まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「せとうちノスタルジー号」にて尾道ノスタルジー散策

2022年01月31日 | 旅行記F・中国

キハ47の旧国鉄急行色「ノスタルジー号」を使って運転される団体列車「せとうちノスタルジー号」。「尾道行き急行」という演出で運転されている。

9時47分、笠岡に到着。笠岡では10時32分の発車まで45分停車である。一般列車や貨物列車を通すための対応だが、こう書くと笠岡駅には失礼かもしれないが、ホーム、構内にどこか昔ながらの雰囲気を感じるところが往年の急行、汽車旅に似合っているようにも見える。

先ほどの倉敷と同じようにホームからの撮影タイムとなり、乗客もほとんどが外に出ていろんな角度からカメラを構えるが、さすがに停車時間を持て余す感じである。今回の旅のルール上とはいえ、笠岡で改札の外に出ることができないのが残念だった。混乱を避けるためだとは思うが、改札のすぐ横にセブンイレブンもあるし、買い物くらいできてもよかったのではと思う。

席に戻り持参の本など読んでいると、お楽しみ抽選会ということで添乗員が各座席を回ってきた。ボードに古今東西の列車名が書かれた付箋が貼られていて、列車名を選ぶと添乗員が付箋をめくって景品名が現れるという「コロナ対策手作り式」。「ムーンライト山陽」を指定した私が引いたのは、アンパンマントロッコのマグネット(非売品とのこと)。冷蔵庫にでも貼りますか。

笠岡で待つ間、貨物列車や黄一色の115系が行き来する中、同じ黄色ながらも117系がやって来た。この両者が並ぶ光景というのもなかなか見られるものではない。

「せとうちノスタルジー号」は45分の長時間停車を終えてようやく出発。その代わり、この先尾道まではノンストップだ。県境を越えて福山市に入る。JFEの専用線や東福山駅の案内放送もある中、この列車の目玉の一つである「福山通過」を迎える。夜行列車ならともかく、日中の列車で福山を通過するのは初体験。昔実際に走っていた急行でも、福山通過というのはほぼなかったのではないか。

芦田川を渡り、福山市の西部を走る。結局笠岡からはノンストップで尾道に向かうようだ。造船ドックが見えると尾道水道、尾道の町である。昔からの寺や坂道が並ぶ中、国鉄急行色の気動車が走るのも懐かしい景色だろう。あらかじめ狙っていた撮り鉄だけでなく、沿線でたまたまこの列車に出会った観光客が驚いた様子であわててスマホを取り出す光景も見られる。

11時、尾道に到着。岡山から2時間あまりかかったが(そのうち半分は倉敷・笠岡での停車だったが)、駅や地元スタッフの方からの歓迎を受ける。

「せとうちノスタルジー号」はいったん糸崎に回送される。尾道発は12時57分。12時30分すぎから再び乗車できるとのことで、それまで自由時間となる。1時間半ほどあるがどうやって過ごそうか。尾道発車後にツアーオリジナルの弁当が配られるため、昼食はそちらとする。尾道ラーメンはまたの機会だ。

とりあえず駅前に出る。目の前の尾道水道の景色は何度来ても和む。

そこへ向島からの渡船がやって来た。駅前渡船である。歩行者100円、自転車110円で気軽に利用できる。わずか3分ほどの船旅だが、こうして向こうに渡るだけでも尾道観光の一つになる。せっかくなので向島までピストン往復としよう。

向島に渡った後、またすぐに本土に戻る。今度は少し離れた福本渡船に乗ってみる。こちらは歩行者60円とさらに安くなる。いずれも待つほどもなくやって来るという感じで、地元の人たちが気軽に利用する、あるいはなくてはならない乗り物だ。

現在はもう1航路、少し東側を通る尾道渡船があり、合計3航路あるが、その昔はもっと多くの渡船会社があり、ひっきりなしに尾道水道を行き来していたという。しかし、尾道大橋、さらにはしまなみ海道に通じる新尾道大橋が開通し、本土と実質陸続きになったことで撤退する業者も見られるようになった。ただ、橋が開通しても回り道になることや道路渋滞があることで、今でも渡船の優位性は保たれているそうだ。しまなみ海道を自転車で走破するルートにも渡船が組み込まれている。ただ一方で、担い手不足や高齢化も課題になっているとか。

再び本土に戻ったが、時間はまだまだある。ふと見上げると千光寺の本堂もそれほど遠くないところに見える。今回は札所めぐりの要素は一切ないと思っていたが、ここまで来たら千光寺まで上がり、観音様に手を合わせることにしよう。ロープウェー乗り場まで行かずとも、歩いたほうが早いだろう。

アーケードを抜けるが、やはり活気が見られない。今回出かけた1月15日当時、全国に先駆けて広島県には「まん延防止等重点措置」が適用されたところである。その影響か、あるいはその前からか、休業中の施設もある。またそのようなタイミングで出かけることについて異論を持ち出す方もいるだろうが・・。

山陽線の低いガードをくぐり、石段を上がる。猫がいるかな・・と思ったが残念ながら遭遇せず。

千光寺に到着。参詣の方はちらほらといったところ。ここ千光寺は中国観音霊場の第10番、千手観音を本尊とする。今回は数珠や経本を持ってきていないので、真言のみとする。中国観音霊場めぐりで来た時は大阪から1泊で来たが、その時は尾道に宿泊し、朝から尾道七佛めぐりで千光寺のほか、浄土寺、西国寺などを回った。このうち西国寺については中国四十九薬師の札所であるので、尾道にはまた来ることになる。なお、中国四十九薬師めぐりについては、先ほどの長時間停車をもって岡山から笠岡までコマを進めたことにする。

本堂の後は大師堂でも手を合わせ、その下の天寧寺の三重塔を含めた尾道の景色を楽しむ。ノスタルジーを売りにした列車で、ノスタルジーあふれる尾道までやって来た。ちょうど黄色一色の鈍行が町中を走り抜けるが、先ほどの旧国鉄急行色がこの景色を駆け抜けるのも風情があってよさそうに思う。私は乗るほうなので同時にそれを楽しむことはできないが、沿線にたくさんいた撮り鉄の皆さんでも、さすがに千光寺の境内から「せとうちノスタルジー号」を狙う人はいないだろうな・・。

駅に戻ると「ノスタルジー号」が入線しており、もう中に入れるようだ。

そこに、広島からの「etSETOra」が到着した。こちらも同じキハ47をベースとした車両だが、ゆったりした座席を備えた観光列車に改造されている。この対比も面白いところで、一斉にカメラが向けられる。今回、「ノスタルジー号」は団体列車として尾道に乗り入れたが、尾道を境界として「ノスタルジー号」と「etSETOra」を相互に乗り継ぐ片道旅行というのがあっても面白いのではないかと思う。昔ながらのボックスシートと、リニューアルしてゆったりした座席との比較を楽しむとか。

駅員やギャラリーの見送りを受けて尾道を出発。今度は「『急行』せとうちノスタルジー 万富行き」としての運行だ・・・。

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「せとうちノスタルジー47」の旅~キハ47が山陽線を走る

2022年01月30日 | 旅行記F・中国

12月の中旬、鉄道関係のニュースサイトを見ていると、JR西日本の津山線を走っているキハ47の「ノスタルジー号」を使った臨時列車が山陽線で運行されるとの記事が目に入った。「せとうちノスタルジー」と銘打ったこの臨時列車だが、「みどりの券売機」や「e5489」で指定席を発売するイベント列車ではなく、JR四国ツアー主催の団体列車として運転される。

そのルートだが、1月15日、岡山を出発して山陽線を西に進み、尾道まで行く。尾道で2時間近く滞在した後、同じ列車で東に戻り、岡山を通り過ぎて万富まで行く。万富からはバスで国道2号線のおさふねサービスエリアまで往復して、万富から岡山に戻る。

この「ノスタルジー号」はこれまで津山線での普通列車での運行で乗ったことがあるが、電化区間を走るというのも珍しい。これは行ってみたい。

ツアーは4人掛けボックスシート利用、ロングシート利用のコースがあり、事前にネットでの予約受付とあったが、私がのぞいた時は早速満席だった。それでキャンセル待ちに登録したが、それほど日が経たない内にボックスシートのキャンセルが出たとの通知があった。早速申し込む。

車両、運転区間ともJR西日本なのに、JR四国ツアーが主催というのはどういうことかと思うが、2021年10月から行われていた四国ディスティネーションキャンペーンが終了し、2022年7月から岡山ディスティネーションキャンペーンが行われる予定なのを受けて、両社の連携となったそうだ。

「せとうちノスタルジー」は岡山8時50分頃発車とのことで、事前に送られてきた行程表では8時20分までに岡山駅のコンコースに集合とあった。広島からその時間に間に合うように行こうとすると鈍行では無理。「新幹線直前割きっぷ」の出番となる。

1月15日、広島6時14分発の「ひかり500号」に乗り込む。このきっぷが有効である1本後の「こだま838号」でも8時10分着なので集合に間に合うが、余裕を持って到着するために早出とする。なお、岡山に戻るのが17時15分頃ということで、その時間なら岡山の例の大衆酒場「鳥好」で一献としてもいいが、さすがに前週に訪ねたばかりということで、まっすぐ広島に戻ることにする。

岡山着。さすがに集合1時間前の到着は早すぎたようで、しばらく駅周辺をぶらつく。

8時前にコンコースに戻ると、JR四国ツアーのワゴンが出ていて、受付の最中だった。一人参加も結構見える。中にはこの手のツアーでよく一緒になるのか、客同士で挨拶を交わす光景も見られる。座席番号と名前が書かれた名札ストラップと、乗車券や乗車記念品が入った袋を渡される。また、乗車券は団体用のクーポンで、それぞれ岡山~尾道、尾道~万富、万富~岡山となっている。岡山、尾道、万富ではこれで出入りするが、それ以外の駅で改札の外に出られないとのこと。

「せとうちノスタルジー」は一般の列車の合間を縫って到着するため、岡山発車時は3~4分しか停まらないとのこと。それまで、参加者は1~2番線のあちこちで他の列車の写真も撮りながら入線を待つ。見送りの駅員、スタッフたちも集まってきた。

案内があり、東岡山側からキハ47の2両編成が入線。長い1番線のどのあたりに停車するか案内がなかったが、ギャラリーがいる横を抜けていき、結局ホームの先端に停まった。参加者、ギャラリー、スタッフの皆さんもぞろぞろと移動する。まずは慌ただしい撮影タイムとなるが、すぐに発車の案内がある。

