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まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

夜の瀬戸内海を横断、呉に帰還

2024年11月18日 | 旅行記G・四国

少し間が空いたが、11月4日の松山行き日帰り旅の最終盤である。柳井から周防大島を見ながらの船旅、三津浜焼き、2代目松山駅舎のさよならイベント、駅前での入浴と一献と盛りだくさんで、19時前に店を後にする。外はすっかり暗くなっているが、この時間から広島に戻るのである。

駅前のフジグランを抜け、高浜線の古町に到着。ちょうど高浜行きの列車が入るところで、そのまま乗車する。まだこの時間だが乗客は少なく、駅ごとに数人ずつ下車する。この辺り、ローカル私鉄らしい。

梅津寺に到着。ホームのすぐ後ろが海というロケーションで、ホーム柵には「東京ラブストーリー ロケ地」の看板があり、ハンカチが結わえ付けられている。このドラマが放映されたのが1991年のことで、もう30年以上経つ。まあ、放送当時も私には縁のない世界の出来事やな・・と思っていたが、まさにこの歳までその通りラブストーリー圏外のまま来てしまっているのも、人間としてどうかと思うばかりで・・。

終点・高浜に到着。数人の客と下車する。駅横から発車のシャトルバスに乗り、松山観光港に到着。当初の予定より早い列車に乗れたので、高浜の駅舎をしばらく見物したり、海岸沿いにぶらぶら歩いてもよかったが、駅員さんの「すぐにバスが出ますよ」の言葉にそのまま乗ることに。

待合室にはそれなりの数の乗船客が待っていた。この後出航するのはいずれも広島(宇品)行きの20時10分発のフェリー、20時30分発のスーパージェットである。どちらを取るか。後発のスーパージェットなら広島に先に到着し、その時間からなら広電を乗り継いで帰宅することができる。一方、先発のフェリーだと広島に着く頃には広電の運転は終わっているため、呉で下船してJRに乗り継ぐ必要がある。ただ運賃はスーパージェットの半分だし、JR乗り継ぎでも西広島から最終の広電に間に合う。そして運航するのは新型「シーパセオ」。ということで、20時10分発のフェリーの乗船券を購入する。

待合室のテレビでNHKで久しぶりに放送の「ブラタモリ」を観た後、乗船の列に加わる。広島からの折り返し便の到着後、結構な数の乗船客が下車する。ちょうど連休最終日、本州方面に出かけていた人たちが帰路に就くところである。松山からの乗船客もそれなりに列をなす。

下船を終えたところで乗船する。陣取ったのは、靴を脱いで上がる「OZASEKIエリア」。一方には桟敷で横になれる「GORONEエリア」もあるが、こちらは早々に埋まった。

それ以外のシートもそれなりに埋まり、出航する。昼間なら屋上の展望デッキに上がって潮風を受けながら景色を楽しむところだが、さすがに夜、それなりに風もある。また、こう言っては失礼だが付近に夜景が広がるわけではなく、航海の途中でデッキに上がることもあったが、長居せずにすぐに船内に引っ込む。

夜ということで船内もウトウトする人がほとんど。「OZASEKIエリア」は3人掛けで、シートに横になる人もいる。私も同じようにしようと思ったが・・無理だった。席の間に固定式の小テーブルがあり、テーブルとシートの間に体を入れて横になるのはさすがに物理的にしんどかったので。

やはり夜のため「移動」の要素が強いなと思いつつ、読書したかと思えばウトウトしたり・・そうこうするうちに呉到着の案内放送が入る。

下船前にデッキに出て、呉の自衛隊基地や造船所の景色を見る。写真が手ブレしているのは仕方ないが、夜の静かな呉港の景色を見ることができて満足である。

22時05分、呉に到着。呉で下船した客のほうが多かったと思う。ターミナルや周辺の商業施設も営業時間を終えてひっそりしているが、その中、下船客は駅に向かって歩く。広島方面へは22時28分発の広島行きがあり、時間には余裕がある。

そしてホームで列車を待つのだが、しれっと「次の22時28分発の広島行きですが、大幅に遅れています。時間の目途はたっていません」とのアナウンス。先ほど、そうした表示や案内は何もなかったが・・。手前の安芸阿賀駅で乗務員に業務連絡を行ったため・・とあるが、何の連絡なのやら。下手したらこの日のうちに帰宅できないかもしれない。ならばフェリーをあのまま宇品まで乗って、タクシーで帰ったほうがよかったのか?いやそれなら合計で「スーパージェット」よりお高くつくことになるし・・。

それやったら改札口で声かけろや、「カスハラ」上等や・・・とも思ったが、そうしたところでどうなるものでもない。ただ呉から西区までタクシーに乗ると1万円でも足りないな・・。

結局、呉には約30分の遅れで到着という案内が流れる。そしてやって来た列車に乗り込む。呉を発車したのは23時前、何とか乗り継ぎで西広島まではたどり着けそうだ。

そのまま西広島に到着し、最後は短距離ながらタクシーの世話になり、日付をまたいだところで帰宅。まあ一応「日帰り」ということで・・。

今回は松山駅を目的地として海を渡ったのだが、そろそろ、本格的な旅先として「次の四国」というのを意識してもよいのではと思う。なかなか機会を得られないのだが・・・。

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松山駅前で岩盤浴と一献

2024年11月14日 | 旅行記G・四国

71年もの間、松山の玄関口として活躍した2代目松山駅のさよならイベントをのぞいた後、やはり松山に来たということで、駅前にある「伊予の湯治場 喜助の湯」に向かう。道後温泉の本館も改修工事を終えたし、NHKでは日曜夜にドラマ「坂の上の雲」の再放送もあることだし、市内電車に乗ってそちらに向かえばいいのだが(この日、それだけの時間はあった)、今回も駅近で落ち着くことに。

温泉じたいが道後温泉郷の最深部から湧き出ているものだし、さまざまな種類の浴槽やサウナもある。ニフティの温泉ランキングで2年連続中四国総合第1位というのをアピールしているが、地元の人たちで常に賑わっている。

四国八十八ヶ所めぐり以来何度か訪ねている「喜助の湯」だが、今回初めて岩盤浴のオプションをつける。入浴後、館内着に着替えて2階の「喜助の蒸」に向かう。薬石のほか、炭、薬草、ミストといった個性的なスペースで憩うことができる。なお、ミストについては30分ごとに時間を区切っての入れ替え制で、利用するにはタッチパネルで予約券を発行する必要がある。

さらに休憩スペースも充実。リクライニングシートもあれば、ゴロンと横になれるところも。土日祝日、一般料金で追加料金1000円で何時間でもいられるのはお値打ちである。さすがの道後温泉にも岩盤浴はないだろう・・。午前中の防予フェリーの桟敷席に続き、午後の岩盤浴でもしばらく横になって休む。

十分満足して「喜助の湯」を後にして、再びJR松山駅へ。ちょうど、大阪行きのJR高速バスが乗車受付中である。大阪までは約6時間の道のり、四国八十八ヶ所めぐりでも利用したなあ・・。グランドリーム車両と2代目駅舎の組み合わせを目に焼き付ける。そして最後にもう一度ホームへ。

時刻は17時、松山駅から少し歩く。駅の高架化とともにその役目を終えた踏切にも立ってみる。このたびの高架化は、駅の東西の行き来がスムーズに、活性化させることも大きな狙いとされている。

向かったのはマンションの1階にある「ぶらぶらある記」。今回日帰りにも関わらず、岩盤浴上がりとして松山駅近くで一献やってから広島に戻ることにした。一応、帰りのフェリーの時間から逆算して、17時の開店直後から入れば一人飲みの時間は確保できると踏んでのこと。ここも、四国八十八ヶ所めぐりで松山に宿泊した夜、一献したことがある。

まずはアサヒのエクストラコールド、そして松山では珍しいホッピーである。ちゃんと中、外と区別して出してくれる。

これに対峙するのは生け簀からすくったばかりというアジの造り。そしてじゃこ天もいただく。

他に名物は、今治流にカリカリに焼いた鳥皮、人気というだし巻き玉子。

これは愛媛料理ではないが、店頭に幟も出ていた馬刺しを注文。赤身とたてがみの組み合わせを贅沢にいただく。「馬刺しは松山に限る」と言ってしまいそうだった。

そして最後のご飯物をどうするか。松山といえば鯛めしだが・・・鯛の切り身を出汁とともにご飯にぶっかける漁師飯の宇和島流と、鯛の切り身(大がかりだとまるまる一尾)を一緒に炊き上げる東予流がある。そして松山市内であれば両方を味わうことができる。前回もそうだったが、今回も後者(メニューでは鯛釜飯)を選択。

それにしてもよく飲み、よく食った・・・。

このまま松山に宿泊できれば最高なのだが、連休最後の夜、明日は朝から仕事という中で広島に戻る。一応時計をチェックしながら一献していたので無事にこの日のうちに帰宅できると思うが・・・。

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2代目と3代目、それぞれの松山駅舎

2024年11月13日 | 旅行記G・四国

11月4日、前の2代目松山駅のさよならイベントに向かうべく、駅前のロータリーに到着する。71年の歴史がある駅舎、私が初めて松山に来たのが大学入学前のことでもう30年以上前のことだが、歴史はもっと古い。

