根の家々が立ち並ぶ。いづこも雪をかぶり、軒下にはツララが垂れ下がっている。これだけでも十分雪景色が堪能できるのだが、やはり例年はこんなものではないとのこと。それでも大勢の観光客が街道を行き来している。

P2110933この大内宿、元々は会津と下野を結ぶ街道沿いの宿場町だったのだが、鉄道や国道がこの宿場町を通ることはなかった。そのために「発展」から取り残された形になったのだが、逆にそれが昔ながらの風情を残しているということで、今ではそれが観光客を呼び込むことになっている。町の人にとっては複雑な気持ちかもしれないが。

P2110872まずは腹ごしらえ。ここ大内宿には、白ネギを箸代わりにしてそばをたべさせる店があるというが、長い行列ができていたので断念。まあ、そばが食べられれば普通の箸でいいかという気持ちで、「みなと屋」という茅葺き屋根の店へ。軒先では土産物を並べ、座敷やら土間で食事をするようになっている。囲炉裏もある。ここで会津地鶏のそばに、会津地ビール、そして、米をついてエゴマをあわせた味噌を塗って焼いた「しんごろう」という郷土料理を味わう。どこかの家にお呼ばれして昼をご馳走になっているような雰囲気だ。もともとは普通の民家だったのかもしれない。それが町の客寄せのために土産物屋に転業した・・・?まあ、野暮な推測はやめよう。

P2110881さて雪まつりのほうは各種イベントが行われているようで、ちょうど食事をしていた時間は、そばの早食い競争が行われていたようだ。優勝者にはそば粉一年分という「豪華」賞品とか。ステージの司会の声がスピーカーを通して集落に流れるので、今何が行われているのかがわかる。食後、その声をたどって行くと、元の本陣跡、今は「町並み展示館」という茅葺き屋根の建物がある広場がステージのようだ。ちょうど「クマ汁」の無料振る舞いの行列ができており、食後の私もそれにそそられて列に加わる。雪の蔵も建てられている。もっとも「今年は暖冬のため、雪が溶けやすくなっています。蔵の中には入らないでください」との貼り紙がしてあった。クマの肉というのを食べるのもおそらく初めてのことだが、よく煮込んであり、思ったほど臭みや固さもなく、おいしくいただけた。

P2110887その展示館の中でも囲炉裏の火が焚かれており、町並み見物で冷えた身体を暖める人が多い。雪と火の組み合わせ・・・冬の旅ならではの贅沢な味わいだろう。

P2110908 さて、雪まつりのほうは最後のイベントで仮装行列があるという。この日のエントリーは12組。さまざまな衣装に身を固めたグループがステージに集まってくる。そのたびにカメラが群がる。もっとも仮装といっても、この昔ながらの大内宿。その雰囲気にふさわしく、時代ものの衣装がほとんど。地元の子どもたちやら、商工会の青年部やら、東京から来た家族とか、福島のテレビ局のアナウンサーまで、顔ぶれもさまざま。その表情もさまざま。出発前にはステージで「アピールタイム」というのもあり、それぞれに笑いを取ったり、パフォーマンスを見せたり。

P2110893このお姫様、「高倉以仁王の側室・櫻木姫」に扮しているとか。以仁王といえば反平家の戦いののろしを挙げ、戦には敗れたもののその後の源氏の旗揚げに大きな影響を与えた人物。何でもその以仁王がこの地に落ち延びたという言い伝えがあるそうだ。そして櫻木姫も以仁王の後を追ってこの地にやってきたとか。集落の中に「高倉神社」というのがあるが、この以仁王を祭っている。これは初めて知ったことで、思わぬところで勉強になった。

P2110920P2110926P2110944P2110923

さて、仮装行列がスタート。こうして見ると、昔ながらの町並みの雰囲気とぴったり合っている。初めにこの集落に足を踏み入れた時に「時代劇のセットみたいやな」と思ったのだが、こうしてかつらや着物姿の人物を配すると、ぐっと雰囲気が盛り上がるから不思議だ。(中には非常に寒そうな感じの人もいたが)

P2110946行列が終わる頃には吹雪になり、まあ本当ならこのくらいの寒さなのだろうなという感じ。そして行列のほうは、この「白浪五人男」(といいつつも一人はかかしの人形だが)に扮したグループが優勝。その他、特別賞などもあり、観光客からの祝福を受けていた。その後、行列の人たちは展示館の中の囲炉裏に直行したのは言うまでもない。

P2110954冬のイベントの時に来たのでなかなか楽しかった。ただ、今度は季節を変えてのんびり、静かな雰囲気が味わえればなと思った。ぜひまた来よう。そう思ってさて湯野上温泉駅に戻ろう・・・とタクシー会社に電話したが、先の予約が詰まっており、いつ配車できるかわからないと断られる。現地にいたタクシーに相乗りを申し出たが「予約の客が先だ」とあっさり断られる。・・・ならば、雪中行軍か?道路を見ると雪の上に足跡が続いており、同じように歩いた人がいるのだろう。6キロくらいなら何とかなるか。

