まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

Nゲージレイアウト制作へ

2006年09月30日 | ブログ

以前このブログで「Bトレインショーティー」というのを紹介した。Nゲージ車両をデフォルメしたというのか、幅はそのままで長さをちょん切ったやつ。

実はこのほかに、トミーテックが出している「鉄道コレクション」シリーズ(略称鉄コレ)というのがある。先のBトレインがやはりどこか玩具っぽさが抜けていないのに比べ、鉄コレは昔地方私鉄で走っていた車両を精巧に模型化したもの。元々はディスプレイ鑑賞用としてつくられたのだが、別売りのモーターでNゲージ動力化できるというもの。これも1両400円とかいう値段で手に入るのだが、どの型式が入っているかは箱を開けないとわからない・・・・。まだ動力化はしていないが、とりあえず車両は何両か集めにかかっている。

このところ、Nゲージのミニレイアウトというのが盛んである。こうした本格派小型車両と、小型車両に適した急カーブレールも販売されている。私の部屋も広いわけではないので、走らせるとすればミニレイアウトになる。

とりあえず、東急ハンズで600×450mmの合板を購入。畳の6分の1のサイズであるが、こうして見ると結構大きい。レイアウト制作にはそれなりの要素を盛り込めそうだ。

現在、方眼紙にいろいろと設計図を描いている。車両がレトロな雰囲気のものが多いので、レイアウトの風景はちょっと懐かしい雰囲気になるか。まあ、特急型や通勤電車が何両も連なって走ることができないから、おのずとそうなるか。

これから、折を見てレイアウト制作のことも書くことになると思う。

完成は、いつのことになるだろうか・・・・。

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JR京葉線事故・これでいいのか?

2006年09月28日 | ブログ

東京と千葉を結ぶ大動脈であるJR京葉線が、変電設備のボヤで終日マヒ、果たして全面復旧はいつのことやらという気がする。

それにしても、ニュースや報道写真を見ていたが、あの混乱ぶりはどうだろうか。かねてから東京と千葉の間の混雑ぶりというのは悪評高いものがあるが、それだけにどこかが狂うと・・・。

さて、こういう大トラブルを発生させたJR東日本である。が、同社のホームページを見て、その最上段にいまだに昨年12月の羽越線脱線事故のことを載せているのがはなはだ疑問である。正直言って、あの事故からこっち、羽越線のあの区間を利用した人と、今日の京葉線普通で足止めを食った人では、どちらが数が多いのかという気がする。

確かに列車転覆を起こしたことの責任をいつまでも痛感し続けることも必要だろう。しかし、半年以上も経って未だにトップページにそのまま載せているのは、「このページ、メンテナンスしてないだろう」といういら推測をしてしまう。それよりも、今直面していることについて、きちんと説明する必要があるのではないか。今時電気トラブルでしたでは、一般利用者は納得しないぞ。

電話をかけられる切符を開発するヒマがあったら、ハード面に力を入れるべきではないのか。しっかりしてほしい。

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日本ハム、パ・リーグ1位

2006年09月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

日本ハムが27日のソフトバンク戦に勝ち、見事にレギュラーシーズンの1位の座を獲得した。まだまだプレーオフがあるので、1981年以来の「リーグ制覇」にはならないが、それでも1位の座が色褪せるというものではない。最終戦で1位を決めたというのも、大混戦の今季を象徴するものだ。

ファイターズの皆さん、そして北海道の(&東京時代を含めての)ファンの皆さん、おめでとうございます。

今夜は帰宅後、埼玉テレビから千葉テレビに流れてきた西武対ロッテ戦のテレビ中継と、HBCラジオ発のファイターズナイターのラジオ中継の「変則二元中継」で3強の戦いぶりを追っていた。まだプレーオフがあるということで、ラジオの実況も喜びまだまだ控えめだったかな。

もちろん、北海道のチームがリーグ制覇となると、史上初めてのことである。こうした「地方のチーム」が勝つことが、プロ野球ファンの裾野を広げるのは間違いない。東京の借家住まいから、北海道に渡って自分たちの力で栄光をつかむというストーリーに、共感を覚える人も多いのではないだろうか。

心配なのは、プレーオフにまつわるジンクスだろうか。現行の制度で2年、いずれもレギュラーシーズン2位のチームが勝ちあがり、そのまま日本シリーズでも勝っている。西武の試合巧者ぶりが勝るか、日本ハムの勢い、そして札幌ドームの大声援が勝つか。

これからが、パ・リーグの大ヤマである・・・!

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金村投手・首脳陣批判でプレーオフ出場停止

2006年09月25日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

プロ野球のパ・リーグは、西武に1位マジックが点灯しているというものの、残り2~3試合となってもまだ西武、日本ハム、ソフトバンクの順位が決まらずという大混戦。3強の大混戦で思い出されるのが、1989年のペナントレース。近鉄、西武、オリックスの3強が残り2試合くらいのところまでの接戦を演じ、あのブライアントの2試合4発で西武を粉砕したのを今でも憶えている。

また、中日の独走と思われたセ・リーグも、ここにきて中日が失速し、阪神が追い上げるという展開。巨人が低迷しているので東京のメディアは静かなものだが、それぞれ優勝争いをしている土地というのは盛り上がっている。果たして最後に笑うのは、どの地域の球団だろうか?

その中で残念なニュース。日本ハムのエース、金村投手がプレーオフ終了まで球団から「出場停止」を喰らったというのだ。理由は、24日のロッテ戦、走者を背負いながらも勝ち投手の権利まであと一人というところで交代させられたことに腹を立て、ヒルマン監督の采配を「絶対に許さない。監督の顔も見たくない」と批判したというものだ。今季最終登板。2ケタ勝利になるのと1ケタで終わるのとでは、チームが仮に優勝したとしても年俸の査定は大きく変わってくることだろう。1年ごとが勝負のプロ選手としては、何か言わずにはいられなかったのだろう。

確かに序盤から調子が悪く、走者を背負う場面が多かったのだが、それでも5回まで来たではないか、それにオレはエースとしてようやく10勝に到達できるのだから・・・という気持ちがあったところで、さて最後の一踏ん張りと思っていたところの交代である。これまで頑張ってきたじゃないか。チームがBクラスの常連だったときも投げていたんだぞ。なのに何で・・・という思い。そしてだんだん疑心暗鬼になっていき、「あの監督はオレよりもアイツ(ここではダルビッシュとか、八木とかを指すのか)らのほうを気に入っているのだろう」という気持ちになっていく。

