まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第29番「酒見寺」~新西国三十三所めぐり・3(加西へのルート決め)

2016年02月28日 | 新西国三十三所
早いもので今年も2月が終わろうとしている。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」とはよく言ったものである。

今年から新たに始めた「新西国三十三所観音霊場めぐり」。1月に第1番の四天王寺と、近くにある客番の清水寺に参拝し、そこで次の行き先を決めるくじ引きとサイコロで出たのが、第30番の酒見寺(さがみじ)。1から一気に29まで飛んでしまうのが、私流の巡礼である。

その酒見寺は加西市にあり、北条鉄道の終点・北条町駅から歩いて10分ほどのところにある。また、中国ハイウェイバスの大阪~津山線でも、加西サービスエリアの手前にある北条バス停まで行けば、そこからも歩いて10~15分ほどで行けるようだ。したがって、公共交通機関でのアクセスは良いほうと言える。

高速バスで行くのも面白そうだが、「乗り鉄」としては北条鉄道で行きたい。で、北条鉄道に乗る・・・ということで、気になっていたことがある。

以前に西国第26番の一乗寺に行くのに、北条鉄道の法華口駅から5キロほどの道のりを歩いたのだが、その法華口にはボランティア駅長がいて、駅舎の建物を利用してパンの店「モン・シャブリ」というのをやっていた。北条鉄道のいくつかの駅にはこのようなボランティア駅長がいて、駅の活性化に貢献しているのだが、法華口の隣の播磨下里には、駅舎内に「下里庵」という、弘法大師を祀る寺がある。鉄道ファンという住職が月に2回ほどやってきてお勤めをしたり、鉄道ファンの集いのようなこともやっている。

前の一乗寺の時はタイミングが合わなかったし、その時は播磨下里よりも加古川線沿線のローカル線(と廃線跡)が気になっていたので訪れることがなかったのだが、今回北条鉄道に乗るのであれば、ぜひこの「下里庵」が開いている日に合わせて来ようと思っていた。

「下里庵」が開く日は北条鉄道のホームページでも告知されるようだが、1月以降、何の情報もない。そんな中、この「駅長住職」のブログでわかったのが、播磨下里駅が駅舎の改装工事に入ったということである。2月初めに工事は終わったのだが、その後も準備のためにまだ開いていないようである。

せっかく行くのだから開くまで待ってもいいのだが、そうだと新西国めぐりの先が進まない。また開くこともあるだろうからとりあえず加西の酒見寺に行くことにする。代わりに、西国の2巡目として、一乗寺にもう一度行くことにする。同じ加西市にあるということで、いいだろう(その分、西国の納経の巻物やら輪袈裟など荷物が増えるが)。

その一乗寺だが、前は法華口駅から歩いたが、姫路から神姫バスに乗って行くのが公共交通機関での一般的なアクセス方法だという。今回はそれで行ってみよう。確か、姫路を9時に出るバスがあったはず。

・・・さて、前日土曜日にバスの時間をチェックしようと、スマホから神姫バスのホームページを開き、ダイヤを検索する。と見ると、姫路からのバスは10時半頃しかない。これだと一乗寺に着くのが11時過ぎ。あれ?と思うが、この時は「9時のバスというのは平日か土曜ダイヤで、日曜は便の設定がないのだろう」と思っていた。

11時に一乗寺に着くのは遅いかな。とすると、前と同じように法華口から歩くことになるか・・・。歩くと1時間近くかかるところで、そうすると法華口に9時前に着く列車に乗ることに。とすると、自宅を出るのは早朝5時半・・・。播州は遠い。

北条鉄道の起点である粟生に行くにはJRの加古川線か、神戸電鉄の粟生線で行くことになる。ここは、存続で揺れているローカル線に乗ろうということで、新開地から神戸電鉄に乗る。粟生行きの各駅停車がある。1時間以上揺られるのもいいだろう。

粟生線といえば、前回(2014年12月)に乗った時には「乗らないと残りません」という、半ば脅しともとれる車内広告があったり、地元出身の作家・玉岡かおるさんをゲストに招いてのシンポジウムが三木市で開かれるとの広告がぶら下がっていて、結構揺れていた印象がある。あれから1年以上経って乗ってみるとそうした広告もないし、粟生線の「廃止」についてもそんなに危機感を持って言われているようには思えない。

三木市、小野市といった播磨中部の街を有することから、粟生線の全線、いや一部についても即刻廃止するということにはなっていないようである。ただ一方で、神戸電鉄としては「上下分離方式」を自治体に申し入れているという。実運行は神戸電鉄が行うとして、経営の部分を自治体に委ねられないかということである。ただ自治体としても、赤字部分を行政に押しつけるとして難色は示しているようである。粟生線は赤字でも、三田や有馬温泉に行く「本線」のほうは黒字だから・・・というのも理由の一つのようだ。当面、粟生線に列車が走らないという事態は避けられそうなものの、まだまだ予断を許さないようだ。

そんなことを思う中、日曜の朝のこととて1両に10人いない列車は粟生に到着。ここで北条鉄道に乗り換えだが、トイレも兼ねて一旦外に出る。駅に隣接した交流センターは陶芸の体験ができ、ロビーにはその作品集が並べられている。季節柄、雛人形をあしらったものや、般若心経を書きつけたものなどある。

JRのホームにはICOCAのカード読み取り機がカバーをかけられた状態で置かれていた。3月のダイヤ改正で、加古川線も西脇市以南の各駅でICOCAが使えるようになる。他にも播但線は寺前まで、姫新線は播磨新宮までが新たにICOCAの区間となる。加古川・姫路から先との行き来に利用する客の利便性向上である。

