まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

JR発足30周年

2017年03月31日 | ブログ
プロ野球開幕のことはさておくとして・・・。

今から30年前、国鉄が分割民営化してJRが発足した。

私は当時中学生で、ちょうど「あちこちに行ってみたい」という気持ちが大きくなってきた年頃である。国鉄の赤字やら分割民営化がニュースの中で大きく取り上げられていたのも、「ローカル線に乗ってみたい」という思いを大きくしたことである。

ちょうど30年前の3月31日の「国鉄最後の日」。そうは言ってもいきなりの遠出旅行など親が認めてくれるわけはなく、大阪から奈良、京都などを回っていた。降りた駅で国鉄最終日の硬券の入場券を買おうとしたが、売り切れという駅が結構あったと思う。そして夜にはテレビ各局でやっていた特番を見ていた。翌日のJR発足初日も同じように大阪近郊を回っていた。

私の乗り鉄趣味が実践の段階に入ったのはちょうどこの頃である。そしてローカル線に乗り始めたのもこの頃で、広島県にある両親の実家を、新幹線でなくわざわざ中国山地の線区を一人で大回りしてから訪ねるところから本格的になった。

やがて進学や就職で自分の意志で出かけるようになるが、さすがにJR全線の乗りつぶしまでには、2009年の12月までの期間を要した。そこまで20年以上。また、その後開業した区間で言えば、北海道新幹線、仙石東北ライン、東日本大震災後の復旧新線、広島の可部線ね復活新線は未乗車である。

30年というのは長い。全体的なサービス向上や、快適な列車や観光列車も登場し、設備もいろいろ立派に、かつ個性的なものも登場して定着した。ただ一方では会社間の格差や、ここに来て廃止路線、廃止区間の問題が浮上するというのもある。残るローカル線も、無人化、ワンマン運転、車両の小型化が当たり前になり、昔は当たり前に走っていた車両の臨時運転やサヨナラ運転が一大イベントと化して、乗り鉄や撮り鉄が騒ぐという光景が見られる。鉄道や趣味を取り巻く環境は大きく変わった。

また、さほど注目されていないがJR貨物は、単年の営業収益が黒字になった。企業努力も大きいし、昨今のトラック輸送を取り巻く環境が鉄道の再評価にもつながった要因がある。私もこの関係に携わっていた時期があり、改めて良かったと思う。

まあ、30年が経過してこの次の10年、20年、そして30年後がどうなっているかである。明るい話題としてはリニア中央新幹線に北陸、北海道の新幹線、なにわ筋線があるが、一方ではローカル線の存続がある。特に北海道は路線の多くが単体での経営が困難とされている。また、鉄道を取り巻く環境も変化するのだろうか。

30周年という節目に当たり、改めて鉄道のこれまでの歴史、そしてこれからの役割を考えてみたいものである・・・。
コメント (5)

とりあえず、明日は勝とう。

2017年03月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
前の記事で選抜高校野球の準決勝のことを書いたが、本当に決勝戦が大阪勢同士となりびっくりした。選抜では過去には4例あったそうで、72年の東京同士以来とのことである(それ以外は愛知2回、京都1回)。

さて明日からプロ野球開幕。ここは選抜にあやかって、バファローズには勝ってほしい。このところ開幕戦は黒星続きで、特に昨年はサヨナラ負け。公式戦一つも浮上できなかった原因の一つと言える。

今年は本拠地開幕ということで少なくともサヨナラ負けはない。開幕投手の金子、2戦目のコーク、そして3戦目の西、それぞれがオープン戦では調子がよかった。後ろも澤田、黒木というルーキーがまずは起用される。後は打線の頑張りに期待したい。イーグルス開幕投手に内定していた岸が回避、エース則本も次カードに回るのはバファローズにはプラス。ただ、代役の美馬もなかなかの投手だし、打線は何がどう転ぶかわからないので、ナメてかからないほうがよいと思うが。

選手の皆さん、今年はファンの期待に応える戦いを願っています・・・・。
コメント

大阪勢同士の決勝戦となるか? そしてPL・・・

2017年03月29日 | ブログ
3月の関西は大相撲に選抜高校野球と全国的に人気のスポーツの注目が集まる。その中で、大相撲の稀勢の里の優勝の盛り上がりは皆さんもご存じのことと思う。

そして選抜高校野球は準決勝を終え、ベスト4の3校が関西勢。中でも履正社と大阪桐蔭と大阪の2校がそれぞれの山にあり、ひょっとすると決勝戦が大阪同士になるかもしれない。これまでの甲子園で、同じ都道府県同士の決勝戦というのはあったのだろうか。別に私は両校の関係者でもファンでもないが、もし決勝戦で対戦したら、初の甲子園優勝ということで履正社を応援するかなあ。

さて一方で、PL学園が野球部の高野連脱退届を出して受理されたという。何だか、一つの時代の流れかと思う。私が小学生~中学生の時はPL学園の全盛期で、桑田・清原、さらには立浪・野村・橋本というのが活躍した頃である。

PLで今も覚えていることがある。ちょうど中学3年の時、中学校で進路の説明会があった。その時に大阪府下の私立高校の一覧表が配られて、各高校卒業者の進路の実績も載っていた。そこには進学した大学や就職した企業名が書かれているのだが、PLの進路の欄に「中日ドラゴンズ」、「横浜大洋ホエールズ」、「読売ジャイアンツ」とあったのに笑った記憶がある。まあ、確かに進路実績だが・・・。

その時から30年が経つが、同校を取り巻く環境も変わり、学校の方針も変わるのも時代なのかなと思う。私は当時むしろ「アンチPL」のクチで、甲子園でPLを破った伊野商や取手二高に拍手したほうだが、今思えば、南河内の名物が一つなくなるのが残念という感じである。これからは花火だけになるのかなと思うと、ちょっとね。

またいつの日か、このユニフォームが復活するのを願うのである・・・。
コメント

オープン戦観戦記・オリックス対阪神(エースコックにBsCLUB大撮影会)

2017年03月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
26日は何と言っても大相撲が盛り上がった。稀勢の里の逆転優勝はいろんな要素が絡んでのことで、元々日馬富士に敗れた一番でも怪我がなければ次の2日は順調に勝っていたかもしれないし、それ以前に照ノ富士が勝ち進んでなければもっと早く決まっていたかもしれない。まあ、だからこそ余計にドラマチックなのだが。

ちょうどこの時、私は大正ドームを後にするところだった。スマホのワンセグ画面を見てワォーッ!!と吠えているおっさんがいて、何事かと思ったが、そういえば千秋楽の結果はどうだったかとチェックした。映像は帰宅して見たが、これが本当の「執念」かと感じた。「執念」とは、バファローズの東京応援団の旗にも書いてあるな・・・。

