まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

この夏の猛暑はどうなるのか

2011年06月30日 | ブログ
早いもので2011年も折り返し。半年を振り返って、またあっという間に過ぎ去ったなと思う。

特に今年の場合は東日本大震災があり、ニュースもそれに絡んだものがほとんどで時が流れて行ったような気がする。

さてそんな中、例年よりも早く梅雨がやってきたかと思えば、6月としては異常な暑さ。この夏は節電が求められるとしても、「電力消費が減ればヒートアイランド現象も収まり、温暖化やゲリラ豪雨も改善されたりして」などと呑気に構えていたのだが、「もうとてもじゃないが今の暑さを何とかやり過ごしたい、先の心配なんかやってられんわ」という、何とも身勝手な気持ちになる。

そこで暑気払いだが、ビールに冷酒は気持ちいいものとして、最近はデオドラント制汗シートがお気に入り。スーッと抜ける感じがいいし、ベタつきも抑えられる。なかなかいいものだ。
とはいえ暑さはこれからが本番。何とか持ちこたえるように気をつけないと・・・。



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BCリーグ前期優勝決定

2011年06月28日 | プロ野球(独立リーグほか)
このところこのリーグのことを書いていなかったのだが、先日にたまたま二宮清純氏のサイトを開いたところ、前期の優勝が決まったとの記事が目についた。

上信越と北陸で3球団ずつ、各地区での対戦をメインとしながらもインターリーグも結構やるという方式で、上信越は群馬ダイヤモンドペガサスが圧倒的な成績で早々と優勝を決めていた。

そして一方の北陸。こちらは石川ミリオンスターズが優勝を決めた。なるほど、リーグ創設以来常に安定した成績を残していた球団で、まあ今季もそうだったのかと思う。

ただ、その成績を見るに、前期36試合にて、14勝16敗6分。何と勝率が5割ないのである。地区優勝でこれなのだから、福井、富山含めてどれだけインターリーグで上信越にボコボコにされたのやら。

ミリオンスターズでは、優勝決定時に胴上げをやるというのを告知していたそうだが、果たしてどのくらいの人が訪れたのやら。ルールとはいえ、ファンの皆さんにとっては胸中結構複雑なのでは?

さて、7月からは後期が本格的に始まる。私もまだ今季は観戦できていないので、ぜひとも応援に行きたいものだ。高速1000円終了は残念だが、特に北陸は自然、味覚、鉄道趣味、いろいろ取っても日本らしさが楽しめるところ。その観光も含めて北陸で楽しみたいなと。後は日程が取れるかどうか・・・。

まずは石川、福井、富山3球団の奮起を期待しますぞ!

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小笠原諸島が世界自然遺産に登録決定

2011年06月25日 | ブログ

日本では屋久島、白神山地、知床に続いて4番目の世界自然遺産登録ということになった。

小笠原諸島、現在でも東京から丸一日の航海でないとたどり着けないところであるが、これも「東京都」ということで、東京都としては初めての世界遺産ということになる。まずは地元の皆さん、おめでとうございます。

うーん、「島の旅」というと憧れの響きがあるが、小笠原となると外国へ行くより遠く感じる。だからこそ自然も手つかずで残っているわけだが、果たして私のこれからの人生の中で行く機会があるかどうか。

ただ、屋久島の縄文スギの時もそうだったが、いざ世界遺産に登録されたとなると大勢の観光客が訪れる。ましてや今や団塊の世代の皆さんが旅行会社のツアーでこれでもかというくらい押しかける。本土にあってこういう人たちと遭遇するとそのスポットの見学も面白くなくなるし、受け入れ側も個人客には冷たく接しているようでいやな感じがする。で、観光客が訪れることでせっかくの自然がおかしくなったり、生態系が少しずつ乱されやせんかというのが心配である。島の人たちがそのところをどう考えるか。今後、日本の観光というものをどのように発展させていくのかのテストケースになるだろう。

