まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

防府にて一献

2024年09月05日 | 旅行記F・中国

8月31日、台風10号の影響で当初の行き先は変更となったが、台風一過の山口県内に向けての青春18きっぷ旅。防府に到着後、防府天満宮と種田山頭火関連のスポットを回り、駅前のホテルルートイン防府駅前にチェックイン。

部屋からは山陽線の高架線路を見ることができる。この角度に思わずニヤリとするが、列車の本数が少ない区間である。またほとんど報じられることはなかったが、台風10号の影響で多くの貨物列車が運休の憂き目に遭っており、コンテナ列車が高架線路を過ぎるシーンを見ることもなかった。

チェックイン後、人工温泉「旅人の湯」に入り(ルートインならではの楽しみの一つである)、しばらく部屋でのんびりする。

さて夕方になりホテルを出る。ちょうど玄関前にはチェックイン時に見なかった観光バスが停まっていた。どこかの観光ツアーかなと、ふとバスの正面から「○○御一行」というのを見て驚いた。

「全日本プロレス様」

え?全日本プロレスって、あの全日本プロレスやね。そういえば先ほどロビーやエレベーターで体格のいい方を何人か見かけたのだが、工事現場からの帰りらしい姿の方もいたのでそれほど気にも留めていなかった。また、プロレスの興行というのは宣伝も兼ねてラッピングバスで移動するものというイメージもあったので、若手レスラーとか裏方さんが移動しているのかと思った。それにしてもなぜ防府?

全日本プロレスの公式サイトでスケジュールを検索すると、この日(31日)の午後は広島マリーナホップで興行があり(同じ区内だが全然知らんかった!)、翌日(1日)は午後から福岡での興行とある。ここで広島や福岡泊とせず、中間点の防府で1泊というのも、宿代を浮かす考えられた行程なのだろう。

翌日も列車に揺られている間に「防府駅前のルートインに全日本プロレス」というのが気になっていろいろ検索していたが、存じ上げないがメインで出場する選手も御一行にいたようで、バスの前で撮ったらしいXの画像もあった。

相撲の力士ならちょんまげ、着物姿で一目見てそれとわかるのだが、プロレスの場合、テレビ画面では鍛えられたいかつい体格に見えても、公式プロフィールを見ると身長、体重じたいは一般人とさほど変わらない選手も多いのが意外だった。一献後や翌朝にも何人かの体格のいい人に遭遇したが、中にはリング上では歓声を受ける人気選手がいたかもしれない・・。

さて、防府での一献だが、それこそおあつらえ向きに高架下に「ここ一軒で山口県!ほまれ座」という店がある。前日にカウンター席を予約しておいた。観光・出張の人だけでなく地元の人も気軽に利用している様子の店である。

メニューには山口県のさまざまな料理が並ぶ。山口県は日本海、響灘、瀬戸内海(周防灘)と三方を海に囲まれており、それだけに海の幸が豊富である。こういう郷土料理の店に来るとあれこれ迷うし、一人だと注文する量も限られるのが惜しい。

ひとまず、サントリープレミアム生で乾杯。ほんのつまみ程度のつもりで枝豆を頼んだが、料金は一般的な1人前だが盛り付けが3人前くらいあってびっくりする。

仙崎の雲丹、そして刺身の盛り合わせ。

鱧の湯引きもいただく。これまで知らなかったが、山口県は全国有数の鱧の水揚げがあるという。特に防府の沖合は佐波川から豊富な栄養が流れ、遠浅で砂泥の海底が広がることから、鱧の生息に適しているのだとか。この店の鱧が該当するかはわからないが、防府では「天神鱧」という郷土料理としてブランド化しているそうだ。

獺祭をはじめとした山口県内の酒も豊富にあるが、それらは後で瓶で購入するとして、プレ生の後はサワー、ハイボール等で過ごす。

メインで注文したのが、熟成ふぐの鉄瓦焼き。ふぐの刺身でもなく、天ぷらでもなく、焼きである。それも鉄瓦というのが面白い。瓦で焼くといえば山口・川棚温泉が発祥という瓦そばが知られる。

瓦そばのヒントになったのが、明治初期の西南戦争。熊本城を囲む薩摩の兵士たちが、野戦の合間にその辺にあった瓦に火をかけて肉や野菜を焼いて食べていた・・という逸話から考案されたものである。

鉄瓦というから、瓦風につくられたあくまでも鉄板だと思うが、まさかふぐをこういう食べ方でいただくとは。ふく刺しとは対照的に厚く切られた身だが、こうして塩タレで焼いて食べると鶏肉等と似た食感である。

で、瓦そばはいただかずに店を後にした。ホテルに戻りもう一度入浴し、続きは部屋飲みとする・・・。

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防府天満宮と種田山頭火で「幸せます」

2024年09月04日 | 旅行記F・中国

8月31日~9月1日、当初は四国・徳島に行く予定だったのが、台風の接近・通過の状況を見て急遽逆方向の山口県に向かうことにした青春18きっぷの旅。端数をネットオークションで買い求めたのだが、もう元が取れるかどうかは度外視して、ともかく出かけようというところである。

山陽線を乗り継いでやって来たのは防府。時刻は14時半頃で、この後は駅周辺をぶらついた後、そのまま宿泊することに。山口県の主な市の一つだが、まだ泊まったことがないという理由での防府宿泊。チェックイン受付時間前だが、予約したホテルルートイン防府駅前に立ち寄り、荷物だけ預ける。ありがたくも部屋まで運んでくれるという。

防府には中国四十九薬師めぐり等で訪ねている。その時は防府天満宮に向かい、レンタサイクルにて周防国分寺や毛利氏庭園、毛利博物館を回った。今回そこまではいいかなと思い、とりあえず天満宮まで歩くことにする。

天満宮に続く天神商店街に入る。かつての萩往還の一部である。土曜日の日中だが、シャッターを開けている店、閉まっている店が半々である。台風対策というよりは元々閉まっているように思う。アーケードのトタンにも破れが目立つ。「幸せます」の言葉もちょっと元気がないようだ。

「幸せます」とは山口の言葉で「幸いです」「うれしく思います」「助かります」「ありがたいです」「便利です」・・という意味だが、近年、「幸せが増す」という意味も付け加えて防府のブランドとしてPRしているのだが、個人的にちょっと引っかかる言い回しだ。「幸せであります!」と無理やり言わされているようなあの感じ・・。

天満宮の参道に入る。その途中で「防府霊場第七十番」という祠に出会う。防府八十八ヶ所霊場というのがあるそうで、明治時代に、防府天満宮やかつての三田尻港を含めた一帯に開かれたという。

そのまま正面の鳥居に出る。まずは灯籠が並ぶ参道を歩き、石段を上がる。

楼門から拝殿に到着。防府天満宮が創建されたのは主祭神である菅原道真が九州で亡くなった翌年とされ、「日本で最初に創建された天神様」を名乗っている。道真が大宰府に流される道筋での宿泊地の一つであった(当時の三田尻は主要な港町であった)ことから、現在では北野天満宮、太宰府天満宮と並ぶ日本三大天神」の一つとされている。

いやいや、大宰府に流される道筋で立ち寄ったから日本三大天神というのなら、菅原氏の出自である土師の里にある道明寺天満宮も十分にその資格はあるでしょう・・・と、道明寺天満宮のある藤井寺市出身の私なぞは思うのだが(小学校の校歌にも、「菅原公を慕いに慕い」とある)、本州と九州を結ぶ交通の要衝にある天満宮として古くから多くの人が参詣したということで、防府に軍配をあげざるを得ない。

訪ねた時は、書道の神としても崇敬されている菅原道真にちなんだ書道展として、優秀作品がずらり並んでいた。山口県知事賞、防府市長賞などの表彰作もある。最近書道といえば個性重視のスポーツ、アートの趣が強い印象だが、昔ながらの楷書が並ぶのを見るとどこかホッとする。誰もが見てきれいと思う文字が書ける人、すばらしいと思う。

本殿の西にある春風楼に上がる。江戸時代後期、当時の毛利藩主により五重塔の建造に着手されたものの、諸事情により工事が中断、そのまま明治維新を迎えた。結局五重塔の建造は断念したが、その部材を利用する形で楼閣が建てられた。ちょうど防府市街を見渡すことができる。その昔、現在のような埋め立てや高層建築物がない時は三田尻の港も見通せたようである。

これで参詣を終え、まちの駅「うめてらす」でしばし休憩。地酒等のお土産も買い求める。

この後、天満宮の門前にある「山頭火ふるさと館」に向かう。「自由律俳句」の代表的な俳人である種田山頭火は防府の出身である。「自由律俳句」というのは五・七・五にこだわらなず、また季語を必須としない自由なリズムの俳句のことで、「分け入っても分け入っても青い山」の句は代表作の一つとされる。

