まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3回九州西国霊場めぐり~お得なチケットで九州へクルマでアクセス

2021年07月31日 | 九州西国霊場

6月から連続となる九州西国霊場めぐり。今回は第3回として、国東半島から別府方面を回るところとする。期間は7月22日からの4連休の前半である。東京五輪開催にともなう休日の移動があり、7月22日が海の日、開会式が行われる23日がスポーツの日となった。

今回の目的地は国東半島にある第5番の天念寺、第6番の両子寺。そして、別府に出て第7番の宝満寺に行き、できればその先、大分市に入った第8番の霊山寺までは訪ねてみたいところだ。

今回の札所の交通の便を見るに、国東半島の2ヶ所は公共交通機関の設定がない。また、別府の宝満寺は東別府駅から歩けそうだが、霊山寺はまたハイキングになりそうだ。これらを組み合わせると、今回も現地はクルマで回ることになる。昔の種田山頭火は徒歩で回ったかもしれないが、九州西国霊場はほぼ100%クルマで行くことを想定してか、交通案内もそのようになっている。

そのクルマだが、今回は現地でのレンタカーではなく、広島からマイカーを運転しようと思う。そのルートだが、徳山から周防灘フェリーで竹田津まで行き(前回、九州からの帰りにたどったルートだ)、国東半島を回って1日目は国東市内での宿泊。2日目は別府、大分まで進んで、久しぶりの国道長躯ドライブということで国道10号線~関門トンネル~国道2号線を通って広島に戻ることに。

フェリーは前回竹田津から乗った時はガラガラだったが、今回は連休の初日ということでそれなりに混雑するだろう。あらかじめ周防灘フェリーのサイトから車両航送の予約をしておいた。車両(4mまで)+旅客運賃+燃油サーチャージ合計で11250円。これだけ見れば結構値が張るように思うが、現地でレンタカーを利用することなく、また帰りは国道長躯で高速道路に乗らないことを考えれば、全体の交通費としては妥当なところか。

そんな中、「いこうよ。やまぐちキャンペーン」として、「プレミアムフェリー券」というのが7月15日から販売されるという情報があった。これは山口県への旅行キャンペーンの中での取り組みだが、竹田津からの周防灘フェリー、松山からの防予フェリーの利用客を対象に、額面4000円券を半額の2000円で販売するというものだ。中国・四国・九州のコンビニで販売され、上下便とも有効なので、こちらから九州や四国に向かう時も使える(ただし、お盆、年末年始は対象外)。

これには但し書きがあり、精算額が券面の4000円以下の場合や、精算額を上回る枚数は使えないとある。

つまり今回の場合、合計11250円に対して、4000円券は2枚まで使えるので、乗船窓口では4000円券2枚を出して、差額の3250円を払えば、実質7250円で乗船できるというわけだ。ただし、4000円券3枚(12000円相当)を出したからといって窓口での支払いを0円にすることはできない。

なお、徒歩での乗船の場合、1人だと運賃は3050円だが、4000円券を窓口に出して乗ることはできない。しかし、これが2人だと運賃合計が6100円で、4000円券1枚と差額の2100円(実質、2人で4100円)で乗船できる。

つまり、一人で徒歩乗船する以外はチケット1枚あたり2000円安く利用することができるので、メリットはある。クルマ利用、または徒歩でも複数で利用の方は、ぜひ。

今回、事前にコンビニで4000円券を2枚購入しており、7月22日の徳山発7時20分発の便に乗ることにする。

車両での乗船ということで、早い目に行ったほうがいいだろう。6時半頃に着けばいいかということで、自宅から徳山港までは高速利用で1時間半ほどを見込んで、朝5時に出発。天候は申し分ないが、また暑さの中での道中となりそうだ。

玖珂パーキングエリアに立ち寄る。長距離トラックや他県のクルマで駐車スペースがあふれるほどだ。連休を前に車中泊という人も多いようだ。

順調に走り、徳山東インター下車で6時半前にフェリー乗り場に着く。すでに結構な数のクルマが乗船を待っている。誘導係に予約番号を告げると待機列に誘導されたが、もし予約を入れていなかったら最悪次の便で・・となったかもしれない。

窓口に向かい、プレミアムフェリー券2枚と差額金額を支払う。間もなく乗船開始とのことで、車内で待機する。船のため、甲板にクルマを積む場合もバランスを見なければならないためか、並んでいる順番に乗船するわけではない。私の前にいたクルマは乗船していったが、私のところではいったんストップがかかり、別の列のクルマを先に行かせたりする。まあ、積み残しにはならないだろうが。

結構待った後に甲板に入る。これで真ん中より少し前くらいか。それでも、このペースだと出航は少し遅れそうだ。まあ、このままクルマに乗って行くので大きな影響はないが。ともかく、客室に向かおう。

やはり6月に乗船した時よりも乗船客も多く、前方の椅子席も結構埋まっている。そんな中、桟敷席に空きスペースがあったので、まずはそこに横たわって場所を確保。それぞれの桟敷もグループや相席で面積の半分ほどが埋まるが、それでも皆が横になれるくらいのスペースはある。冷房も効いているし、2時間の移動も快適だろう。

7時20分の定刻より10分あまり遅れての出航。さてこれから九州の地を目指す・・・。

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第2回中国四十九薬師めぐり~備中高梁城下町(城は出てきませんが・・)

2021年07月30日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師の薬師院の参詣を終え、少しだけ備中高梁の町歩きとする。備中松山城まで上るのは取り止め、どこかで見学というのもいいかなと思う。武家屋敷、商家の通りを一回りして帰宅することにしよう。

備中松山城が築かれたのは鎌倉時代、秋庭氏の手による。当初から高梁川を前にした天然の要害だったことだろう。戦国時代には三村氏、毛利氏らがこの城をめぐって争い、毛利氏の手中となった。その後、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると、備中高梁は幕府の直轄となり、小堀正次を代官として置いた。その正次の子が、さまざまな庭を作ったことでも知られる小堀遠州である。

現在の城下町の元は小堀遠州が築いたといってもいいだろう。その中心と言えるのが頼久寺で、こちらも城かと思うくらいの石垣を有している。今回は省略したが、枯山水の庭園も小堀遠州の代表作の一つとして知られている。

伯備線の線路に沿って歩くと、石火矢町の通りに出る。小堀遠州が整備した城下町を受け継いだのが新たに設けられた備中松山藩の藩主池田氏、水谷氏である。資料館として開放している屋敷もあれば、現在も地元の方が住んでいる屋敷もある。この一帯も「男はつらいよ」のロケ地になったところで、寅さんのポスターも貼られている。

前の記事から「男はつらいよ」に触れているが、正直、このシリーズ映画をじっくり観たわけではない。ただ、シリーズを通して日本のさまざまな原風景、懐かしいと言える人々が登場し、それも多くのファンに親しまれる理由の一つというのは確かである。全国のロケ地を紹介するガイドブックや、実際に全国を訪ねた人の旅行記、ブログなどもさまざま出ている。

その後、水谷氏に跡取りがなかったために改易、その際に幕府から備中松山城の受け渡しを命じられたのが赤穂藩で、実際に出向いたのは家老の大石良雄、そう、忠臣蔵の大石内蔵助である。