逆に監督から見れば別に金村が嫌いというわけではないが、やはりチームとして勝たねばならない・・・という、監督としての責務がある。これがまともにぶつかったのでは、やりきれないだろう。勝ち投手の権利を持たせるために、5回まで引っぱったがために痛い目にあい、結局その先発投手に勝ちがつくどころか、負けがついてしまったというような経験が、ヒルマン監督には結構あったんだろうな。

ただ何もプロ野球に限ったことではなく、世間を見渡せばこういうことはいくらでもあるだろう。特にサラリーマンの査定や人事評価、昇進というのは、100人いれば100人とも満足しているなんてことはないだろう。私も会社に入って「オレよりアイツのほうが優遇されてるんじゃないか」「あの上司とは仕事したくない」という気持ちを持ったこと、何回もある。ただ、上司もセクションの目標を達成しなければという責務があるし、その上で部下の貢献度、成長度を図るという職務もある。結局上司と部下というのはそういう関係なんだろうな。

そういう人間関係がいやで、転職を繰り返す人もいるが、結局どこの会社でもそういうことはあるわけで、どこに行っても長続きせずまた転職する人もいる。

だから、今回の金村投手の発言は、心の内をさらけだしたものとしては、私もその気持ちはよくわかる。しかし、サラリーマンが仲間と居酒屋へ飲みに行って、ガス抜きのように上司の悪口をいうのと、こういう、新聞記者相手に語るのではその性格はガラリと変わる。プロ野球選手は人前で話をすることも仕事のうちなのだから、やはりオフィシャルな発言となってしまう。しかし、上司に不満があっても、オフィシャルな場でいうことはなんらプラスにならないこと、宮仕えの宿命ですな・・・。

今回の処置、日本ハムの選手にはどういう影響を及ぼすのだろうか。何位でプレーオフを戦うにしても、金村不在はやはり痛いだろう。肝心なところでチームに不協和音をもたらしたのか、あるいはヒルマン監督の下で選手の気持ちが引き締まるのか。その結果が出るのも、もうすぐだ。

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鹿島鉄道に乗る

2006年09月23日 | 旅行記C・関東甲信越

P1011130 茨城県を走る鹿島鉄道というローカル私鉄がある。ただこの鹿島鉄道、来年3月限りでの廃止届が出されており、その存続に向けた地元の運動も行われている。ここ数年、第三セクター鉄道や、地方の中小私鉄の廃止が相次いでいる。自動車社会である地方においては、鉄道という輸送機関そのものが、時代の流れから取り残され、脱落していくのだろう。

P1011172 私もこの私鉄にまだ乗ったことがなく、廃止になる前に乗っておこうと思い、始点である常磐線の石岡駅に着く。石岡駅の5番線が鹿島鉄道のホームである。そのホームにはこのように「カシテツを救え。」という看板や幟が見られる。これは廃止反対派が立てたんだろうな。しかし、鉄道側が廃止届を出して、廃止が現実のものになったわけなのに、こういうものを立ててよいものだろうか。存続したいのか、廃止したいのかどっちやねん、と思う。

P1011120 次の列車まで時間があるので、一度石岡駅の改札を出て、駅構内をまたぐ歩道橋に上がる。この歩道橋から鹿島鉄道の気動車オールスターキャストを眺めることができる。この構図はお好きな方には堪らないかと。同じようにカメラを構える人の姿が絶えない。土日限定の「鹿島鉄道一日フリーきっぷ」が1100円で売られている。石岡から終点の鉾田まで片道1080円だから、実にお買い得である。

P1011134 現在の列車の主力はクロスシート式の軽快気動車であるが、中には昭和のレトロ車両も健在で、便を限定して運転している。そして、私が乗り合わせたのは今年70歳になるというキハ601号車。70歳といえば思いっきり戦前で、確かプロ野球の中日ドラゴンズも球団設立70年だったかな。よく残っていたものだ。

私は特にどの列車がどの車両という予備知識なしで来たのだが、これはラッキーだ。発車時間になると同じような鉄道ファンがぞろぞろやってきて、ロングシートは皆埋まった。

P1011135 石岡近辺の住宅地を抜けると、稲刈りの最中の水田と、ハス畑が目立つ。気動車はエンジン音を高くうならせ、走り抜ける。沿線にはこの車両を撮影するファンの姿があちらこちらに見える。こういうレトロ車両の起用も、少しでも鹿島鉄道にファンの目を向けようという試みである。まあ、一般の乗客は「オンボロ”電車”」と思っているのかもしれないが・・・。

P1011168 列車は霞ヶ浦に沿って走る。実に穏やかな眺めだ。こういう見所もある。スピードが上がると、列車の振動がもろに車内に伝わってきて、乗客の身体が上下にバウンドする。このあたりも、レトロ車両の味わいだろう。

P1011142P1011146 1時間足らずの汽車旅を終え、終点の鉾田着。この駅も昔ながらのつくりで風情があるのだが、隣接するバスターミナルに比べて肩身が狭そうだ。ここから歩いて鹿島臨海鉄道の新鉾田に抜けることができるのだが、今日はこのまま同じキハ601で引き返す。

P1011163 とはいうものの単純に往復するだけでは面白くないし、せっかくフリーきっぷがあるのだからと、霞ヶ浦に近い、浜という小駅に降り立つ。小ぶりな待合室と、ホームの周りに咲くコスモスがいい風情を醸し出している。また、ハス畑を抜けると霞ヶ浦の湖岸に出る。

P1011156P1011159 そこで目にしたのは、アサザの群生地。湖面に浮かぶ小さな、黄色い花である。霞ヶ浦の自然保護のNPO団体が、水質保全の一環としてその保護に取り組んでいるとか。次の列車までの間、しばらく湖の静かな水面の様子を楽しむ。

今度は軽快気動車に乗り、石岡に戻る。1回乗っただけなので何ともいえないが、今日の往復では鉄道ファンの姿ばかりが目立ったようである。鹿島鉄道もファン向けのイベントを組んだり、こういう「救え」運動も見られるのだが、それが一般の利用者増につながっているのかとなると疑問だろう。

P1011147 同じ茨城県には勝田から茨城交通も出ている。ともすればこちらの路線もこの先いつまで持つかわからないところがある。今日は石岡から都内に引き返したが、いずれ足を伸ばして、そちらにもおじゃましてみよう・・・。

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朝日新聞の記者って・・・?

