まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

姨捨の夜と豪華クルーズ列車

2020年09月07日 | 旅行記C・関東甲信越

長野駅近くで信州郷土料理を楽しんだ後、夜行バスの発車までの時間を利用して、篠ノ井線の姨捨まで往復することにする。乗るのは20時53分発の甲府行き。ちなみにこの列車を乗り通すと、終点甲府には23時53分着。なかなか長距離の列車である。もっとも、この時間に長野から甲府まで乗り通す人はいないだろうが。

向かいのしなの鉄道、妙高高原方面にはボックス席を備えた115系が停車している。本音を言えばあちらの車両に乗ってみたいところ。長野駅を出る時には信越線カラー、そして戻った時には横須賀線色の車両が停まっていた。

一方、甲府行きは211系のロングシートである。平日は通勤利用もあるのか6両編成である。もっともこの日は1両に3~4人ずつの乗車である。冷房のほかに換気用ということであちこちの窓が開けられている。

ところが発車してしばらくすると、窓に水滴がつくようになった。どうやら雨が降ってきたようだ。近くの開いている窓からも雨が入ってくるので慌てて窓を閉める。車内放送でも近くの窓を閉めるよう呼びかける。雨雲レーダーを見ると、また限られたエリアでの強い雨が発生しているようで、この先の姨捨もその中に含まれている。

稲荷山を過ぎ、列車がいったん停止する。もう姨捨に着いたのかなと思うが、長野方面からならいったん側線に入り、運転方向を変えて姨捨に入るはずだが、どうも動きがおかしい。外もやけに暗い。ここは稲荷山と姨捨の間にある桑ノ原信号場のようで、ここでいったんスイッチバックで側線に入り、名古屋からの特急と行き違う。

ようやく動き出し、今度は姨捨に入る。雨に濡れた窓越しに夜景が少し見える。しかし反対側を見ると何やら見慣れない窓や壁が並ぶ。これは何だろうか。21時26分に到着して、21時48分に長野行きが来るまでの時間を過ごそうとともかく下車する。善光寺平を見下ろすホームの先に行こうとすると、なぜか警備の人が立っている。「夜景の撮影ですか? それでしたらこの辺りでお願いします。向かいに列車が停まってますんで、それまで待ってください」と制止される。

その向かいの列車とは・・・JR東日本の豪華クルーズ列車の「四季島」である。現物を初めて目にするが、まさかこんなところで出会うとは。

JR東日本のサイトを開けると、ちょうどこの日は1泊2日のルートで運行している途中のようだった。1日目は上野を出発してまずは中央線の塩山まで行く。甲州ワインの食事やワイナリーの見学などの後、車内でのディナー。そして姨捨での夜景見物である。見物をしながら地酒やワインを楽しめるラウンジも新たにできている。先ほどの警備の人の制止は、車内から夜景を見る人の妨げにならないように、停車中はホームのその部分には立ち入らないようにということだった。

「四季島」を近くで見ようと、跨線橋を渡って駅舎側のホームに向かう。そろそろ発車時刻が近づいているようで、乗客は皆車内に戻っている。駅舎の前には地元千曲市の観光PRの人たちやラウンジのスタッフがお見送りである。車内からも乗客やスタッフが手を振る。発車時にはお互いにハンドベルを鳴らして送り出す。

「四季島」がこの後長野方面に向かうのであれば、スイッチバックの側線に入った後、善光寺平側のホームの下を過ぎる。もう一度跨線橋を渡り、ホームの下を過ぎる列車を見送る。姨捨の夜景を見に行き、思わぬこうした夜行列車に出会えるとは。

この1泊2日ルートの続きは、長野からしなの鉄道~信越線~磐越西線を通って翌朝に喜多方に到着。その後、会津若松、栃木で観光と食事を楽しみ、夕方に上野に戻るルートである。途中に非電化区間も含まれるが、「四季島」の車両は電気、ディーゼルエンジンの両方を動力としているために、非電化の路線にも乗り入れることができるのも強みである。

気になるお値段だが、この1泊2日ルート、最も安いスイートルームで、2人利用で1人あたり37万円、1人利用なら55万円。最も豪華な部屋で、2人利用で1人あたり50万円、2人利用なら75万円と、何とも贅沢なものだ。このルートを単純に回るだけなら、青春18きっぷを使った鈍行の乗り詰めでも2回分で可能だが、そこは豪華な車内で過ごす、最高の食事、充実した観光というのがくっついてくるわけで・・。他にも北海道まで行く3泊4日ルートをはじめ、季節に応じていくつかのルートがあるが、どれも豪華でおいそれと手が出るものではない。これに比べれば、この度デビューする「WEST EXPRESS銀河」などお手軽列車といえる。まあ、そもそもターゲットとする客層がそれぞれ違うのだが・・。

「四季島」が行き、千曲市の人やラウンジのスタッフも帰り支度をすると、駅にいる人もわずかになった。帰りの列車は長野への最終なので乗り過ごさないように駅舎側のホームで待つ。こちらは見送りもなく、3両のガラガラのロングシートに身を寄せる。

長野駅に到着。夜行バスの発車まで1時間あるが、これ以上列車に乗りに行くこともできず、幸い雨もやんだので駅前のロータリーで過ごす。大型モニターには気温26度と表示されていて、数字だけ見れば熱帯夜ではあるがやはり涼しく感じる。終電ぎりぎりまで楽しむか、あるいはオールで過ごすのかわからないが、駅前では奇声をあげる若者グループも結構いる。

そろそろ時刻となり、駅前のバス乗り場に向かう。数人の客がバスの到着を待っている。バスは野沢温泉が始発で、ここまでにいくつかの停留所を通るが、この日の予約は全体的に少ないようだ。前後、隣が空席となるように座席を指定したが、どうやらそれが当たりそうだ。

長電バスの車両で、京都駅、大阪駅、なんば(湊町と南海)、三宮を経由してUSJに行くというもの。周りに他の客がいないのでフルリクライニングが可能だし、荷物も多少広げて足元のスペースを確保することもできる。翌朝は特段用事もないので家でゆっくりするだけだが、大阪までも楽に戻れそうだ。

長野インターから高速に入り、姨捨サービスエリアで15分休憩となる。翌朝まで外に出られるのはここが最後ということで、善光寺平の展望台に行ってみる。先ほどの姨捨駅の南、少し標高の高いところに位置する。さすがにこの時間ともなれば灯りの数も減っているが、もう一度姨捨の夜景を見ることになる。昼間の晴天だとより素晴らしい眺めなのだろう。

日付が変わり、後は大阪に向けて走る。途中、恵那峡サービスエリアで長い停車があったが、その後はよく覚えていない。

翌朝5時すぎ、京都駅八条口に着く前に放送が入り、車内の照明がつく。

外が少しずつ明るくなる中、桂パーキングエリアでも少し停車し、豊中から阪神高速、梅田出口で出て大阪駅の桜橋口に着いた。意外にもここで下車したのは私だけ。今回はなんばまで行かず、ここから大阪環状線で天王寺に戻る。なかなか濃い1日(と車中泊)となった。

これでこの夏の青春18きっぷの旅は終わりとなる。何やかんやで、普通に使いこなしたなあ・・・。

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リゾート列車に揺られ、信州郷土料理を食らう

2020年09月06日 | 旅行記C・関東甲信越

上諏訪から中央線~篠ノ井線を通って松本に到着する。先ほど諏訪湖ではビールとつまみくらいしか食べていなかったので、少し腹に何か入れようと、駅ホームの立ち食いソバをいただく。東日本風の濃い出汁のソバを食べるのも久しぶりである。

時刻は16時を回ったところ。この時間となればこれから松本城に行っても中には入れないだろうから、どこか信州料理で一杯やれる店を探したほうがよいだろう。夕食を済ませて、夜の篠ノ井線で長野に移動する。そして途中、姨捨で途中下車するのはどうだろうか。日本三大鉄道車窓の一つとされる姨捨から善光寺平の夜景を見物というのも面白い。

そう思って駅前に出ようとすると、急な雨がやってきた。先ほどの諏訪の晴天とは打って変わり、予想もしていなかった。ちょうど駅前にたむろしていた若者たちも悲鳴を上げ、雨を避けようとコンコースへの階段を上がる。スマホで雨雲レーダーを見ると、ちょうど長野県でもこの辺りにだけ、濃い色で表示されている。まさに局地的な雨というやつで、何時間かはこの状態が続くようだ。折り畳み傘は持っているが、わざわざこの雨の中で外に出ることもないだろう。また、帰りの夜行バスは長野駅から乗るが、万が一この雨が長引いて長野まで運休にでもなったらえらいことになると思い、早めに長野まで移動しておいたほうがよさそうだ。信州松本にはまた改めて来ることにして、次の列車の時刻を調べる。持参の冊子の時刻表を見ると、16時34分発が出たばかりなので、次は17時35分発とある。

ところが、待合室にてふと発車案内のモニターを見ると、「リゾートビューふるさと 17時23分発 長野」という文字が見える。これは全席指定のリゾート列車だが、快速の普通指定席のために青春18きっぷでも指定席券を買えば乗ることができる。先ほど時刻表を見てもこの列車の記載が見つからなかったが、見落としではなく元々記載されていなかったのだ。持ち歩いているのはJTBの「小さな時刻表 2020年夏号」なのだが、この号が出た時点では、新型コロナウイルスの影響で全国的にこの手の観光列車が軒並み運休しており、再開のめども立っていなかった。そのために冊子の時刻表にはなかったということ。「リゾートビューふるさと」は7月23日から長野~松本~南小谷間の運転を再開しているとのこと。雨のおかげでこうした列車に乗ることができて、結果的にはよかった。

指定席券売機を見ると余裕の空席で、難なく指定席を確保する。長野に着くのは18時30分で、信州料理で一杯やるのにもちょうどよい時間帯。

大糸線方面から2両編成の列車がやってきた。南小谷から大糸線を走り、松本で進行方向が変わる。座席は通路から段差を設けて少し高く設置されていて、景色を楽しむことができる。シートピッチも広く、ゆったりとした乗り心地が楽しめそうだ。

「リゾートビューふるさと」は長野~松本~南小谷と全線電化区間を走るが、車両はHB-E300系というハイブリッド型気動車である。他にも同型車両が「リゾートしらかみ」(五能線)、「リゾートあすなろ」(大湊線、津軽線)、「海里」(羽越線)で運転されており、時にはそれ以外の路線にも姿を見せることがある。気動車だから電化・非電化路線の区別なく運用できる。またハイブリッド型ということで、従来の気動車と比べても燃料その他のコストが抑えられる。

2両編成だが、松本で下車した人も多く、出発時には1両あたり5~6人という数で発車。しばらくは大糸線の線路と並走した後、際川の流れに沿って走る。

運転台の後ろは展望スペースになっていて、おばあちゃんに連れられた子どもがうれしそうにずっと張り付いて、前方の景色を眺めている。一方車内のモニターでも運転台からの映像が流れている。明科を過ぎると長いトンネルが続くが、そのトンネル内を走る映像がモニターに映し出されていて、トンネル内の灯りと車両の前照灯でちょっと幻想的な景色が広がっている。

