まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

近鉄特急日帰り乗り継ぎ・6(ひのとり・プレミアムシート)

2020年03月22日 | 鉄道企画もの

2日ぶりの名古屋駅。「ひのとり」のプレミアムシートにいよいよ乗車である。乗るのは17時発の「ひのとり67列車」。進行方向最後部の1号車を予約している。

16時50分頃、大阪側からゆっくりと入線する。2日前ほどではないが多くの人がカメラやスマホを向ける。この列車も、レギュラーシートには空席が見られたもののプレミアムシートは2両とも満席である。

階段を上がり、赤いじゅうたんが敷かれた車内に入る。1両に1×2列シートが7列、合計21席。これが先頭と最後尾にあるから、1列車あたり42名定員である。レギュラーシート1両が2×2列シートが13列、合計52席だからやはりプレミアム感はある。

今回座るのはその1人がけシート。シートそのものもゆったりだが、前の座席との間隔が1.3メートルと広い。北海道新幹線や北陸新幹線で導入されている「グランクラス」もこういう感じの車両だという(乗ったことはないが)。あちらは乗るだけで追加料金が何千円もかかるが、そこは近鉄、特急券にプラス900円という料金設定だ。

テーブルはひじかけの中から出すのだが、これはちょっとコンパクト。私の腹が出ているだけなのだろうが、これについては前の座席の背もたれについているタイプ(「ひのとり」のレギュラーシートはそこから手元に引き寄せることができる)ほうが好みなので、残念なのはこの一つくらいである。

座席のリクライニングもボタン一つで行う。バックシェルを採用しており、リクライニングとフットレストが同時に動く。前後の客を気にすることもない。

今回は最後部の車両だったが、運転台後ろの窓も大きく取られているので、前面展望を楽しむことができる。これは座席指定で真っ先に埋まる席だろう。

車内の見物はレギュラーシート乗車時に行ったので、この日は座席にどっかりと腰を据えて楽しむ。時刻は17時、飲み鉄解禁でいいだろう。

2日前にも買ったのだが、その時は画像を撮っていなかったので紹介。名古屋ということで味噌串カツ、そしてつい買ってしまう豊橋のヤマサちくわ(わさび漬けつき)。この時間、まだ外には明るさが残っているので車窓を楽しみながらいただく。四日市で手に入れたキンミヤ焼酎は家に帰ってからのお楽しみ。

一通り食べて飲むと、シートのゆったり感が体を包み、いつしかウトウトする。津を過ぎて大阪線に入った後は、目が覚めると外も暗くなり、大和八木に到着する頃だった。

ともかくプレミアムシートの乗り心地を最後に楽しむことができて満足し、この日は難波まで乗らず鶴橋で下車。2回にわたる近鉄特急乗り継ぎの旅もこれでおしまいである。これだけ特急にこだわって乗ったのも久しぶりで、楽しかった。

さて「ひのとり」だが、この後順次増車を行い、2021年3月には現在大阪難波、名古屋毎時0分発の特急は全て「ひのとり」に置き換わるという。現在の「アーバンライナー」は大阪難波、名古屋毎時30分発の停車駅が多いタイプの特急や、その他線区で引き続き使用されるそうで、そのように車両が順送りされて、現在残る旧塗装車は廃車となる。近鉄特急の姿も2020年代に新たな陣容に変わる形になる。これからも引き続き近鉄の旅や沿線観光を楽しみたいところである・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・5(ビスタカー)

2020年03月21日 | 鉄道企画もの

大和八木からは13時41分発の賢島行き特急に乗る。この列車の車両は2階建て「ビスタカー」である。

最初の2階建て車両が登場したのは1958年のことで、現在も走っているのは3代目となる30000系。私も物心ついて鉄道に興味を持つようになった時、近鉄の看板列車はこの「ビスタカー」だった。藤井寺球場の近鉄対南海戦だと「南海電車はガタゴト電車~、近鉄電車は2階建て~」というヤジもあったし、当時のオレンジと紺で「V」の字をデザインした応援旗も振られていた。小学校の修学旅行は伊勢志摩だったのだが、行きと帰りで乗る車両を変えることで、全クラスの児童が2階建て車両(階上か階下かはともかく)に乗れるようにしていた。

その後、近鉄のエースは「アーバンライナー」となり、その後は「しまかぜ」、さらに「ひのとり」と受け継がれる。このうち「しまかぜ」も近鉄によれば「ビスタカー」に分類されるそうだが、2階建てになっているのは座席ではなくカフェ車両である。この辺りは時代の移り変わりと言える。

さて乗るのは階上席。ハイデッカー車両よりも少し高い視線で景色を見ることができるし、車輪の振動も抑えられて静かである。

一方階下席は3人以上のグループ利用がルールだが、この日はどのシートも空席だった。休日は観光シーズンは利用があるのだろうが・・。

一昨日に乗った「伊勢志摩ライナー」では終点の賢島まで行ったが、この日は途中の伊勢中川で下車。ここで名古屋行きの特急に乗り継ぐ。

やって来たのは旧塗装車。購入した時はよく見てなかったのだが、これも「喫煙ルームの設備がない列車」だった。これが近年の一般特急で主力になりつつある「Ace」だったら特急乗り継ぎにも変化が出たところだが、乗り継ぎ旅の2回目は奇しくもオールドプレーヤーの揃い踏みとなった。

三重県内や名古屋へのビジネス移動もあるようで乗車率も結構そこそこある。このまま名古屋までいいのだが、途中の四日市で下車する。

四日市で下車した理由だが、せっかくなので四日市の宮﨑本店が出しているキンミヤ焼酎を買うためである。「下町の名脇役」、今は大阪の飲み屋でも結構広まって来ているが、現物を店頭で見ることはめったにない。四日市では改札内のファミリーマートでも他の酒類と並んで瓶が売られている。

少し時間があるので駅直結の近鉄百貨店ものぞく。こちらでは瓶、紙パックも含めて並んでいる。その中で凍らせて楽しむ「シャリキン」を確保。ニンマリする。

四日市から名古屋までは急行で移動する。これから「ひのとり」のプレミアムシートとのご対面である・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・4(かつての喫煙車つき旧塗装車)

2020年03月20日 | 鉄道企画もの

2020年2月1日から、近鉄特急では全席禁煙となった。実際は喫煙ルームは設けられているので、いわゆる「喫煙車」という扱いがなくなったというわけだ。最近でも4両編成のうち1両が喫煙車両だったりと、割合とすれば結構高かった。昔の喫煙文化を今に残していたと言えるが、健康増進法の改定にともない、喫煙できる場所についてはより厳しくなった。

では車内に喫煙ルームが別にあるから良いのかといえば、話はそう簡単ではない(画像が遠藤と永谷園というのはたまたま面白かったから)。大阪難波、奈良、名古屋といった地下駅や、大阪難波~大阪上本町の地下区間、さらには駅ビル内にホームがあると見なされる大阪上本町、京都、大阪阿部野橋の各駅では、ホームに停車中は喫煙ルームの使用が禁止されている。

私はタバコは吸わないのだが、まず近鉄特急の全席禁煙に触れたのは、特急車両を選ぶヒントが含まれているからである(だから遠藤関はたまたまで)。

3月16日、京都12時40分発の橿原神宮前行きに乗ることにした。以前の記事でも触れたが、「ひのとり」や「しまかぜ」のような新しい豪華列車に乗る一方で、昔ながらのオレンジと紺色の旧塗装車にも乗ってみたかった。これらの旧型車両は1両まるごと喫煙車扱いで、喫煙ルームは設けられていない。特急券をネットで購入する際、全席禁煙となってからは「この列車には喫煙ルームがありません」の注意書きが見える。近鉄ではこれらの車両は順次廃車にする予定で、ならばわざわざ新たな白とオレンジの塗装にする必要がない。

ということで、旧塗装車が来るだろう・・と踏んでこの列車を選んだが、予想通りだった。方向字幕にもアナログの歴史を感じる。

ちなみにかつて喫煙車だった1号車に足を踏み入れると・・全席禁煙から1ヶ月以上経つが、煙たいというかヤニ臭いというか、独特の臭いである。ある意味、長年の積み重ねである。これは早々と廃車になるだろうなと、同情してしまう。実はネット購入した時、「あえて」この旧喫煙車を選んでみたのだが、これは大和八木まで持たない。その場で、スマホにて元からの禁煙車に変更する。

さて改めて、京都からまずは大和八木に向かう。ちょうど時間帯なので車内で昼食とする。JRの駅弁コーナーで見つけたのが、宅配弁当やロケ弁当も手がける、太秦の穂久彩(ほくさい)の「きつね丼」。京都らしいものとして目についたので購入。刻んだ油揚げと九条ねぎを載せたミニ丼に、和風の上品なおかずが並ぶ二段重ね。平日の昼間なので宇治茶を合わせたが、本音では伏見の酒の1合が似合う感じである。

京都を出ると、まずは右手に東寺の五重塔。後はひたすら南下して、宇治川や木津川を渡り、学研都市線とも並走する。奈良と京都の境界線にある高の原も通過する。私の勝手な個人案として、リニア新幹線の駅を奈良と京都のどちらに造るのかでいろいろ言われているのなら、境界線にある高の原の地中深くに駅を造ればどうかというのがある。何なら、北陸新幹線もいかがでしょうかというところ。

大和西大寺からは橿原線。西ノ京を過ぎると、先般修復を終えて再び姿を現した薬師寺の東塔がチラリと見える。薬師寺が第1番札所である西国四十九薬師めぐりも進めているが、せっかくなので一巡したら薬師寺にはもう一度来ようと思う。

