まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

こういう形での復興支援『ここから始まる』

2011年05月30日 | ブログ

東日本大震災の発生が3月11日。まだ最近のことにも思えるが、一方でもう結構前の出来事かなと思ったりもする。ただ「結構前の出来事」と思っていること自体、自分には当事者意識というものがないのかと、これは自戒しなければならないな。

東北新幹線も開通して、東北への道は元に戻ったかのように見える。ただしかし、津波で被害を受けた路線はまだ復旧の目処すら立っておらず、まだ体力のあるJR東日本はともかく、三陸鉄道やひたちなか海浜鉄道は、果たしてこの後で元通りに列車が走ることがあるのか、正直難しいところではないかと思う。

私もこれらの鉄道に乗車したことがあり、三陸の風光明媚な海岸線、宮古や那珂湊の海の幸、阿字ヶ浦の温泉、気動車の匂い・・・など思い出されることがある。残念ながら今はそこに行くすべもないし、被災地のために何か活動をしているわけではない。一時は「東北復興のために」とまめに募金などしたり、東北料理の店に行くなどして東北を意識していたこともあったが、いつしかその気持ちも薄くなってきたなと。

そんな中、そのような気持ちに喝を入れるかのように一冊の写真集が出版されるのを目にとめた。

『ここから始まる』(広田泉著、有限会社ホームキュービック)

Bookhyoushis_3 広田泉さんは鉄道写真家。この人の名前はとくとみさんのブログで知り、昨年東京に旅行した際にはこの人や「七鉄の会」のメンバーたちの作品を集めた写真展を見たこともあるが、鉄道の車両そのものというよりは、鉄道とともに生きる人たち、景色の中に溶け込んだ鉄道という作品が印象に残っている。

その広田さんが「自分たちにできること」ということで、震災の前後で揺れ動いた「写真」というものへの思いをブログに残している。

写真家としての葛藤もつづられたその一文はこちら。http://tetsudoshashin01.blog17.fc2.com/blog-entry-630.html

うーん、こういう「何のために」という目的がはっきりしているのって賛同しやすい。ましてや鉄道ということになれば。ほぼ自費出版ということで5000部限定で、一般の書店には並ばないというので早速ネットで予約した。こういう形で復興支援の一助になれば、私の気持ちも少しは落ち着くのかなと思う(決して自己満足という意味ではなく)。

タイトルは「ここから始まる」。その思いがどのような形で表現されているか、今から期待したいものである。

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近鉄電車~南大阪線13分の奇跡?

2011年05月29日 | ブログ
関西も例年より早い梅雨入りで、やな季節になりましたな。洗濯物がなかなか乾かず、部屋の真ん中に物干し台がデンと座る有り様。こういう時に乾燥機があれば便利なのだが。

さて昨日の夕方は、高校時代の友人N君が大阪に帰省してきたこともあり、あべので会食。

まあ、私のいう会食はアルコールがつきもので、彼がまだ見たことないあべのキューズタウンへ。日本で三本の指に入るとかいう名店には行けなかったが、いわゆる大衆酒場へ。結婚式の二次会まで出た後でかけつけた彼にとっても、あっさりした料理で締めみたいな感じだったかな。

さて、そこで結構な時間を過ごし、ホロ酔いで阿部野橋駅へ。帰りの準急の列に並び、やって来た列車に乗り込み座席へ。

…そこで左手を見ると、短髪のどこかで見たような男性が座っている。思わず「あの…」と言うと先方もびっくりした表情。

いや、このブログでもその単語を見る「混戦BB会」の代表というか総裁というか、その中心にある鈍な支障さんだったんですね。

もちろんお互い待ち合わせたわけではなく、まあ同じ沿線なればひょっとして同じ列車に乗っていたということはあるかもしれないが、6両だかの編成の隣り合わせになるとはね…。これって偶然の確率にしても珍しいこと。

これが若い男女なら恋に発展するきっかけ、まさに映画・小説の『阪急電車』の世界なんだろうが、いや出会ったのがこちらもアラウンド・フォーティーの親父。やはり「近鉄南大阪線やのう」と一人ごちる。

もう少し早い時間であれば河内松原あたりの居酒屋にしけこんでそれこそ「近鉄電車」の世界に入ったことだろう。有川浩さんならどう描くか戸惑ってしまう世界。

次の例会はあべのでの暑気払い…の前に湿気払いかな?

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西村健太郎『週末夜汽車紀行』文庫版が発売

2011年05月26日 | ブログ

「今度の週末に新潟へ行くんやけど、どうやって行こうか思案中やねん」

クルマでの移動中、こう切り出したのは私の上司。実は私の上司はとある女子プロゴルフの応援活動を趣味としており、仕事に余裕があれば各地のゴルフコースを訪れている。この週末には新潟県は長岡で試合が行われるとかで、帰りは新潟空港から飛行機で帰阪するとして、行きをどうしようか思案中とのことだった。時間を有効に使うのであれば金曜日に少し早めに出て新幹線で東京まで移動して一泊し、上越新幹線で長岡に行こうかとも考えていたとか。

ただ結局選択肢として選んだのは大阪発の急行「きたぐに」。今や貴重な583系の夜行急行で、A寝台もあれば三段式のB寝台もあれば、グリーン車にボックスの自由席もあるという列車。この上司、以前に北陸での試合観戦の折に自由席に乗ったことがあるそうだが、盗難に遭いやせんか心配したり、夜中でも減光しないためにまぶしかったりでロクに眠れなかったとか。また寝台も割増料金を取る割には「棺桶に入れられてオレは火葬場に行くんか」という感じの狭いスペースとあって腰が引ける。でもまあ、新幹線の特急料金および1泊余分の宿泊料のことを考えて、結局はガマンして自由席で行くようである。

・・・・今や夜行列車そのものが希少価値ある中、大阪からは「トワイライトエクスプレス」は別格として、出発がえらい早い「日本海」、そして急行の「きたぐに」がある。週末にこういう夜汽車で旅立って、朝目覚めれば普段の会社とは違った世界に降り立つ・・・・なかなかいいものである。

さて、本日26日は週末の出勤のために休日の振替を行い、平日ながら休み。毎週土日と決まったものでなく、たまにはこういう平日の休日というのもオイシイ感じがする。近所を歩いていても普段見られない光景がいろいろと目に入る。日中は用事があり梅田まで出かけ、いつものごとく紀伊国屋書店へ。

すると、ありましたよ。著者のサイト(鉄道紀行舎)では「5月27日発売」と書いてあったと思うが。

Image_2 『週末夜汽車紀行』(西村健太郎著、アルファポリス文庫)

