まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第30番「金剛城寺」~新西国三十三所めぐり・38(北近畿を乗り鉄)

2017年07月30日 | 新西国三十三所
新西国三十三所めぐりで福崎の金剛城寺を訪ねたあとは、寺前行きの列車で北上する。だんだんと山がちになるところである。福崎11時21分発のこの列車は、寺前から和田山行きの気動車に乗り継げる。

寺前に到着。駅の手前で、駅舎のあるホームに気動車が停まっているのを見て、これが乗り継ぎ列車かとあわてて跨線橋を渡って反対ホームに向かう。ただこれはその後の観光車両で、これから乗る和田山行きは電車が着いた同じホームの向かい側から発車である。結局もう一度跨線橋を渡る。

11時50分発の和田山行きは折り返しでやって来たキハ41という車両。片側運転台のキハ47を改造して両側運転台にしたもの。車両ファンの間ではゲテモノ扱いされているようだが、乗るぶんには旧国鉄型車両に乗れるのは昔ながらの雰囲気が演出である。天井にはいまだに扇風機が回っているが、昨今増えた「弱冷車」よりも涼しい。

播磨と但馬の境を越える道は「銀馬車の道」「鉱山の道」として日本遺産にも指定されている。それらを通り、竹田城の玄関である竹田に着く。ここで下車する人、乗ってくる人が入れ替わる。竹田城は、ちょうどブームになった時に一度未明からクルマと歩きで行ったことがあるが、今はどうなのだろう。また、駅からの登城ルートで行ってみたい気もする。

和田山に到着。ホーム向かい側に来た福知山行きに乗り継ぎ、福知山に到着。ここで時間があるので遅めの昼食とする。

待合室の一角に初めて見る店がある。「らいおん丸」という、チェーン居酒屋らしいところ。メインは夜のようだが、ランチタイムもあるようだ。ここで刺身定食をいただいたが、これに限らず、ランチでは御飯と辛子明太子がおかわり自由とある。

これでお腹もできて、福知山線に乗る。篠山口乗り換えで大阪まで。この車中はまったりと過ごす。

さてこれで、新西国三十三所も残り一つ、作用町の瑠璃寺だけとなった。またバス乗り継ぎとなるが、近くお参りして満願としたいところであるが、どうアクセスするか・・・。
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第30番「金剛城寺」~新西国三十三所めぐり・38(ご朱印再挑戦)

2017年07月29日 | 新西国三十三所
昨年の7月31日。青春18きっぷを手に朝の福知山線に乗り、山陰線~播但線と兵庫県の北部を回って、気動車と電車乗り継ぎで電化区間の福崎に降りた。目指すのは、新西国三十三所の一つ、金剛城寺である。

暑い中、駅から45分ほど歩いて寺に到着した。一連のお勤めを行い、「納経の方は鐘を突いてください」との案内にゴォ~ンとやって納経所に向かったのだが・・・誰もいなかった。このため、お参りはしたがその証を得られぬまま、ガックリして福崎の町に戻った(その時の記事はこちら)。

・・・さてそれから1年、新西国めぐりも進み、後は最終番号の瑠璃寺を残すだけとなった。ただ、金剛城寺の朱印がないと「満願」とは認められない。となると、やはりもう一度行かなければならない。ということで、青春18きっぷの有効開始を待って出かけることにする。7月23日の朝、大阪駅に現れる。

前回は「乗り鉄」を楽しみながら行こうと上記のルートを通ったのだが、今回はまず福崎を目指す。その後どうするかは、お参りの後で決める。そうして快速で姫路まで行き、駅そばで腹ごしらえをして播但線に乗る。日曜日だが朝の時間帯で高校生の姿も目立ち、8時54分、福崎に到着する。

金剛城寺へのアクセスは徒歩のみである。4キロほどあるが、何でこういうところが残ったかなと愚痴も出る。別に寺が悪いわけではないことを知っての上だが。まあ、この暑い中を歩くのは、来月にも計画している四国八十八所めぐり(今度は、歩きでの移動もある)に向けた練習とも思う。

ペースは前回と同じように駅から金剛城寺まで45分だったが、一回歩いているためか、平凡ながらも景色にも見覚えがあるし、そのために疲労感はそこまで感じなかった。

山門をくぐる。「納経の方は鐘を突いて・・」の文字は同じようにあるが、ここはまず本堂に向かいお勤めである。それにしても、他にお参りの人もいないし、境内に人の気配が感じられない。1年前のことが頭によぎる。もし今回も寺の方が不在ならば、ご縁がなかったのかなとして、新西国の満願の証明も諦めようかとも思った。

そんな中で鐘を突き、案内通り本坊の裏手に回る。本坊には人の気配がなく、裏手には離れのような家屋がある。しばらく待つとその家屋の引戸がごそごそと開き、年配の女性が顔を出した。ホッとした。おはようございますと納経帳を差し出すと、女性は本坊の戸を開けて、上がり口の机に向かう。上がり口には朱印の書き置きもあり、ひょっとすると不在時はそれで対応していて、前回もそれを受け取れたのかもしれない。まあ、それはもういい。納経帳を返してくれた時も、別に「1年前に来たけど誰もいなかった」と言うつもりはなかった。言ったところでどうなるものでもない。

ともかく、2回目に無事に朱印をいただけて今回の目的は達成である。やれやれ。

後は境内を一回りして、一角にある四国八十八所のお砂踏みを回る。この前の週に38番に達した。八十八所だからあと50残っているが、また少しずつ回ろうと気持ちを新たにする。

金剛城寺を回ってホッとした感じで再び駅まで歩く。着いたのは11時。暑い中を歩いたので、待合室で一息つく。誰かの置き忘れかあるいはおもてなしか、JR時刻表が置かれた台にうちわがあったのでバタバタとやる。

さて前回はこの地出身の柳田国男ゆかりの地などを回ったのだが、今回は省略する。うちわ片手に時刻表のページをめくると、11時21分発の寺前行きがあり、これに乗ると寺前から和田山行きの気動車に連絡しており、後は和田山、福知山、篠山口と乗り換えれば早い時間に大阪に戻ることができる。前回の逆回りだが、青春18きっぷでの移動だし、ここはその流れで・・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~四万十からの帰り道

2017年07月27日 | 四国八十八ヶ所
長くなった四国八十八所めぐり(と足摺岬、竜串、四万十川めぐり)の記事も、今回で終了である。

江川崎駅から国道421号線で中村駅に戻る。もう沈下橋の見物で下りることはなく、クルマを走らせるだけだ。ただ、先の記事にも書いたが、この国道は途中細いところも走る。その度に離合に慎重になるのだが、とある前方からの対向車の接近を知らせる電光掲示板があるところで、前方から大型車接近の表示が出ていた。ただ、私の何台か前を行く軽自動車が突っ込み、大型車に出くわしたため長い距離をバックするという光景があった。そのやり取りの間に後続車の長い列ができ、渋滞に近い形となった。こうなると、何台かずつが細い道に入ってすれ違うしかない。

そんな区間を抜け、普通の2車線に戻り市街地に入る。時刻は17時という頃合いで、駅前をいったん素通りする。

やって来たのは「四万十温泉 平和な湯」。駅の東側で、歩けば15分くらいのところだが、ここはレンタカーの返却まで時間はあるし、荷物も多いのでそのまま乗り付けた。クルマ移動とはいえ、外に出た時は立っているだけで大汗だった。

こちらは大浴場や露天風呂、樽風呂、ジャグジーなどが600円(ただし、シャンプーやボディーソープ類は置いていない)で楽しめる。おかげでリフレッシュできた。

湯上がり後はビールで・・・はまだできないが、ちょうどロビーの休憩スペースでやっていた相撲中継を見る。この日は名古屋場所の中日で、宇良が横綱白鵬に初挑戦という取組があった。何をしてくるかわからない宇良に対して立ち合い少し変化した白鵬。最後は白鵬が投げ飛ばして宇良を「ウラ返し(あくまで、白鵬のコメント)」に退けたが、観客を大いにわかせた。ちなみに宇良は翌日の日馬富士戦ではとったりで初金星を挙げたが、残念ながら負け越し。来場所以降に期待である。

相撲を見終えたところで、近くのスタンドで給油して、駅前に戻る。この日の走行は140キロ近かった。改めて、旅先でのクルマの機動力を感じたものである。

さて、ようやく夕食で一杯いける。この日向かったのは、駅近くの物産館「サンリバー四万十」の中にある「いちもん家」という店。定食がメイン、あくまで食堂の位置付けだが、一品ものもあるし、アルコールも各種。ビールは「たっすいがは、いかん!」のキリンではなくアサヒのスーパードライだが、私にはこれがよい。