奈良盆地を快走して、大和八木に到着。次に乗るのは往年の近鉄特急のエースである・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・3(ひのとり・レギュラーシート)

2020年03月17日 | 鉄道企画もの

3月14日、夕方の近鉄名古屋駅のホームには大勢のカメラやスマホが向けられている。これから入線するのは18時発の大阪難波行き「ひのとり68列車」である。

この日から運転開始となり、朝の出発セレモニーではホームにもあふれるばかりの鉄道ファンが詰めかけたそうで、それと比べれば落ち着いているのかなと思う。折り返しの発車まで数分の間、車内外では撮影タイムである。

私が乗るのはこの次の19時発の「ひのとり69列車」である。だからこの便は車両の外側を、端から端まで眺めることにした。先ほど「しまかぜ」で名古屋に着いたばかりで、10数分で折り返すのはいくらなんでも慌ただしすぎる。買い物をする時間もない。

「ひのとり」という名前も優雅だが、赤をベースにしたのは昔の近鉄カラーをイメージしたのかなとも思う。ただその赤も艶のあるメタリックレッドということで、ちょっと広島カープのヘルメットの赤、マツダの車体の赤に近い。窓の部分は黒で、火の鳥をイメージした金色の帯が伸びる。えらいもんが出てきたなと思う。

そろそろ時刻となり、座席もほぼ満席で出発する。

さて待ち時間、車内での夕食を買い求めるとするが、近鉄ホームの弁当類は本日完売である。ならばと、一度改札を出て、JRのコンコースに向かう。さすがに弁当はまだまだ残っていてどれにしようかというところだが、ご飯ものは結局のところ天むすにしようと思う(ただし、近鉄ホームや改札横では天むすも売り切れていた)。ならばおかずというかつまみということで、味噌串カツやら豊橋のヤマサちくわやら、手羽先の「世界の山ちゃん」のスパイスを効かせたスルメイカやら、だいたい名古屋から近鉄特急に乗る時の車内のお供で固める。

時間をつぶすうちにそろそろ19時発の入線時刻となる。私が乗るのは4号車のレギュラーシートということで、今度はホームの端ではなく乗車口で待つ。

車内は木目調の内装に明るいグレーのシートが並ぶ。ひょっとしたら、プレミアムシートが金のイメージならレギュラーシートは銀のイメージだろうか。前のシートとの間隔も若干広げたそうで、レギュラーでも居住性はよい。

種明かしをすると、座席選択で取ったのは、車端部の1人席。本来なら車椅子対応シートで、通路の反対側は座席のない車椅子スペース。こうした席に座ることの是非は分かれるだろうが、レギュラーシートながらプレミアム的要素もあるのではないかとも思う。

車内の様子を撮影しようという客が多い中で、一通り回る。車内販売がない代わりに、コーヒーやお菓子の販売機がある。また無料のロッカーや、ベンチのスペースもある。観光列車というよりは、企業のロビーや休憩スペースを車内で再現したようにも見える。この辺りは、大阪~名古屋間のビジネス利用客を意識していると思うが、もちろん観光旅行の利用でも快適に利用できる。

さて発車。地下を出た外はもう暗くなっているので、とりあえず食事である。前の座席の背にあるテーブルはそのままこちらに倒れるが、さらに手前に引き寄せることができる。さらにひじ掛けからもテーブルが出るので手元を幅広く使うことができる。

次の停車は津だが、ここで下車する人も多い。三重の人なのだろうが、中にはひょっとしたら名古屋近辺の人で、試しに近いところまで乗ってみたという人もいるかもしれない。大阪からなら大和八木まで乗ってみた、あるいはそこまでなら特急券が取れたというのと同じようなものかな。

津を過ぎると車内も落ち着いたようで、ゆったりした時間が流れる。私も途中ウトウトしたようだ。触れるのが遅くなったが、「ひのとり」は全席「バックシェル」を採用したことも売りの一つである。

車内で座席をリクライニングさせる時・・このマナーを巡ってさまざま言われている。その内容についてここではいちいち触れないが、それを円満に解決する方法の一つとして「バックシェル」が取り入れられた。リクライニングさせると、シートが後ろに倒れるのではなく足元から前にずれる。先ほどテーブルが備え付けられていたのもシート後部の固定部分なので、後ろから見ると前のシートだけが沈むように見える。・・・うーん、言葉では上手く表現できないので、そこはぜひ、実際に乗って体感していただいたほうがよい。お互いにストレスフリーなのはよい。

快適な時間はあっという間に過ぎ(単に飲んでいるだけなのだろうが)、大和八木も過ぎて間もなく鶴橋である。いつもならここで大阪環状線に乗り換えるが、せっかくなので終点の大阪難波まで行く。

大阪難波は構造上、当駅終着でもさっさと桜川訪問に抜けなければならない。乗客が全て下車するための停車時間は1分くらいだろうか。その中でも、おそらく阪神なんば線で帰宅する列車を待っていてたまたま「ひのとり」の到着に遭遇した様子の人たちがスマホで撮影していた。大阪難波でもポスター等で連日PRしていたのが実際に目の前に現れたらラッキーだろう。

・・・さて、今回「青の交響曲」~「伊勢志摩ライナー」~「しまかぜ」~「ひのとり」という、近鉄特急の日帰り乗り継ぎを行った。顔ぶれからして豪華な面々で、さすがは日本一の(営業距離を持つ)私鉄である。3月のこの時季、観戦予定していた野球のオープン戦、大相撲春場所が無観客となったが、それをカバーして余りあるお出かけだった。

ただ、近鉄特急の乗り継ぎはこの後も続く。3月16日の月曜日、これも名古屋から大阪に向かう便だが、「ひのとり」のプレミアムシートのたまたま空いていた席をとった。平日だからだと思うが、これを利用するために有給休暇とした。週末フリーパスは土曜日開始なら月曜日まで有効なので、最大限に利用することにした。14日と同じようにまずは名古屋を目指すわけだが、近鉄の路線網が広いことを利用して、あることとの組み合わせを考えることにした・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・2(しまかぜ)

2020年03月16日 | 鉄道企画もの

近鉄特急の日帰り乗り継ぎ旅。「伊勢志摩ライナー」で賢島駅に降り立ったが、週末とはいえ駅には賑わいが感じられなかった。駅前のロータリーには近隣のホテルの送迎バスが行き来するが、乗り降りする人もまばらである。

こういうところにも新型コロナウイルス感染拡大の影響が出ているようだ。近くの水族館である志摩マリンランドは臨時休館、また英虞湾を一周する「賢島エスパーニャクルーズ」も運航休止である。

賢島駅の2階に、2016年に当地で開催された伊勢志摩サミットを記念して設けられた「サミエール」という記念館があり、これもどうかと思ったが喫茶コーナーを除いて臨時休館である。賢島のホテルや飲食店は営業しているようだが、コロナウイルスの影響で客足も遠のいているのではないだろうか。賢島の観光、見物スポットが軒並み休業中とあれば、単純に海岸を見たいとか、ホテルで静かに過ごすことを目的にするのでなければ、賢島に来ようとはなりにくいだろう。

サミット関連ということで、改札内に掲げられた各国首脳の記念写真や、ロータリー内の記念モニュメントだけ眺める。「波際の架け橋」という名前である。またその横には、伊勢神宮で記念植樹した「神宮スギ」が移されている。

帰りに「しまかぜ」に乗るのでなければ、賢島滞在を切り上げて早い時間の特急に乗るところだが、ここは15時40分発の名古屋行きまでの2時間をつぶすしかない。ともかくフェリー乗り場のほうに出てみる。幸い雨は止んでいた。

駅からすぐのフェリー乗り場には果たして遊覧船は運休との表示が出ていた。英虞湾の対岸に向かう定期船は出ているようだが、往復したのでは「しまかぜ」には乗れなくなってしまう。まあともかく少し歩いてみる。

無人で係留されているのは遊覧船の「エスペランサ」。少しだけ入江を見て、ともかく海に来たことにする。

少しぶらついてフェリー乗り場に戻ったところで、気になっていた食堂に入る。建物の外には「大東真珠」の看板があり、実際に真珠の店があるのだが、その軒の右半分には鉄板が並んでいる。こちらが「中義(なかよし)水産」。何人かの客が生ビールを飲みながら鉄板をつついているのにそそられて入る。ちょうどいい時間つぶしになるだろう。

おすすめは海鮮バーベキューのセット。それに生ビールをつける。まず出てきたのは生牡蠣。志摩といえば的矢牡蠣で有名である。結構大ぶりなのが4つ出てきて、前菜代わりにいただく。

後は鉄板の上に大将が4品をドンと載せる。ホタテのホイル焼き、白身魚フライのホイル焼き(アルミホイルの代わりにもやし等の野菜で具材を覆っている)、そしてイカ焼き。もう一品は「ビエ・マルク」というドイツ語っぽい名前のものだが、その正体は「右から読んでください」とのこと。ああ、なるほどね。

入江を眺めつつ、生ビールと海鮮。遊覧船には乗れず、サミットの記念館も見ることはできなかったが、これで賢島まで来た甲斐があったとうなずく。

店を後にして駅に戻ると、まだ発車までは時間が結構あるが「しまかぜ」の扉が開いていたので早めにホームに入る。「しまかぜ」にはこれまで大阪難波~大和八木の短区間に2回乗ったことがあるが、大阪難波では入線したらすぐに発車したので車内の様子をじっくり見たことはない。今回は早くから扉を開けているし、また乗客も少なそうなので車内の様子をいろいろと見る。

営業前だがカフェの車両もこんな感じ。

また個室。サロンカータイプのものもあれば、掘りごたつ式の座席もある。これはグループでないと利用できないので、私のような者には乗る機会はほぼないと言っていいだろう。

