まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

文学と街かど博物館・・・小田原散歩・その2

2010年05月31日 | 旅行記C・関東甲信越

小田原散歩の続き。

「小田原おでん」で昼食とした後、これからどのように回るかを検討。小田原文学館は必須としてコースに入っているようだが、後は成り行きである。会主の旅の侍さんいわく、普段の人数の散歩ではコースもきちんと決めた上で回ることになるのだが、今回4人という人数のためコースどりの自由度は高い。

Dscn9829_3 小田原には「街かど博物館」というスポットが結構ある。小田原の産業や歴史文化をPRするために、街かどの店舗や工場を博物館として公開しているという。文学館までの間にもいくつか点在しているようで、それらを見学しつつ行こうかと思う。まずは「小田原おでん本店」の斜め向かいにある「かまぼこ伝承館」、その次は通りを一つ入った「ひもの工房」に行こうということになる。何かかまぼこをこしらえたり、干物を干したりという体験メニューがあるかもしれない。

・・・ということで向かったのだが、パッと見たところ普通のかまぼこ屋であり、干物屋でありという感じ。「これで博物館?」「ちょっと、無理があるんじゃないの?」という声が出る。やはりこじつけの面があるのかな。それとも、かまぼことなると商売敵が多いからここだけ「伝承館」を名乗るのに差支えがあるとか。「本家」と「元祖」争いみたいなものか。

Dscn9837 そんな話をする中でやってきたのが「かつおぶし博物館」の「籠常」。先の二つがあったので「ただのかつおぶし屋だろう」というイメージがあったのだが、まず建物がえらい時代がかっている。そして、開け放たれた扉から中をのぞくと、かつおぶしづくりの工程を解説したパネルなどもあり、一応「商店の中で博物館的に何か学べる」ような風情だったので、ちょいとのぞいてみる。

Dscn9836 そこで、店のおばあさんの熱烈な?歓迎を受ける。この建物、小田原でも大きな被害を出した関東大震災の翌年に建てられたものとかで、現在も店の裏がかつおぶしづくりの工場となっている。かつおぶしはうまい具合にかつおの切り身にカビをつけて風味を出すのだが、「このカビをつけていい味になるのには半年はかかるんですよ。半年ですよ。」「かつおぶしの切り身は必ず2つが一体でして、これは夫婦がぴたりと寄り添うところから、今でもかつおぶしが結婚式の引き出物として喜ばれるんですよ・・・今ではそんな人も少なくなりましたが」「かつおぶしというのは栄養価満点で健康食なんですよ。今日はこれをご自分の口で、学んで帰ってください」など、私たちを日本の伝統文化に興味ある集団と見てか、あるいはここをのぞく客が珍しいのか、あれやこれやと話しかけてくれる。

せっかくなのでということで、かつおぶしの味見をさせてくれる。かつおぶしと言って思いつくのはパックに入った削り節であるが、かつおの他にそうだがつお、鯖などもそれぞれの魚の風味を出す感じで燻製をつくり、削ったものを出している。それぞれに違った風味を感じる。まさか、小田原でかつおに出会うとは思わなかった。

「小田原の人は口下手で商売が苦手でねえ・・・」というおばあさんの言葉。いや、十分商売してまんがな。結局パックの削り節と、出汁用にカットされたかつおを買い求め、なかなか充実の「博物館」を後にする。帰宅後にこれで出汁をとってみたが、いやこれ、なかなかいけましたぞ。先に食べたおでん屋も、もっとこれくらいかつお風味の味を出してくれてもいいと思うのだが・・・。

この通りは海産物を扱う昔ながらの店も多い。その中で「小田原名物さつま揚げ」という看板も見る。さつま揚げ・・・って。小田原で薩摩を名物にすることもないでしょうに。

また、小田原というところは歴史的な側面と現在の生活が実に密接につながっていると感じさせられるスポット。それが「川崎長太郎の石碑」である。川崎長太郎という人、小田原出身の小説家で、芸術選奨にも選ばれたというくらいの人らしいのだが、その生家か何かの跡地に石碑が建っている。・・・のはいいのだが、その石碑のすぐ横に「ゴミ回収 一般ゴミ毎週○曜日」という看板があり、市が定めるところのゴミ収集場になっている。これには散歩の参加者、特に俳句のサークルも主宰している文学好きのセージさんに至っては「こんな扱いねえよ!可愛そうだよありえねーよ!」とあきれかえるやら半ば憤るやら。これまでの「博物館」のあれこれといい、何とまあ大らかな、細かいことを気にしない街というか・・・。

Dscn9839 さて気を取り直しつつやってきたいのは西海子小路。これまで見てきた古い建物やごちゃごちゃした商店街と比べ、道幅も広くなり、両側の邸宅もゆったりした造りになる。その一角にあるのが小田原文学館。

Dscn9842 この文学館、明治時代に警視総監や宮内大臣などを歴任した田中光顕伯爵の別邸として建てられた洋館である。建物自体、大正ロマンを感じさせるものである。この中では小田原出身の文学者(先ほどゴミ置き場に石碑があった川崎長太郎もその一人)のほか、小田原ゆかりの文学者の解説もされている。この小田原、美しい山と海とに囲まれ、天候も温暖ということで文学者の別荘地として賑わったところ。谷崎潤一郎の妻をめぐり、谷崎と佐藤春夫が争った文学者の別荘地サロンでの出来事として現在なら連日ワイドショーのネタになったような「小田原事件」というのもあるとか。

Dscn9843 敷地内には尾崎一雄の書斎を移築していたり、8年を小田原で過ごし、現在に伝わる童謡作品の多くをここで手がけた北原白秋の館も持ってきている。セージさんに至っては、「これだけの文学者にゆかりがあるなんて、小田原はすごいですよ」と感心しきり。それだけに、「ゴミ置き場の川崎碑」には別の意味でよけいに「小田原はすごい」と思ったことだろう。

この文学エリアは予想外の発見。そこを後にして、少しずつ中心部に戻る。途中、これは「街かど博物館」ではないのだが、旅の侍さんが興味を示してのぞいてみた洋風雑貨店に立ち寄る。雑貨の数々にも驚くのだが、それらを収めたクローゼットに年季が入っていていい艶を出している。東南アジアでの特別製作というが、長持ちするものであり、今度も女性主人のあれこれ話を聞く。ここでも「小田原の人ってなかなか商売が下手で・・・」ということを聞く。これは本当にそうなのか、あるいは強い謙遜なのか・・・。

小田原というところ、やはり武家の町であり、宿場町なのだろう。そしてその宿場町といっても、昔の東海道ならいざ知らず、現在なら箱根やら湯河原、熱海など近くに温泉街も多くあり、ホテルそのものが数えるしかない(新幹線の停まる駅なのに、大手チェーンのホテルが1軒もないのは意外)。一方で商売のほうはどうだろうか。

Dscn9845 そんなことを思いつつやってきたのは「ういろう博物館」。こちらは小田原城を模した建物で出迎えてくれる。ういろうと言えば名古屋名物というイメージが強いが、実はここ小田原が発祥の地。「外郎」というのも名字である。またういろう博物館の向かいは「メガネスーパー」の本店。こういうのもあるんですな。

Dscn9852 そろそろ散歩も終盤ということで、小田原城のお堀端を通り、小田原駅方面に向かう。ここで、その名前が気になる「塩から伝統館」へ。駅前のこととてさまざまな飲食店や魚屋などで賑わう一角。この「街かど博物館」も要は塩辛とかまぼこの店。ここで試食をさせていただき、土産物用として塩辛などを買い求める。

そして散歩の最後は、北条氏政・氏照兄弟の墓所。小田原攻めで敗れ、結局北条氏を滅ぼすことになったのだが、その墓が駅のほど近くにあるという。ただ、先ほどの「ゴミ置き場の文学碑」もあることだから、ここは何か驚くオチがあるに違いない・・・。

Dscn9854 路地の飲食店に囲まれ、お二人様専用ホテルも見える一角。果たして、その一角に石で仕切られたスペースがある。ここが氏政の墓である。それにしても何とまあ落ち着かないところか。そして敷地の前はここもゴミ置き場・・・。やはり、「敗軍の将」というのは後世における扱いはこうなのだろうか。それとも、これも小田原という街のなせることなのか、そんなことには頓着しないのか・・・??

何ともまあ、ツッコミどころ満載の街の散歩を終え、ここで中締め、お開きとする。ここで小田原を後にするさるのこさんを駅までお見送り。入口には二宮金次郎の銅像・・・の先に「小便小僧」の像。二宮金次郎が一生懸命薪を背負って本を読んでいる横で小便を垂らすのって、これも見ていておちょくられた気分。やはり小田原はすごいや。

Dscn9858 さてこれからがこの会恒例?の二次会。店についてはセージさんがいろいろ調べてくれていたが、結局、店の看板を実際に見て、駅すぐの地下にある「清盛」に陣取る。北条氏ゆかりの城下町で平清盛(でしょうね、店名の由来は)に出会うとは。たいらのきよもり、tiredきよもり、疲れた清盛・・・(byラーメンズ)。

セージさんとは初めて一席お相手つかまつることになったが、いやお酒のほうもいける口で、話も熱く大いに盛り上がる。実に楽しい時間を過ごすことができた。4時間近くいましたかね・・・。店のほうも「昔ながらの、サラリーマンが集う居酒屋」といった風情で、料理もリーズナブル。ここはまた来てもいい店である。

Dscn9849 半日を過ごした小田原。歩いてみて実に奥の深い、いろんな表情を持った街であることを感じられた。中でも庶民の現実味たっぷりのエリアと、文学者がかつて集った閑静なエリア、それらがすぐ隣り合って同居しているのも意外な発見である。関西から神奈川というとどうしても横浜を目指してしまうが、横浜とも違う、鎌倉とも違う、「相模の国」を感じられるスポットとして、通過ばかりではなく立ち寄って時間を過ごすことをオススメしたい。

さて散歩はこれでおしまい。翌日23日は1日かけて関西に戻る。天気予報は鉄板で雨・・・・。(続く)

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お城と海岸とおでんと・・・小田原散歩・その1

2010年05月29日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn9785 「お散歩だんらんの会」の小田原散歩。ここに集まったのは私のほか、会主の旅の侍さん、セージさん、さるのこさん。旅の侍さんとは何度かお会いしたことになるのが、残りのお二方とは初対面である。いつぞや「遠征を」と話をしたIgarashiさんが来られなかったのは非常に残念であったが・・・。いつもに比べれば参加者が少ないようで、東京から見れば近いような遠いような微妙な距離というのが参加見送りになった方もいるようだ。しかしまあ、その分小ぢんまりとしており、グループでの団体散歩とはまた違った機動性を発揮することができそうである。

Dscn9800 今回は小田原の市街地を回るというもの。ということでまずは小田原のシンボル・小田原城へ向かう。天守閣にはこれまで3~4度ほど訪れたことがあるが、かつて関東の名城として栄えた歴史を楽しむには何度訪れてもよいところ。もし秀吉の小田原征伐で屈した形ではあるが、上杉、武田の度重なる攻略を寄せ付けず、北条氏の関東制圧の本拠地となった小田原である。もし秀吉に早くから恭順の意を示し、小田原征伐で滅ぼされることなく家を保っておれば、秀吉亡き後の勢力図もいくらか変わっただろうか。そんな想像をするのも楽しい。

Dscn9809 天守閣の最上階に上がる。この日は天候もよく、箱根の山々、相模湾も見える。遠くに見るのは真鶴岬から伊豆半島か。こうして見ると小田原というのは山と海に守られた要害の地といえる。ただ戦国の世ではそれでよかったのだろうが、平和の世になれば江戸のような開けた土地を持ったところがより発展することになるのも地政学上そうなるのかなと。以後、小田原は箱根を控えた宿場町、小ぢんまりとした商業の町としての発展となる。

