まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

西国三十三所 第17回先達研修会

2023年10月31日 | 西国三十三所

このブログでは札所めぐり、乗り鉄、野球観戦といったところを主に書いているのだが、この10月もいろいろなことがありすぎて記事が渋滞しているところである。時系列でもっとも先なのは10月8日~9日に滋賀に出向いた神仏霊場巡拝の道だが、8日の終了時点で止まったままである。そして、前の記事では28日の日本シリーズ第1戦の観戦記が先に来る形となった。

ただ、流れからすれば翌29日に参加した「西国三十三所 第17回先達研修会」について書いたほうがスムーズだろう。

新大阪駅近くの東横インに投宿し、翌朝目が覚めるとラグビーワールドカップの決勝戦をやっていたので途中からながら画面に食い入る。南アフリカ対ニュージーランド。12対11という大接戦で、最後のワンプレーまでわからなかった激戦。意外にも、両国代表の中でも日本のラグビー、リーグワンでプレーしている選手も何人かいるとのこと。また、日本でのラグビー人気も盛り上がることだろう。

朝食サービスを利用。東横インということで主食はおにぎりが中心、おかずもシンプルなのだが、おにぎりは6種の味付けがあり、白ご飯もあった(こちらは出汁茶漬けでの食べ方が推奨されていた)。また、通常の味噌汁に加えて「肉吸い」もある。「肉吸い」は今や広島のセブンイレブンでも購入できる一品となっており、,私もたまにご飯のおともにセブンの肉吸いをいただいている。

「先達研修会」が行われるのは梅田の新阪急ホテル。10時半開始ということもあり、朝食後もしばらく部屋でゆっくりする。

そして梅田に向かう。この日は「先達研修会」だけを目的として、終わればそのまま新大阪に戻って新幹線で広島に帰り、日本シリーズの第2戦をNHKーBSで桟敷観戦する予定だ。なお、先達研修会の案内は8月に来ており、日本シリーズ観戦は後から決まったこと。もし第1戦のチケットが取れていなければ、前日28日はこれも早くから決まっていた広島での大相撲巡業を観戦して、夜は日本シリーズをテレビ桟敷で観戦。29日の早朝に広島から大阪に移動していたところである。

さて新阪急ホテルの紫の間に着くと、すでに多くの先達が待機している。橙色の先達用輪袈裟は必須だが、背中に「南無観世音菩薩」の文字があしらわれた笈摺姿の方も結構多い。この「先達研修会」、私も西国三十三所の先達に補任されてから2回参加したことがあるが、一種の「ファン感謝デー」のようなものという印象がある。また、コロナ禍のために対面、集会形式での開催は2019年以来4年ぶりということで、集まった先達たちも気合いが入っているように見受けられた。

案内があり入場。以前来た時は、向かい合わせのテーブルが何列も並んでいたのだが、今回は10人掛けの円卓である。長机方式、円卓方式どちらが収容人数が多いのかはわからないが・・。

前回2019年の対面、集合形式の研修会以降、私はおかげさまで先達としての2巡を達成して(通算3巡)、「中先達」に昇補されたのだが、周りを見渡すと「大先達」、「特任先達」など、輪袈裟や名札に違いがある方がずらり並ぶ。その筋の方々が円卓を囲み、私などは恐縮するばかりである。

受付で配布された資料の一つに「先達各位構成現況報告」というのがあり、現在有効の先達合計は15493名とある。私が属する中先達はこのうち1224名。次に目指す大先達は1204名とある。もっとも、これらはまだかわいいもので、その先の「特任」がつくレベルとなると人数がぐっと絞られる。面倒なので、何回巡拝を達成したら昇補するのかは書かないが、新たに設けられた階級で、これになるには天文学的な巡拝回数になるなと思っていた「喜達特任大先達」、「真達特任大先達」、「普明特任大先達」、「妙寿特任大先達」についてもしっかり昇補される方がいるのは驚きだ。

「NO SAIGOKU33, NO LIFE」・・・。

ふと、そんな言葉を思い浮かべる。

さて挨拶の後、御法楽として、西国三十三所の勤行次第を元に参加者全員でのお勤めである。その前に札所での作法を掃海した映像が流れ(ロケ地は第15番・今熊野観音寺)、時間が限られるとして開経偈、般若心経、延命十句観音経と進む。

途中で、「西国三十三所巡礼和讃」が詠われる。こういうのがあるとは知らなかった。和讃の譜面も資料についていたが、独特の線や矢印がついたものの読み方がわからない。ただ周りでは当たり前のように節回しをしており、さすがはその筋のプロの集まりである。

続いては特別講演が2つ。まずは、第24番・中山寺の山主・今井浄圓猊下による「西国三十三所巡礼とは何か」というテーマ。資料の中に14ページにわたるレジュメがあり、長いものの読みやすくまとめられている。「普段学生に配っている資料のようで・・」「内容は90分ものですが、今日いただいた時間が30分というので、それに合わせてお話しします」というのは、弘法大師空海の流れを汲む種智院大学の特任教授を務めていて、人前で話す機会が多いこともあるようだ。

冒頭のつかみで、「昨日は阪神タイガースが勝ちまして・・」と話したのに会場から爆笑が起こったが・・・私には笑えなかった。どうやら、私が日本シリーズ第1戦の直前、西宮神社や廣田神社を避けたつもりで中山寺を参詣したことじたい、タイガースを利する行為だったのでは?というのに初めて気づいた(あくまで、個人の感想です)。

講演の内容としては、西国三十三所巡礼の成り立ち、巡礼という行為の定義付けに関するもので、ナントカ特任大先達の方にとっては何を今更という退屈な時間だっただろうが、コンパクトにまとめられていてわかりやすかった。

続いて登壇したのは、日本サンティアゴ友の会理事長の金塚多佳子氏による「サンティアゴ巡礼について」。サンティアゴ巡礼とは、スペイン北部にある聖ヤコブの殉教の地を目指す巡礼で数百年の歴史を有するそうだが、実は2023年、いにしえの巡礼路として西国三十三所とサンティアゴ巡礼が友好提携を結んだ。このことは先日、神仏霊場巡拝の道で観音正寺を訪ねた時に初めて知ったことで、この友好提携には西国三十三所を代表して観音正寺が尽力したという。

パワーポイントを用いての講演だったが、時間が限られていることもあってか早口で、またスライドも文字が多くて追いかけるのが大変。手元資料もないぶん(一応、先ほどの今井猊下のレジュメでは紹介されていたので概略はこれでカバーできたのだが)、年配の方が多いその筋に人たちにはちょっとしんどかったようで、あちこちで私語も起こっていた。

続いては、特任大先達の昇補状の伝達式。特任大先達以上は先達全体でみても上位1~2%しかおらず、昇補は実に晴れ舞台、殿上人といっていいだろう。この日出席の10名ほどの方一人一人に昇補状が手渡され、記念撮影である。

この後は記念品の贈呈。当日の参加状を抽選箱に入れての抽選だが、なかなか当たるものではない。当選した方は舞台にて記念品を受け取るのだが、中にはまだ小学生かという子どもも登壇していた。親御さんにくっついて一緒に朱印を受けたものと思われるが、その歳で先達・・・はたして意味を理解しているのかなと思う。これもある意味、一時世間で取り上げられていた「宗教2世」かな。まあ、悪い意味でないことを願うのだが・・・?

・・・いかんな、どうも。前日の日本シリーズ第1戦からの嫌な心持ちが続いているようで、ボヤきが続いている。真言宗でいうところの「十善戒」に反してばかりだ。

一口法話では、観音正寺の岡村山主が登壇。法話というよりは、西国三十三所とサンティアゴ巡礼が友好提携を結んだことを背景に、日本遺産でもある西国三十三所のよさをSNS等を使ってもっと発信してほしいというものだった。観音正寺ではサンティアゴ巡礼との友好提携に尽力した札所の一つで、先日もスペインを表敬訪問したり、インテックス大阪で開催の「ツーリズムEXPOジャパン」にて西国三十三所のPRを行った様子をSNSで紹介しているのだが、そうしたツールを活用してもっと広めてほしいという。まあ、私にできるのはこのブログに書くことくらいなのだが・・。

続いての事務連絡は、先達会の事務局がある紀三井寺から「西国巡礼 先達心得五箇条」の動画紹介。「喜び」、「知る」、「誘う」、「鑑に」、「輝く」というもので、巡礼できることに感謝し、西国の歴史についても知ってこれを人に伝え、一人でも多く西国巡礼で観音菩薩とのご縁を結ぶことで、自らも良き人生を歩んでほしい・・というもの。

最後は、華厳寺の副住職による締めの挨拶。何だか今回は、これまで参加した先達研修会とは様子が違い(過去参加した時の講演の内容が、人生について考えさせるようなものが続いていたように思うので)、「巡礼とは」とか「先達の心得」という内容が中心だった。それが研修会本来の意義といえばそうなのだが、対面、集会形式が4年ぶりで、その間に新たに先達に補任された方もそれなりにいたことでこうした構成になったのかもしれない。

かくいう私、じゃあ先達としてそれらしい立ち居振る舞いができているのか?と尋ねられれば・・・ごめんなさいするしかないかも。その意味では、これからも都合がつけば研修会に参加して、刺激と教えをいただきたいものである・・。

この後は新阪急ホテルの弁当が出るのだが、今回は辞退してそのまま帰途についた。

さて帰宅後、日本シリーズの第2戦である。宮城の好投、打線の奮起もあり8対0として1勝1敗とタイに持ち込む。

そして場所を甲子園に移した第3戦も大接戦。一時はバファローズがリードを広げたものの、タイガースもしぶとく食い下がる。

そして9回裏・・・・いや、ヒヤヒヤしたぞ!!

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第7番「岡寺」~西国三十三所めぐり4巡目(紫陽花の景色に癒される)

2022年06月09日 | 西国三十三所

5月29日、朝の上本町から「神仏霊場巡拝の道」めぐりの出発である。まずは近鉄大阪線で、7時06分発の五十鈴川行き急行に乗る。頭端式ホームの終点側のロングシート車を過ぎると、急行用の転換クロスシート車が停まっていたのでそちらに乗り込む。

この日の行程は大和八木まで行き、レンタカーで奈良県吉野郡の札所を回る。お目当ては川上村にある奈良27番の丹生川上神社上社だが、これに合わせて東吉野村にある奈良28番の丹生川上神社中社、そして下市町にある奈良29番の丹生川上神社下社も訪ねることにする。これらを公共交通機関で回ろうとすれば1日では無理で、効率を求めるわけではないがレンタカー利用である。

ただ、吉野郡に向かう途中には西国三十三所第7番の岡寺がある。西国三十三所の札所の多くは神仏霊場めぐりの札所にも含まれていて、おのずと西国めぐりの4巡目も合わせて行うのだが、岡寺は数少ない「含まれていないほう」の札所である。今回レンタカーを使うのなら、この機に行きがけに立ち寄ることにした。また、岡寺から東の多武峰には、神仏霊場の奈良24番・談山神社がある。そうすると、岡寺~談山神社と回り、丹生川上神社については東から中社、上社、下社と回るのがよさそうだ。結構大掛かりなこととなった。

7時42分、大和八木に到着。南口を出て近くのニッポンレンタカーに向かう。開店時間の8時から、帰りの新幹線の時間から逆算して17時までの利用である。

この日乗るのはスバルのインプレッサ。この車種に乗るのは初めてである。私がレンタカーを利用する際、どうせ1人乗車ということもあってコンパクトカーや軽自動車で事足りていて、この日もコンパクトカーのプランを4610円で予約していた。ただ、前日にレンタカー営業所から電話があり、料金はそのままでよいので車種をインプレッサにしてほしい旨の依頼があった。車のやり繰りの都合なのか詳しくは尋ねなかったが、特に異存はないので変更を承諾した。結果的に、今回は山道のカーブや上り坂を走ることも多く、出力が大きい車種で楽に移動することができてよかった。

8時に出発。まず目指すのは岡寺である。神仏霊場めぐりの寺社は、特別参拝の伊勢神宮内宮・外宮を除くと現在152ヶ所だが、発足に当たってはもう少し多くの寺社にも声がかかったそうである。岡寺ほどの寺院なら声がかかってもおかしくないと思うのだが、寺のほうで辞退したのかどうなのか。

