まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

時刻表"旅"検定結果到着

2007年08月31日 | ブログ

8月中旬に受験した「時刻表"旅"検定」の結果が到着。

結果は・・・・200点満点中きっちりと200点。

よっしゃっ!!

今回は「素直な」問題が多かったように思うし、90分で60問だったので、4択の中から一つ正解を選ぶだけでなく、残りの3つについても「ここが違うから、正解ではない」というのを一つずつ検証するだけの時間はあった。それでケアレスミスもなかったと思う。

本当の仕事もこのくらいの余裕と慎重さをもってやらなければいけないとは、重々わかっているつもりだが、それが実務に生かされていないのはどうしたことか。

それはさておき、平均点が181点ということで、平均点以上の人はみな「上級」認定者だが、これだ「第一種」試験の2級相当とは、ちょっと易しすぎるのではないか。本家時刻表検定で2級を取る人の率はグンと下がるというのに。

これで、昨年の第2種に続いての満点だが、ここで終わっていれば「稽古場横綱」に過ぎない。やはり本家の第1種で1級、あるいは博士号を取るにはもっと「何か」が必要だろう・・・・。

その11月の検定試験。時刻表検定試験ホームページではすでにネットでの受験申し込みを始めており、早速に申し込み。このところ、この検定試験にかこつけて「地方遠征」を行っているが、今年も東京を離れて、とある会場を申し込み。まだ2ヶ月半以上先のことだが、今から楽しみである・・・・。

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朝青龍モンゴル帰国に・・・

2007年08月30日 | ブログ

1ヶ月ほど相撲協会内部であれやこれやともめた「朝青龍問題」。結局高砂親方「同行」のもと、モンゴルに帰国して治療に当たることにする、ただし治療以外の行為が発覚すれば即刻解雇というところに落ち着いた。

で、帰国するというもの、ウランバートルの空港では一般人とは別ルートで入国したとか、高砂親方や主治医とは別のクルマでとっとと保養地に向かったとか、モンゴルの軍隊が護衛に当たるとか、「それでも謹慎かいな」という待遇であるというのが伝えられている。

この一連の行為に、レスリング上がりの野蛮な水ぶっかけの大阪選出の議員が(こんなのが文部副大臣になるんですね。よほど人材がいないのでしょう。こんな野蛮なヤツに教育行政を任せるほうがよほど世の末やと思いませんか?)相撲協会を批判するという動きがあるものの、いったいどうなっているのか、私にはよくわからない。議員連中もこういう時だけ口を出すなよな。

まあ、モンゴルでどのような動きがあるのかはこれから見守るとして、このまま「白鵬の一人横綱」というのは、興行的にはつらいだろうな。やはり「憎たらしいけど強い」というのが一人くらいいないと、興行的にはつらい。プロレスと比較するわけではないが、反則技を繰り出す悪役レスラーがいないとリングが盛り上がらないのと似たようなものだろうな・・・。

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奥久慈風っこ号

2007年08月27日 | 旅行記C・関東甲信越

P1010036常陸大子からの「奥久慈風っこ号」に乗車。先ほどキハ110系の展示会を見に行っていた時には引込み線でE130系と仲良く並んでいたのだが、高らかなエンジン音を立てながらホームに入ってきた。やはりいかにも「気動車やの~」という感じがする。

P1010038改札口で列をつくっていた乗客たちが、木製のベンチシートに向かう。私も指定席を当てられているのだが、ボックスの残り3席は小さな子どものいる家族連れである。なんだか、そういうところに分け入るのも気が引けるように思え、幸いにも車端部の、本来ならばフリースペースであろう2人掛けのベンチシートが空いていたので、そちらに陣取る。こちらのほうが気兼ねなく動き回れるという利点もあるしね。

P1010037ところどころ空席はあるものの、そういうところは残りの客がゆったり座るような形となり、常陸大子を発車。パンフレットを配っていた地元の人や、無料コミュニティバスの運転手さんが改札で手を振って見送ってくれる。

P1010040発車前は暑さをモロに感じたのだが、いざ動き出すと心地よい風が入ってくる。やはり、窓が開くのがいいやね。春先に内房線で「風っこ号」に乗ったときには窓が開かず、妙な心持になったこともあったので。やはりこの「風っこ号」という名前と、水郡線に広がる豊かな自然の風景というのがマッチしている。子どもたちの歓声と、鉄道ファンが一人でブツブツいう声もなぜかマッチしている・・・。

P1010050久慈川に沿う。川で遊ぶ子どもたちだけではなく、沿道にクルマを停めて撮影する人(中にはクルマで先回りしたのであろう、この後の区間でカメラを構えていた人もいた)や、川の中に足を踏み入れて撮影する人もいる。おそらくブログを検索すれば、そのときの一枚というのが見られるのではないだろうか。逆に車内でもあちこち歩き回り、車両の外に向けてファインダーを覗き込む人もいる。誰かいないかな、「沿道のカメラマンを撮影した一枚」というやつ。まあ、それだけこの「風っこ号」は注目の的なのであろう。列車の中と外で手を振り合う光景というのも、なかなか見られるものではない。

P1010055あまりスピードを出しすぎたら乗客にモロに強風が当たるということで、時速30~40キロくらいで進む。窓を開けて走るのであればこのくらいびスピードがちょうどいいかな。少しは真夏の暑さもしのぐことができる。

久慈川を何度も渡った車窓もいつしか開け、再び住宅の数が増えてきた。そろそろ、「風っこ号」の旅も終盤が近い。常陸太田への分岐駅、中菅谷で停車したが、隣のホームに停まっていた水戸行きを先に発車させるという。時刻表でもそのようになっている。このまま乗車していてもいいのだが、水戸からの常磐線上野行きの接続が1本(20分後)ずれるというのだ。水戸行きはE130系で、今度はガラガラで向かい合わせの席を一人で占領した。あとは水戸からグリーン車でゆったりと東京都まで戻るだけだ・・・。

P1010035今日のお出かけではさまざまな気動車に出会うことができた。特にE130系は今後の気動車というものに大きな影響を与えそうな気がした。また、ゆっくりと乗ってみたいものである・・・・。

