まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

2週間後は総選挙

2014年11月30日 | ブログ
12月2日公示、14日投票の総選挙。確か前回もそうだったが、年末に来て今年最後の大きな出来事ということになるのだろうか。このタイミングで選挙をやるのはいかがなものかという思いは強いのだが、やると決まったからには選ぶ方もきちんと「2票」を行使しなければならない。

以前から拙ブログでは選挙のたびに「2票」という表現をしているのだが、それは選挙区と比例区、それぞれ1票あるということで、これをどのように組み合わせるかで意思表示の幅は広がる。2つともA党に入れることもできるし、A党とB党と分けることもできる。

週末、各党の主張や討論をテレビやネットで目にしたのだが、それぞれの言い分は報道の域を出ないので省略するとして、経済、消費税、福祉、外交、憲法、議員定数、政治とカネ・・・さまざまな争点がある中で、自分は何に力点を置くのか、この点で自分の考えに近い候補者、政党はどれなのかを見極めなければならない。こればかりは、サイコロを振って決めるわけにはいかない。

さて、私の住む選挙区の大阪14区。前回はゴタゴタの選挙区の代表的なところの一つとしてワイドショーでも取り上げられた。まだ公示前であるが、報道等で出馬が予定されているのが・・・

谷畑孝氏(維新前職)・・・社会党→自民党→維新

長尾敬氏(自民元職)・・・民主党→自民党

三宅博氏(次世代前職)・・・たちあがれ日本→維新(で前回比例当選)→次世代

野沢倫昭氏(共産)・・・これまで5回連続で共産から出馬。今回出れば6回目。 

・・・とまあ、今回も「たかし対決」が軸となって展開されるのだろうが、そこに三宅氏が割り込んで「たかし・ひろし対決」になるのか。すまんのぉ~、笑えよぉ~と言われても笑えないなあ。

それにしてもこうして書き出してみると、政党とというのは一体何なのかと考えたくもなる。阪神で「打倒巨人!!」を叫んでいたヤツがFAで巨人に移籍したり、「オリックス愛」などと言いながら結局はカネで某福岡銀行に移ったり・・・(いや、この2例はあくまで「例えて言うならば」の話で、別に誰のことを指しているのではなく)。共産党を支持するしないは別として、6回目に出てくる野沢氏が筋が通って清々しく見てくるから不思議なものである。民主党は維新との選挙協力ということで谷畑氏支持に回るのだろうが、本当の民主支持者というのは、維新の候補者に投票するのを果たして是とするのだろうか。その維新は維新で、大阪では公明党候補者のいるところには候補者を出さないとも言われている。そうした選挙区の維新支持者は、民主の候補者に投票するのを果たして是とするのだろうか。

ここまで来ると、わけがわからない。先ほど「サイコロを振って決めるわけにはいかない」と書いたが、投票スペースに置いてある鉛筆をサイコロに見立ててその場で転がして(学校の試験とかで、そういうことしませんでしたか?)、出た候補に入れるのでも支障がないのではないかという気にもなってきた。でもまあ、棄権するよりはマシなのではないか。

・・・というのも極端な話で、まだ時間があるので、政党ではなく各候補者個人の考えをいろいろと見ることで投票を決めたいと思う。各候補の皆さんもぜひ「ご自分の言葉」で政策を語っていただきたいものである・・・・。

(追記)・・・このところ「1票の格差はいけん・・・もとい違憲」という裁判所の判断が出されているが、そんなに大きな問題なのかな?それを言い出すと、夏の甲子園をはじめとしたスポーツ大会の都道府県枠なんか不公平の塊でしょう。ただ選手はそれを承知で、どうしても出場を目的とする人は地方に留学するし、激戦を勝ち抜くからこそレベルの高い争いができると都市部で頑張る選手もいる。それに引き替え、たかが国会議員でしょ?どこそこ選挙区から選出されているからと言ってそれに見合った仕事をしているわけではないのだから、何をそんなに騒ぐのかな??というのが疑問である。弁護士が騒ぐのは勝手だが、一般の有権者はどこまで問題だと感じているのだろうか。

それを言うのであれば、議員定数の削減とリンクさせて、「国会議員ゼロ」の県を出すのがあるべき姿ではないだろうか。隣の県と合わせて1人とかね。繰り返し言うが、国会議員だからといって大半は議決の時の起立要員でしかないのだから、別にどうでもいいでしょう・・・。
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第30番「宝厳寺」~西国三十三ヶ所巡り・9(鶏足寺紅葉)

2014年11月29日 | 西国三十三所
木ノ本駅に降り立つ。駅舎は地元の産品を扱っている店舗で、多くの人で賑わっている。また、木ノ本は今年の大河ドラマの主人公である黒田官兵衛の博覧会をやっている。官兵衛は姫路の産まれではなかったか?と思うが、黒田家のルーツというのはここ木ノ本あたりだという。このところの傾向として、大河ドラマに関することならどんなことでも地域の活性化、観光客の誘致につなげようというのがある。

ここから鶏足寺に向かうのだが、駅からは紅葉バスというのが出ている。これで鶏足寺まで向かう。このバスチケットは、1日乗り放題で100円というお買い得もの。利用する人も結構多く、立ち客も出る。

15分ほどで己高閣の臨時バス停に到着する。そこに至るまでの区間、路肩や田んぼのあぜ道に駐車するクルマがズラリと並ぶ。紅葉の名所というのが知られており、クルマで訪れる人が多い。バスに同乗したボランティアガイドの話では、午前中はもっと手前から駐車の車列ができており、そこから歩いたら結構な距離になるようだ。「それなら、このバスに乗ってくれたほうが早く着くのにね」という。ちなみに紅葉バスは11月末までの運行である。

鶏足寺はここからさらに山の中に入って行く。ただまずはその前にバス停近くの己高閣を訪ねる。鶏足寺というが、カッコ書きで(旧飯尾寺)という表記がある。元々は近江の鬼門を守るということで奈良時代の行基が開いたとされ、その後栄えたのだが、明治の廃仏毀釈で寺院の規模が縮小されてしまった。また火災のためにお堂も焼けてしまい、今では廃寺のような感じだという。本尊である観音像は与志漏神社の境内にある己高閣に移されて、ここでお参りする。

この神社の参道の紅葉もなかなかのものである。

そして、田んぼのあぜ道をぞろぞろと歩く行列にくっつく形で、鶏足寺に向かう。紅葉の協力金ということで鑑賞には200円を支払う。

そして参道へ。石段が伸びている。往年は両側にいくつかの建物があり、山中にあって賑わいを見せていたことだろう。それが今ではモミジの古木が並ぶ。紅葉情報の写真では参道にもモミジの葉が敷き詰められたのが出てくるが、こう人出が多いと絨毯というわけにはいかない。

紅葉のトンネルといってもいい参道を歩く。なかなかの色づきで、訪れる人たちからも歓声が上がる。

もう一つ、少し歩いたところには石道寺というのもある。こちらも山中に小ぢんまりとしたお堂があり、大寺院とは一味違った風情を出している。

紅葉のスポットといえばどうしても京都が取り上げられるが、こうした湖北のスポットというのも知る人ぞ知る感じでなかなか良かった。木ノ本までやってきたのは正解である。

再びバスに揺られ、木之本宿の中にあるドラマ館で下車。北国街道の宿場町として栄えた通りを歩く。道幅は結構広い。昔は中央に川が流れ、柳の木なども植えられていたそうだが、それを埋め立てたという。そのために道幅は広くなったが結構クルマの通行量が多い。他県ナンバーも多いが、カーナビがこの北国街道を通るように案内するのだろうか。

木之本は北陸と京・伊勢方面を結ぶ北国街道と、関ヶ原を通って江戸へ向かう短縮ルートである北国脇往還の分岐点。また気候にも恵まれて醸造業も盛んで、酒や醤油の老舗もある。

そして、本陣よりも堂々とした造りの木之本地蔵院に出る。宿場町でもあり、地蔵院の門前町でもある木之本である。中も立派な造りであり、午前の竹生島宝厳寺に続き、ここでも般若心経を唱える。観音さんではないが、お地蔵さんでもOK・・・やね?