明日香村の有名スポットの一帯に差し掛かる。飛鳥一帯の史跡・寺院めぐりだけでも楽しめるところだ。せっかくなので前を通りがかった飛鳥寺で飛鳥大仏を拝観しようかと駐車場に停めると、係の人が「9時からです」と声をかける。時刻はまだ8時半前。ここで30分待って飛鳥大仏を拝観しても後の行程は大丈夫だと思うが、何が起こるかわからないので今回はそのままパスする。

カーナビはそのまま岡寺に続く鳥居前まで案内し、この鳥居をくぐるよう指示するが、インプレッサでは曲がるのが厳しそうだ。鳥居横の看板では駐車場へは別の道を指しており、その通りに進む。これまでバス+徒歩やレンタサイクルで訪ねているが、クルマは初めてで勝手が違う。

案内の通り進むと、土産物店の前に広い駐車場がある。駐車料500円は致し方ないだろう。その代わり、少し石段を上がった先には岡寺の山門がある。こちらはすでに門が開いていて、参詣者の姿も見える。

ちょうど紫陽花の時季ということで、壷阪寺、長谷寺とともに「あぢさゐ回廊」の催しが行われている。手水鉢も花で彩られていて、スマホ、カメラを向ける人が多い。よいタイミングで来たものである。私の場合は「映える」は意識しないのでただ何となくカメラを向けるだけだが・・。

鐘を鳴らした後、本堂にてお勤めとする。6月26日まで本堂内々陣の特別開扉が行われている。岡寺の本尊・如意輪観音は塑像としては日本最大とされるが、内々陣の特別開扉では本尊のすぐ膝元まで近づくことができる。

重ね印をいただく。ちなみに、JRの西国三十三所のデジタルスタンプラリーのQRコードは近鉄の橿原神宮前駅にあるので、大和八木に戻る途中に立ち寄ることにしよう。

奥の院の参道に「あぢさゐ回廊」が続く。紫陽花の鉢を小川に並べていて、紫陽花の川ができている。お地蔵さんとの組み合わせもいい感じだ。

そのまま奥の院まで行き、境内を一回りして三重塔、大師堂とめぐる。

これで岡寺を後にして駐車場に向かう。ここで目に留まったのが、「旧境内跡」という案内板。汚れていて文字が読みづらいのだが、岡寺に隣接する治田神社の境内にある。現在の岡寺の伽藍は江戸時代に建てられたものだが、それ以前はこの場所にあったと推測されている。これまでは鳥居の方向にすぐ下りていたので、こういう場所があるとは初めて知った。

西国三十三所めぐりも4巡目に入っているが、訪ねるそれぞれの時季ならではの見どころもあるし、行く手段も異なれば違った体験にもなる。これからも何やかんやで続けることになるのだろう・・。

岡寺から近くにある石舞台古墳のすぐ横を素通りするのはもったいないようにも思うが、多武峰を越えて談山神社に向かう。ここからが神仏霊場めぐりである・・・。

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西国三十三所中先達、「西国観音曼荼羅」軸装へ

2022年02月11日 | 西国三十三所

2021年で西国三十三所の3巡目が満願となり、かつての地元・第5番の葛井寺にて「中先達」への昇補の申請を行った。

それから1ヶ月ほど経過した1月下旬、自宅に「中先達」認定の通知とともに、新たな名札が到着した。先達番号は先達の時と同じで、そのまま葛井寺の「5番」が入る。考えればそれはそうで、その番号の先達が巡拝回数を増やして「中先達」、「大先達」・・と続いていくのだから。

副賞としては「西国巡礼のはじまり」というDVDがついてきた。まだ中は見ていないが・・・。

「中先達として3巡(通算6巡)」というのが「大先達」昇補の条件である。ただし、「西国観音曼荼羅」の八角形の朱印をコンプリートした特典で、1巡は回り終えた扱いになっている。そのため、「大先達」までは実質あと2巡である。今回西国四十九薬師めぐりが満願となったことで、実は新たな札所めぐりを考えている。その中で4巡目、5巡目と回ることになるだろう・・。

さてその「西国観音曼荼羅」の八角形の朱印だが、33枚の用紙をいただいた時に先達の特典として無料でこれを貼り付ける台紙をいただいていた。80cm四方の大きなもので、これまでは筒の中でずっと保管していたのだが、やはり日の目を見させてやりたい。台紙に八角形の用紙を貼って、額縁に入れることにしよう。

ただ、台紙じたいが特殊なサイズのため、画材店で普通に取り扱っているものではない。そこで思いついたのが、西国三十三所で朱印をいただく時に墨や朱肉を吸う「あて紙」でその名を見る仙福南陽堂である。四天王寺の近くにあり、各札所めぐりの軸装を取り扱っている。同社のホームページにて問い合わせると「西国観音曼荼羅」の台紙用の額縁作成も可能とのことで、サンプル画像とともに見積も送ってくれた。八角形の用紙を台紙に貼り付ける作業も別料金ででき、発送もしてくれるとあり、ならば必要なものを持ち込むことにした。

同じ関西に向かうのだからと、比叡山まで行った帰りに天王寺に寄ることにした(比叡山に向かう前、新大阪のコインロッカーに預けていた)。

仙福南陽堂、店の前は何度か通ったことがあるが入るのは初めてである。社長直々に「西国満願おめでとうございます」と歓迎される。こちらこそ恐縮だ。

フローリングの部屋ということで、「隅角黒塗」を選択。額縁は25000円、用紙の貼り付け作業3000円(いずれも税別)、送料は実費ということでお願いした。出来上がりまでは1ヶ月半ほどということで楽しみにしておく。

話をする中で「こちらをどうぞ」と渡されたのが、「諸国霊場参拝 御宝印掛軸写真集」というもの。寝屋川市の中谷政勝さんという方が全国各地の霊場を回り、40年あまりをかけて124本の掛軸をいただいた記録だ。西国三十三所に始まり、坂東、秩父、そして私も回った四国八十八ヶ所、中国観音霊場や現在進行中の中国四十九薬師、九州西国霊場も当然入っている。そのほか北海道から九州まで、「こんなところも?」というものも含まれており、見ているだけでありがたく感じる。

ただ、いわゆる「ローカル札所」だと住職が不在というケースが多い。そんなところでもこうして納経軸に書いてもらえるのか・・と訊くと、「そういうところは後日アポイントを取って出直したそうですよ」とのこと。さらに驚いたのは、中谷さんは運転免許証を持っておらず、そのためあらゆる交通機関を駆使して全国を回ったのだという。「ローカル札所」は特に大変だっただろう。

そして平成の終わりに結願した124本目は四国八十八ヶ所。それぞれの札所の御詠歌を自ら書き、中央にはご自身の修行像をあしらった完全オリジナルの1本である。

完成を楽しみにして店を後にして、少し時間があるので阿部野橋の「赤垣屋」に向かう。昼下がりということでカウンターにも空きがあり、しばしのどを潤す。もちろん大阪にも「まん延防止等重点措置」が適用されているが、飲食店の酒提供も地域によりばらばらである。正当化するようだが、こうした立ち飲み店でも隣り合った同士がそれぞれ黙々と飲み食いする分には感染の影響もほとんどないのではと思うのだが・・。

瓶ビールに始まり、冬の楽しみのふぐひれ酒までを楽しむ。

帰りは「こだま」を選択。「のぞみ」にも乗れるプランなのだが、500系の元グリーン車のシートでゆったり行くのもいい。さすがに阿部野橋で飲んだばかりということで新幹線の中ではおとなしく・・・。

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第5番「葛井寺」~西国三十三所めぐり4巡目・2(西国三十三所「中先達」昇補申請します・・)

2021年12月14日 | 西国三十三所

西国三十三所の3巡目を終え、これまでの先達で2巡を終えたことから、めでたく「中先達」に「昇補」する資格を得た。ただこの「昇補」という言葉、他では目にしないように思う。「昇格」や「昇進」とも違うようで、ネットで検索してもこの先達の事例しか出てこない。専門用語なのかな。

これにあたっては三十三所いずれかの納経所に出向いて、先達用の納経軸に2つ朱印があることを確認し、申請書に証明印をいただくことになる。私の場合、第11番の醍醐寺で3巡目が結願となったが、ここは先達の時と同様、地元藤井寺(今は離れて広島にいるが)にある第5番・葛井寺でいただくことにしよう。先達の番号には年度と札所番号が入るため、葛井寺の「5番」は入れたいところだ。

大阪への帰省を兼ねて正月に訪ねようかと思ったが、初詣の時季、境内や納経所は混雑するだろう。その中で中先達の申請をして手を煩わせるのも申し訳ないかなということで、年内に訪ねることにする。証明印をいただいた後の申請書の提出は後日でもかまわない。

12月の宿泊も計画していたが、結局12日に日帰りで向かうことにした。広島から「新幹線直前割きっぷ」を使い、朝6時14分発の「ひかり500号」で新大阪に移動。そこから地下鉄と近鉄を乗り継ぎ、葛井寺に着いたのは9時半すぎ。

葛井寺は2025年に本尊千手観音の開基1300年を迎えるにあたり、「令和の大改修」が行われている。その第1弾として南大門の修復工事が行われ、2021年の7月に完了した。耐震工事と朱色の塗り替えが行われたそうで、それまでの色褪せた様子からぐっと締まった感じに見えた。細部の塗り替えも行われ、落ち着きと華やかさが合わさった雰囲気となった。

現在は、南大門から入って左手にある阿弥陀堂の再建、阿弥陀三尊二十五菩薩像の修復が行われている。阿弥陀堂も南大門と同じく江戸中期の建物だというが、新たに耐震性、耐火性に優れた建物にリニューアルするそうだ。

その一方で、かつて藤井寺駅の通路に掲げられていた近鉄バファローズの試合速報の看板は変わらず残っている。これが今では藤井寺市のPRにもなっているようで、SNSの投稿がポスターにもなっている。「メガホンのポコポコ音とオジちゃん達の愛あふれる野次が名物だった。こうして形を残して下さっているから懐かしむことができる。藤井寺、いいまちだ」 なんかうれしい。

本堂に向かう。まずはお堂の外でお勤めとする。西国三十三所3巡達成のお礼参りであり、すでに第1番の青岸渡寺で始めているのだが4巡目としての発願でもある。

そして納経所へ。ちょうど前の方が掛け軸に朱印、墨書をもらっているくらいで行列はなかった。やはり12日にして正解だった。

私の番になり、中先達への昇補を申請したい旨を申し出る。「回りはったんやねぇ」と歓迎される。合わせて、3巡目でいただいた西国曼荼羅の八角形の用紙33枚も提出する。この西国曼荼羅の八角形の用紙だが、これを33枚揃えて指定の札所で提示すると、特別にもう1巡したものと認定され、先達用の納経軸に特別印を押してもらえる。中先達で3巡(通算6巡)すれば大先達への昇補の資格が得られるが、この特別印があることでこれが2巡(通算5巡)に短縮される。

八角形の用紙の裏に確認印を押してもらい、納経軸に特別印を押す中で、先達で2巡したことも確認してもらう。その間、ノートに氏名、住所、電話番号を書くように言われる。葛井寺から先達申請した人の名簿のようなものだ。周辺人口は多いが、葛井寺で先達申請する人というのは西国三十三所の中でどのくらいの割合なのだろうか。ただそれでも、そもそも西国三十三所めぐりを発願したのは地元葛井寺だし、先達の申請もここで行った。名札に書かれる「5番」にはこれからもこだわりたいところだ。

先達申請書に葛井寺の証明印が入る。

合わせて、葛井寺の欄には4巡目の印を入れてもらう。納経軸上では、ここにもう一つ印が入れば大先達に向けて1つ札所をクリアしたことになる。

その4巡目だが、何と組み合わせようか。2巡目ではカラーの御影、3巡目では西国曼荼羅の八角形の用紙をいただいた。4巡目はそうしたアイテムとは別で、とあることに挑戦することにした。それは・・・・。

葛井寺の参詣を終え、ここで西国四十九薬師めぐりで残っている池田の久安寺に行ってもいいかなと思ったが、梅田まで来て心変わり。帰りに予約した高速バス、16時発の広島行き「グラン昼特急広島5号」を1本早い13時30分の「3号」に変更し、それまでの間、梅田で一献することにした。中先達昇補に向けての祝杯だ。

入ったのは、ホワイティ梅田の一角にある立ち呑みの「赤垣屋梅田店」。コロナ対策でカウンターにもびっしりとビニールカーテンが下ろされている。これはこれで1人ずつのスペースがはっきりしているのでちょうどよい。

