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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「ふたつ星4047」で大村湾を行く

2025年06月07日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州行きの帰りはまだまだ長い。島原から島原鉄道で諫早まで来た後、西九州新幹線に乗り継げば20分で武雄温泉に着くのだが、わざわざ2時間かけて大村線経由で移動する。

これから乗車するのは特急「ふたつ星4047」。以前、武雄温泉からの午前便に諫早まで乗車したことがある。オリジナル弁当や有明海の車窓、佐賀海苔の試食体験などを楽しんだ。その時は諫早から大村線の普通列車に乗り継いだのだが、大村湾の景色を前に車内で爆睡・・今回、海側の席を確保できたこともあり、九州一周のコマも先に進めておこう。

諫早到着後、すぐに発車。3号車から乗車し、ラウンジの2号車を通り抜ける。午後便の車内イベントは嬉野茶の飲み比べ体験。また事前予約で長崎スフレをいただけるとある。午後のティータイムを楽しむといったところだろう。私としては先ほど諫早駅のコンビニで「飲み鉄」用の仕入れを行ったので、自席で楽しむとしよう。

1号車に到達。車内のインテリアには木材が多く使われているが、濃い色合いの3号車、そして明るい色合いの1号車と違いがあるが、個人的には1号車のほうが好みかな。ただ、この日は気温も高かったとはいえ、1号車に来ると蒸し暑く感じる。ところどころで窓も開け放たれている。空調の調子が悪いのかな。

次の岩松を過ぎると早速大村湾の景色に出会う。ちょうど対岸は「ふたつ星4047」が先ほど走って来た長崎線の線路が通っているところである。

大村に到着。ただ列車としては通過扱いの運転停車である。その代わりに停車したのは西九州新幹線との乗り継ぎ駅である新大村。

中央のカウンター席にもちょっと座ってみる。海側は4席とも埋まっていたが、山側は空席である。窓は足元まで広く設けられていて、開放感を楽しめる。ちょうど大村車両基地にて「かもめ」が停まっており、西九州新幹線の高架橋が嬉野温泉に向かうのを見送る。

松原を過ぎると、いよいよ午後便の車窓のメイン、大村湾が線路のすぐ横に広がる。ちょうど西日が当たり、また空調が効いていないので暑く感じるのだが・・。

16時20分、千綿に到着。ここも「日本一海に近い駅」にノミネートできる駅の一つである。10分間停車ということで乗客も一斉にホームに出て記念撮影だ。

千綿は由緒ありげな木造駅舎である。ただ駅舎じたいは1993年落成とのことで、大村線開業当時の駅舎を再現したものだという。

車内に戻り、より近いところから穏やかな大村湾の車窓を楽しむ。客室乗務員が発車を告げる鐘を鳴らして回る。

この先、彼杵、川棚を経て小串郷まで、天候にも恵まれて大村湾の景色を存分に楽しむことができた。

ハウステンボスに到着。指定席の座席検索では結構埋まっていたにもかかわらず車内はガラガラだったが、ここから乗車する客もそれなりにいた。

そして、次の早岐に到着。ここで、佐世保から来た17時12分発の特急「みどり48号」博多行きが先に発車する。ハウステンボスからの乗客のほとんど、そしてここまでの乗客の何人かも「みどり48号」に乗り換えた。「ふたつ星4047」はこの先有田、武雄温泉と停車するが、日曜の夕方となればその先に向かい帰宅するだけだから、ここでの乗り換えというのは選択肢としてありだろう。

早岐からは佐世保線に入り、後は武雄温泉まで淡々と走る。沿線の札所もすでに訪ねており、あとは流すだけである。

終点・武雄温泉に到着。これで、武雄温泉~諫早間に限るが、「ふたつ星4047」の午前便・午後便の両方に乗車できた。九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、九州一周の中でさまざまな列車に乗ることができたのも思い出である。

いったん改札の外に出て、改めて新幹線・在来線の乗り継ぎホームに上がり、18時15分発「リレーかもめ50号」に乗車。そして博多からは19時30分発「のぞみ270号」に乗り継ぎ、今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを終えた。

次回は長崎市街編。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりもいよいよ西の端に到達することに・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~島原鉄道で有明海の車窓を楽しむ

2025年06月06日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の札所めぐり、龍照寺から島原駅に戻り、14時14分発の諫早行きに乗る。先ほど通った島原港が列車の始発なのでそこから乗ればよいのだが、島原駅のコインロッカーに入れた荷物を出す必要があり、島原からの乗車となった。島原は有人駅だが列車ごとに改札が行われ、列車も後乗前降のワンマンということで乗車口に整然と列ができる。

1両の気動車は座席の半分以上が埋まり、出発する。半島の東側をぐるりと回り、諫早までは1時間の道のりである。

三会を過ぎると右手に有明海が広がる。今は潮も引き加減である。

大三東(おおみさき)に到着。ホームの目の前に有明海が広がるロケーションで、「日本一海に近い駅」の一つである。海がホームの目の前、すぐ横にある駅はいくつかあるが、「日本一」となるとどうだろうか。信越線の青海川、鶴見線の海芝浦といったところはホームのすぐ下まで海が広がっていることで知られる。ここ大三東も近さでは日本一に近いだろうが、有明海の干満差により、沖合まで干潟が広がることもあるのでちょっとどうかな・・。

大三東駅じたいが島原鉄道の観光スポットになっている。島原鉄道の町おこしプロジェクトとして「しあわせの黄色い列車王国」があり、その一環として黄色いハンカチを掲げるようになったことで人気となり訪れる人も多い。駅近くに駐車場がないため、島原鉄道は島原~大三東間のグッズつき往復乗車券も発売している。

対岸の長洲との間にフェリーが出ている多比良を過ぎる。現在は平成の大合併で雲仙市となっているが、かつては国見町と呼ばれていたところ。そして国見といえばサッカーの強豪である国見高校で知られ、駅にはサッカーボールをイメージしたモニュメント、並走する国道の看板もサッカーボールの形である。

諫早湾に入って来た。遠くに見えるのが諫早湾干拓堤防道路(雲仙多良シーライン)である。以前、九州西国霊場で諫早を訪ねた時、多良側からこの道路を渡り、島原に向かったことがある。諫早湾の干拓のために堤防を建設し、この排水門を開けるのか閉めるのかで長い間裁判になっていたが、結局「閉める」になったのかな。農業、漁業、どちらを立てるかだが、結局、どちらがプラスになったのだろう。

その名も干拓の里の辺りはちょうど収穫時期を迎えた麦畑が広がる。この麦の収穫を終えると田植えという二毛作が行われている。穀物といえば、今は連日コメに関する報道が続いている。こちらも利権が複雑に絡む構造が少しずつ明らかになっており、日本の第一次産業に対する政策というのは大丈夫なのかという気になる。

列車は駅ごとに乗客があり、立ち客も多く出た状態で本諫早を経て、15時19分、諫早に到着。島原鉄道の車窓を楽しむことができた。

これで九州一周のコマは島原から諫早につながり、次は長崎である。長崎市内も札所が1つしかなく、そのためだけに長崎に向かうことになるが、そこはそこでお楽しみを入れている。乞うご期待?