本書は昨年単行本で出版され、私もそれを読んだ感想などを2010年7月1日付記事に書き留めたのだが、このたびその文庫版が出版された。著者が週末を費やして出かけた数少ない夜汽車の風情を味わう紀行、その他に、今ではほとんどないものねだりのほんまもんの夜汽車でなくても、普通のサラリーマン生活の中で「夜汽車気分」を味わえる紀行もあり、それをサラリーマンが通勤電車の中でもより手軽に楽しめるようにとの文庫版である。

「この本は私にとって夜汽車紀行の最終章です」(文庫版あとがき)

そう言い切られてしまったら何だかとても寂しい気がするが、それが現実である。

そして現実といえば、一時の愉楽の時間が終わり、すぐにでも仕事の現実に戻される時の気だるい、後ろ髪引かれもフェイドアウトする文末。私もブログで紀行文を何回かに分けて書くが、いつも最後をどうまとめようか悩んでいる。こういう、少しの名残惜しさが「サラリーマン」の性が後々まで余韻として残るかな。

Image111 これで著者が「目標」としているサラリーマン旅行「三部作」のうち、『週末鉄道紀行』に続いて2つが単行本、文庫版ともに出そろったことになる。ただ「最後の一作」と考えているものはまだまだ先の話になりそうで、もうしばらくは「サラリーマン」としての旅の楽しみが続くのだろうか。そうあってほしい。

私もまた、こちらをバッグにしのばせて旅に出たいものである・・・。

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高校生採用活動

2011年05月25日 | ブログ
今年も7月1日解禁の高校生に対する求人に先立ち、事前にパンフレットを持参しての高校訪問挨拶を行う。

これまではほとんど公開求人に近い形で(それは幅広く受験の機会を与えたいということで)各工科、工業高校に声をかけていたのだが、どうもそれは職安からの指導上よろしくないとのことで、今回から学校をこちらで指定することに。

これまでの取り組みを通して、学校ごとのレベル、進路指導の先生の熱意、過去の採用実績を考慮してのことで、まあこれでいい人材が獲得できればという次第だ。

先日、大卒に高卒の就職状況が報道されていたが、一時のリーマンショックからようやく立ち直りかけた中での東日本大震災。先生方も今年はどうなるか、関西でも厳しいということを心配しておられた。

一方では、この国のこれまでの新卒一括採用や終身雇用というシステムの限界も取り沙汰されている。震災を機にこれまでの価値観を変えなければという中でどうあるべきなのだろうか。結局はそれぞれの企業で判断することなのかな。

働く人の働き方のニーズもそれぞれ。ただ、国力や社会保障の観点から誤った道筋を立てることのないよう、政治の底力が試される時ではないだろうか。

楽天の嶋選手が「見せましょう、野球の底力を」とスピーチしたような、政治に希望を与える熱意のある人はおらんのか?(…ってえらい話がそれたなあ)

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中村紀洋、横浜へ

2011年05月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
何やかんやで息の長い選手になりましたな。

昨年で楽天を自由契約となった中村紀洋。ここに来て打線強化を狙う横浜ベイスターズが獲得を表明した。三塁もしくは一塁を守る選手だが、三塁には不動の四番・村田がいるわけで、それなら一塁ということになるのか。

いや、どうなんだろう。それほど多くは望めないから代打要員というところか。村田は「全力で走れる状態で来てください」とコメントしたそうだが、結構嫌味が込められているような気がする。

同じ年齢、そしてかつての近鉄いてまえ打線の主軸ということで、個人的には好きな選手。どこまでできるかは別としても、あの豪快なフルスイングをもう一度見てみたい。そして振り切った後で、晴れ晴れとした表情で最後の幕を引いてほしいものだ…。

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『もしあなたがプロ野球を創れと言われたら』

2011年05月22日 | プロ野球(独立リーグほか)

「もしドラ」ってのがはやってるんですかね。逆にいえば、経営学の理論を導入しないと甲子園には行けないというのは何とも窮屈な、ビジネスライクな話だなという気がする。いわゆる甲子園での名将と呼ばれた人たちにはそこまでの考えがあったのかなと思うが、今や組織というのはワンマンの社長(名監督)が勘と経験に頼って運営していくのでは限界があるというのかもしれないな。

さて、「もしプロ」である。ゲームの世界では選手育成のシュミレーションゲームとか、サッカーならJリーグのチームを作るというのがあるが、これは実際に日本で「プロ野球」を創れと言われ、事実それをやった男たちの「夢」のプロローグである。

『もしあなたがプロ野球を創れと言われたら~「昇進」より「夢」を選んだサラリーマン』(村山哲二著 ベースボール・マガジン社)

41nmmyzsk5l__ss500__2  この「サラリーマン」こと著者の村山哲二氏は、プロ野球独立リーグ「BCリーグ」の代表。今年はまだ観戦の機会がないが、上信越、北陸6県で展開するこのリーグは「地域と、地域の子どもたちのために」ということを前面に押し出している。これまで各県の開催試合を観戦したことがあるが、決して観客は多くないもののその地域の雰囲気が出ており、観光地めぐりとはまた違ったその土地の楽しみ方を味わわせてくれる。

本書では、自動車ディーラーを経て広告代理店に勤務していた著者が「新潟を野球で元気にしてほしい」という依頼から独立リーグ設立の構想にたどり着き、これまでの順調なサラリーマン生活を捨ててその「夢」を追いかけるところから始まる。そしてさまざまな紆余曲折を経て開幕を迎え、現在は独立リーグながら半数の球団が「黒字」を出すまでにこぎつけることができるまでの様子が読みやすくまとめられている。野球の専門的な知識のない人でもわかりやすいのではないだろうか。

Dscn4295 一口に「夢」というが、それを実現するには何をすればいいだろうか。やみくもに、がむしゃらに頑張る・・・では精神論的なもので、そこにはきちんとした理念というものが必要。BCリーグの場合は「何のために」ということがはっきりしており、常にその原点を見つめながら運営する姿勢が明確であることが成功の要因といえるだろう。

それがBCリーグの原点といえる「BCL憲章」。ここで明確なのが「地域貢献」である。よく「地域活性化」ということが叫ばれるが、野球というものを通してどのように実現しているか。そのエピソードもちりばめられている。

ここで思い出すのが、関西にあった独立リーグのこと。どうやら今年も5球団で活動しているようだし、一時独立リーグを立ち上げた三重球団もあっちへフラフラこっちへフラフラする形で四国に「寄生」している。ただ三重はともかく、関西5球団は決して地元が支援しているとは言い難い。本書を読めば「なぜ関西系のリーグは失敗したのか」の答えも導き出されるのではないか。数々のトラブルの渦中、「彼らはBCリーグの運営ノウハウを研究したのか」と疑問に思ったものだ。