バタバタした感じで岡山を出発し、それぞれ指定されたシートに向かう。事前の案内では、ボックスシートコースで1人参加の場合は相席になるとのことだったが、いざ乗り込んでみると向かいの客はいない。他にもそうしたボックスがちらほらあり、それだけキャンセルが出たか、たまたまそうした席割になったか。座席はツアー通して同じなので、このままボックスの独り占めである。

記念品の袋を開けてみる。「せとうちノスタルジー」とあしらったプレート、3区間の硬券乗車券などが入っていた。いずれもこのツアーのために制作されたものである。硬券というのも「ノスタルジー」のテーマにぴったりだ。

昔ながらのオルゴールのチャイムが鳴り、JR四国ツアーの添乗員が車掌役として車内放送を担当する。「本日は『急行』せとうちノスタルジー、尾道行きにご乗車いただきましてありがとうございます」という言葉に車内からも反応がある。この先の停車は倉敷と笠岡で、主要駅である「玉島」と福山は通過となる。この「玉島」とは現在の新倉敷だが、山陽新幹線が開業する前はこの駅名だった。

まずは途中の駅を通過し、倉敷に停車する。放送では「お乗り換えのご案内です」と続く。え?ツアーなのだからここで乗り換えはないはずなのになぜと思うと、その後に昔走っていた特急や急行の名前が出てくる。「せとうちノスタルジー」の舞台設定は山陽新幹線開業前の1970年代前半のようだ。

倉敷では約14分の停車。一般の列車を先行させるためだが、岡山では慌ただしく発車したため、ここで撮影時間を設けようということもある。反対側のホームに移り、そちらから車両を見ることもできる。「せとうちノスタルジー」は前と後でそれぞれオリジナルのヘッドマークがつけられている。尾道側は、かつての寝台特急「瀬戸」をイメージしたデザインだ。

特急「やくも5号」が伯備線ホームに到着して先行する。「やくも」の381系の塗装は昔とは違えど、国鉄特急と急行の組み合わせがここに再現される。

9時21分、倉敷を発車。この先は見通しのよい区間が続くこともあり、沿線では多くの人たちがカメラを向け、手を振って見送る。まさに「急行」に乗っている気分である。「玉島」(新倉敷)を通過して、次の停車駅は笠岡・・・。

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長かった四国右半分一周・・・やはり最後は鉄道で

2022年01月28日 | 旅行記G・四国

当初は中国四十九薬師めぐりから始まった2泊3日の行程。ようやく、3日目の午後の部となった。

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の奈半利から14時03分発の快速高知行きに乗る。JR直通運転のためか、やって来た気動車はJR四国の車両だったが、それでも海側のボックス席に身を置く。この沿線も四国八十八ヶ所めぐりで回ったところで、懐かしく感じる。今回の旅行記ではやたら以前の八十八ヶ所めぐりに関する記述が多いが、それを懐かしむ機会となったのでご容赦いただければ(その意味で高知まで回ったのはよかった)。

ごめん・なはり線もほぼ全線高架区間なので、周囲の景色もよく見える。黒潮の景色はもちろんだが、この辺りの特徴としてビニールハウスが目立つ。高知では日照時間が長いことを利用して、ビニールハウスによる野菜や花卉類の栽培が盛んである。もっとも農業全般に言えるのかもしれないが、廃業したのか雑草がビニールハウスを突き破って残念な姿になっているところもある。

唐浜に到着。ここは第27番の神峯寺への最寄り駅だが、神峯寺へは「真っ縦」というキツい坂が続いたのを覚えている。駅から1時間ほど歩いたかな。その唐浜のキャラクターは「とうのはま へんろ君」。遍路姿をモチーフとしたキャラクターで、私もお参りした後に安芸駅の土産物店でグッズを購入し、その先のお守りの一つにしたものだ。そのおかげか、その後も無事に(公共交通機関やレンタカーがメインではあったが)結願までたどり着けた。

安芸に到着。列車は高知行きの快速行きだが、球場前までは各駅に停まる。

その後はようやく快速らしく1駅または2駅とばしでの運転。雄大な黒潮を見ながら、高架を走る気動車のスピードも上がる。

後免で土佐くろしお鉄道は終わり、土讃線に入る。15時23分、高知に到着。この旅で、まさか南国土佐まで来るとは思わなかった。

駅前に建つ中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太の三志士像を見ることになるとは。ここまで来るともっと先にも行きたい、せめて桂浜でも・・と思うが、残念ながらそこまでの時間はない。まあ、久しぶりに高知の地を踏めただけで大いによしとする。

これから乗り継ぐ広島行きの高速バスは高知駅前16時20分発。広島まで4時間あまりというのはいいが、今回当日予約したのは4列シートの通路側である。ちょっとどうかな・・。

その一方、「みどりの券売機」で高知16時13分発の岡山行き「南風22号」を検索すると、指定席もガラガラである。岡山から新幹線に乗り継ぐとして高速バスより料金はかかるが、ここは快適に移動するのがいいだろう。ということで、ほぼ満席だった高速バスの座席をスマホからキャンセルして、「みどりの券売機」で「南風22号」~「さくら569号」乗り継ぎの特急券・乗車券を購入する。

やはり、最後は鉄道になったな・・。(いや、別にバスを否定するものではなく、場合によっては同じルートをずっとクルマでたどることもある。要は何でもええのか・・・)

時間的に高知で一献とは行かなかったが、高架下の土産物コーナーにてさまざまなものを購入する。かつおの酒盗あり、生節あり、地酒あり、鯨あり・・・一気にバッグが重たくなった。

「南風22号」は、振り子式の2000系の後継である2700系。登場からまだそれほど年数が経っていないこともあるが、車内設備も立派である。またシートもゆったりしていて、座席ごとにコンセントも備えられている。これなら、多少お金が高くとも、高速バスの通路側に座るよりも快適に移動できる。

高知を発車。ここで飲み鉄にモードチェンジ・・・ごめん。

パターンダイヤが導入されている土佐山田を過ぎると一気に山がちな景色になる。気動車のエンジンがうなる。スイッチバックの新改や山の中の繁藤などをあっさり通過する。

そのまま土佐から阿波にかけての厳しい地形の中を爆走し、山中に入る。この景色を楽しむのもよい。

高速走行、トンネルの多さ、さらに夕方のため写真はなかなか撮れなかったが、大歩危・小歩危の車窓も肉眼では楽しめた。

遠くに池田高校の校舎を見た後で、阿波池田に到着。高知県内は高知以外乗って来る客はほとんどいなかったが、ここからそこそこの乗車があった。

佃の先で吉野川を渡ると暗くなり、かすかに残る明るさを頼りに外の景色を見る。いつしか香川県に入り、琴平、善通寺、多度津を経て宇多津に到着。

後は瀬戸大橋を渡り、本州に戻った。18時47分、岡山着。そのまま19時08分発の「さくら569号」に乗り継ぎ、高速バスより先に広島に到着。

・・・1日で宍喰から室戸岬を回り、高知を経て広島に戻るというのも贅沢な移動だった。ここまでの行程の中で、八十八ヶ所の思い出をたどる形になったこともあり、また四国をじっくり回ってみたいという気持ちが起こったように思う。四国八十八ヶ所の2巡目を行うのか、はたまた別の何かをめぐるのか・・・?

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室戸から高知へ~クジラ料理も堪能

2022年01月27日 | 旅行記G・四国

戸岬から安芸営業所行きのバスに乗車。岬から今度は海岸を西に見て走る。国道55号線を走るが、四国第25番の津照寺、第26番の金剛頂寺最寄りのバス停も通過する。

以前に八十八ヶ所めぐりで訪ねた時、2016年の大晦日だったが、最御崎寺から金剛頂寺まで歩いた。その時、安芸方向から子どもたちを含めたウォーキングの団体に遭遇した。高知から室戸岬まで12月30~31日の2日間かけて歩き、最御崎寺のユースホステルに泊まった後、室戸岬で初日の出を見るという「初日の出徒歩ホステリング」というイベントだった。高知県ユースホステル協会主催だったが、コロナの影響もある中、今でもやっているのかな。

さて、途中下車したのは道の駅キラメッセ室戸。ここで昼食である。目指すのはレストラン「鯨の郷」。

名前にもあるように、高知はかつて捕鯨がさかんだったところだ。その名残で鯨料理をいただくことができる。注文したのは「鯨御膳」。鯨の竜田揚げ、たたき、さえずり酢味噌、刺身と味わえる。刺身は半解凍だが、これを舌の上に置いて少しずつ解かすのがよい。さまざまな食べ方を楽しむことができた。今回、高知で一献とまでの時間はないので、高知名物はここ室戸で味わったことでよしとする。

敷地内にあるのが鯨の資料館である「鯨館」。室戸と鯨のかかわりを紹介するスポットである。時間はそれほどないが立ち寄ってみる。

まず出迎えるのは、江戸時代の捕鯨の様子の描いた絵図をデジタルアート化した巨大スクリーン。鯨が海面を跳ね、それを追ういなせな男たちが躍る。

中央には鯨の骨格標本、模型とともに再現された勢子船が置かれている。この中央の席に座り、受付で渡されたヘッドセットをかぶる。そこで見えるのは、VRの世界。しばらく勢子船が進むと海の中に潜る。そこにはサンゴ礁が広がり、数々の魚が泳ぎまわる。そこへやって来るのが巨大な鯨。時間にして5分もなかったと思うが、360度の海底の世界を実感できる。これは子どもたちは喜ぶだろう。

室戸の捕鯨は和歌山の太地から伝わり、江戸時代に本格的に行われるようになった。海流の流れの関係か土佐沖は鯨の回遊コースになっていたこともある。改めて、当時の絵図で出漁から捕獲、そして解体までの流れを見る。鯨一頭で周辺の村は大いに潤うことができ、その解体の時は村挙げてのお祭りのようなものだったという。

その捕鯨は室戸から足摺まで土佐一帯で行われていたが、実際に捕鯨が許されていたのは室戸の鯨組だけで、足摺の人たちは制限されていたという。足摺といえばジョン万次郎が有名だが、彼の家は貧しいほうの漁師で、自身も漁に出た時に遭難し、助けられたのがアメリカの捕鯨船だった。万次郎は捕鯨船の乗組員として働き、後にアメリカのゴールドラッシュでの金の採掘で資金を得て、晴れて日本に帰国。その後は捕鯨、造船、英語を通して日本とアメリカの架け橋としても活躍した。同じ土佐、そして捕鯨船に縁があったということで紹介されている。

