まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

髙島屋岡山でビアガーデンのはずが・・・結局はミシュラン居酒屋へ

2024年07月18日 | 旅行記G・四国

7月7日、早朝、広島から呉に移動して松山への「シーパセオ」に乗船し、JR松山駅前で温泉、そして生ビールをあおり、予讃線~瀬戸大橋線と乗り継いだ。広島から岡山に向かうのに、わざわざ瀬戸内海を渡って四国の鉄道も楽しむという、なんとも欲張りな一日である。

瀬戸大橋を渡る。広島から松山にかけての区間とはまた違った島々の景色である。

児島に到着。ここからは時間つぶしを兼ねて鈍行に乗り換えてもよかったが(次の岡山行きは新型227系だった)、そのまま特急で乗り通す。松山から3時間弱の鉄道旅で岡山に到着。

さて、向かいの津山線ホームにはキハ47の旧国鉄急行色「ノスタルジー号」編成が停まっている。16時27分発の津山行きに充てられる。実をいうと、今回乗り鉄で岡山に行くに当たり、広島から山陽線で倉敷、以後、伯備線~姫新線~津山線をたどることも考えていた。中国地方のローカル線をたどるのもこのご時世貴重な体験である。

さて、目指す髙島屋岡山店のビアガーデンの開店は17時である。少し時間があるのでとりあえず駅前に出る。路面電車の乗り入れ工事のため、駅前のシンボルだった桃太郎像も一時撤去されている。どこに行ったのやら。

・・さて、私が岡山に来るといえば・・・あのミシュラン居酒屋「鳥好」だろう。今回あえてその手前にある髙島屋のビアガーデンを予約したのだが、やはり現地に来るとのぞきたくなる。「鳥好」は16時開店。ただし、これまでの経験上、16時開店に並んだものの予約客の多さでかろうじてテーブル相席で座れたとか、ふらりと訪ねて満席だったこともある。

カウンターに空席があった。

申し訳ないが、ここで連絡して髙島屋のビアガーデンは取り消し。まあ、昼の松山で大ジョッキをあおったり、実は「しおかぜ20号」の車内でもささやかな飲み鉄をしていたので、飲み放題の元を取らなければ・・となってしまうビアガーデンは別に今日でなくてもよいかなと。それよりも岡山の人気店「鳥好」を選択した形だが、この店もこれまで何回訪ねたことやら・・。

早い時間からカウンターはもとよりテーブルも埋まり、座敷には予約のグループが次々やって来る。

とはいえ、注文するものはだいたいパターン化されている。とり酢に始まり、刺身盛り合わせ、煮込み、焼き鳥串盛り合わせ・・。回によってはそこにしゃこ酢やままかり酢が入ることもある。

この日は変わったところで石もち唐揚げをいただく。イシモチとは標準名ではテンジクダイだが、広島の中でも備後ではテベラと呼ばれる。カウンターに座った初老の男性が「イシモチって何ね?」と若い店員に訪ねたが、店員も「何ね?」と訊かれて戸惑う様子。そこで「テベラですよ」と助け舟を出すと、男性はうなずく様子。備前と備後、それほど文化圏としては変わらないと思うのだが・・(むしろ、同じ広島県にあって安芸と備後というのは似て非なるところがあり・・)。

そして、私が「鳥好」に来た時の締めは「のりくらっち」。今回ここに新たにイカの塩辛をセットする。これで味わいの幅が格段に広がった。この塩辛、クラッカーによし、チーズによし。そして複合するとなおよし。さすが塩辛、ご飯はもとよりじゃがバターにも相対するだけのことはある。次回の「鳥好」での一献の抑えは新たに強力な一枚を加えたこのカルテットに尽きるだろう・・・。

・・ビアガーデンはまた来ることもあるだろう。という一方で、「岡山は鳥好に限る」は今後も続くのだろう。

この後は岡山駅に戻り、新幹線で広島へ。この距離・時間だし、「のぞみ」利用でもわざわざ指定席にこだわらず、自由席の通路側で十分だ。

・・・さてこの日(7月7日)は、「七夕決戦」となる東京都知事選挙の投開票日だった。自宅に戻った直後に20時を迎え、現職の小池知事の当選確実が報じられた。その後、前の安芸高田市長だった石丸氏が2位に入ったことで世の注目を受けるようになったのは皆さんご存知のとおりである。これは都市部における既存政党への批判の受け皿になったと言われている。

その一方、先般九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで訪ねていた鹿児島の知事選挙も同日に投開票が行われ、こちらも20時の時点で現職の塩田知事の当選確実が報じられた。鹿児島では他に2名の女性候補が立候補し、「鹿児島県初の女性知事を」と訴えていたが、やはり壁は高かったようである。うーん、地方においては依然この構図は変わらないのだろう・・。

そして2024年は世界的に見て「選挙の年」である。台湾の総統選挙に始まり、ロシアではプーチン大統領が予定通りの圧勝、その一方でフランスの下院選挙では極右政党が第1回投票で最多の得票を集めたとか、イギリスでは政権交代、イランでは航空事故で亡くなった後の大統領選挙で改革派が勝利。日本では上記の都知事選の後は、自民党総裁、民主党代表の選挙(この結果が日本に及ぼす影響はほとんどないだろうが)、そしてアメリカ大統領選挙である。

その大統領選挙で、遊説中に銃撃を受けたものの右耳の負傷だけでカムバックしたトランプ前大統領の立ち居振る舞いがアメリカの象徴として人気である。あ、やはり現代の社会が求めているのは「こういうリーダー」なのだなと、改めて感じる次第である・・・。

(そりゃそうと、今の与野党問わず、トランプ氏に対して正面切って話ができる「政治屋」っているのかな・・・。同じ利権にまみれるなら、もっと堂々と大胆にやれや!・・と言いたくなるくらい、日本の「政治屋」はみみっちい!!!)

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特急「しおかぜ」で予讃線から瀬戸大橋を渡る

2024年07月17日 | 旅行記G・四国

松山駅前の「喜助の湯」に浸かった後、松山13時26分発「しおかぜ20号」に乗る。この列車の岡山着は16時11分。駅前のビアガーデンの開店前だが、駅前で少しゆっくりして、それから繰り込めば・・というつもりだった。「しおかぜ20号」にも十分な空席がある。

改札口の向こうのホームに赤と黄色の車体が見える。観光列車「伊予灘ものがたり」である。JR四国の中でも人気の列車で、私はリニューアル前、キハ47改造の「伊予灘ものがたり」には一度乗車したことがあるが、現在のキハ185系になってからはまだである。これから出発するのは13時31分発の「八幡浜編」で、車内ではフレンチのミニコースをいただくことができる。伊予市~伊予長浜間は「愛ある伊予灘線」を経由し、海沿いの景色で知られる下灘駅にも停車し、八幡浜には15時50分の到着である。本日は満員御礼だが、この列車で松山から八幡浜まで往復した場合、松山から広島には最終のスーパージェットで何とか帰宅できそうだ。またいずれ乗ってみたいものである。

さてその向こうには高架ホームが姿を見せつつある。今年の9月29日に開業予定で、完成時には自動改札機の導入や、高架下には飲食、物販のテナントも入る。その一方で現在のじゃこ天うどんのコーナーはどうなるだろうか・・。

「しおかぜ20号」が5両、その前に2両編成の高松行き「いしづち20号」をつなぎ、合計7両で発車。在来線特急にある程度長い時間乗車するのも楽しいものである。発車直前、同じホームの先に宇和島からの「宇和海14号」が到着し、同一ホームでの乗り換えが行われる。これも高架ホームになると対面乗り換えとなる模様だ。

まずは松山の市街地を抜け、堀江、そして伊予北条から瀬戸内海沿いを走る。伊予北条の沖合いには鹿島があり、渡し船が出ている。島では海水浴や釣り、展望台からの景色を楽しむことができるが、野生および飼育の鹿も生息している。以前、四国八十八ヶ所めぐりの際に立ち寄った時、柵の向こうに野生の鹿も姿を見せていたのを覚えている。

先ほどフェリーで通った景色を四国側から見る形で走る。SOLATO(太陽石油)の製油所や新来島どっくの工場設備も車窓の一つである。

今治が近づき、岡山理科大学今治キャンパスも見える。こう書くと別にどうということもないのだが、「加計学園獣医学部」と読み替えると、「そういえば」と思い出す方もいらっしゃるのではないだろうか。一時期、「森友・加計(モリカケ)問題」として、当時の安倍政権への攻撃材料になっていたあれである。文書改ざんを強要された財務局職員が自殺したり、国や大阪府などの補助金をだまし取ったとして理事長夫妻が逮捕された森友問題はともかく、加計問題とは結局何がどうなったのやらよくわからない。加計学園の理事長が安倍首相の友人で、獣医学部キャンパスができたのは「最初から加計ありき」「忖度」とかいろいろ言われていたが・・。その獣医学部も今年の春、初めての卒業生が誕生したそうである。その卒業生の心境はいかがなものだろうか。

今治からは東予地区に入る。石鎚山や、予讃線沿線の四国札所を回ったのも懐かしいところだ。現在のところ、四国八十八ヶ所の2巡目を行おうという予定はないが、何らかの形でまた四国一周をしてみたいものだ。

水のきれいな町で知られる伊予西条といえばアサヒビール四国工場があり、併設のビール園でビールとジンギスカンをいただいたことがある。ただこちらはビール需要の減少にともなう生産体制の見直しにより、2023年1月に閉鎖となった。

さてここからだが、ちょうど心持がよくなるタイミングだったか、ウトウトしたようだ。

気づけば横に長い愛媛県の区間が終わり、さらには観音寺も過ぎたようだ。ちょうど目が覚めると再び海岸べりで、遠くに桟橋と小島が見えるのは津島ノ宮のようだ。夏の大祭に合わせて年に2日だけ臨時営業する駅もある。

