まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

久しぶりにソフトボールに挑戦 

2006年04月29日 | ブログ

GW初日の29日、とあるレジャーサークルのイベントへの初参加ということで、埼玉県内某所で行われたソフトボールに汗を流した。何か「身体を動かす機会」を持とうということで、たまたま見つけたサークルである。

グラブをはめてキャッチボールをしたり、バッティングセンター以外のところで思い切りバットを振るのも久しぶりである。身体を動かすうちに、温まるどころか暑く感じられる。初対面の人間ばかりであるので、「フルスイング」で名刺代わりとする。

このサークルは主にレジャーやスポーツを楽しむとかで、スポーツ未経験者も歓迎とか。女性の参加も多く、中学時代にソフトボールをやっていた人も何人かいたようだが、基本的なところを、野球部出身の幹事役がまず技術指導をして、ひととおりの形にはなった。

そして実戦。男女混成チームをつくり、ストライク、ボールの判定はなし、女性は三振もなしという特別ルールでの試合。

私も第1試合では力んだのか、この手のソフトボールではありえない三振を喰らったりもしたが、第2試合では豪打をぶちかますこともでき、楽しくプレーできた。(それにしてもベースランニングでの鈍足ぶりには自分でもあきれる。出塁後、次の打者がランニングホームランの当たりをかっとばしたが、危うく追い越されそうになった)

試合後はスーパー銭湯で汗を落とし、夜は懇親の宴会。

ただ、気配りがほしかったのが、私のような初参加者に対して、そんなに改まった感じでなくてもよいのだが自己紹介をさせてくれるとか、(本日このソフトボールに参加したのが、サークル全体からすればごく一部の参加者だということだが)どういう人たちなのか紹介してもらう時間があればということ。宴会での懇親ということだが、一部の人間のさほど面白くない話やボケに全体の雰囲気が支配されており、常連には楽しいのだろうが初参加者にはちと辛かった。そのあたりは私が積極的に交わればいいのかもしれないが、雰囲気がわからないうちは幹事役の気配りがあったほうがよかった。

毎週土日・祝日には首都圏のどこかしらでスポーツやレジャーイベントをやっているようであるが、今後参加するかどうかはまだ決めかねている。まあ、今日のところは雰囲気のつかみということで・・・。

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JR福知山線脱線事故から1年

2006年04月25日 | ブログ

・・・4月25日、おそらく今日ブログを書いている人がもっとも多く取り上げているニュースだと思う。

改めて、犠牲となった方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方へのお見舞いを申し上げます。

あれから1年と思うか、まだ1年と思うか。

事故発生当時は大阪に住んでいたこともあり、連日、関西のテレビ、新聞などを中心にして、あの事故についてさまざまな側面からとらえた記事を目にしたものである。それが時が経つにつれ、また私が東京に転居したこともあり、いつしか「過去の出来事」になったようである。ライブドア問題、マンション耐震強度偽装問題など、企業というものの存在のあり方、ともすれば「資本主義=金もうけ主義=悪」という論理で糾弾される事件が多く表面化したこともあるだろう。

さすがに事故から1年ということで、遺族の悲しみを追いかける番組や特集などが組まれることが多くなってきたが、その一方、鉄道の安全性、スピード、ダイヤ構成、定時性など、さまざまな角度から見て今後の鉄道がどうあるべきかという論議は、まだまだ結論が出ていない。それだけ難しい要素を持つということだろう。もう少し、これからどうするのかというJR側の観点に立った建設的な報道がほしかった。

もっとも、朝のワイドショー番組に出まくってピントのずれた自論を押し通し、かなりのヒンシュクを買ったK島R三のような「アナリスト」には何も言ってほしくないけどね・・・・。

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岡本太郎とサザエさん(2)

2006年04月24日 | まち歩き

東急田園都市線で桜新町着。地下のホームから上にあがるとテントの姿が見え、大勢の歓声があがっていた。

20064_019 この23日は「さくら祭り」というのが行われており、道路が歩行者天国として開放され、多くの屋台やらバザー、地元の消防署による防災のPRコーナーや、水道局の「東京水」PRコーナーなどが並んでいた。もっとも、祭りにつきもののテキヤが大挙して店を連ねているわけではなく、あくまで地元商店街の主催による出店のようだ。

ソメイヨシノなどは東京ではとっくの昔に散っていたが(そういえば、桜前線が東京を過ぎると、あとの東北や北海道での開花状況のニュースがパタリと入ってこなくなるのはいかがなものかと思うのだが)、ここ桜新町の桜は遅咲きの八重桜が多いためか、見ごろは過ぎたもののまだまだ花もついている。「さくら祭り」にはまずまずふさわしい時期か。雨の予報が出ているが天気はまだ何とか持っている。

20064_029 さて、世田谷・桜新町といえば漫画「サザエさん」の舞台である。その名も「サザエさん通り」というのもあるし、いたるところにサザエさんやカツオ君の絵が街行く人に笑いかけている。

「さくら祭り」にはサザエさんも欠かせないようで、また今年は「サザエさん生誕60年」という。新聞の4コマ漫画として登場して60年である。現在放送しているアニメの「サザエさん」も、細かい場面こそ「今風」になっているところもあるが、家族構成やら年齢やらという基本的な設定が60年前とほとんど変わっていなかったり、4コマ漫画的な「ネタ」は繰り返し何度も出てきているが、見るものを飽きさせない。考えてみれば不思議なものである。

20064_026_1 ちょうど、道路上に設けられたステージでは「サザエさんとジャンケン大会」というのが行われていた。ステージ上にはサザエさん一家のパネルが並べられるとともに、特別ゲストとして、サザエさんの声を担当している加藤みどりさんも登場。あの掛け声でいつも番組の最後でやる「ジャンケンポン!」勝負、勝ち残った見物客には記念品がもらえるという。私も「ジャンケン」とやったが、2回戦以降先に進めず、残念ながら商品はもらえず。