2006年09月22日 | ブログ

昨今いろんなところで話題になっている飲酒運転による事故の問題。もっとも、この数ヶ月で急激に同種の事故が急増したわけではなく、これまで話題に上らなかったことが、ここのところのマスコミの取り上げ方で、急増したように見えるというのが本当のところだろう。

時によっては、日本全国で食品メーカーの産地偽装が毎日行われていたことになるし、M菱自動車のクルマは毎日火を吹いていたことになるし、世間では毎日幼児が殺害されていることになるし・・・まあ、報道のされ方というのはそういうものである。今世間をにぎわせている飲酒運転が原因の悲惨な事故も、今に始まったことではなく、この世に自動車というものが産まれてから繰り返されたきたことである。別に2~3週間前に初めて問題になったことではない。

その飲酒運転について、鬼の首でもとったかのように、ある公務員だったか教職だったかの不祥事を全国紙の記事にした朝日新聞の記者が、その記事を書く前日から酒におぼれ、酒気帯びでその事件を取材し、酒を飲んだ状態で記事にしたという。新聞記者というのはそのくらいでちょうどよい記事が書けるらしい。新聞紙にほのかなアルコールの香りが・・・。

どうして、この朝日新聞というのは正義面をしながら、あちらこちらで不祥事を起こすのだろうか。他の読売、毎日、産経、日経などとくらべて、ダントツで多くないか?

マスコミだから、世間の正義を貫く、悪事を暴き立てる正義の味方・朝日新聞というアホな妄想にかられているのだろうか。

日章旗を社旗にしている新聞社に言われたくないね。

新聞記者ってのは、言論の自由を振りかざして、何をやっても許されるという職業なんですかね。おっと、ここでヘンなことを言ったら、また言論の自由とかで、朝日新聞にいろいろと書かれるんでしょうけどね。朝日の関係者に襲われたりして。

新聞記者の暴挙で、朝日新聞関係がダントツで多いのはどういうことなのかな。まあ、それが社風なんだろうな。

こういう不祥事を起こしても平気な顔をしているし、戦後日本において、日本人の漢字読解能力を低下させた犯人の一人が朝日新聞だし。あれは、漢字の読めない一般大衆を作り上げたのと、難しい漢字を自由に使いこなす新聞記者と一般大衆との差別化を図った計略ですね。戦前の日本人はもっと教養があったのに・・・。また北朝鮮と通じているということで、「チョーニチ新聞」と揶揄されるのももっともだろう。実際そうでしょ?

マスコミ関係者、正義面するのは大いに結構だけど、自分の足下をもっとよく見つめたほうがよろしいんではないですか・・・?マスコミは何をやっても許されるという考えこそが、この国を危うくしているのではないかな。

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小泉→安倍、政権移譲

2006年09月21日 | ブログ

自由民主党・安倍新総裁誕生。安倍って、この字でよかったよね?「あべ」さんという名字、「阿部」さんもいれば「安部」さんもいるし・・・。

もっとも、安倍新総裁の誕生は総裁選挙前から確実視されていたことだし、対立候補の麻生、谷垣両氏の場合は「ポスト安倍」狙いとか、安倍政権での主要ポストを担いたいとか、そんな思惑で出馬したとか、いろんな憶測がある。

私などは、それぞれの強みを生かしたいのであれば、安倍首相に麻生外相、谷垣財務相という「トロイカ体制」でやればと思うのだが、なかなかそうは行かないようである。やれ、猟官運動だの、派閥力学を考えろだの、今回の総裁選挙は、その後の「論功行賞」に感心が行っている点、ちょっと一般国民からは離れたところで行われたような気がする。

まあ、誰が大臣になるかの予想は、プロ野球評論家よりいい加減な政治評論家と、週刊誌とスポーツ新聞に任せておいて・・・。

ここのところの首相では長持ちしたといえる小泉首相もとうとうその座を降りる。ここ何代かの首相の中で、小泉首相ほど、評価する人と批判する人が真っ二つというのもそういないのではないだろうか。それだけ、それ以外の首相がどうでもいいような存在だったのだろうが・・・。

小泉政権の功罪を挙げるとすれば、「パンドラの箱をひっくり返した首相」というところだろうか。それまで「聖域」というか、「利権の温床」のようなものであった道路公団や郵便局を民営化するぞとひっくり返し、不良債権問題の処理や、これまで手がでなかった北朝鮮訪問をやってしまったり、「こういうところにこういう問題があるぞ!」といろんなものをぶちまけてしまったようなものだ。

それが世間の関心を呼び、支持されたところもあるわけだが、同時に、いろんなものがぶちまけられたがために、ものごとの差別化がすすんだという面もある。新たな「格差社会」問題とか、弱者切捨てと呼ばれるのがその表れだろう。小泉首相がひっくり返したパンドラの箱には、正負合わせていろんなものが入っていたのだ。

これからの政権に求められるのが、ぶちまけられた箱の中身を整理することだろう。そうであれば、人気取りではなく、しっかりした理論を持った実務派に問題の処理を担当させるほうがよいのではないかと思う。小泉首相のマネでは、国民はもう飽きているから・・・。

ともあれ、新政権の行方をしっかりと見守っていくことにしよう。

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40歳の力士、対戦相手を殴って引退届

2006年09月19日 | ブログ

大相撲の元十両で現在幕下の琴冠佑が引退届を出したという。その理由というのが、中日の取組後、対戦相手を支度部屋で殴ったというものだ。

中日といえば私も国技館に相撲観戦に行った日。そして、そういえば琴冠佑、ちょうど土俵だまりにお邪魔していたときに見たぞ。相手は、勢(いきおい)とかいう、まだ若い力士だったな。激しい突っ張りあいの末に最後は若い勢がベテランの琴冠佑を下し、その熱戦に幕下の取組とはいえ、館内大いに沸いていた。勢というシコ名もユニークといえばユニークなので、憶えている。

それがその後で、支度部屋で暴力行為とはね・・・・。ほとんど先がない、それでも十両復帰を願っていたであろう琴冠佑にしては悔しい一番だっただろうが、師匠佐渡ヶ嶽親方より年上の40歳のベテランがそういうことをしてはいかんわな。ましてや、先場所も露鵬の暴力行為が問題になったばかりというのに。

悔しいときに何かに当たりたくなるのはわかる。私だって仕事などで悔しいときはその辺のものを蹴っ飛ばしたり、叩き割ったりしたくなることがあるし、現にそうしたこともある。しかし、相手に手を出してはいかんでしょう。勢に危険行為があったとかいうなら別だが、土俵上ではそのように見えなかった。あ、待てよ・・・張り手があったな。年下が年上に張り手を出すのは今でも無礼なことなのか。そのあたりがキレた原因かな。