武家屋敷から一段下った通りにあるのが商家群。高梁川の水運を利用した高瀬舟で栄えた家も多い。高瀬舟は伯備線が開業する昭和の初めまで現役で活躍していたそうだ。

そのうちの一つ、池上邸が商家資料館、無料休憩所として開放されている。江戸中期に小間物屋を始め、後に高瀬舟の水運や醤油製造などで財を成した商家である。

こうした町屋がしばらく続く。

このあたりをぐるりと回り、備中高梁駅に戻る。昼食がまだだが、早くもここで折り返しとして、駅前のコンビニで飲食物を仕入れて、13時02分発の特急「やくも14号」に乗る。381系の4両編成で、座席もそこそこ埋まっている。この特急車両に乗ることができるのもあと何年だろうか。

倉敷で下車して、そのまま山陽線に乗る。すると外は雨が落ちて来た。スマホで雨雲の動きを見ると、備中高梁にも雨雲がかかっていた。備中松山城まで行っていたら雨に遭っていたことだろう。

この日(18日)は呉線の三原~竹原間が8日の大雨の影響で運休、代行バスが運行していた(21日から全線運転再開)。

糸崎からそのまま乗り続け、西広島に到着。自宅には17時前に着いた。この日は大相撲名古屋場所の千秋楽で、結びの白鵬対照ノ富士の全勝対決に何とか間に合いそうだ・・・。

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またまたまたまた大阪に緊急事態宣言・・

2021年07月29日 | ブログ

せっかく8月観戦しようと思ったのに、これでまた京セラドーム大阪が無観客試合になるやんけ。

ええ加減にせえやボケ!!!

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第2回中国四十九薬師めぐり~第2番「薬師院」(寅さんゆかりの寺)

2021年07月29日 | 中国四十九薬師

7月18日、井原鉄道から伯備線を乗り継いで備中高梁に到着。伯備線の主要駅である。もっとも、下車した時は改札口に係員はいなかった。近距離客はICOCA対応の自動改札機、指定席を買うならみどりの券売機プラスで対応である。

駅そのものは橋上駅舎で、駅ビルのように建つのは高梁市立図書館。2017年に開業したが、図書館、蔦屋書店、スターバックス、観光案内所が同居している。この手の図書館が近年少しずつ増えており、以前には徳山駅に併設された周南市立徳山駅前図書館にも入ったことがある。地元の人、そして観光で訪れた人も入りやすく、町の情報も得ることができる。

地上に出ると目立つのが、山田方谷関連の石像や石碑。山田方谷は高梁の生まれで、陽明学を学び、後に備中松山藩に仕えて藩の財政改革を行った。門人の中には、後に長岡藩家老として戊辰戦争でも奮戦した河井継之助もいる。

さて、薬師院に行こう。自由通路の反対側に出るとロータリーがあり、その向こうに石垣を備えた寺院が見える。手前が松連寺、奥が薬師院である。ここまで駅前寺院なら、鉄道旅行を兼ねて来ていいところだ。観光ガイドなどでは駅から徒歩10~15分とあったが、駅舎が新しくなり、自由通路ができたことで近くなった。

薬師院に向かう。案内板と合わせて、「男はつらいよロケ地」の石碑が建つ。映画「男はつらいよ」の48作のうちで、備中高梁は全国で唯一2度にわたってロケ地として登場したところという。山田洋次監督たちも全国をロケハンした中で、この備中高梁に風情を感じたのだろう。

映画では、寅さんの義弟・博の出身が備中高梁という設定で、一度目は博の父親が登場する。そして二度目では博の父親が亡くなって三回忌で、墓が「蓮台寺」にあるという設定。この「蓮台寺」のロケ地になったのが薬師院である。劇中では寅さんが坊さんになる場面もあったとか。

石段を上がる。振り返ると備中高梁の駅前から町並みを見渡すことができる。境内にも「男はつらいよロケ地」の石碑、看板があるし、さまざまに意匠をこらした椅子もある。

薬師院を開いたのは、西国三十三所めぐりでもおなじみの花山法皇という。花山法皇は出家後の諸国を修行して回ったというが、こういうところにも訪ねていたのか。

寺が現在地に建てられたのは江戸時代のこと。備中高梁の城下町の整備と合わせて、20年あまりかけて石垣が築かれた。ここまで来ると築城と同じようなものだろう。その後焼失した建物もあるが、本堂や仁王門は江戸時代からのものだという。こちらでお勤めとする。

背後の山をめぐる西国三十三所の写し霊場もあるが、暑いし、そこまではいいか。ちょうど境内に1番と33番があるので、キセルのようだがここで結願ということにする。

隣の本坊に納経所がある。玄関を開けると対応していただく。上り口には寅さんのポスターが飾られ、ロケ当時のアルバムも見ることができる。

今回、無事に一発で?朱印をいただくことができてよかった。

さてこれからだが、備中高梁の城下町を少し回ることにしよう。本来なら町のシンボルである備中松山城まで上るところだが、まあ、この暑さだし、その一方で天気の急変も言われているし・・・。

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第2回中国四十九薬師めぐり~井原鉄道経由で備中へ

2021年07月27日 | 中国四十九薬師

備中高梁を目指す中国四十九薬師めぐり。早朝の山陽線に乗って東に進み、福山で下車。ここから福塩線に乗り換える。次は8時44分発の府中行きである。

備中高梁に行くのなら、山陽線でそのまま倉敷まで行き、伯備線の列車に乗り継げば10時13分に到着する。そこを福山で下車して福塩線に乗り継ぐのは、神辺から井原鉄道に乗るためである。これだと備中高梁着は約1時間後の11時09分だが、先を急ぐわけではないので旅程に変化をつけてみる。

今や中国地方に残るだけとなった105系の2両編成に揺られ、神辺着。次の井原鉄道の列車は9時26分発で時間があるので、乗り換え改札ではなくいったん駅の外に出てから乗り換える。神辺から先の井原鉄道の沿線にも西国四十九薬師めぐりの札所があり、またいずれこの鉄道で訪ねることもあるだろう。

折り返しとなる総社行きが到着。今回、井原鉄道のスーパーホリデーパスを使う。1枚1000円だが、神辺~総社の片道運賃が1120円だから乗り通すだけでもお得である。この日はそのまま乗り通すが、どこかで途中下車するならより一層お得だ。

1本後の福塩線の列車から乗り継ぐ客もいて、ボックス席も1つあたり1人という乗車で発車する。まずは高架区間を走って行く。2駅目の御領を過ぎると岡山県に入るが、いつの間にか県境を越えるという感じである。同じ県内でも安芸~備後は国跨ぎの様子だが、備後~備中はそれほどでもない。同じ吉備の国の流れを汲むからだろう。

会社名にもなっている井原でそこそこの乗客があり、ボックス席も賑やかになる。

早雲の里荏原に着く。早雲とは北条早雲のことで、一介の素浪人から戦国大名にのしあがった、下克上の時代を象徴する人物である。長くその出自はわからなかったが、近年の研究で、幕府の執事を務めていた伊勢氏のうち備中に移った一族がこの荏原に領地を有しており、そこから出たのが後の北条早雲だという説が有力になっている。

もっとも、早雲自身は実際に浪人生活も送っていたようだが、身内の結婚で駿河の今川氏と結びつき、これを足掛かりに伊豆、相模に進出して小田原城も手に入れた。これが後北条氏、小田原北条氏の始まりで、以後5代に渡って関東で大きな勢力を占める。現在、小田原あたりでは後北条氏を大河ドラマにとのPR活動を行っているそうだが、こちら井原も早雲の出身地として一口乗っているようだ。

