まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第8日(大館~米沢)

2018年06月30日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。本州に入ると、第三セクター線に移行した路線や区間はあるものの、多くは当時と同じ鉄路をたどることができるのかと思う。

さて『最長片道』では夜行列車で盛岡入りしたこともあり、第7日の時点で秋田まで進んでいるが、2018年版机上旅行は「通し打ち」のため、旅程の半分にも至っていない。この先、『最長片道』との差が縮められるかどうかである。

大館を早朝に出発して、奥羽本線で弘前を目指す。この辺りの鈍行もロングシートの車両が走るようになった区間である。まあ、この辺りは助走という感じで走ることになり、再び青森県に入り、弘前に到着する。城下町ということで見どころもあり、宮脇氏も『最長片道』では1時間半の待ち時間で弘前城と町並みを見物している。ただ、前夜の夜行列車の遅れや、花輪線の車内にカメラを置き忘れたことで気が滅入っていたのか、弘前の町も単に古い建物ばかりとあっさりと切り捨てている。

2018年版では早朝の弘前は乗り換えだけで、五能線直通の東能代行きに乗り換える。五能線といえば現在では超がつくくらいの人気ローカル線である。リゾートトレインも運転されている。夏の穏やかな景色もよいが、冬の厳しい日本海の景色というのも旅する魅力である。まずは岩木山とリンゴ畑の中を行き、鰺ヶ沢から海の区間となる。乗ってきた列車は鰺ヶ沢からは快速運転で、途中の小駅は通過してしまう。鈍行でトコトコと行く方がより風情を感じることができるが、全体の本数が少ないので致し方ない。秘境駅としても知られる驫木も通過してしまう。以前に、五能線に乗らずに、五能線の列車を外から見たり、途中のスポットに立ち寄りたいということで、この区間をレンタカーで走ったことがある。世界遺産の白神山地、十二湖、千畳敷、不老不死温泉など、素朴な魅力があるところも多い。

午前中を五能線の車窓で楽しみ、東能代に到着。次に乗るのは10時56分発の特急「つがる2号」。弘前を9時40分に出た列車で、五能線のぶんだけ3時間大回りしてきたことになる。次の鈍行でも秋田からの乗り継ぎに間に合うのだが、どうせロングシートの車両だろうからここは特急で行ってしまう。八郎潟の景色を見た後で秋田に到着する。次の13時00分発の特急「いなほ10号」まで1時間あまりあるので、昼食とする。秋田の郷土料理といえばきりたんぽやしょっつる鍋を連想するが、昼でもいただけるだろうか。宮脇氏は第7日は秋田で宿泊しているが(ホテルは事前に予約していた模様)、夜は川反で「鱩のちょっとしか入っていない塩汁鍋をつつき」とある。弘前での昼食でも食べに入りたい店が見つからなかったようで、この日の行程は前夜から当日夜までなかなかついていないものだった。

さて、2018年版では秋田で郷土料理のなにがしかを昼食でいただいたことにして、特急「いなほ10号」に乗り込む。乗り換えとなる坂町では3時間。おそらく、秋田の地酒を持ち込んで日本海を眺めながら「呑み鉄」に浸ることになるだろう。

車窓としてはまず象潟、鳥海山が挙げられる。酒田も北前船がもたらした都の文化が残る町である。『最長片道』では、朝秋田から乗った特急を鶴岡で下車している。次に坂町から乗る米坂線の列車までの時間があり、1時間半後に出る鈍行で行っても間に合うからである。鶴岡では鶴岡藩主だった酒井家の屋敷である致道博物館を見物している。2018年版でも同じことができるかなと時刻表を開けるが、鶴岡では次の鈍行は20分後に出て、坂町では1分しか待ち時間がない。無理して下車することもないか。

あつみ温泉を過ぎると再び日本海となり、笹川流れの景勝も過ぎる。一度、この沿線の民宿に泊まったことを思い出す。夕食にはさまざまな日本海の幸が並んだが、夏場ということで岩ガキもあった。生まれて初めての岩ガキで、夏でもカキが食べられるのか(どうしても広島の冬場のカキのイメージが強いもので)と驚いたものである。そう滅多に味わえるものではないが、たまに居酒屋のメニューで見かけると注文する一品である。

鮭の町で知られる村上を過ぎ、15時59分に坂町に到着。次の米坂線は17時12分発と、季節によっては最初から暗い中を走ることになるが、坂町は泊まるには淋しいだろうからもう1本、米沢まで行くことにする。新潟県から再び山形県に入る。

羽前椿という駅がある。私の勤務先企業で、CSR活動の一環としてこの駅から少し山に入ったところで森林育成活動を行っている。従業員や家族も植林作業や農業体験を楽しむことができる。以前にそこの田んぼで獲れた米をいただいたことがあったが、なかなかの味だった。

今泉を通る。宮脇氏が1945年(昭和20年)8月15日の終戦を迎えた駅である。当時18歳だった宮脇氏は父とともに駅前で昭和天皇の玉音放送を聞いたのだが、しばらくした後で米坂線の列車が普通に入って来たのに驚いたと後に振り返っている。そのような時でも時刻表どおりに列車が走っていたことに驚きとともに後々まで強い印象に残している。戦後から73年なので何とでも言えるのだが、8月15日の正午といえば全ての日本国民が玉音放送を聞き、ひれ伏して号泣したかのように綴られるが、実際には日々の仕事をしているなどで聞いていない人も結構いるのではないかとも思う。後から人づてに「戦争が終わった」と聞いた人もいるのではないだろうか。

19時15分、米沢に到着。『最長片道』では米沢に夕方に着き、その後で特急で一気に奥羽本線の横手まで行っているが、2018年版はここで第8日を終了。米沢といえば米沢牛ということで、これも美味しくいただける店があるだろうということで・・・。

※『最長片道』のルート(第7日~第8日)
(第7日)盛岡9:05(定刻8:45)-(花輪線)-12:22(定刻11:52)大館12:29-(急行「こまくさ」)-13:13弘前14:45-(奥羽本線・五能線)-19:34東能代20:19-(急行「むつ4号」)-21:17秋田
(第8日)秋田6:41-(特急「いなほ2号」)-8:35鶴岡10:16-(羽越本線)-12:30坂町12:42-(米坂線)-米沢16:09-(特急「つばさ3号」)-18:55横手

※もし行くならのルート(第8日)
大館5:48-(奥羽本線)-6:31弘前6:46-(奥羽本線・五能線)-10:41東能代10:56-(特急「つがる2号」)-11:44秋田13:00-(特急「いなほ10号」)-15:59坂町17:12-(米坂線)-19:15米沢
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第7日(函館~大館)

2018年06月29日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。十勝の広尾を出発して6日で北海道の区間をたどり終えた。『最長片道』では函館到着後、宮脇氏本人のスケジュールの関係ですぐに青函連絡船に乗り、青森から夜行の寝台特急で上野に移動しており、青森~好摩(花輪線との乗り換え駅)は夜行で通過となっている。次は改めて好摩から仕切り直しとなっている。宮脇氏の希望としては青森から再開したかったそうだが、東北から関東を回る連続した日程が思うほど取れず、プランニングの都合で次は上野からの夜行列車で盛岡に着き、好摩から花輪線に入るプランとなる。この辺りから、『最長片道』と2018年版の行程でズレが出てくる。2018年版はあくまで「通し打ち」のため。

さて、宮脇氏がこの旅の途中でテレビ観戦をしていた1978年の日本シリーズ、ヤクルト対阪急だが、滝川駅前のホテルで第3戦の阪急・足立の完封勝利を見た後は本文中に記載がない。当時の日本シリーズはデーゲームで行われていたから、汽車で移動している間に中継を見るということはそうあるものではない。ラジオでも携行していれば途中聴きながらとなるのだろうが、宮脇氏は旅先でそういうものは持たない。今ならスマホでリアルタイムにあらゆる情報が手に入るし、40年の間に変わったものの一つと言えるだろう。

その日本シリーズの第7戦ではある「事件」が起こった。1対0でヤクルトがリードして迎えた6回裏、大杉が阪急先発の足立から放ったレフトポール際への大きな当たりはホームランと判定される。しかし、これを不服とした阪急・上田監督が猛抗議を行った。最後はコミッショナーも仲裁に登場するなどして、結局1時間19分に及んだ。しかし判定は覆らず、さらに大杉が今度は文句なしのダメ押し本塁打を放つなどしてヤクルトが勝利、球団初の日本一に輝いた。

ちょうどこの試合が行われた日は宮脇氏は自宅にいて、試合後にその先の列車の指定券を買いに行こうとしていたそうだが、上田監督の抗議が長引いて行けなくなったと、「取材ノート」に記している。宮脇氏がひいきにするスワローズが初の日本一になったのだから喜びを書いているのかと思いきや、意識は目の前の『最長片道』の旅にあるようだ。その中で「これはファウルだと思う」としながらも、「上田は思い上がっている」という記載がある。上田監督が何のために1時間以上抗議したのか、その根っこのところは結局わからないまま、大杉も上田監督もあの世に行ってしまった。当時の各方面の証言を見る限りでは、「実はファウル」というのが強いとされているが、今のようにリクエスト制度、ビデオ判定があったら果たしてどうなっていたか。これも40年の歳月である。

・・・ということを下書き時点では書いていたのだが、その後に起こったのが、今年6月22日のオリックス対ソフトバンク戦での「誤審」。これについては私の以前の記事にあるので詳しい内容は省略するが、ビデオ判定を導入してもこういうことが起きてしまうのである。

さて、前置きが日本シリーズのことになったが、2018年版では函館で1泊する。いよいよ本州に渡るわけだが、当時のルートをたどる机上旅行ではもちろん北海道新幹線には乗らない。国鉄の青函連絡船は青函トンネルと引き換えになくなったが、この両区間を結ぶフェリーは運航されている。クルマやトラックで北海道と本州を結ぶなら今でもフェリーである。現在、青函フェリーと津軽海峡フェリーの2社が運航しており、どちらに乗船してもよいのだが、朝の少し早い時刻に出るということで、函館発7時40分の便に乗る。フェリー乗り場へは函館駅からタクシー、もしくは道南いさりび鉄道の七重浜駅から徒歩で向かう。船の乗り心地はどうだろうか。季節によって結構違いがあるのではないだろうか。

普段船酔いを感じないタイプなので、津軽海峡でも特に気分が悪くなることもなく本州に上陸。青森港から青森駅までは少し距離があるので、これもタクシーでの移動となる。学生時代に一度このフェリーの夜行便に乗ったことがあり、その時は青森から今はなき特急「白鳥」に乗り継ぐのに、1時間近くかけて駅まで歩いた。他に歩く人などおらず結構心細かったように思う。

さて青森駅。かつては本州の北の玄関口だったが、今は新幹線は隣の新青森を経由し、東北本線も第三セクターの「青い森鉄道」に転換されている。町の中心部に近いのは変わらないとして、旅行者にとっては少し物足りない駅になっているのではないだろうか。ここからは「青い森鉄道」、「IGRいわて銀河鉄道」と乗り継いでいく。青函連絡フェリーから青森駅までスムーズに移動できたとして、青森発12時ちょうどの八戸行きに乗車する。速達列車が新幹線になった一方で、第三セクター線の列車はほとんどが鈍行である。まずは陸奥湾に沿って、そして「三八地区」と呼ばれる下北半島の付け根を走っていく。三沢の次の向山という駅から歩いて10分ほどのところに「カワヨグリーン牧場」というのがあり、その中のユースホステルにも泊まったことがある。今はそうした施設に泊まることもなくなったが、学生から社会人に成りたての頃は、各地の旅行でユースホステルのお世話になったものである。

