まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

大糸線を行く~ぐるり北信越

2014年08月31日 | 旅行記C・関東甲信越

この週末は新たなネタの収集ということでお出かけ。ついに「新企画」も始動したことで、また改めて書くことができればと思う。

・・・とその前に、半月が経過した北信越紀行について。

タイトルを「ぐるり」としたのは、これまで北陸線、北越急行、信越線と回ってきたところを、糸魚川を境に大糸線を南下、後は信州を経由して東海から関西に戻るというもので、これも「なるべく循環型コースにして、『往路』の区間を長くする」ということである。

Dscn8785 糸魚川は新幹線のホーム建設に合わせて、駅舎も橋上型となっていた。明るく機能的な感じのコンコースで、新幹線ホームへはまだパネルで遮断されているが、開業を祝っての新幹線や糸魚川観光案内の展示が行われている。

Dscn8788 ただ、この新幹線ホームには、汽車旅好きの方にはおなじみかもしれないが、かつてレンガ造りの機関庫があった。その横にはキハ52という気動車も停まっていた。そんな記憶を思い出す。ただそれらも新しいものに替わられる。それは今さら言っても仕方ないことである。

Dscn8786 これから乗るのは8時15分発の南小谷行き。新幹線開業後は北陸線が経営分離されるため、JR西日本としては糸魚川~南小谷がポツンと離れ小島のように残る。同区間の廃止の噂もくすぶっており、今後どうなるかわからない。ひょっとしたら乗るのは最後かなという思いで気動車に乗り込む。車内でトイレを使おうかとドアを開けようとすると、「使用中止」の文字。仕方なく階段を上がる。後で車内放送で「現在この列車のお手洗いは”満水”のためご使用になれません」とあった。「満水」って、それは糞尿がたまってあふれそうな感じということか??そんな、トイレのメンテナンスもきちんと行わないとは、やはりこの線へのJRの姿勢というのかな、それを感じさせる。

外は雨が降っている。この列車の終着後、南小谷駅から栂池高原に向かうバスが出るのだが、それに乗るかどうかまだ思案する。ただ段々と「中止」の方向に頭が行く。乗客は大きなリュックを背負った客も結構いて、これからどこかの山に行くのだろうか。

Dscn8796 列車交換をする根知を過ぎると姫川と並走する。名前は優雅だがその実は暴れ川で、これまでに何度も氾濫して、大糸線も長期の運休を強いられたことがある。それも路線の廃止が取りざたされる要因でもある。

Dscn8798 さてこの日、上流から濁流が押し寄せている。幸い列車が運休になることはないが、この区間は30キロ程度の速度でゆっくりと進む。小滝から平岩までは営業キロで7キロ足らずのところを12分もかけて走る。まあ、安全を期して慎重に走ることは致し方ない。この区間は線路があるだけでもよしとしなければならないのだろうから。

温泉地のある平岩から乗客があり、南小谷に向かう。雨が止む様子もなく、この時点で栂池高原行を中止することにした。接続の列車に乗って大糸線のどこかで途中下車するか、あるいは松本まで一気に南下するか。そうすると夕方に南小谷を出る「リゾートビューふるさと」号の乗車もあきらめることになるが、仕方がない。この日は降るなら降っても仕方がない。ただ明日(17日)はBCリーグの試合観戦があるので、そこだけは何とか避けてほしいという願いである(後日、栂池自然園のブログを見ると「お盆の後半は雷雨がひどく、ゴンドラが運休したりでちょっと残念でした」とあった。ゴンドラが運休ならバスで上がっても途中で引き返すことになったということで、早々と中止にしたのは結果的に正解だった)。

Dscn8817 Dscn8821 9時18分、南小谷に到着。次に乗るのは9時46分発の松本行である。やってきた車両を見ると、主に首都圏や東海の中距離列車で走る211系。全車ロングシート車である。これらの地区で新しい車両も導入されたので、信州に押し出されてきた格好である。はあ、ここでも全車ロングシートか・・・。

確か大糸線にはオリジナルの車両があり、白馬を見る側はボックスシート、安曇野側はロングシートというのがある。こういう形に改造するということはなかったのかなと思う。まあ今日は外の景色もほとんど見えないからどちらでもよいのだが。

あれこれ考えて、このまま松本まで南下するのももったいないということで、とりあえず信濃大町で降りることにした。塩の道の要衝であり、駅近くにある資料館を見るのもいいだろう。町の中なら、多少雨が降っていても歩くことはできる・・・・。

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直江津駅弁と急行型車両~ぐるり北信越

2014年08月29日 | 旅行記C・関東甲信越

8月15日夕方の直江津。鉄道の要衝、佐渡への玄関口ということもあり、何度か宿泊しているところである。

ただ、食事を取るところがほとんどなく、夜の町を歩いてもこれという店がなかったように思う。イトーヨーカドーで惣菜を買って済ませたこともあった。

さてこの夜の宿泊は、駅正面のホテルハイマート。前回はここのレストランで地元料理を味わったのだが、今回はある一計を案じた。ホテルハイマートは直江津の駅弁業者でもある。「鱈めし」や「磯の漁火」といった日本海の幸を盛り込んだ駅弁で知られるが、ホームページで「弁当予約可」とある。直江津に着くのが夕方、翌朝も早くに出るので、現地でこれらの駅弁に会えない可能性もある。ということで、事前予約して駅で受け取るように、出発前にメールで注文した。

すると、宿泊するのであればチェックイン時にフロントで渡すとの返事があった。これはありがたい。

さて、「越乃Shu*Kura」が直江津に到着したのが18時すぎ、ホームでトワイライトエクスプレスの写真を撮って改札口に上がると、駅弁売りのワゴンは店じまいの最中だった。18時で店じまいとは結構早いように思うが、なるほど、ホテルフロント受け取りで正解だった。飲み物だけ売店で購入し、ホテルに入る。結構雨足が強くなった。部屋代と駅弁代が一括精算というのも面白い。

この日から大正ドームではバファローズとホークスの首位攻防3連戦。何だかそれに背を向ける感じで旅に出たわけだが、この夜はホテルから一歩も外に出ないこともあり、駅弁をやりながらパソコンで情報収集する。

Dscn8767 さて今回は3種類を選択。トワイライトエクスプレスの食堂車の豪華なディナーに比べれば貧相かもしれないが、駅弁の競演というのもなかなかできるものではない。まず最初に「するてん」。スルメイカの足を天ぷらにしたのだが、要は大衆酒場やセルフ式讃岐うどん店の「げそてん」。新潟あたりでも「するてん」は郷土料理であり、先の「越乃Shu*Kura」でもおつまみメニューで売られていた。天ぷらをメインとした駅弁はありそうでなかなかないのでは。

Dscn8769 続いて「磯の漁火」。サザエ煮やもずく、イカ焼きなどが入る。最初にこれを食べた時、「こんな居酒屋駅弁があるのか」と感心した。事実、駅弁で何かの賞を取っているはずだ。その時は急行型車両のボックス席に座り、窓のところのテーブルに地酒の瓶と一緒に並べていただいた。そんな旅ももうできなくなるのかなと思うと残念なのだが・・・。

Dscn8768 そして最後は直江津のエース「鱈めし」。さすがに米粒はもうお腹一杯なので、おかずのみいただいた。棒だら煮にタラコの親子弁当である。結構味付けは濃い。それが日本海、東日本の人たちの味覚には合っているのだろう。こうして比べると、いずれの駅弁も新潟の酒に合うものばかりだし、地域に根差した味と言えるだろう。

ただ心配なのが、北陸新幹線の開業で直江津の駅弁の客も減るのではということ。この記事を書いている8月末になって、北陸新幹線開業に伴う在来線の概要が発表されたが、特急の北越、はくたかの廃止だけでなく、長野方面から新潟方面に抜ける快速も廃止となるようだ。上越市への玄関駅は新幹線の上越妙高駅(信越線から転換されるえちごトキめき鉄道の脇野田駅に隣接)となるわけだが、ホテルハイマートは果たしてこのまま継続して直江津に駅弁を出すことができるだろうか。あるいはこちらから上越妙高駅に討って出るか。判断の分かれるところだろう。

この夜はバラエティー番組で鉄道ものをやっており、中川家礼二たちが富山の鉄道を乗り歩いたり、蛭子能収が旧高千穂鉄道の高い鉄橋を訪ねたりしていた。高千穂はともかく、新幹線開業後の富山の交通の変化はまた見たいものである。この日は部屋でまったりと過ごし、そのまま就寝・・・。

さて翌日16日。またも雨足が強い。この日は糸魚川まで出て、大糸線に乗り継ぐ。途中、南小谷もしくは白馬から、バスとゴンドラ、ロープウェーを乗り継ぎ、栂池自然園に行くことにしていた。せっかく信州を訪れるので、自然を楽しむことも入れる。そして夕方は信州のイベント列車である「リゾートビューふるさと」にて松本に出て、さらに上諏訪まで南下する。

ただ、雨の様子はどうか。テレビの天気予報は曇りとも雨とも言う。自然園は遊歩道が整備されており、ブログでも「雨で傘の花が開いてます」という記事があり、行こうと思えば行けないこともない。一応途中のコンビニでレインコートも買ってある。

まあどうするかは、とりあえず大糸線に乗ってから判断しよう。そう決めて改めて窓の外を見る。ちょうど直江津駅のホームを見ることができ、一番手前のホームに白地に青帯の北陸線カラーの列車が見える。よく見るとドアは車両の端にある・・・。おっ、急行型の475系ではないか。今回の旅で北陸線の列車に乗る機会は2回だが、2回目で当たることになりラッキーである。

急いで支度して駅に向かう。青春18だが、改札口には「お客様対応のため不在にしております。ご用の方はみどりの窓口へ」の立て札がある。ただ窓口も客が並んでおり、日付印はあきらめてそのままホームに出る。

Dscn8770 急行型車両と書いているが、本当に急行として走っていたのには乗ったことがない。私が乗り鉄をやるようになってから、もっぱらローカル列車としての運用である。でもシートはゆったりしているし、テーブルもある。乗り心地も悪くない。