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常陸大子にて

2007年08月26日 | 旅行記C・関東甲信越

P1010012常陸大子の駅に降り立つのは3度目。最初は水郡線の乗りつぶし、2度目は「駅からハイキング」で常陸大子の町並みと袋田の滝を訪ねた時である。町の中心部のことは印象に残っているが、今日はこれまでに行ったことのないスポットを訪ねることにする。町が運行する無料のコミュニティバスに揺られること15分ほどで、山間にある「森林の温泉(もりのいでゆ)」に着く。

P1010013こちらの温泉、「温泉浴と森林浴の両方を同時に楽しめます」というのが売りとか。それは広い露天風呂に表れていた。青空の下、周りを濃い森に囲まれ、セミの声に囲まれての入浴である。ただ、この日も真夏日。大子の町も盆地的地形なので余計に暑く感じる。そのためか、露天風呂の床が乾ききって熱い。歩くと足の裏が焼けそうで、湯の中のほうがまだぬるい?くらいのものである。いやそれでも、自然を感じられる一時であった。

再びバスで大子駅前に戻り、今度は町中を歩いて久慈川の「観光やな」に行く。「やな」というのは漢字だと「簗」と書くのだろうが、ひらがなだと関西人が「観光やなぁ」としゃべっているように見えてしまう。

P1010022P1010017このあたりでも川に浸かって鮎釣りを楽しむ人が多いが、その脇に同じく鮎や他の魚を捕らえるためのしかけがあり、これが「やな」だ。ただ今の時間帯は、子どもたちが川で遊ぶための格好の舞台となっている。素っ裸で川に浸かっている子どもや、わざと川に「流されて」やなにたどり着く子ども、少し離れたところでは石を投げて川の水切をする子ども。こうして見ていると、やはり子どもは元気なのがいいなと思う。そこには「子どもの夏休み」の風景が広がっていた。

P1010024この風景を見ながら昼食としよう。先ほど駅で奥久慈名物「しゃも弁当」を購入したのでそれを広げる。また、せっかく久慈川を目の前にしているのだからと、鮎の塩焼きを一本。いずれもボリュームがあり、肉の食べ応えがあった。しゃもと鮎。奥久慈の2トップである。

P1010029再び駅に戻り、今度は駅の裏手の車両区に向かう。こちらでは、E130系登場までこの線を走っていたキハ110系の展示会が行われていた。「ありがとう110系」というものである。展示会といっても1両を開放しただけの小ぢんまりとしたものだが、エンジンをかけて冷房も効かせているので中に入り、涼みがてら乗り心地を再度確かめる。シートのゆったり感とすれば、E130系よりやはりこちらに軍配があがるかな。

P1010034E130系の投入を、キハ110系の「老朽化」と紹介したものもあるようだが、まだまだ老け込む歳ではないだろう。現に他の地方ではまだまだ「国鉄型」が現役でがんばっているのだから。ただこの新型車両の投入により、水郡線のキハ110系が他に転出し、その地区の車両が置き換わるということになるのだろう。だからこの車両がなくなるというわけではないが、まあ水郡線にとっては「これまでありがとう」ということで。

さて、そろそろ「風っこ号」の時間も近い。それぞれに散策をしていた観光客もぞろぞろ駅に集まってきた・・・。(続く)

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水郡線E130系

2007年08月26日 | 旅行記C・関東甲信越

駅で配布しているパンフレットで「奥久慈風っこ号運転」というのを見つけた。「風っこ号」といえば、JR東日本ご自慢?のトロッコ型気動車で、東北・関東のあちこちのローカル線に登場しては、観光客を集めている列車である。私も只見線や内房線で乗車したことがあるが、なかなか楽しい列車だった。それが、奥久慈というから水郡線に登場である。「青春18」もあることだし、指定席の有無を尋ねると常陸大子からの水戸行きに空席があったので、出かけることにした。

水郡線といえば、この春に登場した新型気動車E130系もいかなるものか気になるところである。水戸発9時23分の郡山行きというのがあり、これで常陸大子まで行って、帰りに「風っこ号」に乗る・・・というプラン。

P1010002_1P1010006ということで、土曜日の早朝、JRの成田駅前に降り立つ・・・・って何で成田やねんと。自宅のある亀有からならば、常磐線の各駅停車から中電に乗り換えれば水戸までそのまま行くのだが、そこは単純な往復も面白くないなということで、水戸発9時23分に間に合うように遠回りしたのだ。亀有-我孫子-成田-佐原-鹿島神宮-鹿島臨海鉄道で水戸・・・。亀有を5時の始発に乗ることになったのだが、久しぶりの鹿島線で利根川の長い鉄橋を渡ったり、高規格設計の鹿島臨海鉄道の乗り心地を楽しんだのちに、水戸着。

P1010008水郡線のホームには早くもハイカー姿や鉄道ファンらしき客が大勢乗車口に列をつくっていた。そこにやってきたのがカラフルな3両編成のE130系。気動車といえば2つ扉のイメージだが、この車両は3つ扉。これを読んで、未だ乗車口表示のない「真ん中の扉」のあたりに並んだため、幸い席を取ることができた。すべての座席が埋まり、立ち客も大勢出た。また、3両のうち郡山まで行くのが先頭の1両だけということで、そちらは通勤電車のような状況になっていた。

P1010009腰掛けて改めて車内を見渡すと、うーん、JRのEナントカ系電車のシリーズと同じである。シートも同じように硬いやつである。実に大胆なことをやってくれたものだ。車内だけ見ると、東海道線とか高崎線などと変わらない感じがする。

P1010011 電車と同じ感じというのは、その走りにもある。これまでの気動車だと、発車の際、エンジン音が鳴った後、しばらくはゆっくりと動き、その後にぼちぼちと加速するのだが、このE130系、加速が速い。エンジンがうなったかと思えばもうスピードに乗っている。よく、非電化の路線の沿線に「○○線の電化実現を!」という看板を見ることがあるが、このくらいの高性能を持った車両が開発されれば、これから高い費用をかけて無理に電化工事することもないのかなと思う。汽車旅派の間ではかなり賛否両論ありそうなこの新型車両だが、地元の利用客にとってはサービス向上ということでいいのではないだろうか。