山頭火といえば先の句のほか、旅と酒のイメージである。そう、この雲水姿。私が以前に巡拝した九州西国霊場も、山頭火が巡礼して「風の中声はりあげて南無観世音」の句を詠んだことを札所めぐりのPR材料としていた。旅と酒の中で暮らす・・・たまに日常を離れて過ごすならいいが、それが生活そのものになってしまうと、果たしてどうだろうか。

展示室への通路には、防府ゆかりの文芸家のパネルが並ぶ。まずは直木賞・伊集院静、そして芥川賞・高樹のぶ子の両氏。また、広島は己斐出身で晩年は防府で暮らしていた那須正幹も紹介されている。こうした文芸も防府としてPRするところである。

そして展示室へ。細長いスペースの壁面を利用して山頭火の生涯、そして作品や日記などを紹介する。ここで初めて山頭火の生涯というのに触れたのだが、生まれは防府天満宮の門前町の地主の長男。しかし10歳の時、母親が井戸に投身自殺した。この出来事が自分の放浪者としての性格を決定づけたという。後に父親が酒造場を開いたが間もなく倒産、山頭火も妻子を連れて友人を頼って熊本に移ったが生活は苦しく、また弟の自殺もあって酒に溺れるようになり、妻子とも離縁。

その後、トラブルを起こしたところを助けられて寺に預けられ、寺男の後に得度して僧侶となったが、句作を行いながら各地を放浪して回る生活に入る。九州には何度も訪れ、他にも東日本、さらには芭蕉の足跡をたどるとして東北にも行っている。その中で庵を結んでいたのが小郡の其中庵(ごちゅうあん)というところで、そういえば現在の新山口駅の新幹線口に山頭火の像があるが、その其中庵によるものである。

山頭火が亡くなったのは最後に移住した松山の一草庵。松山といえば正岡子規や高浜虚子らが思い浮かぶ。タイプこそ違えど、俳句が結んだ縁のようなものを感じさせる。

・・・こうした俳人の評価というのもなかなか難しいだろうし、その生き様には賛否あるだろうが、現在「種田山頭火賞」というのがあるそうだ。山頭火の句集や関連書籍を発行している出版社によるもので、「信念を貫いた生き方で多くの人びとに感動を与えた文化人・表現者を顕彰する」とある。第1回の麿赤兒さん(俳優)に始まり、近いところでは夏井いつきさん(あの俳人ですね)、ロバート・キャンベルさん(日本文学研究者)、そして桃井かおりさん(女優)という人たちが並ぶ。わかる人にはわかるということで・・。

山頭火ふるさと館の脇には「山頭火の小径」というのがある。生家から小学校まで通った道が今も残っており、ところどころに草鞋の足跡で目印が設けられている。

そして生家跡に到着。「うまれた家はあとかたもないほうたる」の句碑がある。「ほうたる」とは蛍のことで、跡形もなく、誰も来なくなった生家に蛍が来た・・という意味の句だが、蛍が来たことでほっとするような、かえって寂寞感が高まるような、ただその寂しさも味わっているかのような響きが感じられるとして評価されている。

さて、天満宮周辺を一回りしてとりあえず「幸せます」となったところで防府駅に戻る。そのままチェックインとする・・・。

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台風の影響で四国に行くのを断念して、山陽線を西に向かうことに・・

2024年09月03日 | 旅行記F・中国

8月の最終盤、日本列島に大きな混乱をもたらした台風10号。台風じたいは鹿児島県に上陸後、九州から四国を横断した後、いったん紀伊半島の沖合いに出て、何を思ったかそこから再度北上し、その後熱帯低気圧に変わった。

台風10号、直接通過した九州各地で家屋の倒壊や浸水の被害が大きかったが、それよりニュースとなっていたのが、台風から遠く離れた東海や関東でも大雨となったことで、あちこちで道路の冠水、家屋の浸水が報じられた。また、東海道新幹線をはじめとした交通に大きな影響があった。先ほどのお盆後半も含め、稼ぎ時の1ヶ月に2度も大規模な運休となるのは異例中の異例だと思う。

さて、広島では8月30日は県内のほぼすべての公共交通機関が終日運転取り止めとなったが、その翌31日~9月1日の週末、私はもともと久しぶりの青春18きっぷで徳島に渡る予定にしていた。その目的は、数年ぶりとなる四国アイランドリーグ観戦、そして四国を舞台にした新たな札所めぐりの始まりである。

四国アイランドリーグ・・・私の四国八十八ヶ所めぐりの中でも各県でアクセント、思い出になった存在である。

計画では31日に瀬戸大橋を渡り、高松から高徳線で池谷まで向かい、その札所を訪問。その夜は徳島線の蔵本に宿を取り、すぐ近くの蔵本球場(愛称・むつみスタジアム)で徳島インディゴソックス対香川オリーブガイナーズ戦を観戦。そして翌1日は徳島線を走る観光列車「藍よしのがわトロッコ」号で阿波池田に向かい、そのまま瀬戸大橋を渡って岡山から広島に戻る。

ただ、台風上陸である。当初の予報よりも速度が遅かったこともあり、ちょうど中・四国地方は30日~31日にかけて最接近する見通しとなった。30日は広島県内のほとんどの公共交通機関が終日計画運休となったが、幸い台風そのものの勢力は弱まっており、結果だけ見ればそれほど被害もなくよかった・・というところ。

翌31日だが、中国地方の在来線では岡山地区、瀬戸大橋で午前中の運転見合わせ、そして四国も高徳線の志度から先の区間、そして鳴門線、徳島線といったところは31日も終日運転見合わせとなった。合わせて、「藍よしのがわトロッコ」を含む観光列車は31日、そして1日も運転取りやめとある。そうだろうなあ。徳島のホテル、そして観光列車の指定席ともキャンセルした。

そして断念した四国行きだが、アイランドリーグ、そして徳島インディゴソックスのサイトによると、31日夜の徳島対香川の試合は予定通り開催する方向という。ただ、当初は冠試合としてさまざまなイベントが行われ、ゲストも来る予定だったが、それらは中止して地元の子どもたち、学生たちが試合を盛り上げるとある。

ならば四国に行くか・・という気にもなったが、徳島へのアクセスが封じられているのであればどうしようもない。四国行きはまた別の機会としよう。それより、「四国を舞台にした新たな札所めぐり」と、もったいつけたような物言いは何やねん・・・。

・・・そして迎えた31日早朝。広島は台風一過の青空である。列車の運行情報を見ると、とりあえず山陽線は平常運転のようだ。四国・徳島には行けないが、青春18きっぷも消化したいし、逆に山陽線で西に向かうのはどうだろうか。終点・下関はどうかな。昼前に自宅を出ても夕方には下関に着くし、下関のホテルにも空室がある。ここでふと思ったのが、山陽線の途中、まだ宿泊したことがないところで1泊し、翌1日の午前中に下関に行くというもの。そこで目を付けたのは防府。駅前のホテルも確保できた。

そしてゆっくり昼前に自宅を出発し、西広島から山陽線岩国行きに乗る。普段の週末の昼の時間といえば宮島に向かう観光客でにぎわう頃。台風も過ぎ、宮島行きのフェリーも平常運航のようだがさすがに観光客の姿もそこまで多くない。

岩国に到着。山陽線は通常運転だが、岩徳線、錦川清流線は運転見合わせが続いている。ただ午後以降の錦町行きの時刻表示があるから、運転再開の目途はついているのかな。

ここからは115系3000番台に揺られる。この形式も山陽線のこの区間に残るだけで、そう遠くない時期に置換が始まることだろう。乗るなら今のうちだ。・・・その前にいったん改札口を出て昼食とする。

向かったのは駅前にある「寿栄広(すえひろ)食堂」。中華そばで人気の店のようで、地元らしい人、旅行客それぞれで賑わっている。入ったところで先に注文・会計を済ませ、食券代わりにプラスチックの札を受け取り、順番に席に座る。入口からマイクで注文を通すこともあり、品物が出るのも早い。広島近辺に多い醤油とんこつ、そこに背脂を加えた贅沢な一品である。

その後、岩国発の下関行きに乗車。昼の時間帯ということもあってか、広島方面からの乗り継ぎ客を合わせても4両編成の転換クロスシートはほぼ片側が埋まるくらいの乗車率である。

この日は文庫本を持参しており、それを読みつつ、また周防灘の景色も見つつの気楽な移動である。今回のお出かけ、やれ野球観戦だ、札所めぐりだ・・という他の要素はなく、単純に鈍行で西に向かおうというものである。まああえて要素をつけるなら「呑み鉄」かな・・山口、さらに下関まで行くのならせめて海の幸はいただきたい。当初計画した新たな四国の札所めぐり、アイランドリーグ、観光列車・・(さらには徳島駅前の大衆酒場での一献)ほどのどっぷりしたものはないにしても・・・。

