まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第47番「善水寺」~西国四十九薬師めぐり・37(善き水をいただき、滋賀を後に)

2021年06月30日 | 西国四十九薬師

長命寺の参詣を終え、この日最後の札所である西国四十九薬師第47番の善水寺を目指す。琵琶湖畔から湖東に広がる田園、住宅地を抜ける。長い直線道路を走り、ダイハツの滋賀工場がある竜王町から湖南市に入る。

善水寺に到着。駐車場がやたら広い。今回はレンタカーで直接来たが、公共交通機関なら草津線の甲西駅まで来て、コミュニティバスに乗り換えて10分ほどで最寄りのバス停まで行くことができ、そこから歩いて15分ほど。バスの本数もそれなりにあるので、使えるコースと言える。もっとも、徒歩と公共交通機関だと今回のように5ヶ所をいっぺんに回るのは無理。経路もさることながら、観音正寺、桑實寺、そして長命寺とそれぞれ長い石段を上ることにもなるので・・。

受付で拝観料と朱印代を納め、出る時に朱印を受け取ることにして境内に入る。朝に訪ねた西明寺が湖東三山の一つなのに対して、ここ善水寺は常楽寺、長寿寺と合わせて湖南三山の一つとされる。湖南三山も紅葉の名所として知られているところ。今回、それぞれ1ヶ所ずつ代表でお参りする形となった。

本堂は開放されており、横扉から中に入る。本堂の中は格子で外陣と内陣が区切られる天台宗の様式。外陣に椅子が並べられていて、そこに腰かけてまずはお勤めである。

寺の方が、「もう一組来られますので、しばらくお待ちください」と声をかける。こちらでは本堂の中の案内を行っているようだ。しばらくすると夫婦連れがやって来て、ここで寺の案内である。

善水寺は奈良時代、元明天皇の勅願で国家鎮護の寺として開かれた。後に、伝教大師最澄が比叡山延暦寺を開くに当たり、木材を求めて甲賀の地にやって来た。その時、池の中から薬師如来が現れたことで雨乞いの祈祷を行った。桓武天皇が病気になった時、祈祷したこの池の水を献上したところ、天皇の病気が平癒した。そのことから「善き水」として「善水寺」の名前をいただいた。

現在の本尊薬師如来は平安時代の作とされ、秘仏。開帳は不定期に行われるという。また外陣には一対の金剛力士像が立つ。かつては仁王門に祀られていたが、その仁王門は1953年に大雨で流失したという。金剛力士像はその前に本堂に移されていたため難を逃れて現在にいたるが、こういう室内にいると威圧感をおぼえる。

内陣にも通される。厨子に収められた本尊薬師如来を諸仏が囲むが、薬師如来の両脇に多くいる日光・月光菩薩ではなく、梵天と帝釈天という二天が祀られている。さらには四天王が左右に二体ずつ、そして「チーム薬師」の十二神将が六体ずつ左右に揃う。いずれも平安~鎌倉時代の作だが、長年の歴史で損傷も目立つ。賽銭箱には修復のための寄付を呼びかけるメッセージが貼られている。その他諸仏があるが、かつての延暦寺の仏を模して造られたものばかりだという。

先ほどの西明寺もそうだったが、延暦寺から琵琶湖を挟んだ東側にこうした写し寺院を設けたというのは、伝教大師、天台宗として何か意図があったのだろうか。

本堂の隣に池があり、元三大師堂が建つ。その脇に湧くのが「善水元水」。寺名の由来ともなった、桓武天皇の病を癒した伝説のある水である。ちょうどペットボトルの水が少なくなっていたので、ありがたく汲ませていただく。

さて、ここで次の行き先を決めるサイコロである。くじ引きの出目は・・

1.京都(法界寺、醍醐寺プラス西国10番三室戸寺、西国11番醍醐寺)

2.橿原・名張(久米寺、弥勒寺)

3.南紀(神宮寺プラス西国1番青岸渡寺)

4.阪神(久安寺、昆陽寺)

5.高野山(龍泉院、高室院プラス西国3番粉河寺)

6.大阪(四天王寺)

最後に訪ねることになる第48番の水観寺、第49番の延暦寺を除くと、サイコロの出目もちょうど残り6つとなった。そろそろ終盤に近づく。

そして出たのは・・「5」。高野山である。今回、サイコロの目が南紀以外の場合、6月26日~27日にかけて行く予定にしており、これからアクセス、宿泊地を決めることになる。そのわけは・・・少し前の記事を見ていただければ。

受付にて朱印を受け取り、これで慌ただしい5ヶ所めぐりも無事に終えた。後は無事故で草津駅に戻るだけである。

国道1号線に出て、草津線にも沿いながら草津に到着。時間に余裕を持ってレンタカーも返却し、予定より早い新快速に乗車して新大阪へ。

帰路は早めにと言うことで「こだま」ではなく、お金がかかっても(というか、それで定価なのだが)「さくら」に乗車する。広島までは約1時間半だ。

今回は滋賀の湖東地区を走った。少し前の湖東といえば、独立リーグのルートインBCリーグに所属するオセアン滋賀ブラックス(旧・滋賀ユナイテッドBC)の試合も観に行ったものだが、独立リーグもご無沙汰している。また機会があればどこかのリーグ戦でも行きたいのだが・・・。

コメント

第31番「長命寺」~西国三十三所めぐり3巡目・26(自動車道のありがたみを体感)

2021年06月29日 | 西国三十三所

話は再び6月13日に戻る。この日は西国四十九薬師&西国三十三所の滋賀県東部にある合計5ヶ所めぐり。ここまで西明寺、観音正寺、そして桑實寺と回り、レンタカーが向かうのは琵琶湖畔の長命寺。

これまでの西国三十三所めぐりでは近江八幡から路線バスで来て、808段の石段を歩いて上っていた。今回も行程に余裕があれば近江八幡の町並み見物などと合わせて路線バスで来るところだったが、これまで触れているように関西に来たついでで薬師と観音を一気に回ろうとエリアを広げたので、道中を点で結ぶ形での移動となっている。

ただ、今回レンタカーなのをいいことに、これまで未経験のクルマでの参道を通ることができる。3巡目であるし、西国三十三所の各札所にはさまざまなアクセス方法があることを経験しておくことも必要かな・・と都合よく解釈して上る。

この自動車道がいつ整備されたかの案内はないが、先ほど通った観音正寺よりは年季が入っていそうだ。道幅が狭いところもあるし、ヘアピンカーブの勾配、角度も厳しい。

それでも文明のおかげというのか、800段あまりの石段をクリアできるのはありがたい。ただ一方で、石段を「疲れた~」と言いながら上ってくる人も多い。延命長寿のご利益があるとされる長命寺、そりゃあ、歩いて上り下りするほうが健康増進、ひいては延命長寿につながるのだが・・。

駐車場からだと石段も100段あるかないかで境内に入る。自動車道の通行も無料、そして入山料も無料というのは、先ほどの観音正寺とは対照的である。

まずは本堂に向かう。長命寺は聖徳太子が300歳の長寿を保ったとされる野見宿禰にあやかって開いたとされる寺だが、現在の境内につながる伽藍が整備されたのは平安時代後期のこと。後の兵火で焼けたこともあり、現在の本堂は室町時代の再建とされる。その他の建物も室町~江戸時代にかけて再建されたものが並ぶ。

本尊は千手観音、十一面観音、聖観音を「千手十一面聖観世音菩薩」として祀っている。西国三十三所の中でも最強の本尊ではなかろうか。本堂内にてお勤めとする。

境内の奥に進み、現在の三重塔~本堂~三仏堂を見やる。瓦葺ではなく檜皮葺、こけら葺きが並ぶのが、平安時代の趣を感じさせる。

その中に新しい建物がある。これは境内のトイレ。以前もこの場所にトイレがあったが、かなり年季が入っていてちょっと利用がためらわれたものだった。皆さんのお志によるものかな。