ということで本題のオープン戦。バファローズ対タイガースという、例年オープン戦の最後に対戦するカード。久しぶりに観戦とした。やはり黄色やタテジマ姿のほうが目立つ。この日は地上波でも中継があるが、どうせタイガース偏向報道しかしない局の中継であり、そんなのを聴かされるくらいなら現場に来たほうが早い。またこの日は2017年のBsSPIRITSユニフォームでの試合であり、試合終了後には選手、スタッフ、そしてこのユニフォームを着たファンクラブ会員との大撮影会がある。大撮影会は初参加なので、どんなものか楽しみだ。

この試合はエースコックの協賛デー。何でも、バファローズとコラボした「いてまえワンタンメン」なるものが発売されるそうで、ショップにも並んでいた。また、子ぶたのキャラクターがバファローズのユニフォームを着ていたりする。猛牛軍団に子ぶたとはこれいかに。外のテントでは100円でガラガラ抽選会をやっていて、軽い気持ちで1回回すと何と1等賞。ワンタンメンに、わかめラーメン、スーパーカップ、スープはるさめの豪華詰め合わせである。ちなみに、先着入場でワンタンメン1袋いただいたから、結構なお土産となった。

指定席をあらかじめ買っていたのだが、割り当てられたのが後方のブロックでしかも列の真ん中で見にくいため、いつもの上段最前列に陣取る。

エースコックの協賛試合とあって、わかめラーメンのCMキャラクターを務める柳沢慎吾さんが始球式に登場した。柳沢さんといえば自分で実況する長い始球式が有名で・・・この日は「神奈川県立わかめ高校対大阪桐蔭高校」という決定。初めてナマで観たが、こまかな演出もいろいろあり面白かった。

また、WBCにバファローズから唯一出場していた平野への慰労ということで花束贈呈もあった。

先発はバファローズが西、タイガースが能見。今週末が開幕と考えると、第3戦はいずれもこの投手が先発だろう。最後の調整だが、結果だけ見れば明暗が分かれたようだ。

ちなみにタイガースの3番には糸井が入り、バファローズファンからも拍手が起きていた。確かに、昨年はこの場所から同じ背番号7を見ていたのだが、改めて違うユニフォームを見て、移籍したんやなと実感する。この日の糸井はタイムリーを含む2安打1打点。ランナーとしては激走、守備ではスライディングキャッチを見せ、翌日の関西マスコミは糸井を全面的に讃える記事であふれていた。

そんな糸井に比べて扱いは小さかったが、西は7回2失点と試合を作り、こちらもバファローズ先発の柱の活躍が期待できる。

一方で打線は、初回に能見の不調に付け入って一死満塁として小谷野がタイムリーで先制。ただ、続くT-岡田が簡単に打ち上げて追加点が奪えない。今年もファンは期待するがなかなか応えられないのかな・・・? その中で目立ったのが西野。2回には2点タイムリー、4回にはタイムリー三塁打と存在感を出していた。

バファローズは8回に澤田、9回は黒木という新人二人が登板。平野が最後に出るかなと期待していたことについては残念だが、オープン戦を通して好評を得ていた二人。シーズンでの活躍を楽しみにしたい。試合は4対2でバファローズの勝利に終わる。今年のオープン戦は何とか勝ち越すことができて、シーズンへの励みにしてほしい。

さて試合終了後、数の多かったタイガースファンはほぼ全てドームを後にしたが、バファローズファンの結構な数が残っている。これからの大撮影会の準備待ちで、グラウンドの様子を見守る。

やがて準備完了ということで、両側の大商大シート、ライトフェンスからファンがグラウンドに入場する。そしてファンクラブ会員の種別ごとに設けられた集合場所に向かう。私のゴールドはセンター方向である。この大撮影会、ホームベース付近を起点としてまずは監督、コーチ、選手が並ぶ。次にBsGirlsのメンバー、チームスタッフが並び、その後ろにファンクラブ会員のランクが高い順に並ぶ。それでVの字を作るというもの。ファンクラブ会員の種別をグラウンドでチェックするとアナウンスがあったが、実際はなかった。そこまで手は回らないだろうし、ファンそれぞれの良心によらざるをえないだろう。

位置決めで塊が少しずつ狭くなる。私も内野のそれなりのところまで詰めてきた。ようやく位置が決まったところで、ホームベース後方でゴンドラに乗ったスタジアムDJの平野さんから声がかかる。「勝利を」で右手を開けて上に掲げ、「いただき!!」で右手を拳にして顔の横に持って来る動作をするようにと言われる。そしてリハーサルを経ての本番。

今回撮影した画像や動画はまたアップされる。ポスターにもなるのだろう。またその時は、「まつなるを探せ!」とでもやってみようと思う(別にそんなおっさんを好き好んで探そうという方はいないだろうが・・)。

こうしたファンの集まりもいいと思う。31日からはいよいよ公式戦。相変わらずパ・リーグは強豪が競合する中ではあるが、今年こそ、その中に割って入る熱い戦いを期待したいものである・・・。
コメント

第8回四国八十八所めぐり~高知の夜の過ごし方

2017年03月26日 | 四国八十八ヶ所
16時半、高知駅前に降り立つ。一連の四国めぐりで2回目のことである。

今回の帰りは、高知駅前を22時30分に出る京都行きのJR夜行バスである。これが三宮、湊町(JR難波)、大阪駅と停車する。翌日20日は休日ということもあり、夜行バスで旅費を浮かせて翌日は休養というスケジュールとした(夜行バスではなかなか眠れないということで)。金剛杖を初めて夜行につき合わせる。

それまでの間をどう過ごすかということで、まずははりまや橋に向かう。やはり高知の観光スポットということで、とりあえずは記念撮影という観光客が多い。ただ最近の高知はアンパンマン押しで、駅前からはりまや橋までの間にもキャラクターたちの像が建っている。子どもたちははりまや橋よりもアンパンマンの像との記念撮影のほうが人気ありそうだ。

半日歩いた後ということもあり、夕食は高知のものをいただきたい。「ひろめ市場」は次に行くことにして、この日は帯屋町のアーケードに行く。この通りを歩くのも久しぶりである。前に入った店も高知の名物がいろいろあってよかったが、せっかくなので「新規開拓」としよう。特に事前の情報なくぶらぶらと歩く。その中で「土佐海援隊」という、いかにも観光客向けという名前の店があったが、入りやすそうな感じではあるし、「90分飲み放題1000円」の文字が目を引く。「たっすいがは、いかん!」のキリンビール(ラガーではなく一番搾り)と、酒王・土佐鶴が対象になっていたのが決め手で、こちらに入る。店の名前からチェーン店らしいのをイメージしたが、中は昔ながらの居酒屋で、高知名物以外の一品ものもいろいろとある。平日であればサラリーマンが普通に使うような感じの店である。

