まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

申し訳ありません

2014年01月30日 | ブログ
一つの旅行記が1ヶ月にも及ぶことになり、いい加減早く書かないといけないのですが、遅々として進んでおりません。またこのところ、言葉がうまく出ず更新も止まりがちです。

拙ブログをご覧の皆さんにはご迷惑をおかけしており、申し訳ありません。ご理解のほど、よろしくお願いいたします。


コメント

長崎・浦上へ

2014年01月28日 | 旅行記H・九州

1月2日、連泊となる長崎のワシントンホテル。再び、畳式の和風レストランでの朝食である。この日は長崎を発つので荷物を持って出て、一旦長崎駅のコインロッカーに預ける。この日は午後から佐世保に移動することとして、午前中は浦上にある原爆関連のスポット巡りとする。

前日、前々日と長崎を回ってみて、今や軍艦島をはじめとした長崎の近代化遺産の世界遺産登録に向けた動きのほうが盛んで、「被爆地・長崎」というのがどこか片隅に追いやられているように思えた。それでも、元日のローカルニュースでは、核兵器の廃絶を訴えて、元・長崎市長の本島等さんらが平和公園での座り込みを行ったとあった(毎年恒例の行動だとか)。

Dscn4660長崎駅前から路面電車に揺られる。そういえば、長崎の路面電車といえば100円、ワンコインで乗れたと思ったが、今来てみると120円である。100円から120円というのは20%も値上げしていると言えるが、それでも120円である(1日券は車内では購入できないが、近くのホテルや商店などで500円で手に入る)。大阪の阪堺電車は200円だし、広島電鉄の市内線でも150円である。まだまだ頑張っていると評価できる。

Dscn4661そんな長崎の路面電車ではかつての名車がまだまだ頑張っている。長崎駅前から乗ったのは昭和41年製造の元・大阪市電の車両である。

松山町の電停で下車する。左手にはJR長崎本線の高架線路、その向こうには陸上競技場や野球場「ビッグNスタジアム」も見える。長崎にも立派な球場がある。そういえば、以前に野球の独立リーグである四国アイランドリーグに、福岡レッドワーブラーズと、長崎セインツというのが加わっていたのを思い出す。

長崎セインツの名前は、姉妹都市であるアメリカのセントポール市に、独立リーグの名門であるセントポール・セインツというのがあって、そこから取ったものである(長崎セインツとは業務提携のようなこともやっていた)。日本で有名なところでは、西武、阪神を経て現在ロッテに在籍のブラゼルや、かつては「ミスター独立リーグ」の異名を取り、長崎セインツにもいた根鈴雄次といったところがセントポール・セインツの在籍経験者である。

・・・と、ビッグNスタジアムを見ながら、そういえば根鈴は今どこで何をやっているのかなと思いにふけってみたが、実は長崎セインツという球団は、長崎を名乗りながらその主催試合はほとんど佐世保でやっていたのだとか。JリーグのV・ファーレン長崎も諫早が本拠地だし、長崎市内ど真ん中というのはなかなか球団ができないのかな。

Dscn4665それはさておくとして、長崎の平和公園である。個人的にこのポーズというのは好きになれないのだが、長崎といえばこの像である。ちょうどお隣の国のグループ客が来て、この像を前に、あの「シェー」に似たポーズを決めての記念写真撮影中。全く、何を考えているのだろうか。まあでも、張本勲が「広島の原爆ドームの前でピースサインで記念写真を撮っている修学旅行生を見て、原爆を後世に語り継がなければならないと思った」と語っているように、それだけ時代が流れているのかもしれない。

Dscn4670Dscn4674この後は浦上天主堂から爆心地に回る。浦上天主堂もモロに被爆した建物で、現在は再建されているが、被爆当時の建物の一部が爆心地に移設保存されている。改めて、爆心地にて手を合わせる。

Dscn4681そして、原爆資料館である。恥ずかしい話ながら、平和公園や浦上天主堂は見たことがあっても、資料館に入るのは初めてである。ひょっとしたらどこかに避けていたものがあったのかもしれない。改めて、戦争への道筋、被爆の様子、その後の後遺症など、さまざまな映像や史料で、当時のことを見つめることとする。ただ、広島のような毒々しさ、メッセージの強烈さというのはそれほど感じず、「怒りの広島、祈りの長崎」と言われるように、大らかな視野からの平和アピールのようにも感じられる。

企画展示で「復興・長崎 被爆から6年後の旅」というのがあった。被爆から6年経った1951年に長崎を訪れた池田秀という方が現地で撮影した写真や描いたスケッチを展示するもので、原爆にも耐えて残った建物や、逆に6年経っても何ら復興が進んでいないエリアも画像で描き出されている。当時は、被爆○年経過した長崎の様子を見ようというのも旅行スタイルとしてあったようで、現在で言うなれば東日本大震災の被災地訪問のようなものだろうか。こういう例えは不謹慎だろうが、原爆の爆風で鳥居の片足だけが一本鳥居として残った山王神社と、陸前高田で津波を生き延びた奇跡の一本松のようなもの。

長崎の場合は浦上が爆心地だったから、もともとの中心部にあったグラバー園やオランダ坂、大浦天主堂といった建物が何とか持ったということか。それでも、原爆の投下計画ではそれこそ現在の眼鏡橋の辺りに落とそうかという案もあったらしいから、そこまで来ると歴史のいたずらとしか言いようがない。もうこういう核兵器使用は許さない、結局はそこにたどり着くのだろうが・・・。

Dscn4683原爆資料館に隣接して、原爆死没者の国立追悼平和祈念館がある。こちらでは死没者を慰霊するとともに、死没者の遺影や遺族の手記を見ることができる。ここでも神妙に手を合わせる。

一通り鎮魂と慰霊の一時を終え、再び長崎駅前に戻る。ここからは移動するとして早めの昼食とするが、わざわざ中華街まで移動して行列の後につくまでの気持ちはなかった。

Dscn4690結局は駅ビル内の中華料理店で皿うどんを注文し、とりあえず「長崎で中華を食べる」ということはクリアしておく。さてここからまた気動車の旅となる・・・・。

コメント

稲佐山・夕暮れ~トワイライト

2014年01月26日 | 旅行記H・九州

日本人はよく「世界三大○○」「日本三大○○」という形で、さまざまなジャンルで3つを選び出すことをする。観光のことで言えば、日本三景に日本三名園を初めとしていろいろと出てくるし、鉄道でも日本三大車窓などと呼ばれるものがある。旅行主任者の資格試験でもこの手の雑学問題が出るということでいろいろと憶えたものだが、ああいうのはいったい誰が決めるのかなと思ったりもする。1位と2位は納得できるが、3位のそれは違うやろ、というものとか。一方で、「本当の三大○○というのは皆さんそれぞれで感じていただければいいのです」と開き直ったような言い分があったり。

これから向かうのは長崎の代表的な夜景スポットの稲佐山である。ここはいわゆる日本三大夜景の一つとされており(あとの2つは函館山と六甲山)、前日は訪れなかったが元日夜には行くことにする。市内で先に夕食を済ませてから上がるかどうしようか思案していたが、諏訪神社に参拝した後で長崎駅に出て、先に上がろうと思う。前回10年前に旅サークルで訪ねた時は、人数もいたので駅からタクシーで上がったので、「ここは自力ではどうやって行くんだったっけか?」と改めて案内図を見る。長崎駅前からバスでロープウェー下まで移動。

Dscn4592ロープウェー駅の下には淵神社があり、乗車前にこちらにお参りする。こちらの神社は戦国時代にはキリシタンにより焼き討ちにあったり、長崎の原爆でも本殿が崩壊したりという歴史があるそうだ。今はロープウェーの玄関駅ということもあり、乗車前にのぞいて手を合わせる外国人観光客の姿も見える。