一番奥にある太郎坊権現社に向かう。本堂前よりも琵琶湖の眺望が利くところ。雨が降ったりやんだりで雲が垂れ込めていて、周囲の景色は今一つだった。

最後に朱印をいただく。これで西国三十三所の3巡目は残り7ヶ所。1番と33番が残っているのだが・・。

駐車場に戻る。上って来た時よりもクルマの数が増えていた。私が下る時も上りのクルマが続き、こちらがいったんバックして離合することもあった。参詣の人が重なるタイミングというのがあるのだろうか。

入山口に下りて、いったん駐車場に停める。こちらにある土産物店兼食堂もリニューアルされていた。もうこの時間なので昼食は抜きのままにして(帰りの新幹線で一献とするか)、滋賀に来たのだからと鮒ずし、赤こんにゃくを土産物で購入する。

ここまで来れば、残りの善水寺に行ってもレンタカーの返却時間に間に合う目処が立った。引き続き安全運転で・・・。

コメント

観戦記・バファローズ対ライオンズ(オリ姫デーで投打ともに圧倒)

2021年06月28日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

札所めぐりの記事がたまっているが、話は一気に6月27日まで飛ぶ。昨年8月以来の京セラドーム大阪に現れる。

この日はバファローズ対ライオンズ戦、緊急事態宣言が解除され、チケット発売が再開されたのを受けてこの日は大阪に来ることにしていた。その前段、26日から27日にかけては札所めぐりとして別なところを回っていたが、その話は後にするとして・・。

このシリーズは「オリ姫デー」としての開催である。これまででは女性、「オリ姫」を意識してか、ユニフォームが派手な柄になったり、その一方でどうも迫力がな・・とおっさんの私は思うのだが、そのイベント時のチームの戦績もこれまでよくなかったのではないだろうか。まあ、チーム全体の成績もここ数年芳しくなかったので一概に言えないのだが。

そして25日は逆転負け、26日は何とか引き分けに持ち込んで迎えた3戦目。12時すぎにドームについたのが、周辺、そしてドーム内も賑わっている。飲食物のブースも長い列だ(無事にビールにありつけたのはよかった)。

現在観客上限5000人ということで、内野・外野ともに下段席のみ開放している。各席とも1人ずつ間を開けてのチケット販売だが、一塁側、ライト側はほぼ「満席」で、こちら側にいる限りでは、結構混雑している感じがする。ライトスタンドに応援団も戻っており、トランペットの音楽は録音ものとしても、太鼓と手拍子はライブである。テレビでは確認していたが、こうして現地に来て改めて、少しずつではあるが、球場に「日常」が戻りつつあるのを感じる(中には、もう戻って来んでええわ・・というものもありますが)。

スタメン発表の大画面も、実際に球場に来て初めて見ることができる楽しみがある。

バファローズの先発はリーグトップタイの7勝を挙げている宮城。今季、開幕から連勝を続けている間はゲン担ぎで髪を伸ばしていたが、交流戦での黒星を期に散髪。それが普通の散髪を通り越して五厘刈りの坊主頭になり、チームメートからは頭をなでられたり、手を合わせられたり・・。そこに目を付けた球団は、坊主頭の宮城が合掌しているイラストに「神様、仏様、宮城様」のコピーをつけたタオルやTシャツを販売したところ、即完売だったようだ。このところ各球団の応援グッズとして、選手の名前やイラストが入ったタオルを掲げるのも広まっていて、スタンドのあちこちでこのタオルも掲げられていた。

これまでのシーズンなら、抽選で当たった「オリ姫」がグラウンドに登場して選手とハイタッチするところ、時勢を反映してか、グラウンドのモニタ画像で登場。選手とエアタッチをするという手法に。

さて試合。宮城の立ち上がりは二死から栗山に死球を与えたものの、続く山川を三振に打ち取って無失点。

一方ライオンズの先発はニール。こちらは一死から宗がヒットを放つも、吉田正が併殺打。

宮城は2回に中村にヒットを許すも、続く呉、高木を連続三振。3回は源田に死球、4回に呉と毎回のランナーを出すが、何とかしのぐ投球を見せる。

試合が動いたのは4回裏。吉田正、杉本の連打で無死一・二塁。しかし、続くこの日スタメンのジョーンズはあえなく凡退(昨年も、あの「YMCA」の登場曲とムービーがゲンの悪いように個人的に聴こえるのだが)。

まだチャンスは続いており、T-岡田がライトへのタイムリー二塁打を放って1点先制。今季は得点圏打率も高いTの一打でスタンドも大いに沸く。

なおも一死二・三塁の場面で、続く伏見は初球スクイズ。どうしても追加点がほしいところで意表を突いた。これで2対0。

その直後の5回表。二死から源田が二塁打、スパンジェンバーグ、栗山の連続四球で満塁となる。そして迎えるは山川。ここまで毎回ランナーを出すなどすでに100球近く投げているし、ここが山場である。何とかセンターフライに打ち取って無失点。もう1イニング行けるかどうかというところ。

この日は5回の攻防が明暗を分け、試合の流れも決まった形になった。

5回裏は先頭の安達がライト前へ技ありのヒット。その後、宗のヒットで一死一・二塁として吉田正。センターへの当たりは低い弾道で伸び、そのままバックスクリーンに入る。15号3ランで一気に5対0となった。やはり2点差と5点差では気分的にも大きく違う。

6回はバファローズが宮城から村西へ、ライオンズはニールからルーキーの水上に交代。いずれも無失点に抑える。7回表は富山が無失点。

7回裏、ラッキー7の攻撃は、先頭の福田が代わった佐野からヒット。一死二塁から吉田正がレフト前にタイムリーを放って6対0。

さらに代わった與座からなおも二死満塁として、伏見がレフトへの二塁打。これが走者一掃となり3点追加。先ほどのスクイズと合わせて伏見の4打点なんて珍しいなと思うと、自己最多だという。続く紅林にもタイムリーが出て、10対0の大差。いやいや、久しぶりのスタンド観戦がこんな試合になるとは。

7回の富山に続き、8回はK-鈴木、そして9回は山田と、合計5人の投手が完封リレーでそのまま10対0で勝利。イーグルスと並んでの首位を守った1戦となった。

ヒーローインタビューは5回無失点の宮城、3ランを含む4打点の吉田正、そして同じく4打点の伏見の3人。

宮城はリーグ単独トップの8勝目となったが、「野手、リリーフの方のおかげ」と謙虚だった。ただ、これで連敗は止まったし、自身も8勝1敗と「貯金7」である。いつかテレビの解説で、「真のエースはどれだけ貯金をつくれるかにある」という説を聞いたが(もちろん、打者の援護、リリーフの援護あってのものだが)、その説に当てはめれば、宮城はあの山本を上回る現在のバファローズのエースといえる。

最後は坊主頭を吉田、伏見になでられて記者からの撮影に臨んでいたが、「神様、仏様、宮城様」のタオル、Tシャツではないが、私は一人「これもお大師さんのおかげや」とつぶやいていた。

そう、ちょうど1日前は弘法大師がおわすあの地を回り、バファローズの勝利もお願いしていたのだ。もちろん、弘法大師が特別に何かしたわけでもなく、宮城をはじめ、チームでつかんだ勝利なのだが。

その札所めぐりが京セラドーム大阪にまでつながる様子は・・・札所めぐりのレポートがたまっているのでかなり後で紹介することに・・・・。

コメント

久しぶりに野球観戦(旅行記の途中ですが)

2021年06月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
昨年8月以来、バファローズ戦の生観戦がようやくかなうことになった。

コロナの影響、私の広島異動の影響で距離が遠くなってしまい、今季予定していた試合も緊急事態宣言のため無観客となった。

それが、何と首位という中で観戦できることになるとは。

試合は「オリ姫デー」とのこと。私は「西国四十九薬師&西国三十三所コラボ」で。

もちろん試合に勝って首位キープを期待したいが、まずは久しぶりの球場の雰囲気を楽しみたい・・・(ビール売ってるのかな?)
コメント

第46番「桑實寺」~西国四十九薬師めぐり・36(白鳳時代からの古刹)

2021年06月24日 | 西国四十九薬師

西国三十三所の観音正寺から、同じ繖山の西側にある桑實寺へレンタカーを回す。観音正寺から山道を歩いていけば・・という声が聞こえてきそうだが、以前歩いた時、かなり急な下りだったのを覚えている。帰りにまた上ってくること、そして次の札所に移動するためにもクルマは回しておいたほうがよい。