その駅前には「歓迎 東京ヤクルトスワローズ」の幟。スワローズの秋季キャンプ地として定着している松山。この日も坊っちゃんスタジアムで練習が行われていたようだ。今思えば、スワローズファンでなくても予讃線で1駅、市坪に移動して練習見学というのもよかったかな。

みどりの窓口の外窓には71年の感謝を込めた数多くの写真が展示されており、訪れた人たちも懐かしい様子で見ていた。

さてさよならイベントだが、目玉は駅施設内の探検ツアー。もっともこれは早々と満員になったとのこと。また、駅ゆかりの鉄道部品販売もあり、こちらは朝から入場順序の抽選が行われ、また抽選制で販売する部品もあり、その行列の様子は地元ニュースでも取り上げられていたとのこと。一口に鉄道ファン、鉄道マニアといってもさまざまなジャンルに分かれているが、こうした部品を集める「収集鉄」も結構熱心な方々が多い。

その中でかつての1番ホームが開放されており、(鉄道部品ではない)グッズ販売やクイズラリーも行われている。ホームや駅舎を回って5つの問題に答えるのだが、通常この手のイベントだと問題スポットに行けばヒント(というよりほぼ正解)が置かれているのだが、ここのクイズラリーは結構ガチ問題だった。思わずスマホで検索する場面も。その結果か?記念のポストカードをいただいた。

ホームで行われていたのが「バラスト拾い」。留置線を開放し、実際に使われていたバラストを持ち帰ることができるというもの。先着順でオリジナルの巾着袋が渡されたのだが早々に配布完了し、渡されたのは普通のビニール袋。

そして留置線に降り立つ。こうしてホームから線路のレベルに下りて、かつての線路と高架駅舎を見ることができたことでよしとする。ここにいる人もさまざまで、SNSに投稿するのか線路上にキャラクターやバラストを置いてスマホで撮影する人や、考古学者のようにバラストを物色する人などいたが、私はそこまで固執することもないので、まあ、5~6個くらい拾っただけで十分だ。

で、そのバラストだが、イベント参加から1週間以上過ぎた後だがビニール袋に入ったまま自宅リビングの棚に放り出している。石といっても庭石や盆栽の一部にするわけでなく、何か活用する術もなさそうだ。巾着袋に詰め放題に詰めた人たちにもお訊きしたいが、これらのバラスト、収集後どのように活用されているのだろうか・・?

その後もかつての改札口前の景色を懐かしみ(入っていたテナントは軒並み新駅舎には受け継がれず)、いよいよ新駅舎に向かう。今はホームの一部を連絡通路としている。

新しい松山駅舎だが、訪ねた2日前の11月2日、九州から中国、四国で一時特別警報が出るくらいの大雨となったが、その時高架下の一帯が冠水した。線路は高架だが、駅入口はかつての線路より低い位置にあり、こうした大雨も想定されていなかったそうで、設計に問題がなかったかを問う声もあったそうだ。

せっかくなので入場券を購入し、高架ホームに上がる。駅名標には愛媛マンダリンパイレーツ、愛媛FCのロゴが健在。また駅前の景色を高いところから見るのも新鮮である。構内は島式ホームが2本あり、かつての駅のように1本のホームの前後で電車特急「しおかぜ」と気動車特急「宇和海」を乗り継ぐことはないとのこと。対面での乗り換えだけでも利便性は向上する。

改札内の待合室には「台湾交流ギャラリー」がある。JR四国と台湾鉄路管理局は、それぞれ「松山」という駅があることから友好協定を結んでいる。

改札を出て、いったん駅舎の西に出る。まだまだ工事中だが、こちら側も新たな玄関口として整備されるそうだ。

商業ゾーンの「だんだん通り」に向かう。改札を挟んで、飲食店が並ぶ南側、土産物他が購入できる北側に分かれている。前の松山駅では土産物の購入もセブンイレブンの一角でしかなかったが、新しい駅になってさまざまな店舗が新たに出店している。「蛇口からみかんジュース」も松山駅で味わえる。

高架駅に個性がないといえばそれまでだが、やはり現実のこととして利便性、機能性は望まれたことだろう。経営が苦しいJR四国の新たな起爆剤になるかどうか・・。

これで一応新旧の松山駅を見たことにして、もう少し、そして時間の許す限り駅近辺で過ごすことにする。で、道後温泉まで行かず松山駅までゆったりするなら・・・?

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防予フェリーで柳井から三津浜へ

2024年11月12日 | 旅行記G・四国

新しくなった松山駅の見物と気晴らしのため、広島からわざわざ柳井まで移動し、三津浜までの防予フェリーに乗船する。8時50分の出航で、乗船したのは20人くらいだろうか。本州と四国を結ぶ貴重なルートではあるが、ローカル航路である。

船内にはさまざまなタイプの客室がある。前方を向いたゆったりしたシートが基本だが、ソファータイプ、ごろ寝ができる桟敷、そしてデッキでの椅子席など。高浜までの所要時間は2時間半ほどだが、それぞれでゆったりすることができる。

まずは柳井港を後にする。

外に出ると、小型漁船が行き交う一帯。その向こうを山陽線の黄色の電車が駆け抜けていく。海から見る電車というのも新鮮な景色である。こうした位置から列車の写真を撮るというのもなかなかないのでは。朝の瀬戸内を走る下関行きの「WEST EXPRESS銀河」・・はフェリーの時間と合わないようだが。

大島大橋をくぐる。先ほど、この橋の歩道にて多くの撮り鉄の姿を認めたのだが、この時は誰もいなくなっていた。

その後は周防大島と周囲の島々の景色を見つつ、時には桟敷に横になったり、かと思えばまた外に出たり・・。これが夜行のフェリーだったり、太平洋や日本海を航行するフェリーなら多少進んでも景色が変わらないので船内でゆったりするのだが、車窓ならぬ船窓が入れ替わる瀬戸内の島々、いろいろ見てみたい。

意外に落ち着けるのが、左前方の喫煙スペース。ガラス越しながら前方の景色も見えるし、側方は潮風を受けながら航海気分を味わえる。

左に島が見え、そこから小さな島が点在している。奥が柱島だろうか。柱島といえば、太平洋戦争中、島の沖合に停泊していた戦艦陸奥が爆発、沈没するという出来事があった。その原因は人為的なものとしつつも、現在にいたるまで特定できていないという。この陸奥関連の展示施設が周防大島にもある。

この大島、前回の広島勤務時代だからもう20年以上前に一度クルマで回ったくらいだが、他にもさまざまな歴史があり、見どころも多いところ。何なら、島を一周する周防大島八十八ヶ所もあるぞ・・。久しぶりに一周してみようかな。

右手の周防大島、そして左手の情島が前方で少しずつ近づく。どうやらこの間を抜けるようだ。その距離、300~400メートルくらいだろうか。ちょうど山口と愛媛の県境で、ここを抜けると少し海が広く見える。

ここでようやく外の景色も落ち着き、しばらく桟敷にて横になる。桟敷は2区画あるのだがそれぞれ2~3人ずつで広々と使うことができる。

いつしかフェリーは二神島、遠くに中島、そして興居島という愛媛側の島々。一つ一つは小さいのだが、これもある意味「しまなみ海道」といっていいだろう。

そして四国本土。遠くには今度は伊予鉄道のオレンジ色の電車が見える。あちらは高浜、松山観光港を結ぶ路線でちょうど梅津寺に停車したところ。瀬戸内色~黄色~オレンジ色と、鉄道車両の見比べもよいものである。四国に来た実感がする。

三津浜に入港する。古くは「古事記」の時代から登場する港町で、近世では松山藩の海の玄関口となった。明治以降、大型船舶が入港できるように高浜の港が整備されたので玄関口の座はそちら(松山観光港)に譲ることになったが、その後も三津浜は地元密着の港、あるいは漁港として現在も機能している。

ここから伊予鉄道の三津駅まで歩く。以前に四国八十八ヶ所めぐりで柳井から三津浜に向かうルートを取り、三津駅近くのホテルAZに宿泊したことがある。この時は翌日、第52番・太山寺、第53番・円明寺と歩き、JR予讃線の伊予和気に到着というミニコースだった。ちなみに三津から太山寺に向かう途中には、地元出身のプロゴルフの松山英樹選手の父親が経営し、松山選手も幼少の頃からゴルフの腕を磨いた練習場がある。

以前のことを思い出しつつ、三津浜の昔ながらの港町を歩きながら駅に向かう。

さまざまな観光スポットがある松山だが、ここ三津浜も個性的な建物、商店があり、興味のある方にとってはじっくり観て回るに値するところである。

三津駅に到着。ちょうど昼時ということで「三津浜焼き」をいただこう。お好み焼の一種で、広島のお好み焼の元になったとも言われている。前回の四国八十八ヶ所めぐりの時にも訪ねた「日の出」という店に向かう。小ぶりな店だし、予約注文の客もいるので少し待つことに(事前のメニュー確認や、出来上がりの一品以外の店内撮影禁止など、以前訪ねた時と比べて店員の口調含めピリピリした様子が気になるのだが・・)。その間に伊予鉄の電車やら港の景色など眺める。