「サザエさん」関係では、普段はお台場で売っている「サザエさん焼き」の屋台に行列。やはり人気というのはすごい。

20064_033 祭り会場を離れ、「サザエさん通り」を南へ。昔ながらのほのぼのとした感じの商店街を抜け、閑静な住宅街に入るとレンガ色の建物に出会う。ここが「長谷川町子美術館」である。元々は長谷川町子が生前から収集していた美術作品を展示した美術館。春ということで、桜を描いた絵画作品が見事。

ただ、見学客のお目当てはやはりサザエさん関係。磯野家の模型や家系図も並べられ、「へぇ~」を連発する見学客たち。さらには昔の漫画の解説やビデオ上映もあり、単行本も置かれて閲覧できるようになっている。私も単行本を取って、しばしニンマリとする。

基本的な4コマ漫画の「オチ」は今も昔も通じるものがあるが、四季おりおりのネタのほかにも、年代ごとに当時の世相や、新しく普及した家電製品などがネタとして取り上げられており、そのあたりに「変わるものと変わらないもの」を見る。その使い分けが、年代を超えて楽しめる漫画といわれる所以であろう。

20064_032_2 もっとも、私の知り合いにかつて「サザエさんの世界は、男性が偉そうにしていて、父親を絶対権力の持ち主とした旧弊な封建家庭であり、男女平等の観点から許されるべきものではない」とのたまっていた女性がいた。まあ、見ようによればそうなのかもしれないが、そういう見方でしか捕えられないのは悲しいことではないだろうか。波平さんやマスオさんが絶対権力の持ち主であるわけはないでしょうに・・・。

美術館でしばし楽しんだ後に、桜新町駅に戻る。「さくら祭り」を後にし、同じ世田谷の三軒茶屋に向かう。この街に降り立ったのは初めてだが、世田谷のランドマーク的存在の「キャロットタワー」に、昔ながらの雑然とした飲み屋街、住宅などが混在する独特の雰囲気を持つエリアである。

20064_037 この三軒茶屋から出るのが東急世田谷線。住宅の軒先をかすめて走るミニ電車で、広島電鉄の宮島線や、江ノ電のようなもの。新型のRTCタイプの車両が世田谷の街を行く。「サザエさん」には東急の田園都市線より、こちらの庶民派電車のほうがよく似合う。

青山、世田谷・・・山手線の内外で対照的な風情を感じることができる。

20064_041_1 なかなかに充実した街歩きであった。20064_045_2

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岡本太郎とサザエさん(1)

2006年04月23日 | まち歩き

今日23日、あいにくと雲の広がる天気ではあったが、せっかくの日曜日である。どこかに出歩くとしよう。

いつもの下町を離れ、表参道、青山に降り立つ。同じ東京23区内とはいえ、やはりおしゃれなエリアということでもあり、通りに並ぶ店の外観や、取り扱っているものは下町とはやはり違う。

20064_001_3 そんな青山の一角にある「岡本太郎記念館」。ふとしたことでこのスポットの存在を知り、ならばと出かけることにしたのである。周りにはアトリエやら、創造作品にこだわったブティックなどが多数存在し、なるほど、エリア全体がアートの世界の雰囲気を醸し出している。

記念館は岡本太郎のアトリエや庭をそのまま作品の展示室として再現している。「どうぞ写真もご自由に撮ってください」と、普通の美術館や資料館のような施設ではめったにない声もかけられる。

岡本太郎自身が亡くなったのが1996年というから、10年の年月が経っている。それでも、展示室の一角には彼の表情を20064_005豊かに表わした彼自身の人形も「例のポーズ」で立っていた。アトリエの雰囲気も含めて、いつ岡本太郎が動き出して「爆発だ!」なんていうのではないかという気もする。

20064_016_1 それにしても、「太陽の塔」をはじめとして、彼のいろんな表情を見せる作品群に囲まれていると、圧倒される。「これと同じものを発想して造れ」といわれても、一般人には到底できないこと。記念館でこういう作品群に囲まれると、なんだか「常識」というものが「創造」に圧倒されるのを感じる。かといって「現代美術館」という類の建物の雰囲気ともまた一味違う。どう説明すればいいのかな・・・。

20064_013_3 「芸術家」と称される岡本太郎であるが、何も大掛かりなオブジェばかり造っていたわけではなく、ネクタイやTシャツのデザインをやったり、中には喫茶店やバーのマッチ箱のデザインや、色紙などのデザインも手がけている。日頃の「口銭」はこういう仕事で稼いでいたのだろうか。「芸術家」といえども、このような大衆向けの「小口」の仕事をこなすことにより、「集大成」とされる大掛かりな作品へのステップとしていたということだろうか。

20064_011_2 そして何よりも私にとっても印象深いのが、今は亡き「近鉄バファローズ」のヘルメットや帽子にデザインされた、あの前衛的な猛牛のモチーフである。そのヘルメット、帽子も展示品の一つに加えられており、思わず懐かしさをこめて見とれてしまった。

そういえば、80年代後半から90年代前半、パ・リーグの覇権を西武と近鉄が毎年のように争っていたが、近鉄バファローズの牛のマークが岡本太郎デザインなのに対して、西武ライオンズのレオのマークは手塚治虫の「ジャングル大帝レオ」がルーツである。爆発した芸術家と、日本漫画界の王道。この対比も面白い。今にして思うのだが、オリックス・バファローズのユニフォームでもどこでもいいから、この猛牛マークを残すことができなかったのかな。ユニフォームの左袖に「近鉄」のロゴを残すよりは、このマークをあしらったほうが旧近鉄ファンとしてもより親しみやすくなると思うのだが・・・・。

20064_006_1 記念館の展示品といい、周りの閑静な住宅地との組み合わせといい、アートに触れるには実にふさわしい環境である。また川崎市に「岡本太郎美術館」というのもあるらしく、いずれ行ってみようかと思う。

青山あたりをしばらくぶらついた後、地下鉄の表参道駅から半蔵門線~東急田園都市線直通にて、桜新町駅に向かう。こちらのスポットはあの「サザエさん」の舞台となったところである・・・(続く)。