Dscn8777 ただ、扉がデッキのある両端にしかないことから、通勤通学時間帯には乗り降りに時間がかかるなど、生活の足としてはあまり評判よくなかったようである。また車両の年季も入ったことで少しずつ現役を退くようになり、今は北陸線で細々と走るのみ。そして、来年の北陸新幹線開業でJRから転換されるのにともない、全面引退となることが確実視されている。

Dscn8782 廃止、引退間際となるとまたそれを惜しむ人たちで混雑する事例は山ほどある。急行型車両の場合は混雑したほうが昔の急行らしいのだろうが、「ローカル列車としてゆったりと旅した」という経験の私としては、まだ空いているうちにお別れ乗車ができるのはよかった。その筋らしい客の姿は見るが、ボックス席を楽に独り占めできる。

海の景色を見るが、空はどんよりとしているし、雨も降って波もそれなりにある。冬の風情に近い。乗客の出入りもほとんどないまま淡々と走り、糸魚川に到着する。列車は富山行きで、何なら予定を変更して富山まで乗ろうかと思ったが、ここは計画通り降りる。そして発車を見送る。これが、急行型車両の見納めになるのだろうなと思いつつ・・・・。

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長岡、青海川、直江津~ぐるり北信越

2014年08月28日 | 旅行記C・関東甲信越

「越乃Shu*Kura」はギターとフルートの音に乗って飯山線を行く。山村の景色はいかにも「和」のテイストである。

Dscn8680 この「Shu*Kura」というのは「酒蔵」ということであり、間に*が入るのは「米印」を意味する。好みの問題はあるだろうが、最近人気の「水戸岡デザイン」よりは、こちらの落ち着いた感じの内装のほうが気に入った。

Dscn8686 飯山線の終点、越後川口で最初の停車。ライブ演奏も終わり、ここから上越線に入る。今度は信濃川が車窓のメインである。

Dscn8690 代わって2号車では「美容液作成体験」が始まる。無料の体験であり、アテンダントが希望者に整理券を配っていたのだが、ええアラフォーオヤジが美容液でもないだろうと特に手を挙げなかった。ただ、どんなことをやるのか、試飲のグラスを傾けるながらの見物である。

化粧水と酒。酒は銘酒吉乃川を使う。それぞれ決められた量をスポイトに取り、小皿に移す。そしてこの混合液をかき混ぜる。すると乳白色に変わる。2分くらいかき混ぜたところで小型容器に入れて出来上がり。

Dscn8703 実はこの後でもう一度このイベントがあり、アテンダントから「男性の方もぜひどうぞ」と言われたので参加したのだが、不思議な感覚である。皿に残った分を指ですくって手や顔に塗ってみると、肌にもっちりした潤いを与える感じだった。日本酒の精には力があるのか。

Dscn8693 Dscn8694 話を戻して、1回目の美容液体験が終わったところで長岡に近づく。長岡では3号車からも半数が下車して、また新たな乗客があった。ここまで空席だった私の隣にも客が来たが、イベント列車というより、たまたま長距離行くのに指定席のある快速が来たから座ったという感じの客である。知っていてそうしているのかな。私も一杯入った状態でそういう人の隣に座るのはちょっと気が引けたので、端のソファー席に陣取る。今回、十日町から直江津までの指定席を買うのに残り1だったが、乗客の入れ替わる長岡まで、あるいは長岡からならもう少し空席があったのかもしれない。

長岡まで、長岡からのそれぞれの客に配慮する形でライブ演奏と美容液体験が1セットずつ組まれている。私はしばらくはソファー席で休憩がてら、長岡からの車窓を眺める。そこに美容液体験の整理券を配りに来たのでやってみたのは上記の通り。

Dscn8706 列車は柏崎を過ぎる。美容液体験で2号車に行ったことで、またそこで立ちながら列車の揺れに身を任せる。そろそろ夕方の気配で、雨はないがどんよりとした曇のために外が暗く感じる。

Dscn8719 そして、青海川に到着。「日本一海に近い駅」だったか、ホームのすぐ横が海岸である。もっとも、海水浴客で賑わうというよりは、日本海ならではのどこか寂しさというのか、それだけ旅情が感じられるという駅である。

Dscn8724 Dscn8727 かつてのドラマ「高校教師」で、教師役の真田広之と生徒役の桜井幸子が最終回でこの駅を訪れるシーンがあった。それでインプットされたことから、何回かこの駅に来た。駅横の海岸にも降り立ち、ハングル文字の入ったゴミを見つけて大陸とのつながりを感じたり、ある時は駅ノートが切れているのを見て手持ちのノートを置いてきたり。その後、新潟中越の地震で駅舎などに被害が遭ったのを見たこともある。

Dscn8731 Dscn8718 結構ブランクがあった後の青海川駅に降り立つ。するとどうだろう、イベント列車を歓迎ということで、地元柏崎の皆さんのおもてなしである。味噌汁の振る舞いや土産物販売、さらには「越乃Shu*Kura」をバックにミス柏崎との記念撮影なんてのもある。

青海川で20分あまり停車するからこそのイベントであるが、これまでの中で、この小さな駅の賑わいに接したのは初めてである。まあ、列車に乗っているのは50人いるかいないかなので大混乱というわけではないが・・・。

今回久しぶりの青海川駅となったが、ここはやはり普通の鈍行列車に揺られて、降りるのはさすらいの旅人一人・・・という演出のほうが面白いかと思う。思いっきり主観だし、いくら青春18とは言え、そう上手いプランニングができるものではない。

Dscn8735 車内に戻る。実は青海川から本日最後となる3回目のライブ演奏が始まっていたが、乗客の多くが外に出ていたためにガラガラでの演奏となっていた。最初の山村での田園風景とはまた違い、今度は海を背景とする。曲目も「浜辺の歌」になった。青海川駅のBGMはドラマの影響か森田童子のあの歌声が頭に流れていたが、こうした日本の唱歌も新たにインプットされる。そして海ということでドラマ「あまちゃん」のテーマ曲を経て、ライブ演奏のラストは「上を向いて歩こう」。頭のなかにいろいろなエピソードが浮かぶ。最後となると乗客からも手拍子が起こる。十日町からずっとこの2号車でさまざまなグラスやアテやらを楽しんでいたお兄さんも独自のリズムを取りながら最後は一人盛り上がる。この人こそ、レジェンド・オブ・呑み鉄にふさわしいと勝手に思ったりする。それに比べれば私など可愛いもので・・・。

演奏が終わるとまたソファー席に戻る。ここから外は雨模様になってきた。最後はまったりと過ごす。

直江津に到着。ホームの長岡寄りにはカメラを構えた人たちが大勢いる。それだけこの「越乃Shu*Kura」が人気なのかと思ったが、彼らのお目当てはそうではなく、ホームに横たわる濃い緑の客車。

Dscn8752 そう、来年春で廃止となるトワイライトエクスプレスである。ちょうど夕方の時間帯に直江津に到着した札幌行き。

Dscn8756Dscn8758 私もこれまで乗ってきた列車との別れを惜しむことなく、隣のホームに停まっていたこの列車のショットを収める。これまで乗車したことがないし、おそらく廃止が決まっても乗ることはない列車であるが、鉄道の旅のイメージを高めるのに大きく貢献した列車であることには違いない。車内からホームのこちらを眺める乗客の表情にも喜ばしいものを見てとれる。

Dscn8763 最後尾まで行ったところでゴトリと発車する。乗客の皆さんにはぜひ夏の良い思い出としてほしいし、こういう列車が旅立つ直江津という北信越の要衝にも誇りを持ってほしいところである。

15日夜は直江津で一泊。外に出ると結構強い雨が降っていた・・・・。

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「越乃Shu*Kura」に乗車~ぐるり北信越

2014年08月27日 | 旅行記C・関東甲信越

今回の旅にでる3日ほど前だったか。通勤で通るJR西日本の駅のみどりの窓口に1枚の指定席申込用紙を差し出す。

若い係員はしばしそれをじっと眺めた後、端末に向かう。果たして発券できるのかな。エリアからは遠く離れた、しかも臨時列車。列車の読み方でつまずいたら時間かかりそうなので、列車名にはふりがなを書いておいた。・・・・「コシノシュクラ」。

最近の端末は駅名や列車名の頭文字、あるいは発車時刻を入力すれば候補列車が出てくるようだ。「残り1」と見えたように思う。

「特急券だけでよろしいですか?」と訊かれる。正しくは快速列車の指定席券なのだが、今はそういうことはどっちでもいい。ともかく残り1席でもあってよかった。全席指定だから指定席券がなければ乗れない。「だけで結構です」と答える。これで、3日目の内容がさらに濃くなり、十日町の見物もできたわけだ。「とおかちょう・・?から直江津まで、コシノシュ・・・クラ?の特急券です」と差し出された。発券はできたけど、係員にすれば何やこれ?ってな感じだろう。

Dscn8666 Dscn8643 若い係員が自信なさげに対応したのも無理はない話で、私もこの「越乃Shu*Kura」が8月に高田から長岡を経由して十日町まで往復運行しているのに気づいたのが旅の直前のことだった。新潟のほうで、日本酒が飲めるイベント列車があるとはちらっと聞いたことはあったが、これがそうだった。時刻表でも巻頭の臨時列車のページに書いてあり、本文中になかったというのも気づいたのが遅くなったことである。

Dscn8667 Dscn8669 さて十日町のホームへ。キハ40、キハ48を改造した車両は3両編成である。このうち1号車は、ゆったりしたボックス席やら窓に向かって座るカップル席がある。これに乗れば豪華な旅となるが、ここはJR東日本の旅行商品「びゅう」の客専用である。旅行プランで申し込めば、こうしたシートに座れるし、オリジナルの地酒の瓶や弁当などもついてくる。ただし、2名以上での申し込みとなる。青春18の一人旅では乗ることができない。

Dscn8664 Dscn8663 そういう一般客に用意されているのは3号車。こちらはリクライニングシートが並ぶ。とは言っても前の席との間隔は広いし、窓も大きい。また車端はフリースペースのソファー型の席がある。こちらでくつろぐのもいいだろう。普通にみどりの窓口で取れるのはこの車両だけで、30席くらいしかない。だからある意味ラッキーなわけだ。