山間ののどかな景色を見つつ、少しずつ外が暗くなってきたところで姨捨駅が近づく。善光寺平の景色も徐々に広がってきた。スイッチバック式の姨捨に入るが、すぐの発車である。いったん後退して引き込み線に入り、再び前進して勾配を下っていく。前方には千曲川流域の扇状地が広がり、この先、際川と合流するあたりが川中島である。

篠ノ井からは北陸新幹線の高架橋がぴたりと寄り添い、そのまま長野に到着。ともかく、この日の目的地まで来ることができた。後は23時15分の夜行バスの発車までどうやって時間を過ごすかである。長野駅まで来ると雨はやんでいた。

ともかく料理をいただこう。長野の駅前でも店はいろいろある。グループ客をターゲットに居酒屋の客引きもいる。以前に入ったことがある郷土料理の店でもよいが、時間はあるので少しぶらついて探してみよう。

しばらくして、「門前酒場 山里」というのを見つける。郷土料理、ジビエ、地酒、蕎麦など、心をくすぐる文字が並ぶ。ちょっと値段は張りそうだがこの際だからと入ってみる。後でグルメサイトを見ると、長野、松本に展開するチェーン店の一つで、松本にある「信州酒場 山里」の姉妹店として最近開業したとある。松本にせよ長野にせよ、どの店で飲むかあらかじめ決めていたわけでもなかったが、結果的に同じような店を選んだ形になって、丸く収まったようだ。

店内は結構混雑しているようだが、たまたま半個室のスペースが空いていて「せっかくなので広く使ってください」と4人掛けテーブルを勧められる。混んでいるので料理が出るのに少し時間がかかるかもしれないと言われたが、時間はたっぷりある。メニューを広げると長野県の地図があり、各エリアごとのおすすめメニューが書かれている。一口に長野県といっても広いし、それぞれのエリアごとに個性が強く、その中で受け継がれてきた食文化がある。

お通しには蕎麦せんべいと野菜スティック。野菜には馬肉味噌をつけて食べる。

続いては「おたぐり」。馬のモツ煮込みである。「おたぐり」という名前は、馬の腸の内容物を取り出して塩水で洗う際、腸をたぐり寄せる手の動きからついた名前だという。味付けは店ごとによって違うようだが、根菜と一緒に煮込んでいて臭みもほとんどない。キンミヤ+ホッピーが飲みたくなる。

塩いかも出てくる。茹でたイカの胴部に塩を詰めたもので、昔から海のない信州では保存食として活用されてきた。食べる時は塩抜きをしてそのままでもいいが、野菜と和えたりサラダの具にするのが一般的ということで、ほのかに残る塩加減がよい。

この辺りが先発部隊で、ここからメインがやってくる。まずは馬刺し。別に馬刺しについて語れるほど詳しいわけではないが、信州に来るとやはり注文してしまう。この「山里」では「完全一頭買い」というのを売りにしているようだ。焼肉店で牛の一頭買いというのは聞くが、馬を一頭買いしてしまうとは、さすがは信州である。それだけにさまざまな部位を提供できるそうで、2品盛りを注文すると出てきたのは「赤身」と「ミスジ」。中でも「ミスジ」は肩甲骨の内側にある希少部位とのことだが、噛むほどに甘みが出てくる。

刺身といえば魚の刺身もある。こちらの看板商品の一つが、信州サーモンと信州大王イワナ。いずれも、長野県の水産試験場が研究に着手し、養殖・量産技術を確立した新しいブランド魚である。信州サーモンはニジマスとブラウントラウトを交配させた新しい品種の魚である。在来種のサケマス類と比べて、高タンパク、低脂肪、低カロリーが売り物という。もう一方の信州大王イワナも銀色に輝く威風堂々としたたたずまいから「大王」の名がつけられ、刺身も身がしまってほどよい脂の乗り具合である。昔からの生活の知恵の料理と、こうした新しい技術により生み出された魚の料理・・さまざまな楽しみ方があるものだ。

そして気になるのがジビエ料理。シカ、イノシシ、クマ、ウサギと並ぶ。予算とお腹の関係で食べるならどれか1種類だが、シカ、イノシシ、クマはこれまでに何らかの形で口にしたことはあるが、ウサギは食べたことがない。ウサギといえば、今はどうか知らないが私の子どもの頃は小学校の飼育動物の定番で、飼うことはあっても食べる・・・とはちょっと想像もつかない。あ、でも童謡「ふるさと」には「ウサギおいしい・・・」という歌詞もあるなあ(ウソです・・・正しくは「ウサギ追いし」)。

これはどんなものかと、「兎とキノコのホイル焼き」というのを注文。ややあって出てきたのは、トマトソースもかかって洋風に仕上げられた一品。さっそく肉をほじくり出して口にする。食べ応えは・・・鶏肉に似ている。鶏と比べて脂肪分が少ないように感じられた。ウサギは1匹、2匹ではなく1羽、2羽と数えるが、その昔、動物の殺生が禁じられていたことに由来するという説がある。その昔でも鳥を食べることは許されていたようで、山の人たちはウサギを鳥類だとこじつけて食べていたことから、そう呼ぶようになったという。そこに、鳥と味が似ているということも加わりそうだ。

この他にも信州ならではということでイナゴや蜂の子といった虫料理や鯉料理もあるし、松本山賊焼きなどもあるのだが、さすがに一度に食えるものではない。これらの料理はまたの機会にということで、そろそろ店を出ることにする。

さて、バスの発車までまだ時間がある。改めて時刻表を見ると、この時間からでも姨捨駅まで行って、20分ほどで向こうからの最終列車で折り返すことができるようだ。行ってみて、姨捨の夜景の他にサプライズに出合ったのだが、それは次の記事にて・・・。
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諏訪湖にてリラックス

2020年09月05日 | 旅行記C・関東甲信越

名古屋から中央線の列車を乗り継ぎ、信州に入る。当初は篠ノ井線に入って松本まで行こうかと思っていたが、塩尻で11時58分発の甲府行きに乗り継いだ。こちらも211系のロングシート。かつて115系の「横須賀色」のボックス席で旅した頃をなつかしく思う。

いずれにしても久しぶりの区間なので、この先行けるところまで行ってしまうか、あるいは他の路線に乗ってみるか考えたが、結局下車したのは上諏訪。何度も訪ねたことがある駅で、若い頃は少し下諏訪方向に行ったところにあるユースホステルにも泊まったし、後に「ユースホステル離れ」してからは、湖に近いホテルに泊まったこともある。お目当ては温泉、湖。

上諏訪は駅のホームに足湯があることでも知られている。設置された当初は服を脱いで入る本式の露天風呂で、私もホームに流れる案内放送ややって来る列車の音を聞きながら入ったことがあるが、どうも落ち着かない感じがした記憶がある。足湯なら周りの目を気にすることもないし、足湯につかりながらホームに来る列車を見ることもできる。

もっとも、今回訪ねるのは本式の風呂である。足湯は時間があればつかることにして、いちど駅前に出て、連絡通路で諏訪湖側の連絡口に渡る。通路には諏訪の名物である打ち上げ花火のポスターが貼られているが、今年については新型コロナウイルスの影響ですべて中止というメッセージもあった。この夏はこうした花火大会というのが軒並み中止となっている。ただ、ニュースを見ると、花火業界の救済や、また人々を元気づけようと、資金を有志から募ってサプライズ的に花火を打ち上げる催しを行ったところもあるようだ。来年の夏には花火が上がることがあるだろうか。

向かったのは片倉館。ここの「千人風呂」に入ることにする。その前に会館を見学する。見学と入浴のセット券を購入するが、まずは検温と、連絡先の記入がある。これまで入浴したことはあるが、会館の見学は初めてである。以前は会館の見学がガイドつきの予約制のみだったが、2年ほど前からフリー見学ができるようになったとのこと。

片倉館は1929年に開業した施設である。製糸業、紡績業を中心に戦前に存在した片倉財閥の代表者の二代片倉兼太郎が、片倉製糸紡績会社の創業50周年を記念して建てたもので、関係者の福利厚生としてだけでなく、諏訪の人たちも利用できる保養施設としての役割を担った。

まずは会館の2階に上がる。ここには204畳の大広間が広がる。こういうところで寝転がったら気持ちいいだろうな。舞台もあるのでちょっと上がってみるが、なかなか壮観である。外観が洋館で中が和式というのも日本らしい。かつては結婚式や表彰式などの式典で使われていたそうで、現在も貸し切りで展示会、お茶会、カラオケ大会などで利用することができる。落語の寄席も似合いそうな感じだ。新型コロナウイルスの影響で今の時点ではそうしたイベントを行うのは難しそうだが、昭和初期の建物がこういう形で現役で使われているのは、諏訪の人たちにとっては誇りであろう。

舞台の上や側面には、元首相の清浦奎吾の揮毫が飾られている。当時の財閥ということで政界にも人脈があったということだろうか。

また、窓から見える温泉施設の外壁には(画像ではわかりにくいが)熊のレリーフが飾られている。「守り熊」ということで、あの位置にあるのは女性浴場を守るためだそうだ。このレリーフは大広間からでなければ見えないだろう。

1階に下りるとこちらも和室が並ぶ。「養浩然之氣(実際は右書き)」と書かれた額が飾られている。片倉館の落成記念として、洋画家・書家の中村不折という人が寄贈したとある。初めて聞く名前だなと思うと解説パネルがあり、夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵を描いた人物とある。ただ私が「へぇ~」となったのは、諏訪の地酒「真澄」や、あの「日本盛」のラベルの文字を書いた人物ということ。

別の部屋には「忠誠貫金石(実際は右書き)」の額がある。こちらは東郷平八郎直筆という。これも片倉館の落成記念で寄贈されたもの。これも、片倉財閥の人脈だろうか。ここで「財閥」だの「人脈」だのと強調すると誤解しそうだが、片倉館は別に片倉財閥の屋敷ではなく、先に触れたように、社員の福利厚生だけでなく地元の人たちも楽しめる施設として建てられたものである。郷土にこうした形で還元するという主旨に共感してくれたと理解するのがよいだろう。

さて、今度は千人風呂である。建物は渡り廊下でつながっているが、利用者はいったん外に出て、もう一度受付である。玄関に片倉兼太郎の胸像があるが、フェイスシールドをつけてコロナ予防のPRをしている。

レトロ感のある入り口から脱衣場に入る。浴室なので当然中の画像はないが、中はギリシャ風というのか、ローマ風というのか、彫刻やステンドグラスなど異国情緒が散りばめられた内装になっている。昭和初期の建物、しかも重要文化財にも指定されている建物がまだまだ現役の銭湯として地元の人に親しまれているのがよい。大理石の浴槽には実際には千人入れるわけではないが、深さが1.1メートルあるということで、中では立ったままつかることになる。ちょうどプールのようなものだ。底には那智黒石が敷き詰められていて、足の裏を刺激してくれる。