岩国から防府までの間は、山陽線の中でも数少ない海沿いの景色を望める。周防大島などを眺めつつの柳井までの区間。

徳山で乗客が入れ替わった後も本線らしい堂々とした走りを見せ、防府手前の富海の区間に入る。富海の駅舎は最近、交流施設を兼ね備えた新しい建物になったという。

防府に到着。この日は駅前のルートインホテルを手配した。チェックイン時間前なのでいったん荷物だけ預け、それまでの時間を利用して、まずは防府の代表的スポットである防府天満宮に向かうことに・・・。

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D51使用の「SLやまぐち号」は雨の中力強く・・

2024年07月22日 | 旅行記F・中国

7月15日、山口線を行く「SLやまぐち号」に乗車。この日は九州から中国地方にかけて雨模様で、山口県内も宇部線、岩徳線が終日運転見合わせ。そんな中、「SLやまぐち号」は無事に新山口を出発し、上り勾配の区間を過ぎて篠目に到着。

ただ、ここで雨脚が強まり、しばらく様子見となる。扉は半自動扱いとなる。ここでホームの様子を見ようとデジカメをポケットから取り出したのはいいが、手元から落としてしまう。ただ打ち所が悪かったか、電源は入るが作動しなくなった。・・・うーん、コンパクトで使いやすい機種(しかも単3乾電池で動く)で気に入っていたが残念。現在使っているのは同型式の2台目だが、すでに製造終了の型式のため、次を入手するならネットショッピング、あるいはオークション頼みとなる・・。

この先はスマホのカメラ。今や画質ならコンデジよりスマホのほうがきれいだが・・。

私が落としたデジカメ相手にうんうんやっている間に雨脚も落ち着いたようで、20分あまり遅れての発車となる。しかし安全のため、この先、長門峡を過ぎて三谷までは速度を落として運転するという。感覚として、中国山地のローカル線で線路保守のために行われている時速25キロ徐行のようだ。ただその分、沿線で傘を手に、あるいは雨合羽姿でカメラを構える人たちにはゆったり走るD51ということでサービスカットになったのではないかな。こうした雨の汽車旅というのも悪くはない。

三谷を通過し、停車駅である地福に到着。本来のダイヤならここでしばらく停車してD51の撮影タイムなのだが、ここまで遅れていることもあり、すぐに発車する。ホームにはすぐの発車を惜しみつつ見送る人の姿が目立つ。

この後はりんご園が広がる徳佐を過ぎ、船平山トンネルで県境を越える。

津和野の町並みが広がる、途中、三谷までの徐行で遅れは広がったが、地福での停車時間をカットしたためか、篠目時点での約20分遅れまで回復し、津和野に到着できた。

「SLやまぐち号」はしばらく停車し、到着後の記念撮影タイムである。蒸気機関車の型式もいろいろあるが、D51は「デゴイチ」の愛称もあり、今の子どもたちも含めてC57よりも知名度、親しみがあるのではないかと思う。C57が「貴婦人」なら、D51は何だろう・・・貧乏だけど働き者のおっちゃんおばちゃん??

いったん駅の外に出る。この日の復路は13時58分発の「スーパーおき3号」。津和野観光や、復路の「SLやまぐち号」にはこだわらず、そのまま折り返して広島に戻ることにする。ダイヤも少しずつ回復しているようだ。

「スーパーおき3号」に乗車。この列車は鳥取発新山口行きで、山陰線~山口線を5時間半近くかけて走り抜ける。以前、鳥取から新山口まで通しで乗ったことがあるが、在来線特急として乗りごたえがある列車である。

ここで遅めの昼食とする。津和野駅構内で売られていたのが「特製鮎飯辨當」。しめじなどが入った炊き込みご飯の上に鮎の塩焼きが一尾。これに合わせるのは、駅前の土産物店で購入した津和野蔵元の「華泉」。300mlの冷酒だが、「車内でどうぞ」と紙コップをつけてくれる。

・・・あとはこれをちびりちびりとやるうちに・・・「スーパーおき3号」は間もなく新山口に到着。数時間前、途中の沿線が大雨に見合われていたのがウソのようで、後はそのまま新幹線で広島に戻る・・・。

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D51使用の「SLやまぐち号」に乗りに行く

2024年07月19日 | 旅行記F・中国

7月中旬の3連休、いろいろな所用があったのだが15日の海の日は体が空くことに。さてどうしようか・・。

このところ、日帰りで中国・四国への「乗り鉄」も楽しんでいるが、山口県が少しご無沙汰である。そこで思いついたのが、「SLやまぐち号」の乗車である。「SLやまぐち号」といいつつも、2022年に肝心の蒸気機関車C57、D51に故障が相次ぎ、それ以降はディーゼル機関車DD51が牽引する「DLやまぐち号」として運転された。まあ、機関車が牽引する客車列車に乗ることじたいが今や貴重な体験で、それはそれで人気を博していた。

その「SLやまぐち号」、今年5月の連休からD51の牽引で復活したという。ここは一つ行ってみようか・・。

ただ、九州北部から山口県、さらには中国山地にかけては大雨の影響で運転見合わせ、あるいは終日計画運休の路線が目立つ。15日も雨予報で、山口県内でも岩徳線、宇部線、錦川鉄道などで計画運休とある。ちょっと出かけるのがためらわれるが、山口線は運行のようだ。ネット予約の指定席を別の日に変更しようかと「e5489」を検索するが、8月中旬まで軒並み満席である。これは当初の購入どおり15日に行くべしということとして、広島から新幹線に乗る。

新山口到着。小雨である。ただ、ホワイトボードには列車運休のお知らせ。山間部を走る岩徳線が運転を見合わせるのはわかるが、近郊区間を行く宇部線が全線運休というのは・・?

その後、「SLやまぐち号」車内での飲食物を仕入れたり、種田山頭火の像を見たりする。

さてホームに下りると、すでに大勢の人が「SLやまぐち号」の入線を待っている。ここはいったん、入線する1番線の隣、2番線のホームに向かう。こちらからのほうが、列車全体、そしてD51の動輪も含めた姿を見るのに適している。

D51が押す形で、展望車を先頭に客車が入線する。そして後ろ向きに姿を現したD51。

私にとって、この機関車が単独で牽引する列車に乗るのは初めてではないかと思う。かつて「貴婦人」とも称されたC57 1号機はもはや現役復帰は難しいとされる中、もう一人のベテランが元気に戻った形である。

発車前の一時、雨にも関わらずホームは賑わう。D51を前に記念撮影する人も多いが、ちょうどこの日はクラブツーリズム、そして阪急交通社による日帰りツアーが企画されていたようだ。各地から新山口に集結し、「SLやまぐち号」に乗車。そして津和野での豪華昼食とフリータイムの後、帰りは特急「スーパーおき」に乗るというプラン。

停車中の客車を一通り回る。前寄りの4号車、ここはほぼツアー客で占められた車両だが、車内に入るとやけに熱気・・というより蒸し暑さを感じる。その時はツアー客たちの熱気のせいかと思ったが、発車後の車内放送で、この車両の空調が故障していたとあった。車内温度調整のために窓を開けて外の涼しい風を入れてください・・とあったが、外は雨だし、またこの先トンネルの多い区間では煤煙が入らないように窓を閉めろと言われる有様。

さて私が陣取ったのは3号車。こちらにもツアー客の一部が出ていたが、乗車前の空席検索を見るに、なぜか私のいるボックスだけ他の相客なし。図らずして、津和野までボックスを貸し切る形で行くことになる。よしよし。

10時54分、遠くで汽笛が鳴る中、ガタリという客車独特の初動で発車する。ホームからは大勢の見物客からの見送りを受ける。まずは湯田温泉を経て山口まで、国道9号線とも並走し住宅地が並ぶ中を走る。沿線の人たちも「SLやまぐち号」の到着時刻を見計らって家の前に出て手を振る。

湯田温泉を経て山口に停車。新山口から乗って湯田温泉、山口で下車する人もいれば、湯田温泉、山口から乗車する人もいる。湯田温泉や山口から乗って津和野に向かうならともかく、新山口から乗って湯田温泉、山口で下車とは何とも贅沢な乗り方だと思う。というのが、2024年3月以降、「SLやまぐち号」についてはそれまで普通車の指定席料金が530円だったのが1680円、グリーン車の指定席料金が1000円だったのが2500円と一気に倍以上跳ねあがったからである。普通車の指定席料金は、新山口~津和野間の特急「スーパーおき」とほぼ同額である。このところさまざまなものの値上げが家計を直撃して・・と報じられるが、「SLやまぐち号」については、あくまで「快速」列車の扱いだったから指定席、グリーン料金もその水準だったが、やはり蒸気機関車の維持管理の費用を考えればここまでの値上げも致し方ないだろう。ツアー客、個人客それぞれでほぼ満席だし、沿線の撮り鉄を含めて外からの客を誘致できているから・・。

山口から宮野を過ぎると、最高25パーミルの上り勾配に差し掛かる。同じ山口市内ではあるが国境をまたぐかのようである。D51は急に速度を落とすが、その分力を入れるために蒸気が吐き出される。そして定番スポット、あるいはゲリラ的スポットで多くのスナイパー・・もとい撮り鉄どもが出没する。全身ずぶ濡れになりながらこの車体を追いかける様って、正直何なん??