Dscn8675 こうした指定席だが、列車の見所としては中間の2号車が一番だろう。ここは乗客誰でも入れる車両で、片側にはカウンターテーブルが続く。また中央は4~5人で囲む丸テーブルとフリースペース。1号車寄りには物販のカウンターがある。

Dscn8671 Dscn8673_2 この2号車はイベントスペースであり、飲食物やグッズを買うだけでなく、地酒の飲み比べも楽しむことができる。専用クーポンを購入すると、その枚数に応じて酒の銘柄やおつまみが選べる。地酒は5種類で、クーポンが1~3枚と区別されている。ううっ、この枚数が酒のランクそのものか。ただ、3、2、2、1、1という振り分けで、クーポン10枚を購入すれば、5種類全部と陶製のおちょこ一つ(クーポン1枚)で釣り銭なしとなる。そこは上手く考えたのかな。

Dscn8674 私の席は一般席の3号車なのだが、こんな車両となれば2号車がベースになりそうだ。他にも同じ考えの人も多いようで、しっかり陣取っている。また一方で、(気色悪い鉄ヲタにはそんな奴が多いのだが)用もないのに2号車に居座るヤツもいる。こいつ、絶対アテンダントかバンドの(あ、これはまだ触れてなかったな)女性目当てやろという感じ。あるいは女性にも目もくれないヲタか。こいつらの中で、自分のせいで、日本酒列車を楽しむことができない人がいることに思いを致すことはあるのだろうか。まあいないだろうな。

ここでバンドのことにも触れる。2号車の中央ではジャズの生演奏を楽しむことができる。ギター、ベース、フルートの3人であるが、片道で1回20分ほどの演奏を3回こなす。

Dscn8670 さて、「越乃Shu*Kura」はそんな中であっさりと発車する。それと同時にジャズの演奏も始まり、カウンターには地酒のおちょこが並ぶ。目には越後の豊かな山村、耳にはよく知ったナンバーの心地よい調べ、そして舌には越後の地で育まれた味わい・・・。

こうなると、鉄ヲタだろうが呑み鉄だろうが関係ない。まったりと越後の地を走るだけである・・・。

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十日町にて~ぐるり北信越

2014年08月26日 | 旅行記C・関東甲信越

越後湯沢11時44分発の北越急行回りの直江津行きに乗車する。外は雨が降っており、結構雨足も強いようだ。

Dscn8631 今回乗車したのは北越急行の「ゆめぞら」号。転換クロスシート車両は、新幹線からの接続もありデッキに立ち客も出る大入りである。

ところでこの車両、日本初の「シアタートレイン」として知られる。トンネルが多いのを逆手にとって、天井を巨大スクリーンとして映像作品を上映するのである。過去に一度見たことがあるが、なかなか面白いものである。もっとも「静かにご乗車になりたい方は、デッキのロングシート部分にご乗車ください」という放送も流れるのだが。

Dscn8636 六日町を出発するとトンネルが近い。車両が暗くなり、音響とともに天井に映像が流れる。いろいろな星座の形が現れ、そのモデルとなった生き物などに姿を変えて動き回る。なかなかダイナミックである。後で北越急行のホームページを見ると、2両編成のうち六日町寄りの車両は天井を全面に使った迫力ある映像だが、犀潟寄りは落ち着いた感じの映像を流すという。もし「ゆめぞら」号で往復するのであれば、行きと帰りで車両を変えてみるといい。

ただ、トンネルを走るのはいいが駅に着くと客扱いをしなければならない。その時は音楽も途中で切れて、車内の照明がつく。スクリーンを一つの「作品」とするなら途中で切るのは無粋にも思うが、それは仕方ないことだ。あくまで、トンネルの中を退屈に過ごさないための余技であるから・・・。

Dscn8640 十日町に到着。大勢の客ととともにここで下車する。一山超えて雨は止んでいる。飯山線の駅であるJR側の出口から出ることにして、北越急行の乗り換え口で線内運賃を現金払いする。十日町と言えば高架ホームのある北越急行のほうがメインのように見える。

Dscn8641 Dscn8642 十日町のホームの外れにはこの車両が停車していた。本日のメイン列車であり、この指定席が取れたから越後湯沢から十日町を回ろうというプランになった。乗車記についてはこの後記事を改めて書くことにする。

Dscn8645 その前に、十日町で2時間半ほど時間がある。へぎそばで有名な店も駅の近くにあるが、先ほど「大爆おにぎり」を食べたばかりである。空腹は感じておらず、それはパスにする。以前に列車の時間待ちで下車した時は駅前を少し歩いて、雪の多いところらしく雁木造りの商店街があったのを覚えているが、今回は駅から10分ほど歩いたところのあるスポットに行くことにする。

Dscn8646 それは越後妻有里山現代美術館「キナーレ」というところ。最近の十日町は、雪やそばの町というよりはアートの町として活性化に取り組んでいる。ちょうどこの期間は里山風景と現代アートのコラボである「大地の芸術祭」が開かれている。越後妻有の地に点在する集落を舞台にアートが楽しめるのだが、さすがにそこまでは行けないので、常時作品を展示する美術館であるキナーレを見学する。

Dscn8658 中央に池があり、その周囲を回廊状に建物を配した現代建築。手がけたのは京都駅ビルや札幌ドームなどの作品もある原広司氏。企画展示「全ての場所が世界の真ん中 1/100,000妻有」というのが行われている。

Dscn8651 Dscn8653 どうもこうした現代アートというのは、見ていてもよくわからないものが多いのだが、それでも見てしまうのはなぜだろう。その中でも、越後妻有の土や木をテーマにしたもの、火焔式土器の展示(これはアート作品というよりは歴史展示だが、土器にこのようなデザインを施すというのも、妻有のアートの原点?と言えなくもない)などがある。

その中で面白かったのが、クワクボリョウタ氏の作品。真っ暗な部屋で、鉄道模型に乗せた光源が走る間に、床に置かれたいろいろなモノの影を次々に壁に投影する。ちょうど列車に乗って壁に投影される中を旅しているかのような感覚になる。置かれているのは十日町の織物器具や農機具などを使ったもので、これも越後妻有の土地に根差したアートと言えるだろう。

Dscn8654 そうすると、一つ一つボンヤリ眺めていたのでは単なるよくわからないアートが並んでいるだけなのが、それぞれが越後妻有の地をテーマとしていることが見えてくる。なるほどね。

Dscn8648 それなりに見物したところで、「キナーレ」の1階にある「明石の湯」に向かう。アートと温泉・・・なかなかよろしいものである。美術館は空調が効いておらず、作品を見ていてかえって汗が出てきたので、ここでの一息は良かった。中のシャツも替えてしばし休憩である。

大広間にはテレビが2台あり、いずれも高校野球の中継が流れる。ちょうど大阪桐蔭対島根の開星の試合中である。そう言えば、2年前には同じ夏旅で妙高を訪ね、その時に入った温泉施設で食事した時にもテレビでは大阪桐蔭の試合をやっていた。あの時は藤浪と森のバッテリーで優勝したのだが、今回はどうなるか(その後、初戦を含めて逆転勝ちを続け、この夏は通算4回目の優勝を果たした。この偶然には驚き。決勝戦だけを捉えれば、三重に優勝してほしかったのだが・・・)。

Dscn8662 Dscn8661 そろそろ駅に戻る。駅前では石彫作品の過去のコンテスト出品作の展示があり、これを見てから駅に入る。十日町、越後妻有というところのアート熱を感じられた一時であった。 さてこれからが、本日のお楽しみ列車の出発である・・・。

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ぽんしゅ館に大爆おにぎり~ぐるり北信越

2014年08月24日 | 旅行記C・関東甲信越

富山を早朝に出発して、直江津乗り換えで越後湯沢に着いたのは9時37分。今回の旅、そもそもは東海道を東進して、静岡から甲府へ上がり、諏訪湖まで回って大阪に戻るプランだった。それが実行する時には高山線から富山に出て、さらには越後湯沢まで来るということになるのだからわからない。

Dscn8611 越後湯沢まで来たのはやはり「ぽんしゅ館」の存在である。旅の間だけは大いにやることにして、こちらの施設を午前中に持って来ることにした。東京在住時代から何度も訪れているところである。

Dscn8612 Dscn8614 玄関にこういうオブジェがある。これが訪れる人の笑いを誘う。その奥にあるのが「利き酒越乃室」というところで、新潟の上越、中越、下越、魚沼、佐渡の5地方にある酒蔵93ヶ所の自慢の一品を味わうことができる。受付でコイン5枚を購入し、飲みたい銘柄の注ぎ口におちょこを置き、コイン1枚を入れてボタンを押すと出てくる。

Dscn8613 ただ、よほど新潟の地酒に詳しい人でなければ「どれを選んだらええねん」ということになるので、それぞれのところに本醸造とか純米酒とか、日本酒度などの特徴が紹介されているし、壁には人気のランキングやおすすめの酒の番号が書かれている。これを見ながら選ぶのもいいだろう。

Dscn8616やはりよかったのはランキング一位の越後鶴亀。こちらについては実家の土産用ということで一本買い求めた。ここは利き酒だけであるが、同じ構内には販売コーナーもある。後は魚沼代表ということで小千谷の田友。

Dscn8619 これらを試食用の味噌や塩とともにいただくことができる。駅の構内でこれだけのものができてしまうのは新潟らしいところか。首都圏から新潟方面に向かうと最初に通ることもあるし、特急「はくたか」は北陸新幹線開業で廃止になるとしても、魚沼、上越地区への入口であることには変わりない。また越後湯沢そのものも温泉やスキーといったリゾート地区である。これからも賑わいを見せることだと思う。

そして今回は、久しぶりにチャレンジをする。同じぽんしゅ館の中にある「雪ん洞」のおにぎりである。以前は食堂の装いで定食ものや地酒の飲み比べセットも置いていたのだが、現在はおにぎりのテイクアウト(または、店の前のテーブルで食べる)方式の店である。魚沼こしひかりを使ったおにぎりは「爆弾おにぎり」として、1合の中に具をぎっしりと詰め、外から海苔を巻くもの。それでも、ソフトボールくらいの大きさはある。