私はビジネス書の類はあまり読まないのだが、難しい経営学の本を読まなくても本書には経営に関するさまざまな実践的なヒントが詰まっていると思う。またこれをカバンに詰め込んで、北陸・上信越を訪れてみたいものだ(できれば一度、新潟の新球場に行ってみたいなあ)。

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交流戦阪急復刻試合でかつての日本シリーズ~「阪急」対広島観戦記

2011年05月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今年も始まった交流戦。この交流戦中でこのところ私として「年中行事」になっているのが「カープ対バファローズ」もしくは「バファローズ対カープ」の試合。20代のほとんどを広島で過ごしたこともあるし、子どもの頃から親の影響で「セならカープ」という気持ちの私、心はこの2チームによる日本シリーズを見てみたいという願いがある。交流戦では別に阪神戦とか巨人戦を高い料金を払ってまで見ようとは思わないが、こと広島戦に関しては大阪・神戸、あるいは広島のいずれかで1試合の観戦をしようという気持ちが強い。

2005年に始まった交流戦、私のこのカードの観戦成績は2005年は神戸で広島が乱打戦(16対14、両軍合わせて42安打)を制しての勝利、2006年は観戦なしで、2007年は広島でオリックスが接戦を制し、2008年は大阪で広島勝利、そして最後の広島市民球場でオリックス勝利。2009年はマツダスタジアムで広島が勝ち、2010年は同じくマツダでオリックス勝利。つまりここまで3勝3敗というもの。

Dscn8485 そして今回は大阪での観戦ということになったが、ちょうど「阪急ブレーブス復刻試合」。このカードに復刻を持ってきたのは阪急が1975年に初めて日本シリーズを制した時の相手が広島だったということがあるだろう。旧近鉄のファンとしては複雑な気持ちがするが、ここはパ・リーグ名門球団の歴史に敬意を表する意味もあって観戦することに。今回はこれまでも野球観戦でも何度もご一緒させていただいたM氏と同行での観戦。

Dscn8474 球場内のイベントコーナーでは、5月初めの神戸での試合前イベントに出演した山田久志、福本豊、加藤秀司の各氏が着用したユニフォームの展示やら、阪急の球団史をまとめた映像上映など、灰色の時代もありながら黄金時代も築き上げたこの球団の伝統を十分に満喫させる内容だった。

Dscn8491 阪急ブレーブス復刻試合に合わせて、数々のブレーブスグッズが売られている。一番人気は胸にブレーブスのロゴ、そして背番号も入ったレプリカユニフォームやらTシャツであるが、「さすがにブレーブスに袖を通すのはなあ・・・」といういらん抵抗をしてしまい、結局うちわにタオル、そしてブレーブスの球団史をまとめたグラフ誌を購入することに。それにしても結構洗練されたデザインのロゴだなと思う。

Dscn8492 復刻試合ということでビジョンに映し出される選手の画像もブレーブスユニフォーム仕様である。また試合前練習では70年代の洋楽邦楽のヒット曲を流したり、選手の登場時にもエレクトーン演奏で当時の雰囲気を出そうとしている。

Dscn8510 ビジョンにはその年の日本シリーズのダイジェストが流れ、山口高志の剛球、広島市民球場の熱狂、そして最後は上田監督の胴上げが映し出される。

当時の福本の背番号7、山田久志の背番号17のレプリカユニフォームを着用するファンが多い中、コンコースでは広島の背番号8、そして背番号3のユニフォーム姿のファンともすれ違う。おお、日本シリーズでもあったよなこの名勝負。

Dscn8516 ただ、アナウンスはいつもの男性DJだし、応援団はあの猛牛マークの旗を振っているし(こういう試合なんだから自粛しろと言いたいが、ライトスタンドに陣取った一部の近鉄原理主義の応援団員やファンからすれば、阪急の企画などクソ面白くないとしか思えず反発したいという気持ちがあるのだろう)、スコアボードは「オリックス・バファローズ」だし、選手の応援歌も阪急のもの、現在のものが入り混じっていたり・・・・。全体的に見てどこか中途半端な、ギクシャクしたものに思えた。やるならずっと阪急カラーで徹底すべきだったと思うのだがどうだろうか。

Dscn8576 一方のレフトスタンドから三塁側はびっしりと赤いカープファンで埋め尽くされている。ファンの出足もこちらのほうがよかったし、応援のリズムもまとまっているし歓声も大きいし、時に「どっちのホームゲームなんやろうな」と感じることも。

Dscn8521 さて試合。オリックス、いや阪急が西、広島が故障からの復帰登板となる大竹が先発。開幕当初はガッチリしていた先発投手も前田健太、篠田が不調の中、かつてのエースの復活ということになればカープとしても明るい材料だろう。その大竹、序盤からピンチを背負う投球ながらも何とかしのぐ。

Dscn8535 試合が動いたのは3回、ランナー1塁で3番の田口がセンター前へ。これがバウンドが変わってセンター・丸の頭上を破り二塁打となる。オリックスが1点を先制。

Dscn8543 ただ好調のカープ、続く4回に7番・岩本が右中間のもっとも深いところに飛び込む逆転2ランを放つ。これで一気に盛り上がるレフトスタンド。そして流れるのはもちろん・・・「宮島さん」。この交流戦の楽しみといえば怒られるが、この「宮島さん」をナマで聴くのもよろしいものだ。

Dscn8557 結局大竹は5回を1失点でしのぎ、カープの先発陣にも明るい材料となったところで後続を中継ぎ陣に託す。まずはシュルツ。これに対してバファローズも黙ってはおらず、2死1・2塁として代打・北川。逆らわずにライト前に弾き返して2対2の同点とする。いよいよわからなくなってきた。

7回の攻防。カープの攻撃前は「カープ、カープ、カープ、広島、広島カープ・・・」が流れる。私も一塁側スタンドで口ずさむ。ジェット風船が一塁側からも飛ぶ。あらあら、ホームなのにアウェーな雰囲気ですがな。

Dscn8564 一方のオリックスの攻撃前は「阪急、阪急、ブレーブス、おお、阪急ブレーブス・・・」と流れる。いずれの応援歌も、70年代テイストあふれるメロディーが力強く感じさせる。