当初の時間よりも早く呼ばれ、店内に入る。三津浜焼きの特徴として、「台付」としてそばもトッピングするが、広島とは違って紅白のかまぼこ、牛肉、牛脂が加わり、魚粉が隠し味で使われる。また焼き方も、広島の場合は生地の上にキャベツや具材を乗せ、後で別に焼いた麺の上に重ねるのだが、三津浜だと生地の上に先に麺を乗せ、その上に具材を乗せる。どちらが正解というものではないが、焼くスペースということで考えれば三津浜のほうが少なくて済むのかな(その意味で昔風ということで)。

鉄板から直接ヘラで、普通からピリ辛まで複数あるソースとかけながら熱々をいただく。・・・この一品を見たらということで、無条件で瓶ビールを注文する。

このまま港に戻り、柳井まで再びのんびりした航路をたどるのも休日の贅沢かと思ったが・・・ここは当初の目的通り、松山駅を目指すことにする。三津駅に着き、高浜線の電車に揺られて大手町で下車。

そして到着したのが、ここまで71年もの間、松山の玄関口のお役目を終えた駅舎である・・・。

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新しくなった松山駅を見に、まずは柳井港へ

2024年11月11日 | 旅行記G・四国

2024年9月に新たに高架駅舎となったJRの松山駅。四国最大の都市である松山の玄関駅であるが、これまで貨物駅等が隣接する中、駅周辺の再開発の一環として新たな駅が完成。今年の夏、日帰りで松山を訪ねた時はちょうど完成間近だったが、完成後どんな様子か見てみようと行ってみることにした。

これまで71年もの間、2代目として活躍した駅舎(正面の三角屋根が印象的だ)のお別れイベントが11月の連休最終日である4日に行われるとの情報を得た。かつての駅舎内部をめぐるツアーも開催されるとのことだがすでに定員に達したとのこと。それでも、線路の中に入れるイベントもあるようで、新旧の駅舎を見比べるのも今のうちである。

3日から出かけて久しぶりの松山宿泊も考えたが、思い立ったのが直前のこと、しかも連休の最中である。松山市内の宿泊施設もほぼ満室、空いているところも高額である。まあ、駅を見に行くだけなら広島から日帰りで十分だろう。近道なのは宇品、もしくは呉から松山観光港へのスーパージェット、クルーズ船である。

ただ、何が何でも早い時間に松山に着かなくてもいいかなと思う。そこで今回選んだのは、柳井から三津浜への防予フェリー。以前、四国八十八ヶ所めぐりのアクセスとして利用したが、こちらものんびりした船旅が楽しめる。ローカル航路といえるのだが、山口方面からだとこちらの航路が便利である。途中、周防大島の伊保田を経由する便もある。柳井からは山陽線の柳井港が最寄り駅だが、朝の列車のダイヤとフェリーの接続を見ると、柳井港7時49分着で、8時50分発の便まで1時間待ちとなる。次の列車だとフェリーとの接続時間は1分しかなく、またこれを逃すとフェリーは2時間待ち。まあ、鉄道との連絡船ではないので・・。

というわけで、早朝に西広島を発車し、岩国ですぐ接続の下関行きに乗り継ぐ。いつも思うが下関方面への乗り継ぎ、待ち時間が少ないのはよいのかもしれないが、接続1分というのは慌ただしく感じる。乗り込むのはクリーム地に青帯の瀬戸内色。一度目の広島勤務時、電車通勤時ではおなじみの塗色だった。

岩国から先の区間に乗る際は海の景色を楽しみに進行方向左側に陣取るのだが、この日は高校生も結構乗っていて席が埋まっていた。そのため右側に腰掛ける。まあこの後、いやというほど海の景色を眺めることになるので・・。そのうち周防大島を左に見て、大島大橋の下をくぐる。山陽線の中で人気の撮影スポットで、橋の上の歩道に撮り鉄が群がっている。お目当てはこの瀬戸内色のようだ。

柳井港に到着。フェリー乗り場は国道を挟んだ向かいにある。出航まで1時間、待合室でしばらくのんびりと過ごすことにする。今手元にあるのは、向かいの周防大島出身の宮本常一の民俗学の書物。

柳井からは三津浜のほか、周防大島の南に浮かぶ平郡島、室津半島の先にある祝島へのフェリーも出ている。この時は8時30分発、1日2往復だけの平郡島行きのフェリーの乗船案内があった。平郡島、フェリー乗り場にあった観光パンフレットを見たが、瀬戸内にあって南の島の雰囲気を楽しめるところだという。朝の便で渡り、夕方の便で戻るという楽しみ方もできそうだ。

そろそろ時間となり、三津浜行きのフェリーに乗り込む。これから2時間半あまりの船内、のんびり過ごすことに・・・。

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髙島屋岡山でビアガーデンのはずが・・・結局はミシュラン居酒屋へ

2024年07月18日 | 旅行記G・四国

7月7日、早朝、広島から呉に移動して松山への「シーパセオ」に乗船し、JR松山駅前で温泉、そして生ビールをあおり、予讃線~瀬戸大橋線と乗り継いだ。広島から岡山に向かうのに、わざわざ瀬戸内海を渡って四国の鉄道も楽しむという、なんとも欲張りな一日である。

瀬戸大橋を渡る。広島から松山にかけての区間とはまた違った島々の景色である。

児島に到着。ここからは時間つぶしを兼ねて鈍行に乗り換えてもよかったが(次の岡山行きは新型227系だった)、そのまま特急で乗り通す。松山から3時間弱の鉄道旅で岡山に到着。

さて、向かいの津山線ホームにはキハ47の旧国鉄急行色「ノスタルジー号」編成が停まっている。16時27分発の津山行きに充てられる。実をいうと、今回乗り鉄で岡山に行くに当たり、広島から山陽線で倉敷、以後、伯備線~姫新線~津山線をたどることも考えていた。中国地方のローカル線をたどるのもこのご時世貴重な体験である。

さて、目指す髙島屋岡山店のビアガーデンの開店は17時である。少し時間があるのでとりあえず駅前に出る。路面電車の乗り入れ工事のため、駅前のシンボルだった桃太郎像も一時撤去されている。どこに行ったのやら。

・・さて、私が岡山に来るといえば・・・あのミシュラン居酒屋「鳥好」だろう。今回あえてその手前にある髙島屋のビアガーデンを予約したのだが、やはり現地に来るとのぞきたくなる。「鳥好」は16時開店。ただし、これまでの経験上、16時開店に並んだものの予約客の多さでかろうじてテーブル相席で座れたとか、ふらりと訪ねて満席だったこともある。

カウンターに空席があった。

申し訳ないが、ここで連絡して髙島屋のビアガーデンは取り消し。まあ、昼の松山で大ジョッキをあおったり、実は「しおかぜ20号」の車内でもささやかな飲み鉄をしていたので、飲み放題の元を取らなければ・・となってしまうビアガーデンは別に今日でなくてもよいかなと。それよりも岡山の人気店「鳥好」を選択した形だが、この店もこれまで何回訪ねたことやら・・。

早い時間からカウンターはもとよりテーブルも埋まり、座敷には予約のグループが次々やって来る。

とはいえ、注文するものはだいたいパターン化されている。とり酢に始まり、刺身盛り合わせ、煮込み、焼き鳥串盛り合わせ・・。回によってはそこにしゃこ酢やままかり酢が入ることもある。

この日は変わったところで石もち唐揚げをいただく。イシモチとは標準名ではテンジクダイだが、広島の中でも備後ではテベラと呼ばれる。カウンターに座った初老の男性が「イシモチって何ね?」と若い店員に訪ねたが、店員も「何ね?」と訊かれて戸惑う様子。そこで「テベラですよ」と助け舟を出すと、男性はうなずく様子。備前と備後、それほど文化圏としては変わらないと思うのだが・・(むしろ、同じ広島県にあって安芸と備後というのは似て非なるところがあり・・)。

そして、私が「鳥好」に来た時の締めは「のりくらっち」。今回ここに新たにイカの塩辛をセットする。これで味わいの幅が格段に広がった。この塩辛、クラッカーによし、チーズによし。そして複合するとなおよし。さすが塩辛、ご飯はもとよりじゃがバターにも相対するだけのことはある。次回の「鳥好」での一献の抑えは新たに強力な一枚を加えたこのカルテットに尽きるだろう・・・。

・・ビアガーデンはまた来ることもあるだろう。という一方で、「岡山は鳥好に限る」は今後も続くのだろう。

この後は岡山駅に戻り、新幹線で広島へ。この距離・時間だし、「のぞみ」利用でもわざわざ指定席にこだわらず、自由席の通路側で十分だ。

・・・さてこの日(7月7日)は、「七夕決戦」となる東京都知事選挙の投開票日だった。自宅に戻った直後に20時を迎え、現職の小池知事の当選確実が報じられた。その後、前の安芸高田市長だった石丸氏が2位に入ったことで世の注目を受けるようになったのは皆さんご存知のとおりである。これは都市部における既存政党への批判の受け皿になったと言われている。

その一方、先般九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで訪ねていた鹿児島の知事選挙も同日に投開票が行われ、こちらも20時の時点で現職の塩田知事の当選確実が報じられた。鹿児島では他に2名の女性候補が立候補し、「鹿児島県初の女性知事を」と訴えていたが、やはり壁は高かったようである。うーん、地方においては依然この構図は変わらないのだろう・・。

そして2024年は世界的に見て「選挙の年」である。台湾の総統選挙に始まり、ロシアではプーチン大統領が予定通りの圧勝、その一方でフランスの下院選挙では極右政党が第1回投票で最多の得票を集めたとか、イギリスでは政権交代、イランでは航空事故で亡くなった後の大統領選挙で改革派が勝利。日本では上記の都知事選の後は、自民党総裁、民主党代表の選挙(この結果が日本に及ぼす影響はほとんどないだろうが)、そしてアメリカ大統領選挙である。

その大統領選挙で、遊説中に銃撃を受けたものの右耳の負傷だけでカムバックしたトランプ前大統領の立ち居振る舞いがアメリカの象徴として人気である。あ、やはり現代の社会が求めているのは「こういうリーダー」なのだなと、改めて感じる次第である・・・。

(そりゃそうと、今の与野党問わず、トランプ氏に対して正面切って話ができる「政治屋」っているのかな・・・。同じ利権にまみれるなら、もっと堂々と大胆にやれや!・・と言いたくなるくらい、日本の「政治屋」はみみっちい!!!)