さすがに北条鉄道はICカード利用といかず、ワンマン運転で運賃は料金箱に入れる方式。そこそこの乗客がいる中、粟生から進路を左に取る。平野部で熱気球を飛ばそうとする景色も見る中、法華口に到着。パン屋は開業前だがちょうど仕込中のようで、出札口にはパンを焼くいい香りが漂う。

その前に、一乗寺参拝である。他に下車する人もおらず、テクテクと歩を進める・・・・。

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今季のオリックス公式戦前売り開始

2016年02月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
4月1日に大正ドームでの本拠地開幕を迎えるということで、ファンクラブ対象のチケット前売りが始まった。

普段は内野自由席で観ることが多いのだが、神戸の試合や、満席が予想される試合では指定席を買うこともある。

4月のうち2試合のチケットを確保したのだが、大正ドームでは特定の試合については上段席も中央部分が指定席扱いに変更されている。また、神戸では下段の指定席エリアでも、前方と後方で料金に差が設けられた。

幸い観客数が伸びているから料金設定も細かく、かつ強気に出ているように見えるが、これはどうなんだろうか。

さてオリックスの場合は1ヶ月前からの発売だが、他球団はもっと早い。6月に広島でのカープ戦を予定しているのだが、これが何と2月に先行抽選。幸い当たったが、プレイガイドのサイトを見ると結構×印がついている。さすがカープ人気だ。

これから3月、球春到来で楽しみである・・・・。
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高浜原発4号機再稼働

2016年02月25日 | ブログ
いろいろなニュースがある中で、ふとこの問題というのは扱いが小さくなったなと感じた。いや、私が関心を持っていなくて見過ごしていただけなのかもしれない。

今日は仕事の関係で中之島に一時いたのだが、その一角にあるのが関西電力の本社ビル。ここで原発再稼働反対のデモ、アジ演説が行われていた。法華太鼓の音もする。こうした光景もたまに見るのだが、今日は結構人数が集まっていたように思う。

ニュースによると、関西電力の高浜原発4号機が、明日26日に再稼働するのだという。3号機もいつの間にか再稼働していたし、それに続けてである。再稼働が決定して、関西電力本社前でデモをしようという呼びかけである。

福島の事故の影響もあり、定期点検を機会に一時期は全国の全ての原発が停止していたが、再稼働の動きは確実に進んでいる。東日本大震災の時は節電とか、この国のエネルギー構造をどうするのかさまざまな議論があったと思うが、5年が経とうとする中で、結局は原発をしれっと再稼働する、そして反対派が「反対のための反対」運動をする・・・と、何も進んでいないように思う。私も外野で無関心で無責任、偉そうなことは言えない。

東日本大震災については、震災からしばらくは節電とか義援金をしてみたり、被災地を回ったこともあったが、それも遠い昔のことのように思う。5年というのは一つの節目なので、改めて震災とその影響について自分なりに考えてみたい。(と言いつつも、仙石線の復旧、東北線と仙石線の連絡線、新しい女川駅など、鉄道がどう変わったのかが気になっているのだが)

今年は参議院選挙がある。憲法改正、経済政策といったことが主な争点になるのだろうが、改めてエネルギー問題について各党がどこまで突っ込んだ、具体的な政策を掲げるのかも見てみたい・・・・。

(と書いてみて、今日の関西のトップニュースは、梅田駅前の交差点でクルマが突っ込んで歩行者をはね飛ばしたことだと気づく・・・。いやいや、鴻海のシャープ買収か)
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議員選び、これからどうするのか

2016年02月23日 | ブログ
昨日は、あの「号泣県議」こと野々村竜太郎被告の第二回公判。報道もいろいろされていたが、また「記憶にございません」とか、裁判官や検察、弁護士の質問にもろくに答えなかったとか、騒ぎになっている。ますますその奇行が取りざたされている。

あの号泣会見は世界中にも配信されたが、議員も辞めたし、不正に受け取っていた政務活動費も返したのだから、その時の人で終わっていたはずである。議員としてはきちんとした活動はしていなかったのだろうが、政務活動費というものの実態を世にさらけ出し、その後しばらくは他の議会や議員の不正も明るみになり、世間の目が厳しくなった。これはこれで、野々村氏の唯一最大の業績?とも言えるのではないか。そう感じた人も何人かいたと思う。裁判になっても、「すんまへんでした~」と号泣して頭を下げれば、したことは許せないとしても、まあ、変わった兄ちゃんやったなと、半ば笑いで済んでいたかもしれない。

それがここに来ての裁判での態度である。司法を舐めている、記憶障害で苦しんでいる人たちへの偏見を助長する言動。何のためか知らないが、世間の心証を悪くするほうにばかり向かうのはよろしくない。普通なら執行猶予レベルだそうだが、このままだと実刑の可能性が高いとか。ただ、てめえが刑務所に入ることで誰かが報われるものではない。後味の悪さばかりが残るだろう。

野々村元県議は一例であるが、このところの議員のレベルはどうなんだか。国会の議論を見ても前向きな内容はほとんどないし。

選ばれる顔ぶれを見ても、表に出ているのは世襲か、芸能人、元スポーツ選手、そしてろくでもない公募。みんながみんなそうではないにしても、少なからずいるのが実感。最近問題になった議員はたいていこのいずれかに当てはまるし、昔と比べても最近顕著になっていると思う。そんな中で、先に辞職した京都のゲスの極み議員の補欠に、元シンクロのメダリストを候補にしようという報道もあった。これは本人も否定したそうだが、何だかその程度の扱いというのもどうだろうか。