西九州新幹線に乗り継げばまだ日のあるうちに広島に帰宅できる頃合いだが、もう少し、西九州を楽しむことにしよう。・・というのも、諫早15時45分発の観光特急「ふたつ星4047」の午後便に乗れるからである。午後便は大村線を経由して早岐に着き、そのまま武雄温泉まで行く。そこから特急~新幹線を乗り継いでもそこまで遅くない時間に帰宅できる。有明海から大村湾へ、前日の熊本、三角を含めて結構大掛かりな移動となりそうだ・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第64番「龍照寺」(雲仙普賢岳の麓に不動明王)

2025年06月05日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで唯一の札所である龍照寺にようやく向かう。その前に島原の城下町を見物し、イオン島原店の前にあるバス停から雲仙行きの便に乗る。すでに観光客も乗り込んでいたが、イオン前のバス停からは地元の人、そしてここでも技能実習生か、買い物帰りの東南アジア系の若者と一緒に乗車する。

バスは国道57号線を走り、島原港を過ぎると右手に雲仙、平成新山の姿がはっきり見える。ここで川を渡る。川の名前は水無川で、火山からの噴出物で覆われているため、雨が降った時だけ地表に水が流れるという。1990年代の普賢岳の噴火の時には火砕流、土石流が水無川を流れ、流域に大きな被害を与えた。

島原を訪ねるなら、平成の大噴火の被害、そこからの復興を伝えるスポットに行ってみたいとも思っていた。結局熊本との絡みで見送りとなったが、島原半島のみなら1泊2日で回れたかな・・。

地元の人や東南アジア系の若者たちはかつての深江町エリアのバス停で下車していった。そして池平龍照寺バス停に到着。文字通り、これから訪ねる龍照寺の門前にあり、バス停の向こうには巨大な不動明王が見える。

山門をくぐって出迎えるのは高さ13.8mの不動明王。正面から見上げると堂々とした姿である。

その龍照寺だが、九州八十八ヶ所百八霊場、あるいは寺の公式サイトを見ても、その由来が書かれていない。島原という土地柄、江戸時代にキリシタンの抑えとして島原藩の保護を受けたとか、いやいやその昔、弘法大師空海が雲仙で修行したことがあって・・とかいうものがない。寺のアピールポイントとしては境内からの景色で、雲仙普賢岳、そして有明海を挟んだ対岸の天草、熊本が望めるというもの。扉が閉まっていたので、本堂の前でお勤めとする。

平成の大噴火の時、寺の建物には被害はなかったが火山灰が降り積もったこと、また国道が閉鎖されたために一時的に諫早に仮本堂を建てて本尊も移したという。現在は札所の位置づけでもあるが、墓地管理、永代供養に力を入れているようだ。

本堂と庫裏の間にある玄関のインターフォンを鳴らし、寺の方に朱印をいただく。これで、九州一周のコマは島原半島につながり、この後諫早まで行けば盤石となる。

島原に戻るバス便の時間が短かったので当初は気になっていたが、参詣そのものはシンプルに終わったので余裕を持って折り返し便に乗ることができた。公共交通機関でのローカル札所めぐりは時刻表を読み解く必要があるが、乗り継ぎが上手くできれば面白いものである。今度は有明海側の席に座る。

島原駅に到着。コインロッカーから荷物を取り出し、島原鉄道の気動車で諫早に向かうことに・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~島原の町歩き

2025年06月04日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

話は再び九州八十八ヶ所百八霊場めぐりへ。肝心の目指す札所がなかなか登場しないが、熊本から有明海を横断して島原港に到着した。バスのダイヤを考えて、先に島原の町並みと島原城の見物とする。

実際の大手門とは別の場所だが、大手門の建物を模した島原駅から島原城に向けて緩やかな上り坂「七万石坂」を行く。島原の乱の後に島原藩を治めた松平氏の石高が7万石ということによる。城跡にある小学校では運動会が行われていて、「紅組、リードしています」「白組、がんばってください」といった放送が周辺に響いている。

やって来たのはかつて武家屋敷があった通り。この辺りは島原の乱の前に島原藩を治めた松倉氏により武家屋敷街として整備されたのが始まりで、生活用水として引かれた水路が今も息づいている。無料の休憩スペースもあり、ここにも水が湧いている。島原の水としてペットボトルに汲んでこの先味わうことに。

こうして歩いてみると水路の両側は現代の感覚だと狭く感じるのだが、それでもかつて武家屋敷だったであろう現在の敷地内に結構クルマが停まっているのに驚く。多くは軽自動車だが、中には幅の広い普通車もある。ここを走るだけなら何とかなるだろうが、そのうえバックや切り返しで駐車場に入れるとなると相当慣れなければいけないだろう。

その中で猫が現れる。どこかで飼われているのかな、まったく警戒することなくすり寄って来る。

そして、島原城である。現在の天守閣は昭和の戦後に復元された建物で、資料館として観光スポットになっている。

展示のメインはやはり戦国時代~江戸時代前期の頃である。戦国時代、島原は有馬氏が治めていたが、当時の領主・有馬晴信みずからキリシタンとなったこともあり、領内にキリスト教が広まった。

しかし、大坂の陣の後に島原に入った松倉氏により、キリシタンは徹底的に弾圧された。その弾圧や、高い年貢による生活苦に耐えかねた島原、天草の人たち、そこに一旗揚げようという浪人たちが加わって発生したのが島原の乱である。そこにカリスマとして登場するのが天草四郎時貞・・。

島原の乱は幕府により鎮圧され、一方で松倉氏も取り潰しとなり、その後に島原を治めたのが松平氏である。その中、島原の乱を抜けた人たちにより、キリスト教の信仰(隠れキリシタン)は続く。「踏絵」の制度はあったにしても、肥前の他のところと同様、観音像や鬼子母神像に託した聖母マリア、キリスト像は残されている。歴史の教科書風にいえば、江戸時代は幕府の命によりキリスト教は徹底的に取り締まられたというところだが、現場の役人や村人たちはどこまでガチでやっていたか。・・まあ、現在も「本音と建前」、「本社と現場」との差というのはあるわなあ・・。

最上階に到達。とにかく、島原中心部から雲仙、有明海を望むことができる格好のスポットである。

島原城を後にして、もう少し歩く。

商店街の先に「島原温泉ゆとろぎの湯」を見つける。これはまったくのノーマーク。時間的にここで一浴びすることもできたが、さすがに入浴用品を持っていない。手前に足湯があり、ここでしばらく休憩とする。島原市街にも温泉があったか・・。

その中、再び水のスポットに着く。「鯉の泳ぐまち」である。観光交流センター「清流亭」もある。先ほどの武家屋敷群もそうだったが、島原というところ、水に恵まれていると感じる。

このすぐ先にあるイオン島原店に出る。先ほど島原港から島原駅へのバス車内で「イオンあるな」と見たところである。ちょうどこの週末に買っておきたいものがあり、イオンなら手に入るかなと思っていたところ、前日の熊本ではなく島原で出会うとは意外だった。まあ、ここがあれば島原の人たちの買い物には苦労しないだろう・・。

私の買い物も無事に済み、今回の札所めぐりの目的地である九州八十八ヶ所百八霊場第64番・龍照寺へはイオン島原店前のバス停から向かうとする。それまで少し時間があるが、バス停向かいのファミリーマートの敷地内にちょっとした憩いの場所があるので、買い物がてら行ってみる。ちょうど、東南アジアからの実習生だろうか、若い女の子たちもここでおしゃべりの最中。

そろそろ時間となり、バス停に向かう。この辺りがある意味島原の中心部なのか、バス到着の時間までに結構行列ができていた・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本から有明海を渡り、島原へ

2025年05月31日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月25日、朝の熊本駅である。この日は熊本港からフェリーで島原に渡り、第64番の龍照寺を目指す。