土俵の国際化に賛否ある中で、土俵の国際化を否定する人の言い分が「礼儀作法が乱れる」というもの。「外国人力士はマナーが悪いから、土俵の美を汚す」という論法のようである。ただこの一件で「外国人だから」という論法は崩れたな。キレるヤツはどこでもキレるし、礼儀正しい人はどの国の人も礼儀正しい。

この件は幕下での出来事だったためそう大きなニュースにはならなかったが、相撲が礼儀とか美を求めるのであれば、もう一度ここでタガをしめないと。せっかく相撲人気が回復しつつあるなかで、水の泡となってしまうよ・・・・。

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牛丼復活祭

2006年09月18日 | ブログ

今日18日は「吉野家」の「牛丼復活祭」ということで、全国の店舗で100万食限定で2年半ぶりの「復活販売」が行われた。

JRの車内広告でこのニュースをキャッチしており、私も販売開始の午前11時には所用で都内へ出ており、最寄の「吉野家」某店に30人くらい出来ていた行列に加わる。もっとも、11時になる頃には行列も100人以上に膨れ上がっていた。ただ牛丼ということで、回転は早い。それほど待つこともなく店内に入ることができた。

私は熱心な「吉野家」ファンというわけではないが、朝食や昼食でちょくちょくと通っていたもの。ただ、例の米国産牛肉の輸入禁止に伴い、米国産にこだわっていた「吉野家」が牛丼の販売中止を決めてからというもの、どうも「吉野家の豚丼」はしっくり来ず、また引っ越した現在地には丼のチェーン店に「松屋」と「なか卯」があるために、「吉野家」自体から足が遠のいていた。

それだけに、久しぶりの「吉野家の牛丼」はかえって新鮮な味に思えた。昔食べていたのもこんな味だったかな?それとも、舌が「松屋の牛丼」に慣れてしまったということか。それでも美味しく頂戴することが出来、満足である。

まだまだ牛肉の供給量が充分でないため、「完全復活」には時間がかかるわけだが、今日全国で出された100万食があっという間に食べつくされたように、多くの人が「あの味」を待っているということだし、米国産牛肉の輸入再開に少なくとも「完全拒否」を示しているわけではないことがうかがえる。他の牛丼メーカーでは米国産牛肉の安全性を疑問視する姿勢を変えず、また「吉野家」では食べないという客も大勢いるようなので世間はまだまだ揺れているようだが・・・。また、「吉野家」が輸入しているルートや業者に問題がなくても、他の牛肉業者に全く問題がないかといえばそうでもないし・・・。

完全な「食の安全」の追求には終わりというのがないと思うが、米国産牛肉を「使う(食べる)」「使わない(食べない)」の選択肢が出来ることにつながるのは良いことだろう。そして「使う(食べる)」という選択をする人たちの期待を今度は裏切ることのないよう、やってもらいたいものである。

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国技館で相撲見物

2006年09月17日 | まち歩き

P1011056 7日目の敗戦で白鵬の今場所後の横綱昇進が絶望にはなったものの、連日熱戦が繰り広げられる大相撲秋場所。今日の中日、国技館に見物に出かける。2年ほど前に一度国技館で観戦したことがあるが、テレビとはまた違った熱気や迫力を感じたものだ。久しぶりに、その雰囲気を楽しもう。こう書くと「お前の場合は相撲を観に行くのではなく、土俵に上がって取るほうと間違われるだろう」という人がいるかもしれないが、決してそんなことはありません。

P1011057 もっと早く思い立っていれば前売り券を購入することができたのだがすでに遅く、朝の8時に当日券を求めて国技館前に並ぶ。既に100人以上の行列ができている。当日限定販売の自由席(2階席の最上段)も買えるのだが、窓口で私の番になると、思わず前の指定席を買ってしまった。(指定席といっても後ろのほうで、もう少し上が自由席になるんだが・・・)

P1011059 券も確保したことだし、もう入ってしまおう。入口でもぎり役を務めるのはなんと元高見山の東関親方。他のスポーツならこういうのはアルバイトのやる役と相場が決まっているのだが、これも「協会の人間が自分たちで運営する」ということの一つか。場内案内係なども親方衆がやっていたりする。

P1011061 さて、朝の8時半といえばこれから序ノ口の取り組みが始まるところ。場内はもちろん数えるほどの客しかおらず、これから次代の関取を目指す若い力士たちが次々に土俵に上がっては、今日の一番をこなす。もちろん力士の名前を知るはずもなく、手元の取組表と一々見比べながら確認するのだが、そのうち「大きいほうと小さいほう」とか、「左脚に包帯を巻いているほうと右腕にサポーターを巻いているほう」という見方になる。こうした若い力士にも懸命に声援を送る人たちに比べればいい加減な観戦である。

P1011066 観客が少ないのをいいことに、2階のイス席から1階に降りて、いわゆる「土俵だまり」の席に行ってみる。周りにはどう見てもマス席の客でもなさそうな人たちが、同じようにやってきている。中には靴を脱いで完全にくつろいでいる客もいたが・・・。土俵上に繰り広げられているのがまだ修業中の力士といっても、お互いの身体がぶつかる音、息づかい、スピードというのは見ていて迫力ある。やはり「高い席」だけのことはある。

P1011085 中日ということで、「新序出世披露」も行われる。もっとも9月場所のこととて、披露されたのは2名だけ。いずれも外国出身と思われる容貌。前相撲はずっとこの2人だけでとっていたのだろうか。

P1011087 幕下以下の力士は1場所に7番取るが、その取組は「成績が同じもの同士」の対戦が基本という。つまりは、1番1番がふるい落としだ。その中で勝ち越した者、最終的に勝ち残った者が各段優勝となり、上位に上がることができる。サバイバル性といえば、関取以上の厳しさがあるかもしれない。何せ7番しかないのだ。米大リーグの1A~メジャーへの昇格の道、ゴルフのプロテスト、将棋の「奨励会」・・・いろいろとサバイバルの世界があるなと、そんなことを考える。

本場所の1日、朝の8時半から始まって結びの横綱戦まで、200番以上の取組がある。ただその全てを見るというのも疲れるから、こうして土俵だまりにおじゃましたり、その他館内を歩き回る。希望者は一旦外に出て再入場も出来る仕組みだ。

P1011081P1011083P1011088 館内で食したもの。まず、国技館名物のやきとり(冷めても味がちゃんと利いていて美味い)、「白鵬弁当」(ゆで野菜にモンゴル塩を使用しているとか)、そして「ちゃんこ」。「ちゃんこ」は限定販売で、かなり行列した上でありついた一品である。野菜と肉がバランスよくとれるし、味付けもほどよい辛さで、これは力士ならずとも食が進むだろう。

