まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

新幹線で焼身自殺

2015年06月30日 | ブログ
そんなことをする人がおるんやと驚きである。もし乗り合わせていたら・・・。

東海道新幹線が運休、その原因は火災のためというニュースに接していたのだが、それが車両トラブルではなく乗客が車内で頭から油をかぶって火をつけたものだった。自殺を図った男性と、逃げようとして一酸化中毒になった女性の二人が死亡、20人以上が負傷した。動機はわからないようだが、火をつける直前にも挙動不審なところがあったそうだ。

事件は先頭1号車の一番前。乗り合わせた客は後方に逃げることができたからまだよかったが、これが1号車でも2号車寄りとかだったら、1号車の客が閉じ込められてもっと被害が広がったかもしれない。まあそこは、いかに高速で走行しているとはいえ、まだブレーキで緊急停止して、乗客を外に逃がす術はある。

ただ一方で、これが油での焼身自殺だからまだましな話で、危険な発火物で運転台に被害が及んだらどうなるか。最悪、列車爆破の可能性もあったわけで。そういう悪意を持つ人の仕業だったとすれば・・・。新幹線だってテロの標的になり得る。

こういうことが起こると、東京五輪に向けて新幹線のセキュリティ強化とか、改札口で手荷物検査をしろとかいう声が挙がる。気持ちはわかるが、新幹線のような不特定多数の客がいろんな駅で乗り降りする乗り物で果たしてそれは可能だろうか。現実には難しいだろう。 警備員や乗務員による車内や駅の巡回強化や、非常時の乗客の安全確保くらいだろう。

・・・それにしても、何でそんな死に方をするんだろう。焼身自殺したければどこか山の中とかですればいいのに(注・別に人の自殺を肯定し助長するものではない)。またしばらくはワイドショーでこの事件が取り上げられるのだろう。

乗り鉄として、鉄道は安全快適であり続けてほしい・・・・。
コメント

第28番「成相寺」~西国三十三ヶ所巡り・27(特急乗継)

2015年06月29日 | 西国三十三所
成相寺の参拝を終え、傘松公園からリフトで一の宮に下りてきた。時間は12時半を回ったところ。帰りの高速バスは天橋立駅前を16時45分に出るので、時間はたっぷりある。バスの時刻表を見ていないが、フリーパスのエリア外だが別料金で伊根まで足を伸ばすか。陸地を少し歩くと丹後郷土資料館というのがあり、現在特別展示は行われていないが、通常展示も丹後の歴史風俗について触れており、なかなか面白そうだ。

ただ、結局選択したのは観光船。暑いこともあるし、もう駅の近くまで戻ることにした。昼食も取りたいところ。この辺りで、「高速バスはキャンセルしようかな」という気になってきた。その時間までいることもないかな、と。

先ほど歩いて来た天橋立の砂州の松並木を横から見る。穏やかな水面だ。ただあの中にはいろんな形の松があったり、環境保全のための薬剤散布を行っていたり、土壌改良の実験が行われていたりというのを目にした後だと、景色も違ったものに見える。

振り返ると先ほどの成相山。五重塔の上部が森の中に見える。今の時代だからケーブルと路線バスを使って楽にアクセスできるが、昔は全て徒歩であそこまで上っていたわけだ。やはり、西国巡りはハードな寺院が多い。

観光船は10分ほどで到着。まずは昼食とする。天橋立の名物といってもパッと思いつかないし、まあ海が目の前だから魚が食べられればいいかなと。手近なところで松吟という店に入る。

食事のほうは「観光地価格」で、価格の割には「こんなもんか」という感じだったが、ロケーションはよかった。旋回橋のちょうどたもとにあり、橋が動くのを窓から見ることができる。この旋回橋は観光用に時間を見計らって旋回させるのかと思っていたが実はそうではなく、船舶の通行があれば都度歩行者を止めて橋を動かす。私がいる間にも、モーターボートやら土砂の運搬船やらが結構な頻度で通行しておりその都度動くものだから、食事中でも店内の客は窓のところによってカメラやスマホを構える。もちろん橋のたもとでも記念撮影をする人が多い。まあ食事代は橋の見物料込みと思えば・・・。

食事するのと順序が逆だろうが、汗を落とすことにする。駅前温泉の「智恵の湯」である。その前に高速バスのチケットセンターに電話して、バスのチケットをキャンセルする。返金は銀行振込で行うとのことで、チケット代と振込手数料を差し引いた金額が払い戻しとなる。浴槽は小ぶりな内風呂と露天風呂があり、ナトリウム成分が多いとかでしょっぱい。海の近くの温泉らしい。ここで汗を落とし、シャツなども取り替えてさっぱりとする。

結局乗ることにしたのは、天橋立14時56分発の特急はしだて6号京都行き。これで福知山まで行くことにする。フリーパスは京都丹後鉄道内であれば特急の自由席も利用でき、その特典を大いに利用することに。普通に買えば福知山~天橋立は運賃770円、自由席特急料金650円。これだけで2840円。フリーパスは3090円だから、後の観光船やリフトや登山バスの利用を考えると十分元が取れる。

はしだて6号に乗ろうと思ったのは、早く帰途に着けるということもあるが、決め手は車両。旧国鉄型の381系、少し前まではくろしおとして走っていた車両である。この車両に乗る機会というのも今後そうあるわけではないので、それに揺られることにした。

自由席は簡易リクライニングシートが並ぶ。車両の中央部は構造上2列ではなく中途半端に1席ずつが並ぶ造り。また座席カバーには「北近畿ビッグXネットワーク」の文字があしらわれている。大阪、京都~豊岡・城崎温泉、天橋立を走る特急。そのネットワークである。大阪からの特急が「北近畿」と呼ばれていた頃の名残と言える。

宮津で向きを変えて宮福線に入る。同じ線路だが、行きに乗ったタンゴリレー号に比べると揺れが激しい。車両の年季の違いだろうか。車掌が車内改札にやって来る。フリーパスを見せると「福知山までですね」と言われる。15時33分、福知山に到着する。ここで、城崎温泉発新大阪行きの特急こうのとり18号と連絡する。同じホームに京都行きと新大阪行きが並び、お互いの乗り換えができる。「ビッグX」の交点がここ福知山である。

で、私もJRのきっぷを買い直してこうのとり18号に乗ればその分早く帰れるのだが、ここで一本遅らせることにした。駅前を少し歩くが、福知山城は少し離れているし、他に別にどこかに行くわけではなく、すぐに待合室に戻る。読書でもしながらというところである。ちょうど高校生の下校時間帯で、いろんな制服の学生たちが集まってくる。校風というのか、学校によって学生のキャラクターもだいぶ違うなと思う。

乗ったのは福知山16時45分発のこうのとり20号。こちらは287系の新型車両である。さすがに安定した走りで、一気に大阪を目指す。途中渓谷をたどるのも見たが、その後は熟睡である。日のある時間で大阪まで戻ってきた。普段は鈍行列車派なのだが、たまにはこうした特急利用というのもいいだろう。その分早く帰って身体を休めることもできたし。

さてこれから本格的な暑さを迎える。西国巡礼も歩きが多いところだと厳しい季節になってきたが、また一方であえて歩きをコースに組み入れようとする自分もいるのである・・・・。
コメント

第28番「成相寺」~西国三十三ヶ所巡り・27(成相寺)

2015年06月28日 | 西国三十三所
傘松公園に小ぶりなマイクロバスが停まっている。これが成相寺まで行登山バスである。成相寺そのものには一度クルマで行ったことがあるのだが(その時は西国三十三所巡りをするということは全く想像していなかった)、急な坂でギアをローにして上ったのを覚えている。「登山」バスというのもあながち大げさな名前ではない。

運賃は成相寺の入山料込みで1100円だが、「天橋立まるごとフリーパス」はこの登山バスも乗り放題。とりあえずフリーパスを見せてバスに乗ればいいのかなと思うと、横の小屋から声がかかる。入山料をここで収受するという。バス運賃は700円で、差し引き400円をここで納める。

登山バスの乗客は私一人。登山バス専用道とも言うべき道を上って行く。マイクロバスでも幅がいっぱいで結構スリルがある。運転手は運転しながらガイドもしてくれて、高度を上げると宮津湾の眺めも見ることができる。山門が出るがここは素通りして、その上の石段の下まで行く。ここがT字路になっており、折り返し点でもある。バスは20分置きに出ているので、帰りの時間を気にする必要はない。折り返しのバスに駆け込む人は何人かいたが、それを抜けると私以外に人の気配がなくなった。

石段を上る。途中で右手に出るのが「撞かずの鐘」。江戸期のはじめ、新しい鐘を造るので寄進を募った時、裕福そうな家の娘が「子どもはたくさんいるが、寺に寄進する金はない」と断った。その鐘の鋳造の時に多くの見物客の中にその娘も子どもを抱えて見物に来ていたが、誤ってるつぼの中に子どもを落としてしまった。鐘が出来上がりこれを撞くと、子どもの泣き声、悲しい声が聞こえ、人々はあまりの哀しさに子どもの成仏を願って鐘を撞くのをやめたという。