繖山をくぐるトンネルを抜け、北側に出る。安土城跡の前に出るがここは素通り。JRの安土駅近くに出て、桑實寺の方向を目指す。

参道に出るがクルマの乗り入れはできず、安土城関連の資料館である信長の館の方向に向かった道から上がる。少し上ったところに小ぶりな駐車場がある。他にクルマは停まっていなかった。

細道を行くと石段に出て、その上に山門がある。山門をくぐるとインターフォンのような呼び出し音が鳴る。これで寺のほうに合図が行く。観音正寺へと続く山道の途中にある桑實寺だが、ここにお参りせずとも通り抜けるだけでも入山料(拝観料)を申し受ける。確か、観音正寺側から下りた時も途中に同じ仕掛けがあったと思う。

ここから石段だが・・・結構長い。500段ほどあるという。昔からこういう形で積み上げられたのかなと思う。おまけに、石段を上がる途中で再び雨が落ちてきた。

途中、江戸中期に再建された地蔵堂の前を通る。ここで半分くらいだったかな。石段はまだまだ続く。

ようやく「南無薬師如来」の幟が見え、本堂が近づいた。本堂前の納経所で入山料を納め、朱印は、お参り後にバインダー式の紙をいただくことにする。

桑實寺の開創は白鳳時代までさかのぼる。天智天皇の娘・阿閉(あべ)皇女が病に伏せた時、藤原鎌足の長男で僧の定恵に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が現れ、皇女だけでなく疫病に苦しんでいた多くの人たちを病から救ったという。このことから、定恵が薬師如来を本尊として、この地に寺を開いた。

桑實寺の名前は、定恵が留学先の唐から桑の木を持ち帰り、日本で初めて養蚕を始めたことからついたという。山の名前である繖山の「繖」の字も、もともとは蚕が口から糸を散らして繭をつくることから来ているそうだ。

本堂は室町時代に建立されたものとされる。一時荒廃していたが、織田信長により再興されたという。この日たどったところで、西明寺は延暦寺と同じく信長により焼き討ちにあったり(本堂、三重塔は無事だったが)、観音正寺がある観音寺城も信長に攻められた。その一方で桑實寺は再興されたのだが、これは「安土側」ということもあるのかな。

本堂の中に入る。内陣も開放されていて、自由にお参りすることができる。まずはこちらでお勤めである。本尊の薬師如来が収められた厨子の両脇には「チーム薬師」が控える。

諸仏の中に大日如来も祀られている。室町時代に建てられた三重塔に祀られていたが、三重塔が明治時代に風水害のため大破したため、本堂に移されている。現在、かつての図面が残っているとかで三重塔の再建に向けた寄付が呼びかけられている。

本堂の格子からしばし外を眺めるうちに、雨はやんだ。朱印を受け取り、手を合わせていただいて再び石段を下りる。ひっそりとたたずむ寺だったが、こうしたところに長い歴史が埋もれているものだと感心するところだった。

さてこの次だが、(結局昼食は抜きとなったが)カーナビで到着予定時間を検索すると、長命寺、善水寺の両方を訪ねてもレンタカーの返却には間に合いそうな表示だった。予定通り、残り2ヶ所を回ることにして、安土から近江八幡の琵琶湖畔に向かうことに・・・。

コメント

第32番「観音正寺」~西国三十三所めぐり3巡目・25(近江商人+聖徳太子=SDGs?)

2021年06月23日 | 西国三十三所

西国四十九薬師の西明寺の参詣を終え、次は西国三十三所の観音正寺に向かう。カーナビは途中狭い道も選択するので、滋賀県名物の「飛び出し坊や」の姿も結構見ながら走る。

国道8号線に出て観音正寺の方向に進むが、その手前、五個荘に立ち寄る。近江商人の拠点の一つだったところで、前回観音正寺を訪ねた時、参道入口から案外近かったのを覚えている。今回歴史スポットとして、せっかくなので立ち寄ることにした。慌ただしい5ヶ所めぐりの中でも、五個荘に行くこと自体は計算に入れていた。

やって来たのは近江商人博物館。地域の歴史、近江商人の暮らしや文化について紹介する施設である。

近江は主要街道が通り、街道沿いの定期市や座が早くから発生したことで商業が活発だった。近江商人のルーツはさまざまあるが、中世の頃は若狭方面へ行商に出かける五個商人と、伊勢方面に出かける四本商人に分かれていた。江戸時代に入ると大きく分けて高島、八幡、日野、湖東商人に分かれ、進出地域や取り扱い品目などに違いがあったものの、活動の範囲は全国に広がった。

天秤棒一本から始めて巨大な富を得た者もいるが、当然ながら皆が皆成功したわけではなく、商人間の競争も激しく、厳しいものがあったことだろう。

一方で神仏への信仰が篤く、道徳を重んじる者も多く、その行動哲学がよく現れているとして有名なのが「三方よし」である。「売り手よし、買い手よし、世間よし」、特に「世間よし」の箇所は地域社会の発展や福利の増進ということで、昨今流行りの「SDGs」と結び付けて取り上げられることもある。もっとも、「SDGs」で掲げられている課題・取り組みは、世界規模、地球規模のものが多く、単に「三方よし」だけで解決できるわけではないのだが・・。

それにしても、「SDGs」・・・街中で、スーツの胸のところにこのマークのバッジをつける人をたまに見かけることもあるし、テレビでも番組の間などで「私たちのSDGs」とか言ってアナウンサーや芸能人が「こんな取り組みをしています」というのが流れるのを目にすることがあるが、どこか白々しさを感じる(昨今の状況で、単に私がテレビを素直に見られなくなっているだけなのかもしれないが)。

博物館を後にして、金堂の町並みに向かう。近江商人の屋敷などが保存されているが、さすがに屋敷の見学まではいいかなと、外側の風情だけ楽しむことにする。ちょうどいい具合に雨もやんだ。

ここから観音正寺への上り口は近い。観音正寺に来るのは3巡目。初めての時は、安土駅から歩いて石寺まで来て、表参道の1200段の石段を上がった。2回目は、能登川駅からバスで観音寺口まで来て、裏参道の山道を歩いた。

そして今回の3回目、クルマ用の林道を使うことにした。だんだん楽しているようだが、この日の5ヶ所めぐりには観音正寺、長命寺という「難所」も含まれている。ただ、クルマを使えば参道の時間もかなり短縮できるし、これまでと違ったアクセスを経験できる。

その林道だが、決して楽な山道ではない。カーブも多いし、対向車が来ればどちらかが離合可能なところまでバックする必要がある。途中に料金所があり、林道の維持費として600円を払う。この季節だから何の問題もなく通行できるが、冬は積雪・凍結で何度か通行止めになるという。

実際に上る時間は5分程度のものだが結構長く感じられ、駐車場に着く。この先もクルマが通れるだけの道幅はあるのだが、関係者用ということでチェーンで仕切られている。裏参道の山道を歩いた場合も、駐車場のあたりに出てくる。

ここからは観音にちなんで33の格言の立て札が並ぶ。カウントダウン式で、この言葉の意味を噛みしめながら歩くのもよい。今の心境にぴったり来るものもあれば、もう一つ自分のこととしては感じられないというものもある。

裏参道から来たためか、途中で先に奥の院に出る。岩窟が天然の祠となっており、巨大な岩に神が宿るとする昔からの磐座信仰の場と言われている。観音正寺は聖徳太子により開かれたとされるが、寺の言い伝えでも、太子がこの地を訪ねた時に天人が巨大な岩の上で舞っていたのを見て、岩に仏を刻んだことが由来とされている。

新幹線も見下ろす位置に来る。新幹線からも車窓を中止するとこの寺の境内の幟を見ることができる。ちょうど反対側の線路際にあるロッテの工場が目印。

露天に建つ仁王像のところに出て、境内に入る。

境内には「聖徳太子遠忌1400年」の幟も目立つ。2022年は聖徳太子が亡くなって1400年目ということで、聖徳太子関連の寺院ではさまざまな記念行事が行われるようだ。その記念事業として、江戸時代の観音堂、閼伽井堂の再建も含まれている。ただ、年の数え方の違いなのか、2021年を1400年御遠忌とする寺院もある。まあ、だいたいその辺りというくらいでいいのかな。