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ゴルフには金がかかる・・・

2006年04月22日 | ブログ

104450_img3_1 今日は天気もよく、またゴルフコースデビューが近いこともあり、朝から練習場に出かける。そろそろ時候がよくなり、あちこちでコンペが開かれるからだろうか、いつも以上の盛況である。いつも以上にスイングの数をこなしたのだが、大丈夫だろうか。

ところで、練習場に行くだけであれば極端な話クラブさえ持っていれば可能なのだが(もっと極端な話をすれば、レンタル料を払ってクラブを借りることさえできる)、ふと思い至ったのは、実際のコースに出るにはいろいろな「小道具」を用意する必要があるということである。

というわけで、午後はゴルフショップの林立する御徒町に出ていろんなものを調達する。

まず、当たり前の話だがボールがいる。どうせ初心者なのだからメーカーの高級品をそろえることもなく、山積みのロストボールを買い求める。

続いてはティー。これも長さの調節できるものや、折れにくい材質のものなどいろいろある。これもある程度長いものをまとめて購入する。

さらにはグリーンフォーク。ボールがグリーン上に落下した際の衝撃などでグリーンに傷がついた場合、これで修復するのがマナーという。はいはい、これも買いましょうか。

そんでもって、グリーン上のマーカーが必要。・・・これは先日神戸に野球を観に行った時に、オリックス・バファローズのロゴマークが入ったマーカーを見つけて買っておいたので、これはいいか(種目が違うが・・・)。

そのほかには、「カウンターがあったほうがいいよ」という勧めを受けていたので、小型のカウンターを求める。一打ごとにカチッとやって打数を表示させるというアナログのもの。

ついでに、これらの小物はプレー中すぐに出し入れできるような、ホルダーのようなものがあればとも言われたので、ベルトに通す形のホルダーも用意する。

 

小道具といっても、何だかんだといろいろ取り揃えなければならないものである・・・。

 

そしてここまで来たのだからと、ウェアに手袋、そしてレインコートまで揃えることに。

で、締めていくら?

 

うーん、安売りを旨とするこの店でも、結構するもんやなあ・・・。

 

ある程度初期投資のようなところもあるのだろうが、改めてゴルフというのは「道具代」のかかるスポーツであると実感。そして実際のプレーにあたってはコース代や足代やら何やらがさらに上乗せされる。ボール一つさえあればすぐどこででもできるサッカーなどとは費用の面でも対照的だ。

まあ、この投資が無駄になることのないよう、楽しみたいものではあるが。

 

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相次ぐ文化財への落書き

2006年04月20日 | ブログ

国宝であり、世界遺産でもある斑鳩の法隆寺の東大門に「みんな大スき」と落書きをされていたり、また国宝・彦根城内の重要文化財の櫓に「横井」という落書きがなされていたりと、このところ文化財へのこうした行いが相次いで報道されている。

どうしてこのようなことをするのか、全く理解に苦しむ。

よくガード下なんかにスプレーでデザイン感覚で(といって何を書いているのかわからないが)落書きされている光景を見るが、文化財に落書きする連中からすれば、歴史とか過去からの文化遺産とかいうのは単なる古ぼけたキャンバスであり、その辺のコンクリートの壁とか、公衆便所の個室の壁となんら変わりないということなのかな。

またその内容というのが、文化財の存在に対する挑戦的なメッセージとか、いやアートとして作者の主張が込められているのだというのならまだ読みようもあるが、それらとは全く関係のない、どうでもいい一言。

逆にいえば、教科書だけでは学べない先人の知恵と技術の結晶である文化財の価値というのが、ここまで薄れてきてしまっているのかもしれない。別に寺や城なんて古臭いものなんてのは、あっても実生活には役に立たないしね。そんなものはどんどん捨てて、新しいものに変えていくのが現代社会を「勝ち残る」ための最良の方策だとされているし。

ところで、改定される教育基本法の前文だかどこかに、「愛国心」という言葉を入れるか入れないかでもめていたようだ。結局、郷土を愛するとか何とかいう表現にするようだが。

細かい言葉尻はおいておくとして、やはり歴史をきちんと教える、文化遺産の価値というものもきちんと教える、そのことも「郷土を愛する」の一環として盛り込む必要があるだろうな・・・。

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ゴルフコースデビュー決定

2006年04月19日 | ブログ

実は昨年の暮れにゴルフクラブを買い求め、ちょくちょく練習場にも通っていたのだが、とうとう、このGW期間中にコースデビューすることが確実となった。

職場の中で結構ゴルフの話題が出ることもあり、この歳までクラブを握ったこともなかったのだが、そこは交際の幅を広げるという意味で勧められたというのが実情である。さまざまなことに挑戦するのはよいことだろう。

以降、自宅近くの練習場が「打ち放題」をやっているということもあり、とにかくスイングの数をこなすことを心がけてきた。だいたいが、PW→9I→6I→FW→ドライバーという順番で、このうちミドルアイアンとショートアイアンの練習を兼ねて6Iを徹底して振り込むというのが私のスタイル(といえるほどのものは確立できていないが)である。

それでも、練習場と実際のコースでは条件はまるっきり異なるし、果たしてどうなることやらである。特にドライバーなどは、練習場ではきれいにスライスするし・・・。幸い、職場の自分のいるセクションの人間同士のコンペだから、多少は気軽にプレーできるかな。

さて、残り少ない時間ではあるが、少しでも打球の弾道が正面に向かうように心したいものである・・・・。

 

 

 

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スカイマークスタジアム観戦記

2006年04月18日 | 旅行記E・関西

20064_045_1 16日の日曜日、前日とはうって変わっての晴天。前日は大阪の実家に宿泊し、今朝の天候の具合を見ていたのだが、これなら大丈夫だろう。前日に引き続きスカイマークスタジアムに乗り込む。

正面ゲートには入場を待つ長い行列。おっ、日曜日とあって満員かな。と思いきやそうではなく、この球場、内野の入場口が正面1ヶ所しかなく、おまけに手荷物検査をするわ、その上で「混雑防止」のためにゲートの前でも停めさせるわで、なかなか進まないのである。