Dscn9813 そんな小田原にゆかりのある人物が二宮損得もとい二宮尊徳こと二宮金次郎。あの、薪を背負いながら本を読む、そんな本読みながら歩いたらすれ違う人とぶつかるやないか・・・ということは置いておくとして、そういう勤勉の姿はその昔小学校の校庭に像として飾られ、子どもたちに勤勉の徳を説いたものである。小田原城の横には報徳二宮神社があり、彼を祭っている。

Dscn9816 境内に金次郎と尊徳の両方の銅像があるのが面白い。勉強前と勉強後の姿である。ふと思うに、子どもの頃二宮金次郎の勤勉さを説いたとして、その金次郎がじゃあどうなったのかについては案外知られていないのではないだろうか。小田原藩の財政再建に力を尽くしたり、全国の農村を回っては実践思想で復興を果たしたり、上から視線ではなく実践者として人々の幸福を追求したというのだが・・・。

Dscn9817 その尊徳像に「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」との言葉・・・。二宮尊徳に「犯罪」と言われれば反論のしようがないな。

元々三の丸のあったところに建つ櫓風の建物。これは小学校だという。そしてその校庭には二宮金次郎の像が立つ。ただ子どもたちが校庭でサッカーに興じる中、ボールを当てられやしないか余計な心配をしてしまう。

ここまでで結構な時間が経ち、昼食をどうしようかという話になる。旅の侍さんによればお目当ての店があるということでそちらの方向に向けて歩くのだが、その前に出たのは海岸。明治天皇が行幸したことから「御幸の浜」と呼ばれている。当時は真鶴や伊豆を望む湘南の海を満喫できるところだったと想像できる。

Dscn9818 さて現在の海岸。ちょうど海岸沿いに西湘バイパスの高架橋が通っており、護岸工事もあれこれ行われているようでさすがに自然の海岸というわけにはいかなかった。それでもまあ、地元の人の憩いの場のようで海へりに腰掛けたり、突堤で釣り糸を垂らす人も。「これでも湘南の海なんですね」という声も聞こえる。

Dscn9821 それにしても現在の湘南の海らしいというのか、バイパスの壁にはさまざまな「アート」が。定番モノの相合傘やら、「東海大相模!」といった「○○参上!」もの、そしてこれに対抗したウケ狙いか本物か「東海大山形」などというものなど、明治天皇が100年後の御幸の浜を見たら何と思うやらという風景。しかしそのB級さが小田原らしいかな・・・。

Dscn9828 再び中心部に戻り、昔ながらの商店街のある一角を抜ける。旅の侍さんが携帯電話を片手に道を探りながらたどりついたのは、「小田原おでん本店」。B級グルメが全国的にブームな中、小田原はおでんで行こうということのようである。小田原といえば相模湾を背景とした魚介類が豊富。そしてそれを原料とした蒲鉾、竹輪などの練り物も土産物の定番。近在には蒲鉾の老舗が軒を連ねている。そんなところから「おでん」というものにたどり着いたのは無理がない。東京に住んでいた時、こちらの方面にやってきた折には帰りに蒲鉾を買って東海道線のグリーン車の中で一杯やっていたのだが、「おでん」とは気づかなかった。

どうしてもおでんというと屋台で腰掛けて・・・というイメージが強いのだが、その「小田原おでん本店」は一般の民家を改装した造りのようだが(だからなかなか見つからなかったのか)、オーナーの趣味なのか落ち着いたムードのところ。これならカップル連れでムード満点でおでんを味わえる。

Dscn9826 ランチメニューはおでんの茶飯や鯵の押し寿司などのご飯ものに、好きなおでんの具が5品つくというもの。さすが練り物の本場で、各店のオールスターが勢ぞろいしたといった感じ。ただ私はおでんといえば玉子と大根は欠かせない人なので、「練り物枠」は残り3つということになる。セージさんとともにランチグラスビールを注文し、疲れを癒すことに。

それぞれに主張する味わいがあるおでんの具材。だしは薄めの関西風。少し離れた「しぞーか(静岡)おでん」の黒さとは正反対。これには関東のお三方は「薄いかな」との感想。私も関西人であるが関東風の味を好むところがあり、これには同感である。でも、具材がしっかりしているだけ、小田原名物ということでPRしてもいいのではないだろうか。

さてお腹もできたところで、小田原の観光名所?である「街かど博物館」をめぐることに・・・。(続く)

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小田原への道・・・は遠かった

2010年05月27日 | 旅行記C・関東甲信越

5月22日の早朝、朝もやの東名高速道路を走る。「いつもと変わった方法で関東に行こう」という理由でおっ始めた高速道路乗り継ぎである。

遠州から駿河に入り、静岡郊外を通過。これから向かうのは由比。このあたりはちょうど山と海とが迫ったところで、東海道線に乗っていても両側から国道1号線と東名高速道路が迫ってきてなかなか迫力のある風景を見せてくれる。右手に太平洋が見えるのだが、さすがにハンドルを握っている立場ではそれをゆっくりと見ることはできない。

午前7時過ぎ、クルマは富士川サービスエリアに到着。この時間ではあるが駐車場、売店ともにごった返している。山口から来たのか、ドアの入口にふぐのイラストの入った旗を立てた観光バスが何台も停車しており、そこから吐き出された乗客たちがトイレに駆け込んだり、洗面所で歯を磨いたりヒゲを剃ったりして洗面台を無法に占領している。何の団体なんだろうか。

新幹線に乗って東京方面に向かう時でも、富士川の鉄橋というのは富士山の稜線から山頂を仰ぐことのできるスポットである。このサービスエリアも富士川の河川敷に近く、このため「富士山展望スポット」というコーナーもある。当然ここは記念撮影スポット。

Dscn9768・・・でもどうだろう、時間的に早すぎたか、西から見る富士山はちょうど逆光にさらされており、肉眼で稜線は見ることができるがカメラに収めるとなるとしんどい。何とかアップしてみたが果たして見えますかどうか・・・。

Dscn9774 ならばということでクルマをさらに東に進め、富士山の南側を回りこんで東側に出る。ハンドルを握りながらチラリと左手を見ると、富士の山容がくっきりと見て取れる。これが一般道ならクルマをちょいと路肩に停めて撮影するところなんだが・・・。いや、一人で行くドライブ紀行というのは、何かと制約があるものだ。

Dscn9782 足柄サービスエリア到着。富士山を東側から眺めるには格好のスポットで、改めてその姿に感動する。サービスエリアの建物が邪魔といえば邪魔だが・・・。せっかくなのでパートナーを富士山に合わせて撮影。

Dscn9777 さてここで見つけたもの。レストハウスがあり、併設の浴場に立ち寄りでも入れるというもの。温泉ではなく沸かし湯のようであるが、この日は未明から走り続けてきてそろそろしんどいかなと思っていたところで現われた浴場である。これは迷いなく入浴することにして、少々熱めの湯を楽しむ。これで心身もリフレッシュされたようで、長時間のドライブの疲れも癒えてシャキッとする。やはり風呂の効果というのはすごいものがありますな・・・。

足柄サービスエリアから約20分で大井松田インターに到着。小田原に向かう最寄のインターである。尼崎インターをくぐって7時間後、ようやく小田原に近づいた。ここでETC挿入状態で出口に近づき、さて表示された料金は・・・・1850円。

Dscn9783_2 1850円?そりゃ一瞬目を疑う。そんなに安く来てしまっていいものやら。出発前に給油で4000円近くかかったが、これを合わせても尼崎から小田原まで片道6000円弱・・・・。新幹線の半額ですがな。今回はこれを狙っていたようなものであるが、やろうと思えばできるもんですな・・・・。環境保護の観点からは逆行しているかもしれないが。

大井松田インターから小田原市街地までも順調に走り、小田原城にほど近い市営立体駐車場に停める。24時間で1000円という料金設定がありがたい。これを含めて、こと交通費に関してみれば実に安上がりとなる関東行きとなった。浮いた分を、これからの見物、街歩きに投入しようと思う。

Dscn9787 小田原駅に到着。時刻はまだ10時。集合時間の11時半まではまだ時間がある。ということで、これまでまだ乗ったことがなかった伊豆箱根鉄道の大雄山線に乗車することに。終点の大雄山まで20分あまり。

Dscn9793 ゆったりした転換クロスシートの並ぶ車両に乗車。どこかに懐かしい私鉄らしい車窓風景が広がる。また近郊区間の電車らしく、駅間の距離も短いし、単線ながら12分ヘッドの頻度で規則正しく走る。トコトコと走って終点の大雄山に到着。

Dscn9794 足柄方面の起点駅であり、ウォーキングを楽しもうかというグループ客が乗り継ぎのバス乗り場に向かう。一方では都市近郊の駅らしく新しい店もあり、終着駅につきもののわびしさはさほど感じられない。

Dscn9795_2 足柄といえば金太郎。まさかりをかついて熊にまたがる金太郎の像が勇ましい。駅前の店も金太郎やらまさかりにちなんだ名前がついていたりして、全体的に金太郎をPRしようという姿勢が見える。

・・・その一方で、駅前に「桃太郎」を名乗るラーメン屋だか食堂だかという店も見つかり、思わず突っ込んでみたくなったりして。

Dscn9784 小田原に戻る。そろそろこれからが、本日のお散歩の開始である・・・。(続く)

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小田原への道

2010年05月26日 | 旅行記C・関東甲信越

5月22日は「お散歩だんらんの会」の5月集会。その場所が東海道の宿場町・小田原ということで参加した。同会のイベントに参加するのは昨年11月以来のこと。

思い起こせば昨年の3月。私が川崎を訪問することがあって、その際に同会の会主・旅の侍さんと主力メンバーであるIgarashiさんと川崎で会食したことがあった。

この時に酒の回る中で「お散歩だんらんの会も"遠征"を考えてみてはどうですか?」というようなことを話した。東京近郊を散歩のフィールドにしている会なのであるが、何だったら京都や大阪などの「関西遠征」なんてのもいいのではという思いがあってそのようなことを言ったものである。

それがここに来て、かつての北条氏の本拠地であり、東海道の城下町である小田原での開催となった。東京近郊に住む方にとっては「少し遠い日帰り圏内」といったところ。近いといえば近いし、遠いといえば遠いところである。その感覚は私も東京の東の端に住んでいただけにわかる。ただ、私も遠征を持ち出したことでもあるし、時期もよく半年振りに参加してみようということでエントリー。

さて、小田原までどうやって行くか。普通に考えれば早朝の新幹線で行くことである。ただそれでは当たり前すぎるし、費用もかかる。かと言って普通列車を乗り継いだのでは間に合わない。サンライズ出雲・瀬戸で東京まで行って折り返すというのも一瞬考えたが・・・。

ここで出たのは「高速道路のETC割引で限界に挑戦するのはどうか」ということ。現政権下では制度の見直しも取りざたされていることだし、「地方路線1000円」というのに乗っかってみるのも面白いだろう。行きは小田原まで直行、散歩に参加して小田原に1泊して、帰りはあちこち寄り道しながら1日がかりで帰るというので一つドライブ旅行ができる。ならばパートナーのキューブに出動をかけるとしよう。

時間を調べれば片道450キロ、時刻検索では約6時間の道のりという。ただ途中で休憩も取るからもう少しかかるとして、7~8時間はかかるかな。11時半が集合時間のため、早朝4時前に出るか、あるいは日付の変わるくらいに出て途中で仮眠を取るか・・・。いずれにしても前の日はアルコールは飲まずに22時くらいに一度横になる。

・・・寝たのか寝ていないのか、気がつけば日付変わって午前1時半。何とも中途半端な時間であるが、二度寝すれば間違いなく夜が明けるだろうし、身体も意外としゃんとしているのでもう支度して出ることにする。ちょうど自宅を出発したのが午前2時。

名神高速の尼崎インターでETCを通す。深夜の時間帯とはいえ走り抜けるクルマもそれなりにある。ちょうど前日まで名神のリフレッシュ工事が行われていたのだが、その終了を告げる案内板が目立つ。順調に走り、兵庫県から大阪府、京都府を通過し、滋賀県に入る。

Dscn9757草津パーキングエリアで最初の休憩。夜の3時前であるが、ここは売店、軽食、コンビニと24時間営業である。そのためか格好の仮眠場所となっており駐車場は結構埋まっている。シートを倒して横になっている人も。私も計画ではこのあたりで仮眠を取ることも考えていた。

コンビニで飲み物やらガムなどを購入。深夜のドライブに出ている若者のグループも店内で賑やかに一時を送っている。その辺の駅前と変わらぬ光景である。

草津からは新名神→東名阪→伊勢湾→東名と走る。不思議なもので、走るうちに段々と目がさえてきて疲れを感じなくなる。躁状態というのかな。まあ、朝の小田原の集合には確実に間に合うところ。

Dscn9759 午前5時、そろそろ東の空が白んできた頃に浜名湖サービスエリア到着。小田原までの中間点を少し過ぎたあたりである。ここで2度目の休憩。早い時間であるが多くの人たちで賑わっていた。皆さんどこまで行くのだろうか??