高知に来ればいろいろと食べたいものがあるが、その中でカツオのたたき、はちきん地鶏のたたき、はらんぼ焼き、どろめ、のれそれといったところをいただく。鯨とうつぼはまたこの次だ。カツオのたたきというのも高知に来るたびにいただいている感じだが、店ごとに盛り付けの特徴があって面白い。持ち時間が90分というのであっという間に時間が経過したのが惜しまれる。最後は別に高知名物ではないが、珍しく雑煮があったのでこれで締めとする。

いい心持ちになって外に出るが、さて時間はまだ19時前。バスまで3時間以上あるが、さすがに2軒目に行こうというまではならなかった。どのように時間を過ごすかということで、昼間汗をかいたので入浴としよう。といっても高知にある特殊な浴場ではなく、普通の浴場である。はりまや橋からだと歩いて30分ほどというので、酔い覚ましを兼ねて歩く。高知駅というのが繁華街から外れた位置にあり。そこから東に向かうが、すっかり郊外の雰囲気である。商店も駐車場つきのロードサイド型のものが多い。

暗くなってたどり着いたのが、高知ぽかぽか温泉。郊外型のスーパー銭湯である。こちらで一風呂ということで大浴場やジャグジー、露天風呂で落ち着き、入浴後は畳敷きの休憩スペースで横になる。もう少し高知駅に近いところにあればいいのになと思う。

こちらは高知駅というよりは、1駅東の薊野(あぞうの)のほうが近い。駅舎もない、ホームだけの駅で21時36分発の高知行きを待つ。しばらくベンチに座っていたが、その間に特急列車、それに回送列車が高速で通過して結構スリルがある。何だかこういう駅で列車を待つというのも不思議な感じである。

列車で1駅、高知駅に戻ってきた。バスの発車までまだ50分ある。駅前も静かだし、この待ち時間というのも結構長く感じる。これならばもう少し食事の時間をゆったりと取ればいいかなとか、夜の桂浜を見に行くとかいう別の過ごし方もあったかなと思う。

そうこうするうちにバスが2台やって来た。1号車と2号車の2台運転である。これは須崎駅が始発で、すでに数人の客が乗っている。夜行ということで窓のカーテンが閉められている。また、網棚にもカーテンが置かれており、これを垂らすと座席と通路の間に仕切りができる。これを垂らすと一応個人の空間というのが確保される。そうした状態で発車し、はりまや橋、そして高知インターに停車する。両停留所からも結構な乗客があり、ほぼ満席となった。途中、吉野川サービスエリアでトイレ休憩、淡路島の室津パーキングエリアで運転手の休憩がある。下車する湊町バスターミナルは定時で5時50分着予定だが、運転手の案内では10~20分は早く着く見込みという。

夜行バスというのに何回か乗ったことはあるが、どうも慣れない。自分の身体がデカいためにシートは窮屈だし、昼間に乗り物でウトウトするのとは違って、寝なければという思いがある。今回は帰宅するだけで翌日は休養日だが、これから四国の西部、南部を訪ねる時には夜行バスでの現地入りのケースも出るだろう。今のうちから慣れておかなければ・・・と考えるから余計に眠れないのだろうが。

0時を回ったところで吉野川サービスエリアに到着。他の客もぞろぞろ降りるため、私も完全に目が冴える。ここは一度降りることに。

この後は、座る時間が長い中でいろいろ姿勢を変えたり、悶々とした感じの中で過ごす。それでも少しは意識が飛んでいたようで、気付けば三宮に到着していた。湊町まではもう少しとしてゆったりする。

5時40分、定刻から10分早く湊町に到着。後は大和路線で天王寺へ。阿部野橋から近鉄に向かうと、ちょうど前日乗った列車が到着したところだった。ちょうど24時間の旅だったことになる。

高知も結構中央まで来た。これからの高知行き、交通費がかさむところではあるがゆっくり楽しみたいものである・・・。
コメント

第8回四国八十八所めぐり~第30番「善楽寺」(および土佐神社)

2017年03月25日 | 四国八十八ヶ所
岡豊城から50分ほどの歩きで次の善楽寺に到着。といってもまず目に入るのは神社の鳥居。「土佐国一ノ宮」とされる土佐神社である。善楽寺は元々神仏習合の時代は土佐神社の塔頭寺院だったが、その後いろいろあって現在に至っている、それは後で書くとして、まずは土佐神社に参拝する。

土佐神社の創建は雄略天皇の頃とされており、雄略天皇によってこの地に流された一言主神を祭神としている、日本書紀、風土記にもその名が登場する。また主要な社殿は長宗我部元親が造営したという。ここでも元親が出てくるのかというところだが、長宗我部氏のライバルだった本山氏が岡豊城を攻めた時の兵火で社殿が焼失したものを、四国平定を機に再建したものである。また江戸時代の土佐藩主山内氏も神社を手厚く保護したという。それが現在に続いている。

そうした戦国時代の建物で、国の重要文化財にも指定されている社殿で手を合わせ、境内を一巡する。ちょうど社殿の後ろにはご神木の大杉があったり、土佐大神が鎮座地を定めるために投げたとされる礫石がある。また、杉の木をくり抜いて、茅の輪めぐりのように回るのもある。

再び鳥居を出て、道を挟んだ善楽寺に向かう。道を挟むといっても実質は神社と同じ敷地にあるといってもいい。土佐神社のお参りがメインで、そのついでにこちらにも行ってみようかという感じのものである。そうした位置づけなので山門や仁王像があるわけではなく、新しい石柱に「四国三十番」の文字があり、立派な十一面観音像が出迎える。その向こうに本堂、手前に大師堂があるが、コンパクトなものである。