さらに上がると一言地蔵が安置されている。一つの願いを一言だけお願いすれば叶えてくれるという地蔵。一言地蔵とか、一言神社とか、「一言」というのは結構あちらこちらにあるが、一言で足りなければそれらをハシゴして・・・ということではなく、要はお願いごとでも長々とあれもこれもと言うのではなく、一つに集中するというか、思いを込めるということなのだろう。よくいますわな、お賽銭は10円玉一つで、家内安全から商売繁昌から受験合格に良縁成就まで全部お願いする人って・・・。

本堂に着く。「西国二十八番」の札が目を引く。西国札所の最北端で、南の青岸渡寺から比べると遠くまで来ているなと感じる。

まず手を清めようと手水鉢に向かうと、ここにもあったのが鉄湯船。成相寺で湯船として、あるは薬湯を沸かすために用いられていたそうだ。

他に参拝客のいない外陣に入り、お勤めを行う。またここは靴を脱いで内陣に上がることができる。左手には地獄絵図がある。「美人観音」として知られる本尊の聖観音像は秘仏のため正面の厨子の中だが、その前には本尊そっくりに造られたお前立ちの観音がいる。その両脇を赤鬼と青鬼が守っているから、小ぶりな内陣の中で地獄と極楽がごった煮になっているようだ。

納経所は堂内にあり、参拝を終えて朱印帳と納経軸に朱印をいただく。釣銭と散華は皿の上に出ており、釣銭は計算して自分で取るようにとの貼り紙がある。

納経所と反対側のスペースで納経軸を乾かし、巻き戻してリュックにしまっていると、本堂の階段を上がる足音がする。入ってきたのは袈裟姿の二人の僧侶。「ろうそくと線香で50円やな」などと言いながら火をつけ、鐘をつく。そして開経偈、般若心経の読経を始める。もちろん私が経典を読む(というより文字をたどる)のと比べれば声の張りも節回し(といっていいのか)が全然違う。こうしたところでプロの読経を聴けるとは思わなかった。思わず私も後ろで手を合わせる。こちらは業務の関係で来たようで、読経を終えると住職らしいのと何やら話をしていた。

参拝を済ませ、「傘松公園以上の展望」が望める弁天山展望台に上る。この成相寺からさらにクルマで上ると「日本一成相山パノラマ展望所」というのがあり、前回クルマで来た時はそこまで上がったのだが、成相寺の境内にもこうしたスポットがあるのだ。砂利道を3分ほど上ると鉄製の展望台がある。二層になっていて、男性が下の層で佇んでいる。

ここからは先ほど傘松公園から眺めた天橋立のほかに、外海の宮津湾、栗田半島の向こうの舞鶴湾も見える。西国巡礼の次の札所、松尾寺がある青葉山も霞んでいるがうっすらと見える。もう少し空気が澄んだ季節なら遠方を見ることができるのだろうが、この日は30度を超える真夏日。ペットボトルの水が次々に空いて行く。

さて、これで成相寺を済ませたわけだが、元々のグループ分けならば次に行くべきは松尾寺である。ただ、続けてまた舞鶴までやって来るのもどうかなという気がしてきた。自分でルールを覆すようだけど、松尾寺は切り離すこととして、純粋に次の行き先をくじ引きとサイコロで決めることにする。ということで選択肢で出てきたのが・・・

1.舞鶴(松尾寺)

2.飛鳥(岡寺)

3.箕面宝塚(勝尾寺、中山寺)

4.宇治(三室戸寺)

5.近江(長命寺、観音正寺)

6.東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)

ここで「1」が出れば、やっぱり続けての北近畿訪問ということになる。それはそれで観音さんのおぼし召しというものだろう。

天橋立を眺めながらのサイコロは・・・・「3」。大阪近郊ということになった。松尾寺はまたいずれ、ということだ。

展望台を下り、先ほど登山バスで通り過ぎた平成の五重塔、そして山門まで下りて再びバス停に戻る。戻りのバスも私一人だが、運転手が同じようにガイドしてくれる。宮津湾を望むところではバスを停め、写真を撮るよう促してくれる。

傘松公園に戻る。成相寺では人の気配がほとんどなかったが、さすがに日本三景の展望スポットである。年間数百万人が天橋立を訪れる中、そのほとんどは傘松公園で引き返す。天橋立の砂州はこちらからのほうがくっきりと見える。ただ、先ほどの弁天山展望台のようなもっと高いところから半島全体を見るのも悪くない。古刹に触れるということも含めて、もう一足伸ばしてみるのもオススメである。

行きはケーブルで来た分、帰りは随時動いているリフトに乗る。さてここからどうするか・・・・。
コメント

第28番「成相寺」~西国三十三ヶ所巡り・27(天橋立)

2015年06月26日 | 西国三十三所
朝の9時半、天橋立の駅に降り立つ。朝から結構暑い。そろそろ夏本番である。

目指す西国28番の成相寺は、宮津湾と阿蘇海の間を渡る天橋立の対岸にある。公共の乗り物なら阿蘇海を渡る観光船か、モーターボートというのもある。多少遠回りにはなるがバスでケーブル・リフト乗り場まで行き、股のぞきで有名な傘松公園まで上り、さらに登山バスに乗り継ぐ。「天橋立まるごとフリーパス」は、私が持っているのは京都丹後鉄道の乗り放題がセットになっているが、鉄道なしで現地のバス、観光船、ケーブル、リフトが乗り放題のバージョンもある。

ただこの一方で、天橋立そのものを渡る方法もある。距離にして4キロ弱、レンタサイクルという手もあるが、今回はここを歩くことにする。天橋立は何回か来たことがあるが、いずれもバスや観光船、あるいはクルマで行き来しており、中を縦断したことがない。成相寺の山の上まで歩けと言われればちょっと躊躇するが、せめてその麓まで行くのはいいだろう。急ぐわけでもなく、歩いても1時間といったところだろう。

駅から歩いてしばらくのところにあるのが智恩寺。文殊菩薩を本尊としており、日本三文殊の一つとされている。あとの二つは奈良・桜井の安倍文殊院と、これは知らなかったが山形県の大聖寺・亀岡文殊と言われている。そういえば文殊と聞くと、今は稼動を停止している敦賀の「高速増殖炉・もんじゅ」であったり、天橋立への特急列車の「もんじゅ」というのもイメージする。

智恩寺は平安初期には創建されたが、現存するもので古いのは室町時代の多宝塔。後の山門や本堂などは江戸時代以降のものと言われる。それを含めても古刹と言えるが、外と境内を区切る塀があるわけでもなく、駅から観光船乗り場の抜け道に使う人もいるくらいだ。

ユニークなのは手水鉢。元々寺院の湯船として造られた「鉄湯船」というもので、重要文化財にも指定されている。何とも豪快な。

そして、境内の松にぶら下がる扇子のおみくじ。智慧と扇子というのが結びつかないのだが、見ていて縁起がよさそうだ。

さて歩き始める。旋回橋を渡り、松と砂地のところを行く。右に宮津湾、左に阿蘇海というところだが、それぞれの海岸べりの表情は結構異なる。外海と内海というのか。宮津湾沿いには明るい砂地が広がり、そこに波が打ち寄せる。白砂青松という呼び方がぴったりで、夏であれば海水浴で賑わいそうな感じだ。

一方阿蘇海はと言えば、穏やかな湖といった趣だ。智恩寺横の狭い水門のところで外海とはつながっているわけだが、波もほとんど立たない。2つの海の表情を見ながら歩くのも面白い。

また、松の形もいろいろなものがある。独特の地形や気象条件、また杉や檜とは違い、どんな方向にも曲がりながら成長する松の特性というのか。いろいろな呼び名が付けられているのがいい。

天橋立神社というのに出る。その横に磯清水がある。名水百選の一つであるが、その理由というのが、立地条件。左右を見れば海が広がる狭い砂州である。その中で湧き出る水なのに塩分を一切含んでいないということで、古来から珍重されている。「湧水なので飲用には適さない」と立札があるので、ちょっと口に含むくらいで飲んでみると、確かにまろやかな味がする。よほど地下の深いところから出ているのだろう。この水脈が、天橋立の松の命のもとになっているわけだ。

歩いて行くと「消毒中」とあり、作業服姿の人が「少し待ってください」と私を停める。薬剤散布の作業中である。松並木保全のためということで、害虫が発生する夏の時期に行っているとか。何やらブーンという音がするので砂浜に出てみると、ラジコンヘリコプターが飛んでいる。これを木々の間に飛ばして、よりきめ細かな作業ができるとのことである。この松も多く立ち枯れたこともあったが、このところはこうした取り組みが功を奏しているようだ。順次場所を移して行っているようで、通れるようになってもしばらくは作業エリアの中を歩くことになる。その間は作業側も気を遣っているようで、反対側まで行くと「歩行者の方、エリアから出られました」と無線をして、作業再開となった。

またあるエリアでは全面立ち入り禁止となっている。松の生育環境の調査作業をしているようで、その現状と問題点が看板に表示されている。その中では「土壌の養分は良好な状態である」としたうえで、「松以外の木が旺盛に生育できる環境が整うことで広葉樹林への繊維が進み、松林が衰退してくことにつながっている」とある。また、「地下水位が高いという環境にあって~地下部(根)は貧弱で地上部(幹・枝)は大きすぎるというアンバランスな状況であり、台風や大雪の際、倒れやすくなっている」とある。