熊本~島原間はカーフェリー型の九商フェリーと、高速船の熊本フェリーの2路線がある。熊本駅からバスで熊本港に行く場合、最も早く乗れるのは8時20分発の九商フェリーだが、バスの時刻表を見ると到着時間は結構ぎりぎりのように見える。そのバスも熊本駅に2~3分遅れて到着した。

バスは発車後南に進み、熊本操車場の横を過ぎて蓮台寺から西に進む。途中、特に渋滞ということもなく走り、最後は熊本港にかかる熊本港大橋を渡る。フェリーターミナルまで乗ったのは7~8人。

出航時刻が近いためか、窓口では「乗船券は船内の売店でお買い求めください」とあり、急いでフェリーに向かう。船内の係の人が乗船口で待っており、バスからの客が乗り込んだのを確認して出航となった。島原までの所要時間は1時間である。

熊本港の歴史は意外と浅い。この辺りの地盤が軟弱なのと、有明海の遠浅の地形のため本格的な港の建設が難しく、明治時代には港の建設を断念し、宇土半島の先にある三角だった。熊本に人工島方式で新たな港を建設する計画が立ち上がったのは1970年代になってからで、完成して島原へのフェリーが就航したのは1993年のことである。その後の拡張により、国際コンテナ船や大型クルーズ客船も入港できるようになった。今後は台湾の半導体関連企業の進出による需要増が見込まれるという。

さて乗船した「フェリーくまもと」だが、前方を向いたシートが並ぶシンプルな造り。追加料金を払えば前方の特別室も利用できるようだが、この日は穏やかな天候だし、デッキで潮風を受けるのが気持ちよさそうだ。

制服姿の小学生の団体がいる。カメラマンも同行しており、この先、児童たち、あるいは先生を交えてフェリーのデッキで撮影する光景が見られる。名札に「宇土東小学校」とあり、修学旅行のようである。フェリーで島原に渡るということは、行き先は雲仙方面、あるいは長崎の平和学習ということなのかな。

左手に長く続くのが、前日三角線で訪ねた宇土半島。そして右手には金峰山。

宇土半島の先の天草の島々もうっすら見える中、前方には島原半島も少しずつ大きくなる。雲に覆われているが盾山、平成新山といった島原のシンボルである。

島原からの「レインボーかもめ」とすれ違う。修学旅行の子どもたちがそちらに向かって手を振るが、乗船客はあまりいないようだ。

雲がかかっているが、少しずつ島原の盾山、そして平成新山の姿が大きくなり、町の様子もはっきり見えるようになった。熊本~島原の乗船時間は1時間。途中退屈することもなく、景色の移り変わりを楽しめた。

9時20分、島原港に到着。こういうルートで長崎県に入るのは初めてで新鮮に感じる。

さて、これから札所めぐりだが、島原に来たということで島原城や城下町の見物もしたいところである。龍照寺へは雲仙方面行きのバスに乗るのだが、島原港、そして龍照寺それぞれの待ち時間が長いので、先に島原駅に向かい、午前中は島原の町の見物に充てることにする。

島原港といえば島原鉄道の終点で、ここから鉄道で移動するのもよいのだがそれもタイミングが合わず、結局島原駅行きのバスに乗る。

バスに乗ること10分、島原城の大手門をイメージした駅舎である島原駅に到着。コインロッカーに荷物を預け、駅前から天守閣を望む島原城方面へ・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本最後の夜は大人しく・・

2025年05月30日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月24日、当初楽しみにしていた野球観戦は中止となったが、代替プランとして特急「A列車で行こう」とクルーズ船「天草宝島ライン」で、車内での「飲み鉄」や有明海、天草松島などの景色を楽しむことができた。札所めぐりと合わせてJR九州のさまざまな列車に乗る中、その一つに思わぬ形で「A列車で行こう」が加わった。

熊本駅に戻ったのは17時すぎ。今回、翌朝に熊本港に移動する関係で、ホテルは熊本駅前に取っている。熊本城のある市街地に出向いてもよいが、まあ今回は駅周辺でいいだろう。今回の熊本での一献はおまけのような感じだった。結局、高架下「肥後よかモン市場」にある「天ぷら串焼海鮮 米福」に入る。以前の札所めぐりで、帰りの新幹線に乗るまでの時間で一献したことがある。

ここまで「飲み鉄」後だが、改めての一献ということで生ビールで乾杯。

メインは馬刺しの盛り合わせ。こういう盛り付けを見ると、赤身と白身(たてがみ)を一切れずついっぺんに味わうとか、楽しみ方が増える。

球磨焼酎の川辺もいただく。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりによる九州一周も佐賀県、長崎県まで進んでいるが、いったん熊本までバックしたように感じる。さすがにこれ以降熊本に来ることはないだろうから、最後の夜といっていいだろう・・・。

熊本駅を出るとまだ外は明るかった。この日はコンビニで買い物だけして、ホテルの部屋でのんびりしよう。

チェックインしたのは、田崎橋の電停に近い(といっても、熊本駅からでも徒歩5分ほど)「ホテル五番館」。ご多分に漏れず熊本でもホテル価格は高騰しており、野球のチケットを確保した時点ですら辛うじて空いていたホテルである。1階には大浴場があり、まずはこちらでさっぱりしたところで、後は部屋でのんびりする。

この日は「マジカル頭脳パワー!!2025」という番組をやっていた。1990年代に放送された人気番組の復活版ということで、懐かしさとともに頭の体操と笑いを楽しむことができたのだが・・・私自身テレビの前でなかなか回答が出ないこともあり、改めておっさんになったものだなと実感することに。そこは笑えないなあ・・。

さて、翌日はバスで熊本港まで行き、フェリーで島原に渡る。こういう移動も楽しみである・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~天草宝島ライン

2025年05月29日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

「A列車で行こう3号」にて三角に到着。せっかくなので、この先の上天草の松島港を結ぶ定期航路「天草宝島ライン」に乗ってみよう。JR九州も「A列車で行こう」との組み合わせで天草へのアクセスとしてPRしている航路である。

乗り場は三角駅から道路を渡ってすぐのところで、先ほどの「A列車で行こう」からの乗り継ぎ客も見える。松島港までの所要時間は約20分。なお、島づたいに国道266号線「天草パークライン」が続いており(路線バスも走っている)、生活の足としては道路や橋がメインである。「天草宝島ライン」は観光クルーズ船の色合いが濃い。

シークルーズ号に乗船し、14時25分に出航。後方のデッキに陣取り、潮風を受けながら向かうことにする。周囲を島に囲まれたエリアのため、波も穏やかである。右手に横たわるのが大矢野島、左手に浮かぶのが戸馳島、維和島といったところだが、天草宝島ラインが走るのは、大小およそ120の島々で構成される天草全体で見れば北部のほんの入口のところでしかない。

この後も、島の前に浮かぶ小さな島を見たり、島と島を結ぶ橋の下をくぐるなど、どこか瀬戸内海に通ずる景色を楽しむ。晴れていればよかったな・・と思う。ただ、晴れていれば今頃は藤崎台球場でホークス対バファローズの試合を観戦しているところである。代替Bプランで申し訳ないといいながら、「A列車で行こう」と「天草宝島ライン」にて、ある意味「宝島」気分を楽しんでいる。

それにしても、天草松島とはよくいったものだ。天草宝島ラインが着くのは前島にある乗り場だが、その手前に浮かぶ小島の景色は、日本三景の一つ、松島を彷彿とさせる。この記事では、天草宝島ラインの船内から撮った写真を載せているが、実はこのうちの1枚は宮城県の松島のものです・・という謎解きがあってもよいと思う。