P2110957ということで、数多くの観光バスやマイカーに抜かれながら、また先を行く歩行者を抜きながら、1時間かけて湯野上温泉まで歩く。待合室では先ほど見た囲炉裏の火。いや、ありがたいもんですな。

ちょうどこの駅で列車交換。会津田島へ向かう客と会津若松へ向かう客が半々。私はこの先、この日の宿泊地である会津若松を目指す。ただ、先ほどまであれだけあった雪が、山を一つ越えると何もなくなっていた。会津若松駅前も路面は濡れているが積雪なし。夕食の場を求めてまた歩き出す・・・。(続く)

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東武鉄道から会津鉄道へ

2007年02月12日 | 旅行記B・東北

一年でもっとも寒い時期にあたる建国記念の日の連休。昨年は「土日」だったのでごく普通の週末だったが、今年は11~12日を利用して出かけることにした。

行き先は、会津。

会津若松に行くなら新幹線~郡山~磐越西線というのが一般的なルートなのだろうが、今回は趣向を変えて、東武鉄道~野岩鉄道~会津鉄道というルートをとってみることにした。東京から会津への往復用として、東武で「会津往復列車たびきっぷ」というのを発売している。浅草~会津若松間が6900円。その先、喜多方まで行っても7160円。通常の往復で購入するより2000円ほど安くなる。また、東武の鬼怒川温泉・日光近辺がフリー乗降区間であったり、野岩鉄道、会津鉄道の主な駅で途中下車ができる。まずはこのきっぷを事前に購入し、いざ出発。

P2110841_511日、私の自宅から東武線に乗るには北千住が最寄りとなるが、ここは始発からということで、一旦浅草まで出る。会津田島行きの快速に乗る。6000系という、ボックス席主体の車両で、旅行気分が味わえる。6両編成で、前2両が東武日光行き、中2両が会津田島行き、後2両が鬼怒川温泉経由の新藤原止め。さっそく会津田島行きの車両に陣取る。

P2110842そろそろ夜が明け始めた。この日の関東平野も快晴。北千住を過ぎ、高架区間を走るころには左手後方に富士山の姿を見ることもできた。(写真で撮るには、手前に住宅やら何やらたくさんあるので無理だったが、越谷を過ぎてもまだ確認することができた)

そのまま関東平野を北上し、新藤原から野岩鉄道に入る。そろそろ山がちな区間で、トンネルが多くなる。会津と関東を結ぶ鉄道の計画は昔からあったのだが、その最後の難所だったのがこの区間である。

P2110848_1長いトンネルを抜けると、それまで快晴だった空が急に暗くなり、窓の外ではなんと粉雪が舞っているではないか。そして列車が進むに連れ、周囲は雪景色。例年にない暖冬ということで、通常の積雪量はこんなもんではないのだろうが、私にとってはこの冬初めて見た雪景色ということで、じっと窓の外に目を凝らす。浅草から3時間あまり、時間的には近いようで遠いところに来たなと実感する。

P2110853_1会津田島着。会津鉄道の南側の基点であり、南会津の中心的な町である。ここで1列車遅らせて、駅から徒歩10分ほどのところにある合同庁舎の敷地内にある旧南会津郡役所を見学。明治時代に建てられた擬洋風木造建築物という。会津田島で行われている祇園祭の写真や、江戸時代の年貢減免の争議に関する資料、そして、野岩鉄道設立に向けての先人の運動に関する資料などが展示されている。会津若松から会津田島を通り、下野の国を鉄道で結ぶという動きが、全国に鉄道が広がりつつあった当初からなされていたことがわかる。ただ実現した時には国鉄が斜陽を迎え、第三セクターでの開通となったのは皮肉というか時代の流れというか。それでも、細々とした路線といえども、会津の人にとっては重要な足であり、今こうして観光面で首都圏からの客が訪れるようになったのはよいことではないだろうか。

P2110856会津田島からの気動車は、会津が産んだ偉人・野口英世にちなんだ車両である。英世の母が英世あてに送った手紙の文字をそのまま車両にあしらっているのだが、こうして見ると「耳なし芳一」のようにも見える。どこか文字を書き忘れていないかと心配だ。

再び雪景色の中を走り、湯野上温泉着。ここで下車する。全国でもおそらく唯一の、茅葺き屋根をあしらった駅舎である。ちょうど行き違いで、団体を乗せたお座敷列車がホームに停まっている。なかなか絵になる構図だ。駅舎の中には本物の火をくべた囲炉裏を囲んでの休憩スペースや、土産物コーナーもある。地元の人たちがきっぷも売れば観光案内もし、注文があればコーヒーに甘酒の給仕も行う。