前夜ホテルに泊まった時は併設のレストランで5000円の会席料理を奮発した。高知、四万十の名物として、カツオのたたき、鮎の塩焼き、川うなぎ、そして川エビなどの小皿、おかずとして天ぷらの盛り合わせがあった。四万十の味を楽しむことができてよかった。ただ、こちら「いちもん家」は、同じような内容の夕食が3000円であった。単純には比べられないが、こちらでいただいたほうがコストパフォーマンスは良かったのではないか。

この日は定食はいただかなかったが、カツオのたたきの単品(塩たたきと、塩たれぽん酢のにしゅるい)や、カツオのカツ、青さのりの天ぷらなどいただく。うーん、これは結果論だが、昨夜も素泊まりにして、ここに夕食を取りに来ればよかったかなと思う。

こんな一杯にも出会った。「ぶ酎ハイ」というもので、四万十で採れる「ぶしゅかん」という柑橘ものをベースにしている。ゆずやすだちのように搾って刺身などにかけるそうだが、種類としてはみかんに近いそうで、飲んでも酸っぱいというよりは甘味が出ていたように感じた。

最後は海鮮丼。上に乗るのはしらす、カツオのたたき、清水サバである。しらすは高知東部の安芸の名物だし、カツオは土佐全般、清水サバはそれこそ土佐清水ということで、東部、中部、西部と三役揃い踏みである。八十八所めぐりの高知編を締めるのにふさわしい一品だった・・・(次回は宿毛に行くというのは、ここでは置いておく)。

中村駅に戻る。今夜は、21時15分に中村駅前を出る大阪・京都行きの夜行バスに乗る。近鉄が運行しているためか、阿部野橋に停車してくれるのがうれしい。今夜はこれに乗り、翌17日は自宅でオフという流れである。そのバスを待つ間、中村駅の待合室で過ごす。列車の発着はまだあるので開いているし、オープンな雰囲気に造られている。また、テーブルにはコンセントもある。充電しながら備え付けの時刻表を読み、バスが来るのを待つ。他の待ち人も、バスの乗客と見送りの人ばかりだ。

21時過ぎ、地元のおっちゃんらしいのが「バス来とるぞ~」と待合室に声をかける。停まっていた車両に乗り込む。今回割り当てられたのは、先頭ながら中央の座席。この便の予約は早くからネットで行っていたが、その時点で窓側がすでに埋まっていたのか、あるいは前から順番で発売していき、私が2番目の客だったのか。予約時に座席指定ができない点で、近鉄バスはちょっと減点。でもまあ、この席独特の乗り心地もあるのかなと、座席の変更などはしなかった。

このバスは宿毛が起点で、中村からも結構乗ったが、この先いくつかの停留所を経由する。真ん中の最前列なので、そんな道を走っていく、中には前日土佐くろしお鉄道に並走していた国道を行くのを見る。昼間なら海の景色を楽しめただろうが、今はもちろん真っ暗だ。

須崎駅が最終の停車で、そこからは完全消灯、両方の窓側の席には乗務員の手でカーテンが下ろされた。真ん中の列の客はカーテンの外側に置かれた形である。ただ逆に、両側のカーテンの間のスペースは自分たちのものという感覚になり、シートの横に脚を伸ばすこともできる。

・・・ならば寝心地が良かったかのように思う方もいるだろうが、やはり私は夜行バスでは熟睡はできない。かえって目が冴えたり、眠れなくても体を休めようと無理に目をつぶっても、次に意識が戻ったらまだ10分しか経っていなかったとか。こっそり窓のカーテンを開けることもできず、今どのへんかわからない(これは、スマホの地図機能を開ければわかることだが、この時はそういう発想がなかった)。

そんな中でも少しは休めたか、三宮到着の放送に気付く。いったん照明がつき、何人かの人が降りる。この次が阿部野橋だが、再び完全消灯となる。

5時40分頃、バスは阪神高速の天王寺を降りたようだ。前のカーテンが開くと、阿部野橋の歩道橋が現れた。その後、あべのハルカスの一帯をぐるりと回り、阿部野橋駅に到着。すぐに出る近鉄南大阪線に乗り、まさに朝帰りで自宅に戻った。果たしてこの日は日中爆睡で、オフということになった・・・。

さてこれで高知の西部まで進んだが、ここからは宿毛、宇和島と遠いところである。折り返しをどのような形で回るのか、今から楽しみな四国八十八所めぐりである・・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~四万十川沈下橋めぐり

2017年07月26日 | 四国八十八ヶ所
竜串からショートカットする形で四万十の市街地まで戻る。歩きでの遍路道は竜串から大月を回って宿毛の延光寺、さらに海沿いから愛媛県に入るため、そのルートに従うなら四万十川の上流に行くことはない。だから今回は完全なオプションということでご理解いただければ。

今回の四国めぐりでもたびたび触れている12年前の四国旅行の時は、中村でレンタサイクルを利用して、四万十川沿いに上り、佐田の沈下橋を見物している。遊覧船にも乗っており、帆かけ舟をバックに撮ってもらった写真が残っている。この時は佐田の沈下橋で折り返し、その後で足摺岬に向かっている。今回はクルマの機動性を利用して、予土線の江川崎駅まで走ることにする。カーナビでの時間予想でも十分行って帰って来ることができる。

ナビの進路にしたがい、高校野球でも知られる中村高校のグラウンドの横から国道421号線に出る。曲がる時、角に記念碑のようなものが目に入る。後で知ったことだが、今年の春の選抜出場と、40年前の選抜でエース山沖(のち阪急、オリックス)を擁し、部員12名の「二十四の瞳旋風」で準優勝を果たした記念で、ともにこの7月にお披露目されたばかりなのだとか。うーん、今年の選抜はともかく、二十四の瞳の時の記念碑が今に建つというのなら、クルマを引き返してでも見ておけばよかった。

四万十川にはいくつかの沈下橋がある。まずは佐田の沈下橋に行くことにする。ナビのルートからは外れるが、案内標識に従って走る。ルートを外れたから引き返せというアナウンスを無視し続けると、ようやく四万十川沿いに走るのが正しいルートに変わった。そして駐車場に着くと県内外のナンバーの多くのクルマが停まっている。中村の市街地からもっとも近く、また下流のため沈下橋の中でもっとも長い。だから多くの人が訪れる。中村の市街地に近いといっても、周りは山に囲まれ、自然の風情満載である。下流の離れたところに小さく舟の帆が見える。あれが、以前に私も乗った遊覧船である。

沈下橋は歩行者天国かのように、あちこちで記念撮影や自撮りをする人が目立つ。ただそんな中、クルマが橋の上にやって来る。沈下橋は地元の人たちの生活道路ではあるが、やって来たのは他県ナンバーのクルマである。橋の2ヶ所が心持ち幅が広く、そこに待避してやり過ごす。この人たちは、生活道路というよりはせっかくなのでクルマで渡ってみようというクチだろう。まあそれはさておき、暑さの中にどこか爽やかなものを感じる沈下橋である。

駐車場に駐車場に戻る時、橋のたもとを見上げたところに看板があった。平成17年(2005)の9月、台風14号の影響で四万十川が氾濫し、中村の市街地が全面浸水するなどの大きな被害が出た。看板はその時の佐田の沈下橋付近の水位で、結構見上げる位置にある。高いところで10メートルほどの水かさになったとは、この穏やかな景色からは考えられない。この出来事は12年前・・・前に私がこの地に来た時のことである。その四国旅行の1ヶ月後に私は大阪から東京に転勤したのだが、申し訳ないがこの台風被害については覚えていない。

昔の水害は、台風によるものが多いというイメージがある。ただ最近各地で発生している水害は・・・今年なら福岡・大分や秋田がそうだし、私の中では3年前の広島の水害が記憶に新しいのだが・・・台風云々よりも、前線の影響、さらには突然の豪雨によるものが多く、12年前とは気候も変わっているのではないかと思う。これからの防災や、危険予知をどうするか新たに考える必要があるかと。

話を戻して、ここから川沿いに上ることにする。江川崎までこの先、三里、高瀬、勝間、口屋内、岩間と沈下橋がある。少し走ると三里の沈下橋の案内がある。こちらは小ぶりなもので、佐田の沈下橋のように駐車場があるわけでもない。橋の手前の路肩に停める。

こちらは川遊びにより適しているというか、アクセスがしにくいため穴場のポイントのようだ。水遊びの歓声が上がる。一方で、橋の上には人がいない。・・・だからというわけではないが、今度は私もクルマで渡ってみようか。ということでクルマに引き返し、そろそろと沈下橋の上に乗り出す。一応両側のサイドミラーには橋の端の白線がはっきり見えており、普通に走らせれば落ちることはないはずだが、こういうのはやはり緊張する。対岸まで渡りきり、その先は行き止まりのため向きを変えて再び橋を渡る。短い長さの橋だったが、あまりこうしたものは、渡らずに済むのであればクルマでは渡りたくないなと思った。ただ、生活の道であることは確かである。