P1010041さて新型気動車は、奥久慈の自然の中に分け入っていく。黄色く身をつけた稲穂の中を走る。久慈川では鮎釣りを楽しむ人たちがいる。河原でバーベキューを楽しむ家族がいる。「夏」の風景・・・。

袋田で下車する人が多い。袋田の滝は四季それぞれの表情があり、涼を求めるにはちょうどいいだろうが、前にも行ったので今日はパス。次の常陸大子で残りの観光客とともに下車する。ホームではミニスカ姿の女子高生が「ご主人様お帰りなさい」・・・じゃなかった「大子へようこそ。お茶をどうぞ」と、下車客に麦茶を勧めている。また改札を出たところでは、今度は男子生徒がお茶を勧め、地元の人たちが大子のパンフレットを手に「どうぞお立ち寄りください」と呼び込んでいる。「風っこ号」運転ということで、町のほうも、高校生含めてボランティアだろうね、観光客の受け入れに熱心なようだ。

というわけで、戻りの「風っこ号」の発車まで、この大子で過ごすことにする・・・。(続く)

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地道にやらなきゃいかんということですな。

2007年08月24日 | ブログ

ネットでニュースを見ていたら、「誇大広告:サンダル履いてダイエット・・・2社に業務停止」という記事が目に付いた。

何でも、「サンダルを家で1日20分履いていただけで、2ヶ月で34キロやせた」とか、「着るだけで脂肪がみるみる燃焼した」とか、「クッションに座るだけで骨盤のゆがみを整え、肥満の原因を解消」とかいう広告やダイレクトメールを使い、2万5000人からの購入があったそうだ。

しかし購入者から消費者センターへの告発もあり、虚偽・誇大広告ということで、業務停止命令が出されたという。

うーん、ダイエットに関する商品は昔からあれやこれやと販売され、いずれも「効果がある」として一時はブームになるが、それがすぐに下火になったり、結局は業者ばかりが儲かる仕組みになっていたりと、この業界、結構山師的な商売を行っているものだ。

ただ、結局は「座るだけ」とか「着るだけ」とかいうのは根本的なダイエットにつながらないということで・・・・。ずーーっと言われている「食事制限と適度な運動」というのは、やはり本質的にスジの通ったことなのだ。(その意味では、ビリーズ・ブート・キャンプというのは本気でやれば効果のある代物なのだろうね・・・)

・・・やはり、地道にやらなきゃいかんということですな。

かくいう私も最近油断しているせいか、また体重が戻りそうな感じ・・・。

これではいけませんな。

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2試合連続の「スミ1」

2007年08月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

札幌で首位・日本ハムとの2連戦に臨んだオリックス・バファローズであるが、何と昨日の平野佳、今日の岸田と、先発が好投しながらも打線が全く手も足もでずに、2試合とも0-1のいわゆる「スミ1」での敗戦。今日も今話題のダルビッシュに完全にやられましたな。

うーん、これが実力の差、なのかな。打線が頑張っても投手陣が苦しみ、投手が踏ん張っても打線が振るわないという、完全な悪循環である。

3位圏内はおろか、またもや西武・楽天の姿が遠くなる・・・。ようやっと大阪に戻り、目の前の楽天戦。ここで3つ勝つくらいでないと、もうダメかな。

9月初めは千葉でロッテ戦があるので、天気がよければ今シーズン初の千葉マリンスタジアムへ行こうと思う。

・・・別に現実逃避しているわけではないが、ここ数日ほど、セガの「やきゅつくオンライン」をプレーしている。自分で選手カードを集めて、持ち点の枠内で自前のチームをつくり、他のユーザーのチームとオンラインでペナントレース(といっても自分で投げて打ってという操作はないが)を行うというもの。勝敗と内容によりポイントがたまるので、そのポイントでまた新たなカードを集めて・・・の繰り返し。経験を積めば持ち点が増え、それだけいい選手を多く使えるというものだ。

現在シーズン序盤で16チーム中11位と、そこそこの成績。成績しだいで上のリーグに上がったり、下部リーグに降格なんてのもある。今はまだ駆け出しなので「安い」選手を中心に使っているが、いずれは自前のオールスターなんてのも・・・・。

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よさこいランナー!!

2007年08月21日 | プロ野球(独立リーグほか)

帰宅後にネットであちこちのページを見ていたら、このような記事に出会った。

「高知FDに応援歌 サンプラザ中野

高知FD応援歌にサンプラザ中野の「よさこいランナー」。爆風スランプの「Runner」をアレンジし22日CD発売。」(高知新聞HPより 8月21日配信)

高知FDといえば、プロ野球独立リーグの元祖・四国アイランドリーグのチームである、高知ファイティングドッグスのことである。今やFDといえばフロッピーディスクではなく、ファイティングドッグスというくらいのものだ・・・(ってほんまかいな)。

おおっ、これは、最近独立リーグといえば北信越BCリーグのほうに注目が行っており、四国リーグのほうがすっかりご無沙汰になっている私のようなヤツに、「おんしゃあ、四国の試合に来にゃあいかんぜよ!!」というアピールか??

Yosakoi何でも、サンプラザ中野が「よさこい祭りにRunnerで参加したい」と口走ったのがきっかけとかで、そのきっかけにはファイティングドッグスの存在もあったとか。それで実際によさこいに参加し、「よさこいランナー」を披露し、それがウケて高知のFMでパワープレイで流され、それがファイティングドッグスの応援歌?として、CDリリースされるというのが、この記事を元に情報を検索した結果、わかったことである。

さらに検索すると、メンバーのファンキー末吉のHPに音源があったので再生してみたが、歌詞は基本の「Runner」のものだが、「よさこい節」のメロディーやセリフが入った作品になっており、実に「よさこい」バージョンですな。これはいいんじゃないの。実際にファイティングドッグスの試合でも流れているのかな?