今は捕鯨はできないが、鯨は変わらず回遊してくる。そのため、今ではホエールウォッチングが室戸観光の目玉の一つとなっている。さすがに道の駅から遠くを眺めるだけでは遭遇しないだろうが・・。

次のバスに乗り、水切り瓦、漆喰壁の家並みが続く吉良川を過ぎる。当初はここも途中下車の選択肢に入っていた。

これで室戸岬をぐるりと回り込み、奈半利町に入る。八十八ヶ所めぐりではここの「ホテルなはり」で1泊した。奈半利はまぐろの遠洋漁業の基地があることから、ホテルではまぐろ料理を堪能した。また機会があれば泊まってみたいものである。

土佐くろしお鉄道の奈半利駅に到着。ここからは本式の鉄道への乗車だ。「ごめん・なはり線」の名称があり、各駅には「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏がデザインしたキャラクターがいる。奈半利駅にいるのは、「なは りこちゃん」。

土佐くろしお鉄道のオリジナル車両はシートがゆったりしたもの、片方が展望デッキになったもの、さらには安芸キャンプで縁のある阪神タイガースの塗装をほどこしたものと、バラエティに富んでいる。

次に乗る14時03分発の土讃線直通の高知行きはさてどの車両がと思っていると・・・やって来たのはJRの1200型。あらあら・・・。

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DMVの後は高知を目指す・・・まずは室戸へ

2022年01月26日 | 旅行記G・四国

「世界初」のDMVを体験した後で、当初は徳島に戻って広島行きの高速バスに乗る予定のところ、現地にて変更して逆方向の高知に行くことにした。高知からも広島行きの高速バスが出ていて、予約サイトにてほぼ満席の通路側の席を確保した。

DMVと高知東部交通バスの接続地である海の駅東洋町からバスに乗る。こちらは正真正銘のバスで、車体もDMVより大きくゆったり感じる。ガラガラということもあるが、これまで膝元で無理くり抱えていた大荷物を脇に置いてゆったりできるのはありがたい。

10時03分の室戸営業所行きバスだが、途中の室戸世界ジオパークセンターからは室戸岬の手前の半島をショートカットする形で室戸市街地に向かう。室戸岬に行く場合は室戸世界ジオパークセンターで乗り換えとなる。観光客の発想なら乗り換えなしで室戸岬に行くのかなというところだが、そこは地元の人たちの利便性(室戸市街地へのショートカット)を優先したものと見える。室戸は5年前の四国八十八ヶ所めぐり以来だが、バス事情も変わったようだ。

甲浦を出てからはひたすら黒潮の眺めである。冬の時季だが、存分に降り注ぐ日光のために車内は暑さすら感じる。八十八ヶ所めぐりでいえば札所間が最長となる日和佐の薬王寺から室戸岬の最御崎寺へのルートで、特に歩き遍路には難所の一つとされる。人家はおろか自動販売機、さらには日除けとなるスペースもない区間も続く。幸い、こうしてバスも走っていることもあり、その時も徒歩とバスを組み合わせてこの区間を制覇するとおぼしき人を見かけたものだ。

途中でいくつかの集落を過ぎ、また黒潮の眺めを楽しんだ後、室戸世界ジオパークセンターに到着。室戸岬の東側の拠点で、室戸岬経由の安芸営業所行きバスとはここで乗り継ぐことになる。今回は室戸岬に向かうのでここで下車するが、その時に乗換券をもらう。この先、乗り継いで安芸営業所までの区間で下車するバス停によって50円~300円割り引くとある。ここまで乗って来た室戸営業所行きは10時43分発で、ここが始発となる室戸岬経由安芸営業所行きはすぐにやって来て10時45分発。乗り継ぎのタイミングがよすぎる。

そのバスに乗り継ぐが、室戸岬の手前の岬ホテル前で下車する。せっかくなのでほど近いスポットに向かう。

たどり着いたのは御厨人窟。弘法大師空海が虚空蔵求聞持法の修行として虚空蔵菩薩の真言を100万回唱え、その先に悟りを得て「空海」の法名を得たところである。

私が四国八十八ヶ所めぐりで訪ねた2016~2017年の年末年始の当時は、落石の影響で中に入ることができず、外から仰ぎ見ただけだった。その後、立ち入りの要望が多かったこともあり、洞窟の入口に防護屋根が設置され、ようやく中に入ることができるようになったとのことだ。人によってはそうした防護屋根は景観を損ねると言うのだろうが、安全と信仰を両立させようとすると、こうした措置も致し方ないだろう。

御厨人窟、新明窟の両方に入る。ちょうど、中国四十九薬師めぐりの延長で、数珠や経本はリュックの中にある。これを取り出してお勤めとする。虚空蔵菩薩の真言100万回・・・はさすがに無理で、いつもの札所と同じく3回でおしまいとなったが。それでも、洞窟に入って手を合わせることができて満足である。これだけでも当日の予定変更で高知回りにしてプラスになった。ひょっとして、弘法大師が導いたことだろうか・・・。

近くには最御崎寺へ続く遍路道がある。20分かけて上ってもいいのだが、もう1ヶ所バスで途中下車しようかということもあり、お参りは見送る。

その代わりに海岸沿いに歩く。室戸世界ジオパークと称されるだけあって、さまざまな形の岩が並ぶ。空と海とが造り出す雄大な景色が続く。

室戸岬のバス停に到着。中岡慎太郎の像が海の彼方を見やっている。高知の海べりといえば、室戸岬の中岡慎太郎、桂浜の坂本龍馬、そして足摺岬のジョン万次郎と、シンボルとなる像が有名である。改めて思い出すが、八十八ヶ所めぐりで室戸に来た時には、先ほどの遍路道を上がって最御崎寺に行き、そのまま反対側の道路をたどって西側に向かったので、中岡慎太郎の像は見ていない。そういえば、八十八ヶ所めぐりではなぜか時間の関係で桂浜も行かなかったな。まあ、また訪ねる機会もあるだろう。

室戸岬から次のバスに乗る。この先、奈半利まで行って土佐くろしお鉄道に乗り継ぐのだが、最御崎寺へのお参りの代わりにもう1ヶ所で途中下車とする。ちょうど昼時ということもあり・・・。

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DMVを目指す旅~復路は徳島に戻るつもりが、室戸に行くことに・・

2022年01月25日 | 旅行記G・四国

1月10日、成人の日。徳島の海陽町の宍喰温泉で朝を迎える。日の出まではまだ時間があるので朝風呂に向かう。果たして、泳げるくらいの長さ、深さがある浴槽だった。別に泳ぎはしなかったが、朝からこれでシャキッとなる。

こう書くと普段の生活でも同じようなことをしているのかと言われそうだが、それほどでもない。特にこの寒い時季となると少しでも長く布団の中にいたいのが本音である。そこは旅先で朝を迎えるからアクティブになっているだけだと思う。まあ、それが旅の楽しみのいくばくかを占めている。

部屋に戻り、日の出を待つことにする。わざわざ海べりに出なくても、部屋からこの眺めを楽しむことができるのがよい。もう少し近づこうとバルコニーにも出たが。

朝のテレビでは各地の朝の様子をライブカメラで伝えてくれるが、ここ海陽町宍喰もその中に入れても引けを取らない景色である。もっと条件が整えば「ダルマ朝日」になったかもしれない。

セコい話だが、宿泊費の何割かはこの朝日の眺めにあると言っていいだろう。ホテル側も全室オーシャンビューをPRしているのだが、この日はそのPRに応える眺めを味わうことができた。

日の出を堪能した後に朝食とする。しっかりした和定食で英気を養う。

さて、当初の予定では宍喰温泉を出発して阿波海南に向かい、阿波海南文化村をちらりと見た後で(ダイヤの都合で)牟岐まで徳島バスで移動して、牟岐線に乗ることにしていた。そして牟岐線からは日和佐で下車して薬王寺参詣、その後徳島に出て駅前の大衆酒場で昼酒としゃれこみ、広島行きの高速バスに乗る・・という行程。

ただ、せっかく宍喰まで来たのなら、単純に折り返すのではなく、久しぶりに逆方向、高知方面に出るほうが面白そうだ。DMVの室戸行きに乗らずとも、海の駅東洋町で高知東部交通バスに乗り継ぎ、室戸岬に行き、そのまま高知まで抜けてしまおう。そのほうが「阿佐海岸」の旅になりそうだ。その高知からも広島行きの高速バスが出ていて、夕方の便は通路側しか空いていなかったがとりあえずネット予約で確保する。

今回、復路も合わせて綿密にプランを立てたはずだが、現地に来てスパッと変えてしまう。たまにやってしまうことだ。

当初、DMVは道の駅宍喰温泉から阿波海南駅まで「発車オーライネット」で予約していたが、スマホ操作でこれを取り消して、新たに道の駅宍喰温泉から宍喰まで買いなおした。いったん宍喰まで行き、別便で海の駅東洋町まで行き、室戸に向かう高知東部交通バスに乗り継ぐことにした。いったん宍喰に行くのは、阿佐海岸鉄道の本拠地をのぞいてみようということからだ。

朝食後もゆっくりした後、8時58分発のDMVに乗る。先ほど予約サイトで見た中でもこの便は空席が目立っていた。地元の人か、あるいは(ホテルリビエラししくいを含めて)近隣に泊まっていた人でなければなかなか利用しないだろう。

まずはバスモードで走り、甲浦に到着。そしてスロープを上がり、かつての鉄道ホームに差し掛かる。ここでモードチェンジとなる。またしても阿波踊りのお囃子が流れ、車輪が出て車高が上がる。鉄道モードになって再出発だ。

次の宍喰で下車。鉄道モードで車輪が下りているところを初めて見る。そのまま阿波海南に向けて走る様子を見送るが、改めてユニークな乗り物だと思う。

高架ホームから階下に降りる。料金の支払いはネット決済だし、仮に当日飛び込み乗車でも車内で支払うので、改札口で何かすることはない。ただ、阿佐海岸鉄道の本拠地ということで駅員も常駐している。ちょうどDMV開業記念のグッズが売られていて、私も何がしかを購入して少しばかり売上に協力する。

この宍喰駅には「伊勢えび駅長」がいる。伊勢えびが地元の特産物の一つということもあるが、脱皮して大きくなることから、「ローカル線の苦しい経営から脱皮してほしい」ということから「駅長」に任命された。その阿佐海岸鉄道も、DMVへ大転換した。これが大きく脱皮することにつながるか。また別のポスターでは、路線の一部が高知県にかかっていることから、「地域活性の維新を起こす」とのキャッチコピーも見られる。今は開業したばかりということで注目されているが、この先、「脱皮」、「維新」の成果はどのようになっているか・・。