13時30分に八戸に到着し、引き続いて14時08分発の盛岡行きに乗る。青い森鉄道からIGRいわて銀河鉄道に直通する列車だが、このあたりの第三セクターの境界は県境と同じで、乗っている分にはそのまま会社をまたいでの乗車となる。境界は青森県側の最後となる目時駅だが、ターミナル駅でも何でもない普通の通過型の駅である。

岩手県に入っても、国道4号線(奥州街道)と山の中で並走する。東北新幹線はこの辺りの区間はほとんどトンネルで通過していく。そろそろ岩手山を望むというところで好摩に到着する。16時31分発の大館行きまで1時間ほど待ちとなる。

ここで、『最長片道』のほうの好摩までの道のりはどうだったか。

1978年の日本シリーズ第7戦は10月22日に終わったが、宮脇氏が再び出発したのは27日の夜。上野23時05分発の常磐線経由の夜行「ゆうづる13号」青森行きで盛岡まで行き、7時11分発の花輪線の列車に乗る予定にしていた。この花輪線の列車というのは、盛岡から東北本線に向かう客車と花輪線の気動車とが好摩まで併結されて機関車に牽引されるという変わった列車で、宮脇氏もそれを撮影しようと普段は持ち歩かないカメラを持参している。

しかし、上野発車のところで、常磐線の綾瀬で貨物列車の機関車故障が発生した。このため「ゆうづる13号」は上野で発車を待つことになった。これで翌日の行程は大幅な遅れとなった。先の花輪線の珍しい列車に乗れないのはともかく、この日通ることにしていた五能線の海沿いの区間が日没後になってしまうのが惜しいという。ただ、事故はいかんともしがたい。一方の時刻表の机上旅行は順調に進んでいるように見えるが、こちらも実際に旅をしたとして、どこか一ヶ所でも乱れれば全体がボロボロになるリスクがないわけではない。

さて、『最長片道』では「ゆうづる13号」は1時間44分遅れの0時49分に上野を出発して、8時54分に盛岡に到着した。合計では1時間54分の遅れということで、2時間以上遅れると特急券が払い戻しになるのだが惜しいところだった。もっとも、2時間遅れそうで遅れないのが国鉄の特急という見方も多かったようだ。定刻は過ぎていたが8時45分発の花輪線の気動車は接続待ちしており、これで最長片道切符の旅を再開している。好摩で停車時間があったので途中下車印を押してもらっている。

花輪線は岩手と秋田の県境を行く高原のイメージがある。現在は「十和田八幡平四季彩ライン」という愛称がある。『最長片道』では夜行明けの午前の列車に乗っているが、ここで2018年版に切り替えると、夕方の列車である。日の長い時季でも18時を回った鹿角花輪では暗くなっていることだろう。ただ、翌日の行程を考えるとここは暗い中を1時間ほど走って終点の大館まで行く。大館は忠犬ハチ公を含めた秋田犬の産地だとか、比内地鶏も美味いところである。秋田の酒とともに比内地鶏を味わえる店はあるだろうか。北海道から東北に入り、いよいよこれから本州各地を回ることになる。

『最長片道』では大館から先も同じ日に回っているが、ここでいったん記事を切ることに・・・。

※『最長片道』のルート(第7日)
上野0:49(定刻23:05)-(寝台特急「ゆうづる13号」)-8:54(定刻7:00?)盛岡9:05(定刻8:45)-(花輪線)-12:22(定刻11:52)大館・・・(以下は次へ)

※もし行くならのルート(第7日)
函館-(バスまたはタクシー)-函館フェリーターミナル7:40-(津軽海峡フェリー)-11:20青森フェリーターミナル-(タクシー)-青森12:00-(青い森鉄道)-13:30八戸14:08-(青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道)-15:30好摩16:31-(花輪線)-19:20大館
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第6日(札幌~函館)

2018年06月28日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後にたどるとどうなるかの机上旅行。第6日は北の都会である札幌から出発である。

『最長片道』では、第6日は小樽を出発して、函館本線(山線)で倶知安まで行き、胆振線に乗っている。この胆振線もご多分にもれず1986年、国鉄民営化の直前に廃止され、道南バスに転換されている。このバスだが、倶知安から室蘭本線の伊達紋別まで結ぶのは7時10分、10時26分、18時30分の3本だけである。結構厳しいが、移動の需要がその程度なのだろう。

この中で実際に利用できるのは倶知安10時26分発となる。7時10分発だと、小樽方面から接続する列車がない。また18時30分発だと、バスの区間は真っ暗な中。それも「もし行くなら」面白くない。その中で10時26分発だと伊達紋別から室蘭本線、函館本線、そして「砂原線」を乗り継いでも夕方に函館に着ける。

倶知安からのこのバスに乗るなら、札幌を7時前に出れば間に合う。朝の石狩湾の景色を見るところもあり、小樽まで移動する。運河や鉄道関係の観光ができないのは残念だが、8時すぎの列車で倶知安に向かう。ウイスキーの町である余市も過ぎるが、朝からウイスキー、ハイボールというのはさすがの呑み鉄でもキツそうだ。この後は勾配とカーブの多い区間を走り、倶知安に着く。『最長片道』ではこの区間は旧型客車の列車で通っており、乗り合わせた客が客室の座席を上手く利用して「寝台」を作っていた光景に感心している。

倶知安で1時間待ちとなるのは仕方ないとして、ここからかつての胆振線のルートを走る。今や日本人より外国人の姿が多くなったというニセコも近い。乗り換えとなる胆振線転換の道南バスだが、ルートだけ見るとニセコアンヌプリ、羊蹄山、昭和新山、洞爺湖も近く、観光ルートとしてアピールできないものかと思う。個人的には、壮瞥町の北の湖記念館にも立ち寄りたいところではある。

伊達紋別に到着。明治になり、伊達氏の支藩だった亘理の藩主が開拓したことからその名前が冠せられている。『最長片道』では宮脇氏は伊達紋別から洞爺に移動し、タクシーで洞爺湖と有珠山の泥流を見物している。2018年版では伊達紋別に着いたのが昼過ぎということもあり、先を急ぐことにして残念だが観光は断念することになる。一気に特急で移動するが、せめて噴火湾沿いの車窓は楽しめるだろう。

森に到着。特急はこのまま函館に向かうが、最長ルートを行くなら「砂原線」を通ることになる。函館本線は森~大沼間は2つの経路に分かれていて、元々は駒ヶ岳の西を急勾配で結ぶ線があったのだが、後に遠回りだが駒ヶ岳の東を緩やかに走る線が敷かれた。砂原というところを通るので通称「砂原線」である。現在は急勾配もクリアする気動車特急も走るようになったことから、特急は基本的に短距離の駒ヶ岳西側ルートを行くようになり、「砂原線」はローカル列車が細々と走る区間となった。この区間は大沼公園を経由ルート、そして「砂原線」、いずれも景色が良かった印象がある。なお、『最長片道』で乗車した急行はこの「砂原線」を経由して函館に向かうのだが、途中の大沼で下車している。宮脇氏は最後に「北海道の旅の終りを鈍行列車の車窓から見届けたいような気持」から、鈍行に乗り換えたのだ。その気持ちはよくわかる。

2018年版では、運が良ければ森で「いかめし」の駅弁を入手した後、砂原線回りの鈍行列車で終点の函館に向かう。途中の新函館北斗は現時点での北海道新幹線の終着である。この先本州に向かうならここで乗り換えとなる。まだ北海道新幹線には乗ったことがないのだが、新幹線で東京、さらにその先まで結ばれるというのは一種独特の感想を持つのだろう。

函館に到着。『最長片道』では14時34分に函館に到着し、そのまま青函連絡船に乗っている。さらに青森からは寝台特急「ゆうづる10号」で上野まで乗っている。宮脇氏のスケジュールの都合で青森でいったん旅程を中断することになり、また青森に戻るつもりで東北本線の好摩までは夜行で通過することになった。

一方で2018年版はどうするか。函館到着は17時41分、通常なら新函館北斗から北海道新幹線に乗って本州に渡るところだが、40年前のルートを通るので函館から青森までフェリー(もちろん、国鉄の連絡船ではないが)に乗る必要がある。この後の時間でもフェリーが出ているが、青森の到着が夜中である。この先クルマで移動するならともかく、深夜でホテルにチェックインすることもできない時間に青森に降り立って、そのまま夜明けを待つのもアホらしい。それならば函館に泊まり、北海道最後の夜を楽しむことにする。

函館ということで函館山からの夜景を見たり、イカ料理を味わったり、温泉に入るのもいいだろう。作家の辻仁成さんが青年時代を過ごした町ということに思いを馳せるのもいい(一時はこの人の作品もいろいろ読んだものだ。近年、何だか残念キャラで売っているように見えるのには幻滅だが・・)。

さてこれで北海道の6日間、『最長片道』のペースと前後することはあったが、同じ6日で北海道を回り終えることになった。前後の移動日は必要だが、これはこれで一つの旅のルート、観光もほとんどなくひたすら北海道の乗り物に乗り倒す旅としてはありなのかと思う。その中で、かつては鉄道だけで移動できたルートが現在では多くがバスになったり、あるいはそのバスすら廃止されていたりと、公共交通機関を取り巻く環境がより厳しくなっている実態も目の当たりにするのだろう。机上旅行をしながらも、もし本当に行くなら40年前よりもハードな旅になりそうな、そんな印象を持った。

この先は本州編。『最長片道』では本人のスケジュールやら、列車のトラブルもあったようだが、机上旅行なのでこのまま進んでいく。果たしてどのような車窓を見ることになるのだろうか・・・。

※『最長片道』のルート(第6日)
小樽5:51-(函館本線)-7:38倶知安7:46-(胆振線)-10:33伊達紋別10:42-(室蘭本線)-洞爺11:36-(急行「すずらん2号」)-13:41大沼13:48-(函館本線)-14:34函館15:05-(青函連絡船)-18:55青森21:10-(寝台特急「ゆうづる10号」)-6:35上野

※もし行くならのルート(第6日)
札幌6:52-(函館本線)-7:38小樽8:05-(函館本線)-9:18倶知安10:26-(道南バス)-12:50伊達紋別13:57-(特急「スーパー北斗12号)-15:15森16:13-(「砂原線」・函館本線)-17:41函館
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第5日(鬼志別~札幌)

2018年06月27日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。2018年版はここまで廃止路線の転換バス、あるいはその転換バスすら廃止されてしまった区間をなんとかつないできている。旅の進捗は40年前よりも遅れており、第4日を終えてオホーツク海側の猿払村の鬼志別にいる。

鬼志別と稚内を結ぶ路線バスは1日6便。その始発である6時37分発で出発する。この後の列車の乗り継ぎを考えるとおよそ1時間後の次の便でもよいのだが、あえて始発に乗ったのはわけがある。この路線が本土最北端の宗谷岬を経由するからだ。これは『最長片道』ではなかったことで、切符のルートからは外れるがここは一旦下車する。7時21分着で、次の便は8時29分発とある。私も宗谷岬を実際に訪ねたのは学生の頃だからかなり前のこと。確か3月だった。雪も積もり、どんよりした曇り空で風も強かった。岬にあった土産物の公衆電話で自宅に「宗谷岬から」と電話をしたのだが、その時に大相撲の春場所の中継をやっていて、画面では大阪城と梅の花がをバックに翌日の取組予定を流していた。大阪の春の訪れと北海道の冬の景色の差というのを何となく憶えている。

バスは9時14分に『最長片道』の経路である南稚内に到着する。次に乗るのは南稚内10時31分発の名寄行きだが、当然始発は稚内。せっかく日本最北端の駅が近いのだから、ここはバスにそのまま乗り、稚内駅から名寄行きに乗ってもいい。『最長片道』でも急行「天北」を終点の稚内まで乗り通しており、そこで宿探しをしている。結局駅前のホテルはどこも満室で、結局タクシーで南稚内駅前まで移動してホテルに泊まっている。夜には宗八カレイを食べたとある。一夜干しにすると美味いカレイである。