Dscn8569 試合は終盤、もう9回で3時間半を超えるのは確定しており、両チームとも継投策を見せる。カープが大竹、シュルツから岸本、永川とつなぐ。特に永川は「劇場」という呼称がつくほどの危なっかしい投球を見せることで知られるが、今年は先のソフトバンク戦で6連続三振という荒業を見せた投手。今日も力強い投球でT-岡田、野中から三振を奪う。

Dscn8562 オリックスは西から香月にスイッチ。「阪急の背番号17」がマウンドに登場とあって結構喜ぶ。思わず「香月、下から放らんかい!」と言ってしまいそう。

Dscn8570 その後吉野、平野とつなぎ、9回を抑えれば負けがなくなるという展開で岸田を投入。岸田投入の時はいつものユニフォーム姿のオリジナルの登場映像が流れるが、阪急復刻試合であればもうちょっとその辺工夫してもよかったのではと思ったのは私だけだろうか。

先頭は途中出場の石原。ファウルで何球も粘る。空振り三振かと思ったがキャッチャーがこぼしてファウルチップで逃れた場面も。そして捕えた打球は・・・。

Dscn8573 満員のカープファンが待つレフトスタンドに飛び込む勝ち越しアーチ。ものすごい歓声が響く。これでオリックスも戦意喪失したかな・・・・。

Dscn8577 9回はカープの新守護神、サファテ。噂には聞いていたが結構な剛腕である。ストレートは常に150キロ前後。一方のオリックスはこういう場面で頼りになる、あるいはハッタリを効かせてでも「何とかしてくれるやろう」と思わせる打者がいないのが現在の不調の原因。バルディリスは辛うじて外野に打ち上げたものの、鈴木、大引がなすすべなく2者連続で三振に打ち取られてゲームセット。最後に大きな「宮島さん」を聞くことになった・・・・。

Dscn8580 今季3回目の観戦というM氏はこれで3戦全敗ということになったが、交流戦自体を観戦するのが初めてだったということで、接戦(拙攻戦)を楽しんだ様子。カープがAクラスになるであろうという大胆予想の一方で、オリックスの選手層の薄さがかなり心配とのことだった。果たして、その予想はこれからどう展開していくか。

Dscn8585 さてこれで私の両チームの対決の観戦成績はカープが4勝3敗と一歩リードすることになった。あ、観戦成績をよく見れば広島とオリックスが交互で勝っているから、きょうは広島が勝つことになっていたのかな。今年は広島での試合に行くことが恐らく無理なので、次回はまた来年ということになりそうだ。来年はマツダスタジアムに行こうかな・・・・?

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都市対抗野球が10月に延期決定

2011年05月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
東日本大震災の影響による節電対策の一環として、毎年夏に東京ドームで開催されていた都市対抗野球がを、10月に延期、さらに会場を京セラドームに移して実施するという。

大正ドームでは秋の社会人野球日本選手権が行われているが今年は都市対抗のみの開催のようだ。

いずれの大会にも、勤務先野球部の出場にともない、場内スタッフとして観戦応援したことがあるが、都市対抗も東京の夏の風物詩で、私の勤務先企業でも夏休みの東京旅行を兼ねる形で地方から団体で応援にやってくるなんてのもあり、結構賑やかなものだ。お祭りのような雰囲気。

それに比べて秋の大会は日本選手権という名前とは言え、ややステータスが低いような。

大阪での開催ということで、また出場すれば応援スタッフの動員に応じることになる。今からそれも楽しみかな。

さて、10月と言えば終わりにはクライマックスシリーズが開催される時期。オリックス・バファローズが出場なんてことになったら日程がかぶる。その場合は都市対抗を一時中断するとのことだが、社会人野球の関係者にすればまあ杞憂に終わるでしょう…というのが本音だったりしてね。

半分以上当たってますな。
交流戦が始まったばかり。社会人野球を困らせるような(というのもプロに対してどうかと思うが)躍進を期待したいものである…。
広島戦の先発は誰と誰かな?

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情けないわ

2011年05月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
今日もなすすべなく敗戦やな。

おめでとう!!

…ってなことでも書かないと気持ちが落ち着きません。阪神偏向報道、マスコミの公平性なぞくそくらえの関西マスゴミが中継する試合であっさりと、本当に引き立て役のように敗れるんやから、相撲の八百長より情けなく感じます。

正直、プロとしての矜持はあるのかお前さんたちは?

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明日から交流戦ですが…。

2011年05月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
早いもので明日から交流戦。今年は特に開幕が延期されたことで、より一層あっという間に来た感じがする。

…で、オリックス・バファローズ。


今年は私も何かと忙しくCS放送もほとんど見ていないのたが、ファン各氏のブログを拝見してもようやく怒りをこらえるのに必死という方が多いようで。


本当に、どうなっちゃったんだろうか。故障するのが悪いのか、年俸に見あった働きをしないのが悪いのか、采配が悪いのか、他の球団ほど注目されてないからとイジケてるのか。


まあ、どれが悪いとか誰のせいにするとかも気持ちのいい話ではないし。


借金8といえば交流戦を16勝8敗で戦って初めて返済できるという、オリックスVIPローンより厳しい条件だが、まだ100試合あることを考えればまだあきらめる数字ではない。


何かこう、昨年のT岡田が交流戦で爆発したように、ここで若手の野手が出てきてほしい。期待しますよ。

できれば、2試合くらいはナマで観戦したいと画策中です。


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大阪企業家ミュージアム

2011年05月15日 | まち歩き

何か大阪で面白い博物館はないかとネットを探していると出てきたのが、こちら「大阪企業家ミュージアム」。商売の街・大阪ということで、大阪を舞台に活躍した企業家たちの志や業績をたどることで「企業家精神」を後世に伝えるとともに、新たな事業の創造に向けた知恵と意欲を引き出すことを目指すという、何ともまあ大きなテーマを持ったスポットである。

Dscn8471 土曜日の昼、大阪市内での所用を済ませた後、地下鉄の堺筋本町駅に出る。船場センタービルに代表される繊維関連を中心としたオフィス街であるが、土曜日とあって人通りは少ない。駅から3分ほど歩いた大阪産業創造館の地下にあるのがこのミュージアムである。

大阪商工会議所の手によるこのミュージアム、小中学生の社会見学や、仕事で大阪に赴任してきた人に大阪の産業や商売の伝統を知ってほしいということのようだ。300円の入館料を支払うと、音声案内の器械を貸してくれる。

まずは豊臣秀吉が築き、徳川時代に天下の台所として賑わった大阪の紹介映像を見た後、展示室へ。撮影禁止なのでこのブログで紹介できないが、ここから大阪ゆかりの企業家たちが時代ごとに、そして分野ごとにずらりと並ぶ。その数105人。まあ、野球殿堂の博物館にいるかのようである。