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特急「しおかぜ」で予讃線から瀬戸大橋を渡る

2024年07月17日 | 旅行記G・四国

松山駅前の「喜助の湯」に浸かった後、松山13時26分発「しおかぜ20号」に乗る。この列車の岡山着は16時11分。駅前のビアガーデンの開店前だが、駅前で少しゆっくりして、それから繰り込めば・・というつもりだった。「しおかぜ20号」にも十分な空席がある。

改札口の向こうのホームに赤と黄色の車体が見える。観光列車「伊予灘ものがたり」である。JR四国の中でも人気の列車で、私はリニューアル前、キハ47改造の「伊予灘ものがたり」には一度乗車したことがあるが、現在のキハ185系になってからはまだである。これから出発するのは13時31分発の「八幡浜編」で、車内ではフレンチのミニコースをいただくことができる。伊予市~伊予長浜間は「愛ある伊予灘線」を経由し、海沿いの景色で知られる下灘駅にも停車し、八幡浜には15時50分の到着である。本日は満員御礼だが、この列車で松山から八幡浜まで往復した場合、松山から広島には最終のスーパージェットで何とか帰宅できそうだ。またいずれ乗ってみたいものである。

さてその向こうには高架ホームが姿を見せつつある。今年の9月29日に開業予定で、完成時には自動改札機の導入や、高架下には飲食、物販のテナントも入る。その一方で現在のじゃこ天うどんのコーナーはどうなるだろうか・・。

「しおかぜ20号」が5両、その前に2両編成の高松行き「いしづち20号」をつなぎ、合計7両で発車。在来線特急にある程度長い時間乗車するのも楽しいものである。発車直前、同じホームの先に宇和島からの「宇和海14号」が到着し、同一ホームでの乗り換えが行われる。これも高架ホームになると対面乗り換えとなる模様だ。

まずは松山の市街地を抜け、堀江、そして伊予北条から瀬戸内海沿いを走る。伊予北条の沖合いには鹿島があり、渡し船が出ている。島では海水浴や釣り、展望台からの景色を楽しむことができるが、野生および飼育の鹿も生息している。以前、四国八十八ヶ所めぐりの際に立ち寄った時、柵の向こうに野生の鹿も姿を見せていたのを覚えている。

先ほどフェリーで通った景色を四国側から見る形で走る。SOLATO(太陽石油)の製油所や新来島どっくの工場設備も車窓の一つである。

今治が近づき、岡山理科大学今治キャンパスも見える。こう書くと別にどうということもないのだが、「加計学園獣医学部」と読み替えると、「そういえば」と思い出す方もいらっしゃるのではないだろうか。一時期、「森友・加計(モリカケ)問題」として、当時の安倍政権への攻撃材料になっていたあれである。文書改ざんを強要された財務局職員が自殺したり、国や大阪府などの補助金をだまし取ったとして理事長夫妻が逮捕された森友問題はともかく、加計問題とは結局何がどうなったのやらよくわからない。加計学園の理事長が安倍首相の友人で、獣医学部キャンパスができたのは「最初から加計ありき」「忖度」とかいろいろ言われていたが・・。その獣医学部も今年の春、初めての卒業生が誕生したそうである。その卒業生の心境はいかがなものだろうか。

今治からは東予地区に入る。石鎚山や、予讃線沿線の四国札所を回ったのも懐かしいところだ。現在のところ、四国八十八ヶ所の2巡目を行おうという予定はないが、何らかの形でまた四国一周をしてみたいものだ。

水のきれいな町で知られる伊予西条といえばアサヒビール四国工場があり、併設のビール園でビールとジンギスカンをいただいたことがある。ただこちらはビール需要の減少にともなう生産体制の見直しにより、2023年1月に閉鎖となった。

さてここからだが、ちょうど心持がよくなるタイミングだったか、ウトウトしたようだ。

気づけば横に長い愛媛県の区間が終わり、さらには観音寺も過ぎたようだ。ちょうど目が覚めると再び海岸べりで、遠くに桟橋と小島が見えるのは津島ノ宮のようだ。夏の大祭に合わせて年に2日だけ臨時営業する駅もある。

この後しばらく海岸沿いに走る。

多度津、丸亀と過ぎ、宇多津で「いしづち20号」が離れて先に出発する。

宇多津からは三角線の西の一辺を通り、瀬戸大橋に入る・・・。

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松山駅前「喜助の湯」でととのい、潤う。

2024年07月16日 | 旅行記G・四国

7月7日、呉から松山まで瀬戸内海汽船「シーパセオ」にて渡る。定期航路だがクルーズ船の気分も楽しめる船であった。その後、高浜から伊予鉄道で移動し、大手町からJR松山駅に到着する。

さて今回の日帰りお出かけの目的地は、岡山駅前の髙島屋のビアガーデンでの一献。夕方に岡山にたどり着くためのルートをいろいろ考える中、フェリーでいったん松山に上陸し、予讃線~瀬戸大橋線をたどって向かうことにしたのだ。その予讃線にしても、鈍行でたどる、特急に乗って途中の駅でも下車する・・いろいろ考えたが、結局は直通の岡山行き13時26分発特急「しおかぜ20号」に乗ることにして、それまで松山で過ごす。

特急の発車まで3時間近くあるのだから、松山城や道後温泉まで往復するだけの時間はある。もっともこの時は道後温泉本館はまだ工事中(リニューアルオープンは7月11日)、松山城も以前に訪ねたから(今回の旅とは関係ないが、7月12日に発生した土砂崩れ後は営業中止)、市電に乗って足を運ぶこともないかなと。

・・その代わりに向かうのは、駅前にある「伊予の湯治場 喜助の湯」。四国八十八ヶ所めぐり以来何度か訪ねている温泉施設で、浴場もいろいろあるし、休憩スペースも整っている。見方によっては道後温泉本館よりもゆったりできるのではないかというくらいだ。もちろん天然温泉で、道後温泉郷最深の1700メートルから湧き出る源泉かけ流しのほか、西日本最大級の広さである炭酸泉、さらに信楽焼の壺湯などもある。

そしてサウナ。私はこれまでサウナに対して苦手意識があり、避けていたところもあったが、白内障手術の後、裸眼でも日常生活の多くが気にならなくなったことを受け、眼鏡を屋外に置く心配もなくなり、サウナに入るのもいいかなというのがこのところである。もっとも、長い時間は無理だが・・。

こちらでは鬼瓦で知られる菊間瓦で使われる石をサウナストーンとして使っており、決まった時刻に水がかけられ、さらに蒸気と熱気を発するロウリュウのサービスがある。さすがにこの熱さには参ったが・・。それでも、サウナも何とか入れるようになり、今後の旅先での温泉施設での楽しみの幅が広がったように思う。

入浴後、ちょうど昼前である。食事コーナーに行ってみよう。夜はビアガーデンが待っているとはいえ、午前中に温泉に入り、サウナで汗を絞り出したとなれば・・・生ジョッキの大一択でしょう。

とりあえずのアテとして、愛媛らしくじゃこ天をいただく。

ホッピーもある。セットでいただこう。

食事として目に留まったのが鯛めし。愛媛で鯛めしといえば、鯛の身を具材に入れた炊き込みご飯と、卵を出汁で溶いた中に鯛の刺身を入れ、それをご飯にぶっかけていただくタイプがあり、それぞれ松山(投与~中予)流、宇和島(南予)流の食べ方だが、ここで注文したのは後者。もっとも、松山市内だとどちらの鯛めしもいただくことができる。

元々船上でささっと食べられた一品だし、私のような素人でも手軽に作れることもあって、個人的には宇和島流のほうがいいかな。

この後も列車の時刻までまだあるので、休憩スペースでゆったりする。こういうところで地元の人たちとともに日曜の昼を過ごすのもよいものだ・・・。

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松山行き「シーパセオ」乗船

2024年07月14日 | 旅行記G・四国

7月7日、松山に向かうべく呉から乗船したのは旅客船「シーパセオ」である。「海の散歩道」という意味だという。松山までの移動手段ではあるが、クルーズ気分も味わうことができる。