Dscn9763 浜名湖に面しており、静かな湖面を見る。芝生広場も広がっており、春には桜の名所にもなるとか。また、カップルで訪れるスポットなどもあり、早朝から鐘を鳴らすオバチャンの姿も。いい目覚めになりそう・・・・?

Dscn9767 早いけど朝食。浜名湖といえば・・・ということで、朝っぱらからうなぎ丼を注文。普段の食事の中ではうなぎを食べることはめったにないのであるが、まあ、浜名湖に来たわけなので。味と値段は、まあサービスエリアレベルと申し述べておこう。

少しずつ空が白んでくる。この日も天候が良さそうである・・・・。(続く)

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球磨川の流れと内田百閒ゆかりの八代~九州旅行記・終

2010年05月24日 | 旅行記H・九州

5月22~23日は「お散歩だんらんの会」の集会に遠征参加ということで小田原へ。これまで小田原といえば小田原城と蒲鉾くらいしかなじみがなかったのだが、仲間と散策する中でさまざまな発見があり、結構お気に入りの城下町ということになった。

そのことについては後ほど書くとして、今月の初め以来長期にわたって書いてきたGWの九州旅行記のほうを進める。

Dscn9696 さて最終日(5月5日)、肥薩線は人吉駅で「SL人吉号」の雄姿と対面した後、八代行きの普通列車に乗車。1両編成であるがボックスは相席が発生しない程度の乗車率。球磨川沿いに走るのはこちら側でよかったかなと思いながら、進行方向右側のボックス席に陣取る。昼食は人吉の昔からの駅弁「鮎ずし」である。酢の香りが鮎によく染み込んでいる。

Rscn9698 球磨川下りの拠点でもある渡を過ぎると球磨川の土手が進行左手に近づいてきた。そして肥薩線の線路は鉄橋で川を越した。これで川の流れは進行右手に来て、私の読みが当たった形になる。水量も豊かで、山の緑が川面によく映えている。縁起のいい「一勝地」という名前の駅や、名勝・球泉洞というスポットもあるのだが、列車の時間の関係で通過となるのが残念である。

Dscn9707 こういう車窓の中を、先ほど「SL人吉号」が走ってきた。実に絵になる風景になるなと思う。途中の駅からは、球磨川とのショットを無事に収めたか「その筋」とおぼしき客の乗車もあった。

Dscn9720 1時間あまりの行程を終え、肥薩線の視点である八代に到着。今回の旅行、こと鉄道に関しては肥薩線をメインに据えたところがあるが、豊かな自然と鉄道遺産の数々を満喫できる路線として人気があるのも何だかわかるような気がする。何度訪ねても面白いと思うし、今度来る時は違ったアプローチで楽しんでみたいなと思う。

Dscn9722 さて八代である。この後は新八代まで出て「リレーつばめ」に乗車するのだが、それまでの時間を使用してバスに乗車。10分ほどで、八代城跡に立つ八代宮に到着。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子として足利軍と戦った懐良親王を祭る。そのためか建物に結構権威という感じが漂っている。

Dscn9736 その八代城跡を抜けたところ、北の丸のあった位置にある屋敷。松浜軒という。元々は熊本藩の家老として八代を治めていた松井家のお茶屋、庭園であったという。この松井家というのも代々風流の道を好んでいたのか、茶器や陶器のコレクションも多く残されており、現在は「松井文庫」として伝えられている。

Dscn9732 そして、屋敷と庭園を見る。八代の街の中心部に近く、外の道路は交通量も多いのだがこの空間だけは喧騒を忘れさせる静かな佇まいである。

この松浜軒を訪れるのはある理由があってのこと。それはこの記事のタイトルにもある内田百閒ゆかりのスポットということからである。

Dscn9728 松浜軒、現在は庭園として開放されているが、戦後の一時期は旅館業も営んでいたことがある。旅館といっても元々が殿様のお茶屋ということもあり、VIPが宿泊するような宿である。内田百閒といえば『阿房列車』という鉄道紀行文の元祖ともいえる作品を残しているが、九州は鹿児島を訪れた帰途、肥薩線を経由して八代に降り立っている。その八代で宿泊したのがこの松浜軒。ここの庭園や女中の対応というものがすっかり気に入った百閒は、その後九州を訪れた際は必ず八代を訪れ、松浜軒に宿泊した。通常、宿泊した旅館の名前を文中には出さないのだが、この松浜軒は数少ない例外である。

Dscn9730 庭園に面した部屋が一番の上の間とされている。現在の感覚で見ればえらいオープンな雰囲気だが、そのおかげで(中には入れないものの)鉄道紀行の大家と同じ空気を吸っているのだなと実感することができる。もう一度『阿房列車』を読んでみようか。

Dscn9742 八代駅に戻るが、手ごろなバスの時間がなく結局3キロの道のりを歩く。八代から各駅停車で1駅、新八代まで移動。ここで九州新幹線のホームに移動し、「リレーつばめ52号」に乗車する。

Dscn9744 ちょうど鹿児島中央からの「つばめ」も到着し、多くの客がここで乗り換える。指定席は全て満席、自由席にも立ち客が出ている模様である。来年の春にはこの新八代から北も開通し、九州新幹線と山陽新幹線が一本でつながる。現在の「リレーつばめ」という名前も消えることになる。おそらくこの名前の列車に乗ることも最後だろうし、グリーン車をあらかじめ購入しておいた。2列-1列のゆったりした配置で、九州内の最後を飾るのにふさわしい列車である。

今回は訪れることができなかったが、熊本市内も久しぶりに訪れたいなと思う。

Dscn9747 九州新幹線の橋脚も着々と完成しているようで、時折並走する。何だか車窓が変わるのを感じる。一方で、新幹線が開通した暁には在来線の列車網がどのようになるのかが気がかりである。JRの路線網がズタズタにされるのだけは勘弁してほしいところだが・・・。

Dscn9752 博多に到着。いよいよ5日間過ごした九州ともお別れとなる。新幹線までの間、駅ビル内のもつ鍋「おおやま」で、最後は鍋で締める。結局、初日のヤフードームでの野球観戦に始まり、小倉(下関)、宮崎、鹿児島、枕崎、人吉、そして博多と列車で九州を一周したことになり、実に思い出深い旅となった。

Dscn9754 帰りのレールスターの中で旅の思い出を振り返りつつ、終着まで眠りに就いた・・・。 (終わり)

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風情の残る城下町人吉・朝編

2010年05月21日 | 旅行記H・九州

ようやくこの旅行記も5月5日、最終日を迎えた。

ホテルのベッドもよいが、普段の睡眠がそうだからか和室の布団が寝心地がよかった。朝風呂に入り、朝食をとってゆっくりと過ごす。この日は午前中いっぱいまで人吉を散策することにしている。

Dscn9640 チェックアウトしてまず向かったのは、前日もやってきた青井阿蘇神社。ちょうど地元の人たちが朝の清掃をしている頃合で、余計にすがすがしく感じる。改めて手を合わせ、旅の安全を願う。それにしても、前日見かけた鶏たちがこの朝も元気そうだったが、改めてなぜ青井阿蘇神社に鶏なのか、不思議な気がする。

Dscn9642 さてせせらぎの球磨川を渡り、向かったのは永国寺。室町時代に開かれた曹洞宗の寺院である。この寺は別名「幽霊寺」というとか。

そのいわれはこう。その昔、近郷の武士に妾がいたのだが、本妻の嫉妬に悩み球磨川に身を投げて亡くなった。後に妾は幽霊となって本妻を苦しめる。困った本妻が永国寺に駆け込み助けを求めた。そして寺の和尚の前に現われた幽霊に対し、和尚が因果の道理を説く。すると幽霊はそれまでの行いを悔い、和尚の引導により成仏したという。

Dscn9643 その幽霊の姿をこの和尚が書きとめたという掛け軸が残されている。乱れ髪、足がなく、そして手はこう下向きでという、正に絵に描いたような幽霊の姿。寺の宝ともいえる絵だが本堂内のガラスケースで展示されており、結構あっけらかんとしたものである。さて「幽霊の掛け軸」といえば、本物が掛け軸から飛び出す「応挙の幽霊」という落語のネタを思い浮かべる。どんな話かは話せば長くなるのでまた別の機会に・・・。

Dscn9647 この永国寺からまっすぐに人吉城跡まで道が伸びる。かつてのメインストリートだろうか。人吉は西南戦争の時には田原坂で敗れた西郷軍が1ヶ月ほど本陣を構えていたところで、一時滞在した武家屋敷も見られる。ただ残念だが、受付の薬局で声をかけたが応答なく、中に入るのはあきらめた。

Dscn9649 この通り沿いに焼酎蔵というのを見かける。人吉は米焼酎。その球磨焼酎のポピュラーな銘柄が「繊月」であるが、その製造元がある。「工場見学無料」とあったので受付で声をかけると、「今日はGWなんで製造は休んでいますが」と言われつつ案内していただく。

米を発酵させるタンク、蒸留した原酒が運ばれるパイプなどを製造工程を聞きながら見物。それにしても、途中の工程までは米を原料とした日本酒と同じなのだが、ここから醸造酒に向かわず蒸留酒に向かったのはどういういきさつなんだろうか。元々芋や麦などで焼酎をつくっていたということがあって、「ならば米でも」ということになったのか、九州の人の口には醸造酒が合わないのか、いくらでも考える余地はある。

Dscn9650 さて酒関係の工場見学の後といえば・・・試飲。「繊月」のスタンダード版のほか、少し甘くしたバージョン、樫の樽で長く寝かせて香りをつけたもの・・・まだ午前10時前であるが、おちょこサイズのコップに氷を一かけら入れ、ロックで味わう。普段焼酎はチューハイくらいしか口をつけないのだが、こういう場面になるとロックでもいけてしまうのが旅の面白さ。ただつい居続けをするのも申し訳ないので、土産に小瓶のセットを購入。うん、休日でも工場を開けておれば、こうやって観光客が商品を買って帰る。繊月酒造もなかなか商売上手である。