9時48分発の道の駅宍喰温泉行きを迎える。ホームの先のトンネルから少しずつDMV車両の姿が大きくなる。道路を走るぶんには大きめの車両に見えるが、こうして線路の上を走って来るのを見ると、あまりにも小さく見える。同じ1両とはいえ、かつて走っていた気動車は大きなものだったと改めて認識する。

阿波海南からの便はそこそこの乗車だが、最前列に陣取っていた客がカメラ片手にブツブツ言っている。YouTubeにでも投稿するのか、実況を行っているようだが、狭い車内でこういうのは正直ウザい、やめてほしいと思う。ただ、それを口にすると余計なトラブルとして私が動画にさらされる羽目になるので黙っているが。

映像は別にええねん。ただ、列車内で実況中継する連中って、揃いも揃って鼻につくしゃべり方になる。何でだろう・・・それが気色悪いのでやめてほしいのだが。

甲浦でバスモードへのチェンジを行い、スロープを下りて道路へ。海の駅東洋町に到着。すぐに高知東部交通の室戸行きバスがやって来る。DMVの開業にともない甲浦駅のバス停が廃止され、道の駅東洋町が新たな乗り換え停留所として設けられた。当初の計画とは打って変わって、このまま室戸まで向かう。日和佐で薬王寺に参詣するとか、徳島駅前の大衆酒場での一献とかいうのは吹っ飛び、ともかく四国の南の端まで向かうことに・・・。

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DMVを目指す旅~宍喰温泉で一泊

2022年01月24日 | 旅行記G・四国

1月9日、阿波海南からDMVに揺られてやって来た道の駅宍喰温泉。DMVの終点であるが、せっかくなのでこの日はここで宿泊とする。すぐの折り返しではなく海陽町で1泊することで、少しでも観光PRに応えることができればと思う。

宿泊は敷地内にある「ホテルリビエラししくい」だが、その前に道の駅をのぞいてみる。

ちょうど5年前の年末年始、四国八十八ヶ所めぐりで「四国の右下」を訪ねた時、大阪から室戸行きのバスに乗り、ここ宍喰温泉で下車した。その時、道の駅の食堂で「鰹酒盗丼」というのをいただいた。鰹の炙りに酒盗、温泉玉子を盛りつけた一品で、酒盗を丼にするとは!と思ったものだ。

今は道の駅の食堂はホテルのレストランに統合されたようだが、町のPRの拠点である。ここでまず目につくのは、元阪急、オリックス、日本ハム監督の上田利治さんのコーナー。3チームのユニフォームや監督当時の写真などが飾られている。上田さんは2017年に亡くなったが、2021年、オリックス・バファローズをパ・リーグ優勝に導いた中嶋聡監督が入団した当時の監督ということで、上田さんを取り上げる記事も目にする機会が増えたように思う。

そして海陽町が生んだスターとして、ゴルフのジャンボ尾崎こと尾崎将司を筆頭とした尾崎3兄弟がいる。学生の頃、その尾崎兄弟の勉強を上田さんが見てあげていたという逸話もあるそうだ。なお、彼らが通っていた海南高校は現在学校統合で海部高校という名称になっており、その海部高校からはソフトバンクホークスの守護神・森投手を輩出している。

道の駅にはDMV関連のグッズも並ぶ。新たな観光資源にしようという地元の人たちの意気込みがうかがえる。

さて、ホテルにチェックイン。こういうところのホテルなのでシングルルームはないが、ツインルームに1人でも泊まることができる。いやこれ、私が今住んでいる部屋より広いかもしれない・・・(家具家電がないだけにそう感じる)。

また部屋は全室オーシャンビュー。太平洋を目の前にしており、翌朝の日の出が楽しみだ。ちなみにフロントに日の出予想時刻が出ていて、1月10日は7時08分頃とあった。

夕食の前に入浴。横幅の長い大浴場が備えられていて、窓越しに海を見ることができる。日帰り入浴でも存分に楽しめるスポットだ。ただ、前に入った時は横幅がもっと長く、浴槽も深くて子どもなら泳げそうなくらいだったような気がする。日ごとで男女が入れ替わるので、それはもう一つの浴槽だったのかな。ならば翌朝に入ることができる。

この夜は2食つきプランで申し込んでおり、まず夕食である。1階のレストランに向かうが、この日は宿泊プランの客のみ利用可とあった。まずは前菜、そして造りの盛り合わせから始まる。

飲み物だが、普通の生ビールに柚子の果汁を足したオリジナルの一品をいただく。いつものビールもちょっとフルーティに感じられるもので、さすが柑橘の多い徳島~高知エリアかと思う。

私が注文したコースでは、予約時に海の幸か山の幸かを選べるようになっていた。海岸べりということで海の幸を予約したら、メインは鯛のあら炊き(ちなみに山の幸だと、阿波尾鶏の一品だったとのこと)。じっくりと調理されていて、身もよくほぐれて余すところなくいただけた。この鯛の身かどうかはわからないが、鍋物は鯛しゃぶである。鯛づくし、海鮮づくし、満足である。

ここ宍喰温泉は、国道55号線のちょうど88キロ地点に位置する。四国八十八ヶ所めぐりをする方なら宿泊でも日帰り入浴でもいいのでぜひ立ち寄ってほしいところだ。なお、道の駅から国道55号線を徳島寄りに少し戻るとセブンイレブンがある。宿での食事が不要なら、ここで調達するのが便利だろう。私も夕食前にあらかじめ部屋飲み分その他を買いに行った。

食後は、自宅より広い?部屋でのんびりと。ケーブルテレビに加入しているからか、日テレ系は地元の四国放送だが、その他は毎日放送、朝日放送、関西テレビ、そしてWBCことテレビ和歌山が映る。普段夜の番組を観ることもないのだが、この時やっていた番組の中だと、テレビ和歌山(テレビ東京系)でやっていたマグロ漁師のドキュメンタリー?番組がまだましだったかな。

そのテレビ和歌山を見ていると「紀ノ川は~今日も輝く海に~」という詞で始まる歌が流れる。画面は和歌山の名所をバックに子どもたちが映っていて、サビでは「笑顔でこんにちは~ふるさとにこんにちは~明日のため~に~」。歌っているのはコーラスの様子からしてデューク・エイセスかな。和歌山の何か公的なPR動画なのかなと思うと、最後に「合資会社湊組 株式会社湊組」という文字が出てきた。この湊組とは、和歌山を拠点として製鉄所での鋼管の運搬や沿岸荷役を行う会社だそうで、いずれにしても地元密着のCMである。このCM、イメージソングは和歌山では有名なそうで、私は初めて見たが思わず「へぇ~」となった(気になる方はYouTubeなど検索いただければ)。和歌山のCMを徳島の海南で目にするというのも、かなり遠いとはいえ対岸とつながっていることを感じさせる。

一方、テレビを消すと周囲は静かなもので、外の波の音すら聞こえてくる。ともかくここまで来てよかった。翌朝、この窓から見る朝日が楽しみである・・・。

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DMVに初乗車~阿佐海岸鉄道へ

2022年01月23日 | 旅行記G・四国

牟岐線の終点である阿波海南に到着。ここからいよいよDMVに乗り換えとなる。もともと牟岐線は次の海部までの路線で、海部から甲浦までが阿佐海岸鉄道阿佐東線として営業していた。DMV開業にあたり、海部が高架駅で地上との接点がないこともあり、阿波海南~海部間をJRから譲り受けて阿佐海岸鉄道に編入した。

ホーム1本だけの阿波海南で下車する。牟岐線の線路に車止めが設けられ、鉄道の線路としてはここで行き止まりであることを示す。その向こうにはかつてと同じ線路が伸びているが、その間はコンクリートで舗装されている。

すぐ横にある海南駅前交流館に向かう。ここが事実上の駅舎で、DMVはここから発車する。手前に乗降場があり、その先に道路走行区間と鉄道区間の境界であるモードインターチェンジが設けられている。あたりにはカメラを構えたギャラリーが陣取っている。

DMVの起点は駅の北にある阿波海南文化村で、次の阿波海南発は15時33分発である。国道55号線から青い車体が入線して、まずは乗降扱いのために停止する。運転手が降りてきて、「予約の方から先に乗車いただきます」という。座席番号と名前を告げると「どうぞ」と着席を促される。

このDMV車両、見た目は先頭部の長い、ちょっと大きめのマイクロバスである。座席定員は18名(プラス立席扱い4名)で、中央は1-2列シートだがやはり狭い。なお、1人掛けシートの前2列には黄色のカバーが掛けられ、優先席となっている。気動車と比べれば定員は大きく減ったが、逆に言えばそれだけでも十分まかなえてしまうだけの乗客しか見込んでいないようにも見える。これまでも、牟岐~甲浦間は路線バス(徳島バス)も運転されているし・・。

一方で、地元海陽町や高知県東洋町は「世界初」が走る町とPRして観光利用を促進しており、また開業してすぐということもあって、私のような者が遠方から乗りに来る。そうなると18名定員で大丈夫かということになる。そこで阿佐海岸鉄道が推奨しているのが事前予約。全国の高速バスの予約システムである「発車オーライネット」で2ヶ月前から予約を受け付けている(座席指定可、事前カード決済)。他には有人の宍喰駅で乗車券を買うか、途中の駅・停留所からだと、空席があれば予約なしでバスと同じように整理券を取って乗ることができる。開業当初は予約なしの客が積み残しになる便もあったそうだが、私が利用する9日、10日の予約状況を見ると、ほとんどの便で3分の1~半分くらい予約済のようだった。

予約なしの客も後から着席することができ、ほぼ満席でギャラリーの見送りを受けて発車する。道路からモードインターチェンジがある線路の上に乗る。「モードチェンジ、スタート」の声とともに、賑やかなお囃子が流れる。さすが徳島ということで阿波踊りの一曲だという。この時車高が上がったが、前後で鉄道用の車輪が現れて、レールの幅に合わせてセットされた。その間、わずは10秒あまり。運転手が各部位の点検、呼称を行っていよいよ出発だ。

やがて元の牟岐線~阿佐海岸鉄道の線路に合流する。その昔、第三セクター線を中心に導入された小型の気動車を「レールバス」と呼んでいた時期があったが、先ほどまでバスとして走っていた車両が文字通り「レールバス」として線路の上を行く。