先に広島から乗船していたのは20人いるかいないかという程度で、やはり宇品6時45分発に間に合う公共交通機関がないというのはいかがなものかと思う。呉からの徒歩の乗船も数名、クルマも数台というところで出航する。

乗船客が少ない分、船内ではゆったりと過ごせる。

客室の前方は前面の景色が楽しめるソファーシート、そしてテーブル付きのリクライニングシートが並ぶ。また側方には靴を脱いで上がる「OZASEKIエリア」、そして「GORONEエリア」がある。このうち「GORONEエリア」は、ごろ寝するとちょうど海が見える小窓がついているのが特徴で、広島からの乗船客が四隅に寝転がって気持ちよさそうだ。

中央は売店のあるラウンジスペースで、窓を向いたカウンターや、こちらも靴を脱いで上がる「KOAGARIエリア」がある。

そして後方には「ひき波のHANARE」。後方の引き波の景色を眺める展望ラウンジである。こうした席を少しずつ楽しんでみる。

ただこの日は青空が広がるということもあり、時間の多くは屋上のデッキで過ごす。エアコンの効いた屋内もよいが、せっかくなので潮風の心地よさを感じることにする。ガゼボ(あずまや)に入れば直射日光をしのぐこともできる。

さて「シーパセオ」は呉港を出航し、海上自衛隊の艦船を遠くに見やる。そして昨年閉鎖となった日本製鉄の呉製鉄所を見る。この跡地はマツダスタジアム約36個分に相当する広さで、施設の解体には約10年かかるそうだが、その後の活用方法はまだこれからのようだ。防衛省が広島県や呉市に対して、複合防衛拠点としての整備案を持ちかけたが、さてどうなるか。

工業用の塩の集積場がある三ツ子島の横を過ぎる。後方を見ると、自衛隊の潜水艦が基地に近づいて浮上している。動く潜水艦を目にするのは初めてだ。

そして、見どころの一つである音戸の瀬戸を通過する。ここを開いた平清盛を祀る清盛塚があるのだが、ちょっと違和感を覚える。確か、塚の前に橋がかかっていたはずである。後で知ったのだが、昨年2月、音戸の瀬戸を通過しようとした貨物船が衝突して橋が大破、その後撤去されたという。昔も今も交通の難所である。

ここから先は瀬戸内海の広いエリアに入る。

広島からのスーパージェットが追い越していく。広島7時30分発の便で、松山には8時40分に着く。広島と四国を結ぶ最速ルートである。以前、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの時、広島~松山~八幡浜~臼杵というルートで渡ったことがあるが、これができるのもスーパージェットならではだった。

この後も船内を出たり入ったりして過ごす。さすがは瀬戸内海で、周りを見渡すとどこかしらに島が浮かんでいる。次々に景色が変わるので飽きることがない。

愛媛県に入る。四国の姿も少しずつ大きくなる。さすがに石鎚山は遠すぎるかな。その前では漁船が連なっている。また中島、睦月島、興居島といった松山市の離島を見る。これらの島々と本土を結ぶフェリーも出ている。

松山観光港に到着。呉から約2時間、クルーズ気分、まったりと過ごすにはちょうどよい長さだった。

ここからJR松山駅に向けて移動する。時間帯によっては松山市駅や道後温泉に向かうリムジンバスが出ているが、伊予鉄道の高浜駅に向かうのが定番のルートである。連絡バスもあるが、駅までは数百メートルなのでそのまま海岸べりを歩く。向こうには夏目漱石の「坊っちゃん」にも登場するターナー島も見える。穏やかな伊予の海。

高浜駅に到着。地方私鉄らしいといっては失礼だが、昔ながらの風情が残る駅である。コンビニではなく売店も残っている。「DPE クリーニング取次」というのも、その当時の「よろづや」らしさを感じる。

ところで「DPE」って何やったっけ・・と調べると、フィルム写真の現像・焼き付け・引き伸ばしのそれぞれの英語の頭文字を取ったもの。昔は写真を撮った後のフィルムを現像に出して、その仕上がりを楽しみにしたものだ。私も社会人になってしばらくはフィルムだったが、1本で撮れる枚数が限られているのに緊張して、その割に現像で上がった写真がピンボケしていたり、構図が今一つだったり・・というのも懐かしいことである。今はデジカメだから撮影後に写真をチェックして、ダメなものはその場でデータ削除するだけのこと・・安直といえば安直。

「玻璃ヶ浦駅」という駅名標と、福山雅治さんのポスターが掲げられている。「真夏の方程式」という映画のロケ地になったそうだ。ロケの中心は伊豆半島だが、あるシーンの撮影にあたってはこのレトロな駅舎が選ばれたという。

横河原行きの列車に乗る。次の梅津寺のホームは海に面しており、柵には多数のハンカチが結ばれている。こちらは「東京ラブストーリー」のロケ地になったところ。あの「トレンディドラマ」から30年以上経つが・・私は当時も今もそうした「ラブストーリー」「トレンディ」とは全く無縁の人生だな。

そのまま列車に揺られ、大手町に到着・・・。

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目的地は岡山だが・・・フェリーで松山に渡る・・・そのために呉に行く

2024年07月12日 | 旅行記G・四国

・・・今回、松山に行った記事を書こうというのだが、7月12日朝、松山城がある城山で土砂崩れが発生し、周辺の住宅やマンションに土砂が流入した。行方不明の方もいるようだ。前日まで松山は大雨が降っていた中での出来事である。道後温泉本館が修復工事を終えてリニューアルオープンという明るい話題の直後、松山城にこうした影響が出るとは・・。

毎年毎年、どこかの地域が当番が回って来るかのごとく大雨による災害に遭っている。連日「○○豪雨から×年」というニュースに接しているように感じる。この週末も雨雲が心配である。

・・さて、本題に入ろう。

雨が降る日もある一方、晴れの天気だと真夏日、猛暑日というこのところ。ふと、ビアガーデンに行きたいな・・という気になった。

ビールを飲むのならいくらでも居酒屋があるのだが、ビアガーデンは夏独特のものである。私は一人でもビアガーデンに行ける口なのだが、広島だと広島三越屋上のビアガーデンが、銀座ライオンと同じくサッポロ黒ラベルやヱビスビールがいただけて、おひとり様でもOKである。ただ、料理がジンギスカンの大皿メインでさすがにしんどい。

他に、料理がいろいろいただけるビアガーデン、おひとり様利用可で検索すると・・髙島屋岡山店屋上というのがヒットした。こちらではアジアのエスニック料理が食べ放題で、ビールはなんと大手4社すべてを揃えているという。これは面白そうだ。

・・ということで、夕方に岡山に着き、しかるべく飲んで帰りは新幹線という日帰りプランとする。当初は、広島から岡山県内の乗り鉄をしようかとか、新型「やくも」に乗ってみようかとかいろいろ考えたが、どこかしっくり来ない。旧国鉄381系「やくも」の定期運行が終了したことで、岡山の鉄道に寄せられた熱もいくらか冷めたようにも思う。

そこで思いついたのが、いったんフェリーで松山に渡り、予讃線~瀬戸大橋線で夕方に岡山に着いてビアガーデンというもの。四国八十八ヶ所の満願以来、訪ねる機会も少なくなっているが、今回は札所めぐりの要素はまったく入れずに、観光らしい観光もない。フェリーで瀬戸内海を渡り、松山から特急に揺られ、最後はビアガーデン。

あ、でも松山に行くならば温泉は外せない。もっとも、ここでいう温泉とは道後温泉ではなく、JR松山の駅前にあって、四国八十八ヶ所めぐりでもお世話になったスポットである。

広島から松山へはスーパージェットが最速で結ぶが、せっかくなのでフェリーで行こう。同航路には新型「シーパセオ」が就航している。もっとも、朝の時間帯の広島・宇品港発は5時45分、6時45分である。この両便だが、これに間に合う公共交通機関はない。マイカー、あるいはタクシーで来るか。G7広島サミットが行われた宇品島のホテルにでも泊まれば間に合うかもしれないが・・。どういう意図があってこうしたダイヤを組んだのかな。

このうち、宇品6時45分発の便は呉に寄港して、呉を7時30分に出航する。これなら西区の自宅からでも間に合うだろうと時刻表を検索すると、結局は西広島5時30分の始発に乗ることになるが、呉で余裕を持って乗船できる。よし、これで松山に渡ろう。

7月7日、この日は東京都知事選挙、そして先日訪ねたエリアである鹿児島県知事選挙の投票日である。岡山からの帰り道で結果を知ることになるだろう。

西広島から山陽線の列車に乗り、広島でホーム向かいの広行きに乗り継ぐ。時刻はまだ6時だが外は明るく、海田市から呉線に入ると江田島を挟む海岸風景に出会う。

呉に到着。駅のコンビニで朝食等を買い求め、フェリー乗り場に向かう。ちょうど「大和ミュージアム」に隣接するところ。時計を見ると、6時45分発の松山行き「シーパセオ」が宇品を出航して間もないくらいだった。