小笠原に続いて平泉も世界文化遺産に登録される見込み。まあ、世界的に素晴らしいものと認められるのは喜ばしいことであるが、ただ当の日本人が世界遺産背景にある地理や歴史をどれだけ知識として持っているか。私も人のことを言えた義理ではないが、「平泉」や奥州藤原氏のことを聞かれてどの程度のことを答えることができるだろうか。外国の方に尋ねられて誰もが胸を張って答えられるように、そこは学校での歴史・地理教育の充実というものを期待したいところである。

あ、先ほど「東京都の世界遺産は初めて」と書いたが、実は関西2府4県にあって世界遺産が一つもないのが大阪府。そこのところは常に近代化とともに歩んできた大阪の街らしいのかもしれないが、実は私の地元も含めて「古市・百舌鳥古墳群を世界遺産に登録しよう」という運動が行われている。

ただどうだろう、古墳文化というのは世界的に見ても独特のものと認められ、秦の始皇帝陵やエジプトのピラミッドがそうなら前方後円墳もありかなと思う。ただ、その中に誰が葬られているのかが特定できていない(確かに仁徳天皇や応神天皇という言い伝えはあるが)のは、ちょっと説得力に欠けるかなと思う。世の中には真実を知らずに済んだようがいいこともあるのだろうが・・・。

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Just Starting~ここから始まる。

2011年06月23日 | ブログ

先日もこのブログで取り上げたのだが、鉄道写真家の広田泉さんによる「ここから始まる」が自宅にも届き、改めて1ページ、1ページをめくってみた。

Dscn9241作品の舞台となったのは地震、津波で大きな被害を受けたJR大船渡線、気仙沼線、山田線、そしてひたちなか海浜鉄道、三陸鉄道。写真家としての葛藤もある中で被災地に向かい、壊滅的な被害を受けたその姿をとらえた一冊である。数年前に訪れ、風光明媚な自然の中をごく普通に走る列車の写真があり、今回あえて同じポイントで撮影をする。きれいな海岸線を行く線路が砂利に飲み込まれ、山をバックにした雄大な路線ががれきに埋もれる。あの日を境に変わったもの、そして、そのような震災があっても変わらない自然。こうしてみると人間の営みというのは自然の前には無力なのかどうか、自問してみたくもなる。

私も過日気仙沼を訪れ、津波にさらわれた駅舎や、漁船も乗り上げた線路の姿を目の当たりにしたのだが、やはりプロの視点というのは違う。痛々しい姿ながら、本当に「ここから始まる」その芽をどこかでとらえているように思う。今はかすかな光しか見えないが、数年か数十年かかるかわからないにしてもまたいつの日か輝きを取り戻すのだと。

その意味では「ここから始まる」というのは実に言い得たタイトルであると思う。今後広田さんはその復興の様子を少しずつとらえることをライフワークとするようで、今度は人々の笑顔も見られるのかなと期待したい。

さて送付されてきた写真集には直筆のポストカード。「Just Starting」というのが力強いメッセージに思えた。この夏は梅田でも写真展が行われるとの告知がさりげなくあった。こちらはこちらで、また観賞に行こうかな・・・。

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尾張名古屋で交流戦も終わり・・・・

2011年06月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

今年の交流戦、オリックス・バファローズは15勝7敗2引き分けという高い勝率(昨年の16勝8敗を上回る勝率)で見事2位という成績。最大で10あった借金も一時は返済するという、まったく「このチームはどないなっとんねん?」というくらいの快進撃を見せた。応援する側として結構愉快なことである。

そんな中で迎えたのが最終カードである中日戦。交流戦では好成績を収めるとはいえ、優勝した昨年も中日には相性が悪かった。そして今季もこれまで苦戦している状況である。

今回は19日の早朝に大阪を出発し、午前中は新規開業の「リニア・鉄道館」に向かう。そちらの見学記はまた別に譲るとして、あおなみ線と地下鉄を乗り継いでナゴヤドームへ。

Dscn9079ナゴヤドーム。ここで「中日ドラゴンズの主催試合」を見るのは初めてである。私の記憶をたどると、これまでナゴヤドームには2回訪れている。一度目は地下鉄のイベントか何かで開放されていた時。中日が優勝した年のオフということもあってか、グラウンドも開放されていた。ベンチに腰かけたり、芝の感触を楽しんでみたり・・・・。グラウンドにいると「どうすればあんな遠くのスタンドまで打球が飛ぶんだろうか?」という気持ちになったものだ。