本堂裏の書院から回ると秘仏の地蔵菩薩を後ろからお参りするのができるのだが、そこで般若心経の一文字を選んで紙に記し、奉納するというのがあった。うーん、一文字だけね。「空」とか「不」とか「無」という漢字が頭をよぎるが、私が選んだのはお経本文の最初に来る「観」。

この地蔵院は天武天皇の時代にまでさかのぼるとあり、古くは空海や木曽義仲、足利尊氏なども参拝したとか。また賤ヶ岳の戦いでは秀吉が陣を設けたという。なるほど、陣を敷くくらいのスケールはある。

駅に戻り、琵琶湖横断からは長浜、木ノ本と来た1日の行程も終了。琵琶湖近辺はまだまだ知らないスポットも多い。西国三十三所巡りとなれば滋賀県内にはあと5つ札所が残っている。周辺のスポットとうまく組み合わせて、湖国のよさというのを味わってみたいものである・・・。

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第30番「宝厳寺」~西国三十三ヶ所巡り・9(今日は長浜か木ノ本か)

2014年11月28日 | 西国三十三所
竹生島から琵琶湖汽船で長浜港に到着。時間はちょうど昼時である。

午後からはどうするか。長浜の町中は何度か来たことがあり、また訪れたくなるところ。半日ずっと過ごしてもいいかな。

いや一方で、紅葉が見頃であるから紅葉スポットに行くのもいい。前日、JRの駅に表示されている紅葉情報で、滋賀県の欄の一番上に「鶏足寺」というのを見た。私は知らなかったのだが、紅葉では結構有名なようでバスツアーでは定番のようだ。最寄り駅は長浜から少し北に行った木ノ本。木ノ本も北国街道の町で、北陸線では何回も通っているが下車したことがない。初めてのところに行くのもよさそうだ。

ともかく、昼食を取りながら考えることにする。長浜と言えば焼鯖そうめんが有名で、一番人気は黒壁スクエアそばの「翼果楼」。ただ、この時間は大行列だろう。一応行ってみるか。

港から歩くと、湖岸道路に面して焼鯖そうめんの看板が見える。「ぶぶあん」という名前で、空いてそうなのでこちらに入る。別に翼果楼でないとダメというわけではない。店内は昭和の喫茶店を思わせるような雰囲気。

焼鯖そうめんと並んで、名物メニューとしてしじみせいろというのがある。こちらはこの店の先代のご主人が考案したものとか。せっかくなので両方いただくことにする。

先にしじみせいろが来たが、蒸す時間があるためしばらく待つ。少し後で焼鯖そうめんが来た時が食べ頃と言われる。

ということで、まずは焼鯖そうめんをいただく。鯖は小ぶりなのをぶつ切りにしており、骨はそのまま残っているが味がよく染みていてよろしい。

そしてこちらがしじみせいろ。ご飯の上に錦糸卵としじみを散らしたもので、こちらもなかなかのもの。しじみは滋養に富んでいるが、食事として食べることがありそうでなかなかないものである。

店のご夫婦の対応もものすごく丁寧で、ここは来て良かったと思う。ちなみに営業は11時から2時までと短時間。

さてこれからどうするかというところで、やはり初めての木ノ本に行くことにした。次の列車までの間、北国街道や黒壁スクエアを外からさらっと眺めることにする。それで一応長浜もクリアしたことにする。

「ぶぶあん」から通りを一つ入ると、鉄道記念館や盆梅展で知られる慶雲館がある通りである。慶雲館でも紅葉が見られるが、まだ色づきには早いかな。これらも今回は素通りだ。

黒壁スクエアに近づく。親子丼の鳥喜多は相変わらず道路の反対側に行列ができているし、翼果楼も案の定表街道まで人があふれている。今や長浜は滋賀、いや関西における人気観光地である。行楽シーズンということもあるのだろうが、何だか、来るごとに人が増えているように思う。

黒壁スクエアから商店街にかけてが最もコアなところ。やはり風情はあるし、この賑やかなところも嫌いではない。

短時間の歩きで駅に戻る。改札で西国三十三所巡りの駅スタンプをいただく。このスタンプ、ルールでは証拠として該当札所の朱印帳を提示とあるが、有人の窓口でも朱印帳を見せろとは言われたことはない。まあ性善説でやってるのだろうし、番号順の専用朱印帳ならともかく、白紙のフリー朱印帳に達筆で書かれたものを駅員に見せたところで真偽の判断ができるとは思えないが。

快晴の下、北陸線を北上する。駅のホームや沿線にはカメラや三脚、そして地元のボランティアらしい人の姿が目立つ。この日はSL北びわこ号の運転が行われていて、30分ほど後に通過する。それをカメラに収めようと待っているのだ。

SL北びわこ号と言えば、私も一度「なんちゃって撮り鉄」をしたことがある。たまたま福井方面の乗り鉄をやっていて、帰りに他の撮り鉄たちにくっついて行く形で河毛で下車した。晴れる中で雪が残っていて、そこに黒がねの機関車がやってくる様子はきれいだった。ただその瞬間、誰かが前に割り込む形になったのだろう。「何しとんじゃボケェ~!!!!」という罵声が、機関車の汽笛くらいよく響いたのを覚えている。ボランティアらしき人を置いているのは危険防止とトラブル回避のためだろう。

今回は紅葉スポットになるべく早く行こうと、SL見物はなしにして木ノ本に到着。新しい感じの橋上改札を出る・・・・。
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第30番「宝厳寺」~西国三十三ヶ所巡り・9(竹生島へ)

2014年11月25日 | 西国三十三所
近江今津を9時40分に出航した琵琶湖汽船。この23日は関西一円穏やかな天気との予報であったが、比良の山々はどんよりと雲に覆われており、山からの風が結構ある。冬のような天気である。

客席には余裕があるのだが、こういう遊覧船の場合は甲板に上がり潮風(海ではないから潮風とは言わないか)に当たるのがよい。少し寒いが25分ほどのことでもあるのでしばし辛抱する。竹生島に渡るのは初めてで、こういう形で琵琶湖に乗り出すのも初めてである。

竹生島は周囲2キロほどの島で、周辺は深いところで104mあるという。島の周囲はほとんどが断崖絶壁で、船着き場のあるところがようやく少しだけスペースがある。湖底から盛り上がったところの頂上部分が湖面から顔を出している、それが竹生島という。スピーカーから観光案内が流れる中、前方の島の姿が段々大きくなってきた。

竹生島という字を書くが、外から見た限りでは竹など一本も生えていない。松だろうか、何かの木は生えているが枯れているのが多い。山陰線などの海岸沿いのローカル線の列車に乗ると松枯れをしているのを見ることがあるが、それと似たような感じである。ただ、潮風が吹くわけではないから塩害ということでもないだろうし。帰宅後にネットで調べてみたが、竹生島は人が入る場所が限られているということもあり、カワウの棲家とか。その糞害のために島の木が枯れたり、周囲の水質も汚染したりという被害が出ているらしい。琵琶湖といえば「環境問題」というのを連想させるところがあるが、ここ竹生島もそれに含まれるようだ。

そうするうちに着岸する。島が開けているのはこの船着き場だけで、上陸して船を待つ参詣客、観光客で賑わっている。ここには先ほどの琵琶湖周航の歌や近江八景の碑もあり、記念写真を撮る人もいる。桟橋も近江今津、彦根、長浜と方面別に分かれていて、係員が拡声器で船の時間を案内している。船着き場から石段が伸びており、見上げると宝厳寺の塔がそびえる。島全体が寺あり、神社ありと信仰の島であるが、こうして見ると要塞のようにも見える。

船着き場の横には数件の土産物店があり、賑やかな呼び声が飛び交う中、券売機で入島料400円を支払う。これが拝観料の代わりでもある。入口で券を渡すと目の前は石段である。結構急な斜面である。

西国巡りは観音さんを回るのであるが、ここ宝厳寺の本尊は弁才天である。聖武天皇の夢枕に立った天照大神のお告げにより、行基をつかわせて弁才天を祀ったのが由来とされている。その後で千手観音も安置され、伝教大師や弘法大師も竹生島で修業したという。観音堂や都久夫須麻神社があり、巡拝順番に決まりがあるわけではないが、やはりここは本堂である弁才天堂を目指す。島の中にあって堂々とした建物である。

観音ではないが、ここが本尊ということで般若心経のお勤めをする。他にも笈摺姿の人もちらほらと見られ、読経の声も聞こえてくる。ここまで西国巡りも番外含めて9ヶ所目であるが、巡礼ツアーで訪れた青岸渡寺を除けば、読経する姿を見たのはこれまで一番多かった。観光客も多いが、さすが信仰の島である。

ここでは幸せ願いダルマというのがある。手作りのダルマに願い事を書いた紙を入れて、係の方に封をしてもらう。それをお供えする。何を書いたかは・・・秘密。

弁才天堂の脇にある納経所に行く。ここも大勢の人で賑わっている。3人体制で対応しているがそれでも行列ができている。そこでは「ご朱印はどっちしはる?弁天さん、観音さん?」というやり取りがなされている。西国巡礼の朱印もここで一括して扱っている。西国巡礼の朱印を求める人もいれば、やはりそこは本尊の朱印をという人もいる。中には「両方」という人や、「え?それとそれってどう違うの?」と聞き返す人もある。私は西国専用の朱印帳と納経軸のため、職員は何も言わずに観音の朱印をいただく。余白のページがあるからそこの弁天の朱印を入れてもよいのだが、おそらく次に来る機会があると思うので、それはその時にとっておくことにしよう。