普通、電車や気動車に乗ると、線路の継ぎ目の音を文字で示すなら「ガタン、ゴトン」といったものである。ただ、このDMVの鉄道モードで線路の継ぎ目を通過する時は「タン、タン」という音がする。トロッコにでも乗っているかのようだ。阿佐海岸鉄道は第三セクターとして新たに建設されたこともあり、基本的に踏切はない。高架橋とトンネルでずっと通過していく。

トンネルもかつてのものをくぐる。かつての気動車には車内に手作りのイルミネーションがあり、トンネル内で点灯するサービスもあった。ただ、小型のバスでは特に演出もなく、そのまま走り抜ける。

海部に到着。ホームの向かい側には気動車が停まっている。現在、阿波海南でレールが途切れた形になっており、外に出ることはできない。かといって、線内を運行することもできないようだ。気動車はこの先の宍喰の先にもう1台停車しているが、これも同様である。他の鉄道会社で引き取り手があれば譲渡となるのだろうが、車両導入からの年数を考えるとこのまま廃車となる可能性が高いとのこと。

海部を過ぎて宍喰に到着。高架橋から、家並みの向こうにDMVの終点であり、この日の宿泊地である道の駅宍喰温泉の「ホテルリビエラししくい」の建物が見える。駅から歩けば15分ほどのところだが、ここはそのままDMVに乗っていくことにする。

高知県に入り、甲浦に到着。鉄道の時はここが終着駅で高架橋も途切れていた。DMV開業にあたり、高架から下りるための新たなスロープが設けられ、まずはその前でモードチェンジを行う。再び阿波踊りのお囃子が流れ、車高が下がってバスモードとなる。スロープを下りたところに停留所がある。

そのまま集落を抜け、国道55号線に出る。宍喰方面に戻ったところにあるのが海の駅東洋町。ここで下車する客もいる。家族で来ていて、子どもがDMVに乗って親がクルマで迎えに来る光景も見られた。国道55号線を南に行けば室戸岬方面に行くが、これまで阿佐海岸鉄道と高知東部交通バスは甲浦駅で接続していたが、DMV開業後はこの海の駅での接続となった。なお、DMVも土日祝日ダイヤでは1往復が室戸岬まで行く。

本格的なバスモードでの走りはここからである。こうして道路を走る分には普通のバスと変わるところはなく、むしろ安定しているように感じる。

再び徳島県に戻り、海に面した道の駅宍喰温泉に到着。折り返しの便に乗る人、あるいはギャラリーの出迎えを受ける。岡山を朝から出発してようやく目的地に到着した。

こうしてDMV初乗車を終えたが、アトラクションのような楽しさを感じて、面白いのは面白かった。新たにDMVを導入したことに対しては、同じ区間を移動するなら普通のバスでもよいのでは?という声もあるようだ。先に、公共交通機関の維持、観光振興、地域活性化・・などと書いたが、これらに加えてもう一つの要素として、南海トラフ地震による津波被害を想定したということがある。並走する国道55号線が被災した際、阿佐海岸鉄道の高架橋とトンネルを被災者支援に活用するとしている。

後はこの「世界初」の話題性がどこまで続くかである。ただ、阿佐海岸鉄道のDMVが軌道に乗れば、他の地区でも手を挙げるところが出るかもしれない。そうしょっちゅう来ることができるエリアではないが、これからも見守っていくことにしよう・・・。

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DMVを目指す旅~高徳線から牟岐線へ、かつての八十八ヶ所めぐりを思いつつ・・

2022年01月22日 | 旅行記G・四国

1月9日、岡山から瀬戸大橋を渡って高松に着き、高松から高徳線の徳島行きに乗る。この先は高徳線、牟岐線と乗り継いで阿波海南に向かい、DMVに乗って道の駅宍喰温泉を目指す。

高松から乗るのは10時02分発の徳島行き。列車は2両編成だが、後ろ1両は回送扱いで乗車できないとの案内がある。高松まで来る便は乗客がそれなりにいるが、折り返しとなる便は乗客が少ないからそのような対応をするのかな。また、1両目の後側となる乗車口で待つように言われる。ワンマン運転の場合後乗り前降りだが、始発駅の場合は両方の扉から乗れるものと思っていたが、そこは四国のほうがきちんとした対応を取っていると言える。

やって来た列車は折り返しではなく、一時ホームから外れたところで待機していたのか、乗客がないままに到着した。前1両、客扱いとして運行するのは1500型。扉が開いて中に入る。転換クロスシートを備えていて、無事に席を確保する。これで徳島までの長丁場も快適である。発車時刻が近づくと乗客も増える。ワンマン運転といいつつも、添乗指導らしき係員がもう1名乗務している。

乗客の中には遍路の金剛杖、菅笠を手にした人もいる。東に向かう高徳線に乗るということは、屋島寺や八栗寺なら琴電で行くはずだから、その次の志度寺に向かうのかな。そして志度寺~長尾寺~大窪寺の最後3ヶ所を歩くとか。私は志度寺~長尾寺、長尾寺~大窪寺と2回に分けて歩いたが(長尾に着いた後で瓦町に戻り、1泊した翌日に再び長尾に来た)、これを一気に通しとなるとそれなりに時間がかかる。この時間からだと、大窪寺まで行って夕方のコミュニティバスに間に合うか、あるいはそのまま周辺の遍路宿に泊まりか。見た感じでは何巡もしてそうにお見受けしたが。

まずは高松市街地の西側をぐるりと回り、栗林を過ぎる。左手には屋島、五剣山の姿が少しずつ近づく。やはり八十八ヶ所めぐりの時のことを思い出す。2019年2月に結願して以降、四国にはそれほど足を踏み入れておらず、札所めぐりも行っていないが(あえて避けようとしていたところもある)、こういうスポットが固まるところに来ると何だかむずむずしてくる。やはり、どこかで2巡目に手を付けることになるか、それとも・・。

志度で、お遍路姿の人も含めてそこそこ下車があるが、まだ座席もほぼ埋まっている。志度からオレンジタウンを経て造田に向かうルートも遍路道に近い。

この後も穏やかな車窓が続き、行き違い・通過待ちで数分停車する駅も過ぎながら、県境に近い引田に到着。ここで下車する人もいるが、高松からずっと乗っている人も意外に多い。徳島まで2時間半以上の道のりだが、青春18きっぷの人もいることだろう。15分停車ということでいったん駅の外に出る。引田は醤油の醸造で知られるところ。

讃岐相生から大坂峠をトンネルで抜け、徳島県に入る。今度は八十八ヶ所の霊山寺から始まる発心の道場である。

鳴門線と接続する池谷からは多くの乗客があり、1両の車内は満員となった。あくまで後乗り前降りのため、乗ったら前へ詰めるよう案内がある。

吉野川を渡り、12時44分に徳島着。駅前には晴れ着姿の人をちらほら見かける。ちょうど成人の日絡みの連休ということで、こちらでも成人式が行われたようだ。徳島市ではコロナ対策として成人式の日程を分散し、かつ会場も地区ごとで分けているとのこと。

次に乗るのは13時30分発の阿波海南行き。店で昼食を取るにはちょっと時間が中途半端ということで、コンビニで仕入れる。こちらの列車も2両編成だが後の1両は回送扱い、また乗車口も1両目の後部に限定している。あわてて並びなおす。

列車の入線を待っていると「あんたも海南に帰るん?」と、前のご婦人から声をかけられる。大きな荷物を持っていたからだと思うが、いや、帰るというよりこれから行くほうで・・。「DMV」という単語を出して通じるかなと思ったので、「『新しいバス』に乗りに行くので・・」と答える。すると納得したような顔になり「何かお客が多くて積み残しも出ているようじゃったよ」と話してくれる。それについては対応済なので、また後で触れることにする。

「写真撮って、しっかり宣伝してくださいな」と言われ、やって来た車内に入る。いや、ごく数人くらいしかご覧にならないようなローカルブログでどこまで宣伝になりますやら・・・。

列車は徳島線からの直通で、乗るのは先ほどと同じ1500型だが、徳島でほぼ全ての乗客が降りたこともあり無事に2人掛けのシートに着席できた。徳島ではほぼ満席で発車したが、この先は行き止まりなので乗って来る客は少ないだろう。まずは市街地の南側を走る。

牟岐線では2019年3月から、JR四国としては初めての「パターンダイヤ」を導入している。日中の時間帯、徳島発を毎時00分、30分に統一するとともに、途中の阿南までの本数をそれまでより増やした。いっぽうで阿南~海部(当時。現在は阿波海南)間は減便して、その代わりに並走する大阪~室戸間の高速バスの阿南~甲浦での乗降を可能にすることで、バスとの連携を取るようにした。お互いに厳しい鉄道とバスの連携ということで注目されたが、3年が経とうとする中で効果のほどはどうだろうか。

中田からはかつて分岐していた小松島線の跡を見る。次の南小松島からは新聞を持ったおっちゃんたちが乗って来る。そういえば近くに競輪場があったな。

那賀川を渡り、阿南に到着。牟岐線の途中の有人駅である。列車の半数がここで折り返しとなる。私が乗っている阿波海南行きは14時21分発だが、その後だと16時28分発までない。そうすると阿波海南に着くのが18時前で暗くなってしまう。岡山から徳島の南部まで、鈍行移動だとまさに1日がかりだ。

この先も道のりは長い。八十八ヶ所めぐりでいえば第21番の太龍寺を終え、第22番の平等寺、第23番の薬王寺へと続くところ。平等寺から薬王寺までは20キロあまりあり、歩き遍路だと6時間ほど要すところ。しばらく山道を走り、由岐から田井ノ浜にかけて一瞬だけ海が顔を出す。

その薬王寺の瑜祇塔がちらりと見え、日和佐に到着。八十八ヶ所めぐりの時、室戸を含めた一帯の札所をめぐったが、その時ベースキャンプにしたホテルも見える。薬王寺で年越し、初詣をしたのも思い出だ。その薬王寺には翌日の帰りに立ち寄る予定にしている。

ここまで来ればもう一息。国道55号線と並走して牟岐に到着。弘法大師ゆかりの鯖大師のある鯖瀬を過ぎ、15時38分、阿波海南に到着。ここからいよいよ、DMVへの乗車である・・・。

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第6回中国四十九薬師めぐり~岡山ミシュラン大衆酒場で備前国を打ち上げ、翌日は四国へ