Dscn9654 人吉城跡へ。鎌倉時代から続く名家・相良氏の居城である。現在は石垣に櫓が残る程度であるが、かつての家老・相良清兵衛の屋敷跡に「人吉城歴史館」が新しく建てられている。こちらで、映像や史料によって相良氏と人吉の歴史を学ぶことができる。

Dscn9656 この清兵衛というのは戦国から関が原の功により家名を守ったとされる人物なのだが、そのために次第に権勢を振るうようになり、それを良しとしない家臣たちが幕府に訴えるという事態になった。清兵衛は召喚され東北に追放となったが、その一族が反乱を起こし結局鎮圧され滅ぼされるという「お下の乱」という事件が起こった。現在歴史館のある場所の地下には大井戸があり、「なぜこのようなものを地下に掘ったのか?」というのが人吉の歴史上の謎とされており、現在でもその究明が待たれるとのことである。

Dscn9657 その清兵衛屋敷から石垣の残る人吉城に登城する。球磨川の流れを守りとし、丘の上に建造された城。石垣に緑がよく映えている。

Dscn9659Dscn9663 また石段を上ると、人吉の町並みが一望できる。こういう、小ぢんまりとした感じの城下町というのが実に落ち着いた、日本の町らしい町という様相があり、私の旅行の中で結構好きな眺めである。「人吉」という音が「人良し」という風に聞こえるのと合わさって実に風情を感じ、しばしゆったりとする。

Dscn9673 さてテクテクと歩き、人吉駅に戻る。人吉駅は鉄道遺産の多く残る肥薩線の中心的な駅であり、駅の構内にも石造りの機関庫や転車台も残されている。線路端から結構近くに見ることができる。

この日は人吉発12時26分の八代行きで下ることにしている。そのつもりで駅に向かったのであるが、駅の放送で「12時13分、SL人吉号が到着します・・・」とあった。肥薩線にSLが走るというのはパンフレットか何かで見たのだが、まさかこの時間とは。別に乗るわけではないが、SLというのは見るのが面白い乗り物である。私は周遊きっぷの経路上なので普通にホームに出るが、SLだけ見物したいということで入場券を買い求める観光客らしい人の姿も見える。

Dscn9680 12時13分、煙をたなびかせ、軽く警笛を鳴らして入線してきたSL人吉号。やはり「黒がね」という言葉が似合う。その姿をカメラに収めることに。

Dscn9683Dscn9689Dscn9685 やはり、いいもんですな・・・・。いつかは乗ってみたい??

しばらく撮影タイムとなったが、私の乗る列車がやってきた。こちらはキハ40の単行。まあ、ローカル線の味わいを楽しむならこうした普通の列車のほうがいいかな・・・・。(もう少し続く)

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風情の残る城下町人吉にて・夜編

2010年05月19日 | 旅行記H・九州

5月4日、この夜の宿泊は熊本南部の城下町・人吉である。

Dscn9614肥後の山々に囲まれ、球磨川の豊かな流れが町を貫く城下町である。これまで肥薩線の旅行で訪れたことはあっても、宿泊するのは初めて。時刻はまだ16時を過ぎたところであるが早くも駅から徒歩2分のホテル朝陽閣にチェックイン。この日は実にゆったりした行程である。

Dscn9613 このホテル、温泉ビジネス旅館とでもいうべきホテルである。建物自体は新しい感じなのだが、ネットで検索しているとシングルルームと同じ料金で8畳の和室というプランがあった。一人旅で8畳間に泊まるなんぞとても贅沢である。荷物を置き、まずはどっかりと畳の上で大の字になる。

人吉は温泉で有名なところ。朝陽閣も全部屋アウトバスの代わりに温泉大浴場にいつでも入れるということで、早速浴槽に足を伸ばす。実に気持ちがいい。

Dscn9616 少し休んだ後、まだ日が高い街並みを歩く。まず向かったのはホテルからすぐのところにある青井阿蘇神社。以前に訪れた時は駅の近くの神社というくらいの認識でしかなかったのだが、2年前に本殿や楼門などが国宝に指定されたという。9世紀はじめに創建されたという伝統のほかに、建物の意匠のあれこれが球磨川をはじめとする南九州一帯に影響を認められるということで国宝としての価値が認められたという。境内にはそのことを記した看板なども目に付く。参詣した限りでは、国宝といっても大仰な感じがせず、地元にとけこんだ神社が国宝というのに少しギャップすら感じる。それでも人吉の人たちにとっては光栄なことなのだろう。

Dscn9617 それよりも不思議に思ったのが、境内で姿を見るニワトリたち。人が近づいても驚く様子もなく、中には愛の交歓をやっているニワトリなんてのも見る。放し飼いというのかな。何でまた、こういうニワトリの姿を見るのだろうか・・・?

Dscn9620 さて、人吉の夜というのも初めてで、球磨川の流れを見つつ、繁華街とされるところまで歩く。途中では由緒ある建物の公衆浴場に出会う。人吉というところは町の至るところに温泉の銭湯が目立つ。その周りに一杯飲み屋とかスナックとか並ぶ一角があるが、何だか昭和の古き良き時代の町並みの様子を見る。全国チェーンの居酒屋もあるのだが、ここではそれはごくごく小さな存在でしかない。

Dscn9631 結局駅前まで一回りした格好だが、駅に程近い郷土料理の店「四季」に入る。旅行者でも地元の人でもすんなり入れそうな佇まい。

Dscn9623 この店は盆地人吉にあって「鮮魚」が売り物のようであるが(まあ、山間にあって新鮮な魚が食べられる店というのは、地元の人から見ればいい存在だと思う)、熊本の郷土料理となれば「馬刺」がまず思い浮かぶ。この店でも結構値が張るが新鮮な馬刺を用意しており、さっそくそちらをいただく。適度な脂身もある一方でよく締まっており歯ごたえのある赤身。

Dscn9626 そして酒となれば何かなということだが、店の方によれば「人吉は米です」という。米といっても清酒ではなくもちろん米焼酎である。人吉を初めとした球磨地方は米焼酎の蔵元がいくらもあり、一番人気の飲み物である。徳利の中になみなみと入った焼酎を水割りでやり、馬刺の味わいと共に楽しむ。

他にもいくつか注文したが、メニューを見て気になったのが「五木 豆腐の味噌漬」というもの。五木といえば「五木の子守唄」でも知られる熊本の山間である。豆腐の味噌漬といえば豆腐に味噌を塗った田楽のようなものが出てくるのか。何だかヘルシーな感じがするので注文。

Dscn9627 さて出てきた豆腐の味噌漬。見たところ味噌まみれになっている様子はない。そして一口つまむと、これがまあ、チーズのような味わいである。味噌の風味があるといえばあるし、味噌の味などしないといえばしないという独特の味わい。

何でも漬け込む味噌によって味が変わるとのことであるが、この豆腐の味噌漬というのは、水切りした豆腐を布に包んで味噌に1週間から長いもので半年漬け込んだもの。その出来具合は酒のようであったりチーズのようであったり、ともかく発酵食品の味わいがするというものである。何でも平家の落ち武者が考案した食べ物であるという説もあるくらい。

いやこれは飽きない味だなということで、焼酎を相手にちびちびとやるのがお似合い。馬刺は有名だが、この豆腐の味噌漬も隠れた名物といってもいいかな。熊本観光大使のスザンヌにもPRしてほしいところ。

Dscn9634 さて結構いい心持となり、再び人吉の繁華街のある紺屋町あたりに出る。ほのかなネオンがともり、店の中からは結構歓声が聞こえる。地元の人たちにとっては昔から変わらない、安心してやってくることのできる飲み屋街である。本当の旅人ならこういうところに飛び込んで地元の人たちとの交流に励むところなんだろうが・・・。

そんな中を歩くうち、すれ違ったカップルに声をかけられる。

「あのー、この辺でおいしいラーメン屋さん知りませんか・・・?私たち北九州から来たんですけど」

Dscn9632 うーん、私を地元の人と見たのかどうか。でも声をかける相手がまずかったかな。「私も旅行者なんだけど・・・」と断った上で、先ほどそぞろ歩いた中にラーメン屋なら2軒見つけたのでそちらを知らせる。果たしてこのナビは正解だったか・・・?

ホテルに戻る。和室の部屋に戻るといつしか布団が延べられていた。いやいやこれは恐縮。温泉旅館ですなあということで再び温泉に入浴し、あとは布団の上に胡坐を書いて、テレビを観ながらブログでの旅行記作成(つまり、5月1日の行動の記事)に励む。

テレビでは音楽番組をやっていた。ちょうど流れたのは斉藤和義「ずっと好きだった」。

「ずっと好きだったんだぜ 相変わらず綺麗だな ホント好きだったんだぜ ついに言い出せなかったけど・・・」

ふと頭に、ある女性の姿がパッと浮かび、そして少しずつ消えていった。

どこか昭和を思わせる城下町の夜、どこか昭和の風味のする歌詞でつづられたナンバー。少し遠くを見やるまなざしになる。

派手なネオンなどない静かな町であるが、少しタイムスリップする旅の雰囲気を味わえる町として、人吉の夜もまた印象深いものとして更けていくのであった・・・。(もう少し続く)

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肥薩線「しんぺい」での矢岳越え

2010年05月18日 | 旅行記H・九州

Dscn9535 5月4日の昼、隼人13時01分発の肥薩線・吉都線回りの都城行きに乗車。

Dscn9539 肥薩線は超人気ローカル線とあって混雑が予想されたが、意外にも2両編成の気動車はガラガラ。ボックス席を占領する。

Dscn9542 この日も暑いくらいだし、客も少ないとあって窓を開ける。隼人を出発して山間に高度を上げる中、涼しい風が吹き込んでくる。肥薩線の人気列車といえば特急「はやとの風」ということになるが、特急に乗らずともこうやって周りを気にすることなく窓を開けられる鈍行列車のほうが本物の「はやとの風」を感じられ、面白いと思う。

私の斜め後ろのボックスには、いかにも普段は鉄道には乗らんぞ、クルマで出かけるぞといった感じのカップルが陣取っている。こちらも窓を開けて「気持ちいいじゃん」てな感じで車窓に見入っている。持参の音楽プレイヤーの音量を最大にして汽車旅のBGMとしている。これを普通の電車でやられたら迷惑千万ですぐにどやしつけられるところだが、乗客も少なく、乗っているのも私のような閑人が多いとなればそれも目くじらを立てるほどでもないかなと思う。汽車旅をドライブ感覚で楽しんでいるようである。

これは20年も前のことになるが、中国地方の木次線に初めて乗った時のこと。地元の中学生か高校生かが、ガラガラなのをいいことに車内でラジコンカーを走らせたのに遭遇したことがある。ボックスシートの脚を障害に見立てて車内を爆走させるというもので、何とまあローカル線なことよと驚いたものである。

Dscn9547 2日前に通った嘉例川や大隅横川といった木造駅舎にも停車する。この日も駅舎の見物客がいるようで、私の乗った列車をバックに写真撮影する人もいる。ただ乗客はない。おそらく、この後にやってくる「はやとの風」に乗車しようというのであろう。

Dscn9270 14時02分、吉松着。ここで下車し、外に出る。2日前はゆっくり見ることができなかったが、駅前に展示されているSLやら、往年の石造りの倉庫を利用した資料館などを見物する。吉松というところがかつての鹿児島線のジャンクションで、隼人経由で鹿児島に向かう人、吉都線経由で宮崎に向かう人が落ち合うところで賑わったという。

Dscn9554 そして、当時の活気を今に伝えるかのような賑わいを見せるのが、観光特急「はやとの風」、そしてこれから乗車する「しんぺい」(対になるのは「いさぶろう」)である。人吉からやってきた「いさぶろう」が折り返して「しんぺい」となり、そこへ「はやとの風」が到着した。この両列車を乗り継ごうという客でホームはあふれ返る。こういうのが往年の活気の再現なのだろう。