その早雲の里荏原の駅東側に車庫があり、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」のラッピング車両が停まっているのを見る。ドラマ自体は観ていないのだが、今回のテーマは渋沢栄一。それが井原鉄道に出るのはどういうことだろうか。さすがに、渋沢栄一はこの辺りの出身ではないが・・。

矢掛で下車する人も目立つ。観光地の玄関口であるし、毎月第3日曜に行われる「井原線DE得得市」の当日ということもあるだろう。

そんな中、吉備真備駅が近づく。3年前の西日本豪雨で大きな被害があった真備町で、隣の川辺宿駅までの区間、その様子を見て歩いたこともある。3年も経てば新たな道路や防災施設もできていたり、建て替えられた家もあって元の姿を取り戻したようにも見える。ただ、ところどころでは(不自然に)更地ができているし、今なお仮設住宅に身を寄せている方も県全体で600人以上いるそうだ。完全な復興はもう少し先というところだろう。

この西日本豪雨の最中に「赤坂自民亭」とかいってバカ騒ぎしてエラそーに写真を投稿していたのが、あの西村康稔である。こいつが現在新型コロナ対策担当大臣になって上から目線の指示を出すのを見るにつけ、豪雨のことを思って余計にムカつくのである。最近は五輪の影に隠れて一休みしているようだが・・・。

・・さて、それはさておき、高梁川を渡り清音に到着。倉敷・岡山方面の客は乗り換えということでほとんどの客が下車する。スーパーホリデーパスがあるし、この先備中高梁までの列車は同じなので、そのまま乗って行く。10時29分、終点総社着。

総社駅の改札にも「青天を衝け」と渋沢栄一のポスターが掲示されている。渋沢栄一は農兵募集のために井原を訪ねたことがあり、地元の剣術家や漢学者らと交流を深めたとある。その漢学者の一人だった阪谷朗廬が初代館長を務めたのが、現在は駅伝の強豪で知られる興譲館である。

総社からは10時44分発の新見行きに乗り継ぐ。2扉車の213系である。外は暑いが、ほどよく冷房が効いたクロスシート車に揺られて高梁川沿いにさかのぼる。備中高梁までといわず、この先も乗って行ってもいいくらいだ。

11時09分、備中高梁着。何度となく通っているが、駅に降り立つのもずいぶん久しぶりのことである。ともかくまずは中国薬師第2番の薬師院を目指すことに・・・。

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第2回中国四十九薬師めぐり~第1番の朱印が無事に届き、ようやく第2番へ

2021年07月26日 | 中国四十九薬師

今年の5月、中国観音霊場の結願の余勢を駆る形で、札所をキーワードに中国地方をまたぐるりと回ろうと始めた中国四十九薬師めぐり。第1番の大村寺は吉備中央町にあり、岡山自動車道の賀陽インターから近いところにあり、中国観音霊場を結願した鳥取からの帰りに立ち寄り、新たな札所めぐりとして始めたところ。

寺じたいは歴史あるところで、造園家の重森三玲の作品などもありなかなか趣があったが、寺の方が不在で朱印をいただくことができなかった(中国四十九薬師では書き置き・バインダー方式を採用している)。住所氏名を書き、朱印代と送料を箱に入れると後日郵送する旨の断り書きがあった。その通りにしたが何日経っても朱印が届かない、どうしたものか・・というところまで、前回の中国四十九薬師めぐりの記事で書いたと思う。

結局どうしたか。ひょっとしたら受付されていないのではと思い、改めて朱印代と送料を現金書留で郵送した。これならば間違いなく寺の方に届くはずだ。すると何日かして大村寺から電話があり、二重で代金を受け取った、遅くなって申し訳ないとの連絡をいただいた。代金が二重になったぶんはお賽銭として納める(返金は求めない)ことを申し出る。

それから数日、6月下旬に大村寺からの封筒が届いた。中には綴じ込み式の朱印とともに薬師如来のお札が入っていた。このお札は郵送の皆さんにつけているのか、あるいは改めてお代を納めたからつけてくれたのかはわからないが、かえって恐縮する。ともかくこれでもう一度大村寺に足を運ぶことなく、第2番に向かうことができる。

さて、中国四十九薬師の第2番は薬師院。備中高梁駅の近くにある。この後第3番、第4番と美作地方が続くが、それはまた次に訪ねるとして、今回はこの薬師院を目的地とする(もし大村寺の朱印が片付かなかったら、備中高梁駅からバスに乗って行くことも想定していたが・・)。

中国四十九薬師の各札所も公共交通機関では難所であるところが多く、今後マイカー、レンタカーの世話になることが続くが、薬師院は列車で行くことにしよう。日程は7月18日とする。ちょうど、大相撲名古屋場所の千秋楽の日だ。

広島から安く行くとしても、青春18きっぷの有効期限前である。ならば日程を後にすればよいのだが、そこは他の予定との兼ね合いで・・。その代わりということで今回選んだのは「ひろしま1デイきっぷ」。土日祝日、広島県内のJR在来線が1日乗り放題で2200円。目的地は岡山県だが、境界となる駅からの差額を払えばOKで、それでも安くつくだろう。

そして、JRの路線図を見るうちに、広島県から岡山県への移動が別払いなのなら、いっそ福塩線の神辺から井原鉄道に乗るのはどうだろうか。井原鉄道の岡山県側といえば、3年前の西日本豪雨で大きな被害を受けた倉敷市の真備町も通る。途中下車するかはともかく、せめて列車に乗りながら復興の様子を見るのもいいだろう。

・・ということで、JR西広島から早朝の列車に乗り込み、糸崎に到着。7月8日の豪雨で構内の線路が冠水したのも記憶に新しい。

糸崎から瀬戸行きに乗り継ぎ、福山で下車。ここから福塩線、井原鉄道と乗り継いで備中を目指す・・・。

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第1回新型コロナワクチン接種

2021年07月25日 | ブログ

7月25日、1回目のコロナワクチンの接種を行った。

広島市では64歳以下の人は7月31日に接種予約の受付が始まるが、私は「基礎疾患のある方」に当てはまるため、優先予約の対象である。本来ならかかりつけ医で通院のついでで接種できればいいのだが、残念ながら取り扱っていない。

勤務先ではワクチン接種を理由とした年休取得を認めているが、やはり平日に職場を抜けるのは・・ということで土日で集団接種会場の空きをネットで探したところ、他の予定との兼ね合いでこの日となった。

向かったのは広島駅すぐのところにある広島コンベンションホール。広島駅新幹線口周辺も以前の広島勤務時からすっかり姿を変えていて、このホールも2018年に開業したとある。現在は広島テレビ(日本テレビ系列)もここに移っている。

接種はほんと流れ作業で進み、係の人もこれでもかというくらい配置されている。市の職員か、アルバイトかボランティアか。

基礎疾患については予診票の質問事項に内容を記載し、医師の問診時に口頭で確認するのみ。別に診断書その他を持参する必要はない。

接種後、ホールで15分待機。

で、巷間いろいろ言われている副反応だが、当日夜の時点で、接種した左腕が上がらない状況。そして接種部分のあたりに熱を持った感じかな。もっとも、左指は普通に動くし、全身がしんどいとか熱っぽいというのはないので、連休明けの業務には支障がない(と思う)。

接種したのがファイザー社製ということで、2回目は本来ならちょうど3週間後の同じ曜日に接種となるが、私の都合で数日ずらして予約した。これで一安心というわけではないが、少し前に進んだのかなという気持ちである・・・。

