まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「旧国鉄色」「381系くろしお、こうのとり」引退

2015年10月31日 | ブログ
ネットのニュースを見ていると、鉄道車両に群がる撮り鉄たちの様子の写真が掲載されていた。こういう場合、何か新しい車両がデビューするか、逆に引退するかのどちらかなのだが、この記事は後者の方だった。

今回は381系の特急車両である。カーブの多い区間を高速で走り抜けるために開発された「振り子式車両」として、その筋では知られている。ただ、振り子式は乗客にすれば酔いやすいということで、座席にはビニール袋も備えられていたとか。

私は鈍行の旅が多いこともあり、381系に乗った経験は数えるほどしかないが、今年は西国三十三所めぐりで出かける中で「くろしお」には新宮~紀伊勝浦、「はしだて」に天橋立~福知山と、いずれも短区間であるが乗っている。もっとも、いずれも最初から381系を狙って計画を立てたわけではなく、列車の本数が少ない中で時間を有効に使うために特急に乗り、それがちょうど旧国鉄型だったということである。

新型車両も増えており、いずれはなくなる車両だから乗れたのはよかったが、まさかそこから数ヶ月で引退だったとは。通勤でJRを使っているのに全然知らなかった。

これで381系が残るのは岡山からの伯備線「やくも」のみだが、こちらも後どのくらい走るのだろうか。

さて、このニュースでもう一つ取り上げられているのは、「はしだて」を含む「こうのとり」グループの381系の塗装。クリームに朱色の旧国鉄特急色で、とうとうこれが全国から姿を消すことになった。子どもの頃、鉄道の図鑑でこの面構えと塗装の車両が全国で活躍しているのを見て「特急」のイメージが刷り込まれたものである(私のような近鉄沿線の者は、あのオレンジと濃い青の組み合わせが「特急」のイメージでもあるが)。

・・・となると、「やくも」の381系もひょっとしたら最後はこれまでのご愛顧に感謝して、旧国鉄色に戻すということがあるだろうか?

伯備線にも久しく乗っていないし、そうしたところにもチャンスがあれば出かけたいものである・・・・。
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大阪ダブル選挙

2015年10月28日 | ブログ
11月22日は大阪府知事、大阪市長のダブル選挙である。公示はまだだが、立候補予定者はほぼ出揃っている。大阪市内繁華街では予定者の演説が行われているし、駅前でのチラシ配布も始まっている。

今回も「維新対非維新」という構図。維新は大阪では支持層は多いが、党の分裂のゴタゴタがある。一方自民系候補には民主や共産も支持を表明している(これまでは橋下市長寄りと言われていた安倍首相はじめ自民党本部も、今回は自民候補を全面支援するそうだ)。公明はまた自主投票なのかな。

5月の「大阪都構想」に向けた住民投票は接戦で、区によって賛成・反対の違いがくっきりしていた。今回も同じように接戦になるのだろうか。いやその前に、シラケモードになっている府民、市民が増えているのではないかと思う。

私は大阪市民ではないが大阪府民なので、府知事選挙の投票権がある。さて、どちらに入れるか。

ここで思うのは、府知事選挙と市長選挙の結果に「ねじれ」が出たら、今後どういう展開になるのかということ。仮に松井知事・柳本市長、または栗原知事・吉村市長となったらどうなるのか。府と市の対立が深刻になるだけで余計に混沌とするのではないだろうか。

となると、票の扱い方も慎重にならざるを得ない。まだ投票日まで時間があるので、いろいろと考えなければ。そして最後の決め手はサイコ・・・いや、何でもない。
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ラグビートップリーグ

2015年10月27日 | ブログ
野球は日本シリーズの最中。ここまでホークス有利に進んでいるが最後はどうなるか。このシリーズは、ホークス柳田、スワローズ山田という両選手の「トリプルスリー」対決と言われている。

久しぶり、そして両リーグで同時ということもあり、この「トリプルスリー」という言葉が、ひょっとしたら今年の流行語大賞にノミネートされたりして。

流行語と言えば、ラグビーW杯の日本代表の活躍が注目され(そのくせ、予選敗退が決まると後の報道が極端に少なくなり、決勝はどことどこが対戦するのか知らない人がほとんどでは)、個人的な予想では「五郎丸」とか「ルーティン」というのが候補になるのではと思う。

その日本代表の選手たちが出場する今期のトップリーグ公式戦が、11月13日のパナソニック対サントリー戦で開幕する。

多くは14日が開幕で、花園ではNTTドコモ対コカ・コーラ、そして近鉄対Hondaの2試合が行われる。

近鉄主要駅では開幕戦のチラシが配布されている。チラシ持参でバックスタンド(応援席)が通常1600円のところ500円になる。またサポータークラブに入れば年会費2500円で全試合観戦できる。

W杯の盛り上がりに私も影響されたか、久しぶりに生でラグビーを観たいなと思う。ならば近鉄戦だろう。他の企業チームとは違い、私設応援団が陣取るスタンドはかつての藤井寺、日生球場を思わせる(実際、過去に藤井寺バファローズのユニフォーム姿の人に遭遇したことがある)。またラグビーのスタイルも野球に負けず劣らず「いてまえ打線」的雰囲気を感じさせるのが、「近鉄」のカラーなのかな。

・・・という私も「にわか」の部類に入るのだろうが。

W杯で注目を受け、今選手はテレビやイベントに引っ張りだこ。ただ本心は、トップリーグでの熱戦を観てほしいところだろう。試合が行われる地域が限られていて、生で観られる機会が野球やサッカーほど広くないのが弱点だが、何とか観客増につながってほしい・・・。

(追記)かつての強豪、新日鐵釜石の流れを受ける釜石シーウェイブスは、東日本大震災からの復興のシンボルの一つでもある。
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第31番「長命寺」~西国三十三ヶ所巡り・34(再び八幡堀)

2015年10月25日 | 西国三十三所
バスで近江八幡の中心に戻る。向かうのは日牟禮八幡宮であるが結構な賑わいである。

ここから見る八幡堀。水郷めぐりの船が行き来する。モーター船であるが、町の中を行く風情もよさそうだ。かつても荷物や人を乗せて行き来していたことだろう。

そんな船を見ていると「これに乗るんやったら和船のほうが絶対ええわ。これなんか横歩けるから同じやん」と吐き捨てるように言う人がいる。地元の人か、あるいは観光客か。確かに先ほど乗った和船は琵琶湖の自然にも触れることができてよかったので、この人が言うこともわからないでもないのだが、何も吐き捨てるように言わなくても。

近江八幡の名の由来であり、この町の守護神である日牟禮八幡宮に参拝。ここにも「たねや」「クラブハリエ」がある。こちらのお菓子目当ての客も多いことである。

近江八幡の観光となるとここからロープウェーに乗り八幡山城に行くところであるが、水郷めぐりで下から仰ぎ見ているし、先ほど長命寺に行ったので高いところはもういいかなという気になり、パスした。ただ帰宅してから思うのには、古い町並みや水郷の様子を上から見るのも面白かったのではということである。まあ、また来ることもあるだろう。

その代わりというわけではないが、八幡堀に沿って歩いて、朝方見かけた「かわらミュージアム」に入る。敷地内の通路には瓦が埋められていて独特の模様を描いている。

新町通りの古い町並みには瓦屋根の家屋が並び、町の風情を出しているが、近江八幡は瓦の名産地でもあるということである。瓦と言えば三州瓦とか石州瓦というブランドが知られているが、近江八幡もそうだったとは。