その上り勾配で一息つくのが仁保。ここでは給水のほか、石炭を機関室に近い位置に寄せる作業のため数分停車する。ここに来て雨も本降りとなる中、作業が進められる。蒸気機関車を動かすということはこうした作業がついてくることでもあり、それを考えると「SLやまぐち号」に特別な料金が設けられるのもこのご時世、むしろ正当なことではないかと思う。

改めて窓を閉めるよう案内があり、仁保から篠目へと高度を上げる。そして、かつての給水塔も残る篠目に到着。ここで、津和野方面からの特急と行き違う。

この時は単に「特急と行き違いか」とくらいにしか思っていなかったが、改めて時刻表を見ると、行き違ったのは米子発新山口行きの「スーパーおき1号」。大雨の影響で大きく遅れており、篠目到着時点では3時間近く遅れていたものと思われる。

そして、われらが「SLやまぐち号」も篠目で予定以上に長く停車する。ちょうど雨脚も強まって来た。さすがにこの小さい駅で運行を取りやめるとは思わないが、この先津和野への到着は遅れることになる。同じ車両にいたツアー客の添乗員が電話をかけている。おそらく相手はこの先ツアーの津和野到着後、昼食場所として手配している料理屋だろう。

山間の小駅に蒸気機関車に牽引された客車が佇むというのも、昔の汽車旅好きにはたまらない光景だろう・・・。

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特急「スーパーおき5号」で山陰から山陽へ

2024年06月16日 | 旅行記F・中国

6月14日、国鉄型特急車両381系による「やくも」の定期運行が終了し、岡山、米子、出雲市などの駅に多くの人たちがかけつけた様子がテレビでも流されていた。「ゆったりやくも」編成については当面多客期の臨時列車に割り当てられることがあるそうで、その時はその時で多くの人が駆け付けるのだろう。

は6月9日の続き。出雲市にて、岡山に向かう旧国鉄特急色の「やくも24号」を見送った後、これから乗る「スーパーおき5号」に乗るべくしばらく待つ。381系のお別れ乗車が目的ならこの「やくも24号」に乗ればよかったのだろうが、この日は「中国地方一周」ということで、この先山陰線~山口線~山陽線と続く「広島市内~広島市内」の乗車券を作っている。まあ、広島~出雲市を往復するより多少安くつくというのもある。

15時48分発の「スーパーおき5号」新山口行き。この列車の始発は鳥取で、現行の在来線特急としてはかなりの長距離を走る。今回はその後半を利用する形だ。2両編成で、指定席と自由席が各1両。日本海が見えるほうの窓側の席を確保していたが、雨は上がったとはいえ曇り空なのは残念。

出雲市で乗客の入れ替えはあったが、指定席、自由席ともそこそこの乗車率で発車。

小田を過ぎると日本海沿いに出る。この日に限って曇り空というのが残念だが、ここまで来てよかったと思う。次の田儀ではしばらく運転停車。

この先、大田市、温泉津に停車する。世界遺産の石見銀山への玄関口であるが、行けていないのが気になる。二度目の広島勤務となってから、中国観音霊場、中国四十九薬師めぐりで石見地方を通っているのだが・・。

17時00分、浜田に到着。ここでも多少の乗客の入れ替えがある。広島に戻るなら浜田から高速バスが出ているのだが、時刻表を見ると浜田駅発車が同じく17時00分。その次は18時40分発の最終便である。計画時点では、浜田駅前で一献とした後で高速バスに乗るのも悪くないと思ったが、そのまま乗り通すことを選んだ。

やはり、浜田~益田間の日本海の車窓である。曇り空なのは致し方ないとして、日が長い季節なので17時を過ぎても十分明るい。

折居を通過する。この次の三保三隅までの日本海沿いの区間が山陰線の名所の一つで、線路を見下ろす撮影スポットには道の駅もある。車窓の反対側に目をやると列車を見送る人の姿もちらほら見える。

この先、石州瓦の家屋が並ぶ集落を過ぎる。海だけの景色もよいが、こうした生活の営みを感じる区間もよいものである。

17時36分、益田に到着。ここから山口線に入るが、その山口線から益田に着く列車が少し遅れているようで、しばらく停車する。

日本海とは益田で別れ、山間の山口線に入る。まずは高瀬川の景色から日原に向かう。

津和野を過ぎる。島根県も結構横に長い県である。この津和野だが、この5月の連休からD51使用の「SLやまぐち号」が運転されている。

船平山のトンネルを抜け、いよいよ中国5県の最後、山口県に入る。さすがにこの辺りになるとウトウトしたようで、徳佐に停まったのは覚えているが、その先の山口、湯田温泉は気づかないうちに通過した。

益田での遅れはそのままのようで、定刻19時14分着から数分遅れて新山口到着。そのまま新幹線ホームに上がり、19時21分発の「さくら570号」に乗る。自由席なので後続の列車でもよかったのだが、そこは早く帰宅しようということで・・。

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もう一度、381系「やくも」に出会う

2024年06月14日 | 旅行記F・中国

6月14日、旧国鉄型381系による「やくも」がラストランとなった。沿線の各駅ではさまざまな記念イベントが行われたそうだ。この日、岡山~鳥取の県境区間で落石が見つかり一部区間が一時運休になったが、その後運転を再開し、無事に最後走りおおせた。

14日の金曜日が最後となったのはどういう理由からだろうか。せめて16日の日曜日まで運転すればよかったと思うが、車両運用の都合や、日曜日ということで多くの人が押しかけることによる混乱を避けることがあったのか。

さて、その直前の週末である6月9日、岡山から旧国鉄特急色の381系「やくも9号」で出雲市まで乗車した。岡山からの3時間を満喫して、無事「お別れ乗車」とした。

この後だが、出雲市15時48分発「スーパーおき5号」で新山口まで出る。曇り空だが日本海沿いの区間を走り抜けるのも面白いところで、「広島市内~広島市内」の乗車券で中国5県を一周することになる。

時間があるのでいったん改札を出る。遅い昼食ということで駅前の出雲そばの店をのぞくが、昼の部は営業終了。結局、駅構内の「出雲の國麺家」に入る。「麺家」だからJR西日本と関係あるのかな。

ここで注文したのは「神話セット」。出雲の割子そばに「スサノオラーメン」、あごちくわがセットである。

せっかくなので割子そばをもう1枚追加し、あごちくわにそばがあるなら日本酒だろうと、奥出雲の「七冠馬」を注文。前回木次線で乗車した「あめつち」車内でもいただいたが、史上初の七冠馬・シンボリルドルフの牧場と奥出雲の蔵元との縁で生まれた銘柄である。

店内には昨年引退した「奥出雲おろち号」のポスターも飾られている。その「懐かしい」列車に、381系「やくも」も加わることになる。

さて、よい心持になって「スーパーおき5号」に乗るべくホームに上がろうとするが、電光掲示板に岡山行きの「やくも24号」の文字が見える。先ほどの「やくも9号」の折り返し列車で、乗ることはないがせめて最後、発車だけでも見ようか。

時間となり発車。6両編成が目の前を加速して通り過ぎる。最後の雄姿を静かに見送った・・・。

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今度こそ最後の乗車 381系「やくも」

2024年06月13日 | 旅行記F・中国

381系「やくも」が6月14日に運行最終日を迎えるのを前に(正確には6月15日の朝、「ゆったりやくも」編成の岡山7時05分発の出雲市行き「やくも1号」が381系の最終列車だが)、今度こそ最後の乗車として旧国鉄特急色の編成に乗りに出かけた。

6月9日、岡山11時13分発の出雲市行き「やくも9号」に乗る。

全車指定の中、私がこの列車の指定席券を購入した時にはまだ結構空席があったのでどこにしようか考えたのだが、選んだのはこの変則的なシート。2人がけシートが並ぶ中、車両の途中に1人かげの席が点在する。空調のダクトが窓側の壁を伝っているためだ。過去にこの1人がけの席に座ったこともあるのだが、窓から中途半端に離れていて落ち着かなかったのを覚えている。まあ、車窓関係なしにゆっくり寝て過ごすなら隣に気をつかわずに済むとしてお勧めする声もあった。

結局座ったのは、その1人がけの席の後ろ。前がダクトで座席がないスペースなので、足元は楽である。前の座席の背中のテーブルがないのはつらいが、結局隣が出雲市まで空席だったので1人がけの席の後ろのテーブルを使わせてもらった。

ホームで写真を撮っていたためだろうか、発車時刻ぎりぎりに乗り込んでくる人も多い。雨の中、出雲市に向けて出発する。ホームからは多くの見物客、撮影者の見送りを受ける。