聖徳太子といえば十七条憲法、そして、先に触れた「SDGs」は「17の目標」で構成されている。17というのは全くの偶然だが、世の中には「SDGs」には聖徳太子の教えが込められていると説く人がいるとかいないとか。まあ、話のつかみとしては悪くないかな・・。

2004年に再建された本堂に上がる。インド産の白檀の原木で造られた千手観音が本尊である。白檀は本来禁輸されているものだが、インド政府のご厚意により特別に持ち出すことを許され、現代の名仏師である松本明慶氏の手による彫られたもの。丈六で、実際に千の手を持つ千手観音像は珍しいものとされる。本堂の床に座り、ちょうど千手観音像と相対する形でのお勤めである。

本堂の横から改めて周囲の景色を見渡す。新幹線の走行音も響くところだ。

西国三十三所、四国八十八ヶ所をそれぞれ38度巡拝したことを記念した人が奉納した石碑もある。上にはいくらでもいるものである。

境内の横に、観音寺城跡、そして桑實寺への道案内がある。これから向かう西国四十九薬師の桑實寺だが、同じ繖山の反対側にあり、登山道が続いている。初めて観音正寺に徒歩で来た時は、帰りに桑實寺を経由して安土駅まで戻った。今回も山道を通れば距離は近いが、レンタカーを置いているし、同じ山道を通るのも時間がかかる。このため、繖山を回り込む形で桑實寺に向かうことに・・・。

コメント

第32番「西明寺」~西国四十九薬師めぐり・35(緑がよく似合う山間の古刹)

2021年06月22日 | 西国四十九薬師

6月13日、この日は草津を起点にレンタカーでの札所めぐりである。向かったのは駅前の日産レンタカー。格安プランがあり、12時間までの利用、免責補償制度なしで税込3025円。日産ノートがこの日の相棒となる。

西国四十九薬師、西国三十三所めぐりと合わせて5つの札所を回るコース。草津を朝8時に出発して、まずは最も遠い甲良町にある薬師第32番・西明寺に向かう。その次は近江八幡市まで来て、西国第32番・観音正寺、薬師第46番・桑實寺、西国第31番・長命寺と回り、最後に湖南市で薬師第47番・善水寺に参詣して草津駅に戻る。札所めぐりの団体バスツアーのような行程だ。広島への戻りがそれほど遅い時間にならないよう、レンタカーの返却は17時とした。

おそらく5つとも回れるとは思うが、時間経過によっては薬師めぐりを優先させるべく、長命寺を省略して善水寺に向かうこともあるとした。もちろん、ゆっくり昼食をとることはできないだろう。それでも、この値段で移動できるのはありがたい。

ということで、まずは西明寺に向かう。草津駅から国道1号線に入り、国道8号線との分岐を過ぎる。現代版の東海道と中山道の分かれ目である(国道8号線じたいは北陸に向かうが)。そして栗東インターから名神高速に乗る。まずは距離と時間を稼ぐプランだ。

それはいいが、このクルマはルームミラーがカメラ+モニターになっている。後方カメラの映像がルームミラーに映し出されるものだ。これを搭載したクルマに乗るのは初めてだが、反射の加減で後から来るクルマが実際のミラー画像と二重に映るし、目視と比べて距離感がつかみにくい。途中、菩提寺パーキングエリアで休憩を兼ねて停車し、接続を普通のミラーに切り替える。トラックのように後方を直接目視できない場合は有効だろうが、普通車にはどうだろうか・・。

カーナビは八日市インター下車と指示するが、八日市の先にある湖東三山パーキングにETC専用のスマートインターチェンジがある。カーナビが案内しないのは、クルマにETC読み取り機がついていないことを想定してのことかな。そのままスマートインターを出ると、カーナビの到着予想時間が数分短縮された。

これから向かう西明寺だが、金剛輪寺、百済寺と合わせて湖東三山と称される。紅葉の名所としてご存知の方も多いだろう。パーキングエリアの名前にもなるくらいだから名所であり、本来ならこの3つをセットで回るところだが、札所めぐりの都合で西明寺のみとさせていただく。クルマならともかく、公共交通機関で3つを回るとかなり苦労する湖東三山だが(秋の紅葉の時季には湖東三山めぐりの臨時バスが出るようだが)、その中で西明寺はまだましなほう。JR河瀬駅、または近江鉄道尼子駅から「愛のりタクシー」という予約型乗合タクシー利用とある。

草津駅から1時間ほどで到着。この日の天気予報は雨が降ったりやんだりのようで、外もどんよりとしている。

受付で拝観料を納めると、順路はまず本坊の庭園を通るとある。

江戸時代前期、望月友閑が築いたもので、「蓬莱庭」と呼ばれる。鶴や亀をかたどった石や、本堂に祀られる仏像をイメージした石の配置もある。紅葉の名所である湖東三山、この庭がポスターなどに登場することも多い。ただ、潤いを含んだ青紅葉の景色というのもよいものである。

また、苔が多いのも特徴である。苔寺と呼んでもいいくらいだ。ちょうどこの日のような天気が見頃ではないかと思う。他に訪ねる人もまばらだ。

本堂に出る。この本堂、そして奥にある三重塔は国宝に指定されている。西明寺が開かれたのは平安初期、三修上人によるとされる。この三修上人という人は修験道の修行も行っていて、霊山としての伊吹山を開いたともされる。この地の池に紫の光が差すのが見え、その池に祈念すると薬師如来、日光・月光菩薩が現れたという。そして勅願によりこの地に寺を建てた。西明寺の名前は、その紫の光が西の方向を照らしていたことからつけられたという。

本堂に上がる。中では寺の方から、足を楽にして正面に座るよう案内される。現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の建造で、本尊の薬師如来は比叡山延暦寺の根本中堂と向かい合うように祀られているという。

本尊は秘仏として厨子に安置され、周りを日光・月光菩薩、そして十二神将という「チーム薬師」で固める。十二神将はそれぞれの干支の守護神だが、西明寺の十二神将像には、頭の部分にそれぞれの動物がわかりやすく乗っかっている。寺の方がライトを照らして一つ一つ見せてくれる。その昔、文字が読めない人たちにも自分たちの守護神がどれかわかりやすくしたのではないかのことである。

この西明寺も、織田信長の延暦寺を始めとした焼き討ちの被害に遭った寺の一つである。しかし、寺の僧たちが山門近くの建物を激しく燃やして全山が焼けたかのようにしたおかげで、本堂と三重塔だけは焼け残り、本尊も無事だった。江戸時代に徳川氏の援助もあって復興、先ほど見た本坊庭園も築かれた。

ここでちょうど雨が落ちてきた。二天門から石段を下る。夫婦千年杉や十一面観音像、伝教大師像なども並ぶ。

朱印は受付で拝観料を納めた時にバインダー式のものをいただいた。

全体的に雨も似合う、山間の落ち着いたたたずまいが感じられたところだった。ここだけが札所めぐりの目的地ならば、湖東三山の残りの2ヶ所にも行くとか、少し足を延ばして多賀大社あたりにお参りしてもいいかなというところだが、何せこの日は湖東の薬師・観音の5ヶ所参りである。次の観音正寺へは名神高速に乗っても中途半端なので、下道を通ることになる。雨が結構強い中、ここで進路を西に変えることに・・・。

コメント

西国四十九薬師めぐり~今回は滋賀・草津で前泊

2021年06月21日 | 西国四十九薬師

6月12日、広島14時03分発の「こだま852号」新大阪行きに乗る。この日は移動日で宿泊、翌日に札所を回るスタイルである。このところこのパターンが続いている。

使用するのは「新幹線直前割きっぷ」。広島~新大阪の「こだま」指定席で6200円と、通常より4000円ほど安い。乗車3日前~前日までの購入(列車の変更不可)だが、現在はこういう状況なので指定席も余裕で確保できる。ただ、このきっぷも6月27日乗車までの設定で、それ以後はどうなるかわからない。(この時点ではまだ正式に発表されていなかったが)緊急事態宣言も解除されたところで、乗客も戻ってくるのだろうか。