しばらくフェリーターミナル内でゆったりして、7時に開いた窓口で松山までの乗船券を購入する。

ターミナル最上階の展望スペースにも上がってみる。海上自衛隊の基地のある港だが、何事もなければ穏やかな、のどかな景色の港である。

そして沖合に「シーパセオ」が姿を見せた。宇品からの乗船客も少なく、また呉からの乗船客も数人。早朝便はこんなものなのだろう。

船内・船外にはさまざまなタイプの座席がある。松山までの区間、瀬戸内海の潮風とともに楽しむとしよう・・・。

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大相撲高松場所を観戦~さまざまなイベントと関取の取組を楽しむ

2023年10月27日 | 旅行記G・四国

10月22日の大相撲高松場所。朝からの公開稽古、幕下以下各段の決勝五人抜、取組と進んできた。中でも決勝五人抜は、三段目ではさぬき市出身の大翔宗、幕下では高松市出身の大喜翔が優勝。こういうのも地方巡業ならではである。

この2人はある意味この高松場所の主役でもあったわけだが、香川県出身の力士となると、現役の関取がいないのも事実。調べてみると、現在は三段目でこの日は出場していなかったが、幕内に1場所上がった天風がいるくらい。少し前だと琴勇輝がいたなあ(画像は、以前に神戸~小豆島~高松のジャンボフェリーに乗船した時にあったパネル)。

ただここで思い出したのが、多度津の海岸寺の山門に立つ力士像。観音寺出身の元大関・琴ヶ濱と、丸亀出身の元関脇・大豪である。金剛力士像の代わりということでなかなかの存在感だったのを思い出した。

・・さて高松場所の土俵はしばしイベント、ショータイムである。

まずは髪結実演として、熱海富士が登場。秋場所で優勝争いを繰り広げたことで人気も急上昇という。観客に手を振る余裕も見せ、床山の手さばきに身を委ねている様子である。力士にとって髪結の時間は、リラックスする時間である一方、集中力を高める時間でもあるという解説がある。本場所でも、本割後の優勝決定戦を前にしていったん髷を結い直す場面がテレビに映ることがある。

この髪結の技能も一朝一夕で身につくものではなく、何年もの修行が必要である。

見事に大銀杏が完成して拍手が起こる。さて九州場所は幕内中位に上がるだろう熱海富士、九州はこの先のステップとなるか真価が問われる場所になる。

続いては相撲甚句。土俵に上がるのは幕下以下の力士たちだが、いずれも美声である。巡業先ごとに後半の歌詞も変わるそうだが、土俵で相撲甚句を披露するのは誰でもいいというわけではなく、やはりそちらの素養がある力士たちが、相撲の稽古とはまた別にトレーニングされているのだろうか。

初切。相撲の禁じ手を面白く、わかりやすく説明するものだが、今や巡業においてお客も楽しみにしているショーである。「これがおもろいんや。よう見ときや」という会話も聞こえる。

これも十分計算され、稽古が積まれた一つの儀式である。力士、行司の呼吸が合って繰り広げられる。

なかなかに芸が細かい。

最後はボクシングのような立ち回りがあり、ぶつかり稽古のように投げ飛ばして決着がつく。

続いては綱締めの実演。横綱照ノ富士の登場に大きな拍手が沸く。このところ休場が続いており、この日も申し合い稽古の土俵には姿を見せなかったが、果たして九州場所での復帰はなるのだろうか。何人もの力士が横綱を囲んで綱をつけていく。巡業とはいえ、横綱がいるのといないのとではやはり大きく違うし、巡業だからこそこうした綱締めも間近に見ることができる。

背中の輪が二つの不知火型の完成。さて、この次に横綱になるのは誰か、現在の3大関の中からか、それとも彼らを追い越して出世する力士が誕生するかわからないが、今の顔ぶれだと雲竜型の綱となる可能性が高そうだ。

そして関取の土俵入りである。本場所とは違い、参加している関取の数も限られていることから、十両、幕内が一緒に土俵に上がる。中には笑顔だったり、観客に手を振ったりと余裕がある。

赤ん坊を抱きかかえて土俵を回るのは琴ノ若。昔から、力士に抱かれた赤ん坊は丈夫に育つと言われており、巡業や神事では見られる場面である。ただこういう場合、どうやって力士に頼むのかな。あらかじめ申し込むのか、それともその場でお願いすれば引き受けてくれるものか。

西方力士の土俵入り。こちらでは玉鷲が赤ん坊を抱きかかえての土俵入りだ。

横綱土俵入り。照ノ富士の土俵入りをナマで見るのは初めて。巡業は途中参加で、相撲を取る稽古は休み休みのようだが、繰り返しになるが九州場所での復帰はなるのだろうか。

しばらくの休憩の後、主催者であるあなぶきグループの代表から挨拶があり、いよいよ関取衆の取組である。まず登場するのは鉄道ファンの行司である木村銀治郎。

時折懸賞金の垂れ幕が回るが、本場所と違い途中の仕切りも1~2回で立ち合いとなる。あっさりとした引き技が少ない代わりに、派手な突っ張りや吊り出し、うっちゃりで見せるのも巡業ならではである。

熱戦だった一つが、豪ノ山対宇良という寝屋川出身同士の取組。最後は豪ノ山が寄り切った。

そして、大関経験者同士の正代対朝乃山。三役復帰が待たれるところだ。こちらも一進一退の攻防を見せ、朝乃山が寄り切り。

翔猿は持ち前の素早い動きで錦木の背中に回り込み、送り出し。

最後はこれより三役。撮影した角度のせいで画像では2人しかいないように見えるが、東からは琴ノ若、大栄翔、霧島。そして西からは若元春、豊昇龍、貴景勝である。巡業の場合、興行ということを考えると上位同士の取組となるため、連日同じような顔合わせになっているのではと思う。

三役、大関の取組だが、なぜか周りでは席を立つ人がポツポツ現れる。私が座っているのは会場の入口から奥のほうなのだが、帰りのクルマの渋滞を気にして早めに出口近くに移動しようということのようだ。また、花道や支度部屋近くに行って、推しの力士との写真、あるいはサインを狙っているのかもしれない。

残り2番となり、来年1月に木村庄之助を襲名予定の式守伊之助が登場。軍配差し違えや、土俵からの転落などで何やかんや言われることが多いのだが、ようやく行司の最高位が埋まることになる。

大栄翔と豊昇龍もなかなかの熱戦の末、大関に軍配が上がる。

結びは霧島対貴景勝。貴景勝の当たりを霧島が受け止め、そのまままわしを取っての寄り切り。

最後の弓取式もせっかくなので自席で見るが、半数以上の人が席を立って出口に向かうところだった。

せっかくなのえ帰りは土俵の近くまで行ってみる。そこはスタッフが周りをぐるり囲んでいる。どさくさに紛れて土俵に上がろうとする人が絶対いるだろうから。仮に巡業とはいえ女性が上がるのは厳禁だろう。

ほとんどの観客はクルマで来ており駐車場も混雑しているが、バス停にも長蛇の列ができている。巡業があるからといって臨時便を出すわけでもなく、定期便にぎゅうぎゅうになって何とか積み残しなく発車する。来た時とは別経由の便のようで、瓦町を経て高松駅に戻るのに50分ほどかかった。

香川に来たのだからと駅前のさぬきうどんをいただき、高松17時10分発の「マリンライナー50号」に乗る。この後岡山に出て、また鈍行乗り継ぎである・・・。

さて、大相撲の秋巡業だが、翌23日は徳島で行われ(先ほど帰りのバス停に向かう途中、早くも一行を乗せたバスが通り過ぎて行った)、その後四国、中国を回り、28日は広島での「安芸場所」が東区スポーツセンターで行われる。実はこの「安芸場所」のチケットも早々と買っていたのだが、ほら、28日からバファローズ対タイガースの日本シリーズ・・・。

私の中では当然、日本シリーズの現地観戦>大相撲巡業であり、また同日の第1戦のチケットも抽選で当たったので、自ずと大阪に移動となる。巡業はまたの機会の楽しみとして・・・。

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大相撲高松場所を観戦~まずは鍛錬の光景を

2023年10月25日 | 旅行記G・四国

10月22日、サンメッセ香川で行われた大相撲高松場所の観戦に出向く(巡業で「観戦」という言い回しがふさわしいのかどうかはともかく)。大相撲の地方巡業を観るのは2018年の総社場所以来2回目。総社の時は価格が安いのと、会場全体を見渡せるかなということで2階のアリーナ席で観戦したのだが、力士がすぐ近くにいる1階エリアには立ち入ることができなかった。サインや記念撮影などの「ふれ合い」も巡業ならではの楽しみである。

土俵上では幕下以下力士による申し合いや、関取へのぶつかり稽古が行われている。

今回香川はすべて同じフロアで、力士との距離も近い。準備中の関取とも接することができる。

土俵上では少しずつ白いまわしの関取衆の姿が増え、やがて申し合い稽古が始まる。2人が一番を取り、勝った力士はそのまま残り、負けた力士は土俵の外に下がるのだが、決着がつくと周りを囲んでいた他の力士たちが「次はオレだ」と手を挙げて、さらには勝った力士に飛びついてアピールする。勝った力士はその中で1人を指名して次の一番を取る。勝ち抜き戦で、勝てば勝つほど番数が増える仕組みである。

