まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

今年もご愛読ありがとうございました

2013年12月29日 | ブログ
拙ブログをご覧の皆さん、今年もありがとうございました。

2013年、世間ではさまざまなことがありましたね。

私も、人生の転機になる一年になりそうかな・・・と思いましたが、結果としては、平穏に過ぎたのかなと思います。

新しい年が皆さんにとって素晴らしいものになることをお祈りしております。

来年も拙ブログへのご支援をよろしくお願いします。

それではこれより、泉大津から西に向けて出航します・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・6-3

2013年12月28日 | 鉄道企画もの

明石の魚住から山陽と阪神を乗り継ぎ、三宮で奈良行きの快速急行に乗り換える。次に向かうのが近鉄ということもあり、なんば線に乗車。上本町で下車する。前日、忘年会を行った場所である。ここの地下ホームから地上ホームへの乗り換え口にあるスタンドで伊勢うどんをいただく。

次に向かうのは大阪線の弥刀。各駅停車しか停まらないので上本町からの地上ホームから乗り込む。発車直前まで車内にハトが入ってのんびりと歩いている。

Dscn3926弥刀に到着。「みと」とはなかなか読みにくいのではないかと思う。由来があるのかと帰ってから調べてみると、近くに弥刀神社というのがあって、「弥」は「いやさか=ますます栄える」、そして「刀」だから刀を祀ったのではないかとか、近くにある「近江堂」という地名につながるのではないかとか、諸説あるようである。

Dscn3927駅はホームが2本、それぞれ通過列車の退避もできるが、上り下りのホームは連絡橋や踏切で結ばれておらず、別々に改札口がある。駅周辺は商店街もあり、年の瀬の買い物をする人で賑わっていた。

ここでは庶民的な駅前風情をバックにサイコロである。「と」で始まるのは・・・

1.栂・美木多(泉北高速)・・・出るか、初の泉北高速。

2.ときわ台(能勢電鉄)・・・能勢電鉄は結構な確率で出ている。

3.鳥取ノ荘(南海本線)・・・そういえば山陰の鳥取行きをキャンセルしたなあ。

4.富野荘(近鉄京都線)・・・京都南部のこの辺りは行ったことのないところが多い。

5.鳥羽街道(京阪本線)・・・朝降り立った六地蔵から街道を北上すると出るところ。

6.富雄(近鉄奈良線)・・・生駒の向こう。

いずれも訪れたことがない駅ばかりであるが、どうもイメージがわきにくい。まずはサイコロを振ると・・・「3」。鳥取ノ荘に向かう。

まず駅としてはどこにあるかということだが、阪南市まで下ることになる。ならば特急「サザン」で泉佐野あたりまで南下して乗り換えるかと思ったが、南海のなんばまで来て時刻表を見ると、ちょうど出発したばかり。みさき公園行きの区間急行で行けば乗り換えなしで行くことができる。車端部がボックス席になっている車両だったのでそちらに座り、ゆったりと移動する。

Dscn3928鳥取ノ荘に到着。対向ホームの簡素な駅で、こちらも駅員が常駐していない。駅前に出てみるが特に「これ」と言って目を引くようなものはない。近郊住宅地というところである。

Dscn3929鳥取というと山陰の鳥取を思い浮かべるが、何か関係あるのかと帰ってから調べると、「鳥取部(とりとりべ)」という、白鳥などの鳥を捕獲して朝廷に献上する職業というのがあり、それにちなんだ日本書紀の伝説が由来になっているという。この阪南市の鳥取もそうだし、山陰の鳥取にもそういう人たちがいたということだろう。

駅前を少し回ったところでさほど見るものもなく、また駅前に戻ってサイコロとする。「う」で始まる駅も残り少なくなっていて・・・

1.魚崎(阪神本線)・・・灘五郷に行くか。

2.浮孔(近鉄南大阪線)・・・これだと藤井寺を通過することに。

3.宇治(京阪宇治線)・・・朝、手前の六地蔵に行ったばかりだが・・・。

4.畝傍御陵前(近鉄橿原線)・・・大和三山にお参りするか。

5.梅田(阪急、阪神)・・・いずれは、ここに「目的地」として行くこともあるか。

6.振り直し

今度は一転、名のあるところが並ぶ。そこで出たのは・・・「6」。ということでもう一度振り直して「3」。宇治となる。

ただ、ここから宇治となると到着が18時近くなる。せっかく、世界遺産のあるところなのだから駅前散策もしてみたい。ということでこれは繰り越しとする。繰り越しといっても今季の「サイコロしりとり」はこれで終了で、次の春の「3day」の発売を待つことにする。

Dscn3930一応、3回分を使い切った区切りということで、打ち上げということにする。鳥取ノ荘から「普通車」で泉佐野まで出て、やはり最後は特急「サザン」に乗り込む。ゆったりとしたシートに座ってしばし睡眠時間。天下茶屋に到着する。

Dscn3933あくまで「乗り換えのための下車」であるが、せっかくなので駅前に出てみる。商店街をしばしぶらつくが、結局入ったのが駅舎と対面する「やなや」という立ち飲み屋。天下茶屋は庶民的な店が多いと聞くが、その分個性の強い店も多いようで、初めてでは結構入りにくいところがある。その点、防寒シートはあるがオープンな雰囲気で入ってみた。休日ということで客はパラパラだったが、平日は仕事帰りで賑わうことだろう。店長とおぼしき男性は結構コワモテな感じがするが接客はソフトだし、店内の角ハイボールのポスターにもお茶目な表情で写っている。

Dscn3932居酒屋メニューは豊富に揃っており、特に肉料理のメニューが多い。ホルモン焼きも結構歯ごたえがある。今回は食べなかったがレバーやら生のセンマイもあるようだ。

Dscn3931うなったのがこちらの「牛とろあぶら造り」。取り過ぎは体にこたえそうだが、小皿で出る分にはちょうどいい量。口に入れるとスーッと溶け、牛肉の香りというのがほのかに残る。

しばらく楽しんだ後、堺筋線~御堂筋線で天王寺に戻る。今季の「サイコロ」はこれで終了。次は春の宇治からということになる・・・。

ご覧の皆さんには長々とシリーズにお付き合いいただき、ありがとうございます。ただもし、そんな企画にご一緒しようという方がいらっしゃれば、ウエルカムですよ・・・・。

【これまでの記録】

大阪阿部野橋~滋賀里~道場南口~茶山~牧落~中書島~松尾~黄檗~九条~鶯の森~林間田園都市~汐ノ宮~八家~橿原神宮前~恵比須~須磨~松ノ浜~真菅~貝塚~春日野道~千早口~千船~寝屋川市~志染~三井寺~洛西口~千鳥橋~汐見橋~信貴山下~大開~石切~りんくうタウン・・・相川~和歌山市~四宮~八戸ノ里~土居~泉大津~鼓滝~祇園四条~ウッディタウン中央~畦野~野田~高槻市~下古沢~和歌山港~打出~出屋敷~喜志~俊徳道~千代田~滝井~磯ノ浦・・・六地蔵~山陽魚住~弥刀~鳥取ノ荘