今回乗るのは先頭の展望車両。この車両を利用するのは初めてである。通常車両よりも座席が高い位置に設けられている。私が確保した座席は後ろのほうだが、後部からでも先頭の窓が開放的なのがわかる。この列車自体は空席ありだが、先頭と最後尾の展望車両は途中からの乗車分を含めて満席となっていた。

時間となり、先頭車両もガラガラの状態で発車。シートを倒し、機能としてついているマッサージボタンを押す。スーパー銭湯に備え付けのマッサージ椅子ほどの機能はないが、そういう椅子に座って移動しているかのような感覚である。

係員が温かいおしぼりと記念乗車証を配りに来る。また車内販売や弁当の取次にも頻繁に回ってくる。せっかくなので何かいただいてもいいのだが、先ほどの海鮮と生ビールが効いている。このまま名古屋まで行って、どうせ帰りの「ひのとり」の車中では夕食として何か飲み食いすることになるから、ここは自席でのんびりする。

志摩線を抜け、鳥羽、宇治山田、伊勢市ではそれぞれ乗客があり、先頭車両も満席となったようである。特別列車ということで伊勢市を出ると次は四日市まで停まらない。スピードも上がってきたようだ。

・・・ただ私はといえば、よほど座席が快適だったのか、生ビールが回って来たか、伊勢市を出てしばらくするとそのまま爆睡したようである。通過の松阪や伊勢中川、さらには津にも気づかなかったようで、目が覚めると四日市を出発するところだった。朝からの雨はとっくに止んでいたが、ここに来て晴れ間すら出てきた。

揖斐川、長良川、木曽川の3つの川を渡り、愛知県に入る。そのまま地下に潜り、17時44分名古屋に到着。

さて、いよいよ乗ることになる「ひのとり」だが、出発は19時発である。ただその前に18時発で同じく「ひのとり」車両の列車が出発する。この18時発の便もレギュラーシートには空席もあるのだが、「しまかぜ」で名古屋に着いてわずか16分で折り返すのもどうかと思い、1時間後の19時発の便にした。

ただせっかくなので、18時発の便を見送りがてら「ひのとり」の外観だけでも先に見ることにする。ちょうど「しまかぜ」が到着した数分後に入線するようだが、名古屋駅の5番ホームには大勢の人が今や遅しと待ち構えている・・・。

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近鉄特急日帰り乗り継ぎ・1(青の交響曲、伊勢志摩ライナー)

2020年03月15日 | 鉄道企画もの

さて、3月14日のダイヤ変更、「ひのとり」デビューに合わせた近鉄特急の日帰り乗り継ぎ旅。まずは私の沿線である近鉄南大阪線、「さくらライナー」という手もあるが、ここは観光列車である「青の交響曲」である。

「ひのとり」も大阪側から乗りたかったところではあるが、プレミアムシート、レギュラーシートともに、早々と軒並み満席になった。特に大阪からの一番列車である大阪難波8時発の列車は瞬殺で売り切れたそうだ。その中で名古屋からの帰りでレギュラーシートが取れたし、そのために「青の交響曲」を含めて近鉄特急にいろいろ乗ることもできる。今回の乗り継ぎプラン、逆回りだと成立しない。

3両編成だが2両目がラウンジカーのため、客室は実質2両分。そのうち先頭の3号車は団体の貸切とのことで、一般客は1号車のみ。大阪阿部野橋出発時には8割方埋まるほどだった。10時10分発、これでまずは橿原神宮前まで向かう。

「青の交響曲」に乗るのはこれで3回目。過去はいずれも吉野まで乗り通したが、今回はその半分の時間の乗車である。日ごろ通勤や日常移動で準急や普通を利用する区間も、特急で行くと新鮮な感じがする。それだけでも旅気分になる。

その新鮮な感じのお供に、葛城の「梅乃宿」の1合瓶をいただく。「青の交響曲」の限定ラベルに、吉野杉を使った枡がついてくる。以前、ラウンジカーでこの「梅乃宿」や吉野の地酒飲み比べセットをいただいたことがあるが、車両がやけに揺れた印象がある。「青の交響曲」の車両が新造ではなく、一般車両の改造だからかと推測しているのだが、それはさておき今回は乗車時間も短いことから、座席に持ち帰ってそこでいただく(いや、そこまでして飲まなくても・・・)。

藤井寺を通過し、大阪府から奈良県に入る。車内放送では羽曳野市~太子町のブドウのPRがあり、河内ワインも宣伝する。ちなみに駒ヶ谷にはチョーヤ梅酒の本社もあるから、「青の交響曲」では阿部野橋で缶ビールでも買った後、チョーヤ梅酒~河内ワイン~葛城の酒~吉野の酒の順で味わうのがよさそうだ。吉野までの1時間数分でこれら全て飲みきれるかどうかは知らんけど。

この日は雨模様で、二上山も霞んでいる。奈良盆地をそのまま走り、35分で橿原神宮前に到着。あっという間だが「青の交響曲」とはここでお別れ。この日、東京では観測史上最も早い桜の開花宣言がでたが、いくら暖冬とはいえ吉野の桜はまだまだだろう。そんな中、団体客も含めて吉野まで出かけるのは何かお目当てがあるのかな。

さて次の特急は、大和八木11時41分発の賢島行き「伊勢志摩ライナー」である。橿原神宮前から大和八木は短区間のため普通で移動する予定だが、橿原線のホームに行くと、旧塗装の11時発京都行き特急が停車している。今回は観光列車、新型車両ということで乗り継ぎプランを組んだのだが、こうしたレギュラー車両、しかも今や貴重な旧塗装車両の特急を間に挟むのもよいかなと思ったが、「別に特急料金がかかるから、さすがになあ・・・」と思って乗るのを見送った。

ただ、帰宅してから気づいたのだが、近鉄の場合は途中で乗換が生じたとしても、特急料金はキロ数の総延長で計算するということである。つまり、今持っている大和八木~賢島と、橿原神宮前~大和八木~賢島も、距離はさほど変わらないので、乗り継ぎで通しで購入しても特急料金は同じである。まして、今回の特急券はスマホを使ったチケットレスで、直前まで変更が可能である。乗り継ぎの間ででもポチッと操作すれば間に合った話だった。

それはさておき、側線に停まっている「さくらライナー」を見た後で、京都行き特急が出た次の普通で大和八木に向かう。乗り継ぎの時間があり、週末フリーパスで出入りは自由のためいったん改札の外に出る。大和八木といえば日本最長の路線バスである新宮行きのバスの始発である。今、西国三十三所めぐりの3巡目を進めているが、次に那智山に行くときにはこのルートを取るのも面白いかなとも考えたりする。

11時41分発の「伊勢志摩ライナー」に乗車。予約していたのは最後尾のデラックスシート車両だが、乗車率は半分あるかないかというところである。これで賢島まで2時間、リラックスした一時である。

ちょうど昼時なので、大和八木の売店で購入した中谷本舗の「ゐざさ柿の葉寿司」を広げる。オーソドックスな鯖、鮭に加えて鯛が入っている。柿の葉寿司のメーカーはいろいろとあり、私も特にどの店のものが一番というのもないが、普通に美味しくいただく。

相変わらずの雨模様の中で、奈良県から三重県に入る。伊賀地方を過ぎる時間はまったりと過ごす。

青山トンネルを抜けて伊勢に入る。伊勢中川、松阪、伊勢市、宇治山田と停まるたびに下車があり、デラックスシート車両もガラガラになる。伊勢神宮・・一時、職場の「公式参拝」として1月にお参りしていたが、トップが代わってからご無沙汰している。いずれまた参拝したいと思う。

例年、春場所終了後、春巡業の一つとして伊勢神宮で奉納相撲が行われるのだが、今年は春巡業全体が新型コロナウイルスの影響で中止となった。相撲が神事の側面があるというのなら、観客は入れないにしても奉納の土俵入りだけでも行ってはどうかとも思うが、それはそれで境内や沿道の人の整理が大変なのだろう。

鳥羽に到着。車窓の向こうに鳥羽の港や鳥羽水族館も見える。伊勢湾フェリーはさすがに運航しているが、鳥羽水族館は臨時休館中とある。

この先、単線と複線が入り混じる志摩線の、カーブが多い区間を走る。時折、カーブのところで前方車両の姿を窓越しに見ることができる。

まったりと過ごすうち、志摩磯部、鵜方と停車して、13時39分賢島に到着。ホームには「伊勢志摩ライナー」の黄色、赤色、そして「しまかぜ」が2本、志摩線のローカル2両編成・・・という豪華な顔ぶれが並ぶ。観光地の玄関駅らしい光景である。

次に乗る「しまかぜ」は15時40分発で、ちょうど2時間ある。せっかく伊勢志摩、海の見えるスポットに来たのだから、当初はいろいろ楽しもうと思ったのだが・・・。

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近鉄特急「ひのとり」に乗車

2020年03月14日 | 鉄道企画もの
前の記事で3月14日のダイヤ変更について書いた。当日朝のNHKのニュースでは、新たに開業した高輪ゲートウェイ駅や、9年ぶりに全線の運行を再開した常磐線の浪江駅からの中継があった。

その中で近鉄では新型特急「ひのとり」がいよいよデビューした。私もデビュー当日の夜の便、名古屋から難波に向かう列車に乗ることができて、この記事も缶ビールと味噌串カツをやりながらスマホに入力している。

さて、名古屋からの帰りで「ひのとり」に乗っているわけだが、ならば名古屋までどうやって行くか。近鉄の週末フリーパスを使い、近鉄を代表する特急に乗りながら名古屋に向かうことにした。