再び国道421号線に合流して向かったのは高瀬の沈下橋。国道から橋に下りるところにクルマを停める。もう、沈下橋をクルマで渡ることはしない。

こちらは地元の子供たちの遊び場にもなっているようだ。真ん中は少し深いのか、ドボンという音がする。沈下橋の上から飛び込んだもので、仲間で笑いあっている。「お前も飛び込め~」と言われて別の子供もドボン。そして、橋の上にいる仲間がサンダルを川に投げ入れる。久しぶりにこうした光景を見たように思う。頭の中に、なぜか井上陽水の「少年時代」のメロディーが流れる(実際の歌の景色よりは時季が早いのだが)。と同時に、阪神が優勝したからといって道頓堀川に飛び込むようなアホな大人にならないようにと願うのであった(まあ、飛び込みを招くような事態には金輪際なってほしくないのだが・・・)。

また国道421号線を走るが、この国道もこの辺りから「酷道」の様相を呈してくる。中央線がなくなり道幅が狭まり、そのうち離合に緊張する。場所によっては、「対向車接近」の電光板が光る。そうしたところは対面通行の信号のようなもので、対向車が来るまではその場で停車する。そんな道が結構続く。

結局勝間と口屋内の沈下橋は車窓で通過ということになり、やって来たのは最も江川崎寄りの岩間の沈下橋。こちらは四万十川のイメージにふさわしいとして、観光用のポスターなどでもよく被写体になる橋とのこと。休憩所から沈下橋を見下ろすスポットには、前日中村の駅前で見た三山ひろしの「四万十川」の歌碑もある。その中で、「遠い流れの四万十川越えて 心つなげる沈下橋」と歌われている。

こちらも佐田の沈下橋と同じく有名なためか大勢の人が訪ねていたし、クルマで渡る光景も見られる。遠い流れの果て・・・はオーバーかもしれないが、目の前の橋は皆が渡ってみたくなるような、対岸に行ってみたいような橋である。しばらく対岸の河原で憩い、川に足もつけてみる。ただ・・・この日の高知の最高気温は35度。少し足をつけただけの川面は生暖かいとすら感じた。

沈下橋はこれで最後で、江川崎の町に入る。江川崎は2013年8月に国内の観測史上最高の41度を記録したことで知られている。そのためか、「日本で一番暑い町」がPRになっている。ここまで寄り道しながらだったこともあり、竜串から3時間ほどでゴールの江川崎駅に着いた。ここにも、「日本一暑い」の文字があり、改札のところには、真ん中が谷状になった木のベンチが置かれている。「日本一暑いらぶらぶベンチ」というもので、気候の暑さとカップルの熱さをかけたもの。まあ、このベンチに私が座ることはないだろうな・・。

一通り駅を見て、さて折り返そうかなとクルマに戻ろうとした時、窪川方向から汽笛の音がした。これは列車が来るのだろう。その姿を見ようと駅舎に入ると、前方を黄色の車両が横切った。おおっと、「しまんトロッコ」号だ。

「しまんトロッコ」は江川崎でしばらく停車する。牽引する気動車はトイレのない型式のため、ここでトイレ休憩ということもあるし、窪川からトロッコ車両で四万十川沿いに揺られて来た客もここで降ろされる。この先宇和島へは気動車に乗ることになる。ホームに降りた客もしばらく撮影タイムだ。

発車時刻となり、乗客は車内に戻る。ホームに一人残っていた私に車掌が「発車しますよ!」と声をかけるが、たまたま見かけたので写真だけ撮ったと答える。エンジン音を上げて出ていく気動車を見かけると、また駅には静けさがやって来た。

今回のドライブはここで折り返し、中村の町並みに向けて走り出す・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~竜串海岸

2017年07月24日 | 四国八十八ヶ所
足摺岬の第38番金剛福寺のお参りを終え、私の今回の札所めぐりはこれで終了。この先、宿毛の第39番延光寺にも行こうと思えば行けるのだが、そこは次回、土佐くろしお鉄道の乗車と一緒に取っておくことにする。ということで、この先は札所めぐりとは関係のない完全な観光である。笈摺はとっくの昔に脱いでいる。

土佐清水の市街地まで戻ってきた。11時台ということで、ここで昼食とする。漁港として有名な土佐清水なので、どうせなら海の幸をいただきたい。清水といえば清水サバというのもあったな。

そこでたどり着いたのが、「足摺黒潮市場」。土佐清水おさかなセンターということで、観光客向けにレストランだけでなくさまざまな物販もある。ここなら間違いないだろう。レストランのメニューもさまざま用意されている。せっかくなので清水サバと、高知に来たのだからとウツボのたたきをいただく。

サバといえば足が早いということで、あまり生食というイメージはない。大阪の居酒屋だとサバのきずしは一般的なメニューとして置かれているが、こちら土佐清水では普通に刺身として切り身が出てくる。その中で選んだのが清水サバのぶっかけ丼。まずはだし醤油をかけていただく。サバというよりは、ハマチかタイに近い感じの味がした。後半はお湯をかけてお茶漬け風。お湯にさらすとサバの味かなというところだ。ウツボのたたきも歯ごたえがあったいい感じだ。

土産物のコーナーも見て回り、ここで購入したのが地元名産の宗田節。これが3本瓶に入っている。この瓶に普通の醤油を入れて、2週間ほど冷蔵庫で寝かせるとだし醤油ができるというものだ。帰宅後に早速醤油を仕込み、この記事を書いている時はまだ寝かせ中。いずれ、完成したらブログでも紹介しようと思う。

ここでお腹も出来て、竜串海岸に到着する。この辺りは水族館や海底館、そして見残し海岸もあるが、今回は手前側の海岸を一通り歩くことにする。20分ほどで一巡することができる。

竜串は2000万年前の海岸の隆起でできたとされ、砂岩と泥岩の層が入り組んでいる。そこに長年の浸食や風食で独特の景色を造っている。竹のように節ができたり、蜂の巣状に無数の穴が開いているのは、この年代の地層というのは比較的柔らかいのかなと思う。

その名の由来は、「竜を串刺しにしたように見える」「アイヌ語の『ツクシ=美しいところ』から来ている」「臥竜山という山があり、竜が臥す~タツフス~タツクシとなった」という説があるという。竜を串刺しというのはこじつけのような気もするが、竜でも出そうな神秘的なスポットであることは確かである。

前日訪ねた土佐入野のような広大な砂浜の景色はすばらしいと思うが、こうした奇岩の景色というのも、ワイルドさがあって結構好きなものである。岩の間を波が押し寄せる中歩き回る。岩の先端では釣り糸を垂らす人の姿も見える。

西土佐の海の景色を一通り楽しみ、遊歩道を一周して駐車場に戻る。ここから海岸線に沿って宿毛まで行き、第39番の延光寺に回れないこともないが、ここで折り返しとする。予定通り四万十川を遡ることにする。帰りは土佐清水の市街地も通らず、半島の付け根をショートカットして走る形になる。最終の目的地は予土線の江川崎駅ということに・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~第38番「金剛福寺」

2017年07月23日 | 四国八十八ヶ所
同じ高知の両端にあたる室戸岬と足摺岬。大阪からの距離は足摺岬のほうが遠く、四国の最果てに来た感じがするのだが、地形のためか、温泉街があるためか、室戸岬よりは開けた雰囲気がある。ともかく、足摺岬が四国八十八所めぐりの西南端で、ここから少しずつ北上していく。

金剛福寺は足摺岬観光の一つのスポットでもあるからか、巡拝以外の人たちも多く参詣している。「補陀洛東門」の札が立つ山門をくぐる。ちょうどここが観音のおわす補陀洛への入口として古くから信仰を集めている。

山門をくぐるとまず目につくのが亀の石像。弘法大師がこの地で修行していた時、海亀を呼び寄せ、その亀の背に乗って目の前の不動岩に渡って祈祷を行ったという。

そして正面の本堂に向かう。一連のルーティンの後でお勤めだが、暑い。汗で経本が濡れてしまいそうだ。

本堂の前には池があり、周りは岩が配置されている。12年前の前回、観光で初めて来た時にもこんな景色だったので別に何とも思わず、補陀洛らしい景色だなと写真を撮る。ただ、帰宅後にこの記事を書くにあたって他のブログ記事などを見ると、この庭園は昔からあったわけではなく、平成に入ってからの造作物だという。そういえば本堂その他の建物も、他の札所に比べて「古さ」をあまり感じさせない。やはり観光地としても多くの人が訪れる寺だからかなと勘ぐってしまう。