12月14日は「討ち入りの日」である。赤垣屋だけに。忠臣蔵の中で酒のエピソードが有名な赤垣源蔵から店の名前を取ったこともあり、ファン感謝デーのようなものだ。私も大阪時代にその日におじゃまして、限定の日本酒小瓶をいただいたこともある。

そんな中で立ち呑み料理をいろいろ。期間限定でホタテ、とり貝、アワビの盛り合わせもあり、大阪名物のビーフカツもあり。その一方でホッピーをやったり、冬だからというのでフグのヒレ酒(&継ぎ酒)。年末にちょっと贅沢させてもらった。

そしてJR大阪駅から「グラン昼特急広島3号」に乗り込む。新幹線よりも時間はかかるが乗り換えなしで安く行けるのはよい。「3号」なら広島着もそれほど遅くならないのでちょうどよい。

隣客に気兼ねしないプライベートカーテンがあるのはいいが、まさか前方が夜行バスのようにカーテンで覆われているとは思わなかった。西に向いて走るので太陽除けだとは思うが、視界が妨げられるのはよろしくない。プライベートカーテンを広げれば周りに影響がないと判断して、前方のカーテンのボタンを外す。特にどうのこうの言われることはなかった。

「5号」の時は淡河パーキングエリア、吉備サービスエリア、八幡サービスエリアの3ヶ所での休憩だったが、こちら「3号」は時間帯的に混雑しないためか、白鳥パーキングエリア、八幡サービスエリアの2ヶ所での休憩。途中も快調に走り、私も結構な時間は爆睡のうちに通過したようだ(単に酔っぱらっていただけなのかもしれないが)。5時間の行程もあっという間に広島市内まで戻ることができた。

4巡目をどのようなルールを作って回るかはいずれ発表するとして、なんやかんやで西国三十三所めぐりはこれからも続くことに・・・。

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第11番「醍醐寺」~西国三十三所めぐり3巡目・33(3巡目満願、西国四十九薬師もあと2ヶ所)

2021年12月03日 | 西国三十三所

石田から京阪バスで北上して、醍醐寺前に到着。醍醐寺はもともと有名な寺だが、こちらも紅葉の時季ということで多くの観光客、参詣者が訪ねているようである。醍醐寺は境内が広いのである程度時間を見ておく必要がある。時刻はちょうど昼前だが、醍醐寺を後にして山科まで出て、そこから神戸まで移動するとなると、この日は昼食パスの行程になりそうだ。

午前中は薄曇りだったが、醍醐寺の境内に入るとちょうどにわか雨となった。拝観料は伽藍と三宝院のセットで1000円だが、今回三宝院はパスすることにする。確かに庭園として立派なのだが、時間的なものもあるし、以前に鑑賞したから別にいいかなと。

その代わり、雨宿りを兼ねて別料金(500円)の霊宝館に向かう。こちらは拝観料というよりは、文化財保護のための浄財ということを強調している。

今年2021年は、空海に「弘法大師」の諡号が贈られて1100年ということで、醍醐寺では各種の行事が行われているそうだ。その割には他の寺院では弘法大師1100年と言ってなかったなと思うのだが。

その「弘法大師」号を贈ったのは醍醐天皇だという。弘法とは「弘法利生」という言葉から来ており、空海の孫弟子で醍醐寺の初代座主である観賢の願いにより、醍醐天皇がつけた。「衆生に利があるように、弘く仏法を伝えること」という意味だという。

霊宝館では12月5日まで特別展が行われていて、さまざまな仏画、曼荼羅や、弘法大師直筆とされる経典などが展示されている。天皇自身が醍醐寺を篤く信仰し、自らの諡号にもなったくらいだから、ご縁があるということだろう。醍醐寺ではいつの頃からか、50年ごとに行事が行われるという。

五大明王と薬師如来がメインの展示室の両側で向かい合っている。いずれもかつては上醍醐の五大堂、薬師堂に祀られていたものである。上醍醐には他にも西国三十三所の本尊である准胝観音が祀られていたが、こちらも下醍醐の観音堂に下りている。観音堂が落雷で焼失したこともあるが、上醍醐の山の中では仏像の保存が難しいこともあり、環境の整った霊宝館に安置している形だ(まあ、そのこともあって本来なら上醍醐まで上らなければならないところ、下醍醐にて札所めぐりは済ませているが)。

外に出ると雨が止み、青空も広がっていた。ただ方角によっては雲も垂れていて、冬ならではの変わりやすい天気を予感させる。その中で仁王門をくぐり、紅葉の広がりを楽しむ。いい時季に京都に来たものである。

醍醐寺は2018年の台風で倒木被害に遭い、現在もその痕跡が残っているのだが、その一角にスクリーンが何枚か立てられ、プロジェクションマッピングというのか、グラフィック画像が次々と流れている。メディアアーティストの落合陽一さんの作品で、タイトルは「物化するいのちの森-計算機と自然-」という。「計算機と自然」というのは落合さんのテーマだそうだが・・・まあ、そういうことですか。こちらも12月5日までの期間限定の公開だが、夜間特別拝観時だとより美しく見えることだろう。

金堂に着く。西国四十九薬師としてはこちらに祀られている薬師如来が本尊である。建物は豊臣秀吉の命で紀州の湯浅から移築されたものである。まずはここでお勤めとする。

その向かいが五重塔。こちらは平安中期から唯一残る建物である。京都でも最古の木造建築物で、幾多の兵火からも護られてきた。

五重塔の周りには幕が張られ、1層目の四方の扉が開いて人の姿が見える。弘法大師の諡号から1100年になるのを記念して、この11月27日~29日の3日間限定で、一般の人が五重塔の中に入ることができる特別公開が行われているという。五重塔の扉じたいは毎月29日、醍醐天皇の命日に合わせた法要のために開かれるそうだが、中に入れるのは初めてのことという。特別拝観は1000円。すでにここまでで醍醐寺に2500円かかっている・・・というのはおいといて、せっかくなのでのぞかせていただこう。一面からちょっと塔の中に入り、周囲を見渡すものだ。もちろん内部の撮影は禁止。

中の柱を覆う板には曼荼羅などが描かれているが、「お大師様は右側です」とPRされているのは、内側の壁板に描かれた弘法大師像。五重塔の完成と同時に描かれたものでほとんどかすれているが、現存最古に属する大師像だという。これも貴重なものだ。

紅葉を見つつ、奥の観音堂に向かう。西国三十三所めぐりの3巡目の満願は、多くの仏像がおわず醍醐寺ということになった。記事が西国四十九薬師とごっちゃになっているのはともかくとして。

その観音堂で手を合わせ、改めて日本シリーズの勝利を祈願する。そして朱印なのだが、長い行列である。お堂の中の一角に納経所があるのだが、行列がお堂の外に出て回廊まで続いている。その行列に加わる前に会計を済ませるシステムで、いただきたい朱印の欄に印をつけてレジに持っていく。紅葉の時季や特別拝観で訪ねる人が多いことに加えて、さまざまな兼ねている札所を束ねる納経所がこの1ヶ所ということで、どうしても集中してしまう。

私も西国三十三所の先達用納経軸、八角形の西国曼荼羅、そして西国四十九薬師のバインダー式朱印用紙で合計1100円。拝観料と合わせて3600円・・・・(なぜ、醍醐寺に来ると金の話になってしまうのか)。

回廊で紅葉を見ながら待つうち、また雨が落ちて来た。池の水を見てもはっきりわかるくらいだ。

30分ほど待ったか、ようやく順番になった。そして3種の朱印に対応していただいたのだが、その様子を見て行列の理由もわかるような気がした。もう少しスピードアップしてもいいのではないかと思うくらい対応が丁寧なのだ。また私の場合、先達用納経軸は重ね印だし、八角形の西国曼荼羅は書置きのものと引き換え、バインダー式の西国四十九薬師は書置きで日付だけ記入だからそれほど時間はかからないはずだ。

しかし、今回の醍醐寺では西国曼荼羅、そして西国四十九薬師とも墨書は白紙に手書きだった。それも書きなぐるのではなく丁寧な筆さばき。

ともかく、これで西国三十三所の3巡目は満願となった。そして、先達として2巡を終えたことで、「中先達」昇補の資格を得たことになる。また、西国曼荼羅の八角形の用紙もこれですべて揃った。八角形の用紙が揃ったことで納経軸の上ではもう1巡したことになる。「中先達」の手続きは、どうせなら実家・地元である葛井寺でお願いしたい。ボーナスのもう1巡の確認については、対応可能な札所が限られているのでそこでお願いすることにしようか。

2巡目の満願は姫路の圓教寺で、その後は節分の豆まきに参加した。そして3巡目の後は日本シリーズである。

また、西国四十九薬師も47ヶ所目となり、残すのは池田の久安寺、そして満願となる比叡山延暦寺となった。

これで境内を突っ切ってバス停まで戻り、山科駅行きのバスに乗る。そのまま新快速に乗り、新大阪でいったん下車して宿泊用の荷物をコインロッカーから取り戻して三ノ宮に向かう・・・。

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第10番「三室戸寺」~西国三十三所めぐり3巡目・32(宝勝牛に日本シリーズ必勝の願いを・・)

2021年12月01日 | 西国三十三所

日本シリーズ第6戦の当日となった11月27日、球場に行く前に京都の札所めぐりである。順番として、西国三十三所第10番の三室戸寺から始め、西国四十九薬師第38番の法界寺、そして西国三十三所第11番・西国四十九薬師第39番の醍醐寺とたどることにする。ちょうど三室戸から北に向かうルートだ。

広島6時26分発の「のぞみ90号」で出発。JR西日本の「どこでもきっぷ」の効力発動ということで、「のぞみ」で一気に東に向かう。指定席の中でも新大阪寄りの端の車両だが、始発の広島から、さらに駅ごとに乗客があり、窓側の座席がほぼ埋まるくらいの乗車率である。一時のことを思えば乗客も戻りつつある。

7時55分、新大阪に到着。ここで宿泊用の荷物を在来線コンコースのコインロッカーに入れる。京都を回った後に神戸に向かうわけだが、どのみち新大阪を通ることになる。

三室戸寺の最寄り駅は京阪宇治線の三室戸。これまでの感覚で、新大阪から淀屋橋に出て京阪に乗り、中書島乗り換えが最速かなと思っていた。ただ改めてスマホで検索すると、JR京都線で京都まで行き、奈良線で黄檗まで南下、そこで京阪宇治線に乗り換えと出た。やはり新快速のスピードは大きい。また、新大阪から黄檗までJRに乗ることで「どこでもきっぷ」を有効に使える。

京都で205系の4両編成に乗り換える。車内は満員で発車したが、次の東福寺で下車する客が多い。京阪に乗り換える客もいるだろうが、それよりも紅葉が目当ての客が多い様子だった。東福寺は例年11月下旬から12月上旬が紅葉の見ごろだという。次の稲荷でも伏見稲荷に向かう客が下車する。

20分ほどで黄檗に着く。JR側で下車するのは初めてだ。正面に京都芸術高校があり、こちらに向かう生徒で出口はあふれている。

京阪の黄檗駅のホームはすぐ向こうにあるのだが、連絡通路があるわけでなくいったん外の歩道を歩いて回り込む。黄檗から1駅乗って三室戸に到着。宇治線は日中おおむね15分に1本の運行で、結果的に淀屋橋経由で行くより1本早い便で着いたようだ。

駅から一本道で寺の入口に到着。三室戸寺は花で知られるところで、特に春から夏にかけてのしゃくなげ、つつじ、あじさい、蓮の名所である。この時季、紅葉はどうなのかな・・と来てみると、紅葉も立派である。

その昔、西行法師は「暮はつる秋のかたみにしばし見ん 紅葉ちらす三室戸の山」という歌を詠んだそうだ。また「三室戸の紅楓」として宇治十二景の一つにも数えられていたという。それにしては三室戸寺にあまり紅葉のイメージはなかったのだが、周囲に紅葉の名所はいくらでもあるし、寺としてはあくまであじさいをはじめとした花を売りにしているのだと思われる。

それでも隠れたスポットというのか、カメラを手にした参詣者もそこそこ見かける。

石段を上がったところで出迎えるのは宇賀神。体は蛇で頭が翁という造りで、耳を触れば福が来て、ひげをなでると健康長寿、蛇のしっぽをさすると金運がつくという。特に耳たぶのところが、多くの人が触れたことで黒ずんで見える。

そして本堂の前には、「福徳の兎」に並んでその名も「宝勝牛」・・・またの名を「勝運の牛」が祀られている。勝ち運の牛・・・この夜バファローズの日本シリーズを観戦するのを前に、縁起のいいスポットである。大きく開いた口の中に石の玉があり、これをなでると勝ち運がつくという。別にこの日を狙ったわけではなく偶然だが、これはしっかりと勝利を祈らなければ・・・。

改めて、なぜ三室戸寺で牛なのか。

その昔、宇治の地に農夫の夫婦が住んでいた。やっとのことで子牛を手に入れたが弱々しく、三室戸寺の毎月の観音講に連れて行っては境内の草を食べさせていた。そんなある時、牛が何やら丸いものを吐き出した。それは牛の腹の中にできた「牛玉(ごおう)」で、牛は玉を吐いたあとはすくすくと大きくなり、立派に育った。その牛が闘牛に勝ったことで富を得た富右衛門はこれを観音様のご利益として、牛の木像を作らせて三室戸寺に奉納したという。

この後で本堂にてお勤めだが、最後には改めて牛への願いである。果たしてその結果は??