先に、長崎の夜景を日本三大夜景の一つと書いたが、待合室には「長崎の夜景が『世界新三大夜景』に認定」という新聞記事の切り抜きがベタベタと貼られていた。2012年に長崎で「夜景サミット」なるものが開かれ、その中で、香港、モナコ、そして長崎の3都市が世界を代表する夜景都市に認定されたという。別に長崎の夜景の魅力を否定するつもりはないが、その「夜景サミット」というのもどのくらいの権威があるものだか。よく見るとこれは日本の一般社団法人が認定を行っている「夜景鑑定士」という人たちへのアンケートを元に選んだとある。ちなみに「新三大」とあるから、元祖の三大夜景とはどこかというのを見ると、函館、ナポリ、香港というのが通説という(ただし、これは誰が選んだかという根拠は不明)。そうすると、香港というのがいずれにも名前が挙がっていることから、世界最大の夜景都市ということになるのかな。

Dscn4599ロープウェーで上がること5分。まだ日があるので、足元の急な斜面に沿った家並みを見る。乗り合わせた観光客から「こういうところ住んでたら、凍結が恐いよね」「絶対クルマがいるよね」などという感想が出る。

Dscn4609山頂に到着。340mの高さ、360度の展望が開けるスポットである。それなりの高さなので、四方から風が吹きつけてくる。ネックウォーマーを掛け、コートのフードを頭からかぶる。空気が澄んでいるためか、遠方まで眺望を楽しむことができる。

Dscn4613そろそろ、長崎の西の角力灘に日が沈もうかという頃合い。この日の午前に船に乗った長崎港から伊王島、高島、そして軍艦島の姿も見える。1日、見るものも多かったが、時間が経つのもあっという間に感じた。2014年の365日分の1がもう終わる(日が沈むという意味で)のかと思うと、旅の時間は流れるのが早いなと感じられる。

Dscn4622Dscn4626少しずつ暮れゆく景色、じっくりと眺めることにする。稲佐山というとどうしても夜景のイメージであるが、夕暮れのスポットでもあるのだ。

Dscn4633そして目を転じると、長崎の市街もポツポツと灯りがともるようになる。一度暖を取るために展望台の建物の中に入り、またしばらくして(場所取りも兼ねて)デッキに出る。すでに三脚を立ててスタンバイしている人も多い。その中で、カメラ本体と腕前の両方が伴っていない私も陣取ってみる。

Dscn4638Dscn4640少しずつ暗くなり、灯りの数も増えてくる。考えようによっては、最初から「夜景でございます!」と、夜になってから見るよりも、時間はかかるがこうした変化を楽しむのも夜景の楽しみかなと思う。街の輪郭というのも残った状態だし。冬なら日の入りが早いため、比較的早い時間帯から夜景を楽しむことができる。風は冷たいがしばらくの辛抱。

Dscn4644Rscn4653香港やマカオには行ったことがないので「新三大夜景都市」の価値は実感できないのだが、やはり、私が言わないまでも長崎の夜景はすばらしい。函館、神戸という他の日本三大夜景都市との比較ということになると、それぞれ良さがあって単純には比べられないが、長崎のそれは、エリアとしては他の2都市に比べれば限定されるものの、対岸の山々の景色もあり、いいところをギュッと寄せ集めて圧縮させたような趣がある。

・・・ただ、こういうところは一人で来るところではないわ・・・・。

まあそんな感傷はさておくとして、一通り暗くなったところでロープウェーで下山する。途中ですれ違ったり、あるいは麓の淵神社のところではこれから展望台に上がろうという観光客が一杯である。それらとすれ違い、再びバスで長崎駅前に戻る。

さて、夕食をということであるが、やはり前夜のように長崎の海の幸を味わいたい。そう思って駅前エリアを探すが、ほとんどの店が元日ということで休業。前日訪ねた「長崎港」もお休みである。結局は年中無休のチェーン店の中から選ぶことになるのだが、そういう条件の時に私が選ぶのはだいたいが「日本海庄や」である。店員の返事が「よろこんで!」というあのチェーンだが、店ごとに地元の海鮮食材や限定メニューもそれなりに揃っているので、少しでもそういう味や雰囲気が楽しめるのが特徴である。

Dscn4656Dscn4657カウンターに陣取ると、お通しにお節料理の小鉢が出たり、「カウンターのお客様限定です」ということでミニ雑煮も出てくる。後はできるだけ「九州限定メニュー」の中から注文。魚は、長崎ということでヒラス(ヒラマサを長崎ではこう呼ぶらしい。ハマチ、ブリに似た魚)、そしてクジラ赤身をいただく。結構肉厚で、しっかりした味。

Dscn4659後は、今回の旅で訪れる予定のところが、急な目的地変更で行けなくなった島原からということで、島原地鶏の鉄板焼きもいただく。

Dscn4658仕上げは、粉もんということで「長崎名物玉ちゃん焼き」というのをいただく。店員の説明によれば、大阪のお好み焼きでいうところのモダン焼きに当たるもので、具材や麺がちゃんぽんのそれというもの。もちろん初めていただいたが、もっちりとしてなかなか美味しかった。ただ、これって本当に長崎名物なんだろうか。後で調べても有力な情報が出て来ず、長崎市というより他の地区や離島地区の名物なのかもしれないが、よくわからない。

朝からいろいろと歩き回ったこともあり、後はゆっくりとする。翌日2日は午前中再び長崎の町歩きの後で、午後からは島原ではなく佐世保に向けて移動である・・・・。

コメント

長崎中心部ぶらつき

2014年01月26日 | 旅行記H・九州

「1月も終わろうというのに、いつまで正月のことをごちゃごちゃと書いているのか」というある人からのお叱りを頂戴したが、1日の中でそれだけ見聞きして面白かったことが多かったということ、後は書く人の力量ということでご容赦いただければ・・・・。

軍艦島の上陸見学を終えて、市街地に戻る。13時を回って昼食には少し遅い時間であるが、新地中華街に行ってみる。

Dscn4558するとどうだろう、前夜以上の人の賑わいで、どの店も大行列である。ただ、中華街の中でも有名店とされる店は多くは「新年は2日から営業」とある。その影響で他の店に流れているのかもしれない。行列は店の中でも続いており、まともに並んだのではいつ昼食にありつけるかわからない。

Dscn4556ということで、昼は簡単に済ませようということで店頭で角煮まんじゅうを購入。まあ、こういうのがお手軽でいいのかもしれない。

Dscn4563この後は再び大浦方面まで戻り、長崎孔子廟へ。以前の記事で、学生時代に長崎を初めて訪れた時に、軍艦島に行かないかと声をかけられたが辞退したということを書いたが、私が長崎で「ここには行こう」と決めていたのがこの孔子廟である。

Dscn4565ここで孔子像にお参りし、元日ということでおみくじを引く。結果は「上吉」。孔子ということで「学問」の項目があり、「学んだことを時に応じて実習。孔子の教えに従い実行すること」とある。縁談は・・・・あまり期待できそうにないな。

孔子廟の後ろには中国歴代博物館があり、中国の故宮博物院にも負けず劣らずの展示品が並ぶ。シルクロードの宝物の数々が並ぶ。儒学の歴史とともに、中国文化を感じることができるところである。中華街の賑わいと対照的にどこかひっそりとしており、もっと注目されてもいいのではないかと思うところだ。

Dscn4577石橋の電停から路面電車に揺られて、賑町に移動する。ここは有名スポットの一つである眼鏡橋へ。晴れておりちょうど川面に橋の様子が映し出される。見る角度によって難しいのだが、これでどうにか「眼鏡」に見えるだろうか。

ここからはさらに歩いて、諏訪神社に向かう。元日になってからというもの、最初には大浦天主堂でキリストを拝み、先ほど孔子廟で孔子を拝んだ。ただやはり、初詣ということになると神社ということになる。まあ、キリスト、孔子、そして日本の神様とこれだけお参りを重ねれば、今年はいい年になる?