この後しばらく海岸沿いに走る。

多度津、丸亀と過ぎ、宇多津で「いしづち20号」が離れて先に出発する。

宇多津からは三角線の西の一辺を通り、瀬戸大橋に入る・・・。

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松山駅前「喜助の湯」でととのい、潤う。

2024年07月16日 | 旅行記G・四国

7月7日、呉から松山まで瀬戸内海汽船「シーパセオ」にて渡る。定期航路だがクルーズ船の気分も楽しめる船であった。その後、高浜から伊予鉄道で移動し、大手町からJR松山駅に到着する。

さて今回の日帰りお出かけの目的地は、岡山駅前の髙島屋のビアガーデンでの一献。夕方に岡山にたどり着くためのルートをいろいろ考える中、フェリーでいったん松山に上陸し、予讃線~瀬戸大橋線をたどって向かうことにしたのだ。その予讃線にしても、鈍行でたどる、特急に乗って途中の駅でも下車する・・いろいろ考えたが、結局は直通の岡山行き13時26分発特急「しおかぜ20号」に乗ることにして、それまで松山で過ごす。

特急の発車まで3時間近くあるのだから、松山城や道後温泉まで往復するだけの時間はある。もっともこの時は道後温泉本館はまだ工事中(リニューアルオープンは7月11日)、松山城も以前に訪ねたから(今回の旅とは関係ないが、7月12日に発生した土砂崩れ後は営業中止)、市電に乗って足を運ぶこともないかなと。

・・その代わりに向かうのは、駅前にある「伊予の湯治場 喜助の湯」。四国八十八ヶ所めぐり以来何度か訪ねている温泉施設で、浴場もいろいろあるし、休憩スペースも整っている。見方によっては道後温泉本館よりもゆったりできるのではないかというくらいだ。もちろん天然温泉で、道後温泉郷最深の1700メートルから湧き出る源泉かけ流しのほか、西日本最大級の広さである炭酸泉、さらに信楽焼の壺湯などもある。

そしてサウナ。私はこれまでサウナに対して苦手意識があり、避けていたところもあったが、白内障手術の後、裸眼でも日常生活の多くが気にならなくなったことを受け、眼鏡を屋外に置く心配もなくなり、サウナに入るのもいいかなというのがこのところである。もっとも、長い時間は無理だが・・。

こちらでは鬼瓦で知られる菊間瓦で使われる石をサウナストーンとして使っており、決まった時刻に水がかけられ、さらに蒸気と熱気を発するロウリュウのサービスがある。さすがにこの熱さには参ったが・・。それでも、サウナも何とか入れるようになり、今後の旅先での温泉施設での楽しみの幅が広がったように思う。

入浴後、ちょうど昼前である。食事コーナーに行ってみよう。夜はビアガーデンが待っているとはいえ、午前中に温泉に入り、サウナで汗を絞り出したとなれば・・・生ジョッキの大一択でしょう。

とりあえずのアテとして、愛媛らしくじゃこ天をいただく。

ホッピーもある。セットでいただこう。

食事として目に留まったのが鯛めし。愛媛で鯛めしといえば、鯛の身を具材に入れた炊き込みご飯と、卵を出汁で溶いた中に鯛の刺身を入れ、それをご飯にぶっかけていただくタイプがあり、それぞれ松山(投与~中予)流、宇和島(南予)流の食べ方だが、ここで注文したのは後者。もっとも、松山市内だとどちらの鯛めしもいただくことができる。

元々船上でささっと食べられた一品だし、私のような素人でも手軽に作れることもあって、個人的には宇和島流のほうがいいかな。

この後も列車の時刻までまだあるので、休憩スペースでゆったりする。こういうところで地元の人たちとともに日曜の昼を過ごすのもよいものだ・・・。

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松山行き「シーパセオ」乗船

2024年07月14日 | 旅行記G・四国

7月7日、松山に向かうべく呉から乗船したのは旅客船「シーパセオ」である。「海の散歩道」という意味だという。松山までの移動手段ではあるが、クルーズ気分も味わうことができる。

先に広島から乗船していたのは20人いるかいないかという程度で、やはり宇品6時45分発に間に合う公共交通機関がないというのはいかがなものかと思う。呉からの徒歩の乗船も数名、クルマも数台というところで出航する。

乗船客が少ない分、船内ではゆったりと過ごせる。

客室の前方は前面の景色が楽しめるソファーシート、そしてテーブル付きのリクライニングシートが並ぶ。また側方には靴を脱いで上がる「OZASEKIエリア」、そして「GORONEエリア」がある。このうち「GORONEエリア」は、ごろ寝するとちょうど海が見える小窓がついているのが特徴で、広島からの乗船客が四隅に寝転がって気持ちよさそうだ。

中央は売店のあるラウンジスペースで、窓を向いたカウンターや、こちらも靴を脱いで上がる「KOAGARIエリア」がある。

そして後方には「ひき波のHANARE」。後方の引き波の景色を眺める展望ラウンジである。こうした席を少しずつ楽しんでみる。

ただこの日は青空が広がるということもあり、時間の多くは屋上のデッキで過ごす。エアコンの効いた屋内もよいが、せっかくなので潮風の心地よさを感じることにする。ガゼボ(あずまや)に入れば直射日光をしのぐこともできる。

さて「シーパセオ」は呉港を出航し、海上自衛隊の艦船を遠くに見やる。そして昨年閉鎖となった日本製鉄の呉製鉄所を見る。この跡地はマツダスタジアム約36個分に相当する広さで、施設の解体には約10年かかるそうだが、その後の活用方法はまだこれからのようだ。防衛省が広島県や呉市に対して、複合防衛拠点としての整備案を持ちかけたが、さてどうなるか。

工業用の塩の集積場がある三ツ子島の横を過ぎる。後方を見ると、自衛隊の潜水艦が基地に近づいて浮上している。動く潜水艦を目にするのは初めてだ。

そして、見どころの一つである音戸の瀬戸を通過する。ここを開いた平清盛を祀る清盛塚があるのだが、ちょっと違和感を覚える。確か、塚の前に橋がかかっていたはずである。後で知ったのだが、昨年2月、音戸の瀬戸を通過しようとした貨物船が衝突して橋が大破、その後撤去されたという。昔も今も交通の難所である。

ここから先は瀬戸内海の広いエリアに入る。

広島からのスーパージェットが追い越していく。広島7時30分発の便で、松山には8時40分に着く。広島と四国を結ぶ最速ルートである。以前、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの時、広島~松山~八幡浜~臼杵というルートで渡ったことがあるが、これができるのもスーパージェットならではだった。

この後も船内を出たり入ったりして過ごす。さすがは瀬戸内海で、周りを見渡すとどこかしらに島が浮かんでいる。次々に景色が変わるので飽きることがない。

愛媛県に入る。四国の姿も少しずつ大きくなる。さすがに石鎚山は遠すぎるかな。その前では漁船が連なっている。また中島、睦月島、興居島といった松山市の離島を見る。これらの島々と本土を結ぶフェリーも出ている。

松山観光港に到着。呉から約2時間、クルーズ気分、まったりと過ごすにはちょうどよい長さだった。

ここからJR松山駅に向けて移動する。時間帯によっては松山市駅や道後温泉に向かうリムジンバスが出ているが、伊予鉄道の高浜駅に向かうのが定番のルートである。連絡バスもあるが、駅までは数百メートルなのでそのまま海岸べりを歩く。向こうには夏目漱石の「坊っちゃん」にも登場するターナー島も見える。穏やかな伊予の海。

高浜駅に到着。地方私鉄らしいといっては失礼だが、昔ながらの風情が残る駅である。コンビニではなく売店も残っている。「DPE クリーニング取次」というのも、その当時の「よろづや」らしさを感じる。

ところで「DPE」って何やったっけ・・と調べると、フィルム写真の現像・焼き付け・引き伸ばしのそれぞれの英語の頭文字を取ったもの。昔は写真を撮った後のフィルムを現像に出して、その仕上がりを楽しみにしたものだ。私も社会人になってしばらくはフィルムだったが、1本で撮れる枚数が限られているのに緊張して、その割に現像で上がった写真がピンボケしていたり、構図が今一つだったり・・というのも懐かしいことである。今はデジカメだから撮影後に写真をチェックして、ダメなものはその場でデータ削除するだけのこと・・安直といえば安直。

「玻璃ヶ浦駅」という駅名標と、福山雅治さんのポスターが掲げられている。「真夏の方程式」という映画のロケ地になったそうだ。ロケの中心は伊豆半島だが、あるシーンの撮影にあたってはこのレトロな駅舎が選ばれたという。

横河原行きの列車に乗る。次の梅津寺のホームは海に面しており、柵には多数のハンカチが結ばれている。こちらは「東京ラブストーリー」のロケ地になったところ。あの「トレンディドラマ」から30年以上経つが・・私は当時も今もそうした「ラブストーリー」「トレンディ」とは全く無縁の人生だな。

そのまま列車に揺られ、大手町に到着・・・。

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目的地は岡山だが・・・フェリーで松山に渡る・・・そのために呉に行く

2024年07月12日 | 旅行記G・四国

・・・今回、松山に行った記事を書こうというのだが、7月12日朝、松山城がある城山で土砂崩れが発生し、周辺の住宅やマンションに土砂が流入した。行方不明の方もいるようだ。前日まで松山は大雨が降っていた中での出来事である。道後温泉本館が修復工事を終えてリニューアルオープンという明るい話題の直後、松山城にこうした影響が出るとは・・。

毎年毎年、どこかの地域が当番が回って来るかのごとく大雨による災害に遭っている。連日「○○豪雨から×年」というニュースに接しているように感じる。この週末も雨雲が心配である。

・・さて、本題に入ろう。

雨が降る日もある一方、晴れの天気だと真夏日、猛暑日というこのところ。ふと、ビアガーデンに行きたいな・・という気になった。

ビールを飲むのならいくらでも居酒屋があるのだが、ビアガーデンは夏独特のものである。私は一人でもビアガーデンに行ける口なのだが、広島だと広島三越屋上のビアガーデンが、銀座ライオンと同じくサッポロ黒ラベルやヱビスビールがいただけて、おひとり様でもOKである。ただ、料理がジンギスカンの大皿メインでさすがにしんどい。