近江八幡で瓦が作られるようになったのも、琵琶湖の水郷と関係しているそうだ。水路には藻や泥が溜まり、そのままだと水面が浅くなり船が通れないので底を浚渫しなければならない。そうして掬われた土には栄養分が多く含まれており、水田の肥料に利用できる。そして水田に入れると今度は水田の嵩が上がってしまうので、底の粘土を掘り出すことに。この粘土が藻などの植物繊維を多く含んでいて瓦の材料に適していたということだ。・・・と書けば簡単なように見えるが、瓦を作って流通させようという発想はなかなか出ないだろう。そこは近江商人の知恵ということか。

館内が撮影禁止だったので写真はないが、さまざまな種類の瓦、装飾用のものなどがさまざまに展示されている。かつては近江八幡には上り窯も結構あったそうだ。ただ現在はそうした水路の泥を水田に入れて粘土を掘り出して瓦にするということはなく、瓦の工場もあるがオートメーションでの製造である。そういうこともあり、近江八幡の瓦についてもっと知ってもらおうということでできたのがこのミュージアム。

近江八幡といえば八幡堀や新町通りの他に、建築家のヴォーリズでも知られている。近江八幡を中心に活動して、「ヴォーリズ建築」という建物をいろいろ手がけている。また、メンタームの近江兄弟社の創立者でもある。今回ヴォーリズ建築までは見なかったが、この名は市内のあちこちに見られる。近江兄弟社高校も「ヴォーリズ学園」という学校法人だし、ヴォーリズ記念病院というのもある。

このヴォーリズの夫人というのが一柳(ひとつやなぎ)満喜子という人で、アメリカにも留学し、後に近江八幡で教育事業を手掛けた。この人の兄・恵三は婿養子で広岡家に入ったのだが、そこの義母が広岡浅子。この広岡浅子も女性実業家なのだが、この人こそがNHK朝ドラ「あさが来た」で波瑠が演じる主人公のモデルである。

・・・ということを、この後で入った市立資料館の企画展「広岡浅子と一柳満喜子」というので初めて知った。企画展では二人のつながり(広岡浅子が一柳満喜子に対して、同じ女子教育の先駆者としてさまざまな支援を行った)についてパネルで紹介されていた。なるほど、だからこのドラマは近江八幡でもロケをしているのかなと思う。ドラマは見ていないのでわからないが、一柳満喜子(をモデルとした)役というのもそのうち登場するのだろう。

市立資料館は新町通りの角にある。ここと歴史民俗資料館、近江商人の屋敷である旧西川家住宅の見学の共通券を購入して見学するのだが、この時間になると通りを歩く団体客の姿が多い。案内しているのも地元の観光ボランティアという感じの人である。長命寺まで行くかはわからないにしても、水郷めぐり、近江八幡の町並み、これにクラブハリエを加えれば、バスツアーには適した見学ルートが出来上がる。

これらを見て、再び近江八幡駅まで歩いてこの日の西国めぐりは終了。近江八幡から新快速に乗車すれば大阪まで一気に戻る。車内ではまた爆睡で、大阪に戻るとだいぶ暗くなっていた。これから日の入りが早くなり、秋も本格的になる・・・・。

この日の土産は、八幡堀沿いの遠久邑(おくむら)で購入した2品。まず一つは滋賀に来ると手が出る鮒寿司。そしてもう一つは初めて目にする「赤こんにゃく」。見た目、マグロの造りにも見えるし、唐辛子たっぷりで辛そうに見える。ただ、別に辛いわけでもなく、味は普通のこんにゃくである。織田信長が派手好きでこんにゃくまで赤くさせたのが由来だと言われている。赤色は、ミニ酸化鉄という添加物で出しているそうで、普通のこんにゃくにプラスして鉄分も取れる健康食品ということでPRされている。そのまま食べてよし、おでんやサラダの具材にしてもよし。
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第31番「長命寺」~西国三十三ヶ所巡り・34(808段の石段と「西国十番」)

2015年10月24日 | 西国三十三所
水郷めぐりを終えて、ようやく主目的地の長命寺に向かう。ここもバスに乗ればよいものを歩いていく。距離は4キロは悠にある。

しばらく行くと湖に向かうほうの車線に、交差点でもないのに左折レーンが現れ、結構な数のクルマが曲がっていく。そこには「クラブハリエ」の文字。クラブハリエといえば甘い物にほとんど興味を示さない私でもバームクーヘンの店として知られている(会社にてお客様への手土産としても喜ばれていた)。近江八幡の「たねや」によるもので、この後で日牟礼八幡宮や駅前のブーメラン通りでも関連の店を見るが、どこも賑わっていた。

干拓地の外周に沿うように歩き、長命寺川に出る。晴天はいいが昼を迎えて暑さを感じるようになった。薄着でちょうどいいくらいだ。

長命寺川から離れると漁港の景色である。目の前は海ではなく湖だが、何せ広い琵琶湖。瀬戸内のどこかの小さな港に来たかのような風情の中、長命寺の碑を見る。

目の前には石段。どうしても見上げてしまう。808段あるというが、西国を回る中でこれまで難所とされてきた札所はクリアしている。前週の観音正寺は1200段の石段だったことを思えば楽・・・なはず。

石段は境内に一直線に伸びておらず、途中何ヵ所か曲がり、踊り場がある。息ははずむがとりあえず踊り場を目指し、着いたら息を整える。そしてまた上を見てふぁ~とか言いながら上り出す。

途中で駐車場に出る。クルマならここまで来ることができ、残りは100段。白の笈摺を着た巡礼姿の人もいたが、年を取るとさすがに石段は厳しいか、タクシーでここまで来ていた。先ほど乗った水郷めぐりの船頭も長命寺の案内をしていたが、「健康長寿のご利益のある長命寺、やはり808段の石段を上るのが良いようで。クルマで行って100段だけなら・・・その分お賽銭をはずんだほうがいいかもしれませんよ」と。私も「そらそうよ」と思うが、いずれ足腰が衰えてタクシーで来ることに、いやそれ以上に寺社参りそのものに出られなくなるかもしれない。そんな日がいつ何時来ないとも限らない。うーん、日頃の生活か・・・・。

休みながら何とか15分で到着。まず現れるのは本堂と三重塔。特に三重塔は丹色が鮮やかで新しい感じだが、昨年修復したばかりだという。それでも建物自体はそれぞれ室町後期、桃山時代のものという。

こちらも観音正寺と同じく聖徳太子の開創とされている。先の観音正寺には人魚の伝説があったが、長命寺はより話が大きく、武内宿彌が登場する。宿彌がこの山に上り長寿を願ったところ、300年の長寿を得たという。そして後に聖徳太子がここを訪ねた時に柳の木から宿彌が現れて、寺を建てるよう告げたとか。

そのためか、境内には本堂、三仏堂と渡り廊下でつながった拝殿があり、武内宿彌も神として祀られている。ちなみに武内宿彌という人は日本武尊や神功皇后と言った記紀の時代に名が出て、戦前にはお札にもなった。でも一人で300年とはね。実際は「初代武内宿彌」「三代目武内宿彌」なんてのが何代か続いていたりして。