かと言って、候補者の全てを知っているわけではないので、限られた情報を頼りにするしかない。選挙直前ではなく、普段に書いているブログ等の記事をチェックするしかないかな。ならば、私の選挙区にいる谷畑、長尾の両「たかし」氏の日常の書き込みにも注目するかな。参議院はともかく、次の総選挙(ダブル選挙の可能性もあるし)に向けて。

・・・ただ、国政選挙にはまだ有効でも、都道府県、市町村議会レベルとなるとどうだろうか・・・・。
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第8番「長谷寺」~西国三十三ヶ所2巡目・2(先達の道は厳しい)

2016年02月22日 | 西国三十三所
21日の昼、長谷寺の駅に降り立つ。あべのハルカス美術館での宝物展を鑑賞して、法話と声明を聴き、そのまま長谷寺の現地に来るとは。ただ、シーズンオフの昼間ということか、下車したのは数人。しかもほとんどが地元の人らしい感じである。

駅から参道を歩く。1巡目の参拝の時は、室生寺から臨時の直通バスで直接駐車場に運ばれたから、駅から歩くのは実質初めてである。昔からの街道の風情を残す商店や老舗旅館もある。こういう宿に泊まり、翌朝の修行に参加するのも面白そうだが、一人ではなかなか泊まることができない。

門前でそうめんや草餅を売る店の間を抜けると仁王門の前に出る。・・・と、仁王門は来年春まで改装工事中ということで覆われている。幸い仁王さんは目隠しの間から姿を見ることができる。

399段の登廊の階段を上がる。脇には菰をかぶった牡丹が植わっている。寒さに耐えて一輪の花を咲かせるのも、満開時期とはまた違った風情がある。

宝物館をのぞく。先ほどあべのハルカス美術館で見た長谷寺の絵巻や法華経の違った巻物がある。また一方では不動明王像のように、「ただいまあべのハルカス美術館に出展中」の貼り紙がされているのもある。

本堂に出る。本尊十一面観音像の足に直接触れる特別参拝は後にするとして、まずはお勤めである。リュックから、数珠と勤行次第と先達用の輪袈裟を取り出す。先達用にいただいた頭陀袋もあるのだが、いざ外に持ち出そうとすると、収納面で使い勝手があまり良くなさそうなので置いてきた。それはともかく、地元葛井寺以外での初めての輪袈裟着用のお勤めだ。

私がお勤めする前に、外舞台には「南無観世音菩薩」の白衣を着た人が四人いて、いずれも先達用の輪袈裟を着けて般若心経を唱えていた。結構大きな声で、発音もはっきりしていた。

ただ、一通り終えた後で、その中で年輩らしい男性が他の人にダメ出しをしていた。節を切るところとか、読みのアクセントとか、合唱のレッスンのようである。「そんなんやったらちゃんとした導師になられへんぞ!」という喝も入る。うーん、厳しい。本式にやるなら読み方もそれらしくしなければならないということか。一行が舞台から出た後で勤行次第を手にしたが、あの「先達の先達」が私の読経を耳にしたら、怒り心頭でそのまま長谷寺の舞台から下に放り投げられるだろうな・・・。

さてその後で本尊の特別参拝に入る。受付で観音との結縁を示す五色の紐を左手首にかけてもらい、中に入る。そして10mの高さを持つ本尊の足に触れる。

前の参拝の時は秋の特別拝観に当たっていて同じように触れたのだが、その後で、あちこちの寺院や仏像に油のようなものが撒かれる被害が続出した。長谷寺の十一面観音もその被害に遭った。あの一連の事件、その後報道はないが、犯人は見つかったのだろうか。もし犯人が捕まれば、なぜ文化財を狙ったか事細かく追及してほしい。根本のところでは、歴史や文化を文化についての教育のあり方を見直さなければならないのではとも思う。

この後で内陣にある弘法大師や徳道上人像、チーム薬師の像を見る。一方、本尊の裏にある十一面観音像の立ち位置には、あべのハルカス美術館に出展中の貼り紙がある。内陣を出て改めて本尊を見るが、両側の脇侍と裏の十一面観音が出張中ということで、どこか淋しそうな表情にも見える。まあ、この時季は元々参拝者も少ないのだろうし、「見たかったらあべのハルカスに来い」ということでもないのだが、部下たちが大阪に出稼ぎに出ているのをすまないと思い、社長も自ら身体を張って営業しているようにも見える。いや別に、仏像たちが出稼ぎや身体を張った営業で稼いだ金を、坊主がピンハネしている・・・・という、どこぞの業界のようだとは言うつもりはないが。

本尊参拝を終えて、先達用の巻物に朱印をいただき、カラーの御影もいただく。他にも、あべのハルカス美術品鑑賞の半券の提示でいただける散華もある。

後は境内をぐるり。由緒ある寺院らしく建物もよく整えられている。前回入らなかった本坊の門をくぐると、今の天皇陛下ご夫妻をはじめとした皇族方お手植えの松がある。また本坊からだと、斜面にそびえる本堂や登廊もいい角度で眺めることができる。これは前回気づかなかったところである。ここに限らず、時間を置いて訪れることで初めて気づくことがあるだろう。

長谷寺の参拝はこれで終了。そろそろ、今季のそもそものテーマである「新西国」の次のところにも行かなければならないのだが・・・。
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長谷寺の名宝と十一面観音の信仰~あべのハルカス美術館

2016年02月21日 | 西国三十三所
阿部野橋は毎日通勤で通っているというのに、その上にあるあべのハルカス美術館にはまだ足を踏み入れたことがない。これまでも仏教関係の展示というのも何回かあったのだが・・・。