「汽笛一声新橋を・・」の「鉄道唱歌」のオルゴールが流れる。これから陰陽連絡、伯備線の旅である。早速、岡山を代表するクラフトビール「独歩」で、この先の旅の平安を願って乾杯とする。

11時24分、倉敷着。早速ここで下車する人もいる。最後に1区間だけ乗車というのもなかなかのものだ。

倉敷から伯備線に入り、そろそろカーブの区間も増える。振り子式の本領が発揮されるのは伯備線内である。

さて今回、「広島市内~広島市内」という乗車券を手にしている。伯備線の先は山陰線~山口線~山陽線を通るルートで、「やくも9号」で出雲市まで行った後、折り返しではなくそのまま循環ルート、一度に中国5県を回ることにした。不思議なことに乗車券も広島~出雲市往復より若干安くつく。

「やくも9号」は高梁川に沿って走り、11時47分、備中高梁到着。備中高梁は映画「男はつらいよ」で二度舞台になったところだが、初めの第8作ではSLのD51が牽引する列車が登場し、後の第32作では特急「やくも」が登場する。ちょうど381系が走り出した当初である。

トイレも兼ねて少し車内を散策する。それにしても、座っている分にはどうということはないが、走行中に車内を歩くのは一苦労である。シート上部の把手を伝う形になる。そんな中でもかつては車内販売のワゴンが通っていたそうだが、さぞ大変だったことだろう。やはり酔う人もいるようで、洗面所にはエチケット袋も備えられている。「ゆったりやくも」でも「ぐったりはくも」と揶揄されたものだ。まあ、そんな体験もあと数日で過去のものになるのだが・・。

方谷では新型273系使用の「やくも12号」と行き違う。雨の中、新旧両タイプの特急車両を一度に撮ろうとかけつけた人を何人か見かける。

12時15分、新見着。何分の1かの客がここで下車する。実は私もこの日「やくも9号」に乗るにあたり、新見で下車することも考えていた。新見から12時58分発の芸備線備後落合行きが出ており、先月JRと沿線自治体による「再構築協議会」が立ち上がったことで話題の芸備線を乗り通すのも悪くなく、下車した人はこの後芸備線に乗るのかな?と思った。ここでも多くのカメラに見送られる。

新見から先の県境越えの区間である。まずは芸備線の列車しか停車しない布原駅近くでも撮り鉄の姿を見かけ、芸備線の分岐駅である備中神代を通過する。

備中神代の次の足立で運転停車。こちらのホームにもカメラ姿の人がいて、JRの係員も立っている。停車する列車は1日上下10本もないローカル駅なのだが、係員まで立たせているのは何か意味があるのだろう。

ホームに目をやると、やってきたのは緑をベースとした381系「やくも14号」。381系どうしの行き違いである。なるほど、これが目当てだったか。

・・・とすると、先ほど新見で結構な数が下車したが、その中には芸備線ではなく、この「やくも14号」で岡山まで折り返そうという人がそれなりにいたのではないかと思う。それもありだったか。

そのまま県境越えで鳥取県に入る。「やくも9号」は生山に停車。いつしか雨もやんだ。また、沿線のあちこちで撮り鉄が待っており、撮影者が数十メートル列をなす光景にも出くわした。こちらとしては高見の見物。

中国地方は一日雨の予報だったが、ここに来て大山も薄っすらながら見ることができた。

13時25分、米子着。ここでも下車が多かった。これはお別れ乗車は関係なく、それも含めた普通の乗降だろう。後は宍道湖沿いの景色も含めてひた走るだけだ。

14時05分、宍道着。ホーム向かい側には14時09分発の木次線備後落合行きが待っている。「やくも9号」から乗り換えた人もいたのではないか。この列車に乗れば一部区間の存続が危ぶまれる木次線を乗り通し、備後落合、三次と乗り継いで広島には20時16分に戻ることができる・・・。

一瞬気持ちも揺らいだが、この先、山陰線~山口線~新幹線をたどったほうが早く着く。

斐伊川を渡り、終点出雲市に到着。この後で折り返し15時35分発「やくも24号」として運転される旧国鉄特急色の381系。しばらくホームに停車し、別れを惜しむ人たちとの一時である。

先頭部に回るとヘッドマークが「やくも」から「回送」に変わっており、西出雲方面に向けて発車するのを待つ。

・・とその時、西出雲方面から新型273系の「やくも22号」が入線する。ここでの新旧「やくも」の対面にホーム上も沸き立つ。

そして381系が出雲市を後にする。この光景が見られるのもあとわずか・・・・。

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最後の国鉄特急色「やくも」に乗りに出かける

2024年06月12日 | 旅行記F・中国

6月14日、381系「やくも」が運行最終日を迎える。旧国鉄特急型からの車両の置き換えがこれまで進められてきた中、この「やくも」でいよいよ最後となる(厳密には、国鉄末期に製造された気動車特急はまだ存在するのだが)。

運行終了が近づくと多くの人が名残惜しんで駆け付けるのは世の常で「葬式鉄」と揶揄されるのだが、沿線にも多くの「撮り鉄」が訪れているそうだ。人の土地に勝手に侵入する輩がいる一方、地元の有志が撮影スポットを整備して受け入れているという話もある。伯備線が廃線になるわけではなく、特急「やくも」も乗り心地よい新型車両に置き換わるのだが、かつての国鉄を代表するあの「型式」が引退するのは鉄道の歴史の区切りの一つと言えるだろう。

かくいう私、「葬式鉄」は早めに済ませておこうとこの4月の末に、観光列車「あめつち」の木次線乗り入れとセットで出雲市~岡山まで旧国鉄特急色の編成に乗った。これで満足したはずだったのだが、いざ6月を迎えて「最後にもう1回」となった。

6月9日、岡山11時13分発の「やくも9号」で終点出雲市まで行くことにする。最終日の14日は金曜日のため、9日の日曜日がラストチャンスという方も多いだろう。

実はこの日、マツダスタジアムで行われるカープ対マリーンズの試合を観戦すべくチケットを手にしていた。広島でパ・リーグのチームを観たかったし、マリーンズファンの熱狂的な応援風景を観たいというのもあった(今季は「ネタフリ教」なるものが新たに「布教」されている)。ただ、まあ前週にバファローズ戦を観ることができたし、「ネタフリ教」は関西でお目にかかるかなとして、「やくも9号」を優先してチケットは流通サイトに出品した。

そして迎えた9日だが、予報通り広島の朝は本降りの雨。新幹線で出発してすぐ右手にマツダスタジアムがあるが、試合はどうだろうか。チケットは出品してすぐに買い手がつきコンビニで発券完了の連絡もいただいたが、もし中止になったらその方はさぞ残念だろうな・・。

岡山に到着。いったん改札の外に出る。駅前広場には桃太郎像とともにシンボルだった「ピーコック噴水」というのがあったが、路面電車の駅前乗り入れ事業にともない撤去されている。

駅ビル「さんすて」にある書店に向かうと、「ありがとう やくも」のポスターが貼られている。381系の走行シーンを収めたDVD、ブルーレイの告知である。

ホームに下りると、出雲市からの「やくも8号」が間もなく到着という。旧国鉄特急色381系使用で、岡山で折り返し「やくも9号」となる。

ホームに多くの人がカメラやスマホを手にし、「黄色の点字ブロックまでさがってください」のアナウンスも流れる中、「やくも8号」が到着。特に怒号が飛び交うわけではなく、皆さん静かに撮影する。

しばらく停車した後、折り返し作業のためいったん引き込み線に下がる。

岡山駅の4番ホームが結構先まで伸びており、こちらも近いとこから「やくも」を見ることができるとあって、ギャラリーがぞろぞろ移動してくる。

さて出雲市までの3時間の「呑み鉄」の準備をして、「やくも9号」が発車する2番ホームに向かう。やはり、列車は「乗ってなんぼ」である。ホームに停まっていた三原行きの発車後、メロディとともにゆっくりと入線する・・・。

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「etSETOra」に乗車

2024年06月06日 | 旅行記F・中国

ハローキティ新幹線~ラ・マルしまなみに続いて尾道から乗車するのは、広島行きの「etSETOra」。読みの「エトセトラ」はラテン語の「その他いろいろ」という意味だが、この列車においては広島弁で「たくさん」という意味の「えっと」に「瀬戸」を掛け合わせたものである。

この列車の「e5489」での座席指定も運任せなのだが、進行方向とは逆向きながら海側、そして大きな窓の席を取ることができた。

中国地方には「あめつち」や「○○のはなし」といったキハ47を改造した観光列車が走っているが、「etSETOra」は「瀬戸内マリンビュー」を再改造した車両。それにしてもキハ40、47といったところはあちらこちらで改造された観光列車に使われているが、それだけ使い勝手がよいのだろう。旧国鉄時代にはそういうことはまったく想定されていなかっただろうが・・。