というところで、息を整えて般若心経のお勤め。そして朱印帳と納経軸である。それぞれいただいて軸をドライヤーで乾かしていると、「これが掛け軸ですか、すごいですね」と50代くらいの夫婦に声をかけられる。札所めぐりを始めたばかりのようで、朱印帳は買ったが納経軸はどうしようかと迷っている様子。結局、持ち歩くのが大変そうということで軸は断念したようだ。あらあら、私も軸は親からのミッションで途中から始めたものだが・・・。

境内の奥には鐘堂があり、さらには太郎坊宮がある。ここは琵琶湖の展望台だ。西から南への眺望が開ける。立派な建物を擁し、こうしたいい景色も見られる長命寺だが、入山料、拝観料はない。別に拝観料の有無で寺を評価するのではないが、地元の人たちからの信仰や「健康長寿の観音さん」を前面に出して身の丈に合わせて運営しているのだろう。どことは言わないが、境内全て回ると2000円以上かかるとか、宗派の中でカネや力にモノを言わせてあれやこれや無茶をやって非難をうけてるとか・・というところとはだいぶ違う。

で、長命寺。本堂の前、ちょうど石段を上りきって琵琶湖が望めるところに石碑がある。4年前に建てられたそうだが、ここには「琵琶湖周航の歌」の6番の歌詞が彫られている。

「西国十番 長命寺 汚れの現世(うつしよ) 遠くさりて 黄金(こがね)の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心」

ここで、「長命寺は藤村の10番とちゃうやろがボケェ!、掛布の31番やろ!」とツッコむ方もいるだろうし(「藤村と掛布」というのは私が勝手につけたことですが)、一方で「あの歌の『西国十番長命寺~というのは間違いだ』というのは昔からの常識ですよ。今さら何を言ってるんですか」と物知り顔で言う方もいるだろう。

「琵琶湖周航の歌」の作詞は、プロの作詞家ではなく、当時第三高等学校(今の京大)の学生だった小口太郎が、ボート部の合宿で琵琶湖を回る中で書いたものとされている。おそらくこれまでにも研究されているのだろうが、長命寺を31番ではなく10番にしたのはなぜか。別に深い意味はなく、西国の札所順番にこだわるほどの知識や思い入れがあるわけではなく、詞としてリズムがいいから10番にしたのか。

今でこそ境内に6番の歌詞全部が載る石碑が置かれているが、この後で港の広場にあった石碑を見ると、前半部はばっさり省略され、後半のみが彫られていた。こういうのを見るとちょっと残念に思うが、歌として「西国十番」が定着しているならそれでいいのだろう。

さて帰りは駐車場から麓までの車道を歩いてもいいかなと思ったが、結局808段の石段を下りた。途中で何人かとすれ違う中で、階段を見上げて「あとどのくらいあるのか」という表情を見る。上りはやはり苦行だ。

石段を下りると時刻は13時を回っていた。ずっと歩いて空腹なので、昼食は門前の茶店に入る。土産物屋と食堂を兼ねた昔ながらの造り。ここでいただいたのはメニューの最初にある「名物 長命そば」。しばらくして出てきたのは餅が具のそば。これから石段を上るのに、餅を食べて力をつけるということか。

そして次の行き先だが、選択肢はとうとう2つに絞られた。

1、2、3・・姫路(圓教寺)

4、5、6・・東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)

サイコロで出たのは・・・「6」。次に行くのは秋の京都。さぞ混雑しているだろうなあ。

これから先ほどの八幡堀まで戻る。さすがに帰りはバスで戻る。朝は静かな風情だったが、昼を回ると結構な人の群れであった・・・・。
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武蔵ヒートベアーズ

2015年10月23日 | プロ野球(独立リーグほか)
昨日のNPBドラフト会議でこの名前が一気に広がったのではないだろうか。

ルートインBCリーグは今期から2チーム増え、岩村明憲選手兼任監督率いる福島ホープスと、独立リーグの指導歴もある星野おさむ監督率いる武蔵ヒートベアーズが参戦した(武蔵は途中から小林宏之監督代行)。一年目の今期は、福島は後期地区優勝を果たしたが、武蔵は届かなかった。ただ、埼玉の球団ということで首都圏からも行きやすいのか、独立リーグファンを広げるのには貢献している。

BCリーグも気になる私は、ドラフト会議でどのチームの選手に指名が来るのかも楽しみにしているのだが、例年なら1人か2人くらい、それもほとんど育成指名である(一方で外国人選手はシーズン途中でもちょくちょく引き合いはあるが)。それが今年は育成ながら一気に6人も指名を受けた。

驚いたのはその中身。石川ミリオンスターズが1人(長谷川)、そして武蔵から5人(小林、三ツ間、田嶋、大竹、矢島)である。1チームで5人というのは過去にないことだし、三ツ間を除く4人は巨人から。ちなみに巨人は長谷川も指名している。参入一年目の新球団から選手をごっそり取ることでネットでは「巨人の傘下」とか「読売ベアーズ」などと書かれていた。

ただ参入一年目といっても素人をかき集めたわけではなく、戦力均衡のために他チームからの移籍者も多い。経歴から見て私も何か引っかかるなと思ったので過去の記事を繰ると、昨年福井のおおい町で観戦した福井対石川の試合で、長谷川は石川の先発投手だったし、矢島も福井で登板していた(矢島は野茂英雄ばりのトルネード投法だった)。また小林も、一時は富山の正捕手だった。

今期の成績はいずれも目立つものではなく、数字だけなら他に指名があっても不思議ではないように思う。ただそこは、素人とプロのスカウトでは見るポイントが違うのだろう。

巨人が大量に指名したのは、来期から三軍を作るためとか、件の野球賭博に関与した選手がいなくなるからとか言われている。それで独立リーグから選手獲得というのはわかる話だが、「武蔵から大量に」というのは異例。前巨人の石井義人が武蔵のコーチということ売り込みがあったのかもしれないし、別にルール違反をしているわけではない。ただ今回の指名は、独立リーグのいろんなチームや選手を見比べた上で決めたというよりは、とりあえず近場の球団からその辺の選手を急場しのぎで獲ったように見えてしまう。今回はやむを得ないのかもしれないが、来季からはもっといろいろと試合を見る中で選手を見つけてほしい。

BCリーグも大量指名に喜びのコメントを出しているが、内心はどうだろうか。「本当はこの選手こそ指名されるのでは?」というのはきっとあるだろう。

ともあれ、NPBに入ることになれば後は選手の頑張り次第。支配下登録、一軍での活躍を期待したい。そうすれば他球団もBCリーグにもっと目を向け、後に続く活性化にもつながるのではないか・・・。

(また来年も、どこかの球場に行きたい)
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吉田と佐藤(これで合計何人?)