高知か・・・。四国アイランドリーグ発足の年に高知での試合を見ようと思ったのだが、雨天中止で断念したことがある。その高知の試合も見たいし、カツオ料理やクジラ料理もまた味わいたいな・・・・。

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大鉄道博覧会

2007年08月19日 | まち歩き

Chirashi07今日は、かねてから行こうと思っていたイベントに出かける。両国の江戸東京博物館の企画展示で行われている「大鉄道博覧会~昭和への旅は列車に乗って」である。「鉄道の黄金期といわれる昭和30年代に焦点をあて、(中略)あわせて集団就職や通勤ラッシュ、貨物輸送や技術開発などのエピソードを取り混ぜながら、鉄道と社会の関係にも触れます」(同展示の図録=1800円=より)というのがこの展示のテーマのようで、そうして見れば昭和30年代で展示が終わっている同博物館の通常展示の「続き」といえるかもしれない。

さてこういうものは人出が予想されるから早く行くに限ると、9時30分の開館15分くらい前に博物館に着く。すると建物の入り口はすでに開放されており、10人くらいがチケット売り場に行列をつくっていた。この後で、何かの体験ツアーなのか、夏休み中の子どもたちの団体がロビーに入ってきた。前売り券を持っている人も多く、話には聞いていたけど大勢の賑わいである。やはり鉄道ものは客の食いつきがよい。

「大鉄道博覧会」だけなら1300円の入場料のところ、通常の江戸・東京ゾーンの展示とあわせれば1520円になる。江戸博の通常展示もところどころ品物が代わっているし、テーマとして何度来てもいいなと思っているので、1520円の共通券を購入。

9時半の開場時間となり、いざ展示室へ。蒸気機関車三重連の映像や、100年前に製作された軽便鉄道用の「下工弁慶号」の本物が出迎えてくれる。「わーいSLがいるぞ」「ほら、これがポッポーって走るんだぞ」と、子どもの歓声やお父さんの自慢の声が館内のあちこちから起こる。その合間を縫って何やら一人でブツブツいう鉄道ファンの青年も・・・・。

展示のほうは日本の鉄道建設の歴史を一通りさらった後に、昭和30年代の紹介に移る。往年の展望車(と同じ大きさにこしらえたセット)で記念撮影ができたり、当時の列車案内板や、三段寝台の実物を見ることができる。当時の映像や写真も織り交ぜられており、それらを懐かしむご年配の方も多い。そう、この博覧会、子どもから大人まで楽しめる企画になっているのだ。

昭和30年代となると子どもたちには理解できないことが多いのでは?とも思うが、それは心配ないようだ。何せ往年の名車両の模型が展示室の一片にずらりと並べられているのだ。昭和30年代の集団就職の列車の映像の内容はわからなくても、模型のかっこよさなら子どもでもよくわかる。普段見ている電車とは違うが、新鮮なものを見るように見つめていた。

この後は、高度成長時代を支えた鉄道の側面の紹介。技術的な進歩、通勤圏の拡大にともなう輸送力増強、物流を支えた貨物列車など、資料や説明文でなかなかためになることであった。また、別室では鉄道模型のコーナーも。そこで私の目を引いたのは、今の電車が走るレイアウトではなく、昔懐かしい風景をリアルに再現したほうのジオラマ。私の腰の高さのあたりに展示していたのを、思わずしゃがみこんで、視線をジオラマの中の人と同じ高さで全体を見る。本当にその模型の中に入ったかのような心持だ。今こういう風景、ローカル線でもJRではなく私鉄のほうに行かないとなかなかないよな・・・。今、デアゴスティーニの「週間○○」シリーズで、「鉄道模型」なんてのもあるし(レイアウト完成させるのに50号まで買わせるというのが商魂たくましいと思うが)、私も「鉄コレ」の車両や建物、貨車をそういえば押入れに眠らせている。また走らせてみようかな。

会場の外では鉄道模型、写真、書籍、DVD、その他グッズなどの売り場が設けられ、こちらも雑踏。ここで先に挙げた図録を買い求める。あと、駅弁のコーナーもあり、お気に入りの福井駅の「越前かにめし」を売っていたのでそちらも購入。

その中に、今話題とかいう「鉄子の旅」っての?あれのアニメのデモも流れていた。なるほどここで出てたのか、「130円東京近郊区間大回り乗車」がなぜ最近話題になっているのかの疑問が解けた。最近「鉄子」という言葉をよく耳にするが、正直「鉄子」っていう表現に個人的にものすごく違和感を感じる。女性だからって、他の趣味でそんな言い方するか? まあ漫画やアニメも表現方法の一つだから別にいいんだけど・・・・。

・・・とまあ、話が脱線してしまいそうだが。

展示の内容としては面白かったが、ネーミングが「大」鉄道博覧会ってのも、少し大げさかな。それと入場料。まあ企画展示の決まりなのだろうが、単品1300円は高い。500~600円くらい、高くても1000円が上限だろう。もう一度行きたいかと聞かれれば、同じ値段では行きたくない。それならば、10月に大宮で新規開館する鉄道博物館を楽しみにする。まあ、あちらも開館後はひどく混雑するんだろうな・・・。

さて共通券を購入しているので、6階の通常展示ゾーンへ。こちらでは通常の江戸の町の展示コーナーをつぶして、「生誕150周年記念 後藤新平展」というのをやっていた。医者にして、衛生方面の行政官を経て、台湾総督府民政長官、満鉄の総裁、内務・外務大臣、そして東京市長、果ては関東大震災からの帝都復興計画の立案を行ったという履歴の人物。よく似た名前で、明治維新直後に新政府に反乱を起こした江藤新平のほうが学校の歴史の時間では取り上げられるが、この国の近代化に果たした貢献は断然後藤新平のほうが何重も大きい。

江戸東京博物館としては「都市計画」の点に着目し、当時示された復興案についての資料を数多く展示していた。ターゲットとなったのは、被害の大きかった皇居より東側。大胆な区画整理を含め、果たしてそれが実行されたところもある(結局、東京大空襲でその都市のほとんどはまた焼け出されるのだが・・・)。