【会社別】

近鉄・・・10、阪急・・・5、阪神・・・7、京阪・・・10、南海・・・13、神鉄・・・4、山陽・・・3、高速・・・1、叡山・・・1、能勢・・・3

【府県別】

滋賀・・・2、京都・・・8、大阪・・・25、兵庫・・・14、奈良・・・3、和歌山・・・5

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・6-2

2013年12月27日 | 鉄道企画もの

Rscn3899京阪の六地蔵から山陽電車の魚住まで。中書島から特急で淀屋橋まで移動し、地下鉄で梅田、そこから阪神~山陽の直通特急に乗る。この時点で朝の9時。ただ魚住というと明石の向こうで、まだまだ時間がかかる。

Dscn3900Rscn3904この日は冬の晴天で、神戸市街を過ぎて須磨にさしかかるあたり、穏やかな海をみることができた。さらには、明石海峡大橋。舞子公園で橋を間近に見たり、明石で明石焼きや魚介類で一杯・・・というのが出ないかなと楽しみにしているが、なかなかそうは行かない(そう思うところを見ると、ゴールを目指すのはどうでもよく、一つでも多くの駅に行きたいという別な遊びになってきている)。

Dscn3908明石を過ぎ、確か魚住は次の東二見で各駅停車に乗り換えればよかったなと思い、シートでゆったりして高速で小駅をすっ飛ばす快適な走りを楽しむ。JR新快速に少しでもスピードで対抗しようという山陽電車5000系の乗り心地はいいが・・・ふと、高速で通過する「うおずみ」の文字を見る。

あら?と車内の案内図を見ると、魚住は東二見の一駅明石寄りだったことがわかる。路線図を見ずにうろ覚えで乗車したがためのミス。まあ、別に誰か待っているわけでもなく、特に影響なしとして東二見から一駅戻る。

Dscn3925魚住というと近くにJRの駅があることもあって名前はよく聞くが、こちら山陽の魚住は小ぶりな駅で、駅員も常駐していないところである。改札口は姫路方面のホームから降りたところにあり、明石方面のホームからは地下道をくぐる。その地下には水族館のような海中の絵が描かれている。まさに「魚住=魚の住むところ」という感じ。

近くに何か見どころが・・・ということで、歩いて5分くらいのところに住吉神社というのがあるようである。また寺社参りということになるが、とにかく行ってみよう。

Dscn3912住吉神社といえば、大阪の住吉大社が頭に浮かぶ。境内に示された案内によれば、住吉大神が「播磨の国に渡り住みたい。藤の枝が流れ着くところに祀れ」とのご託宣があり、藤の枝を海に浮かべて流れ着いたのがここ魚住だったという。神功皇后の三韓征伐の時には、播磨灘で暴風雨に見舞われた時に、魚住に退避して住吉大神に祈願すると暴風雨が収まったという。もともと良い停泊地としての歴史のあったところだろう。

駅から歩いて境内に入ると拝殿の裏側に出る造りで、まずは正面に回って参拝する。江戸時代に建てられた能舞台や山門を見る。

Dscn3916するとどうだろう、参道が伸びた鳥居の先には海が見える。なるほど、海上の守護である住吉神社、海に向いて鎮座しているということだ。大阪の住吉大社も、鳥居の前は路面電車が走る道で、その先にも住吉公園をはじめとして陸地が広がっているが、そもそもは住吉は海が近かったところ。やはりそういう海に面した建て方になっている。

Dscn3918こちらの住吉神社のすぐ前が海で、小さな船舶の係留場でもあるし、石造りの桟橋も伸びてのんびりした釣り場になっている。沖合では何かの養殖いかだが広がっており、左手には淡路島、右手には三菱重工業の高砂製作所の敷地も見える。

Dscn3922桟橋に出て後ろに振り返ると、ちょうど正面に住吉神社の鳥居、そして奥に神社の木々が茂るのを見る。昔のように、海から舟でこぎつけて参拝すると一層神々しさが増すように思う。海に生きる人たちにとっては、神様が海の方向を見て我々を見守ってくれているという感じに思えるだろう。魚住、こういうところであったとは初めて知った次第である。

今度はここでサイコロということにする。「み」というのも2回目の選択肢で、

1.三国(阪急宝塚線)・・・大阪の下町風情

2.三国ヶ丘(南海高野線)・・・百舌鳥の古墳群が近い。

3.みさき公園(南海本線)・・・また、和歌山近くまで行くか。

4.御陵(京阪京津線)・・・これもまた大きく京都に戻るなあ。

5.三日市町(南海高野線)・・・こちらも遠い。

6.弥刀(近鉄大阪線)・・・東大阪。

みさき公園というのもまた海岸近くていいかなと思いながら、桟橋から鳥居を見てのサイコロは・・・「6」。近鉄で弥刀である。

Dscn3924再び山陽電車に乗り、こんどはちゃんと明石まで各駅停車、明石から直通特急乗継である・・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・6-1

2013年12月25日 | 鉄道企画もの

・・・どうもクリスマスという言葉を聞くと、我が身の淋しさについ感情的なことを書いてしまう。まあ所詮そんなところである。

それはさておき、22日の夜に大学時代の友人たちと上本町で忘年会をこなした翌日、今季最後の「サイコロしりとり」となる京阪の六地蔵に向かう。会の時にも「明日は六地蔵に行くぞ!」などと宣言をしていたところ、前日が遅かったがパッと起きることができて自宅を出られたのは上々である。ただ、淀屋橋からの京阪電車は急行だが特急型の車両を使っており、前面展望も楽しめる座席だったのに、ここで眠気が出て中書島までぐっすりと。

正直、同じ学年でマラソンに打ち込んでいたり、子育て世代もいたりする中で、サイコロ振って駅を回って・・・という、ある種子ども的、ある意味オッサン的な過ごし方ではあるが、まあこれも道楽である。

Dscn3893この企画で下車駅にもなった中書島では朝食としてホームのそば屋に入り、宇治行きに乗る。こちらはワンマン運転である。しばらく宇治川に沿い、観月橋、桃山南口を経て六地蔵に到着。

Dscn3894六地蔵という、そんじょそこらにあるような名前ではない駅。少し離れているが、JR、京都地下鉄のそれぞれの駅があり、京都市の東南端の交通の要衝のように見える。六地蔵、つまり地蔵が6体というのはあてずっぽではなく、調べたところでは「六道輪廻」という仏教の考え方に由来するそうで、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」という6つの道にそれぞれの地蔵が対応しているとか。平安の頃、小野篁という人がその6体の地蔵を彫り、祀ったのが駅の近くにある大善寺という寺。

Dscn3896ならば六地蔵駅の駅前散策は、その大善寺にする。JR、地下鉄も乗入れて交通の要衝としてマンションやニュータウンが広がる一方で、京阪駅の周りは比較的時代の長い家々も結構残る。そんな中を歩いてやってきた大善寺。現存の建物は江戸時代に建てられたようだ。