詳しくはミュージアムのホームページをご覧いただくとして、主なところ、気になったところを私なりの分類と人選で挙げてみると・・・・

・近代産業、貿易、金融の基礎を築いた人たち:五代友厚(大阪商工会議所)、松本重太郎(南海電鉄、東洋紡)、藤田伝三郎(藤田観光、同和鉱業)、広瀬宰平(住友グループ)、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事、丸紅)、野村徳七(野村證券)、弘世助三郎(日本生命)、渡邊忠雄(オリックスほか)

・都市空間、インフラづくりに貢献した人たち:大林芳五郎(大林組)、竹中藤右衛門(竹中工務店)、小林一三(阪急)、太田光凞(京阪)、金森又一郎、佐伯勇(ともに近鉄)、太田垣士郎(関西電力)

・ものづくりを通して社会生活の向上に貢献した人たち:武田長兵衛(武田薬品)、塩野義三郎(塩野義製薬)、森下博(森下仁丹)、上山英一郎(KINCHO)、山岡孫吉(ヤンマー)、水野利八(ミズノ)、黒田善太郎(コクヨ)、田嶋一雄(ミノルタ→コニカミノルタ)、鳥井信二郎、佐治敬三(ともにサントリー)、江崎利一(江崎グリコ)、松下幸之助(パナソニック)、井植敏男(三洋電機)、早川徳次(シャープ)、安藤百福(日清食品)、大社義規(日本ハム)、石橋信夫(大和ハウス)

・流通や文化面で市民生活を豊かにした人たち:中内功(ダイエー)、飯田新七(高島屋)、下村正太郎(大丸)、本山彦一(毎日新聞)、前田久吉(産経新聞、東京タワー)、吉本せい、林正之助(ともに吉本興業)、白井松次郎、大谷竹次郎(ともに松竹)

・・・どうだろう、大阪の人なら必ず知っているであろう企業が並ぶ。中には「これって大阪が発祥の地だったのね」というのもあったりする。これは展示の一部を書き出しただけで、本物の重工業や自動車産業など弱い部分もあるが、幅広い産業で優れた企業家を輩出していることがわかる。

それぞれにどのような志を持ち、どのような哲学、企業家精神を持って事業を伸ばしたか。中には小学生にもわかりやすくコンパクトにまとめたマンガ資料があったり(困難に出くわした時に彼らはどのような行動を取ったかをクイズ形式で考えさせるページもあり、大人の私でも十分読みごたえあり)、エピソードが紹介されていたりとある。うーん、やはり高い志か。

企業家ではなくサラリーマンとなると、つい仕事を「やらされている」感に陥ることがある。「自分はこういう仕事をしたいんだ」という志や理想と、実際に日常の業務としてこなしていること。そこのギャップを感じている人も多いのではないかと思う。今の私は別に独立して何かをしようという意欲とか、「この腕でメシを食っていくんや」と呼べるほどのスキルがあるわけではない。ただ、気持ちを前に向かせる、自分で何かステップアップしようという(例え小さなステップであったとしても)気にさせる時には、こうした先人の教えというのも役に立つことが多いだろう。この人たちだって何も先代の遺産をそっくり受け継いだからとか、棚からボタモチで一代をなしたわけではないのだから・・・。

企画展示では京阪電車の100年の歴史について触れられており、かつてのグッズやら乗車券、パンフレット類が並べられていた。この京阪電車をはじめとした関西の私鉄各社も100年あまりの歴史に奥深いものがあり、それらの歴史を比較するのも面白いがそれはまた別の話として。

ライブラリーではパソコンで彼らの列伝を見ることができたり、関西を中心とした企業から進呈された社史も陳列されており、読むことができる。実は私の父親も大阪を本社としたある企業に長年勤めていたのだが、その会社の社史もあったりして何だか親しいものを感じた。

資料の一つ一つにじっくり目を通したり、あるいは社史でも読もうということであれば1日あっても足りないくらい。それが300円で楽しめる(ガイドブックは700円)のは結構お買い得ではないだろうか。旅先でも、その街の歴史や特徴を理解するのに博物館を訪れることがあるのだが、この「大阪企業家ミュージアム」は商業、産業を独特の面から切り取った博物館ということでユニークなところ。これまで知らなかったのが不思議なくらいだが、もっとPRしてもよいのではないかと思う。「観光名所」にはなり得ないが、「大阪のことをもっと知りたい」という人には穴場的存在。

Dscn8473 ・・・・ミュージアムを後にして、しばし本町あたりのオフィス街を歩く。オフィスビルの前で鯉が泳ぐ優雅な光景にも出会う。都会の中の一服の清涼剤にしばし心をなごませながら、あれこれ考える。

不思議なのは、これだけの企業家を輩出しながら長らく低迷が叫ばれている関西経済。いったい何が足りなくなったのだろうか。それがもっと検証されなければな、と思うのだが。あるいはそれを脱却するためのヒントが先人たちの行いに隠されているだろうか。それを見つけられるかどうかなのだが・・・・・。

私も、できるところで頑張らなければね。

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鉄道と「うちぬき」の町・伊予西条

2011年05月14日 | 旅行記G・四国

どうも時系列がぐちゃぐちゃになっているこのGW旅行記。これから書くのは前の記事から1日バックした5月4日のこと。

この前の日は高松に宿泊し、ホテルの朝食でもうどんを味わった。これからは高速道路で今治に向かう。13時から四国アイランドリーグ観戦の予定であるが、それを考えても少し出るのが早かったか、このままでは早く着きすぎる。どこか1ヶ所に立ち寄ればちょうどいいかなという感じである。

Dscn8169 そこで頭に浮かんだのが、伊予西条。確か駅前に鉄道の博物館があったというのと、市内には「うちぬき」と呼ばれる湧水が出ている「水の町」というところだったか。せっかくなのでそちらをのぞくのがいいだろう。ということで、伊予西条の駅前にクルマを乗りつける。その駅に隣接するのが「鉄道歴史パーク」である。

Dscn8187 その目玉となっているのが、木の温もりを感じさせる建物に納まった「1両半」の車両。その1両は主に四国で活躍したディーゼル機関車のDF50、そしてもう「半分」が、新幹線の初代車両である0系。これが開放的な空間の中で展示されており、手近に触ったりすることができる。