この2月6日から3月27日まで開催されている「長谷寺の名宝と十一面観音の信仰」展。近鉄の駅ポスターや電車の広告でもPRされており、今回は行ってみようかなと思う。長谷寺本尊の十一面観音の脇侍である難陀龍王立像と雨宝童子立像が初めて長谷寺から外に出て出展されるというのが一番の見どころという。長谷寺のホームページでも日通美術品による搬出の様子が紹介されていた。

これは貴重だなという思いと、あべのハルカス美術館には行ったことがないなというのと、これも西国三十三所(新米)先達としては見過ごすわけにはいかないだろうということで、21日に行ってみた。

10時前にあべのハルカスの16階に上がる。この時間はちょうど60階の展望台も開く時間で、添乗員が先導する団体客も含めて多くの人が中継点の16階まで上がる。美術館に向かう人はさすがに展望台に上がる人よりは少なく、開館の10時と同時に中に入る。

艦内の展示品は撮影不可なので画像はないが、まず出迎えるのは「長谷寺式十一面観音」の数々。中には、長谷寺本尊の十一面観音の裏手にあるものも来ている。わざわざ「長谷寺式」とあるのは、長谷寺の十一面観音像が右手に錫杖、左手に水瓶を持ち、蓮華ではなく石の上に立っているのが特徴で、長谷寺を中心とする真言宗豊山派の寺院にはよく見られるスタイルということである。また、岡寺の本尊である巨大塑像の如意輪観音像の体内に納められている如意輪観音半跏像も展示されている。

そして、本展示の目玉といえる脇侍の二仏像。雨宝童子というのは、大日如来が天照大神の姿を借りて現れたものとされている。また難陀龍王は八大龍王の一つとして仏法を護る存在とされているが、一方では春日明神の姿ともされている。いずれも神仏習合の現れである。展示も、中央に本尊十一面観音像のパネルを配して、現地の姿に近づけようとする展示である。

他にも、長谷寺の縁起絵巻や法華経の経典などのさまざまな展示があり、さまざまにうならせるものであった。ミュージアムショップも仏教関連で充実している。

さて、あべのハルカス美術館に来るだけなら他の日でもよいのだが、21日に来ることにしたのはあるイベントのため。展覧会の開催記念ということで、法話と声明ライブを行うというものである。これは見聞きするのは無料。美術館前のロビーで日程限定での開催で、21日の11時が第1回。10時から展覧会を見て、その後11時にそれを見ようというところだったが、並べられた椅子席はほぼ満席。壁際に丸椅子を一つ見つけて陣取る。その後も見学客が次々とやって来て、美術館の係員が椅子を追加で出す。それでも立ち客が結構出る。

まずは太鼓、続いて法螺貝でイベント会誌となり、袈裟姿の僧侶が入ってくる。長谷寺の青木執事。告知では「法話」と書かれていたが内容は仏教の堅苦しいものではなく、長谷寺の歴史や西国三十三所のいわれについてのもの。その中で、今回の目玉の雨宝童子と難陀龍王が初めて長谷寺を出ることの重みを説いていた(もちろん、この法話を聴いただけで帰ったり展望台に上がるのではなく、ぜひとも展覧会をのぞいてほしいというPRも挟んでいた)。

続いて、僧侶6人による声明。長谷寺の毎朝の勤行は一般の人でも参列することができるが、夏時間で6時半、冬時間でも7時開始というのは、私の自宅から当日朝参加というのは非常に厳しいもの。それを(おそらく略式なのだろうが)あべのハルカスで見せるというのも大胆なことである。声明はお経に節をつけて唱えるものというが、これは「あ~、あ~、え~、お~、あ~~」と、耳にしてパッとわかるものではない。そうすると途中で般若心経と観音経偈文の読経が入る。拍子木、太鼓で調子を取りながらのもので、なかなか迫力がある。最後は各仏の真言を唱えて終了。

一連のお勤めが終わると、見学客からは大きな拍手が起きた。私もつい拍手したが、すぐその後で、こういうところで「拍手」はいかがなものかと思った。美術館前のロビーという、誰でも自由に見ることができる場所ではあるが、やっていることはあくまで仏前のお勤めである。本来なら、見学した人たちも最後は一斉に合掌してもいいくらいもの。それが、坊さんのグループがライブで一曲やったかのような反応である。まあ、こういうものかもしれないし、拍手した私が言うことではないだろう。他の方も、寺の本堂ではさすがに拍手はしないだろう。これは場所柄仕方ないのかな。

場所柄ということでは、声明の途中、美術館の入口前でおっさんの怒号が飛んでいたのが残念。これは長谷寺や声明とは何か関係があるわけでなく、他人とぶつかったか何かという程度のものである。何が気に食わんのか、イベント後もまだ係員相手に「警察呼ぶんやったら呼んだらええやんけ!!」などとほざいていたが、なぜこういう輩を公衆の面前に置いておくのかと思った。係員も穏便な解決をしようとしているのだろうが、せっかくのイベントの雰囲気はぶち壊しであるし、見学客と長谷寺の皆さんに迷惑である。よほど、このおっさんの顔写真を撮ってこのブログで晒してやろうかと思った。

・・・それはさておき、展覧会とイベントは良かった。ただそれでも、「これでいいのか」という気がしている。脇侍二体を初めて外に出すということも含めれば、「長谷寺推し」が強いのではないかと思う。またちょうど今は、本尊の十一面観音の足に直接触れることができる特別参拝をやっている。この展覧会も、「花の御寺」として年中人気の長谷寺といえどもこの時季は少ないであろう参拝客誘致の一環かなとも思ってしまう。

それならそれでいい。これからの目当てである「新西国」がなかなか次のところに行けず、逆に「西国」の2巡目が先行することになるが、ならばこのまま長谷寺そのものに行こう(一応、巡礼用品一式はリュックの中に仕込んである)。

・・・ということで、昼食を挟み、天王寺から鶴橋経由で近鉄大阪線の急行~区間準急を乗り継いで、長谷寺の駅に降り立つのであった・・・・。
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そういえばカラバイヨとマエストリはどうした?