2022年01月21日 | 中国四十九薬師

1月8日、中国四十九薬師霊場の2ヶ所を回り終えて岡山駅に戻る。この日は岡山駅前に宿泊だが、チェックイン前に岡山の例の店に行く。

その例の店とは、「鳥好駅前本店」。例の店と書いたものの、別に店の方は私のことなど覚えていないだろうが、岡山で時間があると自然と足が向くなじみの店だ。

時刻はまだ16時台だが、開店と同時にカウンターはほぼ満席、1階テーブル席も結構な入りである。この店だけはいつ来ても賑わっている。大衆酒場でありながら過去にミシュランで紹介されるほどの名店である。ちょうどカウンター1席だけ開いていたのでそこに入れてもらう。こうしたご時勢でも昔ながらのスタイルで元気に営業しており、それがまた地元の人たちに受け入れられているようだ。ビールは万富にあるキリンビール岡山工場からの生。

前回11月の中国四十九薬師めぐりでも、津山線・国道53号線シリーズを終えて岡山に到達したことで一人打ち上げとしたが、今回もまた岡山での一人打ち上げだ。次回は笠岡~福山にコマが進むので、岡山も一区切りだ。

やはり定番のとり酢、刺身盛り合わせ、焼き鳥盛り合わせは欠かせない(来るたびにこればかり頼んでいるようだ)。

そういえば、前回来た時はテレビで大相撲中継をやっていたな。その時、相撲がきっかけでカウンターで隣り合ったおっちゃんとしばし歓談したものだ。広島にも「鳥好」の系列店があると話してくれたが、まだ訪ねることができていない(案外、八丁堀、流川で飲むこともないものだ)。ボトルキープは焼酎がほとんどのところ、そのおっちゃんは日本酒の剣菱の一升瓶をキープしていたのが印象的だったが、今のところその剣菱はカウンターの向こうに並んでいる。

いつもなら店を出て新幹線もしくは在来線で広島に戻るのだが、今回は四国に向かうこともありこのまま岡山泊。そのため、列車の時間を気にすることなく少しゆっくりする。普段注文しないものもいただこうかと、メインに据えたのはアジの塩焼き。前の焼き場で他の人が注文していたのを焼いていて美味そうに見えた。これもじっくりいただく。

最後はこれも締めの定番にしている「のりくらっち」。韓国海苔、クラッカー、チーズ・・・単品でもいいし2つ、3つを組み合わせることもできて、強力な一品である。今回、私には珍しくこれにハイボールを合わせる。これを書きながら思ったのだが、今度はここにいかの塩辛もつけようかな。塩辛に海苔、クラッカー、チーズ・・・それぞれ名勝負になりそうだ。

岡山の夜は最高、いい心持ちとなり、駅に戻る。駅前の桃太郎像もイルミネーションで彩られている。

コインロッカーの荷物を回収して東口から西口に回る。この日宿泊は東横イン岡山駅西口広場。岡山駅西口にはもう1軒、東横イン岡山駅西口右という店があるが、今回は駅西口の正面にあるほうの店だ。予約サイトでの特別プランで1泊4550円というのが目についた。

ちょうど部屋からはロータリーを挟んで岡山駅が見える。この角度だと新幹線がホームに入るのが見られるし、津山線・吉備線ホームの気動車もかろうじて見える。後は部屋でゆっくりするだけだ・・・。

さて1月9日。この日は四国に渡り、そのまま香川~徳島と進んで、いよいよ世界初の営業運転となる阿佐海岸鉄道のDMVに乗る。

青春18きっぷで行くとして、本数の少ない高徳線の県境越えの区間の列車から逆算して、岡山からは8時24分発の「マリンライナー11号」で高松に向かう。朝は比較的ゆったりできる。ということで、東横インの簡易朝食をいただく。

今回「マリンライナー」は指定席を予約していた。先頭車両の階下席が普通車指定席だが、青春18きっぷでも料金を追加すれば乗れる。料金は通常530円だが、事前にe5489のネット予約を利用すると、チケットレス特急券扱いの330円で乗ることができる。実際に画面を見て初めて知った。

階下席のため、高架区間ではコンクリートがじゃまして景色が見えないが、それ以外の地上区間では通常より低い位置で通過するのでよりスピードを感じさせる。

瀬戸大橋に入る。この日も快晴で、海の色がまぶしい。あちこちに小船が出て漁の最中である。

無事に四国に上陸し、予讃線を走って9時18分、高松に到着。いったん改札の外に出る。かつて改札口の横に「連絡船うどん」というのがあったが、駅前の再開発にともない2021年11月に閉店した。香川に来たのでうどんでも・・と思わないでもなかったが、さすがに朝食をしっかり食べたので入らず。せめて土産として某店のうどんを買い求める。

今回香川県はこのまま通過となりそうだが・・・。

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第6回中国四十九薬師めぐり~第9番「久昌寺」(戦国時代の禅寺と宇野港の眺め)

2022年01月20日 | 中国四十九薬師

茶屋町から13時11分発の宇野行きに乗る。今は「宇野みなと線」の愛称がある宇野線の茶屋町~宇野間だが、日中は213系の2両編成が行ったり来たりする。ワンマン運転だが、途中の各駅がICカード対応のためか、全ての扉が開く。

進路を南東に変え、田畑が広がる中を走り、常山に到着。ホーム1本だけの駅である。目指す久昌寺は地図で見ると徒歩15~20分くらいだろうか。この区間は1時間に1本の割合で運転されていて、この後はせっかくなので終点の宇野まで行こうとすると、徒歩の往復と寺の規模がどのくらいかわからないがお勤めの時間を合わせると、ちょうど1時間後の列車に間に合うかどうかのタイミングである。この日は岡山泊なので、ここで1本遅れたとしても時間はどうとでもなるが。

駅名にもなっている常山の麓に沿って歩く。この山にはかつて常山城という山城があり、戦国時代は三村氏の一族である備中上野氏の居城だったが、三村氏が織田氏側についたことで毛利氏との勢力争いの前面にさらされることになり、毛利側の攻撃により落城した。落城の際には城の女たちの奮戦もあったと伝えられている。この常山城は後に毛利~宇喜多~小早川(秀秋)とこの一帯の領主が代わる中、江戸時代に池田氏が岡山藩を治めてからは取り壊された。今は城跡のほかに電波塔が建てられている。

歩いて20分弱で「久昌禅寺」の文字が見える。「禅寺」とあるように臨済宗の寺である。山門をくぐった境内は最近整備されたように見える。正面に釈迦如来を本尊とする本堂があるが、中国四十九薬師の本尊は左手の薬師堂に祀られている。お参りならこちらへと誘導されるようだ。

久昌寺の創建の年代や人物は不詳とされるが、戦国時代より前には存在していたという。寺の案内によると、先ほど触れた常山城が落ちた際の城主・上野隆徳の兄が臨済宗の寺の住職だったことを踏まえて、上野氏が久昌寺を創建した可能性が高いとしている。そして祀られている薬師如来も、もともとは常山城にて祀られていたが、城が落ちる前に難を逃れてここに移されたという。

薬師堂の前には金色が鮮やかな聖観音像、そして干支の守り本尊の石像が並ぶ。こちらの干支守りはいずれも達磨大師である。達磨大師を祀るのも禅寺ならではのようだ。

本坊の納経所を訪ねる。あらかじめ墨書された用紙に朱印を押して、こちらでも「お接待です」と、不織布マスクをいただく。

このタイミングなら次の宇野行きに間に合うかなと、再び集落を歩く。果たして、14時24分発の宇野行きに間に合った。

10分あまりで宇野に到着。「宇野バスが来ない宇野」である。中国四十九薬師めぐりも中国山地から瀬戸内に来たということで、せっかくなので宇野港から景色を見よう。

翌9日は札所めぐりから離れて四国に渡るのだが、もし宇高国道フェリーが健在だったら、宇野から高松までフェリーで渡るのも面白かっただろう。現在は高松に渡るなら直島、または小豆島経由となり、時間がかかる。宇野に泊まって翌朝一番の直島行きの便に乗れば、四国内での列車も当初の予定通り乗り継げるのだが、あいにくと宇野には私にとって手頃な宿がなかった。

宇野の沿岸に漂着したゴミや家庭からの不要物を集めて作ったオブジェ「宇野のチヌ」などを見て桟橋に着く。アートの直島の玄関口らしいスポットだ、その先には巨大なクルーズ船も横付け可能なスペースがあり、地元の人たちが犬の散歩や釣りを楽しんでいる。

雲一つない青空、深い色の海。

南に見えるのは直島である。ちょうど直島便のフェリーが行き来する。こちらから直島を見るとちょうど正面には三菱マテリアルの精錬所があり、見る人によっては殺風景に感じるのだが、その南にはさまざまな作品が並ぶアートの島である。アートというと私には敷居が高い感じで、なかなか行こうという気になれない・・(その昔に一度訪ねたことがあったが、いろいろあって個人的にはあまり印象もよくなかったのも影響している)。

島々の景色を楽しみ、駅に戻る。宇野港には1時間ほどいたことになる。15時42分発の茶屋町行きで茶屋町まで戻り、16時09分発の岡山行き普通に乗り継ぐ。

児島から岡山行きとしてやってきたのが、115系の湘南色編成だ。ほとんどの編成が黄色一色に塗られているところ、3両×2編成だけ昔ながらの色で残っている。車内も当時と同じ配置のセミクロスシートだ。この編成に出会えるとは思わなかった。岡山地区でもしばらくすると115系の置き換えが始まるといい、こういう車両に乗る機会も今後貴重なものとなるだろう。アートよりこうした国鉄型車両のほうが私にとっては貴重な出会いである。

20分ほどだが懐かしい乗り心地を楽しみ、岡山に到着。まだ日は暮れていないが、その前に岡山といえばということで、例のミシュラン獲得店に行くことにする・・・。

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第6回中国四十九薬師めぐり~第8番「恩徳寺」(宇野バスで行く神仏習合のスポット)

2022年01月19日 | 中国四十九薬師

まずは中国四十九薬師めぐり。岡山からまずは第8番・恩徳寺を目指す。岡山駅前から路線バスで行くのだが、地図で調べたところ、駅から東方向に行った原尾島住宅前が最寄りのようだ。岡山駅前は多くのバス会社が乗り入れており、どの会社、どの路線に乗ればよいか迷う。結局スマホで始発と目的地を入れて検索すると、宇野バスの国道250号線・2号線系統の瀬戸駅行きというのが出てきた。

宇野バスは岡山駅から東側ということで、岡山市東区や赤磐市、備前市、瀬戸内市、美作市などに路線が出ている。宇野バスといいながら、宇野線の終点である宇野方面に行かないのも不思議だなと思う。何かわけがあるのかなと検索すると、そもそも宇野バスの社名(宇野自動車)は、創業者である宇野家から取られたもので、玉野市の宇野とは無関係とある。思わず「へぇ~」となる。「宇野バスは宇野に行かない」というのは岡山ではよく知られたトリビアなのかな。