他に、料理がいろいろいただけるビアガーデン、おひとり様利用可で検索すると・・髙島屋岡山店屋上というのがヒットした。こちらではアジアのエスニック料理が食べ放題で、ビールはなんと大手4社すべてを揃えているという。これは面白そうだ。

・・ということで、夕方に岡山に着き、しかるべく飲んで帰りは新幹線という日帰りプランとする。当初は、広島から岡山県内の乗り鉄をしようかとか、新型「やくも」に乗ってみようかとかいろいろ考えたが、どこかしっくり来ない。旧国鉄381系「やくも」の定期運行が終了したことで、岡山の鉄道に寄せられた熱もいくらか冷めたようにも思う。

そこで思いついたのが、いったんフェリーで松山に渡り、予讃線~瀬戸大橋線で夕方に岡山に着いてビアガーデンというもの。四国八十八ヶ所の満願以来、訪ねる機会も少なくなっているが、今回は札所めぐりの要素はまったく入れずに、観光らしい観光もない。フェリーで瀬戸内海を渡り、松山から特急に揺られ、最後はビアガーデン。

あ、でも松山に行くならば温泉は外せない。もっとも、ここでいう温泉とは道後温泉ではなく、JR松山の駅前にあって、四国八十八ヶ所めぐりでもお世話になったスポットである。

広島から松山へはスーパージェットが最速で結ぶが、せっかくなのでフェリーで行こう。同航路には新型「シーパセオ」が就航している。もっとも、朝の時間帯の広島・宇品港発は5時45分、6時45分である。この両便だが、これに間に合う公共交通機関はない。マイカー、あるいはタクシーで来るか。G7広島サミットが行われた宇品島のホテルにでも泊まれば間に合うかもしれないが・・。どういう意図があってこうしたダイヤを組んだのかな。

このうち、宇品6時45分発の便は呉に寄港して、呉を7時30分に出航する。これなら西区の自宅からでも間に合うだろうと時刻表を検索すると、結局は西広島5時30分の始発に乗ることになるが、呉で余裕を持って乗船できる。よし、これで松山に渡ろう。

7月7日、この日は東京都知事選挙、そして先日訪ねたエリアである鹿児島県知事選挙の投票日である。岡山からの帰り道で結果を知ることになるだろう。

西広島から山陽線の列車に乗り、広島でホーム向かいの広行きに乗り継ぐ。時刻はまだ6時だが外は明るく、海田市から呉線に入ると江田島を挟む海岸風景に出会う。

呉に到着。駅のコンビニで朝食等を買い求め、フェリー乗り場に向かう。ちょうど「大和ミュージアム」に隣接するところ。時計を見ると、6時45分発の松山行き「シーパセオ」が宇品を出航して間もないくらいだった。

しばらくフェリーターミナル内でゆったりして、7時に開いた窓口で松山までの乗船券を購入する。

ターミナル最上階の展望スペースにも上がってみる。海上自衛隊の基地のある港だが、何事もなければ穏やかな、のどかな景色の港である。

そして沖合に「シーパセオ」が姿を見せた。宇品からの乗船客も少なく、また呉からの乗船客も数人。早朝便はこんなものなのだろう。

船内・船外にはさまざまなタイプの座席がある。松山までの区間、瀬戸内海の潮風とともに楽しむとしよう・・・。

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大相撲高松場所を観戦~さまざまなイベントと関取の取組を楽しむ

2023年10月27日 | 旅行記G・四国

10月22日の大相撲高松場所。朝からの公開稽古、幕下以下各段の決勝五人抜、取組と進んできた。中でも決勝五人抜は、三段目ではさぬき市出身の大翔宗、幕下では高松市出身の大喜翔が優勝。こういうのも地方巡業ならではである。

この2人はある意味この高松場所の主役でもあったわけだが、香川県出身の力士となると、現役の関取がいないのも事実。調べてみると、現在は三段目でこの日は出場していなかったが、幕内に1場所上がった天風がいるくらい。少し前だと琴勇輝がいたなあ(画像は、以前に神戸~小豆島~高松のジャンボフェリーに乗船した時にあったパネル)。

ただここで思い出したのが、多度津の海岸寺の山門に立つ力士像。観音寺出身の元大関・琴ヶ濱と、丸亀出身の元関脇・大豪である。金剛力士像の代わりということでなかなかの存在感だったのを思い出した。

・・さて高松場所の土俵はしばしイベント、ショータイムである。

まずは髪結実演として、熱海富士が登場。秋場所で優勝争いを繰り広げたことで人気も急上昇という。観客に手を振る余裕も見せ、床山の手さばきに身を委ねている様子である。力士にとって髪結の時間は、リラックスする時間である一方、集中力を高める時間でもあるという解説がある。本場所でも、本割後の優勝決定戦を前にしていったん髷を結い直す場面がテレビに映ることがある。

この髪結の技能も一朝一夕で身につくものではなく、何年もの修行が必要である。

見事に大銀杏が完成して拍手が起こる。さて九州場所は幕内中位に上がるだろう熱海富士、九州はこの先のステップとなるか真価が問われる場所になる。

続いては相撲甚句。土俵に上がるのは幕下以下の力士たちだが、いずれも美声である。巡業先ごとに後半の歌詞も変わるそうだが、土俵で相撲甚句を披露するのは誰でもいいというわけではなく、やはりそちらの素養がある力士たちが、相撲の稽古とはまた別にトレーニングされているのだろうか。

初切。相撲の禁じ手を面白く、わかりやすく説明するものだが、今や巡業においてお客も楽しみにしているショーである。「これがおもろいんや。よう見ときや」という会話も聞こえる。

これも十分計算され、稽古が積まれた一つの儀式である。力士、行司の呼吸が合って繰り広げられる。

なかなかに芸が細かい。

最後はボクシングのような立ち回りがあり、ぶつかり稽古のように投げ飛ばして決着がつく。

続いては綱締めの実演。横綱照ノ富士の登場に大きな拍手が沸く。このところ休場が続いており、この日も申し合い稽古の土俵には姿を見せなかったが、果たして九州場所での復帰はなるのだろうか。何人もの力士が横綱を囲んで綱をつけていく。巡業とはいえ、横綱がいるのといないのとではやはり大きく違うし、巡業だからこそこうした綱締めも間近に見ることができる。

背中の輪が二つの不知火型の完成。さて、この次に横綱になるのは誰か、現在の3大関の中からか、それとも彼らを追い越して出世する力士が誕生するかわからないが、今の顔ぶれだと雲竜型の綱となる可能性が高そうだ。

そして関取の土俵入りである。本場所とは違い、参加している関取の数も限られていることから、十両、幕内が一緒に土俵に上がる。中には笑顔だったり、観客に手を振ったりと余裕がある。

赤ん坊を抱きかかえて土俵を回るのは琴ノ若。昔から、力士に抱かれた赤ん坊は丈夫に育つと言われており、巡業や神事では見られる場面である。ただこういう場合、どうやって力士に頼むのかな。あらかじめ申し込むのか、それともその場でお願いすれば引き受けてくれるものか。

西方力士の土俵入り。こちらでは玉鷲が赤ん坊を抱きかかえての土俵入りだ。

横綱土俵入り。照ノ富士の土俵入りをナマで見るのは初めて。巡業は途中参加で、相撲を取る稽古は休み休みのようだが、繰り返しになるが九州場所での復帰はなるのだろうか。

しばらくの休憩の後、主催者であるあなぶきグループの代表から挨拶があり、いよいよ関取衆の取組である。まず登場するのは鉄道ファンの行司である木村銀治郎。

時折懸賞金の垂れ幕が回るが、本場所と違い途中の仕切りも1~2回で立ち合いとなる。あっさりとした引き技が少ない代わりに、派手な突っ張りや吊り出し、うっちゃりで見せるのも巡業ならではである。

熱戦だった一つが、豪ノ山対宇良という寝屋川出身同士の取組。最後は豪ノ山が寄り切った。

そして、大関経験者同士の正代対朝乃山。三役復帰が待たれるところだ。こちらも一進一退の攻防を見せ、朝乃山が寄り切り。

翔猿は持ち前の素早い動きで錦木の背中に回り込み、送り出し。

最後はこれより三役。撮影した角度のせいで画像では2人しかいないように見えるが、東からは琴ノ若、大栄翔、霧島。そして西からは若元春、豊昇龍、貴景勝である。巡業の場合、興行ということを考えると上位同士の取組となるため、連日同じような顔合わせになっているのではと思う。

三役、大関の取組だが、なぜか周りでは席を立つ人がポツポツ現れる。私が座っているのは会場の入口から奥のほうなのだが、帰りのクルマの渋滞を気にして早めに出口近くに移動しようということのようだ。また、花道や支度部屋近くに行って、推しの力士との写真、あるいはサインを狙っているのかもしれない。

残り2番となり、来年1月に木村庄之助を襲名予定の式守伊之助が登場。軍配差し違えや、土俵からの転落などで何やかんや言われることが多いのだが、ようやく行司の最高位が埋まることになる。

大栄翔と豊昇龍もなかなかの熱戦の末、大関に軍配が上がる。

結びは霧島対貴景勝。貴景勝の当たりを霧島が受け止め、そのまままわしを取っての寄り切り。

最後の弓取式もせっかくなので自席で見るが、半数以上の人が席を立って出口に向かうところだった。

せっかくなのえ帰りは土俵の近くまで行ってみる。そこはスタッフが周りをぐるり囲んでいる。どさくさに紛れて土俵に上がろうとする人が絶対いるだろうから。仮に巡業とはいえ女性が上がるのは厳禁だろう。

ほとんどの観客はクルマで来ており駐車場も混雑しているが、バス停にも長蛇の列ができている。巡業があるからといって臨時便を出すわけでもなく、定期便にぎゅうぎゅうになって何とか積み残しなく発車する。来た時とは別経由の便のようで、瓦町を経て高松駅に戻るのに50分ほどかかった。