P1011103さて取組のほうはそうする間に進み(十両の取組はほとんど見ていなかったが・・・)早くも幕内力士、そして横綱朝青龍の土俵入りである。テレビならちょうど放送席が替わるとかいう時間で、一区切りになるのだが、本場所では淡々とこれらの行事が続くような感じに見える。朝から国技館で過ごして、ようやく幕内にたどり着く。さすがにこのあたりになると、通路に場内整理係や警備員が配備されており、ちょっと土俵だまりにお邪魔するという芸当ができなくなる。

そして幕内の取組。やはり、はじめのほうの序ノ口、序二段の力士とは身体の張りや艶が全然違う(照明のせいもあるのだろうが)。やはり序二段の力士はこれからの原石、そして幕内力士の身体は一定の完成作品である。それは取組の内容にも現れている。

P1011109ただ、幕内の取組になって、時間の経つのが急に早く感じられた。永谷園の懸賞が5本もかかる高見盛の例の所作もあったり、安馬のひたむきな一番に大きな拍手が送られたり、玉乃島の豪快な「きめ倒し」にどよめいたり、白鵬が把瑠都をあっさりしりぞけたり、結びの朝青龍戦には26本の懸賞がかかり、スポンサー名を読みあげるだけで時間いっぱいぎりぎりになったり・・・。テレビで見ていれば仕切りの時間というのが長く感じることがあるのだが、生で見ているとすぐに時間一杯になるように私には感じられた。

そして最後は朝青龍が玉春日を問題なくくだし、中日の全取組が終了。外はすっかり暗くなり、雨も降り出していた。長い一日にも思えたが、あっという間に一日が終わったなという感もある。大相撲のチケットは決して安くないが、1日ずっと過ごせばそれ相応の値段を払ったのかな?という気がする。1場所に1回とか、そのくらいでまた来たいものである。

P1011060 優勝争いは依然混沌としている今場所。さて優勝は・・・やはり横綱が最後に締めることになるのかな?明日からも目が離せない。

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Bトレイン

2006年09月16日 | ブログ

Bトレインというのがここ最近いろいろと出回っているそうである。ネットサーフィンの最中に発見した。

Bトレイン、鉄道車両の模型の一つといっていいかな。Nゲージ模型と同じく150分の1サイズで、正面と側面のつくり込みはなかなかリアルにできているのだが、長さだけはなんと6cmくらいのミニサイズ。通常の車両のサイズでだいたい20cmくらいだから、さらにコンパクトになった模型である。塗装済みで、接着剤不要の組み立てキット。まあ、玩具といえば玩具なんだろうが、別売りの台車に履き替えることで、Nゲージ模型として走らせることも可能という。何だか昨今の住宅事情とか、クルマのコンパクトカーのブームのようなものか。普通のNゲージ模型から見れば邪道なんだろうが、それでも愛好者は結構いるようだ。

Nゲージ模型といえば、町並みや自然を詰め込んだレイアウトの作成も楽しみ方の一つであるが、制作に多大な費用がかかったり、設置場所の問題もありなかなか踏み切れなかったところがある。ただ、このBトレインの場合、半径の小さなカーブでも楽に曲がることができ、卓上サイズ、いやもっとミニサイズのレイアウトでも走行可能である。ネット上でいろいろと見ていると、実によくつくりこんだミニレイアウトの数々を目にする。

これくらいなら・・・私の今の住まいの事情から大型レイアウトは不可能であるが、これくらいなら何とかできるだろう。子どものころプラモデル(といっても、ガンダムとかミリタリーものより、なぜか「大阪城」とか、「そば屋」などというものをこしらえていたほうが多かったのだが)に興味を持っていたが、久しぶりに模型づくりに取りかかりたくなったものである。

というわけで、実に久しぶりに鉄道模型の店に足を踏み入れる。

Pic_0152_1 本格的Nゲージ模型の車両の数々に混じって、「Bトレインショーティー」という箱もそれなりの場所をとっている。その商品、1箱(1両入り)単品で買えば定価が420円ということなのだが、実はその箱にどの車両が入っているかは「おみくじ」的なのである(中には車両の型式を明らかにしたセットもある)。箱の表にはいくつか車両の型式が書かれているが、同じ型式でも塗装が違うとかの差があったり、先頭車の場合もあれば中間車の場合があったり、果ては機関車と電車のいずれかが出てくるなんて不確定要素が強いものもあり、結局どれが出てくるかは買わないとわからないそうだ。2箱買って、全然違うものが出てくれば面白いような、いやなような。

ただその店には、箱から出して中身をさらし、同じ塗装の車両を2両セットにして売っていたのがあった。なぜかキハ58(28かな?)のセットばかり。ただこのほうが商品としてはっきりしているし、お目当ての車両の一つでもあったのでこちらを選択。

久しぶりに見る模型のパーツ。早速にニッパーで部品を切り取り、台車と車体を組み立てて、15分くらいで2両編成の気動車の出来上がり。そのサイズ、実にコンパクトである。写真(携帯で撮ったので画像悪し)の車両が載っているのは、大型ではなくB5版のコンパス時刻表であるからその小ささもわかろうというもの。コンパクトであるが、なかなか細部まで凝っている。

さあこうなると、いずれは線路の上を走らせてみたくなるものである。そしてこのネット社会、Bトレインの愛好者がHPやブログでレイアウトの制作を紹介しているのに出会う。それらを参考にしつつ、私もいつの日に完成するかは別として、少しずつレイアウトに着工しようと思う。

これまでの旅先で出会った風景が再現できればいいなあ・・・。

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SLかわね路の旅~駿河鉄道めぐり・終

2006年09月14日 | 旅行記D・東海北陸

大井川鉄道のアプト式鉄道・井川線の往復乗車を終え、千頭に戻る。ここから金谷までがSLの旅となるのだが・・・SLの発車まで2時間半以上ある。井川線をもう1本遅い列車で往復してもSLには間に合うくらいのインタバル。

ただこれは計画段階から、まあ千頭でのんびり時間を過ごそうかという気持ちだったので別にどうということはない。どこか暇つぶしに・・・と観光案内の看板を見るうち、大井川を渡った対岸に日帰り温泉があるのを発見。橋を渡って早速向かう。

P1011026着いたのは「千頭温泉 旬」というところ。大井川の河原にある木造の建物。日帰り入浴500円で、露天風呂が楽しめる。頭を塀の上に出すと、大井川の流れの対岸に、先ほど通った井川線の線路を見ることができる。タイミングがよければ列車が走るのも見えそうだ。ここでのんびりと湯につかり、湯上りのビールを楽しんでしばしの時間を過ごす。