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西国三十三所めぐり3巡目~乗り継ぎにて帰広

2021年07月25日 | 西国三十三所

西国33番の華厳寺の参詣、満願そばの昼食を終えて谷汲山のバス停に戻る。12時12分の谷汲口行きまで少し時間があるので、近くにある旧谷汲駅に向かう。

名鉄の谷汲線が廃止されたのはちょうど20年前、2001年のこと。駅舎は現在も谷汲昆虫館として使われており、ホーム、車両もそのまま保存されている。こういうガタゴト電車というのも全国的にほぼなくなりつつあるのではないかと思う。

谷汲口駅行きのバスは、往路に乗ったのと同じ揖斐タクシーが運行する車両。乗客は私だけで、本来なら途中の停留所もあるのだが放送も流れずそのまま駅に直通する。送迎バスにでも乗ったような感じで駅に到着。

次に乗るのは12時25分発の大垣行き。しばらく待合室にいると、このような貼り紙を見つけた。谷汲山行きのバスの案内だが、土休日ダイヤでは1日4往復の運行のところ(前日の7月10日までは谷汲農協前まで延長運転していた模様)、平日は「揖斐川町はなももバス」という予約制の乗合バスでの運行というものだった。さすがに土日は観光客の便を図ったようだが、平日となると果たして地元の人ですらどの程度利用するのやらというところなのかな。バスは当日の1時間前まで電話予約ができるとあるが、平日にふらりと華厳寺を訪ねようという客は要注意だ(同じ貼り紙は車内にもあった)。

大垣行きが到着。車内はオールロングシートだが、冷房も効いていて快適である。谷汲口を出た時は私を含めて乗客は3人だけだったが、本巣、モレラ岐阜など駅ごとで乗車があり、立ち客も出るほどになった。

大垣ではすぐの接続で米原行きの列車が出るが、コインロッカーに荷物を預けているし、汗をかいたので着替えもしたい。米原行きを1列車遅らせたが、それでも当初の予定より早く進んでいる。

駅ビルをちょっとのぞくと、手羽先の「世界の山ちゃん」がテナントで入っている。この店はランチ営業もやっていて、ということは当然昼飲みもやっていて、テーブルにジョッキが乗っているのも見える。思わず唾をごくりとしたが、ここは見送りとする(実は「世界の山ちゃん」は広島にも支店があるそうで、頃合いを見て行ってみたいものだ)。

13時42分発の大垣始発米原行きに乗る。往路は夜行バス~近鉄特急~名鉄に乗り、復路はJR東海道線~新幹線というルート。今回もある意味「循環旅行」と相成った。

関ヶ原の合戦場や伊吹山の景色を楽しみ、米原に到着。

普段の感覚ならすぐに接続の新快速に乗るところだが、今回は広島になるべく早く帰るということで、米原から新幹線に乗る。その新幹線も当初、米原15時10分発の「こだま723号」に乗る予定だったが、1本早い14時53分発の「ひかり643号」に変更。

米原から新幹線に乗ることはこれまでにあったかな?というくらいかえって新鮮である。ホームで待つうち、通過する「のぞみ」の速さに改めて感心したり。

米原から近江平野に入り、右手に繖山を見る。西国32番の観音正寺の幟がちらりと見える。

新大阪に到着。次は「のぞみ」に乗り換えればいいのだが、少し時間を空けて16時06分発の「みずほ609号」に乗る。これも後続の「さくら565号」から変更したのだが、やはり「のぞみ」よりゆったり快適なシートを選びたい。

ホームの窓から、ダイキンエアコンの広告にある温度計をのぞく。新大阪駅に来るといつもこの温度計をチェックするのだが、この時間で34℃を示している。これはたまらん。

直前に変更したにも関わらず窓側、隣席なしという席が取れて、これから広島に戻るまでの時間で少し早いが一献とする。「みずほ」は途中新神戸と岡山にしか停まらないので、あまりグズグズとはしていられないが。緊急事態宣言の解除で新幹線改札内の売店でもアルコールの販売が復活しており、ホッとする。

アテの中で今回よかったのは、「ささ燻」というもの。若狭名産のささ漬を燻製風にアレンジしたもの。白ワインにも合う一品だ。

乗り過ごすと小倉まで行ってしまうのでそこは気をつけながら車内での時間を過ごし、17時33分、広島に到着。大相撲中継には間に合わないがサザエさんは観られるくらいに帰宅できる時間である。このくらいだと、翌日にも疲れが残らずに済む。

さてこれで西国3巡目も残り5ヶ所、これが満願となるといよいよ「中先達」への昇補となる。西国めぐりも一つの区切りを迎えることに・・・。

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第33番「華厳寺」~西国三十三所めぐり3巡目・28(まだ満願ではないですが・・)

2021年07月24日 | 西国三十三所

大垣から養老鉄道、揖斐川町コミュニティバスを乗り継いで谷汲山に到着。帰りは逆に樽見鉄道の谷汲口に抜けることにしてバスの時間を確認し、ムワッとした暑さの中、山門までの参道を歩く。

さまざまな巡拝用品や、納経軸の軸装を扱う店も並ぶ。満願となった帰りに店に預け、完成したら送ってくれる仕組みだ。私も1巡目の途中から親に納経軸を託され、その他寺院ということで信濃の善光寺と高野山金剛峯寺の朱印を集め、親が心当たりある表装店に出して仕上げてもらった。もっとも、その後軸を広げたのは一度だけで、今も実家の押し入れに眠っているはずだ。

その代わり、3巡目では「西国観音曼荼羅」ということで、八角形の札に記された太字と朱印を集めている。この用紙と、33枚の札を貼りつける台紙は西国先達の特典でいただいたが、全部集まった時には額に入れようと思う。もっとも、額の大きさは80cm×77cmと結構大きい。新幹線で持ち帰るにはじゃまだろう。別送とかしてくれるのかな。

山門に到着。境内にはちらほらと参詣者の姿も見える。参道の木陰に入ると多少は暑さもましになる。両側に「南無十一面観世音菩薩」の大きな幟を見ると華厳寺に来たという感じがする。

本堂に入る。立ち止まるとかえって汗が噴き出て、ここで少し休んでからお勤めとする。

満願の寺ということで、満願記念の額などがさまざま奉納されている中、本堂の外側に大相撲の番付を見つける。こういうのがあったとは初めて気づいた。昭和37年4月の彦根場所とあり、横綱は大鵬、若乃花(初代)、柏戸の3人である。ちなみにこの巡業の前後では、春場所で大鵬との優勝決定戦に敗れたものの、関脇の佐田の山が場所後に大関昇進を決定、そして、夏場所前に若乃花が引退している。栃若時代から柏鵬時代へと移り変わる頃に当たる。前日に大相撲を観戦したこともあり、ついこうしたものに目が行ってしまう。

本堂の裏に回り、身代わり地蔵にお参りする。水で濡らしたお札を地蔵像の、自分の体でよくなりたい部位に貼りつけるのだが、もう私なんか貼りたいところだらけである。

笈摺堂、満願堂と回る。お堂の順番で行けば満願堂が西国三十三所の本当の最後かなと思うが、正式には本堂(現世)の次に満願堂(過去世)と回り、最後に笈摺堂(未来世)の順番だという。まあ、ちょっと考えれば、本堂にお参りして、満願堂で満願を報告し、最後に笈摺を脱いで奉納する・・ということでわかることだが。