Dscn9553 さて、吉松から人吉に向かう区間は「矢岳越え」として、日本三大車窓とも言われる風景を見せてくれる。また往年の木造駅舎やスイッチバック、ループ線と、肥薩線全体が鉄道遺産の宝庫と呼ばれる中にあってその魅力がギュッと詰まった区間である。

現在は1日5往復の列車が走るに過ぎないが、その内昼間の2往復がこの観光列車である。そういえば昔に乗車した時は、キハ31という転換シートを備えた車両の中央部が畳の座敷風となっており座布団も敷かれており、この上に胡坐をかいて通った記憶がある。

Dscn9552 さてこの「しんぺい」、元々はキハ47型なのであるが、シートや内装も木目を基調としたレトロ風に仕上げている。あ、でもこうやって写真で見るとチェーン居酒屋のテーブル席の雰囲気にも似ているなあ・・・・。そして車両中央の座席は指定席。混雑を見越して指定席を確保したのだが、実際に乗ってみるとあまり居心地がよい席ではなかった。ということでそこは放棄し、車両中央のカウンターになったところ(フリースペース扱い)に陣取る。

Dscn9556 窓に沿ってテーブルが並び、車窓ガイドのパンフレットを置いて外と見比べるのも面白い。

Dscn9557 さて立ち客も多く出て出発。少しずつ高度を上げる。車内のアテンダントによる車窓案内を聞きながら、あえてゆっくりと走るその乗り心地を味わう。

Dscn9559 いくつものトンネルを抜けて到着したのが真幸駅。ここで5分停車するということでどっと多くの客が降りる。

Dscn9561 大体の行動パターンは同じようなもの。駅舎や駅名標、列車の写真を撮り、ホーム上にある「幸福の鐘」をつく・・・・。

Dscn9564 この日は地元の人たちが列車の到着に合わせておにぎりやら地元の山菜、工芸品などの店を広げており、乗客の中にはそれを買い求める人も。なかなかに慌しい時間であるが、これも観光列車の面白さである。

Dscn9571 5分の停車時間はあっという間に過ぎ、ここで進行方向を逆にして発車。そしてスイッチバックである。もう一度進行方向を逆にして高度を上げる。進行方向右手に先ほど降り立った真幸駅が見え、地元の人たちが大きく手を振って「しんぺい」を見送る。

Dscn9578 この先の矢岳までの間に「日本三大車窓」の一つ、矢岳越えの車窓が見える。えびの、霧島の山々が車窓一杯に広がる。よほど条件がよければ桜島も見えるというこの車窓。

Dscn9580 列車はしばらく停車して、記念写真タイムを設ける。2枚窓の上のほうが開くつくりになっており、ここで「窓開けOK」の許可が出たので一斉に窓が開く。

うーん、このパノラマは人吉側から来たほうがよりインパクトを感じるかな・・・?

Dscn9583 この区間はじっくりと走り、矢岳着。ここでも5分停車。駅横の車庫にかつてのSLが保存展示されているというので、そちらに走る客が多い。ただ私はSLよりもこの矢岳の駅舎、昔ながらの駅名標のほうに魅かれ、そちらの写真ばかり撮る。

Dscn9585 木造駅舎であり「秘境駅」の一つにも数えられる矢岳。やはりこうやって見ると歴史の重みというのを感じてうなるばかりである。

Dscn9597 矢岳を出発。次の大畑はループ線の途中にスイッチバックがあるという、全国でもここだけという珍しい駅。それが鉄道ファンの心をくすぐる。矢岳から来た場合、大畑駅を見下ろすポイントに出る。ここでもしばらく停車。それも、3両編成のどの車両からでも少し撮影タイムを設けようということで、一時停車の後、車両1両分だけ前に出してまた停車するということを繰り返す。これも観光列車として芸が細かい。あそこまでループ線で一気に下っていくのである・・・。

Dscn9600 大畑到着。ここでも4分ほど停車するので外に出る。ここは上記のような特徴を持つことで古くから多くの旅行客に注目されているところ。

Dscn9601_2 ここでは待合室の壁や窓に「名刺」を貼り付けるのが「流儀」とか。ちょうど名刺を持っており、早速1枚貼り付ける。さて、この駅のどこに私の名刺があるか、また大畑駅を訪れる方がいらっしゃれば、ぜひ見つけていただきたいですな・・・。

Dscn9612 これで矢岳越えも無事終了し、人吉の町へと下っていく。うーん、今回は観光列車を利用したことで図らずも途中の駅全てに降り立つことができた。これはこれで肥薩線の旅を満喫するのに大きなプラスであったが、次に乗車する時はあえて朝の便を選び、観光客のいない「素の顔」を見せる駅を見てみたいなと思う。ただどうだろう、これは今の状況にあってはより贅沢な旅ということになるのだろうか。

そろそろ夕陽が迫る人吉に到着。この日はこの城下町で1泊ということになる・・・。(続く)

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鹿児島・維新ふるさと館

2010年05月17日 | 旅行記H・九州

まだ半月前のことをウダウダと綴っています・・・。

さて5月4日、鹿児島市内に滞在中。この日の朝はホテル内の天然温泉で朝風呂を使う。朝食もホテル内のレストランで済ませ、私の旅行としては結構ゆったりしたモードである。

この日の午前中は鹿児島中央駅近くで過ごすことにしている。2泊したホテルをチェックアウトし、大きな荷物を宅配便で出した後にやってきたのはナポリ通り。イタリアのナポリがベスビオ火山、鹿児島が桜島とそれぞれ火山を前にした港町ということで姉妹都市の関係があり、そのためについた名前という。ナポリ通りにナポリタンを出す店があってもいいかなと思うが、どうだろうか。

Dscn9503 やってきたのは「維新ふるさと館」。薩摩といえば明治維新の中心的な役割を果たした藩である。その幕末から明治にかけての激動の時代に焦点を当て、薩摩の英雄たちのことを紹介しようというところである。

とはいうものの史料ばかりを集めた堅苦しい雰囲気ではなく、ビジュアル面やハイテクを駆使した展示がされているという。鹿児島の博物館といえば鶴丸城内にある黎明館があり、以前に鹿児島を訪れた際に入館したこともあり結構充実しているなという感があったが、現在観光客向けに大きくPRしているのはこちら「維新ふるさと館」のようである。

Dscn9526 中に入る。1階では明治維新を成功させた薩摩藩の動きについて紹介されている。2年前だったかの大河ドラマで注目された篤姫に関するコーナーや(主演の宮崎あおいさんが撮影で着た衣装も展示されていた)、西郷隆盛と大久保利通の徹底比較などがある。

Dscn9510 西郷と大久保・・・同じ町内の生まれで志を同じくして維新に力を尽くしたが、その後の政策面での対立もあり最後は西南戦争で激突、西郷はここで自刃する。そして大久保もその翌年に東京で暗殺される。それぞれに激動の人生を歩んだわけだが、歴史上の人物の人気の面から両者を見るとダントツで西郷のほうが圧倒的人気もあり、ものの本によれば地元・鹿児島ですら大久保に対する評価は冷たいもので、いや鹿児島だからこそ「あいつはダメだ」というボロクソの悪評になったのだろう。最近までその差というのは露骨なまでのものがあったという。

Dscn9528 ところがここに来て、政治家として日本を近代国家に導こうとして取り組んだ大久保の業績も少しずつ評価されているという。この「維新ふるさと館」でも二人をほぼ同列に扱い、比較することで西郷の人間性を称える一方で、実務家としての大久保の評価もしようという姿勢が見えた。このような正反対の二人だったから薩摩が強い力を発揮して維新の大きな原動力になったともいえるだろう。また二人もそのような持ち分をよくわかって認め合っていたからこそ力が出せたのだろう。

Dscn9506 「維新ふるさと館」ではこんな二人も生まれ育った「郷中教育」にも焦点を置いている。子どもの頃から先輩が後輩に武士の心構えを教え導くという薩摩の伝統で、そこで教え継がれた武士道が維新の原動力の一つになったというものである。コーナーでは自分が郷士の一人になって藩校で学んだり同世代の(将来の)英雄たちと出会いながら、シュミレーション方式で郷中教育の様子を学べるゲームがあった。時間も限られているので少し触っただけだが、展示コーナーだけではなく、実際のパソコンソフトなどで売られていれば購入してプレーしてもいいかなと思わせるほど。

Dscn9518 さて地階に下りる。ここでは「維新への道」ということで、維新の前後での薩摩藩、そして志士たちの生き様を映像と人形で20分ほどのストーリーで上映される。西郷、大久保のほかに村田新八、坂本龍馬、勝海舟の人形が場面場面で登場し、演出効果を引き出す。この手の上映、その時はムードと演出にうならされるのだが、終わってしばらくすると「あれは結構難しかったかな」と思わせることが多い。

Dscn9523 このシアターの外では人形やスライドなどで維新前後の紹介がされており、解説の音声と目の前の人形などでコンパクトにまとめられているために結構わかりやすい。子どもや若いカップルもこういう演出には結構引かれるもので、史料ばかりが並ぶ博物館より親しみやすく学べるのではないかと思う。

Dscn9504 2時間あまりをここで過ごした。「維新ふるさと館」のある辺り、加治屋町あたりは薩摩藩時代は下級武士の家のあるエリアだった。実際に当時の家屋を復元したものもある。

Dscn9529 そしてこの辺りは西郷隆盛・従道兄弟を初めとして明治時代に政治・軍事の面で活躍した人たちの生家跡が多いところ。それだけ、明治維新、近代国家への足がかりは下級武士がつくったということが余計にわかる。

Dscn9534 さて、2日の夜から過ごした鹿児島ともそろそろお別れとなる。鹿児島中央駅で早めの昼食を取った後、都城行きの普通列車で鹿児島の街を後にする。また錦江湾沿いに走るが、この日も黄砂の影響か、桜島は本当に薄く薄くしか車窓に映らない。ちょっと残念な気もしたが気持ちを落ち着けて隼人着。

これから、またまた肥薩線に乗ることにする・・・・。(まだ続く)

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鹿児島で「餃子の王将」を食らう

2010年05月15日 | 旅行記H・九州

この旅行の初日、5月1日の夜のこと。この日は鹿児島出身の会社の先輩社員・K氏と小倉で会い、食事をしに下関まで渡った時のことである。

K氏:「鹿児島に行ったら"餃子の王将"に行ってみたら?」

まつなる:「王将ってどこにでもあるでしょ。何でまた」

K氏:「いやいや、これが鹿児島だけ違うのよ。オレも学生の頃はしょっちゅう通ってたけど、本社(東京)に行って初めて『違う』って知ったんよ」

聞くところでは、私などが知っている「王将」と言えば、全国展開している京都を本拠とする「餃子の王将」と、大阪城の天守閣のマークを使った「大阪王将」の2つである。それが、「鹿児島県限定」で「餃子の王将」が展開されているというのである。京都王将の支店ではなく、あくまで一つの独立した「鹿児島王将」というフランチャイズとして。

「鹿児島王将」が独立した存在となったいきさつは、鹿児島出身の財界の大物・京セラの稲盛和夫氏の存在があったという。稲盛氏の弟・実氏の義姉の弟が「餃子の王将」に勤務していたのだが、独立を希望していた。それを聞いた和夫氏が「餃子の王将」にかけ合い、鹿児島県内限定ということで独立出店を許されたといういきさつがある。