P2110863さて、この茅葺き屋根に誘われたこともあるが、ここから最近注目されている宿場町・大内宿を目指す。ちょうど前日の10日、そして今日11日と、「大内宿雪まつり」というのが行われているようだ。雪に埋もれた宿場町。何だか楽しみだ。ただ問題なのは、湯野上温泉駅から6キロくらいのところだが、バスの便が設定されていないとのこと。ということで、駅前にやってきたタクシーを捕まえる。ちょうど同じようにやってきた家族3人連れと相乗り。これでタクシー代の負担も軽くなる。まあ、バスも通わないというのはそれだけ秘境的でいいのだろうが、こういう祭りの日くらい臨時のシャトルバスを出すとか、せっかく来たのだから受け入れ体制をしっかりしてほしいなあ。湯野上温泉の旅館に泊まる人については宿の車で送迎してくれるそうだが、途中下車で立ち寄る個人の客には何もないようだ。

さて、タクシーで15分くらいで大内宿の入口に着く。さて、雪まつりの賑わいは・・・・?(続く)

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OK食堂

2007年02月10日 | まち歩き

ホッピーを飲みたいなと思い、どこか新たな店はないかと検索するに、最寄り亀有駅前に、「鳥やき昭和広場 OK食堂」なる店を見つける。店名はどう見てもあのボクシング元世界王者のあのセリフからとったと思われるのだが・・。

「昭和」という名前から察せられるように、店内は最近はやりの「昭和レトロ風」の佇まい。つくりものとはわかっているが、こういう演出は好きである。インテリアの売りは昭和30年代だが、流れるBGMは昭和50~60年代のもの。

この手の店は値段もなるたけ昭和風にということで、値段も良心的。焼き鳥は、10種10本がてんこ盛りのキャベツの上に乗っかってくる「全員集合」がおすすめ。ホッピーにハイボールを味わい、まだ若い感じのマスターとも話がはずむ。あちらもまだオープンしたて。「常連客」を取り込みたいところだろう。私も、会社の近くで高い値段で飲むのなら、電車に乗っている間を我慢してこちらに通うのがいいかな、とふと思う。

30878858「下町酒場巡礼」(大川渉・平岡海人・宮前栄著、ちくま文庫版)という一冊がある。こちらでは下町の昔ながらの風情ある酒場を文字通り「巡礼」する中で出会った名店が紹介されている。この人たちにいわせれば、チェーン系居酒屋はもちろん外道であり、またこういうインテリアだけで「昭和」を気取った店というのはエセ以外の何者ではないだろうが、飲みたい客それぞれに合った店、入りやすい店というのがあるだろう。私などは、昔ながらの店のほうが「料金不明瞭」なところがあったり、親父と常連客がベッタリしていることが多く、そのほうがイヤだなと思うのだが・・。お気に入りの店というのはのんべえそれぞれにあっていいでしょう。

それはさておき、「OK食堂」、すぐにノックアウトされて閉店・・・ということのないように。また仕事帰りにでも立ち寄るとしよう。

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青春18きっぷが8000円

2007年02月09日 | ブログ

今年の4月で、国鉄からJR民営化になって20周年という。早いものですな。私がちょうど本格的に列車に乗ってどこかに出かけようという行為に走り出したのがちょうど国鉄からJRになったあたりだったのだが、あれから20年経ったのかと感慨深くなる。あの年の3月31日から4月1日にかけて、国鉄からJRに移行するというのでテレビ各局が特番を組んで、当時中学生だった私も確かTBS系だったかの番組をビデオで録画したのだったが、いつしかそのテープもどこかに失われてしまった。番組の断片は今でも記憶に残っているのだが、今思えばもったいなかったかな。

それはさておき、この春の「青春18きっぷ」、通常なら11500円のところ、JR発足20周年ということで、8000円に値下げして販売されるという。この話題、「kizasi語ランキング」でもダントツの一位でしたな。

なぜ8000円なのかという根拠はよくわからないが、まあ20周年感謝価格ということでありがたく使わせていただこう。これが枚数限定で販売されるのなら「売り切れたらどうしよう」と気を揉むのだが、今やJR東日本ならみどりの券売機で即購入できるくらいの代物だから、そんな心配は無用。

一回あたり1600円ですからね、こうなりゃとことん「元がとれる」旅をしなければいかんでしょう・・・。また「人気のローカル線」となると、余計に「タダの客」で混雑するんだろうな。

20年の間に日本の鉄道の様相はかなり変わったのではないだろうか。JRオリジナルの車両や設備がどんどん普及し、確かに快適に旅ができる環境は整備されたと思う。その一方で、ローカル線が国鉄時代以上にドライに無情に切り捨てられたり、昔ながらの汽車旅の風情が失われたという面もある。単純にどちらがいいというものではない。ただ、鉄道が単なる移動の手段ではなく、それ自体を楽しむスペースとして広く一般に認知されるようになったのは民営化以降のことであり、その意味ではおおむねプラスに働いていると見ていいだろう。

この春は、その意味でJR発足20周年を祝うとともに、これからの鉄道のあり方を考えられるような旅ができればと思うのである。

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