20064_046 そりゃ、危険防止の主旨はわかるけどね・・・しかし、11時30分開門時間に入場列に加わって、実際に観客席に入れたのが12時前というのは少し待たせすぎではないか。せめて手荷物検査くらいは行列を待つ間に済ませるとか、何か工夫のしようがあるようにも思うのだが・・・。グラウンドの風情がお気に入りの球場だが、ここのところだけがいつも不満といえば不満に思うところでもある。

20064_052 この球場での私の定位置ともいえる、内野2階自由席の一塁ベンチ上の位置あたりに陣取る。シートに腰をかけてしまえば心地よい風が神戸の山の中を駆け抜ける。ゆったりできるのも2階席ならではだ。

さて、今日は食べ物にお目当て。スカイマークスタジアムの食事情はなかなか充実しており、淡路屋の駅弁や「ライスボール(おにぎり)」、中華料理、ナン&カレーなどいろいろある。同じオリックスの本拠地でも大阪ドームの食事は目も当てられないくらいの貧弱さなのだが・・・。

有名なのは泉州の食材をふんだんに盛り込んだ「清原弁当」に、近鉄時代の復刻版「中村ノリ弁当」であるが、この両方ともあっという間に売り切れとなったようである。

そして、今年の新メニューは中村は中村でも「中村勝つバーガー」。中村勝広監督の名前からとったものであるが・・・。

20064_048 内野スタンドの入口脇にワゴンが出ていたので買い求める。ビーフ600円、ポーク500円。その場でパンにレタスなど挟み込み、最後にビーフカツ(ポークカツ)を挟んでこしらえてくれる。スタンドに持ち帰って早速味わってみたが、バーガーとしてはそこそこの味。絶品とはいかないが、まずくはないといったところか。包み紙に中村監督の似顔絵がデザインされているのがポイント。最近「敵に勝つ」といって「カツ」を食べるという「しゃれた食生活」が失われている中?で、食の選択肢としてあってもよいだろう。

続いてもう一品。今度は「中村勝カレー」。こちらは、うどんやら焼きそばやらを売っているコーナーの奥で、買い求める人の行列ができていた。なかなかの盛況のようである。

ただ中には「普通のカレーちょうだい」という人も。そういう人にも同じようにカレーを注いでいたから、つまりは同じ代物である。

では何が違うか。「勝カレー」だから、カツ入ってます。そんでもって、外側に「中村勝カレー」と記したカバーがつきます(といっても、今度は中村監督の似顔絵はなかったが)。20064_049_1

ただ、要はそれだけ。これで900円・・・とはちと高い。普通のカレーが500円だったから、カツ割り増しで200円として700円くらいのものだろう。え、これに監督のネーミングライツがつくの? なんだか、去年まで「カツカレー 700円」で売っていた商品が、「中村」をつけて値上げしたような印象がある。この次に注文する時は、普通のカレーで充分だろう。

さてカレーを食べたりするうちに、先発メンバーの発表。先発投手はオリックスが川越、楽天が左腕のインチェ。20064_053

ここで「中村采配」が出る。なんと1番に今季絶不調のブランボーを起用。何でまたそんな手を使うかな~(案の定、ブランボーは3打数無安打。3度目の打席の後の守備で、平野恵一に交代。そしてこの試合後、グラボースキーと入れ替えで2軍行きとなった。これから先、彼の姿を日本で見ることはあるのだろうか)。

そんな「中村采配」のおかげか、試合は楽天相手といえども点の取り合いとなった。

20064_054_1 3回にオリックス・阿部のエラーをきっかけに、礒部のタイムリー、山崎のポテンヒットで楽天が3点を先制。するとその裏、エラーをした阿部が帳消しの2ランで追い上げる。

4回裏には大西の2ランでオリックス4対3と逆転。しかし5回表、川越が踏ん張れずに礒部に2ランを浴び、4対5。

だがオリックスも負けない。その裏、主砲・中村ノリがレフトへ豪快な逆転2ラン。久しぶりに彼のフルスイング、左手を高々と上げてバットを放り投げるフォロースルーを目にする。何だかんだいって、バファローズファンは彼の一撃を待っていたのだ。

20064_059 さあ、これで6対5と逆転、直後にはルーキーで先発ローテ入りの平野が、登板間隔が開いたために中継ぎ登板。楽天打線をきちんと抑える。このまま行けばオリックスの勝利、お立ち台は久しぶりのノリかな、と思っていたのだが・・・・・。

終わってみれば、4時間を越える延長10回、7対6で楽天の勝利。

試合としては面白かったのだが、やっぱり勝たないとなあ・・・・。

カレーの悪口を言ったせいだったりして。

関西を離れたのでそう毎試合というわけにはいかないが、この球場の雰囲気はなかなかないものなので、また機会を作って来てみたい。

その時もやはり、「スカイマークでスカイマークへ」というルートかな?

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神戸休暇

2006年04月18日 | 旅行記E・関西

20064_018 15日に神戸空港に降り立ったものの、結局スカイマークスタジアムでのオリックス対楽天戦を流した私とS氏。男2人だが「神戸休暇」を楽しむことにする。

総合運動公園駅の改札を出ずに、そのまま地下鉄山手線で新長田まで引き返す。ここで湾岸線に乗り換え、旧居留地・大丸前駅に向かう。三宮から大回り乗車をした形になるが、運賃はしっかり330円取られた。20064_022

まずは大丸を基点として、旧居留地めぐり。レトロな石造りの建物が続く。それらのほとんどが、大丸はじめいろんな店が入っているのが特徴。ただ、旧日本郵船ビルに大きいサイズの紳士服店が入っていたり、豆腐屋ののれんが掛けられたりしているのを見ると、どこか違和感を感じる。建物を有効に使うという点ではいいのかもしれないが・・・。

20064_027_2 神戸市立博物館。ここでは「江戸の誘惑」展が開催中。江戸の誘惑・・・肉筆の数々・・・何やら怪しげなものを感じるなあ。この誘惑にはかなり魅かれるものがあったが、そこはグッとこらえて?見送り。