Dscn8190 DF50は四国ゆかりの車両ということでまだわかるが、なぜに島内を走ることのない新幹線車両なのか。それは「新幹線の生みの親」とされる第4代の国鉄総裁の十河信二がここ伊予西条ゆかりの人であるというところからである。戦後の復興を終えた中で鉄道の新たな生き残り策ということで構想したのが新幹線。そしてその建設が日本の経済や人々の暮らしにどれだけ貢献をしているか。それが実現するまでの多大なる功績をたたえて、現在走ることはないがゆかりともいえる四国に0系を展示しようというものである。

Dscn8174 展示スペースの関係からか車両が半分に切られたのは残念だが、シートも昔ながらのものが残されているし、新幹線車内の独特の「匂い(臭い?)」がさりげなく再現されているのがうれしい。

Dscn8178 ちょうど室内のVTRではこの0系を多度津の工場から搬出してこの伊予西条に納めるまでの搬出入、海上輸送の工程を流しており、私としてもその内容は実に興味深いもので思わず映像に見とれる。

Dscn8188 この他には四国島内の列車の備品類の展示があり、宇和島から松山まで運転されていた列車の運転手用ダイヤグラムやら、今やすっかり見ることのなくなったタブレット、硬券の乗車券も置かれている。また、かつての特急・急行型車両で流れるオルゴールもあり、それを鳴らすこともできる。

Dscn8189 この建物はナショナル・トラスト運動の一環で建てられたとかで、そうしてみると0系新幹線というのも後世に伝えたい遺産の一つなのかなと思う(であれば1両まるまる展示すればよかったと思うのだが)。

Dscn8194 さてここから少し「水の町」を散策しよう。駅から500mほどの総合文化会館の脇にはせせらぎが流れ、水汲み場がある。地元の人たちがクルマで乗りつけ、ポリタンクに水を汲む光景。

Dscn8195 いつも見て思うのだが、こういうのは果たして「あり」なんだろうか。確かに自然の湧水は体にいい、おいしいということはあるのだろうが、何だか公共のものを「タダ」でいただいているようで、さもしい感じがしないでもない。ペットボトル1本にちょっとすくうのならまだしも、そこに居座って大量のポリタンクにくみ出すのだから。まあこれは見方によるものかな。

Dscn8196 そこからせせらぎに沿って「アクアトピア水系」という1キロほどの遊歩道が整備されている。それにしても水が美しく、水中の水草も透き通って見え、魚が泳ぐのもはっきりと見える。何だか心が癒される。

Dscn8198 市街地にこれだけの名水が広がる町というのもそうあるものではないだろう。石鎚山から流れる加茂川の恵みというが、何だか「水のある町」というのは心豊かな感じがして憧れる。確か、広島勤務時代に一時同僚だった女性社員が結婚退職してこの町に嫁いだと聞いたことがあるが、なかなか雰囲気のよろしいところに来たものだと思う。

Dscn8200 ただその一方で、市街地の湧水をポリタンクにくみ出す光景には違和感を感じるのだが、まあこれが水との正しい接し方・・・なのかな。

その街角に一六タルトの支店が出ていたので、愛媛県に足を踏み入れたことで家への土産に買い求め、伊予西条を後にした・・・・。

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うどんフリークとともに讃岐うどんに舌鼓

2011年05月12日 | 旅行記G・四国

中2日おいての紀行文執筆です。うーん、こんな感じでダラダラと書き続けるのが果たしてこれを読んでいる方に退屈な思いをさせていないかというのが気にかかるところです・・・。

さて、前の記事では5月3日のことを書いたが、今回は1日空いた5月5日のことながら、再び高松にいるということでこちらの記事を。

5日は高松・レクザムスタジアムでの四国アイランドリーグ観戦であるが、前日宿泊の今治から高速道路で高松中央インターまで移動してくる。そこで合流したのが、この日の観戦をご一緒することになるI氏。もともと高松に自宅があるのだが現在は仕事の関係で松山に在住。週末には奥さん、お子さんともども高松に戻って過ごすこともあるとかで、この連休は4、5日と高松で過ごされたとか。で、5日に松山に行く途中で時間が取れるからと、ご一緒することになった。

I氏については前の記事で、熱烈なロッテファンであり、「混戦」の要素を強く持つ人という紹介をしたのだが(実はこの8日、松山で行われたヤクルト対広島の首位決戦を観戦し、見事に9回時間切れ引き分けという試合に立ち会ってます)、もう一つの顔が熱烈な「讃岐うどんフリーク」である。これまでにも何回か香川で会うたびにいくつかのうどん屋に案内していただいたものだ。

高松中央インター近くのコンビニで合流。奥さんとお会いするのも何年ぶりだろうか。神戸でオリックス対ロッテ戦の観戦でご一緒して以来かな。その時は小さかった上のお子さんも今は小学生。かすかに私のことも覚えてくれているようだ。

ナビ代わりにI氏が私のクルマに乗り込み、奥さんがI氏のクルマで後ろからついてくる。「野球観戦までに2ヶ所行くよ」ということで、助手席から道の指示が出される。道幅の狭い田園地帯にさしかかる。「ここも久しぶりに来るがなあ、結構家が増えたな」と。水田をつぶしたとおぼしき新しい分譲住宅の幟も目につく。

Dscn8334 そしてやってきたのがプレハブの建物。「穴吹」である。I氏はうどんフリークとして、そしてうどんのフォーラムを通して奥さんと知り合ったというエピソードを持っており、会社の組合の会報にも紹介されたのだが、その編集者が取材に訪れた際に舞台となったのがこの「穴吹」。

「さんちゃん(I氏は私のことをこう呼びます)、ここって前にも来たっけ?」「ええ、ここは印象深いところでしたよ。特に私の相方にとっては・・・・」

かつて、「時刻表検定試験」なるものを高松で受験しようと、1泊ツアーを組んでこのブログでもおなじみの大和人さんと連れだって讃岐の地に降り立ったことがある。その時に1日目のナビをお願いしたのがI氏で、その時に連れられたうちの1軒がこの「穴吹」であったのだ。その時の店主の応対というのが非常に印象に残るもので、「天ぷらの恨み」とかいう形で大和人さんがいまだに「香川のうどんといえばなあ・・・」と話題にするほどのものである。

Dscn8336 ちょっとぶっきらぼうな感じの店主。I氏の勧めにしたがってひやあつの2玉入りを注文。だしは自分でかけて(ちょうどタケノコ入りのだしもあり)、天ぷらを発泡スチロールの器から自分で取る。大和人さんが未だに話題にするのはこの天ぷらをめぐるやり取り。

それを持って庭先のベンチでいただく。I氏も奥さんも2玉取る。お子さんもちゃんと1玉、それに天ぷらにいなり寿司を美味しそうに食べ、うん、ちゃんとこの年から後継者を育てているなと感心する。そうする間にも他県ナンバーのクルマが入ってきたりする。