華厳寺の納経帳はこの3つのお堂が1セットで、並び順も本堂(大悲殿)、満願堂、笈摺堂となっている。

お参り後は、本堂の柱に打ち付けられた精進落としの鯉に触れる。本来ならば満願した巡礼者がこの鯉に触れて、精進生活から解放され、満願の祝いとして酒、肉、魚を口にすることができる・・・のだが、もう私なんか最初から関係ないところだ。

いや、西国三十三所の1巡目の満願を華厳寺で迎えた時は、やはり一つの感慨があったのだが、2巡目は札所順関係なく、華厳寺も途中でたまたまタイミングが合ったので先にお参りしており、「ここで満願」ということはなかった。そして、西国四十九薬師めぐりとも組み合わせて回っている3巡目も、華厳寺を最後にすればよいものの、名古屋に相撲を観に行くそのついでに行ってしまおう(そう、広島から何度も足を運ぶのもしんどいので)ということで、28番目と後半だが満願前にお参りとなった。

まあ、そこは自分のペースで。別に西国先達会も固いことは言わないだろう。

これで西国三十三所の3巡目で残るのは第1番青岸渡寺、第10番三室戸寺、第11番醍醐寺、第14番三井寺、そして第22番総持寺の5つ。いずれも西国四十九薬師めぐりと絡めており、どこで満願になるかはサイコロ次第である・・。

バスまで時間があるので、ここで昼食とする。入ったのは山門のすぐ脇にある富岡屋。明治以来の老舗で、建物も昔ながらのもの。エアコンはないが、よほど私が暑がっているように見えるのか、店のおばちゃんが扇風機を全開にして風を送ってくれる。

そんな暑い中だが、いただくのは温かい「満願そば」。メニューの中では、精進落としで、夏場のスタミナ補給ならウナギにも目が行くのだが、ちょっとお値段が・・。

「満願そば」は、そばの上にニジマスの甘露煮やシイタケ、タケノコがトッピングされた一品。五木寛之「百寺巡礼」の中でも紹介され、店のほうもPRのネタにしている。これはつゆも全部飲み干すのがポイントで、丼の底には「満願成就」の文字が現れる。

私の3巡目はまだ満願になっていないが、この先も巡拝を続けていこう・・・。

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西国三十三所めぐり3巡目~一宮から揖斐川町へ

2021年07月22日 | 西国三十三所

7月10日、大相撲の観戦後、地下鉄で名古屋駅に戻る。これから、この日の宿泊地へ移動である。

翌日は大垣から養老鉄道で揖斐、もしくは樽見鉄道で谷汲口まで移動して華厳寺に向かう。これに合わせて宿泊を名古屋駅近辺、あるいは大垣駅近辺のどちらにしようかと考えていたが、この時点で名古屋市はまだまん延防止等重点措置地域だったし、大垣まで行くとちょっと遅いかなというところ。また、名古屋、大垣は過去にも宿泊したことがある。

そこで出たのが、途中の一宮。なかなか愛知県内に宿泊する機会もないし、名古屋からもほど近い。札所めぐりと合わせて、初めての宿泊地も増やしたいところだ。

一宮はJR、名鉄が接しているが、これもせっかくなので名鉄に乗って行こう。ちょうど岐阜行きの特急が出発するところで、そろそろ外が暗くなる中、濃尾平野を快走する。

19時前、名鉄一宮に到着。コンコース、駅前には七夕飾りが見られる。毎年7月、一宮では大規模な七夕祭りが開かれていて、多くの人を集めるそうだ。ただ今年はコロナの影響でパレードや歩行者天国などのイベントは取り止めとのことで、せめて飾り付けだけでもというところのようだ。

今回宿泊するのは、名鉄側、駅西側のABホテル。一宮はもっと賑やかなところなのかなと思ったが、商店街や飲食店は反対側のJR、駅東側に集まっているようだ。

これで旅装を解き、まずは大浴場に向かう。日本各地の名湯を本物のように再現したのがABホテルチェーンの売りの一つのようで、この日は「嬉野の湯」とあった。

一宮の街中に出てもよかったのだが、今回は夕食の弁当付きのプランを選んだ。名古屋場所からどのくらいの時間で移動するか読めなかったし、外での一献はいいかと部屋でゆっくりするつもりだった。他のプラントの差額が500円程度だったので、弁当といってもそれなりのものかなと思い、駅構内のコンビニでアルコールの他に何品かつまみを買って持ち込む。

フロントで渡された弁当がこちら。地元の仕出し弁当店の手によるもので、和風のおかずが多い。これはこれでヘルシーではないかと思う。コンビニで買ったものと合わせて、しかるべく食べ、しかるべく飲んで良い心持である。

この後はパソコンにてブログ記事の更新を行う。テレビ?NHKのスポーツニュースだけは見たかなあ・・。

翌11日、レストランの開店に合わせて朝食を取り、しばらく部屋でゆっくりした後に出発。とりあえず大垣に向かうことにして、JR乗り場に向かう。やって来た快速の大垣行き。車内ではハイキング姿の人が目立つ。その人たちは岐阜で一斉に下車したが、岐阜近郊なのか、高山線に乗り換えるのか。

大垣に着いた。大きな荷物をコインロッカーに預けるため、いったん改札を出る。谷汲山華厳寺に向かうには、9時11分発の樽見鉄道で谷汲口に行くか、9時28分発の養老鉄道で揖斐に行くか。えらいゆったりしたプランだが、それぞれの駅からのバスもゆったりした時間にしか出ないので・・。時間的には樽見鉄道の発車に間に合うかなと思ったが、今回は養老鉄道から行くことにする。

養老鉄道の大垣は行き止まり式のホームで、桑名方面、揖斐方面それぞれの列車を分ける構造。ちょうど桑名行きの列車が発車するところだったが、初めて目にするステンレス車両である。元東急の車両で、2018年から順次譲渡されたものだという。今は分離されたとはいえ、元々近鉄の路線だったところに元東急の車両が走るというのも複雑なところだ。

これから折り返しで乗るのは、かつての近鉄のマルーン一色の車両。やはりこちらのほうが似合っているように思う。

乗客もほとんどいない中、大垣の近郊を走り、終点の揖斐に到着。

揖斐駅前から出る、揖斐川町コミュニティバスに乗り換える。揖斐駅発の便は1日2本で、これから乗るのは始発の10時発。駅前にはマイクロバスが停まっている。以前に谷汲山から揖斐駅まで利用した時は名阪近鉄バスの普通の路線バスの車両だったと思うが、車両も小型に、そして運行会社も揖斐タクシーとなっている。やはり利用客が少ないのか、数年前と比べても運行を縮小しているようだ。

バスは揖斐川を渡り、ショッピングセンターや町役場などを回り、次第に山深くなってくる。

谷汲山に到着。これから参道を歩いて華厳寺に向かうが、さすがに7月半ばとなると歩くのが暑い・・・。

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西国三十三所めぐり3巡目~もう何が目的なのやら、名古屋経由で谷汲山を目指す

2021年07月21日 | 西国三十三所

7月の大相撲名古屋場所は横綱白鵬が6場所連続休場明けからの復活で45回目の優勝、それも全勝優勝という結果になった。そして綱取りを目指す照ノ富士も、千秋楽で白鵬との全勝対決には敗れたものの、14勝1敗の好成績で、先場所、先々場所の優勝と合わせて場所後の横綱昇進を決めた。