上に見えるは三重塔。江戸時代に焼失したものを2000年に復元したものという。隣接する宝物館で弁才天像や空海の書状などを見学した後、この一角から眺める船着き場と港の景色が美しい。近江今津を出る時にはどんより曇っていたが竹生島に着いた時にはすっかり晴れて、穏やかな湖面が広がっている。

石段を下りる途中に観音堂がある。ここの唐門は大坂城の唯一の遺構とされており、国宝である。現在は屋根の修復中で足場が組まれている。ここを抜けると千手観音を祀る観音堂に出る。先ほど本尊の前でお勤めをしたが、やはり西国巡礼となるとここを素通りするわけにはいかない。竹生島で2回目の般若心経。ただこの観音堂は手狭な感じで、巡礼ツアーで何十人も来た場合はお勤めはどうするのかなと思う。納経所も近くにあることから、弁才天堂で行うのだろう。

豊臣秀吉の御座船だった日本丸の櫓を利用してつくられた舟廊下を渡り、都久夫須麻神社に出る。もともと竹生島自体が神仏習合の地であり、元々は現在の神社本殿に弁才天を安置していたのだが、明治の神仏分離令で廃寺の命令が出た際に、建物のみを神社に渡して弁才天は山上に移された。同じ敷地にあるが、現在は宝厳寺と都久夫須麻神社は別の宗教法人の扱いという。神仏習合とか、神仏分離とか、私にもまだまだ理解できていないことも多く、この西国巡りを行う中でそうした歴史についても学びたいところである。

この神社の境内には龍神拝所があり、琵琶湖を望む。ここでは「かわらけ投げ」があり、かわらけが湖岸に建つ鳥居の間をくぐると願いが成就するという。私も挑戦する。2枚のかわらけを渡され、1枚目に自分の名前、2枚目に願い事を書き、名前の方から投げる。結構軽いので横手から投げるのがいいが、それでも1枚目は大きく左へ逸れる。ただ2枚目はうまく鳥居の間を通過。横で見ていたカップルから拍手を受ける。いや、それほどでも。

これで竹生島のスポットは一通り回ったことになる。時間にして1時間10分ほど。この竹生島への遊覧船は各港からの往復の場合、1時間あまりの滞在時間を設定している。普通のペースで回ればちょうどこのくらいで船着き場に戻ってくるようだ。今回の私の場合は近江今津から長浜に抜けるが、通常だと45分しか滞在時間がなく、島からの便を1本遅らせると滞在は2時間となる。出航は12時05分発の予定だったが、この日は連休ということで臨時便も出ていた。ということで11時35分発の便で島を出ることにする。今度は先ほどより大きな船体で、甲板も広い。甲板の上段に続く階段の途中も座ることができ、離れていく島の姿を見ることができる。

帰りの船は穏やかな風が吹き、クルージングには持ってこいである。前に、「西国三十三ヶ所の札所をどのようにして選抜したのか?」ということを書いたのだが、まだ訪れていない札所を含めて、いろいろなロケーションや個性を味わえるところというのも一つの基準にしたことは間違いないところだろう。その一つに舟に乗って琵琶湖の中に浮かぶ島が含まれるのは、本尊が弁才天であったとしても自明のことなのだろう。今でこそ遊覧船で気軽に訪れることができるが、昔は苦労があったことと思う。それも巡礼の要素の一つだろうか。

ここまで訪れた中では最も面白く感じたところであるが、この先まだまだうなることも出てくるだろう。

・・・おっと、次にどこに行くかのことだった。実は弁才天堂にお参りした後でくじ引きとサイコロは済ませていた。その選択肢は、

1.飛鳥(岡寺)

2.北条鉄道(一乗寺)

3.山科、醍醐(醍醐寺、元慶寺)

4.洛中(行願寺、頂法寺)

5.東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)

6.和歌山(紀三井寺、粉河寺)

今回は京都市内が3つとも出てきた。一方、和歌山の2寺も「早く納経軸を完成させよ」と呼んでいるようだし、飛鳥も選択肢に出てくるのが2回目で「(前と後に行っていて)ここだけ飛ばしとんねん。早く来い」と呼んでいるように思う。

そこで出たのは・・・「2」。何と今度は播州に飛ぶことになった。なぜ選択肢が「北条鉄道」なのかは、いや、「北条鉄道」だけで済むのかなということもあるが、それはまた次の話。

長浜に到着。時刻はちょうど12時を回ったところ。西国巡礼のエリアは1回につき一つとしているので、今から播州に行くことはない。むしろこの先、滋賀のエリアでどう過ごすかである。ちょうど昼時ということで、まずはお腹に何か入れるか・・・・。













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第30番「宝厳寺」~西国三十三ヶ所巡り・9(われは湖(うみ)の子)

2014年11月24日 | 西国三十三所
この連休は穏やかな天候ということもあり、あちらこちら観光客で賑わったというニュースが流れた。また一方では長野で大きな地震があり、幸い死者はなかったものの、大糸線も不通になるなどの被害があった。関西では「南海トラフ地震」による津波災害が懸念されているが、長野から新潟にかけての一帯も結構地震が頻発しているところである。今後大きなのが来ないことを願うばかりである。

さて、前回の長谷寺、法起院に続く西国三十三ヶ所巡りは、一気に滋賀は琵琶湖に浮かぶ竹生島に飛ぶ。そんな巡礼の仕方があるかと怒られるかもしれないが、鉄道好きとしては続けて同じ路線に揺られるよりは、都度乗る路線を変えたほうが刺激に富むところである。

今回は竹生島ということで、遊覧船で渡る必要がある。遊覧船は琵琶湖汽船とオーミマリンの2社があり、前者は長浜、近江今津からの往復、そして両港を横断するルートがある。後者は彦根からの往復である。12月7日までは通常ダイヤだが、それ以降は冬期ということで減便される。この時期に宝厳寺の目が出たのはよかったのだろう。滋賀までの往復にはJRの秋の関西1デイパスが使えるのも大きい。

ルートを検討したところ、やはり単純に往復するよりは琵琶湖横断ルートの方が面白そうである。また、渡った後のルート選択を考えると、近江今津から竹生島に渡り、長浜へ抜けたほうがよさそうだ。また、近江今津から乗ることにしたのが、「琵琶湖周航の歌発祥の地」ということもあった。それは後で書くことにする。

朝の東海道線の快速から湖西線の近江今津行きに乗り継ぐ。この線にはかつて新快速として鳴らした国鉄型の117系の姿を見ることがある。今回、原色ではなく緑一色の車両だったが、ゆったりと移動することができる。琵琶湖の向こうに朝日が昇るのも見る。

近江今津に到着。竹生島への遊覧船の時間には早すぎる時間だが、その間を利用して駅周辺を歩く。明治から昭和にかけて滋賀に大きな足跡を残したアメリカのヴォーリズの手による建築物が残されている。銀行(現在は資料館)、教会(現在は幼稚園を併設)、郵便局(現在は使われていないが、保存活動は行われているようである)の3点セットである。

そんなヴォーリズ通りから少し外れたところに、江若鉄道の今津駅舎というのを見つける。琵琶湖の西岸に沿って近江と若狭を結ぶことを目指して、浜大津から近江今津まで開通したが、その後は資金不足もあって計画を断念。国鉄湖西線の建設が決まると江若鉄道は用地を提供する形で廃止となり、今は江若交通というバス会社にその名を残している。この今津駅舎は江若鉄道関係で唯一現存する建物だという。今でも近江今津から小浜を結ぶ鉄道建設の構想はあるらしいが、目処は立っていないようである。舞鶴と敦賀を結ぶ高速道路も全通したこともあり、余計に遠のいた感がある。今はいずれ敦賀から南下する北陸新幹線をどのルートで通すかに注目が行っているのではないだろうか。

湖畔に戻り、遊覧船乗り場で乗船券を買い求める。ホームページによれば、長浜への横断ルートは乗り継ぎ便が指定されており、それだと竹生島の滞在時間は45分しかない。それだと厳しいなと思い、帰り便を遅らせることができるのか窓口で聞く。すると別にどの便に乗っても構わないとのこと。確かに乗船券に「何時発」と書かれているわけでもない。また今日は連休中で臨時便も出ているので、帰りのタイミングに合わせて乗ればいいとのことである。

出航まで時間があるので、琵琶湖周航の歌記念館を訪れる。「われは湖の子 さすらいの」で始まるこの歌、加藤登紀子の代表的なナンバーの一つとしてご存知の方も多いだろう。何かこう、旅情をそそるというのか。遊覧船乗り場の横にも歌詞を書いた石碑が建てられているし、遊覧船乗り場に至るまでの道にも歌詞が書かれたパネルが並んでいる。