そのコースだが、

大阪阿部野橋~(青の交響曲)~橿原神宮前~(普通列車)~大和八木~(伊勢志摩ライナー)~賢島~(しまかぜ)~名古屋~(ひのとり・レギュラーシート)~大阪難波

以前に日帰りで近鉄特急の乗り比べツアーというのがあったのを見て、こういう乗り鉄もありかなと組んでみた。特急券をネット予約したのが2月の半ば。新型コロナウイルスの対策で学校の臨時休校が始まった頃である。

それ以降、新型コロナウイルスによるいろんな自粛が広がり、プロ野球の開幕延期や選抜高校野球の中止が決まるなど、世間のムードは暗いまま。そんな中でのお出かけだが、普通に列車に乗っているだけだからリスクは低いとして、雨の中、予定通り出かけることにした。

で、「ひのとり」の乗り心地だが・・良かった。アーバンライナーがデビューした当時もかっこいい列車ができたと思ったが、「ひのとり」も次の近鉄のエースにふさわしい車両である。また追々、記事にすることに・・・。
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関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3-4

2014年09月15日 | 鉄道企画もの

再び「サイコロしりとりの旅」に話を戻す。長いことかかっているようだが、1日の行程を3回や4回に分けているだけの話である。

正雀からどちらに向かうか。「1.九度山」「2.柴島」「3.苦楽園口」「4.鞍馬」「5.車折神社」「6.杭瀬」の6つから出たのは・・・「5」。車折神社である。ということはもう一度嵐電に乗ることになる。この日の朝は宇多野まで行き、近鉄で法善寺、再び阪急で正雀と来てまた京都に向かう。宇多野から法善寺に行くのによく近鉄を選択したことである。ひょっとしたまた阪急に乗ることを予想していたのか。

ともかく河原町行の各駅停車に乗り、茨木市で特急に乗り換える。桂で準急に乗り換えて大宮で嵐電に乗るという慌ただしさ。昼間、眠たくなる時間帯である。路面電車に乗るとついウトウトとする。そこを目覚めさせたのはやはり・・・・暴れん坊将軍のテーマ曲。

車折神社に到着する。ここでも結構な数の客が下車する。神社の森はすぐ目の前に広がる。もっともこちらは裏参道ではあるが、ともかく参拝をしよう。

車折神社は昨今注目のパワースポットとしてテレビや雑誌などでも紹介されることが多い。「くるまざき」と読むが、後嵯峨天皇の乗った牛車が社前を通った時に車が裂けて動かなくなり、神の怒りを恐れて「車折大明神」の号を送ったのが社名の由来という。門の前の石を「車折石」とも呼び、「石」に対する信仰が厚いという。車が裂けたという理由は神の怒りというが、果たしてどうだろうかという気もする。今だったらクルマのタイヤがパンクした、あるいはエンストしたのが神社の前だったとか・・・いやいやそういう風に考えるのは野暮というものである。

ここでは「祈念神石」というのを授与される。まず本殿横の「清めの社」にお参りする。円錐型の岩に見える者、これは砂だという。

その後社務所で「祈念神石」をいただき、これを持って本殿にお参りする。後日願いが叶ったら、どこかで石を一つ拾い、その拾った石にお礼の言葉を書いて持参してお礼参りをして、本殿前に納める。本殿前にはさまざまな言葉が書かれた石がてんこ盛りになっている。さて私は石を持って再びここに来ることができるだろうか??

この車折神社が有名なのは「祈念神石」もそうだが、もう一つあるのはこの境内社にその名も「芸能神社」というのがある。芸能・芸術の神である天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀ることから、芸能や芸術に携わる人たちの強い信仰がある。祈祷は本殿である車折神社で行われるのだが、祈祷事項の中には「芸能上達」「公演成功」「ヒット祈願」「人気上昇」というものがある。

そのため、玉垣には多くの芸能関係者の名前が並ぶ。祇園の舞妓集もあれば歌舞伎、能・狂言、どこかの劇団員の名前がある。ただやはり目が行くのはテレビ等で活躍する俳優やタレントなど、いわゆる「芸能人」たちの名前。参拝客の多くは自ら芸能神社にお参りするというよりは、玉垣で有名人の名前を見つけるのが楽しみのようである。玉垣の申し込み案内というのがあるが「ご本人様(もしくは正式な許可をお持ちの代理人様)に限ります」とある。一般のファンが熱心なあまり勝手に奉納するとか、いたずらで申し込むというのを防ぐ意味合いだろうが、実際はどうなんだろうか。いわゆる有名人なら所属事務所が申し込むとか。

車折神社で運気を身に着けたところで、サイコロである。車折神社の「や」で行くのは・・・

1.大和八木(近鉄大阪線)・・・近鉄の各方面の列車が行き交うジャンクション。

2.山ノ内(京福嵐山線)・・・先ほど通って来た道路上の駅。

3.山の街(神戸電鉄三田線)・・・ニュータウンらしい名前。

4.山本(阪急宝塚線)・・・こちらも住宅街の駅。

5.八幡市(京阪本線)・・・石清水八幡宮のふもと。

6.近鉄八尾(近鉄大阪線)・・・再び河内に戻るか。

時刻は16時前。この日は18時から予定があるため、帰りがけに通る山ノ内以外は実質終了である。そして出たのは・・・・「3」。神戸の山の街である。

この日、「スルッとKANSAI3dayチケット」を使い果たし、夏の発売期間も終了している。ということでこの夏の「サイコロしりとり」はこれで終了。次の秋期間は神戸から再開となる。

・・・と言いたいところだが、実はこの「関西私鉄サイコロしりとりの旅」。この夏をもって一旦「企休止」ということにする。大阪阿部野橋から始めて京阪中之島線の渡辺橋を目指すこの企画だったが、ゴールならず。

まあ、連続して回ってきたことがあるのと、この夏からは鉄道の新たな企画を始めることがあり、ゴールは断念したわけではないが少し期間を置こうかと。

これまで回ってきた駅についておさらい。

【これまでの記録】

大阪阿部野橋~滋賀里~道場南口~茶山~牧落~中書島~松尾~黄檗~九条~鶯の森~林間田園都市~汐ノ宮~八家~橿原神宮前~恵比須~須磨~松ノ浜~真菅~貝塚~春日野道~千早口~千船~寝屋川市~志染~三井寺~洛西口~千鳥橋~汐見橋~信貴山下~大開~石切~りんくうタウン・・・相川~和歌山市~四宮~八戸ノ里~土居~泉大津~鼓滝~祇園四条~ウッディタウン中央~畦野~野田~高槻市~下古沢~和歌山港~打出~出屋敷~喜志~俊徳道~千代田~滝井~磯ノ浦・・・六地蔵~山陽魚住~弥刀~鳥取ノ荘~宇治~白鷺~木津~月見山~舞子公園・・・浅香山~丸山~的形~滝山~松塚~交野市~神宮丸太町・・・塚口・・・鶴原・・・龍安寺~四条大宮~山田川~和歌山大学前~江井ヶ島~牧野~野江~延暦寺~下新庄~宇多野・・・法善寺~正雀~車折神社

【会社別】

近鉄・・・13、阪急・・・8、阪神・・・7、京阪・・・15、南海・・・17、神鉄・・・6、山陽・・・7、高速・・・1、叡山・・・1、能勢・・・4、京福・・・4、坂本ケーブル・・・1

【府県別】

滋賀・・・3、京都・・・15、大阪・・・34、兵庫・・・22、奈良・・・4、和歌山・・・6

大阪阿部野橋をカウントすると、合計84駅の訪問であった。行ったり来たり、それぞれ自宅までの行き帰りも含めると正規運賃はいくらかかったのだろうか。「スルッとKANSAI3dayチケット」6枚で3万円だが、これを大きく超えているのは確か。まあ、元を取ろうが取るまいが、企画自体が普通の人から見ればアホらしいことなのだが・・・。

会社別で見れば南海が最も多かったのは意外だった。また路線の短い能勢電鉄や、途中テコ入れでリストに加わった京福も確率が高かった。府県別では駅数の多い大阪、兵庫が多かったのは順当なところ。近鉄線のある三重県が一度くらいは出てもよかったがそれは叶わず。

いろんな会社の顔や駅の表情が見られたこの企画。また再開する時が来れば引き続き楽しんでみたいところである。このシリーズにお付き合いいただいたご覧の皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

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関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3‐3

2014年09月12日 | 鉄道企画もの

関西の私鉄駅をサイコロとしりとりの組み合わせで巡るこの企画。そろそろこの夏も残された時間が少なくなってきた。

そんな中で、近鉄から地下鉄に乗り換える時にQBハウスで散髪する。久しく行ってないし、ちょうど空きがあったので。この手の理髪店は顔そりがないのが少しマイナスなのだが、その分ササッとさっぱりできる。散髪を済ませて堺筋線ホームに向かうとちょうど高槻市行がやってきた。

そのまま地上に出て正雀に到着。工場、車庫が近く、地名にも「摂津市阪急正雀」とある。町名に企業名が入るのはたまにあることだが、それだけ土地の顔みたいなものだろう。敷地をぐるりと反対側まで回れば、電車の顔も近くで拝めるのだろうがさすがにそこまでは・・・。

もっとも車庫だけでなく、マンションもあれば郊外の商店街もある。大学もある。住むには便利な環境のようだ。

さて、と駅から出て目を向けると、少し離れたところをJRの新快速が走り抜けるのが見える。東海道線の岸辺駅とは500メートルくらいしか離れていないようだ。岸辺と言えば南には吹田の貨物ターミナルが広がる。梅田を離れて、新設の吹田と拡張の百済に列車は分散されたが、今思えば敷地に何かと制約があり、設備も老朽化した梅田の撤退はプラスだろう。