このたびJALのCEOにも就任した稲盛和夫氏。彼の業績というのがこんな意外なところに出ているというのが面白い。鹿児島と京都という土地のキーワードで括られるというのも幕末の「薩摩藩と都」の関係のように見えるし、「鹿児島だけ独立」というのも、何だか一時の「中央政権の支配が及ばない薩摩の国」と想像させるようで、うならせるものがある。ここは「チェースト!」と叫んでおこう。

Dscn9458 さて、鹿児島に2泊するのだから、1泊目(前日2日)はまあ鹿児島の名物を味わうとして、2泊目は「鹿児島の庶民の味」をやるのも悪くないだろう。天文館にある「中町店」の場所をK氏から教わってたどり着く。天文館通と、電車通りから照国神社に向かう道の間の脇道にある。この「メイン通りから一本中に入る」というのが庶民の店としていいかな。

Dscn9459 それにしても看板を見るに、見慣れた「餃子の王将」そのものである。ただその横に「鹿児島王将」と書かれているのが「別な存在でごわす」とアピールしているかのようである。

Dscn9460 中に入る。大衆中華らしいメニューがずらりと並ぶ。そしてこれも京都王将との違いなのだろうか、定食もの、セットメニューというのがなく、全て単品である。テーブルには伝票が置かれており、客はこれに記入して店員に渡すというシステム(追加注文などは「○○ください」と口頭で言っても店員が伝票にチェックしてくれるようだ)。

Dscn9463 餃子の王将に来たのだからと、餃子を注文。6個で200円。こんがりとした焼き上がりで、具もしっかり詰まっていていける。京都王将のそれより餃子がやや長いかなという感じである。たれ、酢を合わせていただく。

Dscn9461 この他には、人気・定番メニューでK氏もオススメだった天津飯に唐揚をいただく。天津飯は普段注文しないメニューであるが、酸っぱい中に甘味もあるあんかけが天津飯の風味を出してくれる。

Dscn9462 また唐揚も薄い色合いでカラッと揚げられており食べやすい。結構いけますな。昔ながらの素朴な(日本風)「中華料理」というのを堪能させてくれる。ただ残念なのは、それぞれボリュームがあって、一人旅の身には一度に味わえる品数に限度があるということで・・・。ただ来年には九州新幹線も全通することから、「京都王将、大阪王将、そして鹿児島王将を食べ比べる」という旅行もありかな・・・なんて考えてしまう。鹿児島王将、九州のグルメ旅の一つに入れていいんじゃないですか。情報をいただいたK氏に感謝。

Dscn9466 さて、南国の夕暮れは遅く(また、王将は居酒屋ではないのだからそう長居することもなく)、外に出てもまだ明るい。ここに来たのだからと、照国神社に参拝する。薩摩藩主の島津斉彬を祭ったという神社。武運長久(現在であればビジネスなどでの「見えない敵」に打ち勝つことかな)を祈念する。

Dscn9469 そして向かったのは西郷隆盛の銅像。やはりここは人気スポットで、記念撮影する人が多い。上野公園の西郷隆盛像とよく比べられるが、私個人としては着流しで犬を連れた西郷像のほうが、彼のおおらかとされる人物像をよく表現していて好きなところである。

Dscn9472  鹿児島といえばシンボルは桜島。西郷像の横道を入ったところで火山灰の収集ポイントを見つけた。普通に家庭ごみを集めるように、灰の収集ポイントが市内のいたるところにあるようだ。ビニール袋の中に黒い物体が詰められて置かれている。こうやって集めた灰というのはこの後どのように処理されるのか気になる。

さてここからは自然歩道を歩く。20分ほどで城山の展望台に到着。暮れ行く鹿児島の市街地を一望できる。ポツポツと灯りがともり、徐々に夜景らしいムードが広がってきた。しばし、ここで街並みを眺める。

Dscn9474 桜島の方角は霞んでいて稜線が辛うじて見えるくらい。展望台にいた地元の人の話では、今日は黄砂がひどく、そのために桜島もほとんど見えなかったとのこと。普段関西にいると黄砂というのは年に数回あるかないかといったところだが、さすが大陸に近い鹿児島、黄砂というのは頻繁にあるということである。黄砂、そして火山灰、鹿児島の市街というのも環境として結構きついようだ。

Dscn9489Dscn9491Dscn9497それでも夜景というのはいいもので、しばしそこにたたずむ。

Dscn9502さて帰りであるが、上りで通ってきた自然歩道は照明がなく真っ暗で、これを歩いて下りるのはさすがにためらわれる。ということで、ちょうど団体客が引き上げるのと一緒に駐車場のほうに向かったのだが、この団体というのがどこかのツアー客というのではなく、鹿児島の市内バスで夜のコースというのがあり、そこでの一時停車で展望台にやってきた人たちであった。バスも普通の運賃で乗車できるということで、それに乗車して鹿児島中央駅まで戻る。途中、西郷洞窟やら鶴丸城やら維新の志士たちの生家の近くやら、ガイドさんの案内を聞くことができる。

なかなかに面白い鹿児島の夜となった・・・。(続く)

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鹿児島交通南薩線の足跡を行く

2010年05月14日 | 旅行記H・九州

宮脇俊三の初期の作品の一つに、『時刻表おくのほそ道』というのがある。文藝春秋の編集者と一緒に、地方の中小私鉄を訪れた紀行文をまとめたものである。国鉄だけではなく、「時刻表のおしまいのほうで」ひっそりと載っており、一日に数本の列車がトコトコ走る中小私鉄。この一冊に収められた路線の多くが今は廃線となっており、昭和50年代当時の風情というのはこのような紀行文でたどってみて初めてわかるというくらいのもの。

さて、5月3日の午後、枕崎から伊集院まで向かうバスに乗った私。実はこの区間というのはかつて1984年までは鹿児島交通の「南薩線」というので結ばれており、先端部が丸まった独特の形状をした気動車が走っていた。先の『時刻表おくのほそ道』には、1981年頃か、東京から寝台特急「はやぶさ」でやってきた宮脇俊三が伊集院から枕崎までたどった時の紀行文が収録されている。

バスは国道270号線を北上する。結構山の中をラジオの音とともに快走する。途中、津貫、内山田など、かつての南薩線の駅にもあった集落を過ぎる。

枕崎を出ておよそ50分、薩摩半島西部の中心的な町である加世田に到着。広々とした敷地、車庫を持つバスターミナルに到着する。

Dscn9433Dscn9431 そのロータリーにはえらくさびついたSLにディーゼル機関車が安置されている。ここが、南薩線の中心駅・加世田駅のあった場所なのだろう。ふとここで、一度下車する。

Dscn9434 安置された機関車が、かつてこの地を鉄道が走っていたことを物語ってくれる。そして、それを裏付けるかのように、バスの待合室の後ろにある石造りの建物が見える。ここが「南薩鉄道記念館」という建物。一応入館料は設定されているが、窓口に誰もいないのでそのまま中に入る。

Dscn9437 そこは往年の鉄道風情が収められている。駅名票、乗車券、その他備品などが飾られている。またDVDで往年の走行シーンを見ることもできる。

Dscn9439Dscn9440現在の水準から見れば決して快適とはいえないのだろうが、そこでは確かに、薩摩半島を代表する私鉄として地元の人たちの足となって活躍していた車両たちの走りを見ることができる。南の果ての小さな鉄道である。

Dscn9441 それにしても、DVDでの走行シーンや、記念館に展示されているパネル写真などを見るに、往年の鉄道風情がよく伝わってくる。できればもう10年か20年前に産まれて、当時の走りをナマで見たかったなと思わせる。

さて、加世田からは1本後のバスに乗車する。今度は典型的な路線バスタイプの車両で、車内にラジオはかかっていなかった。

時折、沿道にきちんと舗装整備されたサイクリングロードを見かける。実はこれが旧南薩線の線路跡という。現在はサイクリング、ウォーキングのルートとして客を呼んでいる。

Dscn9444 またこのサイクリングロードを中心にところどころ路盤の跡が見え、かつての路線の歴史が残されていることにうなるばかりである。結果的には旧南薩線の跡をたどるような形(完全ではないが)で薩摩半島の西半分を北上した。できるなれば、吹上浜のような有名な白砂の浜辺なども見たかったのだが・・・。

Dscn9447 西日本を代表する猛将・島津義弘の銅像が立つ伊集院から鹿児島中央行きに乗車する。

Dscn9450 車両は肥薩おれんじ鉄道から乗り入れてきたもの。実は「周遊きっぷ」の「鹿児島ゾーン」は、鹿児島中央から川内までの区間はフリーエリアに含まれておらず、結局別払いで乗ることに・・・。

17時を回り、鹿児島中央駅に到着。これで5月3日は、薩摩半島の鉄道プラス旧私鉄を継承した路線バスなどを乗り継いだ「半島一周」の行程となった。

さてこの日も鹿児島泊。前日に続いて鹿児島の名物の味を楽しむことにする・・・・。(続く)

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日本最南端の列車に乗る

2010年05月13日 | 旅行記H・九州

Dscn9391 指宿枕崎線の山川を11時43分に発車。2両編成の列車はボックス席一つに一人ほどの割合の乗車率である。もっともその半分くらいは旅行者や「その筋」とおぼしき乗客である。これから目指すのは日本最南端(沖縄は除く)の終着駅・枕崎である。逆の意味での「最果て」路線である。ちなみに枕崎まで行くのは1日6往復のみで、この列車の前は朝の6時に指宿を出る便というから、列車で行くこと自体が貴重なことである・・・。

周りにイモ畑が広がり、住宅が少し見えるという車窓。山川を出て10分ほどすると車内が何だか落ち着かない雰囲気になる。

11時54分、列車は西大山に到着。

Dscn9395 そう、ここは「日本最南端」の駅(くどいですが沖縄は除く)である。駅そのものはホーム1本きりであるが、ホームの先には日本最南端を示す標識が立ち、その正面には薩摩富士・開門岳がそびえるという、開放的な雰囲気の駅である。

Dscn9394 この駅を見るのは3回目。初めては18年前の指宿枕崎線の乗りつぶしの時。そして2度目はもう10年ほどになるか、薩摩・大隅半島を訪れた際にレンタカー利用で西大山駅に直接乗りつけたことがある。2度目の時は駅周辺を観察する余裕があったが、駅の周りは砂利に覆われた原っぱのようなところで、通学に使うのかホームの横に自転車が無造作に置かれていたのを憶えている。

Dscn9396 それがこの日来てみてどうだろうか。ホームには黒山の人だかり。全てが鉄道に興味があるというわけではなく、ドライブでやってきた観光客も多いことだろう。列車がやってきたというので一斉にカメラを向けて記念撮影を始める。えらい人気、駅が観光地となっている。

Dscn9399 JRのほうもその辺りを心得ているのか、列車行き違いがあるわけでもないのに2分停車というダイヤである(まあ、急いだところでどうなるものでもないし)。車内からも多くの客が一旦降りて「列車、最南端の標識、開門岳」の3点セットの構図での写真を撮る。

原っぱだった駅前はきれいに舗装され、ちゃんとレーンのある駐車場になっていた。確かに珍しさ、「日本最南端」という響きはよく観光客が訪れるところになるのは喜ばしいことなのだろうが、その分最果て路線の風情が少し薄れたような、何とかいう「秘境駅」の大家が見れば「こんなの秘境じゃな~い」とか言って暴れだすであろう雰囲気である。

Dscn9404 しばらくの撮影タイムを終え、またここから乗車してくる人も何人かいて出発。一時の賑わいを見せた西大山を発車すると、後は淡々と枕崎を目指す感じとなる。