琵琶湖周航の歌というのは加藤登紀子が唄うということで書かれた歌謡曲、または琵琶湖の観光キャンペーンの曲なのかなと思っていた。作詞:小口太郎、作曲・吉田千秋というのもそうしたプロの作詞家・作曲家という感じで見ていたが、ここに来てこの曲の奥深さを見ることになった。

小口太郎というのはプロ作詞家でも何でもなく、長野の岡谷出身の科学者である。彼が旧制第三高等学校(現在の京都大学)に在学中、所属していたボート部の琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされている。ここ今津に宿泊した時に、同部員が「小口がこんな歌をつくった」として仲間に紹介し、当時広まっていた「ひつじ草」のメロディに合わせて唄うとこれがピタリとはまった。以後、三高の学生歌のような形で広まったという。そういうことから、今津が琵琶湖周航の歌の発祥の地とされている。

この小口太郎、東京帝国大学に進み、卒業後は同大学の研究所に入ったが、徴兵検査合格後に退職し、翌年わずか26歳でこの世を去った。一説では徴兵を苦にしての自殺ではないかとも言われている。資料館では小口の小学生時代の作文というのも残っていたが、とても今の小学生ではよう書かんやろなと思うくらいの達筆で、語彙、構成も豊富な文体である。幼い頃から秀才だったのだろう。それが早くにこの世を去ったとなると、歌詞も物悲しく感じられる。

歌詞については当初のものと現在広く唄われているものでは変更された個所もあり、なぜ変更されたかという研究も行われている。ただ、歌詞から見てとれるのは旅に託して「人生」を謳っているということである。歌詞そのものは写真をご覧いただくとして、解説書を読めば、1番で誕生、2番で青春(恋心)、3番で迷い、4番で信仰、5番で昔を振り返り、6番で安らぎ、心の触れ合い(浄土、熱き心)という流れになっているとか。気ままに琵琶湖を回っているのではない。3番の「今日は今津か長浜か」というのは、私などは「どちらに行こうか、勝手気ままな旅の最中」と感じていたが、実はあれは「行方の定まらない迷い」だと言われたら、考えさせられるところがある。

旅は人生、人生は旅ということをテーマにした、それだけ奥深い一曲なのである。「琵琶湖の観光キャンペーンで作った曲でしょ」と思っていた私、結構恥ずかしい。

名曲なだけに、いろいろな人がカバーしている。資料館ではそのうち26のバージョンを試聴できるということで、時間はそれほどないので1番だけでも聴き比べる。どうしても加藤登紀子のイメージが強いが、合唱形式のもよかったし、渡哲也、小林旭、フランク永井、舟木一夫などの男性スター達も唄っているのも意外だった。またニニロッソのトランペットやクロードチアリのギター演奏バージョンもよろし。

ちなみに、館内で映像とともにエンドレスで流れていたのは、「~Lefa~(リーファ)」という、滋賀を中心に活動している男性デュオのもの(公式サイトを見たが、「~Lefa~」という名前も「the Lake is especially fantasy area」という、琵琶湖に由来したもの)。長浜観光のPRということもあるが、歌謡界の大御所バージョンもよいが、こうした地元の人の美しい声で唄われるのが一番しっくり来るのではないだろうか。ユーチューブでも聴くことができるので、おすすめ。「結局、最後は観光キャンペーンやないか」ということは抜きにして・・・・。

さて、資料館で時間をつぶすうちに竹生島への出航時間が近くなった。乗船券を買ったのは早い時間で2番乗りくらいだったのが、今や狭い乗り場は人でごった返している。やはり連休の行楽というのもあるだろうが、リュックから納経軸が出ていたり、中には菅笠に金剛杖という本格派もいるなど、巡礼客も多いようだ。

すっかり前置きが長くなってしまったが、これから第30番・宝厳寺を目指して出航。もちろん、琵琶湖周航の歌が流れる。「われは湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと・・・・」。







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そんな衆議院ならずっと解散しとけ!!・・・というわけにもいかず。

2014年11月20日 | ブログ
バンドやアイドルグループの解散より、衆議院の解散というのはお手軽にできるものらしい。

どこぞの国に首相が外遊している間に解散風が吹いて、何となく解散・・・。

まあ、昔のファミコンのリセットボタンを押すくらいの勇気があれば、解散というのはいつでもできるらしい。

いや、いいじゃないですか。景気回復の風を「選挙業界」に携わる人たちから起こすというのは。

選挙費用もとい「経済効果」、600億円ですか(笑)。アベノミクスの第三の矢に「成長産業への投資」というのがあったと思うが、その成長産業というのは選挙業界ということなんでしょうな。あ、選挙があればとりあえずネタには困らないカスゴミ・・・もといマスゴミ産業も潤うよな。今回の選挙も、このところ広告料も減って儲かっていないマスゴミが勝手に解散風を吹かせてしかけたことだろう。

と、そうもばかり言っていられないので、私の住む大阪14区に目を向けると・・・。

前回総選挙は、社会党→自民党→維新と節操のない移籍をしてきた谷畑孝氏と、民主→離党→自民急遽公認という長尾敬氏の「たかし」争いだった。ねじれというか、議員個人の保身を訴えた選挙区ということでワイドショーにも取り上げられたところ。結果は「維新」という大阪独特の事情もあって谷畑氏が当選したのだが、果たして今回はどうなるだろうか。「非自民」と考える選挙民も、谷畑氏のような節操のない議員に投票するのが果たしてベストの選択なのか、そこは考えたほうがよいのではないだろうか。ガチの民主とか、ガチの維新が来れば考えるが、谷畑はあかんでしょう・・・(谷畑支持者の異論反論、お受けします)。

まあどうなるか。どういう形で年を越すのか。しっかりせえや、しっかり・・・・。

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番外1「法起院」~西国三十三ヶ所巡り・8(天皇行幸)

2014年11月19日 | 西国三十三所
長谷寺、法起院と参詣しての帰り。近鉄の大和八木で橿原線に乗り換える。時間帯からか高校生がごった返しているのはわかるが、ホームには「警察」の腕章をした人が目立つ。また望遠レンズを装着した撮り鉄の姿も見える。どこか異様な雰囲気である。

そして橿原神宮前に到着。こちらもホームや通路に大勢の乗客や警察、近鉄関係者であふれている。一方で通路の片方を開け、人垣がそこから先に入れないようにしている。ものものしい。

そこに、日の丸の旗を配っている人がいる。ここまで来れば、この後で皇室のどなたかが来られることがわかる。話し声を聞くに、何と天皇皇后両陛下のようだ。両陛下はしまかぜで来られるとのことで、「天皇皇后見たい」という人が多い中、「橿原神宮前にしまかぜが乗り入れるのを見たい」という向きもいる。

ならば、もう昼食はいいかなと、私も改札前あたりの人垣に加わる。最前列の人は何時間くらい前に来ているのだろうか。

今回の両陛下の行幸の目的は、橿原神宮参拝や明日香村訪問もあるが、メインは大淀で開催される「全国豊かな海づくり大会」ご出席のため。海なし県の奈良で豊かな海づくりとは妙な気もするが、最近、豊かな海づくりに森林の果たす役割が大きいことも注目されている。豊かな森林を育てる豊かな土壌の成分が川水に含まれ、それが海にまで流れてプランクトンの餌になる。豊かなプランクトンのいるところには魚が集まってくるというやつである。もっとも、実際の式典の様子のニュースでは、湖や川が舞台で、両陛下が川魚の稚魚を放流される映像が流れており、私が思っていたのとは違う主旨でのイベントだったかもしれない。

さて待つうち、橿原線の発車案内を見る。先発、次発、次々発と出るが、普段なら次々に列車表示が入れ替わるところ、14時07分発の急行を最後に表示が消える。おそらくその後で一旦列車を間引き、しまかぜが着くのだろう。

そして、右手の橿原線ホーム側からざわめきが起きた。どうやらご到着のようだ。ゆっくりと、人々に向けて笑顔を向けながら歩かれる両陛下。そこにカメラだけでなく、スマホ、携帯、タブレットが向けられる。私もカメラを上にかざして、何とか。

最後は手を振られ、お二人仲良く改札を出られた。いや、ほんの短い時間のことだったが、やはり実際に目の当たりにすると、オーラが違うわ。

おっと、両陛下の次はこちら。橿原神宮前にてのしまかぜである。ちょうど隣のホームにはビスタカーも停まっていて、新旧のエースが並ぶ形になった。さすがは、近鉄特急である。

そのしまかぜが引き込み線に回送されたところで群衆も解散となる。通路ではスマホや携帯の画面をのぞきこむ人が目立つ。恐らくSNSで先ほどのことを発信しているのだろう。「天皇なう」とかね。