結局食欲を満たそうということで、南京町へ。雨にもかかわらず大勢の観光客で賑わう。いろんな食材が店頭に並び、食欲をそそる。ここはいろんなメニューが味わえるバイキングの店へ。なかなかにボリュームあり、大いに胃袋を満たす。

20064_032_1 ・・・てな感じで旧居留地と中華街で過ごしたのだが、まだ時間はある。神戸という街も見所はたくさんあるのだが、北野の異人館通りなどは、男2人で行くようなスポットではないだろう。また港の方に行く手もあるが、雨のせいかどうも決め手に欠ける。

そこで出たのが、いっそ山を越えて、有馬温泉にでも行こうか・・というもの。山と海の両方の顔を持つ神戸の街を楽しむにはもってこいのスポットではないだろうか。というわけで、地下鉄三宮から北神急行電鉄経由で谷上へ。この六甲山地を貫通する路線、トンネルばかりの車窓に潤いを与えるためか、闇の中に小鳥やリスのシルエットが浮かぶしかけがある。ここでオリックスの中村監督の顔が浮かんだら・・・と想像するが、ちょっと怖いかな。

20064_035_1 港町神戸の市街から、トンネルを抜けると雪国・・ではなかったが、谷上駅はすっかり山の中である。風も冷たく、雨もシトシト降っている。ここから神戸電鉄のローカル車両に乗り込む。昭和48年製とかいう2ドア車がまだまだ頑張っている。

雨の山中だが、まだ桜が咲いている。東京ではほとんど終わった桜だが、線路際にも結構咲いており、絵になる風景である。また花見ができるとは、得した気分だ。

有馬口から有馬温泉行きに乗り換え。一駅走って、有馬温泉着。神戸の市街地から30分ちょっとでこの風情ある温泉地に来ることができる。運賃が関西の交通機関にしては割高感があるが、それでも車窓の変化を味わう旅としては致し方のないところ。

20064_036_1 その有馬の町、いたるところで満開の桜を楽しむことができる。有馬川沿い、古寺の境内、花を愛でつつのぶらり紀行である。「何だか、旅番組にこんなんありそうやねー」とは同行のS氏。

せっかく来たのだからと、有馬の元湯である「金の湯」に入浴。建物自体は新しいが、外湯としての伝統は古い。

20064_038 鉄分を多く含む有馬独特の湯。湯の色も「金」というよりは「赤」「鉄分」というもの。タオルを浴槽につけると鉄色に染まる。神経痛や慢性皮膚病に効くとのことだが、この湯の色を見ただけで、薬用効果がありそうなのがわかる。よくスーパー銭湯などで、漢方薬や薬草を入れた風呂があるが、あんな感じ。

「金の湯」に入ったのだから、これと対をなす「銀の湯」にも入る。それぞれ単独の入浴料は650円と550円だが、2館共通セットの入浴券だと850円。こちらは新しくできた外湯という。

「金の湯」とは対照的にこちらは無色透明の炭酸泉。なんだか、金の湯を楽しんだ後の「締め」で入るような役目のようだ。金の湯より空いており、しばしこちらでゆっくりする。

浴室から上がり、休憩スペースへ。すると、テレビで甲子園球場の阪神対広島戦を中継していた。同じ兵庫なのに・・・甲子園ができて神戸球場ができないというのも、気象条件が微妙に違うのだろうか。前にも同じようなことを経験したことがある。

20064_069 温泉のはしごで日頃の疲れを癒し、桜を愛でつつ駅に戻る。有馬温泉からはバスで直接梅田や三宮に出ることもできるのだが、途中の道路混雑も予想されるので、再び神戸電鉄に乗車。有馬口からはさらに北、三田方面を目指す。車両はまたしても昭和48年製の2ドア車。ここまで来れば、ローカル線の旅である。「神戸市内」でこういう風情が味わえるとは思わなかったなあ。これも野球が中止になったことの恩恵?かな。

神戸空港に始まって、港町めぐり、グルメ、温泉、ローカル線と、目まぐるしく過ぎた「神戸休暇」。野球の雨天中止の残念さを補ってあまりあるものだった。

今度は「晴れ」の日に、こういう回り方をするのも面白いだろう・・・・。

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※スカイマークスタジアムへは、翌日の16日に再挑戦ということで観戦に訪れた。その観戦記はこの次に・・・。

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スカイマーク・エアラインズでスカイマーク・スタジアムへ・・・

2006年04月16日 | 旅行記E・関西

20064_002 先月16日、神戸新空港「マリンエア」が開港して1ヶ月。この空港建設に関しては賛否両論あるわけだが、せっかくできたのだからと一度のぞいてみることにする。

そしてちょうど15、16の週末は、神戸スカイマーク・スタジアムでオリックス・バファローズ対楽天イーグルス戦がある。今季神戸初観戦ということで、この日に照準を合わせる。そして、スカイマーク・スタジアムへ行くのだからと、15日の朝の羽田からのスカイマーク・エアラインズの便を押さえる。何かとお騒がせの航空会社であるが、やはり価格の安さというのは大きなセールスポイントのようで、この週末の神戸便は軒並み満席のようだった。

20064_062_1 15日朝、羽田空港に向かう。第2ターミナルの端の方がスカイマークの窓口。自動チェックイン機がなく、事前にネットで申し込んだ場合は決済用のクレジットカードを窓口に差し出してチェックイン。

さて搭乗。左右3列ずつの小型機。さまざまな制約でジャンボが乗り入れられないというのはあるだろうが、羽田から出る便がこんなことでいいのかという気もする。

機内はシンプルを旨としており、オーディオやテレビモニタ、飲み物などのサービスなどは一切なし。それはそれで、値段にも還元されることだし、また機内で余計に構われることがなくて気楽だ。客室乗務員に懇切丁寧にサービスしてもらうのも快適な空の旅なのだろうが、何だかこちらが逆に気を遣ってしまう。