千人風呂の浴槽が深いのはなぜだろうか。「製糸工場で働く大勢の女工たちが一度に大勢入れるように、女工が座って眠らないように」という説があるそうだが、果たしてどうだろうか。「女工哀史」的な視線から見れば財閥というのは悪の存在のようだが、いささかこじつけのような気がする。あくまで福利施設、保養施設として建てられたのであれば、単純に、浴槽を(西洋のような)プールの造りにして、中で泳いだり、歩行したりできるようにしただけのことだと思うのだが、どうだろうか。

汗を落としたところで外に出る。千人風呂の2階が休憩室になっていて食事もできるし生ビールも飲めるのだが、ここまで来たのだから諏訪湖の湖畔に行き、湖を眺めながらビールを飲もう。

近くのコンビニで「諏訪浪漫ビール」やつまみを買い求め、湖に向かう。湖面からの風が涼しく、やはり大阪の猛暑と比べて信州は違うなと感じるが、それでも直射日光を受けると暑い。屋根のあるベンチを探すと、遊覧船乗り場の前に空きがあったので陣取る。諏訪浪漫ビールは諏訪の老舗の蔵元である麗人酒造が手がけており、霧ヶ峰の伏流水と上諏訪温泉の源泉をブレンドした仕込み水を使っている。今回いただいたのはケルシュの「しらかば」。

しばらく涼んでいると、遊覧船が14時30分に出航するという。一周25分のミニクルーズ。そういえば、この遊覧船には乗ったことがなかった。もうこの後は松本、長野に移動するだけだから、せっかくなので乗ってみることにする。運航するのは2020年春に就航したばかりの「スワコスターマイン」号。船上パーティーや貸し切りイベントにも対応できるように、固定された座席は最小限にしているが、その分開放的である。特に2階のデッキは360度の展望を楽しむことができる。

この日は天候もよく、所々に雲も出ているが、周囲の山々の稜線もはっきりと見ることができる。四方の山々を一度に見ることができるのは、湖の上ならではである。25分という時間も短すぎず長すぎず、ちょうどよい感じだった。

これで諏訪湖周辺の立ち寄りを終えて、駅に戻る。次に乗るのは15時23分発の松本行き。さすがにホームの足湯につかるだけの時間はなく、そのまま向かい側のホームに渡る。冷房のほどよく効いた車内、松本までしばしウトウトしながらの移動である・・・。

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中央西線を行く~信州へ

2020年09月04日 | 旅行記C・関東甲信越

8月29日、近鉄で名古屋に到着して、JRとの連絡口からホームに向かう。構内コンビニの新聞コーナーでは、どの紙面も大きく「安倍首相辞意表明」の見出しが並んでいる。

8時15分発の快速中津川行きは、東海道線の遅れにともない、乗り換え客を待ったため3分遅れで発車する。この先、駅を発車するたびに遅れのお詫びをするので、車掌も大変である。

また大変といえば、駅が近づくたびに、日本語で放送するのに加えて「うぃうぃるびー すとっぴんぐあっと つるまい。ざ らいとさいどどあ うぃるおーぷん さんきゅー」とベタに日本語読みの英語で言わなければならない(単語の並びはたぶんこんな感じ)。いまどき、「次は◯◯です」という放送すら自動音声でいう鉄道会社のほうが多いと思うのだが、どうだろうか。英語だって本場の方に吹き込んでもらったほうがわかりやすいだろう。

しばらくは名古屋近郊の住宅地を抜け、岐阜県の県境が近づく。長いトンネルが繰り返しあり、その合間に定光寺、古虎渓という渓谷ムードの区間を走る。かつては高蔵寺から多治見の間には大小14のトンネルがあったが、1966年に愛岐トンネルが完成し、合わせて複線電化となった。大阪近郊でいえば山陰線の保津峡や福知山線の武田尾辺りと似たようなものといえる。かつてのトンネルの多くは近代化遺産として保存されていて、春と秋には特別に公開されている。某旅行会社のサイトで、大阪~名古屋間は旅行会社専用列車で往復、ウォーキングでトンネルを見学するツアーというのを見たことがある。紅葉の名所だという。

土岐市では明智光秀関連のスポットを紹介する看板が出ているし、恵那から分岐するのは、この日の行き先の候補の一つだった明知鉄道である。この辺りは2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀ゆかりの地である。大河にあやかった観光ブームに乗りたいところだったが、この状況である。撮影中断を経てようやく9月から話の続きが始まるそうで、NHKでも「麒麟は必ずくる」などとやっている。ちょうどその頃だと「菅がくる」タイミングのようだが。

いつしか名古屋を出た時の遅れは解消したようで、9時32分、中津川に到着。次の松本行きは10時ちょうど発だが、中津川まで来た客の多くが「その筋の人」で、2時間に一本の運転、短編成となると席を確保しなければと、長年の癖から焦ってしまう。改札からは出ずに、ホームの乗車目印に陣取る。側線にロングシートの211系が停まっているが、あれが来るのかな。

特急「しなの5号」がガラガラで先に出た後、果たして側線の211系3両編成がやって来た。これがボックスシートや転換クロスシート車なら、この先2時間座れるか、進行方向のどちらに座るかを気にするのだが、ロングシートならもうどちらでもよい。普段の通勤電車のように座れるかどうかだけだ。幸い、その筋の人が多いといっても通勤電車にはほど遠く、並んでいたほぼ全員が着席できた。

ただ、この区間はクロスシートで通りたかった、あるいはクロスシートが来るものだと思っていた客も多いようで、当てが外れた形だがやむを得ず飲食物を広げる光景が広がる。列車が動き出すと、缶ビールのプシュッという音をさせる人がいるかと思えば(一応、周りをはばかってか缶にタオルを巻いて隠していたが)、私の隣に座っていた人は地酒の300mlの瓶をラッパ飲みを始めたり・・・飲み鉄ばんざい。

この先は木曽川と国道19号線が並走する。ヒノキをはじめとして森林が豊かなところで、沿線には材木が積まれているのを見る。

また木曽川は水力発電の大いなる源であり、長野、岐阜両県で30ヶ所以上の水力発電所が稼働している。車窓からもその姿を見ることができる。水と森林、木曽は多くのものをもたらしてくれる。

森林といえば、木曽には材木運搬を目的とした森林鉄道が何本も走っていた。最盛期には総延長が400キロまで及んだそうだが、道路が整備されるとトラック輸送に変わり、いずれも廃止された。現在は赤沢森林鉄道のように観光スポットとして保存されたり、かつての車両が展示物として残されたりしている。上松駅の裏、かつては材木置き場だった場所にも、王滝森林鉄道で活躍していた機関車、材木を載せた貨車、そして小ぶりな客車が保存されている。客車といっても旅客輸送というよりは、関係者を乗せるのがメインだったのだろう。

ロングシートの旅とはいうものの、途中の駅で下車した人もいて、シートにも適度な間隔が開いている。結局はロングシートに横向きに座る時間も多かったので、景色も見えたしつまらないこともなかった。

11時51分、塩尻到着。列車は松本行きだが塩尻で14分停車して、甲府から来ていた11時57分発の松本行きが先に出る。松本に行くのならそれに乗り換えても、中津川からの列車にそのまま乗っていてもいいのだが、ふと、別に松本まで急いで行かなくてもいいのではないかという気持ちになった。

ちょっと寄り道するか。ちょうど、11時58分発の甲府行きがある。大阪からだと山梨県に行く機会はなかなかない。いっそ甲府まで行ったろか。いや待て、小淵沢から小海線に乗るのも面白そうだ。いずれも久しぶりの地域、路線である。

ただ一方で、暑いのだから温泉でさっぱりするのはどうかという思いも出てきた。温泉に浸かり、浴後は湖畔でビールを一杯・・・これもいいかな・・・?

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青春18きっぷで残暑の東へ

2020年09月03日 | 旅行記C・関東甲信越

お盆時期の中国観音霊場めぐりから少し間が空いて、8月29日。どこか日帰りで行くかなと金券ショップで買い足していた1回分の青春18きっぷ、これでどこかに行くことにする。

当初は、同時進行中の西国四十九薬師めぐりで遠方の札所に行くことになれば使うかなと見込んでいたが、7月はじめに弘川寺に行ったのを最後に、次の出番である京都大原三千院にまだ行けておらず、その次の行き先も決まらなかった。やはり夏の京都が暑いということで踏み切れなかった。

ならば、札所めぐりは外して、乗り鉄の旅に出るとしよう。中国地方はそういう事情で頻繁に訪ねているから、東がいいかな。名古屋から中央線に乗って岐阜の山中、あるいは信州に行くのはどうだろうか。久しく乗っていない。

恵那まで行って明知鉄道に乗るか、中仙道の宿場町を訪ねるか、松本城にでも行くかなどと、いろいろ考える。ただ日帰りならどこかのタイミングで折り返すことになり、大阪からの往路を東海道線、あるいは関西線にすると、中央線に乗るといっても途中の中津川から先の本数がなく、中津川を出るのが12時ちょうどとなる。これでは現地の滞在時間も限られる。松本まで行ってもすぐに戻らなければならない。

そこで、結局出費がともなうことになるが、次の方法を取る。

往路・・・近鉄特急に乗る。大阪難波からの始発である6時発の便は「ひのとり」ではないが、名古屋到着後、中央線乗り継ぎで中津川10時ちょうど発につながる。2時間あれば行動の幅が広がる。

復路・・・信州のどこか(おそらく松本)で郷土料理で一杯やる。その後で、夜行バスで大阪に戻る。選んだのは、長野駅23時15分発の京都、大阪、神戸、USJ行きの長電バス。他には松本発の大阪行きの阪急バスがあるが、夜遅くに出て大阪に早く着くために長野発を選択した。

近鉄特急、長電バスとも席は十分空いていて、前々日でもシートマップから選び放題だった。夜行バスについては前後、隣が空席の番号を選ぶ。この時の空き具合を見て、この後に私の前後、隣の席をわざわざ選ぶ人はいないだろうという席にする。ただ、当日どうなるか。

ともかく、名古屋を経て松本までは乗り継ぎで行くことにして、その後は長野駅23時15分発まで「自由行動」とする。明知鉄道と木曽の宿場町には申し訳ない。

翌日出発という中、28日に安倍首相が突然の辞意表明。ニュースはそれ一色となった。まあ、鉄道は変わらず動くので、その所感は近鉄特急の中から投稿することにして眠る。

・・翌29日朝、大阪難波駅に現れる。乗るのはアーバンライナーのデラックス席。3月の「ひのとり」登場、そして車両数を増やす中で、名阪特急の主役を離れた感はあるが、気を使わず過ごせる車内は捨てたものではない。これからは停車駅の多い特急での運用が増えるとのことで、まだまだ頑張ってほしい。

デラックス席に限れば、大阪難波からは私を含めて2人乗車で出発、途中の大和八木から1人、津から2人が乗っただけ。空いているといっても、世の中のこの状況下では手放しでは喜べないだろう。普通車にはそこそこの数の乗客がいたようだが。

2時間あまりをリラックスして過ごし、8時06分、名古屋に到着。次に乗るのは8時15分発の中央線快速中津川行き。近鉄とJRの連絡改札で青春18きっぷの日付印を押してもらい、これから中央線である・・・。
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新潟にて年越し