改めて境内を一回りして紅葉を楽しみ、寺を後にする。ここからは京阪の三室戸から六地蔵まで移動し、京阪バスに乗り換える。この先、法界寺、醍醐寺はそれぞれこのバスの沿線である・・・。

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第22番「総持寺」~西国三十三所めぐり3巡目・31(日本シリーズの必勝を祈願)

2021年11月23日 | 西国三十三所

11月20日、いよいよ待ちに待った日本シリーズの初戦である。全国的に見てこのカードの注目度がどのくらいかはわからないが、チケットは争奪戦になったし、特に第1戦、よく当選したものだなと思う。「WEST EXPRESS銀河」のツアーとどちらの倍率が高かったか。

これに合わせて、昨年の広島異動以来初めて実家にも顔を出すことにしたが、試合はナイターである。また、日本シリーズはセレモニーやら何やらで試合開始が遅く、その分終了も遅くなるのかなと想像していた。そのため、試合後の移動時間を考慮してこの日は実家には泊まらず、ドーム近隣で1泊することにした(実家なのだがいろいろ気を遣う)。

さて当日、午前中の所用を済ませた後、広島11時12分発の「みずほ604号」で新大阪に移動。車内の指定席も満席に近かったし、到着後の新大阪の人出も少し前とは比べ物にならないくらい増えている。

新大阪に到着したのは12時38分。もっとも、このまま直接大正に向かったのではいくらなんでも早すぎる。

そこで・・・ということで組み合わせることにしたのが、西国三十三所・西国四十九薬師霊場の札所めぐりである。いずれも残る札所はわずかになったが、今回選んだのは西国三十三所第22番の総持寺。西国三十三所の3巡目でまだ残っていたところだ。前回のサイコロの出目は2者択一のうえで洛南エリアの札所だったが、もうここまで来ればどちらが先でも一緒、ならば今回新大阪に近いほうで総持寺に行こうと、自宅を出る時に決めた。荷物に先達用の納経軸と輪袈裟が増えた。

総持寺の最寄り駅は長らく阪急京都線の総持寺だったが、2018年、茨木~摂津富田間に新たにJR総持寺駅ができたことで、JRからのアクセスが格段によくなった。別に寺があるから駅が新設されたわけではなく、周辺の開発が進む中、茨木~摂津富田の駅間距離もそれなりに開いていたことによる各駅停車しか停まらないが、それでも新大阪から15分で行くことができる。

新大阪駅のコインロッカーに大きな荷物を預けてから向かおうとしたが、改札内、駅東口方面はどこも空きがない。そのため、快速で茨木まで先行し、いったん改札を出て外のコインロッカーに荷物を収める。茨木から改めて1駅分乗るので電車代が余分にかかるが仕方ない。

JR総持寺に到着。ここから寺までは歩いて5分ほどのところだ。試合観戦の前に札所めぐり・・・私としては必勝祈願のつもりである。

今季、京セラドーム大阪では公式戦2試合観戦しているが、それぞれその前には6月に高野山&粉河寺、10月に四天王寺に参詣し、その後の試合はいずれもバファローズが快勝している。大阪で必勝祈願なら同じ西国三十三所でも勝尾寺ではないのかという方もいらっしゃるかもしれないが・・。

総持寺の山門に着く。前回来た時と少し様子が異なり、何やら新しい建物もできている。「ポタラ」というカフェで、2019年にオープンしたそうである。数量限定でランチメニューもあるが、「山蔭流」の料理人の手によるものという。

この「山蔭」とは、総持寺を開いた藤原山蔭のことで、新たな庖丁式(料理作法)を定めたことから料理人の信仰を受けている。今年はコロナ禍のため中止されたが、毎年庖丁式を披露する儀式が行われている。

さて、本堂でお参り。般若心経、観音経偈など唱え、最後にバファローズの日本シリーズ勝利を祈願する。総持寺の千手観音が受け入れてくるかどうか・・。

この後境内を一回りして納経所へ。西国曼陀羅の六角形の台紙にはすでに朱印が入っている。この台紙も残り2枚でコンプリートだが、果たしていつのことやら。

高野山の遥拝所がある。弘法大師像にも願掛けだ。

これで総持寺を後にして、茨木で宿泊用のバッグを回収した後に大阪から環状線に乗り換える。

やって来たのは弁天町。駅前ロータリーのすぐ近くの「ポルタイン弁天町」にチェックインする。早いタイミングでの予約だったので安価に泊まることができた。時刻はチェックイン開始の15時だが、すでに何人か手続き待ちである。中にはスワローズの応援グッズを仕込んでいる人もいる。東京から遠征に来たのかな。

部屋はダブルルーム。バスルームも広めで、試合後はゆっくり休めそうだ。

また1駅ぶんの電車代がかかるが、大正に移動。ホームには優勝を祝うポスターも掲げられている。

ドームに移動。この試合には「ワクチン検査パッケージチケット」というのが発売されていて、専用の受付ブースも出ていた。今後の社会実験の一環で、ワクチン接種証明またはPCR検査陰性証明があることを条件として、隣同士の間隔を空けずにチケットを発売、入場させるものである。この第1戦は内野の上段中央指定席、1塁側の上段内野指定席がその対象で、通常の抽選発売とは別枠での抽選だった。抽選発売を申し込んだ時、このエリアのチケットが選べなかったのは別枠抽選だったからである。

入場前にオフィシャルショップをのぞいたが、ここは満員、レジにも行列ができている。日本シリーズの記念グッズも豊富にあり、またバファローズとスワローズのコラボグッズも限定販売されている。バファローズの「全員で勝つ」と、スワローズの「絶対大丈夫」のチームロゴと文字が裏表に印刷されていたり。ペナントレース終盤、両チームのこの言葉が大きな支え、力になったことである。

さて、私が今回観戦するのは3塁側の上段内野指定席。観戦するならグラウンドに近い下段の席がいいのだが、当然競争率も厳しいだろう。安全策ではないが、上記の事情も踏まえてあえて3塁側上段席を上位の希望に持って来たのが今回功を奏したのかなと思う。内野席といいつつ外野席のほうが近いのだが、グラウンドをこの角度から見るのもなかなか新鮮である。この後少しずつ観客が入って来るが、バファローズ、スワローズのファンが半分ずつ混在するところである。後でも触れるが、スワローズの得点時には周囲からも数多くのビニール傘が広げられた・・・。

日本シリーズの開幕前のセレモニーはどんなものか。確かに大型ビジョンには日本シリーズのロゴや、スポンサーである三井住友銀行のCMも流れるが、感覚としては通常の公式戦と大きく変わった演出はなかったように思う。

その中で毎年恒例なのが、木製バットの原料となるアオダモの植樹セレモニーという。バファローズから杉本、紅林の両選手が代表で参加していた。

さすがにメンバー紹介は改まったもので、まず両軍ともコーチ、ベンチ入り控え選手が一人ずつコールされて登場し、その後でスタメン発表を兼ねて1番から順に登場する。そして最後に監督が登場。両チームが揃ったところでそのまま国歌演奏。

このシリーズでは予告先発は採用しない取り決めだが、バファローズの先発は中嶋監督が「予告」した山本。そしてスワローズは奥川。奥川については、スワローズ側が組み合わせ、今後の勝ち星を計算してあえて第1戦の先発を見送るのではないかとも言われていたが、スワローズ高津監督もここは正攻法で来たようだ。ひょっとしたら山本を攻略して、奥川が勝ち投手になれるかもしれない。そうすればスワローズとしても一気に勢いづく・・という計算もあったようだ。

予定の18時を少し回ったところで試合開始。この後、最終回での劇的な逆転サヨナラ勝ちという結果になったが、その試合の様子は次の記事にて・・・。

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「WEST EXPRESS銀河」紀南コースでの新宮宿泊

2021年09月08日 | 西国三十三所

8月28日、日中のレンタカー利用を終えて、新宮ユーアイホテルに投宿。大浴場はないのでユニットバスでシャワーを浴びてまずは汗を落とす。さてこれからどう過ごすか。

このホテルは単なるビジネスホテルではなく結婚式場や宴会場も備えたシティホテルで、館内にはレストランや居酒屋もあるのだが土日祝日は定休とのこと。だからというわけではないが、夕食は外に求めることになる。

かなり以前に新宮に泊まった時は、駅近くの店で一献やったように思う。今回どこかないかなと思いスマホで検索してみる。その中で、近くの1軒の居酒屋が目に留まる。ただこういう状況で営業しているかどうか。この時点で和歌山県は緊急事態宣言、まん延防止措置等重点措置の対象ではなく、飲食店への休業・時短要請は出ていない。また新宮市もお盆期間中は飲食店への休業要請は出ていたようだが、現在はそれも解除されている。一人静かに一献傾ける分にはいいだろう。

まあ、仮に休業だったり混雑しているようならばホテル近くのコンビニで済ますか・・というつもりでやって来たのが「居酒屋Manaya」。画像は店を出た後のものだが、ちょうどいい具合に赤ちょうちんが出ている。特に問題もなく中に通された。

室内はパーテーションをあちこちにめぐらせて柔軟に部屋の広さを変えることができる構造である。カウンターにはとりあえず1席だけ椅子が置かれていた。

紙に書かれたおすすめメニューのあちこちに目が行く。価格帯は大衆酒場よりはちょっと高めだが、チェーン居酒屋並みというところ。メニューの種類も多い。

造りの盛り合わせは2人前からとなっているが1人前でもOKというので注文し、そこに「太地港から」とあるイルカの造りも追加する。

一緒に盛り付けられたのがこちら。右半分の魚のほうにはマグロの赤身、中トロも入っている。そして左半分がイルカ。昼に道の駅でいただいたよりは身が厚く切られている。魚はわさび醤油、イルカはしょうが醤油でいただく。イルカは居酒屋で注文する馬刺しのように最初は冷凍のシャリシャリ感が残るが、時間が経つと完全に解凍され生の旨味を楽しむことができた。ちょっと脂身も含まれるところで味も深い。

昼食と夕食でイルカをいただいたことが今回の旅の食事面で一番のインパクトとなった。もっとも、毎日のおかずがイルカとなるとちょっとしんどそうだが・・。

他にも牛肉のたたきや自家製厚揚げなどいただく。

また、注文はしなかったがメニューを見ると熊野地鶏やうなぎ料理も数々あり、それに交じってワニの塩焼きというのもある。ワニ・・・広島県北でいうところのサメではなく、クロコダイルのほうのワニである。熊野川でワニが獲れるわけではなくどっかから輸入したものだと思うが、えらいものが出てくる。もっとも、過去のグルメサイトの書き込みでは、スズメの串焼きもあれば、サソリの唐揚げもメニューにあったとか・・。

時間もよくなったか、他の客も数組やって来て、店の中も賑やかになる。通路を挟んだ小上がりから、地元の人らしい客たちの会話もよく聞こえてくる。この辺りは、いつもの土曜日の夜とさほど変わらない光景に見える。その中で高校野球の話題も出ており、この日(28日)行われた準決勝の結果、翌29日の決勝は「智弁和歌山対智弁学園」に決まった。和歌山県勢が決勝に進んだこと、そして決勝が「兄弟校対戦」になったことで話が盛り上がっている。

甲子園での「兄弟校対戦」は過去に何度かあったが、「東海大相模対東海大甲府」とか「日大山形対日大三」のように、東海大、日大といういくつもの付属高校があるところの対戦だった。ただ、この「智弁対決」は、兄弟校が2校だけという学園の中のことなので、余計に注目される(決勝戦は9対2で智弁和歌山が勝利)。