宗谷本線を南下すると、利尻富士からサロベツ原野を望む区間である。北海道らしい車窓を楽しめるだろうが、現在、稚内から幌延までは1日に特急が3便、普通が4便しか走らない。この線路も果たしてこの先どこまで持つのかどうか危惧されるところである。

2018年版の旅では11時34分に幌延に到着。乗り換えるのは羽幌線からの転換バスである。今度は日本海に沿って走る。こちらも羽幌線の廃線跡が残されているようである。

もう10年以上前か、TBSのドラマで『砂の器』(中居正広さん主演)をやっていた。これは松本清張原作だが、舞台を平成時代に移して設定も大きくアレンジされたもので、作品としての賛否はいろいろ分かれるところだが、日本海側のいくつかのロケ地というのが印象に残っている。丹後半島だったり但馬の海岸だったり、青森の五能線沿線というのもあった。その一つに、全国を放浪する親子が鉄道の廃線らしきところを歩くシーンも印象に残っている。これが羽幌線の羽幌の北、初山田町の金駒内川橋梁である。

羽幌線では幌延から留萌まで4時間近く要したが、転換後の沿岸バスは同じ区間を3時間半ほどで結んでいる。これから乗るのは留萌本線だが、留萌から増毛までは2016年に廃止されている。

またこの6月17日、JR北海道は、残った留萌から深川までの区間も2020年度を目処に廃止する方針を地元に示した(ちょうど、この記事の下書きをした日のことである)。おそらく、その通りに事が運ぶのだろう。今は2018年版として机上旅行のダイヤを組んでいるが、これもまた変わることになるのだろう。ちなみに、合わせて廃止の方針を示したのは根室線の富良野~新得、札沼線の北海道医療大学~新十津川、日高線の鵡川~様似だという。富良野から新得までも対象となると、この机上旅行の第1日もまた様相が変わってくる。今後、北海道の鉄道というのはどれだけが残ることになるのだろうか。

『最長片道』ではこの先の接続ダイヤをあれこれ思案する中で、滝川で1時間半ほど待ち時間を捻出している。この日は日本シリーズの阪急対ヤクルトが西宮球場で行われており、スワローズファンの宮脇氏は駅前のホテルの喫茶室でテレビ観戦をしている。1勝1敗で迎えたこの第3戦は阪急のベテラン・足立が好投。阪急打線も加藤秀司、島谷、中沢のタイムリーが出て5対0、足立が3安打、三塁も踏ませない完封勝ちを収めた。宮脇氏も「あまりに見事な負けっぷりなので、かえってさっぱりした」と本文で記している。これ以後、本文内で日本シリーズに関する記載は見なくなるが、その後ももつれる展開となり、この5日後の第7戦では、日本シリーズの歴史として今でも語られる「あの事件」が起こることになる・・・。

2018年版は深川から特急で一気に岩見沢まで移動するが、『最長片道』では鈍行で移動している。711系という交流電車だが、この形式は私も乗ったことがある。JR全線の乗りつぶし(当時)に、最後の区間となった深川から旭川まで乗ったのもこの形式で、今では老朽化により全て新車に置き換わったが、近郊型として結構長く活躍した車両である。

室蘭本線の終点でもある岩見沢に到着。『最長片道』では16時42分発の旧型客車+荷物車という編成で沼ノ端まで進んでいる。こちら2018年版では岩見沢の到着が18時ちょうどということで、これまでのペースならここで宿泊となるが、この日は先が日が暮れてからになるが、少々無理して札幌まで進むことにする。その理由は翌日の第6日の行程にあり、本当なら『最長片道』同様小樽まで行ければベストなのだが、さすがにそれは到着が遅くなりすぎるので、北の都である札幌泊まりとする。

おそらく、乗り換えの時間で岩見沢の駅近くで夕食として、暗闇の中を気動車で淡々と進み、沼ノ端からは電車で淡々と札幌に向かうことになるだろう。札幌に着くのは22時すぎだが、おそらく北海道一の都市はまだまだ賑やかだろう。さすがにススキノまで遠征するのは厳しいので、駅近くでもう一杯行くか・・・。

※『最長片道』のルート(第5日)
南稚内6:14-(宗谷本線)-7:38幌延8:02-(羽幌線)-11:50留萌12:12-(留萌本線)-13:38深川13:49-(函館本線)-14:11滝川15:46-(函館本線)-岩見沢16:42-(室蘭本線)-18:20苫小牧(※切符のルートは沼ノ端までだが、苫小牧まで乗り越して札幌に早く着ける急行に乗車)18:30-(急行「ちとせ17号」)-19:27札幌19:28-(函館本線)-20:13小樽

※もし行くならのルート(第5日)
鬼志別6:37-(宗谷バス)-7:21宗谷岬8:29-(宗谷バス)-9:25稚内10:31-(宗谷本線)-11:34幌延12:19-(沿岸バス)-15:48留萌16:17-(留萌本線)-17:15深川17:19-(特急「ライラック36号」)-18:00岩見沢19:38-(室蘭本線)-20:56沼ノ端(※この先苫小牧まで行っても札幌への特急に手頃な時間がなく、素直に乗り換えた方が早着する)20:58-(千歳線)-22:04札幌
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BCリーグ観戦記・滋賀対富山@甲賀市民(滋賀に住みます芸人の応援もむなしく、2018年後期も大丈夫かいな・・)

2018年06月26日 | プロ野球(独立リーグほか)
西国三十三所の31番・長命寺で滋賀ユナイテッドの必勝を願い、近江八幡から八日市と近江鉄道を乗り継ぎ、水口城南から甲賀市民スタジアムに到着する。6月24日の試合が後期のホーム初戦となるが、前期の初めのほうに同スタジアムに来た時と比べると周りも静かだし、受付周辺も閑散とした感じである。やはり成績が成績だからだろうか。

スタンドに入る。階段を上がったすぐのところ、三塁側スタンドの外野寄りの一角は私設応援団「近江豪勝連合」の面々が1ブロックまるまるを使って陣取っている。私はそれよりホーム寄りに座るからいいのだが、あの一角は他を寄せ付けない雰囲気がある。後から来た人も常連さんらしい方ばかり。グラウンドでの練習を見つつ、飲み食いしながら時間が過ぎるのを待つが客足は悪い。そんな中でも対戦相手の富山GRNサンダーバーズのファンらしい人が滋賀の応援団と挨拶を交わしながら一塁側に向かう。お互い「常連さん」なのだろう。

たかが年に2回目の私は常連さんでも何でもなく、一般のおっさんとしてグラウンドの練習を見る。ちょうど富山の練習中。今季から富山を率いるのは、かつてはヤクルトでスライダーを武器に活躍した伊藤智仁。また、野手コーチでノックバットを振るのは、富山OBでもある大士(永森)。

そんな中で滋賀の選手たちもアップを開始する。一際大きな声を出しているのが、チームの4番であり野手コーチも兼ねるベネズエラ出身のジョニー。昨年までは富山に在籍していたこともあり、あちらのファンからの声援にも日本語できちんと応えている。

試合前のイベント。この日は、吉本興業が全国47都道府県で展開する「住みます芸人」の滋賀県担当ということで、ファミリーレストランというコンビが登場。初めて聞く名前だが、滋賀県を舞台に地道に活動しているそうで、毎週土曜日昼にFM滋賀で放送の「GO UNITED!」という滋賀ユナイテッドの応援番組も持っているそうだ。大阪府民なのでオンエアを聴く機会はないのだが、そういう応援はプラスだろう。試合前、そして試合中にユナイテッドの選手に登場してもらってインタビューなど行い、何とかスタンドを盛り上げようとしていた。なおこの日のイベント司会や、場内放送はFM滋賀のベテランの女性DJが務めるということで、こちらもなかなかキレがあってよかった。ただ悲しいのはスタンドの反応が今一つ、全体に観客が少なくて・・・。

滋賀のメンバー紹介が一人ずつ行われ、好々爺という感じの松本匡史監督も登場する。前期あれだけボロボロだったのに、サングラスの向こうの表情は穏やかに見える。なお、当初は不在だった投手コーチには前期途中から元ロッテの成本年秀氏が就いている。

始球式もファミリーレストランの2人が務める。それぞれがマウンドに立って何かボケようとするが、お互いに「時間あらへんで!」ということでそれも不発。何か投げて、本人たちが勝手にガッツポーズを決めているが、スタンドからの拍手はまばら。お仕事なのはわかるが、もう少し何とかならないものかなと思う。

さて試合。滋賀の先発は193cmと長身の鈴木。富山先頭の河本の当たりは三塁線へ。抜ければ長打コースだがこれが三塁塁審に当たり内野に戻る。結果はシングルヒット。しかし次の榎本のところで鈴木が一塁牽制球でアウトにする。まずは0点でしのぐ。

一方の滋賀の攻撃。富山の先発はラミレス。上半身の力で強い球を投げるタイプに見える。先頭の湯井がこちらは三塁線を破る二塁打で出塁。続く山川のバントはフライになって失敗したが、3番・杉本がヒットで一死一・三塁とする。続く4番・ジョニーのところで杉本が盗塁を決めて二・三塁とチャンスを広げると、ジョニーも期待に応えてライトへのタイムリー。2人が生還して2対0とする。ここまでいい形で、これは長命寺のご利益が出るかなと期待する。

しかし、次の前本の当たりを富山のセンター・マクシーがスライディングキャッチすると、完全にセーフと思って飛び出して二塁まで行っていたジョニーが一塁に戻れず併殺となる。ジョニーは「捕っていない」という感じでアピールし、審判団も一度は集まるが判定はそのまま。あのくらいなら、スタンドから見ていてもわかる。これがケチのつき始めの判断ミスだったように感じる。

3回までは滋賀のほうが押す展開だった。鈴木が富山打線に対して2回、3回は三者凡退とする。滋賀の打線も2回は二死二塁、3回は二死満塁とチャンスを作るが、最後でそれぞれ次の打者が空振り三振に倒れる。ラミレスの投球がピンチに強いものだと言われればそれまでという感じである。

4回表、富山は2四球と1安打で一死満塁と逆転のチャンスを作る。迎えた5番・長尾のところでランナーが飛び出すが、滋賀の守備陣はこれに翻弄される。どこに投げてアウトにすればよいか判断ができず、結局オールセーフとなる。こんな守備をしていたのでは先がおぼつかない。そんな中で長尾に押し出しとなる死球を与え、2対1と詰め寄られる。ここは何とか後続を退けて追加点を許さなかったのがせめてもの救い。

続く5回表、富山は先頭の林崎のヒットを足掛かりとして、河本のタイムリーで1点挙げて2対2の同点とする。続く榎本もレフトへのタイムリーを放ち、3対2と逆転に成功する。

さらに6回表、富山は先頭の長尾が四球で出塁。この回から登板の高橋だが、続く金子のところでボークを取られ、その後2四球で二死満塁とされる。そこで先ほどと同じく河本のタイムリー、榎本のタイムリーで合計3点。6対2と引き離す。これで試合は完全に富山ペースになる。

滋賀の打線も何とか追いつこうとはするのだが、4回以降は富山の継投の前に早いカウントからあっさりと打ってしまうか、空振り三振ということでピタリと当たりが止まってしまう。一方で富山打線も7回以降も得点圏にランナーを進めるが得点できない。

そして9回裏、滋賀の応援団が必死で声援を送るも、富山の抑え・菅谷の前に無得点。結局6対2で富山の勝利。これで富山は後期開幕2連勝、一方の滋賀は後期開幕2連敗である。前期から通算すると滋賀の成績は5勝30敗1分で、その5勝にホームでの勝利はない。そんな有り様だが、試合後に観客を見送る滋賀の選手からそれほど悔しさのようなものが伝わってこないのはどういうことだろうか。どうせ勝たれへんさかい・・・という気持ちはないだろうか。