松島港に到着。この一角は上天草市の観光交流活性化施設「ミオカミーノ天草」として、天草の観光スポットである。イルカウォッチングや天草五橋をめぐるクルーズ船も出ており、「A列車で行こう」で乗り合わせたグループ客はイルカウォッチングのクルーズに乗り継いだ。

さて私だが、さすがに天草でどこかに行こうというまでのプランは持っていなかった。物販コーナーで地元名物の車エビ、海苔の加工品を買い求めた後は、小雨の中、折り返しの天草宝島ラインの時間まで、屋根付きの休憩スペースで静かな湾内を眺めながらのんびりする。

折り返しの便は15時35分発。復路もデッキでと思ったが、先に乗船したインバウンドの団体客で埋まったため、前方の客席に座る。たまたまこの便がそうだっただけなのかもしれないが、船内での会話はほぼ大陸、半島の言葉である。天草というところ、あちらでは結構知られた観光スポットなのかな。

三角に到着し、16時09分発の熊本行きに乗る。転換クロスシートとロングシートが互い違いに配置されたキハ200系である。

この後は、御輿来海岸、有明海の干満差の景色をもう一度楽しみ、熊本に到着。

今回、熊本での野球観戦を楽しみにして、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとも絡めたが、肝心の試合はグラウンドコンディション不良のため中止になった。ただその分、三角、天草にほんの少しだけながら触れることで少しでもカバーすることができた。ホークスとの試合については、またある日をターゲットとして、そこに九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを絡めてリベンジしたいものである・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~代替プラン「A列車で行こう」

2025年05月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは熊本でのホークス対バファローズ戦の観戦との組み合わせがメインの一つだったが、5月24日、開門予定時刻の11時になって中止が発表された。中止が発表された時、雨そのものはほとんど降っておらず、その後の熊本近辺も降ったりやんだりだったがそれほど強いものではなく、中止理由は主に「グラウンドコンディション不良」というものだった。

試合は中止となったが、この日の特典である「ファイト!九州デー」ユニフォームの引き換えや露店の営業は引き続き行われるとあって、観客は次々にやって来る。その中、路線バスで熊本駅に戻る。

さてこれからどうするか。熊本城を見物するとか、街の中心部をぶらつくというのもあるが、それは以前熊本の札所めぐりでクリアしている。いっそのこと今から島原に渡り、先乗りで島原に泊まる手もあるが、せっかく予約した熊本のホテルのキャンセル料(宿泊料の100%)を払ってまですることではない。

・・数日前、熊本の天気予報が雨というのを見て、これあるを見越して代替プランを用意しておいた。それが、熊本から三角に向かう特急「A列車で行こう」である。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは、札所めぐりと合わせてJR九州のさまざまな列車にも乗ったが、そういえば熊本には「A列車で行こう」があったなと。以前、九州西国霊場めぐりの時に三角線を訪ね、三角発熊本行きの便に乗ったことがあるが、今度は熊本発三角行きの便に乗ってみよう。短区間なので乗車時間も短いが、三角行きのほうが途中駅での長時間停車もあり、旅の楽しみが多いようだ。13時06分発「A列車で行こう3号」の指定席をあらかじめ確保しておいたが、それが現実のものになるとは・・。

三角方面のホームにはキハ185系の改造車両が停まっている。JR九州ということで、もちろんデザインはあの水戸岡鋭治氏である。折り返しの車内整備も終わり、早速乗り込む。車内にはそれこそ「A列車で行こう」をはじめとしたジャズのBGMがお出迎え。

「A列車で行こう」の頭文字「A」とは、三角の先にある天草のAであり、大人(アダルト)のAである。車内には大人の旅を演出するバーカウンターが備えられており、乗客のターゲットも大人向けである。そのためなのか偶然なのかはわからないが、この日の乗客には子どもの姿は見かけなかった。

・・その代わりというわけではないが、グループ客、外国人観光客に交じって、バファローズの帽子やユニフォームを着用した人たちも10人ほどいる。声はかけなかったが、せっかくの熊本・鹿児島遠征の中、試合中止となった午後の熊本の時間をどう過ごすかということで「A列車で行こう」を選んだのだろう。

ジャズのBGMとともに熊本を出発。早速バーカウンターに向かうも行列ができており、ここは気長に待つとしよう。まずは鹿児島線を特急車両ならではの快走を見せ、宇土から三角線に入る。

バーカウンターというくらいだから、完全に大人の「飲み鉄・呑み鉄」列車である。選択したのは「Aセレクトハイボール」。同じ熊本県の山鹿蒸留所で作られたウイスキーをベースにしている。そしてもう一杯、天草の晩柑を使った晩柑サワー。ちびちび、グビグビいこう。

落ち着いたところで右手の車窓に見えるのが金峰山。宮本武蔵が晩年を過ごした霊巌洞もある。金峰山といえば大相撲、カザフスタン出身の幕内力士の四股名を連想するが、師匠である木瀬親方(元・肥後ノ海)の故郷が熊本ということからつけられたものである。

そして、干満差が大きい有明海に出る。ちょうどこの時間帯は干潮で、独特の景色が広がる。干潮の時に限り、本土から歩いて行くことができるスポットもあるようだ。その逆に、満潮になると海の中に入る電柱もあるとのこと。

列車は網田(おうだ)に到着。20分あまり停車する。ちょうど三角線のほぼ中間点にあり、列車の行き違いもあるが、「A列車で行こう」での途中駅の雰囲気を楽しむ演出である。駅舎は熊本県内で現存する最古の建物とされている。

そのレトロな雰囲気を楽しむとともに、駅舎内はカフェに改装されている。オリジナルのカレールーが販売されていたので一つ買い求める。また「A列車で行こう」の発車時にはお見送りがある。

御輿来(おこしき)海岸を過ぎる。その昔、日本武尊の父である景行天皇が九州を遠征した際、その美しい海岸線に御輿を停めて見入ったことからつけられた名前である。この時は曇り、雨模様で眺望は残念だったが、晴れていれば対岸には雲仙、島原半島の景色が見られたはずである。

熊本を出発して1時間の14時09分、終点三角に到着。なかなか濃い1時間で、代替プランとしても申し分なかった。

さてここからだが、しばらく三角駅で待った後、普通列車で熊本に戻ればよいのだが、まだ午後の時間帯である。もう少し先に向かうとするか。ちょうど駅前の港からは、上天草の松島港とを結ぶ「天草宝島ライン」が出ている。札所めぐりとは縁がないが、九州一周の中で「天草にもちょっと立ち寄りましたよ」というのがあってもよいだろう・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~熊本でのホークス対バファローズ戦は残念ながら中止・・

2025年05月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

島原の札所に行くのにあえて熊本から有明海を横断するルートで行く、それも野球観戦、しかもバファローズ戦を絡めて・・ということで、3ヶ月ほど前から予定に入れて準備していた5月24日のリブワーク藤崎台球場での試合。

・・しかしあいにく、当日は雨の予報・・というより、広島出発時点ですでにかなりの雨である。前日の23日は全国的に晴天だったし、翌日の25日も九州全域で晴天だった。なぜこの日だけ・・という思いはある。

ただ、熊本駅に降り立つと雨は上がっており、スマホでこの後の雨雲レーダーを見ると、雨が降る時間帯はあるものの雨量はそこまで多くない。ひょっとしたらプレイボールがかかるのではという思いの中、藤崎台球場に到着。この球場を訪ねるのは初めてである。ちょうど、バファローズのラッピングをほどこしたトラックとすれ違う。用具などを運び入れたのかな。