まあ、行幸の予定は前から決まっていたことで、交通規制もあるから地元の人たちは早くから情報を得ていてこの日を楽しみにしていたはず。そこに、たまたま電車乗り継ぎで通りかかってお目にかかったのはどういうことか。超プラスに考えれば、西国三十三所巡りの功徳かなと思ってしまう。そう捉えることで、これからの札所巡りの励みにもなる。まだまだ先は長いが・・・・。


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番外1「法起院」~西国三十三ヶ所巡り・8(法起院・與喜天満神社)

2014年11月18日 | 西国三十三所
奈良時代の高僧で徳道上人という人がいた。

先ほど私も直接足に触れて参詣した長谷寺の本尊の大観音像を造立したのも徳道上人とされている。この上人は、西国三十三所の観音霊場の開祖とされている。

突然の病で仮死状態となった上人は、生死をさまよう中で閻魔大王に会った。そこで「地獄に送られて来る者が多いので、現世で悩める人たちを救うために三十三ヶ所の観音霊場を広めるように」と言われ、三十三の宝印を与えられたという。それを元に三十三の霊場を設けたのだが、人々は上人の話を信用しなかった。そこで上人は宝印を中山寺に納めたという。

上人の死後(今度は本当に亡くなったのね)およそ270年後、那智山で修行中の花山法皇の元に熊野権現が現れ「三十三の宝印を探し、観音霊場を広めよ」との言葉を告げた。それを聞いた花山法皇は宝印を見つけ、三十三の霊場を巡礼したのが西国三十三所巡礼のルーツとされている。後に、徳道上人を開祖とし、花山法皇を中興の祖として、彼らが眠る寺院も番外として加えられるようになった。

西国三十三所巡りをするにあたりこの番外三寺を含める人は多いが、正式な札所ではないということでJRのキャンペーンの対象からは外れている。

思うに、三十三の宝印の伝説は何となくわかるのだが、では三十三の札所をここにしようと定めた基準は何なのだろうか。観音を本尊としている寺院という前提はあるとして、そういう寺院は他にいくらでもあるだろう。また地域バランスも南は那智勝浦、西は姫路、北は天橋立、東が谷汲と広い。昔の国割りを考えたりもしたが、今の選抜高校野球のように学校数に比例した枠があるわけでもない。いや案外、一本の巡礼道を構成するのに国ごとのバランスや宗派の勢い、さらには寺の個性や特徴も考慮していたりして。恐らく歴史家の中ではそうした研究も進んでいることだろう。

さてその徳道上人が晩年を過ごし、御廟もあるのがこの法起院。長谷寺の塔頭寺院であるが、初瀬街道の中に入ってひっそりとしている。長谷寺は観光寺院としても名高いが、法起院は今回の西国巡りで初めて知った名前だし、西国巡りをしなければおそらく訪れることはなかっただろう。

その境内、どこかに屋敷の庭にでも入ったような感じである。小さなお堂ではあるが手を合わせる人の姿も多い。長谷寺のスケールの大きさを感じた後で、どこか安らぎを感じさせるものがある。

ここで般若心経を唱え、朱印をいただく。朱印帳にはきちんと法起院のページがあるが、納経軸には「番外」とだけ書かれた5つの欄があるだけだ。この5つにもいろいろな説があるようで、番外3寺プラス高野山、善光寺という人もいれば、番外は法起院(と元慶寺のいずれか)と花山院だけで、そこに高野山、善光寺、そして四天王寺を入れるという人もいる。いやいや高野山ではなく比叡山を入れるのが正しいという説もあって、よくわからない。そこで見えるのは、観音信仰の親分的存在である善光寺はお礼参りの意味も込めて入れる人が多く、続いて自分の家の宗派(真言系か天台系か)の総本山、次いで番外で徳道上人と花山法皇ゆかりの寺院というところだろう。四天王寺というのは、日本に仏教を根付かせるのに力を尽くした聖徳太子への敬意ということか。ここ法起院では、5つの欄の2つ目、列で言えば一番下の列の右端に朱印をいただいた。順番があるのかな。花山院はどこに入れるだろうか、その時が楽しみである。

この法起院の奥には徳道上人の御廟があり、西国三十三所のお砂踏みもある。そのこぢんまりとしたエリアの隅に「葉書の木」というのがある。タラヨウの木なのだが、葉の裏に尖ったもので字を書くとそれが浮き上がり、文字として残るという。それで「葉書」ということの由来とされている。もっとも、「ハガキ」という言葉は、「端書(はしがき)」という普通の書面までの文字数を必要としない短信の意味で、その「端書」と「葉に書く」というのが混ざり合って一つのハガキになったということのようだ。でも、葉に字を書いて通信の手段にするというのは十分あり得ることだと思う。

このタラヨウの木はあちこちにあるが、ここ法起院では「誰も裏に字を書いていない葉を見つけるのは幸運です」とあり、そこに字を書くと願い事がかなうという。そういう目で木についた葉を追ってみるが、いずれも誰かが尖ったものやペンで書いた後である。中には誰かが書いた葉に割り込む形で書いているものもあるが、そこまでする気はない。上を見ると、どう考えても手を伸ばして書けることができない高さにある葉もある。そういうところは塀をよじ登るとか、梯子でも持ってきてわざわざ書いたか。さすがにここは「葉書」ができずに引き返す。

この後、日本で最古の天満宮とされる與喜天満神社に参拝する。こちらの石段はおよそ300段。今日は室生寺、長谷寺、そして與喜天満神社と、石段に上ることが多い。社務所は参道の途中にあり、上には祠や神石があるくらいだが、今ではパワースポットとして知る人ぞ知るところなのだそうだ。

ここでは神式に則って参拝。境内の一角にホワイトボードがあり、「與喜天満神社 絆処」とある。そのキャッチコピーが「貴方しか分からない 時空を超えた心境を表現してください」というもの。うーん、いかにも「パワースポット」らしい怪しさ。「時空を超えた心境」ねえ。まあ、ホワイトボードに書いてあるのは絵馬での願い事とさほど変わらないようなものばかりだったが。

かようにして、初瀬街道を下る。門前で昼食を取ろうかとも思ったが、さほど入りたくなるような店もなく、そのまま歩く。昔ながらの看板が並ぶ新聞販売店や、地酒販売の店など、古い町並みが残るところ。道幅が狭いところだが車の往来はそれなりにある。そんな中、1台の他県ナンバーの車が立ち往生している。前輪が路肩の溝にはまっている。おそらく、対向車とすれ違う時に左に寄せすぎたものだろう。乗っていたらしき人が他車を誘導しながら救助を待っている。おそらく長谷寺にお参りに来て、こういうことになったのではご利益が・・・というところだろう。

駅まで15分ほど歩いて到着。だいぶ遅めにはなるが、昼食は自宅に戻ってからにしよう。割引きっぷでは途中下車できないので、途中で何か買うという手もあるし。ということでまずは上本町行きの準急に乗り、次に向かう琵琶湖竹生島に思いを馳せるのであった・・・。
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第8番「長谷寺」~西国三十三ヶ所巡り・7(長谷寺)

2014年11月16日 | 西国三十三所
参詣客で賑わう長谷寺に到着。ちょうど団体客もいる。また中国語も飛び交っている。西国三十三所だからということではないが、山の中に古くから開かれた寺院として、中国の人にとっても魅力あるところなのだろうか。こういう仏閣って、日本に仏教をもたらした中国には今やほとんど残っていないし。

早速、割引きっぷを呈示して中に入ろうとするが、通常の拝観料500円と本尊大観音像の特別拝観料1000円が、セットで1300円と割引するとある。割引きっぷは他の割引とは併用できないとのことで、1300円のセットを買い求める。

長谷寺と言えばこの登廊が有名である。平安時代に春日大社の社司が子の病気平癒のお礼で造ったとか。神社の社司が寺院に寄進するというのも、今の感覚では妙に思うところもあるが、当時は神仏習合の考えが広まっていた頃。こういうことはごく自然に行われていたのだろう。上中下の三段で上って行くが、その合計は399段。400段としなかったのは何かいわれがあるのだろうか。

国宝の本堂に到着する。まずは納め札と蝋燭を上げる。ちょうど中では法要が行われており、僧侶の読経の声が響く。その向こうに本尊の十一面観音菩薩の上半身が見える。大勢の参詣客がおり、通路が狭いということもあって、「お勤めは外舞台で」という表示がある。ということで般若心経を読むのは後回しにして、観音像の特別拝観の受付ということで本堂の中に入る。

受付で係の人が私の左の手のひらにお香を置き、両手を清める。そして五色線という腕輪を左手首にはめる。五色線というのは仏の智慧を表す白、赤、黄、青、黒の五色の糸をより合わせたもので、観音とご縁が結ばれた証だという。そして法要が行われている中、観音像の足下へ。もちろん写真を撮ることはできないので画像はないが、およそ10mの高さの観音像。真下から見上げるとその高さに圧倒される。何かこう、「お前のやることは全てお見通しやからな(関西弁は使わんだろうが)」と言われているような。