Dscn3897六地蔵もここに全てあるわけではなく、平安末期には後白河法皇の命により、東海道、奈良街道、鞍馬街道、大阪街道、山陰街道、周山街道という、都に続く主要街道に、言わば都のお守りとして分祀されるようになった。今私が観ているのは奈良街道にある地蔵だし、この企画で訪れた京阪京津線の四宮駅の近くにある徳林庵の地蔵は山科街道にあるものである。この企画、寺社参りというのも結構あるが、京都六地蔵のうち2つを回ることになったのも何か功徳を感じるところである。

ここで「う」で始まる駅のサイコロである。「う」というのありそうで実際は少なく、もう6駅しか残っていない。

1.魚崎(阪神本線)・・・灘の酒どころもいいな。

2.山陽魚住(山陽電車)・・・明石の向こう。また長距離移動である。

3.浮孔(近鉄南大阪線)・・・橿原の手前。

4.宇治(京阪宇治線)・・・世界遺産の街だし、六地蔵から近いのでベスト。

5.畝傍御陵前(近鉄橿原線)・・・大和三山を見るのもいいな。

6.梅田(阪急、阪神)・・・関西を代表する駅である。

この中なら、見物を兼ねて宇治に行くのがベスト。その次、梅田というのも「駅の目的地」として行くことは別の面白さがあるかな。魚崎で酒蔵巡りというのもそそられる。

お地蔵さんの前でのサイコロは・・・・「2」。やはりそう甘く行くものではない。

友人たちに前夜のお礼メールを送信し、さてここから明石の向こうまでの移動である。今季最後の「サイコロしりとり」、最後はどこにたどり着くことになるだろうか・・・・。

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クリスマスイブ・・・・

2013年12月24日 | ブログ

正直、自分の全てを否定される日ですね。

改めて、自分を情けない、ろくでもない人間だと思います。

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いよいよ年の瀬

2013年12月23日 | ブログ

あと1週間もすれば今年も終わりである。そろそろ、今年の回顧などもしなければならないところであるが、今年も劇的というようで、一方では平穏に過ぎたというか、何とか12月のこの時期までよく持ってくれたな、という思いである。

週末は部屋の大掃除を済ませた後、夕方から大学時代の友人たちとの忘年会である。だいたいがミナミで行うことが多いところ、連休まっただ中の難波、心斎橋、ましてや梅田となると大混雑は必至である。そこで、「例えばチェーン居酒屋などは、そのチェーンならどの店に入っても料理はほとんど同じである」ということもあり、混雑を避けてボール1個分外す意味で上本町六丁目にて開催。近鉄のコンコースで集合としたが、なるほど、確かにここなら混雑も見られなかった。ただし、普段近鉄に接していないエリアから来る人には「どの線でどうやって行けばいいのか」と結構迷わせたようで、それは申し訳なかったかな。

都合8人集まったが(浪人して入学した人もいるが)、翌年はいよいよ本厄を迎えるという年代。何だか会うごとにだんだんと歳の話とか、健康がどうだとか、結構切実な話題が出てくる。また既婚者と独身者がちょうど半々(私は後者ですが・・・)という構成で、お子さんの話が出たと思えば、「お前、そっち(結婚)のほうはどないやねん」ということも。それでも、気を遣わず忌憚のない話ができるのも同期の強いところである。

二次会はこの仲間の定番、上六にもちゃんとあったサイゼリア。ワインとドリンクバーで盛り上がったところでお開き。また来年も(今回欠席した人も含めて)お互い笑顔で再会できればなと思う。また、来年は誰かの「お祝い」というのが発生すればなとも思う。

・・・そんなこんなで盛り上がった翌日は、また早朝から出発して今季最終日の「サイコロしりとり」である。結果から言うとゴールにたどり着くことはできなかったが、果たしてどこで終了し、来年の春のシーズンはどこから再開となるのか、またお楽しみにしていただければ・・・・。

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『俺たちの「川崎」ロッテ・オリオンズ』

2013年12月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

現在のパ・リーグの中で最も熱いファンの声援が送られているのは千葉ロッテマリーンズだろう。野球というよりサッカーに近いスタイルの応援はいまやすっかりプロ野球の中でもおなじみのものとなり、他球団でもそのスタイルが少しずつ広まっているように思う。また、パに限らずセとの交流戦でのビジターでも、外野スタンドに陣取る黒い集団の存在感はすごい。私もこのところ年に1回、そういうアウェーの集団に収まってその熱気を肌で感じているのだが・・・・。

今でこそ各地のファンの声援も大きいが、さて時代をさかのぼってみると、ほんの20年も前、昭和から平成初めにかけての時期のパ・リーグの球場といえば「ガラガラ」というのが定番であった。ダイエーが移った福岡は別としても、日本ハム戦は後楽園~東京ドームでは巨人の裏試合扱いだったし、関西の球団も似たようなものであった。私の地元・藤井寺球場も、準本拠地として使っていた日生球場ともどもボロ球場の代名詞のような言われようであった。ただ、そういうところで野球を見ていたというのは今ではできない貴重な経験のようにも思うのである。

さて、そんなパ・リーグのマイナーさの象徴とも言われているのが「川崎ロッテ・オリオンズ」である。もちろん球団名はロッテ・オリオンズであり、頭に「川崎」とついたのは、1978~1991年まで川崎球場を本拠地とした時期を指すときの便宜的な呼び方。テレビのプロ野球珍プレーでは、ガラガラのスタンドで流しそうめんをやっていたり、カップルがいちゃついていたりというシーンがよく流され、オリオンズは決して万年Bクラスの球団ではないし、名選手も多かったのだがどうしてもマイナーな扱いとなってしまっていた。近鉄ファンとしては、あの昭和最後の名勝負「10・19」の舞台となったことはいつまでも記憶に残ることであるが・・・。

Pc1_lそんな、なかなか日の当たらない「川崎ロッテ・オリオンズ」を徹底して取り上げたのが本書。これまでベースボール・マガジン社の書籍で近鉄、阪急、南海の歴史を取り上げたものは読んでいたが、それに負けず劣らず濃い内容となっている。

村田兆治、有藤通世、落合博満、リー兄弟などのインタビュー、メッセージ(落合についてはオトナの事情でインタビューができなかったのか、好敵手という立場で山田久志のインタビューだった)がある一方、「あの頃、どうしてガラガラだったのか」という、球団とファン、地域のかかわりについて論じた一文もあった。その当時はそういう意識では見ていなかったのだが、この歳になるとなるほどと思うこともある。川崎から千葉に移って新たなファンを獲得したロッテ、藤井寺から大阪に移って球団を消滅させた近鉄・・・それも時代の妙なのかとうならせることである。