藤崎台球場は熊本城内の一角にあり、かつては現在地に移転する前の藤崎八旛宮があったところ。西南戦争における熊本城の攻防において激戦が繰り広げられたところだ。その後は陸軍の施設となり、戦後の1960年、国体の野球会場として建設された。

さてこの日の熊本、そして翌日の鹿児島でのバファローズ2連戦は恒例の「ファイト!九州デー」として行われる。また特典として、ソフトバンクホークス誕生20周年のレプリカユニフォームがビジター応援席以外の入場者全員に配布される。私もネット裏指定席を持っているので、これは記念にいただく(着る着ないは別として。

そのレプリカユニフォームの引き換えだが、外野スタンド後方のスペースのほか、内野スタンドのすぐ前にある熊本県護国神社でも行われている。明治の初め、当時の熊本藩主らにより明治維新に殉じた藩士を祀ったのが始まりで、その後太平洋戦争(この神社では大東亜戦争と表現していたが)までの国難に殉じた熊本県出身や熊本にゆかりのある人たちを祀り、戦後になって現在地に移された。ユニフォームを受け取った後、自然と拝殿に足が向かい、手を合わせる。この日のお願いは「無事に試合が行われますように・・」。

この後も小雨がぱらつくこともあり、屋根のあるところでしばし待つ。ホークス、バファローズそれぞれのファンも集まるようになり、遠征の人、地元熊本の人たちとのちょっとした交流の場にもなる。地方球場ならではの屋台も営業を始め(キッチンカーが入るだけのスペースはない)、客寄せに懸命である。

・・・しかし、開門予定時刻の11時ちょうど、この日の試合中止が告げられる。確かに今後の雨量だけを見ると試合はできたのかもしれないが、中止の理由は「グラウンドコンディション不良」というのが第一のようだ。その後のニュース映像など見ると、雨に備えて内野の土のグラウンドにシートも覆われていたが、地方球場の限界もあったのかもしれない。

そして、2年続けて九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとホークス対バファローズ戦を組んだ私は、前年の鹿児島に続いて熊本でも雨天中止に遭遇した。久しぶりに「私は雨男」という感情になった。

そこで球場を後にしたのだが、球場周辺にはまだ多くの客が残っていたし、交通整理のスタッフの方たちが「試合は中止になりました!」という中でも球場に向けて次々に客がやって来る。試合中止でも「ファイト!九州デー」のユニフォーム配布は15時まで行われるし(実質無料なのでユニフォームだけでももらおうか)、球場入りしているであろう選手たちの出待ちをするとか、屋台の飲食を楽しむとか・・。

さて私は、蔚山町のバス停からバスに乗って熊本駅に戻る。まあ仕方ないと思うが、熊本駅に着くと、雨が上がるどころか青空になった。前年、雨天中止に遭遇した鹿児島は朝から強い雨が降り続いたので潔くあきらめて朝からプラン変更してかえってすっきりしたが、今年の熊本中止は少しモヤモヤしたかな・・。

ただ、モヤモヤしても仕方ない。一応、雨天中止を見越して「Bプラン」というべきものを用意しておいた。それは差し詰め、「Bプランで乗るA列車」とでもしておきましょうか・・・。

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第27回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~目的地は島原だが、まずは熊本で野球観戦

2025年05月26日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所めぐり。目指す札所は第64番・龍照寺である。島原半島にある唯一の札所で、島原の中心部から雲仙行きの路線バスでアクセスすることができる。

広島から1泊2日で行くとすれば、西九州新幹線(あるいは以前の回のように観光列車「ふたつ星4047」に乗ってもよい)にて諫早に向かい、島原鉄道で島原到着。この日は島原に宿泊として、その日のうち、あるいは翌朝に龍照寺を参詣。そして島原半島を一周する形で雲仙から諫早に向かうのがよいだろう。もう30年以上前になるが雲仙普賢岳の大噴火の被害、そして復興について触れたスポットを訪ねるのもよいし、雲仙地獄や温泉を楽しむのもよいだろう。そして諫早まで出ることで、九州一周のコマも次の長崎市街につながる。

もっとも、島原へのアクセスは諫早からの島原鉄道だけではない。有明海を横断するルートもある。以前、島原から大牟田へ向かう高速旅客船「三池島原ライン」に乗ったことがある。三池港~大牟田駅間には連絡バスがあり、大牟田からJR、西鉄で博多、天神へのアクセスも容易である。タイミングが合えば、広島からでも最速で島原に行けるのではないかな。

・・・またこれとは別に、熊本港から島原に向かうフェリーも2路線ある。今回、島原に行くにあたり目を付けたのがこのルートである。

その理由というのが、5月24日に熊本・リブワーク藤崎台球場で行われるホークス対バファローズの一戦。今年の2月だったか、NPBプロ野球の公式戦の日程が発表された際、5月24日に熊本、そして25日に鹿児島で試合が行われることを知り、ビジターながら入会している「タカチケット」の前売りで早々に熊本でのチケットを確保した。

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとプロ野球観戦といえば、ちょうど3年前、2022年5月の大型連休期間に福岡でのホークス対バファローズ戦を観戦した次の日、博多駅近くの第1番・東長寺で八十八ヶ所百八霊場めぐりを始めた。その後、昨年5月に鹿児島で行われるホークス対バファローズ戦と札所めぐりを組み合わせる形で出かけたが、前乗りした日は晴天だったのが、当日は朝からの雨天のため早々と中止になった。

前年のリベンジなら25日の鹿児島に向かうところなのだろうが、ここは24日の熊本とした。藤崎台球場、熊本城の一角にあり伝統的な球場であるがまだ訪ねたことがない。そして、24日に熊本で野球観戦の後、そのまま宿泊して翌朝に路線バスで熊本港に移動、フェリーに乗れば午前中に島原に移動できる。雲仙普賢岳の噴火関連の施設や、雲仙地獄、温泉は難しいが、札所の龍照寺の参詣と島原中心部の島原城や武家屋敷群の見学の後、島原鉄道で諫早に向かえば、別の意味で循環ルートができる。5月にこのルートをたどることを前提として、それまでに佐賀、長崎の札所を回って先に諫早までコマを進めておいた。

そして、お出かけの数日前、週間天気予報が見られるようになったが・・5月24日の西日本の天候は曇り、雨の予報である。それから日が経つにつれ、予報の精度も上がって来る。そして前日には、24日の熊本の天気予報は曇り時々雨ながら、降水確率は100%と表示された・・。まあ、どうなんでしょう。前年、観戦しようとチケットを確保した鹿児島の試合は雨天中止、そして今回の熊本での試合も雨天中止となると、私も自身久しぶりに「雨男」を名乗るとしようか・・。

迎えた24日当日。広島駅に向かうところですでに結構な雨脚である。すでに気が滅入るところだが、せっかく熊本駅近くでホテルも取っているし、翌日の島原もある。熊本から有明海を横断して島原に向かうという経験も旅の楽しみと気持ちを切り替える。

広島6時53分発「こだま781号」~博多8時40分発「さくら403号」という「バリ得こだま」定番の乗り継ぎで、9時18分熊本着。九州一周のコマが若干戻ったようにも思うが、有明海を横断して直接長崎県に向かうという「奥の手」が控えている(地元の人たちからすればごく自然なルートなのだろうが)。