大師堂にも回る。ここでもわずか数分のお勤めで汗をかき、やれやれという感じで一つ終了した。

この後は境内をぐるりと回る中で、八十八所を何巡した記念として各札所の本尊が奉納されていたり、観音像が雛壇を作っているのにも出会う。中でも観音の雛壇は圧巻である。

納経所で朱印をいただく。寺の方もこの暑さ、Tシャツ姿での対応である。

さて、足摺岬に来たということで、岬周辺を散策する。やはり灯台がシンボルで、そのたもとまで行くと「地球の丸さ」を感じることができる。亜熱帯というわけでもないだろうが、南国風の木々が繁っていて、その中を金剛杖を突いて歩き回る。

急な階段を下りて白山洞門に着く。足摺岬の中の奇岩で、訪れる人も多い。長年の風雪でできた真ん中の洞穴が、角度によってはハート型に見えるということで、カップルには人気だという。このご時世を反映してか、補陀洛・・もとい大陸の言葉を話すカップルも訪ねていた。

急な階段を下るということは、帰りは急な階段を上ること。ゼイゼイ言いながら車道まで戻ったが、これも金剛杖さまさまである。当初は、岩本寺は窪川駅から徒歩数分だし、金剛福寺も足摺岬までレンタカーで行くのなら持って行かなくてもいいのではと思っていた。ただ、今回だけ持って行かないのも何だか妙だなと思い、ここまで来た。前日は土佐入野の海岸に突き立てたし、この足摺岬でも岬めぐりの助けになった。やはりこれは八十八所めぐりには手放せない・・・。

一通り回り、再び金剛福寺の東側の参道を歩いて、レンタカーを停めた道端に戻る。時刻は11時を回っており、足摺岬には1時間半ほど滞在したことになる。中村のレンタカー返却は19時と時間はたっぷりとある。ここは竜串に向けて走ることにする。今度は半島の東側を回って土佐清水の市街地に行くことになる。そんな中、足摺岬から次を目指す人、そして足摺岬に向かう人と、思ったよりも多くの歩き遍路の姿を見る。この暑さ、Tシャツに短パン姿で全身真っ黒な人もいれば、白装束姿の人もいる。

今日の私はクルマで横を通り過ぎるだけだが、改めてこの暑さの中での歩きに頭が下がる思いである。やはり四国めぐりは歩きが一番上なのか・・・・?
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第10回四国八十八所めぐり~はじめての、◯◯◯

2017年07月22日 | 四国八十八ヶ所
7月16日の朝、これから足摺岬に向かうにあたり、駅前のバス乗り場から離れた別の建物に向かう。その建物はニッポンレンタカー。駅レンタカーの業務を請け負っている。

この日は一日レンタカーで移動することにした。これまで公共交通機関または歩きにて回ってきて、四国めぐりを始めるにあたりそれを自分の中のルールとしていたのだが、ここで自ら掟破りである。レンタカーにて、はじめてのクルマ巡拝である。ここで掟破りのレンタカーにしたのはいくつか理由があるが、前提としてあるのは、この日の夜行バスで中村を出発して、大阪に戻ること。中村に限らずどこかにもう1泊して、翌日の午後から帰途に着くのであればレンタカーは使わなかっただろう。

1.今回は八十八所めぐり以外に、せっかくなので足摺岬の他に四万十川も見たい。また、訪ねることができるなら奇岩が並ぶ竜串にも行ってみたい。

2.足摺岬には路線バスで往復できるし、四万十川は高知西南交通の周遊バスで、途中の沈下橋の見学もできる。ダイヤ的には、午前の便で四万十川を回り、午後から足摺岬の往復ができる。ただ竜串には行けないし、これらバス路線の運賃合計は7000円程度になる。一方レンタカーは基本料金4860円。ガソリン代は別途かかるが、時間を自由に使えて、寄り道も可能。

3.単純に、「たまにはクルマにも乗りたい」というもの(ここで下手に「さまざまな手段での巡拝を体験したい」などと書くと、バスツアーとか自転車とか、果ては野宿遍路までありとあらゆる手段で回らなければならなくなる)。

まあ、あまりここで考えすぎても仕方ないので、カウンターで手続きをする。この日のパートナーは日産のノート。初めて乗る車種である。ナンバーが香川なのは、あちらからここまで来て乗り捨てたのだろうか。

ルートとしては、まず主目的である足摺岬の金剛福寺のお参りをして、竜串に向かう。その後で四万十川沿いに行けるところまで行き、夕方に中村に戻る。夜行バスは21時15分発である。

ナビをセットして足摺岬に向かう。距離は40キロ以上あるが、ドライブなら長すぎず短すぎずというところだろう。まずは四万十川右岸の国道321号線を走る。河口に近いこともあって川幅も広い。国道沿いには四万十川の漁を体験できるとの幟が立つ店もある。

国道は四万十川から離れて山の中に入る。すると、歩道に歩き遍路の姿を見る。追い越すのは一瞬だが、やはりこういう人がいるのだなと実感する。朝の8時すぎに四万十川を離れたところを歩くというと、前夜は中村に泊まったのだろう。ここから足摺岬までとなると、健脚の方で夕方に着くくらいだろう。それよりゆっくりなら手前の土佐清水の市街地に泊まるのかな。この暑さの中、頭が下がる思いだ。

やがて半島の付け根を越えて、左手に黒潮の海岸が広がる。まずは下ノ加江海岸というところ。こちらの道はところどころに停車、展望できるスペースがあり、時に停めてみる。同じ高知の端を目指すのにも、室戸岬への道にはなかなかこういう空間はなかった。足摺のほうが地形的に余裕があるのだろうか。

砂浜を見下ろすスポットがあったので停車。大岐海岸というところで、広い砂浜では朝から海水浴や波乗りを楽しむ姿が見られる。前日訪ねた土佐入野の海岸とも似た景色だが、こういうところを楽しめるのも羨ましいと思う。砂浜を見下ろすように地蔵像が何体か並んでいる。海難事故や交通事故の犠牲になった方たちの慰霊のためというが、この道は足摺岬を目指す遍路もたどる道である。そうした人たちが手向けたものかもしれない。

いつしか土佐清水の市街地に入る。土佐清水は漁業が盛んなところだし、そうしたものもいただけるだろう。それは帰りの楽しみとして、まずは岬を目指す。

途中、「足摺岬近道」の標識が出て、ナビの指示とは違うがそちらを進む。これは足摺岬への道を西側から行くルートのようで、ナビにはない新しいトンネルなど抜けると、海岸が右手に広がった。これで足摺岬、金剛福寺には西側から入ることになる。まあ、これもいいだろう。

足摺岬のホテルや旅館街を抜け、金剛福寺の山門前に着いた。中村駅から1時間半弱、朝の9時半前だが、山門前の駐車場は満車である。まあ、これは予想できたことだ。金剛福寺が、という前に、足摺岬が四国の代表的なスポットの一つである。やって来た誘導員の指示では、ここから800メートル東に走ったところにスペースがあるのでそこに停めるか、そこでUターンしてこの駐車場の順番待ちの列に付くかの2択である。ならば、ともかく山門を素通りして、東側のスペースに向かうか。

そのスペースは空きがあり、楽に駐車できた。ここで金剛杖を後部座席から出し、笈摺を羽織る。こうすることで、寺の少し前だけ歩きの巡拝の風情を味わうことにする。金剛福寺の周りは国有林で勝手な開発ができないためか、しばしの昔ながらのルートを感じることができる。ただ、その距離を歩くだけでも暑く、汗が吹き出る。

そうしてやって来た金剛福寺。これからまずはお参りである・・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~中村で1泊

2017年07月21日 | 四国八十八ヶ所
中村駅に到着。駅前のロータリーで出迎えるのは演歌歌手の三山ひろしさんのパネル。「四万十川」という曲があるそうで、改めて四万十川の町に来たことを感じる。こちらはかつては中村市だったのが、今は四万十市である。四万十町に四万十市とは、県外から見るとややこしくないのかなと思う。

15日の宿泊は駅前にある中村第一ホテルである。はっきりとは覚えていないが、12年前に中村で泊まった時もこのホテルではなかったかと思う。ホテルは他にもあったのだがここを予約したのは2食つきというもの。夕食には土佐の名物がそろう「四万十会席」というのがあり、合わせて12500円。後でレストランでメニューを見ると5400円とあった。結構な値段がするものである。

夕食は席にも限りがあることから、チェックインした順番に早い時間を案内しているようだ。私がチェックインした時には夕食は19時と言われたが、着いたのが18時15分頃だから、シャワーを浴びて一休みするとちょうどよい頃だ。部屋に入り、中村の町を見下ろす。もっとも、小京都と呼ばれる町の中心部は反対の方向だが。