巡業のようにさまざまな部屋の力士が一同に会するところで番数をこなすことでレベルアップにもつながる。もっとも、故障箇所のケアやリハビリを優先して巡業を欠席する力士も一定数いて、鍛錬の場でもあり調整の期間でもあり、力士それぞれの向き合い方があるようだ。ちなみに、横綱・照ノ富士はこの日の稽古には姿を見せなかったが、プログラムを見ると綱締め実演と土俵入りには名前が出ている。九州場所の出場を目指しつつ、体tと相談しながらというところのようだ。

力士がぶつかり合う音もよく聞こえ、迫力が伝わってくるが、ちょうど周りの力士が壁になって、中で相撲を取っている両者はよく見えない。また、本場所と違ってフロアの客席に段差がないため、これは全体を通してだが、前方の人が邪魔に感じることも多かった。まあ、これは仕方ないかな。

続いてぶつかり稽古。こちらはあらかじめ組まれているのか、1対1で繰り返される。

この中でインパクトがあったのが、大関・霧島。ぶつかり稽古の相手に指名したのは同じモンゴル出身の十両・玉正鳳。胸を出して玉正鳳に何度もぶつからせる。

そのうち、玉正鳳の息が上がり、苦しそうな表情となるが、霧島はそれでもやめさせようとしない。しまいには、まだまだ来い!とばかりに玉正鳳を張る場面もあった。玉正鳳は秋場所、新入幕手前の十両筆頭で臨んだが大きく負け越し。何とか幕内を狙えという霧島からの叱咤激励かな。

他にも三役、大関によるぶつかり稽古が披露され、部屋の枠を超えてこうした取り組みが見られるのも巡業ならではだ。

これで稽古は終了。次は力士への質問コーナーということで翔猿、宇良、湘南乃海の3力士が土俵に上がる。ファンからさまざまな質問が出て、それぞれ持ち前のトーク力での回答に笑いも起こる。

その時間を利用して昼食とする。相撲絵の包み紙の下には特製幕の内弁当。ちなみに、つまみ・持ち帰りになる一品として、徳島のかつ天や小松島のちくわ、小豆島の醤油せんべいなどもあり、四国土産として持ち帰る。それはそうと、弁当の列を中心に午前中は長い列ができていた。

これから取組が始まる。まずは序二段だが、その前に「序二段決勝五人抜」が行われる。東西から5人ずつの力士が登場。巡業や引退相撲といった花相撲ではよく行われるそうだ。てっきり、先鋒~大将の団体戦かと思って観ていたのだが、1人が5連勝すれば優勝だという。それなら、結構決まるのに時間がかかるのでは?と思っていると、序二段では雷部屋の鷹司が優勝。

この後は序二段の取組。

続いて、三段目の「決勝五人抜」。ここで紹介されたのが地元さぬき市出身、追手風部屋の大翔宗。古くから「江戸の大関より土地の三段目」という言葉にあるように、地位や知名度に関係なく、郷土出身の力士には声援が送られる。

この大翔宗、若手なのかなとスマホで検索すると、年齢は30歳を超えた、どちらかといえばベテランである。それで最高位が三段目というのはさておき、ここでは相手を次々と投げ飛ばし、見事五人抜を達成。大きな拍手が送られた。まあ、地元の巡業だから・・・。ちなみに序二段の鷹司は大阪出身とのこと。

三段目の取組にも力が入る。

さらに、幕下の「決勝五人抜」。ここでは高松市出身、追手風部屋の大喜翔が登場。

となると、興行ということでこの力士が勝ち抜くという展開が読める。そこは期待を裏切らず、見事に五人抜きを達成。こちらはまだ23歳、幕下の中位まで行った経験もあり、関取までもう一息である。

続いて幕下の取組だが、その最初に大喜翔が登場し、またも勝利。朝の幕下以下の力士での申し合いやぶつかり稽古にも出ていたようだし、そして決勝五人抜と取組に出て、稽古としても充実した一日になったのではと思う。

幕下となると関取を目指す有望力士も顔を出すようになり、取組にも力が入る。

ここで朝からの稽古、そして関取を目指す力士たちの実戦が終わり、この先は巡業らしいショータイムの一時となる・・・。

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クライマックスシリーズの後は大相撲秋巡業~高松へ

2023年10月24日 | 旅行記G・四国

10月21日、京セラドーム大阪でのクライマックスシリーズ第4戦にてバファローズの勝利、日本シリーズ進出を見届けた後、再び大阪駅まで出て、新快速の網干行きに乗る。そのまま新大阪まで行けば広島行きの最終の「のぞみ」に何とか間に合うタイミングではあったが、あえて在来線に乗る。そして姫路に到着し、この夜は姫路駅南口近辺の「ホテルアルファーワン姫路南口」にて一泊。

すでに23時を回っており、姫路に泊まっても一献はない。・・ただ実は、これを見越したわけではないが、昼間、鈍行乗り継ぎで姫路に着き、大阪への新快速に乗る前に先に済ませていた。

訪ねたのは、南口を出たところにある「大衆串焼き酒場 つぼさか商店」。うどん、定食をメインとしつつも、串焼き(ホルモン焼、焼き鳥)、刺身、一品もの、姫路おでんなどさまざまある。夜は本格的な大衆酒場になるのだろう。

カウンター、テーブルにもメニューは置いているが、渡されたのはQRコードが書かれた紙。これをスマホで読み取り、注文はスマホからという。店員を呼ぶ手間も省けるのだが、スマホには表示されないメニューも多々ある。品切れ、あるいは準備中のメニューを省略する意図があるのかなとも思う。

ホルモン焼を中心にオーダー。1本単位で注文できるのがよい。列車での乗り換え時間を活かしてサクッと立ち寄りでの利用でもよさそうである。

締めはホームの「えきそば」として、新快速で大阪に向かった。

・・ということで、一応姫路でも一献したことにして、後は寝るだけ。ただその前に、大浴場「夢前の湯」に浸かり、興奮の1日を振り返る・・・。

翌22日、姫路駅の新幹線ホームに出て、6時29分発の「みずほ601号」に乗車。これで岡山まで移動する。前日に引き続き「JR秋の乗り放題きっぷ」を活用するなら姫路5時29分発の始発に乗るべきなのだが、さすがに少しだけでもゆっくりしたかった。岡山にはほぼ同時刻に到着する・・・。

さて、前夜ナイトゲーム終了後に姫路に移動したり、また翌朝早々に岡山に移動したり、こういうプランになったのは、22日に高松で開催される「大相撲高松場所」のためである。

コロナ禍明けで大相撲の巡業がふたたび盛んになる中、私も久しぶりにどこかの会場に行ってみようという気になった。西日本を中心に回る秋~冬巡業の日程をチェックしていると、10月22日の高松場所を見つけ、前売りでイス席を確保した。この時はまだプロ野球のペナントレースも中盤で、クライマックスシリーズ、日本シリーズの日程までは気にしていなかったのだが、ここでちょうど同じ週末となった。ということで、大阪、高松の変則連戦という形になった。野球と相撲の組み合わせもぜいたくなものだ。

なお、クライマックスシリーズがデーゲームだったら、試合後に高松まで一気に移動しただろうが(この時は、大阪からの高速バスという手もある)、ナイトゲーム終了後ということで姫路までとした。

岡山からは7時10分発「マリンライナー7号」の普通車指定席に乗る。この時間のマリンライナーに乗る機会もなかなかないが、ちょうど朝日に照らされた瀬戸大橋を渡る。

8時07分、高松到着。巡業の会場である「サンメッセ香川」へはことでんバスで約30分。駅からダッシュすれば8時10分発の便に乗れたかもしれないが、ちょうど出たばかりで次は8時36分発。当日の開場は9時ということで、その直後に到着する計算だ。時間が近づくと巡業観戦とおぼしき客もちらほら現れて発車する。

途中瓦町駅を経由し、南東の方向に走る。30分ほどでサンメッセ香川に到着した。もちろん訪ねるのは初めてのところである。

開場は9時、着いたのは9時10分すぎだったが外は長蛇の列ができている。なかなか入場客を捌けないようである。高松での巡業開催は5年ぶりとのことで、待ちわびていた人も多かったことだろう。結局入場まで30分ほどかかった。

ロビーでは力士との撮影会イベントが行われていたが、そちらも長蛇の列。そちらはパスして、まずは会場に入る。ちょうど、黒まわしの幕下以下の力士に白まわしの関取が交じる頃合いで、関取が幕下以下の力士に稽古をつけている。また壁際では準備運動の最中の関取の姿も見る。

まずは自席に落ち着くことにしよう・・・。

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長かった四国右半分一周・・・やはり最後は鉄道で

2022年01月28日 | 旅行記G・四国

当初は中国四十九薬師めぐりから始まった2泊3日の行程。ようやく、3日目の午後の部となった。

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の奈半利から14時03分発の快速高知行きに乗る。JR直通運転のためか、やって来た気動車はJR四国の車両だったが、それでも海側のボックス席に身を置く。この沿線も四国八十八ヶ所めぐりで回ったところで、懐かしく感じる。今回の旅行記ではやたら以前の八十八ヶ所めぐりに関する記述が多いが、それを懐かしむ機会となったのでご容赦いただければ(その意味で高知まで回ったのはよかった)。