使用される車両の形式をよく確認しておらず、「こだま852号」は500系使用なのを見落として、元グリーン車の6号車ではなく別の車両の指定席を取っていた。このきっぷでは同じ列車でも座席変更は不可。そのまま乗って行く(座席は700系レールスターと同じで快適は快適なのだが)。

この列車は新神戸以外の各駅で列車通過待ちの停車時間がある。そのため、広島から新大阪まで3時間かかるが、午後の時間帯をゆっくり過ごすのには適している。少し時間が短かった三原以外では、ホームに着くとしばらく外に出て写真も撮る。

岡山では20分停車。この間に新幹線改札内のコンビニ、売店などのぞいてみる。緊急事態宣言の影響で酒類の販売が休止になっており、また16時前だが駅弁も数を抑えているのか売り切れが多い。

この後、相生だけはウトウトしていて停車中も外には出なかったが、姫路、西明石と通過待ちを楽しみ、17時12分、新大阪に到着。すぐ接続の17時20分発の新快速に乗る。

そしてやって来たのが草津。今回の滋賀での宿泊地についていくつか検討したが、レンタカーの手配、札所の配置、そして札所めぐり後の移動を考えて草津に決定した。歴史的に見ても東海道と中山道が交わる宿場町で一度泊まるのもいいだろう。

ホテルも何軒かあるが、その中で手頃な価格といえるアーバンホテル草津に泊まる。デスク部分には丸テーブルを併用しており、その分自由に使えるスペースができる。

滋賀県は緊急事態宣言、まん延防止重点措置のいずれでもないためか、飲食店も感染対策を取りながら通常通り営業しているようで、どこも大勢の客で賑わっている。中には制限がかかっている大阪や京都からわざわざ来ている人もいるのかな。草津で一献も初めてなので、現地でぶらつきながら手頃な店に入ろうかとも思ったが、万全を期すために事前に席だけ予約しておいた。

入ったのは「酒場スタンド ウオマル」。大衆酒場とバルの雰囲気を合わせ持った雰囲気である。2019年に開店したまだ新しい店である。店員、客層ともに若く、私のようなオッサンはちょっと浮いているかな。

ちょうど調理スペースをカウンターが円形に囲んでおり、大将の包丁さばきを間近で見ることができる。また中央には巨大なセイロ。蒸し物もいろいろあるという。

「海のない滋賀県でもおいしい魚を」というのがコンセプトのようで、近隣の敦賀港、あるいは反対に太平洋側の土佐からの魚が出会うとして、刺身盛り+カツオのたたきという「ウオマル盛り」が名物である。

他の魚料理は、敦賀港からのキアラ(アオハタの別名)。セイロ蒸しか塩焼きを選択できたが、ここは塩焼きを選択。あっさり、上品な味わいである。

地酒も注文・・ということで、メニューの一番上にあった草津の地酒「道灌」をいただく。道灌・・江戸城を築いた太田道灌のことかと思って調べると、蔵元の先祖が太田道灌ということからその名がついたという。

締めは、じゃあセイロ料理ということで特大小籠包を。特大の小龍包・・・肉まんとはどう違うのかなと思いつつも、美味しくいただいた。

結局1時間半ほど滞在して、これでよい感じになって店を後にする。次の店はなく、コンビニで飲み物を追加で購入して部屋でいただく。翌日のレンタカーは営業開始の8時からの利用なので、朝はゆっくりできる・・・。

コメント

西国四十九薬師めぐり~プロ野球が無観客試合になったもので・・・滋賀まで出かけます

2021年06月20日 | 西国四十九薬師

6月12日~13日にかけては、まだ緊急事態宣言の発令中ではあるがもう出かける前提でいた。久しぶりの野球観戦ということで、バファローズ対カープという、例年のごとく観戦しているカードのために広島から大阪に出向く予定にしていた。チケットも確保していた。

ところが、大阪府の観戦・・もとい感染予防対策ということで、6月以降は平日の試合は上限5000人で観客を入れることになったものの、土日の試合は無観客で行われることになった。またしても、今季初観戦の機会を逃してしまった。結果的に、11日に山本の好投、12~13日も接戦を制してバファローズがカープに3連勝、見事に交流戦優勝を飾ったのだが、その交流戦優勝を目の前で観たかったなあ・・・。

さて、話は大阪での試合が無観客開催となったところに戻る。野球がだめでも、関西に向かうということで、西国四十九薬師めぐりをここで入れるか。6月~7月には入れておこうと思っていたところ。前回、4月に丹波シリーズとして3ヶ所回った後でのくじ引きとサイコロの出目により、滋賀の湖東シリーズとなった。第32番の西明寺、第46番の桑實寺、そして第47番の善水寺。この中で善水寺は、私の転勤でくじ引きのグループ分けを再編するまでは結構くじ引きで出走表に上がることが多く、ようやくというところである。

場所は滋賀県だが、3つの札所は広範囲にわたっている。加えて、公共交通機関ではなかなかハードなこと、さらに、西国三十三所の第31番長命寺、第32番観音正寺もくっつけるのが条件である。各札所の移動はクルマということにする。広島からマイカーで行くかとも考えたが、さすがに移動距離が長いのと、12日の午前は広島での用事を入れたので時間がない。結局、12日は広島から滋賀まで新幹線プラス在来線で移動した後に宿泊、そして13日の朝から夕方まで時間をかけて合計5ヶ所を回り、同じく在来線プラス新幹線で戻ることにする。きっぷ、宿はこの時期どうにでもなる。札所めぐりのツアーのような慌ただしさだが、関西への移動回数の軽減のため、西国四十九薬師めぐりと3巡目の西国三十三所めぐりを大括りにしたのだから仕方ない。

・・ということで、昼食を済ませた後、昼過ぎの広島駅に現れる。この日は移動日ということで、「直前割きっぷ」で購入した「こだま」でまずは新大阪に向かう・・・。

コメント

第12番「国泰寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(広島の中心にその名があるが・・)

2021年06月19日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐり、次は第12番の国泰寺である。

国泰寺といえば国泰寺町という地名があり、広島の中心部である。国道2号線が東西に走り、国道54号線の起点でもある。広島市役所、広島中央郵便局、広島の名門・国泰寺高校もある。

寺も当然ここにあるのだろうと思っていたが、スマホ地図が示すのは西区の己斐峠。これは間違いではなく、別の寺でもない。国泰寺はもともと広島の中心部にあり、国泰寺町も寺から取られた名前なのだが、1978年に「都塵を避けて清閑な」現在地に移転したという。

己斐峠は第9番の金剛院に向かう時にも通っており、国泰寺は己斐峠のバス停近くにある。そこには後で向かうとして、まずは以前にあった国泰寺の跡を訪ねることにする。ちょっと変則的な札所めぐりだ。

前日の安楽寺に続いて6月6日、やって来たのは国道54号線(鯉城通り)と平和大通りが交差する白神社交差点。ここから南、写真の向こう側が国泰寺町である。

そこに建つのは白神社。かつてこの辺りは海で、現在神社がある地点は海面から突き出た岩礁だった。その岩礁に衝突する船が後を絶たなかったために、事故防止のために白い紙を立てるようになった。後に三角州が広がり、干拓も進んだことでこの辺りは陸地になったが、地域の守り神として、白い紙が立てられていた岩礁に祠を建てた。これが白神社の起こりとされ、毛利輝元により社殿が整備された。

まずはこの白神社に手を合わせる。拝殿に上がると神主がお祓いをしてくれる。拝殿の後ろには、当時のものとされる岩礁が残っている。

白神社の鳥居の前にちょっとした憩いのスペースがある。ここはかつての国泰寺の愛宕池である。白神社の岩礁と地下でつながっているとされ、国泰寺の遺構として現在も残されている。