先ほど磯清水で「よほど深いところから湧き出ているのだろう」と思ったのだが、事実は逆で、地下水位が高いという環境のようである。また土の状態がよいためにいろんな植物が繁茂し、松にとっては栄養分を先に取られてしまうというのも意外だった。確かに雑草が多く生えて、雑木林に近い感じの一角もあった。

先ほどの薬剤散布もそうだが、こうした調査を行い、地面の手入れも行うことの必要性も考えているという、天橋立の環境保全の取り組みの一端を見ることができたのは面白かった。股のぞきのスポットや観光船から見る美しい眺めも、こうした取り組みがあって保たれているものである。

対岸まで渡りきり、籠神社に出る。丹後国の一の宮、元伊勢の一つである。ここまで歩いてきたことで一息つき、参拝する。

この後で傘松公園に向かう。ケーブルとリフトがあるが、タイミングもよく空いているということもあり、ケーブルに乗る。そう言えばケーブルで上がるのも初めてである。最下段の席に陣取り、発車する。後ろに引っ張り上げられる感覚。少しずつ天橋立の眺めが広がってくる。

そしてたどり着いた傘松公園。ここからの眺望はもう定番である。股のぞきで有名なところだが、私にはこれで見える景色がそこまで評される理由が未だにわからない。

そしてここから目指す成相寺はさらに上にある。ここからは「登山バス」の出番である・・・。
コメント

第28番「成相寺」~西国三十三ヶ所巡り・27(京都丹後鉄道)

2015年06月25日 | 西国三十三所
久しぶりのこのカテゴリでの投稿である。

前回5月、上醍醐を訪ねたところで次の巡拝先のくじ引きとサイコロでの選択で「丹後」が出た。ここは天橋立の成相寺と、舞鶴の松尾寺をセットで訪れるというものである。西国三十三所巡りのグループ分けをした時に、最初から一泊二日で訪れるつもりであった。

ただ、いろいろとあって連続2日の日程をひねり出すのがなかなか難しい。早くて7月になるかなというところだった。そうなると結構間が空く。

そこで日帰りということを考える。時刻表をひっくり返したり、鉄道にこだわらず高速バスの利用も考えてみた。その結果、時刻表の上では日帰りは可能であるが、どうも慌ただしいし、途中の余裕もない。やはりネックになるのは天橋立~松尾寺までの移動であり、おまけに松尾寺へは駅から徒歩しか手段がなく(この巡拝ではタクシーは使わないことにしている)、片道50分かかるというところである。結局、最初のグループ分けから変わってしまうが、一ヶ所ずつ訪れるということにした。となると札所順が先である成相寺に行くことにする。

そんな中、週末の出勤の振替休日を平日にいただけることになった。家でゴロゴロするのももったいないので、ならばと出かけることにする。初めての平日の西国巡りである。コースとしては行きは早朝の福知山線で福知山に向かい、京都丹後鉄道の宮福線で天橋立。帰りは、天橋立を夕方に出る梅田行きの高速バスのチケットをコンビニで購入した。行きと帰りで変化をつけてみようというものである。

・・・ということで、朝の6時前にJR大阪から福知山行きの丹波路快速に乗る。平日に私服で出勤とは全然関係のない路線に乗るということに違和感を覚えるが、一方で面白さも感じる。まあ、世の中には土日が仕事で平日が休みという勤務の方もたくさんいるわけだから、そう珍しいことではないのだが。

大阪とは逆方向なので、通勤ラッシュということはないのだが、宝塚や三田では通勤客の乗り降りも結構ある。後は高校生だ。いろんな駅を過ぎる中でいろんな種類の制服を目にする。いや、ええおっさんが女子高生ばかり見ているとか、そういう意味ではなく・・・・。

福知山に到着。京都北部の交通の要衝らしく堂々とした高架駅。私はこれまで2回福知山に泊まったことがあるのだが、それがいずれも「次の日に早くから動けるように」という理由であった。福知山は朝早くから夜遅くまで稼働しており、朝は4時47分発の篠山口行き、4時48分の園部行きで動き、最終列車の到着は篠山口から0時57分である。実質改札口が閉まっているのは4時間を切っている。また、高架駅下では朝5時までチェーン居酒屋が営業しているので、建物自体は24時間稼働である。

それはさておき、ここから乗るのは北近畿タンゴ鉄道改め、京都丹後鉄道の宮福線である。旧国鉄の宮津線と、新たに建設した宮福線を引き受ける形で発足した第三セクターの北近畿タンゴ鉄道であるが、このところ厳しい経営状況であった。そこで出たのが、最近あちらこちらで行われている「上下分離方式」による運営。これは、車両をはじめとした施設は北近畿タンゴ鉄道が保有して、点検整備なども行う(いわゆる「下」の部分)が、列車の運行や乗客へのサービスは別の事業体が行うというもの(いわゆる「上」の部分)。そこで、北近畿タンゴ鉄道が「上」の事業を行う者を公募したところ、ツアーバスなどで知られるウィラー社が選定された。そして今年の4月1日、「WILLER TRAINS」が運営する「京都丹後鉄道」という路線になった。

略称が「丹鉄」。天橋立をはじめとした丹後半島の観光地を抱え、車両としては特急型車両に、北近畿タンゴ鉄道から引き継いだ水戸岡デザインのリゾート車両「くろまつ」「あかまつ」「あおまつ」と、手駒は十分にあると言える。あとはそれをどう利用客の増加につなげるか。

福知山駅の窓口で「天橋立まるごとフリーパス」を購入する。丹鉄の全線(特急も自由席であればOK)、天橋立近辺の路線バス、観光船、傘松公園へのケーブルカーとリフト、さらには成相寺への登山バスが1日乗り放題で3090円。丹鉄の特急にも乗れるのが大きい。ちょうど乗るのが福知山8時53分発の特急「たんごリレー1号」で、天橋立までだと自由席で650円かかる特急料金がフリーパスには含まれている(逆に指定席希望だと750円まるまる取られる)。

やってきて2両編成の特急は、指定席と自由席が1両ずつ。自由席のほうは、リレー号というだけあって京都発の特急から乗り継いできた乗客を中心にそこそこ埋まる。一方で指定席は乗客ゼロ。土日ならいざ知らず、平日の朝というのはこんな感じなのだろう。

宮津に向けて高速で突っ走る。途中の小駅もあっさり通過するが、私は沿線の景色が気になる。この日は西国三十三所の札所である天橋立の成相寺に向かっているのだが、いずれ途中の小駅に降りる日が来るのかなと思う。それは、西国四十九薬師。もしこの巡拝に手を染めると、沿線にある2つの札所に来ることになる。いずれも駅から徒歩40~45分の距離にあるとかで、これはこれで結構難所になりそうだ。

宮津で半数の客が下車する。ここで向きを変えて少し走り、天橋立に到着。特急は網野まで行くのでこのまま出発するが、残っていた乗客もほとんどが天橋立で下車した。

その駅舎、訪れるのは4年ぶりなのだが、すっかり姿を変えていた。前はいかにも旧国鉄から続く感じの建物だったが、来てみると一瞬駅であることを感じさせない建物である。ここはウィラー社が運営を引き継ぐよりも前に工事を進めていたそうで、要素として大きいのは「海の京都」ということだろうか。このところ京都府が強力に推しているのが海を持つ丹後である。その玄関口にふさわしい建物・・・ということだろう。

結構陽射しが強い。さてここから成相寺に向けて歩き出す・・・・。
コメント

同じ日に5試合が地方開催

2015年06月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
NPBは今日から新しいカードでの対戦。

その組み合わせがすごい。巨人対DeNAは東京ドームだが、後は広島対阪神が長野、中日対ヤクルトが岐阜、日本ハム対ロッテが旭川、楽天対オリックスが郡山、そして西武対ソフトバンクが大宮と、6試合中5試合がいわゆる地方開催。同じ日で5試合は史上初めてとか。

これは、あえて意図したことか、それとも偶然か。また、ドームではないので梅雨で中止になるリスクも多いこの時期に組んだのも何か意図があってのことか。

こうした地方開催というのも、常打ち球場にない雰囲気があって面白い。私も地方開催の試合は数えるほどしか行ったことがないが、普段なら外野フライになる打球がスタンドインしたり、気象条件に左右されたり、トランペットや太鼓の響きが違ったりするのを楽しむことができる。選手の中にも、年に一度の○○遠征で張り切るのもいるだろう。

中でも今年は、北陸新幹線の開業で、長野と北陸をかませた興行が打てるのが興味深い。また富山といえばあのタフィー・ローズがBCリーグで現役復帰したところ。

このところ、そのBCリーグにも行けてないし、私の全国の球場巡りの数がピタリと止まっているのだが、地方開催という定義が、別に「都心を離れる」ということでないのなら・・・開拓するならファームの試合かな。オリックス・バファローズのファームも地域密着興行で北神戸以外にも関西各地の球場で試合している。いきなり遠方の球場は無理にしても、こうしたところを改めて回るとか・・・。
コメント

やはり弱いな・・・白星プレゼントならず

2015年06月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦を4連勝で終え(しかも西宮に3タテ!)、リーグ戦再開初戦のライオンズにいい形で勝って、さあここから一気に逆襲と思っていたが・・・。