今回チャレンジというのは、米4合に5種類の具をトッピングする「大爆おにぎり」である。もう6~7年も前になるか、この「大爆」を二度完食したことがあり、その時に店の方が撮影したポラロイド写真が店内の一角に飾られている。現在まで延べ140名ほどの達成者が名を連ねている。今回、さりげなく私の若かりし頃?の写真がまだあるのをチェックする。

具材には鮭、たらこ、梅干し、きゃらぶき、蕗味噌を選択。造っている様子を外から見ると、丼に米と具材を押し込んだものを2つ造り、その丼2つを合わせる。そして大きなおにぎりの塊をこしらえた後に、ラップで巻くような感じで海苔を巻きつける。

Dscn8625 そして出てきた一品がこちら。赤ちゃんの頭くらいはある。カウンターテーブルの向かいに座っていた人が思わず息を呑む。またここは土産物を買う人も行き来するので、周りの人も一瞬足を停めてこちらを見る。さてチャレンジだが、まずは豪快にかぶりつく。まず外側を攻めていく間は順調にいけるのかなと思った。以前の完食時も、思ったよりは早いペースで進んでいたっけ。

ただ、中から出てくる具材が曲者だった。結構辛く味付けされており、まあ辛いのが食欲を進ませるのだろうが、量も多い。具材は5つ「まで」選べたわけで、これなら一つくらい省いてもよかったかな。おにぎりの大きさは、具材の量の多さによるところもある。

中盤からは箸を使い、中をほじくり出していくところだが、どうも調子が出てこない。やはり怖い者知らずで来ていた30代前半と40代の違いだろうか。脂汗も出てきた。さすがにこれ以上無理をすることはできず、6割ほど消化したところでギブアップ。うーん・・・これも年かな。残りは店の方にアルミホイルで包んでもらったが、正直に白状すると食べずに途中で処分してしまった。白米と塩だけのおにぎりならよかったが、グズグズになった具材が邪魔をしたような感じもあったので。もし今度来ることがあったら、もうチャレンジはせずに、普通に1合の爆弾おにぎりにしておこう・・・・。

Dscn8627 駅前で無料の足湯につかる。越後湯沢に来ることにした時には午後の列車で長岡に上がり、信越線を通って直江津に戻る計画だった。それが、旅の出発直前でとある列車の指定席を取ったことで、また変更である。もう一度北越急行に入り、十日町に行くことにする。今からだと予定よりも早い列車で十日町に出ることができる。十日町は以前に列車の待ち時間で少しだけ駅前に出ただけなのだが、何かスポットもあるようである。それを楽しむとしようか・・・。

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最後の?北陸本線乗車~ぐるり北信越

2014年08月24日 | 旅行記C・関東甲信越

1日の旅行記を書くのに1週間かかってしまった。まあ、野球のことや広島の豪雨被害のこともあるし、仕事のほうもいろいろバタバタで体調も思わしくない。拙ブログへの心無い書き込みもあった。24日は大正ドームのチケットを持っていたのだが、観戦しようという体調や気分でもないので取りやめとした。まあ、選手の皆さんは何も悪くない話で、ベストプレーで勝利をつかんでほしい。

話は15日までさかのぼる。

Dscn8554 Dscn8556 前夜宿泊した富山のホテルを5時過ぎに出発。この日は5時46分発の直江津行始発列車で東へ向かう。富山の新しい駅舎の工事も着々と進んでいる。また、新幹線開業後は富山地方鉄道の市内軌道線と富山ライトレールを接続させるということで、富山の交通網もガラリと変わることになる。

ガラリと変わるといえば、新幹線開業後の北陸本線、信越本線もその対象。金沢~直江津、長野~直江津が第三セクターに移管される。IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道、しなの鉄道の4社。JR西日本は七尾線、城端線、氷見線、高山線、大糸線がポツンと枝線として残るだけになる。何だか、日本の幹線がズタズタに切り分けられるのを見ると、本当にそれでいいのかなという気になる。またこれは関係ないが、なぜ昨今の鉄道会社って「ゆるい」名前をつけたがるのだろうか。「石川鉄道」「富山鉄道」「越後鉄道」「信濃鉄道」で別に問題ないと思うのだが・・・。

新幹線開業が来年春ということで、線路はそのまま残るもののおそらく「北陸本線」としての乗車は最後ではないかと思う。

朝の富山はいかにも青春18で回ろうかという人の姿も多い。それはそうと、第三セクター線となった場合、青春18の扱いはどうなるのだろうか。同じように新幹線開業で第三セクターとなった青い森鉄道では、大湊線、八戸線に乗る客の便宜を図るため、青森~八戸を通過利用する場合で、野辺地、八戸で乗り換える場合に限り、青春18の使用を認めている。北陸新幹線の場合も、先に書いた枝線がいくつかあることから、それらとの乗り換え駅を利用する場合に限り別運賃なく利用できることになるのだろう。ただそれ以外の駅を利用する場合は全別運賃となる。まあ、青春18のような安いきっぷを利用させていただいているのが特殊なことだと言われればそれまでなのだが、地元の利用客にとってはJR+第三セクター線の運賃が発生するということで、大幅な値上げである。

Dscn8558 Dscn8561 直江津に向かうのは413系という近郊型車両。この車両も第三セクターの新会社に何両か引き継がれる予定である。できることなら、元急行型車両の475系というのに乗れればと思ったのだが、今は編成数も限られているし、こればかりは運である。おそらくこの急行型は新幹線開業とともに廃車となるだろう。

ボックスに1~2人の割合で発車。新幹線の高架橋も右手に離れ、幹線らしくモーター音を響かせて走る。この重そうなモーター音も国鉄型車両独特の味わいである。

Dscn8568 天気予報は朝から雨、昼から強くなるというものだったが、早朝の時点では青空も見られる。富山平野の向こう側にそびえる立山の山々も望むことができる。

Dscn8578 海岸に近い越中宮崎にはオートキャンプ場があり、テントやコテージ、キャンピングカーが見える。ああいうのもいいかなと思ったりする。

新潟県に入り、市振に到着する。かつては松尾芭蕉も通った小ぶりな町だが、あいの風とやま鉄道とえちごトキめき鉄道の境界駅でもある。ここを境に会社が分かれるわけだが、駅そのものは無人であるし、境界と言われてもピンと来ない。実際、第三セクター化されても列車は各社相互に乗り入れるのだろう。ただ、「富山発直江津」のような長距離列車が運転されるのかは微妙らしい。

Dscn8580Dscn8598 この辺りは日本海に近いところ。天候がもう一つすっきりしないが、第三セクター化後は「日本海ひすいライン」という路線名が与えられるが、この海を観光資源として活用できないかと思う。第三セクター4社の中で経営環境が最も厳しくなると思われるのがえちごトキめき鉄道となりそうなので。

Dscn8599 直江津に到着する。この日は北越急行方面をぐるりと回り、直江津に戻って宿泊する。ここで大きなバッグはロッカーに預ける。直江津も北陸線、信越線が接続するジャンクションだが、こちらも新幹線開業で様相が変わってきそうだ。特急「はくたか」も廃止が確実視されている(「北越」は残るのかな?)。

Dscn8602 ここからは北越急行の列車に乗り換え、越後湯沢に向かう。ほぼ全線高架で、特急「はくたか」は最高速度160キロ、普通列車でも110キロとぶっ飛ばす区間。鉄道設備としては申し分ないところだが、新幹線開業後の経営が心配される。どうせならえちごトキめき鉄道の区間も合わせて「北越急行」とすればよいのではとも思うが、なかなかそうはいかない事情があるのだろう。

Dscn8608 「青春18きっぷをお持ちの方は、犀潟から六日町は別会社の線ですのでご利用できません。車内で精算願います」と、ワンマンの運転士からしきりに案内がある。乗車前にも待ち時間があったので精算をしておく。

途中駅での列車行き違いの間に「精算をお願いします」ということで運転士が車内を回るが、手間取っているようで私の乗った後ろの車両まで来ることができない。トンネルの中で2回目の行き違い停車があり、再び精算のために車内にやって来るが、そこでも手間取った形で後ろの車両まで来なかった。そのうち途中駅からの乗客で混雑し、そのまま六日町から上越線に入った。

おそらく、直江津側、六日町側双方で青春18利用者からの「取りこぼし」は結構あるのではないか。「後で精算できるわ」とそのまま乗っていて結局精算できなかった人もいるだろうが、中には確信犯的にキセルをやる人もいるだろう。かと言って車掌を乗務させるだけの人的余裕もなさそうで、結局は「利用客の良心」ということになるだろう。一つ言わせていただくなら、直江津、越後湯沢くらいでは北越急行「だけ」の乗車券を券売機でも買えるようにするのも手ではないかと思う。

これも第三セクターとしてのややこしさが出るのだろうが、例えば越後湯沢から上越市の中心である高田に途中下車せずに行く人がいるとして、新幹線開業後はJR~北越急行~JR~えちごトキめき鉄道という料金となる。北越急行は運賃計算が通算できるがトキめき鉄道は別に買わなければならないとか、何だか考えるだけでもややこしいことになりそうだ。果たして3社はどのような手を打つだろうか。

北陸新幹線が開業すればJR乗りつぶしの経験者としては当然乗りに来るところではあるが、ぜひ片道はこうした第三セクターが入り乱れる様子を経験したいものである・・・・。

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富山の夜~ぐるり北信越

2014年08月22日 | 旅行記D・東海北陸

14日の夜、高山線を縦断して富山に至る。この日はここで宿泊である。

北陸の中で富山というところは交通の要衝ということもあり、また野球のBCリーグ観戦絡みもあり、最も多く宿泊しているところである。もっともその時々で泊まるホテルはバラバラで、ごく普通のビジネスホテルもあれば大浴場を備えたところ、またクルマで少し行ったところのスーパー銭湯(ちゃんとした温泉が出る)に送迎してもらったところなど、いろいろある。

今回は駅に近いリラックスイン富山というところに泊まる。温泉大浴場があるわけでもなし、また部屋もドアを開けるとすぐ足下までベッドが来ていたりと狭かったりするのだが、一番の特徴が、バスとトイレがそれぞれセパレートされて設置されているところである。トイレ、洗面台を通ってバスに行くのだが、バスは洗い場のスペースも確保されているし、入浴剤のサービスもあって浴槽に身体を沈めることができる。湯がこぼれてもバスが独立しているので水浸しになることもない。