で、国泰寺があった場所はどうなっているのかということだが、現在はANAクラウンプラザホテル広島が建っている。

これから、移転先の国泰寺に向けて移動する。その道中で国泰寺の歴史について。

国泰寺を開いたのは、戦国時代の毛利氏に仕えた安国寺恵瓊。当初はその安国寺という名前だったが、恵瓊が関ヶ原の戦いで斬首された後、広島に入った福島正則により国泰寺と改められた。福島氏の後を受けた浅野氏からは手厚い保護を受け、境内も1町四方にわたったという。新たに埋め立てて開発された一帯は国泰寺村となり、現在に続く。

この場所ということで原爆で全壊し、戦後に再建されたが、市内の再開発が進む中で上記のとおり己斐に移転した次第である。こうした歴史も、今回がきっかけで初めて知った。

さて、西広島駅からボン・バスに乗り継ぐ。先日と同じように道幅が狭く、また交通量も多い中を上って行く。

己斐峠のバス停に到着する。ここから坂道を少し下ったところが現在の国泰寺。ちょうど境内からは広島の街を見下ろすことができる。広島の中心部の一等地もいいが、こうして高台の見晴らしのよいところに堂々と寺を構えるのも気持ちいいだろう。

寺というよりは武家屋敷に見えないこともないが、堂々とした造り。当然建物は現代風である。

中に上がると、結構な人数を入れての法要もできるくらいの広さ。本尊は釈迦如来である。畳に座り、お勤めとする。

あちらこちらにあしらわれているのは浅野氏の家紋である。浅野の一族も郊外で悠々自適といったところかな。

さて、恒例の?朱印が入った箱探しだが、国泰寺は本堂の片隅にあり、すぐに見つかった。黒い箱には札所番号の「12番」と書かれたテープが貼られていたが、その横に「50番」と書かれたもう一つの箱がある。広島新四国の第50番はどこかと見ると、黄金山の近くにある地蔵寺とある。ひょっとするとこれは、第50番に行った後、朱印だけは国泰寺まで取りに来る必要があるのか。まあ、今のペースだと50番までたどり着くのはかなり先のことだが、覚えておこう。

この後は境内の三十三観音像や仏舎利塔、そして市街地の景色を眺める。国泰寺も広い墓地を持っているが、その下にも広大な墓地がある。こちらは広島中央霊園である。

さて帰りだが、己斐峠のバス停から西広島駅までバスに乗ればいいことだが、ふと、同じ西区にある自宅まで歩いてみようという気になった。実は直線距離だと案外近いようで、またここからだと下りコースである。

・・ということで、国泰寺の現在の伽藍を背に坂道を下る。チェーンが張られているのでクルマは通れないが、歩行者は問題なさそうだ。そのまま広島中央霊園の中を通る。

この後、下り一辺倒かと思うと案外上りもあり、アップダウンの中、己斐上、高須台の住宅地を抜ける。やはり見晴らしがいい。途中のある地点では、私の今の住まいの建物は直接見えないが、近くの目印がはっきりとらえることができ、新たな発見にもなった。

地図上ではぐるりと回るところも歩行者用の階段があり、これで一気に下る。逆だったら大変だが。

最後は急な下り坂となって、西広島バイパスの下をくぐる。ここまで来れば先が見えてきて、広電の高須に到着。地図で道を調べながらだったので国泰寺から1時間近くかかったが、ちょうどいい汗をかいた。帰宅したらビールでも一杯やるか・・・。

コメント

第11番「安楽寺」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(八十八ヶ所で浄土真宗とは)

2021年06月18日 | 広島新四国八十八ヶ所

いくつもの札所めぐりが同時進行する中、今回は身近な広島新四国八十八ヶ所めぐり。第10番までを終えて、次は第11番。手持ちのスマホアプリでは、南区の宇品神田にある「養徳院」と出ていたが、八十八ヶ所の公式サイトでは「安楽寺」と出ている。場所も東区馬木とまるっきり異なる。

この広島新四国八十八ヶ所、これまでにも札所の入れ替えが行われることがあり、最近では2019年に養徳院を含む3ヶ所が入れ替わった。それぞれに入れ替えの事情があるのだろう。現在手持ちの納経帳バインダーはそれが反映されている。ということで、これまでの佐伯区、西区から市街地中心部を一気に通り越して、東区に向かうことにする。

安楽寺があるのは県道70号線(温品通り)沿い。この辺りは広島市街と山陽道の広島東インターを結ぶ高速1号線からちょうど見下ろすところである。

6月5日、この日はマツダスタジアムでカープ対イーグルスの交流戦があるために赤い人たちもちらほら見かける広島駅から出発である。新幹線口に出て、広島バスの小河原車庫行きに乗る。

バファローズ山岡投手の出身校である瀬戸内高校や大内越峠を通る。現在、高速1号線の温品ジャンクションから広島駅新幹線口のすぐ近くまで通る高速5号線の建設が進んでいる。

遠くに高速1号線を見ながら、こちらも少しずつ高度を上げていく。住宅も切れ間なく続いて行く。

西の畑バス停で下車。安楽寺への道しるべもあり、それに沿って狭い坂道を上る。

寺の門前らしく、さまざまな言葉、訓話がガラスケースに掲げられている。「馬木仏教婦人会」とあるが、仏教婦人会とは浄土真宗本願寺派の信徒の皆さんの集まりである。どんなものか、「仏教婦人会総連盟」というところのサイトをのぞいてみると、全国31の教区にあって、広島(安芸教区)は全国有数の数の婦人会があるという。さすがは安芸門徒の伝統を持つ地域だ。

そして、これから訪ねる安楽寺も、浄土真宗本願寺派の寺である。あれ?と思う。いわゆる八十八ヶ所は弘法大師空海だから真言宗の系統というイメージがある。実際には四国の本場の八十八ヶ所にも天台宗や臨済宗、曹洞宗といった他の宗派の寺院もあるのだが、浄土真宗というのはお目にかかったことがない。でも、八十八ヶ所でも阿弥陀如来を本尊とする札所があるし、あまり難しく考えなくてもいいのかな。

また、安楽寺そのものが元々は真言宗の寺院で、戦国時代に浄土真宗に改められた歴史もあるようだ。現在の本堂は江戸末期のもの。

境内には親鸞聖人の像が建つ。弘法大師でないところがまた異色だが、それはそうと、なぜ2019年に広島新四国の札所を引き継ぐことになったのだろうか。

その広島新四国の札所は、本堂の脇にある薬師堂である。当初は別の山中にあったのが、風雨により傷んだために改築することになり、参詣しやすい場所を求めて1965年に現在地に移されたとある。阿弥陀如来、薬師如来に向かってお勤めとする。浄土真宗では般若心経を唱えないので何だか妙な感じがするが。

そして、広島新四国の朱印探しである。この札所めぐりは「セルフ朱印」ということで、納経所ではなく書き置きを収めた箱を探すことになる。ただ、本堂の前、あるいはその隣の庫裡の前にあるかと向かったが見当たらない。

ひょっとしたら・・ということで、薬師堂の扉を開けてみる。すると、その下にありましたわ。文字は「南無阿弥陀佛」。

せっかくここまで来たので、もう少し奥に向かう。バス路線は広島東インターを過ぎ、芸備線の上深川まで抜けるのだが、大部分は手前の小河原車庫までの運転。

そこで、小河原車庫の一つ手前の下氏の原で下車して、坂道を上って「ふかわの湯」に向かう。安芸の戦国武将・吉川興経も深川の地に幽閉された時に浸かったという伝説もある。以前の広島在住時には1回来たくらいかな。

巡拝の後の一浴びというのもいいものである。

今回は抜けることができなかったが、この先の中深川にも札所がある。また順番が来たら、今度は芸備線の気動車に乗って訪ねることにしよう・・・。

コメント

第1回中国四十九薬師めぐり~第1番「大村寺」(また新たな札所めぐり、始めます)

2021年06月17日 | 中国四十九薬師

中国観音霊場めぐりを終えたその足で、新たに「中国四十九薬師めぐり」というものを始めることにした。またしても、霊場めぐりの多重債務である。

現在、関西2府4県プラス三重を加えた西国四十九薬師めぐりは全体の7割ほど進んでいるが、他の地方にも同じように薬師めぐりがある。この中国四十九薬師めぐりが開かれたのは1997年と、まだ年月は浅い。エリアは当然中国5県にわたっており、岡山県10ヶ所、広島県12ヶ所、山口県11ヶ所、島根県6ヶ所、そして鳥取県10ヶ所と分散している。