この善楽寺には明治の神仏分離、廃仏毀釈の歴史がある。土佐神社には元々神宮寺と観音院という塔頭寺院があり、江戸時代の遍路は土佐神社にお参りして、30番札所として神宮寺で朱印を受けていた。それが神仏分離により、神宮寺と観音院は廃寺となり、本尊の阿弥陀如来と弘法大師像は国分寺に移された。その後、明治8年に高知市内に別にある安楽寺が再興され、廃寺となった神宮寺の30番を継承した。一方、昭和5年に観音院が善楽寺として再興され、こちらも30番を復活させる。つまりは30番が二つ存在する形となり、その正統性について長く論争が起きていたという。決着したのは平成に入ってからで、平成6年に善楽寺を30番札所、そして安楽寺を30番の奥の院という扱いとすることになった。まあ、長い歴史を見れば土佐神社の脇に札所があるのが自然な形であろう。ただ一方で、神仏分離という異常事態に手を差し伸べた安楽寺の「男気」(?)というのも感じてみたいと思い、高知駅から歩いて行ける範囲にあるということで、次の高知市内編の時にでも訪れようと思う。

さてその善楽寺、昭和のコンクリート造りの本堂と木造の大師堂が仲良く並んでおり、白衣姿の人も多い。団体というよりは個人でのお参りが多いようだ。ただこの人たちは善楽寺だけ訪ねて、土佐神社には訪れないまま後にしているようである。どうしても「寺」と「神社」を厳格に分けてしまうところがあるのは致し方ないか。帰ってから改めて納経帳を見ると、中央の文字は阿弥陀如来とあるが、左下には「土佐一宮」と書かれていて、印章も「土佐一宮善楽寺」とある。これが歴史を語っているように見えた。

時刻は15時半を回ったところで、この日は、というより今回の八十八所めぐりはこれで終了。善楽寺を後にする道は土佐神社の参道で、最後に楼門に出る。

これから高知駅に出るが、神社の前からバス便があり、本数も多いのだが、ここはあえて鉄道に乗ろうと、15分ほど歩いて土佐一宮駅に出る。この駅名、「とさいちのみや」と思っていたが、正しくは「とさいっく」。簡易駅舎だけの無人駅だが、車両区が近くにあるためか、回送列車も行き交う。ここで16時01分着の高知行きに乗り込み、2駅で高知に到着。

前回のごめん・なはり線シリーズの時には、高知駅到着から帰りの高速バスまで時間がなかったので、駅の高架下で早い夕食としたのだが、今回は時間が結構ある。ということは・・・?
コメント

第8回四国八十八所めぐり~こんなところでこの名前の企業に出くわすとは・・・

2017年03月23日 | 四国八十八ヶ所
以前に「3月23日」ということを書いた。いろんなイベントが重なって、テレビはどうするのかということで。

私は仕事なのでテレビは見ておらず、ニュースもスマホによるものだが、事前にいろいろ期待されていた割には残念でした・・・というものが多かったようだ。その中で最も残念だったのはWBC。前日、日本はアメリカに惜敗。決勝戦はアメリカ対プエルトリコで、アメリカが大勝で初優勝。世界的な興行としてはめでたしめでたしだったのかな。

一方、地上波のほとんどで生中継された「森友学園」の籠池氏の国会証人喚問は、関与したとされる人物の名前は出たものの、事の真相解明にはほど遠い。まあ、そんなもんだろう。

また、高校野球の清宮選手がいる早稲田実業を期待していた人には、日程がすでに順延されていて、逆によかったのかもしれない。

で、BS中継となった大相撲は、稀勢の里が全勝をキープ。この人くらいかな、世の期待に応えているのは・・・。

・・・と、長々と3月23日について書いたが、これもこの後続く記事の短さを補うという長いマクラということで。

岡豊城跡を訪ねた後、次の善楽寺に続く県道を歩く。ちなみにこの区間はいわゆる歩き遍路のルートではない。

前方にファミリーマートの看板が見え、そこを目指す。時刻は14時前だが昼食がまだで、コンビニで何か買おうと思った。到着したファミマには、そこだけで都市部のコンビニ1軒ぶんの広さを持つイートインコーナーがある。これはええなと、購入した食事をここでいただく。ドライバー向けに建てたのだろうが、歩き遍路にも利用価値があるのでは。

この後、岡豊城より頑丈な要塞のように見える高知大学医学部病院の建物を遠くに見て歩く。一応歩道もあり歩きやすいのだが、ガチの歩き遍路の方にとっては逆に単調に感じるかもしれない。

そんな中、1階が店舗、2階から上がアパートという建物の前を過ぎる時に、このようなものに出くわした。

その名も「株式会社オリックス」。いや、オリックスといえば普通はあのオリックスでしょうに・・・。

日曜日でシャッターが下りていて、何の会社かわからなかったが、検索した中でおそらくそれだろうというのは、冷蔵冷凍設備のメンテナンス業の会社である。もっとも、会社のホームページがあるわけでもなく、ハローワークへの求人情報がヒットした内容からの推測からなのだが。ロゴは「ORYX」と、アフリカに生息するウシ科の動物と同じ綴りだが、パッと見て、あのオリックスへの意識は少しはあると思う。商売にもプラスになるか、少なくとも掴みにはなるだろう。

まさかこんなところでオリックスとはね。まあ、私が見つけるくらいだから、地元や一部のネタものでは有名なのかもしれない。この次は、シャッターが開いている鴇に巡りたい・・・。

さてそんな道も少しずつ勾配に差し掛かる。左から歩き遍路の道が合流して、少し行くと逢坂峠の標識が出る。その少し先に高知市の標識が出る。こうした形で高知市に入るのは初めてで、いよいよ高知市に来たのかとうなる。

これを境に下りに入る。住宅団地もこれから開発され、前方には高知市の中心部らしき町並みが見えて、一方では山の斜面に市街地を見るように安置された墓石群がある。これも独特の感じがする。

下り坂が左にカーブを取り、標識が出て宅地の中を進むと、鳥居の横に出た。土佐神社、土佐の一ノ宮である。岡豊城から1時間弱の道のりだった。実はこの土佐神社が、目指す第30番札所に当たるのだが、その背景については次の記事にて・・・。
コメント

第8回四国八十八所めぐり~長宗我部元親ゆかりの地

2017年03月22日 | 四国八十八ヶ所
第29番の国分寺を参詣して次の善楽寺に向かう。歩き遍路、そして「四国のみち」が指す道は田んぼのあぜ道。両側には早くも水が張られたものもあり、夏や秋に来れば稲穂の匂いがするのかなと想像する。歩く中で12時のサイレンが鳴り響く。南国市の防災無線のテストも兼ねているようだ。

これから途中目指すのは前方の小高い丘。遍路道、「四国のみち」もそちらを指している。この丘の上にかつて存在していたのが、長宗我部元親の居城であった岡豊(おこう)城である。この名前を初めて目にしたのは「信長の野望」のゲーム。高知城は江戸時代の山内氏によるものであり、「戦国」となると岡豊である。現在は遺構が残るとともに、中腹には高知県立歴史民俗資料館があるので、計画時点でこちらに立ち寄ることにしていた。私が阿波の札所で目にした「長宗我部氏の兵火に遭った」というその張本人の本拠地を巡るのも面白そうだ。