2015年10月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
ブログの記事の順番で言えば、先に続いて西国三十三所めぐりの長命寺のところだが、本日はドラフト会議ということでそちらの内容(別に、西国記事を一日でも早く!と待ちわびている方はいないでしょうし・・・)。

今年は甲子園の盛り上がりもあり、高校生の有力選手たちの動向が注目されていたところ。その中で、高橋がソフトバンク、オコエが楽天、平沢がロッテ、小笠原が中日の1位指名(ここでもパ・リーグ球団に指名が集まるのは、「時代」であろう)。個人的には、私の勤務先企業の野球部、BCリーグの選手に本指名がなかった(BCは育成指名はあったものの)のは残念だったが・・・。

さてオリックス・バファローズはといえば、1位は青山学院大の吉田正尚を単独指名。直前で1位指名の方針が決まったそうだが、大学日本代表の4番も務めたスラッガータイプの外野手。高橋慶彦コーチに徹底的に鍛えてほしい。背番号は坂口の後を受けて「9」かな。

まあ、これだけなら「また吉田姓が一人増えたなあ」という感想だったのが、そこに吉田がもう一人、さらに佐藤がもう一人確定したのは驚いた。

もう一人の吉田は、この夏の甲子園で優勝した東海大相模で小笠原との二枚看板だった吉田凌。これが5位指名。

さらに驚きは、6位で甲子園準優勝の仙台育英・佐藤世那。てっきり楽天に行くのかと思っていたが・・。甲子園の優勝、準優勝校の投手をダブルで指名とは話題になるのでは。

ただ、この二人が5位、6位というのは、手放しでは喜べないのかもしれない。一般のファンには話題と人気が出るだろうが、プロのスカウトから見ればその程度なのかなと。二人が真に力があるのなら、もっと早く指名されていたのではないかなと。ある雑誌関係のサイトでは、「甲子園で評価を下げた選手たち」の事例としてこの二人が挙がっていた。

でもまあ、そこは球団も織り込んでいるだろうし、何よりも本人たちが自覚しているだろう。それでも、プロで活躍する可能性があると見込まれて指名されたのだから、二人がいずれ金子や西、東明を押し退けてローテーションを張る、あるいは平野や佐藤達を敗戦処理に回すくらいに頑張ってほしい。

・・・で、吉田と佐藤、合わせて何人になるんだったか・・・?
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第31番「長命寺」~西国三十三ヶ所巡り・34(近江八幡水郷めぐり)

2015年10月21日 | 西国三十三所
近江八幡の豊年橋の横に大きな看板が立つ「元祖」水郷めぐりの乗り場に着く。10時の出発には少し早いなと思いつつ9時半頃に着いたのだが、係りの人から人数と名前を訊かれる。準備ができたら名前を呼ぶとのことで、しばらく待つ。茅葺き屋根の建物の軒先が待合室で、壁には多くの有名人の写真が飾られている。「元祖」だからか、結構古い写真もあり、鬼籍に入られた有名人が写っていたり。最近のもので目を引いたのは、元大関琴欧洲の鳴戸親方。「鳴戸」と書かれた色紙もある。

この時間待ち合いには、事前予約の貸切客は一組いたが、乗り合い船を利用するのは先に来ていた夫婦客。3人で行くのかなと思うと、両親と娘さんの3人が来てこれで6人。時刻は9時40分だが、船は6~8人が定員のため、これで一艘仕立てて出ることになった。揺れる小舟に乗り込む。その後でもう一人男性客が追加となり、合計7人で出発。定時の10時より20分早いが、小舟での運航ならその辺りは状況に対応して出すのだろう。

船頭はベテランらしいMさん(ちなみに、名字は私と同じ)。幾艘も堀に並ぶ中、まずは棹でそれらを抜け、落ち着いたところで櫓に持ち変える。船の時速は約4キロ。「日本で一番遅い乗り物ですが、せめて船の上ではのんびりお過ごしください」とやる。さらに「普通なら70~80分のコースですが、私も一人で漕ぐんで、途中疲れてもう少しかかるかもしれませんよ~」と。近江八幡にいくつかある水郷めぐりの船にあって、「元祖」は手漕ぎが売りである。ただ漕ぐほうは、一時間半も漕ぎながら案内もしなければならず、大変な商売だ。これから西の湖地区を周回して豊年橋に戻るコース。

橋の下に水位計があり、ここでマイナス10cmほど。ただ、このところ雨が少ないこともあり、この先つながる琵琶湖はマイナス30cm以上だという。こうした水郷めぐり、3年前に福岡の柳川で船に乗ったことがある。この時も水位が低く、時折船底をガリガリ言わせるほどだった。この日の近江八幡はそこまでなかったが、最近の水の町はそんなものか。ただ一方では今年も茨城で起こったように、河川の氾濫や土石流で甚大な被害を招く災害も増えている。

コスモスも咲く堀を抜け、北之庄沢に出る。ここも西の湖の一角である。と、Mさんは船を止め、「おーい」と何かを呼び、手から何かを投げる。するとスーッと一羽の鳥が水面に下り、一瞬にして飛び立つ。トンビだ。投げたのはエサのパンの耳。トンビも、こうやって船頭がエサをやるのを待っている風情だ。

船は再び狭い水路に入る。左側にはヨシが生い茂る中州が広がる。その前にある緑の草は蒲。「蒲といってもガマの油売りではなくて、因幡の白兎に出てくる蒲ですね・・・と言っても最近のお客さんはわかりますかね?」とMさん。大国主命が白兎を助けるのに、蒲の穂の上で寝るというのがあり、そうすると再び毛が生えてきたということ。蒲の穂の中にタンポポの羽のような種があり、そこから来ているのかもしれない。蒲もかつては羽毛のように取引されたそうである。滋賀のこの辺りを蒲生野とも呼ぶが、琵琶湖に群生する蒲から取られた地名だろう。

時折見える木は川柳(かわやなぎ)。この中を静かに進むのもよいものだ。

再び広い湖面に出る。左手から何艘かのこちらと同じような小舟が来る。別の業者の船だが、あちらも手漕ぎである。団体客が分乗しているようで、賑やかな話し声がこちらまで聞こえてくる。それだけ静かということ。この日は雲一つない晴天で、風もほとんどない。水面も実に穏やかである。

南には前週訪れた繖山、その手前に安土城跡が見える。信長の時代は城の下まで湖だったという。それが後に干拓により中州が広がり、今はヨシが生い茂ったり、その外側は畑としても活用されている。ここまでは良いとしても、昭和の高度成長期にはさらに土木開発を行おうという動きがあった。前の記事で触れた司馬遼太郎の『街道をゆく』の中で厳しく批判していたのはこの辺りのことである。

時折ペットボトルが浮かぶのを見る。これはゴミとして捨てられているものではなく、ウナギの稚魚を取る仕掛け。琵琶湖でウナギが獲れるのだろうか?鮎や鯉、鮒やモロゴに代表されるようにいろいろな生物がいて、鮒寿司や甘露煮は琵琶湖土産にもなっているが、ウナギとはねえ。ただMさんの言うには、昔は海とつながっていて川を遡上していたという。今でこそ環境への取り組みで琵琶湖の水も一時に比べればきれいになってはいるが、天ヶ瀬のように下流にダムが造られたために、魚が遡上するということはなくなった。そこで外から買った稚魚を放流しているそうだが・・・。

近江兄弟社高校のグラウンドを過ぎると人工の水路が伸びる。岸には桜が植えられていて、その季節も見所だという。

エリアによっては電柱やコンクリート建造物が見えないところもある。こうしたところは時代劇のロケに適していて、多くの作品で使われている(木造に見える橋もあるが、実はコンクリート製でそれっぽく見せている。木の橋脚は単なる飾りだとか)。

いろいろ景色が移り変わる中で、やはりヨシである。水の浄化作用もあるし、水鳥や魚の住処である。この時もカルガモの他、カイツムリも見られた。カイツムリの古名を鳰(にお)と呼び、歌枕などではそこから琵琶湖を指して「鳰の海」と呼ぶこともある。そういえばそんな名前の力士がいるなあと思い検索すると、北の湖部屋でその名も「鳰の湖」という力士。大津出身とあり、師匠の一字も入っているからいい四股名だと思う。滋賀県出身で横綱大関が過去にいたかは知らないが、蔵間とか三杉里とかいたなあと思い出す。