長崎と言えばキリスト教が強いイメージがある。この諏訪神社は江戸時代、幕府の反キリスト教政策の一環の意味合いもあってか、わざわざ朱印地を与えて、鎮西大社の名前を持たせたところである。今では長崎くんちが行われるところとして全国に知られている。

Dscn4585ここには長い石段が続くのだが、この石段が埋まるくらいの人出である。何でも境内で正月の祭礼が行われていることもあって大混雑のようで、石段での事故防止のために人数制限を行っている。例年20万人と、長崎で最も多くの参拝客がある神社である。

Dscn4588まあでもせっかく来たことだし、やはり日本の神社に手を合わせた方が心落ち着くような感じがする。それらを含めて、今年は良い一年になるよう願うばかりである。

Dscn4591朝から歩き回った長崎、そろそろ日が西に傾く頃合いである。少し時間は早いが、長崎の夜ということで次のスポットに向かうことに・・・。

コメント

軍艦島上陸見学

2014年01月23日 | 旅行記H・九州

Dscn4426ドルフィン桟橋から念願の軍艦島に上陸する。こういう形での上陸というのも、何だか不思議な感じがする。

Dscn4429Dscn4438上陸見学が許可されているのは、島の南西部の一部エリア。軍艦島の象徴ともいえる鉄筋コンクリートの高層建物群のほうに近づくことはできない。軍艦島に興味のある人たちはそちらの建物のほうこそ見たいところだろうが、何せ閉山後、風雨にさらされ、痛めつけられているところである。安全面を考えれば仕方のないことだろう。今ネットや図録などで見ることのできる高層建物の内部を撮ったものは、許可を得たものという(その許可というのがどのレベルの申し込みまで与えられるのだろうか)。

Dscn4436見学広場は3つあり、順番に移動してそれぞれでガイドが説明を行う。当時の写真も補足資料としてスタッフが掲げ、参加者はそれらに熱心に耳を傾ける人、思い思いに写真を撮る人、さまざまな反応である(ちなみに、2014年初のツアーとなった今回の様子が、主催者である軍艦島コンシェルジュのスタッフブログに掲載されているのだが、そこには見学中の私の姿も写っている)。私はどちらかと言えば、ガイドの案内よりは現物を見たり、写真を撮ったりするほうに夢中になっていた。説明内容については後でネット閲覧や書籍を買い求めることで補うことにする。

Dscn4442「最初に、『お~い!軍艦島!』と皆さんで呼びかけましょう」というガイドの音頭から案内が始まる。最初の見学広場は正面に軍艦島の山の部分(元々自然の島の部分)に建ち並ぶ施設群を仰ぎ見て、右手には貯炭場がある。その奥には小中学校も見える。7階建てという学校の建物は、軍艦島の中でも新しいものである。まず、この佇まいを間近に見ることだけでもうなるばかりである。

Dscn4445橋脚のようなものが見えるが、これは石炭の運搬用のベルトコンベアの跡。鉄道の未成線のような独特のむなしさを感じる。

Dscn4454最初の見学広場が桟橋に接した玄関口のようなところだとすれば、次の見学広場は軍艦島が炭鉱の島であることを示す鉱山施設を見ることができる。ただこちらの崩壊ぶりが進んでいるようで、レンガ造りの総合事務所の一部や、第二竪坑に続く階段の部分が辛うじて残っている程度である。かつてはここから海底に向けて入り、石炭を巻き上げて先の貯炭場に運ばれるわけだが、たまたま海上に顔を出していた島を足掛かりに海底深くまで掘り進むとは、技術力もさることながら、人間の執念のようなものを感じる。

Dscn4458Dscn4465それにしても、建物の腐食ぶりは何かを語りかけてくるように思う。閉山して40年あまり、人の手が外れて、自然のままに置いておくというのはこういうことだと。

Dscn4473Dscn4478先に上陸していた別の会社のツアー客たちとすれ違い、第3の見学広場に出る。こちらは、島で最古となる、いや、日本で初めてとなる鉄筋コンクリート造りの30号棟アパートをはじめとした高層社宅が近い。こうすると、一応見学コースとしては桟橋から鉱山施設、高層社宅と、軍艦島の一通りのエッセンスを比較的安全なところから見ることができる(反対側の高層建物群も、海上からなら眺めることができる)。

Dscn4477鉄筋コンクリート造りの建物自体はごく普通だとしても、それが東京や大阪の都心以上に密集している、しかもこんな小島の上に・・・他に、世界に同じような例があるだろうか。

 

Dscn4483かつて浦上のユースホステルでやっていたらしい軍艦島ツアーも、ひょっとしたら産業遺産というよりは、廃墟とか心霊スポットを楽しむという要素も強かったのではないかと思う。またたまに、軍艦島を舞台とした文学作品もちょこちょこあるようだが、それもアクションものとか、犯罪者や刑事が躍動する内容のものがほとんどで、言わば魔の島としての扱いである。まあそれも、軍艦島の姿が人を引き付けるからだろう。

「軍艦島学」という言葉があるそうだ。この島の歴史、建造物、人々の暮らし、自然との戦いと調和というのは、自然科学と人文地理学と経済学と社会学をごった煮にしたフィールドであるが、それが実際に営まれていた島である。まだまだ奥深いものがあるだろうし、これからの街造りにヒントになることもあるだろう。改めて、上陸してみて面白みを感じたことである。

Dscn4485上陸滞在は約1時間である。船が接岸するのに少し手間取ったようで、その間は第1の見学広場で待機する。でもまあ、波は高かったが上陸できてよかった。

帰りも自由席だが、上段のデッキに一人用のパイプ椅子席がありそこに陣取る。風はモロに来るが左右に見通しが利く。

Dscn4507Dscn4503出航して軍艦島の周囲を半時計回りに一周する。ガイドの声は上段のモニターから聞こえるが、やはり波が高い。席から島の写真を撮ろうと片手でカメラを持つと(もう片手で手すりを握らないと私でも振り落とされる)、画面一杯に船の反対側の席の人たちの背中が映る次の瞬間に、視界が開けて島の高層建物が一杯に来る。・・・と思うとまた反対側の席の人たちの後ろ姿、の繰り返し。やれやれ。

Dscn4515段々と遠ざかる軍艦島。今回、ツアー会社のプラン通りの見学で、上陸料を支払い、決められたコース、範囲での見学だったが、何もしなければ朽ちて崩壊する恐れのあるところを見学するとなれば、好奇心はあるものの、こうした限定、厳しい決まりでの見学は仕方ないと思う。いやむしろ、ここまで上陸させてくれるんやと感心する。

Dscn4526そう思う理由は、関西は但馬にある竹田城の存在である。陸続きの城と島とを単純に比べることはできないが、自治体が対策を施す前に客が殺到してしまったのと、しかもGoogleのCMで歪曲されて流されたのもだめ押しとなり、駐車車両整理と城の損壊の拡大により、この度一時的に全面立入禁止となった。客がどう、自治体がどうという遺跡保存の難しさについてはまた別に書くとして、軍艦島については今の受け入れ体制でちょうど良いのかと思う。そうなると、東日本大震災の被災地の震災遺構はどうかとなるが、軍艦島を訪ねた時はそこまで思いが至らなかった。また、それらをまとめて考える時が来るだろう。

復路もガイドの案内は続く。「軍艦島というのはさまざまな創作の舞台ともなりまして・・・あるアーチストもここで撮影を行いました。その映像をご覧ください」とある。そこで流れたのが、B’zの「MY LONELEY TOWN」。私は初めて聴くのだが、おそらく音楽ファンの間では有名なことなのだろう。後で歌詞を読んだりしたが、なかなか奥深いものがあった。そこでPVの舞台として軍艦島を選ぶところがB’zなんだろうな。新世界、新今宮のガード下でも似たような世界が描けるのでは・・・?とも思ったが、やはり「人情」がからんではいけないんだろうな。軍艦島のような、行くところまで行ってしまったような風景。うーん、これも「軍艦島学」としては一つの考察対象になるのかな。