負けたのは仕方がないし、「何点取られて負けても同じ1敗」には違いないが、負け方がひどい。一週間前とは正反対だ。

21日の大正ドームの試合は、私は元々観戦予定がなかったのだが、珍しく両親が「行きたい」というので、前売りでネット裏のビュー指定席をプレゼントしておいた。両親とも野球そのものは好きだが、年を取ると現場に行くのはなかなかしんどいということで、もっぱらテレビ桟敷である。

ライオンズ戦にしたのは、母親が森のファンということで。大阪桐蔭時代にテレビを見ていて「この子は絶対プロで監督をやる」と言っていて、阪神がドラフトで指名しなかった時も「阪神はアホやなあ」と言った口である(別にタイガースファンではないが)。

そこに、21日のバファローズ先発は金子。てっきり20日に投げると思っていたが、そこは神戸と大阪のどちらのマウンドと相性がよいかというところだったか。母親は金子のファンでもあるので、先発に当たったことを喜んでいて、「金子対森」の対戦を楽しみにしていた。理想としては、「森に一本本塁打が出て、ただ金子はこの1点に抑えて勝利」というものだったが・・・。

まあこの対戦は連続三振で金子が力の差を見せつけたが、その一方で中村、メヒアの一発で沈んだのではいただけない。また打線もあれではね・・・。試合後はスタンドからのヤジもあって殺伐とした雰囲気だったというブロガーさんの書き込みもあるが、どうなんだろう。

あ、母親のことばかり書いたが、21日は父の日だし翌日は誕生日である。そのプレゼントのつもりだったが、さんざんな試合にまたぼやきが増えたかもしれない。でも、父親が(一応)応援するカープは、試合は中止だがスワローズが敗れたために「単独」5位に浮上した。まあこれで機嫌直してもらえれば・・・・。
コメント

妻籠宿から南木曽駅へ

2015年06月20日 | 旅行記C・関東甲信越
馬籠宿~馬籠峠~大妻籠と来て、妻籠宿に入る。中山道の木曽十一宿の中で最も有名な宿場町といってもいいだろう。時間も昼近くということで観光客の姿も多い。外国人の姿も目につく。

その宿に入るところで、道路に白い線がある。この日の午前中に、妻籠宿を会場としたマラソン大会が行われていたそうだ。白線はそのコースを示すもので、マラソン自体は終わったのかそれを消しにかかる作業が行われている。今回は馬籠から歩いて来たが、これが妻籠から歩くプランならマラソンランナーが結構目について仕方ないのではと思う。

妻籠は日本で最初に江戸時代の宿場町の保存と復元を行ったところである。幾度の火災で江戸時代の建物がほとんど残っていない馬籠に比べれば、妻籠はその数が多い。もっともその多くは食べ物屋だったり土産物屋だったりするのだが・・・。

妻籠の観光案内所に着く。かつての学校らしき木造の建物。ここで、馬籠宿で買い求めた完歩証明書に妻籠宿としてスタンプをいただく。これで何とか一息つくことができる。でもまあ、こうした証明書は特別なものではなく、ある程度需要があるものだろう。それだけ、馬籠と妻籠を歩いて行くという人が多いということで。

ここで見るのは復元された妻籠本陣。そして少し行った脇本陣の奥谷家。奥谷家では係員が家の造りやら庭やらについて説明してくれる。ここ妻籠も島崎藤村とは縁深い土地ということで、ガイドの説明も「藤村『先生』」である。妻籠は長野県。藤村と言えば信州、長野の人というイメージが強いが、10年前の合併で今は「岐阜県出身」である。今のところそれを意識している観光客などごくわずかなもので、妻籠のガイドも「藤村先生は信州のお人」と自身たっぷりに語っている様子だが、内心はどのようなものだろうか。

妻籠まで歩いて来たことで「名古屋発サイコロの旅」はコンプリート。ここからは南木曽駅までバスで移動することにする。ならばバスの時間を確認しようと、リュックの中から小型時刻表(JTBの時刻表をそのまま縮小した「小さな時刻表」。他の小型時刻表がJRの列車時刻しか掲載していないのに対して、観光地のバスなどの時刻も大型版そのままに掲載されていて、旅先では重宝する)を探すが、底まであさっても出てこない。う~ん、これは名古屋駅のコインロッカーに入れたキャリーバッグに入れてしまったか。携帯電話でバスの時間をチェックするが、少し間が空いている。また一方で、南木曽駅からバスに接続するより一本早い列車もある。ここはどうするか・・・妻籠宿から南木曽駅までは3キロあまり。

・・・ならば、もう少し歩くことにしよう。時間を見ると、ここまで歩いて来たペースで行けば十分に間に合いそうだ。有名な妻籠宿は結構急ぎ足で後にすることになるが、まあいいだろう。

高札場に水車があるところまでは観光客の姿も多いが、その向こうとなると急に人通りが絶える。風情ある家屋も残っているが、ここまで来ると観光エリアではないのだろう。先ほどは見えなかったマラソン大会のコース取りを示す白い線がまた出てきた。この辺りは折り返した選手がすれ違うコースのようで、道の中央にラインが引かれ、それぞれの走る方向に矢印が書かれている。

木曽義仲のかぶと観音というのに出る。源平合戦で名高い木曽義仲が北陸に向けて出陣した際、兜に収めていた観音像を祀ったとされている。境内には手洗場があり、ここでまた顔を洗ったり腕を浸したりして涼を取る。本格的な暑さはまだまだ先だが、歩いてくると暑いのは暑い。それにしても、木曽の山中は雨が多いということもあるのか、あちらこちらで水が湧き出ており、そうしたものに接しながら歩くことができたのはよかった。

神戸(ごうど)の集落を抜けて坂道を下りると、南木曽駅近くの和合(わごう)集落を見下ろすことができた。駅を目指して進むと現れたのは蒸気機関車のD51。かつてこの線を蒸気機関車が走っていたことを記念して、中央線の旧線の線路上に保存されている。今でこそ木曽の渓谷をトンネルで一直線に走る中央線だが、旧線の時代があったということか。往年の苦労がしのばれる。

南木曽駅に到着。中山道はこの先ずっと続くわけだが、今回はここで終了とする。しばらく待てば列車もやって来る。ふと駅前の商店を見ると、「祝新十両 御嶽海」という貼り紙があった。先の夏場所で東幕下3枚目で6勝して、7月の名古屋場所は新十両となった。長野県からの関取誕生は47年ぶり、次は名古屋場所ということで、少し遠いが「ご当地場所」である。このところすっかり陰が薄くなった名門・出羽海部屋の救世主となるだろうか。これから楽しみである。

やって来たのは中津川~南木曽の区間運転の列車。朝も中津川からこの区間運転の列車に乗り継ぐ観光客もいて、JR東海としても一応馬籠~妻籠の観光客に配慮した運転をしているのだろう。ハイキングのグループらしい中高年の客も乗り込み、一気に中津川まで戻る。

中津川で名古屋行きに乗り継ぐ。車内は朝から苗木城への「さわやかウォーキング」帰りの人たちで席が埋まる。そろそろ帰りの時間ということか。その列車にしばし揺られて下車したのは恵那。かつての中山道・大井宿のあったところである。ここで向かったのは、駅から歩いてすぐの中山道広重美術館。歌川広重を中心とした浮世絵の収集・展示を行っているところ。

展示室は1階と2階に分かれていて、1階にはよく知られている保永堂版の「東海道五十三次」が各宿場ごとに展示されている。こちらは、旅人と同じ目線で描かれた作品が多い。ただこれが2階の展示室に行くと、「狂歌入東海道」という別バージョンが見られる。「東海道五十三次」というと先に見た保永堂版が全てなのかという認識しかなかったが、実際はいろいろなバージョンがあるそうだ。この「狂歌入東海道」は、絵の中に狂歌を書き込むとともに、絵の構図も街道から一歩引く、あるいは鳥瞰図のような角度で描かれている。宿場に暮らす人たちや旅人たちの表情は見て取れない作品が多いが、その分、町のあらましがよくわかるようだ。改めて、広重の絵の才にうなるばかりである。

・・・さて、朝から出てきた中山道の旅も、もうこのくらいでいいか。もう一ヶ所くらいは行くことができるのかもしれないが、早々と名古屋まで戻り、何なら帰りの近鉄特急も早い便に替えてもらうことにする・・・・。

(余談)
帰宅途中に寄った書店で、早速島崎藤村の『夜明け前』の第一部を購入。このブログを書いている時点で第一部の上巻を読了したところだが、何と言うか、淡々とした記述である。司馬遼太郎が書くような歴史小説ではない(近いものを挙げるとすれば、同じ歴史物でも細かな取材にもとづき、どちらかと言えば市井の人たちの立場から見た歴史ということで、吉村昭がそれに近いかなと)。これが日本近代文学史上で名高い作品と言われるのに納得するのにはもう少し時間がかかりそうだが・・・・。
コメント

馬籠峠を越えて妻籠へ

2015年06月16日 | 旅行記C・関東甲信越
名古屋発サイコロの旅・・・で行くことになった馬籠・妻籠。プラス、その両宿場間を、ウォーキングで結ぶというものである。