そうなるとせめて足に触れて「どうぞご加護ください」と祈るしかない。特に昔の人は現代人より信仰心は篤かっただろうから、よりありがたがる思いやすがる思いは強かったことだろう。足のところだけ金箔もはがれ黒くなっているが、その分歴史の積み重ねを感じる。また、足を触られても悠然として立つ観音の大らかさというのも感じる。

再び外に出て、本堂から外舞台を見たり、外舞台越しに本堂を見たりする。そして外舞台から般若心経の読経。大勢の参詣客がいる中でそういうお勤めをしている人はいないこともあるし、まだ札所巡りも序盤ということで私もまだ照れがある。それでも、青空の下、風に吹かれながらの読経というのもまたよろし、である。その後で朱印帳と納経軸に朱印をいただく。さすがに有名な札所ということで朱印を求める行列ができている。納経所の前に机があり、軸を乾かすためのドライヤーが置かれている。施福寺で「あまり熱風は当てないほうがいい」ということを他の参詣客から言われたのを思い出し、弱風にしてやる。空気が乾いているためか結構早い。私の様子を見て、朱印帳にドライヤーを当てだした客がいたが、納経所から「紙が変形するから朱印帳にはドライヤーを当てないでください」と僧侶の声が飛ぶ。

こちらの紅葉は室生寺と比べてもまだ早かったというところだが、それでもそれぞれの建物とよく映えている。

そうする内に12時を迎える。本堂横の通路に人が集まる。私もそちらに向かうと、一人の僧侶が法螺貝を片手に本堂横の鐘楼の階段を上って行く。ここ長谷寺では正午に鐘とともに法螺貝で時を知らせる行事がある。僧侶の姿を見て拍手する女性もいる。また「あの子、頭だけやのうて眉毛も剃ってない?」「元ヤンキーだったりして」などと話す声も。何ちゅう失礼な。

そして正午。鐘とともに法螺貝の音が初瀬の町に向けて響く。私も僧侶が吹いているのを横から見たり、あるいは鐘楼の真下で音を聴いたが、ホルンのような響きに聞こえなくもない。

これで8番札所の参詣を終える。・・・とここで、次の巡礼先を決めなければならない。あの十一面観音はどのようなご託宣(神様ではないから託宣とは言わないか)をされるか。まずくじ引きで出た候補は、

1・・・嵯峨、亀岡(穴太寺)

2・・・琵琶湖竹生島(宝巌寺)

3・・・姫路(圓教寺)

4・・・大津石山(岩間寺、石山寺、三井寺)

5・・・箕面、宝塚(勝尾寺、中山寺)

6・・・那智勝浦(青岸渡寺)

今度は琵琶湖から亀岡から姫路から那智勝浦まで、エリアが一気に広がった。ただ4~6は前にも選択肢で出てきた。くじがよく混ざっていなかったか、向こうの引きが強いのか。まあ、どこもいずれは行くことになるわけだが。

そして出たのは・・・・2.竹生島である。8番から一気に30番に飛んだ。琵琶湖に浮かぶ島で、遊覧船に乗って行かなければならないところ。確か12月に入ると船も減便されるはずで、できれば11月中に出かけておくことになる。

これで長谷寺を後にするが、駅に戻る前にもう一ヶ所、番外札所がある。そちらにも行くことにする・・・・。

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第8番「長谷寺」~西国三十三ヶ所巡り・7(室生寺)

2014年11月15日 | 西国三十三所
西国三十三所巡りにあたり、これからはくじ引きとサイコロで行き先を決めるという暴挙に出た私。最初の選択肢は「箕面・宝塚」「那智勝浦」「飛鳥」「長谷・室生」「洛中」「大津・石山」というものだったが、前の記事で書いた後にサイコロの目が示したのは・・・4の長谷・室生。

ここで訪れるのは第8番の長谷寺と、その門前にある番外の法紀院。6番まで来て、次が8番だから番号として大きく飛ぶわけではない。ただそれでもいい目が出たなと思う。

というのが、ちょうど12月7日までの期間、長谷寺では本尊の大観音像の特別拝観が行われていて、観音像の足に直接触れてお祈りすることができる。また近鉄も「室生・赤目・伊賀上野」のエリアキャンペーンを行っている。この一環として、秋の室生寺・長谷寺参拝きっぷというのも発売されている。

このきっぷは近鉄主要駅からフリー区間(長谷寺~室生口大野間)までの往復乗車券と、室生口大野~室生寺間、あるいは長谷寺~室生寺直通のバス乗車券2枚、両寺の拝観料割引、室生寺の「扇子みくじ」、指定店での買い物割引の特典がついており、藤井寺からだと1890円。藤井寺~室生口大野までの運賃が820円、室生口大野~室生寺までのバスは430円、長谷寺~室生寺直通バスは830円だから、これらの交通機関で室生寺を往復するだけでも元が取れる。ということで、西国巡礼としては長谷寺が対象であるが、今回は室生寺も組み合わせることにする。順路としては、先に遠いほうの室生寺に行き、長谷寺には直通バスに乗るかバス+電車+徒歩で向かうかは現地でのタイミング次第とする。

ということで、まずは近鉄大阪線で室生口大野駅に現れる。無人駅だが自動改札機が並んでいる。参拝きっぷは自動改札機に入らない横長タイプなのだが、他に下車した客たちは改札横のインターホンでどこかの駅の係員と話をしている。インターホンの下にカメラがあるようで、そこにきっぷをかざすよう指示される。それを確認したところで、きっぷは集札箱に入れ、ロックが解除された自動改札機を通るよう言われる。私を含めて何人かの客がそのようにして改札を出る。

室生寺には駅前から8時20分発のバスに乗って15分ほど。途中、川の対岸に大野寺の磨崖仏を見る。後ろの小さい男の子連れの家族が、「○○ちゃん、あれが磨崖仏だよ」と窓の外を指す。夫婦の会話の様子からは寺社仏像参りが趣味のようだが「この歳から親の趣味につき合わされても、わからんやろうね」などと話している。いや、この歳になっても仏像のことはよくわからんおっさんもここにいるぞ。

室生寺の拝観は朝の8時30分から。参拝客の姿はまだ少なく、太鼓橋を渡り境内に入る。女人高野の別名があり、シャクナゲの名所として知られているが、この時季は紅葉スポットとしても名高い。

受付で参拝きっぷの割引券を呈示すると拝観料が100円引きとなり、さらにここで扇子みくじを引くように言われる。何故に扇子なのだろうか。末広がりとか? で、引いたのは中吉。願い事・・・「高望みをしすぎたり努力を怠ったりすると叶い難い」。なるほど。

紅葉の見頃にはまだ少し早かったようだが、それでも仁王門や本堂のあたりは色づいており、特に本堂ではまだ完全に色づいていない分、紅と緑がグラデーションのように楽しめる。こういう色使いも悪くない。

金堂では扉を開け、数々の仏像を見ることができる。これも12月14日までの特別拝観である。国宝の釈迦如来立像を中心に、十一面観音(こちらも国宝)や薬師如来や地蔵菩薩、十二神将などの像が勢揃い。別料金を払えば金堂の中に入ってより間近に見ることができるが、いやいや外からでもそのオーラのようなものは十分に感じられる。朝の時間帯で参詣客もまだまばらで、静かな風情の中で手を合わせる。

そして室生寺と聞いて真っ先にイメージされるのが五重塔。台風で大きく損傷したのは平成10年で、再建されたのは2年後のこと。もうそんな前のことになるのか。こうして見ると案外小ぢんまりとしている。東寺や興福寺のように、周囲を圧倒するような規模ではなく、こうして山の中でしっとりと佇んでいるのが「女人」らしさを感じさせる。

さらにこの奥には杉の大木と石段が続く。奥の院である。せっかくなのでそちらにも行く。五重塔からは400段ほどあるそうだが、石段としてはきちんと整備されており、手すりもあるので、山道のような大変さはない。お年寄りもゆっくりゆっくりではあるが石段を上がっている。それよりも周りが杉だらけということで、花粉の季節には花粉症持ちの人が大変だろうなと思う。

頂上には位牌堂や御影堂、七重石塔がある。石段を上って少し身体が火照ってきたところに秋の風が吹く。

そして同じく石段を下りる。上りより下りのほうがきついというのがあり、前に施福寺にお参りした後、下りの石段で左膝の裏にピリッと電気が走ったことがある。ここで下っている途中ではまだ大丈夫のようだ。この後の長谷寺でも石段があることから、どうなるだろうか。

ちょうど下ってくると、9時50分発の長谷寺行の直通バスの発車が近い。この便に乗り込んだのは全部で7人。先ほどの親子連れも含まれる。長谷寺までは地図で見る限りは国道165号線は走ればほぼ直線だが、県道28号線から38号線と、結構山の中に入り大回りする。およそ50分の道のり。ただゆったり座って長谷寺まで行くことができるし、いい休憩時間である。

途中に初瀬ダムの湖を見て、裏から回り込む形で長谷寺の駐車場に到着する。後で気づいたが、国道165号線側からだと長谷寺の門前には確かに近いが、道は狭い。大型バスが走るのは不可能である。そのために大回りとなったが、こういうバスが走るのはある意味便利である。830円という運賃は若干高い気もするが、そこは近鉄の参拝きっぷを使えばお得に利用できる。

さてやってきた長谷寺。朝の室生寺の静けさと比べて、昼に近い時間と言うこともあり賑やかである。ここから、今回の西国三十三所巡りが始まる・・・・。









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解散風?