子どもの頃はもちろん川崎球場に行くことなどできず、私が初めて訪ねたのはちょうど5年前の「10・19」。現在はアメフトを中心とした球技場として残されており、照明塔を初めとしてところどころに野球場だったころの名残が見られる。仮設スタンドに座って、芝の上を左右に行き来するアメフトの試合を眺めながら、見ることのなかった往年の野球風景を想像してみたものである。できればまた、もう一度訪れてみたい。

余談であるが、オリオンズのことが出たので先日の話を。このブログでもおなじみの鈍な支障さんと一献やっていたのだが、いつものように野球の話となり、その中で、「オリオンズが西鉄のエースだった稲尾和久を監督に迎えたのは、本拠地を川崎から福岡に移転させるという計画があったからだ」という、結構知られているエピソードのことが出た。

そこで出たのが、「もしロッテが福岡に行っていたら、パ・リーグの歴史もまた違ったものになってたかもしれませんな」ということである。つまり福岡ロッテ・オリオンズ。そうなると、ダイエーが南海を買収した場合は、本拠地は神戸になっただろう。オリックスはどうだろうか。阪急を買収して、ひょっとしたら関東、それこそ千葉に行っていたか(まだ北海道や東北に本拠地を、という展開にはならないだろう)。ただそうすると、仰木監督というのも考えにくく、イチローは誕生しなかったかな。近鉄はどこかに買われたとしても、球団合併までは行かなかったか。そうすると楽天は生まれず、今年、田中マー君の力で日本一になることもなかったか・・・・。プロ野球の勢力図もまた別の展開をすることだろうし、想像はどこまでも広がっていく。

野球のシーズンオフ、たまにはこうした「歴史」を紐解き、イフエニイをやってみるのも、面白いものである・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・5-3

2013年12月20日 | 鉄道企画もの

年の瀬を迎え、季節もそろそろ冬本番という頃であるが、きっぷはまだ「秋」の関西私鉄である。

前回の続きがまだ残っていたので、それを書いておくことにする。

さて前回は京阪本線の滝井駅からの次の駅で、引き当てたのが磯ノ浦というところ。一瞬「どの線にある駅だったかな」と思い出せず路線図を引っ張り出す。南海の加太線、しかも終点・加太の一つ手前である。

実を言うと南海加太線というのにはこれまで乗ったことがなかったのである(確かにJRは全部行ったが、私鉄となるとまだまだ乗ったことのない路線が関西ですら結構あったりする。まして名鉄や関東私鉄となるとまだまだで、本当に奥が深い)。まあいい機会かなということだろう。

Dscn3820加太線の起点は紀ノ川駅であるが、列車は和歌山市まで乗り入れており事実上は和歌山市が起点。和歌山市~紀ノ川が往復乗車になるが、南海のルールでは、改札口を出なければその区間は往復乗車になっても構わないというのがある。ということで、大阪からだと一度和歌山市まで行くのが便利である。そして、そうなら南海特急「サザン」に乗ることになる。

この企画で南海も、もとい何回も乗ることになった「サザン」。和歌山市まで1時間なら特急料金を出してでも快適な空間がありがたい。JRのローカル線なら「この区間は特急ではなく鈍行列車でないと」と言う割には、私鉄だと特急、しかも座席が良ければ有料でも料金を払って乗りたくなるという妙なところがある。

Dscn3822そしてやってきた和歌山市。ここから加太線の2両の電車に乗る。また紀ノ川を渡り、紀ノ川駅から進行左手に分かれる。単線区間ではあるが、周囲は和歌山近郊の住宅街が広がる。利用客もそこそこあり、これがシーズンなら加太に向かう客で結構賑わうことだろう。

Dscn3823途中の駅での列車行き違いもこなしながら、磯ノ浦に到着。降り立ったのは私だけ。小ぶりな駅だが若い駅員がおり、列車の発車を見送る。

Dscn3824加太線そのものが初めてなので、降り立つのも初めての磯ノ浦。駅から南側のほうが開けているので、そちらに行ってみる。

Dscn3827すると、駅前の駐車場スペースを抜けたところに防波堤があり、その向こうには穏やかな海岸が広がっていた。夏場は海水浴場、そしてサーフィン場として賑わうところである。

Dscn3833ここ磯ノ浦は、大阪からもっとも近いサーフィンの場所として、初心者がまず登竜門として挑むところのようである。私は知らなかったのだがその筋では結構有名なところ。ただ、クルマで来ようと思えば周りの道幅の狭いところというのが難点だろうか。サーフボードを担いで加太線に乗るというのもなかなかイメージが湧かないのだが。

Dscn3830Dscn3844この季節は実に静かなものである。来た時にはおそらくドライブ途中のカップルが1組と、この季節にサーフィンの練習をしようということか、波に乗ってみる青年が一人いただけだったが、やがていなくなった。誰もいない海、固い砂の海岸を歩いて感傷にひたってみる。

この企画で、こうやって海と直に触れるというのは初めてではないだろうか。なかなか海に近い駅というのが当たらなかったということもあるが、一度出した須磨というのは夏の海水浴シーズンまっただ中で、砂浜に降り立つことすらできなかったことを思えば、こういう秋冬の海というのもよいものである。ええやん、一緒に来る人のいない淋しいオッサンにはこのくらいがお似合いというもの。

ここで次のサイコロとする。磯ノ浦の「ら」は、唯一あった洛西口をもう出しているし、一文字ずらした「り」ももう売り切れ。「る」と「れ」がないので、「ろ」から始まる駅となる。

1、2.六地蔵(京阪宇治線)・・・伏見六地蔵の駅。

3、4.神鉄六甲(神戸電鉄)・・・六甲は六甲でも裏側(北側)のほう。

5、6.六甲(阪急神戸線)・・・こちらが南側の六甲。

これは微妙なところである。六甲か、京都か。ただ、行けばちょうど暗くなる時間帯のところ、この前日は東京への弾丸往復もやっていたこともあり、もう次回でもいいかなと。この日は駅数を稼げるかと思ったが、結局は喜志、俊徳道、千代田、滝井、磯ノ浦の5駅で終了。やはりこの企画、1日5駅が限界かな。

Dscn3847・・・サイコロの結果は「1」。いよいよ次回が年内最後のサイコロということになるが、まずは京都までの長距離移動となる。和歌山市まで戻り、再び「サザン」(今度はプレミアム車両)に乗ってなんばまで戻ったところ本日終了。

果たして、年内にゴールの渡辺橋に行けるのか、あるいは越年、次は春の「スルッとKANSAI」を使っての「駅のお百度」ということになるのか、まだまだ続くことである・・・。

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猪瀬辞任、王将射殺、後藤移籍・・・

2013年12月19日 | ブログ

12月19日は何だか世間が慌ただしく過ぎた一日のようである。衝撃的なニュースが3つ飛び込んできたからだろうか。

まずは東京都の猪瀬知事の辞任。まあ、徳洲会からの5000万円の金を巡る都議会からの追及に屈した形になったが、就任から1年での辞任というのは今後都政の混乱を招かないかが心配である。5000万円をどのような形で受け取ったかというのが追及の焦点だったようだが、そもそも「なぜ徳洲会が猪瀬知事に5000万円を渡したのか」という点でクローズアップされたのが、猪瀬知事が厳しく求めていた東京電力の病院の譲渡について、その譲渡先が徳洲会だったということ。