なおこの日の観客は192人(4月に観戦に来た時は361人だったから半減である)。日曜日の試合でこの入りでは、この先観客動員も大丈夫なのかと思う・・。

さて、列車の時間が合えば水口城南から貴生川まで近江鉄道に乗ろうかと思ったがタイミングが良くなく、そのまま貴生川駅まで歩く。やはり20分ほどかかった。こちらも草津線の草津行きが出たばかりで、次は17時06分発の京都行きとある。ただ、ホームで待つのも暑いし、乗り降り自由の「関西1DAYパス」を持っている。一旦柘植方面まで移動し、列車の中で涼んで行き違いとなるところで京都行きに乗り移ることにしよう。

ということで貴生川16時46分発の柘植行きに乗る。京都行きと行き違いになるのは甲賀駅だが、そこだと柘植行きの到着と同時に発車してしまうので、一つ前の寺庄で下車することにした。

ただここで待てよと。このまま柘植まで行って、関西線に乗り換えるとどうなるか。検索すると、17時05分に柘植に着いた後で、17時12分発の加茂行きに乗り換えることができる。後は加茂で大和路快速に乗り換えると19時すぎに天王寺に着く。貴生川から京都行きに乗り、途中で新快速に乗り換えて大阪を経由するのとそれほど時間が変わらない。ICカードだと柘植から加茂の区間に乗れないが、1DAYパスならではのルート。先ほど近江八幡から近江鉄道に乗ったのと合わせて、一筆書きのルートができ上がる。

これは面白いとしてそのまま柘植まで乗り続けた。ホームの「忍者、伊賀上野へは1番線へ」という乗り換え案内に忍者が登場する。やって来た気動車はキハ120の2両編成。いずれもオールロングシートで、それぞれの車両にポツポツと乗っている程度。混雑する新快速を避けてこうして移動するのも面白いものだ。山がちな区間だが、往年の幹線らしいゆったりした路線である。

伊賀上野を経由し、笠置では渓谷も見て加茂に到着。ここで18時07分発の大和路快速に乗り継ぐが、ホームの電光掲示板に「お知らせ」として、「芦屋駅での線路内人立ち入りのため、JR神戸線・京都線の列車に遅れや運休があります」との表示があった。もし貴生川から草津回りで帰路に着いていたら影響があったかどうか(このトラブルはそれほど大きな影響はなく、すぐに運転は再開された模様)。

さて、BCリーグ観戦だが夏に向けてどうするか。行ければせめて北陸方面にも行ってみたいところではあるが・・・。
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第31番「長命寺」~西国三十三所めぐり2巡目・26(西国めぐりとBCリーグ観戦のコラボ)

2018年06月25日 | 西国三十三所
5勝28敗1分。勝率1割5分2厘。

これは野球独立リーグのBCリーグ・滋賀ユナイテッドの2018年前期の成績である。もちろんリーグ西地区の最下位であるが、発足1年目の昨年でも勝率は3割を超えていた。2年目ともなればもう少し健闘してもよさそうなものだが、勝率1割台の下のほうって・・いったいこれはプロの数字なのかというところである。

6月22日に前期日程を終え、前期優勝は東地区が群馬ダイヤモンドペガサス、西地区が福井ミラクルエレファンツとなった。その翌日から早速後期日程が始まり、24日に後期のホーム開幕として甲賀で行われる滋賀ユナイテッド対富山GRNサンダーバーズ戦が観戦に手頃かなと行くことにする。

そこで出たのが、西国三十三所めぐりの2巡目。滋賀県では31番の長命寺と32番の観音正寺が残っている。このうち、近江八幡駅からバスでアクセスできる長命寺に行き、草津まで戻って草津線で貴生川まで行って、スタジアムまで徒歩20分・・・というルートを組んでみた。試合開始は13時、まあ独立リーグの試合なのでスタンドが満席になることはないが、早い時間に着けばそれに越したことはない。

東海道線や草津線に乗るので、前日に「夏の関西1DAYきっぷ」をみどりの券売機で購入する。3600円で、天王寺~大阪~近江八幡~草津~貴生川~草津~大阪~天王寺と移動するなら元が取れる。このきっぷ、車内のポスターなどで宣伝する割には、今年の春のぶんからだったか、前日までに購入するルールとなり、当日の購入ができなくなった。また、その場で購入できるのはみどりの券売機のみとなり、窓口では、あらかじめ電話やネットで予約したぶんの引き取りしかできなくなった。他にいくつかのトクトクきっぷにも同じような制限が設けられた。窓口の係員の負担軽減とか混雑緩和ということなのだろうが・・。

さてリュックに数珠や西国先達の納経帳の巻物と、BCリーグの選手名鑑を突っ込み、いつものように藤井寺を始発で出発する。天王寺で「1DAYきっぷ」を改札に入れて、大阪6時21分発の快速米原行きに乗る。青春18きっぷの時季なら結構混む(さらに米原から先の大垣、名古屋方面に乗り継ぐ客も多い)が、この日はそれほどでもない。朝のうちは大阪市内も雨が残っていたが、進むうちに空も晴れてくる。

7時38分、近江八幡に到着。長命寺へのバス乗り場に向かう。駅前にはこの日に行われる滋賀県知事選挙のポスターが飾られている。どのくらいの人が投票に行ったのだろうか(ちなみに選挙結果は現職の三日月氏が投票締め切り直後に当選確実が出た)。次のバスは7時50分発。この系統は近江八幡の城下町の伝統的な町並みや、水郷めぐりの舟乗り場も経由するが、まだ時間が早いためか観光客らしい姿は見えない。乗っているのはほとんどが近江兄弟社高校の部活の生徒15人ほどで、ヴォーリズ学園前の停留所で下車して行った。

前回長命寺を訪ねた時は、水郷めぐりの舟に乗った後で、なぜか長命寺までの長い道を歩いた。そして帰りに城下町の町並みを歩いた。その時のことなど思い出しながらバスに揺られる。20分ほどで終点の長命寺に着く。

さて、ここから本堂までは石段が続く。その数は808段あると表示されている。これは正確な数だろうか。途中に微妙に石を入れているようにも見える。ふと頭に浮かんだのは、「江戸の八百八町」、「大坂の八百八橋」という言葉である。これらは、きちんとその通りの数があるというよりは、それほどの勢いでたくさんの町や橋があるという意味だそうだ。だとすると、長命寺の808段も「段数がめっちゃある」という意味なのだろうか。気になるなら数えて上がればいいのだが、さすがにそれは大変だ。

朝だし、木陰に覆われているのだが、やはり体を動かすと暑く感じる。タオルとペットボトルを手に上る。他に上る人も、上から降りてくる人もいない。黙々と石段を上る。前日の雨でぬかるんでいたり、石に水溜まりができているところもあり、足元には注意だ。

上り始めて15分あまりで駐車場に出る。クルマで来ると残り100段ほどの、ここからはコンクリートで固められ手すりもついた階段を行くだけだ。先に来ていた人は皆さんクルマのようで、階段を下りて駐車場に向かっている。

最後に階段を一上りして山門に着く。手水を使う時、両腕にも水をかけて冷やす。階段の上にそびえるのは国の重要文化財に指定されている本堂。寺そのものは聖徳太子が武内宿禰の長寿にあやかるとして十一面観音を彫って安置したのが始まりとされているが、本堂は1524年の建立という記録が残されている。本堂の左側から上がり、外陣でお勤めとする。長命寺に必勝祈願のご利益があるか、得意分野かどうかは定かではないが、この後で観戦する滋賀ユナイテッドの勝利をお願いする。

本堂の周りには三重塔や三仏堂、護法権現社などが並び、境内の奥から見た並びが何とも言えない。ちょうどあじさいも八分咲きというくらいの開きである。これだけの境内だが拝観料、入山料がいらないというのも良心的(?)に見える。「あれだけの石段上らせといて、その上でカネ取るんか」というクレームがあったのかもしれないが・・・。

長命寺から琵琶湖を見下ろすことができるが、本堂の正面からだと木に覆われていてほんの隙間からしか見えない。その奥にある、長命寺の総鎮守である太郎坊権現社からだと琵琶湖の眺望が開けており、正面に薄っすらではあるが近江富士の姿も見ることができる。やはり上って来ただけのことはある。

本堂の後でこれら諸堂を回るうちに、白衣、笈摺姿の人たちが本堂に入っていく。西国めぐりの団体だろうか。ちょうどお勤めがかぶらなくてよかった。一通り境内を見たこともあって階段を下りて行く。団体さんもさまざまな年齢層がいるのか、早くに上がった人の後で、ご年配の方がキツイなあと言いながら上がってくる。まさか808段の下からではなく、観光バスから横持ちのタクシーかマイクロバスで駐車場まで上がって残り100段という方たちだろうが、それでも悲鳴と言う感じである。「100段くらいでヒイヒイ言いなさんな」と言いたいのを喉のところでこらえる。また、100段も上がることができないのか、駐車場にある長命寺の石柱のところで般若心経を唱えている方もいた。せめてお経だけは上げたいという、それだけの信仰をお持ちなのだろう。

そういうのを見たためか、帰りも車道を歩くことはせずあえて石段を下る。上りより下りのほうが足に来るところだが、四国八十八所めぐりのように金剛杖は持ってきていない。すべりそうなところもあるので慎重に下ったつもりだが、途中一ヶ所でズルッと2段くらい滑り台のようにこけた。幸いケガはなかったが、ズボンの後ろに泥がかかった。先ほど団体さんのことをちょっと見下したように思ったことに対して観音様から注意されたのかもしれない。すんません。

その後は滑ることも足に来ることもなく、石段を上る3人の方とすれ違って元の上り口に到着した。ちょうど9時20分発の近江八幡駅行きが停まっており、さっさとこれに乗る。元々の予定ではこの1~2本後のバス便になるかと思ったが結構早かった。2回目ということで境内にいた時間も前より短かったこともあったと思う。

途中の停留所ごとに少しずつ乗客があり、9時38分に近江八幡駅に着いた。思ったより早い展開で、あることを思いついた。

これから甲賀市民スタジアムがある貴生川に向かうのだが、普通ならJRで草津まで行き、草津線への乗り換えとなる。この時間からだとそれが最速なのだが、近江八幡から貴生川へはもう一つ、近江鉄道がある。八日市まで行って乗り換えるのだが、次の近江八幡発彦根行きが9時44分とある。バスの中でスマホの乗換検索によると、この彦根行きで八日市を下りると、15分待ちの10時19分発の貴生川行きがある。近江八幡から八日市までは30分に1本だが、八日市から貴生川は1時間に1本。この便に接続できるのはラッキー。これに乗ると11時ちょうどに、貴生川の一つ手前の水口城南に着く。実は、甲賀市民スタジアムの最寄駅は水口城南で、駅から歩いて10分ほど。これまでは貴生川からアクセスしていたが、水口城南から行くのも面白いだろう。到着時間も申し分ない。

ということで土日祝日限定の1日乗車券「ワンデイスマイルチケット」を880円で購入。八日市で時間待ちのため途中下車することから、普通にきっぷを買い足すよりも1日乗車券のほうが安い。とにかくどんな形でも乗ってもらおうという近江鉄道の苦肉の策なのだろう。

JRの新快速と比べるとグッとローカル色が増す感じで出発。ローカル私鉄といえでも冷房はちゃんと効いており、先ほど暑い中石段を上り下りした後なので余計に涼しく感じる。そんな近江鉄道に乗るのも久しぶりである。空もすっかり晴れて、田んぼの青もよく映えて見える。もう何年も前のことになるが、正月の時季に旅・野球観戦の仲間である鈍な支障さん、そして今は亡き大和人さんと近江鉄道を乗り歩いたことがある。その時は多賀大社と太郎坊宮に行った。太郎坊宮の奇岩が車窓を通しても見える。