白鵬の取り口への賛否両論はあるが、千秋楽の両者の一番はお互いの意地がぶつかる激しい相撲で、実に見ごたえがあった。千秋楽当日は朝から出かけていたのだが(それはまた書くことに)、早めに切り上げて帰宅して、その時をテレビ桟敷で観ることができてよかった。

さて、その名古屋場所だが中盤、7日目の観戦にわざわざ出かけた。観戦記は以前の記事にしたのでさておき、ここからはこれに絡めての話である。

7日目の7月10日は名古屋で相撲観戦して1泊、翌11日は西国三十三所第33番・華厳寺に向かうということで、西国三十三所めぐりと大相撲名古屋場所を絡めるぜいたくなお出かけだ。もっとも、華厳寺に行った後はそのままそそくさと早い時間の新幹線で広島に戻るつもりである。

その名古屋場所の開場は13時。館内飲食禁止のため事前に昼食をすませるとしても、午前中には名古屋に着いておきたい。広島から新幹線で行けば済むことだが、ここでふと、大阪から名古屋まで近鉄特急に乗ろうという気になった。デビューから1年が過ぎ、現在名阪特急「アーバンライナー」全列車で運行となった「ひのとり」である。到着から逆算して、大阪難波9時発がちょうどいいかな。そしてどうせ乗るならプレミアムシートだ。「ひのとり」はデビュー当時の3月、プレミアムシート、レギュラーシートの両方に乗ったが、あの快適な乗り心地をまた味わいたい。

近鉄特急券の発売日だが、従来は1ヶ月前からだったのが、コロナ対策で2週間前からに変更されている。感染状況次第で列車本数が変更される場合があるための措置である。その発売日にネットから申し込んだのだが、それでもプレミアムシートはほぼ満席だった。かろうじて、名古屋寄り先頭車の1人用シートを押さえる。

さて、大阪難波9時発となると、広島からの「こだま」では間に合わず、「新幹線直前割きっぷ」も使えない。「のぞみ」で行こうかとも思ったが、ここは2週間前と同様、9日夜発の夜行バスで出かけることにする。こちらは直前の照会でも席に余裕があり、無事に確保する。

これには価格面以外の理由もある。この直前、7月7日~8日にかけて中国地方にも豪雨の被害があり、広島県内のJRが8日~9日にかけて福山周辺を除いて全線で運転を見合わせた。自宅周辺も、広電は通常運転だったがJR山陽線はまる2日運休した。10日の始発から運転再開とあったが、上記のように「のぞみ」に乗るとしても、点検や何やらで山陽線の運転再開が遅れれば間に合わない恐れもある。

ならば9日夜からバスで出てしまおう。ということで、結局広電でガタコトと広島駅まで直接やって来た。

JRのコンコースに上がると、この日も全線運休だったことで改札口もロックされていた。なかなかお目にかかれない光景である。

さて、広島駅23時15分発の「グランドリーム大阪2号」に乗る。名古屋に行くことだけが目的ならば名古屋行きの夜行バスもあるのだが、予約サイトでは4列シートとある。夜行便だとちょっと抵抗があるのだが、いずれこのバスに乗る機会があるかもしれない。

今回、前方の席は埋まっていたので最後尾の座席を選ぶ。とりあえず前と横は空席のままなので、ある程度周りを気にせず移動することができそうだ。

広島バスセンター、不動院前、中筋駅と停まる。山陽自動車道に乗り、いったん消灯される。この後、深夜1時前に八幡パーキングエリアでドア開放の休憩があるのだが、そのまま気づかずに過ぎたようである。実際には休憩したのだろうが、最後尾なので前面の様子がほとんどわからず、それで気づかなかったようだ。まあ、これは夜行バスの後部座席の特徴だろう。ただ、エンジン音は響く。気になる人は気になるだろう。

やはり目覚めたのは、兵庫県に入った白鳥パーキングエリア。前と横の客がいないのでちょっと楽な体勢を取らせてもらう。これで多少はぐっすり眠れるだろう。

案内放送が入り、大阪駅に到着。次の湊町バスターミナルで下車。定刻の6時23分より若干早く着いた。

次に乗る近鉄特急は9時発。2週間前の8時発の南海特急より時間はある。そこでその時と同様、「グランドサウナ心斎橋」に向かう。夜行バスを選んだのは、この朝風呂を楽しみたいというところもあった。朝から汗を落とし、今回は休憩室でしばらく横になることもできた。朝のニュース番組では、九州南部の豪雨について中継も交えて伝えていた。

朝食は松屋のセットで済ませ、大阪難波駅に向かう。奈良線の列車が次々に発車するのを待ち、8時55分、桜川方面から「ひのとり」が入線。ホームからカメラやスマホが向けられる。この列車、プレミアムシートは満席、レギュラーシートも結構な入りだったようだ。

ハイデッカーの車内にはクリーム色の本革張りのシートが並ぶ。リクライニング、レッグレストをそれぞれ別に操作することができるし、リクライニングも前面にスライドするバックシェルタイプなので、後ろの席の客を気にすることもない。私の前に座った客もフルにリクライニングさせたが、全く気にならない。

通路の間から前方の景色をのぞくうちに、大和八木に到着。ここで最前列から3列目までの客が乗って来た。同じ年輩のグループのようだ。展望席の造りになっているとは知らなかったようで、口々に賞賛していた。

こちらは夜行バス、朝風呂の影響もありまったりしながら過ごす。大和から伊賀、伊勢に入り、伊勢中川の短絡線から名古屋線に入る。

濃尾三川を渡って愛知県に入り、名古屋に到着。久しぶりの近鉄特急を楽しむことができた。

さて、名古屋場所の開場まで時間があるので、それまでに昼食だ。いわゆる名古屋めしがいろいろ頭に浮かび、どうしようかと思ったが手軽に済ませようと、JR名古屋駅構内の「名古屋うまいもん通り」に向かう。

さまざまなジャンルの店があるが、味噌カツでビールがいいかなと・・・。選んだのは、「キッチンなごや」という店。いかにも、出張帰りでちょっと飯を食おうか、一杯やろうかというところである。味噌カツと海老フライがセットになった「金しゃち定食」を注文し、ジョッキのビールをあおる。

かくしてこちらも上機嫌になり、地下鉄を乗り継いで場所入りするのであった・・・。

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第3番「粉河寺」~西国三十三所めぐり3巡目・27(粉河から一気に大阪へ)

2021年07月19日 | 西国三十三所

6月27日、どんよりした天気の中和歌山駅から出発。前日いったん通過した粉河駅まで和歌山線に揺られる。

日曜朝のことで列車はガラガラなのだが、それをいいことにロングシートのこちらと向こうでわざわざ顎マスクで大声で会話する2人組がいる。その内容が鉄オタ的なものだったのが余計にムカつき、思わず(あくまで丁寧な口調で)「静かにしてもらえますか」と注意する。「何やこいつ」みたいな顔をして隣の車両に移って行ったが。

8時23分、粉河に到着。ちょうど雨が落ちて来た。幸い、粉河駅にはコインロッカーがあり、ここに大きな荷物を置いて寺まで歩く。両側には地元商店が並び、そろそろ開けようかというところである。粉河寺にも数回訪ねているが、この道はいつも淡々と進む印象である。