広島出発時点、また福岡県に入ったあたりでは車窓からも結構な雨を確認できたが、熊本に到着すると雨が止んでいる。スマホアプリで天気予報、雨雲情報を見ると、この先熊本にも雨が降るが、降水量はそう多くない。ならば、ひょっとしたら試合開催もあるのではないか。雨中の観戦を想定してリュックには雨対策アイテムをいろいろ詰めている。

熊本駅から藤崎台球場へは、上熊本駅を経由する熊本都市バスの第一環状線などを利用して蔚山町で下車するのが近いようだ。バスの乗客にもホークス、バファローズ双方のファンも結構目立つ・・・。

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第26回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~東彼杵から一気に広島へ

2025年05月10日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

今回の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは目的の札所を訪ね終え、後は広島に戻るだけである。日没は遅くなりつつあるが、あまり遅くならない時間帯には帰宅したい。

波佐見にある第66番・東前寺の参詣を終え、川棚方面に向かう。県道が突き当たったところに国道205号線、そして大村線の川棚駅がある。大村線も前回の九州八十八ヶ所の時に乗車しているが、ここは今一度乗りたい区間である。「ふたつ星4047」の午後便を使ってもいいだろう。

ここからしばらくは大村湾に沿って走る。

立ち寄ったのは、東そのぎインターのすぐ手前にある「道の駅彼杵の荘」。クジラと茶畑の看板が目印である。彼杵は江戸時代、五島列島や壱岐・対馬などで捕獲、解体されたクジラの集散地となった歴史があり、加工されたクジラは長崎街道を経由して各地に運ばれていった。今もその名残でクジラを扱う業者があり、地元の郷土料理にもなっている。道の駅の物販コーナーにも冷凍品や缶詰があり、土産に買い求める。

昼食は「くじらだご汁」。だご汁は団子や野菜が入った汁物料理だが、ここにクジラの皮が入った一品。

また彼杵は茶の生産が盛んで、全国の品評会で日本一になったこともある。

敷地内には東彼杵町歴史民俗資料館があり、のぞいてみる。建物の前には小さいながらも前方後円墳の「ひさご塚古墳」がある。長崎県最大級の規模という。

建物に入って最初に目についたのが、ジャイアンツのユニフォーム姿の選手の写真。東彼杵町出身で、ジャイアンツや近鉄バファローズで活躍した香田勲男氏である。ユニフォームや帽子の現物も展示されている。昨年には企画展も行われたとのことだ(館内撮影禁止のため、画像なし)。

香田投手と聞いて思い出すのが、今はなき藤井寺球場で行われた唯一の日本シリーズである1989年の近鉄対巨人。近鉄3連勝で日本一に王手をかけた後の第4戦、巨人の先発を務めたのが香田投手。緩急をつけた投球で近鉄打線を完封し、シリーズの流れを変えるきっかけとなった。このシリーズの流れを変えたのは、第3戦の勝利インタビューで加藤哲郎投手から出た「あの発言」と言われることが多いが、それまでの本格派とは違った香田投手の投球が近鉄打線のリズムを崩したのが大きかったとされている。香田投手は巨人3連勝で迎えた第7戦にも先発し、勝利投手となった。

その香田投手は1989年当時のエースだった阿波野秀幸投手とのトレードで近鉄に移籍。近鉄では主にリリーフで活躍し、2001年の優勝にも貢献した。これを花道にして現役引退、以後はNPBや韓国の球団でコーチを経て、現在は高校野球の監督を務めているとのこと。

・・・入口の香田投手のところで話が長くなったが、資料館じたいはさきほどの古墳の装飾品をはじめとした彼杵の歴史、また捕鯨やそのぎ茶についてもさまざま紹介されており、見どころも多い。帰りの時間が気になって駆け足での見学となったのはもったいなかったかな・・。

さて、そろそろ広島に向けて戻ることにしよう。カーナビで自宅をセットすると距離は360km。ほとんど高速道路を走行するが、それほどスピードは出せないし、途中休憩するペースを考えると6時間くらいかかるか。

東そのぎインターから入ってしばらく走ると俵坂トンネルに入り、佐賀県に入る。その後、西九州道が分岐する武雄ジャンクションを経て、佐賀県内をひた走る。

鳥栖ジャンクションで九州道に合流。今度は「サガンクロス」のように豪快に道路を跨ぐこともなく、普通に左にカーブするだけである。

ほぼ3分の1を走ったところで、古賀サービスエリアで最初の休憩。「那の国タウン」とあるのは、その昔、金印を授かった「奴国」から来ているのか。フードコートにてラーメンをいただき、九州各地の土産物が揃うところでまたも買い物。クルマで出かけると荷物が積めるだけについいろいろ買ってしまう・・。

このまま順調に走り、もうすぐ関門橋というところで渋滞に遭遇。前方のトンネル情報の案内板では「事故」の文字。その中、後方からサイレンを鳴らしてパトカーがやって来る。

車列は少しずつ進み、トンネルに入る。トンネルの中の事故で、ここで閉じ込められた嫌だなと思う中、後方から消防車、救急車が次々にやって来る。

トンネルを出たところで目にしたのは、追越車線で完全に横転したワンボックスカー、そしてガラス片が飛び散った光景。その先には追突されたクルマも停車し、右手の路肩には当事者らしき人が集まっていた。これだけ見ればかなりの大惨事かと思ったが、後で情報を見たところでは、クルマ3台が絡む事故ではあったが死傷者はなかったとのこと。直接の原因はあるのだろうが、やはりスピードを控え、車間距離を確保するしかない。

当初は関門橋の手前にあるめかりパーキングエリアに立ち寄ろうかと思ったが、先ほどの事故渋滞もあってそのまま進む。

この後、3分の2の手前にある美東サービスエリアにて2度目の休憩。

廿日市インターに戻った時にはようやくホッとした。そして帰宅したのは「道の駅彼杵の里」を出発してからちょうど6時間だった・・。

さて、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは佐賀県から長崎県にかけて比較的札所が密集しているところを先行して巡拝したが、九州一周ということでいえば、島原にある第64番・龍照寺、そして長崎市内にある第65番・延命寺が先である。現時点ですでに「このスケジュールでめぐろう」と決めているが、はたしてその通りに行くだろうか・・・。

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第26回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第66番「東前寺」(波佐見焼と天平様式の境内)

2025年05月09日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

伊万里を出発して、有田に立ち寄った後は長崎県に入る。西九州道の有田波佐見インターを通過する。帰りはここから高速道路に乗ってもいいが、少しでも海を見ようということで、第66番・東前寺を参詣した後は川棚方面に出て、大村湾沿いに長崎道の東そのぎインターに向かう予定である。

さて、波佐見も初めての訪問地である。せっかくなので地元の歴史に触れようと向かったのが、波佐見町歴史文化交流館「波佐見ミュージアム」。その道中にも、地元の波佐見焼関連のスポットが並ぶ。有田と同じく、波佐見でも4月29日~5月5日に陶器祭りが行われるとのことで、臨時駐車場の設営や、販売用のテントの準備が行われているのがちらりと見える。

新しい屋敷のような造りで、入館無料。靴を脱いで上がる。波佐見の歴史ということで展示を見て行こう。「肥前国風土記」によると、この辺りには「土蜘蛛」という集団が住んでおり、景行天皇のいる大和朝廷に抵抗したため滅ぼされたとある。「土蜘蛛」というのは、「蝦夷」や「熊襲」と同じく、大和朝廷側から地元勢力を見下した呼び方であるが、そうした記録が残っているということで。