その次が確かオリックス・ブルーウェーブの主催で西武戦だった。イチローはメジャーに行った後だったかな。彼が愛知出身ということもありナゴヤでも主催試合をやっていた時があったものだ。愛知在住の友人と外野上段で観戦したが、オリックスには応援団もおらず、スタンドもガラガラで「やっぱりパリーグなんだよな」としんみりした記憶がある。

Dscn9085で、中日戦は初めてである。交流戦7年目でようやく機会を得た。前売りで三塁側上段を予約していたが、フェンスかぶりつきである。大正ドームよりはやや高く急に見下ろす感じになる。

Dscn9081試合開始まで辺りを散策。球場に来ると飲食物のコーナーを見るのだが、15時からの試合と言うこともあってか、もう一つ面白味に欠ける。何かこう、名古屋に来たからにゃあこれを食わなきゃいかんでというながあれば…。 結局ビールのアテを買ったが、このイカフライ、「セ界のドアラと世界の山ちゃんのコラボ」らしく、あの手羽先屋の看板の社長?がドアラの着ぐるみを着ているというイラスト。中身もあの手羽先のスパイスが効いていて、なかなかいける味だった。

Dscn9111試合が始まる頃には結構観客も埋まり、レフトスタンドにもバファローズファンの姿が結構見える。ちなみに私の左は小学校低学年くらいのお子さん連れの家族、右にはバファローズファンらしいが時折ブツブツいいながらひたすら携帯でツィッターに励んでいる様子。それに挟まれる飲み鉄モードの私。

Dscn9090試合前のメンバー交換。いや、両監督とも実に輝いて見える。

Dscn9124試合は中日が左腕の川井、オリックスが金子。初回は両投手ともきれいな立ち上がり。

Dscn9150ただ早くも2回に金子が捕まる。中日の4番・和田がライトへ鮮やかな一振り。和田はこの日が誕生日だったようで、それと合わせてスタンドから大きな声援が送られていた。

「わだー、おめでとー!」そう隣で叫んだのは家族連れの男の子。ただこの子、小さいながらも結構熱心で、背番号を見れば控えの選手でもすぐ名前が出てきたり、この後のチャンスやピンチではメガホン使って叫ぶように声援を送る。まあ、それにつられたわけではないが私もバファローズのピンチやチャンスにガラの悪い河内言葉で気合入れにかかったのだが…。

でもまあ、敵地にあって何だか微笑ましい感じで楽しませてもらったのはこの男の子のおかげもある。おそらく家族の楽しみにドラゴンズがあり(どちらかと言えばお母さんのほうが熱心と見えた)、子どもも自分のヒーローのように選手を応援する、こういう家族のためにも、プロの選手には魂のこもったプレーをしてもらいたいものだ。

家族と言えば、ちょうどこの日に横浜で行われていた横浜対ソフトバンク戦に行ってますというメールを受けた。ソフトバンクの猛攻を受け、昨年の球団身売り騒動のことやらまたも最下位に澱んでいることの愚痴やら。そして「娘が飽きてきてます」とのメッセージ。まあこの子のためにも一矢報いてくださいなと返信したら、何とか完封は逃れたようである。やれやれ、こちらの娘さんは大きくなったら果たしてベイスターズのファンになるかどうか。その前にベイスターズが横浜に残っているかどうかは別として・・・。

話はナゴヤに戻るが、隣の男の子の芸が細かいなと思ったのは、オリックスの捕手・鈴木の打席。何とこの後も鈴木の打席の時だけはバファローズ応援団のリードに合わせてメガホン叩き「フミヒロ!」と声援。ははあ、元中日(といっても大分前だぞ)ということで応援しているのかな?