中国観音霊場と比べてもカバーするエリアは広い。中国観音霊場の札所が中国地方の外周部にあることがほとんどだったのに比べて、こちら中国四十九薬師は中国山地の中央部にも分布している。これから向かう第1番の大村寺があるのは備中の山中の吉備中央町で、他にも津山や三次といった美作、備北の中国自動車道の沿線にも札所が点在する。今は無き三江線の沿線にもある。また一方ではしまなみ海道の島々や、日本海に突き出た半島の先端にも札所がある。

中国地方のさまざまなところを回るという意味では手ごたえがあるし、初めて訪ねる地も多い。

最初から広島を起点に回る(観音霊場めぐりの時は、前半は大阪からの出発だった)形だが、西国四十九薬師めぐりでやっている、次の行き先を決める「くじ引き&サイコロ」は行わずに、基本的に札所のあるエリア順で回ることにする。ある種の中国一周である。

また、交通手段も柔軟に考える。・・というより、クルマを使う場面が圧倒的に増えると見込まれる。そもそも、第1番の大村寺からして公共交通機関でのアクセスが困難なところ。そこは逆に、クルマでなければ行けない観光スポットを組み合わせるのもいいだろう。

・・・ということで、まずは大村寺に向かうべく、岡山自動車道を北房から南下して賀陽インターで降りる。インターの手前で寺のすぐ横を通っていたのだが気付かなかった。インターから周囲に何もない山道を走り、先ほど通った岡山道の高架橋の下に出る。

最後は急な上りとなり、周りに集落が開けたところで大村寺の広い駐車場に出る。他にクルマ、参詣者の姿はない。

中国四十九薬師めぐりの第1番の石碑もある。いよいよ、新たな札所めぐりの始まりである。

山門の脇に松の木がある。2代目の錦松とのことで、かつては樹齢350年ほどの巨大な松が生えていたそうだ。その周りに「層嶂(そうしょう)の庭」が広がる。吉備高原の山脈の景観を芝生で表し、白砂で雲海を象徴しているとある。この日は快晴だったが、この辺りでは季節によっては朝方に雲海を見ることができるそうだ。

山門をくぐる。

山門を入ったすぐ脇には「鶴亀の庭」がある。枯山水で鶴と亀を表現しているそうで、鶴が羽を広げる様子、亀が首を上げる様子が見て取れる。この2つの庭は、昭和の作庭家・重森三玲(みれい)が設計し、弟子であり知人だった西谷康男が造ったとある。

重森三玲は現在の吉備中央町の出身で、枯山水の作庭を得意とした。代表的なのは東福寺の方丈庭園だそうだが、他にもあちこちの寺社の庭を手掛けている。中国観音霊場めぐりの第15番である周南市の漢陽寺の曲水の庭もそうだ。吉備中央町にも作品が点在しているという。また最近も重森という名前を目にしたな・・と思いめぐらせると、西国四十九薬師めぐり・福知山の長安寺の大方丈前の庭もそうだった。ただしこちらは重森三玲の子・完途の作品。

庭の反対側には茶室がある。「功徳庵」とあり、これも重森三玲の作品である。岡山市内に建てられていたのを移築したそうだ。一般には公開していないようで門も閉じられているが、垣根が低いため建物全体を見ることができる。茶室の価値はよくわからないが、三玲の最高傑作との評価もあるそうだ。

ここで石段を上がり、本堂に向かう。

大村寺は聖武天皇の勅願で行基により開かれた。往時は12の子院を有して栄えていたが衰退、鎌倉時代に実智上人により再興された。

現在の本堂は江戸時代、備中松山城主の板倉勝職により再建されたとある。扉は閉ざされているため、そのまま外にてお勤めとする。

本堂の奥に進むと、五輪塔群に出る。岡山道の建設工事のため、大村寺遺跡を発掘した時に見つかったものである。鎌倉時代~江戸時代のものが160基ほどあり、岡山県下で発掘されたものとしては最大規模という。

見どころとしては重森三玲関連のものが多い印象だが、本堂と合わせて一つの山を構成しており、中国薬師めぐりの第1番にふさわしい印象だった。

さて、朱印である。何かの情報で、中国四十九薬師めぐりは書き置きのバインダー式を採用しているとあった。ひょっとしたら寺の方が不在がちで直筆が難しいところがあるのかもしれない。納経帳に直筆でなければありがたくないと思う方も多いだろうが、こうした「ローカル札所めぐり」ではそうとばかりいかないのも事実である。

本坊に向かう。こちらの庭園もなかなかのものである。

納経所の札は出ているがカーテンが閉まっている。これは書き置きのパターンかなと思い、窓の前にあった箱を取る。

すると、「申し訳ありませんが留守の時は名簿にお名前をご記入下さい 後日郵送させて頂きます 朱印300円也 送料120円也」という紙が出てきた。果たしてその下には名簿があり、要はここに住所氏名を書き、箱の中にお金を置く仕組みのようだ。

せめて書き置きくらいないのかと思いつつ、まあ郵送してくれるならとその通りにしておいた。これだけの寺で不在というのもどうかと思うが(隣接して、寺の方の自宅と思われる建物はある)、法要で外出しているのかもしれないし、寺にもいろいろ事情があるのだろう。まあ、送られてくるのを待つとして、名前を書き、箱の中に(裸だが)お金を入れ、ここで寺を辞去した・・・。

・・・これが5月30日のこと。そして、この記事を書いているのは6月17日。もう半月以上経過しているが、大村寺から何か送ってきたということはない。不在の場合とあったが、半月も不在??そんなわけないだろう。これは手違いか、放置されて忘れられているか。

こういう場合、寺に電話で問い合わせるべきなのか、何なら現金書留でもう一度送って督促すべきなのか。ことが趣味の札所めぐりなだけに悩ましい。

もう一度大村寺を訪ねるという手もある。先に、大村寺への公共交通機関でのアクセスは困難と書いたが、ふと帰り道、岡山道の高架下にバス停を見つけた。備中高梁駅から出ている備北バスの便で、ご多分にもれず1日数本というところだが、昼過ぎの便に乗れば1時間半ほどの待ち時間で折り返しができる。ただ、そうして来たのはいいがまた不在だったら嫌だし、どうしようかな・・・。

ともかく始めることにした中国四十九薬師めぐりだが、この先もさまざまな出会いがありそうだ・・・。

コメント

第20回中国観音霊場めぐり~これにて中国一回り完結。そして・・・

2021年06月16日 | 中国観音霊場

国道53号線で岡山県に入り、奈義を過ぎて陸上自衛隊の駐屯地もある日本原を過ぎる。それにしても、日本原高原とは何とも雄大な名前だ。

勝北から県道に入り、やって来たのは因美線の美作滝尾駅。

昭和の初めに因美線が全通した時に設けられた駅で、その当時の木造駅舎が今も残っている。「昭和初期の標準的な小規模駅舎」という点が評価され、登録有形文化財にも指定されている。また、映画「男はつらいよ」のロケ地になったこともある。前回は列車で通過しただけだったので、今回久しぶりに立ち寄ってみることにした。

ちょうど訪ねた時はもう1台クルマが停まっていて、同じように駅舎見物に来ていた男性がいた。

駅としては当然無人なのだが、待合室は荒れることなくきれいに整理されている。こういうのは地元の人たちがボランティアで管理しているのだろう。ホームには花壇もある。

窓口や改札口の使い古した木の質感がいい。壁にはロケ当時の山田洋次監督や渥美清さんの写真パネルが掲げられているが、「美作滝尾駅ほど美しい駅はもう日本のどこにもありません」と、この駅をロケ地に選んだ山田監督の言葉が残されている。

そうした駅だけに、今もネットや雑誌でたびたび取り上げられる。私も中国地方一周、津山に来るのならということでこうして立ち寄った次第だ。

また、今は使われていないが貨物用の側線と上屋の跡もある。私は直接目にしたことがないのだが、昔はこうした小規模な駅でも貨物の取り扱い設備があり、小荷物の窓口もあった。その後、物流の仕組みが大きく変わったことでこうした小荷物の扱いもなくなったが、ここに来て、宅配貨物を新幹線やローカル列車、バス、タクシーに乗せる「貨客混載」が少しずつ増えている。利用客が少なく、採算が取れないローカル路線の維持と、運転手不足、環境対策を抱える物流業界の課題緩和が期待されている。