その前後で5000万円が徳洲会から猪瀬知事に渡ったというのが、病院を巡る便宜・・・つまりはワイロになるのではということである。これが直接の動機だと言われればそうだろうし、ならば、なおさらやっていることはかつての金権政治と変わらないのではないか。さらに、一事が万事で、東京五輪の招致だってそういうことをやっていなかったとは言えないのではないかと思う。まあ、辞任は最低限の対応で、今後、刑事訴訟の面でどのような追及がなされるのかが注目である。

2つ目は、「餃子の王将」(京都のほう)の社長が本社前で射殺されたこと。犯人は逮捕されておらず、どのような動機でなされたのかはまだわからない。ネットでは「王将がブラック企業だからその恨みを買う形で社長が殺されたのでは」とか「大阪王将の陰謀とか」など、好き勝手なコメントが飛び交っているが、一発で殺したところを見ると相当の腕を持つ人間を抱える、相当な組織的犯行と言えることだろう。

確かに、フランチャイズ店舗での長時間労働が問題となったり(私が先日研修を受けたのも、労働時間管理や雇用に関する内容のものであったが、その事例としても)、ある店舗で全裸の男性たちがカウンターに座る画像が流れたことが原因でその店舗が閉鎖に追い込まれたり、という問題はあるが、それでも餃子をはじめとした各種メニュー、また店舗それぞれのオリジナルセットも、日本流中華料理をリーズナブルに楽しめるチェーンである。これからも営業は続けてもらう一方で、早く犯人をつかまえて動機を明らかにしてほしいものである。

最後に、オリックス・バファローズの後藤選手と東北楽天の鉄平選手の交換トレード。メディアでは「鉄平がトレードで移籍」と、鉄平選手の視点からの内容が多かった。まあ、かつての首位打者でもあり、今年は選手会長として楽天の初優勝に貢献した選手が「主語」になるのは仕方のないところである。一方の後藤といえば、「万年Bクラスのオリックス・ブルーウェーブ~バファローズ」の、ある意味の象徴である。確かに持ち前のパンチ力で、出会い頭の本塁打をたまにかっ飛ばすこともあるが、全体で見ればチャンスに弱い、期待はずれ、おまけに今季は出場試合も激減・・・となれば、今が手放すタイミングだったのだろうと推測される。私としては「これはあっぱれ」と思う。まあ、万年BクラスのA級戦犯(の一人)を斬ることができたのだから。

バファローズの首脳陣も、抜本的な改革として多くの選手たちに「トレードがあるかもしれない」というのを認識させているようである。ちょっと刺激を与えないとあっさりと退団する人のほうが多いのだし・・・。

今後それぞれどうなっていくのかが楽しみである・・・・。

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東京研修前泊

2013年12月18日 | 旅行記C・関東甲信越

拙ブログの更新が3日ほど止まっていたのは、社内研修のため東京に出かけていたため。宿泊施設も併設した自社の研修施設だったのだが、参加者の中、あるいは別の研修のために訪れていた人たちの中でそれぞれ懐かしい顔もあり、学習だけでなくそういう人たちとの交流も意義あるものだった。夕食が懇親会で、その後は談話スペースでの二次会もあり・・・。

月曜朝からのプログラムだったが、その時間に間に合おうとすると当日朝の新幹線でも無理。ということで宿泊施設に前泊となったが、せっかくの日曜日移動なので、どうせなら東京見物を兼ねようかと。で、どこに行くか。前回同じようなケースだった時にはサイコロで行き先を決めたりもしたが、今回はあっさりと行き先を浅草に決める。やはりあのムードを味わうのもいいかなと思い、また久しぶりに演芸ホールで落語を聴いてみたいなというのがあった。

Dscn3861朝ののぞみで出発。日曜の朝は比較的空いている時間帯で、私の乗った指定席車両も最後まで窓側でも空席があったくらい。この季節は空気が澄んでおり、富士山の姿をばっちりと見ることができる。車内放送でも、富士川の鉄橋にさしかかるころに「進行方向左手に富士山を見ることができます」とやっていた。世界遺産に登録されたこともあり、富士山人気というのも盛り上がっている。この年末年始は富士山を望むエリアが人気のようである(富士川から撮った写真の出来がよくなかったので、まだましに写ったものを貼りつけておく)。

Dscn3868東京に到着し、とりあえず大きな荷物はロッカーに預けて向かったのは浅草。まずは改装された東武浅草駅につながる吾妻橋に立つ。ここから見るアサヒビールの建物、その向こうの東京スカイツリーというのはお気に入りの景色。スカイツリーはまだ上っていないが、どちらかと言えば高所恐怖症の気もあるし、混んでいるだろうし、まあまたいずれ旅で訪れることもあるだろうしと、この位置から眺めるに止める(そういえば東京タワーは、東京在住期間があったにも関わらず上ったことはなかったなあ)。

Dscn3871さすがに朝の時間は神谷バーは開いておらず、まずは浅草寺へ。久しぶりの雷門をくぐり、仲見世通りを歩く。

Dscn3876Dscn3882まだ12月であるが早くも正月飾りがなされている。少し早い初詣のリハーサルか。それにしても人、人、人で、東京にとどまらず全国的な人気スポットというところである。少し前に進むだけでも結構時間がかかる。それでもしっかりと参詣し、少ない賽銭ながら手を合わせてさまざまにお祈りをする。

その後は演芸ホールまでぷらぷらと歩くが、その横にドン・キホーテがあって結構賑わっている。本当に「何でも屋さん」という感じのドン・キホーテが別に浅草にあっても不思議ではないなと、演芸ホールの開場までしばらく中に入ってぶらぶらとして、何がしかを買ったりもした。すると、後で演芸ホールで噺家がマクラで「隣にドンキが新しくできましたよね」と言っていたのを聴いて、調べたところでは12月13日にオープンしたばかりだったとか。新しいものと旧いものがごっちゃになっている浅草(別にドンキが新しいものの象徴というわけではないが)、しばらくぶらついて演芸ホールへ。

Dscn3885こちらではざっと20組ほどの落語、漫談、奇術、漫才、太神楽などを楽しむことができた。笑点に黄色い着物で出演する噺家も出るとあって、その頃には立ち見客も大勢出る盛況ぶりである。オープンしたてのドンキと、昭和風情をモロの残す演芸ホールの対象の妙に感心する。ただ一つ言うなれば、別に私は「この噺家さんがお目当て」というのがあるわけではないが、当初公表している番組に比べ、その半数が「代演」という有様で、当日用のプログラムを別に配っていたのはいかがなものかと思う。まあ、噺家も売れっ子さんだったり、それぞれ営業の予定が後から入って変更になるのは仕方ないし、数人ならともかく、半数が「代演」というのは、おちょくっとんのかと言いたくもなる。それなら先の「番組表」など作ってネットで公開する意味など何もないと思う。また、予定通り、代演問わず、落語のネタをやるわけでもなく、漫談とも雑談とも取れないようなことを何となくしゃべって、ハイ時間ですといって下がるのは、座布団と扇子だけで結構な商売ですなと言いたくもなる。落語人気は結構だけど、本当にたまにしか来られない客もいるのに、そういう客をバカにした仕事はしないでほしい。