よく上方の人間が、「東京の道は、徳川が江戸の町を守るために、わざとあないややこしくしとるからわかりにくいねん」と言うが、こと東側に限って言えば、徳川氏ではなく後藤新平の復興計画によったもの・・・かもしれないな。

また満鉄総裁であったことから鉄道とのつながりも深く、大陸での実績をもとに、日本の幹線の「標準軌化」を提唱したともいう。結局財政的にも現実的でないということでこのときは見送られたが、後の「新幹線」建設の折には標準軌化が実現したということで、こちらも先見の明があったというべきだろう。

江戸博は他の通常展示も見るものが多く、結局すべて見るのに3時間近くいたことになった。なるほど、これだけ見られれば共通券の1520円で釣りあったかな・・・・。

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観戦記・西武対オリックス@グッドウィル薄暮ゲーム

2007年08月18日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

昨日までの猛暑がひと段落した18日、グッドウィルドームに出かける。西武ライオンズ対オリックス・バファローズの試合観戦。そういえば、このブログでバファローズのことを書くのも久しぶりだ・・・。

グッドウィルドーム独特の17時からの試合開始というやつだが、どうも試合前に飲み食いするには中途半端な時間だ。15時半頃にレフトスタンド芝生席に陣取ってそれからビール飲んで食事をして・・・というのはいつもの夕食時に比べてむちゃくちゃ早い。まあ、15時半からビールを飲まなければそれでしまいなんだろうが。

先発投手を確認していなかったが、ローテーションからいえばバファローズはカーターの先発か・・・と思いきや、何と中継ぎでフル回転していた金子がプロ2度目という先発。もっと驚いたのが、西武の先発が抑えをやっていたはずの小野寺。いずれも先発の台所事情が苦しいんだろうな。

この日は秩父応援デーとかで、秩父からの大勢の応援団や(帰りに専用の臨時列車が出ていたのを見た)、秩父の屋台太鼓の披露など。ただそれ以上に始球式が豪華だった。何と、西武が宮崎・南郷でキャンプを張っている縁から、宮崎県は東国原知事がマウンドへ。そしてバッターが秩父市長、キャッチャーには埼玉県知事という、他では絶対に見られない組み合わせ。(ただし、東国原知事がこの後も観戦したかどうかは不明)

試合のほうも豪華というか序盤から点の取り合いで、初回に早くも金子が捕まり、カブレラ、中島のタイムリーで2点先制される。しかしオリックスも2回にランナーを貯め、北川の内野ゴロの間に1点返し、続く水口のタイムリーで同点、さらに、日高が「飛ばせ~、飛ばせ~、ど~こま~で~も~」の応援歌通りのライトスタンドへの一発で一挙5点。もう、私も周りの観客同士も、もみくちゃに。

・・・で、このまま楽勝かといえばそうではなく、金子が4回に和田のソロで5対3と2点差。オリックスも5回に相手守備の隙をついて1点追加で6対3とするが、何だか、リードしていても大丈夫かいなと不安になる。ただ金子は何とか5回を投げきり、もうここが一杯一杯かと思われた。

で、6回から登板したのが、本来なら今日先発する「はずであった」カーターがマウンドへ。先ほどの不安的中で、案の定中村のタイムリーで1点返されるという嫌な展開。3回をよくこの1点で抑えたなと思うくらい。オリックス打線も西武中継ぎ陣を捕らえられず追加点が挙げられないまま9回へ。まあ、序盤の猛攻が効いて、9回も加藤大輔がランナーを3塁まで進めるも、最後はカブレラを切ってとり、何とか逃げ切った・・・・。

まずは連敗脱出と、目の前の4位の相手に勝利してやれやれ。私の今季の観戦勝率も3連勝で、オープン戦・公式戦あわせて6勝4敗と勝ち越しを増やすことができた。

大阪からの応援団も来ていた二次会も、「打倒西武・獅子粉砕・明日も勝つぞバファローズ・・・・」で盛り上がった。(少しお酒が過ぎましたか、応援団の前ではしゃぎすぎて、応援団に止められて逆ギレして警備員につまみ出された人もいましたが・・・・)

まだまだ、3位は射程圏内だ!!

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天浜線と静岡おでん

2007年08月17日 | 旅行記D・東海北陸

・・・一日の行程を書くのに長々と時間を費やしてます・・・。

新所原からは初めての天竜浜名湖鉄道に乗車。昔の国鉄二俣線というやつである。今はJRと別となった駅舎に入るとまず目に飛び込んできたのが、「駅のうなぎ屋さん」。うなぎを焼く香りがほのかにただよってくる。

この日は「天浜線みちくさきっぷ」を購入。フリーきっぷではないが、掛川までの片道での途中下車が自由で、1200円。通しで普通に買えば1280円だからそれだけでも安い。どこか浜名湖の見えるところで途中下車するか、西鹿島から遠州鉄道で新浜松まで往復するか・・・。

三ケ日みかんの畑を抜け、青々とした浜名湖に出る。豪快な波が寄せる太平洋もよいが、静かな湖というのもいいものだ。それにしても外は暑そう・・・。

国鉄時代からの施設が残っており、それらの写真を撮っていたのだが、ここである。急にカメラがおかしくなったのは・・・・。何だか途中下車しようという気がなくなった。

浜名湖を過ぎるとのんびりした田園風景が広がる。ここに来て昨夜の寝不足の反動からか、ウトウトとしだすようになった。天竜川を渡ったのは見届けたが、もう遠州鉄道も次の機会でいいやという気になった。結局そのまま掛川まで乗りとおす。2時間の行程は、ローカル線の旅を味わう(および少し昼寝する)には手ごろな時間であった。

掛川から再びJRの乗客となる。車内は青春18利用の「タダの客」でごった返していた。静岡で下車。

静岡で下車したのは、今日のお目当ての一つである静岡おでん初体験。最近全国的にも有名になったおでん、市内には数多くの店があり、居酒屋や駄菓子屋にもごく普通におでんがあるとか。