始発となる尾道のホームには、ひょっとしたら先ほど「ラ・マルしまなみ」にいた団体だろうか、列車が入るとスマホをかざす人であふれる。

座席に座る。テーブルには乗車記念のコースターが置かれている。この後、車内をぶらつく。車端部の窓が丸型なのは瀬戸内海を行き交う船をイメージしたもので、「etSETOra」の前身である「瀬戸内マリンビュー」からのものである。

尾道を発車。まずは次の糸崎まででしまなみ海道の景色が広がる。本来なら先ほど岡山から乗った「ラ・マルしまなみ」の車窓として通過すべきところなのだろうが・・。

さてこの「エトセトラ」(アルファベット入力が面倒なので、もうカタカナでいきます)、その中で午後の広島行きのお楽しみはバーカウンターである。酒どころならではの味を楽しんでもらおうというコンセプト。これも「呑み鉄列車」である。

お勧めは「地酒飲みくらべセット」。5種類のうち3種類がセットで、「白鴻 沙羅双樹」(安浦)、「於多福」(安芸津)、「小笹屋竹鶴」(竹原)、「酔心稲穂」(三原)、「賀茂鶴」(西条)というお歴々が並ぶ。「エトセトラ」は呉線を経由するので沿線の銘柄を並べたが、やはり酒処・西条を無視するわけにはいかず、全国的に有名な「賀茂鶴」もちゃんと置いてますよ・・というところ。そりゃあ、2023年のG7広島サミットでの一献でも供された、呑兵衛の岸田首相御用達だし・・・(あ、広島県出身の首相といえば、池田勇人、宮澤喜一も大酒飲みだったなあ・・)。

三原から呉線に入る。早速瀬戸内海に近い区間に入る。次の須波にかけては海浜公園が整備されている。これから夏の時季を迎えると多くの人が訪れることだろう。

今治造船のドックが近づく。この造船業だが、はたして好況なのか不況なのか、記事によってもばらばらで、よくわからん。

そして海岸にもっとも近づくところで徐行運転、そしていったん停車。ちょうど雲もいくらか取れて来た。

丸窓から外をのぞくと、まさに海の上にいるかのようである。

戦時中の毒ガス製造拠点、そして現在はウサギの島である大久野島の玄関口である忠海に到着。車窓の瀬戸内海では瀬戸内しまたびライン「SEA SPICA」が運航されており、大久野島にも立ち寄る。この「エトセトラ」と組み合わせで広島~三原間を往復するプランもある。

竹原に到着。呉線の中でも竹原~広間は列車本数の少ないローカル区間である。

しばらく山間部を走り、次に海岸沿いに出たのは安芸津。カキの養殖が盛んなところである。

さて、先ほどの呉線沿線の地酒飲みくらべセットも空き、次にいただくのは「ナオライ浄酎」。日本酒を「低温浄溜」したいわばウイスキーのようなもので、メーカーであるナオライの本社は呉、浄溜所は神石高原町にある。こういう酒を列車の中で味わうとは、「エトセトラ」、まさに吞兵衛列車である。

かつて予讃線の堀江まで国鉄連絡船が出ていた仁方を過ぎ、呉に到着。カウンターバーの営業もここまでで、後は広島までラストスパート。途中の行き違い停車はあるものの、気動車のスピードも若干上がったように感じる。

最後は広島湾、マツダスタジアムの車窓として、広島に到着。

キハ47を改造した観光列車もいろいろあるもので、乗り比べで楽しめる。その中で山陰線の山口県内の運休でなかなか出番がないのが「○○のはなし」である。この車両も時折他線区に出稼ぎするようで、機会があれば久しぶりに乗ってみたいものである・・・。

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「ラ・マルしまなみ」で尾道へ・2

2024年06月04日 | 旅行記F・中国

5月19日、岡山を発車した「ラ・マルしまなみ」は山陽線を西に向かう。

この車両「ラ・マル・ド・ボァ」とはフランス語で「木製の旅行カバン」という意味だとか。どれが「木製」でどれが「旅行」でどれが「カバン」かはさておき、やはりスマートな印象である。この日は運転席後ろのスペースに自転車が置かれている。

カウンター席の上は網棚ではなく、ちょっとしたアートや瀬戸内関連の書籍が並ぶ。瀬戸内のさまざまな姿を収めた写真集もあり、岩合光昭氏のネコの写真集もある。瀬戸内はネコにとっては楽園のようで、写真集の中でもさまざまなスポットが紹介されている。

笠岡を過ぎ、広島県に入る。岡山県と広島県の県境を通るルートは鉄道、道路といろいろあるが、いずれもはっきり「国境を越えた」という実感がしない。現在の備後エリアは元々備前、備中とともに「吉備の国」と呼ばれていたし、むしろ三原辺りを過ぎてからのほうが山あいも厳しい。明治政府の施策によって備後が無理に安芸とくっつけられたのが現在の広島県である。

福山に到着。ここから乗車する客もあり、個人客中心の前寄り車両もそれなりに席が埋まる。

この後松永を通過する。今回のお出かけの後、松永駅近くにある「はきもの資料館」の一角に、「宮澤喜一記念館」がオープンしたとのニュースに接した。自身は東京生まれだが、父の出身である福山の選挙区から当選を重ね、財政にも明るく大蔵大臣を務めた後、内閣総理大臣となった。今回の記念館はその功績を讃えるものである。その宮澤喜一、同じ広島県出身の荒廃である現在の岸田首相のバタバタした姿を目にしたらどのように感じるだろうか。

尾道水道に入り、「ラ・マルしまなみ」は徐行に入る。尾道水道を挟んだ町並み、造船所の景色が広がる。

尾道に到着。列車はこの先三原に向かい、ちょうど尾道~糸崎間がもっともよく瀬戸内海、しまなみ海道が見えるところで、列車名の「ラ・マルしまなみ」にふさわしいのだが、その手前の尾道で団体客を含めほとんどが下車する。次に乗る「etSEtOra」が尾道始発ということもあるが、いったん「ラ・マルしまなみ」で三原まで行って他の列車で尾道まで折り返すこともないかと思う。

時刻はちょうど昼時。尾道といえばラーメンということで駅近くにも専門店がいくつかあるが、その中で向かったのが駅のすぐ横にある「大衆食堂せと」。大衆食堂のメニューとしてラーメンがあるが、ポイントは、ラーメン店の暖簾のしたにある「昼飲み」の看板である。

ランチの時間帯だが、アルコールメニュー、つまみの一品もさまざまある。時間はあるので昼の尾道での一献として、最後にラーメンをいただくとしよう。

この店じたいは以前大阪時代、尾道に泊まった時に来たことがあるが、その時は別の店名ではなかったかと思う。まずはビールで乾杯として、料理長こだわりという海鮮出汁のおでんをいただく。昼のためまだ仕込まれていない具材もあり、結局、厚揚げ、大根、こんにゃくに落ち着く。

瀬戸内ということでたこの天ぷら。

エコレモンサワーをいただく。エコレモンという名前を目にして、てっきり、名産地である瀬戸田のレモンの中でも、キズものや規格に合わないレモンを利用することで資源ロスを防ぎ、エコにもつながるレモンなのかなと思った。しかし、スマホでエコレモンを検索すると、農薬類は最小限しか使わず、防腐剤やワックスは不使用ということで、環境ホルモンの影響のない、皮のままでも食べられるという、そちらの意味でのエコだという。そのレモンがふんだんに入っているので、サワーの「中」のお代わり大歓迎の一品。

エコレモンサワーに相対するのはねぶとのから揚げ。一般にはテンジクダイと呼ばれるねぶとだが、瀬戸内海の中でも備後エリアでよく獲れる魚である。酒のつまみや子どものおやつとして親しまれている。

そして、最後はラーメンである。昆布、いりこという瀬戸内の定番に山陰のあごを加えたというスープ。美味しくいただく。昼飲みの客とラーメン、定食の客が半々といったところで、駅横で手軽に食事を楽しめるスポットしておすすめである・・。

食後はどこに出かけるということもなく、駅前の桟橋でゆったりする。ちょうど自転車が集まっており、この先、しまなみ海道を渡るのだろうか。

尾道水道の渡し舟など見ながらぼんやり過ごす。・・というのも視力のせい。前の記事で、この5月に両目の白内障手術を受けたことについて触れたが、今回のお出かけは右目の手術後のこと。ちょうど手術前の左目との視力がアンバランスで、中途半端にしんどかった頃だった。まあ、そんな時期に出かけるのはいかがなものかと言われそうだが・・。

そろそろ、次の「etSETOra」の時間である・・・。

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「ラ・マルしまなみ」で尾道へ

2024年06月03日 | 旅行記F・中国

振り返れば5月はいろいろな出来事があった。ブログ記事にしているのは札所めぐりや野球観戦のことばかりだが、仕事もなかなか忙しかったし、その他プライベートでは亡父の一周忌法要があり、そして中盤には私自身、両目の白内障手術を行った。