Dscn3888Dscn3887本来なら夕方から東京在住の友人と会うところだったが、あいにくと家庭の事情で合流が遅くなりそうなのと、私の宿泊施設へのチェックインの門限も気になるところで、結局はまた次の機会にということで、一人中心部に戻る。日曜というのは昔風情の大衆酒場は結構店休日だったりするのだが、その中で御徒町の加賀屋に入る。ホッピーをメインに、煮込み、もつ焼きという東京居酒屋の定番をいただく。これらは東京料理としての一分野ということで、日常の食事とはいかないまでも、来たからには味わいたいところである。

まずはこのような形でウォーミングアップを行い、研修に乗り込んだ次第であった・・・。(研修の詳細内容は個別の仕事に関わることなので、拙ブログでの記載は控えることとします)

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・5-2

2013年12月14日 | 鉄道企画もの

Dscn3800南海高野線でやってきたのは千代田。いずれここは降り立つことになるなと思っていた。「ち」で終わる駅が多い一方で、「ち」で始まる駅はエリア内に6つしかない。後はどこをどうたどってやって来るかということだが、前の駅が近鉄大阪線の俊徳道ということで、まあまあである。

河内長野市の北西部の中心駅で、金剛山を遠くに、また周辺には住宅街が開けている。外も冬晴れの天候だし、まだ時間は早いということで、少し歩いてみることにする。駅から数百mのところに公園があるようで、そちらに向けて歩く。

Dscn3802こちらは寺ヶ池公園という、河内長野市が管理している公園である。まずはテニス場に野球場が現れる。野球場では「卒団式」というから少年野球のイベント試合が行われている。これを抜けると池に出てくる。

Dscn3805この寺ヶ池というのは、江戸時代に新田開発の水源として掘られたため池である。工事にはのべ4万人の手がかかったという。現在は地元の人たちの憩いの場として、春の桜、秋の紅葉を楽しむことができる。遊歩道を散歩する地元の人たちも多い。

Dscn3807入口から500mほどで、どうやらこちらが公園の正門と思われる広場にやってくる。四季の広場ということで噴水やら花壇もある。そしてイルミネーションの照明もあり、夜間はこれらが点灯するのだろう。冬の河内長野の名物としての定着を図る呼びかけの募金箱も設置されている。そろそろイルミネーションか。もしこの日の夕方でイルミネーションスポットのある駅が出ればベストだな、と思う。

こちらで次のサイコロとする。これから「ち」で終わる駅が出た場合は、一文字後の「つ」で始まる駅から選ぶこととする。

千代田の「だ」、もしくは「た」で始まるのは、

1.高安(近鉄大阪線)・・・こちらは近鉄の車庫のある駅。

2.宝ヶ池(叡山電車)・・・洛北への玄関口。

3.宝塚(阪急宝塚線)・・・言わずと知れた宝塚。

4.高鷲(近鉄南大阪線)・・・藤井寺の隣の駅。

5.滝井(京阪本線)・・・先日訪れた土居の手前、駅間の極端に短いところ。

6.滝谷(南海高野線)・・・千代田の隣の駅。

これで滝谷が出ると、この企画で初めての「隣の駅への移動」となる。駅数稼ぎならもってこいだが・・・出たのは「5」の滝井。実は前に土居に降りた時は、隣となる滝井まで歩いてそこから次の電車に乗ったのだが、今度はあくまで目的地として訪れることになる。

ということで高野線からまた天下茶屋まで出て、乗り換えのタイミングを利用して早めの昼食とした後、堺筋線で北浜に出る。

Dscn3812京阪の各駅停車でやってきた滝井。以前に隣の土居を訪ねた時にも書いたが、この辺りは極端に駅間距離の短いところである。今回、滝井駅でそれを確認する。乗ってきた電車が出発する前に、土居方面から「間もなく列車が到着します」のアナウンスが聞こえる。確かに、加速するわけでもなくトロトロと出ていき、最後尾が滝井のホームを離れたかなと思うと、スピードが落ちて土居に到着する。

Dscn3814駅前に出る。こちらは駅の北側に関西医大病院があることから薬局なども目立つ。一方で南側は団地やら昔ながらの家々も並び、ちょっと下町風情というところである。

Dscn3816少し歩くと内環状線に出る。こちらにあるのが大阪国際滝井高校。同校はバレーボールの強豪として知られるところ。長年全日本のセッターを張ってきた竹下佳江選手の後継者として期待される宮下遥選手は、今年の3月に同校を卒業したばかりである。

さて、ここで次のサイコロである。滝井の「い」でセットされた次なる駅は・・・

1.泉ヶ丘(泉北高速鉄道)・・・泉北ニュータウン。

2.泉佐野(南海本線)・・・関西空港の玄関駅。

3.和泉中央(泉北高速鉄道)・・・仕事の関係でも訪れたことのある終着駅。

4.伊勢田(近鉄京都線)・・・エリア的になじみのないところ。

5.磯ノ浦(南海加太線)・・・いかにも、海らしい名前の駅。

6.伊丹(阪急伊丹線)・・・空港と酒蔵が待っている。

「い」の中でも「いずみ」エリアが固まるところだが、そこで出たのは・・・またしても「5」。磯ノ浦、和泉を通り越して和歌山県である。となると、また特急「サザン」を使っての移動ということに。

滝井高校まで来たので、前回の逆、今度は土居駅から乗ることにする。少し回り道しても徒歩5分で着くところ。再び滝井までのトロトロとした走りを体験し、南の海へと向かう・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・5-1

2013年12月13日 | 鉄道企画もの

この企画も通算11日目に突入。「スルッとKANSAI3day」チケットの有効期間を考えると、年内はこの日と、あともう1日挑戦することになる。

これまでは藤井寺から早い時間の電車でいったん大阪阿部野橋に出て、そこから各地に出て行ったのだが、今回は初めて、逆方向、古市方面の電車で出発する。目指すのは近鉄長野線の喜志。藤井寺からは4つ目の駅である。藤井寺から古市方面の土曜休日ダイヤの始発は5時50分と遅く、古市行きではあるがそのまま列車番号が変わって河内長野まで直通する。この時間だが、前日大阪市内で夜を明かしたとおぼしき人たちがぐったりとした様子でシートに腰かけている。

Dscn3796喜志に到着。降り立ったのはおそらく初めてではないかと思う。まだ夜も明けず、冷え込みも厳しい。そろそろ冬の訪れを実感する。

Dscn3797本来なら駅前散策ということになるが、駅前の地図を見ても太子町や河南町といった、ここからバスでアクセスするところが目立つ。少し歩くと野球で有名なPL学園もあるのだが、何だか寒さのために、そこまで行かなくてもいいかということに。せっかく早い時間で1駅目の訪問をしたことだし、この日はなるべく駅数を稼ぐようにしようか。

・・・ということで、駅前のロータリーにてサイコロである。喜志の「し」で始まるのは、

1.十条(近鉄京都線)・・・京都市街の南の端。

2.十三(阪急京都線)・・・朝から十三の濃いところで「飲み」モード?