八日市に到着。次に乗るのは10時19分発の貴生川行き。ホームの側線に往年の赤とクリーム色で「赤電」と呼ばれた塗装をまとった車両が停まっている。乗り換えのために跨線橋を渡るところに、滋賀県知事の投票を呼び掛けるお笑いコンビのダイアンさんと、西武グループということで埼玉西武ライオンズの山川選手のポスターが並んでいるのにうなる。

続く貴生川行きものどかに進む。自転車の持ち込みも可のようである。

京セラ前という駅に着く。近江鉄道のあるあるではないが、京セラドーム大阪(拙ブログではいつも「大正ドーム」と呼んでいるところ)の最寄駅と勘違いしてこの駅に降りる方(特に遠方から来て関西の交通事情をよく知らない方)が年に何人かいるのだとか。近江鉄道と近畿日本鉄道がごっちゃになっている人もいるのだろう(ちなみに「ドーム前駅」は近鉄とは直通しているが阪神の駅)。こちらの京セラ前は、駅の横が木々で覆われていてわかりにくいが、本物の京セラの工場前。ただ、ふと駅名標を見ると、隣が「さくらがわ」となっている。これは阪神も同じで、ドーム前の難波方面の次の駅は桜川である。この辺も話をややこしくしているのだろう。

かつての蒲生氏の根拠で、その後は日野商人を輩出した町である日野を過ぎると、東近江市から甲賀市に入る。東海道五十三次の宿場の一つだった水口に差し掛かる。

水口城南に到着。ホーム1本だけの駅であるが、駅舎は案外しっかりした造りである。水口には江戸時代から続く曳山祭りというのがあるそうで、駅前には各町の曳山がパネルで紹介されている。

この辺りは新しくできた甲賀市役所も近く、コンビニやスーパー、ホームセンターなども揃っている。これから球場に行くのに飲食物はこの辺りで仕入れればよいだろう(一応球場にも屋台は出ているが、品揃えで言えばこちらのほうが充実)。コンビニで一通り仕入れてリュックの中に入れて、球場方面に向けて歩く。野洲川を渡れば球場はすぐそこで、果たして駅から10分ほどの歩きだった。帰りも時間が合えば水口城南まで戻り、残りの1駅、貴生川までの区間を乗り通すことにする。

時刻は開門の11時半の少し前。そこは滋賀ユナイテッドのファンクラブ会員の特典ということで先行入場できるのでスタンドに入り、バックネット後方の席に陣取る・・・。
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第4日(中湧別~鬼志別)

2018年06月24日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。第4日は今は無き名寄本線と湧網線の接続駅である中湧別から始める。網走からオホーツク海側を走る路線というのが国鉄民営化の前後で相次いで廃止されており、この日もバス乗り継ぎが多くなる。ローカル線めぐりというよりは、テレビ東京系で放送するローカルバスの旅に近くなっている。

中湧別から紋別まで北海道北見バスに乗車する。このバスは第1日に通った遠軽が始発で、遠軽から中湧別までは当時の名寄本線の営業キロで16.2キロしか離れていない。遠軽と中湧別の間は1時間に1本ほどバスが走っている。紋別というところもオホーツク海側でそれなりの町だと思うのだが、鉄道が廃止されて町も廃れているのかどうか。

『最長片道』は第4日を紋別からスタートさせているが、5時28分の名寄行きに乗っている。宮脇氏はこの日の予定をはっきりさせていない。稚内に泊まることを前提としても、切符のルートをそのままたどるのは物足りないとしている。ルートからは外れるが、当時の超赤字ローカル線だった美幸線や深名線にも立ち寄りたいとあり、そのために早起きして紋別を出発している。

2018年版では紋別で雄武行きに乗り継ぐ。この雄武というのも、かつて走っていた興浜南線の終着駅である。このままバスをオホーツク海沿いに走ったほうが車窓としては面白そうだし、稚内にも早く着くのだが、『最長片道』のルートをたどるので途中の興部で下車する。紙の時刻表上では10時50分着で、名寄行きは同じく10時50分発とある。ただ、バス会社も異なるし、道路事情もあるだろうからこの便での乗り継ぎとはせず、次の便を待つことにする。

興部からは内陸部に入り、天北峠を越える。名寄にバスが着くのは13時57分。『最長片道』では名寄には8時前には着いているから、直通する列車とバスの乗り継ぎの差は大きい。ただ、これも致し方ないかなと思う。2018年版の宗谷本線の時刻表を見ると次に乗るのは14時31分発の特急「サロベツ1号」だが、その前はというと9時56分発の特急「宗谷」である。4時間半も開いている。

『最長片道』では早起きした分、名寄から深名線で朱鞠内まで往復している。深名線は名寄から深川を結んでいた路線で、豪雪地帯を行くことで知られていた。北海道のローカル線の写真でも、深名線といえば雪の中を走るシーンを多く見たように思う。先にも書いたように超赤字路線だったが、冬期の代替道路が未整備ということで廃止を免れてきた。しかし道路も整備されたということで、1995年に廃止、後はJR北海道バスが運転されている。

また、『最長片道』では名寄から宗谷本線で北上する途中、美深で途中下車して美幸線にも乗っている。こちらは美深からオホーツク海側の北見枝幸(当時の興浜北線の終着駅)を結ぶ路線だった。比較的歴史は浅く、美深から仁宇布まで開業したのは1964年のことである。しかしその先に線路が延びることはなく、その区間自体の輸送量がきわめて少ないことからご多聞にもれず赤字ローカル線となった。一時は営業係数がワースト1になったこともあり、それを逆手に取って「日本一の赤字線」というのを売りにしたこともある。今ならそのようなPRは乗り鉄を中心にウケるのかもしれないが、当時はそれで状況が好転するというものでもなかった。1985年、開業からわずか20年あまりで廃止となった。後は名士バスが走っていたが、2012年からは路線バスから予約方式の「デマンドバス」に変更されている。鉄道廃止~バス転換~その転換バスも廃止、もしくは限定的な運転に縮小~誰が乗るねん・・・というスパイラルである。

2018年版では深名線や美幸線のその後をたどることはなく、「サロベツ1号」は15時22分に音威子府に到着。ここで下車して、かつての天北線のルートを行く宗谷バスに乗り換えとなる。全国的にも有名な駅そばも何とかいただける・・・かな(定休日は水曜日とのこと)。

音威子府から鬼志別行きのバスは16時18分発。天北線のルートを行くが、稚内までは直通せずにいすれも鬼志別での乗り換えとなる。乗り継ぎで行けるのは1日3便。これもローカルバスの実態である。天北線は元の宗谷本線として開業したが、現在のルートができてからは支線の扱いとなった。それでも急行「天北」が走るなど、稚内と旭川・札幌を結ぶルートの一部ではあったが、1989年に廃止となった。現在は転換バスでつなぐことはできるが、音威子府~中頓別の間については特に利用が少ないとして一時は廃止の話も出たそうである。沿線自治体の負担が増加することから見送りになったそうだが。

『最長片道』では急行「天北」で稚内まで行き、結局は南稚内で泊まっている。2018年版でも稚内まで行きたいところだが、先のバスが鬼志別に着くのが18時40分。乗り継ぎの稚内行きは20時22分発で、稚内到着は22時。いくらなんでも遅すぎる。中途半端かもしれないが、鬼志別での宿泊とする。幸い、こちらもビジネス旅館が何軒かあるようだ。

何だかかつてのローカル線の廃止について列挙したような感じだが、40年前と比べていかに北海道の鉄路が消えて行ったかを実感することになるルートである・・・。

※『最長片道』のルート(第4日)
紋別5:28-(名寄本線)-7:52名寄8:17-(深名線)-9:25朱鞠内9:31-(深名線)-名寄10:35-(宗谷本線)-美深12:52-(美幸線)-仁宇布-(美幸線)-13:54美深13:59-(宗谷本線)-14:49音威子府15:12-(急行「天北」)-17:49稚内-(タクシー)-南稚内

※もし行くならのルート(第4日)
中湧別TOM8:25-(北海道北見バス)-9:25紋別10:04-(北紋バス)-10:50興部12:25-(名士バス)-13:57名寄14:31-(特急「サロベツ1号」)-15:22音威子府16;18-(宗谷バス)-18;40鬼志別

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ビデオ判定で誤審ってどないやねん

2018年06月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦が終わり、リーグ戦が再開。交流戦の最後が何だか後味のよくない引き分けだったので、前の記事は乱暴な書き方になったのだが、気を落ち着かせなければ・・・。

神戸でのバファローズ対ホークス戦はAクラス攻防戦となる大事な3連戦の初戦。こちらも1点を争う試合となった。終盤には前日の試合で負傷した吉田正も代打で出場。スイングして走り出した瞬間に足を引きずるようにしていたのが「無理せんでも・・」と気になったが、それでも執念のヒット。残念ながらその後の得点にはつながらなかったが、何とか勝利につながらないかと思ったものだ。

で、延長戦。ランナー1人置いて、この日2ランを放っているホークス中村晃の当たりはライトのポール際へ。テレビで見る限り、打った瞬間はポールの外側かなと。打った中村も「惜しいなあ」という表情をしていた。ヒヤヒヤしてさて次・・・というところで何やら審判団が集まっている。おかしいと思ったのは、三塁側ベンチに「リクエストしませんか?」というように言っていたように見えたこと。ホームランだと思うのなら、監督が積極的にリクエストすると思うのだが、工藤監督にはその様子はなく、「じゃあ、リクエストしましょうか」と言っているように見えた。

で、判定の結果はホームラン。スロー映像を見るとポールの外とも内とも、肝心なコマが飛んでいるのでどちらとも言えない感じ。解説の野田浩司さんも「フェアゾーンにも見えますかね」と言っている。で、判定はホームラン。打席の中村が「マジで?」と半信半疑のような表情で一塁に歩き出した。

延長戦で勝ち越しの2ラン。こらあかんわ、とその時点でテレビを消した。試合もそのまま5対3でホークスの勝利。痛い1戦やなあとそのまま寝た。

で、翌朝に記事を見ると、このホームランが誤審だったとある。リクエスト判定のシーンについては試合後に審判団が改めて確認することになっているようで、この時は、試合後に猛抗議をしていた福良監督も確認に加わったという。そこで出た判定はファウル。審判団は誤審を認めて謝罪したが、試合が成立したためにホークスの勝利も、中村のホームランもそのまま記録として残ることになった。

いや、これはやってられんでしょう。福良監督が怒るのも無理はない。

ただ、この試合がドームではなく神戸だったというのがポイントだったかもしれない。一応準フランチャイズ球場とはいうものの「ローカル試合」の位置づけなのか、カメラの映像が1種類しかなかったために十分な検証ができなかったともされている。ドームの試合なら別の角度からのカメラで検証することもできたかもしれない。

このリクエスト制度という「物言い」は、客観的な検証ができるということである程度うまく行っていると思う。監督や選手が抗議するシーンもほとんどなくなった。中には選手の士気を高めるためにわざと抗議する監督もいると思うが(かつて、ベースを投げた外国人監督もいましたね)、あまりそういうのが得意でなさそうな福良監督などは「物言い」をつけることで自軍にプラスとなる判定を引き寄せることもできる。ただ、フランチャイズ球場でないところでのカメラの角度や映像の解析度など、やはり課題は残りそうだ。かと言って地方巡業の全てに最新のカメラを配置するのも難しいから、最後は「審判がちゃんと見てくれよ」に帰結するしかないだろう。今回の判定は後味が悪いが、審判団が誤審を認めたのなら仕方ないかなという気持ちである。今日以降の試合には悔しさを取り返してほしい。

相撲なら「同体と見て取り直し」という、味があるというか、日本らしい判定があるが、野球では「投げ直し」「打ち直し」というわけにもいかないからな・・・。
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交流戦パ・リーグ1位とか交流戦MVPと言っても、阪神に勝たなければ何の意味もない。