Dscn4551昼間ということで往路と比べれば安定した航行で長崎港に戻ってくる。「皆さんにとってはお年玉のような航海ではなかったでしょうか」という言葉に送り出されて下船。それはそう思う。世界にも珍しいスポットを訪れることができ、この年、いろいろと考えることもできたことである。すぐにとは言わないが、またいつの日か訪れてみたいところ。保全や研究には多くの労力が払われることだろうが、こうした自然の中で残してほしいものである。

さて、実質半日を船と島の上で楽しんだ後は、再び長崎の街歩きである・・・・。

コメント

軍艦島へ

2014年01月21日 | 旅行記H・九州

1月1日、いよいよ軍艦島上陸である。

軍艦島というところがあるというのを知ったのは学生の時である。もう20年以上も前になるが、九州の大がかりな旅行で初めて長崎を訪れた折に、当時浦上にあったユースホステルに泊まった。そこで宿泊者向けに「軍艦島ツアー」をやるというのを聞き、私にも参加しないかとペアレント、それに同宿の人が声をかけてきた。5人集まれば釣り船か何かをチャーターして半日ほど上陸できるとか。行った人が島内で撮影したという写真も見せてもらった。しかし、長崎が初めてだし、その当時は時刻表でガチガチに旅程を組むということをしていたし、普通の長崎観光のほうを選んで、それはお断りした。今思えば、普通ではできない長崎旅行ということですぐに受けたことだろうが、三菱の私有地(当時)への不法侵入という認識はあったか。

社会人になって長崎に来た時には、近代化遺産というものに興味が出てきたこともあり、もしそういう話になれば受けようと思い、浦上から長崎駅近くに移ったユースホステルに連泊。ただその時にはペアレントも老けた感じになって「・・・あれは・・・なかなかできないんですよ」と今度は逆にやんわりと断られた。ひょっとしたら当局にクギを刺されたのか。おまけに、連泊で申し込んでいたのに2日目は荷物を勝手に移動されて、狭い部屋に放り込まれていた。その後、そのユースホステル自体が閉館した。

そして、10年前の旅サークルでの長崎オフ会である。オフ会の解散後、帰りまで時間があったので、大波止から出航する軍艦島クルーズを利用した。この頃となると軍艦島というものが注目されており、上陸はできないが外から見ることができるというもので、その実物、廃墟っぷりにうならされたものである。

2009年から上陸が一部解禁、そして世界遺産に向けてのPRである。今回長崎を回ってみて、稲佐山の夜景、グラバー園と並んで軍艦島関係の土産物が多いなと感じた。今や長崎観光の目玉スポットの一つと言っていいだろう。上陸についてはいくつかの会社のツアーに参加するのが条件で、ツアー料金には長崎市への上陸料300円が含まれている。まあ、軍艦島の保全に使うということであれば、300円でも安いくらいだと思う。もっとも、往復の乗船料をどこも4000円近く取るので、半日ツアーとすれば結構高くなるが、それでも連日の盛況だという。

Dscn4384今回ネットで見て予約したのが軍艦島コンシェルジュというところのツアー。すでに入金は済ませていたので、上陸に当たっての誓約書を記入してスタッフに渡すと、上陸許可のストラップを渡される。こちらでもいろいろなグッズ販売があり、軍艦島に関する書籍を購入する。船酔いに対する注意喚起が何度もなされている。私はそんなに乗り物酔いは感じないほうだと思うが、大丈夫だろうか。

Dscn438510時前に乗船開始の案内がある。船は下段の客室と上段のデッキに分かれており、「今日は風が強いので若い方はなるべく上段の席でお願いします」という案内がある。そのほうが写真も撮りやすいということで、上段の海側の席を確保。ただ定員が130名ほどのところ満席ということで、3人掛けのベンチシートはどれもびっちりである。やはり風が強く、ここで初めてネックウォーマーと取り出す。そこへ、防寒ということでスタッフが分厚いウインドブレーカーを配って回る。また、水しぶきがかかるということでビニールの使い捨てカッパも配られる。とりあえずウインドブレーカーで下半身を覆い、カッパでバッグを保護することにする。

かつて軍艦島に住んでいたという男性がガイドを務め、それを何人かのスタッフがサポートするという体制。ガイドは下の船内にいるようで、上段の席ではスピーカーとモニターで案内を見聞きすることになる。パイレーツ・オブ・カリビアンのテーマ曲に乗っての出航である。

Dscn4391Dscn4392まずは長崎港内の三菱長崎造船所のドックを見る。この辺りは風が強いなと思うが、波はまだ穏やかだなと感じる。これが長崎を良港たらしめている地形条件だろうか。今回訪れた平戸の港も風情はあるのだが、こうした大型ドックを入れようとか、そういう発展は望めなかっただろう。その意味で幕府が平戸からオランダ人を追放し、外国船との貿易を長崎に限定したのも、いやがらせというよりはある程度地勢も考慮してのことという評価はできないだろうか。

Dscn4395Dscn4402・・・てなことを悠長に考えていたのも、女神大橋の下をくぐるまでのこと。その後外海に出ると波が高くなり、小型船は結構波にもまれる。ガイドも「これからどんどん波が高くなりますが、これはお正月のプレゼントということで・・・・」などとやる。「じゃあ、船酔いに効く手のツボをお教えしますので、ぜひおやりください・・・」と、波が高いところだがガイドは悠長である。音声案内ではなく、こうしたガイドというのは味のあるものである。

Dscn4406もう一声、伊王島との間にかかる橋をくぐる。その頃には波の高さにもだいぶ慣れてきた。ただ、上陸前にトイレを済ませようとすると「手がもう一本欲しい」という感覚なのだが・・・。

Dscn4409いよいよ軍艦島が近づいてきた。接岸するのはドルフィン桟橋というところで、小型船がようやく接岸できるくらいの小さな桟橋である。軍艦島に住民がいた頃もここが上陸地点だった。ここに接岸するのだが、長崎市の決まりで天候と安全基準を満たさないと上陸ができないとされている。

Dscn4415上陸できない場合というのは、風速5mを超える時、波が0.5mを超える時、視界が500m以下の時とされている。この日の天候は「天気晴朗なれども波高し」という、日露戦争の日本海海戦のフレーズを思い起こさせる条件だったが、「せっかくのお正月なので船長も頑張っております」というガイドの声。確かに長崎市として安全に配慮した基準というのはあるが、最終判断は船長に委ねられるとのこと。

Dscn4422この前に別の船会社の小型船が上陸を試みており、あれで大丈夫ならこちらも大丈夫かなと思う。前の船の離陸を待って接岸する。波が容赦なく打ちつける中、スタッフの何人かが飛び移ってロープを碇にくくりつけたり、上陸用のステップを展開する。そして無事に接岸。

Dscn4423「両手は必ず空けてください」「カメラは首に掛けてください」と大きな声での案内があり、揺れる中で何とか上陸することができた。島に住民がいた時もこんな感じでの上陸だったか。そういうことも体験したうえで、いよいよ、軍艦島島内見学である・・・・。

コメント

長崎洋館群散策

2014年01月19日 | 旅行記H・九州

2014年の年明けである。

長崎は日本の西にあって日の出も遅いうえに、ホテルの外は建物に遮られてあまりよく見えないので、元日の朝が来たのだなという実感がなかなかわかなかった。

朝食はレストランでのバイキング形式だったが、ここは畳の部屋にテーブルと椅子があるというところ。さすがに餅の雑煮はなかったが、正月らしく数の子や黒豆、なますの小鉢もある。また長崎名産のアゴでとった出汁のあんかけ雑炊というのもあった。