馬籠宿の東の端、広場が設けられているところで恵那山から西に開けた景色を見て、ここから妻籠を目指す。東海自然歩道、その道標では8キロをすでに切っている。まあ、ざっと二里と考えればいいのだろうが。

まず林道を抜け、県道を渡って今度は竹林の中を行く。まだ午前中ということもあり、妻籠方面から来るハイカー、ウォーカーにはほとんど出会わない。欧米系の女の子の二人連れがぺちゃくちゃしゃべりながら歩いてきて、私の顔を見ると「コンニチワ」と声をかけてきた。これが宿場町エリアなら、お互いまずこうして声をかけることはない。それが山道というには緩やかな竹林、雑木林の道で出会うと挨拶になるのは挨拶になるのは、外から見れば不思議な光景なのかもしれない。どういうメカニズムがあるのだろうか。

そうした中でもポツポツと人家も現れる。中には湧水を畑の横を通してそのまま落としている家もある。小さなボックスで受けているが、山から出た新鮮な水が流れ落ちている。ここで顔を洗い、まだまだ先の妻籠を目指す。この先、妻籠までの道のりでこうした湧水というのか、山道ながら結構水というのに触れることがあり、ちょっとした憩いである。

途中で梨の木坂というのに差し掛かり、それを上がると十返舎一九の石碑がある。「渋皮の むけし女は 見えねども 栗のこはめし ここの名物」・・・というもの。これは馬籠を褒めているのかけなしているのか。

途中のところどころではこうした鐘がある。熊除けということだ。確かにこうした静かな山道では、季節によっては熊が出るかもしれない。ただこんな鐘一つで熊除けになるのかという不安はある。一方で、時折並走する車道からはバイクのエンジン音が聞こえてくる。ツーリングの定番コースなのだろうか。そうした音のほうが熊除けになりそうな感じだ。

しばらく坂を上ると集落に出る。峠の集落というそうだ。街道に沿って小さな集落ができており、今でもちゃんと住んでいるのだなと思う。中には最近移ってきたのか、外装を新しくした家もある。その一方で江戸時代、明治時代から時間が止まった感じの家もあり、戸に近寄ると中から猫が顔を出してびっくりして家の中に引っ込む。こうした家は表札こそ出ているが、果たして現在住んでいるのかどうかと疑いたくなる。猫屋敷になっってしまったのではないかとか。

この集落を抜け、車道である県道に出てしばらく行くと「馬籠峠」の標識が出る。現在ここが長野県と岐阜県の県境である。標高約800m、峠の茶屋というのもある(営業している様子はないが)。地形図で見れば馬籠宿から馬籠峠までは比較的急な上り、馬籠峠から妻籠宿までは緩やかな下りである。

林の中の道を行く。自然な山道で、いかにも旧道を歩いているという感じがする。川のせせらぎもいい感じだ。ただ周りの木々を見るとところどころに折れて倒れたり、斜面が崩れたところもある。大雨の被害を受けやすいところなのだろうか。

林の中から少し開けたところに出る。前方からオカリナの音がする。そこには一軒の古民家がある。ここは一石栃立場茶屋跡というところで、250年ほど前の家をNPOの手で改築、保存したもの。今では歩いて旅する人たちの休憩所として開放している。ここで顔や腕を洗い、お茶や飴の接待を受け、私もしばし休憩。オカリナは、妻籠方面から歩いてきた人が吹いていたものだった。おもてなしをしてくれた男性は名古屋在住とかで、途中まで列車でやって来ては、それぞれの宿場間の旧街道を歩くというのを繰り返しているとか。確かに、東海道と比べれば旧街道の趣きが残るところが多い中山道、歩いて行くのには面白い街道と言えるだろう。

再び川の瀬音を聞きながらのウォーキング。妻籠宿方面からはポツポツとすれ違う人に合う。宿場町エリアでは人とすれ違っても挨拶することはないが、こうしたところではお互いに自然と挨拶が出る。

「男滝・女滝」の標識が見える。中山道から少し脇道を下ったところである。那智や華厳といった高い落差があるわけではないが、こうした山奥にあって清々しい風情を醸し出している。昔の旅人たちもこの滝の景色を見てしばしの憩いを楽しんだことだろう。

名古屋を出たのが朝早かったし、また結構歩いたことで空腹感がある。妻籠宿までもう少しだが、ここで早い昼食ということにする。ちょうど男滝を見るところに木のベンチがあり、他に訪れる人も滝の写真を撮ればすぐに行ってしまうので人の目も気にならない。別に男滝での昼食を予定していたわけではなく、ただこうした旧街道のウォーキングに合う食べ物といえば・・・やはりおにぎりかな。名古屋駅で、本来なら新幹線に乗る人が車中で朝食を取るというの当て込んだおにぎり弁当を仕入れていた。お茶が「東海道」というのはご愛嬌ということで・・・。

ここまで来ると妻籠宿も少しずつ近づく。ちょっとした集落を抜け、九十九折の石畳の道を下る。ちょうど下からリュック姿の30~40人くらいの集団が上がってくる。おそらく、朝の列車で中津川まで来て南木曽行きに乗り継ぎ、妻籠を歩いて来た人たちだろう。「お疲れ様です」「ご苦労さんです」と、それぞれ声をかけていただく。いやそんな、大層なことはしていないのだが・・・。

石畳を下り、庚申塚を過ぎると風情ある旅籠の家並みに出る。妻籠に着いたかと思うが、ここは「大妻籠」というところ。いわゆる観光エリアの妻籠からは離れているが、その分閑静な風情を楽しむことができる。天気がいいためか、建物の軒先に布団を干す旅籠もある。このあたりも民宿として宿泊客を受け入れているようだ。

私もこれまで全国あちらこちらの町で宿泊したことがあるが、そのほとんどがビジネスホテル。学生や社会人の若い頃はユースホステルも結構利用していたが、この数年はほぼビジホである。こういう「旅籠」というのに泊まった経験というのはほぼゼロ。一人旅だとなかなか受け入れてもらえないのかなとか、割高なのかなとか、予約するにしても敷居が高いイメージがある。まあ、いつかは一度泊まって、かつての旅人たちの風情に少しでも近づくことができればと思うのだが・・・。

ここまで来れば妻籠宿まで近付いたのを感じる。そのまま進んで妻籠宿の寺下地区にたどり着く。馬籠から妻籠という、メジャーな宿場町を結ぶ多少タフなウォーキングコースを結構楽しむことができた。印象に残ることも多く、これからどう活用していくのかが楽しみである・・・・。

コメント

岐阜の馬籠宿

2015年06月14日 | 旅行記D・東海北陸
7日の早朝、中日新聞と中日スポーツを片手に乗ったのは中央線の中津川行き。前夜のサイコロの結果出たのは、「4.馬籠、妻籠」であった。

8両という長い編成は、前夜から朝まで名古屋市内で遊んだ若者と、リュックやトレッキングシューズに身を固めた中高年の姿が目立つ。私も車窓半分、新聞半分で列車に揺られる。近郊住宅が広がるかと思えば、古虎渓のような渓谷ムードの区間もある。

8時に中津川に到着する。階段を上がって南木曽行きに乗り継ぐリュック姿の人が結構いる。南木曽は妻籠宿への最寄駅で、そちらに向かうのだろう。一方で、多くの人が改札口を出る。改札口を出たところにはオレンジのブルゾン姿の係員が大勢立っている。こちらは私と同じ馬籠宿に向かうのかなと思うが、JR東海の「さわやかウォーキング」の受付である。苗木城を巡るコースである。中津川にある苗木城は江戸時代の苗木藩主・遠山氏の居城で、今も石垣が残る山城である。山城と言えば但馬の竹田城が「天空の城」として爆発的なブームになったが、ここ苗木城も雲海のスポットなのだとか。ちょっとした山登りなので、リュックやトレッキングシューズの人が多いわけだ。こういう城があるというのは初めて知った。一瞬、そちらに切り替えてもいいかなと思ったが、予定通り馬籠行きのバスに乗る。ウォーキングの賑わいに比べ、バスの乗客は私の他はカップル1組だけ。

バスは中津川の町を抜け、山の中に入っていく。遠くに落合ダムを見て、落合宿に入る。バス停の「落合」では英語のほかに中国語、韓国語の案内も流れる。落合にはユースホステルがあり、2004年にドライブで妻籠、馬籠を訪れた時に泊まったことがある。近くに落合の石畳というのがあり、中山道の雰囲気に少し触れたことがある。バスは幅の広い県道を走るので見ることはできないが、落合の石畳を過ぎると美濃と信濃の国境の石碑があり、また「是より北 木曽路」の碑もある。

中津川から30分ほどで馬籠宿に到着する。青空が清々しい。まだ朝のことで観光客の姿はさほど見られないが、欧米系の旅行者の姿もちらほらと見える。今回はこの馬籠宿から妻籠宿まで、合わせて二里(8キロ)を歩くことにする。

まず見えるのは道が直角に2回曲がった「桝形」。宿場町への外敵の侵入を防ぐ目的で作られたものだが、確かこういうのは「鍵の手」というのではなかったかと思う。ところによって呼び方が違うということか。