2020年01月13日 | 旅行記C・関東甲信越

強風の羽越線から新潟に戻ったのは17時半を回ったところ。1時間遅れの特急「いなほ10号」から同じホーム上で上越新幹線への接続を取っていたが、私はここで宿泊のため駅の外に出る。

この日の宿泊は駅近くの「新潟第一ホテル」。シングル料金でダブルルームに宿泊できるお得なプランを見つけた。他にも大浴場があるし、同じ建物の1階にローソンもある(宿泊客は部屋着で利用可)。

さて新潟で年越しなのだが、夕食は駅前でいただくとしてその後どうするか、年が変わる瞬間をどうやって迎えるか、実はここに至って決めかねている。

旅のプランニングをする中で目についたのが、越後の一ノ宮でもある弥彦神社への二年参り。これに便利なのが快速「行く年令和元年」と帰りの「来る年令和二年」という初詣列車。「行く年」は新潟を21時54分に発車して越後線~弥彦線と走り、23時23分に弥彦着。「来る年」は弥彦を1時32分に発車して2時32分に新潟着。弥彦滞在は約2時間。弥彦神社にはかなり以前に一度お参りしたことがあるが、駅から徒歩10~15分くらいかかったと思う。ただ二年参りはかなり混雑するのではないかと思う。拝殿前に並んだはいいが帰りの列車に間に合わないというのは困る。

対抗は、弥彦まで列車で行かずに新潟市内の中心部の神社。新潟でもっとも初詣客が多いという白山神社がある。こちらは1000年の歴史を有する由緒ある神社。また市内にはもう一つ新潟県護国神社がある。創建は明治と新しいが、日付をまたいで「年越神輿渡御」の行列があるという。翌日1月1日は朝から列車に乗って移動してしまうので、お参りするなら二年参りである。いずれも駅から距離はあるが、まあ歩けない距離でもない。

この辺りを決めかねたまま、とりあえずこのまま日付が変わってホテルに戻ってもいいように支度をして外に出る。向かったのは駅前の「越後番屋酒場」。この店を予約していたために、遅れての運転となった(であろう)「海里」の指定席を放棄した。

店は民芸風の構え。わざわざ予約したのは、1年前に新潟に来た時に満員で入れなかったからである。訪ねたのが元日の夜で、営業している居酒屋というのが限られていた。そこに年始の客が集中したものだからどの店も軒並み満席。この店も秒殺で断られた。だからというわけではないが、グルメサイトからでも予約が可能だったので決め打ちしていた。果たして訪ねた時は同じように「満席」の札が出ていた。

さて畳敷きで椅子が並ぶカウンターに通される。まずはお通しということでエイヒレ(自分で七輪であぶっていただく)と豚肉の陶板焼き(火をつけて、頃合いを見て店員がふたを取る)が出る。そして刺身の三種盛り。三種だったがサービスとしてもう二種が追加で出てきた。

「ここ一軒で新潟県・土産土法」というのが店の売り文句だが、新潟県は広い。本土ではなく佐渡まで含まれるものだから食材の幅は実に広く、メニューを見てもどれを注文すればよいか迷ってしまう。後になっては(マグロ、カンパチ、サーモンのような大阪の居酒屋でもいただける)刺身盛り合わせよりも郷土料理をもっと注文すればよかったかなと思うし、こういう時に一人旅の限界を感じる。誰か相手がいればシェアしながら幅広く注文できるのだが・・。

前日は長岡でも郷土料理はいただいたということで、それにないものをいただくことにする。それでも栃尾揚げ(納豆入り)は二夜連続での注文となった。

あんこうの竜田揚げ。あんこうと言えば茨城や福島のイメージだが、新潟も佐渡や糸魚川では名物なのだという。そういえば一昨日に糸魚川に泊まった時、食べることはできなかったが市内の料亭やドライブインではあんこう料理のキャンペーンをやっているというポスターがあった。

幻魚の干物。日本海にすむ深海魚で、実物は見た目がヌルヌルしてちょっと抵抗があるが、干物にして焼くと実に美味い。それと氷頭なます。鮭の頭の軟骨の酢の物で、コリコリした食感がいい。

いつしか、店員の一人がカウンターの向こうに立ち、笠をかぶる。そこに流れてきたのは佐渡おけさのメロディ。なかなか仕草がサマになっている。この実演は毎日行われているとのこと。

日本酒は新潟の地図とともにこれでもかと並ぶ。メニューには各酒蔵のレギュラー銘柄で100種類くらいあったのではないか。正に「ぽんしゅ館」状態だが、店での注文なのでいずれも1合790円均一。さらに特別なものとなると1合だけでなく4合瓶での提供もあるが、そうなると価格も4ケタになる。今回は「越後鶴亀」、「峰乃白梅」をいただく。

郷土料理、酒のアテということでまたメニューを見る中で目に留まったのが、メダカの佃煮。別名はウルメの佃煮ともいうが、あの絶滅危惧種とされるメダカを食べちゃっていいのかと思う。

そこは郷土料理。雪の多い新潟、特に中越地区では田んぼや水路にいるメダカは冬の貴重なタンパク源で、佃煮にしたり味噌汁の具にしていたという。今でも見附市あたりでは食べる風習があるそうだが、最近は高級食材として郷土料理店のメニューになったり、瓶詰が売られるようになったという。ちょっとした苦味がメザシの味にも通じて、ウルメというのも言い得ているなと思う。これが酒によく合う。なお天然のメダカは絶滅危惧種とされているが、佃煮のメダカは厳密には種類が違うもので、かつ食用に養殖したものとのことで、その辺りは問題ないようだ。

水族館の大きな水槽で海の魚が泳いでいると「刺身にすると美味いんだろうな」とイメージすることがあるのだが、今後は水槽でメダカが泳いでいるのを見ると「佃煮にすると美味いんだろうな」という新たな想像を働かせることになる。今回の旅ではいろんな食材をいただいたが、インパクトではメダカの佃煮がMVPである。

締めはへぎそば。これで年越しそばということにする。これも歯ごたえがよく美味かった。

新潟県の各エリアから代表させるように注文したが、このあたりでお腹、財布の両面でお開きにする。他にももっといただきたいものはあったが、店そのものにはすっかり満足して後にする。もしまた新潟の夜を楽しむことがあれば続きを楽しみたい。最後は店員が火打石を鳴らして送り出してくれる。

さて時刻は21時前。これから弥彦神社なり白山神社なり行くことができるのだが、結局は「もういいか」とそのままホテルに戻ってしまった。この日は移動が続いたからか、最後は部屋でゆっくりしたいという気持ちが勝ったようである。まあ翌日も初詣の機会はある。

テレビだが別に紅白もダウンタウンも格闘技も見るつもりはなく、持参のパソコンにて旅行記の続きを書く。ただそのうち眠くなり、ベッドに入る。日付が変わり新たな年になった時には、すっかり夢の中だった・・・。

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長岡から村上へ、乗り鉄の大晦日

2020年01月08日 | 旅行記C・関東甲信越

12月31日の大晦日、この日も乗り鉄である。今回の年末年始旅行は観光の要素はほとんどなく、乗ること、飲むことのウエイトが高い。

まあ、年末年始は博物館や美術館などの見学施設が軒並み休館だから・・などと言い訳する。そんな中でも寺社仏閣は行くことができるし、新潟にはかつての豪農の館を開放した北方文化博物館といった年中無休の施設もある。一時は長岡から新潟までそうしたところを廻りながら1日がかりで行こうかとも検討したこともある。

ただ今回は鉄道メインの旅を選んだ。カギになるのは2019年秋にデビューした観光列車「海里(かいり)」である。「きらきらうえつ」の485系車両の置き換えでハイブリッド気動車で運転される。今回の旅で乗るとすれば大晦日か元日か、そして新潟から酒田行きか、酒田から新潟行きかという組み合わせの中からである。

結果をいえば、思い立ったのがに指定席前売り開始から数日後だったためにすでに満席の便が大久野島、大晦日の酒田発新潟行きの指定席、それも山側の席を押さえるのが精一杯だった。それでも、ちょうど1年前に暗闇の中をたどった「きらきらうえつ」が新しい列車になったことで、乗り比べは楽しめる。車内では庄内や新潟の食を楽しめるスペースもあるそうだ。ということで、長岡から遠路酒田を目指すことになる。そして夕方に新潟に戻って宿泊だが、大晦日から元日にかけての年越しということで、二年参りに行くことも検討中である。長い1日になりそうだ。

まずはその前に朝食、ホテル内の大浴場での朝風呂の後に向かう。6時半から開いているのはありがたい。バイキング形式のメニューの中に、新潟の味ということで栃尾揚げ、へぎそば、たれかつ、のっぺ、鮭漬け焼きなど代表的なメニューも多数並ぶ。ついあれこれ取ったが、新潟に来たことを満喫できるだけの中身で満足だった。

長岡からまずは新潟に向かう。乗るのは7時22分発の快速「おはよう信越」である。全車指定席で別途料金がかかるが、E653系という特急車両に乗れる。指定席は前日に購入していた。平日は通勤客の利用も多いのだろうが、大晦日の朝だからか4両編成の各車両には数人ずつしか乗っていなかった。

この時間帯に快速が走るのは、時刻や列車形態は異なるがかつての大阪発新潟行きの急行「きたぐに」の名残かとも思う。ボックス席の自由席からグリーン車、三段式B寝台、A寝台までバリエーションに富んでいた列車で、私も懐かしく思う。

長岡を出た時点では雨や雪はないが、風はそれなりに強く、雲が流れるのも速く感じる。天気予報では北日本の日本海側は荒れるとのことだが、大丈夫だろうか。

羽越線、磐越西線が分かれる新津を過ぎると沿線の住宅も増えて、8時35分、新潟に到着。新潟駅は現在高架工事中で、2021年度中の完成を目指している。着いたのは仮設の8・9番ホームで、信越線、白新線の普通列車が発着する。

次に乗るのは8時54分発の村上行き。これで村上まで行くと酒田行きの普通列車に接続する。酒田まで行くと帰りの「海里」の発車まで3時間半近く空くのだが、次の鈍行だと酒田発に間に合わないし、まあその時間はどうにかして酒田でつぶすつもりである。

その村上行きは同じホームの向かい側に停車していた、E129系の4両編成。この形式は2両タイプと4両タイプがあるようだ。4両だからだろうか、各車両ともゆったりと座ることができる。

白新線はまずは新潟貨物ターミナルの横を抜け、近郊区間を走る。幅の広い阿賀野川も渡る。

西新発田という駅に着く。元々は田んぼの中にあった駅のようだが、進行右手はその景色の一方、左手はイオンモールをはじめとした大型店が並び、下車する人も多かった。この時間なので買い物客か従業員なのかはわからなかったが、駅とイオンモールが近いというのはローカル線にあって貴重なアピールポイントではないかと思う。