あ、会計の時には自分でうどんの玉数と食べた天ぷらの数は正直に申告ね。

Dscn8338 一時は本当のブームで話題になった讃岐うどん。昨今はブームも落ち着いたかと尋ねると「高止まり」とのこと。他県ナンバーが朝早くからクルマで乗り付け、長蛇の列をなす光景はいまや当たり前で、新鮮な話題とは言えないらしい。こちらの「穴吹」などまだ静かなものだとか。それにしても近所に家が増えたらしいが、こういうところに建つ家を買う人は「穴吹」のことは知っているのかな。「穴吹」のうどんが食べたくて近所に家を購入したとなればまさに「恐るべしさぬきうどん」の世界。ちなみにI氏の自宅の近所にはさほどうどん屋はないそうで・・・。

ここからは球場のほうに向かうということで、野球の時間は子どもを別のところで遊ばせるということで奥さんとお子さんとはここで一度お別れ。

Dscn8343  I氏と二人して向かったのは国道11号線、中央には高松自動車道の高架橋が渡っているところ。国道沿いのスポーツクラブの「地下」にあるのが「あたりや」というところ。このスポーツクラブ、どうみても前身はパチンコ屋ではなかったかという建物で、「よくあるよね、パチンコ屋の横に小腹を満たすためのうどん屋とかラーメン屋って」と私がいうと、「いやいや、そういう片手間のものじゃないのよ。ただ店が小うるさいというか・・・」と。

Dscn8340 さてやってきた「あたりや」。入口には「必ず人数分を注文ください」という看板。そして扉を開ける。セルフサービスだが「こちらが『何にしますか』と聞いてから注文してください」「代金は後払いです」などとこまごました注文書きが見られる。とは言うもののレジに立つ店員は結構愛想よく接客している。I氏が言うには「奥でうどん踏んでる親父おるやん。あの人しかおらん時はほんまに無愛想で物言わんし、だから小うるさい看板が多いみたい」とのこと。エラソーにしているわけではなく口下手だということらしいが・・・。

Dscn8341 こちらでもひやあつを注文し、ガラス戸に入った天ぷらをいただく。先の「穴吹」はどちらかといえばやさしい感じの麺であったが、この「あたりや」は実に歯ごたえがある。こういうコシの強いのが「讃岐に来たなあ」と実感させられる。なるほど口下手かもしれんが味はいいぞ。

こちらもツルッといただいて気持ちよく勘定。出た後でI氏、「口の中にほんのり、いりこだしの香りが残っているでしょ。この、後に残るのが天然のだしを取っているということでこれが讃岐の味なんやね」と。なるほど、化学調味料ならその時は旨味を感じるが後に残ることはない。麺にうなり、だしにうなり、いやこれはよろしいですな。フリークも久しぶりの味だったようで満足のご様子。

結局2店、これで昼食には十分である。久しぶりに回った讃岐の製麺所タイプのうどん屋であるが、やはり美味かった。骨付鳥も悪くなかったが、やはり讃岐といえばうどんに始まり、うどんに終わる・・・・?

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讃岐の郷土料理?・・・骨付鳥

2011年05月09日 | 旅行記G・四国

GWの四国行きは独立リーグ観戦が目的であったが、それともう一つは土地の名物を味わうことも楽しみであった。

さて5月3日、午後に大阪を発って高松に向かったが、阪神高速、そして淡路島、さらには鳴門から高松までの区間、とにかくよく渋滞した。14時半頃に尼崎西から高速に乗ったのはいいが、高松の市内、ホテル川六というところにチェックインしたのは20時を回っていた。連休の混雑をモロに受けたような形となった。

Dscn8164 このホテルからはライオン通りという繁華街が近い。それにしてもなぜ「ライオン」なんだろうか。三越に近いからかな?

それにしても目につくのは「骨付鳥」の幟や看板。鳥のもも肉をその名の通り骨につけたまま焼いた料理だが、「瀬戸内の郷土料理」といううたい文句も出している店もある中で「そんなのあったかな??」というくらいのものである。高松の夜の街を歩くのも久しぶりだが以前はそのようなものはなかったと思う。何でも元々は丸亀あたりの料理だったのが、昨今のB級グルメブームとやらで香川県内に広がりを見せることになったとか。丸亀の有名店は大阪にも店を出しているようだ。ただどうだろう、高松の人は本当に「郷土料理」として認知しているのかな・・・?

まあ、同じ鳥を食べるなら骨付鳥でもいいかな、ただ瀬戸内の魚も食べたいよなということで、通りから少し外れたとある居酒屋へ。私が好む「地元客で賑わうが一見の旅行者が入っても違和感なく楽しめる」という感じの店で、「時間がかかりますよ」という骨付鳥の親鳥を先に注文し、それができるまでは魚料理など楽しもうという作戦に。

Dscn8157 魚は結構いけたし、讃岐の酒「金陵」も美味しくいただいた。ただそれにしては骨付鳥が時間がかかりすぎるようだ。ひょっとしたら・・・。

Dscn8158 店員に声をかけると、案の定オーダーが通っていなかった。うーん、私の場合なぜかよくあるんですね。店員がオーダーを通していないこと。いやその前にも他の客の伝票を間違えていたとか、他の客のオーダーも通っていなかったりとか、どうも店員の頭数はいるが何かが機能していないように思う。連休だからという言い訳は通用しない。

ただ店員たちはオーダーが通っていないことに対して、「私は悪くありません」「ここからこっちは聞いていないよ」「こっちの客のほうを通してしまったんやないの」などとグチャグチャ言い合っている。その光景に完全にキレた。札を投げ捨てるようにして店を後にする。

Dscn8159 ・・・で、残ったのは骨付鳥。こうなれば夜の時間はまだあるのだから、飲み直しを兼ねてどこかに入ろう。そんな中、屋台風の店に行列ができている。「よって屋」という名前の店で、旅行ガイドにも載っているようだからそこにしばし並ぶ。ほとんどがカップルやグループ客で、たまたま私が行列の先頭になった時にテーブル席が空いた。ただ平気でそこに通そうとする店員。「ちょっと待て。居酒屋で相席はあかんよ」「いや、ウチは相席はさせませんから」「でも、これだけ後ろに並んでるのにそれはあかん。そこは後ろの2人連れに先に座ってもらって、私のほうは、食べ終わり飲み終わったのにカウンターでいつまでも粘っている客を追い出してくれ」と注文。実際にそのようにしていただいた。どうもこの夜は渋滞のせいもあったか、自分でも気持ちがいらだっているようだった。