白内障手術とさらっと書いたが、これも貴重な経験かと思うのでまたどこかで「闘病記」でも書くことにしよう。

さて5月19日、その手術の合間のことである。前週は鹿児島に行き、雨でプロ野球が中止になるわ、代替で乗り鉄とした指宿枕崎線で日本最南端・西大山駅で積み残しになるわ、最後は雨で列車が遅れ、予定の新幹線に間に合わず乗車券・特急券を買い直すことになるわ・・という波乱の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりだった。

1日空いたこの日は乗り鉄としよう。特急「やくも」の旧国鉄型381系の引退が6月14日と近づくこともあり、やはり最後にもう一度乗ってみようという気がないでもなかったが、今回選択したのは岡山発三原行きの観光列車「ラ・マルしまなみ」。213系を改造した観光列車「ラ・マル・ド・ボァ」は、宇野行きの「せとうち」、三原行きの「しまなみ」、日生行きの「備前長船」、琴平行きの「ことひら」と、岡山を中心に各方面に運転されている。2024年秋には新たに新見行きの「やまなみ」が運転されるとのことだ。

この「ラ・マルしまなみ」に尾道まで乗り(肝心のしまなみ海道の区間が見える手間で下車してしまうが)、尾道からキハ47改造の観光列車「etSETOra」に乗り継いで広島に戻るというもの。のんびりと乗るだけの行程である。

さてまずは岡山に向かうとして、乗ったのは広島8時38分発の「こだま842号」。この列車は500系「ハローキティ新幹線」である。観光列車の乗り継ぎに合わせて、アクセスの新幹線も珍しい車両を選択した。

元グリーン車の6号車をネット予約したが、その時点で他の車両も含めてほぼ満席だった。乗車すると外国人観光客の姿も目立つ。

広島はすぐの発車だったが、三原で後続列車の通過待ちで9分停車。いったんホームに出る。前週の積み残しの件があるので緊張するが、ホームが人であふれるわけでもなく、新幹線は発車ベルも鳴るのでホームにいる分には大丈夫だろう。同じ500系でも「ハローキティ新幹線」となるとそれをお目当てとする、また違った筋の客も現れるようだ・・。

福山でも5分停車。ここでもいったんホームに出て、福山城の姿をカメラに収める。そういえば福山城の天守閣の大改修の後、訪ねていないなあ。この後、「ラ・マルしまなみ」で福山をもう一度通るが、福山で下車して天守閣見物もいいかな。

9時55分、岡山到着。いったん改札の外に出る。

駅ビルで買い物などするうち、10時19分発の発車時間の数分前になった。三原方面ということで1・2番乗り場に向かったのだが、車両の姿はない。「ラ・マル・ド・ボァ」はどの方向でも5番乗り場に固定されているとのことで、慌ててそちらに向かう。ホームには発車を告げる鐘も置かれているし、少し考えればわかりそうなものだ・・。

2両編成のうち、前1両のカウンター席に陣取る。後ろの1両は団体客がほとんどのようだ。この日は快晴とはならなかったが、西を目指して走ることに・・・。

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木次線「あめつち」復路と旧国鉄特急色「やくも」に乗車

2024年05月07日 | 旅行記F・中国

木次線の出雲横田まで乗り入れた観光列車「あめつち」。しばらく滞在して、後続の列車で出雲坂根や備後落合を経由すれば広島に戻ることができるが、今回は復路の列車にも乗ることにする。復路の乗客が減って空席が目立つが、木次線を乗り通す客のほか、出雲横田を起点にして周囲の観光スポットをタクシーで回るオプションコースの利用客もいるようだ

帰りは先ほどとは逆サイドの2人向かい合わせの座席。またも速度を落として走る。往路に続いてガイドからは「キハ47は力が弱いので、出雲横田から先の険しい区間を走ることができない」という案内がある。あの三段式スイッチバックの区間に観光列車を走らせることはもうないのだろうか。ならば「奥出雲おろち号」を牽引していた機関車を接続すればよいではないか・・・昨年、芸備線の「呑み鉄」列車に乗った時にそうした会話もあったし、往路の車内でもそうした声を聞いた。当然、JR西日本内部でもそうした声があったと思いたいが、プロの目からみて技術的に難しいのか、それとも、それはコストに見合わないことなのか。「木次線部分廃止への布石だ!」という一部の声が実は当たっていた・・ということも考えられなくもない。

復路でも乗車記念の斐伊川和紙のコースターをいただく。

さて、ここで昼食である。「奥出雲おろち号」の時は、亀嵩駅のそばをはじめとした地元商店のそばや仁多牛の弁当などを事前に各自で予約し、停車中に受け取っていたのだが、「あめつち」になってからは、山陰線走行時と同様に事前にネット予約した限定の弁当を客室乗務員が配膳することとなった。

その一品が幕の内「たたら」。島根牛の奥出雲天然醸造味噌煮、奥出雲産椎茸のアヒージョ、奥出雲産の野菜の炊き合わせなどが並ぶ中、ごはんは「奥出雲葡萄園のワイン寿司」。ワインで炊いた寿司というのも妙なもので、自家製焼き鯖やしじみ、紅ズワイ蟹などが載るが、うーん・・。郷土の食材で高級感を出そうというのはわかるが、個人的にはシンプルな出雲そばや牛めしという選択肢があったもよいように思う。

ここで一献は奥出雲の「七冠馬」。20世紀最強の競走馬とされるシンボリルドルフからつけられた名前で、ルドルフのオーナーが島根県出身であることがご縁で、牧場の次期当主と蔵元(樋上酒造)との間で縁談がまとまった。そうした意味でおめでたい一品である。

往路は通過した出雲三成に停車。備後落合行きとも行き違う。この間は駅舎内の産直コーナーでの買い物タイムである。せっかくなので亀嵩のそばと、仁多米の2キロ袋を購入。わざわざ2キロ以上荷物を増やした形だが、後は列車を乗り継ぐだけなので・・。

「次へつなごう、木次線」「き」プラスハートマーク・・。木次線も生き残りがかかる局面である。このキハ120は出雲坂根の難所を走る現役車両だが、例えば他の第三セクター鉄道がやっているように、車両の真ん中にテーブルを設けるなどして、臨時の「呑み鉄」列車や「郷土料理」列車などを運転するのはいかがだろうか。トイレ付車両というのも安心である。ただ、これも当然、JR西日本内部でもそうした声があったと思いたいが、プロの目からみて技術的に難しいのか、それとも、それはコストに見合わないことなのか(以下略・・)。

のんびりした車窓を抜け、木次に到着。ここで下車する客もいて、車内ガイドも名残惜しそうに手を振る。「奥出雲おろち号」は車掌のみの乗車だったが、「あめつち」でこうしたガイドや客室乗務員が加わったのはプラス面である。なかなか、評価が難しい・・。

宍道に到着。このまま米子まで乗ってもいいのだが、旧国鉄特急色車両の「やくも24号」に始発の出雲市から乗るべく、ここで下車する。1.5往復乗った形だが、木次線沿線の人たちが新たな「あめつち」を歓迎しようという気持ちを感じることができた。現在できる最大限の形というのかな・・。

「あめつち」については、新たに鳥取~城崎温泉という新たな区間での運行も始まっている。餘部鉄橋を渡るというのが最大の売りのようだが、こちらもぜひ乗ってみたいものだ。

後続の列車で出雲市に移動。15時35分発の「やくも24号」に乗る。

4月にデビューした273系の新型「やくも」への置き換えが順次進み、この6月中には完了するという。私のスケジュールを見ても、おそらく今回が381系「やくも」の乗り納めだろう。そして乗るなら旧国鉄特急色、宍道~出雲市の往復運賃が発生するが、そこはやはり始発~終点まで乗り通したい。

新型「やくも」の車内メロディには「ヒゲダン」の曲が使われているが、旧国鉄特急色は「鉄道唱歌」のオルゴールである。引退までまだ1ヶ月あまりあるためか、今は新型車両のほうに乗客の目が行っているようで「やくも24号」には十分空席があった。もっとも、最終運行となると乗り鉄、撮り鉄どもにごった返すのだろうが・・。

米子から伯耆大山を過ぎ、伯備線に入る。大山の稜線も捉えることができた。

・・・ただその後は、気づけば岡山だった。あれ? この前に新型「やくも」に乗り、やはり乗り心地がよかったと感じたが、かつて乗り物酔いが相次ぎ、「ぐったりはくも」とも揶揄された381系と比べてどうか・・ということを体感しようと思ったが、結局伯備線の多くの区間を寝て過ごしたようだ、いや、途中起きていたところもあったが、車窓にカメラを向けるわけではなくぼんやりしていたというのが正確なところか。ただいずれにしても、381系が極端に乗り心地悪いわけでなかったということかな・・・(個人の感想です)。