10分あまりで仁王門に到着。続いて中門である四天門をくぐる。雨も降っているので、ともかく先に本堂に急ぐ。

粉河寺の開創は奈良時代、この地の猟師だった大伴孔子古の発願によるものだが、後に豊臣秀吉の紀州攻めの兵火で焼失した。本堂をはじめとした現在の建物の多くは江戸時代のもので、紀州徳川家の保護を受けた歴史がある。

本堂の前の庭園は桃山時代の作風というが、南国らしさを感じさせる。

こちらの本堂も立派な造りで、軒下にてお勤めとする。

朱印はこちら。西国三十三所の3巡目も大詰めとなり、中先達への昇進も近づく。その中、同じ和歌山県ではもう1ヶ所、南紀の青岸渡寺が残っている。こちらは今回と同じ西国四十九薬師めぐりとの組み合わせで出かけることが決まった。西国3巡目で最後の大掛かりな札所めぐりとなるだろう。

帰りに改めて諸堂を回り、駅に戻る。ちょうど雨も止んだ。

さて、この後は京セラドームでの野球観戦のために大阪に向かう。一般的なルートなら、再び和歌山まで戻り、阪和線~大阪環状線と乗り継ぐところだが、ここは初めてのルート、かつ和歌山回りより若干早いコースを見つけた。

コインロッカーから荷物を取り出し、連絡地下道をくぐって駅の南側に出る。ここにバス乗り場があり、阪和線の熊取に向かう便が出ている。和歌山バスの運行で、1時間に1本の割合だからそれなりの本数だ。地図で見るとちょうど和歌山線、阪和線との三角形の1辺をたどることになる。

乗客は私だけで出発。このバスは犬鳴山を経由する。以前、近畿三十六不動めぐりで犬鳴山の七宝瀧寺を訪ねた時は、南海の泉佐野からJR日根野を経由する便に乗ったのだが、こういうルートもあるのかと新たに気づく。

途中で数人の乗客もあり、40分あまりで熊取駅に到着。ここからは天王寺行きの快速に乗る。

天王寺に到着。この後の野球観戦がなければ久しぶりに天王寺・アベノで昼飲みするところだが・・・。

そのまま京セラドームに移動。以前、先に記事にしたとおり10対0でバファローズがライオンズに圧勝。弘法大師、もとい宮城投手の粘投もあり、(この時点で)イーグルスと同率首位をキープした。その後は勝ったり負けたりで一気に突き放すとまでは行かず、オールスター戦、五輪中断期間を迎えて1.5差での首位。中断明けが本当の勝負だが、今後に期待したいものだ・・・。

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西国四十九薬師めぐり~和歌山にて一泊

2021年07月18日 | 西国四十九薬師

6月26日、西国四十九薬師めぐりでの一泊である。この日の宿泊は和歌山。大阪在住時代は関西の行き先で泊まるということはまずなかったのだが、広島発となるとこうして関西の街での宿泊もできて、それもまた新たな経験である。今回のように和歌山市内に泊まるのも初めてである。

今回利用したのは、JR和歌山駅にほど近い「ホテルシティイン和歌山駅前」。予約サイトの特別プランで朝食つき3920円というのを見つけた。夜の一献も和歌山駅まで行うつもりだったので、好都合。

ただ、訪ねてみると外観は結構年季が入っているように見えた。1階入口から入るとふた昔前の雑居ビルといった感じで、まあ安いから仕方ないかなということでチェックイン。こちらはシングルで予約していたのだが、フロントの人が「本日ご都合で、ツインの部屋に変えさせていただいています」という。料金はそのまま。

そして部屋に入ったが・・ツインだとしてもむちゃくちゃ広い。外観はともかく、内装は最近リニューアルしたようだが、改めてホテルの公式サイトを見ると、プレミアムタイプの部屋なのかなと推測する。

さらに、バス・トイレ・洗面台が「次の間」にある。バスとトイレはセパレート。プライベートのことを出して申し訳ないのだが、お恥ずかしい話、メインのベッドルームとこの次の間を合わせると、正直、現在私が広島で住んでいる部屋よりも広い。

窓からベランダに出ることができる(ビジネスホテルではまずないケースだ)。少し離れて阪和線の線路が見える。それはいいとして、この建物、昔はマンションとして使われていたのかなと思う。

さて、和歌山での一献。大阪時代に来た時に入ったことがある店の中で今回訪ねたのは、「与太郎」駅前店。ちゃんこ鍋、海鮮、くじら料理が名物のところだ。だからといって、一人で来てちゃんこ鍋を食べるまでは行かないが・・(家ではたまにこしらえるのだが)。

時季ということで、ハモの洗い、水ナス漬を注文。ナスじたいそれほど好物ではないのだが、夏の水ナス漬は酒のアテによい。関西に帰って来たな(水ナスは泉州が有名)と感じる。

くじら料理は竜田揚げでいただく。

メインの魚は、カツオのタタキ、そして和歌山産とあるイサキの塩焼き。美味しく堪能した。和歌山といえばマグロとか、ラーメンとか、太刀魚とか、そうした料理はあるが、他のものも楽しめる。

そのうちに店も賑わってくる。結構飲んだが、部屋に戻ってもまだ時間は早い。

ホテルの地下に大浴場があり、前夜から(夜行バスで)動いていて疲れた体を癒す。部屋もゆったりするところで、普段より早い時間に就寝・・。

さて翌27日。この日は西国三十三所第3番の粉河寺に参詣した後、大阪に出て京セラドーム大阪でのバファローズ対ライオンズ戦の観戦という、これもぜいたくかつ慌ただしい行程である。朝食会場は何か大会でもなるのか、複数の高校の部活動の生徒・先生たちと一緒の食事となる。

天気が今一つの中。7時41分発の和歌山線王寺行きに乗り込む・・。

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西国四十九薬師めぐり~高野山奥の院から和歌山へ

2021年07月17日 | 西国四十九薬師

高野山をめぐる西国四十九薬師めぐり。目的の2ヶ所は回り終えたので奥の院に向かう。ここまで思ったより時間をかけたこともあり、千手院橋前からバスで奥の院口に向かう。

一の橋の手前に新しいお堂が建っている。別格本山の清浄心院の護摩堂「鳳凰奏殿」、位牌堂「永山帰堂」である。毎月中旬には護摩行が執り行われるそうだ。

さて、一の橋から奥の院への参道に向かう。およそ2キロの間に数多くの墓石、慰霊碑、祈念碑が並ぶ。その数20万基と言われているが、正しい数を把握している人はいないのではないか。

諸大名の墓石も多く並ぶ。もっとも、亡骸そのものがここに葬られているわけではないが、弘法大師と一緒のところに墓を建てたいという信仰から来ている。諸国を回った高野聖が宣伝に努めたからだとも言われている。

また一説では、「56億7000万年後に起こること」をより近くで見るため・・というのもある。弥勒菩薩の信仰である。弥勒菩薩は兜率天にて修行中だが、釈迦入滅の56億7000万年後の未来にこの世に現れて悟りを開き、人々を救済するとされている。一方、弘法大師空海も入定後は兜率天に上り、弥勒菩薩に仕えていて、56億7000万年後に再び現れるという。その時には高野山で説法をするとされていて、大名家の墓石、慰霊碑はそれを見るための「特等席」だという。