新発田から羽越線に入る。隣のボックスには、新潟からはロングシートにいたが席が空いたので移ってきた年輩の男性二人が陣取る。ペットボトルや水筒で「偽装」しているようだが、中身は日本酒か焼酎のいずれかである(「見た目、全然わからんやろ」と話していた)。鉄道のうんちくについて話し合っていて、この後、坂町から米坂線で米沢方面に抜けるようだ。ただ米坂線の列車まで時間がかなりあるが、いったん村上まで行って少しぶらついた後、午後の米坂線に乗る様子だ。

風力発電所の風車、防風目的の鉄道林が並ぶ。雪はそれほどではないのかもしれないが風は常に強い一帯なのだろう。

風が強いといえば、車内でふと見た運行情報で、「いなほ1号は強風のため、酒田~秋田間運休」というのを見た。「いなほ1号」は先ほど新潟に着く手前ですれ違った列車だが、やはり天候の影響が出て来たか。なお他の情報を見ると、新潟から佐渡の両津に渡るフェリー、高速艇も便によってはすでに運休が決まったものもある。この先どうなるだろうか。

村上が近づくと雨模様になった。到着前に信号の関係で徐行する。まあ、これは遅れではなくダイヤの範囲なのだろう。酒田行きは同じホームの前側から発車とのことで、より慎重になっている様子だ。乗り換え客は列車の前寄りからというので運転席の後ろに移動して前の様子を見る。雨の向こうに酒田行きの気動車が停まっているのが見えて、少しずつ姿が大きくなる。そしてその姿がはっきりしたところで、思わず心の中でうなる。

まさかこういう展開になるとは・・・という大晦日の乗り鉄については次の記事にて・・・。

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長岡で「会おうれ」

2020年01月07日 | 旅行記C・関東甲信越

宝徳山稲荷大社へのお参りから長岡に戻る。30日は長岡駅前の法華クラブに泊まる。

長岡駅から街中には歩道橋で結ばれているが、屋根、壁が完備されていて雨や雪に濡れることはない。また商店街の歩道も昔の雁木造りの名残でしっかり覆われている。歩道橋の柱ごとに、バスケットボールのBリーグのアルビレックス新潟BBの選手が広告塔のように紹介されている。新潟、アルビレックスといえば野球のBCリーグ、サッカーのJリーグのチームがあるのは知っていたが、バスケもあるのか。それらが「アルビレックス」という一つのブランドとして新潟に定着している。

その先には「アオーレ長岡」という施設がある。最初に目に飛び込んできたのがこのイルミネーション。

この「アオーレ長岡」、長岡市が街の交流拠点として整備したスポットで、長岡市役所本庁舎、アリーナ、市民交流ホールを備える。先に出たアルビレックス新潟BBの本拠地はここのアリーナだとか。またさまざまなイベントもここの広場で行われて、長岡で賑わう場所という。「アオーレ」という名前は長岡弁で「会いましょう」という意味の「会おうれ」からつけられたそうだ。

さてホテルにチェックイン。ここまで直江津の駅弁を持ってきたが、それらは「二次会」として、せっかくなので長岡の居酒屋に行こう。

ちょうど駅前の角にある「いさり火」という店を見つける。地元のチェーン店で「昭和23年創業 地元の居酒屋」という看板が出ている。開店直後だったのですんなり入れたが、その後間もなく地元の人たちで満席となった。グループで先に来た人が電話で「いさり火に居るよ」と言うだけで通じていたくらいだ。

日本各地の漁港からの魚が売り物のようだ。そんな中で越後の名物を味わうとする。まずはのっぺと栃尾揚げ(納豆入り)。のっぺは越後の郷土料理だが、地域によってつゆの味付けが違うそうだ。それでも根菜類での野菜摂取にぴったりの一品である。

同じ新潟県でもエリアは異なる阿賀だが、この店では麒麟山という銘柄を推しているようだ(長岡では吉乃川が有名)。大河ドラマではないが、麒麟がくる、麒麟山を一杯いただく。そういえばビールもキリンだったっけ。越後で大河ドラマは天地人だろうが。

この後は越後妻有ポークの越後漬焼き(酒粕風味)や、日本酒によく合う鮭とばなどいただく。その昔「幻の酒」としてブームになった越乃寒梅も、「いさり火」ではその他大勢の酒扱いで気軽に飲める。

満足して店を後にしたが、そのままホテルに戻るところをもう一度駅に向かう。お目当ては長岡の「ぽんしゅ館」。越後湯沢、新潟に続いて2017年に開業したスポットで、コイン式でさまざまな酒の試飲ができる。

こちらに入るのは初めて。越後湯沢と比べれば酒の銘柄が若干少ないようだが、塩や味噌、さらにセルフお燗マシンがあるのは同じである。ここでもコイン1枚ずつ5種類いただく。いただいたのは「米百俵」、「越乃男山」、「上善如水」(越後湯沢に続いてのおかわり)、「真野鶴」。

最後に手にしたのはその名も「越路吹雪」。昭和のシャンソン歌手の名前そのものだが、最後に「ろくでなし」と言われた心持ちになっておしまいとする。越後湯沢の「ぽんしゅ館」はインバウンド含めた旅行客向けだが、長岡では地元の人らしいのが身軽な格好で立ち寄る感じもある。今回は建物が休みで訪ねることはできなかったが、「ぽんしゅ館」は新潟駅にもある。もし私が新潟や長岡に住む、あるいは通勤するとなったら、日常的に立ち寄るかもしれない(悪い習慣だが)。長岡にてさまざまな味覚に「会おうれ」することができた。

そこそこのところでホテルに戻る。法華クラブには大浴場もあり、光明石の湯でゆったりできる。そして部屋での一人二次会・・。

長岡といえばということで「吉乃川」も交ぜておく。

直江津駅弁の「磯の漁火」と「鱈めし」。自分で買っていて申し訳ないのだが、夜の長岡まで引っ張ったのが果たして良かったのかなと思う。わざわざ駅弁購入のために上越妙高まで足を延ばそうと考えるなど、ひょっとしたら自分で期待値を上げすぎたかもしれない。いや、単に食いすぎということなのだが。

これで旅の前半2日間を終えて、翌日の大晦日はさらに北に向かう。大晦日から元日にかけて荒天との予報が気になるのだが・・・。

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宝徳山稲荷大社

2020年01月06日 | 旅行記C・関東甲信越

越後湯沢始発の13時13分発の上越線長岡行きに乗る。やって来たのはE129系という初めて乗る形式である。

新潟地区の電車区間(信越線、上越線、白新線、越後線など)の車両といえば長く115系が占めていた。独自の塗装を施したりシートを張り替えたり寒地らしくドア横に風よけのパネルがあったりしたのだが、2014年にE129系が導入されて以降、順次置き換えが進められた。現在ではごく限られた車両数、運用になっているという。私が鉄道旅行をやりだした頃には各地の幹線やローカル線でバリバリ活躍していた「万能選手」も新潟からそろそろ全面引退という日が来るようだ。

一方で新しい車両には新しい車両の良さがある。今の車両だから全面ロングシートでもおかしくないのだが、E129は通勤輸送と旅行移動の両方取りをしているようだ。1両の半分がロングシート、もう半分がボックスシート4つのセミクロスシートである。このボックスシートも窓が大きく、従来より広く感じる。この旅でボックスシートの相席になる場面はなかったが、向かいに座った人との膝どうしが当たることもないだろう。

ガーラ湯沢は強風のためこの日は営業休止だが、沿線の他のスキー場はやっているようだ。リフトは動いているがあまり人の姿は見えない。私自身やらないので何ともいえないが、スキー人口そのものはこのところ雪国新潟県ですら大幅に減っているようだ。

話はそれるが、関西でも滋賀や兵庫の北部にはスキー場がある。ただ伝えられるのは雪不足。人工雪も使ってどうにか営業しているのが実情のようだ。その中で見たニュースだが、神戸市内の小学校では毎年県北でスキー実習を行っているが、半数近くの学校が実習の取り止めを検討しているという。学習指導要領の改訂で英語やプログラミング教育上などが導入されるため、授業時間を確保する必要があるそうだ。

ただ思うに、学習指導要領だけではなく、そうしたことじたいをしない、させないということが大きいのではないのかな。スキーで万が一ケガでもしたら学校の責任が問われるし、子どもたちも暖かい部屋でスマホをいじるほうを望むのだろう。時代といえば時代だ。

さて六日市を過ぎると雪もなくなり、曇り空の下を走る。只見線が分岐する小出を過ぎる。この時間では列車もなく乗り換え客もいないようだが、今や只見線はインバウンド客も含めた超人気ローカル線で、満員御礼が続くという。三陸で津波に遭った路線は永久にバス転換が決まったが、只見線は巨額の費用をかけてでも鉄道で復旧させるだけの「価値」がある路線である。

信濃川と合流して平野となり、14時31分に長岡到着。ホテルのチェックインには早いのでそれまでどうするかだが、先ほどの車内で行き先の見当をつけていた。

荷物をコインロッカーに預けて、14時43分発の直江津行きに乗る。新幹線から乗り継いで来たらしい客で混んでいる。目指すのは長岡から4つ目の越後岩塚。

無人駅のホームから見えるのは神社の屋根。ここが目指す場所、宝徳山稲荷大社である。

ここに来ようと思ったのは全くの気まぐれだが、実は20年近く前に訪ねたことがある。

当時入っていた旅行サークルがあるのだが、ある年の年末年始旅行で信越を訪ねることをメンバー内で明らかにしたら、その中のNさんから「実家が長岡なので泊まりに来い」と誘われたことがある。時刻表にてそのようにプランニングして、正月に長岡でNさんの実家に泊めさせていただくことになった。雪が積もる庭のある屋敷にお邪魔して、客分のくせにアホみたいに新潟の酒を食らったのを覚えている。正月早々迷惑な客だっただろう。

その翌日に、面白いところがあるとNさんがクルマで連れていってくれたのが宝徳山稲荷大社だった。雪の中に社殿の鮮やかな朱色の柱があったのを憶えている。今はサークルそのものがなくなったし、泊めていただいたNさんはその後同じサークルにいた女性と結婚したのだが今はやり取りもないし(そもそもサークルも消滅)、Nという名字もどこにでもあるものなので長岡で特定することも無理。まあ、昔の思い出ということでいいだろう。

その帰りに送っていただいた越後岩塚駅も何となく憶えている。宝徳山稲荷大社までは徒歩5分ほどで、少し坂を上ると境内の入口に到着した。巨大な鳥居が出迎える。

それにしても大きな建物だが、何やら怪しげな宗教組織に見えなくもない。それでも歴史をたどると起源は縄文時代までさかのぼるという。持統天皇の時代には越の国の一ノ宮の格式を持っていたそうだが、平安時代以降はあちらこちらに移り、現在地に鎮座するのは江戸時代後期だという。そこから増改築を繰り返して現在にいたるが、前回来たのが20年近く前で記憶がはっきりしないとはいえ、ここまで大きかったかなと思う。