この日は1日長崎に滞在する。いよいよ軍艦島へのクルーズであるが、その前に散策をしよう。ワシントンホテルは山手の洋館群にもほど近いところにある。

Dscn4333Dscn4339オランダ坂を上る。元日朝の8時過ぎ。こんな時間からはさすがに出歩いている人は少なく、静かな風情を味わう。初日の出は見ることはできなかったが、空気もよく澄んでおり、1年の始まりにいいような感じである。

Dscn4342Dscn4346大浦天主堂へ。国宝にも指定されている建物には10年前の長崎オフ会でも訪れたところ。長崎の教会といえば「新年ミサ」の様子がNHKの「ゆく年くる年」でも流されることもあり、今年も実際に年越しのミサをやっていた教会もあるようだが、こちら大浦天主堂は8時から開放である。特に何かを行われているわけではなく、数人の観光客がいるだけである。キリスト教の信者ではないのだが、こういうところに来れば十字を切って手を合わせる。2014年の「初詣」は教会で、ということになった。

Dscn4348Dscn4351大浦天主堂が竣工されたのは江戸時代の1964年のこと。長崎の開港後、外国人向けの祈りの場として建てられたもの。しかし当時はまだキリスト教の禁止が解かれておらず、大浦天主堂ができた後に「自分はキリシタンである」と名乗り出た信者がいて、隠れキリシタンの存在が外国にも明らかになったが、それらには大きな弾圧が行われたという。また、隠れキリシタンの中には観音像に似せたマリア像を祀ったり、経典を仏教のお経のように変えたりしながらひそかに信仰を守り続けた者も多かったが、長い禁教の中でいつしか土地の民俗信仰とも結びつく形になり、いつしかキリスト教本来の教義から外れた、一種の独特の宗教に変化したという。天主堂の横の建物ではこうした歴史についての史料が紹介されていた。

Dscn4357Dscn4364さてここから隣接するグラバー園に入る。以前の長崎オフ会の時には、裏手のほうにできたスカイロードのほうから入ったが、今回は正門から入る。こちらも元日から開放しており、まだ開いて間もない時間ということから観光客もほとんど見えない。今年の口開け客のような感じである。

Dscn4374長崎のグラバー園といえば、西洋の建物にちょっと日本風のアレンジの加わった感のある洋館群が並ぶ長崎の代表的な観光スポットである。以前に来た時には普通にそういうところとして見物した。それが今回は、九州・山口の近代化産業遺産の世界遺産登録に向けた動きがある中で、こちらは「明治日本の産業革命遺産スポット」としてのPRに懸命である。館内でも、それら近代化産業遺産のパネル紹介が行われていた。中でも軍艦島は模型や映像もある力の入れようである。個人的に「何でもかんでも世界遺産」という流れには冷めたものを感じるのだが、こうした産業化遺産は好きなジャンルである。

Dscn4376そうした中で、こちらの居留地にいたグラバーやリンガー、ウォーカーという外国人たちにも改めてスポットを当てようという感じである。いずれも実業家として近代化のさきがけを担った人たちである。ちなみに、グラバーとウォーカーは後に「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」という会社を日本に設立したが、これが後の麒麟麦酒である。なお、あの麒麟のイラストに描かれたヒゲというのが、グラバーのヒゲから取ったものだとか。それは知らなかった。今度麒麟のジョッキを手にすることがあれば、見つけてみよう。

洋館群の雰囲気と長崎港の眺めを楽しんだ後、海辺まで下りてくる。天主堂やグラバー園に近い常盤ターミナルが、これからの軍艦島クルーズの出発点である。出航にはだいぶ時間があるが、早くも受付をする人、受付を済ませて待合室で寒さをしのぐ人で混雑している。いよいよ、今回の旅のきっかけともなった軍艦島に向けて出航である・・・・。

コメント

長崎港・・・年越し

2014年01月17日 | 旅行記H・九州

再び紀行文に戻って・・・と言って、もう半月も前になることを書くのだが・・・。

12月31日、長崎市内のワシントンホテルにチェックイン。これから夕食ということにする。

Dscn4295このホテル、実は長崎の新地中華街の真横に位置する。長崎の中華街は、前回に旅のサークルのオフ会に参加した時にメインの夕食会場として訪れたのだが(ただ、幹事が取ってくれたのはどの店だったか覚えていないのである。東坡肉があったのは覚えているが・・・)、大晦日の夜は休んでいる店が多い。中国といえば旧正月だが、日本に長く根付いている中華街ともなれば、元日は賑わいを見せるのだろうということで、ネオンも落とされている中華街を外から眺める。

Dscn4300そんな中華街のすぐ横にあったのが、その名も「長崎港」という海鮮居酒屋。よく考えれば、長崎を訪れてこういう店に入ったことがないなと、こちらのドアを開ける。

Dscn4296こちらは海鮮居酒屋といいながら海鮮丼のほうを売りにしているようで、テーブル席のカップルやグループのほとんどが丼を頼んでいる。その中にあって「普通に」飲むというのが却って勇気がいりそうなところ。長崎の港で揚がった魚介類がメインで、まずはビールとから揚げ、刺身盛り合わせのセットを注文。長崎でマグロというのはイメージにないものだが、一品そのものは美味い。後でメニューや店紹介のHPを見ると、長崎にあって「築地直送が売り物」という内容の一節があり、「江戸の仇を長崎で討つ」でもないし、別にここで築地を持ってこなくてもと思う。ただ、築地というブランドに魅かれる地元の人たち、あるいは観光客も多いのだろうし、築地だろうがどこだろうが、いいものをいいように仕入れてきて客に出すというのが長崎流なのかもしれない(同じような詮索は、この後佐世保でも出てきたのだが、ここではその程度に止めておく)。

Dscn4299後は店の一押しでもあるすり身揚げ(いくつかの魚を選べるが、ここはアマダイで)や、郷土料理のハトシもいただく。ハトシは中国料理の一つで、漢字では「蝦多士」と書く。「蝦(ハー)」はエビ、「多士(トーシ)」はトーストの音訳。エビのすり身を食パンで挟み、油で揚げたものである。中国のファーストフードのようなものだが、それが長崎に定着し、いつしか挟む具材にも工夫が凝らされるようになったという。

それらを美味しくいただき、しばし散策。有名な稲佐山からの長崎市街の夜景は翌日に回すことでもあり、もうこの日はホテルの近くを歩くに止め、部屋でゆっくりすることに。

Dscn4324その散策に出かけたのは、出島。別に建物の中にはいることにはこだわらず、一時は平戸に拠点を構えて勢力を伸ばしたオランダが、結局はこのスペースに押し込められたという歴史を持つ一角を歩くだけでもよい。観光客向けにいい感じでライトアップされている。まだ20時を過ぎたところであるが、当時のオランダ人たちというのは長崎の夜をどのように過ごしていたのだろうか。

Dscn4311Dscn4320限られたスペース、外出もままならないということを考えると、こんな狭いところでやってられるかという思いがあるのではないか。でもまあ、21世紀現在のビジネスマン、商社マンと呼ばれる人たちでも、海外、特に発展途上国の現地事務所ということを考えれば、似たような状況なのかもしれない。主要国ならともかく、発展途上国ともなると治安をはじめとしたリスクを考えれば、限られた区画からの外出ができないとか、生活面での支障が多かったとか・・・・。

当時はこういうライトアップなどなかったなと思いながらしばし歩き、部屋に戻る。別にテレビは何を見なければならないというものでもないし、近くでカウントダウンイベントが行われるようでもない。そうなるとベッドにもぐり込み、ゆったりとした感じで年越しを迎える。

2014年、果たしてどのような1年になるか。ベッドに横たわってはいたが、もう一度身体を起こして気持ちを新たにする。

元日は長崎で1日を過ごすことになる。まずは、どのような1日になることやら・・・・。

コメント

東京都知事選挙

2014年01月16日 | ブログ
また旅行記はお休みで、今日は東海道新幹線の車中から書き込み。

今日は東京本社にて講習受講のため上京。天気がよくて富士山をはじめとして車窓を楽しむことができた。また時間あったため、都内勤務の知人と久しぶりに会う。昼食をご一緒したが、私もいろいろと励まされることがあり、これからの元気をいただいた一時だった。