またヨシは屋根や簾の材料としても古くから使われているが、最近は屋根を葺くことも滅多にないし、簾のヨシも安価な中国産が幅を利かせている。ヨシを粉末にしてうどんの中に練り込んだりとか工夫はあるものの、今の時代そんなに活用されていないのが実態。またヨシの群生も春先にはヨシ焼きと言って、焼いて次の芽が出て育ちやすくしなければならないという。Mさんはある地主のヨシを指して、ここは春先の天候不順でヨシに多くの湿気が残り、火が回らずヨシ焼きができなかったと話す。そうなると次の芽の生育にも影響するということで、ヨシの群生を維持するのも難しいものだと思う。

そろそろ戻ってくる。結局70~80分の予定が、90分の水郷めぐりとなった。その分ゆっくり景色を見ることもできたし良かった。

船が戻ると来た時とは様相が変わっていた。観光バスが横付けされ、団体客が何艘にも分かれてこれから出るところ。船内を見るとコンロがあり、肉や野菜が盛られた皿がある。貸し切り船ではこうして別料金で食事しながら水郷をめぐることができる。なるほど、これでは個人客の乗るところはない。ふらっとやって来ていつでも乗れるというものではなさそうだ。船は3人以上だと貸し切りが可能なので、一人旅やカップルで・・・となると、同じような人を見つけて即席の団体さんになる必要がある。

途中でMさんが言っていたが、手漕ぎ舟で回るのは、昔物資や人を運んでいた田舟の風情を楽しむとともに、環境への関心を持ってほしいということから。もちろん90分の中で琵琶湖や水郷の全てがわかったわけではないが、これも自然の一面ということで様々な勉強になった。

さて、西国めぐりの前置きがすっかり長くなった。これから長命寺に向かう。せっかくなので歩くことに・・・。
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第31番「長命寺」~西国三十三ヶ所巡り・34(近江商人と水郷の町)

2015年10月19日 | 西国三十三所
残り6所と納経軸の番外で行くつもりの高野山と合わせて7所となった西国めぐり。今回は中7日で近江八幡の長命寺に出かける。滋賀県に6つある札所では最後である。なるべくならこの年内で西国は一度回りきりたいし、かと言って他の予定と重なって時間が取れなくなる恐れもあるので、行けるうちに行こうと思う。

ただそれなら、前週に安土の観音正寺に行った帰りに行けば済んでいたことだが、体力的にもハードだし、安土、近江八幡それぞれで回ってみたいというのがあった。近江八幡は新快速で何回も通過しているが、降りて観光となると10年以上前にさかのぼる。その時も市内中心部の古い町並みを見てロープウェーで八幡山に上っただけ。長命寺にも行っていない。

また今回行くなら、近江八幡中心部の古い町並みを見るだけではなく、水郷めぐりの遊覧船にも乗ってみたい。少し前に読んだ司馬遼太郎の『街道をゆく』の「近江散歩」の中で、琵琶湖の環境破壊、環境保全、その中にあっての水郷めぐりのことが書かれていた件が私には印象的だった。同じ紀行文の前半は、かつての歴史人物の足跡をたどったり、現代にも残る人々の生活文化風習を訪ねるという流れだったのが、安土城跡を訪れて築城当時は琵琶湖の湖面だったところが一面埋め立てられていた(干拓されていた)姿を見て、司馬遼太郎は愕然とする。この場面を境に、後半はそれまでの書き方から一転して、環境破壊について多くのページを割き、論調も厳しく、現代社会への批判が出ていたように感じた。船に乗りたいのはそういうこともある。

水郷めぐりは市内にいくつかの業者があるが、最も有名なのは「元祖」を名乗る近江八幡和船観光協同組合がやっている手漕ぎ船である。近江八幡の観光ガイドや、近江八幡をテーマにした旅番組でタレントが乗っている船はだいたいこの和船観光協同組合のものだという。乗り場も市内中心部から比較的近く、アクセスしやすい。近江八幡駅から長命寺に向かうバスの停留所もある。ホームページを確認すると、貸切船と乗り合いの定期船があり、一人旅なら2,160円で定期船を利用することになる。乗船時間は70~80分。定期船は事前予約も不要だが、ただ時間が10時発・15時発と一日2回しかない。1日2便とは不便だなと思うが、その間は団体や予約の貸切船が運航する時間帯ということか。個人客はその前とその後で受け付けるということだろう。

となると、近江八幡市内見物と長命寺参拝と水郷めぐりをどの順番で行うか。時間が決まっているのなら、水郷めぐりは10時発の便に乗るとして、その後で琵琶湖を望む長命寺を参拝し、帰りに市内見物ということにする。

ということで、大阪7時30分の新快速に乗り、8時30分過ぎに近江八幡に到着。水郷めぐりの乗り場へは駅前から長命寺行きのバスに乗って行くところであるが、まずは歩くことにする。地図を見て、歩いて歩けないこともない距離だし、歩数も稼いでおきたいところ(長命寺の参道は808段の石段で、体力も温存しておきたいところだが)。そして、市内の古い町並みも行きがけに歩いて通り抜けることにする。

駅前通りを歩く。日曜の朝のこととて人通りはそれほどでもないが、時折ジョギングやウォーキング姿の人を見かける。前回安土を訪れた時に目に付いた「飛び出し人形」だが、近江八幡の駅前から歩く中では見ることがなかった。それよりもこの通りには「ブーメラン通り」という愛称がついているのに気づく。店にも「ブーメラン通り店」と名乗るものがある。なぜ「ブーメラン」?

これは推測だが、改めて市街地図を見ると、この道は途中で「く」の字に曲がっている。その形状がブーメランに似ているからだろうか・・・?どなたか正解をご存知の方がいらっしゃれば・・・。

駅から20分あまり歩いて、近江商人の町並みが広がる新町通りに出る。資料館も開いたばかりだが、立ち寄っていると水郷めぐりの船の時間が気になるので帰りにでものぞいて見ることにする。まだ人通りも少ないので、八幡山をバックに伸びる格子造りの通りがよく映える。

ここから八幡山に向かって直進すると、八幡堀に出る。山城である八幡山城の堀の役目を果たしており、ここも水郷の一部である。この八幡堀に沿って昔ながらの家や蔵が並ぶ。多くは料理店や土産物店としても活用されているし、「かわらミュージアム」なるものも建っている。水郷めぐりにはこの八幡堀を行き来するコースもある。

こうした風情を残す町並みということで、時代劇などのロケでもよく使われている。近江八幡駅内の観光案内所に、NHK朝ドラ「あさが来た」のポスターが貼られていたが(ドラマを観ていないので中身は知らないのだが)、主人公や物語の舞台が近江八幡ということではなく、ロケ地として近江八幡の町並みが使われているからとのこと。ドラマそのものは幕末から明治にかけての設定だそうだ。

ただこうした町並みがあるといっても、すぐ隣では普通の家屋も並んでおり、生活の匂いがする。その辺りが、全国的に超有名な観光地とは違い、落ち着いた感じで歩くことができる面白さがある。