道順に従い内宮に入る。初詣の準備が進められているが、祈祷も行われている。この先は撮影禁止のため画像はないが、ここではまず五色のローソクを供えるのが流儀という。高説を唱える神社の方から300円で五色が2本ずつ入った箱をいただき、神殿右手のローソク立てに向かう。説明板によるとローソクの色と並べる順は決まっていて、左から緑(身体健全、交通安全、学術増進)、赤(商売繁盛、金融順行)、黄(火難防止、五穀豊穣)、白(家内安全)、紫(心願成就)とある。火はどうするかというと、すでに立っている他の白のローソクで自分の緑のローソクをつけ、以下、赤、黄、白、紫とリレーしていく。他人のローソクから火をもらうのって、確か他人の業をもらうことになるとして、これまでの西国や四国の札所めぐりではタブーとされていたが、ここはそうしたことはないのだろうか(まあ、説明板にわざわざそう書いてあるから問題ないのかな)。

ローソクの色とご利益というと道教や陰陽道的なものを感じるが、宝徳山稲荷大社ではこういうものだろう。続いて左手のローソク立てにて同じように五色お供えして、最後に正面で手を合わせる。何だか勝手が違うが、これでお参りとする。

奥にはさらに巨大な、地上6階建てはあろうかという本宮がある。お社を通り越してビルである。ただ、冬の間は閉鎖という。最初は雪や凍結のためかと思ったが、春と秋の祭りを境として参拝場所を本宮と内宮とで入れ換えるのだそうだ。冬から春にかけては先ほどの内宮で祈祷も執り行うという。まあせっかく来たので外側だけでも見て行く。絵馬が飾られている一角があり、志望校への合格や安産祈願のお願いもある。その中には「私に親権が得られますように」という何やら複雑な家庭事情のお願いもあるのだが、まあそれらも含めてあらゆるご利益があるのがこの宝徳山稲荷大社なのだろう。

訪ねた時には地元の人らしい人がクルマでお参りに来る姿がいろいろ見られたが、ただ私には、やはり一神社の域を超えて、何かの教団の本部があるように見えてしまう(別にやましいことはしていないだろうが)。さらには少し離れて奥宮もあるが、それはパスした。

予定より早く動けたために一つお参りできたことでよしとして、越後岩塚から長岡に向かう。そろそろ外が暗くなってきた・・・。

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越後湯沢の駅ナカを楽しむ

2020年01月05日 | 旅行記C・関東甲信越

直江津から北越急行ほくほく線の普通列車に乗る。犀潟で信越線と分かれ、頚城の山中へと入って行く。ここまで来ても雪を見ることはない。

北越急行は元々は頚城地区に鉄道を誘致することを目的として計画されたが、その後さまざまな経緯があって上越新幹線と北陸を最速ルートで結ぶ高速鉄道として開業した。越後湯沢~金沢を結ぶ特急「はくたか」は時速最高160キロを出した。私も以前にこの特急に乗ったことがあるが、かなりのスピード感に頼もしさをおぼえたものである。

しかし2015年の北陸新幹線開業により、「はくたか」は新幹線の名称となり北越急行から特急はなくなった。もともと収入の多くが特急によるものだったため赤字ローカル鉄道となったが、それでも「はくたか」運転当時の「貯金」を運用するなどして財務的にはまだ安定しているそうで、ローカル鉄道ながらも「超快速」という高速列車を走らせたり、えちごトキめき鉄道への乗り入れを行ったりと利便性の維持に努めている。

そういえば先ほど乗ってきたえちごトキめき鉄道の列車の車体に、北越急行とのコラボをうたう広告がラッピングされていた。今のところは北越急行の車両がえちごトキめき鉄道に乗り入れるだけだが、設立の経緯は違うとはいえ同じ新潟県にある第三セクター線なのだから力を合わせる意味で一緒になってもいいのではないかと思う。

さて列車はまつだいから十日町を通る。多少雪景色になってきた。この辺りから乗車する客が多く、直江津を出た時はガラガラの車内も立ち客が出る盛況となった。

六日町から上越線に入る。宿泊地の長岡とは逆方向だが、いったんこの列車の終点である越後湯沢に向かう。この日は青春18きっぷを投入、先に直江津でスタンプを押してもらい、北越急行のきっぷは乗車前に六日町まで購入している。車内の運賃表示のディスプレイには「青春18きっぷは利用できません」というメッセージが何度も流れる。

10時54分、越後湯沢に到着。温泉やスキーで賑わうところということで駅前にも人が多い。この駅に来るのも久しぶりだが、駅前には新たに足湯もできている。なお、越後湯沢から上越新幹線が1駅季節運転するガーラ湯沢は強風のためこの日(30日)の営業を休止するという案内が出ている。

さて越後湯沢だが、ここはスキーをせずとも、また町中にでなくても駅ナカで結構な時間を過ごすことができる。というより、私の場合はこの「CoCoLo湯沢」に久しぶりに来るのが今回とったルートの目的といっていい。

観光客でごった返す中を抜けて向かったのが「ぽんしゅ館」。まずは「酒風呂 湯の沢」に向かう。天然温泉に酒風呂専用の日本酒を投入したものである。日本酒の成分の効果で血行を促進し、肌もスベスベになるというので評判という。浴槽も満員御礼だが出たり入ったりをする中で気持ち良くなる。

入浴の後は日本酒である。といっても居酒屋にどっかり腰を据えてというのではなく、利き酒コーナーの「唎酒番所」。新潟県内すべての酒蔵の酒を利き酒で楽しむことができるコーナーで、こちらも久しぶりに訪ねる。1回500円でおちょことコイン5枚をいただき、コインを利き酒マシーンに投入しておちょこ一杯分を楽しむものである。近年は外国人にも人気なのか、コーナーでは外国語も飛び交っているし、スーツケースを置くためのスペースもできていた。

それにしても、200近くの銘柄があるのでどれにしようか迷うところである。目安ということでスタッフお勧めの銘柄や、人気ランキングの上位銘柄が黒板に書かれている。後は醸造方法や、日本酒度、辛口か甘口かというそれぞれの紹介文に頼ることになる。

今回選んだのは「越後鶴亀」、「上善如水」、「八海山越後で候」、「お福正宗」、「越乃寒梅」。画像に「メダル1枚使用」とあるのにお気づきだろうか。かつてはどれもメダル1枚だったと思うが、このところはさまざまな特徴を出すために、限定版やスタッフお勧めについてはメダルも2枚、3枚と増え、多いのだとメダル10枚というのもある。メダル10枚といえばおちょこ一杯の利き酒だけで1000円。さすがにそこまでは手が出ない。

利き酒のアテとして各地の個性ある塩や、キュウリにつけて食す味噌もある。またこれも新たに出会ったのだが、セルフでお燗もできる。酒を注いだおちょこを、ヒーターで温められた湯の中に2~3分つけて引き上げる。そうすると冷やとは違った味わいが出る。これだけの銘柄があると、中には燗で飲んだ方がその良さがより引き出されるものもあるはずで、利き酒の時代はそこまで進んでいる。

私は作らなかったが、「全蔵制覇記録帳」というスタンプカードもある。コインを購入するごとに確認印が押され、何を飲んだかは自分でチェックを入れるというものだ。何事も収集、コンプリートしたくなる人の気持ちをくすぐるもので、見事全蔵制覇すると「ぽんしゅ館」内に名前が残される。すでに何十名かの名札が掲げられていた。

心持ちよくなったところで、「雪ん洞」へ。南魚沼産のコシヒカリでつくった爆弾おにぎりの店である。私はかつてここの「大爆おにぎり」をいただいたことがある。爆弾おにぎり1個がコシヒカリ1合、そして大爆おにぎりだとコシヒカリ4合である。大爆おにぎりの完食者は記念撮影をしてもらい、店内に飾られる。結構な数の方が「殿堂入り」しているのだが、その中にあって私の写真もまだ残されている。

もっとも、大爆おにぎりを2回完食したのも30歳代の頃のことである。40歳代になり、数年前に3回目として挑戦した時は途中でギブアップして、申し訳ないが残ったものも後で食べることもなく廃棄してしまった。知らず知らずのうちに年齢は重ねているものである。

「雪ん洞」を訪ねるのはその時以来で、もう大爆おにぎりに挑戦する気はない。それでも1個・・・いや2個ならいけるかなと、鮭、南蛮味噌それぞれ1個ずつ注文する。

それぞれ1個ずつ包装され、味噌汁が1個ずつつく。これをテーブルに置いて1個ずついただく。食べ方が悪いのか途中で形が崩れて、最後の方は箸を使って食べることになるのだが、体調がよかったのか美味しくいただく。爆弾おにぎりが4個という注文の仕方ならひょっとしたらいけたかも・・?

ちなみに、爆弾おにぎりではなく普通サイズのおにぎりも別の店でいただくことができる。

温泉、酒、コシヒカリ・・これで越後湯沢訪問を満腹満喫して長岡に向かうことにする。乗るのは13時13分発の長岡行きで、当初の時刻表プランより1本ないし2本早い列車である。その分長岡に早く着くわけだが、果たしてその後どうしようか・・・。

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糸魚川から直江津へ

2020年01月04日 | 旅行記C・関東甲信越

12月30日。この日は前日の快晴とはうって変わって、太平洋側は晴れ、日本海側は曇りまたは雨という典型的な冬の気圧配置となる予報である。ただ暖冬傾向のためか雪とまではならないようだ。

糸魚川で宿泊したホテルジオパーク。朝食は「簡易」朝食ということで、何種類かのパンとゆで卵、マカロニサラダのセルフサービス。これまでの宿泊記事を見ると、同じ簡易朝食でも焼き魚の和定食だったり、うどん・そばとおにぎりだったり、ホテル側も試行錯誤していることがうかがえる。パンそのものは美味しくてよかったが、人によっては物足りなく感じるかもしれない。ただ、気軽に買いに行けるコンビニが近くにないのも実情である(糸魚川駅のコンコースにセブンイレブンがあるが、コンビニというよりはキオスクの置き換え版という店構えである)。

この日は8時21分発の直江津行きに乗ることとして、それまで少し駅の周りを歩くことにする。まずは駅からの道をまっすぐに進んで国道8号線に突き当たったところの展望台に向かう。そこまで徒歩5分。糸魚川は「日本海に一番近い新幹線の駅」ということをさりげなくアピールしている。

ここは目の前にテトラポッドが並ぶ日本海、目を転じれば黒姫山など北アルプスの山々を見ることができる。海と山の景色を同時に楽しめるスポットだが、この季節である。ここに来て雨が落ちている。また日本海も前日のように穏やかとはいかず、色も暗く見える。

駅に戻る途中、商店街の一角に入る。昔からの雪国の知恵である雁木が広がる通りもある。

糸魚川といえば、2016年12月に大規模な火災が起こったことが思い出される。焼けたのが駅の北側から日本海にかけて、昔からの町の中心部だったところである。火元は町の中華料理店の火の不始末からで、周辺が雁木造りの通りや木造家屋が密集する一帯だったことと、強い南風にあおられたことで被害が大きくなった。幸い死者は出なかったものの、147棟に延焼、約4万平方メートルが焼失した。