締めのメニューも釜飯、さんま寿司などいろいろあるが、選択したのは「爆弾おにぎり」。釜飯や寿司は大仰で、手軽におにぎりでもということで。もちろん、このおにぎりがどんな形状かはわかっている。

ただ、形状は予想通りだったが、出てきたものは想像を超えていた。おにぎりの先に線香花火がついて運ばれてきたのである(店の人も笑いながら持ってきた)。こんなの初めて、それこそ「爆弾」の洒落である。さすがに花火は途中で消えたが、下手に煙が出て火災報知器でも作動したらそちらのほうがえらいことになる。

他にもさまざまな定番料理から変わった料理までさまざまある。この「Manaya」、これから「WEST EXPRESS銀河」の紀南コースに当選、お宿は新宮という方、夕食はこの店でどうだろうか。温泉宿のような豪華料理とはまた違った楽しみで・・。

満足して19時半頃には店を出た。さすがにこの時間では日は暮れていたが、外が余計に暗く感じた。店の周りは繁華街というわけでないこともあるが、そもそも街灯の数が少ないのである。

前夜は夜行列車での移動、その後に運転ということもありさすがに疲れた。この夜は早めに就寝とする・・。

さて翌朝、この日は新宮8時32分発の「くろしお16号」にて大阪に戻る。ちょうど部屋の窓からかすかに熊野灘を見ることができ、5時半頃には遠くの水平線からの日の出が見えた。これには思わずうなってしまう。

7時に朝食ということで、1階のレストランに向かう。前日の「WEST EXPRESS銀河」でお見かけした方も何人かいる。新宮まで乗りとおして、宿はリーズナブルにという同じ考えのようだ。通常はバイキング形式のところ、コロナ禍のために定食形式である。ただその中でもさまざまなおかずがあり、朝からしっかりいただく。

この日は復路だが、単なる復路にはしないつもりである。まずは新宮から大阪市内まで「くろしお」で4時間。実は「くろしお」で乗り通すのはこの歳にして初めてのことで、道中が楽しみである・・・。

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クジラの町・太地町へ

2021年09月07日 | 西国三十三所

熊野三山から少し足を延ばして太地町に到着。立ち寄った「道の駅たいじ」でランチタイムギリギリに間に合い、お目当てのクジラ料理をいただくとする。

定食で選んだのは、クジラ料理定番の竜田揚げ。「最後なんでちょっとおまけしときます」と、ボリュームもたっぷりである。クジラ料理・・・私の近所のスーパーにもたまにクジラ肉が並び、夕食のおかずで刺身やステーキにして食べることがあるのだが、竜田揚げは家庭の味という感じがしておいしくいただける。

そしてもう一品、初めて口にするのがイルカである。それも造りで。

クジラについては食べる機会は少ないかもしれないが、上記の料理や、大和煮の缶詰などが出回っており、まだ食べ物として広く認知されるところだが(ここでは捕鯨の賛成・反対についてはおいておく)、イルカと聞くと「えっ?」という方も多いのではないかと思う。イルカは水族館でショーを披露してくれるものだし、「イルカに乗った少年」という歌にあるように愛すべき動物として描かれるもので、要は食べるものではないということ。

ただ、太地町をはじめとした紀南地方は山が多く耕作地が乏しいため、古くから沿岸部に来遊するクジラやイルカを獲って食料として来たのも事実で、今も郷土料理として残っている。獲る量や、上記の感情論もあって他の地域には出回ることがほとんどないのだろう。

出されたのは薄くスライスされたもの。普段は冷凍保存で、それを解凍したようだ。味は・・・クジラとほとんど変わらないかな。まあ、元々同じ種類の動物だし。ただちょっと臭みはあるかな。

今回は造りでいただいたが、イルカは他には味噌煮、焼き肉、天日干しにしたタレなどの食べ方が行われているそうで、和歌山の他には静岡、東北の一部で食べられるそうだ。

売店コーナーものぞく。冷凍庫にクジラ肉のあれこれが並ぶのが地元らしいが、この先も旅が続くので買って帰ることができないのが残念だ。常温で持ち帰れる加工食品をいくつか購入して土産物とする。

クジラ、イルカといただいて満足し、これからくじらの博物館に向かう。穏やかな森浦湾の景色を見ながら進む。

手前にある「くじら浜公園」。クジラのしっぽのモニュメントがあり、その奥には捕鯨船が保存されている。第1京丸といい、1971年に建造され、北洋、南氷洋の捕鯨に従事した後、太地町に寄贈された。

くじらの博物館は1969年開館というからもう50年以上経つ。そのためか建物の外部・内部も古さを感じさせるのだが、ここまで長く続いているのも博物館の展示品の価値や、ショーや体験などでクジラやイルカと触れ合うことができる魅力のおかげだろう。捕鯨が衰退しようとしていた時、当時の町長が太地町全体を「海洋レジャー都市」に変貌させるとして、その中心として建てた博物館だが、50年経過した今、その構想のいくらかは実現していると言っていいだろう。

館内は3階建てで、吹き抜け部分にはクジラの実物大骨格標本がお出迎え。実際にこの博物館で飼育していたシャチの骨もある。また、太地の古式捕鯨のジオラマで捕鯨の歴史を紹介している。

また、クジラ、イルカの模型がある。こちらは生きている時の姿と、反転させて骨格の姿とを対比して見ることができる。

吹き抜けの上部にはセミクジラの実物大模型と、それを獲ろうとする漁師たち。

クジラの体のつくりや生態についてはまだまだ謎が多いとされているそうだが、この博物館ではさまざまな標本により紹介されている。クジラには大きく二つの系統があり、ヒゲクジラ、ハクジラに分かれる。餌の種類も違うようだ。

そして、人とクジラがどのように関わって来たか、主に捕鯨の道具を中心に紹介する。

こうして現物を見るのが一番だが、くじらの博物館ではデジタルミュージアムも設けている。特に古式捕鯨の様子を描いた絵巻物は、パソコン等で拡大しながら鑑賞することができるので面白い。クジラを追い込む時の威勢のよさ、また浜に揚がった時の人々の活気が伝わってくる。

展示を見ていると、イルカショーの案内がある。入館料で見物できるというので行ってみる。先ほどイルカの造りを食べたということは置いといて・・。

3つの水槽には7頭のイルカがいるようで、所狭しと泳いでいる。時折呼吸のために顔を出したり。

ショーの時間となり、インストラクター2人が登場する。中央の水槽にいる3頭はカマイルカ。背びれが鎌の形に似ていることからその名がついたそうだ。そうした体の特徴などを、イルカ自らが演技して紹介する。

そしてチームプレーやダイナミックなジャンプの数々を披露する。これには思わずうなる。こうした動物のショーをテレビなどで見ることもあるが、どうやって芸を仕込むのか不思議に思う。それだけイルカが賢い動物ということだろうが。

最後は、インストラクターが誤って餌の入ったバケツを倒して、そこにサーッとトンビがやって来てかっさらうという一幕もあったが、ショーは無事終了。イルカもお疲れさんである。

ちょっと外を歩く。現在の地球上でもっとも大きな生物であるシロナガスクジラの骨格標本の先には、海の入り江を利用したクジラショーのプールがある。こちらはゴンドウクジラのショーが行われるそうで、3頭のクジラが泳いでいる。この日の出番は終わった後ということで、のんびりくつろいでいるように見える。

これで博物館を後にするが、もう少し太地を回ることにする。以前訪ねた落合博満野球記念館は改装工事のため休館中ということで、その先の梶取崎(かんどりざき)に向かうことにする。

太地の港を過ぎ、高台の住宅地を抜ける。その先に梶取崎である。駐車場にクルマを停めて、芝生広場を行くと灯台に出る。

梶取崎は古くから海上交通の要所で、熊野灘を行く船がこの岬を目標として梶を取ったことからその名がついた。江戸時代には見張り台があり、クジラが来ると狼煙を上げて港に知らせていたという。今は狼煙に代わって灯台が海上交通の安全を守る役割をしている。

寺社参りだけでなく、こうした雄大な黒潮の景色を眺めることができてよかった。

そろそろ、新宮に戻ることにする。せっかく紀南まで来たのだから勝浦などの温泉に入ろうかと思ったが、レンタカーの返却時間が18時までとなっていて、もうこのまま向かうことにする。帰りは国道42号線の下道を通り、17時過ぎに新宮駅前に到着する。「暑かったでしょう」と出迎えられる。確かに暑く、汗もたくさんかいたが、川や滝、海などの涼しいスポットにも出会えて、夏の思い出の一つになった。

さてこの日の宿泊は、新宮駅から徒歩5分ほど、市役所に近い新宮ユーアイホテルである。新宮はそれほど宿泊施設が多くない町ということもあり、「WEST EXPRESS銀河」のツアーで新宮宿泊を選択する場合は自動的にこのホテルとなる。

だいぶ昔に新宮の町中のホテルに泊まったことがあるが、どこのホテルだったかなと思う。駅からの距離感でいえばちょうどこのユーアイホテルだったかな・・。

時刻は18時前。さて今夜はどうしようか・・・。

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第1番「青岸渡寺」~西国三十三所めぐり4巡目・1(まだ3巡目終わってませんが・・)

2021年09月06日 | 西国三十三所

新宮速玉大社、熊野本宮大社に続き、熊野三山めぐりの3つ目として(それにしても、月に2度の熊野詣でとは、後白河法皇もびっくり)熊野那智大社に向かう。それはそうと、先ほど国道42号線のパイバス道路として建設された自動車専用道路の那智勝浦新宮道路を通ってきたが、現在紀勢線に対抗するかのように、紀伊半島をぐるりと回る高速道路~自動車専用道路が着々と整備されている。これは和歌山県の御坊から南が全部「領地」である「あのお方」のおかげとも言われていて・・。

那智勝浦インターを出て、那智山への道を走る。今回は先に那智の滝を見ようかなとも思ったが、近くの駐車場は有料(400~500円)である。土産物店やレストランが営業する駐車場もあり、店内で飲食すれば割引もあるようだが、食事は那智大社の後と決めたのでそのまま通り過ぎる。結局一番上のバス停のある無料駐車場に停め、那智大社・青岸渡寺への400段の石段を上ることにする。

前回よりも参拝者が少ないかな、という石段を上がる。毎度ながらそれだけでもう汗だくになるが、最後に上りきって那智大社の境内に出ると風がスーッと入ってきた。暑いといっても、やはり8月の末ともなると一時の猛暑のピークは過ぎたのを感じる。

朱塗りの那智大社の社殿、そして八咫烏を祀る御縣神社にも手を合わせる。八咫烏はここでは導きの神様、交通安全の神様として信仰を集めている。今回の旅はまだレンタカーの運転も含めて続くし、翌日にはこの八咫烏の行き先と同じ場所に向かう。道中の安全を祈る。

さて、隣の青岸渡寺である。那智大社からの通用門をくぐり、本堂の前へ。向かいの手水舎から「延命の水」をいただく。那智の滝を水源とする水で、延命にはどのくらいのご利益があるのか今の時点では何とも言えないが、とりあえずのどが潤うとともに、気持ちも落ち着けることができたのは間違いない。ちょうど寺の人もポリバケツに水を汲んでいて、本堂の板張りの床に打ち水として撒いていた。

そして本堂にてお勤め。ここは正面にも祈祷受付やお守りなどを売る係の人が立っているので、見られている感がある。別に気にすることはないのだが、お堂の中で読経する中でもどっと汗が出る。

まだ西国三十三所の3巡目が3ヶ所残っているが、先行して「4巡目」を始めてしまおう。ちょうど第1番に行くのだし・・・ということで、「WEST EXPRESS銀河」の中に西国三十三所の先達用納経帳と輪袈裟を持ち込んでいた。ええやん。

「4巡目」については、朱印とセットでついてくる通常の先達用護符とJRのキャンペーンの散華以外に何か集めることはせず、これで回ることにする。それにしても、先達用の納経帳も、3つ朱印が重なるとちょっと風格が出てきたように感じられる。

実は通算3巡目、先達として2巡を終えた後に「中先達」の昇格を申請して補任されたら、住まいが大阪から離れたこともあり西国めぐりも一段落としようかな・・とも思っていた。ただ、こうして札所に来てみると、やはりもうちょっとやってみようかなという気になる。もう1巡、もう1巡ということこそ煩悩の塊だと思うが・・・それはさておき、何かとタイアップさせるかどうかはまた考えるとする。