2016年02月20日 | プロ野球(独立リーグほか)
プロ野球も今日からオープン戦が始まるということで、開幕も待ち遠しいところ。バファローズの日程を確認して、今年は遠征として広島での交流戦に行くことを目標にした。6月の試合なのに、早くも抽選先行販売の予約受付があり、三塁側指定席をリクエスト。毎年の行事も昨年は都合で途切れてしまったので、今年はぜひ観戦したい。

大正ドームの公式戦だが、今年はファンクラブの特典チケットは自由席券4枚を選択しており、こちらも上手く消化できるといいな。

さてシーズンに向けて新戦力の話題も出ているが、今季の補強はドラフトと外国人。100マイルという触れ込みのコーディエ、外国人なのに「糸井2世」と言われるボグセビック、中軸が期待されるモレル。加えて、台湾プロ野球でノーヒットノーランをやったミッシュという左腕と合意間近とされている。この中で当たりの選手が果たして出るのやら。

一方で、昨年限りで退団した外国人選手。そういえば彼らはその後どうなったか。私が気になる「彼ら」というのは、カラバイヨとマエストリ。カラバイヨは一時4番も張り、通訳もいらないくらい日本に溶け込んでいるし、マエストリはどんな場面でも投げられて重宝される。

その後どうなったかと検索すると、何と二人ともBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスにいるという。群馬と言えば、今季からDeNAの監督を務めるラミレスもいたところ。カラバイヨは元々群馬所属だったので再度の復帰だが、マエストリも合わせてとなると面白い。どちらも独立リーグ出身で、メジャーの肩書きがどうのというよりも、こういう泥臭いところで頑張ってNPBに入団、あるいは復帰という姿がいい。

BCリーグではタフィー・ローズが今季も富山でプレーするそうだし、こういう記事を見ると、また現地に行きたいところである。いやその前に、カラバイヨとマエストリは、シーズン中にどこかの球団が獲得に乗り出すかもしれない。それがバファローズだったら大笑いなのだが・・・。
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「最弱球団 高橋ユニオンズ青春記」

2016年02月18日 | ブログ
本来ならこの時期のプロ野球はキャンプ情報からそろそろ始まるオープン戦の話題であふれるところだが、今年について言うと、どうしても清原覚醒剤問題が影を落としている。今の報道では、巨人時代から常用していた疑いが濃く、清原一派にも波及しているのではとか、当時の堀内監督が悪者のように言われているが実は逆だったとか、まだまだきな臭い話が続いている。ただここまで来ると清原一人の問題ではなく、球界全体のイメージダウン、逆風である。

一時、自民党が地方創生の一環としてプロ野球の球団増設を提案していた。ただ、賭博に覚醒剤と来れば、これも一気にトーンダウンしそうだ。

もっとも、球団を増やすのはいいが経営が成り立つのかという声は結構あった。札幌や仙台は盛り上がっているが、これから増やすとなるとこれより市場が小さなエリアになる。球団が身の丈に合った経営ができればいいが、年俸の相場がここまで高騰する中ではどうだろうか。自民党の私案では新潟、静岡、松山、那覇が挙がっていたと思う。もし私ならどこに増やしたいかとなると、新潟、静岡と来て、京都、岡山を挙げたい。この京都は京都市だけでなく、大津や奈良といった関西東部を拠点とし、岡山は中四国の交通の中心として、倉敷や高松、その先の松山を含めたエリアとするのはどうか。どちらも既存球団のえりあとかぶるところはあるが・・・・。

かつて、実際に球団増設が行われたことがある。当初7球団でスタートしたパ・リーグで、1954年~56年まで8球団になったことがある。7球団では日程が組みにくく、球団を一つ減らそうという声がある中で、当時の大映・永田雅一オーナーの発案として、リーグを盛り上げるために8つ目の球団ができた。それが高橋ユニオンズ。

この高橋というのが、大日本麦酒(今のアサヒとサッポロ)の元社長で、財界の長老だった高橋龍太郎。永田オーナーの説得で、自らの資財を投入する形で参入した。ただ、新球団に集まったのは他球団から押し付けられたロートルと呑兵衛ばかりだとか、本拠地が川崎ということで地域色が薄いとかの要因もあり、ほとんど人気はなかった。観客も20~30人という試合もあったとか。2年目はトンボ鉛筆がスポンサーとなり「トンボ・ユニオンズ」と名乗ったことも。選手といっても、史上初の300勝を達成したスタルヒンとか、後に「プロ野球ニュース」のキャスターとして親しまれた佐々木信也が目立つくらい。高橋龍太郎は、選手を自分の子どもや孫のように可愛がり、励ましたが現実は厳しい。新球団も弱すぎるとリーグのお荷物になる話で、結局は3年で消滅、他球団に引き取られた選手もいたが、多くはそのまま引退となった。