P1011030 駅に戻ると金谷からやってきたSL列車がホームに横たわっていた。駅横の道路からもその姿が見られるので回ってみる。すると、この列車を牽引するC11 267号が頭を客車につけた状態でいるではないか。転車台もあるのに、千頭からの列車はこの向きでいつも走っているのだろうか。電気機関車のように前後とも同じ顔をしているというわけではなく、何だか不恰好だ。

P1011045_1元南海電車の車両と並ぶ形で旧型の客車が7両横たわる。こうして見ると圧巻である。そして車両の最後尾には電気機関車もつく。全国の数ヶ所でSL列車が走っているが、SLに牽かれる客車のほとんどが近代型(というのもヘンな言い方だが)の客車やら、SL列車用に改造された車両である。しかしこの大井川鉄道、「昭和二十年代から三十年代にかけて東海道本線の最新標準型として活躍した形式です」という貼り紙がなされていた。急行形とはいえ冷房もなく、今日のような30度を超える暑さでは当時の旅も楽ではなかっただろう。

P1011049 発車時間が近づくに連れてホームに多くの客、そして逆さ向きのSLと記念撮影をする人が増え、そろそろ発車時刻。ボーッという大きな汽笛が鳴り、ガタンと客車が動く。私が乗っているのは前から2両目であるが、機関車の車輪の音がかすかに聞こえてくる。

夕方の大井川を下る。大井川と茶畑が沿線の風景だ。この日本的な景色というのも、旧型客車によく似合う。沿線にはカメラを構える人、河原で遊んでいるその手を止めて手を振る子どもたち、お母さんに抱かれた赤ちゃんなど、この列車が通るのを待ちかねるようにして多くの人たちが見送ってくる。そして車内も古いボックスがかえって珍しいものに見えて面白がっている子どもや、ガチガチのマニアとおぼしき連中など、いろんな人がSL列車のムードを楽しむ。

P1011046 私はといえば、乗車前にこういうものを仕入れて、文字通り「SLの旅」に酔いしれるのであった・・・・。

途中多くのトンネルを通るが、「窓を閉めてください」というような放送はなかった。いいのか?そしていざトンネルに入ると、わずかにススのようなものが入ってくるが、煙で車内が充満するということはなかった。気動車に乗っているようなものかな。まあこれは川に沿って下りが続いているから煙の量が少ないのかもしれないし、最近の石炭は「無煙」のもののシェアが高いという。このSLが使用しているのも、その手の石炭かもしれない。

せっかくSL列車に乗りながらこういうことを思うのも変だが、SL列車、どうも乗るよりは、外からその走りっぷりを見たほうが面白いかもしれない。旧型の客車に乗る面白さはあるが、走行シーンを同時に見れないのは惜しい。こういう時に分身の術が使えればいいんだけどなあ・・・。

P1011054 新金谷で大勢の客が下車し、またSLのほうにカメラを構える。ここで下車する人が多いのは、駐車場が完備されているからのようだ。そして残り少なくなった客とともに最後の走りを終え、金谷に着く。ホーム1本きりのため、そのまま折り返すしかない。ここで、最後尾につけていた電気機関車の出番。あっさりと列車を新金谷方面に回送して行った・・・。

1日楽しん大井川鉄道。この路線もまた訪れてみたいところである。SLにはこれで1回乗ったので、今度は列車の走りを外から見てみようかな・・・。これだけ観光に特化した(もちろん、地元客の利用もあるのだが)鉄道というのもなかなかない。

そろそろ夕方の金谷から、東海道線を東へ東へ向かう。

P1011014今回は駿河鉄道めぐりだったが、静岡県にはこの先、遠州鉄道に遠州浜名湖鉄道がある。また手前の伊豆には伊豆急行や伊豆箱根鉄道がある。伊豆にも久しく行ってないなあ・・・・。まだまだ、ローカル私鉄の旅は続くのであった・・・。(終わり)

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アプト井川線の旅~駿河鉄道めぐり・4

2006年09月13日 | 旅行記D・東海北陸

P1010984 千頭を出た列車は大井川を遡上するように走っていく。途中に駅があるが、乗り降りする人はいない。その昔道路が通じていなかった頃は、沿線の人たちの貴重な足として利用があったということだが、現在の日本、人は住んでいなくても道路はどこにでも通っている。大井川の流れだけではなく、この谷を渡る道路橋や、崖にそったガードレールを見るのもこの路線の車窓である。現在この沿線に住む人たちも、外に出るにはクルマに乗ることがほとんどだろう。この後井川まで往復するのだが、地元の人とおぼしき乗客は一人もいなかった。

その代わりというわけではないが、奥泉の小さなホームには多くの乗客であふれかえっている。この駅からバスで入ったところに寸又峡温泉がある。乗客のほとんどが旅行会社のバッジをつけている。おそらく昨日はSLに乗り、寸又峡温泉に泊まって、そして今日はアプト式体験というツアーなのだろう。終点の井川まで行く5両が、これでほぼ満席となった。

P1010988 そして、アプトいちしろに着く。ここからが日本唯一のアプト式鉄道である。アプト式・・・細かな技術説明はできないのだが、わかりやすく言うなれば、急勾配に対して線路の真ん中に歯車をかませて、その力を借りて上るというもの。ジェットコースターでホームを出るとまずカタカタカタ・・・と上るが、アプト式鉄道とはその動力源が線路ではなく機関車にあるといったところか。

P1010989その専用機関車をこの駅で編成の最後尾につける。多くの乗客が列車から出て、その様子を見に来る。このアプト式、1990年の開業と比較的歴史が新しい。それまで走っていた線は、ダムの建設により今この駅の横に広がる湖の底に沈んでいる。普通の鉄道の経営者の発想なら、ダムで線路が水没するならそれを機に廃線ということになるのだが、この大井川鉄道は、それで新線、しかもアプト式というのを造ってしまうのだから、うなってしまう。だから大井川鉄道なんだろうな。

P1010993何だか「世界の車窓から」のテーマ曲が流れてきそうな雰囲気の中、上り勾配に挑む。客車にいる分にはアプト式ということは感じられないのだが、勾配が急であることはわかる。先ほどまで目線に近いところを流れていた大井川が、いつしか目の下に移る。窓から顔を出すと、機関車に押された客車たちがカーブを描いている。客車8両ということで、機関車も2両。なかなか絵になる光景である。