そんなこともありながら本社に移動したが、その途中、新橋駅前のSL広場にて、来月の東京都知事選挙に出馬予定の田母神氏らの演説に遭遇する。

まあ、どのようなことをしゃべっていたかについては割愛するが、個別の話題についてなるほどと思わせるものはあったし、足を停めていた聴衆は100人あまりのものだったが、拍手も起こっていた。

田母神氏はともかくとして、今回の都知事選挙は細川・小泉の両首相経験者の掲げる「脱原発」が賑やかである。

私も一時期都民で、1回だけ都知事選挙に投票している。ただその時は、石原慎太郎氏圧勝がわかっている中で、都市理論が面白いとして黒川紀章(今は故人ですね)に投票した。プロの建築家が、政治に携わるとどのような手腕を発揮するかを見るのもありかなと思ったのだ。

それはさておき、脱原発を都知事選挙の争点にすることについては、脱原発の是非は別としてもありだと思う。日本で最もエネルギー消費が多い東京の基本的な考えがどうなるのかは、東京電力管内に止まらず、全国のエネルギー施策に影響があることだろう。東京の意志が脱原発ならその方向に行くし、再稼働ならばやはり原発がないとこの国がやっていけないということになる。

関西のマスゴミは9割は阪神タイガースのどうでもいいことしか報道しないが、さすがに今回の都知事選挙はそれなりに注目しているようだ。ある程度は国政にも影響する選挙として結果を見守りたいものである・・・。


コメント

大村線で長崎へ

2014年01月15日 | 旅行記H・九州

2013年の大晦日、平戸から佐世保を経て長崎に向かう。今回、大晦日と元日は長崎に宿泊し、2日は島原に移る予定だったが、現地での予定変更で2日は佐世保泊となった。よって、これから乗る大村線を往復する形になる。

Dscn4253J2のV・ファーレン長崎仕様のシーサイドライナーから、早岐始発の各駅停車に乗り換える。今回は青春18きっぷを使用していないが、やはり鈍行に乗れるところは乗っておきたい。大村線も久しぶりである。ホームにいるのはキハ66・67形。

Dscn4254国鉄型気動車だが、車内は転換クロスシートが並ぶ。ものの本によれば、かつて関西の新快速として走っていた117系の気動車版とも称される。先のシーサイドライナーが立ち客も多かったのに対して、同じ2両でもこちらは数えるほどしか乗っていない。

Dscn4257早岐を出てしばらくすると右手にしゃれた建物が見える。こちらがハウステンボス。年越しのイベントも行われるようで、駅と敷地を結ぶ通路はそれなりの人だかりがある。この列車からも下車する人が多く、いよいよガラガラになった。私としては車窓で外側だけを見て、ハウステンボス見学は終了。

Dscn4260Dscn4261それよりも「南風崎」とか「小串郷」とか、海沿いの西の路線を走っているなと実感させる駅名の数々が楽しい。

Dscn4275大村湾も沿うようになってきた。朝方は平戸で小雨にも遭ったが、午後の大村湾は時折日差しもあり、暖かさを感じる。時折列車と交換しながらのんびりと進む。久しぶりに、こうした国鉄型車両での「汽車旅」の雰囲気を味わう。

Dscn4284諫早から喜々津を経て、「長与回り」を通る。長崎本線に2つある路線で、こちらのほうがそのまま海沿いを走るので風情がある。すっかり収穫を終えたミカン畑、穏やかな海。この辺りは和歌山の紀勢線の車窓にも通じるものがある。

Dscn4288長崎に到着。経度であれば佐世保のほうが西にあるのだが、やはり日本の西の終着駅ということになれば長崎ということになる。10年半ぶりの訪問、はるばる西に来たなという感じがする。駅前を路面電車が行き交う風情というのもよいものだ。

2泊お世話になるのはワシントンホテル。ネットで検索した時に1泊朝食付き3600円という限定格安部屋を見つけたもの。まずは路面電車の築町まで向かってチェックイン。まあ部屋は、前日に平戸海上ホテルのような和洋室に泊まったから余計にそう見えたのか、狭く感じる。おまけに窓の外は建物に遮られ、かすかにしか景色は見えない。まあ、格安部屋ということならそんなもんだろう。

とりあえず部屋に荷物を置き、2013年最後の夜となる長崎の街並みに繰り出すとして・・・・。

コメント

乗りも乗ったり、降りも降りたり「しりとりラリー」

2014年01月14日 | 鉄道企画もの

年末年始の肥前の国の紀行文、まだ年を越していない。今の感じだとおそらく1月いっぱいはこのネタで過ぎそうな感じである。

そんな中、ちょっと紀行文から外れて、「スルッとKANSAI」の「しりとりラリー」に関することを。

と言っても、私が昨年夏からやっていた「サイコロしりとり」ではなく、当局主催の、期間中にしりとりでいかに多くの駅やバス停を回るか、いかに多くの社局線を回るかという、ガチの部分での勝負のことである。

この度、主要駅配布の「Asobon!」1・2月号に、それぞれの優勝者のコメントが掲載されていた。告知では前号で発表とあったのだが、まあいろんな事情で今号となったのだろう。

それによると、いかに多くの駅やバス停をしりとりでつないだかという部門の優勝者の数は、何と602!

私の中では、「まあ100は確実につながるかな」と思っていたが、その予想を遥かに超えていた。のみならず、これは後でしりとりを繋ぎ合わせた結果で、そのネタ集めに1000以上の駅やバス停を訪ねたのだから、常人の考えつくところではない。この「しりとりラリー」は、駅やバス停の名前と、自分のツーショットを写真にして送らなければならないので、例え当てずっぽでもとりあえず撮れる写真は撮っておくのがよいようだ。

もう一つは、いかに多くの会社線を回るか。こちらは63の社局で、78の駅・バス停を回った人が優勝。「スルッとKANSAI」の範囲は大手私鉄に止まらず、自治体単位のバス、それに静岡や岡山の路線も対象で、それら含めて全社に顔を出す人はいるだろうなと予想された。

いずれにも言えるのが、数を稼ぐならバス路線、そして関西以外の路線にも目を向けて、ルートを繋ぐということ。私のようにサイコロをするとか、途中の駅で打ち止めにして飲むというのでは、とてもではないが足元に及ばない。写真が掲載されていたが、やはりその筋でちょっとイッちゃってる方々というのは、修行僧以上にストイックである。ただいずれも写真からは妖気というのか、殺気というのか、キッティー的なものが伺えるし、、この先変な方向に走らないことを願うばかりである・・・。

果たしてこの企画は今年も行われるのか。そして記録更新があるのか?まあ私は、これまでのように運任せでポツポツやることに。

私の次の春の一発目は、京都の宇治・・・。いつやるか?