Dscn9148さて試合、金子は和田の一発の後もピンチを迎えるが、川井の強攻が併殺となり何とかしのぐ。その後も、決して本調子とは言えない中、ランナーは許すものの中日に追加点を与えない。

Dscn9177一方の打線も川井から点が取れず重苦しい展開だったが、6回に後藤二塁打、バルディリスの四球でチャンスをつくり、イ・スンヨプの犠牲フライでようやく1対1の同点に追いつく。

Dscn9190投手戦というか拙攻戦というか。七回に「燃えよドラゴンズ」の大合唱。もちろん生で聴くのは初めてで、応援歌としてあまりに有名なので私もしっかり歌わせていただいた。

Dscn9194後は、ドアラのバク転。これもナゴヤドーム名物だがあえなく失敗に終わる。この時はさすがに「オリックスが勝つな」という予感がしていた。ちなみに後日、パフォーマンスの不振という理由で「ドアラの二軍行き」というニュースが出た。マスコットの二軍行きなんて初めて聞いたが、年俸制やら契約更改を行うキャラもいるし、逆に二軍戦の観客誘致の意味もあるのかもしれないな。

Dscn9197両先発が七回まで投げきり、ここからは両チーム自慢の継投に入る。中日は平井、浅尾。そしてオリックスは平野。お互いに譲らず、とうとう延長戦へ。

Dscn9202すでに3時間を過ぎており、3時間半で時間切れということを考えると10回、ひょっとしたら11回まで行くか微妙なところ。 10回表は中田から勝ち越しのチャンスを作るが、代打北川があえなく凡退。

Dscn9219続く裏のマウンドには岸田があがる。この時点では、三人でピシャリと抑えれば11回まで入ることもできるタイミング。そうなれば岩瀬も出ることになるだろう。

Dscn9230先頭の荒木を打ち取り、次は投手のところで代打小池。元横浜のある程度長距離も期待できる選手だが、まあここは無難にしのげるだろう。

Dscn9225 ・・・そう思っていた初球だった。打球は私の目の前を通過し、レフトスタンドへ。見事な代打サヨナラ本塁打となった。

Rscn9231隣の男の子はもちろんだが、ここまでどこか重苦しそうな中日ファンは大喜び。思わずドッカとシートに座り込んだ私。

Dscn9229まあ負けたのは仕方ない。ただ今年の交流戦、生で2試合観戦だが、前回の広島戦での石原の決勝アーチともども「同点から岸田が被弾して敗戦」という、オリックスからすればとんでもない疫病神みたいな結果になったのは残念。最後はこっそりとドームを後にした・・・。

Dscn9233名駅に戻り、時間あるので新幹線口に近い郷土居酒屋「鶴八」に入る。手羽先やどて煮といった料理をしばし楽しみ、近鉄乗り場へ。

Dscn9239するとどうだろう、結構な数のバファローズファンを見かける。大阪から2時間という距離は、日帰りでも行けるし一泊の遠征で旅気分も味わえるし、なかなか面白い。今夜はバファローズファンのおかげでアーバンライナーも満席に近い乗車だったようだ。

まあ私の観戦はともかくとして、チーム自体は投手の頭数も揃い、打者では坂口が絶好調、T‐岡田も打点で貢献している。24日からのリーグ戦がまたどういう展開になるか、実に楽しみである…。

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交流戦最後は劇的な幕切れで…

2011年06月19日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
今日が最終戦となった中日対オリックス・バファローズの交流戦。

いやあ、わざわざナゴヤドームまで足を運んだのだが、延長の末時間切れギリギリの10回、頼みの岸田が中日の代打・小池にレフトへのサヨナラ本塁打を許す。

今シーズン、独立リーグ2試合、バファローズ戦が4試合目と、野球観戦6試合目だったが、そのうち2試合がサヨナラ本塁打で決まる展開。

おまけに、岸田が最後に被弾して決着ついたのも2試合。まさに、私が球場に来た時に限って何か起こることが多いことの現れだろうか。

帰りの近鉄特急は、敗戦にショックの、関西方面からやってきたバファローズファンが結構乗っている。皆さん、お疲れ様でした!

観戦記はまた日を改めて。
リーグ戦再開となるがぜひこの上向き調子で頑張れ!!

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オリックスVIPローンも顔負け?