20064_006_2 出発時の東京は晴れ、上空から富士山も見られたのだが、西へ向かうにつれて雲が広がり、視界も悪くなる。やはり西日本の雨の予報はそのまま当たっているようだ。

着陸となり、空港の西側、明石海峡方面から高度をさげて滑走路に進入する。当たり前のことだが、スカイマークで無事に神戸に上陸。

さて、「マリンエア」見学である。到着ロビーから出発ロビーへと足を向ける。航空会社のカウンターや、神戸みやげ、そして、吉本興業や阪神タイガースのキャラクターグッズを売る店が並ぶ。この店には珍しいことにオリックス・バファローズグッズも並んでいた。どのくらい購入者がいるかは定かではないが・・・・。

20064_015 ただ、ロビーを歩いたり、展望デッキから飛行機を眺めても、やはり「地方空港」なのである。「こんなもん?」てな感じで。出入りする飛行機も小さいのばかりであるし、端から端まで見渡せるのも地方空港サイズだ。

結局、変に伊丹と関西空港の顔を立てて遠慮している存在のように見えた。今は開業したてで私のような見物客もいるからそれなりに賑わうのだろうが、よほどPRに努めないと、本当の地方空港になってしまう。同じ関西圏の空港で、どのような役割を持つか。神戸沖なのだから、神戸市内、阪神間、播州地方、それに高松・徳島あたりの客も取り込めないだろうか。航路と時間設定にもよるのだろうが・・・。

20064_011_1空港見学を終え、わざわざ大阪市内からリムジンで乗りつけたS氏と合流。路線延伸したポートライナーで三宮まで出て、地下鉄山手線に乗り、スカイマークスタジアムへ向かう。外は小雨状態で、このままであれば何とか試合ができないこともないか。

ただ、10時半頃に総合運動公園駅に着いたところ、なんと「試合中止」の放送。ウーン、やはり無理だったか。神戸の山の中。今は小雨でもこの後もっと降りやすくなるということか。ドーム球場が多い中、「雨天中止」の憂き目に遭うのもそうあることではない。

さすがに「スカイマーク・エアラインズでスカイマーク・スタジアムへ」とは行かなかった。世の中、描いた計画通りにはなかなか運ばないもの。

ただ今日は夜まで時間がある。それまでの間、S氏にお付き合いいただいて、「神戸休暇」ということに路線変更。というわけで、総合運動公園駅の改札を出ずに、そのまま三宮方面に引き返す・・・・(続く)。

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諸国行脚?

2006年04月14日 | ブログ

年度も改まり半月たって、そろそろ年度代わりにつきものの慌しさも一段落したところだろうか。

個人情報保護管理の業務に従事しているのだが、プライバシーマーク取得のため、その規格に則ったルールづくりと運用を図るべく、昨年の年度末に慌しく全国向けに指示文書を発信したり、改定した手順書を配布したりしていた。現地にしてみれば「なぜこんなときに・・・」というところであろう。

「これだけのことをキチンとやろうとすれば、仕事のやり方とか、役割分担とか、そういうのを全く変えないとね・・・ウチの社風にあうのかな」と、ある支店の人と話をした時に言われたのだが、そう、個人情報保護をきっかけに仕事のやり方や社風までも変えてしまおうというのが、会社のトップの判断としてあるのだ。

相当な労力は必要だろうけど・・・・。

 

それはさておき、指示を連発してしまったために、そのポイントを現地に説明する場所を設けようということで、上司と手分けして諸国行脚である。またこれにプライベートもからんで、この週末から週明けは移動(無駄な移動も?)が重なる。

東京~名古屋~東京~神戸~大阪~東京~高松~広島~東京

このうち、名古屋、高松・広島が日帰りである。

いかな旅好きとて、仕事での移動は気を遣う。ヘンな疲れが出ないように気をつけないと・・・。

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野球界まるごとドリームチーム大全集

2006年04月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

0026 先月行われたWBCでの優勝「世界一」の影響か、このような一冊が出版されていたのを買い求めた。WBCとはその国の「ドリームチーム」が編成され、国どうしの「ドリームマッチ」を行うもの(実際に出場した選手が「ドリームチーム」がどうかは、いろんな人がいろんな説を言っておられるので、ここではあえて議論しないが)というのであれば、こういう本が出るのも面白いと思うが・・・。

その内容というのが面白い。WBCの各国代表の紹介に続いては、年代別のドリームチームをつくって「日米決戦」をバーチャル上で実現させてみたりする。

そのほかにも、「プロ野球12球団別」「出身都道府県別」「出身高校」「出身大学」「出身社会人チーム」というのがあり、しまいには「スズキ」「タナカ」など「主な苗字別」のドリームチームやら、「1980年生まれ」「1975年生まれ」の現役選手ごとのドリームチームなど、もう何でもあり。

ドリームチームといっても第一線で活躍した選手ばかりではなく、プロとしてはほとんど実績を残すことなく退団した選手も抑えられている。ただそういう選手もきちんと探し出して、「オラが郷土のドリームチーム」に入れている。

ここまでくれば一種の「プロ野球人名事典」ともいえるし、「プロ野球人国記」ともいえる。次々現れる往年の選手、現役の選手の名前を見て、私など一人ニヤついている。ハタから見たら非常にアブナイことかもしれないが・・・。

ちなみに私が生まれた1973年(の学年)でいえば実にそうそうたるメンバーが揃っており、この本の編者が選んだドリームチームは・・・

1(左)清水(巨人)

2(中)坪井(日本ハム)

3(一)小笠原(日本ハム)

4(指)松中(ソフトバンク)

5(三)中村(オリックス)

6(右)礒部(楽天)

7(ニ)城石(ヤクルト)

8(捕)カツノリ(楽天)

9(遊)小坂(巨人)

投 クルーン(横浜)