これで美作滝尾を後にする。この後は津山の扇形機関庫「津山まなびの鉄道館」でも訪ねようかと思ったが、市街地の東にある津山インターからそのまま中国自動車道に乗った。一応、これで中国観音霊場めぐりについては、おまけの部分も含めて結願とする・・・。

元号が令和になった直後の2019年6月に始めた中国観音霊場めぐり。当時は大阪に住んでいたが、日帰り、1泊2日での区切り打ちでシミュレーションしたところ、約20回で結願というルートとなった。実際のコース取りはいろいろ変わったが、20回で結願となったのは見立て通りである。最初は大阪からもっとも近い岡山県ということで日帰りが続き、広島県からは1泊コースとなった。

2020年に入ってからは新型コロナウイルス感染拡大にともなう緊急事態宣言で春の中国行きを中断したり、一方で夏のGoToキャンペーンの恩恵を受けたりと、世の中の影響もあった。

ただそれよりも一番の影響は、2020年の10月に私自身が大阪から広島に異動になったことである。札所めぐりとしては出雲にさしかかったところだが、これはもう、中国観音霊場各本尊のお導きとしか思えない。残りの島根、鳥取両県については広島を起点に出かけることになったが、札所へのアクセスもあり、これを機に公共交通機関利用の原則もマイカー利用も可とした。そしてちょうど2年かけて特別霊場含む37の札所を回ることができた。久しぶりの広島勤務の中、中国地方で久しぶりに訪ねるところ、また初めてのところとさまざまあり、地域を知るきっかけにもなった。

・・さて、中国道を走り、真庭パーキングエリアで少し遅めの昼食とする。そしてこのまま中国道で広島に戻ると見せかけて、北房ジャンクションから岡山道に入る。

実は、中国観音霊場めぐりを終えた後の企画として、もう一つ別の札所めぐりを始めることにしたのだ。今度は「中国四十九薬師めぐり」。また新たな中国地方一周の始まりとなる・・・・。

コメント

第20回中国観音霊場めぐり~智頭の石谷家住宅

2021年06月15日 | 中国観音霊場

話はまだ5月30日。中国観音霊場めぐりをめでたく大雲院で結願した後、まだ午前中だが少しずつ広島に向けて戻ることにする。鳥取県の東部から岡山県に南下して、中国地方一周のほうも完結させる。ここからは番外編、おまけ記事だ。

鳥取市街から国道53号線を南下する。国道53号線は鳥取と岡山を結ぶ幹線道路だが、こちらにも鳥取道という無料の高速道路が整備されている。今回は久しぶりに下道を通ることにしており、その高架橋も見ながらの走行である。

途中右手に天守閣の建物が見える。河原城という建物で、因美線の車窓でも目にしたことがある。秀吉の鳥取攻めの時に拠点として使われた城で、後に廃城となったが、平成初期のふるさと創生事業で河原町(当時)が犬山城を模した天守閣を築いた。展望台として使われているそうだ。

因美線の線路に沿って走る。前日の芸備線~伯備線~山陰線と線路に近いところを走った後、この日は因美線沿いということで、それなりにローカル線の車窓に近い視点での走行である。こうやって線路を横に見ると、次はあちらの上を走りたいなとも思う。

大雲院を出てから1時間ほどで智頭に到着。鳥取県南東部の玄関口で、かつては宿場町として栄えた。現在も因美線、智頭急行が出会う交通の要衝である。無料の駐車場にクルマを停め、昔ながらの家屋が並ぶ集落をしばらくぶらつく。ここを訪ねるのも久しぶりだ。

その智頭でもっとも規模が大きく、文化財としても重厚な石谷家住宅を訪ねる。かつての智頭往来に沿って建つ。

石谷家は江戸時代からの商家、庄屋であり、明治以降は山林地主として栄えた家である。現在の建物は大正から昭和の初期にかけて改築されたもので、さまざまな工法、様式が調和していることで建築史としても貴重な建物だという。

その中でも立派なのが土間にかかる梁。上部まで吹き抜けになっていて、重厚な雰囲気と広々とした感じを演出している。これだけ丈夫な梁があれば多少の雪でもびくともしないだろう。

室内を見て回る。企画展ということで、ところどころに甲冑も置かれている。

1階は客間もいろいろあり、さまざまな意匠が凝らされている。一つ一つを回るだけでも結構大変だ。

面白いのが、庭に面した和室。中央に円座卓があり、その上にはガラスの天板が置かれている。その円卓の上にカメラを置くようメッセージがある。

それがこちら。見事なシンメトリーである。ちょうど光の加減がいいのだろう。

その景色となった庭も池泉式、枯山水と、コンパクトながら奥行きの深さを感じさせる。

2階は生活の間といった趣。立派な神棚(部屋と同じだけの幅がある)も備え付けられている。

開け放たれた窓から見る瓦屋根も風情を感じさせる。懐かしい日本の商家の景色。

敷地には蔵も並ぶ。かつては米蔵や味噌蔵、食器等の保管庫として使われていたが、現在は企画展示室として使用されている。

このうちの一つで、ちょうど最終日という「桑田幸人 牛の版画展」というのが開かれていた。倉吉で獣医を務める一方、牛をテーマに数々の版画を手掛け、多くの賞を受けた方だそうだ。ちょうど丑年ということもあるし、東日本大震災の時に放たれて生き残った牛を描いた作品もある。震災から10年、困難から一歩踏み出すという願いにも改めて触れてほしいとのことである。

別の蔵では「折り紙建築」の展示。「折り紙建築」とは、建築家の茶谷正洋(故人)が考案したもので、「飛び出す絵本」のように1枚の紙を開けるとさまざまな建築物や模様を浮かび上がらせるのが特徴である。石谷家住宅もその作品に含まれる。下図を考えるだけでも大変そうだが、テキストも世に出ているという。子どもにデザイン、数学、芸術への関心を喚起するよい方法だとしている。

ここで智頭を後にして、岡山との県境に向かう。

佐用方面に向かえば智頭急行と同じく関西への近道、一方国道53号線をそのまま進めば津山を経て岡山に向かう因美線~津山線のルート。智頭はその分岐点である。

那岐で因美線の線路とは別れ、カーブで高度を稼ぐ。鳥取道を行くクルマが多いのか、行き交うこともほとんどない。まあその中でも、峠を攻めるということでスピードを上げるクルマもいるので、慌てて退避して先に行かせる。

そして黒尾トンネルを抜け、岡山県に入る。こちらは奈義、那岐山を挟んで同じ「なぎ」という読みである。この那岐山は「古事記」のイザナギ・イザナミ伝説に由来すると言われているそうで、古くから鳥取側に「那岐」の地名があったのに対し、岡山の奈義は昭和の戦後に3つの村が合併してできた町名で、読みは那岐山から取ったにせよ、鳥取側で那岐の字が使われていたために、奈義の字を当てたのだという。

さてこの先、津山インターから中国道に乗るのだが、その前にもう1ヶ所立ち寄りたいところがある。石谷家住宅ほどの豪勢さはないが、こちらも素朴な田舎の表情ということで・・・。

コメント

バファローズ、11年ぶり「交流戦優勝」!!

2021年06月13日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
期間限定のこととはいえ、「優勝」というのは響きがいい。おめでとうございます!

これまでも選手個々の力量は一定の評価があったが、ベンチワーク、あるいは肝心なところでの凡退で試合を落とすことが多かった。それが交流戦で歯車が噛み合った。また、軸になるところと柔軟に対応するところが上手くはまった。

優勝が決まった12日、本来なら大阪で観戦したかったのだが、無観客試合。代わりというか・・滋賀の草津にて一人祝杯を挙げた。なぜ草津なのかは、またいずれ。

ぜひ、13日のカープ戦にも勝って有終の美を飾ってほしい。

リーグ戦再開後も楽しみ・・・。
コメント