2011年06月18日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

ヤバい、グッと来た・・・・。

交流戦も残り2試合、オリックス・バファローズは苦手中日ドラゴンズと名古屋で対戦、中山の力投、李スンヨプの(珍しい)猛打が炸裂しての完勝。

これで交流戦が15勝6敗2分、堂々の2位キープで何と借金最大10が1ヶ月で完済。。金子の復活、寺原、フィガロ、中山などの先発も充実してきたし、打線も坂口、田口の1・2番にしてから形ができてきた。

それにしても、交流戦に入って何とかせえよと思う中で、ここまで調子を上げてくるとは思わなかった。そういえば交流戦に入っても勝てなかった時にはボロカスにこき下ろしたものだが、こう一喜一憂が繰り返されると疲れるなあ。

明日の交流戦の最終戦、名古屋まで遠征する予定。ぜひとも勝って待望の「貯金」となりますように・・・・。

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津波の被災地・気仙沼へ(その3)

2011年06月18日 | 旅行記B・東北

Dscn8902津波の被害に遭った気仙沼の町中を歩く。4年前に訪れた時にのぞいたお魚いちばも建物の外壁だけ残してさらわれた状態。ちょうどガレキの撤去作業にあたっていた人たちが昼の休憩を取っているところだった。

Dscn8903そんなガレキのすぐ横に「付近の高台」という誘導板が見えた。この看板は被災後に立てたものだろうか。確かに少し坂道を登れば高台に至る。ただ津波で多くの人たちが命を落としたことであり、何だかやりきれないことである。

Dscn8907看板だけが残ったガソリンスタンド。時計が、ちょうど地震の発生した14時46分を指したまま止まっていた。時間というものは絶え間なく流れるものだが、こうしてみると「時が止まる」というのは実際にあることではないかという気がしてくる。

Dscn8916魚市場へ。市場の建物そのものは残っているがもちろん魚のセリが行われることはない。建物だけががらんとして人の気がない。ふとそこで、崩落したブロックで何か文字がつくられているのを見る。「がんばれ気仙沼」。地元の人がつくったのか、ボランティアや復興支援でやってきた人がつくったのか。先ほどのグラウンド・ゼロとともに、この地からメッセージを送ろう、何とか希望を持ってもらおうという思いが伝わってくる。

Dscn8927 そして、魚市場から南に広がる光景を見て唖然とした。先ほどまでの地区はまだ外枠を残す建物が多かったのだが、こちらはより外海に近いせいか、津波で建物ごと持って行かれた、あるいは完全に取り壊しが進んだのか、一面に焼野原が広がっているかのように、町の素型というものが消えた感じである。

Dscn8918その壁になったのか、気仙沼のシャークミュージアム横にも漁船が打ち上げられている。サメに関する展示や、魚を氷点下の中に閉じ込めた展示がユニークだったミュージアムは果たして再開されることはあるのだろうか。

Dscn8928Dscn8926Dscn8940 津波の被害をモロに受けた地区を歩く。敷地を決めているのか、ガレキや廃車がまとめて積み上げられている。今でも水の引かないところが多く、焦げたような臭いのほかに、ヘドロの臭いも混じり、3ヶ月経過してもどうにもならないもどかしさを感じる。出てくるのはため息ばかり。

Dscn8938地図によればもうすぐそこに南気仙沼の駅があるはずだ。周りにかろうじて残った看板から位置関係を確認して、ようやくこの先に駅があるのを認めた。ただ、そこへはガレキの山、そして水の引かない泥の中を進まなければならず、駅舎まで行くのは断念した。

Dscn8944Dscn8948しばらく歩くと辛うじて道の残っているところがあり、そこから線路のほうを見る。土床は崩れ、線路もひね曲がっている。もっとも鉄道の場合は気動車が流されたり、土床ごと失われたところもあるから、気仙沼の場合はまだ救われたところだろうか。少し山側には線路の上に自動車と漁船が打ち上げられており、その被害の大きさを物語る。