香川に来たのだからと駅前のさぬきうどんをいただき、高松17時10分発の「マリンライナー50号」に乗る。この後岡山に出て、また鈍行乗り継ぎである・・・。

さて、大相撲の秋巡業だが、翌23日は徳島で行われ(先ほど帰りのバス停に向かう途中、早くも一行を乗せたバスが通り過ぎて行った)、その後四国、中国を回り、28日は広島での「安芸場所」が東区スポーツセンターで行われる。実はこの「安芸場所」のチケットも早々と買っていたのだが、ほら、28日からバファローズ対タイガースの日本シリーズ・・・。

私の中では当然、日本シリーズの現地観戦>大相撲巡業であり、また同日の第1戦のチケットも抽選で当たったので、自ずと大阪に移動となる。巡業はまたの機会の楽しみとして・・・。

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大相撲高松場所を観戦~まずは鍛錬の光景を

2023年10月25日 | 旅行記G・四国

10月22日、サンメッセ香川で行われた大相撲高松場所の観戦に出向く(巡業で「観戦」という言い回しがふさわしいのかどうかはともかく)。大相撲の地方巡業を観るのは2018年の総社場所以来2回目。総社の時は価格が安いのと、会場全体を見渡せるかなということで2階のアリーナ席で観戦したのだが、力士がすぐ近くにいる1階エリアには立ち入ることができなかった。サインや記念撮影などの「ふれ合い」も巡業ならではの楽しみである。

土俵上では幕下以下力士による申し合いや、関取へのぶつかり稽古が行われている。

今回香川はすべて同じフロアで、力士との距離も近い。準備中の関取とも接することができる。

土俵上では少しずつ白いまわしの関取衆の姿が増え、やがて申し合い稽古が始まる。2人が一番を取り、勝った力士はそのまま残り、負けた力士は土俵の外に下がるのだが、決着がつくと周りを囲んでいた他の力士たちが「次はオレだ」と手を挙げて、さらには勝った力士に飛びついてアピールする。勝った力士はその中で1人を指名して次の一番を取る。勝ち抜き戦で、勝てば勝つほど番数が増える仕組みである。

巡業のようにさまざまな部屋の力士が一同に会するところで番数をこなすことでレベルアップにもつながる。もっとも、故障箇所のケアやリハビリを優先して巡業を欠席する力士も一定数いて、鍛錬の場でもあり調整の期間でもあり、力士それぞれの向き合い方があるようだ。ちなみに、横綱・照ノ富士はこの日の稽古には姿を見せなかったが、プログラムを見ると綱締め実演と土俵入りには名前が出ている。九州場所の出場を目指しつつ、体tと相談しながらというところのようだ。

力士がぶつかり合う音もよく聞こえ、迫力が伝わってくるが、ちょうど周りの力士が壁になって、中で相撲を取っている両者はよく見えない。また、本場所と違ってフロアの客席に段差がないため、これは全体を通してだが、前方の人が邪魔に感じることも多かった。まあ、これは仕方ないかな。

続いてぶつかり稽古。こちらはあらかじめ組まれているのか、1対1で繰り返される。

この中でインパクトがあったのが、大関・霧島。ぶつかり稽古の相手に指名したのは同じモンゴル出身の十両・玉正鳳。胸を出して玉正鳳に何度もぶつからせる。

そのうち、玉正鳳の息が上がり、苦しそうな表情となるが、霧島はそれでもやめさせようとしない。しまいには、まだまだ来い!とばかりに玉正鳳を張る場面もあった。玉正鳳は秋場所、新入幕手前の十両筆頭で臨んだが大きく負け越し。何とか幕内を狙えという霧島からの叱咤激励かな。

他にも三役、大関によるぶつかり稽古が披露され、部屋の枠を超えてこうした取り組みが見られるのも巡業ならではだ。

これで稽古は終了。次は力士への質問コーナーということで翔猿、宇良、湘南乃海の3力士が土俵に上がる。ファンからさまざまな質問が出て、それぞれ持ち前のトーク力での回答に笑いも起こる。

その時間を利用して昼食とする。相撲絵の包み紙の下には特製幕の内弁当。ちなみに、つまみ・持ち帰りになる一品として、徳島のかつ天や小松島のちくわ、小豆島の醤油せんべいなどもあり、四国土産として持ち帰る。それはそうと、弁当の列を中心に午前中は長い列ができていた。

これから取組が始まる。まずは序二段だが、その前に「序二段決勝五人抜」が行われる。東西から5人ずつの力士が登場。巡業や引退相撲といった花相撲ではよく行われるそうだ。てっきり、先鋒~大将の団体戦かと思って観ていたのだが、1人が5連勝すれば優勝だという。それなら、結構決まるのに時間がかかるのでは?と思っていると、序二段では雷部屋の鷹司が優勝。

この後は序二段の取組。

続いて、三段目の「決勝五人抜」。ここで紹介されたのが地元さぬき市出身、追手風部屋の大翔宗。古くから「江戸の大関より土地の三段目」という言葉にあるように、地位や知名度に関係なく、郷土出身の力士には声援が送られる。

この大翔宗、若手なのかなとスマホで検索すると、年齢は30歳を超えた、どちらかといえばベテランである。それで最高位が三段目というのはさておき、ここでは相手を次々と投げ飛ばし、見事五人抜を達成。大きな拍手が送られた。まあ、地元の巡業だから・・・。ちなみに序二段の鷹司は大阪出身とのこと。

三段目の取組にも力が入る。

さらに、幕下の「決勝五人抜」。ここでは高松市出身、追手風部屋の大喜翔が登場。

となると、興行ということでこの力士が勝ち抜くという展開が読める。そこは期待を裏切らず、見事に五人抜きを達成。こちらはまだ23歳、幕下の中位まで行った経験もあり、関取までもう一息である。

続いて幕下の取組だが、その最初に大喜翔が登場し、またも勝利。朝の幕下以下の力士での申し合いやぶつかり稽古にも出ていたようだし、そして決勝五人抜と取組に出て、稽古としても充実した一日になったのではと思う。

幕下となると関取を目指す有望力士も顔を出すようになり、取組にも力が入る。

ここで朝からの稽古、そして関取を目指す力士たちの実戦が終わり、この先は巡業らしいショータイムの一時となる・・・。

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クライマックスシリーズの後は大相撲秋巡業~高松へ

2023年10月24日 | 旅行記G・四国

10月21日、京セラドーム大阪でのクライマックスシリーズ第4戦にてバファローズの勝利、日本シリーズ進出を見届けた後、再び大阪駅まで出て、新快速の網干行きに乗る。そのまま新大阪まで行けば広島行きの最終の「のぞみ」に何とか間に合うタイミングではあったが、あえて在来線に乗る。そして姫路に到着し、この夜は姫路駅南口近辺の「ホテルアルファーワン姫路南口」にて一泊。

すでに23時を回っており、姫路に泊まっても一献はない。・・ただ実は、これを見越したわけではないが、昼間、鈍行乗り継ぎで姫路に着き、大阪への新快速に乗る前に先に済ませていた。

訪ねたのは、南口を出たところにある「大衆串焼き酒場 つぼさか商店」。うどん、定食をメインとしつつも、串焼き(ホルモン焼、焼き鳥)、刺身、一品もの、姫路おでんなどさまざまある。夜は本格的な大衆酒場になるのだろう。

カウンター、テーブルにもメニューは置いているが、渡されたのはQRコードが書かれた紙。これをスマホで読み取り、注文はスマホからという。店員を呼ぶ手間も省けるのだが、スマホには表示されないメニューも多々ある。品切れ、あるいは準備中のメニューを省略する意図があるのかなとも思う。

ホルモン焼を中心にオーダー。1本単位で注文できるのがよい。列車での乗り換え時間を活かしてサクッと立ち寄りでの利用でもよさそうである。

締めはホームの「えきそば」として、新快速で大阪に向かった。

・・ということで、一応姫路でも一献したことにして、後は寝るだけ。ただその前に、大浴場「夢前の湯」に浸かり、興奮の1日を振り返る・・・。

翌22日、姫路駅の新幹線ホームに出て、6時29分発の「みずほ601号」に乗車。これで岡山まで移動する。前日に引き続き「JR秋の乗り放題きっぷ」を活用するなら姫路5時29分発の始発に乗るべきなのだが、さすがに少しだけでもゆっくりしたかった。岡山にはほぼ同時刻に到着する・・・。

さて、前夜ナイトゲーム終了後に姫路に移動したり、また翌朝早々に岡山に移動したり、こういうプランになったのは、22日に高松で開催される「大相撲高松場所」のためである。

コロナ禍明けで大相撲の巡業がふたたび盛んになる中、私も久しぶりにどこかの会場に行ってみようという気になった。西日本を中心に回る秋~冬巡業の日程をチェックしていると、10月22日の高松場所を見つけ、前売りでイス席を確保した。この時はまだプロ野球のペナントレースも中盤で、クライマックスシリーズ、日本シリーズの日程までは気にしていなかったのだが、ここでちょうど同じ週末となった。ということで、大阪、高松の変則連戦という形になった。野球と相撲の組み合わせもぜいたくなものだ。

なお、クライマックスシリーズがデーゲームだったら、試合後に高松まで一気に移動しただろうが(この時は、大阪からの高速バスという手もある)、ナイトゲーム終了後ということで姫路までとした。

岡山からは7時10分発「マリンライナー7号」の普通車指定席に乗る。この時間のマリンライナーに乗る機会もなかなかないが、ちょうど朝日に照らされた瀬戸大橋を渡る。

8時07分、高松到着。巡業の会場である「サンメッセ香川」へはことでんバスで約30分。駅からダッシュすれば8時10分発の便に乗れたかもしれないが、ちょうど出たばかりで次は8時36分発。当日の開場は9時ということで、その直後に到着する計算だ。時間が近づくと巡業観戦とおぼしき客もちらほら現れて発車する。