関西で他に広域の札所めぐりがあったかなと思いながら、そのうちあの禁断の「154ヶ所」に手を出してしまうのではないかという恐れも感じている。今は考えないようにしているが・・。

那智大社・青岸渡寺に来たからには那智の滝にも行っておきたい。三重塔の横を通って昔ながらの参詣道を歩いて下り、飛瀧神社の鳥居前に出る。もう一度バス停の駐車場まで歩いて上ることになるが、致し方ない。

那智大社や青岸渡寺は8月初めに来た時より参詣者が少ないなと思ったが、やはり那智の滝は人気の観光スポットでもある。暑いからせめて滝だけでも見て涼もうというのもあるかもしれない。あちこちで記念撮影をしているし、記念写真を撮りましょうという商売の人もいる。

滝の水しぶきの1点が133メートルの高さから落ちてくるのを見定めようとする。そういえば昔、「この滝の水を斬れ!」というのがあったような・・。

昔なら熊野三山の3ヶ所をめぐるだけでも数日かかったのだろうが、今はクルマで数時間あれば駆け足ながら参詣ができてしまう。逆に言えば、もっと身近に感じて訪れることができる祈りの地ということだろう。

さて、これで熊野三山めぐりを終えて時刻は14時前。プラスアルファということでどこに行こうかと考えていたが、朝方、橋杭岩の道の駅で地域のパンフレットを見た中で決めたのが、太地町。古式捕鯨が盛んで、今でもクジラの町として知られる太地町にはかつて訪ねたこともあり、くじらの博物館だけでなく、「落合博満野球記念館」(現在は改装工事のため休館中)も行ったことがある。

そして、昼食を後回しにしたのは、どうせならクジラ料理をいただこうというもの。博物館の近くに食堂があったかなと思いながら、最近国道42号線沿いに道の駅ができたという。そのレストランなら間違いなくクジラ料理はあるだろう。

今度は国道42号線の下道を串本方面に向けて走り、海に面したホームのある湯川駅も過ぎる。太地町には順調に入ったが、ふと「レストランって、昼の営業時間が限られているところがあるのでは?」ということが頭によぎった。せっかく道の駅に行っても営業時間終了・・となると残念なことで、新宮駅到着後に回る順番を変えればよかったかなと後悔するところである。

そんな中、「道の駅たいじ」に着いたのは14時30分前。レストランの前に行きレジをのぞくと、「お食事の方、ラストオーダーです!」と声をかけられる。よく見るとランチ営業は14時30分がラストオーダーで、以後はコーヒーなどドリンクのみの販売とあった。

「どうぞ食券を買ってください」と言われる。これ、2~3分遅かったらアウトだっただろう。長い信号に引っかかったとか、そうそう、新宮からの移動で自動車専用道を使わず下道を使っていればとか・・そうしたことで間に合わなかったかもしれない。2Fの幹事長にも感謝しないとね(笑)

せっかく来たのだからクジラの竜田揚げの定食と、そしてもう一品、私にとって初めての食材をいただくことにする・・・。

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新宮速玉大社から熊野本宮大社へ

2021年09月04日 | 西国三十三所

「WEST EXPRESS銀河」で新宮に到着後、ツアーとはいいながらもホテルと帰りの特急の座席が決まっているだけで、行動は自由である。この先、紀勢線で松阪方面まで行って帰ってくることもできるし、来た道を紀伊勝浦や串本まで引き返すことも可能だが、皆さんどういう行動を取るのだろうか。

駅前には奈良交通のバスが停車中である。9時59分発の大和八木駅行きである。熊野本宮、十津川村、五條市経由で7時間近くかけて走る便だ。1日3便のうち早くも最終便だが、十津川まで行っても大和八木からのバスに乗ることはできる。さすがに「銀河」の後に十津川まで行く人はいないだろうが、瀞峡、熊野本宮辺りまでならこうしたバスも有効に使える。

私はといえば、道路を渡って駅レンタカーを兼ねたオリックスレンタカーに向かう。夕方までの時間で熊野三山プラスアルファを回るなら、こちらのほうが効果的だ(どうもこのところ、効率を求めて札所めぐりでもレンタカーを使うことが増えているが・・)。この日乗車するのはホンダのフィット。レンタカーの定番である。「かなり暑くなるのでお気を付けください」と送り出される。ディスプレイに表示される外気温はすでに33度と出ている。

まずは1キロほど走って熊野速玉大社に到着。いったん駐車場に停めた後、表に出て正面の鳥居から入りなおす。

先ほど熊野曼荼羅絵解きを聞いたためか、ご神木の梛(ナギ)の大樹に目が行く。古来より道中安全を祈り、この葉を身に着けてお参りすることがならわしとなっている。授与品売り場でも梛をあしらったお守りが売られている。また、速玉大社では梛の木を「世界平和の木」にする運動を行っているそうだ。その一つとして、沖縄の本土復帰の記念として梛の木500本を育て、沖縄県下の学校に植樹したという。

暑い中だが、「銀河」に揺られての熊野詣で・お礼参りである。とはいっても昇殿して玉串奉奠、祈祷を行って・・という仰々しいものではなく、各拝殿を順番に回って手を合わせるくらいだが。

名だたる法皇、上皇には及ばないが、これで「WEST EXPRESS銀河で行く熊野三山詣で」の一つはクリアである。

ここ速玉大社はかつて「はやたま」という列車名にも出ていた。それこそ「銀河」の昔の姿だが、その昔は天王寺から阪和・紀勢線で新宮、さらには亀山を経て名古屋まで運転される客車列車で、寝台車がつけられた時期もあった。私が鉄道の乗りつぶしで出かけるようになった頃には、先の記事のように165系の新宮行きとなっており、「はやたま」については宮脇俊三の乗車記でしのぶくらいだが、文字通り紀伊半島をぐるり一周する観光列車があってもいいかなと思う。まあ、JRの会社が違うし、電化・非電化の違いがあるので実現は難しいだろうが・・。

参詣を終えて国道42号線に出る。8月初めに来た時は先に那智大社、青岸渡寺を訪ね、最後に熊野本宮に参詣してそのまま十津川村経由で大阪に抜けたが、今回は先に熊野本宮に向かう。

新宮高校の先で国道168号線に入る。

前回は新宮の中心部では晴天だったのだが、熊野本宮に向かう途中でにわか雨に遭った。ただこの日はその心配もないようで、熊野川に沿って順調に走る。

道の駅「瀞峡街道熊野川」にて休憩。ちょうど熊野川に面したところで、速玉大社近くまでの川下り舟も出ている。多くのクルマ、ライダーが立ち寄っている。

今からちょうど10年前の2011年9月、台風12号の影響で紀伊半島を豪雨が襲った。熊野川も氾濫し、この道の駅を含む一帯も飲み込まれて建物も損壊した。その時の水位の表示と慰霊碑が建てられている。またこの豪雨では那智山に至る集落でも多くの被害があり、この記事を書いている9月5日の朝のニュースでは、ちょうど10年ということで地元の人たちによる慰霊祭が行われたとあった。

今年の夏は台風よりも線状降水帯の影響で各地で豪雨が相次ぎ、広島県もちょうどお盆時期を直撃してどこかに出かけるどころの話ではなかった(朝から夜まで大雨のニュースばっかり見ていた)。2021年の夏はそうして記憶されることになるが、これから9月、また台風が来るのだろうか。

新宮を出て1時間近くで熊野本宮大社に到着。こちらも熊野大権現の幟がはためく中、石段を上がる。水害ということでいえば熊野本宮大社も明治時代に多くの社殿が流された歴史がある。熊野川の中州にあった社が現在地に移されて現在に至る。熊野川を見ると水量も少なく、砂利のある河原がやたら広く見えるのだが、他の河川と比べて水が溜まる場所が少なく、流れの押しが強いそうだ。

こちらでも順に手を合わせてのお礼参りである。やはり「本宮」という名前のためか、あるいは三山の中でもっとも奥まった地にあるためか、厳かな感じがする。社殿の色もそう感じさせる。

また、熊野三山では八咫烏の絵やオブジェが至るところに見られる。導きの神として古くから信仰され、神話においては神武天皇を大和の橿原まで案内したとされる。熊野から橿原へ・・・実は今回、この「銀河で行く熊野三山詣で」の続きにも関係してくることなので、ここで記しておく(かといって、そこまで注意して読む方はいないだろうが・・)。

ここまで午前中で熊野三山のうち2ヶ所を回ったが、それにしても厳しい暑さである。レンタカーのため重い荷物を持って石段を上り下りすることはなかったが、少し時間を空けただけで車内の温度は急激に上がる。エアコンをかけて、体を少しずつ冷やしながら何とか先に進む。

今回は熊野本宮大社で折り返して、熊野那智大社に向かうことにする。今度は国道168号線で熊野川に沿って下り、新宮市内から那智山方面に向かう。途中からは自動車専用の那智勝浦新宮道路を通る。前回来た時はなぜかカーナビが案内しなかった道である。これでこの先少しは時間短縮できそうだ・・・。

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「WEST EXPRESS銀河」紀南コースに乗る~朝の黒潮がお出迎え

2021年09月03日 | 西国三十三所

新宮行きの「WEST EXPRESS銀河」は1時に和歌山を発車。ただその時はもうシートでウトウトしていたか、あまりよく覚えていない。深夜のことで車内放送もなかったようである。

「銀河」でもっともリーズナブルなリクライニングシートだが、ある程度リクライニングできるだけでなく、コロナ対策で通路側の席を販売していないためにそちらも使えるのは大きい(パンフレットにも、荷物置き等でご利用くださいとある)。隣の席も使って身体を斜めにして休むとちょうどよい。もう、コロナ禍が明けてもこの席は一人2席での販売でいいのではないか。

そんな中、列車の動きが停まったようで目が覚める。どこかの駅に停まっているようだが照明も何もない。スマホのGPS機能で地図を見ると紀伊田辺付近を指していた。結構南まで来たもので、紀勢線もここからは単線のローカル区間となる。もちろん、そのまま走ったのでは新宮に早く着きすぎるから時間調整しなければならない。ドアが開く次の停車駅の串本でも6時04分着だから、これ以降もどこかの駅で運転停車が行われるはずだ。

その後も寝たような寝れないようなあいまいな感覚で過ごす。リクライニングシートの車内は減光されているが、車両の端にあるフリースペースの「明星」は灯りがついていて、そこがまぶしく感じられる。フリースペースの性質上、明るいのは仕方ないが、リクライニングシートの間はカーテンなどで仕切ってもいいのではないかと思う。

気がつくと、外がうっすら明るくなった。ふと見ると海が近い。列車が停まる気配がして様子を見ると、現在地は周参見あたりのようだ。かなり半島の南に来たようだ。かつての「新宮夜行」ならもう新宮に着いている時間だが、こうして夜明けに海を見ることができるのはこの「銀河」の売りである。

もうすぐ串本との案内が入る。朝6時を本州最南端の駅で迎えるというのも贅沢なことだ。

6時04分、串本に到着。串本の発車は8時と、約2時間の停車である。朝のおもてなしとして、橋杭岩の観光と朝食がセットになっている。深夜の和歌山中華そばと同じく、1・5・6号車の乗客と2・3号車の乗客で2班に分かれる。前者は朝食~観光、そして私のいる後者は観光~朝食である。橋杭岩へは観光バス1台がピストン運行する。

先発組が行った後、またしばし朝のホームでの撮影。そうするうちに駅周辺もすっかり明るくなる。

添乗員からの案内があり、駅前から観光バスに乗り込む。1班20人あまりだから観光バスもゆったりと座る。橋杭岩までおよそ5分の乗車である。

橋杭岩にも久しぶりに来たが、道の駅も整備されていて、この時間でもツアー以外のドライブ客がそこそこいる。朝食は後回しで、まずは橋杭岩の観光である。今や橋杭岩は南紀熊野ジオパークの名勝であり、早朝にもかかわらずジオパークガイドがお出迎えである。

道の駅の2階にある展望スペースに案内される。このツアーのために早朝から開放しているようだ。少し高い位置から岩を眺めるのもよい。

「ここは大島 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船~」で始まる「串本節」を披露したり、弘法大師が大島に架ける橋を一夜で築こうとしたその橋げたの名残という橋杭岩の言い伝えも交えながら、地学的に橋杭岩が形成された歴史を紹介してくれる。もちろん弘法大師が一夜で・・というのは伝説のことで、地下から上昇したマグマが泥岩層に入り込んで固まり、波の浸食で柔らかい部分が削り取られて残ったのがこの形だという。今から1400~1500万年前のことだ。