桝形を抜けると、石畳の並ぶ道が伸びる。両側の土産物屋や食堂がぼちぼち店開きをする頃合いである。観光案内所でパンフレットをもらった時、ふと「完歩証明書」というものに目が止まる。馬籠~妻籠間を歩いたことの証明ということで、200円で買い求め、受付印を押してもらう。後は妻籠の観光案内所でスタンプをもらうことにする。

手板を持った人に声をかけられる。岐阜県の観光アンケートという。馬籠までどうやって来たか、この後はどこに行くか、交通費、宿泊費、食費、土産物代はどのくらい使うか・・・ということの聴き取りである。

岐阜県のアンケートと聞いて、ああそうかと思い出すことがある。この馬籠というのは、先ほど落合での美濃と信濃の国境の石碑にあったように、元々は信濃の国、時代が下って長野県山口村に属していた。ただ地形的には岐阜側の中津川と連なるところであり、宿場町の坂道の東を向けば木曽の山が聳えるのに対して、西を向けば中津川から向こうの盆地の広々とした景色が見える。こうした地形のこともあり、経済的にも岐阜とのつながりが強いところ。それが2005年に長野県から県を超えて岐阜県の中津川市と合併した。当時の田中康夫・長野県知事は合併に強硬に反対していたが、結局は合併ということになった。馬籠といえば島崎藤村の出身地としても有名で、藤村も信州のイメージが強いが、今の呼び方になると岐阜県出身ということになる。

ただ一方で、旧山口村、馬籠というのは律令制の頃は美濃の国であり、信濃の国になったのは江戸時代の話だという。だから岐阜県中津川市になったのは、昔の国割に戻ったのだと。それにしても、「長野県から岐阜県」というのは大きいと思う。これが「愛知県から岐阜県」なら、同じ東海地区の中での県またぎというところだが、長野と岐阜では「信越」から「東海」という地方またぎである。もっと言えば長野県は「東国」のイメージがあり、岐阜県は「西国」のイメージがあり、東日本から西日本に移るということである。考えればこれは大きな出来事である。

地元の人たちは岐阜県民となったことで日常生活が便利になったと感じることが多いだろうが、観光客の中にはやはり馬籠は妻籠とセットで信州というイメージがまだ強く残っている。このアンケートは、「岐阜の馬籠」としてこれからどうアピールするかというのを考える一つの取り組みなのだろう(アンケートのお礼にいただいたのは、飛騨の白川郷の合掌造りの写真をあしらったしおり。何だか複雑な気分)。

アンケートに答えたりするうちに藤村記念館が開く。前に来た時は入らなかったと思う。旧本陣に生まれた藤村を顕彰するために地元の人たちが建て、馬籠のシンボルとなっている。この馬籠、今でも風情ある建物が並ぶが、そのほとんどは復元されたもの。山の尾根に並ぶ坂の町ということで水の便が悪く、過去何度も火災が発生し、本陣はじめ由緒ある建物の多くは焼失している。

記念館の中には藤村ゆかりの品々が展示されている。「木曽路はすべて山の中である」という書き出しで知られる『夜明け前』の直筆原稿もある。馬籠や妻籠という宿場町を全国的に有名な観光地に押し上げたのは『夜明け前』のこの一文もあったところだが、実はこの長編、まだ読んだことがない。ただ、書き出しだけ知って中身を知らないというのは具合がよくないだろう。藤村記念館に来たということもあり、この日大阪へ戻る途中で文庫版を購入した。第一部、第二部とあってそれぞれ上下巻あるから、合計4冊読むことになる。

藤村記念館にほど近い馬籠脇本陣史料館にも立ち寄る。本陣の建物自体は焼失したが、上段の間が復元されていたり、当時の旅の用具なども展示されている。中山道の雰囲気というのを今に伝えるところである。

そろそろ観光客の姿が増えてきた頃で、宿場の上に至る。高札場を過ぎると展望広場が整備されており、ここから恵那山を仰ぐ。眼下には馬籠宿、そして向こうには中津川の町並みも見える。予備知識なしで、地形の感じだけで見ればやはりここは岐阜県なのだと思う。

この広場に「越県合併記念碑」がある。この文面を見ると「もともと山口村(馬籠)は岐阜のものだ」というニュアンスが伝わってくる。記念碑にある合併議案の提出者として長野県議会議長、岐阜県知事、中津川市長、山口村長の名が連なっているが、そこに「田中康夫」という文字はなかった。

ここで家並みはいったん途切れ、ここから馬籠峠への上り、そして妻籠宿へ向かう。県をまたぐウォーキングの始まりである・・・・。
コメント

名古屋発サイコロで行き先決める旅

2015年06月12日 | 旅行記D・東海北陸
名古屋は中央線大曽根駅前で大学時代のC氏と会食した後で、あることをお願いする。それは、サイコロを振ること。

名古屋二日目は、帰りの列車の時間まで東海地区で過ごすことにした。例によってサイコロで行き先を決めるわけだが、これまでの「関西私鉄サイコロしりとり」や、西国三十三所巡りの次の行き先を決めるのはいわゆるサイコロのアプリで決めていた。

ただ今回はC氏がいるのだからと、家から実物のサイコロを持参して、これを振ってもらうことにした。

当初は、普段なかなか乗る機会のない名鉄線、そして訪れたことがない沿線を中心に、以下の選択肢を作っていた。

1・・・岐阜、尾西、一宮

2・・・犬山、明治村

3・・・名古屋市内

4・・・知多半島

5・・・岡崎、蒲郡

6・・・豊橋、豊川

特に名鉄の支線となると乗ったことのある路線自体少ないし、訪れたことのない町がほとんど。せっかくの機会かなと思った。

ただ、ふと「JR東海の青空フリーパスがあるな」と気付く。名古屋近郊の1日乗車券で、エリアの端は東海道線二川、飯田線飯田、中央線木曽平沢、高山線下呂、東海道線米原、関西線亀山、参宮線鳥羽、紀勢線紀伊長島、伊勢鉄道とものすごく広い。これで2570円。単純に豊橋まで往復しても元が取れるし、料金を払えばワイドビューひだや南紀といった特急にも乗ることができる。

う~ん、名鉄沿線もいいが、こうしたきっぷがあるのなら、初めてだが使ってみようか。

ということで、名古屋到着までに選択しなおしたのは・・・

1・・・下呂温泉

2・・・犬山、明治村

3・・・知多半島

4・・・馬籠、妻籠

5・・・飯田線小和田駅

6・・・浜松

この中で、下呂と浜松は、列車で何回も通っているが一度も下車したことがない。また、明治村や馬籠、妻籠はずいぶん前に訪ねているが、また行きたいところ。知多半島は武豊線側に行っただけで、セントレアや常滑、師崎は未踏の地。小和田駅は秘境駅のツアーで下車しているが、以前のウォーキングツアーで到達を断念した徒歩一時間という塩沢集落を目指すリベンジ。また、前はバスやクルマで訪ねた馬籠、妻籠も、今回は二つの宿場町を徒歩で結ぼうと思う。

・・・ということで、C氏のサイコロである。エイヤッと振って出たのは・・・・?
コメント

勝ったのはいいんだが・・・

2015年06月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦の負け越しが決まっているオリックス・バファローズ。11日の試合はスワローズ相手に勝利。

まあ、連敗も止まったし、ここから憎き西宮狂虎軍に3つ勝てば少しは溜飲が下がる。

私は、そんなキ○ガイばかりの黄色い連中、そしてそれを宗教以上に偏向的に崇め奉る関西マスゴミが我が物顔に居座る空間で同じ空気を吸うことが苦痛なので(実際、阪神電車で黄色い連中と乗り合わせて吐き気がして隣の駅で降りたことがある)見に行かないが、まあ、頑張ってほしい。

連敗は止まった。先発ディクソンはリーグのハーラートップに並ぶ7勝目。これはいい。まさに孤軍奮「投」。

ただ、勝ち方は不満。

・・・何で中島が本塁打を打つのか・・・。

マスゴミの捉え方、そしてファンの皆さんも中島の本塁打にご満悦、特に「ナカジー」などとのたまうオリ姫どもには申し分ない展開だろう。

・・・ただ、そんな勝ち方でいいのかな?