途中瓦町駅を経由し、南東の方向に走る。30分ほどでサンメッセ香川に到着した。もちろん訪ねるのは初めてのところである。

開場は9時、着いたのは9時10分すぎだったが外は長蛇の列ができている。なかなか入場客を捌けないようである。高松での巡業開催は5年ぶりとのことで、待ちわびていた人も多かったことだろう。結局入場まで30分ほどかかった。

ロビーでは力士との撮影会イベントが行われていたが、そちらも長蛇の列。そちらはパスして、まずは会場に入る。ちょうど、黒まわしの幕下以下の力士に白まわしの関取が交じる頃合いで、関取が幕下以下の力士に稽古をつけている。また壁際では準備運動の最中の関取の姿も見る。

まずは自席に落ち着くことにしよう・・・。

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長かった四国右半分一周・・・やはり最後は鉄道で

2022年01月28日 | 旅行記G・四国

当初は中国四十九薬師めぐりから始まった2泊3日の行程。ようやく、3日目の午後の部となった。

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の奈半利から14時03分発の快速高知行きに乗る。JR直通運転のためか、やって来た気動車はJR四国の車両だったが、それでも海側のボックス席に身を置く。この沿線も四国八十八ヶ所めぐりで回ったところで、懐かしく感じる。今回の旅行記ではやたら以前の八十八ヶ所めぐりに関する記述が多いが、それを懐かしむ機会となったのでご容赦いただければ(その意味で高知まで回ったのはよかった)。

ごめん・なはり線もほぼ全線高架区間なので、周囲の景色もよく見える。黒潮の景色はもちろんだが、この辺りの特徴としてビニールハウスが目立つ。高知では日照時間が長いことを利用して、ビニールハウスによる野菜や花卉類の栽培が盛んである。もっとも農業全般に言えるのかもしれないが、廃業したのか雑草がビニールハウスを突き破って残念な姿になっているところもある。

唐浜に到着。ここは第27番の神峯寺への最寄り駅だが、神峯寺へは「真っ縦」というキツい坂が続いたのを覚えている。駅から1時間ほど歩いたかな。その唐浜のキャラクターは「とうのはま へんろ君」。遍路姿をモチーフとしたキャラクターで、私もお参りした後に安芸駅の土産物店でグッズを購入し、その先のお守りの一つにしたものだ。そのおかげか、その後も無事に(公共交通機関やレンタカーがメインではあったが)結願までたどり着けた。

安芸に到着。列車は高知行きの快速行きだが、球場前までは各駅に停まる。

その後はようやく快速らしく1駅または2駅とばしでの運転。雄大な黒潮を見ながら、高架を走る気動車のスピードも上がる。

後免で土佐くろしお鉄道は終わり、土讃線に入る。15時23分、高知に到着。この旅で、まさか南国土佐まで来るとは思わなかった。

駅前に建つ中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太の三志士像を見ることになるとは。ここまで来るともっと先にも行きたい、せめて桂浜でも・・と思うが、残念ながらそこまでの時間はない。まあ、久しぶりに高知の地を踏めただけで大いによしとする。

これから乗り継ぐ広島行きの高速バスは高知駅前16時20分発。広島まで4時間あまりというのはいいが、今回当日予約したのは4列シートの通路側である。ちょっとどうかな・・。

その一方、「みどりの券売機」で高知16時13分発の岡山行き「南風22号」を検索すると、指定席もガラガラである。岡山から新幹線に乗り継ぐとして高速バスより料金はかかるが、ここは快適に移動するのがいいだろう。ということで、ほぼ満席だった高速バスの座席をスマホからキャンセルして、「みどりの券売機」で「南風22号」~「さくら569号」乗り継ぎの特急券・乗車券を購入する。

やはり、最後は鉄道になったな・・。(いや、別にバスを否定するものではなく、場合によっては同じルートをずっとクルマでたどることもある。要は何でもええのか・・・)

時間的に高知で一献とは行かなかったが、高架下の土産物コーナーにてさまざまなものを購入する。かつおの酒盗あり、生節あり、地酒あり、鯨あり・・・一気にバッグが重たくなった。

「南風22号」は、振り子式の2000系の後継である2700系。登場からまだそれほど年数が経っていないこともあるが、車内設備も立派である。またシートもゆったりしていて、座席ごとにコンセントも備えられている。これなら、多少お金が高くとも、高速バスの通路側に座るよりも快適に移動できる。

高知を発車。ここで飲み鉄にモードチェンジ・・・ごめん。

パターンダイヤが導入されている土佐山田を過ぎると一気に山がちな景色になる。気動車のエンジンがうなる。スイッチバックの新改や山の中の繁藤などをあっさり通過する。

そのまま土佐から阿波にかけての厳しい地形の中を爆走し、山中に入る。この景色を楽しむのもよい。

高速走行、トンネルの多さ、さらに夕方のため写真はなかなか撮れなかったが、大歩危・小歩危の車窓も肉眼では楽しめた。

遠くに池田高校の校舎を見た後で、阿波池田に到着。高知県内は高知以外乗って来る客はほとんどいなかったが、ここからそこそこの乗車があった。

佃の先で吉野川を渡ると暗くなり、かすかに残る明るさを頼りに外の景色を見る。いつしか香川県に入り、琴平、善通寺、多度津を経て宇多津に到着。

後は瀬戸大橋を渡り、本州に戻った。18時47分、岡山着。そのまま19時08分発の「さくら569号」に乗り継ぎ、高速バスより先に広島に到着。

・・・1日で宍喰から室戸岬を回り、高知を経て広島に戻るというのも贅沢な移動だった。ここまでの行程の中で、八十八ヶ所の思い出をたどる形になったこともあり、また四国をじっくり回ってみたいという気持ちが起こったように思う。四国八十八ヶ所の2巡目を行うのか、はたまた別の何かをめぐるのか・・・?

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室戸から高知へ~クジラ料理も堪能

2022年01月27日 | 旅行記G・四国

戸岬から安芸営業所行きのバスに乗車。岬から今度は海岸を西に見て走る。国道55号線を走るが、四国第25番の津照寺、第26番の金剛頂寺最寄りのバス停も通過する。

以前に八十八ヶ所めぐりで訪ねた時、2016年の大晦日だったが、最御崎寺から金剛頂寺まで歩いた。その時、安芸方向から子どもたちを含めたウォーキングの団体に遭遇した。高知から室戸岬まで12月30~31日の2日間かけて歩き、最御崎寺のユースホステルに泊まった後、室戸岬で初日の出を見るという「初日の出徒歩ホステリング」というイベントだった。高知県ユースホステル協会主催だったが、コロナの影響もある中、今でもやっているのかな。

さて、途中下車したのは道の駅キラメッセ室戸。ここで昼食である。目指すのはレストラン「鯨の郷」。

名前にもあるように、高知はかつて捕鯨がさかんだったところだ。その名残で鯨料理をいただくことができる。注文したのは「鯨御膳」。鯨の竜田揚げ、たたき、さえずり酢味噌、刺身と味わえる。刺身は半解凍だが、これを舌の上に置いて少しずつ解かすのがよい。さまざまな食べ方を楽しむことができた。今回、高知で一献とまでの時間はないので、高知名物はここ室戸で味わったことでよしとする。

敷地内にあるのが鯨の資料館である「鯨館」。室戸と鯨のかかわりを紹介するスポットである。時間はそれほどないが立ち寄ってみる。

まず出迎えるのは、江戸時代の捕鯨の様子の描いた絵図をデジタルアート化した巨大スクリーン。鯨が海面を跳ね、それを追ういなせな男たちが躍る。

中央には鯨の骨格標本、模型とともに再現された勢子船が置かれている。この中央の席に座り、受付で渡されたヘッドセットをかぶる。そこで見えるのは、VRの世界。しばらく勢子船が進むと海の中に潜る。そこにはサンゴ礁が広がり、数々の魚が泳ぎまわる。そこへやって来るのが巨大な鯨。時間にして5分もなかったと思うが、360度の海底の世界を実感できる。これは子どもたちは喜ぶだろう。

室戸の捕鯨は和歌山の太地から伝わり、江戸時代に本格的に行われるようになった。海流の流れの関係か土佐沖は鯨の回遊コースになっていたこともある。改めて、当時の絵図で出漁から捕獲、そして解体までの流れを見る。鯨一頭で周辺の村は大いに潤うことができ、その解体の時は村挙げてのお祭りのようなものだったという。

その捕鯨は室戸から足摺まで土佐一帯で行われていたが、実際に捕鯨が許されていたのは室戸の鯨組だけで、足摺の人たちは制限されていたという。足摺といえばジョン万次郎が有名だが、彼の家は貧しいほうの漁師で、自身も漁に出た時に遭難し、助けられたのがアメリカの捕鯨船だった。万次郎は捕鯨船の乗組員として働き、後にアメリカのゴールドラッシュでの金の採掘で資金を得て、晴れて日本に帰国。その後は捕鯨、造船、英語を通して日本とアメリカの架け橋としても活躍した。同じ土佐、そして捕鯨船に縁があったということで紹介されている。

今は捕鯨はできないが、鯨は変わらず回遊してくる。そのため、今ではホエールウォッチングが室戸観光の目玉の一つとなっている。さすがに道の駅から遠くを眺めるだけでは遭遇しないだろうが・・。

次のバスに乗り、水切り瓦、漆喰壁の家並みが続く吉良川を過ぎる。当初はここも途中下車の選択肢に入っていた。

これで室戸岬をぐるりと回り込み、奈半利町に入る。八十八ヶ所めぐりではここの「ホテルなはり」で1泊した。奈半利はまぐろの遠洋漁業の基地があることから、ホテルではまぐろ料理を堪能した。また機会があれば泊まってみたいものである。

土佐くろしお鉄道の奈半利駅に到着。ここからは本式の鉄道への乗車だ。「ごめん・なはり線」の名称があり、各駅には「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏がデザインしたキャラクターがいる。奈半利駅にいるのは、「なは りこちゃん」。

土佐くろしお鉄道のオリジナル車両はシートがゆったりしたもの、片方が展望デッキになったもの、さらには安芸キャンプで縁のある阪神タイガースの塗装をほどこしたものと、バラエティに富んでいる。