さて富山の夜、旅先ということもあり何か美味い物を・・・ということで、何度か来ている駅前の「五條」という店に向かう。ただ時期と時間帯が悪かった。あいにくと満席である。時間は18時半を回ったところで、ちょうど夜の賑わいを見せようかという時間帯である。ましてや盆の期間中ということで、観光客もいれば地元の人たちも出てくる時期である。すぐ近くにもう一軒心当たりがあるのだが、そんな賑わいをよそに「盆休み」の貼り紙がある。魚市場が盆休みなのだろうか。

Dscn8552 せっかく来たのに名物を味わえないとは・・・と思う中で、先の「五條」と同じ並びに一軒の新しい感じの店を見つける。扉越しに中をのぞいてみるとカウンターに1席だけ空きがあるようだ。そのまま中に入ると無事に着席することができた。店の情報によるとカウンターは7席、後はテーブルが4人掛けと6人掛けが1台ずつ。2階には宴会用の座敷があるようだ。後から何組も扉を開けて「空いてます?」と訊いては「ダメかあ」と去っていく。

ここは「うお清(うおきよ)」という名前で、2013年に開業したばかりという。カウンターやテーブルの木々もまだ新しい感じがする。カウンター内側の、それほど広いとは言えないスペースで包丁を握っているのが大将だろう。

Dscn8551 Dscn8549 せっかく来たのだからと、自慢の刺身盛り合わせ、珍味盛り合わせ(ホタルイカの沖漬や黒造りが出た)、白海老のから揚げなどを注文する。いずれも美味しくいただき、さすが「キトキト魚」の富山だなと改めて感心する。

Dscn8550 ただ一つ注文があるとすると・・・料理の出るスピードとタイミングだろうか。注文が立て込む時間帯というのはあるにしても、もう少し何とかできるのではないかとも思う。たまたまタイミング良く席にありつき、最初のビールだけ注文したものの何も出てこないのに腹を立てて帰ってしまった客もいた。かくいう私も一品頼んでいたものがあったのだが、やけに遅いなと見るに案の定注文が通っていなくてキャンセルした。やはり来た時期が悪かったなと納得するしかない。

Dscn8553 店を出た時は結構な時間になっており、この時間からなら「五條」も空きが出たのだろうがもういいかということでホテルに戻る。大阪での連日の熱帯夜が嘘のような涼しい夜の駅前を歩く。せっかくなので湯船に湯を張り入浴剤を入れる。パソコンで初日の行程を書きかける。翌日も早い・・・。(写真は、新幹線の車両をあしらった天然水のペットボトル)

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高山線を行く~ぐるり北信越

2014年08月21日 | 旅行記D・東海北陸

今年は台風というよりは梅雨前線、秋雨前線による大雨の被害が西日本のあちらこちらで発生している。その中でも39人が死亡するという大きな被害となったのは広島市内。安佐南区や安佐北区というのは、私が広島勤務時代に一時所属していた営業所のテリトリーで、八木や緑井、可部というところはよく回っていたところである。広島から可部を経由して三次にいたる街道沿いの古くからの集落と、近年広島のベッドタウン、ニュータウンとして開発されたところが混在している。あの辺はああいう道だったなあと憶えている懐かしいところだ。拙ブログとしても、お悔みとお見舞いを申し上げます。

さて、北信越の旅行記を再開するが、前回は初日の美濃太田のところまでを書いた。これからは高山線で飛騨路を行くのだが、この線も17日の大雨のために不通となった。この日の雨では高山線、山陰線、福知山線などが不通となったのだが、私が行った14日の時点では、まさかそのようなことになるとは知る由もなかった。

Dscn8494 12時40分に美濃太田を出発。途中の長時間停車も含めて、猪谷までは4時間以上乗車することになる。この長時間の鈍行乗車が本日のメインである。キハ48の2両編成はボックス席も結構埋まる。下呂、高山まで直通することから、そちらを訪れる観光客らしき姿も見る。私のいるボックスとその隣のボックスにまたがって座った5人グループも、会話の内容から下呂に行くようで、幹事役らしい人の手には5人分まとめて日付印が押された青春18きっぷがある。

木曽川の上流に当たる飛騨川に沿って走る。途中雨が降ったりやんだりである。「雨降ってもうたらかなわんなあ」と、隣のボックスから声がする。下呂では2時間ほどの散策をするようである。実はこういう形で下呂まで往復しようというのは、私のこの夏の「青春18サイコロの旅」の選択肢の一つにあった。高山線は何度も乗っており、高山の町は歩いたことがあるものの下呂には降りたことすらない。そして今回も通過してしまう。

Dscn8499上麻生を出ると周囲は渓谷ムードとなる。こうした山と川の景色には雨が似合うように思う。山紫水明というのかな。ただ最近の雨はシトシトというより、ゲリラ豪雨のように一時に大量に降ってしまうのがよくない。白川口からは飛騨の国である。飛騨と聞いただけで遠くまで旅に出てきたという感じがする。世界遺産に白川郷の合掌造りの集落があるが、「駅から白川郷までどのくらいで行けるのかな」という会話も聞こえる。あちらの白川郷とは同じ県内でも全く離れたところであるが、「白川」という地名の由来には何か共通点があるのかもしれない。

Dscn8508 この辺りはダムも何ヶ所かあるところで、ダム湖が静かな佇まいを見せている。そこから水蒸気がほどよく上がっており、何とも幻想的である。隣のグループもその車窓に歓声を上げ、それぞれデジカメやスマホで撮影を試みるが、なかなかタイミングが上手くいかないようである。たまに写ったら一面の霧で何も見えないとか、窓ガラス越しにおっちゃんの姿が反射して心霊写真みたいになったと言っては笑っている。

森と渓谷、そしてダム湖を抜け、下呂の町並みが開けてきた。ここで乗客の半数が下車。ここからさらに上って行く。山にあるのに「渚」という名前の小駅も過ぎる。

Dscn8528 Dscn8531 久々野に到着。ここで列車の追い越しや行き違いで30分近く停車する。しばしの小休止ということで外に出る客も多い。美濃太田と比べて「涼しい」と思わず口に出る。

Dscn8530 駅舎前に「高山線で一番海抜の高い久々野駅」の木柱があり、「標高六七六米」とある。天候が曇りということもあるが、やはり高地に来たなと実感する。小さな集落が広がる静かな山間の町である。

Rscn8533_2 高山方面から特急「ひだ」がやってきて一時停車。続いて岐阜方面から同じく「ひだ」が通過して行き、高山方面からの「ひだ」がその後に発車。さらに高山方面から普通列車がやって来る。高山の手前で4本の列車が相次いで顔を見せる。高山に所用で急ぐ鈍行の客にとっては、あと2駅のところで30分近く足止めを食うのはたまったものではないが、青春18の旅行客にとっては「これぞ鈍行の旅」という楽しみだろう。

飛騨一ノ宮を過ぎる。この後の17日の豪雨で飛騨一ノ宮~高山間に土砂が流入し、2日間不通となるのだが、もちろんこの時はそうなることは知る由もない。美濃太田を出た後では降っていた雨も高山まで来ると止んでいた。

Dscn8537 この高山でも25分停車。おまけに列車番号も変わる。観光客はここで下車し、残ったのはそれこそ岐阜から富山まで高山線を乗り通そうという旅行者となる。ただ高山からも富山方面に抜けるそれなりの数の乗客も乗ってくる。

Dscn8540 時間があるので私も一度改札を出る。今夜は高山に泊まろうかという客と、これから岐阜、名古屋方面に帰ろうという客で駅前はごった返している。それらを一瞥し、美濃太田では実はまともな食事をしていなかったこともあり、いろいろ並ぶ駅弁に目が行く。その中で選んだのが「飛騨牛しぐれ寿司」。牛肉のしぐれ煮とローストビーフという、和洋の味を楽しむことができる。

高山からは仕切り直しのような感じで発車。飛騨古川、飛騨細江、杉原というところも歩いたり宿泊したりという思い出のあるところである。相席となった人と一時仲良くなったこともある。もう10何年も前のことだが、「自然豊かなところに住みたい。旅行しながらその場所を探してみたい」と言っていたのだが、果たして今はどのような暮らしをしているか。案外都市に戻っているのかな、などと思ってみる。

Dscn8541 16時58分、猪谷に到着。ここからはJR西日本の区間に入る。飛騨から越中に抜ける、かつては関所も置かれたところである。かつては神岡鉱山方面に抜ける神岡鉄道というのも走っていた。この線は廃止されたが、廃線後の線路の上をマウンテンバイクで走るという珍しい乗り物があるというので話題になっている。

Dscn8547 富山方面から折り返しの気動車がやって来たが、ホームの富山寄りの端のほうに遠慮がちに停車する。ホームは1本なのだが、高山方面と富山方面の気動車がそれぞれ端のほうで遠慮がちに泊まるのはどうしたものか。お互いもう少し近づけばと思うのだが・・・。

猪谷からは同じ気動車でもコンパクトなものである。駅の写真など撮っていたら乗客が先にボックス席に陣取ってしまい、ロングシートに腰かける。ここからは神通川に沿って平野部が広がるところだが、少しずつ暗くなってくるし、先ほどの渓谷ムードに比べると平坦な車窓に見えて、ここでは読書しながら富山まで1時間揺られる。

Dscn8548 18時15分、富山に到着。来年の北陸新幹線開業を前に駅舎工事も着々と進んでいるようである。仮駅舎までの長い通路を歩く。通路では北陸新幹線のPRが行われており、地元企業の人たちの歓迎メッセージ写真も並ぶ。北陸新幹線か・・・。JRの乗りつぶしタイトル保持者としては、これにも開通直後とは言わなくてもなるべく早く乗りたいところではある。(写真は、改札前にあった巨大な寿司の模型)