国道32号線の下をくぐり、再び国分川の土手を歩いて城の南側に出る。目指す歴史民俗資料館は地図で見る限りでは城の北側、県道から入るが、歩きの道しるべは城の南側である。途中に「岡豊城登り口」と書かれた立て札があり、石段があったので上ったが、すぐに草に覆われて先に進めない。元は登山道だったのだろうが、整備されていないのかな。ここからの登城はあきらめてもう少し西に進むが、案内も何もない。スマホの地図を見るとかえって資料館から遠ざかっており、これはまずい。歩き遍路道ならこのまま進むのが正しいルートだが、今の私はそうもいかない。ここは少し時間のロスだが、来た道を戻り、城の東側から北側に出る道を行く。小学校の横から集落を抜けると、資料館に続く坂道に出た。途中、屋外展示の古民家を見ながら坂を上って資料館に到着した。

入口の前には、槍を突き上げる長宗我部元親の像が立つ。岡豊城跡なのだから当然だろう。最近の戦国ものは武将たちをやたらとイケメンに、アニメのキャラ的に描くのが多く(まあ、それが特に女性の歴史ファンを増やした面はあるが)、この像もどちらかといえばそちらのイメージで造られているように見える。「土佐は龍馬だけと違うぞ!」と言っているようにも見えるが・・・。

入口は2階部分で、2階が長宗我部家に関する展示である。中央に記念撮影場所として設けられた本陣以外は撮影禁止なので画像はないが、長宗我部氏の歴史、元親の四国平定、関ヶ原の戦いを境とした滅亡が、当時の史料展示で紹介されている。土佐は七雄とされる国人たちの領地争いが続いていたが、それを制した元親の業績は大きく取り上げている。

3階は土佐、高知県の歴史民俗の紹介で、四国八十八所の成立や、現在の高知龍馬空港の辺りに栄えていた中世の集落、山内容堂、坂本龍馬の遺品や書簡、さらには土佐の海と山の産業、土地の風習などが紹介されている。今回は巡拝の途中で駆け足の見学でしかなかったが、みどころはいろいろあるところである。

資料館を出て、城跡に向かう。東側からは先ほど訪ねた国分寺を含めてかつての土佐の国の中心地を見下ろすことができる。ここに城が建てられたのは鎌倉時代とされているが、戦略上の利点があったとしても、国府を見下ろす地に地に築城とは、武士の時代の現れだなと思う。その本丸にあたる「詰」には、かつての櫓の復元工事が行われている。ちょうど城の南側を見下ろす位置であり、国分川も堀の役割を果たしたかもしれない。これも平野部に向けてにらみを利かせるためだろうか。

戦国時代の土佐の空気を少し感じたところで、再び善楽寺に向かうことにする。資料館から県道に出る。この時点で歩き遍路道からは外れているが、善楽寺にはこのまま県道を歩くとたどり着く。こちらも県道のバス停があるが、残りは4キロということで再び歩き始める・・・・。
コメント

第8回四国八十八所めぐり~第29番「国分寺」

2017年03月21日 | 四国八十八ヶ所
今回の出発地点である後免駅にて上着を取り、白衣を着る。天気がよくて暖かく感じる。事実、19日の高知の最高気温は20度まで上がったそうである。国分寺までは近くまで路線バスの便もあるが、出るのは1時間後。これは織り込み済みで、暖かいし、寺までは3キロほどだろうか。ここは歩いて行くことにして、県道をテクテクと歩く。

途中、「源希義の鞍掛けの岩」というのがある。初めて目にする名前である。検索したところでは、源希義(まれよし)とは平治の乱で敗れた源義朝の五男で、頼朝や義経とはそれぞれ異母兄弟に当たる人物とある。平治の乱当時3歳だったことで土佐に配流とされ、そのまま成人した。その後、伊豆で頼朝が挙兵したのに呼応して立ち上がろうとしたが、平氏の家人たちに追手を差し向けられ殺された。後に頼朝が武家政権を立てると、希義の子を取り立て、土佐に領地を与えた。それが後に室町~戦国時代に土佐七雄の一つとされる吉良氏となったという。

この辺りは「国分寺」という寺があるし、今回は行かなかったが土佐国衙跡もある。土佐という国の中心地であったところである。ただ今は周りは田園風景でそうした様子がうかがえないし、時代の移り変わりというのを感じる。どうしても、現代の土佐の中心地である高知のネオンが頭にちらついて・・・。

途中、第27番の大日寺からの遍路道が合流し、国分寺まで1.8キロとある。「へんろいし饅頭」を売る店や、ぶどう園などがある観光農園を通る。また所々には菜の花を見る。そこで渡るのは国分川。浦戸湾につながる川で、この水運というのが土佐の国衙と都を結ぶ役割を果たしていたのだろう。

橋を渡りきったところで、国分寺への徒歩の道は国分川の土手沿いとある。少し進むと東屋の中に地蔵像がある。「地蔵渡し」とあり、明治時代に国分川の橋が架けられるまでは人々は川のこの場所を歩いて渡っていたそうである。遍路道はここで土手を下りるとあり、あぜ道を行く。4枚目の写真で右手に川のように広がっているのは、田んぼに水を入れているところ。そしてその前方に鎮守の森のようなのが広がっており、これが国分寺である。

仁王門の前に立つ。ちょうど観光バスが1台到着して、20人ほどの団体が降りてくる。ちょうどその人たちに混じる形での参拝となる。3月、彼岸ともなれば遍路の団体も多くなる。ただ、国分寺までの間で「歩き」で来た感じの人は見かけなかった。3連休の中日となれば動く人も多いのではないかと思うのだが。

境内は小ぢんまりした感じで、本堂である金堂、そのすぐ隣に大師堂がある。先の団体さん、そして個人でクルマで来た人たちとそれぞれ般若心経のコーラスである。現在の国分寺は、奈良時代に建てられた国分寺の一部とされている。紀貫之の「土佐日記」にもこの国分寺は登場する。建造された当時は大規模な伽藍を備えていたのだろうが、それも時代の流れで衰退する。現在の金堂は長宗我部元親が再建したという。ここで出るか、長宗我部元親・・・。

これまで四国めぐりで回った寺の中で、「長宗我部元親の兵火で焼かれ、江戸時代に蜂須賀氏の手で再興」という記事を何回か書いた。長宗我部氏の四国平定の戦いの中で、特に阿波の札所の多くがその兵火に遭っている。これが立場が変わると、自分の元々の領地だったから当然なのだろうが再建された寺があるというのが面白い。改めて、土佐に来たのだと実感する。