駅ビル内に、表におでんの鍋を出して客を呼び込んでいる店があった。「海ぼうず」という店。他に魚のメニューなどもあるなかなか雰囲気よさそうな居酒屋である。暑い中外に出るのも疲れるので、もうここで夕食には少し早いが飲むことにしよう。生ビールをいっぱいグッとやればもういい心持だ。

静岡名産の生しらすにマグロの刺身、生ビールから焼酎の静岡茶割りと楽しみ、いよいよおでんである。見繕いで10種類注文。冷たい静岡茶割りに熱々のおでんの組み合わせである。

さて皿に盛られたおでん。真っ黒なだし汁に、串にささった具材、それにふりかけるだし粉・・・。これが静岡おでんの特徴である。それにしても「串で食べる料理」って、何だかいいやね。定番はやきとりとか串揚げということになるが、おでんをこういう食べ方で食するのも新鮮な感じだった。だし汁も見た目は濃いが、味わうと意外にさっぱりしているので、薄口好きの関西人でもOKじゃないかな。

静岡宿泊であれば他の店ものぞくことができるのだが今日はここでお開き。再びホームにあがるとそろそろ陽も西に傾いた頃であった。ここから東京まで再び鈍行の乗継である。

静岡といえば他にもありますB級グルメ。富士宮のやきそばに、浜松の餃子。他にもローカル私鉄もあり、またこれらを楽しむ旅をしたいものである・・・・。(終わり)

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三河田原と豊橋鉄道

2007年08月16日 | 旅行記D・東海北陸

伊良湖岬を出たバスは一路渥美半島を東へ。フェリー乗り場のあたりはマイカーで賑わっていたが、一つ道路に出るとさほど混雑もしておらず、バスは快調に走る。

改めて車窓に目をやるが、このあたりは水田というのがほとんどなく、今は茶色い土が目立つ。あとはビニールハウスかな。何でも渥美半島というのはメロンにキャベツの産地とか。山も目立たずこうした平地にまっすぐに道が敷かれている。一瞬、北海道に来たかのような錯覚を感じる。国民休暇村の前を通る。家族で渥美半島のレジャーを楽しもうという客でこちらも賑わっているが、あいにくバスの乗り降りはなし。

伊良湖岬を出て50分ほどで、田原市の中心部に入る。三河田原といえば豊橋鉄道の渥美線の終着地でもあり、小さいが江戸時代からの城下町という。伊良湖岬周辺のスポットは素通りしただけに、なかなかめったに来ることもないであろうこの田原に少し立ち寄り、渥美半島に来た足跡とする。田原萱町というのが中心部のバス停(もっとも、豊橋鉄道の駅のすぐ近くであるが)であり、地元のショッピングモール前の停留所で降り、ここから歩いて10分ほどの田原市博物館というのを目指す。このあたりは平坦なところ(「海抜2m」という案内もあった)であるが、少し坂をのぼったところに昔ながらの石垣に堀に出会う。ここが元の田原城跡で、徳川幕府の譜代大名であった戸田氏→三宅氏の居城だったところ。石高一万二千というが、伊勢湾を挟んだ東海と関西の間の押さえとしてそれなりに重要な土地だったのであろう。

そして、この田原藩が有名なのは、あの「蛮社の獄」で捕われの身となり、後に自殺する田原藩家老・渡辺華山の存在である。この博物館も城跡の中に立つが、戸田氏や三宅氏の紹介よりは、ほとんどがこの華山についての紹介である。「蛮社の獄」というとイメージ的にはそれほどよろしくないのだが、よくよくこの人の事跡をたどってみると、田原藩家老として飢饉時に餓死者を出さなかったり、国防についての正論を著したという実績があるだけではなく、陽明学を究め、漢学の素養があり、また画家としても優れた才能を持っていたことが強調される。ここには画像は載せられないが、国宝・鷹見泉石像や、寺子屋で騒ぐ子どもたちの様子をリアルに描いた作品などの文人画も数多く残している。江戸時代の小藩にあってマルチな才能を輝かせていた人物である。

私も渡辺華山という存在は知っていても、この三河田原藩の人物とはほとんど意識していなかった。それだけに、博物館の展示を見るだけでも有意義であった。

もう一つ、特別展示として行われていたのが、「須田剋太展」。一瞬「誰?」と考えたが。紹介文に「司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を描いた人」ということで、合点がいった。『街道をゆく』は何冊か読んだが、その最初に出てくる独特な感じの風景画の作者だ。彼自身は別に三河田原の生まれというわけではなく、生誕100周年のイベントとして各地を展示して回っているその一つというらしい。

こちらは何というのだろう・・・・。先に渡辺華山の繊細な画筆を見た後だけに、その大胆かつ奔放な作風というのにうなるばかりである。おそらく学校の美術の先生が見れば、華山の絵が「うまく」、須田剋太の絵は「へたくそな子どもの絵」ということになるのだろうが・・・。それでもこの時に田原市博物館を訪れていた人のほとんどは、こちら須田作品がお目当てのようだった。

油絵から水彩画から、さらには包装紙を貼り付けたコラージュ、生気あふれる書の数々を見る。渡辺華山に須田剋太。二人の異才の業績を見られただけでも、この三河田原の途中下車は成果があった。

城下町の蔵屋敷といったつくりの三河田原駅まで歩き、ここから豊橋鉄道の乗客となる。ステンレスの車体に赤帯、車端部には「TOYOTETSU」というローマ字のロゴである。終着駅であるが何だか中途半端に線路が途切れた感じの駅からガタゴトと発車する。冷房と扇風機で車内は実に涼しい。

この豊橋鉄道、元々は伊良湖岬まで行く計画だったのだが、財政難やら戦争の影響で、三河田原の少し先で工事がストップし、その後、この田原までの区間になったという。線路が途切れたように見えたのもそのため。まあ、渥美半島の古い城下町である三河田原まで敷設しておけば面目が立ったのだろうが・・・。