東前寺についても紹介されている。東前寺は奈良時代、行基により建立された寺院だが、当初は現在地とは別の場所にあり、多くの支院を従えていたそうだ。平安時代や鎌倉時代の塔も展示されており、仏教文化が栄えた地として紹介されている。

ところが時代が下り戦国時代、この一帯を治めていた大村純忠がキリシタン大名となり、領民のキリシタン化を進めた。天正の遣欧少年使節の一人である原マルチノは波佐見の出身である。その一方、一部過激化した集団により、東前寺は焼き討ちにあってしまう(その後、江戸時代に現在の場所に再建されたそうだ)。

江戸時代に大村藩の土地になると、佐賀藩(有田・伊万里)、平戸藩(早岐)、大村藩(川棚)の結節点、交通の要衝となり、この頃から生産されるようになった波佐見焼も各地に出荷されるようになった。

特別展示室では、現在に残る波佐見焼の数々が展示されている。これまで見た伊万里焼、有田焼と比べ、日常使い、庶民の器という特徴がある。その代表的なものが「くわらんか」椀。三十石船のような乗り合い船で、「飯くらわんか~」とこの茶碗を持って飲食物を売るようになったことでその名前がついた。

他に、「コンプラ瓶」というのがある。「コンプラ」と聞くと今の世の中で敏感になっている「コンプライアンス」を連想する・・。何だろう、この頃から「コンプライアンスを遵守した規格の瓶」でもあったのかなと・・。

ネットで調べると、ポルトガル語で「仲買人」を意味する「コンプラドール」から取られたそうで、江戸時代の長崎商人(それこそ「コンプラドール」)がオランダの東インド会社を通して輸出していた酒や醤油の容器として使っていたものだという。「第1級の日本の酒」という意味の文字が入った一品もある。

・・さて、肝心の札所めぐりである。波佐見ミュージアムからクルマを走らせて到着。東前寺の石段と並び、波佐美神社の石段がある。これは神仏習合の名残ではないかな・・と波佐美神社の歴史を検索すると、果たして、戦国時代にキリシタンの焼き討ちにあい、江戸時代は神仏習合、明治になって新たに神社として祀られたとある。

東前寺の石段を上がると、まだ新しい本堂が出迎える。元々天平時代の寺院ということで、天平様式を今に残す奈良の秋篠寺の本堂を模したものだという。

参詣はこちらからということで、庫裏の玄関から入る。渡り廊下を伝って本堂の中へ。本尊の薬師如来は戦国時代のキリシタン焼き討ちの難を逃れたと伝えられる。まずはここでお勤めとする。

本堂の裏手から庭園、奥の院に向かうことができる。庭園は「遊亀庭」と呼ばれ、寺の山号「亀井山」の由来となった亀の形に見える石もいろいろ見ることができる。井戸水も湧いている。奥の院の弘法大師像にも手を合わせる。

朱印は庫裏の玄関でセルフでいただく。

これで佐賀、長崎の県境が接するあたりの札所を押さえることができ、次からは長崎の海岸線沿いに動くことができる。また次への楽しみができた・・・。

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第26回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~陶器市間近の有田へ

2025年05月08日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは佐賀県西部から長崎県に入る。この日(4月27日)だが、波佐見町にある第66番・東前寺に向かう。このところ、札所順と実際に訪ねる順番が一致していないが、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりについてはそこまでこだわっていない。東前寺を訪ねた後はそのまま大村湾に出て、長崎道の東そのぎインターから一気に高速道路で広島に戻るつもりだ。

前夜は伊万里グランドホテルに泊まり、麦飯石使用の人工温泉で朝風呂とする。この日も晴天の予報で、ドライブにも適している。とはいえ、あまり遅くならない時間に帰宅できればと思う。朝食会場に向かうが、学生の部活動の団体利用もあり、結構行列ができていた。

さて、出発である。伊万里から波佐見に向かうには途中、有田を経由する。前日からこの辺りの焼き物に接しているのだが、やはり有田を経由するとなると何らか見物することになるだろう。

前日、黒髪山に向かう前に通った武雄市の宮野地区を抜け、有田町に入ったところで立ち寄ったのが有田町歴史民俗資料館東館。有名な有田焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に派兵された鍋島氏が朝鮮半島から連れて帰った李参平が、ここ有田の泉山で磁器の原料となる陶石を見つけて製造したのが始まりとされる。

館内に入ってまず出迎えるのは、磁器が出土した地層の模型。この後、登り窯のジオラマや昔の作品を中心に、有田焼の歴史について紹介している。

展示の濃さでいえば、資料館と渡り廊下でつながっている有田焼参考館。ここは有田焼の完成された作品美を鑑賞するというよりは、有田焼の考古学ともいえる展示である。こうして発掘した品々を年代順に並べることで、有田焼の誕生からの変遷を学ぶことができる仕組みだ。

この資料館・参考館のすぐ近くに、有田焼の陶石が発見された泉山磁石場がある。現在、ここでの採掘はほとんどないそうだが、人力でくり抜かれた穴が並ぶ景色は結構ワイルドで、有田にこうしたスポットがあると初めて知っただけに驚いた。アクション映画やドラマのロケに使っても面白そうだ。

そして、磁石場の展望スペースにマンホールの蓋があり、磁石場とともにデザインされたのは、機動戦士ガンダムのキャラクター・グフ。何でまた、ガンダムなのかな・・。

ここから少し西に向かうと、由緒ありげな建物が並ぶ町並みに出る。江戸時代から昭和初期にかけての建物が残り、歴史的景観形成地域となっている内山地区である。これは面白そうだと、クルマを停めて町並みを歩くことにする。

通りを一歩入ると、「トンバイ塀」が見える。「トンバイ」とは、登り窯を築くために用いた耐火煉瓦のことで、その廃材などを再利用する形で造られた塀が並ぶ。この通りも有田の観光スポットである。

・・そして、ここにはトンバイ塀とガンダムがコラボするマンホール蓋がある。このガンダムシリーズ、初めて目にしたのだが、別に有田だけのものではなく、2022年に始まった「ガンダムマンホールプロジェクト」の一環だという。地元自治体との協力による地域活性化や、ガンダムファンが世代を超えてつながろうという趣旨で展開されているとのこと。現在50ヶ所ほどに設定されているそうで、その地の観光スポットとのコラボである。元々マンホールの蓋にはその土地に関するものがデザインされることが多く、このプロジェクトも地域の盛り上げに一役買っているようだ。

他にも昔ながらの建物を見ながらぶらつくが、ほとんどが陶磁器の店の中、店の人が慌ただしく動いており、トラックから荷を下ろす光景も見られる。これは4月29日~5月5日に開かれる有田陶器市の準備中である。2025年で第121回というから相当な歴史だ。通常の店頭販売に加え、駐車スペースにもテントが張られ、ワゴンを並べて販売するようだ。店の人は陶磁器を並べたり、品物を布巾で拭ったりと忙しい様子。むしろこのタイミングで何か買い物をしようとするなら「陶器市の準備の邪魔!」と言われたりして。

その中で訪ねたのが、有田陶磁美術館。さすがに美術館だと邪魔扱いされることはなく、こちらでは先ほどの江戸時代からの出土品ではなく、明治以降、美術品として保存、紹介されている作品群に出会う。皇室献上の品や、柿右衛門の作品などもある。

陶器市の本番を外すというのが何とも私らしいが、先に記したように、今回の札所めぐりではあちらこちらの陶磁器のスポットを経由したにも関わらず皿の一枚、茶碗の一つも買うことがなかっただけに(中には、アウトレットで数百円ながらよさげなものもあったが・・)、私の興味というのはそのくらいのものだろう。