また、橋杭岩の周りにも岩が多数転がっているが、過去の地震で起こった大津波で運ばれたものだという。

案内をいただき、しばし橋杭岩の散策である。ちょうど引き潮のタイミングで、津波で運ばれた岩もゴロゴロしている。以前来た時(新宮夜行とは別)には潮がもっと引いていて、橋杭岩の橋げたまで行ったかな・・?と思い起こす。また、この日はすでに夜が明けていたが、11月頃には串本到着と日の出の時刻が同じくらいになるということで、それは見ごたえがある景色となるだろう。

そろそろ、前の組と入れ替えでの朝食である。国道42号線を挟んだその名も「空海」という店。弘法大師の伝説にちなんだ名前である。そこで朝飯食うかい・・?としゃれこむわけだ。

この店も普段はランチ、そして夜はちょっと飲む感じで、朝食は「銀河」に合わせてのことだろう。テーブル席に順番に詰めての着席である。4人テーブルに相席だが、そこは前と横にアクリル板が用意されている。

朝食は「漁師の朝ごはん」と銘打った特別メニューで、メインにはカツオのたたきが並ぶ。小鉢の貝はトコブシ。そして店の人が、みそ汁の具にカメノテが入っていると紹介する。カメノテ、いただくのは初めて。みそ汁の出汁に最適だし、カメノテも2つに割って中身を食べてくださいという。身がたっぷりという貝ではないが、悪くない。これ、朝から一献といきたいところだが、新宮からハンドルを握らないといけないので・・・。

「空海」の隣では串本名物の「うすかわまんじゅう」の店があり、試食で1個いただく。添乗員の話では、このまんじゅうの店は串本駅近くにもあるし、「銀河」の上り大阪・京都行きの運転時は串本駅でも販売するという。

それにしても、朝から暑い。天気予報は晴天だが猛暑日近くになりそうとのこと。帰りのバスまでの間、エアコンの効いた道の駅の建物に入り、観光パンフレットを眺める。新宮に着いてから熊野三山にお詣りすると決めているが、それに加えてもう1ヶ所くらいは回れそうだ。どこに行くか思案する。

串本駅に戻る。発車までもうしばらくのんびりする。なお、駅のロータリーの向こうにはコンビニがあり、何か買い物するくらいの時間はある。

発車を前に、紀伊田辺からの列車がやって来る。8時07分発の新宮行きで、「銀河」が先に出発する。

車窓の向こうに橋杭岩を見る。本州最南端から進路を北東に取るため、太陽がもろに差し込んでくる。黒潮の眺めはいいのだが、さすがに暑い。窓側の客もカーテンを閉める。

古座川を渡り、しばらく熊野灘に沿う。この先も海の眺めのよいところでは徐行運転する。この辺りから、沿道に撮り鉄の姿も見るようになる。

古座の次の紀伊田原では、先ほど串本で置いてきた新宮行きの鈍行がやってきて、先に発車していく。そこは特急といえどもあくまで観光列車で、別に急ぐわけでもない。車内放送で「お急ぎのところ申し訳ありませんが・・」と言うわけでもない。フリースペースの「遊星」でしばらくくつろぐ。

次の見どころは玉ノ浦。遠浅の入り江で、かつては西行も庵を結んだことがあるそうだ。海水浴場もあり、釣り用か養殖用のいかだらしきものも浮かんでいる。

クジラの町である太地の次の湯川で停車。新宮からの「くろしお」との行き違いである。ちなみに行き違いとなる「くろしお16号」は、翌日に私が乗る予定にしている列車。湯川は駅のホームから海を眺めることができる数少ない駅の一つで、ホームの向こうには森浦湾が広がる。対岸にうっすら見えるのは太地町立のくじらの博物館周辺の建物である。「銀河」の運行開始にあたり、海側にボーボーと生えていた草を刈り取ったそうである。

9時05分、紀伊勝浦に到着。ここで「銀河」の旅を終える人もそれなりにいる。ツアーでも勝浦温泉宿泊プランがいろいろ用意されていて(まあそのぶん、新宮のビジネスホテル宿泊に比べると割高になるが)、特に新宮まで乗り通すことにこだわりがなければ紀伊勝浦下車となるだろう。ホームでは地元の人たちのお出迎えがあり、熊野古道をイメージして平安衣装をまとった女性も歓迎してくれる。

5分停車で新宮に向けて出発。長かった乗車時間も残りわずかだが、最後に雄大な黒潮の景色が待っている。

それが王子ヶ浜。ここも南紀熊野ジオパークの一部で、熊野川河口まで運ばれた砂礫が、沿岸流によって運搬、堆積してできた海岸である。ちょうど熊野市からの七里御浜ともつながっている。紀勢線の線路は海岸ぎりぎりのところを走っていて、最後の徐行運転である。

そのぶん、海岸のあちこちにゲリラのように撮り鉄が潜んでいるのだが、どう見ても立入禁止のところに立っているのもいる。こうして乗っている者からすると、せっかく景色のいいところに不法侵入で陣取っている輩にこそ、普段彼らが通行人に発している罵声を浴びせてやりたいのだが。

まあ、それはご愛嬌として列車は新宮の街中に入り、9時37分に到着。駅員たちが横断幕や小旗で出迎えてくれる。改札口で乗車券・特急券に無効印を押してもらい、記念とする。

新大阪から途中の長時間停車を含めて11時間以上の列車の旅。朝起きてからの車窓も素晴らしいもので、乗っていて飽きることがなかった。繰り上げ当選という形で乗車のチャンスをいただけたことに心から感謝である・・。

さて改札口前では地元の土産物や鉄道グッズ、銀河グッズなどの立ち売りがあり、気が早いのだが地酒のセットを買い求める。熊野地方唯一の酒蔵である尾﨑酒造の「太平洋」と「熊野三山」の2本セット。どちらも雄大な名前である。

隣の待合室では、熊野曼荼羅絵解きが無料で聞けるということで声をかけられる。戦国時代から江戸時代にかけて、熊野三山への参拝者の誘致や、修繕費用の寄進集めのために、全国を渡り歩いた比丘尼たちがいた。那智参詣や地獄極楽の絵図などを使って仏の教えを語り聞かせたという。こちら新宮市では当時の熊野曼荼羅絵解きを再現し、観光のPRにしているという。

熊野三山の歴史や、平安時代の後白河法皇の熊野詣、さらには補陀落や徐福の伝説なども交えながら話が進む。これから熊野三山に向かうにあたって私の中で雰囲気ができてくる。

その時、ガイドがちぎって一人ずつに渡すものがあった。梛(なぎ)の木の葉だという。梛の木は温暖な地域で育つ植物で、日本では紀伊半島、四国、九州、南西諸島に生息するそうだ。古くから、熊野詣でにあってはこの梛の木の葉を懐中に入れて道中の無事を願ったという。また葉が丈夫で切れないことから、縁結びのお守りにもされているそうだ。私もこの先の道中の無事を願うことにしよう。

駅前に出る。これから8月初めに続いての紀南めぐりである・・・。

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「WEST EXPRESS銀河」紀南コースに乗る~かつての新宮夜行を彷彿と・・

2021年09月01日 | 西国三十三所

かつての「新宮夜行」を彷彿とさせる「WEST EXPRESS銀河」は夜の大阪の街を走る。貨物線からちょうど再開発工事エリア越しにグランフロント大阪などのビル群を見る。こういう車両から眺めるのも不思議な心持ちだ。車内放送では大阪環状線エリアの見どころの案内が入るが、「残念ながら今回の旅ではすべて停まりません・・」とある。

22時33分、天王寺到着。まだまだ通勤客も残る時間帯である。2分停車してそのまま発車する。私にとってはJRの玄関口といえる天王寺をそのまま通過するのはもったいないが・・。

新宮行きの夜行列車といえば、学生時代に3回ほど乗ったことがある。うち2回は天王寺始発の新宮行きで、23時ちょうどに頭端式の阪和線ホームから発車したのを今でも覚えている。165系の急行型電車で、4人掛けのボックス席。鈍行夜行というと、当時読んでいたレイルウェイライター・種村直樹の著作にもいろいろ出てくるのがうらやましかったのだが、当時近くで実際に乗ることができたのが新宮夜行である。早朝の紀南の海に向かう「釣り列車」「太公望列車」の愛称もあったが、その当時も季節的なものか、それとも釣り客じたいが少なくなったのか、釣り竿にクーラーボックスという客はあまり見なかった。むしろ通勤帰りの客が多かったようだ。

通勤客は和歌山近辺で下車してその後は夜行の客だったが、深夜時間ながら主な駅で長く停車するところがあり、今とは違って窓口も開いていて硬券入場券を買ったりスタンプを押したりもした。翌朝の5時に新宮に着き、そのまま同じ車両で和歌山方面に折り返す、あるいはその先の気動車に乗り継いで紀伊半島を一周する形で紀勢線を乗りつぶしたりもした。

その後、新大阪から貨物線を経由する旅客ルートが開かれ、特急「くろしお」とともに「新宮夜行」も新大阪始発になった。新大阪発も1~2回乗ったが、やはり天王寺の阪和線ホームから出たほうが夜行列車らしい雰囲気だったという印象がある(あくまで個人の感想)。

さて、現在の「WEST EXPRESS銀河」に戻る。天王寺を出て改めて車内を回るが、実質動けるのは自分がいるリクライニングシートの3号車と、隣の4号車のフリースペース「遊星」くらいのものだ。2号車は女性専用車両でおっさんが立ち入ることはできないし、5号車のクシェットも寝台スペースなのでドカドカと足を踏み入れるのははばかれる。

フリースペースの「遊星」にはテーブル付き4人掛けのボックス席や座布団、円卓のスペースがあり、リラックスするには適している。そこに「フリースペースでの飲酒はご遠慮ください」の注意書きが出ている。これはツアーの事前案内にも記載されていたことである。昨年山陰行きで乗った時にはそうした注意はなかったが、夜行、昼行かかわらずこうしたスペースで酒飲んで騒いだ客がいたのかもしれないし、そうした客を想定しての予防策である。

裏を返せば自席で静かに飲む分はほどほどで・・・というところ。もっとも、この夜の車内の顔ぶれを見ると1人参加が多く、複数でもご夫婦、多くても子ども1人を連れたご家族1組くらいで、車内で酒飲んで騒ぐような人はいなかった。見ようによっては、私が一番リスキーな輩だったかもしれない・・。

自席でも十分なスペースがあるので、そこで夜景を見ながら静かに夜の一献とする。懐かしの「新宮夜行」を思い出しながら・・・。

途中、ここから乗車する客はいないだろうという日根野に停車。乗務員からの見送りを受ける。

紀伊山地、紀ノ川を渡って23時42分、和歌山着。

和歌山では日付が変わって1時まで停車するが、その間に「WEST EXPRESS銀河」の夜のおもてなしがある。この時間に改札の外に出て、和歌山中華そばをいただくということだ。体にはあまりよろしくないのだが、まあ旅先での体験ということで・・・。山陰行きでは姫路駅ホームの「えきそば」をホームや車内でいただくというおもてなしがあったが、これに対抗したのか、いやそれ以上の強力なメニューである。

ツアー参加者は列車全体で50名ほどだが、店の定員もあってこれを2班に分けて案内するという。まず初めに個室、寝台組が乗る1・5・6号車の客から出発。残された2・3号車の座席車客は後発だが、その間には列車の撮影などできる。

しばらくして添乗員からお声がかかり、20人ほどがホームに集まる。こうして見ると女性の参加者も結構いるもので、女性専用車両というのが効いているのだろう。

添乗員の引率で東口改札を出てそのまま3~4分歩き、ビルの1階に構える「まる豊」という店に着く。初めて入る店だ。案内によると、数年前にここに移転するまでは「店が傾いているラーメン店」として知られていたそうだ。普段は23時までの営業だそうだが、このツアーのために特別に開けてくれている。

入った順にカウンターに座るとすぐに中華そばが出てくる。「銀河」の到着時刻も人数もわかっているからだろう。ツアーということでトッピングの追加やゆで卵、早寿司などのサイドメニューは不可。味としてはスタンダードな豚骨醤油の和歌山中華そばという感じだが、このシチュエーションでいただけるところに味がある。和歌山駅の東口という、表裏でいえば裏口にあたるほうに出向くのも混乱をきたさないようにしているのかな。