今回は私鉄訪問が目的で、JR関連は出てこないのだが、またこれらの貨物ターミナルにも訪れてみたいものである。

岸辺の駅前にはいくつかの店舗が集まったエリアがある。そこで見つけたのがスーパー銭湯の極楽湯。そういえば、この企画で訪れた駅ごとに町歩きや見物、寺社参り、食事などしてきたが、入浴だけはまだである(いつでも入れるように、タオルと着替えのシャツは持参しているのだが)。これはいい。早速つかることにしよう。

天然温泉が湧いているわけではないが、いろんなタイプの浴槽がある。それらを一つずつ回ると体もふやけてくる。また、ゆっくり浸かってじっくり汗をかいてもらおうと、温度を低くした浴槽もある。

湯上がりにキューっと行きたいのを我慢して、こちらの休憩スペースで次のサイコロである。

正雀の「く」で始まる駅を選ぶのは2回目。珍しいケースとなった選択肢は・・・

1.九度山(南海高野線)・・・和歌山まで飛ばされるが、行き先としてはちょっと魅力。

2.柴島(阪急千里線)・・・さっき通ってきたばかりだが、降りるとなると初めて。

3.苦楽園口(阪急甲陽線)・・・人生楽ありゃ苦もあるさ。

4.鞍馬(叡山電車)・・・いよいよ、洛北の天狗がそのベールを脱ぐのか。

5.車折神社(京福嵐山線)・・・確かこの神社は・・・?

6.杭瀬(阪神本線)・・・ある意味、尼崎らしさ満載のスポット。

・・・こうして見ると、なかなか骨のある、タフそうな駅が並んでいる。京都に引かれるか、和歌山に飛ばされるが、果たしてどうなるか・・・?

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関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3‐2

2014年09月11日 | 鉄道企画もの

福王子神社でのおみくじ代わりのサイコロは・・・「3」の法善寺。比叡山や生駒山といった選択肢もあったが、ここは再び大阪に戻る。

とその前に、せっかく嵯峨方面に来たのである。この企画では乗り換え以外の途中下車はNGなのだが、歩いた結果別の駅から乗るのはOKである。ということで、隣の駅にある世界遺産の仁和寺にも行くことにする。歩いても知れている。

「徒然草」を著した吉田兼好が庵を結んだとされる双ヶ丘を横に見て、御室仁和寺駅に着く。木造の御殿風の駅舎に風情を感じる。駅からまっすぐ伸びた道の先に仁和寺の堂々とした山門が見える。嵯峨野の山林をバックに、ゆったりとした造りの寺院である。これだけの境内ながら、普通に金堂や五重塔を拝むだけなら無料である。

徒然草、仁和寺・・・と来れば、徒然草の中に仁和寺の法師の話が出てくる。私が仁和寺という寺を知ったのも徒然草からだと思う。ただ、そこに出る法師というのが、「岩清水八幡宮に行き、途中の寺や神社が岩清水八幡宮だと思って、そこだけ拝んで山に上らず帰ってきた」とか、「酔っ払ってふざけて頭に鼎を被って抜けなくなり、やっと抜けたら血だらけでひどい顔になった」とか、「稚児にサプライズをしようと地面に重箱を埋めたのはいいが、後で見つからなくなった」とか、ボケをかましてくれる法師たちをネタにした段である。仁和寺というのはそんな寺かと思いきや、宇多天皇が開いた由緒ある寺院である。

吉田兼好がネタにしたのも、それだけ由緒ある寺と法師のボケぶりのギャップに面白さを感じたからだろう。あるいはエリートに対する批判とか。「なんぼ偉い言うても、人間やからそんな面もあるわ」と好意的ならいいが、「仁和寺の法師ともあろう者が、所詮うわべだけのエリートよ」と批判的に取るか。文章が短いだけにいかようにも読める。それは読者自身の思いが反映するのだろうか。

さてここから柏原の法善寺に向かう。同じ道で阪急で梅田に戻るのも芸がなく、趣向を変える。御室仁和寺から帷子ノ辻まで戻り、四条大宮行に乗り換える。途中の天神川で地下鉄に乗り換え。さらに烏丸で乗り換えて京都に出た。ここで近鉄に乗り換えようというのである。近鉄なら地下鉄で竹田まで行けば、乗り換えの距離も短くて済むのだが、そこは始発から乗りたいのと、たまにしか来ないので特急に乗ろうというものである。奈良行の特急は外国人の客もそこそこいる一方で、時間短縮とゆったり着席で大和西大寺まで移動しようという人も多い。阪急や京阪の無料特急は混雑するが、料金のかかる近鉄や南海の特急の2人がけシートなら、車内で飲食しようがメイクアップしようがとやかく言われることもない。

次から次へといろんな行き先の列車が入り乱れる大和西大寺駅のうどんで小腹を満たした後、神戸三宮行の快速急行に乗る。2人がけシートで快適・・・と思っていたら、あるボーンヘッドに気づく。これから向かう法善寺は大阪線の駅。ならば奈良線と合わさる布施で乗り換えなのだが、快速急行は布施を通過して鶴橋まで行ってしまう。で、鶴橋で折り返そうとしたら階段を上がったところに鉄道グッズの店があったから思わず覗いてしまう。結果、大阪線の列車を1本逃す・・・。まあ、急ぐようで急がない、のんびりなようで結構焦るのがサイコロしりとりで・・・・。

法善寺に到着。改札口は掘り下げたところにあるいわば「逆橋上駅」のパターンである。周囲は昔ながらの邸宅と新興マンションと町工場がいっしょくたにされた感じの佇まいである。どうしても「法善寺」と聞くと、「包丁い~ぽん、さらしに巻~い~て」で始まる藤島桓夫の「月の法善寺横丁」とか、それでなくてもミナミでちょっと値段の張るスポットだなという部分がある。ちなみにここ柏原の法善寺は水かけ不動とは全く関係ないそうだが、駅前商店街や居酒屋が洒落で「法善寺横丁」等と名乗っていたら面白い。そんな便乗商法をやってもさほどの儲けにはならないだろうが。

静かな昔ながらの住宅地にある壺井寺。融通念仏宗という、聞いただけでは大変ユルそうな周波の寺であるが、ここにかつてその名も「法禅寺」という寺があったとされている。南北朝の戦乱で焼け落ちたのが、江戸時代になって融通念仏宗の寺として建てられたとか。

さて次の行き先はこの法禅寺、いや壺井寺でのサイコロ。その出目は「し」または「じ」から選ぶ。

1.十条(近鉄京都線)・・・先ほど近鉄特急に乗って高速で通過したが。

2.十三(阪急京都線)・・・淀川北の庶民的な繁華街、ええなあ。

3.夙川(阪急神戸線)・・・以前に桜を観に行ったことがある。

4.正雀(阪急神戸線)・・・車庫、工場がある駅。

5.庄内(阪急宝塚線)・・・こちらも庶民的な商店街があったような。

6.白庭台(近鉄けいはんな線)・・・いかにもニュータウンという響き。

6つのうち4つが阪急である。この企画、駅数の割合で見ても阪急の駅が少ない。たださすがにここでは出るかな。

そしてその結果は・・・・「4」。正雀である。個人的には十三がよかったが、まあ、これも巡り合わせである。法善寺から上本町行に乗車して、鶴橋で大阪難波行に乗り換えて日本橋で下車する。上手く高槻市行に乗り換えればそのまま正雀に行けるわけで・・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとりの旅」2014夏・3‐1

2014年09月09日 | 鉄道企画もの

昨年の夏から「関西のあちこちの私鉄の路線、駅を巡ってみよう」というこの企画。通算で第18日目。「スルッとKANSAI3dayチケット」を6枚まるまる使ったことになる。実際に乗って関西を行ったり来たりした運賃を計算すると、どのくらいの金額になるだろうか。それだけおとくなチケットであるとともに、どれだけアホなことをやっているのかというところだが・・・。

さて、この夏3日目は、前回最後の阪急千里線・下新庄の「う」から始まる駅で、京福(通称嵐電)の北野線にある宇多野からである。8月終わり、そろそろチケットの期限が切れそうな日に出かける。

いつもなら藤井寺から始発で向かうところ、6時前に出発する。ちなみにこの夜は会食があり、夕方18時には阿部野橋に戻っておく必要がある。ごく限られた時間の中でのサイコロしりとりである。

梅田から阪急京都線の快速急行に乗る。嵐電の始発に接続する大宮にも停車するので都合良い。ロングシート車であるが最前部の席が空いており、座りながら前方景色を楽しむ。この企画では大阪京都間も何回も移動したが、京阪に乗ったほうが多いと思う。その中で、阪急の「京とれいん」に偶然乗れたことも思い出である。

大宮に到着。地上に出て嵐電に乗り換える。前回は5月の連休ということで2両つないでいたが、この日は1両である。江ノ電風の塗装で、両者の提携を表している。京都と鎌倉という古都同士、路面電車風の風情ある乗り物。それ自体が生活の足であるとともに観光名物になっている。なかなか良いものである。

そんな嵐電でやはり耳に残るのは、「次は太秦広隆寺」の放送で流れる「暴れん坊将軍」のテーマ曲。前回乗った時は突然のこの曲にびっくりするとともに笑ってしまった。この日も、流れるとあらかじめ分かっていても、実際に「ジャジャジャ~ン、ジャ・ジャ・ジャ・ジャ~ン!!」と来たら笑ってしまう。それに輪をかけるのが、続いて流れる案内放送の途中から再びメロディが流れ、曲が終わるタイミングで太秦広隆寺のホームに着くことである。これ、計算済みやろ?と思うが、逆の帷子ノ辻から太秦広隆寺に向かう時は、曲が終わった後もまだ走っていて間延びすることから、四条大宮方面から来る乗客へのサービスとわかる。