ごめん・なはり線もほぼ全線高架区間なので、周囲の景色もよく見える。黒潮の景色はもちろんだが、この辺りの特徴としてビニールハウスが目立つ。高知では日照時間が長いことを利用して、ビニールハウスによる野菜や花卉類の栽培が盛んである。もっとも農業全般に言えるのかもしれないが、廃業したのか雑草がビニールハウスを突き破って残念な姿になっているところもある。

唐浜に到着。ここは第27番の神峯寺への最寄り駅だが、神峯寺へは「真っ縦」というキツい坂が続いたのを覚えている。駅から1時間ほど歩いたかな。その唐浜のキャラクターは「とうのはま へんろ君」。遍路姿をモチーフとしたキャラクターで、私もお参りした後に安芸駅の土産物店でグッズを購入し、その先のお守りの一つにしたものだ。そのおかげか、その後も無事に(公共交通機関やレンタカーがメインではあったが)結願までたどり着けた。

安芸に到着。列車は高知行きの快速行きだが、球場前までは各駅に停まる。

その後はようやく快速らしく1駅または2駅とばしでの運転。雄大な黒潮を見ながら、高架を走る気動車のスピードも上がる。

後免で土佐くろしお鉄道は終わり、土讃線に入る。15時23分、高知に到着。この旅で、まさか南国土佐まで来るとは思わなかった。

駅前に建つ中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太の三志士像を見ることになるとは。ここまで来るともっと先にも行きたい、せめて桂浜でも・・と思うが、残念ながらそこまでの時間はない。まあ、久しぶりに高知の地を踏めただけで大いによしとする。

これから乗り継ぐ広島行きの高速バスは高知駅前16時20分発。広島まで4時間あまりというのはいいが、今回当日予約したのは4列シートの通路側である。ちょっとどうかな・・。

その一方、「みどりの券売機」で高知16時13分発の岡山行き「南風22号」を検索すると、指定席もガラガラである。岡山から新幹線に乗り継ぐとして高速バスより料金はかかるが、ここは快適に移動するのがいいだろう。ということで、ほぼ満席だった高速バスの座席をスマホからキャンセルして、「みどりの券売機」で「南風22号」~「さくら569号」乗り継ぎの特急券・乗車券を購入する。

やはり、最後は鉄道になったな・・。(いや、別にバスを否定するものではなく、場合によっては同じルートをずっとクルマでたどることもある。要は何でもええのか・・・)

時間的に高知で一献とは行かなかったが、高架下の土産物コーナーにてさまざまなものを購入する。かつおの酒盗あり、生節あり、地酒あり、鯨あり・・・一気にバッグが重たくなった。

「南風22号」は、振り子式の2000系の後継である2700系。登場からまだそれほど年数が経っていないこともあるが、車内設備も立派である。またシートもゆったりしていて、座席ごとにコンセントも備えられている。これなら、多少お金が高くとも、高速バスの通路側に座るよりも快適に移動できる。

高知を発車。ここで飲み鉄にモードチェンジ・・・ごめん。

パターンダイヤが導入されている土佐山田を過ぎると一気に山がちな景色になる。気動車のエンジンがうなる。スイッチバックの新改や山の中の繁藤などをあっさり通過する。

そのまま土佐から阿波にかけての厳しい地形の中を爆走し、山中に入る。この景色を楽しむのもよい。

高速走行、トンネルの多さ、さらに夕方のため写真はなかなか撮れなかったが、大歩危・小歩危の車窓も肉眼では楽しめた。

遠くに池田高校の校舎を見た後で、阿波池田に到着。高知県内は高知以外乗って来る客はほとんどいなかったが、ここからそこそこの乗車があった。

佃の先で吉野川を渡ると暗くなり、かすかに残る明るさを頼りに外の景色を見る。いつしか香川県に入り、琴平、善通寺、多度津を経て宇多津に到着。

後は瀬戸大橋を渡り、本州に戻った。18時47分、岡山着。そのまま19時08分発の「さくら569号」に乗り継ぎ、高速バスより先に広島に到着。

・・・1日で宍喰から室戸岬を回り、高知を経て広島に戻るというのも贅沢な移動だった。ここまでの行程の中で、八十八ヶ所の思い出をたどる形になったこともあり、また四国をじっくり回ってみたいという気持ちが起こったように思う。四国八十八ヶ所の2巡目を行うのか、はたまた別の何かをめぐるのか・・・?

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室戸から高知へ~クジラ料理も堪能

2022年01月27日 | 旅行記G・四国

戸岬から安芸営業所行きのバスに乗車。岬から今度は海岸を西に見て走る。国道55号線を走るが、四国第25番の津照寺、第26番の金剛頂寺最寄りのバス停も通過する。

以前に八十八ヶ所めぐりで訪ねた時、2016年の大晦日だったが、最御崎寺から金剛頂寺まで歩いた。その時、安芸方向から子どもたちを含めたウォーキングの団体に遭遇した。高知から室戸岬まで12月30~31日の2日間かけて歩き、最御崎寺のユースホステルに泊まった後、室戸岬で初日の出を見るという「初日の出徒歩ホステリング」というイベントだった。高知県ユースホステル協会主催だったが、コロナの影響もある中、今でもやっているのかな。

さて、途中下車したのは道の駅キラメッセ室戸。ここで昼食である。目指すのはレストラン「鯨の郷」。

名前にもあるように、高知はかつて捕鯨がさかんだったところだ。その名残で鯨料理をいただくことができる。注文したのは「鯨御膳」。鯨の竜田揚げ、たたき、さえずり酢味噌、刺身と味わえる。刺身は半解凍だが、これを舌の上に置いて少しずつ解かすのがよい。さまざまな食べ方を楽しむことができた。今回、高知で一献とまでの時間はないので、高知名物はここ室戸で味わったことでよしとする。

敷地内にあるのが鯨の資料館である「鯨館」。室戸と鯨のかかわりを紹介するスポットである。時間はそれほどないが立ち寄ってみる。

まず出迎えるのは、江戸時代の捕鯨の様子の描いた絵図をデジタルアート化した巨大スクリーン。鯨が海面を跳ね、それを追ういなせな男たちが躍る。

中央には鯨の骨格標本、模型とともに再現された勢子船が置かれている。この中央の席に座り、受付で渡されたヘッドセットをかぶる。そこで見えるのは、VRの世界。しばらく勢子船が進むと海の中に潜る。そこにはサンゴ礁が広がり、数々の魚が泳ぎまわる。そこへやって来るのが巨大な鯨。時間にして5分もなかったと思うが、360度の海底の世界を実感できる。これは子どもたちは喜ぶだろう。

室戸の捕鯨は和歌山の太地から伝わり、江戸時代に本格的に行われるようになった。海流の流れの関係か土佐沖は鯨の回遊コースになっていたこともある。改めて、当時の絵図で出漁から捕獲、そして解体までの流れを見る。鯨一頭で周辺の村は大いに潤うことができ、その解体の時は村挙げてのお祭りのようなものだったという。

その捕鯨は室戸から足摺まで土佐一帯で行われていたが、実際に捕鯨が許されていたのは室戸の鯨組だけで、足摺の人たちは制限されていたという。足摺といえばジョン万次郎が有名だが、彼の家は貧しいほうの漁師で、自身も漁に出た時に遭難し、助けられたのがアメリカの捕鯨船だった。万次郎は捕鯨船の乗組員として働き、後にアメリカのゴールドラッシュでの金の採掘で資金を得て、晴れて日本に帰国。その後は捕鯨、造船、英語を通して日本とアメリカの架け橋としても活躍した。同じ土佐、そして捕鯨船に縁があったということで紹介されている。

今は捕鯨はできないが、鯨は変わらず回遊してくる。そのため、今ではホエールウォッチングが室戸観光の目玉の一つとなっている。さすがに道の駅から遠くを眺めるだけでは遭遇しないだろうが・・。

次のバスに乗り、水切り瓦、漆喰壁の家並みが続く吉良川を過ぎる。当初はここも途中下車の選択肢に入っていた。

これで室戸岬をぐるりと回り込み、奈半利町に入る。八十八ヶ所めぐりではここの「ホテルなはり」で1泊した。奈半利はまぐろの遠洋漁業の基地があることから、ホテルではまぐろ料理を堪能した。また機会があれば泊まってみたいものである。

土佐くろしお鉄道の奈半利駅に到着。ここからは本式の鉄道への乗車だ。「ごめん・なはり線」の名称があり、各駅には「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏がデザインしたキャラクターがいる。奈半利駅にいるのは、「なは りこちゃん」。

土佐くろしお鉄道のオリジナル車両はシートがゆったりしたもの、片方が展望デッキになったもの、さらには安芸キャンプで縁のある阪神タイガースの塗装をほどこしたものと、バラエティに富んでいる。

次に乗る14時03分発の土讃線直通の高知行きはさてどの車両がと思っていると・・・やって来たのはJRの1200型。あらあら・・・。

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