一気に勾配を上り、長島ダムに着く。こんな山奥にこんな大きなダムが出来るのが日本の建設技術だ。ダムの是非、私には論じることはできない。ただ、ダムというもの、電力開発や、生活・工業用水の安定供給、水量の調節という面では必要なものであることには違いない。こういうダムが上流に多くあるから、下流の大井川の河原が干上がったように見えるということも事実であるのだが。

P1010997 長島ダムで機関車を切り離し、再びトンネルの連続。そしてまたダム湖である接岨湖に出る。「レインボーブリッジ」という湖上を渡る鉄橋の途中に奥大井湖上駅がある。湖の対岸には、かつての線路跡が望める。湖の水位が満杯になったら、この線路も水の中にくぐるとか。アプト式新線といって汽車旅ファンは呑気に楽しんでいるが、その裏にはこうして沈められた村があることを忘れてはならないと思う。今はどこで、どういう暮らしをしているのだろうか。

P1011003 関ノ沢橋梁という、高さ100メートルの橋梁を渡る。宮崎の高千穂橋梁に次ぐ高さという。100メートル・・・橋梁の下は木々で覆われており、100メートル下が見通せるわけではないが、それでも100メートルという言葉を聞けば、安全な車内にいてもビビる。ちょっと下をのぞいてみるが、3秒と持たない。おまけに「サービス」で橋梁をゆっくり通るものだから、「早く行ってくれ!」と心の中で叫ぶ。

この後、尾盛という駅を過ぎる。アプトいちしろ以降、後部3両を切り離した接岨峡温泉以外に人家というものを見ていない。この尾盛という駅も、かつてダム建設に携わった人たちが周りに住んでいたそうだが、今は人家もなければこの駅にいたる道もない。ならばどういう意味で駅を残しているのかな。一部の「秘境駅」マニアと称する連中が下車するためだけの駅である。そんな連中にまで見所を残しておくのは大井川鉄道ならではであろう。

P1011006 さて、見所の多かった井川線、いよいよ終点の井川着である。線路はこの先にも延びているようだが、旅客営業はここまで。奥泉から乗った団体さんは、駅前に待つバスでこの先へ向かう。ただ他にも残った乗客も結構いる。意外だったのが、この井川駅、周りには何もない山の中であるが、行政では「静岡市」なのだそうだ。また、静岡駅との直通バスなんてのもあるみたい。

井川からは折り返しの列車に乗ることにする。また秘境を通り、ダム湖を越え、急勾配を降りて千頭に戻る。初乗車の往路に比べ、復路は時間が早く感じられたように思う。ただ、周りにいたおっちゃんたちのグループはさにあらずで「こんなん片道で充分やな。帰りは退屈や」と一言。

P1011019 ただ、そのおっちゃんたちが感心していたのは「あの車掌の兄ちゃん、走ってばっかりやな」というもの。そういえば往復の列車で働いていた若い車掌。駅に着くたびにホームに出て、途中で降りる客がいれば切符の回収、料金の精算、そして手動式のドアを1両ずつロックがかかっているかを点検してから発車の合図、道中では車窓の案内、グループ客への応対・・・・何とも慌しい。ただこの車掌だけでなく、駅のホームの係員や、機関車の運転手なども含めて、大井川鉄道には比較的若い鉄道マンが多いように見える。ローカル私鉄といえば年寄りの運転手というイメージがあるのだが、このあたり、鉄道会社としてだけではなく、地元の観光振興のために若い力を活かすという方針があるのだろう。なかなか頼もしい限りではある。

P1011020 さて、千頭からはSL乗車であるが、その前に・・・・。(続く)

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大井川鉄道へ~駿河鉄道めぐり・3

2006年09月12日 | 旅行記D・東海北陸

9月10日の早朝、静岡駅から東海道本線を西へ向かい、大井川を渡って金谷に着く。金谷には旧東海道の石畳が残っていたり、静岡茶の産地として知られる牧之原台地があって・・・というところなのだが、金谷で降りる人のお目当てはここから出る大井川鉄道である。

P1010967今回の「駿河鉄道めぐり」、まずは「大井川鉄道に乗ってみたい」という動機から来ている。大井川鉄道には全国的に有名なSLの定期運転や、アプト式線路を採用した井川線、それにかつての大手私鉄の電車が「昔の塗装で出ています」というのがあり、鉄道ファンにとっては楽しめる路線である。

ただ、これらの要素を満足させるにはどのように乗ればよいか。SLも9月に入り臨時便がなくなり、井川線も元々本数が少ない。当初は沿線のどこかか、バスで寸又峡温泉に泊まろうかとも考えたのだが、一人旅にはちと泊まりにくいところのようだし・・・。結局いくつかの組み合わせの中から、結局ホテルの多い静岡に「前泊」、そしてせっかくなので前日に岳南鉄道や清水鉄道を回ったという組み立てである。

大井川鉄道は金谷から井川線の終点・井川まで片道3090円。決して安くない。ただ、各種フリーきっぷが売られており、私の買った鉄道線全線フリーの「大井川・アプトラインフリーきっぷ」は、1日乗り放題で5500円。井川まで往復すれば元が取れる。

P1010968まず、金谷から乗るのは普通列車。といっても私から見れば「特急電車」である。元近鉄南大阪線~吉野線の特急として走っていた16000系。地元がその南大阪線沿線の私としては、「特別に」走っていた姿(今でも、一部現役であの線を走っている)を知っているだけに、懐かしさと同時に「何でここにおるんや」という気持ちがする。ヘッドマークが「特急」から「金谷-千頭」に書き換えられているほかの外装はそのままであるが、シートは向かい合わせに固定されており、おまけにワンマン運転の運賃箱が備えられている。ちょっと痛いかな。これは意図的だろうか、車端部には「石舞台古墳」の写真。これがかつて近鉄で走っていたことの証か。

P1010969 鉄道ファンやハイカーらしき人ばかり10人程度を乗せて発車。次の新金谷では今度は元京阪の特急電車とすれ違う。何だか関西に戻ったかのようだ。ここからはローカルムードとなり、大井川の広い河原を左右に見て走る。その昔「越すに越されぬ大井川」と呼ばれたこの川であるが、今見ると確かに川幅が広いものの、河原の砂利ばかり目立って、川の流れがほとんど見えない。涸れているんじゃないかと思うくらいだ。まあ、これは昨今上流に多くのダムが出来て川の流れを調節しているからであり、昔のようにダムがなく、また橋も掛けられていなかった頃は水量も多く、確かに「越すに越されぬ」だったかもしれない。

P1010971そんな大井川に沿って元近鉄特急に乗っていると、いつしか沿線の景色が吉野線のそれにダブってくる気がするのが不思議だ。1時間余り走って、大井川鉄道「本線」の終点・千頭着。山あいの駅だが、側線にはSLや電気機関車なども停まっており、鉄道の匂いにあふれている。