さてこの日、プロ野球のオールスター第2戦が千葉で行われるのだが、「あっ」と思った。このところオールスター戦はなぜかどの試合もテレビ朝日が中継しているのだが、こちら高知にはテレ朝系列の放送局がない。昨年の徳島は、ケーブルテレビのおかげで大阪の朝日放送で観戦したのだが、高知にはそのような局もないようである。これもまた地方の実情である。

さて時間となり、2階のレストランに向かう。一人客なのだが四人卓の座敷に通される。まず前菜として、川えびのから揚げ、ゴリの佃煮、あおさ海苔入りの天ぷらが並ぶ。いずれも四万十の川の幸である。

川の幸はまだまだある。四万十川の川うなぎに鮎の塩焼き。

さらに海の幸としてかつおのたたきも加わる。他に天ぷらや茶碗蒸しもあり、確かに高知の豪華メンバーが揃う。ここでやっとビールが飲めたということで満足する。混んでいたためか店員を呼んでもなかなか来なかったのはちょっと残念だったが。今回、割高かなと思いつつも2食つきのプランにしたのは、中村の町の中心が駅から離れていることと、居酒屋や土地の名物がいただける店がなさそうということからだった。結果としてはホテルの近くに焼き鳥のチェーン店もあるし、食後に町をぶらつく中で地元名物がいただける店も見つけたのだが。

部屋に戻りブログ記事の作成と、明日、そして次回以降の札所めぐりの計画を立てたりする。その中でも愛媛に入ってからどう動くかが鍵で、次回は大阪から最も離れたエリアに挑むことになる・・・。

さて翌16日の朝、薄雲は広がっているが明るい空である。おそらく天気の崩れはないだろう。朝食は同じレストランでの和定食で、普通ならもっと早い時間から動くところ、この日は8時スタートとゆっくりである。ゆっくりと支度をして中村駅に向かい、すでに開いている売店で土産物を購入する。

その中で見つけたのが「鐵の道」の四合瓶。これは中村の酒「藤娘」の純米吟醸で、「鐵の道」は土佐くろしお鉄道の応援のために限定発売されているブランドである(駅の改札にもPRあり)。これは後で知ったのだが、「鐵の道」は、全国の日本酒とローカル線の活性化プロジェクトの一環で、これまでも千葉のいすみ鉄道や三陸鉄道、大阪でも水間鉄道で展開しており、土佐くろしお鉄道で9例目だそうだ(すでに発売終了のものもある)。この記事を書いている時点ではまだ封を切っていないのだが、おそらくよい味がするのだろう。ただ注文があるとすれば、ローカル線の現地車内でも楽しめるように、ワンカップのサイズもあればなおよしということで・・・そこは「飲み鉄」の言い分である。

さてこの日は足摺岬の第38番の金剛福寺を目指す。バスは8時20分発とまだ時間があるのだが、今回はこのバスには乗らない。かと言って足摺岬まで歩くわけでもなく、私が向かった先とは・・・・?
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第10回四国八十八所めぐり~黒潮と砂浜美術館

2017年07月20日 | 四国八十八ヶ所
岩本寺の参詣を終え、窪川発15時30分発の中村行き鈍行に乗る。先ほどのJRの駅舎の隣に土佐くろしお鉄道の駅舎があり、こちらのホームにすでに折り返し運転の車両が停まっている。発車まで20分以上あるが、車内に入れるので中で涼むことにする。

土佐くろしお鉄道はこの中村線、宿毛線、そして高知札所めぐりの前半で利用したごめん・なはり線がある。同じ会社線といっても路線じたい離れているし、車両タイプも全く異なるので別会社のように見える。

さて、中村線、宿毛線には今年度の限定ものとして、土日祝日に普通列車のみ有効の一日フリーきっぷがある。駅や車内のポスターでもPRしているが、その値段、なんと500円。窪川から中村まで普通の片道運賃が1090円であるから、この時点で半額以下である。さらに宿毛まで行くこともできるし、往復ならなおお得だ(ただし、特急には特急券を買っても乗ることはできない)。駅員のいる窪川、中村、宿毛の各駅だけでなく、ワンマン列車の車掌からも買うことができる。たとえ収入はワンコイン分しかなくても、とにかく一人でも多く列車を利用してほしいというのがうかがえる。

これは後で中村で下車した時の光景だが、整理券と運賃を前の運賃箱に入れようとした客に対して運転手が「今日はフリーきっぷの発売日なので、こちらを買ったことにしておきますよ」と言って、500円だけ受け取ってフリーきっぷを渡していた。日常の都市部の感覚なら、この手のフリーきっぷは「知ったもん勝ち」のようなところがあり、普通運賃を支払うのは「知らない客が損」という面がある(普通運賃を支払うのは何ら悪いことではなく、鉄道会社から見ても所定の収入が得られるのだからいいお客だ)。それがこうした対応というのは、経営が厳しいローカル線の中でのおもてなしとでも言えるが、一方で「ちょっとお人好しすぎるかな」とも思う。

さて話を窪川駅に戻すと、高知方面からの接続がないこともあってか、乗客6人で発車。こんな状態なら、500円で一日乗り放題でもいいから一人でも多く列車に乗ってほしいというのは切実だと思う。まずは四万十川の流に少し沿い、田園風景の中を走る。

次の若井が駅としては土佐くろしお鉄道と予土線の境目である。かつての国鉄赤字路線の廃止、第3セクター鉄道やバスへの転換の中で、窪川から中村が中村線、若井から北宇和島までが予土線という括りだったのが、中村線は存続基準を下回っていたために廃止~第3セクターに転換された。一方の予土線は、乗客の数は中村線を下回っていたのが、道路未整備で代替バスの運転が困難として存続となった。このため、窪川~若井は土佐くろしお鉄道となり、予土線の各駅に行くには土佐くろしお鉄道の運賃が発生する。青春18きっぷも使えない。まあ、線路が残っただけよかったとしなければならないのだろうか。最近は両路線とも観光に力を入れており、一緒に西土佐を盛り上げようとがんばっている。

その両路線が分岐するのは、若井から西に進んだ川奥信号場である。線路が複線になり、対向列車待ち合わせでしばらく停車する。せっかくなので最前部に行ってみる。運転手が「もう間もなく来ますよ」と言う。地理的な感覚で、予土線の線路が右に折れて、土佐くろしお鉄道は直進すると思っていた。これは左の線路を中村方面から列車が来るのかと構えていた。

ところが、予想に反して右側の線路から特急が駆け上がってきた。そしてこちらの気動車は右側の線路を下りていく。実は土佐くろしお鉄道はこの先ループ線を描きながら高度を一気に下げていく。鉄道好き以外の方にとってはどうでもいい話だろうが・・・。

黒潮町に入る。四万十の次は黒潮と、そのものズバリの町名が続く。その中心の土佐佐賀からは、車窓に黒潮を見ることができる。まさに夏の海という景色にうなる。うーん、今日はもうお参りは終わったのだから、窪川駅近くの酒屋かドラッグストアで缶ビールでも仕入れておけばよかったな・・・。

窪川から1時間、16時26分、土佐入野に到着。途中下車する駅はここである。駅のホームじたいは海に面しているわけではないが、駅から見える松林~入野の松原~を抜けると海岸が広がる。

12年前にもこの駅に降りている。何がきっかけで知ったのかは覚えていないが、この海岸でTシャツアート展に出会い、うなったものである。

その時撮影したのがこれらの写真である。天候が良くなくて観光ポスターほどには映えていなかったが、実に新鮮な景色に思えたものである。このアート展は今も5月の連休に行われており、砂浜にも毎年趣向をこらしていて、黒潮町の代表的なイベントになっている。また、砂浜を美術館として、季節ごとに他にもイベントが行われている。

駅から数分でその海岸に着く。金剛杖を手に、荷物を両肩に振り分けてという姿は正直浮いているが、何かの四国歩き遍路のガイドブックだったか、菅笠に白衣、金剛杖でこの浜を歩く写真がイメージ的に紹介されていたのを見たことがある。歩き遍路ならこうした雄大な景色に接することができる・・・という内容だった。確かにこの辺りは「四国のみち」の一部でもあるし、実際に昔からの遍路道なのだろう。

ただ景色は、泳ぐ人はいない。その代わりに波乗りサーファーにはたまらないスポットのようだ。あちこちにサーフボードが浮かんでおり、タイミングを図って波に乗る。結構長く乗る人もいて、見ている方も楽しい。