日中はきっちり15分間隔で走る。2~3駅おきごとに、きれいなタイミングで対向列車と行き違う。途中の無人駅から乗る乗客も多く、そのたびに車掌が昔ながらの車内補充券にパンチを二つ三つくれてやって運賃を収受する。車掌が精算を行っているときは運転手がドアを開けるなど、連携プレーだ。これだけの頻度を維持していれば、地方私鉄としては優秀である。沿線は先ほどから続く畑が中心だが、それでも遠方には火力発電所が見えたり、近くもニュータウンが広がっているようで、豊橋、いやひいては浜松、名古屋へのベッドタウンとしての開発が進んでいるようだ。

豊橋の市街地が近づくに連れ、路地裏のようなところを走るようになる。最後はJR東海道線の線路をまたぎ、これから再開発工事が行われるような雰囲気の豊橋駅の東の端にぽつんと建つホームに到着。階段を2つ3つ降りれば豊橋駅前のロータリーの片隅という場所。

豊橋にも路面電車がある・・・というのはそう知られてはいないのではないだろうか。路面電車に乗ってみるということも考えたが、この時点でちょうど昼。今朝名古屋を早朝に発った割には、ここまで来るのに時間がかかったようにも思う。東京まで戻るのに、もう豊橋かと思うか、これだけ時間が発ってまだ豊橋かよ!と思うか。この先まだまだポイントがあるのに・・・。

結局路面電車は断念して、改札内のスタンドできしめんで昼食として、再びJRの客となる。青春18の利用客が多い中、2つ目の新所原で下車する・・・・。(続く)

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伊勢湾フェリー

2007年08月14日 | 旅行記D・東海北陸

近鉄名古屋を早朝の急行列車で発つ。4両のクロスシート車はガラガラなのだが、それでも先ほどの「ムーンライトながら91号」から乗り継いだとおぼしく風体の客も混じる。名古屋から近鉄回りで関西に向かうか、あるいは近鉄線の乗り歩きか。そういえば、この秋にも養老線、伊賀線が地元主体の第三セクター線に切り替わるという話もある。

朝の濃尾平野を駆け抜け、木曽川、揖斐・長良川の長い鉄橋を渡ると三重県に入る。四日市で客が入れ替わり、この先、津や伊勢中川でも乗客の入れ替えがある。普段の平日なら早い時間の通勤快速的な役割を果たすのだろう。先ほどの夜行でほとんど眠っていないせいか、ところどころでウトウトとする。一時は、松阪で牛肉に思いを馳せた後に、伊勢市で途中下車して久しぶりの伊勢参宮・・・ということも頭をよぎったが、神様の前では失敬だがこのまま通り過ぎて鳥羽まで行ってしまおうと・・・・。

鳥羽着。・・・と、このまま、同じホームの前方に停まっていた賢島行きの普通列車に乗り継ぎ、隣の中之郷まで行く。そう、これから伊良湖まで行く伊勢湾フェリーに乗ろうというのである。伊勢湾フェリーも10年くらい前に一度乗っただけだ。鳥羽のフェリー乗り場は、鳥羽駅よりも一つ先の中之郷駅のほうが近い。夏休みのこととて早くから列をつくっているクルマの脇を抜け、乗船券売り場へ。鳥羽8時10分発の便を押さえる。

出航まで時間があるので、早くから開いていたカウンターで伊勢うどんを注文。太めのうどんに、独特の生醤油のからんだ味を楽しむのも久しぶりだ。その後で、東海地方に来たのだからと中日新聞を購入し、同じ売店で伊勢地方限定という「神都麦酒」を購入。明治時代の味を復古させたとかで、確かに濃い味わい。伊勢参宮が一生のイベントであった時代ではなおのこと、苦いけれどハイカラな味として大いにもてはやされたことであろう。

さて、真夏の青空が広がる中、定刻に鳥羽を出航。結局思ったほど多くの乗客はなく、船内のイス席や桟敷席もゆったりと使われる程度。ミキモト真珠島の脇を抜けると、右手に菅島、左手に長い答志島が横たわる。この二つの島が鳥羽の入り江を構成しており、そのために真珠の養殖などに向くことになったのだろう。パンフレットにはこのあたりでイルカの回遊が見られるとあったが、残念ながらこの日はその気配すらもまったく感じなかった。

青い空に白い入道雲。夏の空だ。

そうするうちに伊勢湾の入り口にさしかかり、伊勢側と三河側で波の向きが変わるのを見る。別にここが両地方の境界線を争っている区間というわけではないだろうが、かすかに前方に渥美半島や、ともすれば知多半島、その先端にあるセントレア中部国際空港の様子も見えてくる。

だんだんと渥美半島の姿が大きくなり、岬の先端にある伊良湖岬の灯台を見る。灯台のあたりは遊歩道コースになっているが、暑さのせいか歩いている人の姿はほとんど見えない。

1時間弱の航海を終え、伊良湖岬のフェリーのりば兼道の駅に到着。折り返しの便を待つクルマと人でごった返している。

この後はフェリーに接続するバスで、豊橋方面に向かう・・・・。(続く)

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ムーンライトながら91号

2007年08月13日 | 旅行記D・東海北陸

さて8月11日の夜、「ムーンライトながら91号」に乗るべく、東京駅に向かう。ちょうど定期の「ムーンライトながら」が出発した後であったが、ホームには多くの旅行客で賑わっている。東海道を行く「ムーンライトながら」シリーズに乗るのは実は初めてなのだが、改めて、さまざまな層の客の需要があるのだなと思わせる。先日乗った「ムーンライト信州」が登山客御用達列車であったのとはやはり違う。

やってきたのは189系国鉄色の10両編成。早速にカメラの放列だ(注:私もこの時点で、しばらく一線を退いていたデジカメを久しぶりに引っ張り出してさかんに撮影していたのだが、先の記事の通り、途中でカメラかメモリーカードのいずれかがおかしくなってしまい、現時点で写真をパソコンに落としこめていない。よって、写真なしで旅行記を綴ることになるのでご容赦を・・・)。JR東海の特急型よりこっちのほうが昔の風情があってよいとか、発車が遅くても豊橋より向こう、名古屋や大垣にはこちらのほうが先に着くからその先の乗り継ぎに好都合とかで、こちらの臨時便を支持する人も多いそうだ。