巨人や阪神、南海や西鉄といった当時の人気チームや強豪チームとは全く対照的だが、それでも「ユニオンズ」という球団で、わずかの期間でもプロ野球選手として、それぞれの青春をおくった選手たちにはそれぞれの歴史がある。この記事のタイトル「最弱球団~」(長谷川晶一著、彩図社 文庫版)は、そんな人たちを追い、古き良き時代の一端を表現した一冊である。巨人やセ・リーグ中心の野球史観ではまず出てこないところを押さえていて、当時の情景が浮かんでくる(かと言って、私が当時の野球ファンの子どもだったら、高橋球団を応援しただろうか。もしくは、近鉄パールスを応援しただろうか)。

この一冊は、当初から今に至るまで日本のプロ野球を貫いている「球団は企業の広告塔」という一面にも問いかけをしている。今でこそ地域名をつけている球団は多いが、現実は企業の子会社である。単体の運営となると、独立リーグが苦しんでいるように、NPB と言えども球団だけでは厳しいのが現実。

・・・そんな中で球団増設か・・・。

この記事も、最後はどこを目指すのか自分でもよくわからないのだが、景気のいい話だけではなく、先の歴史のマイナス面、暗い面もきちんと見ないとわからないことが多いのだろうな・・・・。
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「お遍路ーる」

2016年02月15日 | 新西国三十三所
このところ生温かい日が続くかと思うと、また冬の寒さに戻ったりと、慌ただしい天候の変化が続く。と言いつつも、2月も半分を過ぎた。今年も早いものである。

先の週末に、NHKで二夜連続で司馬遼太郎の「この国のかたち」を取り上げた番組をやっていた。ちょうど没後20年ということである。その中で「日本人とは」というのを、「島国」と「武士」という言葉を軸に構成されていた。

私も「この国のかたち」は文庫版で全6冊を読んだことがあるが、今回番組を観て、「そんなこと書いていたかな?」と思い出す作業が結構あった。まあ、読んだと言ってもそこまで深く読まず、単に目を通しただけで覚えていなかったことが多いということかな。

ただ、読んだ中で印象に残っていることとして、日露戦争~敗戦までの軍部や政治家の無能・無策さと、番組でも取り上げられていた神仏習合がある。特に今の私にとっては、神仏習合について司馬遼太郎があれこれ触れているのになるほどと思う。作品では、神仏習合を率先して嫌い廃仏毀釈を推進したことを明治政府の最大の愚策とぶった切っていたが、番組ではそこまで触れられてなかったのが残念。

さて、タイトルに「お遍路ーる」とつけたのだが、 別に司馬遼太郎と何か関係あるわけではない。スマホのアプリでこのようなものを見つけたということである。文明の利器はすごいもので、スマホのアプリと言えばいろんなものが用意されている。その中で、私が最近やっている札所巡りについて何かないかと探していたら、出てきたのがこれ。

「お遍路ーる」という名にあるように、元は四国八十八所の歩き遍路をターゲットにしたものだろう。札所の一覧を地図で示し、現在地からのルートを案内するものである。ただこれが広がり、西国三十三所をはじめとして、全国の60以上のコースに対応している。先に神仏習合と書いたが、21世紀にそれを復興させようとして発足した神仏霊場会も入っている(神仏霊場会は関西全域に広がっていて、特別扱いの伊勢神宮を入れて全部で152ある。専用朱印帳はJRの大型時刻表くらいの厚さがある)。


まあ、神仏霊場会巡りは遠い先のこととして、今年から始めた新西国三十三札所巡りが最初の四天王寺、客番の清水寺で停まっているのが気がかり。サイコロの出目で、次に行くのは加西市、北条鉄道終点の北条町にある酒見寺。行こうと思えばこれまでにも行ける時間配分あったが、どうせならここにも訪れたいと、ある場所を目当てにこれまで止めている。ここの状況次第で、早くて2月中に行けるのかどうか微妙なところなのだが・・・・。
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盤双六とバックギャモン

2016年02月12日 | ブログ
リアルタイムでは観ないくせに、何年か経ってからDVDを借りて立て続けに観ることがある。今は、2012年の大河ドラマ「平清盛」。西国三十三所巡りなどするうち、平安時代を舞台にしたものを観たいと思ったのかもしれない。まだ始めの頃で、当時の兵庫県知事から「映像が汚い」と酷評された辺りである。

ご記憶の方もいると思うが、オープニング画面の最初と最後にサイコロが出てくる。私なぞはつい「サイコロの旅」をイメージするが、劇中でも盤双六が登場する。また、ドラマの最初で実権を握っていた白河法皇が、自分の思うようにならないものとして、山法師、鴨川の流れと並んで、賽の目を挙げている。このサイコロは、当然盤双六を意識してのこと。

盤双六とは、今でいう双六とは違い、持ち石を相手の石と交差させながらゴールに持っていく遊びである。いや、元々双六とはそのようなもので、現在でいうバックギャモンである。

なるほど、バックギャモンね。・・・で、バックギャモンはどうやって遊ぶのかと。

フリーセルやマインスイーパと一緒にパソコンのゲームソフトに入っているのは見たことがあるが、触ったことはない。双六の原点で、博打の対象にもなったことから禁令も出たことがある競技というし、日本ではマイナーだが世界的には広く遊ばれているという。サイコロ好きとして一度やってみる。今はスマホ、タブレットで簡単にゲームがダウンロードできる。

・・・で、何やかんやで石を動かすが、こちらの石が雪隠詰めみたいになって完敗。その後でルール解説のサイトや動画を観て、なるほどなと感心した。これから、まずは初心者レベルでポチポチやることにする。

バックギャモンは囲碁将棋、チェスと違って、定石はあるもののサイコロの出目で次の攻め手が変わる。サイコロの行方で時には逆転勝ちもあるようで、なるほど白河法皇も思いのままにならなかったことである。一発逆転の博打的要素も持つだろう。現在も、勝負の展開に応じて点数を賭けるルールだ。