コメント

「誰か忘れとらんと?」で予定変更

2014年01月13日 | 旅行記H・九州

平戸からバスで平戸口桟橋に戻る。平戸からの佐世保行きバスはたびら平戸口駅前を経由しないため、ここで下車して10分ほど歩いて駅に到着する。

Dscn4236Dscn4242日本最西端の駅から出発する。12時48分発の佐世保行きである。発車すると平戸大橋をちらりと見て、海から離れていく。あとは淡々と走るだけである。

途中の佐々からは、日中でも20~30分に1本の便数があり、駅間距離も短くなる。松浦鉄道となってから、駅数や便数を増やす経営努力が行われており、佐世保周辺の人たちの利便性向上に役立っている。途中の駅からもポツポツと乗客が増えてきた。佐世保では1月2日に商店街の初売りを行うそうで、それに向けて松浦発で未明から臨時列車を出すというポスターもあった。

佐世保の街中に入る。急な斜面に家が密集している。線路のすぐ脇にも家が来ており、見ていて面白い。中佐世保から次の佐世保中央までは駅間200mという、日本で最も駅間距離の短いところ。佐世保中央駅の真下に商店街のアーケードがある。駅間200mではあるが急なカーブがあるため、隣の駅同士を見ることはできない。

佐世保に到着。ここからは再びJRに戻り、大村線経由で長崎に向かう。高架のきれいな駅であるが、桟橋に面してショッピングモールがあったり、海上自衛隊の船もチラリと見えたりとなかなか面白そうである。

ここでふと、「あんた、誰か忘れとらんと?」という長崎言葉(すんません、長崎のネイティブではないのでこれが正しい言い方かどうかは定かではないが・・・)が聞こえてきた。「今回は肥前の港を巡ろう言うばってん、自衛隊やアメリカ軍ばおる佐世保を素通りすることはなか?」(すんません、(以下略))・・・。

そういえば佐世保はJR乗りつぶしの中で訪れたことはあり、自衛隊の見学スポットには行ったことがあるが、宿泊したことはない。今回の旅でも佐世保は乗り換えだけで、長崎まで南下して最後は島原から熊本に渡るプランだったが、何だか、佐世保に泊まってみたくなった。先ほどの急な斜面の家並みとか、2日のそんな未明から臨時列車が出る初売りを行うような商店街というのも気になる。

ということで携帯サイトから、2日の島原のビジネスホテルをキャンセルし、佐世保駅前のワシントンホテルを予約。熊本から新幹線の特急券を持っていたが、これは乗る前にでも変更しよう。島原城や、城下町の水路のある町並み、雲仙普賢岳の被災地のその後を見ることができないのは残念だが、これも旅の面白さである(結果としてこの行き先変更は、ちょっと残念だったこともあったが、よかったことのほうが多かった。それはまた後々書いていくこととして・・・)。

Dscn4250佐世保から長崎へは快速シーサイドライナーに乗車。長崎方面に向かう乗客で立ち客も多い。外部がサッカーJ2のV・ファーレン長崎の塗装である。サッカーのチームの名前は英語以外の言語やら、造語でなかなかわかりにくいのだが、チームのHPによれば、「V」はポルトガル語のVITORIA(ヴィトーリア=勝利)と、オランダ語のVREDE(ブレーダ=平和)の頭文字、「ファーレン」はオランダ語の(VAREN=航海)という意味である。ポルトガル語とオランダ語を持って来るところが、日本史上で西洋との貿易に大きく関わってきた長崎の歴史を感じるし、被爆地としてのナガサキからの平和という願いが込められるというのも面白い。

Dscn4251サッカーは普段見ないのだが、野球と比較してチームの全国への散らばり具合は面白い。特にJ2となると北は北海道から東北、関東、北信越、東海、関西、中国、四国、九州と各地区で22のチームがあり、いわゆる地方都市のチームが多いのも特徴である。こういう「地方都市同士」の対戦というのも、聞いていて面白いと思う。長崎対山形、長崎対岡山とか。長崎は2013年シーズンは6位で、J1昇格へのプレーオフで残念ながら敗退となったが、J1経験チームよりも上位に来たことで来年度以降にも期待が持てるところのようである。いずれ、長崎対広島という、被爆都市同士の対戦(というのは不謹慎な言い方だろうが)というのを実現してほしいものである(もちろん、J1で)。

とりあえず佐世保には2日の夕方に再び来ることとして、まずは長崎に向けて出発である・・・。

コメント

平戸の薄香港

2014年01月12日 | 旅行記H・九州

高倉健主演の映画『あなたへ』というのがある。

135115343118213130950_2映画のストーリーはネットでさまざまに紹介されているのでここでは省略するが、キャンピングカーで旅をする中で訪れたスポットの一つに、但馬の竹田城がある。日本のマチュピチュとも言われ、現在人気スポットとなっている竹田城だが、この映画の影響もあったことである。その最後の舞台となったのが、平戸の薄香という港である。私も先に竹田城に行った後で映画のDVDを観たのだが、後半でここが舞台になった時には、キリスト教とオランダ貿易の港というイメージがある平戸の、また別の姿を見たように思った。

今回、平戸を訪れるにあたって薄香まで足を延ばせないか検討してみた。観光協会のホームページでは、バスなどの足はなさそうであるが、平戸の市街地から車で5分とある。平戸島の離れたところにあるというのなら、レンタカーを利用するか(ただし、松浦鉄道には乗れなくなる)、残念とあきらめるところだったが、市街地から車で5分ならば最悪タクシーでも乗ればいいかなと思っていた。何とか訪れることはできそうである。

さて、朝の散策でザビエル教会まで歩いてきた。ここで地図を出してみると、ザビエル教会から直線距離で言えば平戸の海上ホテルと同じくらいのところに薄香港がある。車で5分というところから見ると2~3キロというところだろうか。ならばいっそのこと、このまま歩いてみよう。

Dscn4185教会の高台から市街地と反対側に下り、それらしき方向に歩く。すると道端の看板に高倉健のイラストとともに「ロケ地『薄香』あと2.2km」と書かれている。のどかな風景の中を歩くうちに、薄香を見下ろすスポットに出た。小さな漁村風景である。そこに直線で行く道があればよいが、ぐるりと回りこむようにして下る。途中にはバス停もあり、時間を見ると本数は少ないが平戸市街地とも結ぶ便もあった。

Dscn4186そしてやってきたのは小さな建物。ここではロケ地に関するパンフレットが置かれていたり、ロケの様子の写真が展示されている。映画に因んで、「大切な人」への手紙・メッセージもあったり。もし「こういうメッセージを送るとすれば、誰に送るか?」と尋ねられたら、どう答えるだろうか。

Dscn4189薄香の港は実にコンパクトで、ほんの小さな入り江である。対岸に漁協の建物(これもロケで使用された)があるが、すぐ向こうに見える。ちょっと肩のできている人ならキャッチボールもできそうだ。

Dscn4191Dscn4219小さな入り江には幾層もの小型漁船がもやっており、そのすぐ向こうに民家が見える。

Dscn4194入り江を囲む集落の中で目を引くのが「濱崎食堂」ののれん。ご丁寧に店の前には定食やちゃんぽんのサンプルもあるのだが、ここは本物の食堂ではない。一般の民家に食堂の外観を造り変えたものである。映画では食堂のシーンもいろいろと出てくるが、それは東京のスタジオで撮影したのだとか。

Dscn4206Dscn4203映画では郵便局として登場した公民館の建物の角を曲がり、集落の中を過ぎて「冨永写真館」の建物に出る。「この写真館の前で、ウインドウに飾られた亡き妻の若き日の姿の写真を高倉健が見ているところ」というのが映画のポスターに使われているのだが、この写真館も民家をそれっぽく改造したものだとか。

Dscn4208Dscn4224Dscn4212Dscn4213まあ、映画用に手を加えたりしたところはあるにしても、集落自体は作り物でも何でもなく、昔からの時間が流れている。平戸の市街地に風情ある通りがあるが、それが観光客を意識してそれらしく街並みを整えている感じだが、ここは昔ながらの町並みが映画のために注目されることになったところである。『あなたへ』は何かの小説を映画化したものではなく、一から話をつくり、脚本を組み立てたものである。だから、旅の終わりとなる港は別に薄香でなくてもよかったはずだ。その中で、よくこの港を映画のロケ地、それも「平戸の薄香」として登場させた制作陣の力はすごい。

しばらくぶらついたところで戻ることにする。冨永写真館のあるほうの道を上っていくと少し急な坂道が続くが、こちらから出るとさきほど通った覚えのある道に出てきた。距離で言えばこちらのほうが近いのではないかと思う。平戸市街から歩いても30~40分で来ることができるというところである。

Dscn4230市街地に戻り、そろそろ昼食時ということで店を探す。さすがに大晦日ともなると休業となっているところも多く、結局は桟橋近くにある「元祖海鮮ちゃんぽん平戸」という店に落ち着く。