2018年06月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
交流戦の最終戦。

本当に、これに尽きる。

最後の最後で阪神に敗けたことで、関西のマスゴミは万歳の大合唱、朝っぱらからそのことばかりを報道する。バファローズのパ・リーグ1位とか、そんなものは何も報道されない。これまでの勝ち星も、阪神に負け越したというその一点で何ら意味をなさない。

よりによって、京丹後の変人に打たれるって、一番打たれてはアカン奴に何さらしとんや。

こんな体たらくでリーグ戦再開とは、先が思いやられる。大喝や。賞金返上せえや。
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第3日(中標津~中湧別)

2018年06月20日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。第2日を終えた時点で、『最長片道』の行程よりも早く旧標津線の中標津まで来ている。

標津線は根釧原野の林業や鉱産物の開発を目的として建設され、厚床から中標津を経て根室標津までの区間と、中標津から釧網本線の標茶までの区間とに分かれている。子どもの頃に、北海道のローカル線の写真集を見て、標津線沿線の牧草地が広がる雄大な景色というものに憧れを持ったことがある。そうしたローカル線は私がJRの乗りつぶしを行うようになった頃には北海道の廃止対象のローカル線はあらかた廃止となってしまったが、雄大な景色が広がるというのが、逆に言えばそれだけ沿線の人口が少なく、路線として維持していくのは難しいという現実でもあった。

また、中標津は山田洋次監督の映画『家族』で、長崎の伊王島から旅をする一家がたどり着いた舞台でもある。伊王島から長崎への渡し船に始まり、在来線の特急、大阪万博、新幹線、夜行列車、青函連絡船、北海道のローカル急行、果ては蒸気機関車が牽引する客車列車・・など、映画というよりは旅のドキュメント風に移動していく展開が、今の乗り鉄が見ても面白かった作品である。列車でたどるだけでも、当時の日本の様相、都会と地方の乖離というのが垣間見えるというのもあった。

厚床から中標津までは根室交通のバスだったが、中標津から標茶までは阿寒バスが結んでいる。現在「標津線」で検索をかけると「廃線跡」というキーワードが表示されることが多い。昔の駅や線路跡が残されている(中には草に埋もれているもの)ところが結構あるようで、その筋のファンには人気の路線のようだ。

標茶に到着。1時間20分ほど待った後に、釧網本線の快速「しれとこ摩周」号に乗る。北海道の中でも観光色の強い路線である。知床斜里を過ぎるとオホーツク海沿いを走る。私はそのシーズンに行ったことがないのだが、冬なら流氷が見られるかもしれない。網走には11時53分に到着する。

『最長片道』では網走に到着後、湧網線に乗っているが、列車の発車まで時間があったため、タクシーでモヨロ貝塚を見物している。この湧網線もオホーツク海沿いをかつて走っていたローカル線だが、1987年、JR発足直前に廃止、バス転換されている。この机上旅行では、次に乗るのは網走バスの13時36分発の常呂行き。1時間半ほど時間があるので昼食と市内見物ということになるが、時間的に網走刑務所は無理としても、モヨロ貝塚くらいなら何とか行けそうだ。

網走バスに乗車する。能取湖の南をぐるりと回り、再びオホーツク海に面して網走から50分ほどで終点の常呂である。で、ここからどうするかだが、紙の時刻表、そしてパソコンを見て思わず「ギャッ」と言ってしまった。

もともと湧網線の転換バスは中湧別~網走を走っていたが、乗客数の減少などのために2010年に廃止されたという。それを受けて、湧別町と佐呂間町、佐呂間町と常呂町、網走市を結ぶコミュニティバスが運転されているようだ。ただ、ホームページなど見る限りでは、湧別町と佐呂間町を結ぶ乗り合いタクシー(すでにバスですらなくなっている)は毎週火・水曜日のみ運行(1日2往復)で、さらには事前の予約が必要だとある。また、佐呂間町と常呂町、網走市を結ぶコミュニティバスに至っては毎週水曜日に2往復するだけというものである。これでは佐呂間町を挟んで乗り継ぐのも無理で、事実上先に進めないに等しい。全国で数多くのローカル線の転換バスが運転されたが、年月が過ぎるとそのバスですらこのようになくなってしまうものである。

先に進むなら、網走から石北本線に乗って遠軽まで行き、遠軽からはかつての名寄本線をたどる形で中湧別に行けばよい。ただ、北見~遠軽間が重複するし、なるべく『最長片道』をたどるのなら何とかオホーツク海沿い(ここまでくればサロマ湖沿い)に行きたいところだ。

で、どうするかだが、おそらくあるという前提で、常呂から中湧別に向けてタクシーに乗ってしまおう。ただ、そのまま中湧別を目指すのではなく、湧網線の駅だった計呂地を目指す。距離にして40キロあまりを普通に走ればという前提で、計呂地からの15時36分発の湧別町営バスに間に合う・・ということで何とかつなぐことにする。このバスにもし間に合わなければ2時間半後の最終便を待つか、あるいはタクシーでそのまま中湧別に行くか。

いずれにしても、『最長片道』の40年後というのは、早くも3日目にして公共交通機関すらつながらなくなるという、地方交通の厳しい現実に直面することになる。今残っているコミュニティバスもどうなることやら。

中湧別には16時04分に到着。少し早いがこの日はここで終了。『最長片道』ではこの先名寄本線で紋別まで行っているが、待ち時間があったので名寄本線の支線である湧別まで往復している。この名寄本線の支線は1日わずか2往復しかない。

ここで移動距離では逆転された形だが、まあいい。かつての中湧別駅は現在は道の駅になっているそうで、鉄道資料館や中湧別文化センターTOMという施設もある。かつての姿に思いを馳せるのもいいだろう・・・。


※『最長片道』のルート(第3日)
根室5:31-(根室本線)-6:30厚床6:33-(標津線)-7:38中標津7:46-(標津線)-標茶9:52-(急行「大雪6号」)-12:02網走14:23-(湧網線)-17:00中湧別17:17-(名寄本線)-17:25湧別-(名寄本線)-中湧別18:10-(名寄本線)-18:47紋別

※もし行くならのルート(第3日)
中標津6:57-(阿寒バス)-8:25標茶9:47-(快速「しれとこ摩周」)-11:53網走13:30-(網走バス)-14:21常呂-(タクシー)-計呂地15:36-(湧別町営バス)-16:09中湧別TOM
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第8番「不動寺」~近畿三十六不動めぐり・18(青壁の不動明王と戦没者の回向)

2018年06月19日 | 近畿三十六不動
午前中から昼にかけて箕面の勝尾寺を参詣後、千里中央に戻る。昼食後に訪ねるのは近畿三十六不動の第8番である不動寺である。千里中央から豊中行きのバスに乗るのだが、系統がいくつかあり、どのバスかなと案内板を見ると、「豊中不動尊」というバス停が目に入った。確か不動寺の案内では最寄りは「宮山」というバス停ではなかったかと思うが、豊中の不動さんだからそういうバス停の名前になったのか、あるいはそこから歩いて行けるのかなと思い、ちょうど停まっていたバスに乗り込む。

駅前の団地群を抜けて住宅街に入ると、「豊中不動尊」のバス停に着いた。目の前に寺の門があるが、ん?どうもホームページ等で見たのとは様子が違う。この時、「豊中不動尊」と「不動寺」が別物であることにようやく気づいた。今振り返ればここで降りて豊中不動尊にもお参りすればよかったかと思うが、その時は「バスを間違えた」という気持ちだけでそのまま座り直し、そのまま住宅街を抜けて豊中駅まで乗った。ちなみにこの豊中不動尊は確かに「豊中のお不動さん」の愛称で親しまれている真言宗単立の寺で、戦後、豊中の駅前に鎮座していたのだが、駅前の市街地整備にともない1963年に現在の島熊山の地に移転したものだという。

片や、目的地である不動寺は、平安時代に弘法大師によって開かれたとされる。修行中、兎我野の地で七色の光を放つ石を見つけ、五輪の宝塔に仕上げ、不動明王の梵字を刻んで祀ったのが始まりという。その後、嵯峨天皇や後鳥羽天皇の勅願寺となり、豊臣秀吉や徳川家の庇護も受けていた。ここで出る兎我野というのは大阪キタの繁華街・・・というか、太融寺と同様のラブホテル街もあるところ。元々は寺町だったということのようだ。不動寺はその地に長く鎮座していたのだが、太平洋戦争での大阪空襲で堂宇がすべて焼失してしまった。戦後に再興されたのだが、寺の周辺がそういう歓楽街になったことで行事もやりにくくなったそうで、1966年に現在の地に移転した。近畿三十六不動霊場が発足したのが1979年のことなので、移転先で札所に選定されたわけだが、それまでの長い歴史が評価された形なのだろう。

豊中駅でバスを乗り換えて、今度は宮山に到着。道路沿いに不動寺への案内の看板もある。完全に住宅地の中、緩やかな上り坂を5分ほど行くと、不動寺の石柱の前に出た。山門もなく開かれた感じで、そのまま境内に入る。

身代わり不動の石像があり、その両側に階段がある。右手の階段を行くと護摩堂がある。こちらは戦後兎我野に再建された護摩堂を移築したものである。

他にも、白鹿神を祀る祠や、弘法大師堂もある。摂津国八十八所の札所にもなっている。その横のスペースは紫橙護摩道場で、毎年11月3日に大護摩供と火渡りの行事が行われるという。

そして本堂に着く。コンクリート造りで、中では法要を行うくらいの広いスペースがありそうだが、一般の参詣者は入口に設けられた祭壇でお参りする。正面の青地の壁に不動明王が描かれている。ご本尊はおそらくその奥の部屋にでも祀られていて、法要など特別な時のみ中に入れるのだろう。

その不動明王の壁画を前にお勤めとして、五大力明王(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)の真言を唱える。不動明王はともかく、他の4つのカタカナ読みは慣れないので詰まってしまう。

本堂奥の納経所に向かう。こちらはさらに新しい建物である。バインダー式の納経帳に朱印をいただく。その奥にトイレがあるのでお借りしたら、本堂の裏に墓地が広がるのを見る。

その入口に「殉国英霊墓」というのがある。不動寺がまだ兎我野にあった当時、昭和初期からの戦没者の遺骨が外地から帰還した時の一時的な安置所になったことがある。当時の住職は大阪駅や大阪港などに出向いて遺骨を受け取り、不動寺に一時安置した後、遺族が迎えに来たら返還していた。しかし中には迎えのない遺骨もあり、それらは英霊堂に安置して供養していた。大阪の大空襲で寺は消失したが、焼け跡から遺骨を収集し、再び安置所を建てて、大阪大空襲の被災者の遺骨も合わせて納めた。それが現在の英霊墓や英霊堂につながっている。英霊を祀ること(というか、英霊という言葉自体)に対して右翼的なアレルギーを感じる方もいるが、こうした形で命を落とした人たちへの敬意は忘れてはならないと思う。

境内は古刹という感じではないが、祈祷であったりさまざまな行事も行われており、50年も経てば地域に根付いているのかなという印象だった。

さて、ここで次の札所を決めるサイコロである。くじ引きで出たのは、

1.河内長野(明王寺)

2.湖西(葛川明王院)

3.大原(三千院)

4.左京(曼殊院)

5.東山(聖護院、青蓮院、智積院)

6.和歌山(根来寺)

そして出たのは「6」、根来寺である。たくさん札所が残る京都市内より先に和歌山か・・・となれば、この日と同じく西国三十三所2巡目との組み合わせで粉河寺との合わせ技で行くことになるかな。