コンピュータでしか楽しめないゲームもたくさんあるが、ダテに年数を重ねていない、こうしたアナログ古典ゲームをじっくりやるのもいいかな・・・・(プレーするのはデジタル画面だとしても)。
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今度はゲスの極み議員かいな。

2016年02月10日 | ブログ
今年になって連日、週刊文春の記事がきっかけになっていろいろ騒動が持ち上がっている。

今度出たのは、京都3区選出の宮崎謙介議員。京都3区は伏見区や向日市、長岡京市がエリアである。先般、妻の金子恵美議員の出産にともない、国会議員の「育休」を申し出たことで話題になった。

独身の私にはピンと来ないのだが、育休は、介護休業と合わせて「ワークライフバランス」の推進のためにも充実する必要がある社会的課題である。議員なのに育休はおかしい、ましてや自分が取り組もうとしているのが「議員も育休を取れるよう規則を整備する」というものだが、そこから始めたとして、やがては一般の人が育休を取りやすい社会にする、というのならまだわかる。

先日金子議員は出産。そして正にこのタイミングを計っていたかのような報道である。文春もかなり前からマークしていたのだろう。これも、不倫相手とされるグラビアアイドルからのリークかな。

ベッキーとゲスの川谷絵音の場合は芸能界の中の出来事として、騒ぐのは別にどちらでもいいとしても、政治家のこれはいけない。育休どころか、そのまま失職してもいいくらいだ・・・と思うのは簡単。

それにしても、最近の議員はこんなのばかりかな。真面目に仕事している方もたくさんいるのだろうが、取り上げられるのはこういう人ばかり。また、宮崎議員も地元では若さと新鮮さを武器にして当選したのだろうが、逆に幼稚である。私も年を取って、自分より年下の議員も増えてきたが、その世代にしても、昔の同じ年代に比べれば小粒、かつ幼稚化しているのではと思う。不倫どうこう以上に、こっちが心配である。

私の選挙区の場合は、参議院は前の記事のとおり、衆議院の大阪14区はいびつな経歴を持つ二人の「たかし」が争うところ。選挙に投票をと言っても、選ぶ対象がこれでは・・・・。
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夏の参議院選挙

2016年02月09日 | ブログ
この夏は参議院選挙。今回から投票権が18歳以上に引き下げられたことで、若い人たちがどれだけ投票するかに注目が集まっている。

また一方で、与党が圧勝すれば憲法改正に向けた流れが加速するだろうし、他には衆議院を解散するのではとの話もある。

候補者選びもこれから本格化するところで、今日の記事では、自民党が比例でSPEEDの今井絵理子さんを擁立するというのもあった。

そんな中で大阪選挙区だが、現職改選が3人のところ、定数が増えて4人になっている。現職は自民、公明、民主。

大阪の事情として、おおさか維新の存在がある。もちろん候補者を出すし、政界を引退したはずのあの方も応援に出るだろう。最近の選挙結果から見ても、当選は固い。

続いては大阪で強い公明が入り、3位には何やかんやで自民が来るのかな。となると、4番目に誰が来るか。共産が入るような気がするが、おおさか維新が調子に乗って二人目を立てて、その人が当選したりして。民主?知らん。

・・・とまあ、大阪は他県よりは選挙戦、選挙予測も楽しめるところがあるが、多くの県では盛り上がろうにも盛り上がれないのではと思う。安倍内閣もここに来てどうしようもなくなっているが、野党もしょーもない連中ばかり。その中から一人を選べと言われても・・・なら棄権となるな。

選挙があるといつもいつも議員もマスゴミも選挙ゲーム一色で、重要な課題は据え置き、先送りとなる。ホンマにこれでいいのかな・・・?
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張本さん、清原に喝

2016年02月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
連日、スポーツコーナーだけでなく、一般ニュースでも取り上げられている清原の覚醒剤使用。その入手経路も徐々に判明する形で、後はいつ頃から使っていたのか、まさか現役時代ではないだろうな、というところが気になる。

以前の拙ブログの記事で、「サンデーモーニングで張本さんの大大喝が入るだろうな」と書き、昨日番組を見た。最初はプロ野球のキャンプ情報、後は他の競技、間にエクストリームスポーツ(たまに「これもスポーツです」と紹介され、張本さんが「危ないじゃないの、何が楽しくてこんなことやるの?」と突っ込むのがお約束)を挟み、ゴルフの屋根裏解説があって(あの後、松山英樹がメジャー優勝したそうな)、最後に清原問題となった。

あの「喝!」の声はなかったが、「ぶん殴ってやりたい」「日本は島が多いから、どこかに5年でも10年でもこもってやり直せ」ということを話していた。また、ゲスト出演の田尾安志さんは、楽天監督時代に「清原を獲得できるかもしれない」という話があったことを明かした。

先日行われたばかりの名球会の試合で、自分の打席に代打を出し、佐々木投手との勝負をさせた張本さんとすれば、こういう言い方になるのかなと。野球の中で関わった人たちもいろいろなコメントを出しているが、多くは「罪を憎んで人を憎まず」という考えなのかなと思う。それだけに、誰か止めてやることができなかったのかなと思う。