という、8番・捕手以外は現役最強といってもいい布陣になる(礒部や小笠原が元々捕手で入団したのだから、彼らにマスクをかぶらせる手もあり、てなことも書いていたな)。

忘れていけないのは、ここには入らないがイチローも73年生まれである。

投手もハマの番長・三浦にヤクルトの石井一久、ロッテの黒木、オリックス・川越など多士済々である。

皆さんの生まれた年のドリームチーム(といっても、現役NPB選手のみで構成されているが・・・)を見てみるのも面白いだろう。

こういうドリームチームは、自分の基準で、いかに空想だろうがなんだろうが自分のこだわりで編成できるのがよい。好きな球団にこだわるのもいいだろうし、(往年の選手ではなく)自分がナマで見たことのある選手で構成したチームもいいだろう。また、イケメンばかりを集めたり、パワーヒッターばかりを集めたチームも可能だ。

マスターズリーグのような形で歳をとってから実現するのではなく、現役バリバリの頃の姿での対戦を見てみたいというのは贅沢か。

ドラえもんにそんな道具があれば出してもらって・・・・。

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「落語の名台詞100」

2006年04月11日 | ブログ

Rakugo_2   世に「落語ブーム」という。確かに寄席に行っても客は多いし、若いカップルで来ている光景も多く見かける。それは喜ばしいこと。

ただ、それに勘違いして、駆け出しの前座などが「最近は落語ブームでして・・・」とあたかも自分の手柄のように語ったりする。

あのね、お前の芸を見に来ているんではないんだから・・・。

それよりももっと勘違いしているのが、落語のそういう団体の長老格の落語家といわれているのに、高座では古典も新作も落語を語らず、ただ雑談に毛の生えたような、オチのない話だけして下りる落語家。

頼むからそういうのはテレビやラジオでやってくれ。落語家に政治なんぞ語ってほしくない。ブームだからって慢心しているのと違うのか。

どうも「ブーム、ブーム」といわれて、肝心の落語家が勘違い・慢心しているのではないかと思う今日この頃。落語の「質」は、確実に下がっている。

小手先の笑いだけでも客はついてくるわい・・・というのが感じられる。そういうのは、改めたほうがよろしいのではないでしょうか?

あんなのドラマの一過性のもので、すぐにも「落語ブーム」なんてのは下火になるんだから。

「ちょっと小粋な言葉がいっぱい!」というチャッチフレーズで発刊されたのがこの一冊。

落語ならではの、気のきいた?言いまわしや、落語の世界でないとこういう台詞は吐けんぞ!という一言までを集めたものである。

「おれがいったんじゃねえ。あれは酒がいわせた・・・」

「だれががんもどきの製造法を聞いているんだ・・・」

「おひやでもいいからあったけぇ飯食わせろ・・・」

「今年は年寄りが色気づきやがったかね・・・」

「帳面をどがちゃがどがちゃが、どがちゃがどがちゃが・・・」

ここに挙げた例がどういうネタで使われているかはこの一冊を読んでいただくとして、こういう言葉が出てきた背景というのが、古典落語が形をなした頃からの伝統というのもあるし、演じられるその時その時の世相などを反映したものであったりする。

結構、人間の心理をうがったところもあるし、今現在でも生活の中でひょっとしれたこんな台詞を吐いているシーンがあるかもしれない。だから笑えるのである。

やはりこういう手引きがあったほうがよい。

なかなか人生の教訓にもつながるものがありましたよ・・・・。

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秩父鉄道桜紀行・2

2006年04月10日 | 旅行記C・関東甲信越

20064_032  長瀞を後に、再び秩父鉄道の人となる。ようやく電車に乗って席にありつくことができるようになった。

この先、路線名の由来となった秩父にさしかかる。秩父自体、神社仏閣にめぐまれた歴史ある町であるし、その先の御花畑(西武秩父)では芝桜なるものも見られるそうである。途中下車のポイントとしてよさそうなものだが、芝桜の見ごろはもう少し後とのこと。今日のところはパンフレットにあるような桜色の絨毯の風景を頭にイメージさせるだけにとどめ、通過する。

その代わりに途中下車したのが、終点の三峰口を前にした武州中川駅。車内吊り広告によればこの駅下車で枝垂桜のスポットがあり、今頃がちょうど見ごろとか。乗客のほとんどが下車したのに続いて、降りることにする。

20064_054 この駅近くにある桜のスポットが、清雲寺の枝垂桜という。あとで調べたところでは、600年前に開かれた古刹。その時に植えたとされる桜が今でも花を咲かせるというらしい。

これまで知らなかったのは私だけのようで、駅から10分ほど歩いて清雲寺の境内にさしかかると、同じような秩父鉄道めぐりの人だけでなく、駐車場もクルマの行列ができていたり、地元の人たちがテントを出して飲み物や特産品を販売し、えらい賑やかなことになっていた。20064_066

それもそのはず。境内ではこんな桜が、訪れるものを魅了していたのだ。

ソメイヨシノなどとは違った美しさを持つ枝垂桜。メインの木はそれこそ樹齢600年以上。それを囲むように、境内の内外で約40本の桜が寺全体を囲んでいる。

おそらく他の季節であれば、何ということもなく通り過ぎたであろう清雲寺。桜が取り持つ仏との縁だろうか?なかなかよいスポットである。なかなか、秩父鉄道の沿線というのもみどころが多い。コレだけ桜の競演が見られるスポットもそうあるわけではないようだ・・・。20064_058

クラシックな雰囲気の武州中川駅でしばし列車を待ち、いよいよ最終区間、三峰口を目指す。三峰口の「三峰」というのがどことどことどこ、というのが気になるが、それはそうと、三方を山に囲まれたどん詰まりの駅である。もっとも、貨物列車がこの先も入り込んでいるのだが・・・。

駅の裏手に広がる鉄道公園に入る。かつて秩父路を走った貨車、電車、機関車が余生を過ごしている。しかしながら鉄道の歴史スポットという意味での車両保存のケアがほとんどなされておらず、山間の雨風の中一人ポツンと野ざらしで立っているだけの存在のように見える。ちょっと気の毒かな。