宮山のバス停に戻る。千里中央に出るか、豊中に出るか迷ったが、後の地下鉄で天王寺まで乗り換えなしで行けることから千里中央に向かうことにする。

バス停の前に理容室があり、大阪理容組合の衛生管理の啓発ポスターが貼られていたのが目に入ったのが、そのモデルがなんとバファローズの若きセットアッパー・山本投手だった。「プロの衛生管理でシャットアウト」「2018オリックスヘアー」(そんなヘア-があるのかな)とあり、こういう形で若い選手が取り上げられるのはうれしいことである。

これで近畿三十六不動めぐりもちょうど半分の18ヶ所を回った。残り半分、どのような展開になるか楽しみである・・・。
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第23番「勝尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・25(ダルマに必勝祈願)+大阪で震度6弱

2018年06月18日 | 西国三十三所
18日の午前7時58分、大阪北部を震源とする地震には驚いた。その時間にはすでに出社しており、職場が沿岸部のため、地震当初は「南海トラフ地震がとうとう来たか」と一瞬ヒヤッとしたものである。ただ、震源が大阪北部で、有馬~高槻の地層の境目が揺れたためと聞くと、(こういう言い方は良くないのだろうが)少しホッとした。それでも関西のJRや主要な私鉄路線が点検のために軒並み運休になるなど、大きな影響が出ることになった(そんな中でも地震発生からすぐに運転を再開した近鉄南大阪線はやはり「関西最強路線」である)。

ともかく、被災された皆さまにはお見舞い申し上げます。

この先しばらくは余震、あるいは同規模の地震に注意とあるが、いつどこで発生するかわからないものだから、逆にビクビクしすぎても仕方がない。まずはなるようになるとして、実際に発生した時にどのように行動するかを心がけておくしかないのかなと思う。

さて、その前日の17日、梅雨の間の晴れの日ということもあり、豊中、箕面を回っていた。当初は近畿三十六不動めぐりの行先サイコロで、豊中の不動寺、そして宝塚の中山寺を回ることになっていた。ただコースを考える中で、西国三十三所の2巡目で、箕面の第23番の勝尾寺がまだなのが気になっていた。この機会に組合わせられないかと見るが、3つ一度は少し厳しいかなと思う。そこで考えたのが、不動寺と勝尾寺がいずれも千里中央からバスでのアクセスということから、勝尾寺にバスで向かい、千里中央まで戻った後に不動寺まで行くことにした。中山寺については再びくじ引きの選択肢に戻したが、こちらはこちらで行く時には他の何かをつけることにする。

御堂筋線~北大阪急行で千里中央に到着。ここに来る時はモノレールに乗り換えることが多いのだが、今回はバスである。勝尾寺に向かうバスの便は限られていて、日中の時間帯のみ、1~2時間に一本の運転である。勝尾寺のホームページにもバスの時刻表があるが、今回乗るのは10時55分発である。幸いバス待ちの前の方だったが、後には長い行列が伸びるようになる。勝尾寺はそれほど人気のスポットなのかな・・・と思うが、よく考えれば、1巡目の時には粟生外院から昔の巡礼道を歩いて訪ねたのだった。バスで訪ねるのは初めてである。

バスに乗車する。後ろの座席に座ったが、後方の通路まで立ち客でびっしりである。このバスは阪急の北千里が始発で、千里中央を出ると粟生団地まではノンストップで走る。新御堂筋を北上して、白島で東に曲がって粟生団地に着く。団地の入口がロータリーになっており、千里中央や茨木方面の乗り場が並ぶ。

さて途中から急に周りが山の景色になり、カーブも多くなる。立っていたら結構しんどいだろう。時おり、スポーツ用の自転車を追い越す。勝尾寺から箕面の滝にかけての区間はそうしたトレーニングにうってつけなのか、前回歩いた時もサイクリストの姿を見たものである。

勝尾寺に到着。予定では戻りのバスは1時間後の便か、あるいはそのもう1時間後の次の便かというところだ。入山料400円を払って境内へ。さっそく、あちこちに無数に置かれているおみくじダルマたちの出迎えを受ける。

本堂までの参道には勝ちダルマが奉納された一角がある。こちらで、この日行われるバファローズの交流戦(対ベイスターズ)の勝利を祈願して手を合わせる。え?ならば自らドームに足を運んで選手たちに大きな声で声援するのが本当ではないかって?

本堂を囲む石垣にはアジサイが植えられていて、ちょうど見頃である。西国の札所でアジサイといえば宇治の三室戸寺が有名だが、勝尾寺も紅葉だけではなくアジサイがあったとは。この日は晴れていたがその前は雨の日も多く、さまざまな色の花が境内を彩っていた。

本堂に着く。勝尾寺は30分ごとに祈祷を行っており、僧侶の読経の声がスピーカーを通して境内、さらには周囲の山に響くのが特徴である。般若心経はもちろん、理趣経も聞こえる。またある回では、祈祷に来た方の名前、住所、年齢、願意も聞こえる。うーん、本堂の中だけならともかく、山内全体にそこまで聞かせる必要はあるのかなと少し疑問に思う。

本堂の前で一通りお勤めした後で、ダルマみくじを引く。おみくじの中のことはさておき、外のダルマをどこに置こうか。前に来た時は本堂外の欄干に置いたはずだ。

・・・とその前に、本堂に隣り合う納経所が大変な行列なのを目の当たりにする。これでは、1時間後のバスには間に合わないだろう。その次の1時間後のバスに乗るつもりで、ともかく並ぶ。納経の窓口は3つあるのだが、どうやら団体ツアーが何組かいるようで、代行で朱印をいただく添乗員の対応にかかりっきりになっているようだ。かなり待った後で、どうやら一つの団体のぶんが捌けたようで、少しずつ前に進むようになる。並び始めてから朱印をいただくまで30分あまりかかった。まあ、このご時世30分待ちというのはまだ短いほうになるのだろうが。

さて、朱印をいただいた後でダルマをどうするか。近くに植えられたアジサイの前に置いてみる。

それにしても、これだけ数多くのダルマはどのくらいの期間をかけて置かれたものか、また定期的に入れ替えなど行っているのか気になる。思わぬところにもダルマの姿が見え、中には「ひょっこりはん」のような登場の仕方をするダルマもいる。

他にも水かけ観音や、弘法大師堂、四国八十八所のお砂踏みなどある。四国については一番から順番に一歩ずつ札所のプレートを踏んでみた。現時点で65番まで来ている。残り23ヶ所、もうすぐとも思うしまだまだとも思う。この先の讃岐訪問も楽しみである。

ちょうど境内を一回りする中でさまざまな姿が見られる勝尾寺。大阪府内の西国札所ということで言えば、残念だが私の地元・葛井寺よりも見どころは多い。そのぶん、しっかりとお参りすることができる。

戻りのバスは13時38分発。少し早いなとは思うがバス乗り場に向かう。木の長いベンチが置かれていたが、しばらくすると座りきれないほどの行列ができた。行きのバスで見た顔も多く、1時間では足りず(というか、納経所の混雑のせいで)2時間コースになった人たちだろう。並んだのが前のほうだったので運よく座ることができたが、こちらも通路の後ろまで立ち客が出る混雑。

千里中央に戻る。駅の「せんちゅうバル」内で昼食として、次は豊中のお不動さんと呼ばれる不動寺に向かう。西国観音から近畿不動へとチェンジ・・・。

(ちなみに、必勝祈願のおかげというわけではないが、この日のバファローズ対ベイスターズ戦は、7対1でバファローズが勝利。これでバファローズの交流戦2位が確定、パ・リーグも勝ち越しとなった)
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観戦記・交流戦バファローズ対ベイスターズ2回戦(1点が遠かった・・)

2018年06月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
前日の15日に続いて、16日もドームでの交流戦観戦。この日はもともと観戦予定だったので前売にてチケットを購入していた。前夜は西の好投、打線も序盤からいい感じでつながった試合だった。はたして第2戦は・・。

バファローズの先発はここまで未勝利のディクソン。まずは連続三振を奪うなど上々の立ち上がり。

一方のベイスターズの先発はこちらも未勝利の濱口。前日に続いて1番に入った西村が左中間への二塁打で出塁する。いきなりのチャンスだが、続く大城はバント。初回なのだから大城に打たせてもよかったと思うのだが、続くロメロは三振。吉田正は四球で出るものの、中島が凡退して先制のチャンスを逃す。

この日のディクソンは気合いが入っていたのか、主力を欠いたベイスターズ打線に対して3回まで6三振を奪う。4回一死から2番・桑原にレフト前に運ばれて初安打を許す。打球がボテボテだったこともあり、桑原は二塁まで進む。しかし何とか後続を断つ。

バックも盛り立てる。4回二死から、大和の一塁へのゴロを中島がはじく。しかしそこで大城が上手くバックアップして一塁に送球してアウト。3アウトチェンジというところでラミレス監督から「物言い」。ビデオ検証の結果、「軍配通り」アウト。このリクエスト制度、その結果で球場の盛り上がり、ムードが変わるように思う。まあ、その場で検証することで、翌日以降に「疑惑の判定」などと叩かれるケースが少なくなったのは確か。

ディクソンの好投が目立つが、打線が濱口の前にランナーがなかなか出ない。チーム2本目の安打が出たのは6回一死からロメロのレフト前への当たり。しかし吉田正、中島が凡退して得点にならない。6回まで終えて1時間半というものすごく早い展開である。

ベイスターズの2本目の安打は7回表。佐野の当たりはショート安達への深いゴロ。懸命に送球するが逸れてしまう(記録は内野安打)。佐野の盗塁もあり、二死二塁で迎えるのは長打力のある中川。ピンチとなるが最後はディクソン得意のナックルカーブで空振り三振を奪い、何とか切り抜ける。

一方のバファローズも7回も濱口を攻略できず無得点。結局0対0、それぞれ被安打2で7回で交代となった。いずれにも勝ち星がつかなったのは惜しいが、今後につながる投球だったと思う。

8回からは両チームのリリーフ陣の投げ合いとなる。8回表は山本が登板し、力のある投球で2奪三振を含む三者凡退に退ける。一方の8回裏はパットンが登板し、こちらも2奪三振を含む三者凡退と寄せつけない。

9回、0対0の場面ながらバファローズは増井が登板。連投もお構いなく三者凡退。そうなると9回裏でのサヨナラ勝ちを目指すが、ベイスターズは山崎ではなく左腕の砂田が登板。これは投手の起用方法への考えが分かれると思うが、先攻のチームは延長戦まで見据えて、勝ち越すまで抑えの切り札は温存できる。もちろん、それまで他の投手が踏ん張らないといけないが。

9回裏は一死から中島が死球を受ける(代走福田)。続く安達には送りバント。一死からバントというのはもったいないように思うが、ともかく成功して二死二塁となった。1点勝負ということで続く小谷野を申告敬遠として、小田との勝負となる。終盤での打撃には強いものがあるし、この日は好守備も見せている。一打サヨナラのところで一番いいバッターに回ったなとスタンドも盛り上がるが、外へ逃げるボールに空振り三振。0対0のまま延長戦という、めったに見られない展開となった。

10回表は吉田一が登板。四球、盗塁で二死二塁のピンチを迎えるが何とかしのぐ。

バファローズは10回も替わった三嶋からサヨナラのチャンス。先頭の代打・西野の当たりはセカンドへのボテボテの当たり、これが内野安打となる。続く武田の送りバント(まあここでのバントは当然だと思う)で一死二塁とするが、大城が空振り三振。ロメロも外へのボール臭い攻めに堪えきれず空振り三振。肝心なところでの三振が目立つ。

11回表は近藤が登板。増井をすでに使っているのでこの順番となる。もし12回となれば黒木が出るのだろう。そこまでしのげるかだが、先頭の大和が粘って四球で出塁。続く関根の送りバントで同じように一死二塁とする。しのげるかというところで、1番・神里がライトへの大きな当たり。右中間を破られて大和が生還する。チーム3本目の安打が1対0と均衡を破った。ここは打った神里を褒めるしかない。