チームに悪影響を及ぼした選手が、たかが本塁打1本打ったくらいで、やれチームの救世主だの、やはりナカジー様が4番を打たないとダメだの・・・どうかしている。これが、たまに出た試合で打点を積むものだからタチが悪い。まあ、これでまた中島の勘違いが始まるだろう。下手に本塁打など打たず、4タコでベンチに引っ込んだ方が将来的にはプラスになる。

福良監督代行ならバッサリ斬るかと思ったが、昇格させて4番起用とか、相変わらず小谷野を上げるとか・・・どうかしている。まあ、森脇監督の時も実際の作戦を立てていたのが福良ヘッドコーチだったわけで、それが監督代行になったとしても結局同じことでしかないのか・・・・。
コメント

四日市あすなろう鉄道

2015年06月10日 | 旅行記D・東海北陸
この4月、「公有民営方式」という形で新たに発足したというか、存続した路線がある。近鉄の内部・八王子線。

かねてから存続問題があがっていて、近鉄側は鉄道を廃止してBRT化を主張。しかし地元四日市市は鉄道での存続を強く望んだ。折衝の結果、施設や車両は四日市市が保有し、列車の運行は四日市市と近鉄が出資する新会社で行うという「公有民営方式」で両線は存続することになった。そして名付けられたのが「四日市あるなろう鉄道」である。未来への希望とか、「アスナロ」という言葉に加えて「ナローゲージ」というのがポイントである。それで「あすなろう」。まあ、この「公有民営方式」自体はあちこちで行われていてそう珍しいものではない。コストのかかる施設や車両部分を「公」のほうが持つという形を含めて。

ナローゲージで細々とした路線という印象はあるが、四日市の人たちにとっては欠かせない足である。これまで近鉄時代にも何回か乗ったが、悲惨なローカル線という感じはなかった。便によっては3両の列車に立ち客も出るくらいのもの。近鉄の主張としては、乗車人数はそれなりにあっても、「ナローゲージ」という特殊事情ゆえに、車両のメンテナンスや代替が難しいというのがある。地方の中小私鉄なら、旧国鉄~JRや大手私鉄と線路の幅が同じということがあり、その鉄道から一線を退く車両を引き取って運転させることができる(その最たるものは大井川鉄道だと思うが)。ただ、ナローゲージはかつての軽便鉄道。最近だとかつては近鉄の路線だった三岐鉄道北勢線しかない。こうした背景もあり、車両を維持するのが今となってはものすごく大変だという実態はある。

そこを押し切っての鉄道存続である。今回名古屋まで遠征するに当たり、試合までの時間はあるのだからと、新生あすなろう鉄道に乗ってみることにする。

朝に大和八木からアーバンライナーに乗車する。朝のゆったり感を味わいつつ、四日市に到着する。

高架の近鉄四日市だが、内部・八王子線はその高架下からひっそりと出発する。かつては同じ近鉄でも一度改札を出て、渡り通路を歩いて行くということで「別会社」というイメージを持ったものだったが、このたび本当に「別会社」になってしまった。ホームも名古屋線・湯の山線からの続き番号が振られていて「内部・西日野方面」という案内板だったのが、「四日市あすなろう鉄道」の案内になっていた(逆に、あすなろう四日市からも「近鉄線のりば」という案内だったが)。

というわけで、券売機で1日乗車券(550円)を購入した後に四日市あすなろう鉄道に乗る。四日市からは内部行と西日野行が交互に出る運用で、ホームにいたのが内部行ということでそのまま乗る。区間が長い内部線を先に押さえたほうがよいかなと。ちなみに四日市から内部までは片道260円で、往復してプラスアルファすればすぐに元が取れる。

公有民営方式に移管したためか、駅名票も新しい。またデザインも今風である。ただ、車両は塗装を含めて近鉄時代そのまま。前の2両はロングシートで、後の1両は路線バスの座席のような一人掛け席。四日市方を向いている。列車はガタゴトというよりは、タン、タンという感じで走る。線路と沿道の家々の距離が近い。

八王子線の分岐駅である日永を過ぎ、交換設備のある泊を通ってやってきたのが追分。今までに内部・八王子線には何回か乗っているが、いずれも終着駅を目がけて乗りっぱなしで、途中で下車したことがない。内部まで残り2駅だが、ここで下車する。駅舎は最近建てられたような造りだが、そのものは無人駅である。駅前の道路は旧東海道で、クルマがしょっちゅう行き交っている。その合間を縫って少し歩く。

追分という地名は日本のいろいろなところで使われていると思うが、ここは「日永の追分」と呼ばれる。東海道と伊勢街道の「追分」である。現在は国道1号線の交差点であるが、1号線は旧東海道ではなく旧伊勢街道を走っている。「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんはここから伊勢街道を通った。小さな史跡があり、街道の行き先を示す石碑や湧き水、伊勢神宮に向いた鳥居がある。その昔、東海道に向かう人たちも、せめてここからお伊勢さんを拝んだことだろう。

駅に戻る。壁に「あすなろう新聞」というのが掲示されていて、開業の様子を伝える。近鉄が手放した今、より地域に根ざした運営が望まれる中で、地元商店も早速動いているようだ。追分駅前の洋食屋さんも、列車を借りきって「ワイン列車」なるものを仕立てたそうだ。

追分から再び内部行きに乗り、2駅で終点内部に到着。ここは車庫もあり、四日市と並ぶあすなろう鉄道の中枢である。列車が着くと、これが折り返すのではなくバタバタと入れ替え作業が始まる。

駅前に出る。駅前と言っても路地のようなところで、知らなければまず素通りするところ。出たところの民家の格子には、以前は内部線の廃止反対を訴える写真パネルがあった。ただこの日はその下に、鉄道存続、あすなろう鉄道開業を祝うメッセージが加わっていた。

次の列車までの間、駅前を少し歩く。道路沿いの鉄板焼の店の駐車場から内部駅の構内が見えるのだが、何とその店が閉店して「テナント募集」の看板が出ていた。やれやれ。

折り返しの列車が駅に着いたのをカメラに収めて戻ると改札前には人だかりができている。出発時刻が近く、折り返しの列車が来ているのに、改札が閉じていて中に入れない状態だ。で、準備が整ったかと思うと出ていってしまう。少し走って止まり、向きを替えて横の車庫に入線する。代わりに来たのは、先ほど私が乗ってきたほうの車両。元々そういう運用だったのか、あるいは車両トラブルか。定刻から5分ほど遅れて出発。

今度は先頭の一人掛け席に陣取る。それにしてもこうして乗っていると、列車よりバスの感覚に近い。

日永に到着。東海道と伊勢街道が分かれる「日永の追分」ではないが、この駅でも線路が分かれる。先ほどの内部線と、もう一つの八王子線の西日野行き。内部から四日市に向かう列車は四日市から西日野に向かう列車と日永で交換する。また、西日野から四日市に向かう列車は四日市から内部に向かう列車と日永で交換する。・・・と文章で書いて、どれだけの方が一回で理解されるかはわからないが、近鉄時代から、このあたりの交換ダイヤはピタリとはまっていて、わかりやすさを感じさせる。

で、西日野行きはホーム向かい側に停まっていて、私が慌てて乗り込むと同時にドアが閉まる。同じような近郊住宅地とところどころの田んぼという景色を走り、一駅、西日野に到着。列車が遅れていることもあり、折り返しも慌ただしい。私も駅の写真だけ撮ってすぐに車内に戻る。乗客の中には中日ドラゴンズの応援グッズを身に固めた親子連れがいる。私もこの後でナゴヤドームに行くのだが・・・・。

西日野からそのまま四日市に戻る。四日市あすなろう鉄道、近鉄時代に何回か乗っているが、そう劇的に何かが変わったという感じはなかった。まだ転換から間がないこともあるのだろうが。

このたび、鉄道存続か、バス転換かの選択で、地元は前者を取った。この選択が正解だったのかは、この1~2年というよりは、10年20年というスパンで見ることになる。やっぱりバス転換かもしれず、逆に線路の幅を広げるかもしれない(技術的に可能かは別として)。

ともかく、新しい、そして珍しい路線。これからも応援したい・・・。

さて四日市からは近鉄で名古屋へ。ドームの開門には時間があるので、駅地下へ。味噌煮込みうどんの山本屋に行こうとすると、改装のため休業中とか。そこで味噌カツの矢場とんに向かう。ここも久しぶりだ。ここの楽しみは、カツ2枚の「わらじとんかつ」。1枚はソース、もう1枚は味噌でいただくのがよい。昔とはシステムが変わったのか、運ばれる時は何もかかっていないところ、後から店の親父が口上を言いながら味噌を上からかけてくれる。前は味噌がかかった状態で運ばれたと思うが、後からこうしてかけたほうが美味いのかな。

カツ2枚が結構こたえるようになったのは、それだけ年を取ったことかな(過去2度完食した、越後湯沢の「大爆おにぎり~コシヒカリ4合分」を中途で残したのが昨年の夏)。ならばと、その分は歩く。名古屋駅を出て気ままに歩くうち、名古屋城の外周、そして独特の造りの名古屋市役所まで来た。個人的には、ごく普通の天守閣の名古屋城よりは、中国の城市にもありそうな市役所~県庁と並ぶ一角のほうが「旅に来た」感が強い。

・・・という後で、ここから地下鉄名城線でドームへ移動した・・・・。
コメント

観戦記~名古屋に遠征・金子がようやく今季初勝利

2015年06月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
さて試合開始。試合開始後しばらくしてC氏も到着する。野球観戦自体久しぶりとのことである。最近は仕事の関係もあって行けていないが、元々Jリーグの名古屋グランパスの応援をしており、奥さんともその縁で知り合ったというほどの男である。

ドラゴンズの先発は左腕のバルデス。初回からレフトスタンドの一角から大きな声援が飛ぶが三者凡退。

一方のバファローズ先発の金子。初回はルナにボテボテの内野安打を許すが後続を抑えてゼロの立ち上がり。前回は6回まで投げたが、果たしてこの日はどこまで行けるか。

二回、バファローズはT-岡田、糸井の連打で一死一・二塁とチャンスを作る。しかし左腕対策で起用された川端がショートフライ。伊藤は三塁線に上手く打ったがルナが打球を止め、強肩を見せて一塁アウト。このプレーにスタンドは大いに沸く。