岡山・倉敷近郊の路線バスは中鉄、両備、岡電、下電、井笠などあるが、いずれも鉄道をルーツとした会社である(それぞれ中国鉄道、西大寺鉄道、岡山電気軌道、下津井電鉄、井笠鉄道・・・岡電を除くといずれも鉄道は廃止されたが)。それぞれ地域をイメージした名前がある中、個人名がつけられた路線、全国見渡しても他に事例があるのかな。

その宇野バスだが、他社とは何かと一線を引きたがるようだ。ICカードも他社がICOCA、Pitapa対応のところ、同社専用のものしか使えない。また市内中心部のターミナルも他社が天満屋に乗り入れるのに対して、宇野バスは自社の営業所・車庫がある表町に設けている。一方、ある程度長距離運転があるためか、座席はすべて2人掛けで前方を向いている。さらには一部の座席横にはコンセントが設けられ、Wi-Fiもつながる。他とのしがらみがない一族経営のなせる技かな。

岡山県庁や、現在大改修中の岡山城の南などを通り、20分ほどで原尾島住宅前に到着。同じバス停には両備バス、岡電バスも乗り入れており、途中の経由地はそれぞれ異なるものの利便性はよさそうだ。

バス停の横には百間川が流れる。旭川のバイパスとして江戸時代に築造された人工河川で、途中の幅が堤防を含めて百間(180メートル)あったことからその名がつけられた。岡山出身で「阿房列車」で知られる内田百閒の号も、この百間川から取られた。

河川敷にはジョギングコースやサッカーグラウンドなどが整備されていて、体を動かす人の姿も見える。恩徳寺へはしばらくこの河川敷を歩く。ちょうど天候も穏やかで気持ち良い。

その河川敷の南側、里山センターに続く道には住宅地も広がるが、田畑や昔造りの家屋も並ぶ。なかなかのどかなところである。

バス停から歩いて15分くらいで鳥居に出る。その脇の看板には中国四十九薬師霊場のほかに備前八薬師霊場、さらには備前最上稲荷霊場という文字が見える。鳥居が残されていて、そのまま進むと山門に出るあたり、かつての神仏習合の名残を感じさせる。

恩徳寺が開かれたのは奈良時代、行基が薬師如来を祀ったのが始めとされる。後に報恩大師により最盛期にはさまざまな支院も開かれていたが、岡山藩による寺院淘汰や明治の神仏分離などの影響で多くが廃され、現在残るのは当時の西方院のみだという。

本堂に上がる。上り口にあるのは鰐口ではなく鈴である。そのためか、たまたま居合わせた散歩の地元の人らしいのも鈴を鳴らした後で柏手を打つ。それでも違和感ない。

本堂は幕末に焼失したのを受けて明治初めに再建されたもので、家紋や切り抜きなどの彩色が施されている。

境内にはさまざまなお堂がある。本堂の隣にあるのは大師堂だが、さらに周りを見渡すと本堂を囲むように様々な祠が並ぶ。それぞれどの神が祀られているかはよくわからなったが、なかなかのものだ。祠と宝篋印塔が自然に並んでいるところも。

本堂の後ろにも立派な祠がある。竪巌(たていし)稲荷大明神を祀る。何だかこの稲荷が恩徳寺の奥の院というか、一帯の守護神のように見える。この竪巌宮は明治の神仏分離の際に恩徳寺の中に移されたそうで、別名が最上稲荷。最上稲荷といえば備中高松にある神社で、「日本三大稲荷」の一つと言われているところ。ただ、先ほど「神社」と書いたが、最上稲荷の正式名称は「最上稲荷山妙教寺」という日蓮宗の寺院である。

ここまで来て思い出すのが、「日本三大稲荷」の一つである愛知の豊川稲荷。あちらも鳥居を構えていてどう見ても神社だと思うが、正しくは妙巌寺という曹洞宗の寺院である。では稲荷というのは寺なのかと思いきや、「日本三大稲荷」で全国の稲荷の総元締めである伏見稲荷は神社だし、「日本三大」を最上と争っている佐賀の祐徳稲荷も神社である。稲荷神が神仏習合の中では十一面観音や荼枳尼天などと同一視されていたことから、神社にも仏教寺院にも祀られるようになり、明治の神仏分離後もその名残があるということだ。

そうした歴史が共存するなかなか面白い寺院であった。

本堂と渡り廊下でつながる本坊に納経所があるが、あいにく扉と鍵がかかっている。庭を通って本坊の玄関まで行ってインターフォンを鳴らすと、納経所を開けるので回るように言われる。「住職がいないので・・」と恐縮されるが、もとよりバインダー式の書置きでいただいているので構わない(今や、「ローカル札所」はそういうシステムがほとんどで、私もそういうものだと思っている)。「お接待です」と、しょうが湯のパックもいただいた。

ここで引き返し、百間川沿いに歩いて原尾島住宅のバス停に着く。ちょうどやって来たのは岡電バス。そのまま岡山駅に到着する。

ここからは第9番の久昌寺に向かう。最寄り駅は宇野みなと線の常山。まずは乗り換えとなる茶屋町まで行くことにする。乗ったのは12時16分発の快速茶屋町行き。すぐ前に快速マリンライナーの高松行きが出ており、立て続けに快速を走らせるのはどういうことかなと思うが、この時間は普通列車が走らない代わりに、この快速が大元、備前西市に停まるから、この両駅の本数を確保するためかと思う。

茶屋町に到着。そこでホームの向かいで遭遇したのが、同じ213系をベースとした観光列車「ラ・マル・ド・ボァ」である。正月明けのこの時季、定期運行はお休みのはずだが、何かの団体貸切列車として運転されたのかな。宇野に行ったか、四国に渡っていたか。

茶屋町でいったん改札を出て、駅併設のコンビニで昼食を買い求めて、列車待ちの間にホームで済ませる。ここからは折り返しとなる宇野行きに乗り換え・・・。

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第6回中国四十九薬師めぐり~「世界初」が走る町へ

2022年01月18日 | 中国四十九薬師

2021年12月25日、「世界初」の乗り物がデビューした。「DMV(デュアル・モード・ビークル)」という線路と道路の両方を走る乗り物で、営業用として実用化されるのが「世界初」となる。

その舞台となるのは、徳島県と高知県を結ぶ第三セクター鉄道の阿佐海岸鉄道。これまでは普通の気動車が走っており、私も四国八十八ヶ所めぐりの時に利用したことがあるが、このたび気動車の運転からDMVに転換された。第三セクター線のご多分にもれず、阿佐海岸鉄道の経営は厳しく路線の存続を危ぶむ声もあったが、公共交通の維持と観光振興、地域活性化を目的として「世界初」の営業運転にこぎつけた。JR牟岐線の阿波海南から甲浦、海の駅東洋町を経て道の駅宍喰温泉まで結んでいる。

そのDMVに乗りに行こうと思う。

そうして広島から徳島の南部まで向かうが、その途中には当然岡山を通る。ここに、中国四十九薬師めぐりを絡めることにする。ちょうど岡山までコマが進んでいて、岡山市内に第8番の恩徳寺、そして宇野線で玉野市に入ると第9番の久昌寺がある。この2ヶ所を回ってから向かうことにする。

冬の青春18きっぷが2回分残っている。1月8日~10日の3連休を充てることにして、まず初日は中国四十九薬師2ヶ所を回った後、岡山に宿泊。2日目は瀬戸大橋を渡り、高徳線~牟岐線を乗り継ぎ、DMVに乗って道の駅宍喰温泉に向かう。この道の駅には「ホテルリビエラししくい」があり、以前に立ち寄り入浴したことがあるが今回はせっかくなので泊まることにする。DMVで町を活性化しようという取り組みに少しばかり貢献しよう。そして3日目はDMVで阿波海南に戻り、牟岐線を北上して徳島に向かう。徳島~広島間は高速バスがあるのでそれに乗って戻る。

青春18きっぷは初日、2日目に充てて、JRに乗る距離が短い3日目は普通運賃で乗る。高速バスは夕方の発車なので、時間はたっぷりある。日和佐で下車して四国八十八ヶ所の一つである薬王寺にお参りしたり(別に四国の2巡目をやるわけではないが)、徳島で久しぶりに駅前の大衆酒場で一献(昼酒)というのもいいかもしれない。

なお3日間とも雨の心配はほとんどないとのこと。とりあえず、出かけよう。

1月8日、西広島6時24分発の糸崎行きに乗り、糸崎から瀬戸行きに乗り継ぐ。鈍行で東へ行く時の定番の乗り継ぎルートだ。

9時31分、岡山着。この日は岡山泊なので荷物をコインロッカーに預ける。改札口近くのロッカーは結構ふさがっていたが、そのうちの一つに鍵がささっているので「空いているな」と思い扉を開けると、中にボストンバッグが入っていた。・・いや、こういう場合どう対応すればいいのやら。そのバッグを放り出して自分の荷物を入れればいいのだろうが、変なトラブルになってもいけない。かといって、カネを払わなくても入れたもん勝ちというのも違うと思う。一番良いのはロッカーの緊急連絡先に一報を入れて指示を受けるのがいいのだろうが・・(結局、他のロッカーが空いていたのでそちらに入れたのだが)。

まず向かう恩徳寺は岡山駅からバスで行くようだ。桃太郎像に敬意を表した後、各社の車両が入り乱れる駅前バス乗り場に向かう・・・。

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夕日ヶ浦温泉にて「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」

2022年01月17日 | 旅行記E・関西

1月3日、「こうのとり1号」と京都丹後鉄道を乗り継いでやってきた夕日ヶ浦木津温泉。送迎のマイクロバスで向かったのは佳松苑である。この辺りに何軒もの姉妹館を有していて、その元締めとも言える旅館である。今回は日帰り利用。

駅から2~3分で到着し、そのまま息つく間もなく食事の広間に通される。この日読売旅行のプランで来たのが私だけということで話が早いようだ。広間には早速カニが並べられていて、他にもいくつかテーブルがあるが、そちらにはやがて別のツアー客が10数名やって来た。

まず中央にデンと座るのがゆでカニがまるまる1杯。タグがないので何とも言えないが、日本海で水揚げされたものだと思う。脚をちぎり、身をほじくりだしてじっくり味わう。甲羅から味噌も出す。