こうなると球場のムードはビジターながらベイスターズのものとなる。11回で勝ち越して、ここで満を持して抑えの山崎が登板。スタンドの雰囲気も味方にして吉田正、代打・T-岡田、安達と簡単に抑えてそのまま1対0でベイスターズ勝利。ヒーローインタビューはもちろん決勝打の神里である。1点を争う試合、両チームの投手陣が踏ん張ったのは見ごたえがあったが、バファローズも終盤のチャンスにあと一歩何とかならなかったのかと残念だった。

第3戦は球場での観戦には行かないが、何とかカード勝ち越しを目指してほしいものである・・・。

・・・さて話がかわって、リーグ戦、そして交流戦ともに不調のイーグルスだが、16日の敗戦で借金が20となったことから、梨田監督が辞任、平石コーチが監督代行ということになった。こちらも故障者が多いとはいえ、そろそろオーナーもファンも我慢の限界が来たようだ。
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観戦記・交流戦バファローズ対ベイスターズ(「東西対決」は西に軍配)

2018年06月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を・・・と机上旅行を書くのもいいが、やはりリアルの出来事も書かなければ。

15日は市内外出でそのまま・・・ということもあり、夕刻に大正ドームに立ち寄った。普段、試合開始から観戦したいということで平日の試合にはほとんど行かないし、翌16日は元々観戦予定なのだが、せっかくなので観ることにする。普段の内野上段エリアも、交流戦では指定席で売られている。まあ平日なので人口密度は少ない。

この日はバファローズが少しずつ調子を上げている西、そしてベイスターズがドラフト1位ルーキーですでに5勝の東(あずま)が先発。ネット記事では「東西対決が実現!」とある。私としては、この名字が並ぶと個人的に複雑な気持ちになるのだが・・・。

先発投手は良いとして、ベイスターズのスタメンを見てびっくりした。確かに昨年の日本シリーズにも出場した主力を故障で欠いている中だが、ついに筒香までスタメンから消えた。もっともこれは休養のためとも言われているが、スタンドでは「オリックスもナメられたもんやな」という声も聞こえた。

さて試合開始。まずは初回、西が2三振を含めて三者凡退に打ち取る。一方の東も、力のあるボールを投げ込むが、2番大城が四球で出塁。続くロメロの右中間への当たりで1点先制。ロメロの来日初となる三塁打は激走だった。さらに、吉田正がセンターへ犠牲フライ。少し浅いように見えたが、またもロメロが激走。外野からの送球も逸れてセーフとなり、2対0。

さらには中島の今季1号、T-岡田のポテン二塁打(これも一塁から安達が激走)で、初回で4点を挙げる。この前にカープに3連勝した勢いがそのまま続いているようだ。

2回以降も西の投球が力強い。ベイスターズ打線も小粒ながらヒットは打つ。しかし要所では後続を断って得点を許さない。

一方のバファローズ打線、2回に先頭の1番・西村がライト線への当たり。ライトがもたつく間に一気に三塁まで激走。セーフの判定に大いに沸くが、ここでラミレス監督から「物言い」。センターの大型ビジョンでリプレー検証がされる。ホーム側から三塁ベース付近を撮った映像ではちょっとタッチのほうが速かったように見えた。果たして判定は「行司差し違え」でアウト。東もこのプレーで助かったようで追加点を許さない。

速い展開の中で動いたのは6回裏。先頭の吉田正がセンターのフェンス直撃の二塁打で出塁。中島が四球で無死一・二塁として、続く安達はバントの構え。4点リードしているのだし強攻でもいいのではと思ったが、そのままバント。しかし東の正面で、三塁送球は余裕でアウト・・・と思いきや悪送球となり、無死満塁。ここでT-岡田を迎えたのだが、スタンドの一部には嫌な予感を持つ人も多かったようで、力のない内野フライ。犠牲フライも出ないのかとがっくりである。しかし続く山足の内野安打で1点が入り、ここで東は降板となる。

代わった平田から若月、代打・小田の連続タイムリーで6回裏までで7対0と大きくリードする。勝負はこれで決まり、後は西がどこまで行くか、完封もあるかなというところになった。

しかしベイスターズも反撃で、7回には中川のタイムリー二塁打で1点、8回には二・三塁として楠本の内野ゴロの間で1点を挙げる。結局西は8回2失点という結果。その中で12奪三振は立派である。

7対2で9回を誰に任せるかと言うことで、出てきたのは勝ちパターンの黒木。中1日開いているからということだろう。まずは一死を取ったが、続く中川にはバックスクリーンに豪快な一発を浴びる。これで7対3。しかも続く代打・関根、そして飛雄馬に連打を許す。ここでたまらず抑えの増井が出てくる。今日の展開なら、増井を出す必要もないのではと思っていたがそうも言っていられなくなった。

その増井も代打の柴田に四球を許して一死満塁、一発出れば同点とピンチを広げる。もしここで代打・筒香というコールがあればどうなるかとスタンドもヒヤヒヤだったがこれ以上の代打はなく、続く神里を三振、山下をピッチャーゴロに打ち取って何とか勝利。最初は楽勝かと思ったが、最後は増井にセーブがつくという展開だった。やれやれ。

ヒーローインタビューは勝利投手の西と、先制のタイムリー三塁打のロメロ。ロメロは初回の三塁打以外はさっぱりだったが、これで気を良くして翌日以降も頑張るかな。また、西も「今年チームに完投投手がいないので、自分が引っ張るつもりで頑張る」と、次回登板へ気持ちを込めていた。

これでバファローズは交流戦10勝目で勝ち越し決定、交流戦順位も単独2位で首位スワローズを追う。で、翌16日も観戦だが、先発はバファローズがディクソン、ベイスターズが濱口と、いずれも今季未勝利である。特にディクソンは崖っぷちに近くなっている。今度KOされるようなことがあればもうチャンスはない・・・というくらいの気持ちもあると思う。何とかそれをぶつけてほしいものである・・・・。
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『最長片道切符の旅』をたどる机上旅行~第2日(北見~中標津)

2018年06月14日 | 机上旅行
宮脇俊三の『最長片道切符の旅』を40年後に同じルートでたどるとどうなるかの机上旅行。第2日は、『最長片道』では初日の終わりになった遠軽から先の北見から始める。

『最長片道』では、北見から池田までの池北線をたどっている。この池北線は明治から大正にかけては網走本線として、十勝と網走を結ぶ幹線だった。しかし、石北峠や常紋トンネルを越える石北本線の開通により、ローカル線となる。しかも、その後は廃止対象となり、地元の協議を経て1989年に「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」という第三セクター路線として再出発した。今思えば、平成の初めらしくバブリーな名称に見えなくもない。この線は池田から北見に抜ける形で一度だけ乗ったことがある。

そして2018年・・・この区間には列車が走っていない。開業当時は取り巻く環境もまだ良かったが、その後の沿線人口の減少や、沿線に目玉となる観光スポットもないことから利用客が減り、2006年に廃止となった。北海道で鉄道を維持することの難しさを現した事例である。

というわけで、北見から池田までは「ふるさと銀河線」の転換バスを利用することになる。それも、北見~陸別は北海道北見バス、陸別~池田~帯広は十勝バスと分かれる。北海道内の「県境」とも言える支庁の中でバス会社も分かれるということか。前日北見まで来たのは、早い時間のバスに乗るためでもある。

こうした経緯の路線なので、バスの利用客もなかなかないのではと思う。失礼な言い方かもしれないが、北海道観光のメインルートでもないので。

乗り継ぎとなる陸別は、冬になると日本一の寒さスポットとして天気中継にも出てくる。ダイヤモンドダスト、さらにはオーロラも見られるかも?と、寒さを逆手にとった観光は魅力だが、バス利用の増加につながるかと訊かれると厳しいのではないかと思う。そんな中で、かつての池北線-ふるさと銀河線の線路の一部を観光用に残しており、気動車の運転体験もできるようだ。

池田からはワイン城を飛ばして根室本線を東に向かう。『最長片道』では急行を利用しているが、2018年では特急に乗る。釧路で時間ができるのでゆっくり食事とするか。机上旅行では、もう1本後の特急に乗ってもこの先は同じ列車なのだが、池田でのバスの接続が微妙だったので早い時間に出た次第である。

『最長片道』の2日目である1978年10月14日は、プロ野球日本シリーズ・ヤクルト対阪急の第1戦である。宮脇俊三は球団発足時からの国鉄スワローズファンを自称しており、本文の中でも「国鉄の斜陽時代に狂い咲いた大輪の花のように日本シリーズに登場する」と記している。相手の阪急に対しては「大赤字のローカル線など抱えこまず、不動産業や少女歌劇つき遊園地などで儲けている阪急だし、盗塁の専門家を二人も傭っているから敵いっこないだろうが」と一応持ち上げている。釧路駅ビルの食堂に入ってテレビを見ると2対0でヤクルトが負けているところ、宮脇氏が見ている中で3対2と逆転したとある。ちなみに第1戦の先発はヤクルトが安田猛、阪急が山田久志だった。試合のスコアを調べてみると、試合展開は2対0ではなく2対1で阪急リードというのが正しく、ヤクルトは5回に船田、そして6回のマニエルの本塁打で勝ち越したのだが、宮脇氏が釧路駅でテレビを見ていたのはこの場面のことだろう。

さて釧路からは根室本線の「花咲線」と呼ばれる区間である。もちろん、終着の根室は行き止まりの駅なのでルートには含まれず、『最長片道』では途中の厚床から標津線で中標津に抜けるルートになっている。標津線の翌日の列車が同じになることや、厚床に適当な宿がなかったことから、宮脇は「表敬訪問」ということで根室まで行っているが、2018年版では厚床から中標津までバスで抜けることにする。

『最長片道』では釧路から厚岸行きの列車に乗り、「もっとも北海道らしい線」を行く。厚岸では時間があるので、国泰寺までタクシーで往復している。その途中で、日本シリーズ第1戦のラジオ中継を聴いたが、最後は6対5で阪急が勝利している。いったんはヤクルトが5対2とリードしたものの、8回に島谷の2点タイムリー、河村の2ランで阪急が逆転、最後は山田が169球を費やしての完投勝利という結果だった。

何だか『最長片道』の旅か、日本シリーズの振り返りかわからない記事になったが、『最長片道』では厚岸から根室まで急行ノサップ3号で行き、宿泊している。梅ヶ枝町という悪所?らしき一角でシシャモやツブ貝などを味わい、「根室はいいぞ」とうなっている。

一方の2018年版では、釧路からの列車を途中下車することなく厚床まで行く。根室まで行ってもいいのだが、そうすると厚床まで戻り、その後のダイヤがズタズタになる。ここは残念ながらルート通りに行く。この先の標津線はとうの昔に廃止された路線。その中をバスで走る。中標津には根室中標津空港があり、羽田ともつながっている。今なら時間さえ合えばもっと便利に着くことができるエリアである。根釧台地を走り、この先は暗くなるので中標津でおしまいとする。一応宿泊施設もあるようで、北海道のこうした町に泊まるのも貴重なことだと思う。

さて続く3日目からは、『最長片道』ならば鉄道で結ばれたところが、現在ではほとんど空白になったエリアである。同じルートをたどるのに苦労しそうだ・・・。

※『最長片道』のルート(第2日)
遠軽6:14-(石北本線)-7:52北見7:59-(池北線)-11:26池田12:01-(急行「狩勝」1号)-13:47釧路14:45-(根室本線)-厚岸16:22-(急行「ノサップ3号」)-18:00根室

※もし行くならのルート(第2日)
北見5:54-(北海道北見バス)-7:25陸別8:20-(十勝バス)-10:18池田10:59-(根室本線)-13:16釧路15:25-(根室本線)-15:07厚床15:40-(根室交通バス)-17:00中標津バスターミナル
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