Dscn4229その名のとおり平戸のちゃんぽんは海鮮を多く使うのが特徴とかで、エビやイカの他にもアサリ、サザエも入っている。朝から結構歩いたのでビールとともに心地よく腹に収まっていく。

Dscn4232前日の夕方からこの日の午前中までの滞在であったが、いい港町であった。そろそろ次の目的地である長崎まで移動するために今度はバスに乗車。平戸大橋を渡る。また来てみたいなと思いながら・・・。

コメント

平戸散策

2014年01月11日 | 旅行記H・九州

12月31日、大晦日である。

Dscn4146西の平戸の夜明けは結構遅い。また雲も出ている。天気予報では時折雨も降るとのことであった。そんな中で朝に再び水族館の大浴場に入り、朝食。バイキング形式のおかずには平戸ならではのアゴ(トビウオ)の干物や蒲鉾などもあった。

ホテルのマイクロバスで平戸桟橋まで送っていただく。これからしばらく平戸散策であるが、ビジターセンターで荷物を預かってくれるということで大きなバッグを託して身軽になる。

Dscn4153Dscn4152まず向かったのは、またホテルのほうに戻る形になるがオランダ商館。ちょうど開いているのでのぞいてみる。オランダの東インド会社の貿易の拠点として栄えた平戸、現在その当時の史跡の復元に取り組んでおり、その中で2011年にオープンしたスポットである。

Dscn4155中ではオランダ貿易の歩みについて紹介されている。地図や地球儀などを見ると、当時の世界観というのがわかる。日本も西日本が大きく、東日本はまだ地の果て、北海道は大陸とつながっているのか、曖昧な描き方である。今のように航空機で結ばれているわけでもなく、航海(大西洋、インド洋回り)での往来ということになると、玄関口にあたる九州の描き方が詳細になるのもうなずける。外国船にとっては日本といえば九州で、江戸というのははるか彼方の奥地に思われたことだろう。

Dscn4158貿易の発展にともない倉庫も建設された。それを復原したのがこのオランダ商館の建物。1639年という、日本の歴史で言うところの鎖国が行われた年。倉庫の外に、建設した年を記念した「1639」という銘板があったのだが、このアラビア数字がキリスト教に通じるという幕府からのクレームがつき、せっかく建てたばかりなのに取り壊しを命じられ、平戸からの締め出し、出島に押し込まれる形になった。こうなるとほとんど言いがかりの世界で、幕府としては兼ねてからオランダ船の平戸締め出しを画策していて、その口実ができたとでもいうところだろうか。

Dscn4151この後は当時の遺構として残るオランダ塀を見て、平戸の風情ある通りを歩いて、前夜に訪れた「寺院と教会の見える道」に向かう。

Dscn4171Dscn4172今度は明るいところでそれらの対照を見ることになる。改めて、西洋と東洋の対照、江戸初期の風情ですなあ・・・と感じるが、後で調べてみると寺院である光明寺は開山は江戸初期だが現存ずる建物は江戸後期のもの、そしてザビエル教会にいたっては昭和初期のものであった。この坂道で、貿易が盛んだった頃の平戸に思いを馳せるというのもちょっとピントがずれているようである。

Dscn4177光明寺の境内に入る。ちょうど平戸の港を見下ろすところ。ただこうして見ると、平地の少ない平戸というのは、仮に東インド会社の貿易が続いていたとして、本格的な国際港として栄えたのだろうかということである。やがては長崎に移り、その後、長崎が港町として、そして造船の街として栄える(原爆を落とされたという悲劇はあったにしても)というのは歴史の流れだったのかなとも思う。まあ、それがあるから素朴な風情が平戸には残ったのだろうが。

Dscn4184Dscn4181改めてザビエル教会に出る。今度は教会の中も見せてもらう。普段教会に接する機会というのがないだけに、寺社とは違った神聖さを感じる。

さて、ここまで来れば平戸の市街地散策は一段落である。時間はまだある。そうなると、地図を広げてみて、あそこまで歩いてみようかと思う。ザビエル教会まで来ると結構近いようにも思う。先ほど見た平戸の港の反対側にある、もう一つの港へ・・・。

コメント (2)

平戸の夜・2

2014年01月10日 | 旅行記H・九州

平戸のホテルに宿泊した夜、まだ時間があるということで外の散策に出る。宿泊した平戸海上ホテルは平戸の夜をバスで回るナイトツアーを行っているとのことだが、あいにく宿泊した30日はすでに満員という。ならば、自力で歩いて回ることにするか。いくつかのスポットではライトアップを行っているようだ。

Dscn4124やはりまず目にするのは対岸の平戸大橋。それに平戸城もライトアップされており、なかなか絵になるものである。

Dscn4123それらと向かい合うのが、最近復原されたオランダ商館。こちらは特に年末年始の休日について案内がなかったので、明日の朝来れば開いているだろうか。こちらは楽しみに取っておこう。

Dscn412910分ほどで平戸の桟橋をした中心部にさしかかる。国道から一つ入ったところは、あえてそのような造りなのか、明治、大正を思わせる古い家並みが広がる。ただどの店も閉店が元々早いのか、灯りのついている店はごくわずか。やはり、夕食を街中で取ろうとしても難しい感じで、1泊朝食つきのプランに夕食を追加したのは正解だったと思う。まあ、ここも明日の午前中に散策することになるので、昼間ならまた違った表情を見せることだろう。

Dscn4134桟橋に出ると、海面近くはグリーンのライトアップ。対岸には平戸城の天守閣だが、幻想的な色合いを見せる。

ここまで来ると、平戸で最も有名な撮影スポットと思われる「寺院と教会の見える道」を上る。こちらは照明を落としているので足下が不確かなところもある。懐中電灯があればなとも思うし、こういうところを一人で上るのもちょっとビビる。まあ、カップルなら二人だけの世界を楽しむのにうってつけだろうが。

Dscn4138ここも昼間なら寺院と教会の対象の妙を感じさせるところだろう。夜ならば、暗闇の中に(ちょっと不気味な感じもある)浮かぶ寺院と、ちょうどライトアップされて温かみを出している教会の妙を感じるところである(それにしても、カメラと写真の腕前がアカンなあと思う)。

Dscn4142Dscn4145石段をさらに上がり、ザビエル記念教会に出る。他には誰もおらず、このスポットを独占する。「天に栄光、地に平和 メリークリスマス」という横断幕と、ささやかなイルミネーション。まあ確かに、教会ならイルミネーションは似合うところである。キリスト教を信仰しているわけではないが、何だか心温まるというか、1年の締めくくりに心を落ち着かせるのにはふさわしいところのように思った。寒いのも忘れてしばし佇む。

この後はもう一度坂道を下りて、途中のミニショップで飲み物を購入してホテルに戻る。寝る前にもう一度入浴をということで、今度は内風呂のほうに入る。ここは「水族館大浴場」という名前で、浴場の外側に水槽があり、そこを魚たちが泳いでいる。それを見ながら浴槽に浸かったり、体を洗ったりする妙な光景。以前には「何コレ珍百景」でも紹介されたとか。まさか外海に直結・・・ではなくあくまで水槽のようだが、タイやらカワハギなどが泳ぐ、時には群れになって勢いよく回るのも面白い。季節によってはウミガメも泳ぐらしい。

さすがに浴槽で写真を撮ることはできないので、その様子は平戸海上ホテルのホームページなどをご覧いただくとして、裸で魚と向き合うのも妙な感じである。水槽のガラスの向こうで、魚たちには人間の姿はどう映っているのかな。ガラスに近づいてきたタイの頭に向けてコンコンと叩いてやると慌てて向こうに行く。

平戸のホテル、夜の景色、結構なものである。翌日は半日ここにいる予定で、今度は日中の風情、そしてある映画で注目されることになったスポットにも訪れる予定である・・・・。

コメント