2014年11月13日 | 西国三十三所
今朝の大阪は気温が下がり、風が冷たく感じた。この秋初めて一瞬だが「寒い」と口にしたくらいである。

風と言えば、今日本に急に吹いているとされる衆議院の「解散風」。何でも来週にも解散を決断して、年内で総選挙をやるとか。

確かに、消費税増税も先行き不透明だし、TPPや外交、基地問題、原発や震災復興など、課題がなかなか先に進まないし、一方でカネのことで大臣も辞職するなど、政権運営も停滞している。

だから解散総選挙で突破を図ろうというのだろうが、あれだけの議席数を持ちながら政権がスムーズに行かないのがなぜなのかと思う。数はあっても資質が伴っていない、政策通がなかなかいないということか。

仮にここで選挙して、議席を減らしたり(おそらくないと思うが)政権交代なんかなってしまえば、また政局が滞留してしまうだろう。また大阪で言えば、知事も市長も自分の党のために首長の任務を放り出して国政に出るのではとされている。どないなるねん、大阪。

今の政権を100%支持しているわけではないが、せっかく民意で選ばれたのだから、まずは任期をフルに働いてほしいものである。今選挙やられても、誰に投じるべきか判断できない。

・・・・とまあ書いてみるが、別に私が立候補するわけでなく、できることの一つは気持ちを落ち着かせて祈ることくらいかな。

というわけで、ここから本題というのか、今月の西国三十三ヶ所巡りである。いつかの記事で、訪れるエリアを抽選で6つ出してサイコロの目を充て、出た目のエリアの札所を訪ねる。時期的にもそろそろ紅葉が見頃。あちこちの寺院は混雑するだろうな。

そこで出たのが、

1・・・箕面、宝塚(勝尾寺、中山寺)

2・・・那智勝浦(青岸渡寺)

3・・・飛鳥(岡寺)

4・・・長谷、室生(長谷寺、法起院)

5・・・洛中(行願寺、頂法寺)

6・・・大津、石山(岩間寺、石山寺、三井寺)

7番札所の岡寺や8番札所の長谷寺といった続き番号もあれば、琵琶湖もある。また、一度お参りしたが納経軸への朱印のためにもう一度行くことにしている青岸渡寺も入ってきた。

さて観音さんはどの目を出すよう働くか。この土日のどちらかで行く予定にしており、楽しみである・・・。
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金子FA

2014年11月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
・・・まあ、別に私が書く必要はないと思うのだが、オリックス・バファローズファン諸氏のブログでもいろいろと取り上げられていることもあり、私も何がしか書いておくことにする。

このたびの「金子国内FA」については、否定的な立場を取る。

そりゃ、ルールのことを言えば何ら違反するところはないのだろうが、やはり国内他球団移籍をちらつかせながらポスティングのお墨付きを引き出すというのは、いかがなものかと思う。「球団にお金を残すためのやむを得ない決断」と肯定する向きもあるのだろうが、そもそもFAとかポスティングというのはそういう「ルールの裏をつく」ことを前提として作られたルールではないはずである。

正直、やっていることって、「江川の空白の一日」というのと同じでしょう。何なら、「江川る」に対抗して「金子る」という言葉をつけてもいい。関西マスゴミさん、どうですかね??

まあ、そこまでして出たいのなら出ればいい。いや、出て行ってくれ。

球界のエースとか言われているが、バファローズファンの私であるが、この投手に対しては(以前からの記事やコメントにもあるように)いい印象は持っていない。むしろ今年の優勝を逃した大きな原因はこのガラスのエースにあると思っている。だいたい、彼は優勝を争う肝心なところで勝ったのか??「これぞエース」という鬼神の働きをしたのか??中6日が中5日になっただけでボロボロになった投手・・・。

こう書くと「ちーちゃん」などと言っている「オリ姫」やバファローズファンの全てを敵に回すことになるだろうが、いいでしょう。

球団も、ここで折れて「ポスティング容認」というのは絶対してはいけない。チームへの不協和音を引き起こすし、悪しき前例をつくる。20億の移籍金が入り、それでメジャーから大砲2人を連れてくればいいじゃないという声もあるだろうが、かつてのイチロー、松坂、そして田中将大らをそうやって出した後のチームの行く末はどうなったか。長い目で見れば、20億すら「目先の金」でしかない。

そんなポスティングを容認するくらいなら、保留権を持っているうちに対等関係でのトレードを模索するとか(今なら1対2、あわよくば1対3でそこそこの選手と交換できるだろう)、いっそのこと自由契約にして放り出した方が禍根を残さずに済むのではないだろうか。FA宣言残留させたところでチームに何らプラスに働くことはないし、自身もFA前より好成績を残したという事例は少ない。

・・・ここまで書いてきて、何だか空しさとアホらしさを感じてきた。書いたからどうなるのか。金子、球団とも別にファン諸氏のブログを目にすることがあっても、「だからどうした」というくらいでしかないだろう・・・・。



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レイルウェイライター・種村直樹氏死去

2014年11月10日 | ブログ
「レイルウェイライター」の肩書きを持つ作家、種村直樹氏が6日に死去したと、一般各紙でも報じられた。

鉄道旅行好きにとっては、故・宮脇俊三と並ぶ、何というのか、汽車旅の面白さを世間に広めた大家である。

両雄並び立たずという感じで、旅や著作のスタイルは対照的だった。宮脇が一人旅をベースに、時刻表を読んだり歴史を絡めたり、著作にも文学の香りを感じさせるのに対し、種村はグループでの賑やかな旅、また旅にもゲーム性を持たせたり、時刻表は出てくるがダイヤを読むというよりは、規則の解説で使う感があった。中央公論の編集長を務めた宮脇と毎日新聞記者だった種村というバックボーンの違いもあるのだろう。文学者とジャーナリスト。

鉄道旅行好きにもそれぞれ好みが分かれており、宮脇派、種村派、いろいろあった。優劣ではなく、好みのこと。野球で言えば例えが古いが、王と長嶋のどちらが好きかというものだろう。

私はどうだったか。中学高校の時、私の鉄道旅行、JRの乗りつぶしを志すきっかけは宮脇の『時刻表2万キロ』にあった。しかし、種村流の鈍行夜行乗り継ぎとか、発地と着地にゲーム性や語呂合わせを用いて一つの旅を仕上げるのも面白いと思った。実施するまでには至らなかったが、時刻表でシュミレーションして乗り継ぎプランを立てたりしたのは、今となっては懐かしいところである。

後は、『鉄道旅行術』。まあ、これらの作品を中高生、あるいは大学の時に触れたものだから、乗り鉄の道に入ってしまったようなものだ。

ナマの種村氏には一度だけ、「多分そうかな」という感じで見たことがある。大学4年の夏休み、卒業論文のネタ探しを兼ねて山口県を訪ねた。その帰りに山陰線を走る今は亡き急行「さんべ」に乗ったのだが、ガラガラの車内で種村氏らしき人が通路を歩いていた。途中の駅の停車中にワンカップを買っていたっけ。今思えば間違いでもその時に声をかけていればと残念である。

闘病生活が長かったこともあり、晩年は新しい文章を見ることもなかった。また、鉄道旅行のスタイルも当時とはだいぶ変わってきた。確かに敷居は低くなったし、サービスは良くなった。ただ、乗る方も乗せる方も、仲良しこよしというか、薄っぺらい感が強くなってきたようにも思う。種村氏のようなジャーナリズムが貢献した面もあるだろうが、発揮しにくくなったとも言える。でも、それも時代の流れだし、トータルで見ればプラスに働いた種村氏の貢献は大きかったのではないだろうか。

亡くなって改めて気づくこともあるだろう。私もまた著作を引っ張り出して、「汽車旅」の世界の原点に帰ってみることにしよう・・・・。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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両エースの投げ合いの最後はあっけなく・・・社会人野球日本選手権「西濃運輸対日本通運」

2014年11月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
この記事のカテゴリーをどこに入れたものかと思ったが。大正ドームでの観戦ということで一応「プロ野球」の項目に入れておく。