町並みを抜けると水郷めぐりの乗り場にやって来た。「船乗れます」の表示が出ている。まずはこれに乗って琵琶湖の一端を楽しむことにする・・・。
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西村ヘッドに慶彦コーチ

2015年10月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
NPBプロ野球もクライマックスシリーズのファイナルに入り、今の流れなら日本シリーズはソフトバンク対ヤクルトになりそう。パ・リーグのファンとしてはホークスを応援するが、スワローズの強力打線とリリーフ陣ならいい勝負をするだろう。7戦までもつれるかもしれない。

さて、そんな中ではオリックス・バファローズの情報も薄くなるが、久しぶりに注目されたのは・・・中島の入籍。

他になければこれについて書くところだが、あまりに腹立たしい。本文ではなく、以前の記事のコメント返しに書いたことが第一印象。

ここに追記するなら、中島の今季の不振は私的な事情(子どもができた、それで入籍はどうするのか)を抱えてましたから・・・と言わんばかりの対応。そこかいな、何をぬかしとんねん。

・・・という一方で、球団としては次期コーチ陣を発表。阪急、ブルーウェーブ色が強くなったなという中で、おおっ!というコーチが二人。西村徳文ヘッドコーチと高橋慶彦打撃コーチ。

元ロッテの瀬戸山球団本部長の引き合いによるものだろうが、名前だけなら福良監督よりも知られている。西村ヘッドは初めて他球団のユニフォームだし、あの慶彦がカープではなくバファローズというのも、「ホンマにウチでええんですか?」という感じ。

まあ、今季の低迷からチームを変えようというのなら、こうしたコーチもいいかな・・・・。
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「飛び出し人形」は滋賀が発祥?

2015年10月14日 | 西国三十三所
先日、西国三十三所めぐりで観音正寺のある安土を訪れたのだが、その街中でよく目にしたのが「飛び出し人形」。細い道などで見通しの悪い四つ角に立てられ、子どもの飛び出し注意を促す立て看板である。

自宅の近くでは「そういえばあの辺にあったかな」という程度で立てられているが、この日安土の町を歩く中では結構な数を見かけた。中には四つ角ごとに「飛び出し人形」が並び、遠くから見ると角ごとに男の子が顔を出しているように見えなくもない。

また男の子だけでなく、他にもいろいろなバージョンがある。

この時は「飛び出し人形が多いな」という印象を持って帰ったのだが、これは安土に限ったことではなく、滋賀県に多く見られるとのこと。ネット検索すると、全国的に見ても滋賀県は「飛び出し人形」の数が最も多いという説もある。

昭和の高度成長期、街中にクルマの数が増えるとともに、交通事故の数も激化。何か対策をというので出てきたのが「飛び出し人形」で、八日市市(現・東近江市)にて、地元の看板業者に描かせたのが始まりと言われている。それが近隣に広がったという。

もっとも、交通事故の対策に人形の看板を立てるという取り組み自体は、それより前に他の自治体でも行われていたかもしれない。それでも、あの図柄というのは滋賀がルーツのようだ。

何か意外なことがわかって面白い。次は近江八幡の長命寺に行くが、同市の中心エリアも通るので、改めて見てみたいものである・・・。
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第32番「観音正寺」~西国三十三ヶ所巡り・33(安土城のロマン)

2015年10月12日 | 西国三十三所
観音正寺の参詣を終え、境内横の木戸から外に出る。観音寺城、桑實寺への道標がある。城跡らしく石垣も見える。

本丸跡へは5~6分も歩けば着くが、途中は倒木やら竹の密集地があり歩きにくい。それでも最後の石段を上ると思ったよりも広いスペースに出る。今でこそ木や草に覆われているが、観音寺城は山麓全体に屋敷を設けていたという。

この観音寺城を抜けると「ここから桑實寺の敷地です。入山料が必要」という看板が出る。道は下りに転じるが、先ほどの観音正寺のように急勾配ながら石段が整備されていたのに対し、こちらは自然の石積みの山道である。足をどこに下ろせばいいか迷う。下りでこういう道に出会うとまた膝の裏を痛めないか心配だ。山の北側の斜面で、先ほどと比べてもうっそうとした感じだし、地面もジメジメした感じ。それでも下から上がってくる人とたまにすれ違うが、いずれもキツそうな顔をしている。

それでも少しずつ高度を下げ、桑實寺の裏手に出る。ここにゲートがあり、通過するとインターホンの音が鳴る。これで本堂前の受付に参詣者(あるいは登山者)の来訪が知らされる。受付から僧侶の顔がのぞく。

桑實寺は天智天皇の勅願で、薬師如来を本尊とする。西国四十九薬師の46番目の霊場。・・・今の西国三十三所めぐりを終えると、おそらくいずれは行うであろう西国四十九薬師めぐり。ここを目当てに来る日もあるだろうが、せっかく来て入山料も払ったことだしお参りする。内陣にも入るよう勧められる。

本堂は南北朝時代に建てられたままの姿だという。観音寺城が戦国時代の戦火で焼けたのに桑實寺は無事だったのかと思うが、後でネットで調べたところでは、観音寺城は焼け落ちたのではなく、支城を落とされた六角氏は逃亡して無血開城したとある。ただこの観音寺城を城とするのではなく、すぐ横の安土に新たな城を築いたのが織田信長の先見性と言われている。

内陣にはお前立ちの薬師如来像を中心に、日光・月光菩薩、そして十二神将という「チーム薬師」がお出迎えである。こちらでも般若心経を読む。

今回は観音寺城方面から繖山を下りる途中に訪れたが、桑實寺に正面からお参りしようとすると長い石段が続く。観音正寺の1200段には及ばないが、それでも600段あるという。整備されているので歩きやすいが、それでも上る方は大変だ。山門まで下りたところで、「これからこの石段を上らなければならないのか・・・?」と躊躇顔の観光客の姿を見る。

少し先に電車が走るのを見る。先ほどは新幹線を見たがこちらは在来線。山の反対側に出たことを実感する。遠くに安土城跡が見える。せっかく来たのでもう一山登ろうかと思うが、さすがにもういいかなと。まあ、桑實寺にはまたいずれ来るだろうから、その時に行くことにするか。ただ素通りももったいないので、手前にある「文芸の郷」の一角にある「信長の館」に向かう。今ある城跡もいいが、この信長の館には、1992年にスペインで開かれた万博の日本館のメインとして出展された、安土城天主最上部の原寸大復元模型が展示されている。

入るとちょうどシアターの上映時間で、先にそちらを見るように案内される。「絢爛 安土城」というもので、安土城や家臣の館、城下町の様子をCGで再現した映像が流れる。完成した安土城に招かれた宣教師のルイス・フロイスが、建築の総棟梁を務めた岡部又右衛門に場内を案内されるというもので、映像技術もあって見ている側も疑似体験ができる。安土城で行われたという盂蘭盆会の夜景が幻想的だった。

そして復元された天主の最上部分。5階の造りが八角形というのも城としては異様で、仏教の世界観を表しているという。法隆寺の夢殿に通じるとでもいうのか。中は釈迦説法図や天人影向図などが描かれている。信長と言えば延暦寺焼き討ちのように旧来の仏教を否定しているイメージがあるが、根のところではこうした世界観もリスペクトしていたのか。