次に乗る14時03分発の土讃線直通の高知行きはさてどの車両がと思っていると・・・やって来たのはJRの1200型。あらあら・・・。

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DMVの後は高知を目指す・・・まずは室戸へ

2022年01月26日 | 旅行記G・四国

「世界初」のDMVを体験した後で、当初は徳島に戻って広島行きの高速バスに乗る予定のところ、現地にて変更して逆方向の高知に行くことにした。高知からも広島行きの高速バスが出ていて、予約サイトにてほぼ満席の通路側の席を確保した。

DMVと高知東部交通バスの接続地である海の駅東洋町からバスに乗る。こちらは正真正銘のバスで、車体もDMVより大きくゆったり感じる。ガラガラということもあるが、これまで膝元で無理くり抱えていた大荷物を脇に置いてゆったりできるのはありがたい。

10時03分の室戸営業所行きバスだが、途中の室戸世界ジオパークセンターからは室戸岬の手前の半島をショートカットする形で室戸市街地に向かう。室戸岬に行く場合は室戸世界ジオパークセンターで乗り換えとなる。観光客の発想なら乗り換えなしで室戸岬に行くのかなというところだが、そこは地元の人たちの利便性(室戸市街地へのショートカット)を優先したものと見える。室戸は5年前の四国八十八ヶ所めぐり以来だが、バス事情も変わったようだ。

甲浦を出てからはひたすら黒潮の眺めである。冬の時季だが、存分に降り注ぐ日光のために車内は暑さすら感じる。八十八ヶ所めぐりでいえば札所間が最長となる日和佐の薬王寺から室戸岬の最御崎寺へのルートで、特に歩き遍路には難所の一つとされる。人家はおろか自動販売機、さらには日除けとなるスペースもない区間も続く。幸い、こうしてバスも走っていることもあり、その時も徒歩とバスを組み合わせてこの区間を制覇するとおぼしき人を見かけたものだ。

途中でいくつかの集落を過ぎ、また黒潮の眺めを楽しんだ後、室戸世界ジオパークセンターに到着。室戸岬の東側の拠点で、室戸岬経由の安芸営業所行きバスとはここで乗り継ぐことになる。今回は室戸岬に向かうのでここで下車するが、その時に乗換券をもらう。この先、乗り継いで安芸営業所までの区間で下車するバス停によって50円~300円割り引くとある。ここまで乗って来た室戸営業所行きは10時43分発で、ここが始発となる室戸岬経由安芸営業所行きはすぐにやって来て10時45分発。乗り継ぎのタイミングがよすぎる。

そのバスに乗り継ぐが、室戸岬の手前の岬ホテル前で下車する。せっかくなのでほど近いスポットに向かう。

たどり着いたのは御厨人窟。弘法大師空海が虚空蔵求聞持法の修行として虚空蔵菩薩の真言を100万回唱え、その先に悟りを得て「空海」の法名を得たところである。

私が四国八十八ヶ所めぐりで訪ねた2016~2017年の年末年始の当時は、落石の影響で中に入ることができず、外から仰ぎ見ただけだった。その後、立ち入りの要望が多かったこともあり、洞窟の入口に防護屋根が設置され、ようやく中に入ることができるようになったとのことだ。人によってはそうした防護屋根は景観を損ねると言うのだろうが、安全と信仰を両立させようとすると、こうした措置も致し方ないだろう。

御厨人窟、新明窟の両方に入る。ちょうど、中国四十九薬師めぐりの延長で、数珠や経本はリュックの中にある。これを取り出してお勤めとする。虚空蔵菩薩の真言100万回・・・はさすがに無理で、いつもの札所と同じく3回でおしまいとなったが。それでも、洞窟に入って手を合わせることができて満足である。これだけでも当日の予定変更で高知回りにしてプラスになった。ひょっとして、弘法大師が導いたことだろうか・・・。

近くには最御崎寺へ続く遍路道がある。20分かけて上ってもいいのだが、もう1ヶ所バスで途中下車しようかということもあり、お参りは見送る。

その代わりに海岸沿いに歩く。室戸世界ジオパークと称されるだけあって、さまざまな形の岩が並ぶ。空と海とが造り出す雄大な景色が続く。

室戸岬のバス停に到着。中岡慎太郎の像が海の彼方を見やっている。高知の海べりといえば、室戸岬の中岡慎太郎、桂浜の坂本龍馬、そして足摺岬のジョン万次郎と、シンボルとなる像が有名である。改めて思い出すが、八十八ヶ所めぐりで室戸に来た時には、先ほどの遍路道を上がって最御崎寺に行き、そのまま反対側の道路をたどって西側に向かったので、中岡慎太郎の像は見ていない。そういえば、八十八ヶ所めぐりではなぜか時間の関係で桂浜も行かなかったな。まあ、また訪ねる機会もあるだろう。

室戸岬から次のバスに乗る。この先、奈半利まで行って土佐くろしお鉄道に乗り継ぐのだが、最御崎寺へのお参りの代わりにもう1ヶ所で途中下車とする。ちょうど昼時ということもあり・・・。

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DMVを目指す旅~復路は徳島に戻るつもりが、室戸に行くことに・・

2022年01月25日 | 旅行記G・四国

1月10日、成人の日。徳島の海陽町の宍喰温泉で朝を迎える。日の出まではまだ時間があるので朝風呂に向かう。果たして、泳げるくらいの長さ、深さがある浴槽だった。別に泳ぎはしなかったが、朝からこれでシャキッとなる。

こう書くと普段の生活でも同じようなことをしているのかと言われそうだが、それほどでもない。特にこの寒い時季となると少しでも長く布団の中にいたいのが本音である。そこは旅先で朝を迎えるからアクティブになっているだけだと思う。まあ、それが旅の楽しみのいくばくかを占めている。

部屋に戻り、日の出を待つことにする。わざわざ海べりに出なくても、部屋からこの眺めを楽しむことができるのがよい。もう少し近づこうとバルコニーにも出たが。

朝のテレビでは各地の朝の様子をライブカメラで伝えてくれるが、ここ海陽町宍喰もその中に入れても引けを取らない景色である。もっと条件が整えば「ダルマ朝日」になったかもしれない。

セコい話だが、宿泊費の何割かはこの朝日の眺めにあると言っていいだろう。ホテル側も全室オーシャンビューをPRしているのだが、この日はそのPRに応える眺めを味わうことができた。

日の出を堪能した後に朝食とする。しっかりした和定食で英気を養う。

さて、当初の予定では宍喰温泉を出発して阿波海南に向かい、阿波海南文化村をちらりと見た後で(ダイヤの都合で)牟岐まで徳島バスで移動して、牟岐線に乗ることにしていた。そして牟岐線からは日和佐で下車して薬王寺参詣、その後徳島に出て駅前の大衆酒場で昼酒としゃれこみ、広島行きの高速バスに乗る・・という行程。

ただ、せっかく宍喰まで来たのなら、単純に折り返すのではなく、久しぶりに逆方向、高知方面に出るほうが面白そうだ。DMVの室戸行きに乗らずとも、海の駅東洋町で高知東部交通バスに乗り継ぎ、室戸岬に行き、そのまま高知まで抜けてしまおう。そのほうが「阿佐海岸」の旅になりそうだ。その高知からも広島行きの高速バスが出ていて、夕方の便は通路側しか空いていなかったがとりあえずネット予約で確保する。

今回、復路も合わせて綿密にプランを立てたはずだが、現地に来てスパッと変えてしまう。たまにやってしまうことだ。

当初、DMVは道の駅宍喰温泉から阿波海南駅まで「発車オーライネット」で予約していたが、スマホ操作でこれを取り消して、新たに道の駅宍喰温泉から宍喰まで買いなおした。いったん宍喰まで行き、別便で海の駅東洋町まで行き、室戸に向かう高知東部交通バスに乗り継ぐことにした。いったん宍喰に行くのは、阿佐海岸鉄道の本拠地をのぞいてみようということからだ。

朝食後もゆっくりした後、8時58分発のDMVに乗る。先ほど予約サイトで見た中でもこの便は空席が目立っていた。地元の人か、あるいは(ホテルリビエラししくいを含めて)近隣に泊まっていた人でなければなかなか利用しないだろう。

まずはバスモードで走り、甲浦に到着。そしてスロープを上がり、かつての鉄道ホームに差し掛かる。ここでモードチェンジとなる。またしても阿波踊りのお囃子が流れ、車輪が出て車高が上がる。鉄道モードになって再出発だ。

次の宍喰で下車。鉄道モードで車輪が下りているところを初めて見る。そのまま阿波海南に向けて走る様子を見送るが、改めてユニークな乗り物だと思う。

高架ホームから階下に降りる。料金の支払いはネット決済だし、仮に当日飛び込み乗車でも車内で支払うので、改札口で何かすることはない。ただ、阿佐海岸鉄道の本拠地ということで駅員も常駐している。ちょうどDMV開業記念のグッズが売られていて、私も何がしかを購入して少しばかり売上に協力する。

この宍喰駅には「伊勢えび駅長」がいる。伊勢えびが地元の特産物の一つということもあるが、脱皮して大きくなることから、「ローカル線の苦しい経営から脱皮してほしい」ということから「駅長」に任命された。その阿佐海岸鉄道も、DMVへ大転換した。これが大きく脱皮することにつながるか。また別のポスターでは、路線の一部が高知県にかかっていることから、「地域活性の維新を起こす」とのキャッチコピーも見られる。今は開業したばかりということで注目されているが、この先、「脱皮」、「維新」の成果はどのようになっているか・・。

9時48分発の道の駅宍喰温泉行きを迎える。ホームの先のトンネルから少しずつDMV車両の姿が大きくなる。道路を走るぶんには大きめの車両に見えるが、こうして線路の上を走って来るのを見ると、あまりにも小さく見える。同じ1両とはいえ、かつて走っていた気動車は大きなものだったと改めて認識する。