そして、これから乗るのが井川線である。千頭9時発というのが、井川への始発である。先に井川線を片付けようという作戦である。先ほどの特急電車とは一転して、軽便鉄道用のこぶりな車両。後部にはディーゼル機関車がついている。こいつを動力源とし、運転は先頭の客車で行う。

P1010976 車内に入る。立ったら頭を打ちそうな天井の低さである。思わず、「井川線の線路の幅っていくつかいな?」と、もう一度先頭部を見に行く。大井川鉄道本線、またJR在来線と同じ1067ミリだが、線路の幅と車両の幅がほとんど変わらないくらいに感じる。

客車8両つないでいるが、乗客は1両に数人いるかいないか程度。ゆっくりと発車し、千頭の駅を後にする。列車の振動、レールのきしみが身体に伝わってくる。大井川の幅広い河原を右手に見て進む。さて、これからどんな旅路になるのだろうか・・・。(続く)

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清水港と静岡鉄道~駿河鉄道めぐり・2

2006年09月11日 | 旅行記D・東海北陸

真新しい高架駅の清水駅に下車する。海側には広いロータリーができている。清水といえば港町。東海道本線で何度も通過しているが、下車したのは初めてである。

駅前広場から、赤い舗装の広い歩道を歩く。国道を挟んで海側には港が広がり、潮の香りがただよう。このまま歩道を南の方向に歩くが、国道が高架橋になったり、途中で道路と交わってもこの歩道だけはマイペースで続いていく。

P1010956 15分ほど歩いて、清水埠頭に出る。ヨットハーバーや、「エスパルスドリームプラザ」という大きなショッピングモールなどがあり、「清水マリンパーク」として地元の若者たちで賑わっている。清水といえば市民球団エスパルス、その名を冠したスポットは街の誇りなのかな。

P1010957 そんな一角に、なにやら巨大な鉄の塊がある。何かのモニュメントか。近寄ってみると、これは「テルファー」という、荷役用のクレーン機械であるらしい。その説明書を読むと、「国鉄清水港線清水港駅に木材を貨物に積込む荷役機械として作られました」とある。「国鉄清水港線」・・・そうか、ここはかつて駅だったのか。そういえば、「旅客列車が1日1往復の路線」として、宮脇俊三著の『時刻表2万キロ』はじめ、多くの鉄道ものの本に清水港線のことが取り上げられていたのを思い出す。あとでわかったことだが、清水駅の東側というのはかつてのヤード跡地で、昔ながらの市街地は駅の西側であること、赤く舗装された歩道というのが実は旧清水港線の跡地であることのようだ。そのことを知らなければ、全く気付くことがなかっただろう。

P1010961 そんな清水港の歴史を紹介しているのが、このマリンパークにほど近い「フェルケール博物館」というところ。「フェルケール」とは、ドイツ語で「交通」という意味らしい。

清水港は漁港だけではなく、東海を代表する工業港、貿易港として栄えている。そして、この港の親分的存在といえば鈴与こと鈴木与平(この名前は代々襲名されているとかで、今の社長で8代目らしい)である。清水の次郎長か、鈴木の与平ってなもんか。この博物館も、鈴与の貢献が大きい。(そういえば、エスパルスのユニフォームの胸部にも「Suzuyo」とありますな)

P1010958 内容は工業港、貿易港としての清水港の成り立ちや、船舶関係、沿岸荷役関係の資料が満載で、現在のコンテナ中心の荷役とはまた違った港の賑わいというのが伝わってくる。太平洋側に面していることから欧米諸国との貿易の窓口にもなっており、静岡名産の茶葉やみかんなども輸出品目になっていたとか。こういう交通・物流関係の資料館というのは見ていて飽きない。海運の役割について、もっと広く観光客の啓蒙にも役立ててほしい。

また2階の企画展示室では、「わが家の宝物展」ということで、清水近辺の家庭から出品された骨董品、コレクション、思い出の品々が多数飾られていた。中でも大きなスペースをとっていたのが、駅弁の掛け紙のコレクションと、地元出身の名プレイヤー・中田英寿選手が着用したユニフォーム(日本代表とセリエAのもので、「ベルマーレ平塚」に関するものはなかったが・・・)といったところ。それらを見学するうち、いつしか閉館の時間となった。

博物館を出て、しばらく清水の街を歩く。魚を食べさせてくれそうな居酒屋がそろそろ営業を始める時間帯。なかなかそそられるものがある。今夜は静岡駅の近くのホテルを予約しているのだが、可能であればキャンセルして清水に泊まるか、あるいは清水で引っ掛けてから静岡に移動するという手もある。まあ、そこは次の機会にするとして、そうした商店街の真ん中にある静岡鉄道の新清水駅に着く。

新清水から新静岡まで、JR東海道本線と競うかのように走っている静岡鉄道。本数を見ると日中でも6~7分に1本、朝夕のラッシュ時にはもう少し本数が増えるというフリークェンシーを持っているし、自動改札機に磁気式プリペイドカードが備えられているし、ローカル私鉄ではなく完全に近郊路線。

P1010964 2両編成の電車だが、民家の軒先に近いところをグンと加速して走ったかと思えば、すぐに減速して次の駅に停まる。並行するJRが途中駅が少ないのだが、静岡鉄道はその分近郊の乗客をこまめに拾う。静岡に遊びに行く人たちで、駅ごとに乗客が膨れ上がる。新清水駅とJRの清水駅も微妙に離れているのだが、終点の新静岡駅もJRの静岡駅とは数百メートル離れている。それでも駅ビルやバスターミナルを持ち、完全に静岡市内交通の一方の雄のような存在である。

今夜の宿は最近オープンしたという「アーバントイン静岡」。シングル料金だが、通されたのはベッド2つのツインルーム。もっとも、シングルなら「何か得したんとちゃう?」と思うのだが、ツインで申し込んでこの広さだったら「狭い部屋に押し込められた」という感想が出るだろうな、という広さ。

P1010966 清水では飲まなかったが、結局静岡でも店のこだわりがそれほど出てこず、結局チェーン店風の居酒屋に入る。それでも生のシラスを食べたり、由比の地酒「正雪」(いかにも地酒といったネーミングだ)、焼津の地酒「磯自慢」といった銘柄を味わう。シラスに限らず、魚にはこだわりがある店のようで、ここはここで美味かった。

さて、明日は早起きである。それに備えてゆっくりと休むことにする・・・。(続く)

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