続く6階は四角形の造り。こちらは古来中国の孔子、老子、周公旦など。

他の見どころとしては、信長が安土城に徳川家康を招いて饗応した料理の復元模型もある。海の幸、山の幸を揃え、現代の私たちから見ても豪華に映る。この饗応役に当たったのが明智光秀。家康に最大限のもてなしをしようと心配りをしたのだが、「支度が行き過ぎている」として信長の逆鱗に触れたとか(昔読んだ歴史物では「料理が腐っている」として信長の逆鱗に触れたということが書かれていたように思うが)で、饗応役を外され、備中高松城で毛利軍と戦っている羽柴秀吉の応援に向かうよう命じられる。光秀はご存知のとおり本能寺で信長を討つのだが、その謀反の原因(の一説)とされているのが安土城での仕打ち。その料理の展示というのも面白い(写真を撮らなかったのは残念)。

先にも書いたように安土城訪問は次の機会にということで、駅に戻る。信長の館から駅前は歩いて25分ほど。周りはのどかな風景が広がり、安土という遠くヨーロッパにもその名が知られた城下町の面影というのを感じないのが不思議だ。

食事ということだが、安土の駅前はそれほど店があるわけでない。その中に一軒あるそば屋「さわえ庵」に入る。「竜王そば」という幟が名物を表している。竜王というのは名神高速のインターチェンジもある竜王町のこと。兼業農家のサラリーマンが「自分で育てたそばで手打ちそばを食べたい」ということから、転作田を活用したそばの栽培を始めたのが「竜王そば」の誕生で、その後そばの栽培も広まり、それを食べさせる店としてできたのが「さわえ庵」という。今では地産地消のいいモデルとしても知られているそうだ。そばそのものも素朴な味わい。

別に注文したのはふな寿司。滋賀を訪れると毎回といっていいほど食べるか、買って帰るかしている一品である。何かこう、クセになるというか。

今回はこれで帰宅の途に着く。やってきたのは高槻まで各停の網干行き。大阪まで乗り換えなしで戻れるということもあって車内では爆睡・・・・。
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第32番「観音正寺」~西国三十三ヶ所巡り・33(山上の堂宇)

2015年10月11日 | 西国三十三所
安土駅から繖山を登り、観音正寺へ。西国札所はまず山門の仁王門があるのだが、観音正寺には門がなく、仁王像が露天で出迎える。同じ滋賀の岩間寺も同じような感じだったかな。仁王像の脇に小屋があり、入山料を支払う。

観音正寺を開創したのは聖徳太子ということで、境内には太子像がある。近江を回っていた聖徳太子は、琵琶湖から出てきた人魚と出会う。その人魚は前世で漁師をしており、殺生を業としていたためこのような姿になってしまったという。人魚は繖山に寺を建てて成仏させてほしいと懇願し、太子もその願いを聞き入れて千手観音を彫り、ここに堂宇を建てたという伝承がある。その後、近江源氏である佐々木六角氏の庇護を受けて隆盛したが、織田信長が観音寺城を攻めて六角氏が滅亡すると寺も荒廃してしまう。復興したのは江戸時代に入ってからのこと。

茅葺きの小ぢんまりしたお堂がある。北向地蔵ということで、真言を唱えると願いが一つだけ叶うとされている。こういう「一つだけ」というのも結構迷うものである。ここはお堂の造りが独特に見え、記念撮影する参詣者も多い。

境内からは繖山の南側の眺望が楽しめる。この日は空気が霞んでいて遠くを見ることはできなかったが、先ほど歩いて来た道が見える。新幹線も走る。新幹線というのをこういう角度から見るのは初めてだ。

本堂は新しい建物である。というのが、明治時代に彦根城の御殿を移築した本堂が、1993年に火災により焼失し、2004年になりようやく現在の本堂が再建されたという経緯がある。山の上のこととて消火もままならなかったこと。参道のあちこちにも山火事注意の標識があったし、消火用の水が入ったドラム缶が置かれていたのもうなずける。ただ、現在の本堂の再建工事にあたり、山中から湧水が出たとのこと。これも観音様のおぼし召しということだろうか。もうこれ以上焼失するということがないように・・・。

本堂には右手から上がってくださいとあり向かうが、その前に石積みに圧倒される。城の石垣というのではなく、何か仏教的なものがあるのかと思わせるが、これは土砂災害防止のための石積みだという。それでも石の上に観音像も置かれ、前の蓮池と合わせてちょっとした庭園風である。

本堂に上がる。内陣は入れないが「どうぞ前のほうでお参りください」と声をかけられる。御簾の下から覗き込むと本尊の千手千眼観音像が安置されている。本堂が焼失した際に本尊も一緒に焼失したのだが、再建にあたり新たに安置されたものである。制作したのは松本明慶師。そういえば紀三井寺の大観音像もこの人の手によるもの。材料はインドから輸入した白檀。白檀はインドの輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が20数回もインドを訪れ、度重なる交渉の結果、特例として輸出を認められたという。

お勤めの後、朱印をいただく。書かれたのは「繖山大悲殿」。合わせて、登る時に参道の手すりにぶらさげられていたことわざをまとめた小冊子を求める。登る時はじっくりと読むことはなかったが、改めて中身を見ると、例えば、

「人の一生に厄年はない 躍進の『やく』と考えよ」

「安易な生活からは人生の貴重な体験は生まれない」

「もっとも幸福な人はいつも行動している人である」

「人間は逆境にきたえられて自信と確信が生れる」

「昨日より今日 今日より明日」

・・・といったことがある。励まされたり、耳が痛いなと思う言葉が並ぶが、新たに年を取った自分へのメッセージということで謹んでお受けすることにする。問題はこれを実践することだが・・・。

さて、ここから次の行き先を決めるサイコロである。

1、2・・・姫路(圓教寺)

3、4・・・東山(今熊野観音寺、清水寺、六波羅蜜寺)

5、6・・・近江八幡(長命寺)

近江八幡って、ここ安土も同じ近江八幡市であるが、やはりエリアとしては別物と考える。もし近江八幡が出たとしても、長命寺だけならこの後帰りがけに寄ればいいことだが、そこはどうせなら町歩きや水郷めぐりとセットで行きたいから、次の機会としたい。

そして出た目は・・・「5」。何だか出そうな予感はしていた。

さてここから下山する。登ってきた表参道でもなく、バスで能登川に抜けられる裏参道でもなく、観音寺城跡から桑實寺を通って繖山の北に出るルート。境内の木戸をくぐって再び山道に入る・・・・。
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第32番「観音正寺」~西国三十三ヶ所巡り・33(繖山に挑む・上り)

2015年10月10日 | 西国三十三所
私事ながら、昨日10月9日は誕生日。年齢は・・・さておくとして、まあ、今更誕生日を祝ってどうのこうのという歳でもない。

ただ、これを機に何かけじめになるようなことをしたい。ならばということで、そろそろ終盤戦を迎える西国三十三所巡りである。誕生日の翌日である10日に出かける。ちょうど、これからの身体健全を祈るにはいいかもしれない。行き先は前回の丹後の松尾寺でのサイコロの出目により、安土にある観音正寺である。

この観音正寺、安土の繖山(きぬがさやま)の山中にある。標高は433メートル。山の上にあることの多い西国の札所にあって最難関の一つとされている。身体に負荷をかけてこういう山を登るのも、誕生日を迎えて新たに気を引き締めるのにいいだろう。