快晴の中、イモや大根の植わった畑の中を行く。不思議なことに水田というのを一つも見ない。地質がそうさせるのだろうか。

それにしても、ローカル線らしくよく揺れる。左右に揺れるのはまだわかるが、上下の運動というのも結構きつい。路盤に雑草が生い茂っていたり、左右の雑木林の枝が窓ガラスをたたきつけたり(窓を開けていると結構恐い)結構ハードな路線である。こういう乗り心地も含めたローカル線というものを楽しんでほしいといいたげな感じ。

Dscn9419 山川から1時間、終点・枕崎に到着。かつては立派な駅舎があったのだが現在は取り壊され、再開発のために駅そのものも少しずれている。現在の枕崎駅は駅舎もなく、ホーム一本きりの小ぢんまりした姿。

Dscn9418 それでも日本最南端の終着駅を示すものは多く、ここも記念撮影のスポットには事欠かない。この列車で来た30~40名ほどの客の多くがカメラを構えて駅の風情を写す。

Dscn9422 さて、ここまで来た客の行動パターンは二つ。一つは、30分後の折り返し便で指宿方面に戻る客。そしてもう一つがもう一本後の列車(3時間後)で戻るとして、食事に出る客。今回の私の予定では後者のパターンで指宿経由鹿児島中央に戻るということになっている。せっかく枕崎に来たのだからと、まずは昼食を取ることに。

前日の夜に薩摩の名物をいろいろ味わったものだが、まだだったものがもう一つ。それは枕崎のカツオである。駅前にカツオ料理を食べさせるということで2軒見つけたが、1軒がかなり待つ感じで、結局駅に近い「一福」という料理屋で「座敷の相席でもよければ」ということですぐ案内してくれたのでそちらへ。

座敷では一人の男性が定食の来るのを待っていた。私が腰掛けると「どちらから来られました?」と声をかけられる。聞くところでは大阪からの一人旅とのことで、GWに九州を列車で回っているとのこと。「それにしてもさっきの列車はキツかったな・・・」と言い、「これから3時間もどこで時間つぶしたらええねん」とボヤく。そちらの定食が先に来たので食べ始める。

Dscn9420 私も注文した定食が、カツオのタタキ、はらんぼの天ぷら、酒盗、内臓の煮付けなどの乗った定食。

Dscn9421 そしてオプションで注文したのが、「ビンタ」と呼ばれるカツオの頭部の煮付けである。まさにカツオのオールスターキャスト。一匹のカツオをきちんといただきますよという感触である。これによく冷えた芋焼酎をキュッとやると、暑いくらいの日にカツオの身と合わさって身体に染み渡っていくのが感じられる。ビンタというのも結構身が詰まっており、これを片付けるのにも夢中になる。いつしか相席の男性も先に食事を済ませて行ってしまい、気がつけば1時間を経過していた。

Dscn9427 食後、歩いて15分くらいのところにある漁港に向かう。ここにお魚センターがあり、カツオを中心としたさまざまな海の幸が並ぶ。今回は鉄道の旅ということで大きなものは買えないが、酒盗のビンやら真空パックにされたカツオの加工食品やらを買い求める。

買い物をしているうちにそろそろ時間となり、急いで駅に向かう。え?もう3時間経ったのかと聞かれれば、それはまだ。しかし、先ほどの料理店で時刻表を広げて今後のスケジュールを見るに、「このまま同じ線路を通るより、バスで伊集院へ出て薩摩半島を一周したほうが変化があっていいのでは?」ということで、実は1時間前に出るバスに乗るようにプランを変更したのである。かつて鹿児島本線の伊集院と枕崎の間を結んでいた鹿児島交通の「南薩線」のルートに近いところである。

Dscn9429 14時35分、伊集院行きのバスは私を含め5人の乗客で出発。車内では冷房がきいており、先ほど歩いてきたばかりということでファンをこちらに向ける。いや涼しい。

車内ではAMラジオが流れている(九州の路線バスでこれまで何回かこのようなサービスに出会ったことがあるが、これは九州独特の習慣的なサービスなのだろうか)。ちょうど流れて来たのが、山下達郎の「高気圧ガール」・・・・。こりゃ正に夏の感じがするナンバー。

「2000マイル飛び越えて 僕に囁くのさ "Come With Me" 連れて行っておくれ 今すぐに 高気圧ガール・・・・」

(続く)

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指宿で砂に蒸される

2010年05月12日 | 旅行記H・九州

・・・・焼酎というのは飲みやすいが結構後に引くものと言える・・・。

5月2日夜、鹿児島は天文館で鹿児島の芋焼酎やら奄美の黒糖焼酎などを楽しみ、帰りのコンビニでは当たり前に並んでいる焼酎のワンカップに氷と水などを仕入れてホテルの部屋でやっていたこともあり・・・。

3日の朝、この日は鹿児島中央を6時20分に出る指宿枕崎線の列車で出発することを目論んでいたのだが、目覚めたのが6時。さすがにこれでは列車には間に合わない。目覚ましをかけていたのだけど・・・。

Dscn9365関西ではOAされない(関西でもOAしてほしい)テレ朝系「やじうまプラス」を見ながら支度を済ませ(この日は同じホテルに連泊なので日帰りモードの支度で)、出発。6時33分発の喜入行きに乗車する。

休日の朝の下りということで乗客は少ない。時折路面電車も並走する鹿児島近郊区間を気動車で走る。まったりした時間が過ぎる。

Dscn9368 この日の朝食は鹿児島中央駅のキオスクで購入した「肉巻きおむすび」。海苔の代わりに豚肉でごはんを巻いたおにぎりであるが、ボリューム感があっていける。レトルトのパックに入っており、温めたほうがおいしくいただけるようだが常温でも充分にいける。熱々でなく常温でも美味しくいただけるのが本当に美味しいおにぎりだと思うので。

途中から鹿児島湾沿いにでる。ものの本ではこの辺り、対岸に桜島を眺める車窓が美しいということでよく紹介されるのだが、この日は朝の光線の加減か、すぐ近くの海を見ることはできるのだが、対岸のほうはすっかり霞んでいて見えない。ちょっともったいないことをしたかなと思う。この日も晴天なのは間違いないのだから、帰りに光線が逆向きとなった時にまた乗ってみようか。

Dscn9370 喜入着。「喜び入る」ということでめでたい駅名である。ここで一度改札を出て駅前を少しぶらついた後、次の山川行きに乗車。普段は通学で使うのであろう、気動車の4両編成という豪華なもの。この日も部活の試合で来たとおぼしき高校生たちで結構乗車があった。

Dscn9376 指宿着。ここで下車する。ここで下車する目的といえばもちろん指宿名物の砂蒸し風呂である。こちらに入るのも久しぶりのことである。時刻は8時過ぎ、砂蒸し風呂の会館は1.5キロほど離れており、8時半の営業開始にはちょうどいい時間である。今朝列車を乗り過ごしたと書いたが、ここまで来れば少しの遅れも解消されたというものだ。

Dscn9377 ・・・・というわけで指宿駅から歩いて砂蒸し風呂の「砂楽」にやってきたのだが、何と8時半の営業開始を前にして、会館の入口から始まって階段を下りてさらにその先の道路沿いに亘っての大行列・・・・。前の道には駐車場への入場を待つクルマの列が数百メートルも続く。

うーん、GWのこととてある程度の混雑は覚悟していたが、朝一番からこの行列とはね。8時半になって営業開始となり、行列も少しずつ前に進むがなかなか館内にたどり着けない。さてこんな時に周りを見回すが、今朝の指宿枕崎線で指宿までやってきた客というのはほとんどいないのではないかと思う。おそらく前日に指宿に宿泊して、朝風呂代わりにやってきたが、クルマ利用ということで早い時間から動けた人たちか。鉄道旅行が好きな者としては少し残念な気もするかな。

Dscn9378 いろいろ考えごとをしたり、携帯電話をいじったりするがなかなか進まず、ようやく入口にたどり着いた時には行列から1時間を経過していた。それほどまでに人気なんやな、砂蒸し風呂。入口に「名誉館長」ということで、プロ野球元国鉄・巨人の金田正一氏の写真パネルが掲示されているが、カネやんがこの行列を見たらどう思うことやら(というか、なぜに故にカネやんが指宿で名誉館長になっているんだ・・・?ロッテ監督時代に何か関係あるのか?)。それにしても顔が若い。

9時半を回ったところで「ただいまから整理券をお渡しします」との案内。何でも、この先受付を済ませたとしてもロッカーは満杯、さらに砂蒸しにたどり着くまでにも行列が続くということで、せめて並ぶストレスを緩和しようということでの措置である。これで行列はさばけたが、その分、待合室には多くの入浴客が座る場所もままならない状態であふれかえる。その後で観光バスに揺られた団体客(よりによって何でこの混む時間にやってくるんや??)もやってきて、待合室はさながら食糧の配給を待つ難民キャンプのような様相である。

さて待つうち、ようやく私の持つ番号の順番になる。これで10時15分。結局、会館前で行列に加わってから1時間45分以上かかったことになる・・・・。

Dscn9379 砂蒸し風呂に入るにはまずロッカー室で下着まで全て取った上で、浴衣をまとう。そしてサンダルを履いて砂蒸しのところまで行くことになる。着替えたはいいがここでもまた行列である。浴衣をまとっているから当然砂蒸しの中では男女「混浴」ということになる。周りには浴衣姿の女性客の姿も結構見られるが、考えれば浴衣の下には何もつけていないんだよな・・・・。オホホ、そのせいかボディラインがくっきりして色っぽく見えて実にやらしい、もといよろしいですな・・・・。

・・・すんません、あまりの待ち時間にそんなことを思ったりしてしまいます。

Dscn9382 さて時計は10時30分、ここでようやく順番となり、砂蒸しのところに案内される。砂の上に横たわり、土木作業の方・・・もとい接客係の女性から砂をかけられる。それも順序があるようで、身体の外側からじわじわと埋められる感じ。無理やりに埋めるのではなく、かといってさらりと砂をかけるのでもなく、ほどよい重圧で身体を覆う。

聞こえるのは波の音。そして私の心臓の鼓動。砂に埋められてしばらくすると体内の脈が「ドック、ドック」と動くのを感じる。最初のうちは激しかったが、しばらくすると身体が慣れるのか、鼓動も少しずつ収まっていく。そしてジワッと温められる感触がする。

入浴の目安は10分というが、気持ちよくて2~3分オーバーしてようやく砂から脱出する。このまま砂をはたいて内風呂へ。それにしても、私の体格というのが実に「このまま出羽海部屋に行ってもおかしくないのでは?」というやつで、それに浴衣を着ようものなら「そろそろ夏場所やね」と言われるのではないかというくらい。それが内風呂を前に「ここで砂を落としてください」と言われて浴衣を取るというのは、正に大相撲の関取衆みたいなもの。そりゃいかんわいな・・・・。

内風呂でしっかり砂と汗を落とす。そうすると、先の砂と合わせて体全体の悪いところを吐き出したかのような感覚にもなる。いや~、実にさっぱりしました。

さて砂蒸しを後にして、順当な行程ではこの後指宿駅に歩いて戻り、山川行きの列車で山川に向かうところ。しかしタイミングが悪くてこのまま指宿駅まで向かえば間に合わなくなる恐れがあるため、ここは発想の逆転でタクシーで反対側の山川駅に向かう。こうすれば、列車で行くより時間短縮となる。反対側車線を埋めるクルマの行列はさらに伸びて、角を曲がった向こうまで続いている。この人たちはいつになれば駐車場にたどり着けるのだろうかと心配になる。もっとも、同乗者は先に降りて会館で整理券をもらっているだろうが、こういうところでも割を食うのは「お父さん」」である・・・・。

Dscn9389 東シナ海に面した漁港・山川。JR有人駅の中では最南端というのが駅のキャッチコピーであるという。駅前に海が広がっている。その中に多くのいかだが浮かぶ。指宿からのタクシーの運転手の話ではカンパチやハマチなどを養殖しているのだという。温暖な海というのが養殖には適しているとか。

Dscn9385Dscn9387 ここの窓口で、「JR日本最南端の駅」となる西大山駅の入場券やら、山川から西大山までの普通乗車券がセットになった記念乗車券を入手。さて、ここからがJR日本最南端の路線を走る指宿枕崎線の気動車の旅である・・・・。(続く)

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鹿児島の味を楽しむ

2010年05月11日 | 旅行記H・九州

GWの九州旅行記・2日目の続き。

肥薩線で木造駅舎を見物した後、隼人駅に到着。次の鹿児島中央行きの普通列車であるが、時刻表を見るに、目の前にやってきた逆方向の国分行きの列車が折り返してくることがわかったので、先ほど肥薩線からの列車に乗ってきた大勢の乗客を尻目に国分行きに乗車、楽勝でボックス席を確保して再び隼人まで戻る。このあたり、「周遊きっぷ」の自由乗車区間であるからできることかな。

Dscn9341この時季早くも冷房がかかる車内でのんびりと西へ走り、重富着。ここで列車行き違いで6分ほど停車するというので、一度外に出てみる。このあたり、鹿児島のベッドタウンといった趣ではある。

Dscn9342 実はこの重富、前日小倉から下関へご一緒した鹿児島出身のK氏の実家の最寄り駅である。前日の話ではこの日鹿児島に帰るようなことだったので、ひょっとしたらもう到着しているかも。ちなみに、駅の近くにK氏と同姓の理髪店の看板が見えたが、ひょっとしてご親戚だったりして・・・?