うーん、こういう景色こそ缶ビールでも・・・と思うが、土佐入野は窪川のような駅前に酒屋もドラッグストアもない駅だった。

砂浜のところどころに竹筒や流木が立てられている。そばにサンダルが置かれていたから、波から浜に戻る目印なのだろう。だからというわけではないが、私も手にある金剛杖を砂浜にグィッと突き立てる。金剛杖の元々の役目の一つに、万が一巡拝の途中で行き倒れになった際に、卒塔婆、墓標代わりにするというのがある。行き倒れとは縁起でもないことだが、何だかここに来て、金剛杖にも海を楽しんでほしいというくらいの気分だった。

しばらく黒潮の波と風を楽しみ、駅に戻る。次に乗るのは18時ちょうど発の宿毛行き。何とこの駅から中村、宿毛への「最終列車」である。実際はその後も特急が3本停まるので移動できないわけではないのだが、鈍行が18時が最終とは、地元の人たちの流れがそうなのだろう。

やって来た車両はこれもガラガラ。季節ものか、車端のロングシートにはガラス細工の風鈴が下げられていて、列車の揺れや空調の風で独特の音色を奏でる。地元の子どもたちが飾りつけをしたそうで、地域密着のいいイベントだと思う。

中村に到着。まだ日は残っている。今夜はここでゆっくり過ごすことにする・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~第37番「岩本寺」

2017年07月19日 | 四国八十八ヶ所
7月15日の日中暑い盛り、土讃線の窪川に降り立つ。これまでも予土線、土佐くろしお鉄道の乗り換えで来たことはあるが、町の印象はほとんど残っていない。これから訪れる岩本寺も、四国の札所としてではなく、ユースホステルがある宿坊ということで、10~20歳代の時に入会していたユースホステルのカタログに載っていたのを憶えているくらいだ(現在も宿坊は営業しているようだが、ユースホステルからは外れている)。

その岩本寺は、駅から歩いて数分のところにある。これまで訪ねた四国の札所の中でももっとも駅近の部類に入る。ただこの暑さである。荷物を入れたバッグをコインロッカーにでも預けられないかと思うがそういうものはなし。ここはかついで行けということか。

駅に隣接して真新しい木造風の建物がある。四万十町役場の西庁舎で、土曜日だが1階はロビーと観光案内で開放されている。こちら四万十町は、窪川町、大正町、十和村が「平成の大合併」による誕生した町である。同じ県内には中村市が中心となってできた四万十市というのもあり、紛らわしくないのかなと思う。ロビーで笈摺を羽織り、金剛杖をケースから取り出す。今回は札所に行くのにほとんど歩く場面はないが、やはりここまで来ると金剛杖は「形」として手放すことはできない。これを持ち、リュックとバッグを振り分け荷物のようにかついで寺を目指す。

歩いてすぐのところで窪川の町の昔ながらの商店街に出る。一本奥の道に入ると岩本寺の参道である。古民家を改装したカフェがあり、果物店と甘味処に挟まれた路地に石柱があり、その奥が山門である。山門をくぐると線路を列車が走る音が聞こえてきた。正面奥に目をやるとちょうど木々の向こうを黄色い車体が走り抜けて行った。予土線のトロッコ列車である。

山門を入ったすぐ左手が納経所で、その前には休憩用のベンチがある。バッグと金剛杖はこちらに置かせてもらい、そのまま本堂に向かう。団体客はおろか他の参詣者の姿もほとんどなく、静かな雰囲気である。

本堂は昭和に建てられたもので、開放的な雰囲気である。そして天井には全国から公募したという格天井画が並ぶ。全部で575枚あるというが、花鳥風月、仏画、人物などさまざまなテーマで書かれている。

その開放的な本堂にてお勤めであるが、般若心経の後で本尊の真言を唱えるにあたりちょっとびっくり。通常は本尊は一つなのだが、ここは何と五つもある。不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、そして地蔵菩薩。普通は、本堂にどれか一つが本尊として収まっており、他の仏は境内の別のところで「○○堂」という形で配置されているのだが、岩本寺は5つ勢揃いである。この中で一応「センター」は不動明王のようだが、かといってこれがメインでこれがサブというものではない。5人それぞれソロでも主役を張れるところはSMAPか嵐かというところだろう。

これは岩本寺の歴史に関係することで、八十八所のホームページと五来重『四国遍路の寺』によれば、元々は聖武天皇の勅命により行基が現在地から北西に3キロほど離れた仁井田明神のそばに寺を建立したとある。これが福圓満寺というもので、仁井田明神の別当寺であった。その後、弘法大師が仁井田明神の御神体を五つの社に分け、それぞれの本地仏として上記の五つの仏像を祀った。神仏習合の時代にはこういうことは自然なことだったようだ。

時代が下り、戦乱などで福圓満寺は衰退したが、江戸時代になり、窪川の宿坊であった岩本坊に札所の権利が移り、岩本寺という名前になった。さらに明治初期には神仏分離により仁井田の五つの社も切り離された。その時仏像は岩本寺がまとめて引き取ったのだが、しばらくすると仏像だけでなく37番の札所の権利までもが愛媛の八幡浜の吉蔵寺に移された。吉蔵寺の寺伝では、住職の夢の中で鐘の音を聞き、翌朝仏間に37枚の納め札があったという。そこで37番の岩本寺のことを調べると非常に苦しい財務状況だったそうで、ならばと仏像と37番札所の権利を買った。廃仏毀釈で多くの寺の経営が行き詰った明治の初めのことである。

ただ、廃仏毀釈が収まり、また四国八十八所巡礼も行われるようになると、さすがに37番が八幡浜にあるのは困惑するという遍路からの苦情が出たり(八幡浜は、札所番号でいえば43番と44番の間に位置する)、岩本寺側からも仏像と札所の権利の返還を求められるようになった。裁判にもなり、その結果岩本寺に仏像と権利は戻されたが、吉蔵寺もしばらくは「37番」の看板を掲げていたようである。何だか芸能人の事務所の移籍話のゴタゴタにも似ているように思う(だからSMAPじゃないって・・・)。

この経緯について書いたのは、大正時代に書かれ、今でも「遍路」の愛好者には読まれている高群逸枝の『娘巡礼記』の一節にあったからである。

この後で大師堂でもお勤めを行う。さらに、本坊の中には岩本寺の奥の院ということで「矢負地蔵」というのが祀られており、参詣者は誰でも拝めるというので中に入る。昔、この地に信心深い猟師がいた。ある時、獲物が見つからず、「これ以上の殺生は無益だ」として自分の胸を矢で射た。すると妻に起こされ、傍らを見ると胸に矢が刺さった地蔵菩薩像が倒れていた。身代わりになったということで、この寺で手厚く祀るようになったという。

境内にいる間に白衣や笈摺姿の巡拝者の姿も少しずつ出てきた。ここで納経所に朱印をいただき、岩本寺を後にする。時刻は15時前で、駅前の商店街にはドラッグストアがあるくらいで、涼みに立ち寄れそうなコンビニなどはない。この日の札所めぐりはこれで終了ということで、役場まで戻り、とりあえず笈摺を脱ぐ。次の列車は15時半発で、このまま宿泊地の中村に向かえばよいのだが、実は八十八所とは関係ないのだが、途中下車したいスポットが1ヶ所ある。とりあえずはそこを目指すことに・・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~高岡郡を横断

2017年07月18日 | 四国八十八ヶ所
高知から窪川に向かうのは11時59分発の鈍行。窪川まで2時間かけて走る列車は1両のワンマン気動車。途中の須崎までだと鈍行も1時間に1~2本走っているのだが、その先となると1日8本とか、その程度。特急も日中は2時間に1本ということでなかなかのものだ。

今回列車で・・・というより高知の西部に行くことじたいが12年ぶりである。今は閉鎖した前身のブログに記事は書いたがそのデータもなくなったので書き起こすことはできないが、その時は高知から始めて中村と竜串に泊まり、今回目指す足摺岬の金剛福寺にも行っている。その後は松山に出て、この年(2005年)に発足した四国アイランドリーグの愛媛対徳島を坊っちゃんスタジアムで観戦している。その時は岩本寺には行っていないし、金剛福寺も足摺岬観光の時に「ここに寺があるんや」と見た程度である。アイランドリーグは、当初は高知でも観戦を予定していたが雨天中止だった。この時と比べて、四国を訪れる目的が変わったのは(変わっていないものもあるが)妙なものである。

1両の列車は地元のお年寄りや学生で立ち客も大勢出る混雑。買い込んだ昼食は後回しにするとして、まずは高知の市街地を抜ける。高知城の天守閣を遠くに望み、その手前には第30番の奥の院で、一時は廃寺となった善楽寺の代わりに30番札所を名乗っていた安楽寺の裏を通る。