同時代のライオンズのメンバーの多くが今も指導者として活躍している中で、4番の清原だけがこうなってしまうのも、プロ野球界の難しいところだと感じる。

番組の中で「?」と思ったのが、ゴルフの話題が終わるところで、司会の関口宏氏が「今週はこの辺で・・・」と言ったこと。まあ勘違いとは思うが、他の話題を時間の都合でカットするのとは違う。この番組は政治問題が中心であり、清原問題はあとのサンデージャポンの担当かもしれないが、一般ニュースとして、麻薬問題、(そうと決まったわけではないが)暴力団問題と合わせた社会問題である。にもかかわらず、巨人びいきの関口氏はわざと問題から話を逸らそうとしたのかな?と、ゲスの極み・・・もとい下衆の勘繰りをしてしまう。

・・・もっともこの日は、北朝鮮のミサイル発射が行われ、国際的には清原問題がぶっ飛ぶことになったのだが・・・・。
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第5番「葛井寺」~西国三十三ヶ所2巡目・1(後厄明け御礼と、2巡目の始まり)

2016年02月06日 | 西国三十三所
先日の節分・立春にて後厄が終わった。これで一応40代前半の厄年期間が明けた。これから新たな年代に入っていくのだなという感じである。

厄年のお札を祀っていたのだが、祈願を受けた葛井寺に札を納めるとともに、お礼参りをしようと出かけた。これが厄年の祈祷であれば祈祷料を払って本堂の内陣に入るのだが、厄年が明けた時のお礼参りには何か作法があるのだろうか。そこで納経所の人に訊ねると、特に「こうしなければならない」というものではないそうだ。祈祷料を払って内陣で改めて祈祷を受ける人もいるし、祈祷したお札だけ後日下げ渡してもらうこともできる。さらには、お札を納めて手を合わせるだけでも構わないとか。要は感謝の気持ちということである。

内陣に入るのも何だか大仰かなとも思うし、かと言って何もしないのもどうかと思う。ということで、お札の申し込みだけを行う。3000円で、お札は3日後以降に受け取りとなる。そこは近所だから別に問題ない。

代わりに・・・というわけではないが、タイトルにもあるように「西国三十三所」の2巡目を始めることにする。先日先達会からいただいた輪袈裟を首に掛けてのお勤め。

そして朱印をいただくのだが、1巡目で使った納経帳は自宅で保管するとして、せっかくなので先達用の納経帖の巻物を差し出す。葛井寺のところを出そうとするが、納経所の人はその前に「どうぞ」と受け取り、スルスルっと5番のところを出す。これ、5番だからすぐに出てくるし、後で巻き戻すのもまだ楽だが、30番台となると出すのも戻すのも結構大変な作業になりそうだ。紙は結構丈夫そうだが、うっかりして破ったらえらいことになる。

それぞれの札所の上が空いているのは、参拝した日付をここに入れるため。この納経帖を持って2巡すると中先達、さらにもう3巡すると大先達に「昇格」するのだが、それを確認するのはこの納経帖のみ。他の朱印帳では受け付けてくれない。

1巡目の時は親から託された納経軸にも朱印をいただいたが、2巡目の朱印は先達納経帖だけ。その代わりに、各札所の本尊が描かれた御影(みえい)を別に求めることにした。朱印とともにいただくJRキャンペーンの散華と、先達(と同行者)に授与されるご詠歌のお札をセットにする。

さて、「この間『新西国三十三所』を始めたばかりなのでは?」と思われる方もいるだろう。その通りで、今後は、まずは新西国を回ることをベースとする。西国2巡目についてはその間で、例えば近くに札所があるとか、他に近くに行くことがあれば立ち寄ることにする。でもまあ、西国単独で出かけることも必ず出てくる。

それを刺激するわけではないが、こんなパンフレットがあった。西国三十三所は2018年に「草創1300年」を迎えるという。その前後2年間ということで、今年2016年から2020年にかけてはさまざまな特別行事が行われる。それに合わせて行くのもよいかもしれない・・・。
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清原、四国八十八所遍路

2016年02月05日 | 西国三十三所
連日ニュースでとりあげられている清原薬物使用問題(かく言う私も前の記事で触れている)。所持だけでなく常習的に使用していたとされ、一部の報道では現役時代から使用していたのでは?とも言われている。

まあ、外野がいろいろ言うところではあるが、取り調べはまだ始まったばかりだし、これからわかることもいろいろ出るだろうから、いちいち深く受け止めなくてもよいかと。

さてその清原だが、一時四国の八十八所を歩いて巡礼していた。スポーツ紙で同行の様子が紹介されていた。

当時は「清原が八十八所とはね。何かのパフォーマンスやな」という印象だったのだが、逮捕後の記事を見ると、「薬物を断とうとして、何かできることをしようとしていたのかな」という思いがする。一種の修行というのかな。歩き遍路も愛媛県までは行ったそうだが、結局は迷いを断ち切れず、御用ということになった。

四国八十八所については、この数日の間で、「やはりあそこは回らなければ。一巡したらどんな人も極楽往生できるから、ヤクザもんも一生懸命回ってる」とか、「四国を回ればどんな人も何か得ることができるのに、清原は何も学ばなかったんですね」という言葉を聞いた。

清原が何も学ばなかったとは思わない。少なくとも八十八所の遍路に挑むこと自体が、自分の人生を見つめ直す機会だと思う。西国三十三所とは違い、四国八十八所は巡礼、遍路のルールが厳しい。区切り打ちは認められても、私のようにくじ引きとサイコロで次の参詣先を決めるのはいけない。四国は、順逆は別にしても、連続性を重んじているように思う。

ここまで来ると、私が四国遍路を志すのは遠い先の話に思う。西国の二巡目とか、新西国三十三、さらには他の関西札所巡りがある。

差し当たり、次の新西国の酒見寺にいつ行こうかというところだが・・・・。
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