現在は復興が進められ、被災した建物も再建されたり新たな区画整理も実施されている。商店街のメインストリートには、七福神にヒスイの女神である奴奈川姫を加えた「八福神」が並ぶ。火災では一部の石像が行方不明になったが、後の作業で無事に見つかり、今は町の復興を温かく見守っている。一日も早く福が舞い降りるのを願うところである。

さて出発のためにホームに向かうと、ホームの一部を切り取って行き止まり式にしている大糸線乗り場にキハ120が停まっているのが見える。前の記事では引退したキハ52について触れたが、大糸線も久しく乗っていない路線なのでまた訪ねてみたいものである。特に非電化の糸魚川~南小谷は列車本数が少なく、また過去にはしばしば河川の被害で運休になることがあったため「難所」のイメージがある。そんな中で、実は2019年の10月~12月31日まで(つまり、この旅の期間中も該当)、新潟・庄内エリアのディスティネーションキャンペーン「日本海美食旅」を契機とした沿線活性化のため、この期間限定で大糸線増便バスというのを出している。通常ダイヤなら途中駅までの折り返しを含めて9往復のところ、4往復のバスを朝、午前、午後、夜に運行し、区間も南小谷ではなくその先の白馬まで結んでいる。

実際にバスに乗ったわけではないので何とも言えないのだが、こうした「バスによる増発」で思い出すのは、廃止前の三江線である。便数を増やして利用客が増加するかの試みだったのだが、一面では鉄道を廃止してバス転換した場合のシミュレーションの意味合いもあった(結果的にそうなった)。大糸線の場合は観光キャンペーン期間内の利便性向上の位置づけだったが、果たして成果はどうだったか、また今後の大糸線に何か影響が出るのだろうか。

8時21分発の直江津行きは1両のワンマン運転。この時間だとさすがに青春18~第三セクター乗り継ぎの旅行者の数は少なく、海側の席に座ることができた。この先、海に近い区間を走るがやはり海の色は前日よりも暗く感じる。

トンネルも多い。その中にあるのが筒石である。この区間を通るたびに「越後つついし親不知」という、水上勉の作品および映画から来る厳しく暗いイメージを連想してしまう。物語は戦前の話で、北陸線は今のようなトンネルではなく海沿いの厳しい地形の中を走っていた時代。名立のゆるキャラがホームでお出迎えする現在とはもちろん時代背景は違うが、名前のインパクトというのは強いものがある。

9時02分、直江津に到着する。えちごトキめき鉄道、JR東日本、北越急行(厳密には犀潟から乗り入れ)の3社の車両が集まる要衝である。この先のコースだが、宿泊は長岡である。このまま信越線に乗り継げばスムーズに長岡に着くのだがいくらなんでも早すぎる。そのため、いったん北越急行に乗車して越後湯沢に出ることにしている。

一方で、直江津では駅弁を調達したい。以前にいただいた「磯の漁火」や「鱈めし」あたりがお目当てで、直江津駅前のホテルハイマートで作られるものである。ただ、北陸新幹線が開業してから販売の拠点が上越妙高駅に移ったということも聞く。ひょっとしたら直江津では駅弁が手に入らないかもしれない。

駅弁の販売について別に電話で訊くほどのことでもないが、前日までに時刻表を開いてコースを見たところで、9時44分発の妙高高原行きでいったん上越妙高に行くことにしていた。そして駅弁を購入して、次の列車でさらに新井まで南下する。するとその折り返しが11時03分発の北越急行直通の越後湯沢行きとなるのでちょうどよい。駅弁は昼食というより、夜の長岡まで持っていくつもりだが。

そんな中、乗り換えのために橋上の通路に出ると、心配をよそに駅弁の販売コーナーは健在だった。「鮭めし」にも食指が動くが、予定通り「磯の漁火」と「鱈めし」を調達。つまみ用の「するてん」まで手に入れた。そうすると別に上越妙高までわざわざ行かなくてもよくなった。のみならず、直江津から9時32分発の越後湯沢行きに乗ることができ、上記の予定より2時間早く動ける。それならばそのまま越後湯沢まで行ってしまおう。

2両編成の越後湯沢行きの車両はローカル仕様のボックス席。まずはガラガラなのでボックス席を占領する形で出発する。犀潟までは信越線の線路を走るが、ここからは一時北陸への最速ルートを形成していた路線で、今でも「日本最速のローカル列車」を有する北越急行ほくほく線に突入する・・・。

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糸魚川のキハ52

2020年01月03日 | 旅行記C・関東甲信越

北陸新幹線の長野~金沢間が開業したのは2015年3月のことで、もうすぐ5年になる。この新幹線開業とともに、北陸線の市振~直江津、信越線の妙高高原~直江津が第三セクターのえちごトキめき鉄道に移管された。糸魚川もその区間に含まれる。開業以降、新幹線とトキめき鉄道でそれぞれ1回ずつ通ったことはあるが、駅に降り立つのは初めてである。駅舎も立派な橋上式の建物に造りかえられた。

この日(29日)宿泊するのは駅の真ん前にあるホテルジオパーク。これまで糸魚川に泊まった時は駅前の老舗ホテル、駅からちょっと離れたルートインを利用したことがあるが、新幹線開業を機に新たにできたホテルである。実はこの日の宿泊地というのもあれこれ迷っていて、一時は魚料理込みということで先ほど下車した越中宮崎や、親不知にある民宿も候補に入っていた。ただやはりマイペースで過ごしたいということもあり、ビジネスホテルを選ぶことに。また糸魚川を通り越して直江津や高田というところも検討したが、たまたまネット検索で見つけたこのホテルに落ち着いた。なお現時点では公式サイトのみでの予約受付で、宿泊予約サイトでは出てこない。

部屋はシンプルな造り。私が宿泊したサイドの部屋からは駅舎を見ることもできる。

さて夜をどうするかだが、事前に調べたところでは糸魚川の駅前には飲食店街もあるそうだが、訪ねたのが日曜日ということで休みが多いようだ。事実、訪ねた時にはそうした店の灯りというのはほとんどついていなかった。これは予想通りということで、こういう時は近くの地元スーパーであれこれ仕入れて、部屋でのんびりするのも楽しみである。やってきたのは駅前の「ナルス」。ご飯ものは富山で「ぶりの寿し」を買っているからそれを充てるとして、刺身盛りや惣菜、つまみ、そして地酒も。特に地酒は銘柄や醸造法(純米酒とか本醸造とか)にこだわらなければ土産物店より安く購入できることがある。

※ちなみにホテルジオパークの1階には寿司屋がある。一品もので刺身の盛り合わせや天ぷら、から揚げ、地酒もあるがやはり寿司メインで値段はそれなりにしそう。今後の行程もあるのでこの日はスーパーでの買い出しとしたが、選択肢の一つにはなる。

先に集めたものを紹介すると、サッポロの新潟限定「風味爽快ニシテ」や、「加賀の井」、「根知男山」といったところ。また江戸末期創業の老舗蒲鉾店による、たらを原料とした「くしがたかまぼこ」もある。

その食事の前に、買い物袋をぶら下げてもう一度駅に向かう。そういえば新しい駅舎に、かつて大糸線を走っていたキハ52が保存されているというのを聞いていたからである。駅舎の山側に「ジオステーション ジオパル」という交流施設があるというのでそちらに向かう。

するといました、キハ52。今は新幹線の高架下に静態保存されているが、限定日には屋外に引き出されて展示されることもあるという。かつて使われていたレンガ造りの車庫も、一部だけが移築されて外に保存されている。

面白いのは車内が待合室としてそのまま開放されているところ。ちょうど訪ねる人もまばらで、車内の様子も撮影できる。このままシートに座って、何なら先ほど買ったビールを空けてもいいかなと思ったが、そこは「飲食禁止」の貼り紙がある。

大糸線のキハ52、私も現役時代の最後のほうに乗ったことがある。その時は確か3両在籍していて、それぞれが赤とクリーム色の国鉄色、青とクリーム色の横須賀色、朱色一色の首都圏色と分かれていて、訪ねた人たちがそれらを乗り比べたり、沿線で撮影にいそしんだりとした光景を思い出す(乗車記はこちら)。また引退後は1両はここ糸魚川、もう1両は津山の鉄道館、さらにもう1両はいすみ鉄道にて動態保存されている(乗車記はこちら)。こうしてシートに座るだけで懐かしがって満足だが、もうこれからこうしたタイプの実車に乗る機会というのは少なくなるのも事実である。

さらに奥には鉄道模型の巨大なジオラマがあり(有料で運転も可能)、北陸線や大糸線関係の懐かしの品々も展示されている。こうした鉄道の要衝としての歴史も伝えて行こうという取り組みを見ることができ、訪ねることができてよかった。

この後は部屋に戻り、上記の食材での夕食を楽しみ、持参のパソコンにて旅行記の続きを書く。周囲も静かな環境で、ゆっくりした一夜を過ごすことができた・・・。

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やはり宇都宮では餃子を食す

2019年08月23日 | 旅行記C・関東甲信越

BCリーグの観戦を終えて、東武宇都宮線と路線バスでJRの宇都宮駅に戻る。12日の宿はコンコースを渡った東口側にあるホテルサンシャイン宇都宮。旅行会社にJR宇都宮駅近辺でリクエストしたら手配してくれたところだ。建物は立派できれいだが、値段も結構する。普段の個人手配の旅なら宿泊の選択肢としたかどうかだが、まあ、これも褒賞のおかげである。充てられた客室は角部屋のようなところでちょっといびつな形になっている。普通の部屋よりは狭いのだろう。

さて夕食。このホテルには24時間営業のイギリス風パブが設けられていて、それはそれで好評のようなのだが、ベタな旅行で来たなれば夕食はやはり餃子だろう。それも繁華街まで出ずとも東口前で済んでしまうところがすごい。

東口前には「宇都宮餃子館」や「みんみん」の店舗が並ぶが、まず向かったのは「オリオン餃子」。このブランドの店に入るのは初めてだ。県内では宇都宮に2軒、小山に1軒の他、高崎、福島、富山にも支店があるそうだ。宇都宮餃子のブランドとしてどのくらい人気なのか、別に予備知識があったわけではなく、店頭に「餃子酒場」という文字が目に入ったのでドアを開けた。

メインは餃子とラーメンの二本立てだが、酒のアテの一品もいろいろある。その中で選んだのがもつ煮込み、そしてホッピーである。店員が「白?黒?」と訊くので「白」をお願いしたつもりだったが、来たのは「黒」。まあ、宇都宮でホッピー、それも黒。ええんとちゃいますか。当然、ナカのお代わりも。

肝心の餃子はといえば、スタンダードの「オリオン餃子」がベースで、つけるタレに違いを出しているのが特徴のようだ。宇都宮の味噌だれや、豚骨ラーメンのスープに餃子を入れていたりする。餃子とホッピー(それも黒)というのは、宇都宮ならではの組み合わせということで旅の味として楽しむ。

その中で一緒に注文したのが、パクチー餃子。餃子の上にパクチーを乗せ、さらにパクチーソースをかけた一品。定番料理がいきなりエスニックになった。パクチーは豚肉やニンニクとの相性が良い食材だそうで、口の中にもそれらがミックスされた香りが広がる。