途中駅での乗降もあったが、伊野である程度まとまった下車があった。前回は土佐市の高岡、宇佐という辺りの札所を回り、バスで戻ってきたのがこの伊野だった。ここまで第1番から第36番までに回った見覚えのある景色を見てきたが、伊野で交通的にも前回からの再開ポイントとなる。仁淀川を渡り、山がちな区間に入る。この辺りからは現在も高岡郡を形成する町が続く。

次に下車が多かったのは佐川。ホームには高知ファイティングドッグスのチームスローガン「勝気」の幟が何本も並んでいる。風向きの関係で、写真では裏側から撮ったような形になっているのはご愛敬として、こちらには選手の合宿所があり、町もホームタウンの一つとしてPRしている。ファイティングドッグスといえば、今年の前期にプレーしたあのマニー・ラミレスだが、おそらく前期だけのプレーで契約満了につき退団・・・と思われていたのが、後期も再契約したというのが話題になっている。「マニーが高知を気に入った」というのが再契約の決め手だとか。現在前期と後期のインターバルで、チームは対外遠征中とのことだが、今月終わりの後期開幕から登場するかどうか。

列車は須崎市に入る。多ノ郷は郊外型の大型店舗が並ぶところで、入江を回り込むようにして須崎に到着する。須崎というと漁港のイメージが強いのだが(高知・須崎港からの直送・・・というのも海鮮系居酒屋によくあるキャッチコピーである)、改めて列車で来てみると大型設備や大量の木材が並んでいる。現在はセメントや木材の積み出しでも大きな役割を果たしているという。リアス式海岸の入江で天然の良港であるが、過去には地震による津波で町も大きな被害を受けたことがある。

この須崎から土佐久礼までは海沿いを走る。安和駅はホームのすぐ前に海岸がある。八十八所めぐりも所々で黒潮と出会うことができる。ここまで来ると高知からだいぶ西に来たようで、乗客も学生が何人かいる程度。高知から乗り通しているのは私くらいのものかなと思う。いつしか昼食もお腹の中である。

13時55分、窪川に到着。この先土佐くろしお鉄道で中村方面には5分の接続で、急いでそちらに向かう人もいるが、私はとりあえずこの日最初の目的地がここなのでゆっくりと改札を出る。ゆっくりと改札を出たのは、予土線のホームに「ホビートレイン号」が停まっていたり、その裏の側線には同じ予土線を走るトロッコ列車の黄色い車体が見えたからである。予土線は列車本数は少ないが「しまんとグリーンライン」として、車両を観光用に改造するなどして観光PRに熱心である。八十八所めぐりをする中では予土線の沿線は通らないのだが、この路線も久しく乗っていない。またいずれ、鉄道を楽しむということで乗ってみたいところである。

さて、いつもながら札所へのアプローチが長いこのブログであるが、朝6時45分に大阪を出発して7時間以上過ぎたところで、ようやくこの日の札所である・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~まずは高知を目指す

2017年07月17日 | 四国八十八ヶ所
7月15日の朝、湊町のバスターミナルに現れる。今回の四国八十八所めぐりでの四国へのアクセスは、JRバスの高知エクスプレス号である。湊町バスターミナルが6時45分発で、高知駅には11時42分着というダイヤ。ちょうど5時間である。これまで、高知駅からの戻りでバスを使ったことはあるが、高知駅に向かうのに大阪からバスというのは初めてである。

JR大阪駅が始発だが、この日は2台で運転するという。連休の初めということで朝早くからバスを待つ人が多い。やって来て乗り込み、大きなバッグは車両下のトランクルームに預け、金剛杖は車内に持ち込む。1、2号車とも本日満席との案内があるが、見た感じでは空席も目立つ。この後JR三ノ宮駅にも停まるので、そこで乗って来るか。

まずは湾岸線を走り、終点からは国道43号線に乗り継いで三ノ宮駅に到着する。果たして、ここからも多くの乗客がある。

京橋から再び阪神高速に乗ったが、目立った渋滞もなく明石海峡を渡る。最初の休憩は、大阪からの高速バスの休憩所の定番である室津パーキングエリア。ここは最近まで女性トイレが改装工事のため仮設トイレだったのが、今は性別が入れ替わって男性トイレが工事中である。仮設の洋式便器の個室が並んでいて、用を足すのにどのように並べばよいか戸惑いが広がっている。

10分の休憩で再び走り、鳴門海峡を渡って四国上陸である。これから徳島道を通って川之江から高知道へ・・・とイメージしていたが、鳴門の分岐からバスが向かったのは高松道。鳴門の北側を通り、四国第1番の霊山寺を遠くに見る。昨年のちょうど今ごろ、この地を歩いていたのだなと懐かしく思う。

そんなバスもそのまま高松に向かわず、板野インターで一般道に入る。しばらく走って藍住インターから徳島道に入る。これなら最初から徳島道を走ればと思うが、改めて地図を見ると、徳島道は吉野川の北側までぐるりと回るルートである。徳島市街とは近いが、関西からのバスに取っては大回りとなるようだ。で、途中を一般道でショートカットする。高速料金の乗り継ぎ割引などないだろうが、時間的なメリットがあるのだろう。

土成インターを過ぎる。第2回の時は阿波池田行きのバスで出発して、ここで降りた。その時も板野~藍住乗り継ぎだった。インターを過ぎると右手に黒ずんだ楼門が見える。第8番の熊谷寺の仁王門だ。撮影が間に合わず画像はないが、この時は熊谷寺への裏ルートを見つけたようで勝手に喜んだものである。

徳島道はこの後第10番の切幡寺の近くを通るようだが、この辺りはトンネルが続いていてその姿は見えない(切幡トンネルというのもある)。その後は吉野川流域の平野部を走るが、そのうち狭くなってくる。四国の真ん中が近づいてくるのを感じる。

吉野川サービスエリアに到着。ここで2回目の休憩である。昼間に来るのも久しぶりのことだ。ここは単なるサービスエリアだけではなく、美濃田の渕というスポットのあるハイウェイオアシスとして知られている。さまざまな設備や温泉もあるが、これらはドライブ向けの施設で、当たり前だが10分の休憩では売店をのぞいて終わりである。

吉野川を渡り、川之江から高知道に入る。大阪から高知に向かうのに一度愛媛県をかするのも妙な感じだが、この辺りは四国でも最も山岳地帯である。この後高知まで19のトンネルをくぐり、南国市に出る。この辺りは第29番の国分寺から第30番の善楽寺、土佐一ノ宮にかけて歩いたところで、景色も思い出す(南国市に「株式会社オリックス」なる会社があったっけ)。

高知インターで降りてそのまま市街地に入る。定刻から10分ほど早く高知駅に到着した。青空が広がっており、暑い。四国八十八所めぐりで高知駅前に立つのはこれで4度目だが、これまでは冬や春のこと。夏に来て改めて「南国土佐」を感じる。

さて、今回の目的地である第37番の岩本寺へは、ここから土讃線の終点である窪川まで行かなければならない。ここからは鉄道モードにて、昼食を買ってホームに上がる・・・。
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第10回四国八十八所めぐり~夏の西土佐へ

2017年07月15日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所めぐりを始めて最初の札所めぐりとして徳島の鳴門から板野町を回ったのが、ちょうど1年前の7月である。あれから合計9回の札所めぐりを重ねて、土佐市にある36番の青龍寺まで進んでいる。高知も東から進んで中部の土佐市まで回ってきたことになる。

さて、その次である37番は土讃線の窪川駅近くの岩本寺、そして38番は足摺岬の金剛福寺、次いで39番の宿毛の延光寺と回ると、土佐、高知の札所をクリアとなる。夏本番となり、8月の夏休みも今年は四国に向かうとして、関西からもっとも遠い土佐、伊予の南西部分を回ることにする。

そこでまずは高知に残る3ヶ所であるが、関西からのアプローチや、なかなか行けないエリアなので観光も組み入れたいなとか、あれこれ時刻表を出しては検討する。まず7月15日からの連休の中でどうするか。宿泊については中村、足摺岬、宿毛、果ては手前の須崎などという案も出た。須崎が出たのは、高知から窪川の間が列車で過ぎるだけで終わるのが惜しく、漁港としても知られる須崎に1泊もありかなという程度のことだが・・・。

また一方で、愛媛西部の回り方もある。宿毛から宇和島の間の愛南町に40番の観自在寺があるが、ここなどは「四国を一周する形を取る」ということでいえば、宿毛側から行きたい。大阪から瀬戸内回りでアクセスするコースと出くわすまでそのやり方である。

あれこれ考えた結果、この第10回は、岩本寺と金剛福寺を目指すことにした。15日は中村に宿泊ということでホテルを確保した(この記事を書いているのも、中村のホテルの一室からである・・・)。宿毛の延光寺については、次に宿毛から愛南町、宇和島と回る中で訪ねることにする。クリアしようと思えば可能な高知に寸止めのように一つ残すのはもったいないと思う方もいらっしゃるだろうが、これは人それぞれの回り方である。