気仙沼の町中に入ってからは、クルマでの移動やら、私と同じような感じで歩いている人をのぞいて地元の人の気配というものを感じなかったが(時折ゴーストタウンと感じたことも)、私がしばらく線路際にたたずんでいると、家のサッシがピシャリと閉まる音がした。音のほうを見ると何だか家の中でゴソゴソしているようだ。おそらくその家の住人かとは思うが、たまたま片づけにでも来ていたのか(まさか、この状態で住み続けているとは考えにくい)、私のような者の姿を見て不快に思ったか。帰りの時間のこともあるので、そろそろこの辺りで引き返すことにする。

帰りは高台に上がってみた。それにしてもこのエリアは建物の被害というのはほとんどなく、同じ市内、同じ町内にあって明暗を分けたことだなあと感じる。

Dscn8954ちょうど高台には市民会館や中学校があり、避難所に充てられていた。またグラウンドには仮設住宅も建てられており、下のほうに住んでいた人たちもこちらに移っているようだ。避難所の様子というのがどのようなものか見てみたい気がしないでもなかったが、これは見ず知らずの他人の家に無断で押しかけるようなものだろう。誰かに話しかけたいと思っても、県外からの見学客がむやみに声をかけるのも失礼な話だと思う。

Dscn8953政治の混乱と無策について言いたいことは山ほどあるはず。ただそんな中でもまずは今日の暮らし、明日の朝をどう無事に迎えるか、目の前のことに必死で生活をしているのだというメッセージが伝わってくるようだ。市民会館の入口に掲げられた励ましの寄せ書きに敬意を表すくらいで後にして、再び駅まで戻る。

気仙沼の駅前の酒屋で地酒「両国」を買い求め、土産物屋で缶詰やら真空パックの水産加工品を買い求め、再び大船渡線の客となる。駅までの道すがら、同じように被災地見学に出かける人、そして行きと同じ列車で戻る人とすれちがう。

大船渡線は定時で走る。席に座って缶ビールを開けるが、いつもの鉄道旅行、ローカル線の車内で飲むようには美味く感じられない。やはり苦味というのか、先ほどまで私にとって衝撃的な光景にいくつも出会ったわけだが、被災地を見学したことは一つの経験、見分にはなったものの、相手は見世物ではないわけだから高揚感とか達成感というのが得られたわけではない。やはり単に野次馬的にやってきただけではないのかと、ローカル線の車内で自問自答するうちにやがてウトウトとしてしまった。

Dscn8959一ノ関からはやまびこ、そして東京からのぞみを乗り継いで帰阪。大阪に戻り地下鉄と電車を乗り継いだが、当たり前のように照明がともり、冷房もガンガン効いている車内に、わずか半日前は一面の廃墟にいたことが信じられないような気がした。当たり前と思っていたことが、実はさまざまなものの力で成り立っているということ。

今回の見学を機会に改めて、被災地のために自分には何ができるか、何をすべきなのか、もう一度問い直してみることにしよう・・・。

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津波の被災地・気仙沼へ(その2)

2011年06月17日 | 旅行記B・東北

Dscn8823 一ノ関から大船渡線の快速「スーパードラゴン」に乗車する。2両の車内はほどよく埋まる感じで、ボックス席はあきらめドア横のロングシートに陣取る。現在気仙沼へ出ることのできる唯一の鉄道路線ということか、地元の人も多い中、いかにも私と同じように「被災地の見学」に行くとおぼしき人の姿も見える。

さてこの「スーパードラゴン」、特に大船渡線にドラゴン伝説があるというわけではなく、その線形がドラゴンの形に似ているから。それも自然の地形に沿うのではなく、いわゆる「ナベヅル線」「我田引鉄」の典型として語られる経路である。そのためかどうもローカル線の旅でもイメージよく語られることは少ないように思うのだが、私も久しぶりに乗車して、素朴な山村が広がる光景になぜか心がなごむ。村の人が総出で田んぼの手入れや土手の草取りなどに当たるのも見え、本当にこの先に震災・津波の大きな被害を受けた町があるのかと、半ば信じられない気持ちである。

Dscn8833_2 そして1時間あまりで気仙沼に到着。現在はここが袋小路の終着駅となっている。前回訪れたのは2007年の1月であったが、この時の気仙沼線の記事を改めて読み返すと、低気圧から来る強風のために途中の駅での足止めも含めて3時間遅れで到着したとある。そして今回はこのような形で来ることになったとは複雑な気持ちだ。