この日は富山での宿泊とする。まずはホテルにチェックインして、久しぶりの「キトキト」魚を味わうところであるが・・・・。

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今日は休みます

2014年08月19日 | ブログ

18日は北信越からの帰阪日。大阪に到着して環状線に乗り継ぎ、大正駅の手前になると煌々と灯りがついている。その時は大正ドームで何かイベントでもやっているのかなと通り過ぎたのだが、それが大阪でのソフトバンク対西武の「鷹の祭典」だったとは。それで、月曜日にも関わらず3万人越えと、実質オリックス・バファローズとの首位攻防3連戦の1試合を上回る観客動員だった。昔の大阪球場なら満員札止めの入りである。

改めて、大阪を本拠地としているチームの不人気さと地元での支持の弱さの現実を感じた。大正ドームでイベントをやる時にもっともガラガラなのが本家バファローズの試合だし。巨人や阪神が主催する試合が大入りになるのは仕方ないとして、大阪では、今は福岡に拠点を置くとはいえ、やはりナニワの中心に本拠地を置いていたホークスこそが正統であると・・・・それが現実。

それよりも何?「そんな大事な3連戦にも関わらず大阪を離れていた貴様のようなヤツこそ、敵前逃亡の弱虫」ですか。観戦していないくせにエラそうなことぬかすなって?そうですか。どうせ弱虫ですよ。

・・・話が横に逸れていくので、14日の途中から中断していた紀行文の続きを・・・という気にもなれないので、今日は休み。

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BCリーグ・信濃対福井観戦@茅野・試合編~ぐるり北信越

2014年08月18日 | プロ野球(独立リーグほか)

茅野での試合レポート。

Dscn9027辰野町長の始球式で始まった試合。信濃の先発は左のエース、(和田)有斗(あると)。公式プログラムでプロフィールを見ると今季の注目選手として取り上げられており、今季6勝で負けなし。埼玉県出身で「埼玉西武ライオンズからのドラフト1位指名を夢に見ている」とある。ストレートも結構速そうだ。ただ、うまく指名されればいいが、その前に来年埼玉・熊谷にできる新球団に移籍ということにならないかと思う。

初回、いきなり先頭の森にストレートの四球を与え、盗塁と送りバントで一死三塁のピンチを迎える。しかし大松を見逃し三振、ジョニーを内野ゴロで打ち取り無得点でしのぐ。

Dscn9038一方の福井は先発3本柱の一角の関口。190cmの長身から投げ下ろす投球で、初回、2回と危なげない投球。

Dscn90593回裏の信濃の攻撃開始時、ポツリと雨粒が落ちてきた。そして急に大きくなった。観客も慌ててスタンド上に少しだけある席に避難する。私も合羽を取り出しつつ、通路に退避。「ご覧の天候ですので、しばらく試合を中断します」とのアナウンスがあり、選手も一時引き上げる。すぐにビニールシートが運び出されたが、それを広げたところで雨はやんだ。球場の上だけ黒っぽい雲が広がっていたが周りは明るく、どうやらただの通り雨のようだった。すぐにシートは撤去され、試合も再開した。

Dscn9064これでリズムが変わったわけではないだろうが、関口は先頭の仁藤にチーム初安打を許す。続く尾中が送って、9番・西田がレフト越えの二塁打を放って先制。

Dscn90652番・ダイチも左中間への当たり。快足を飛ばして一気に三塁を落とし入れ、2対0と信濃リード。スタンドも大いに沸く。

Dscn90795回裏にも一死二・三塁のチャンスを作り、1番・川口のタイムリーで3点目を挙げる。二塁ランナーも本塁を突くがこれはタッチアウト。

Rscn9069信濃の有斗は2回以降はリズムのよい投球で、初回のストレートの四球以外は5回まで一人のランナーも出さなかった。特に4回、5回はそれぞれ2三振を奪い、見ているほうも気持ちよい。

5回裏終了時はイベントということで、両チームの選手によるカラーボールの投げ入れ。辰野町や福井・芦原温泉のグッズや特産品が当たるというもの。ただ、ゴム製のボールということで、プロの選手でもバックネットを超すのは結構苦労するようで、私のいるエリアにはなかなか飛んで来ない。1球だけ近くに来たが、ゴムボールでつかみ損ねる。

さて、ひょっとしたらノーヒットノーラン??と予感させた有斗の6回表の投球。先頭打者にまたストレートの四球。一死後、1番・森にまた四球。「立ち上がりの制球」に課題があるのかな。

Dscn9082その後二死一・三塁となり、3番・大松がチーム初安打となるタイムリーを放つ。これで3対1。ノーヒットノーランどころか完封も逃すことになった。

Dscn9085さらに続くジョニーにストレートの四球で満塁とされ、5番・栗田にもフルカウントの末に押し出しの四球。これはいただけない。慌てて大塚監督がマウンドに行って間合いを取る。

Dscn9090しかし、続く大谷に初球を狙い打ちされてレフト前にタイムリーを許し、これで3対3の同点となる。結局有斗は6回までで降板。5回までと6回では別人のような投球で、一見さんの私が言うことではないが、これではNPBではしんどいかなと思う。

Dscn91077回からは両チームとも継投に入り、ランナーは出すものの得点が入らない。9回は信濃の抑え・篠田が4人目として登板。二死一・三塁のピンチを招くものの無得点に抑える。

Dscn91109回裏は福井の抑え・藤岡が登板。こちらも安打と四球で無死一・二塁。一打出ればサヨナラというところで、途中出場の8番・渡嘉敷がバント。しかし一塁の荒井が猛ダッシュを見せて三塁へ送球し、アウト。それでも続くのはこの日先制打を含む3安打の9番・西田。スタンドも「真っ赤な太陽」のチャンステーマでサヨナラを後押しする。

しかし、西田は空振りの三振。そしてサインが出ていたのか、二塁ランナーも三塁へ走っており、楽々と刺される。1点を争う試合も三振ゲッツー。やれやれ、延長戦か・・・。

Dscn9116・・・と思ったら、両チームの選手がグラウンドに出てきた。そして「ご覧のように、本日の試合は3対3の引き分けです」とのアナウンスが流れる。以前に見た試合では延長戦だったのに、と思い改めて公式プログラムでルールを見ると、「延長戦は最大11回まで、3時間20分を超えて新しいイニングに入らない」とある。この試合、終盤は継投が多かったこともあり、9回裏終了時点で3時間27分だった。このために9回終了で試合終了となったわけだ。茅野もそうだが、照明設備のない球場もあるため日没を考慮しているのかもしれない。ともかく、両チームの選手の皆さん、お疲れ様でした。

Dscn9123この日の観衆は393名。8月とは思えない涼しさの中で観戦することができた。試合終了後は選手のお見送り。しばらく待つと大塚監督も出てきたので、握手とサインをお願いする。信濃は6球団の中で唯一地区優勝がなく、大塚監督は挨拶や礼儀作法を重視する管理型の指導を行っているとか。近鉄の豪快奔放な「いてまえ野球」でプレーした選手のイメージからはかけ離れるが、メジャーやWBC日本代表などでプレーする中で、いろいろと学ぶことがあったのだろう。前の記事でも書いたが、今度は指導者として、バファローズの胴上げに加わってほしいものである。

試合終了で茅野駅まで戻る。駅まで徒歩圏内であるが、どうやら歩いてやって来たのは私くらいのようである。本当にもの好きだな、と思ったりもする。

おそらく今季のBCリーグ観戦はこれで終了。来年は武蔵、福島の2球団が誕生する。そこまで遠征できるかはわからないが、今後のリーグの行方も見守っていきたいものである・・・。

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BCリーグ・信濃対福井観戦@茅野・試合前編~ぐるり北信越

2014年08月17日 | プロ野球(独立リーグほか)

この前まで14日の旅行記を途中まで書いていたが、一旦一気に17日の午後まで飛ぶ。

何だかまた山陰から北陸にかけて大雨に見舞われたそうで、JRも大幅に運転を見合わせているようである。終日運転を取りやめる区間もあるようで、実は私の知人も夏休みを利用して山陰方面に行っていたそうだが、無事に抜けることができたのだろうか・・・?

さてこの15~17日は大正ドームにてオリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークスの首位攻防戦。1戦、2戦とオリックスが取ったが、惜しくも3戦は吉田の好投も報われず、打線が完封リレーされた。勝っていれば一気に1ゲーム差まで詰め寄れた試合だったが、落としたために3ゲーム差ということに。まあ、試合が続けて雨で流れた間に開いた差をきっちり取り返しただけでもよしとするか。まだまだ波乱はありそうだ。

そんな賑わい、熱戦をよそに北信越を回っているのだが、17日に長野県は茅野で行われた一戦は、今回の旅行の最初の動機として計画の中心に入れたもの。北陸や山陰が大雨になっているとは知らず、「天気が持ってよかった」と思ったし、試合そのものも最後までわからない展開だった。これは素直に「楽しませてもらった」と言っていいだろう。

Dscn9126予報では昼間は雨ということだったが、前日とこの日の宿泊地である上諏訪から列車で一駅の茅野に現れる。青春18きっぷは封印して、JR東日本のSuicaのエリアということで、Pitapaをかざして精算したが、初めて195円という「円単位」での処理となった。関東ではICカードの普及率が高いこともあり、正確な8%の消費税分を徴収するということでICカードは円単位の処理である。関西をはじめとした他地区ではまだ10円単位であるが、同じJRを利用していてその不公平感というのは問題にならないのかなと気になる。

雨は降っていない。駅の東口には美術館や博物館もあり、もしこの後で雨になって野球が中止になれば、こうした施設で半日過ごせばいいかな、というくらいの気持ちである。

茅野市の運動公園野球場で行われるのはBCリーグ、信濃グランセローズ対福井ミラクルエレファンツ。「今季はBCリーグの試合も見よう」ということで、大阪から最も近い福井の試合をこれまで2回見たが、せっかくの機会なのでこの時期に行われる試合を観ようと、日程表をチェックした中で決めたのがこの試合。また福井絡みとなるが、これまでの観戦で選手の名前もだいぶ分かってきたので、それもいいかなと。

Dscn8968野球場へは駅から徒歩で20分。来る前は真夏に20分も歩くのは・・・と思っていたが、このところの天候不順が幸いしてか、さほど暑さを感じない。徒歩20分は軽い運動のようなものである。運動公園は森の中にさまざまなグラウンドや体育館もあり、それぞれでプレーする人たちの歓声が聞こえる。陸上競技場から「11時現在の気象情報です」というアナウンスがあり、茅野の気温は25度と発表された。真夏の蒸し暑さに悩む大阪の人たちに申し訳ないくらいである。そりゃ、プレーする人たちもやりやすいだろう。