食べ終えた人から順次駅に戻る仕組み。途中にセブンイレブンがあるので買い物も自由だ。飲み足りない人はここで燃料補給もできる。

日付が変わったこの時間、和歌山から出る列車はないが、阪和線から和歌山に着く列車はまだある。かつての「新宮夜行」は紀勢線の終列車の役目もあり、新宮までの便が廃止された後もしばらくは同じようなダイヤで紀伊田辺、御坊など直通運転の列車が出ていたが、今は最長で和歌山までである。

列車の写真を撮った後で車内に戻り、シートにもたれているとそのままウトウトしたようで、いつの間にか発車したようだ。改めて、紀南に向けて出発・・・。

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「WEST EXPRESS銀河」紀南コースに乗る~いざ出発

2021年08月31日 | 西国三十三所

まさか、人気観光列車「WEST EXPRESS銀河」の2回目の乗車記を書くことができるとは思わなかった。

2020年9月に大阪~出雲市間の「山陰コース」に乗車したのに続き、今回2021年8月に新大阪~新宮間の「紀南コース」に乗ることができた。しかも、いずれも他のどなたかがキャンセルしたためか「繰り上げ当選」の恩恵にあずかった。こういうケースもなかなかないのではないか。

昨年同様コロナ禍の最中ではあるが(とはいえ、昨年の9月は「GoToトラベル」というのもやっていたな)、出発日が決まっていて、この機会は逃すものではない。「不要不急」の判断は個人に委ねる・・・ということで、そのまま行くことにする。本当に深刻な状況なら、この列車そのものの運行が中止されるはずである。まず、そこのところをお断りしておく。

さて、コースにつけられた「紀南」という言葉、これまであまり聞いたことがない。私はあの辺は「南紀白浜」のように「南紀」と認識していたのだが、「南紀」、「紀南」それぞれ意味があるそうだ。「南紀」とは「南海道紀伊国」の略で、紀州全体を指す言葉、そして「紀南」は「紀州南部」を指す言葉という。今回、紀勢線を運行するにあたり、日本旅行が宿泊プランや地元のおもてなしを提供しているのは周参見、串本、太地、紀伊勝浦、新宮といったこの「紀南」地域である。

コースは3つある。まず「Aコース」は、1日目往路「銀河」利用(夜行)~2日目現地宿泊~3日目復路「くろしお」で戻るプラン。金曜日夜に「銀河」が出発することもあり、こちらのコースを申し込んでいた。他には「Bコース」として、1日目往路「くろしお」利用・現地宿泊~2日目復路「銀河」利用(昼行)。そして「Cコース」は、「Aコース」の復路3日目も「銀河」利用(昼行)である。私が大阪在住ならどのコースでもよいが、「Bコース」、「Cコース」だと復路「銀河」の大阪着が夜遅く、そこからその日のうちに広島に戻るのが困難である。ということで「Aコース」1本に絞っていた。

そして当選したのは、8月27日夜出発の「Aコース」。「銀河」ではリクライニングシートに乗車、新宮到着後の28日夜は新宮ユーアイホテル(朝食付き)に宿泊。そして29日は新宮8時32分発の「くろしお16号」に乗るが、申し込み時、グリーン車で戻るオプションをつけていた。

新宮に9時37分に到着した後はフリータイムで、乗客それぞれが思い思いのところに行くのだろうが、私はもう「熊野三山詣で」一択である。そもそも今回、5月にエントリーした分の「繰り上げ当選」の通知が来たのが、8月はじめに熊野三山に行った直後のタイミングのことで、これはもうご利益そのものだと思っている。だから今回はお礼参りとしてのお出かけでもある。急遽レンタカーも申し込んだ(そのため、この旅行記のカテゴリは「西国三十三所」とする)。

出発の前週に乗車券、バウチャー、パンフレット、その他注意事項が送られてきた。バウチャーの中身は追々説明するとして・・。当日、発熱・体調不良は絶対にあってはならないことだ。

いよいよ出発の27日になった。「銀河」の新大阪発は22時16分のところ、ホームに21時50分集合である。当日はヒヤヒヤしたが仕事を無事に終えていったん帰宅し、シャワーだけ浴びて出発する。広島を出るのが遅くなったらその時点で「銀河」には乗れない。

広島発20時01分の「のぞみ64号」に乗車。この後の広島発20時27分の「みずほ612号」でもギリギリ間に合うのだが、1本余裕を持って出ることができた。この時間の「のぞみ」に乗るのはいつ以来だろうか。以前の広島勤務時、大阪に帰省する時も金曜の夜に慌てて新幹線に乗り込むこともほとんどなかったと思う。

車内で軽めの夕食とするうち、順調に新大阪に到着。

新大阪の集合場所は、「くろしお」が発着する3・4番のりば。「銀河」もここから発車する。階段下に日本旅行の係員が待機しており、あらかじめ配布されていた健康チェックシートを渡し、検温をクリアする。ツアー参加用のワッペンをもらい、袖に貼る。

入線まで時間があるので、蒸し暑いホームからいったんコンコースに上がり、飲み物など仕入れて待つことにする。この時間にここに座っているのは「銀河」に乗車する人たちだろう。

22時10分に入線ということで、そのタイミングでホームに下りる。京都側から、西日本の海や空を表現した瑠璃紺色をまとった117系がやって来る。この歳になっても夜行列車に乗れるだけでわくわくしてしまう。

まずは割当のリクライニングシートがある3号車へ。翌朝はそれこそ黒潮が車窓に広がるわけで、席の指定が気になっていた。指定されたD席は進行方向右側で、海側となる。これはラッキー。また、座席の一番前で、前方の壁に備え付けの木のテーブルが使えるし、改造車にありがちな窓枠がすぐ横にあるわけでもなく、大当たりの座席と言っていいだろう。個室のプレミアシートやグリーン席扱いのファーストシート、横になれるクシェットと比べれば「座席車」だが、この状況のため1人で2人がけを使えるし、この先ゆったり過ごせそうだ。

ホームで撮り鉄たちに見送られて出発。まずは貨物線経由で大阪環状線に入り、天王寺を目指す・・・。

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西国三十三所めぐり3巡目~十津川村を縦断、そして熊野三山のご利益が・・?

2021年08月23日 | 西国三十三所

熊野本宮大社の参詣を終えて、国道168号線を北上する。県境を越え、十津川村から五條市を経由するルートである。この国道168号線は新宮から続いていて、奈良県に入った後も他の国道と重複しながら大阪府に入り、終点は枚方の天の川交差点だという。枚方が終点とは知らなかった。

以前にも国道168号線で十津川を経由して熊野に行ったこともあるし、大和八木から新宮まで結ぶ「日本一長い路線バス」に延々揺られたこともある。そもそもが「酷道」の部類に入るのだが、それでも新しいトンネルや橋梁の工事が進められていて、谷間に建設中の橋脚を見ることもあった。そして通るたびに少しずつ新しいルートができつつあるのを見る。この辺りは自然災害で何度も道路が寸断される被害に遭っており、そのたびに沿道の人たちの生活に大きな影響が出ている。また、紀伊半島の沿岸部・内陸部の交流の促進や、奈良県南部の活性化もあり、道路を整備しているところだ。

ただ、それもまだまだ工事は道半ばである。十津川村内では昔からのカーブが連続する区間が続き、スピードが出ないため移動するクルマが列をなす。そして新しいトンネルや橋になると、こらえきれなくなった飛ばし屋が一気に車線をはみ出して追い越しをかける・・ということもしばしばある。中にはトンネルの中で追い越しをかけ、対向車が不意に現れて慌てて元の車線に戻るという輩もいて、見ていてヒヤッとする(奈良ナンバーではなかったので、よそから来たのだろう)。こんなところで無茶して事故が起きても、救急車はなかなか来ないぞ。

一般のクルマはこうした広い道も通れるが、路線バスはやはり停留所のある旧道を忠実に走っているのだろう。集落と集落を結ぶ役割もあるし、それだと現行の八木~新宮6時間半というのは変わらないのだろうな・・(ちなみにこの道中で新宮行き2本とすれ違った)。

さて、この日は昼食が欠食になるが、せめて温泉に浸かることにしよう。十津川温泉は通り過ぎてしまったので、村役場に近い温泉地(とうせんじ)温泉に立ち寄ることにする。この読みは、かつて薬師如来を祀る「東泉寺」という名前の寺があったことに由来するという。

立ち寄り湯の「泉湯」に入る。小ぢんまりとした湯だが、川を見下ろす露天風呂もあり、ちょうど家族連れが出た後だったので浴場を独占する。30分ほど、気持ちよい時間を送る。

先頭の横によろずやがあり、目の前には缶ビールも並んでいる。湯上りに・・・とはいかず、大阪まで我慢だ。

この後、巨大なダム湖を持つ風屋ダムの横を過ぎる。クルマを停めてダム湖をのぞくが、結構横の地肌も見えていて、貯水率という点から見ると「大丈夫かな?」と思った。ただこの辺りのダムとなると、下流の水がめというよりは発電に使われているし、また今後の大雨をにらんでわざと水位を低くしているのかもしれない。

この先には有名な谷瀬の吊橋がある。高いところが苦手で吊橋を渡るのは無理にしても、せめてその姿を見よう。ただ、国道からの標識を見落としてそのままトンネルに入ってしまう。まあ、わざわざ引き返すのも面倒だからそのまま進む。

大規模工事、離合がやっとの道、十津川もさまざまな動きがある。次に来る時にはどのような新しい表情を見せるだろうか。

十津川村を後にして五條市に入る。まだまだ山間の区間で厳しいカーブも連続する。

そんな中、前方に高架橋が見えてきた。幻の五新線の跡である。かつて、紀伊半島を縦断する形で五條から新宮を鉄道で結ぶ構想があり、その前段で五條から阪本まで先行開通させるとして工事が進められた。しかし、時代の移り変わりの中で国道168号線の整備も進み、工事は凍結、鉄道が走ることはなかった。その後、建設された区間はバス専用道としても活用されたが、その運行も取りやめとなった。

さらに時代は進み、現在は国道168号線も新たな道に生まれ変わりつつある。さすがに高速道路とまではいかないが、全通すれば十分なインフラになる・・ということか。

少しずつ周りが開けてきて、五條市の中心部に入る。その後は京奈和道から南阪和道に入り、順調に大阪府に戻る。レンタカーは18時までの契約だが、30分以上余裕を残して返却することができた。1泊2日、三重県の西国四十九薬師の札所、熊野灘の眺め、そして熊野三山とさまざまな歴史文化や景色を堪能することができた。

さて、予定より余裕を持ってレンタカーを返却できたので、新幹線の時間も変更する。帰りは「こだま」限定の「新幹線直前割」ではなく普通に指定席を買っていたが、18時06分発の「みずほ613号」に変更する。少しでも早く帰宅しようということで、新幹線の中でようやく缶ビールにありつく。

・・・さて、西国四十九薬師プラス熊野三山という大回りをした後の8月6日(広島原爆の日)。夕方にふとメールをチェックすると、このような文言のメールが入っていた。

「WEST EXPRESS銀河の旅 繰り上げ当選について」

この夏以降、京都から紀勢線に向けて運行される「WEST EXPRESS銀河」。5月だったか、その新宮行きの8月27日夜~28日朝運行分の申し込みをしていたのだが、相変わらずの高倍率で当たるわけもなく、いつの間にか当選者への通知日も過ぎていた。まあ、それも見越して8月29日に京セラドームでの野球観戦を予定し、その前日には西国四十九薬師めぐりのサイコロで大津を訪ねることにしていた。

それが、ここに来ての「繰り上げ当選」である。キャンセルが出たためと思うが、私にとっては昨年9月運行の出雲市行きに続いての「繰り上げ当選」。そんなことが2回もあるとは恐れ多い。一番シンプルなリクライニングシートで、宿泊先は新宮のビジネスホテル。それでもすごい倍率である。

・・・これ、熊野三山のご利益といってもいいだろう。ちょうど行き先が紀勢線の新宮である。そこから帰ってきてしばらくしてこうした通知だから、何かあるといってもいいのではないかな(前回の出雲市行きが中国観音霊場のお導きだったことも踏まえて・・)。

野球観戦のことも頭には浮かんだが、即決して旅行代金を決済した。いやこれは、行くべきでしょう・・・。

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