これで1軒目として、続いては東口にある「宇都宮餃子館」に向かう。いくつか建物があるが、一番広いフロアの店に入る。ここも熱気がある。

こちらでは、スタンダードの「健太餃子」の他に「12種食べ比べ」を選択する。こちらは中の餡がそれぞれ異なっていて、健太、舞ちゃん、ニラ、ニンニク、激辛、どんこ椎茸、舞茸、チーズ、シソ、スタミナ健太、肉、エビの12種類。見た目ではどれがどれか区別がつかず、また並びも必ずしも上記の順番でもなさそうだ。口にして初めて味がわかるというのもゲーム性があって面白い。食べ比べの間にスタンダードの健太餃子を挟むと違いがよくわかる。

何やかんやで餃子店を2軒回ったところでおしまいとする。それでも餃子は30個食べたことになる。いいのかな・・・。

この日は東北を前にして宇都宮に宿泊。北関東も旅をした形となり、いよいよ13日、宮城県に入ることに・・・。

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まず目指すは宇都宮

2019年08月20日 | 旅行記C・関東甲信越

夏の旅、まず東北の前に訪ねるのは宇都宮である。8月12日、天気は晴れ時々曇りの予報で、雨の心配はなさそうだ。野球の雨天中止ではなく観戦中の熱中症を心配する必要がある。

この日は栃木県営球場で13時開始のBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブス対群馬ダイヤモンドペガサス戦を観戦する。

群馬は昨年も独立リーグ日本一、今年も前期東地区を制した強豪チーム。一方栃木は滋賀と同じくリーグ参入3年目だが、今季は健闘しているし、観客動員もリーグの中では多い。関西住みでは観られないそうした両チームの対戦をこの旅に組み込んだ。栃木県営球場は東武宇都宮線の西川田という駅が最寄りで、大阪からでも新幹線乗り継ぎで11時すぎには着くことができる。

予約していたのは新大阪6時33分発ののぞみ102号。これで東京まで出て、13分後の9時16分発・なすの255号に乗り継ぐ。東京での乗り継ぎが慌ただしいのが気になるところだ。

その中で新大阪に着くと、新大阪始発の6時16分発・のぞみ204号に間に合うタイミングだった。自由席の窓側にも空席があったのでこれに乗ってしまう。これで東京での乗り継ぎ時間が約30分に広がる。東海道新幹線では車内改札があるが、その際に座席指定を放棄する処理をしてもらうことができる。

朝の空気の中、関ヶ原を過ぎ、名古屋では多くの乗車があって自由席がほぼ埋まった。ただデッキに立つ客はいないようだ。これで後は東京に向かうだけだ。

いつも気になる富士山の眺め。この日は頂上あたりに雲がかかっていた。

品川を過ぎると東京での列車入れ換えの信号待ちとなる。結局3分ほどの遅れで東京に到着したが、もし元の列車に乗っていたらハラハラしたかもしれない。

東海道新幹線の改札からいったん在来線のコンコースに出る。駅弁のコーナーは大勢の人でごった返す。東日本を中心に各地の駅弁が並んでおり、見ていて楽しいのだが、実はここで駅弁より目当てにしていたのは、両国国技館の地下で作られている焼き鳥。しかし売り場にその姿が見えない。聞くところでは現在工場の都合で、東京駅での販売がないとのこと、あら残念。

その代わりではないが、レジ横には函館線森駅のいかめしが置かれているではないか。いかめしは駅弁だが、焼き鳥同様夜のつまみにも分類できる。思わぬ形で人気駅弁を手にすることができた(画像は、その夜に開封したところ。その後、いかめしをつまみに一献できた)。

東北新幹線のホームに上がる。列車を待つ客であふれる中、こちらのホームからの行き先もたくさんあり、東北、山形、秋田、北海道、上越、北陸、長野とバラエティに富んでいる。その中、東北・北海道と山形・秋田は連結されているので、東京駅ではお互いがつながり、2列車合わせて17両(10両+7両)という東海道新幹線より長い編成を見ることもできる。中央なら先頭部が連結された光景が目の前にある。東海道新幹線のN700系ばかりの光景とは対照的だ。

これから乗る、なすの255号郡山行きは各駅停車だが、はやぶさ+こまちの17両編成。それでも乗客は多く、指定席もほぼ満席である。東北新幹線に乗るのも久しぶりで、はやぶさタイプの車両に乗るのは初めてである。

改めて車窓を見る。東京の特に東北部は平野が広がる一帯で、「車窓の向こうに山が見えない」という久しぶりの景色を見る。関西だとこうは行かない。

それでも埼玉県から栃木県に入ると前方には山も見えてくる。10時09分、宇都宮に到着。日光への玄関駅でもあるためか、外国人の下車も目立つ。

JRの宇都宮から東武宇都宮までは距離がある。歩くなら適度な運動だが、ここは早く乗り継ごうとバスに乗る。東武宇都宮のほうが繁華街、中心街に近いのでアクセスは便利である。

宇都宮といえば、LRTの建設が進められている。コンパクトシティを目指すとして、富山などで導入されているLRTを取り入れて、2022年度に宇都宮駅東口から、東部の芳賀、高根沢地区を結ぶ路線を開通させるという。さらに将来的には、宇都宮駅を貫通して西側の中心部にも走らせる構想があるようだ。ただ一方で、LRTに対して宇都宮市は気合が入っているが、市民の反応は今一つというニュースも旅の前に触れている。富山を成功事例としつつも、宇都宮で同じように定着するのか懐疑的な向きも多いのだろう。まあ、LRTが開通する2022年度以降に宇都宮を訪ねるのも楽しみだ。どのくらい、街の個性が変わることやら。

・・さて東武宇都宮駅前。駅には夏の甲子園に出場している作新学院への応援のボードが貼られている。独立リーグの球場での食事情はわからないし、最寄りの西川田駅近辺にコンビニやスーパーもなさそうなので、近くのコンビニで昼の飲食物を仕入れる。この時間帯の東武宇都宮線は30分おきで、次に乗るのは10時52分発の栃木行き。4両編成のワンマン運転である。

列車で3駅、8分で西川田に到着。改札前には「カクテルの街 宇都宮」ということで、東武宇都宮線各駅を盛り込んだカクテルを表したパネルが並ぶ。カクテルよりも大ジョッキ、割り物ならホッピー&キンミヤ・・とは正反対の表現。そもそも、宇都宮がカクテルの街と呼ばれるようになったのはなぜ?

西川田駅から歩く。この先には栃木県営の運動公園があり、国体の会場になったのを機に整備されたそうだ。

その中で、栃木ゴールデンブレーブスを応援するポスターや幟を見る。この後の観戦もこんな感じなのかなと楽しみである・・・。

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新潟から夜行バスで帰阪

2019年01月19日 | 旅行記C・関東甲信越
元日の夕方18時半を回り、新潟に到着。ここまで来ると雪はなく小雨に変わっていた。

この夜22時05分発の高速バスで大阪に戻る。それまでの時間をつぶすわけだが、万代橋など街の中心部まで行くこともないかと、駅前で店に入ることにする。ただ元日の夜ということで休業の店もあるだろうし、開いている店も新年会と称して混雑しているかもしれない。これが17時頃なら空席もあるだろうが、18時半といえば人出も多い時間帯である。「きらきらうえつ」に乗るにあたりそこの点だけは気になっていた。

駅前に以前入ったことのある郷土料理店があり、まずそこをのぞいたがやはり満席。他にも何軒か海鮮系の店を当たるがいずれも満席。駅ビルのテナントをのぞいてみればよかったのかもしれないが、その時はそこに頭が回らなかったし、そちらも果たして空席があったかどうか。まあ、元々この旅は長岡、新潟を目指すはずだったのが、急展開で宇都宮~福島~山形を回る旅になり、最後にちょこっとだけ新潟に寄ることにした。その報いなのかもしれない。

駅前を回る中で「いっぱいいっぱい」という店があった。窓がガラス張りの大衆酒場という造りで、外からでもカウンター席が空いているのが見える。周りが混雑しているのにこの店だけ空席があるのは何か裏があるのかもしれないが、焼き鳥、焼きとんの店で日本海の幸や郷土料理とは行かないが、ホッピーがあるのに引かれてここに入る。何かのチェーン店だろう。

串の盛り合わせや、店の一押しという白レバ焼きなどを注文する。味はいずれも悪くない。唯一郷土料理としてあったの栃尾揚げもいただく。これらを相手に、まずは新潟限定のサッポロ「風味爽快ニシテ」をいただき、その後はホッピーで押していく。

新潟といえば日本で指折りの地酒ところであるが、元日の夜にホッピーで押す展開になるとは思わなかった(こういう店なので置いている日本酒が吉乃川くらいのもの――大阪の大衆酒場で日本酒は大関とか菊正宗くらいがあるようなものか――ということもあったが)。

他からの注文が重なっているためか、串焼きの時間がかかっているようだ。ただこの日はバスの発車まで結構な時間を過ごす必要があったため、料理を待つぶん長居ができたのはかえってありがたかった。結局19時すぎから入って、たっぷり2時間半を過ごすことができたのは良かったと思う。

新潟駅前の高速バス乗り場はターミナルではなく、普通の道路沿いのバス停である。行先表示を見ると昼行便は県内各地や会津若松、仙台、そして東京行きもある。新潟から東京といえば新幹線のイメージだが、やはり安く行きたいという需要もそれなりにあるのだろう。関越道で県内の各地に停まりながら池袋まで5時間とある。

バスは2台運行でやって来た。行きの大阪~宇都宮は2階建て車両だったが、今回は普通のハイデッカータイプの阪急バスである。2台運行だが満席とまではならなかったようで、3列シートの真ん中の席に空席が目立つ。運転手2名体制で、阪急の運転手だからか関西弁でやり取りしているのになぜかホッとする。路線名は「おけさ号」。また新潟にはいつの日かメインで来てみたいものである。

走り初めて1時間経たないうちに、北陸道の栄パーキングエリアで休憩となる。場所は燕三条と長岡の間でる。夜はこの1回休憩で、翌朝にもう一度休憩を取る。

この後は帰宅するだけだし、行きの2階建て車両と比べて揺れが少なく感じたのか、行きよりは多少は眠れたと思う。途中運転手交代か休憩かで停車していたところもあったが、もうスマホで位置検索もしない。

翌朝5時、名神高速の菩提寺パーキングエリアで朝の休憩。この日は順調に走っているようで、停留所の京都駅八条口には所定より20分以上早く到着した。その後は名神高速のバス停にも停まるのだが、残りの乗客全てが終点梅田までの利用ということで通過していく。結局そのリードを保ったまま、7時前に阪急梅田三番街バスターミナルに到着した。夜行バスで始まり、鉄道で北関東から南東北を循環し、夜行バスで終わるという乗り物づくしの年越し旅行も終わりである。

今回は関西からなかなか訪ねることの少ないエリアを回ることができたと満足である。中でも東北はご無沙汰のところも多いし、東日本大震災の被災地の「その後」も気になる。またこちらの方面にも関心を持ちたいものである(坂東三十三所や東北三十六不動めぐりは別として)・・・。
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