帷子ノ辻で北野白梅町行に乗り換えて、宇多野に到着。単線区間であるが、上り線と下り線でホームが千鳥状に配置されている。かつては高雄口という名前の駅だった。ここから北に行けば高雄に至るということだろう。それが宇多野という名前になったのは、京都らしい響きの言葉を選んだからだろうか。

この駅も地味ながらどこか嵯峨野の風情を感じさせるところである。ここから駅前散策ということだが、向かったのはホーム上のパネルにもあった福王子神社。平安の頃の班子皇后を祀るという神社である。小ぶりな神社であるが、それでも江戸の寛永期に再建されたという本殿や拝殿は重要文化財に指定されている。

ともあれ、まずはここで次のサイコロである。宇多野の「の」で始まる駅だが、この企画で対象としている範囲では「野江」と「野田」しかない。しかもいずれの駅も訪問済である。ここは変則ルールによって頭文字を変える必要がある。

前回までのルールなら、「の」の次の五十音ということで「は」で始まる駅から選ぶことになっていた。しかしこの夏からルールを変更して、「五十音表のすぐ横の文字で始まる駅から選ぶ」ということにした。つまり、「の」で始まる駅がなければ、次の行の「ほ」で始まる駅から選ぶということである。

そして検索した候補駅。ちょうど6つあるというのがサイコロ旅らしくてよい。

1.宝山寺(生駒ケーブル)・・・生駒聖天めぐりも面白そう。

2.坊城(近鉄南大阪線)・・・何かあるというイメージはないが、歴史長そうな名前の駅には何かあるかもしれない。

3.法善寺(近鉄大阪線)・・・「包丁い~ぽん~、サラシに巻い~て~・・・」とは違うほうの法善寺。

4.ほうらい丘(坂本ケーブル)・・・うわっ、前回のサイコロで比叡山に上がった時に通過した駅。

5.星ヶ丘(京阪交野線)・・・いかにも住宅地にありそうな名前の駅。

6.蛍池(阪急宝塚線)・・・ある意味で伊丹空港の最寄駅。

さて、「ほ」で始まる駅もとりあえず6つは揃うわけである。移動距離を考えればほうらい丘も面白いかな。一方でケーブルの雄、生駒ケーブルに挑むのもいいだろう。

そして福王子神社で振ったサイコロの目は・・・・?

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関西私鉄サイコロしりとりの旅2014夏・2-3

2014年08月09日 | 鉄道企画もの

1927年に開業した坂本ケーブル。坂本駅、延暦寺駅ともに当時の姿を残している。ケーブルカーの運行は30分に一本で、出発の5分前から改札が始まる。「ほうらい丘、もたて山でお降りの方は予め係員にお申し出ください」というアナウンスがある。このケーブルカーには2つの中間駅があり、関西私鉄では数少ない「秘境駅」にもランクされている。これらの中間駅もこの企画での訪問対象となっており、果たして訪れることはあるのかなと思う。

Dscn8403全長2025m、標高差484mを11分で結ぶのは「福」号。もう1台「縁」号というのがあり、車体にはそれぞれの文字が天台座主の揮毫により書かれている。後ろ向きに着席し、引っ張り上げられる形で出発。坂本は蒸し暑かったが、ケーブルカーの窓が開いておりじわじわと風が入ってくる。

Dscn8412時折動物の木彫り人形が沿線に見られ、木立の中、高度を上げていく。眼下に琵琶湖の眺めも広がる。

Dscn8406一つ目の中間駅であるほうらい丘を通過する。坂本ケーブルの建設中に発掘された石仏をこの地に集めて安置したとか。その石仏とは織田信長の比叡山焼き討ちで亡くなった人たちの霊を慰めるものというが、駅のすぐ横に洞窟があり、こういう駅で一人放り出されても、あまり居心地のよくなさそうな感じである。

Dscn8415ケーブルカーは途中で「縁」号と交換し、トンネルも抜ける。さすがにトンネルの中は冷んやりとしてよろしい。

もう一つの中間駅であるもたて山も通過。ここから歩いて10分ほどで紀貫之の墓へ行くことができる。紀貫之はもたて山から見る琵琶湖の風景を愛し、この地に葬るよう願っていたとか。やはり貴族ともなるとやることがなかなか贅沢である。

Dscn842111分の時間があっという間に過ぎ、延暦寺駅に到着。黄色に近いクリーム色の駅舎は登録有形文化財である。改札口、待合室もレトロな雰囲気が漂う。階段を上がった2階は元々貴賓室だったそうだが、現在はホールとして開放されており、比叡山や坂本の四季の風景写真が飾られていた。

Dscn8422このテラスが展望台であり、やや霞んではいたが大津の街並みから琵琶湖大橋までを見渡すことができる。ここまで来ると下界に比べて少し涼しさを感じる。

さて、ここまで来たのだから駅前散策は延暦寺である。東塔、西塔、横川と3つのエリアがあるが、それらを全て回ると一日仕事になるので、今回は最も近い東塔地区を訪れる。読みは「とうどう」である。ちょうど延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂があるのが東塔地区なのでちょうどよい。ケーブル駅から歩いて10分ほどで、木立の中を歩く。

延暦寺に来るのも子どもの時以来である。鉄道メインであちこち出かけている割には、メジャーな観光地(延暦寺を観光地と言えば怒られるだろうが)にはあまり行っていない。人ごみがあまり好きでなかったり、やはり私の性格的にどこかマイナーなものを好むところがあるのだろう。この企画でもいろいろな駅を回り、それぞれの駅の周囲でポイントを見つけてようとしているが、なかなか有名なところは出てこない。

Dscn8427ともかくもお参りをしよう。境内には「一隅を照らす」という言葉が目立つ。比叡山を開いた最澄の言葉である。この言葉で思い出したのは、私の中学校の担任のM先生。名前で検索していったら、府内のとある中学校の校長をされていた。広島のとある島の出身で、もちろんカープファンだし、「ワシは教師になる前は寺に入っていた(本当か嘘か)」という経歴を持つ社会科の先生だったが、卒業アルバムに「照一隅」という言葉を寄せていた。

Dscn8429その「一隅を照らす」というのは、社会の片隅を照らす、社会の片隅で頑張っている人たちに感謝や思いやりの心を持つ(光を照らす)ということだと思っていた。

ところが、根本中堂まで来て、最澄が書いた「山家学生式」の冒頭部分が刻まれた石碑を見て、本当の意味は違うものだと知らされた。「一隅」というのは自分の置かれた場所とでもいうもので、「一隅を照らす」とは、一人ひとりが自分の与えられた持ち場で、世のため人のため輝けるように全力を尽くすこと。そのことで社会全体が幸福になるということだが・・・。中学校を卒業して長い月日が経っているというのに、ずっとその間誤解していたことになる。アカン奴やなあと苦笑する。

Dscn8430まあここで改めて最澄の教え、M先生の教えに触れたということで、気持ちを新たに根本中堂にお参りする。現在の建物は江戸初期に再建されたもので、中に入ると灯りも抑えられ、荘厳な感じを漂わせる。今は夏の日中だからまだ弛緩した感じだが、冬の早朝などにこの堂宇に入ると、言われなくても背筋が伸びることだろう。

本尊は薬師如来だが、内陣の土間が低いために参拝者と同じ高さにある。仏も人もひとつという教えを表していると、堂内でお札などを扱っていた僧侶が参拝客に解説をしている。その本尊前の「不滅の法灯」は、創建以来1200年の間一度も絶えることなく灯り続けているという。まあ、延暦寺そのものが織田信長の焼き討ちを含めた戦乱で何度も消失しているのだから、科学的に同じ日がずっと灯り続けていることはあり得ない。ただそう考えるのは野暮なことで、仏の教えは絶えることなく受け継がれているという意味を表しているということでいいだろう。オリンピックの聖火も同じようなものだ。

Dscn8437Dscn8438この後は境内のいくつかの堂宇を回り、大鐘もついたところでそろそろ延暦寺を後にする。西塔、横川エリアもまた訪れることがあるだろう。再び根本中堂の前に戻り、こちらで次のサイコロである(なんちゅう不謹慎な・・・)。

延暦寺の「じ」(または「し」)で始まるのは、

1.七道(南海本線)・・・堺の入口の駅。 

2.島ノ関(京阪石山坂本線)・・・浜大津の次の駅、滋賀県庁が近かったかな。

3.下新庄(阪急千里線)・・・大阪市内に戻る。

4.近鉄下田(近鉄大阪線)・・・久しぶりの奈良県。

5.尺土(近鉄南大阪線)・・・吉野特急も停車する。

6.修学院(叡山電車)・・・修学院離宮の見学は事前予約がいるはず。

展開とすれば、坂本ケーブルで折り返してそのまま坂本から南下した島ノ関か、あるいは比叡山を西に越えて八瀬遊園から叡山電車に乗る修学院がいいかな。いっそのこと奈良県まで南下するのもよいか。そこで出たのは・・・「3」。

う~ん、この中では最も地味なところかもしれない。早く次の駅を探すことになるかな。

坂本ケーブルに再び乗車する。今度は急坂を前向きに下るので結構スリルがある。「ほうらい丘駅で下車がありますので、しばらく停車します」と放送があり、線路の途中で停まる。ケーブルカーの特性上、上りと下りで均衡にならなければならないため、相手が停車している間はこちらも停車する。それにしても、ほうらい丘のようなところで下車があるものだ。