阿波海南からの便はそこそこの乗車だが、最前列に陣取っていた客がカメラ片手にブツブツ言っている。YouTubeにでも投稿するのか、実況を行っているようだが、狭い車内でこういうのは正直ウザい、やめてほしいと思う。ただ、それを口にすると余計なトラブルとして私が動画にさらされる羽目になるので黙っているが。

映像は別にええねん。ただ、列車内で実況中継する連中って、揃いも揃って鼻につくしゃべり方になる。何でだろう・・・それが気色悪いのでやめてほしいのだが。

甲浦でバスモードへのチェンジを行い、スロープを下りて道路へ。海の駅東洋町に到着。すぐに高知東部交通の室戸行きバスがやって来る。DMVの開業にともない甲浦駅のバス停が廃止され、道の駅東洋町が新たな乗り換え停留所として設けられた。当初の計画とは打って変わって、このまま室戸まで向かう。日和佐で薬王寺に参詣するとか、徳島駅前の大衆酒場での一献とかいうのは吹っ飛び、ともかく四国の南の端まで向かうことに・・・。

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DMVを目指す旅~宍喰温泉で一泊

2022年01月24日 | 旅行記G・四国

1月9日、阿波海南からDMVに揺られてやって来た道の駅宍喰温泉。DMVの終点であるが、せっかくなのでこの日はここで宿泊とする。すぐの折り返しではなく海陽町で1泊することで、少しでも観光PRに応えることができればと思う。

宿泊は敷地内にある「ホテルリビエラししくい」だが、その前に道の駅をのぞいてみる。

ちょうど5年前の年末年始、四国八十八ヶ所めぐりで「四国の右下」を訪ねた時、大阪から室戸行きのバスに乗り、ここ宍喰温泉で下車した。その時、道の駅の食堂で「鰹酒盗丼」というのをいただいた。鰹の炙りに酒盗、温泉玉子を盛りつけた一品で、酒盗を丼にするとは!と思ったものだ。

今は道の駅の食堂はホテルのレストランに統合されたようだが、町のPRの拠点である。ここでまず目につくのは、元阪急、オリックス、日本ハム監督の上田利治さんのコーナー。3チームのユニフォームや監督当時の写真などが飾られている。上田さんは2017年に亡くなったが、2021年、オリックス・バファローズをパ・リーグ優勝に導いた中嶋聡監督が入団した当時の監督ということで、上田さんを取り上げる記事も目にする機会が増えたように思う。

そして海陽町が生んだスターとして、ゴルフのジャンボ尾崎こと尾崎将司を筆頭とした尾崎3兄弟がいる。学生の頃、その尾崎兄弟の勉強を上田さんが見てあげていたという逸話もあるそうだ。なお、彼らが通っていた海南高校は現在学校統合で海部高校という名称になっており、その海部高校からはソフトバンクホークスの守護神・森投手を輩出している。

道の駅にはDMV関連のグッズも並ぶ。新たな観光資源にしようという地元の人たちの意気込みがうかがえる。

さて、ホテルにチェックイン。こういうところのホテルなのでシングルルームはないが、ツインルームに1人でも泊まることができる。いやこれ、私が今住んでいる部屋より広いかもしれない・・・(家具家電がないだけにそう感じる)。

また部屋は全室オーシャンビュー。太平洋を目の前にしており、翌朝の日の出が楽しみだ。ちなみにフロントに日の出予想時刻が出ていて、1月10日は7時08分頃とあった。

夕食の前に入浴。横幅の長い大浴場が備えられていて、窓越しに海を見ることができる。日帰り入浴でも存分に楽しめるスポットだ。ただ、前に入った時は横幅がもっと長く、浴槽も深くて子どもなら泳げそうなくらいだったような気がする。日ごとで男女が入れ替わるので、それはもう一つの浴槽だったのかな。ならば翌朝に入ることができる。

この夜は2食つきプランで申し込んでおり、まず夕食である。1階のレストランに向かうが、この日は宿泊プランの客のみ利用可とあった。まずは前菜、そして造りの盛り合わせから始まる。

飲み物だが、普通の生ビールに柚子の果汁を足したオリジナルの一品をいただく。いつものビールもちょっとフルーティに感じられるもので、さすが柑橘の多い徳島~高知エリアかと思う。

私が注文したコースでは、予約時に海の幸か山の幸かを選べるようになっていた。海岸べりということで海の幸を予約したら、メインは鯛のあら炊き(ちなみに山の幸だと、阿波尾鶏の一品だったとのこと)。じっくりと調理されていて、身もよくほぐれて余すところなくいただけた。この鯛の身かどうかはわからないが、鍋物は鯛しゃぶである。鯛づくし、海鮮づくし、満足である。

ここ宍喰温泉は、国道55号線のちょうど88キロ地点に位置する。四国八十八ヶ所めぐりをする方なら宿泊でも日帰り入浴でもいいのでぜひ立ち寄ってほしいところだ。なお、道の駅から国道55号線を徳島寄りに少し戻るとセブンイレブンがある。宿での食事が不要なら、ここで調達するのが便利だろう。私も夕食前にあらかじめ部屋飲み分その他を買いに行った。

食後は、自宅より広い?部屋でのんびりと。ケーブルテレビに加入しているからか、日テレ系は地元の四国放送だが、その他は毎日放送、朝日放送、関西テレビ、そしてWBCことテレビ和歌山が映る。普段夜の番組を観ることもないのだが、この時やっていた番組の中だと、テレビ和歌山(テレビ東京系)でやっていたマグロ漁師のドキュメンタリー?番組がまだましだったかな。

そのテレビ和歌山を見ていると「紀ノ川は~今日も輝く海に~」という詞で始まる歌が流れる。画面は和歌山の名所をバックに子どもたちが映っていて、サビでは「笑顔でこんにちは~ふるさとにこんにちは~明日のため~に~」。歌っているのはコーラスの様子からしてデューク・エイセスかな。和歌山の何か公的なPR動画なのかなと思うと、最後に「合資会社湊組 株式会社湊組」という文字が出てきた。この湊組とは、和歌山を拠点として製鉄所での鋼管の運搬や沿岸荷役を行う会社だそうで、いずれにしても地元密着のCMである。このCM、イメージソングは和歌山では有名なそうで、私は初めて見たが思わず「へぇ~」となった(気になる方はYouTubeなど検索いただければ)。和歌山のCMを徳島の海南で目にするというのも、かなり遠いとはいえ対岸とつながっていることを感じさせる。

一方、テレビを消すと周囲は静かなもので、外の波の音すら聞こえてくる。ともかくここまで来てよかった。翌朝、この窓から見る朝日が楽しみである・・・。

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DMVに初乗車~阿佐海岸鉄道へ

2022年01月23日 | 旅行記G・四国

牟岐線の終点である阿波海南に到着。ここからいよいよDMVに乗り換えとなる。もともと牟岐線は次の海部までの路線で、海部から甲浦までが阿佐海岸鉄道阿佐東線として営業していた。DMV開業にあたり、海部が高架駅で地上との接点がないこともあり、阿波海南~海部間をJRから譲り受けて阿佐海岸鉄道に編入した。

ホーム1本だけの阿波海南で下車する。牟岐線の線路に車止めが設けられ、鉄道の線路としてはここで行き止まりであることを示す。その向こうにはかつてと同じ線路が伸びているが、その間はコンクリートで舗装されている。

すぐ横にある海南駅前交流館に向かう。ここが事実上の駅舎で、DMVはここから発車する。手前に乗降場があり、その先に道路走行区間と鉄道区間の境界であるモードインターチェンジが設けられている。あたりにはカメラを構えたギャラリーが陣取っている。

DMVの起点は駅の北にある阿波海南文化村で、次の阿波海南発は15時33分発である。国道55号線から青い車体が入線して、まずは乗降扱いのために停止する。運転手が降りてきて、「予約の方から先に乗車いただきます」という。座席番号と名前を告げると「どうぞ」と着席を促される。

このDMV車両、見た目は先頭部の長い、ちょっと大きめのマイクロバスである。座席定員は18名(プラス立席扱い4名)で、中央は1-2列シートだがやはり狭い。なお、1人掛けシートの前2列には黄色のカバーが掛けられ、優先席となっている。気動車と比べれば定員は大きく減ったが、逆に言えばそれだけでも十分まかなえてしまうだけの乗客しか見込んでいないようにも見える。これまでも、牟岐~甲浦間は路線バス(徳島バス)も運転されているし・・。

一方で、地元海陽町や高知県東洋町は「世界初」が走る町とPRして観光利用を促進しており、また開業してすぐということもあって、私のような者が遠方から乗りに来る。そうなると18名定員で大丈夫かということになる。そこで阿佐海岸鉄道が推奨しているのが事前予約。全国の高速バスの予約システムである「発車オーライネット」で2ヶ月前から予約を受け付けている(座席指定可、事前カード決済)。他には有人の宍喰駅で乗車券を買うか、途中の駅・停留所からだと、空席があれば予約なしでバスと同じように整理券を取って乗ることができる。開業当初は予約なしの客が積み残しになる便もあったそうだが、私が利用する9日、10日の予約状況を見ると、ほとんどの便で3分の1~半分くらい予約済のようだった。

予約なしの客も後から着席することができ、ほぼ満席でギャラリーの見送りを受けて発車する。道路からモードインターチェンジがある線路の上に乗る。「モードチェンジ、スタート」の声とともに、賑やかなお囃子が流れる。さすが徳島ということで阿波踊りの一曲だという。この時車高が上がったが、前後で鉄道用の車輪が現れて、レールの幅に合わせてセットされた。その間、わずは10秒あまり。運転手が各部位の点検、呼称を行っていよいよ出発だ。

やがて元の牟岐線~阿佐海岸鉄道の線路に合流する。その昔、第三セクター線を中心に導入された小型の気動車を「レールバス」と呼んでいた時期があったが、先ほどまでバスとして走っていた車両が文字通り「レールバス」として線路の上を行く。

普通、電車や気動車に乗ると、線路の継ぎ目の音を文字で示すなら「ガタン、ゴトン」といったものである。ただ、このDMVの鉄道モードで線路の継ぎ目を通過する時は「タン、タン」という音がする。トロッコにでも乗っているかのようだ。阿佐海岸鉄道は第三セクターとして新たに建設されたこともあり、基本的に踏切はない。高架橋とトンネルでずっと通過していく。