あ、有田駅も素通りしてしまった。せめて有田焼の磁器を使った「有田焼カレー」でも買えばよかったかな・・。

このまま県境を越えて長崎県に入る。沿道には有田と同じ4月29日~5月5日に開催される「波佐見陶器祭り」の幟が目立つ・・・。

 

 

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第26回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~伊万里に一泊

2025年05月07日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

話が行ったり来たりするが、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの続き。武雄の札所をめぐり、この日の宿泊地である伊万里に到着。伊万里駅前の通りでは伊万里焼のオブジェが出迎える。

伊万里には以前、九州三十三観音霊場めぐりで宿泊したことがあり、その時はマンションタイプのビジネスホテルだった。今回は駅にも近い伊万里グランドホテルにチェックイン。建物は1号館、2号館とあり、無料駐車場も約150台分ということで、伊万里でもっとも大きなホテルのようだ。

ロビーや通路にも伊万里焼の数々が並ぶ。

こちらに泊まることにしたのは大浴場があるのもポイントだった。もっとも天然温泉ではなく、麦飯石を使った人工の湯だが・・。後で知ったが、同じ伊万里でも駅前にあるセントラルホテル伊万里は「泉都(せんと)乃湯」で人気だという。セントラルホテルといえば、前回の九州八十八ヶ所めぐりで宿泊した武雄温泉駅前のホテルで、その系列である。武雄温泉の源泉を毎日運び入れているという。そちらがよかったかな・・。

ともかく、グランドホテルの大浴場に入り、夕方はフジテレビ系列のサガテレビを見る。隣の福岡県にある同じフジテレビ系列のテレビ西日本も同時に見られるという不思議な感じだが、まずはニュース番組の地元枠のコーナーや天気予報を見る。明日(4月27日)の佐賀県内の降水確率は0~10%、最高気温は25度を超える夏日の予報である。

そして18時台は佐賀出身のお笑い芸人の番組が続く。18時からは「どぶろっくの一物」。どぶろっくの2人が佐賀県内を回る街ブラ番組である(「一物」といっても下ネタのアレではなく、一番の物、オンリーワンの物を指すそうだ・・)。

そして18時30分からは「オラキオスポーツ」。こちらは「体操芸人」のオラキオさんが佐賀のいろいろなスポーツ経験を通してスポーツの魅力を伝えるという番組。この日は、Bリーグ・佐賀バルーナーズのユースチームとのバスケ対決(最後には高校生に持ちネタを伝授するという展開に・・)。

普段、土曜夕方のテレビ番組を見ることはほとんどないのだが、こうしたローカル番組(あるいは、ケーブルテレビで繰り返し流れる地元ニュース番組)も旅の面白さである。

さて、19時になるとさすがに外は暗くなった。その中で向かったのがホテル近くにある魚民。伊万里じたい居酒屋がそれほど多くないようで、今回はチェーン店ながら予約しておいた。1人で行っても2人用の掘りごたつ、半個室を用意していただいた。

魚民を選んだのは、シンプルに単品飲み放題があったこと。春の味覚もいろいろあるが、今回は地元の食材がどうのということは関係なく、普通に飲み食いするだけだ。

1日軽自動車を運転して、その後のビールはやはり美味い。

魚民名物の鮪造りのほか、春の味覚としてホタルイカ、そして珍しいところで「春告魚」である鰊の開きをいただく。「春告魚」というのは地域によって違う魚を指すそうだが、鰊はその代表的な魚だという。鰊といえばむしろその卵である数の子のほうが有名・・いや京都には「鰊そば」があるな・・あれも北前船がもたらしたものか・・などと考える。ホッケと似たような食感だが、鰊は鰊で美味かった。

この日は地酒はなく、ビール~タコハイ~焼酎麦割りのリレー。一応、飲み放題の元は取ることができた。

最後はもつ鍋をいただく。十分満足した。

さて翌朝だが、一応目的とする札所めぐりは終わったとはいえ、マイカーで来ていることをプラスとしてもう少しどこかに行ってみようと思う。この先は長崎県に入るが、第71番・浄漸寺は前回、佐世保線の早岐からバスで訪ねている。そこで目を付けたのが、波佐見町にある第66番・東前寺。これなら、翌日伊万里から有田を経て長崎県に入り、東前寺参詣の後、大村湾沿いに出れば九州一周のコマも暫定的にここまで進めることができる。何せこの先の島原、長崎といったところの効率が悪くなるので・・・。

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第26回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「秘窯の里」大川内山の町並み

2025年05月05日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはこの日(4月26日)の札所巡拝を終え、宿泊地である伊万里に向かう。武雄市から伊万里市に入ると、橋の欄干に伊万里焼が乗っていたりする。

途中、大川内山への案内板を見かける。こちらも焼き物の産地で、秘境めいた町並みでも知られている。当初は翌朝、有田方面に南下する際に立ち寄ってみようかと思っていたが、このまま行ってもチェックインには早いかなと思い、先に向かうことにする。県道から3キロほど進む。一応、伊万里駅からバスの便もあるが2時間に1本ほどの頻度。

こちらにも橋の欄干に伊万里焼の作品が鎮座する。

まず、駐車場がある伊万里・有田焼伝統産業会館に向かう。まずはここで伊万里や有田といったこの一帯で陶磁器の生産が盛んになった歴史について見学する。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に多くの陶工たちが連れてこられたことや、この辺りの土の質が陶磁器の生産に適していたことは知られている。あちらこちらで窯業が行われる中、ここ大川内山には佐賀鍋島藩の御用窯が置かれた。佐賀藩は外様大名ということもあり、幕府や諸大名の機嫌を取る意味もあって藩直営の窯元を置いたが、外部に秘密が漏れるのを防ぐため、周囲を山に囲まれたこの地が選ばれ、関所も設けられた。ここで作られたのは「鍋島焼」として、献上品として高級なものとされた。

明治以降は廃藩置県もあって藩直営ではなくなったが、現在も「秘窯の里」として知る人ぞ知るスポットである。

展示スペースには江戸当時から現代にいたるまでのさまざまな作品が並ぶ。。これらを鑑賞するだけでも勉強になる。

先ほど、鍋島焼は献上品として幕府や諸大名に献上されたことに触れたが、この「献上の儀」は現在も行われているそうだ。「献上」というと下から上へと感じるが、実際は友好のための進呈、プレゼントの位置づけのようだ。現在の城郭がある市の市長を大名に見立てた「献上式」というイベントが行われてるようで、国宝の松本城や彦根城、姫路城など数々の名城が並ぶ。

また、各地の城郭だけでなく、オランダ大使館、中国大連市(伊万里市の友好都市)、果ては安倍晋三首相(当時)というのもある。

ただこの記事を書くにあたり、こんな疑問も出てきた。「献上」されたはずの陶磁器が現在ここに並んでいるというのはどういうことだろうか。後に変換されたのか、あるいはレプリカが展示されているのか・・。

さて、江戸時代からの雰囲気を現在に残す町並みを回ってみよう。現在も20軒以上の窯元があり、作品の販売や、併設のカフェで鍋島焼を手にお茶をすることもできる。何軒かの店をのぞいてみるが、実用的な食器(この辺りならお手軽に手に取れるが)がある一方、美術品、骨董品の部類となるものもあり、作風もいろいろで好きな方ならいくらでも時間を過ごすことができるのではないかと思う・・・。

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