それにしても56億7000万年後って・・・想像できない。仮に弥勒菩薩が現れるとして、それまで人類は生き延びているだろうか。

少しずつすれ違う人が増え、御廟橋に着く。この先は今も弘法大師が修行を続けているとされる聖域である。

燈籠堂では新型コロナウイルスで亡くなった方々の供養が行われている。その奥の御廟前に回り、私もこちらでもう一度お勤めとする。とりあえず、薬師めぐりの途中で立ち寄らせてもらったということで・・。まあ、西国四十九薬師めぐりの結願は比叡山延暦寺なのだが。

なお、燈籠堂の地下はコロナ対策として立入禁止となっていた。

さてこれで奥の院まで参詣して、高野山めぐりはおしまいとする。帰りは近道で奥の院前バス停側に出る。

高野山駅に戻る。結局、高野山上で昼食を摂ることなく戻ったことになる。まあ、この後和歌山で一献ということにしているからそのまま行くことにする。

今回の高野山土産は・・こちら「般若湯」。

13時53分発のケーブルカーで下山し、極楽橋から橋本行きに乗り継ぐ。今度は1-2列の転換クロスシート車両である。こちらのほうが山岳ローカル線に似合っているように思う。

ブレーキ音を響かせながら高度を下げていく。各駅に停車し、橋本に到着。

この日は橋本でJR和歌山線に乗り換え、和歌山に向かう。15時29分の発車までしばらく時間があるのでベンチで列車を待つ。

和歌山線には2020年から新車として227系が導入されている。和歌山線、紀勢線の105系を置き換えるにあたり、長時間鈍行に揺られることからクロスシート車の導入を期待した鉄道ファンも多かったと思うが、結果としてはロングシートが継続することとなった。まあ、短距離利用の地元客が多いからそうなるのだろう。

列車は紀ノ川沿いに走る。車内ものんびりした雰囲気で、淡々と進んでいく。

粉河で対向列車との行き違い。翌日、再びこの駅までやって来て、西国三十三所めぐりの第3番・粉河寺に参詣する予定だ。

16時34分、和歌山に到着。この日は和歌山駅前での宿泊である・・・。

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第11番「高室院」~西国四十九薬師めぐり・39(金剛峯寺、霊宝館と回り・・)

2021年07月16日 | 西国四十九薬師

西国四十九薬師めぐりの龍泉院を参詣し、そこから近い金剛峯寺に向かう。ちょっと雨がぱらついてきた。

やはり高野山に来たら金剛峯寺~壇上伽藍は素通りというわけにはいかない。まずは外から持仏間に向けて手を合わせ、お勤めとする。

この後本殿に上がり、広間の襖絵や秀次自刃の間などを見た後、蟠龍庭へ。

雲海の中で一対の龍が向かい合って奥殿を護る様子を表現しており、石は四国の花崗岩、白砂は京都のものが使われている。

新別殿に向かう。畳敷きの大広間で、普段なら毛氈の上で足を伸ばして休憩することができ、お茶の接待もあるところ。しかしこの日は、ずらりと机が並べられ、そうしたお接待をやっている様子はなかった。コロナの影響で休んでいるのかな。

そして茶の間、囲炉裏の間に回る。こちらには、高野山開創1200年記念として、日本画家の千住博さんの手による襖絵が新たに奉納されている。茶の間には「断崖図」、そして囲炉裏の間には「瀧図」が納められている(一部は展覧会のため貸出中)。この2つの間は長く白襖だったのだが、そこに作品を入れることになった。2018年に完成し、高野山に納められる前に各地で巡回展も行われてかなり話題になったそうだが、恥ずかしながら全く知らなかった。

本殿を後にして、壇上伽藍に向かう。金堂、大塔というメインの建物では中に入ってのお参りである。先ほどの本殿も含め、拝観料は高野山1日フリーきっぷの特典で割引となる。やはりこちらのほうが寺に来たと実感するところである。

さて高室院へ・・と行くところだが、その前に霊宝館に向かう。この霊宝館が開かれたのは1921年とのことで、今年で100周年を迎える。現在、これを記念して大宝蔵展「高野山の名宝」が開かれている。

まず本館で出迎えるのは、平安時代作の仏像たち。その中に薬師如来があるのだが、リストをよく見ると所有者が高室院となっている。行基作と伝えられている。かといってここでお勤めをするわけにもいかないので、手だけ合わせておく。他にも、不動明王や毘沙門天など、目を引く仏像が並ぶ。当時の人たちの技量の高さを感じる。

次のコーナーでは五大力菩薩の巨大な絵が圧倒する。一般にやさしく慈愛ある顔をしている菩薩だが、この五大力菩薩は国を外敵から護る役割から、いずれも忿怒のすさまじい形相である。

いったん外に出て、新館に向かう。玄関で出迎えるのは結縁大師。これだけは現代の複製ということで撮影可のようだった。

こちらの新館でも阿弥陀如来や不動明王、そして快慶作の孔雀明王、四天王などの力強い作品が並ぶ。そして次の間では運慶作の八大童子が並ぶ。最後の部屋では、弘法大師直筆とされる「聾瞽指帰(ろうこしいき)」の巻物や、弘法大師が投げ飛ばしたとされる三鈷杵などが展示されている。まさに各時代の仏像のオールスター、名宝揃いである。

さて、ようやく高室院に向かう。高室院があるのは、ちょうど土産物店や金融機関、高野山大学などが周囲に並ぶ千手院橋交差点の近くである。金剛峯寺からもほど近い。

奥の院へ続くメインストリート沿いにあるのでわかりやすい。これまで何度か前を通っているが、門をくぐるのは初めてである。「高室院 大乗院 発光院」と連名の石柱が建つ。

高室院が開かれたのは鎌倉時代で、後には小田原北条氏とのつながりを持っていた。豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は降伏したが、その時の当主・北条氏直は一命を許されて高野山に蟄居となった。その時に身を寄せたのが高室院だった。後にわずかながら領地を与えられ、大名として復帰するが、間もなく病死した。

境内はごちゃごちゃした感じだが、右手にあるのが本堂のようだ。扉が閉まるどころか、本堂の前に柵が設けられている。先ほどの龍泉院のように拝観する仕組みなのかわからないが、とりあえず受付の納経所を訪ねる。

靴を脱いで上がろうとすると中から「待て」と制止される。「朱印?ちょっと待って」とそこにとどめ置かれ、その後でバインダー式の朱印が出てくる。ただ、その対応も「やるもんはやるわ、文句あるか?」という風に感じられた。何やねんその対応は。昔の私だったら・・いや、何でもない。

ともかくこれで今回の西国四十九薬師めぐりの目的地は回り終えた。ここで次の行き先を決めるくじ引き&サイコロである。ああいう対応をされた高室院の境内では気分が悪いので、門の外に出てバスを待つ間に儀式とする。

1.大阪(四天王寺プラス西国22番総持寺)

2.橿原名張(久米寺、弥勒寺)

3.京都(醍醐寺、法界寺プラス西国10番三室戸寺、11番醍醐寺)

4.南紀(神宮寺プラス西国1番青岸渡寺)

5.阪神(久安寺、昆陽寺)

6.振り直し

選択肢がだいぶ限られてきた。そしてここで出たのが・・「4」。

神宮寺は三重県の多気町にあるが、アクセスとしては最難関の部類に入るだろう。それに西国1番の那智の青岸渡寺をくっつけるのだから、実際は紀伊半島一周コースである。わざわざ広島から行くのだから当然日帰りは無理。宿泊するとして、どうやって回ろうか・・・。

高野山に来たのだから、これから奥の院に向かう。弘法大師への挨拶ということで・・・。

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