Dscn8160 さて、讃岐のしょうゆ豆などをつまみながら骨付鳥が来るのを待つ。今回注文したのは親鳥のほうだが、柔らかくて食べやすいのはひな鳥のほうだとか。複数で来れば親鳥とひな鳥を食べ比べることができるのだが。

Dscn8162 そして鉄板に載せられてやってきた親鳥。これをはさみで切り分けながら食べる。スパイスがよく効いていてこれはビールによく合う。複数の店で食べ比べたわけではないが、味付けもその店によっていろいろあるんだろうな。照り焼き風とか醤油味とか。讃岐の名物といわれてもまだイメージとして湧いてこないが、骨を持ってワシワシとやるのもなかなか豪快でよろしい。一品料理として美味いのは美味かった。大阪にも出店しているその老舗にも一度行ってみようかしらん。

さて、讃岐の味といえばやはりうどんである。実はホテル川六の朝食バイキングでもセルフ式でうどんを楽しむことができ、朝は米のごはんの代わりにうどんをかけとぶっかけの両方でいただいた。

今回の旅で出会ったうどんについてはまた面白いものがあり、そのことについてはまた稿を改めて書くことにする・・・・。

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露天風呂西の横綱と尋常小学校をめぐる

2011年05月08日 | 旅行記F・中国

津山からに国道で西に向かう。ちょうど津山からの姫新線の線路が近い。

Dscn8130 そういえばな、ということで沿道にある小さな駅に立ち寄る。美作千代駅。ここは大正12年築の木造駅舎が当時と変わらぬ姿で残されている。無人駅ではあるが地元の人たちの「駅を大切にしよう」というところか、掃除も行き届いている。

Dscn8135 美作地区は因美線、姫新線には昔からの木造駅舎が数多く残されている。最近の鉄道ブーム、秘境駅やら木造駅舎ブームとかで訪れる人も増えているようだが、美作千代もその一つ。それにしても、美作地区に古いものが残るのは単に開発が遅れたとかほったらかしにされていたというのではなく、何かその地域の人たちの気質というのがあるのだろうか。一昔前ならば「遅れた」「古臭い」とされていたところが最近では「懐かしい」ともてはやされる時代なのだから、人の気持ちというのはよくわからない。

さて旭川沿いに開けた中国勝山(今回は見物はパス)を抜けてやってきたのは、美作三湯の一つ、湯原温泉。最も奥まったところにあるのが露天風呂の「砂湯」である。高さ74mのダムの真下にある豪快な景色で、その昔、河原で砂を噴きながら湧き出ていたというところから「砂湯」という名前がついたとか。確か私がまだ小さい頃に家族で訪れた写真が残っているが、その時はあまりにも小さすぎたためにこの風呂には父親だけが入ったのではなかったかなと記憶している。

Dscn8139 その開放感から露天風呂の「西の横綱」とされているが、あまりにもあっけらかんとしすぎている。川の対岸にある旅館はおろか、横の道を通る人からも丸見え。無料、男女混浴ということではあるが、この連休の人出の多い中あえてここに浸かろうという女性は一人もいない。

浴槽は3つあってそれぞれ温度が違うので入り比べができる。河原を吹き抜ける風が心地よいが、細かく見れば山桜の花びらやら虫の死骸やら浮かんでおり、一度気になりだすとあまり長居もしていられないなと。まあ、観光名物に浸かったことでよしとして早めに上がる。

Dscn8141 だからというわけではないが改めて入浴しようということで、「元湯」の看板のかかった「湯原ふれあい交流センター」へ。ここは屋内の温泉であり、改めて身体を洗ってから入浴。いや、こちらのほうがしっかりと「入浴したなあ」という気になり、朝が早かったのでここでさっぱりとできた。

ドライブもここで折り返しとして、来た道を引き返す。来る時に通った久世でちょっと気になる建物を見つけたので、そちらに立ち寄る。

Dscn8144 それがこちらの建物。旧遷喬尋常小学校。先ほどの美作千代の駅舎が大正時代のものなら、こちらはもっと古い明治40年の木造校舎。平成2年まで現役で使われ、学校は500mほど移転したそうだが重要文化財として残されることになったという。

Dscn8153 「遷喬」。中国の詩経に「出自幽谷、遷于喬木」という一節がある。鳥が深山の暗い谷間から飛び立ち、高い木に移るという意味だが、そのことが「立身出世」の意味に解釈され、それを校名にしたという。何とも歴史を感じる話である。公立の学校の名前といえばたいていその地域名を冠するのだが、漢文から名前を取るというのも学問の場としてふさわしいかな。ちょっぴり、この学校を出た人がうらやましいなと思う。

Dscn8150 無料で公開されておりそのまま中に入る。当時の教室も保存されており、座ったら体重のせいで壊れないか恐る恐る椅子に座ってみる。私も小学生時代確か1年だけ木造校舎で学んだことがあるが、その時は「古臭い校舎」としか思わなかったものが30年近く経過して「こういうのあったな」と懐かしく思わせるのは、繰り返しになるが不思議な心持である。

Dscn8151 2階の中央部は講堂になっており、ちょうど端午の節句が近いということで五月人形がずらりと展示されていた。天井がちょうど屋根の形にカーブしており、何とも風格を感じさせる。

Dscn8147 それにしても、明治の頃にこれだけの小学校を完成させたり、校名にそのような名前をつけるとは、何とも地元の人たちの教育にかける想いが伝わってくる。資料によれば当時の町の予算の3倍の巨額の費用を投じたとか。そしてそれをまた残すとは、これも繰り返しになるが単にしみったれているというよりは、そういう土地柄なのかなと思う。

現在は小学校としての役目は終えたが、隣接するエスパスセンターともども地域文化の発信元となっている。先の五月人形の展示もそう。また図書室は今でも書籍が並び地元の子どもたちが自由に利用できるようになっている。私が訪れた時は誰もいなかったが、昔に読んでいた歴史漫画のシリーズも並んでいて、そちらを手に取ってこれもまた懐かしく思う。しばらく時間をつぶす。

Dscn8142またこの校舎を舞台にして映画やCMのロケ地にもなっているとかで、撮影時の写真も展示されている。うーん、これまで美作にこういう建物があること自体知らなかった。

津山の機関庫に始まり、木造駅舎、小学校・・・何だか今日は古き良きものを訪ねるドライブとなった。この国にはこういう近代化遺産スポットが数多く存在しているわけで、まだ私の知らないところもまだまだ数多くあるはずだ。これからの新たな発見が楽しみにしつつ、校舎を後にするのであった・・・・。

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