Dscn9354 さて日豊本線はこの重富を過ぎると錦江湾に沿って走るようになる。海の向こうには桜島の威容が見られ、「鹿児島に来たでごわす」と思わせる。海には何の魚だろうか、多くの養殖のいかだが見られ、穏やかな風景である。桜島がやや霞んで見えるのは噴煙のせいだろうか。

鹿児島中央着。まだ16時を回ったところだが、本土最南端の都市(沖縄を除く)に来たのである。ここで本日の行程は終了。駅から歩いて5分ほどのところにある「シルクイン鹿児島」に投宿。実は前回鹿児島に来たのがちょうど6年前、九州新幹線が新八代から鹿児島中央まで開業したその日以来。その時も宿泊したホテルだが、部屋はまあ普通のビジネスホテルであるが、料金も安いし、何よりも天然温泉がある(宿泊料のほかに入湯税150円を取られたが、それこそ温泉宿の証明)のがうれしい。ということで2日と3日と連泊することに。

前日は夜行列車泊ということで入浴しておらず、まずは温泉へ。浴槽になにやら緑色の長い草が浮かんでいる。草の匂いが漂う。最初は大きなネギでも入れているのかと思ったが、これは「菖蒲湯」とのこと。5月5日、端午の節句にちなんでのことである。まずは大風呂でリラックスし、汗を落とす。

Dscn9355 入浴後、鹿児島中央駅から市内電車に乗る。写真のような低床型の車両もあるが、こちらは満員で乗車できず。次にやってきたオーソドックスタイプの車両に乗り込む。軌道内は芝が植えられ、路面電車の走る街としてのアクセントを出してくれる。

Dscn9362 やってきたのは鹿児島の繁華街・天文館。今夜はここで鹿児島の味を楽しむことにする。

実は、前回にも訪れてさまざまな鹿児島の味を楽しんだ店があり、今回もまずそちらに向かったのだが、17時半頃にもかかわらず先客と予約客で満席という。まあGWということなら仕方ないだろう。

さてどこかないかと、歩きながら、また携帯サイトで検索しながら店を探す。できるなれば郷土料理を売り物にしているところ、かつ、特別に観光客向けでもなく地元の常連しか入れないというわけでもない店というのが私の旅先での店の探し方であるが・・・。

Dscn9361 その店は案外近くにあった。電車通りから少し脇に入った「居酒屋"ゆ" 5号店」。「ゆ」というのは温泉の「湯」で、温泉に来たようにリラックスできるようにとの思いから。1人のためすぐにカウンターに座れたが、結構地元客の予約も入っているようだし、レジカウンターには無線機が置かれ、グループ店(5号店というのだから、3号とか6号とかいうのもあるのだろう)同士で待ち客の案内やら、料理の出前なんぞも行っているようである。

Dscn9356Dscn9357薩摩の郷土料理をはじめおよそ考えられる居酒屋メニューが豊富に並ぶ店。ということで、薩摩地鶏のタタキ、キビナゴの刺身などをいただく。どちらも身が締まっておりかなりいける。

Dscn9360また、薩摩に来たからには黒豚かな、ということで、豚の角煮に豚足焼きを注文。

Dscn9359角煮は口に入れればトロッととろける味わいであるし、豚足も軟らかくなるまで仕込んでから焼いているために骨までかじることができる。これはいい。

Dscn9358さて酒のほうだが、鹿児島に来たからには焼酎を飲むことにしよう。カウンターには薩摩・大隅・奄美の焼酎の一升瓶がズラリとならび、どっからでもかかってこいとでも言いたげである。その中で目に付いたのが、「横川」という青いラベル。そう、この日木造駅舎を見るために途中下車した大隅横川駅のある横川町でつくられた芋焼酎である。あの懐かしい感じのする木造駅舎を思い出しながら、水割りのグラスをかたむける。

この後、「黒霧島」や奄美の黒糖焼酎「れんと」をいただき、普段本格焼酎はほとんど飲まない私であるがたくさん味わうことになった。やはり旅のムードがそうさせるのだろうか。

Dscn9363結構雰囲気のよかった「ゆ」を出て、帰りに「こむらさき」で野菜入りのラーメンを味わう。これで鹿児島の主要な味は押さえることができたようである。もう、お腹いっぱい・・・。

帰りは電車に乗らず、歩いてホテルまで戻る。再び大浴場で菖蒲湯を楽しむ。夜ともあって中年やら年配の客も入っていたが「なぜ菖蒲湯なんだ?」「そりゃあ、こどもの日にちなんでだよ」「何でこどもの日と菖蒲が関係あるんだよ・・・?」という会話が聞こえる。うーん、「菖蒲」と「勝負」「尚武」とをかけるとか、菖蒲の持つ香気が厄を払う効果があるとかで、こどもの成長を願うという意味合いがあるようだが、大人でもわからないことが結構あるものだ。

この日は結構寝不足で来たことだし、明日3日も朝から動くことになる。帰りにコンビニで求めた焼酎のワンカップを水割りでやった後、早々と眠ることに・・・・。(続く)

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肥薩線の木造駅舎をめぐる(嘉例川、大隅横川)

2010年05月09日 | 旅行記H・九州

Dscn92665月2日、肥薩線の吉松駅。都城から吉都線経由でやってきた列車はそのまま肥薩線に入り、隼人駅まで行く。

Dscn9267 しばらく停車するので一度改札を出て、肥薩線の記念切符を買い求めたり、駅前に展示されているSLを見に行ったりする。この吉松も古くはジャンクションとして賑わい、鉄道に従事する人たちも数多く住んでいたところである。このSLも当時の名残である。

Dscn9265 さて、肥薩線に乗車するのも久しぶりである。肥薩線といえば八代からの球磨川の眺め、人吉~吉松間の矢岳越えなどの車窓が名高く、かつて私が乗車した時も吉松から隼人までの間はのんびりとした山間のローカル線という印象でしかなくあっさりと通過しただけだったのだが、ここ最近はこの区間も含めて肥薩線全体が「人気ローカル線」となっている。

吉松から隼人までの区間が注目されているのは、明治時代の開業以来現在に至るまで現役の木造駅舎のある駅があること。この日は、というか、今回の旅のメインに据えたかったその駅舎・・・大隅横川と嘉例川を訪ねようと思う。

Dscn9274 12時ちょうどに吉松を出発。高原ムードの好天の下、コトコトと気動車が走る。2つ目が大隅横川である。反対側ホームに木造駅舎を見るが、ここはそのまま乗車して通過する。

12時34分、いよいよ嘉例川駅に到着。意識してこの駅に降り立つのはもちろん初めてである。さて、いよいよ明治以来の木造駅舎とご対面・・・。

Dscn9277 するとそこには予想していたより多くの人が待ち構えていた。とてもローカル線とは思えない光景、いや、最近の人気ローカル線に見られる光景がそこに広がっている。

Dscn9285 GWということだからある程度人の姿を見ることは予想できたが、それにしても多いこと。観光地の玄関駅のようだ。もっともまあ、この駅舎自体が今や観光地といえるのだから仕方ないか。

人が多い理由ははっきりしていた。この日、JR九州主催のウォーキングイベントがこの嘉例川駅を起点にして行われており、この手のウォーキングイベントの参加の中心である中高年の人たちが多く訪れていたのだ。ちょうどウォーキングも終わったようで、駅前の公園(おそらくこれも、昨今の鉄道ブームとやらに乗っかって造られたものか?)で昼食タイムといったところである。

Dscn9290 どうしても人が多いので写真を撮るのに苦労したが、開業当時の姿を止める駅舎のあれこれをカメラに収める。まあ、かつての賑わいがこんな感じなのかなと思えばそれもまたよしかな。これが作り物ではなく本物というところに深い味わいを感じる。

Dscn9297Dscn9288Dscn9303 木の温もりを感じるベンチ、窓格子、改札口、ホーローびきの看板、黒々とした瓦屋根・・・見ていて吸い込まれそうである。

Dscn9310 時間はあっという間に過ぎ、13時25分発の列車で先ほど通ってきた吉松方面に向かう。20分足らずで到着したのは、先ほど通り過ぎた大隅横川駅。

Dscn9315 さてこちらも嘉例川と同じく明治の開業当時から残る駅舎である。ただこちらは先ほどの嘉例川ほど「観光地化」されておらず、あくまで地元・横川地区の玄関駅として地元の人たちに利用されている駅舎である。

Dscn9318 駅前にこいのぼりが上がるのを見て端午の節句を感じたり、しばし駅の外で日向ぼっこする。

Dscn9325それにしても、木造駅舎を見て温かみを感じるというのはどういう心境からなのだろうか。おそらく高校生や大学生の時に鉄道で旅に出て、こういう駅舎に出会ったとしても「古い」「ボロ」とかいう心境が先に来るのではないかと思う。新しい駅舎、新しい車両のほうが「かっこいい」と思う心境。

Dscn9336 それが30代後半になってこういう駅舎に、自分ではリアルタイムで体験していないのに懐かしさを感じたり、古いものに味わいを感じるというのはどういう心の動きなのだろうか。これが「大人になった証」とでも言うのだろうか。かつてリアルタイムで木造駅舎を利用していた世代とはまた違った感覚であろう。

Dscn9313 うーん、個人的にはどうだろう、嘉例川はもちろん素晴らしいが、町の風景と共にある大隅横川にも軍配を上げたいところである。

Dscn9339 14時25分発の列車で隼人方面に下る。今度はキハ40の1両編成。ボックス席に座ることができたが何だか嫌な予感が・・・。

果たして、再びやってきた嘉例川から、先ほどのウォーキングの中高年たちが大挙して1両の気動車に押し寄せてきた。座席はもちろん通路までぎっしりで、まるで山手線か埼京線状態。昨今のローカル線の人気ぶりを表す実に「素晴らしい」光景である・・・・。あとは淡々と隼人まで下る。

まあ混雑は致し方ないところであるが、木造駅舎の雰囲気というのはそれを気にさせないものであった。またいつの日か、こういったローカルな駅舎でのんびりした一時を過ごしてみたいものである・・・・。(続く)

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