実際どう動いたのかは次からの記事での話だが、まず今回大阪からの出発に選んだのは、湊町バスターミナルから高知行きのJR高速バスである。新幹線~特急乗り継ぎと比べると時間はかかるがそう遜色もないし、価格だと断然安い。まあ、こういうのもいいだろう・・・。
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来季もやるのか

2017年07月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
プロ野球もそろそろ前半戦が終了、週末はオールスター戦であるが、このところテレビでもオールスター戦を観ていないし、世の関心も昔ほどではないのかなと思う。

さてそんな中で、オリックス・バファローズは早々と福良監督の来季続投を決めたようである。確か昨年もあの成績ながら前半戦終了時には決まっていたのではないだろうか。

フロントは、選手育成の手腕を評価しているそうだが、ファンの思いからは解離しているようにも思う。ブログやフェイスブックなど覗いてみても、監督の采配、選手起用にはかなりの疑問符、はては怒り、批判にあふれているようにも思うがどうだろうか。

まあ、オリックス生え抜きであるし、おそらく次の監督になるであろう田口2軍監督にいい形でひきついでやりたいというのはわからなくもない。また、歴史を振り返れば西本幸雄や王貞治のように、監督就任から長い年月をかけて優勝に導いた監督もいる。

別に来季もやるやらやるで頑張ってほしいが、コーチはテコ入れするべきかと思う。ネットでは「シドニー」こと鈴木バッテリーコーチがやり玉に挙げられているが、個人的には日本一も経験した西村ヘッドコーチの存在感の薄さが気になる。陰では尽力しているのかもしれないが、コメントが報じられるわけでもなく、仕事しているのかな?と思わせるところがある。

監督だけでなく、コーチ、フロント、そしてもちろん選手たちも、もう一捻り、アクセントがほしいところである。

それらはともかくとして、まずはこれから後半戦に向けて、まだまだ一つでも上を目指してほしい・・・。
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BCリーグ観戦記・滋賀対巨人@守山(これが力の差か・・?)

2017年07月09日 | プロ野球(独立リーグほか)
守山での滋賀対巨人のBCリーグ、NPB交流戦。試合開始時にはスタンドも満員となった。その中でも巨人ファンとはいうのはどこにでもいるもので、この日のスタンドでも巨人の坂本や阿部のユニフォーム姿の人、オレンジのタオルを持つ人もいる。三塁側のスタンドでは公式の応援団というわけでもないだろうが、メガホンを持って大声で選手に声援を送る姿も見られる。

滋賀の先発は右腕の高橋。福井工大からの入団で、この球場はスピードガン表示されるが球速は直球でも130キロ台の後半。先頭にいきなりベテランの脇谷を迎えるが、四球で出塁。その後内野ゴロでランナーが入れ替わり、3番の北がライトへの大きな当たりを放つ。これが二塁打となりあっさりと巨人が先制する。その後も青山、坂口という育成選手に連続四球を与えて満塁のピンチを迎えるが、後続を何とか打ち取って1失点で切り抜ける。

そして1回裏。こちらは黒と白でコーディネートした応援団「近江豪勝連合」が勢揃い。「豪勝」とは「豪商」近江商人から取った名前だろう。守山球場は鳴り物での応援が禁止されており、声とチアスティックでの応援である。

巨人の先発は育成2年目の左腕の橋本。滋賀は先頭の泉が四球で出塁するが、杉本が1⇒6⇒3の併殺。しかし前本、モスキート、山本と連続四死球で二死満塁となり、初回から球場が盛り上がる。ここで迎えた赤尾の当たりは外野に飛ぶが押さえられ、こちらは無得点。

試合の流れは2回で決まった感じがある。先頭の川相(3軍監督の息子)がヒットで出塁。バントで二塁に進むと、続く脇谷の当たりは一塁ゴロ。しかしこれを一塁の桑田(桑田真澄さんの息子)が後逸。さらにバックアップに入ったライトの前本も後逸する。失策が重なって川相が生還して2対0となる。その後、北が2打席連続となる二塁打を左中間に放ち3対0、続く青山は一・二塁間を破るヒットを放つが、守備体型が悪かったのかそのまま右中間まで転がる。これが三塁打となり、4対0となった。先発の高橋はこれで降板となり、飛田に交代。サイドから投げる投球で後続を抑え、3回、4回は三者凡退で乗り切る。

巨人は5回に追加点を挙げる。二死一・二塁から高橋の当たりは三塁へ。三塁の田中が懸命に追いついて一塁へ送球するがセーフ、内野安打となる。そしてこのプレーの間に二塁走者が一気に生還する。こうした試合運び、一瞬のスキをつくというのは、やはり3軍といえどもNPBの球団なのだなと思う。さらにこの後、川相に左中間への二塁打が出て7対0。ここまで来ると改めて力の差というのを感じてしまう。

橋本は初回こそ制球難で大丈夫かと思ったがその後は立ち直り、滋賀は3回に杉本が三塁打を放つもチャンスはこれだけ。5回は泉が四球で出塁するも、牽制球で飛び出してしまいアウト。観客の期待に応えられない。

滋賀は6回から鈴木が登板。この試合で初めてスピードガンに140キロ台が表示される。ランナーを許すが、青山のセンター前に抜ける打球をショートの北本が押さえ、二塁へトス。この後一塁に送球が渡り併殺が完成。選手は精いっぱいのプレーをしている。

巨人も6回からは継投に入り、2年目の與那原が登板。長身で上体をグッとひねるのが特徴で、力強いボールを投げる。前本にヒット、モスキートに四球を出すが、牽制球で刺してピンチをしのぐ。

滋賀の反撃は7回。この回登板の堀岡から二死二塁として、先ほど好守備を見せた北本がセンター前にタイムリー。ようやく1点が入りスタンドから大きな拍手が起こる。

ただ試合はこの後、8回には滋賀4人目の中瀬から川相がこの日2本目の三塁打を放ち、途中出場の鬼屋敷の犠牲フライで1点追加、9回には5人目の渡辺から同じく途中出場の田島がタイムリーを放ち合計9点。

一方の滋賀は、8回登板の田原(一軍でもよく出ているあの田原)の前に三者凡退となり、9回には台湾出身のルーキー、リャオ・レンレイを迎える。2メートルの長身から繰り出される投球に球場がどよめく。スピードガンはこれまで出た両チームのどの投手よりも格段に速い150キロ。ちょっと制球が良くないようだが、独立リーグにはいない剛速球の投手の前に滋賀打線は手が出ない。四死球でランナーは出したが得点にはつながらず、そのまま9対1で試合終了となった。

序盤で大差の試合となれば、NPBの試合なら7回、8回を終わった時点で席を離れる客が多くてもおかしくない。しかしこの試合の観客(公式発表は2551名と、独立リーグでは大入り、滋賀球団としても公式戦開幕戦を超える観客数)のほとんどは最後まで席を立たなかった。試合後にグラウンドで野球教室が行われるからというのもあっただろうが、選手の一生懸命さとか、独立リーグ参加1年目の球団が、3軍とはいえあの巨人にどこまで食らいつくかというのが見せ場だったなと思う。この日は神戸でのバファローズ戦のチケットをフイにする形で守山まで来たが、いい試合を見せてもらったと思う(少し後で開始されたバファローズはといえば・・・・まあ、それはさておくとして)。

一方の巨人、3軍を持ち、監督・コーチにもそれなりの人材を置いているわけで(近鉄のエースだった阿波野が、現在3軍の投手コーチをしているのも驚きだったが)、独立リーグとは格の違いを見せた試合運びもしていたが、こういうチームでも「育成ができていない」「若手が出てこない」という批判を受けているのも気の毒だなと思う。独立リーグや社会人を相手に試合をする日々の3軍選手のモチベーション維持も大変だとは思うが、ここで結果を出さないと1軍戦はおろか2軍戦にも出られないわけで、やはりNPBというのは高い壁なのかなと思う。交流戦という、なかなか見られないものを観ることができて、これからの野球観戦にも幅が広がった。

さて帰り。行きは歩いてきたが帰りはあっさりとシャトルバスに乗ることにする。シャトルバスと聞いて、近江鉄道の路線バスの車両でも来るのかなと思ったが、駐車場で待っていたのは「BLACKS」とラッピングされた観光用バス。これは選手たちが遠征に使うバスで、おそらく野球教室の時間を送迎に充てたのだと思うが、これは思わぬサービスである。この文字、よく見ると滋賀県の市町村のローマ字が並んだデザインである。こちらも面白いものであった・・・。
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