「あめつち」と「やくも」。山陰の鉄道旅は新たな1ページである・・・。

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「あめつち」で木次線を楽しむ

2024年05月06日 | 旅行記F・中国

4月28日、山陰線から木次線に入る観光列車「あめつち」の旅である。前年秋に引退した「奥出雲おろち号」の後継列車であるが、まずは木次線内をゴトゴトは室。「奥出雲おろち号」の時はほぼ全ての駅に停車していたが、「あめつち」の出雲横田行きの途中の停車駅は木次のみである。座席が全席快速グリーン車というのも関係しているだろう。

木次線に入ると観光案内が始まる。マイクを握るのは「銀河鉄道999」の「メーテル」ならぬ、木次線の「ナーテル」。普段は途中の出雲大東で委託駅長を務める南波さんという方で、こうしたイベント時には「ナーテル」としてガイドに出ているという。この先、雲南市の魅力についてのトークが繰り広げられる。

一方、相方としてガイドを務める奥出雲町の担当の方がパンフレットと、オリジナルの「斐伊川和紙」のコースターを配る。江戸時代からの伝統工芸とのことだが、こうした工芸品があるとは初めて知った。斐伊川といえばたたら製鉄の原料となる砂鉄や木材のイメージが強かったのだが、和紙の原料も産出していたとは。

南宍道を経て、加茂中に到着。昔ながらの町並みが広がり、コウノトリの繁殖地としても知られる地区で、家の窓からや、農作業の手を止めて「あめつち」に向かって手を振る人が多い。斐伊川の土手は桜の名所でもある。「奥出雲おろち号」が走らなくなり、「あめつち」も木次線に乗り入れるのは月に4日ほどだが、木次線の新たな顔として歓迎しようという思いは伝わってくる。

「ナーテル」の勤務場所?である出雲大東駅を通過。ここまで、駅にはいったん停車するものの扉の開閉はなく、あくまで通過の扱いである。

木次に到着。本来なら10時18分の発車まで10分停車のところ、遅れのため停車時間も短縮されるとのこと。地元の人たちがブラスバンドの演奏や手旗を出迎えるが、慌ただしく時間が過ぎる。以前の「奥出雲おろち号」では木次牛乳などの販売もあったと思うが・・。

木次を出ると、次は終点・出雲横田。ノンストップではあるが、営業キロと所要時間で計算すると平均時速は30キロしか出ない。ただそれ以上にスローペースである。「奥出雲おろち号」の時は動力はディーゼル機関車だったからそれなりの出力があったが、キハ47とはここまで出力の弱い形式だったっけ。まあ、その分沿線の人たちと手を振り合う光景は見られるのだが。

「奥出雲おろち号」の時は乗降者の数はともかく、各駅に停車して駅ごとでの地元の人たちのお出迎えがあったし、予約が必要なものもあるが途中駅からの乗り込みやホーム上で弁当やスイーツの販売も行われていた。「あめつち」はこれらの駅は通過扱いで、駅舎を利用したそば屋で有名な亀嵩も、停止することなくそのまま通過する。

木次線最長、2241メートルの下久野トンネルを抜ける。「奥出雲おろち号」の時はトンネルの冷気が漂い、トロッコ客車内では天井の手作りのイルミネーションの演出もあったが、「あめつち」は気動車が走り抜けるだけである。そもそも、窓じたい開けられないし・・。

出雲三成を過ぎ、次の亀嵩ではホームに10人以上の客が「あめつち」を待ち構えていた。しかし列車は通過扱い。普通列車でも事前に予約すれば「そば弁当」を受け取れるのだが、通過してしまうとは・・。乗客の乗り降りという視点だと、木次~出雲横田間で下車する人はほとんどいないということで通過扱いにするのもわかるが、観光列車なのだから従前のように沿線の人たちとの触れ合いやグルメがあってもよいのではないかな。

終点・出雲横田に到着。神殿を意識した駅舎をくぐる。

駅前では地元の「仁多乃炎太鼓」のメンバーによる和太鼓の演奏でお出迎え。

出雲横田で1時間50分待ちの13時11分発の木次線備後落合行きに乗れば1日3往復の区間を通り、出雲坂根の三段式スイッチバックを楽しみ、終点の備後落合では芸備線の新見行き、三次行きと「落ち合う」。広島に戻るならさすがにそちらのルートのほうが早いのだが、この先、復路の車窓と、山陰線~伯備線の381系旧国鉄特急色車両への「お別れ乗車」と組み合わせているため、出雲横田から木次方面に折り返す。

備後落合方面に抜ける客もそれなりにいるようで、「あめつち」の乗客はいくらか減ったようだ。12時03分、太鼓のメンバーをはじめ、地元の人たちの見送りを受けて発車・・・。

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木次線乗り入れの「あめつち」に乗る

2024年05月05日 | 旅行記F・中国

4月28日、今回の旅のメインである観光列車「あめつち」に乗車する。米子8時17分発で、宍道から木次線に入り、終点・出雲横田には11時21分着。約3時間の乗車となる。

始発の米子駅に向かうと、列車の運行情報の案内が流れる。伯耆大山駅で車両トラブルだという。そのため、山陰線の倉吉~米子、伯備線の上石見~米子で運転を見合わせているという。岡山行きの新型「やくも」も身動きが取れず停車したままである。山陰線と伯備線が接続する駅でのトラブルというのは結構痛い。米子から松江、出雲市方面はほぼ定刻での運転というが、ひょっとしたら東側から「あめつち」に間に合うよう移動するところだった客がいるかもしれない。

すでに入線していた「あめつち」に乗り込む。「あめつち」じたいはこれまで複数回乗ったことがあるが、キハ47の改造車両のため、なかなか座席と窓がドンピシャの配置になるのが難しい。「e5489」でも座席番号を指定しての予約ができないため、予約を取っては変更して・・ということを何回か繰り返した。その結果、進行方向右側のカウンター席を確保して落としどころとしたのだが、いざ乗り込んでみるとかつてのドア横の車体部がデンと目の前にある。まあ、目線を少し斜めにやれば問題ないのだが・・。

こちらは定刻で発車。2両編成の車内はほぼ半分くらいの乗車率である。

実は朝食がまだだったので、車内でいただくことにする。米子で購入した駅弁「伯耆物語」。米子の駅弁といえば「吾左衛門鮓」が有名で、前日の一献の後、ホテルの部屋で締めの一品としていただいた。「伯耆物語」は幕の内弁当だが、焼き鯖、鰻の蒲焼き、鱒の唐揚げ、しじみ、野菜の煮物などバラエティに富む。これから奥出雲に向かうのに「伯耆物語」とはこれいかにで、列車はすでに出雲に入ったが、美味しくいただく。

中海から宍道湖に続く景色を楽しむ。

その中、客室乗務員が乗車記念の「神様おみくじ」の箱を持って回る。大吉小吉ではなく、神話に登場するいずれかの神様が現れるのだが、私が引いたのは一言主神。添えられた言葉には「めざすは、小さな巨人」とある。オロナミンCかいな。

松江に到着。9時05分の発車までしばらく停車する。松江といえばこの日(4月28日)は衆議院島根1区の補欠選挙の投票日。この先「あめつち」が走る区間はずっと島根1区のエリアである。選挙戦は当初から立憲民主党候補の優勢が伝えられる中、心配なのは投票率である。結局、多くの国民が政治に対して「どっちらけ」になっているという事実にこそもっと目を向けるべきではないかと思う。

さて青空の下、宍道湖に沿って走る。BGMとして「あめつちのテーマ」も流れる。

木次線に入る前の松江、玉造温泉で下車する客もいる。もったいないようにも思うが、ちょうどよい時間の特急に乗るような感じでの利用だろう。一方で車内も木次線が近づき、乗客のテンションも上がってきたようだ。

宍道に到着。木次線が出る3番乗り場に到着する。ホームでは木次線の法被姿の人たちがお出迎え。この後、沿線ガイドを務めるようだ。合わせて、武将姿の人たちも横断幕で出迎える。

・・・と、そこに現れたのは「フーテンの寅さん」。

そういえば、昨年の秋に津山から因美線で運転された「みまさかスローライフ列車」で見かけた方ではないかな。他の乗客からもそうしたリアクションがあった。松江在住で、本業で自動車整備会社を経営するかたわら、「寅さん」に扮してこうした地域イベントに登場し、人々に笑顔を届けている。さすがにこの日は「あめつち」の見送りのみで、「寅さん」が木次線を旅することはなかったが・・。

その宍道で、出雲市方面からの客も含めてほぼ満席となった。ここからがメインの木次線の旅。ちょうどカウンターに「木次線写真集」があり、昨年引退した「奥出雲おろち号」やキハ120の四季の車窓や地元の人たちの表情を捉えた一冊を見やりながらの旅である。

伯耆大山駅での車両トラブルの影響で、山陰線でのダイヤに乱れがあり、「あめつち」との行き違い列車にも若干遅れが出たため、宍道発車は定刻の9時30分を少し回った。キハ47は宍道駅の3番線からそのまま分岐し、木次線に向けて進む・・・。

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