今年で40回目の記念大会を迎える社会人野球日本選手権。夏の都市対抗野球のほうが有名であるが(まあ、東京で行われるし)、「都市」の代表として補強制度もある都市対抗とは違い、単独チームでの年間日本一を決める大会である。都市対抗をはじめとした各大会の優勝チーム、クラブチームの優勝チーム、そこに各地域の予選を勝ち抜いたチームが出場し、今年は40回の記念大会ということもあってこれまでの32チームから2チーム増えて34チームでの優勝争いとなった。

その中で観戦したのが、今年の都市対抗野球を制した西濃運輸対、私の勤務先企業である日本通運戦。いずれも運輸業界に属するチーム同士の対戦である。そりゃ、日通としてはチーム力は相手が上といっても負けるわけにはいかない。

・・・ということで、大正ドームに足を運ぶ。普段は入らない三塁側が日通である。この時季になってもまだ野球のガチの試合を観ることができるというのは面白いところである。とはいっても、バファローズ戦では当日指定席や前売り券を発売する中央窓口はシャッターが下りており、小さな窓口が2つくらい開いているだけ。大きなイベントが行われているようには見えない。これは、観客の大半がそのチームの応援団ということで、一塁側、三塁側それぞれで「チーム券」が配られており、それを受け取って入場するのである。チーム券そのものは有料だが、これはチームが一定の枚数を購入してグッズとともに配るので、観客は実質無料で入ることができる。普通はチームの企業の従業員や取引先がそれで入るものだが、別に関係のない一般客や少年野球、高校野球の生徒たちももらえる。チームとしてはチケット代は先に納めているのだし、一人でも多く応援席に加わってくれるのはそれだけでも力になる。応援は、力なり・・・うーん、どっかで聞いたフレーズだぞ。

普通は前の試合が終わってから入れ替えの形で入場するので(チケットそのものは一日通しなので、その気になれば第1試合のチーム券を受け取って、そのまま最後の試合まで居続けることができる)、しばらくは三塁側の入場口で待つことになる。さすが土曜日ということで大勢の観客が訪れ、三塁側の入場口には人があふれてくる。会社関係なので仕事関係でいろいろと知った顔も見るが、この日の私は「一観客」に徹しようと思う。

それでも人が多くなり、混雑緩和のために前の試合途中であるがスタンドの端の席で待機となり、先に入場する。前の試合は大阪ガス対明治安田生命で、8回表まで5対4で大阪ガスがリード。接戦である。しかしその後の8回裏だけで四死球やヒットで一挙6点を奪う。その回だけで明治安田生命も4人の投手が出てきて交代の時間もあったことから、時間がどんどん過ぎていき、30分近くかかる。そのまま11対4で大阪ガスの圧勝。次の西濃運輸対日本通運は15時開始予定のところ、16時開始ということになった。

多くの客が来るということで係の案内で前から順番に詰めて座るということで、普段のバファローズ戦なら指定席になるところで、近い角度で観戦することになった。

日通の注目としては先日のドラフトで中日3位指名の友永。小柄ではあるがパンチ力もあり、初戦のバイタルネット戦では三塁打2本に内野安打2本を含む5打数5安打4打点と大暴れ。チームの10得点に大きく貢献し、この試合でも打線のカギを握りそうだ。

さて試合。日通は先攻で西濃のエース・佐伯に挑む。今年の都市対抗野球でMVPに当たる橋戸賞を獲得した選手である。初回、早速2番・小甲(こかぶ)が右中間に二塁打を放つ。そして3番・友永。当たりは悪くなかったが右飛。小甲がタッチアップで三塁を狙うが、送球がよくタッチアウト。スタンドからはため息が出る。

日通の先発はこちらもエースの井口。初戦のバイタルネット戦に続いて中3日での登板。もちもちっとしたフォームで序盤から140キロのストレートと変化球の組み立てがよく打者を打ち取る。2回には先頭の4番・伊藤にヒットを許し、さらに盗塁と内野ゴロで一死三塁のピンチを迎えるが後続を三振と内野ゴロで切り抜ける。

3回、二死二塁のチャンスを迎え、1番・浦部がレフト前へ。少し浅いところだったが二塁走者・酒井が三塁を回ってホームに突入。そこにいい送球が返ってきてあえなくタッチアウト。またしてもスタンドからはため息が出る。また続く4回にも小甲と友永の連打と犠打で一死二・三塁のチャンスを作るが、三振と内野ゴロで点が入らない。さすがはMVPの投手で、サイドスローからうまく緩急を使われたが、さすがにチャンスをつぶし続けると、スタンドから関西弁でヤジが飛ぶようになる。

中盤からは井口、佐伯両投手の好投が続く。

ラッキー7となる7回には社歌の斉唱。オリジナルのタオルを掲げる。バファローズファンとしてはタオルをこうして持つとどうしても「あのダンス」をやりたくなるのだが、日通はあくまで関東のチーム。タオルを使う応援となるとそれを回すのが流儀である。色合いから観たらセのあの球団みたいで・・・そんなことはどうでもいいか。

そんな中で7回にも二死三塁のチャンスを作るが、代打・飛ヶ谷(ひがや)が空振り三振。スタンドからは・・・(以下略)。そして8回にも一死一・二塁と攻め立てるが最後は友永が三塁ゴロ。西濃のサード・伊藤が三塁ベースにタッチしてアウト。またしてもスタンド(以下略)。

そのまま両チーム無得点で9回を迎えた。日通は8安打を放ち再三チャンスを作るも無得点。一方の西濃は井口の好投の前に8回までわずか2安打。その2本はいずれも4番・伊藤が放ったもの。このまま延長戦に行くのか。何ならタイブレークというものも見てみたいなという気がしてきた。

9回裏、一死からその伊藤に回る。ライトへの打球はちょうどライン上に落ちる。一死二塁。

ここで日通・藪監督がマウンドに行く。バッテリーとスコアボードを見ていたから続く打者の阪本は敬遠だろう。果たしてその通りにする。1点取られた時点で負けなのだからここは塁を埋めるのは当然。西濃からブーイングが起こるわけでもない。

ただ続く金丸が三遊間を抜く。一塁側からは歓声、三塁側からは悲鳴が起こるが、ここはレフトも予め前よりに守っていたこともあり二塁走者は三塁ストップ。しかし一死満塁。井口としてはここに来て大ピンチを迎えるが、そのまま続投である。

次の藤中は二塁への緩いゴロ。ここは浦部がよく追いつきホームへ送球、間に合った。これで二死満塁。

そして次の李への初球。これが何と暴投・・・・。三塁走者がホームに突入。バッテリーはどうすることもできずそのままホームイン。1対0。最後は何というあっけないことだったか。ヒットでもホームランでもなく、暴投でのサヨナラって・・・。

試合としては残念。相手を上回るチャンスを作りながらあと一歩及ばなかったが、まあ、夏の優勝チーム相手によく健闘した。ここは大きな拍手を送る。このところ都市対抗への出場を逃し、この日本選手権もギリギリのところで予選通過だったのだが、これを糧に来年以降も頑張ってほしい。また大阪に来た時には応援に来よう。

後は中日に入団する友永がどう活躍するか。中日のセンターには大島がいる。それをいきなり追い越すのは難しいだろうが期待したいところである。

さて日本選手権は9日準々決勝、10日準決勝、そして11日に決勝を迎える。今年はどのチームが優勝するか、この先も注目したいものである・・・・。








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2015年BsCLUB会員更新

2014年11月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
今野球はFA選手の動向か社会人野球日本選手権かというところだが(日米野球?そんなん知らん。何で未だに巨人阪神やねん)、若手選手を中心に契約更改も始まっている。

・・・で、私も契約更改。いや、仕事ではなく・・・。

来季のオリックス・バファローズのファンクラブ「BsCLUB」の更新案内があり、ネットにて申し込んで手続き完了。

今季はクライマックスシリーズ進出が一番印象に残る出来事だったが、ゴールド会員としての先行予約の恩恵を受けたり、今年はイベント参加で選手との撮影会(西、マエストリ)、試合直前のグラウンドに出てスタメン選手とのハイタッチもできた。当たる時は当たるものだ。ポイントでいくつかの限定グッズを得ることもできた。

それを受けての来季だが、特典でつくスピリッツユニフォームはゴールドがベースなんですな。今のチームカラーのネイビーとゴールドで、今季はネイビーがベースだったが、来季はそれが反転する色使い。

・・・うーん、サイトでデザインを見たが、ちょっと力強さに欠けるかな。ゴールドをベースにするなら、日本ハムのビジターユニフォームくらい濃い方が似合うような。

でも、チームが力をつけて勝っていけば、ユニフォームも力強く輝いてくるものだと思う。

来季こそは「豊作の金」を目指しましょうや・・・。
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