20064_080_1 それでも車両の脇には桜が咲いており、なんとか桜と車両の組み合わせの写真を撮ることができた。

ともあれ、秩父鉄道の旅客線部分、これにて完乗である。

秩父鉄道の沿線にはまだまだ自然のスポット、歴史のスポットといろんなものが眠っていそうだ。また機会があればぜひ乗り歩きをしてみたい路線の一つである・・・・。

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秩父鉄道桜紀行・1

2006年04月09日 | 旅行記C・関東甲信越

20064_009 快晴に恵まれた日曜日。桜は昨夜も見たが、東京都内はそろそろ散り際の桜が多い。

そこへ来ると、内陸部の埼玉県ならまだ桜も見られるのではないかと思う。桜見物と鉄道旅行・・・そういえば埼玉県を横断する秩父鉄道にはまだ乗ったことがなかったな。特に予備知識があるわけではないが、桜の有名なところもあるだろう。というわけで、東武伊勢崎線で羽生駅に着く。

秩父鉄道のホームに停まっていたのは、元都営地下鉄の車両だったというやつ。今は秩父鉄道の主力車両といえる。

窓口で、秩父鉄道の一日フリーきっぷを購入。1400円。単純に終点の三峰口に行って帰るだけでも充分元が取れるという品物。羽生駅にはハイキング姿のグループ客などが結構いたのだが、改札の係員が「フリーきっぷのほうがお得ですから買ってください」と案内していた。

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羽生から進路を西に取り、熊谷を目指す。沿線には今がちょうど見ごろの桜があちこちに目立つ。小川の堤に沿って並木ができていたり、寺の境内や民家の軒先にも美しい桜色が広がる。車内広告でも桜のスポットの紹介がされており、これはこの先期待ができそうである。乗客も桜見物とおぼしき家族連れやグループが多い。

熊谷を過ぎ、大麻生にさしかかる。進行左手の土手には桜並木が続き、その下には三脚を立てた鉄道ファンの姿が結構見える。ひょっとしてこれは「SL」を狙っているのかな・・・? 秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」は、首都圏から最も身近に触れることのできるSLという。SLと桜の取り合わせ・・・いいじゃない。20064_016

列車は速度を落とし、大麻生駅に着く。ここなら先ほどの三脚の連中とも近い。別に予定のある旅でもなく、またフリーきっぷを持っていることもあり、ここで最初の途中下車とする。

土手を歩いて先ほどの「撮影隊」のいた辺りに向かう。ちなみに土手の反対側はゴルフコース。

さて土手があって桜並木、そして直線コースというポイント。なるほどここなら撮影ポイントになりそうだ。私も混ぜさせてもらう。ほとんどが三脚に望遠レンズ、撮影用の銀箱といういでたちなのに引き換え、私はリュックにデジカメ一台(しかも望遠のほとんど利かないやつ)という身軽さ。SLの通過にはまだ少し時間があるそうで、それまでは土手の桜の花見としゃれこむ。ちょうど今が満開といってもいいだろう。

20064_013_2 10時20分を回る。遠くで汽笛が聞こえる。そろそろ来るか。それまで雑談に興じていた「撮影隊」が一斉に自分のポジションに戻って、通過の一瞬に狙いを定める。

そして、「さくら」のヘッドマークをつけた「C58363」が通過。桜の車窓を楽しむ乗客の笑顔が見られた。20064_014_1

SLの撮影も終わり、桜並木から一斉に人とクルマが立ち去る。次の列車まで時間があるので、クラシックな雰囲気の大麻生駅のベンチで時間をつぶす。この秩父鉄道、車両も昔の国鉄や私鉄のものを改装して走らせていたり、駅も「汽車駅」と呼びたくなるような、昔ながらの風情を残すものも多い。その辺りで根強いファンを持つ路線である。

後続の列車に揺られる。これまで関東平野の北西部を走っていたのが、周りも少しずつ山がちになってきた。その山の中にも時折満開の桜を見つける。

寄居を過ぎ、荒川の姿も見えるようになったところで、長瀞着。ここで2回目の途中下車とする。ホームに「天下の勝地 ながとろ」という看板が見える。駅の周りも桜並木だ。

20064_020_1 するとここで、先に走っていたはずのSLの姿を見つけた。この駅で小休止していたのだろう。改札に出るにはホームの先頭部分から線路を渡るのだが、改札に向かおうとする客と、SLを見て写真を撮ろうという客がごった返しており身動きが取れない。その中を押し分けて、ようやくSLの先頭部に出る。

やはりこうして見ると、他の電車と違って車両に「表情」があるように見える。それもゴツゴツとした表情。それが汽笛一声、ゴトンと動き出した。普段鉄道にはさほど興味がなさそうな人たちもこのときばかりはSLに向けて憧れのまなざしで見つめていた。

長瀞駅に来たのだから長瀞に向かう。駅から河原へと続く土産物店も軒並み大入り。恐らく今日が1年で最も人出があるんじゃないかという声が聞こえる。20064_042

20064_045 河原に出た。こちら側にはギザギザした、浸食の産物である石畳が並ぶ。適度な平地や窪地を見つけて弁当を広げる家族連れが多い。私も岩の上にどっかり腰を下ろして、ビールを呷る。目の前には荒川の静かな流れ。少し下では「長瀞ライン下り」の観光船が次々に出て行く。また、上流からも時折カヌーのパーティが下ってくる。残念ながら石畳の周りには満開の桜はなかったが、奇勝の岩肌と深い緑の川の流れも名勝にふさわしい。

20064_036 その桜だが、長瀞駅からは川とは逆に宝登山のほうに上る参道が並木となっている。さらに脇にそれると「通り抜け」という散策路がある。先ほどの石畳の雑踏とは違い静かな雰囲気である。桜の木の下で二人の時間を過ごしたり、スケッチに興じたり(こういう花の場合は、カメラよりスケッチのほうが似合うと感じることがある)、それぞれの楽しみ方で昼の一時を過ごしていた。

一回りし、秩父鉄道の桜紀行、さらに終着駅の三峰口目指しての乗車を続ける・・・。(続く)20064_035

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