Dscn8950野球場はナイター照明もない簡素な造り。実は前日は上諏訪のルートインホテルに宿泊しており、BCリーグ発足時から支援して今季は冠企業となったルートインの宿泊者特典として、宿泊当日か翌日行われる試合の入場引換券がもらえる。茅野で試合があるからホテルも上諏訪に決めたようなもので(駅と諏訪湖に近い、朝食無料、大浴場に温泉という、ホテルそのものも魅力的である)、この特典で1200円の入場料が無料。もっとも、信濃の主催試合ではネット裏エリアは追加料金が発生し、500円を別途支払う(他球団は基本的に全席自由)。まあ500円で観戦できると思えば安いが、これが通常料金で合わせて1700円となると・・・「独立リーグ」ということを考えれば結構お高いかもしれない。

Dscn8979Dscn8977開門の前に何人かの選手が入り口前に出てきて、来場の挨拶を行う。元ロッテで、現在は選手兼任コーチの渡辺正人の姿も見える。声出しは涼賢(りょうけん)という辰野町出身の選手。この試合は「辰野町デー」ということで、「自分が打って勝てるように頑張ります」 ということを言っていた。

Dscn8981この後で選手とファンのハイタッチが行われ、私も来場記念に加わらせていただく。入場時には先着プレゼントで辰野の菓子メーカーの商品が配られたが、ここでも選手が活躍する。BCリーグは選手とファンの垣根が低い。「江戸の大関より土地の三段目」という言葉を思い浮かべる。

Dscn8971また一方の福井も、芦原温泉の観光PRのテントができていた。BCリーグは北陸・上信越の2地区制を敷いており、移動距離(というよりコスト?)を考慮してか、地区またぎの試合設定は少ない。それだけに、福井にとっては信濃の人たちへの格好のPR機会であろう。

Dscn8975Dscn8995Dscn8998信濃は渡辺のほかに、監督が元近鉄の大塚晶文、コーチ兼任が元オリックスの竜太郎。そこに元ロッテの小林宏之がコーチ兼任投手で在籍していたが、先日西武が獲得したのはご案内のとおり。入場して試合前練習を見たが、大塚監督自らノックバットを握ったり、投球??・・・いやいや、捕手の守備練習用に軽く投げただけで・・・。現在BCリーグには信濃の大塚、そして富山の吉岡という、近鉄の2001年の優勝メンバー2人が監督を務めている。ここで指導者としての実績を積んで、いずれもう一度バファローズのユニフォーム(親会社は代わっているが)に袖を通すことも期待したい・・・。

Dscn8988入場後は昼食であるが、BCリーグともなると食事事情はなかなか良いものではない。観戦時にはだいたい途中で仕入れてから行くのだが、今回は鉄道の旅の途中ということもあり、駅弁を仕入れた。一つはなぜか上諏訪で売っていた横川の「峠の釜めし」。食べるのは何年ぶりだろうか。まさか野球場で食べることになるとは思わなかった。しかも包装紙は富岡製糸場の世界遺産登録記念の特別版である。

ちなみに信濃の主催試合では「ゴミは各自持ち帰り」が徹底されており、球場にゴミ箱を設けていない。結局釜めしの釜は茅野駅まで持ち帰って処分した。元々駅弁なのだから、鉄道駅のゴミ箱に捨てるのはある意味理にかなっているだろう。

Dscn8999そしてもう一品、茅野の駅で購入した「やまのごはん」。牛肉系の弁当が目立つ中で、信州の山菜や鱒の塩焼きが入った地元色の強さがいいなと思った。

Dscn9039改めてスタンドの様子を見ると、ベンチ席があるのはネット裏だけ。例のネット裏の追加料金がいるところ(端のブロックだけは一般料金だけで座れる)。後は、コンクリートむき出しのエリアがあり、さらにその先は芝生席である。もっとも、メガホン持って応援しようという人はそちらに行く。やはり球場の特徴を皆さん知っているようで、敷物や折りたたみ椅子などの準備は万端である。

その中で私がうなったのはスコアボード。バックスクリーンは緑の壁があるだけで、得点版はそのレフト寄りにある。ここは電光式で、BSO順の表示に改造された跡が見える。こうした地方球場にも国際標準の波が押し寄せているようである。この普及率は全国でどのくらいなのか知らないが、自治体によっては余計な支出としてたまったものではないだろう。

Dscn9000そしてさらにレフト寄りに選手名のボードがあるが、スタッフが何人かで上から落としていくアナログさに懐かしさを感じた。そしてこの文字が行書体で書かれているのである。かつては手書きのスコアボードはどこでもあったもので、子どもの頃に行っていた藤井寺球場などのようなブロック体が主流であった(昔の甲子園は明朝体だったかな。たまに地方球場では「小学生の習字」のようなものもあった)。おそらくパソコンソフトで作成したものを拡大したのだろうが、行書体とはねえ。野球というより、甲冑に身をまとった合戦でも始まるのかという感じである。バファローズのイベントの「大坂夏の陣」で、甲冑姿で選手紹介されていた画像が頭に浮かぶ。

Dscn9005ただ、写真ではわかりにくいかもしれないが、信濃の選手の下位打線、投手となるとなぜか文字が小さい。この後試合途中で交代で出場した選手も、福井の選手は全員大きな文字なのに対して、信濃の選手に限り文字が大きかったり小さかったりとまちまちである。別に急ごしらえのものでもないし、同じ人が作るのだから発注ミスということでもないだろうし、ホームの選手に対して何でまたこういうことになるのかなあ・・・。

Dscn9014Dscn9018試合前には芦原温泉のゆるキャラ「湯巡権三」も交えての観光キャンペーンや地元の子どもたちのダンスタイム。そして両チーム監督・コーチ・選手が整列したところで、この試合のメインである辰野町の町長による挨拶がある。

Dscn9024町長はこの後の始球式にも登場して試合を盛り上げる。この頃になると、雨が降るどころか日差しも出てきて、「天気予報が外れた!」と喜んでいた。すぐ近くでは大雨で大変なことになっているとも知らずに・・・・(申し訳ないです)。

観戦記を書くつもりが、試合開始までで(鉄道の記事を書く時以上に)長くなってしまった。肝心の試合についてはまた次の記事で・・・。

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中山道の宿場町とブラジル~ぐるり北信越

2014年08月17日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn8466_214日の午前中は美濃太田での途中下車で過ごす。美濃太田は高山線のほかに太多線、長良川鉄道(旧・国鉄越美南線)が発着する交通の要衝である。歴史としては中山道の51番目の太田宿のあるところ。中山道のほかに飛騨高山からの街道や郡上・白川街道も交わるところで、また尾張藩の代官所もあり政治経済の中心でもあった。

Dscn8481その宿場町の風情が残っているということで行ってみる。雨の中歩くこと15分ほどで古い家並みが現れる。祐泉寺という古刹があり、盆ということで法要の読経の声が聞こえてくる。境内に入ると本堂や離れに大勢の檀家さんが訪れていた。本来の盆の過ごし方である。

Dscn8468古い建物と現代風の建物がうまく調和した通りを歩く。中山道というと馬籠や妻籠があまりにも有名で現在も観光地として知られている。美濃太田と言えばどうしても鉄道の要衝のイメージしかなかったが、こうして宿場が残されているとは私も初めて知った。来てみないとわからないものである。

Dscn8469その中でも立派な建物が脇本陣の林家住宅。格子窓やうだつに風格を感じる。斜向かいに本陣があったそうだがこちらは門だけを残して住宅地になっているのに比べて、太田宿を代表する建物になっている。座敷には上がれなかったが土間から中の様子をうかがう。

Dscn8472その隣にあるのが中山道会館。道の駅のようなものも兼ねており、土産物や地元産の野菜などを売っている。その中に資料館があり、入場無料ということで中に入る。

Dscn8474中では中山道や太田宿の成り立ち、歴史が紹介されており、宿場の一角を復元したセットもある。中山道には3つの難所があり、「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と言われた。その一つが木曽川の渡し舟があった太田であるが、木曽川が増水するとたびたび川止めとなり、ここで足止めを食うことが多かったそうである。

また幕末に皇女和宮が将軍家茂に嫁いだ時も中山道を通り、太田宿に宿泊したそうである。当時の行列の人数や装束の記録や瓦版が残されており、当時の一大イベントであったことがうかがえる。尊皇攘夷、開国、佐幕・・・などさまざまな思想が入り乱れる中、「天皇家」の存在というのが庶民の間でも広まりつつあった時期である。

Dscn8487Dscn8490その「太田の渡し」の跡があるというので、木曽川の土手沿いに歩く。雨はやんだが歩くと蒸し暑く感じる。木曽川の川面にも蒸気が上がり、幻想的にも感じる。その中をやって来たのは太田橋。大正15年にかけられたというトラス橋で、こちらにも当時の風格を感じる。ただ、かけられたのが大正の末ということで、それまで舟で渡していたのが意外である。現在も江戸時代から使われていた船着場の跡が残っているし、現在の木曽川の日本ライン下りの舟もここから出る。それだけ、木曽川というのは大河であり、難所でもあったということだろう。

Dscn8491さて、先ほど土手沿いに歩いてから気づいたのだが、「ゴミを捨てるな」などの注意や、トイレを示す案内に、日本語の他に、英語ではない別の言語が併記されている。スペルから見てスペイン語かポルトガル語、あちら系の言語である。町のあちらこちらにそうした表示が見られる。

Dscn8493駅に戻ると連絡通路にこのような貼り紙もある。これは「連絡通路での楽器の演奏などは他のお客様のご迷惑になるのでおやめください」という内容の日本語の貼り紙の横にあった。この案内だけを見ると、「青春18きっぷで行くブラジルの旅」というフレーズが頭に浮かぶ。

日本の中で、たまに「英語よりポルトガル語のほうが目立つ」という街を見かける。その一つでパッと浮かんだのが群馬県の太田市。たまたま太田つながり(行政は美濃加茂市)で、群馬のほうは自動車メーカーの工場があり、そこで働く人たちがブラジル人街を形成している。日系を含めたブラジル人街があるのはメーカー企業の拠点であることが多い。