大師堂の左手に「酒断地蔵尊」というのがある。元々は願いが一言だけ叶うという一言地蔵なのだが、ある女性が夫の断酒を願ったところそれが叶ったというので、いつしかその名がついたという。酒飲み県のイメージがある高知には珍しいと思うが、逆にそうした願いを持つ人も多いということだろうか。いずれにしてもちょっとどっきり、胸が痛む気がするので、そこそこに納経所に向かう。

納経所の手前には庭園が広がり、句碑も安置されている。また薬師如来を祀る光明殿もある。現在の本尊は千手観音であるが、奈良時代に国分寺が建造された時は薬師如来が本尊だったと言われている。

さてここから次の善楽寺を目指す。寺までの距離は7キロとある。少し離れた県道に出れば路線バスの便もあるが、せっかくなのでこのまま歩いて行くことにする。その理由は、国分寺と善楽寺の間にある歴史スポットに行ってみようということもある・・・・。
コメント

第8回四国八十八所めぐり~まずは列車乗り継ぎで「ごめん」

2017年03月20日 | 四国八十八ヶ所
先に、5月の連休で四国八十八所めぐりと四国アイランドリーグ観戦を組み合わせて高知に行く予定ということを書いたが、それに先立って19日、八十八所めぐりを進めることにする。前回土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線沿線の2ヶ所を回ったのが1月終わりで、2ヶ月近くぶりである。気候もだいぶ暖かくなる一方、花粉症が気になる時季である。

今回訪れるのは第29番の国分寺、そして第30番の善楽寺である。高知の南国市からいよいよ高知市に入る。また札所も30番台に突入で、これで3分の1が終わることになる。昨年7月から始めて、自分が当初思っていたよりは早いペースで来ていると思う。

両方の寺へのアクセスだが、国分寺の最寄駅は土讃線の後免駅。一応近くまで行く路線バスはあるが本数は少ない。また善楽寺は土讃線の土佐一宮駅から徒歩、また高知駅からの路線バスもある。両寺の間も、国分寺から少し離れたところにバス停があり、路線バスで結ぶことはできそうだ。この2つを実質半日で回るものである。

まずは後免駅に向かうとして、大阪からなるべく早く着けるようにと考える。高速バスは後免駅には行かないので、値段は張るが新幹線の力を借りることにする。そこで時刻表で乗り継ぎ検索だ。新大阪6時00分発のみずほ601号に乗り、岡山で7時08分発の南風1号に乗り継いで後免に9時31分着というのが最速なのだが、藤井寺からだと6時発に乗ることができない。JRの柏原から4時48分発に乗れば間に合うし、以前にも使った手だが、それに乗ろうとすると朝がとんでもなく早くなる。あまり使いたくない手ではある。

ならば次の手ということで、後免10時29分着のしまんと5号で着く方法を考える。しまんと5号は高松発のため、岡山からだとどこかで乗り継ぐ必要がある。時刻表を見ていくと、岡山7時55分発のマリンライナー9号が8時34分に坂出に着き、8時40分発のしまんと5号に乗り継げる。さらに逆算すると、新大阪は6時50分発のさくら543号ということで落ち着く。連休中の四国行きということになるので、3列車とも指定席を押さえる。

・・・ということで、19日の朝、新大阪駅に現れる。朝から駅は混雑していて、特に弁当やサンドイッチなどのコーナーは朝食を買い求める人が長い列をつくっている。私のこれまでの四国めぐりは高速バスが中心で、JR瀬戸大橋経由の時も青春18きっぷを利用していたから、新幹線を使うのは初めてである。この金剛杖を新幹線に乗せるのは初めてである。実は今回、帰りの手段もまた初めての試みとなるのだが、それはまた後の話として。

新大阪出発時には、指定席は全て満席、自由席も混雑が予想されるというアナウンスがあったが、私の乗った車両は岡山に着くまでの間も空席が目立っていた。列車は鹿児島中央まで行くのだが、途中区間のみ利用というのもその中に含まれるのだろう。

岡山でマリンライナーに乗り継ぐのだが、今回はせっかくなのでこちらの席を購入していた。グリーン車の中でもパノラマ席と呼ばれる横1列4席のみの座席である。私自身乗るのは初めてである。進行左側、ちょうど運転手の真後である。運転手側と助手側で席の位置の高さが違っている。ちょうど運転手が前にいるので「前面展望」という点ではじゃまに思わないでもないが、それでも席にいながら運転手気分を味わえてよい感じ。特に児島までのJR西日本の運転手は一つ一つの呼称を客席にも聞こえるくらいの大きな声でやっており、見ていて気持ちがよい。

そして瀬戸大橋。春の時季らしく青空も霞んでいて遠くまでの景色は見にくいのだが、直下に海が見えるのはよい。高速バスだとここまでの近い海の眺めは得られない。

坂出に到着し、反対側ホームに回って高松からのしまんと5号を待つ。やってきたのはたった2両という短い編成。このしまんと号は高松から高知、中村を結ぶ特急だが、時刻表で編成図を見ても、多くても3両、中には岡山からの南風号に連結されて走る便もある。高松始発だとそのくらいの両数で間に合うのが四国島内の移動規模なのだろう。おまけに指定席も1両の前側の一部のみで、シートの頭が当たるところに「指定席」のカバーをしているだけである。そしてこちらでも最前列の席(その前に乗降扉があるためデッキを挟む形で前を見るが)を押さえていた。振り返ると、これまで幾度も四国の鉄道旅行を体験しているが、多くが鈍行列車の旅だったため、こうした長い距離を特急に揺られるのは初めてである。何だか今回、乗り物に関しては「初めて」のことが多いように思う。

そのしまんと5号だが、2000系と呼ばれるJR四国の気動車特急のエース。カーブの多い区間で使用される「振り子式」を気動車では世界で初めて導入した車両である。そのため、坂出を出発してからというもの、カーブに差し掛かってもスピードをほとんど緩めず、車体を傾けて走り抜ける。これは実に「攻め」の走りである。多度津から土讃線に入り、琴平から先の非電化区間で香川~徳島~高知の県境の山々に差し掛かるとその能力をより発揮する。私は乗り物酔いをしない体質のため何とも思わないが、そういうのに弱い体質の方にはしんどいかもしれない。

スイッチバック式の秘境駅である坪尻を高速で通過し、箸蔵からは池田の町に向けてヘアピンカーブで下って行く。この区間の眺めも好きなところの一つである。阿波池田駅を出ると高台の池田高校も見える。