三回、ドラゴンズは先頭の松井がヒット。続くバルデスはバントの構え。まあ当然だろうなと思っていると、ヒッティングに切り替える。ところがショートへのゴロとなり、併殺。そして続く大島にヒットが出るが無得点。「勝負はえてしてこういうものよのう」とC氏。ドラゴンズのちぐはぐな攻撃はここから続くことになる。

イニング間にはバズーカでスタンドにカプセルが放たれるイベント。ドラゴンズのチアガールにBs Girlsも加わり、「わざわざ来ているのか」と、C氏も思わず双眼鏡でその様子を見る。

四回、ドラゴンズの攻撃のところでトイレと買い物で一旦席を立つ。何やら歓声が起こっている。用を足して席に戻ると、「お前がいなくなった間に立て続けに満塁だぞ」と。森野、平田、エルナンデスが三連打で一死満塁。うーん、金子もヤバイな。せめて1失点で切り抜けられるか。

ところが、続く藤井が二塁への併殺打。「お前が座っていたらいいのか」とC氏。いや別に、私そういうのを持っているわけではなく・・・。

で、五回。ピンチの後には何とやらではないが、まずは糸井がヒット。続く川端がバントするが、打球はホームベース前にポトリと落ちて止まる。松井がすばやく捕って二塁へ。糸井はあえなくアウト。川端はセーフになったが、インフィールドフライとバント失敗ではついていない。

これであかんかというところで、先ほど三塁線の当たりをうまく捌かれた伊藤がレフトへ放つ。先制の二塁打となる。

ここでバルデスのリズムが狂ったか、安達の四球、西野のヒットで満塁とし、続くヘルマンに押し出しの四球。

なおも満塁でカラバイヨがセンターにきっちりヒットを放ち、この回だけで一気に4点。バルデスが急に乱調となったのも謎だが、一挙4点は金子への大きなプレゼントである。

ただその裏、バルデスの代打・工藤と大島に連打が出て一死一・二塁。ところが続く亀澤がショートへの併殺打。これで金子は助かる。見ていて、金子の投球も絶対的によいというわけでもなく、C氏も「手も足も出ないというのじゃなくて、これぞ『拙攻』だなあ」というように、ドラゴンズ打線がチャンスをつぶしているようにも見えた。

六回からはドラゴンズは2人目の武藤が登板して無失点に抑える。一方の金子、あの様子では5回でとりあえず勝ち投手の権利を持って降板かなと思ったが、6回も登板して三者凡退。まあ7回の先頭打者だから六回で交代かなと思ったが、そのまま打席に入った。

スタンドに「燃えよドラゴンズ」が流れた七回、ドラゴンズは先頭の藤井が一塁へのボテボテの内野安打で出塁。続く松井だが、金子へのライナー。藤井は塁に戻ることができず併殺。これで4つ目。C氏も呆れた表情をする。

その攻撃ムードが連鎖したわけではないだろうが、八回前恒例のドアラのバック転・・・・も見事に失敗。スタンドから出るのはため息ばかりである。

八回からは中継ぎに回った平野佳が登板。一死から亀澤がヒットで出塁して、これで二桁安打。しかし続くルナはセカンドへのゴロ。また併殺か・・・がかろうじて一塁セーフ。続く森野もヒットで続く。迎えるのは一発のある平田。今季の平野佳ならひょっとしたら劇場になるかも・・・という危機感があり、一塁側、ライト側からは一発を期待する大きな声援が飛ぶ。しかし空振り三振。「11安打で0点って、なかなかできるもんじゃないぞ」と呆れ顔のC氏。翌日の中日新聞、中日スポーツはどのように書き立てるだろうか。

最後九回は佐藤達が登板。セーブはつかない場面だが、今のチームなら個人のセーブよりも、確実に抑えにかかることが優先だろう。エルナンデス、藤井と連続で見逃し三振に切って取る。最後は代打でガッツ小笠原が登場するも、力のないファウルフライ。これで試合終了。

ヒーローインタビューはもちろん金子。ドラゴンズの拙攻に助けられた面は大きいが、結果無失点で切り抜けたのは大きい。二軍戦で一度も投げずに一軍登板したのはどうかと思うが、考えようによっては前の2試合が調整登板で、この日が実質初登板とも言える・・・のかな? それはともかく、チーム浮上に必要な「背番号19の勝利」が叶ってよかった。

一応ドラゴンズファンのC氏にとっては残念な試合だったが、Bs Girlsには満足だったようで「そっちのお姉ちゃんはレベル高いな~」などと言う。いやいや、これは遠征組で、本隊はもっと数おりますから・・・。

さてこの後ということで、地下鉄は混雑するということで、C氏の案内でJR、名鉄も乗り入れる大曽根まで歩く。20分ほど歩くのだがJR沿線ならこのほうが移動が早いし、栄にも名鉄で行けるからトータルで見ればこのほうが便利なのだとか。

ということで、大曽根の駅前で祝杯とする。どうせなら名古屋らしいものをということで探したところ、駅前に「やぶ屋」というのを見つける。ホルモン焼きの店だが、名古屋らしく赤味噌ベースのタレで焼くというのが気に入った。C氏と会うのも久しぶりということもあり、野球以外の仕事や学生時代のことなど、いろいろと話すことができた。

ドラゴンズに2連勝で、3カードぶりのカード勝ち越し。7日も西の好投で3連勝を期待したい。6連敗の後3連勝となれば、結構ムードも良くなるのでは・・・?
コメント (3)

観戦記~名古屋に遠征(試合前あれこれ)

2015年06月06日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
この6~7日は名古屋での交流戦、中日ドラゴンズ対オリックス・バファローズ戦の観戦を絡めた遠征である。おそらく今季の交流戦の観戦は6日の試合が最初で最後となりそうだ。

ナゴヤドームでの観戦は4年ぶりのこと。これと絡めて名古屋での一泊ということにする。そこで今回は、大学時代の同級生で愛知出身のC氏に、試合終了後に会食をどうかと声をかけた。すると「何なら、野球も一緒に行こう」という返事。ナゴヤドームは全席指定なのだが、座席指定ができるプレイガイドのサイトを見れば私の隣の席がたまたま空いていた。こちらを確保し、三塁側上段パノラマ席で並んで観戦することとなった。チケットは先に郵送し、直接現地での合流ということで。

15時からの試合開始のところ、開門時間の13時前に地下鉄のナゴヤドーム矢田駅に現れる。改札口からドームに続く通路には、ドラゴンズ関連のパネルがズラリ。こういうのを見ながら歩くのも楽しいものである。

ドームに到着。もちろんさまざまな格好をしたドラゴンズファンが多いが、バファローズファンも、ゴールドやネイビーのBs Spiritsユニフォーム、あるいはオリ姫ユニフォーム姿の人が結構目立つ。関西から日帰り、あるいは一泊ということで遠征に来ているのかな。

C氏が来るのは試合開始に間に合うかどうかというタイミングのようで、それまでは気ままに散策することとする。ちょうどドラゴンズのチアガールがステージに立っていて、応援歌のダンスを披露していた。

そしてその後に登場したのはBs Girlsのうち、パフォーマンス担当の4人。交流戦ならではということで名古屋遠征である。バファローズファンからは「待ってました」とばかり歓声があがる。その「濃さ」は先ほどのドラゴンズのチアガールに対するドラゴンズファン以上。ダンスに合わせて唄ったり合いの手を入れるバファローズファンの姿に、ドラゴンズファンも「すごいな~」と驚いた様子。

さて入場。指定席は上段の最前列。グラウンド全体をかぶりつきで見ることができる。開門時刻の時間帯はビジターチームの打撃練習時間ということで、普段大正ドームや神戸では見られないバファローズ選手の打撃練習を見ることができる。糸井、ヘルマン、T-岡田といったところのスイングを見る。

バックスクリーンにはいろいろなPRが流れるが、その中に「ドラゴンズミュージアム」というのがあった。ライトスタンド後方にあるそうで、そういうのがあるのならということで行ってみる。バファローズのユニフォーム姿でライトスタンドの通路を歩くのはちょっと気が引けるが、そこはパ・リーグの球団ということで見逃していただければ。

ドラゴンズミュージアム、いろんなものが圧縮されている。球団の年譜もあるし、優勝のペナント、懐かしいユニフォームやらトロフィーの数々があり、ドラゴンズの特にオールドファンにはたまらないものだろう。私の世代なら、リアルタイムでテレビで野球中継を見出した当初なら宇野、谷沢、田尾、平野、小松、牛島・・・この辺り。

ドラゴンズの歴代監督のパネルもある。ほとんどがドラゴンズでのプレー経験者の中で、阪急ブレーブスのエース・山田久志が2年間とはいえドラゴンズの監督を務めていたのは、異例のことだろう。・・・まあ現実にはないことだろうが、バファローズの森脇監督が休養~辞任ということになった中で、次期監督に「山田久志」という選択肢もあっていいと思うのだが・・・・。

試合前にいろいろと回り、そろそろ席に落ち着く。レフトスタンドの一角にはバファローズファンが密集して気勢を上げている。スタメン発表があり、バファローズの先発はあの「背番号19」、ドラゴンズは左腕のバルデス。

・・・・ここまで長くなったので、試合の中のことは次の記事で・・・・。

コメント