車内放送でしきりに、全車指定席であること、指定席は完売していることを放送する。果たして東京発車時点で半分以上の席が埋まり、23時26分に静かに発車。銀座や新橋のオフィス街のネオンも土曜日で少なく、巨大なビルの影が窓の外を通り過ぎる。

今夜の私の席は通路側。まあ、世間はお盆休みという時期、たまたま数日前に冷やかしで指定券券売機をたたくと空席があったので取れただけラッキーであろう。そのときは大垣まで買ったが、果たしてどこまで行こうかと思案である。大垣から先、行けるところまで行くか、岐阜や名古屋近辺の市内めぐりや鉄道に乗るか、朝から東京に向けて引き返す形で途中下車の旅とするか、まだ決めていない。

車掌が車内改札を行う旨の放送が入る。手元には東京から小田原までの乗車券と、翌日の「日付の入っていない」青春18がある。日付が変わる前の最後の停車駅が横浜だが、発車は23時57分・・・。この3分差、本当に「意図的」なダイヤとしか思えない。もっとも、こういう話をすれば「意図的ではございません」という反論が返ってきそうなのだが・・・。

その横浜で乗客があり、0時を回り1時近くなった小田原で大量乗車。これで満席となった。ものの本には青春18きっぷの有効利用かつ前日の運賃を安くあげるために、東京からJRではなく、新宿から小田急で小田原まで行くという指南がなされていたが、その客が多いのだろうか。

結局車内改札が来ることもなく、深夜のため車内放送を一時中断する旨の放送が流れる。それはいいのだがこちらの頭は冴えている・・・というより眠れない。いや、車内が暑く感じるのだ。途中席を立って入り口ドアの温度計を見ると27.1度。今やオフィスの冷房は28度に設定するのが広まりつつあるし、また夜はあまり冷やしすぎないほうが体のためにはよいということはわかるのだが・・・・。それにしては私は室温が高いように感じるが、周りの人はよく眠っているようだし、一般の人はそうでもないのかな。私がよほど異常な体質だったりして・・・?

私自身夜行の座席車で眠るのはそれほど得意ではないのだが、いつも以上に寝苦しい、いや、寝付けない。シートを倒してボーっとしておくだけでも違うだろうと思いそうするのだが、暑くて扇子をパタパタやるし、そうするうちに列車が次の駅に停まるようで、熱海やら沼津やら、駅名標がはっきりと見える。

深夜2時過ぎ、静岡着。ホームを見ると2時36分発という表示になっており、結構長く停まるのだなと外に出る。車内よりは幾分涼しく、何だかほっとする。ホームには同じように外に出るひとであふれていた。ホーム端の喫煙コーナーにも人だかり。

ちょうど反対側のホームにも同じ国鉄色の車両・・・東京行きの「ムーンライトながら92号」が停車しており、あちらのホームでも同じような光景が見られた。そこへやってきたのが、定期便の「ムーンライトながら」の東京行き。ここで追い越しをかけるようだ。定期と臨時が3本並ぶ光景というのも圧巻で、カメラの放列ができる。

そんな一時の間、こちらの下りホームを貨物列車が高速で通過する。停車時間中に3本。長時間停車は夜の主役である貨物列車に道を譲るため。少し前まではお盆ともなれば貨物列車はすべて運休していたが、昨今はお盆関係なく稼動している工場や、需要のある顧客のために貨物列車も幹線を中心に走らせている。先月の新潟県中越沖地震で信越線が一部不通になっているため、関西と北海道を結ぶ臨時列車(東海道・東北線経由)も走っている。まあ、土曜日の夜ということもありコンテナも満載というほどではなかったが・・・。

静岡駅のホームで夜風や貨物列車の風に当たって幾分涼しくなったが、車内は相変わらず暑い。結局よく眠れたと感じる間もなく、豊橋で定時の「ムーンライトながら」を追い越す。わざわざあちらの列車から、「豊橋-大垣」の指定席券を持ってこちらに移ってくる人もいた。

5時19分、空も白んだ名古屋に到着。結局終点の大垣まで行かず、ここで下車。JRの改札を出ずに向かったのは近鉄名古屋線の改札口。結局ここから伊勢路を南下して鳥羽に向かうことにしたのだ。伊勢に向かうのであれば関西線に参宮線を使えばそのまま青春18で行けるのだが、何せ時間がかかりすぎる。携帯電話のサイトで近鉄の時刻を調べたら、名古屋発5時30分の鳥羽行き急行というのがあるようだ。

近鉄との連絡口で鳥羽までの乗車券を買い求め、「ここまでのJRの乗車券が必要です」という改札をくぐるときに、まだ日付の入っていない青春18を差し出し、「ここに日付を入れてください」と近鉄の係員に頼む。年配の係員はちょっとためらった感じがしたが、それでも何もいわずスタンプを押した。「近鉄名古屋 8.12」という文字が残った。近鉄の検印が入った青春18って、いいのかな・・・?

停まっていたのは急行用の転換クロスシート車。冷房も効いているし、空いているし、先ほどの「ムーンライトながら」より居住性は断然よい。トイレもついているので心配ない。

先に眠れなかったのであればここで眠ればいいではないか。鳥羽まで2時間である・・・・。

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ムーンライトながらからの日帰り旅行

2007年08月12日 | 旅行記D・東海北陸

昨夜の臨時快速「ムーンライトながら91号」で東京から西に向かい、猛暑の中を一日回って東京に無事帰着。

早速旅行記を書こう・・・と思っているのだが、実は本日の旅行中にデジカメが急におかしなことになり、せっかく撮影した写真がヤバいことになりそう。昨年末から使っているデジカメを実は先日誤って落下させたために修理に出しており、以前に「何か調子悪いなあ」ということでしばらく運用から外していた1台を投入。昼間までは順調だったのだが・・・・。

写真抜きの旅行記ってものすごく味気ないが、様子を見ながらボチボチ書いていくことにします・・・。

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