この先の大歩危・小歩危の区間は土讃線でもっとも眺めがよい区間として案内放送が流れる。私もこの区間は久しぶりの乗車で、外の様子をうかがう。この日は四国旅行の客が多く、外を見て歓声もあがる。ただ、窓の外を写真に撮るにはちょっと難しいかなと思う。ちょうど線路と渓谷の間に、線路側の斜面から伸びた木々が入る。またトンネルも多い。まあそれだけ山の中を走るわけで、川の流れや大歩危峡の川下り舟の様子も目で見えるからいいのだが・・。こうした区間は、列車に乗って渓谷を見るのもよいが、クルマの側から、渓谷に沿って走る列車の姿を見る方が絵になるように思う。それは同じ鉄道好きの中でも撮り鉄の考えに近いもので・・・。

四国のど真ん中の山深いところを駆け抜け、土佐山田からようやく高知平野に差し掛かる。やがて田畑や住宅が広がってきた。10時29分、後免に到着。新大阪から3時間半あまりの乗り継ぎ旅であった。

・・・四国八十八所の記事とはいいながら、内容は鉄道乗り継ぎ旅の記事になってしまった。まあそこは、たどり着いたのが「ごめん」駅ということで・・・・。
コメント

3月23日

2017年03月18日 | ブログ
3月23日、彼岸明け。今年ももうそんな季節かと思う。季節の替わり目だがマスクが手放せない。

さて今年の3月23日、日中のテレビはいろいろ「大変」なようである。

まずはWBCの決勝戦。日本代表が決勝戦に進出したら・・・という前提はあるものの、アメリカからの中継である。

そして、「森友学園問題」についての籠池理事長の国会証人喚問。今の政局でもっとも話題になっているし、籠池氏が何か爆弾証言をするのではと言われている。

また、選抜高校野球も始まっていて、この日の昼に早稲田実業の試合がある。久しぶりに甲子園出場の清宮選手への注目が集まるだろう。

さらにそこへ大相撲。春場所は白鵬と寝屋川出身の豪栄道が休場だが、それを感じさせない熱狂が続く。後半戦の取組は見逃せない。

・・・ということで、特に国会、高校野球、大相撲それぞれを全国に流すNHKはどうしようか悩んでいるようだ。まあ、サブチャンネルやEテレ、BSもあるので使い分けるのだろうが、いろいろ注目が集まるものが重なるのも珍しいだろう。もっとも、この中で籠池理事長の証人喚問は最後に決まったことで、これはあえてこの日にしたのだと思う。

果たして、どんな1日になるか・・・?

かくいう私は、この日は大学生向けの就職説明会でのプレゼン。ぜひとも、勤務先企業および私の所属部門に一人でも多くの学生に興味を持ってほしい機会で、その意味では大一番みたいなものだが・・・。
コメント

4横綱時代と序盤の金星ラッシュは関係ないはずだが・・・。

2017年03月15日 | ブログ
まさに荒れる春場所。

4横綱ともなると横綱同士の星の潰しあいもあるからその中で弱いのが引退して、そのために4横綱時代は長く続かないと言われていた。

それがこの春場所は、4日目にして早くも全勝の横綱は稀勢の里のみ。白鵬、日馬富士はすでに2敗。いったいどうしたのか。これからカド番大関照ノ富士、黒星先行豪栄道、さらには大関復帰を目指す琴奨菊も含めて、上位は混沌とする。見ているほうは荒れるのも面白いが、やっているほうはたまったものではないだろう。

まだ序盤戦でこうだから、後半はどうなるか。

つくづく、チケットを取ることができなかったのが残念である・・・。
コメント

高知ファイティングドッグスと八十八所めぐり

2017年03月13日 | 四国八十八ヶ所
先日、元メジャーリーガーのマニー・ラミレスの入団で話題になった四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグス。駒田監督がラミレスに対する「王様待遇」を表明したことには賛否両論あるが、WBCで盛り上がる一方で話題になったのも確かである。

個人的には、元メジャーリーガーといえども、これまでの待遇やプライドは脱ぎ捨てて、ここはNPBを目指す若い選手たちと泥んこになって汗を流す・・・というくらいの言葉を期待していたのだが、そうはならない様子だ。こういう選手は、同じ独立リーグでも選手の言動に厳しいBCリーグでは受け入れられないところだろう(だから合意に至らなかったとして)。

そのラミレスも、こういう選手なので果たして高知でどのくらいの期間出場するか、何ともいえない。本人の気が変わるとか、球団の気賀変わるとかいう前に観ておいたほうがいいのかもしれない。それで公式戦の日程が気になっていたが、ようやく前期の日程が発表された。それを改めて見渡すと、この5月の連休に高知での観戦を楽しみにしていたが、5月3日のデーゲーム(対香川)、そして5月5日のナイトゲーム(対愛媛)がそれぞれ高知球場で行われることになった。高知球場は高知市街で公共交通機関でのアクセスも可能である。これは私としては恵まれた日程だなと思う。

・・・こういう日程が決まったので、これから高知市内に入る私の四国八十八所めぐりの計画も野球観戦とのコラボとなる。連休中の2試合と札所めぐりをどう絡ませるか。往復の交通手段にも絡むことなので、これから計画を立てる楽しみが出てくる。

もっとも、こういうのって5月の連休時にも関わらずラミレスが欠場するとか、ひょっとしたらその頃にはもう球団にいないのではないかとか、いろんな憶測が出てくる。まあ、そうなったとしても野球は観戦するし、一番の願いは「雨が降りませんように」ということであるが・・・。
コメント

観戦記・オープン戦オリックス対巨人(東日本大震災の日に)

2017年03月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
3月11日、東日本大震災の発生からちょうど6年である。復興は進んでいるとしながらも、未だに12万人の人たちが避難生活を余儀なくされている。また復興じたいにも格差があるようだし、未だに風評被害も収まることがない。

イーグルスの嶋が「見せましょう、野球の力を」と誓ってから6年。もう6年と思うか、まだ6年と思うか。

さて、その11日だがバファローズ対ジャイアンツ戦のオープン戦ということで神戸に現れる。私にとっては今季初めての生観戦である。せっかくの機会なので、これまで入ったことがなかったフィールドシートのチケットを購入していた。公式戦より安い価格設定ということもあったので。普段はグラウンドを広く見渡せるエリアに座ることが多いのだが、たまにはこうした低い位置から観るのも新鮮な感じがしていい。気になるのは、一塁側の席なのにジャイアンツファンも結構目立つのだが・・・。

入場した時はバファローズの選手たちもアップやキャッチボールを終え、それぞれの守備位置でノックを受けていたところ。やはり選手が近いし、ボールをはじく音、ミットで受ける音も近く聞こえる。

本日の先発は新加入のコーク。今季バファローズの外国人投手はディクソン以外はコーク、ウエスト、ヘルメンといずれも新加入で、野手のロメロ以外の3枠を4人で争う形になっている。ディクソンは先発の柱として、ヘルメンは抑え候補として1軍濃厚として、残り1枠をコークとウエストで争う形である。

一方のジャイアンツ、WBCに出場している選手がいるとしても、選手層が淋しい感じである。あれ確か、今季FAで2名ほど獲得したのではなかったっけ・・・?