さらにはカニ刺し、焼きガニが並ぶ。焼きガニのコンロに火がつけられるが、半生で食べるくらいがちょうどよいとある。カニ刺しのちょっとドロッとした感じ、焼きガニの香ばしさ、それぞれの良さを味わう。コンロが固形燃料でなければ、ゆでカニの甲羅を網に乗せてあぶり、そこに熱燗を注いで・・・ということができたかもしれない。

そしてカニ鍋。カニの脚をつまんでちょっと熱っ!というところでいただく。カニの甘味が染み出している。野菜はこの鍋でカバーだ。

頃合いを見計らって係の人がご飯を持ってくる、当然最後は雑炊! これで都合カニ2杯を味わった。

普段カニを食べ慣れているわけではないので、この日のカニのランクがどの程度のものかはわからないし、尋ねるのも失礼かと思うが、ここまで来て美味しいものをいただいた喜びはある。今回いただいたのは佳松苑としてはもっともリーズナブルなコースで、宿泊して夕食で味わうならもっと他のメニュー、さらには上のランクのカニも楽しめるのだろうが、そもそもこうした旅館には一人では泊まれないし、昼食としてなら十分満足である。これでズワイガニはしばらく大丈夫かな。

駅までの送りまで少し時間がある。日本海も見に行きたいが、せっかくなので温泉にも入りたい。時間的にはどちらか片方だけだが、ここは温泉を選択した。立ち寄り入浴の利用も受け付けているそうでそこそこ賑わっていた。せっかくなので冬の冷気も感じつつ、露天風呂にも入る。

2時間あまり滞在して、マイクロバスで駅に戻る。指定されたプランでは、夕日ヶ浦木津温泉14時12分発の列車で豊岡14時41分着。豊岡で1時間待ちの後、15時41分発の「こうのとり22号」に乗車して新大阪に戻るとある。旅程表では、「豊岡でのお買い物などお楽しみください」とあり、確かにこれまで駅前のショッピングセンターで時間はつぶせそうかと思う。

ただ、同じ道をそのまま引き返すのもどうか。追加できっぷを買う形になるが、京都丹後鉄道を逆方向に宮津まで出て、福知山に抜けられないかと思う。豊岡で1時間待ちというのがあるからどうかな・・と時刻表を調べると、14時41分発の西舞鶴行きに乗り、15時27分宮津着。5分の接続で福知山行きがあり、16時25分に福知山に到着。そして16時46分発で予定の「こうのとり22号」を迎えることができる。特急も、当初と同じ列車に途中から乗るのだから問題はないはずだ。

ということで、窓口で福知山までの乗車券を購入する。

そうすると木津温泉駅で少し時間があるので、先ほどマイクロバスで通った時に見かけた土産物処「かにはん」に立ち寄る。松葉ガニをはじめとした海の幸、加工品などさまざま並び、いくつかのものを買い求めて自分土産とする。

夕日ヶ浦という名前があるくらいだから、夕日はさぞかしきれいなのだろう。また機会があれば訪ねてみたい。

14時41分発の宮津経由西舞鶴行きは一般型の車両だが、全席転換クロスシート。網野、峰山といったところを通る。天橋立が近づくと三景の松林、宮津湾の景色も眺められる。この日はこの辺りも晴天である。実に運がいいというか・・。

宮津で福知山行きに乗り換える。113系の2両編成、昔ながらのセミクロスシートだ。電化区間ということでこうしてJRの車両が乗り入れることもあるようだ。

丹後地方はこの数日後にも強い寒気に見舞われて大雪となり、列車も運休していた。繰り返しになるがたまたまこの日が穏やかな天候で、地元の人たちもほっとしたことだろう。

関西、特に兵庫、京都、滋賀の各府県では同じ府県内で北と南で天候ががらりと変わるが、全国ニュースの天気予報ではなかなか伝わりにくい。NHKの朝のニュースでは各都道府県の県庁所在地の天気を紹介するが、中国地方や東海北陸地方では日本海側の県の天気はわかるものの、関西はそれぞれの県庁所在地が近くに寄りすぎているため、北部や南部の実態が伝わりにくい。ローカルニュースや民放の天気予報では舞鶴・豊岡から潮岬までカバーしているから別にいいのかもしれないが・・。

福知山に到着。続いて「こうのとり22号」に乗るのだが、ホームには旅行客、帰省客など多くの乗客が列を作っている。指定席の乗車口にも分散して並ぶよう案内がある。この年末年始は(コロナ禍前には遠いものの)前年と比べて交通機関の予約も増えているそうで、ちょうど1月3日、この時間帯だと混雑するだろう。私が乗る指定席もすでに立ち客が出ていたが、私の席が他の客に占拠されることもなく、無事に着席できた。

外も少しずつ暗くなり、後は淡々と大阪に戻る。たくさんいた乗客も尼崎、大阪でほとんど下車して、終点新大阪に着いた時はまたガラガラになった。

新大阪の在来線、新幹線乗り換え口はごった返していた。以前の賑わいが戻って来てよかったな・・と思うが、年明け早々、オミクロン株の広まりにより感染者数が急増し、またマスゴミが「年末年始の人出が原因です!!」と連日悲壮な顔をしつつ嬉々としてそれを伝える日々になってしまった。よかったねえ、マスゴミの皆様・・・(ええ加減にせえやボケ)。

1月3日は「こだま直前割きっぷ」も有効で、19時29分発の「こだま871号」に乗車。大阪とは逆方向ということでまたガラガラである。コンセントがあるという理由で最前列のシートを確保し、その後はのんびりと進む。時間としては夕食だが、昼食のボリュームのためにそれほど空腹ではない。このままのんびり過ごし、翌日4日は仕事始め前の休養に充てる。

年末年始も長々と出かけたが、2022年はどうするか。とりあえず1月は決まった予定をこなすことに・・・・。

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「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」で丹後の地へ

2022年01月16日 | 旅行記E・関西

1月3日、新大阪8時06分発の特急「こうのとり1号」城崎温泉行きに乗る。新大阪発車時点では指定席、自由席ともガラガラでの出発である。この先2時間40分ほど乗って向かうのは豊岡である。

この日は長い帰省旅を終えて広島に戻るはずなのだが(仕事は1月5日から)、こうして北に向かう特急に乗っている。かといって、豊岡からさらに先に進み、鳥取を回って広島に戻るというものでもない。夕方にはまた新大阪に戻り、改めて山陽新幹線に乗るつもりである。

実はこれ、日帰りでカニを食べに行こうという何とも贅沢なプランを詰め込んだためである。青春18きっぷやフェリー利用で浮いた旅費の「貯金」を全部はたく形になる。

ことの始まりは、何だかズワイガニが食べたくなった昨年12月。近所のスーパーでも冷凍カニが並ぶようになったし、通販の広告でもお買い得感を打ち出した商品が並ぶ(それらのほとんどは輸入品だが)。そういうのを買って自分で調理すれば済むことだが、やはり出かけて食べてみたいというのはある。

この年始に大阪に出てきたが、正月期間でもカニ目当ての日帰りバスツアーが各社で組まれている。丹後半島、但馬、鳥取各方面あり、そういうのに参加するのもよいかと思った。ただ、移動するならやはり鉄道のほうがいい。その鉄道側にはJR・日本旅行が企画する「かにカニ日帰りエクスプレス」というのもあるが、これは2人以上での申し込みだし、そもそも年末年始はプランの設定がない。

そんな中、ネットで見かけたのが読売旅行による個人プラン。行先は、丹後の夕日ヶ浦温泉にある「佳松苑」。「こうのとり1号」で豊岡まで行き、京都丹後鉄道で夕日ヶ浦木津温泉まで移動して、送迎バスに乗る。帰りも同じルートで、豊岡15時41分発の「こうのとり22号」に乗る。添乗員同行のツアーではなく、旅行会社扱いの乗車券・特急券が自宅に送られ、そのまま列車に乗るというもの。バスツアーに比べると料金は高いが、お一人様でもOKだし、「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」もいいな・・ということで申し込んだ。元日・2日と新大阪に宿泊したのはこのためである。

ただ、出かけるにあたり気になっていたのは天候。何せ行先は日本海側、年末にも荒れた天気になっていたこともあり、当日雨や雪が降るだけならまだしも、最悪の場合列車の運休ということも考えられる。仮に運休になった場合は自分で旅館にその旨を連絡するとともに、駅の窓口で乗車券・特急券の不使用証明を受けてそれらを旅行会社に送って、その後で旅行代金の払い戻しを受けるようだが・・。

そういうリスクも想定しながら当日を迎えたが、3日は天気予報は近畿北部を含めて穏やかだという。また翌日からは雨または雪の予報が出ていたから、何ともラッキーなものだ。

特急は順調に走るが、篠山口を過ぎたあたりから少しずつ雪を見るようになる。ただし今は新たに降る様子もなく、この先も支障なく進みそうだ。

福知山を過ぎて山陰線に入ると積雪も多くなった。こうした雪景色の中を列車で走るのも久しぶりで、車窓に目が行く。

10時48分、豊岡着。ホームの向かい側には香住行きの鈍行が待っている。その昔、JRの「かにカニ日帰りエクスプレス」でかつての仲間たちと餘部鉄橋近くの旅館を訪ねた時のことを思い出す。その時は「こうのとり」(車両は国鉄型だったかな)で豊岡まで来て鈍行に乗り継ぎ、香住まで行った。時季は2月だったが、雪もほとんどなく、2月とは思えない晴天が広がったのが印象的だった。カニも美味く、そのまま横になって翌日は仕事を休みたいな・・とも話したものである。

今回は改札を出ることもなく、連絡口から京都丹後鉄道に乗り換える。京都丹後鉄道の列車もどれでもいいというわけではなく、10時53分発の快速に乗るようクーポンが送られていた、この快速は網野から特急「たんごリレー4号」として福知山まで走る。

車両は「丹後の海」。いわゆる「水戸岡デザイン」車両で、車内は白樺やナラといった木々が豊富に使われ、和の空間を演出する。以前に乗った時のことも思い出す。

車内はガラガラで、せっかくなので先頭の座席に腰かけて前面展望を楽しむ。兵庫県から京都府に入る山がちな区間を通る。

11時18分、夕日ヶ浦木津温泉に到着。地元の人が数人下車したが、旅の人間は私だけのようだ。こういうプランならもっと多く利用して賑わうのかなと思っていたが、意外だった。改札を出ると出迎えらしき人がいて、声をかけると佳松苑の方だった。クルマに乗ったのは私一人で、当初は他に予約していた客がもう1組いたそうだが、キャンセルになったとのこと。これで名実ともに「ひとりかにカニ日帰りエクスプレス」の旅になった・・・。

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