ゴトゴトと下りて行くと、ほうらい丘では一人の男性がホームを掃いていた。そのために下車したというところだろう。30分清掃して、次の便で今度はもたて山まで来るのかもしれない。

ケーブル坂本に到着。坂本駅までの連絡バスが出ているとの案内があり、江若交通の社名が書かれたバス停に向かう。するとそこは「スルッとKANSAIは使用できません」とある。あらあら。交通手段として「スルッとKANSAI3day」が使用できるもの以外は認めていないのがこの企画だけに、また駅まで歩くことにする。今度は坂本駅まで下りだから足が進む。結局バスよりも若干早く到着した。

来た道を浜大津、三条と乗り換える。次の下新庄は阪急千里線であるが、これまで何回か行った祗園四条~河原町への徒歩連絡にするか、三条から大阪市内の北浜まで特急に乗り、地下鉄堺筋線から阪急千里線に出るか。三条からやってきたのが1-2列式の3000系で、1人席に座ることができたので、結局休みがてら北浜まで向かうことにする。どうもこの企画、大阪~京都へは京阪、大阪~神戸は阪神というのが定番である。

これは想定外だったが、京阪の地下区間から地上に顔を出すと、これまで何とか持っていた天気も崩れ、結構な雨になっていた。四条大橋を傘を差して渡らなければならないところだった。

雨のまま北浜に到着。乗り換えたのはちょうど北千里行きであった。阪急経由なら河原町、淡路と2回乗り換えのところ、1回で済んだのもよかった。

Dscn8452高架工事の進む淡路駅を過ぎ、下新庄に到着。学生時代は通学路として通過していた駅だが下車するのは初めて。ただ、駅前は住宅地で特にめぼしいものはなかったように思う。

Dscn8453淡路に続き下新庄も高架工事が着工されており、2008年から工事を始めて高架駅の完成が2018年、周辺の整備も含めた工事完了は2020年の予定というから息が長い。2014年8月の駅の周りは、そんなに工事が進んでいるようには見えないのだが、そこはあと4年もあればできることなのだろう。そう言えば駅のすぐ南を新幹線が走っているのだが、その高架橋をさらにまたぐのだからかなりの高さになるだろう。新幹線を見下ろす駅というのもそうあるものではない。

雨も降ってきたし、そろそろ夕方近くのためこの夏2回目も繰り越しとする。下新庄の「う」で始まるのは・・・

1.梅屋敷(生駒ケーブル)・・・比叡山の次は生駒山か。

2.魚崎(阪神本線)・・・灘五郷の玄関駅。

3.浮孔(近鉄南大阪線)・・・こちらも、何かめぼしいものはあったか。

4.太秦広隆寺(京福嵐山線)・・・「暴れん坊将軍」のテーマ曲が耳に残る。

5.宇多野(京福北野線)・・・洛西の風情あるところ。

6.畝傍御陵前(近鉄橿原線)・・・古代のロマンを感じる。

ケーブルあり、路面電車ありとバラエティに富んでいるが、そろそろ「う」で始まる駅のネタも少なくなってきている。果たして・・・出たのは「5」。宇多野である。

また京都市内ということを考えればこれから行ってもいいのだが、まあ、天気の良い時に訪れることにしよう。

この日は大坂の鬼門、都の鬼門それぞれに建立された寺社を訪れることになった。果たして、魔物除け、厄払いになったことだろうか・・・・?

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関西私鉄サイコロしりとりの旅2014夏・2-2

2014年08月07日 | 鉄道企画もの

牧野を後にして同じ京阪本線の野江に向かう。周りには高層マンションと昔ながらの長屋風の建物が入り乱れている。京橋をはじめとした市内中心部への通勤には便利そうだ。

Dscn8389 また、京橋寄りのところでは城東貨物線がオーバークロスする。現在、JRのおおさか東線を新大阪まで延伸する計画があり、実現の折にはこの地点に新駅を設置して、乗り換えの利便性を図るとか。

時刻は9時を回ったところで、線路際にある公園でのサイコロ(何回も言いますが、この企画は本物のサイコロは振らず、携帯のアプリを操作してますので・・・はたから見て怪しい奴と思われないように)。

1、2、3.ケーブル延暦寺(坂本ケーブル)・・・出るか初のケーブル駅。ちなみに、ケーブルは社名と判定してしりとりの文字には含めない。

4、5、6.恵我ノ荘(近鉄南大阪線)・・・早くも帰宅モード。

もう、「え」で始まる駅もこの2つ。朝の時間なれば、延暦寺に行っておきたい。ケーブル乗車も含めてこの日のメインイベントになりそうだ。

そして出たのは・・・「3」。おっ、来ましたね。

本来なら野江から枚方方面に移動するところ、乗り放題きっぷの利点を生かして、一駅京橋まで出て、そこから特急に乗る。そのほうが座れる確率が高いと踏んだ。果たして、無事に空席を確保し、三条までゆったりと移動する。

Dscn8391 比叡山には叡山電車とバス乗り継ぎでも行けるが、あくまで目的地は坂本ケーブルの延暦寺駅である。坂本ケーブルも京都、大阪への最速の手段としてアピールしている。まずは三条から京津線で浜大津に出る。

Dscn8393 Dscn8450 浜大津からは坂本行きに乗り継ぐが、やってきたのは各私鉄の「鉄道むすめ」のイラストがあしらわれた車両である。最近、この手のキャラクターがあちこちに登場しているが、いったい誰をターゲットにしているのかと思う。個人的に二次元オタクは嫌いなのだが(こう書くとまたハレーションが起きるだろうし、「お前、人のこと言えるのか」という人もいるかもしれない)、それと鉄道を結びつけるとは、余計に一部マニアを喜ばせる一方で、余計に一般大衆に嫌悪感を与えると思う。

石山坂本線は車両にイラストをあしらうのが好きな路線のようで、すれ違う車両も何かアニメとのコラボのようである。まああまり目くじらを立てるのもどうかと思うので車窓に集中する。

坂本に到着。ケーブル坂本までは坂を上って10分ほど歩くことになる。道中で穴太積みの石垣の街並みを見ることになるし、ケーブル駅の麓には日吉神社もある。ただこれらを見物しだすと、目的地が坂本ということになってしまうので歩く途中で眺める程度にしておく。本当にサイコロの目で坂本に来た時にネタがなくなってしまう・・・。

Dscn8400 それでも時間がちょうど昼食時、京橋から2時間近くかかったこともあって山に上がる前に腹ごしらえをする。坂本駅の近くに美味いそば屋があったのを憶えており、そちらに向かう。建物も国の登録文化財になっている「鶴喜そば」。店は300年以上の歴史を持つということで、「そばは一番、電話は二番、店は角から三軒目」というのがキャッチコピーである。宮内庁御用達という歴史もある。

Dscn8399 ちょうど席が空いていて通される。カウンター代わりの2人がけの席である。ただこの後すぐに満席となったから人気のほどがうかがえる。ざるそばをいただく。そばというのもなかなか評価の難しい食べ物で、普段駅や街中のスタンドで、そばというよりは「そばの味がする小麦粉の麺」を食べている身からすれば、純粋なそばというのは案外物足りないものかもしれない。でも香りはそれなりにするし、後のそば湯もしっかりといただける。ここまで来ると本物のそばなのかなあというところである。

お腹もできてケーブルの坂本まで歩く。この坂本ケーブルに乗るのは初めてである。片道860円の区間であるが、「スルッとKANSAI3dayチケット」では乗り放題の区間に含まれる。この区間を往復するだけでも、5200円のチケット、1回あたり1700円あまりの乗車分の元が取れてしまう。チケットが安いのか、ケーブルの運賃が高いのか。

Dscn8402 ただこの後、「ケーブルもこの料金ならやむを得ない。そこをスルッと行けるのがチケットのありがたさやな」と感じることになる・・・・。

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関西私鉄サイコロしりとりの旅2014夏・2-1

2014年08月06日 | 鉄道企画もの

今日の大阪は朝から晴天で暑かったのだが、四国では相変わらずの大雨。普通天気は西から東へと移るものだが、こうして雨雲が居座るというのはどういうものかと思う。何もかもが極端な方向に走る最近の世相を表しているのではないだろうか。

さて、大正ドームでの「夏の陣」の観戦を結局あきらめてのサイコロしりとり。(本当はある方と行こうという話をしていたのだが、仕事のご都合で流れてしまった。一人観戦でもよかったのだが、まあええかという感じで私も取りやめた。結果はご覧の通りで気分的にはまあまあというところだが・・・)

前回は江井ヶ島の「ま」で終わり、次の始まりは京阪本線の牧野。枚方市から2駅京都方面寄りである。「ま」で始まる駅にはこれまで行くことが多く、いずれはこの牧野にも降り立つことは想定していた。ただ前の記事で「あまり気乗りがしない」というようなことを書いたのにはある理由がある。それは後で書くとして。

Dscn8379 京阪の淀屋橋から準急に乗る。この後に出る特急に乗ってもよいのだが、枚方市から先はやはり同じ準急に乗り換えることになる。ならば始発から座って行こうということで、ロングシートながらゆったりとした時間を過ごす。天気は雨模様の予報。朝のうちはまだ降っていないがムシムシとする。冷房の風を受けながら、列車に揺られて読みさしの本に目を落とすのもいいものである。

Dscn8380 牧野に到着。典型的なベッドタウンという感じの駅である。周辺の施設としては関西医科大学とか大阪歯科大学のキャンパスなどが挙げられるが、大学のキャンパスまで行ってどうするというものではない。改札の外にあった周辺地図で、歩いて5分くらいのところに牧野公園というのがあるようで、とりあえずそこに行くことにする。