3.夙川(阪急神戸線)・・・こちらでちょっとセレブモード?

4.俊徳道(近鉄大阪線)・・・布施の次の駅、JR接続。

5.正雀(阪急京都線)・・・車庫のあるところ。

6.庄内(阪急宝塚線)・・・昔の雰囲気を残す商店街がある。

実質これが本日最初の移動ということだが、阪急の出目が多い。そんな中で出たのが・・・「4」の俊徳道。

喜志から大阪阿部野橋行きの準急に乗る。古市からは朝の時間帯に停車する特急への乗り換えができるが、その区間で特急料金を払うのは惜しいなと、そのまま乗車する。平日だと、着席保証のホームライナー的な感じで利用する人も結構あるようだ。

Dscn3799天王寺から谷町九丁目を経て、近鉄大阪線の地上ホームに出る。ここから各駅停車で鶴橋、今里、布施と来て次が俊徳道である。城東貨物線を利用したJRおおさか東線と交差しており、同線が旅客営業を行うようになってJR駅ができたところ。

俊徳道という名前を聞くと、何だか歴史の響きを感じる。ここはその名も「俊徳街道」という、玉造、四天王寺から斑鳩の竜田までを結ぶ街道が通っていたという。一部は国道25号線とも重なっているということか。

Dscn3798調べたところでは「俊徳丸伝説」というのがあるそうだ。八尾の高安の長者の息子に俊徳丸というのがいたが、継母により失明させられ、やがて家を追われ、四天王寺で物乞いのような生活を送っていた。そこで、かつて恋仲であった乙姫に見つけ出され、四天王寺に祈願したところ、その功徳で病が癒え、乙姫の家を継いで裕福な生活を送った。一方で継母の家は家運が衰退し、やがては継母が物乞いの生活を送ったという、因果応報の伝説である。

なるほど、中世的なお話があるものだなと思ったが、ここでもう一つ出てくるのが「身毒丸」という、折口信夫の小説であり、その後寺山修司の脚本で現代劇としても上演される作品。確かに、「しゅんとくまる」と「しんとくまる」、こちらは中世の説話に比べてもシリアスな、悲劇的な要素が加わっている。(「身毒丸」の舞台作品を紹介した公式サイトがあったのでのぞいてみたが、全部英文だったため読解は断念・・・)

残念ながら駅の周辺でその伝説にちなんだスポットは見つからなかったが、身毒丸が出てくるとは意外な展開やなと驚き、次の駅を選ぶサイコロである。俊徳道の「ち」で始まるのは・・・

と、ここで駅名リストを見ると、サイコロの必要はなかった。これまで「ち」で始まる駅はほとんど出ており、残っているのは、

1~6.千代田(南海高野線)・・・高野線の車庫があったな。

だけであった。こうなれば自動的な移動で、今度は大阪線の各駅停車で鶴橋まで出て、奈良線からの快速急行に乗り換え。日本橋で堺筋線に乗り換えて天下茶屋、そこから区間準急で南下するという、慌ただしい乗り換えの連続で向かった・・・・。

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関西独立リーグが「事実上」消滅

2013年12月12日 | プロ野球(独立リーグほか)

このカテゴリーで記事を書くのはいつ以来かというところである。

日本のプロ野球の独立リーグといえば、四国でのアイランドリーグplus、そして北陸・上信越のBCリーグ、いずれもNPBプロ野球への選手輩出、さらにはNPBからの選手受け入れも行い、ベースとしては地域密着をスローガンとして活動しているところである。最近観戦に出かけていないのが残念である。

また、その一方で「関西独立リーグ」というのがあった。初年度は大阪、神戸、明石、紀州の4球団で、「ナックル姫」こと吉田えり投手が神戸に在籍するなど、それなりに話題のあったリーグである。ただ一方で財政難、選手の不祥事などで客離れがあり、その後はどうなったのだろうかというところである。一時は大阪と三重の2チームが四国アイランドリーグに寄生する形で試合をやってたり、兵庫ブルーサンダース(この「サンダース」は、稲妻と「三田市」を掛けた命名だったとか)とか、淡路島で活動とか、大阪のチームは韓国人選手ばかりで構成されていたとか、一体何をやっているのかという思いでニュースを見ていた。果てはNPO法人としての活動をしていたようで、それやったら最早「プロ野球」とは言えないだろうと。「カンドク」と名乗っていた野球のホームページをたまに見ても、観客が10数人とか、少年野球の試合を見守る保護者たちより少ない人数というのもあった。関西には結構野球マニアとか、熱心な観客も多いと思うが、いくらなんでもそんな「プロ野球」に注目する人はほとんどいないもので、「ご来場の皆さんに一人1000円を差し上げます」とでも言わない限り、観客が増えることはなかったであろう。

そんな中、一番熱心にやっていたのが「紀州レンジャーズ」だろうか。かつての箕島高校のエースとして、星稜高校との延長戦を投げ抜いた石井毅投手(現在、木村竹志氏)の運営する球団であるが(同時に、関西独立リーグの発展に力を注いだものの何ら効果を得なかった悲運の方)、個人的な思いで何とかここまで持っていたが、もはやそっぽを向いたらしい。そうなればリーグとして成り立つ要件は何もなくなってしまう。

まあ、元々何の理念もなく、「四国や北陸でそこそこ客が集まるんやから、関西やったらもっと儲かるやろう。まして吉田えりちゃんがおるし」というくらいの動機で始まったリーグ。売り物や理念がなければ早晩淘汰されるのは目に見えていたことで、むしろこの年まで持ったことのほうが驚きである。

選手たちはどうするか。もっとも、関西独立リーグ出身でNPBに行った選手もいないわけではなく、この後クラブチームなり、そこからどこかの企業の強豪チームに行けば、ひょっとすればNPBのスカウトの目に留まる選手がいるかもしれない。何とか、野球に夢を求める若い選手たちがNPBに入るための手段として、これからのクラブ運営に期待したいところである・・・・。

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マスゴミ、江田新党、東国原・・・・。

2013年12月11日 | ブログ

特定秘密保護法案には個人的には「100%反対ではない。反対か賛成の絶対どちらかに入れなければならない国民投票があれば、迷った末に賛成票を投じる」というのが私個人の考え。