観音正寺そのものは聖徳太子により開創されたとあるが、名前として広まっているのは「観音寺城」である。以前、「信長の野望」のゲームをやっていたが、南近江の領主は観音寺城を本拠とする六角氏である。ただこの六角氏が弱小大名の設定で、ゲームでもすぐに滅ぼされてしまう。逆に六角氏でプレーして全国制覇をするのは至難の業とされている。そんなこともあって名前は以前から聞いたことがある。ただ実際にそこに行くのは初めて。

観音正寺へのアクセス方法だが、クルマなら山の中腹まで林道を上ることができる。ただ公共交通機関となると、JRの能登川駅からバスで麓のバス停まで出て、裏参道を40~50分上るとある。一方で表参道もあるのだが、上り口の石寺集落は安土駅から4キロほどのところにある。そしてそこから1200段の石段が続く。また、安土駅から安土城近くの文芸の郷まで30分ほど歩き、そこから桑實寺を経て繖山を登るルートもある。さてどのルートを通るか。

能登川からバス利用も考えたが、どのルートでも結局は繖山に登らなければならないのだから、表参道から行くことにする。安土駅から麓の石寺集落にたどり着くまでが時間がかかるが・・・・。

朝に大阪から新快速に乗車。しかし安土は新快速が停まらない駅である。一つ前の近江八幡で下車して、10分以上待って次の列車に乗り(それならば、もう少し後に大阪を出る快速に乗ればそのまま来れた)、安土で下車する。私は安土のことを「安土町」だと認識していたのだが、平成の大合併で、実はここも近江八幡市に合併されたというのに初めて気づいた。商人の町として知られる近江八幡と、織田信長の安土というのが一緒になるというのはイメージしにくいが、近江八幡とすれば信長という魅力的な観光スポットを手にしたというくらいのものだろう。

窓口の横に、西国巡りのJRのスタンプがあったので先に押す。スタンプは安土駅と観音正寺境内にある。駅でのスタンプは改札または窓口の係員に言って押してもらうのだが、安土駅は時間帯によっては窓口が閉まり、係員も不在となるようだ。そのため、スタンプは窓口の外に出して自由に押せるようになっている。

駅前には織田信長の銅像が出迎える。レンタサイクルの店もある。一応は観光地の玄関のようではあるが静寂な感じである。駅舎は線路の北側にあるが、繖山は線路の南側。まずは徒歩で観音正寺を目指すということで、地下道をくぐり南側に出る。ここから石寺を目指すのだが、「ぐるっときぬがさコース」として、自転車、歩行者向けに繖山の周りをぐるりと回る形での散策コースが設定されている。

駅から10分ほどのところで、由緒ありげな林に出る。沙沙貴神社(ささきじんじゃ)。少彦名神を祀るとともに、平安時代からは佐々木源氏一族の氏神として信仰を集めたところである。境内に入るとちょうど祈願が行われており、弊殿内の神主の祝詞がスピーカーで境内全域に聞こえている。私も、観音正寺参詣を前に、ここで手を合わせる。

本殿の横には権殿がある。ここには日露戦争の二〇三高地の激戦で知られる乃木希典も祀られている。説明を読むと、乃木というのも佐々木源氏をルーツに持つ一族であり、明治天皇没後の殉死で神格化されたようなところもあってここで祀られることになったようだ。権殿の前には乃木希典のお手植えの松もある。いや、安土に来てこの人の名前に触れるとは全く予想していなかった。

目指す繖山はこのような形。あの頂上まで登らなければならないというのは結構ハードに思う。それでも、ここまで来れば歩いて行かなければならない。

旧安土町庁舎(現在は近江八幡市役所の支所扱い)を過ぎ、集落を歩く。田園が開けるところに出る。進行右手の先に、新幹線の線路が姿を現す。場所で言えば、線路の南側はロッテの工場である。新幹線に乗った時のこの辺りの車窓を思い起こすことができるような方であれば、「あの辺か」とお気づきだろう。

しばらくは新幹線の高架を遠くに見て歩くが、さすが東海道新幹線。数分おきに新大阪方面、あるいは名古屋・東京方面から列車がやって来る。しばらくヒュンヒュンという通過音を響かせて遠ざかって行くが、その頻度というのが実に数分おきなのである。確かに「のぞみ」「ひかり」「こだま」の三種が並んでおり本数は多い。実際に歩くだけでも何本もの列車の通過が見られる。最初こそカメラに収めたが、そのうち慣れて気にならなくなった。

ただ逆に目をやると、繖山である。ちょうど山上近くにお堂のようなものが見える。そこが、これから目指す観音正寺である。

石寺に到着。地元産の野菜などの直売もある石寺楽市の建物。ここ石寺は日本で最初の楽市が開かれたとされるところ。今は観音正寺の表参道の玄関口である。店の前には竹杖が相当数置かれているが、この日は繖山に登った帰りは反対側の桑實寺経由のルートで駅に戻るつもり。たから杖を借りても元に戻すのはかなり後になりそう。

集落の歩道脇に、観音正寺まで十二丁の距離というのを示した石標がある。これまで西国巡りをする中で、いくつかの札所はこうした山道で「○丁」という石標を頼りに、あるいは励みに登ったものである。今回の十二丁はそれらより短いように思うが・・。

コンクリートの坂道を上り、日吉神社に着く。ここまでは軽トラくらいなら坂道をクルマで登ることができる。ただその坂道も途切れ、石段が続く。距離はそれほどでもないのだろうが、勾配はキツイ。このところ歩行不足もあるのだが、これは結構キツイ。そんな中、上から軽快に「こんにちは~!」と声をかけて降りてくる人もいる。

表参道の途中で駐車場に出る。クルマでの参詣なら林道で上がってくることができる。ただ最後は石段を歩くことになる。もっとも駐車場から上は石段の真ん中に手すりも設けられており、手すりには法話というかことわざを書いた木札がぶら下がる。下から33番で、番号をさかのぼる。こういうのを見るのも励みだが、それでも時折立ち止まる。石寺までの1時間の歩きの影響もあるのかもしれない。

途中立ち止まったりはしたが、結局石寺からは30分弱で境内にたどり着く。参詣客はクルマで来たとおぼしき人もいる中で、完全なハイキングスタイルの人も。私も下から徒歩で上がってきたというものの、出で立ちはそうしたハイキングスタイルではなく、ただの町歩きの延長である。気候はすっかり秋だが、ここまでの歩きで汗びっしょり。まあ、前回の松尾寺は独立リーグ観戦がセットだったといえクルマで山上まで登ったこともあり、その分も安土駅~観音正寺まで歩いたということにしておこう。

これから参詣である・・・。
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カープは阪神からなんぼ貰うたんか?

2015年10月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
・・・というくらいの情けない結果。

前日の記事で、今季最後の熱戦を期待することを書いたが、終わってみれば「手に汗握る」ではなく「手に屁を握る」情けない試合。

一部には、「甲子園での田中の本塁打の誤審がなければ・・・」とする向きもあるのだろうが、断然有利の条件で負けるなんて。今、巨人の福田投手の野球賭博が問題になっているが、それ以上にカープの選手たちが敗退行為をして何らかの個人的利益を得ようとしているのでは。

・・・いや、もちろんそんなことはないにしても、それくらい疑わしく思っているということ。

これでまた関西マスゴミのバカ騒ぎ、「和田監督下克上の日本一で有終の美や!!!」というのが延々と流れるのかと思うと苦痛。

カープこそ金本を監督にして、徹底的に鍛えなおせや・・・。
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