トンネルもかつてのものをくぐる。かつての気動車には車内に手作りのイルミネーションがあり、トンネル内で点灯するサービスもあった。ただ、小型のバスでは特に演出もなく、そのまま走り抜ける。

海部に到着。ホームの向かい側には気動車が停まっている。現在、阿波海南でレールが途切れた形になっており、外に出ることはできない。かといって、線内を運行することもできないようだ。気動車はこの先の宍喰の先にもう1台停車しているが、これも同様である。他の鉄道会社で引き取り手があれば譲渡となるのだろうが、車両導入からの年数を考えるとこのまま廃車となる可能性が高いとのこと。

海部を過ぎて宍喰に到着。高架橋から、家並みの向こうにDMVの終点であり、この日の宿泊地である道の駅宍喰温泉の「ホテルリビエラししくい」の建物が見える。駅から歩けば15分ほどのところだが、ここはそのままDMVに乗っていくことにする。

高知県に入り、甲浦に到着。鉄道の時はここが終着駅で高架橋も途切れていた。DMV開業にあたり、高架から下りるための新たなスロープが設けられ、まずはその前でモードチェンジを行う。再び阿波踊りのお囃子が流れ、車高が下がってバスモードとなる。スロープを下りたところに停留所がある。

そのまま集落を抜け、国道55号線に出る。宍喰方面に戻ったところにあるのが海の駅東洋町。ここで下車する客もいる。家族で来ていて、子どもがDMVに乗って親がクルマで迎えに来る光景も見られた。国道55号線を南に行けば室戸岬方面に行くが、これまで阿佐海岸鉄道と高知東部交通バスは甲浦駅で接続していたが、DMV開業後はこの海の駅での接続となった。なお、DMVも土日祝日ダイヤでは1往復が室戸岬まで行く。

本格的なバスモードでの走りはここからである。こうして道路を走る分には普通のバスと変わるところはなく、むしろ安定しているように感じる。

再び徳島県に戻り、海に面した道の駅宍喰温泉に到着。折り返しの便に乗る人、あるいはギャラリーの出迎えを受ける。岡山を朝から出発してようやく目的地に到着した。

こうしてDMV初乗車を終えたが、アトラクションのような楽しさを感じて、面白いのは面白かった。新たにDMVを導入したことに対しては、同じ区間を移動するなら普通のバスでもよいのでは?という声もあるようだ。先に、公共交通機関の維持、観光振興、地域活性化・・などと書いたが、これらに加えてもう一つの要素として、南海トラフ地震による津波被害を想定したということがある。並走する国道55号線が被災した際、阿佐海岸鉄道の高架橋とトンネルを被災者支援に活用するとしている。

後はこの「世界初」の話題性がどこまで続くかである。ただ、阿佐海岸鉄道のDMVが軌道に乗れば、他の地区でも手を挙げるところが出るかもしれない。そうしょっちゅう来ることができるエリアではないが、これからも見守っていくことにしよう・・・。

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DMVを目指す旅~高徳線から牟岐線へ、かつての八十八ヶ所めぐりを思いつつ・・

2022年01月22日 | 旅行記G・四国

1月9日、岡山から瀬戸大橋を渡って高松に着き、高松から高徳線の徳島行きに乗る。この先は高徳線、牟岐線と乗り継いで阿波海南に向かい、DMVに乗って道の駅宍喰温泉を目指す。

高松から乗るのは10時02分発の徳島行き。列車は2両編成だが、後ろ1両は回送扱いで乗車できないとの案内がある。高松まで来る便は乗客がそれなりにいるが、折り返しとなる便は乗客が少ないからそのような対応をするのかな。また、1両目の後側となる乗車口で待つように言われる。ワンマン運転の場合後乗り前降りだが、始発駅の場合は両方の扉から乗れるものと思っていたが、そこは四国のほうがきちんとした対応を取っていると言える。

やって来た列車は折り返しではなく、一時ホームから外れたところで待機していたのか、乗客がないままに到着した。前1両、客扱いとして運行するのは1500型。扉が開いて中に入る。転換クロスシートを備えていて、無事に席を確保する。これで徳島までの長丁場も快適である。発車時刻が近づくと乗客も増える。ワンマン運転といいつつも、添乗指導らしき係員がもう1名乗務している。

乗客の中には遍路の金剛杖、菅笠を手にした人もいる。東に向かう高徳線に乗るということは、屋島寺や八栗寺なら琴電で行くはずだから、その次の志度寺に向かうのかな。そして志度寺~長尾寺~大窪寺の最後3ヶ所を歩くとか。私は志度寺~長尾寺、長尾寺~大窪寺と2回に分けて歩いたが(長尾に着いた後で瓦町に戻り、1泊した翌日に再び長尾に来た)、これを一気に通しとなるとそれなりに時間がかかる。この時間からだと、大窪寺まで行って夕方のコミュニティバスに間に合うか、あるいはそのまま周辺の遍路宿に泊まりか。見た感じでは何巡もしてそうにお見受けしたが。

まずは高松市街地の西側をぐるりと回り、栗林を過ぎる。左手には屋島、五剣山の姿が少しずつ近づく。やはり八十八ヶ所めぐりの時のことを思い出す。2019年2月に結願して以降、四国にはそれほど足を踏み入れておらず、札所めぐりも行っていないが(あえて避けようとしていたところもある)、こういうスポットが固まるところに来ると何だかむずむずしてくる。やはり、どこかで2巡目に手を付けることになるか、それとも・・。

志度で、お遍路姿の人も含めてそこそこ下車があるが、まだ座席もほぼ埋まっている。志度からオレンジタウンを経て造田に向かうルートも遍路道に近い。

この後も穏やかな車窓が続き、行き違い・通過待ちで数分停車する駅も過ぎながら、県境に近い引田に到着。ここで下車する人もいるが、高松からずっと乗っている人も意外に多い。徳島まで2時間半以上の道のりだが、青春18きっぷの人もいることだろう。15分停車ということでいったん駅の外に出る。引田は醤油の醸造で知られるところ。

讃岐相生から大坂峠をトンネルで抜け、徳島県に入る。今度は八十八ヶ所の霊山寺から始まる発心の道場である。

鳴門線と接続する池谷からは多くの乗客があり、1両の車内は満員となった。あくまで後乗り前降りのため、乗ったら前へ詰めるよう案内がある。

吉野川を渡り、12時44分に徳島着。駅前には晴れ着姿の人をちらほら見かける。ちょうど成人の日絡みの連休ということで、こちらでも成人式が行われたようだ。徳島市ではコロナ対策として成人式の日程を分散し、かつ会場も地区ごとで分けているとのこと。

次に乗るのは13時30分発の阿波海南行き。店で昼食を取るにはちょっと時間が中途半端ということで、コンビニで仕入れる。こちらの列車も2両編成だが後の1両は回送扱い、また乗車口も1両目の後部に限定している。あわてて並びなおす。

列車の入線を待っていると「あんたも海南に帰るん?」と、前のご婦人から声をかけられる。大きな荷物を持っていたからだと思うが、いや、帰るというよりこれから行くほうで・・。「DMV」という単語を出して通じるかなと思ったので、「『新しいバス』に乗りに行くので・・」と答える。すると納得したような顔になり「何かお客が多くて積み残しも出ているようじゃったよ」と話してくれる。それについては対応済なので、また後で触れることにする。

「写真撮って、しっかり宣伝してくださいな」と言われ、やって来た車内に入る。いや、ごく数人くらいしかご覧にならないようなローカルブログでどこまで宣伝になりますやら・・・。

列車は徳島線からの直通で、乗るのは先ほどと同じ1500型だが、徳島でほぼ全ての乗客が降りたこともあり無事に2人掛けのシートに着席できた。徳島ではほぼ満席で発車したが、この先は行き止まりなので乗って来る客は少ないだろう。まずは市街地の南側を走る。

牟岐線では2019年3月から、JR四国としては初めての「パターンダイヤ」を導入している。日中の時間帯、徳島発を毎時00分、30分に統一するとともに、途中の阿南までの本数をそれまでより増やした。いっぽうで阿南~海部(当時。現在は阿波海南)間は減便して、その代わりに並走する大阪~室戸間の高速バスの阿南~甲浦での乗降を可能にすることで、バスとの連携を取るようにした。お互いに厳しい鉄道とバスの連携ということで注目されたが、3年が経とうとする中で効果のほどはどうだろうか。

中田からはかつて分岐していた小松島線の跡を見る。次の南小松島からは新聞を持ったおっちゃんたちが乗って来る。そういえば近くに競輪場があったな。

那賀川を渡り、阿南に到着。牟岐線の途中の有人駅である。列車の半数がここで折り返しとなる。私が乗っている阿波海南行きは14時21分発だが、その後だと16時28分発までない。そうすると阿波海南に着くのが18時前で暗くなってしまう。岡山から徳島の南部まで、鈍行移動だとまさに1日がかりだ。

この先も道のりは長い。八十八ヶ所めぐりでいえば第21番の太龍寺を終え、第22番の平等寺、第23番の薬王寺へと続くところ。平等寺から薬王寺までは20キロあまりあり、歩き遍路だと6時間ほど要すところ。しばらく山道を走り、由岐から田井ノ浜にかけて一瞬だけ海が顔を出す。

その薬王寺の瑜祇塔がちらりと見え、日和佐に到着。八十八ヶ所めぐりの時、室戸を含めた一帯の札所をめぐったが、その時ベースキャンプにしたホテルも見える。薬王寺で年越し、初詣をしたのも思い出だ。その薬王寺には翌日の帰りに立ち寄る予定にしている。

ここまで来ればもう一息。国道55号線と並走して牟岐に到着。弘法大師ゆかりの鯖大師のある鯖瀬を過ぎ、15時38分、阿波海南に到着。ここからいよいよ、DMVへの乗車である・・・。

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