積極的に賛成というよりは、反対の立場(要は、この法案が通ったらおまんまの食い上げになるという立場)でしか報道しないマスゴミの姿勢に嫌気がさしているからというものだ。知る権利が侵害されるとか、治安維持法のようなものだという前に、あの業界の人たちの「報道しない自由」とか、人権を侵害する取材姿勢とか、特権階級であるというプライドとか、それにも関わらず電波や紙面で流されるものはアルバイトの兄さんでも書けるレベルの情報がほとんど。そんな商売で高給をせしめ、女を食いまくっている業界の連中、羨ましいなあ。マスゴミという特権階級になれなかった自分が情けない。

まあ、マスゴミはそんな感じなんでどうでもいいが、議員の先生方のここに来ての離合集散も見苦しい。江田新党がどうとか、東国原が東京都知事に出るとか、もう好き勝手やったらよろしいがな。もう、出馬当初の甘い、耳にはやさしい演説なんて、信用する気にならないし、そういう野次馬的側面のことしか報じないマスゴミなんぞ、もっととうでもいい・・・・。

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関西私鉄「サイコロしりとり」の旅2013秋・4-4

2013年12月09日 | 鉄道企画もの

和歌山港を訪ねたものの、ラーメンも食べず和歌山城も移動のバスの途中でチラリと見ただけで次に移動する。まあ、企画の趣旨が「駅前散策」というものだから仕方ないが・・・。

Dscn3779Dscn3780帰路もなんばまで特急「サザン」に乗る。こちらは従来型の車両で、プラズマクラスターもなければ座席ごとのコンセント、テーブルもついていないが、ふかふかしたシートの座り心地は悪くない。プレミアムとはまた違った感触である。

途中しばしウトウトとしながらなんばに到着。これから向かうのは阪神の打出。西宮と芦屋の間の駅であるが、行政としては芦屋市に入る。この企画、芦屋とか西宮の駅に降り立つのは初めてで、まして富裕層の住む芦屋市に行く用はない。さまざま初めて降り立つ駅に行って、少しでもその風情に浸るのも楽しみである。

Dscn3782この企画での大阪市内の東西の移動に利用する阪神なんば線で三宮行きの快速急行に乗り、西宮で普通に乗り換え。夙川沿いの桜の名所でもある香櫨園の次が打出である。高架か地下区間がほとんどの阪神では珍しく、駅の両側に踏切がある。やはり芦屋の住宅街、そうやたらと高架で線路を通すわけにはいかないのだろう。

打出と聞いて思いつくのは「打出の小槌」である。打出の小槌といえば大黒天が持っているし、一寸法師のおとぎ話では、お姫様が小槌を振ると一寸法師が立派な大人の大きさになったということである。

Dscn3786何か関係があるのかなと、改札を出て南の国道43号線に通じる小さな商店街のアーケードをくぐると、こちらのキャラクターなのか、打出の小槌をモチーフにしたキャラのイラストが描かれている。

Dscn3784また線路を挟んだ北西側はその名も「打出小槌町」。まさかこの辺りの人がシャレやウケ狙いでこのような町名をつけるわけはなく、やはり何らかの伝説に関係があるのかなと思う。後で調べたところでは、一寸法師のおとぎ話とは違った伝説があるそうで。その昔、芦屋の沖に竜神が住んでいて、それが人に化身して朝廷に小槌を献上した。その小槌を打ち振ると何でも願い事が叶ったというのだが、それが後にこの土地の長者に褒美としてもらったとか。

また一方では、東から伸びてきた西国街道が初めて海岸に「打ち出でる」ところというのが打出の名前の由来という説もある。まあ、この辺りは「打ち出でる」と「小槌を打ち振って宝物が出てくる」というのがかけ合わさったところだろう。

Dscn3787打出小槌町を含む駅の北側は芦屋らしい住宅街である。やはり住宅のつくりもゆったりとしているし、スイーツなど扱う小じゃれた店も目立つ。そんな一角にあるのが打出天神社。祀っているのは大黒さんではなく天神さん。

次のサイコロはこの天神社で行う。打出の小槌ならぬサイコロは、打出の「で」「て」で始まるどの駅を出すか。

1.手柄(山陽電車)・・・姫路の一つ手前。

2.出来島(阪神なんば線)・・・モロに通勤ルート。

3.帝塚山(南海高野線)・・・今度は大阪の高級住宅街。

4.出町柳(京阪鴨東線)・・・再び秋の京都散策なるか。

5.出屋敷(阪神本線)・・・こちらは尼崎らしい庶民的なところ。

6.寺田(近鉄京都線)・・・ちょっとこのあたり、ピンと来ないところ。

さて何がでるかといえば・・・「5」の出屋敷。もっとも近いところだが、まあ駅数稼ぎにはいいところだろう。

Dscn3789そう思って再び鳥居をくぐって駅に戻ろうとすると、この鳥居は平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災で倒壊したため翌年に再建されたという説明が目に留まった。もうかなり前の出来事のように感じるが、忘れてはならないことである。こうして、鳥居に書き残しておくことは意義のあることだと思う。

Dscn3790再び各駅停車で尼崎方面に戻る。途中の尼崎センタープール前で競艇帰りのおっさんたちで満員となり、それらをかきわけるように出屋敷に降り立つ。こちらは立派な高架駅で、ショッピングセンターと隣接していたり、高架下にはそろそろ時間帯ということで赤ちょうちんの店も並ぶ。

Dscn3791一瞬、食指が動きかけるが止まる。その名も「アマトラ」ということで、ほれ、私が12球団一嫌いな球団のカラーがモロに・・・・。今が野球の開催期間中でなくてよかった。まあ、出屋敷駅周辺は大衆酒場も結構あるところだが、今回は夕方そのまま帰宅することにして、飲みはまたの機会とする。

Dscn3793ここまで来ると、一駅分ということもあるし、先ほどの「アマトラ」よりもっと濃い「優勝マジック144」などとほざいている商店街を通って尼崎まで歩くとするか。まあ、その球団の「優勝マジック」は個人的には10月末まで「144」のままであってほしいのだが、理論上それはあり得ないわけで・・・(って、何を急にイキ込んでいるのやら)。

Dscn3795夕方の時間帯ということで買い物客で活気が出ている商店街。おっと、雰囲気に混ざっているうちに尼崎が近くなりつつあるが、サイコロを忘れていた。出屋敷の「き」から、今回は繰り越しで次回のスタート駅になるところを決める。

1.喜志(近鉄長野線)・・・ここがスタートだと多少楽。

2.岸里玉出(南海本線)・・・高野線と汐見橋線が分岐するちょっと変わった構造の駅。

3.岸和田(南海本線)・・・出たな、だんじり。

4.北助松(南海本線)・・・何だか今回は南海が並ぶなあ。

5.北鈴蘭台(神戸電鉄)・・・ここがスタートだとだいぶ遠い。

6.北千里(阪急千里線)・・・終着駅は始発駅。

商店街の雑踏の中でのサイコロは・・・「1」。喜志である。ここだと藤井寺からも近いし、あちら方面への始発電車は少し遅いので、多少ゆっくり出発できる。ならば少しでも駅数を稼ぎたいところだが、果たしてどうなるだろうか・・・・?

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