Dscn8382 こちらの公園では前日に夏祭りが行われたようで、地元の人たちが櫓を撤去したり、清掃を行っていた。園内のあちらこちらにビールの紙コップやたこ焼きの皿などが散乱している。祭りの時はゴミ箱も用意されていただろうが、やはり一部の心無い人や、酔っ払いとなるとゴミをその辺に撒き散らしてしまう。宴の後、日曜朝独特の気だるさを見たように思う。ご苦労さまである。

Dscn8381 そんな公園の中央には何やら墓石のような、塚のようなスペースがある。回り込むと新しい感じの石碑があり、「伝 阿弖流為 母禮之塚」とある。アテルイとモレ。彼らは平安初期、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の折り、蝦夷の首長と副将として戦ったが、結局降伏した。田村麻呂は2人を連れて都に凱旋したが、2人の武人としての人格に感心して朝廷に助命を嘆願する。しかし聞き入れられず、2人は河内で処刑された。処刑の場所にはいくつかの説があるようだが、有力なのがこの牧野の地であったという。石碑建立の協賛者には枚方市の関係者のほか、阿弖流為の故郷である岩手県は奥州市の名前も連なっていた。1200年以上も前の出来事であるが、大阪と岩手との意外なつながりである。

私が日本史で習った頃は、どうしても蝦夷というのが未開の部族で、それを征服する京の朝廷軍こそが正義であるというニュアンスであったのだが(後々、武家政治の幕府の最高位が「征夷大将軍」ということにも現れる)、近年のさまざまな研究では蝦夷側から見た歴史というのも語られるようになり、高橋克彦氏のような「東北史観」とも言える歴史小説もいろいろと発表されている。中でも、政治の非情な面になって坂上田村麻呂と阿弖流為、母禮の武人同士の友情というのもあっていいだろう。

ただ、処刑の場所がこの地というのはどういう理由があったのだろうか。都の人たちに見せしめとするのならそれこそ京の近くでもいいように思う。ネットで検索するに、「故郷である東北の地に似た風景が広がっているから」という説もあったのだが、果たしてどうなのだろうか。前夜に行われた夏祭りは、蝦夷の武将にも慰みになったことだろう。

Dscn8384 この塚に隣接して神社がある。「河州一の宮」ということで「片埜神社」とある。一の宮か・・・あれ?河内の一の宮は枚岡神社ではなかっただろうか。そもそもはその名の通り交野地方の鎮守の神様として信仰を集めていたのだが、これを修築したのが豊臣秀吉・秀頼親子である。ちょうど大阪から見た鬼門、北東の方面を守るという意味合いがあったそうだ。一の宮というのは、いわゆる旧国名ごとに定められた一の宮ではなく、「交野の」一の宮として昔から呼ばれていたものが残っているものだとか。

Dscn8385 このため、社殿も昔ながらのものというよりは桃山時代の様式を取り入れており、現在に受け継がれているとして重要文化財に指定されている。

片埜神社という由緒ある神社もなかなか風情があるが、私には阿弖流為のほうが意外な発見ということで一つためになった。やはりいろいろな駅に訪れてみるものである。

で、通常ならばここで次の駅のサイコロ・・・となるのだが、今回はそれは省略。それが当初気乗りがしなかった理由である。この次は、同じ京阪本線の野江である。「の」で始まる駅がそもそも「野田(阪神本線)」と「野江」しかなく、野田は以前に出ていたため、自動的に野江に行くことになるのだ。野田阪神や野江内代があるやないかと言う方もいらっしゃるかもしれないが、この企画では市営地下鉄は訪問駅から除外しているため対象外である。さらにその次の「え」も、選択肢がかなり限られている。だから先のルートがある程度読めてしまうのだ。

Dscn8387 先ほど通って来た駅だし、そのまま淡々と戻ることにする。よかったのはやって来た準急が転換クロスシート車で、ゆったりしたシートに腰かけてまずは守口市まで出る。そこで各駅停車に乗り換えて大阪市内に戻り、駅間距離の極端に短い区間を走る。中でも最も短い土居、滝井の両駅も今回の企画で訪れた。ここで、野江に降り立つ・・・。

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関西私鉄サイコロしりとりの旅2014夏・1-3

2014年08月02日 | 鉄道企画もの

京都府の南部~和歌山~そして明石と、関西をまたにかけて移動するこの企画。「スルッとKANSAI3dayチケット」の価格は5200円であるが、この分だと1日の移動だけで元を取ってしまうのではないかというくらいである。それだけこのチケットはお得だし、対象エリアの広さをも感じる。和歌山大学前から山陽電車の江井ヶ島に向かうが、今回阪神梅田経由で行った場合、通常運賃は2110円もする。

阪神梅田まで出たのは、山陽電車への直通特急に始発から乗るためである。先日、近鉄・阪神・山陽横断ツアーなるものに参加したのだが、その時は阪神のロングシート車両。車内をうろついたり写真を撮ったりするのには適していたが、やはり転換クロスシートの特急車両が山陽電車らしいなと思った。「軍師官兵衛」ラッピング車両は無理としても、明石までいくのだからそういうのに乗ってみたい。

Dscn8366 と思って梅田のホームで待ち構えていると、やってきたのは・・・阪神のロングシート。急ぐわけではないので1本見送ってもいいのだが、座れるのに1本見送ることもないかなと思い、そちらに乗車。阪神区間、神戸の地下区間、そして須磨の海に明石海峡大橋と、シート越しに車窓を見る。

Dscn8367 Dscn8368 明石で各駅停車に乗車して江井ヶ島に到着。対面式ホーム2面に平屋の駅舎がある。これまで山陽電車のいくつかの駅に降りているが、いわゆる無人駅というのが多い。自動改札もあるしICカードなどで対応できるからさほど支障はないのだろうが。まあ、私が通勤で利用する阪神の某駅も朝と夜は駅員がいない(大阪市内の駅なのに・・・)から、そんなものかもしれない。

Dscn8369 例によって駅近辺のどこかに行くことにする。いつも次の駅に向かう途中でウィキペディアで駅の検索を行うのだが、江井ヶ島について特に目を引く記述はなかった。ただ駅前に「ふるさとの道あんない」というイラスト看板がある。「江井島港」というのがある。どのくらい距離があるのかイラスト図なのでわかりにくいが、海でも見えるかとそちらに向かうことにする。その時は気づかなかったが、日本史で習うところの「明石原人」というのは、この辺りで発掘されたことによる。

古い民家も並ぶ静かな一角を歩く。7~8分もすると前方に水平線が見えた。案外近い。

Dscn8372 するとどうだろう、小ぶりではあるが海水浴場が広がっている。もっとも、海の家や監視員もいる入場料を取るような公的海水浴場ではなく、利用する人が自己責任で勝手に泳いで楽しんでいるところである。子ども会だろうか、スイカ割りを楽しむ子どもたちもいる。男の子が見事にスイカを真っ二つに割り、歓声が上がる。

Dscn8373 江井ヶ島の由来が書かれた石碑があったのでそれを読む。それによれば、かつてこの一帯は「嶋」と呼ばれており、奈良時代の行基によって港が開かれたという。行基が海上安全の祈祷をしていると、畳2枚ほどのある大きなエイが入ってきた。人々はエイを追い払おうとするが逃げない。そこで行基がエイに酒を飲ませてやると、エイは満足して沖に去った。そこから、「エイが向かってくる嶋」ということで、「江井ヶ島」となったとか。江井というのは当て字だろう。

また石碑では別の説として、この辺りは昔から「西灘の寺水」と呼ばれる良い水が出ることから、「ええ水が出る井戸のある嶋」ということで「江井ヶ島」となったとしている。うーん、行基伝説に水の伝説。行基は確かに摂津から播磨にかけての港の整備に力を尽くしたから、それにあやかるのはありかな。ただ、「ええ水」を地名にするということのはちょっと無理があるだろう。これは後付で、「江井ヶ島の水はええで」というPR用ではないか。

こちらの水がええのは確かなようである。今回は気づかなかったが、このブログでもたびたび登場する「実年齢+3歳」という酒歴を持つ鈍な支障さんによれば、江井ヶ島には「江井ヶ嶋酒造」という酒蔵があり、「神鷹」という清酒や「福寿天泉」という麦焼酎などを扱っているとか。知っていたら、エイヒレを肴に神鷹のワンカップ(を出しているのか知らないが)・・・もありかな?

Dscn8377 その海岸を見下ろすのが住吉神社。海の神らしいところである。社殿から鳥居越しに海を見るのもいい眺めである。もっとも、お賽銭は社殿の扉の脇に小窓があり、「ここから入れてください」というもので・・・。今後の交通安全を祈願する。

サイコロの目が出た時は「何と中途半端な」と思ったが、訪れてみると歴史あり、地元の人たちが楽しんでいる海水浴場、きれいな海を見ることもできた。普段は特急で通過してしまうところだが、自分の見聞が一つ増える面白さがある。

で、次のサイコロだが、江井ヶ島の「ま」となるといよいよ選択肢が少なくなってきた。

1、2、3.松ノ馬場(京阪石山坂本線)・・・京都~和歌山~明石ときて今度は大津!

4、5、6.牧野(京阪本線)・・・こちらも普段は通過駅。

ゲームとすればここで松ノ馬場が出た方が面白いのだが、時間も夕方近くなり、さすがに移動で疲れたので、この日は3駅しか訪れていないが繰り越しにする。さて、江井ヶ島の海岸でのサイコロは・・・またしても「4」。次は牧野から再開である。実はあまりよろしくない展開なのだが、その理由は次回のお出かけにて・・・・。

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