この日からBsGirlsも2017年メンバーで試合前のパフォーマンスに登場。今季は12人での活動という。新しいメンバーもいるようで、またそれぞれ固定ファンがつくのかな。

そして試合直前、東日本大震災の犠牲者への追悼ということで、選手、観客全員で黙祷を捧げる。

さて試合開始、コークはテンポのよい投球で初回三者凡退と好スタートを切る。ストライクが先行し、ボールがほとんどない。

ジャイアンツの先発は今季ファイターズから移籍の吉川光。2012年のパ・リーグMVP投手として、ジャイアンツでも先発ローテーションが期待されている。こちらも初回三者凡退。

序盤はこの両投手が好投を見せ、3回まで両チームとも一人の出塁もない。3回裏が終わってもまだ30分しか経っていない。

試合が動いたのは4回裏。打順が2巡目に入り先頭の1番・武田がライトへの二塁打で出塁(フィールドシートからは、ライト線の方向が角度的に見えないのが弱点)。無死二塁でどうするかと見ていたが、2番・西野がきっちりとバント。そして3番に入った安達がレフト前にタイムリーを放ち1点先制。

これにロメロが四球でチャンスを広げ、T-岡田がセンター前にタイムリー。さらに二死満塁として、若月の当たりはセンターへ。捕られるかと思ったが意外に打球が伸びた。走者一掃の二塁打となり、この回一気に5点。3回までパーフェクト投球だった吉川が急に別人になったようだ。

一方のコークは、この日三塁に入った伊藤の好守備もあり、4回、5回も三人で片づける。予定は5回までだったようだがパーフェクト。最後はグラブをポンと叩いて喜びを表す。5回まで45球とは、ジャイアンツの打撃があっさりしていたからかもしれないが、コントロールの良さもアピールしたところである。左腕ということもあり、ローテーションに入ってくると面白い。

6回からは西が登板。こちらはボールが先行する場面があったが、下位打線ということで三人で片づける。これ、オープン戦、継投とはいえ完全試合、ノーヒットノーランもあるのではないかと思わせる。

そして7回二死、3番マギーが右中間にチーム初安打となる二塁打を放つ。レフトスタンドから初めて歓声が挙がる。まあ、6回に若月のこの日2本目のタイムリーが出て6対0という一方的な展開になっており、ジャイアンツファンはイライラしていただろう。ただ続く頼みの阿部が空振り三振で倒れ、点が入らない。これで勝負はほぼ決まったようで、その後は若手やらジャイアンツは育成選手にガラリとチェンジする。

9回はヘルメンが登板。最速は148キロだったが、なかなか豪快なフォームである。代打のギャレットから三振を取るなど、こちらも危なげない投球。結局3人の継投でジャイアンツ打線をマギーの二塁打1本だけ、四死球もなしとほぼ完璧に抑え込む完勝。これが交流戦の本戦ならなお良かったが、オープン戦とはいえ昨日に続いてジャイアンツに連勝というのは気分が良い。ここまではいい状態で来ているようである。

試合終了後、女子プロ野球の兵庫ディオーネの選手たちが開幕戦のPR、前売りチケットの販売を行っていた。実は入場時もエースの里投手ら4~5人の選手がチラシを配るなどPRしていたし、試合中にも映像が流れていた。4月3日が大阪、4月4日が神戸での試合。うーん、その時季は仕事も忙しいから観戦は無理かな。それでも、昨年に続いて今季もどこかの球場で観戦したいなとは思う。

野球といえば、四国八十八所めぐりと組み合わせのアイランドリーグも気になるし、関西で初めてBCリーグ新加入の滋賀ユナイテッドもどんなものか一度は観たい。もちろん、バファローズ戦も楽しみである。こうした野球のほうに興味が向くようになると、春の訪れを感じるのである・・・・。
コメント

楽天対楽天?

2017年03月10日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
WBCは日本代表が一次ラウンドを通過、後は中国に勝って全勝なるかである。それはいいとして驚いたのが韓国でのリーグ戦で韓国、台湾が敗退し、オランダはわかるとしてイスラエルが全勝したこと。イスラエルだけに、これが本当の「神ってる」か。

そもそも、イスラエルに野球が普及していたこと自体が初耳である。だれかメジャー経験者がいたのか、あるいはユダヤの血を引くという選手がイスラエル代表を選択して加わっているのか。二次ラウンドでは、日本対イスラエルというのがどんな試合になるのか注目したい。

さて、タイトルの「楽天対楽天」。これには中国と韓国が絡む。

米軍が韓国にミサイル防衛システムを配備するということに中国が反発し、中国国内のロッテ関連店舗の閉鎖を命じる・・・ということがあった。そなニュースで画面に大きく出ていたのが「楽天(楽は簡体字)」の文字。日本の楽天にも中国からの抗議があったという。この件には全く関係ないのだが。

それを見て、「ロッテは『羅徳』ではなかったか?」と思った。羅徳に欧力士に日本火腿・・・。ロッテが「楽天」なら、ロッテ対楽天は「楽天対楽天」?

・・・もっともこれは早くから決められていたようだ。「ロッテ」を中国語訳する時は元々「楽天」だったとある。IT企業としての楽天は「楽酷天」。ただ野球の場合は、イーグルスの楽天がそのまま「楽天」となり、マリーンズのロッテには音が似ている別の字を当てて「羅徳」としたようだ。だから、韓国財閥としてのロッテと、球団としてのロッテは区別される形である。ロッテ対楽天の場合は「羅徳対楽天」となる。わかったようなわからないような話だが、全てを漢字で表す中国の矜持かな。

韓国にもロッテ球団があるが、それは「羅徳巨人」なのか、「楽天巨人」なのか。まあ、その伝なら前者なのだろう。

さて、これから国内の野球も盛り上がるところだが、春場所は日本出身横綱が盛り上がる中で、野球ではぜひ「欧力士」の奮闘を期待したい・・・・。
コメント