ただ、美濃太田がそれほど工場で有名か・・・と言われてもピンと来ない。また、先ほど宿場町から木曽川沿いを歩き、駅まで戻る数キロの道のりで、ブラジル人らしい姿は見なかったと思う。私が気づかなかっただけで、別の地区に住んでいるのかもしれないが。

調べものをすると、こちらではかつてソニー、日立、富士通などのメーカーの工場があり、その労働力ということで多くのブラジル人を派遣社員として使っていた。多いときでは4000人近くが市内に在住していたとか。市のホームページにはポルトガル語版がある。しかし、リーマンショックなどによる業績不振、さらに携帯電話からスマートフォンへのシフトもあり、それらの工場が相次いで閉鎖。となると当然派遣切りの対象となり、職を失い祖国に戻った人もいた。それでも2500人ほどが今も美濃加茂市に住んでいるといい、他の国籍と合わせて市の人口5万5000人の1割ほどが外国人である。市としては彼らの雇用確保や、日本人との共生というのが課題としている。

中山道の宿場町というほうにだけ目が行っており、ブラジル人のことは知らなかった。あらかじめその辺りまで予習していれば、町歩きのコースも多少変わったものになったかもしれない。

さて、そろそろ鉄道の旅に戻ることにする。次に乗るのは12時40分発の猪谷行き。早めにホームに行くと、すでにキハ48の2両が入線していたがまだ扉は開いていない。ベンチで座っていると反対ホームから出る岐阜行に乗る客が結構やってくる。その中にはブラジル人らしき客の姿もあった。ブラジル本国は今年はサッカーのW杯もあったし、2年後にはオリンピックも開催される。経済成長の一方で貧困格差もあり、彼らとしては本国に帰っても高収入が得られるという保証はない(そもそも、本国で十分な収入が得られないから日本に出稼ぎに来たわけで)。難しいところであるが、何とか日本での共生に道を開いてほしいものである・・・。

 

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まずは混雑の出発~ぐるり北信越

2014年08月16日 | 旅行記D・東海北陸

14日早朝、自宅を出発する。初日の行程である富山までは、東海道線~高山線ルートをたどることにした。

近鉄は休日ダイヤでの運転であるが、お出かけの人、普通に出勤の人で、普段の土日に乗るよりも混雑していた。そして天王寺から青春18きっぷの旅を始めるが、JRは平日ダイヤでの運転だった。時刻表での計画段階ではJRも休日ダイヤと思い込んでおり、そうすると乗り継ぎを含めて東海道線の列車も変わってくる。

大阪を6時18分発の快速に乗る。車内で改めて時刻表を見ると、休日ダイヤなら6時21分発の快速が米原に8時06分に到着するのが最速だが、平日ダイヤの場合、6時33分と後から出発する新快速があり、能登川で私の乗った快速を追い越し、8時ちょうどに米原に先着する。そうすると米原から先の接続が変わってきて、休日ダイヤなら8時25分発の豊橋行新快速だが、平日だと8時03分発の大垣行と早まり、その先も繰り上がる。この20分あまりの差というのは大きく、時刻表で乗り継ぎプランを立ててみたが縮まらない。

Dscn8455_2さて快速も駅ごとにそれなりの乗降があり、私の乗った車両も常に立ち客がいる状況で能登川に到着。ここで後続の新快速に乗り継ぐ。こちらは12両と最大編成だが、こちらも立ち客が出ていた。ははあ、ネット検索などで乗り継ぎルートを出した人たちは最初からこちらに乗っているのだなあ。

彦根で通勤客らを降ろし、次は米原というところで何だか車内に殺気とまではいかないが緊張感が走る。次に乗るのは3分後である。私も急ぐ旅というわけでもないが、早く乗り継げるのなら乗り継ぎたい。これが階段を上がって隣のホームへ・・・というのならあきらめるが、ホーム向かい側の列車だというからなおのこと。

Dscn8456Dscn8460そして到着。次の大垣行は4両しかない。全員ではないが12両の列車の客が殺到するのだから、車内はあっという間に大混雑。私の乗っていた車両がたまたま大垣行の最後部に近いので運転台に張り付いたが、ホーム後方からぞろぞろと乗り継ぎ客がやって来る。まあ、大垣まで30分ほどなので我慢するしかない。

近江長岡で伊吹山に登るとおぼしき姿の客を見たり、関ヶ原では東軍・西軍それぞれの武将名を掲げた看板を見る。最後部でそれなりに車窓を楽しめる。新垂井方面に向かう副線も見る。途中に駅はないが、現在の時刻表地図でも線路が2本に分かれて描かれているところだ。

8時37分、大垣に到着。次は新快速の豊橋行が5分後に出る。今度はホームが変わっての乗り換え。階段、エスカレーター、エレベーターに人があふれる。「大垣ダッシュ」と呼ばれるところ。この辺り、普段の平日ならそこまで混雑することはないだろう。青春18のシーズンに限って・・・ということで地元の人たちにはいい迷惑だろう。かく言う私もこの時期くらいしか大垣に来ることがないので人のことは言えないのだが・・・。

岐阜に到着し、次は9時10分発の美濃太田行に乗る。この列車も、平日ダイヤだから間に合ったもので、休日ダイヤならアウト。今回は影響ないが、終点の美濃太田からは下呂行に連絡しており、下呂を目指す人ならここを逃すと3時間近くのロスとなる。

Dscn8463まあ、あまりにダイヤダイヤと書き過ぎたが、ここまで来れば後は時刻表通り。車両も旧型のキハ47(JR東海では珍しいのでは?)とキハ48の組み合わせで、昔ながらのボックス席が並ぶ。冷房も車両の2ヶ所の網棚上にデンと構えており、後は扇風機が回る。確か来年辺りでこれらの車両も新型に置き換わるという。以前武豊線に乗った時に見た、一瞬JR東海の他の「電車」と間違えた車両である。武豊線の電化にともない、高山線や紀勢線に転出するという。地元の人たちにとってはサービス向上ということで良いのではないか。

キハ40・48には旧国鉄型「風」の塗装(JR東海のHPでそのように表現していた)の車両があるが、それがどこに出てくるかはわからない。岐阜から乗った美濃太田行は一般のJR東海色だったし、この先の列車もどうか。すれ違いでも遭遇すれば良しとして運を天に任せる。

Dscn8464名鉄の各務原線と併走し、鵜沼に到着する。木曽川の対岸にある犬山城の天守閣も霞んでいて見ることができない。それどころか、窓ガラスに雨のしずくが出てきた。このところ不安定な天候が続いており、前週には台風も来たが「台風一過」とは行かず、全国的に雨が降りやすい状況である。列車に乗っているだけならよほどの大雨でもない限りはさほど影響はないが、今回の旅の後半は天候がカギを握っている。何とか回復しないかと思う。

美濃太田に到着。ホーム向かいには下呂行が停まっている。ちなみに塗装はこちらもJR東海色。これに乗ることも一瞬考えたが、結局見送り。今回長時間乗車となる猪谷行は12時40分、美濃太田始発である。せっかくなので始発から乗ってみたい。それまで3時間の待ち時間である。最初に長々と書いた平日ダイヤ・休日ダイヤも、結局は美濃太田での待ち時間の長さが変わるだけのものだった。

Dscn8465美濃太田は中山道の宿場町で、妻籠や馬籠のように有名観光地ではないが、昔ながらの建物も残っているという。こういう旅ならではの途中下車ということで、雨の中出かけることに・・・・。

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青春18きっぷでぐるり北信越(現在富山)

2014年08月14日 | 旅行記D・東海北陸

14日、この日から夏季の休暇をいただき、現在富山市内のホテルの一室からの書き込み。

今回は青春18きっぷで久しぶりの「泊まりがけ」の旅。このところバラ売りを購入しては、大阪を拠点に近場を「サイコロ」などを使いながら回ることが続いていたが、この夏は早くから時刻表や宿泊予約サイトを駆使して、「本当に回る」というプランをあれこれ練っていた。

まず日程と行き先の決め手になったのは、「プロ野球BCリーグ」の観戦。17日に長野県は茅野で信濃グランセローズ対福井ミラクルエレファンツが行われ、まずこれをキーとした。茅野の球場は駅から徒歩圏内ということで、クルマなしでも行ける球場はなかなかない。当日は大正ドームでオリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークスの「首位攻防戦」が行われるのだが、バファローズファンには申し訳ないが、今回は青春18きっぷの旅を兼ねてBCリーグを優先することにした。(現在のところ、他に予定が入らなければ翌週の東北楽天戦での現地観戦を予定)

これを軸とした場合、どのようにして信州入りするか、そして信州から戻るか、あれこれ考えた。入りのルートとしてはストレートに中央西線というのもあるし、豊橋から飯田線の6時間以上かかる直通列車というのもあり。北陸から大糸線や信越線周りもある。その中で当初は、なかなか降りることがないということで静岡や清水を訪問し、身延線で甲府に出てから信州に行くということを考えていた。ただ、飯田線がいいなと思ったり、いややはり、来年の北陸新幹線開業によりJRから分離される北陸線や信越線を訪ねるのが今しかないと思ったり・・・。

そんな中、とある限定列車の指定席を、数日前にたまたま申し込んだら取ることができた。これが決定打となり、北陸回り、そして北陸から信州入りのルートなどが確定した。現地での細かな時間調整や、一本列車を早める、遅らせるということはあっても、大筋は決まった。その流れで、復路のルートも現時点でほぼ確定。

で、旅の初日は・・・そこは乗り鉄のはしくれ、普通に北陸本線を走るということはしない。というか、初日は北陸本線に乗っていない。まあここまで書くと、日本の地理に少しでも通じている方なら「あのルートか」というご想像がつくのだろうが・・・。

この先の天候が心配(ここに来て、17日の信州が雨でBCリーグが中止ということになれば、旅のきっかけそのものが崩れる・・・)なところはあるが、宿泊先からでも少しずつ旅行記をアップしていくところ。また御用とお急ぎでなければ、よろしくお付き合いのほどを・・・・。

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