Dscn8836 気仙沼の駅は高台にあるために津波の被害はなく、見たところではこれまでとも変わらぬ姿である。ただ気仙沼線、そして大船渡線の盛までの区間が「復旧のめどなし」という表示が、この先復旧まで何年かかるか見通しのたたない厳しい状況を物語っている。

Dscn8839 駅前の案内所に入る。市街地のガイドマップは置いてあるが、通常この手の案内所にあるホテルや観光施設のパンフレットは見られない。まあそれはそうだろう。その代わりに現在運転中のバスの時刻表がドア一面に貼られ、また沿岸の津波の被災状況の地図が掲示されている。色の変わっているところが被災地で、ここ気仙沼では駅の周辺は津波の被害がないものの、中心部は一面色が変わっているのがわかる。震災直後の報道でしつこいくらい流された津波の映像を思い出す。

Dscn8840 何はともかく、ということで中心部に向けて歩き出す。駅前の商店街、そして10分ほど歩いたところにあるセブンイレブンはいつもと変わらないかのような営みである。セブンイレブンには普通に品物が置かれていた。ただ新聞コーナーにちらりとのぞいた河北新報の「震災から3ヶ月」という見出しが重くのしかかる。

Dscn8844 そしてやってきた港町のエリア。ここに足を踏み入れて、まずは言葉を飲み込んだ。そこには、3ヶ月前の津波が発生してから時間が止まっているかのようで、重機でガレキの撤去を行っている光景も見えるがそれでもまだ手付かずで残されている建物が多く残っていた。何か焦げたような臭いも漂っている。

Dscn8855 Dscn8857

Dscn8863Dscn8878Dscn8882Dscn8849

Dscn8865 ガレキの一角で見かけたこんな光景。旗はどこかの家にあったものだろうか。どうだろう、犠牲となった人たちへの鎮魂とともに、「がんばろう日本!」という力強いメッセージを送っているかのようである。

Dscn8868その近くには大漁旗、養殖網に使うビン玉が並ぶ一角があった。そこには「グラウンド・ゼロ」の文字。グラウンド・ゼロ・・・2001年に発生したアメリカ同時多発テロの現場となった地の名前であるが、同時多発テロと同じく、この震災を忘れてはならないとのモニュメントとして、私が訪れたちょうど前日、慰霊祭が行われたという。そのことを伝えるニュースでは「復興なんてまだまだ」との声があった。先に「いつもと変わらないかのような営み」と書いた私の気持ちを恥じた。

Dscn8874岸壁に出る。ここも被害が大きく、大島行きのフェリーは乗り場を変えて運航しているようだ。

Dscn8875ただその中にあってその姿がしっかりと残っているのが、森進一の「港町ブルース」の歌詞が刻まれた歌碑。気仙沼の地名がモロに出てくるこの歌碑がしっかりと残っているのは、それだけカネをかけたからということか。いやそんなひねくれた見方はやめて、これからの気仙沼復興への希望のモニュメントとして見るべきだろうな。

Dscn8892Dscn8896とはいうものの、現実には漁船が打ち上げられたり、乗用車もひっくり返ったままである。自動車の持ち主に向けて撤去の意思確認を行う張り紙がなされていたが、果たしてこの持ち主は無事でいるのかどうなのか。何とも痛々しい。

Dscn8885 津波の被害のすごさを改めて確認しながら、南気仙沼方面に向けて歩を進めることにする・・・・。

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津波の被災地・気仙沼へ(その1)

2011年06月16日 | 旅行記B・東北

先の週末は会社の研修&お散歩だんらんの会の集会参加、それに千葉マリンスタジアムでの野球観戦ということで出かけたのだが、行く前はまさかこのような行動になるとは全く思いもよらなかった。

JR東日本の全線が一日乗り放題となる「JR東日本パス」の存在を知ったのは研修で降り立ってからの話。そこからいろいろと悩んで結局パスを購入したことについては先の記事でも書いたところである。単純に東京から青森まで新幹線で往復して、未乗車区間である新規開業の八戸~新青森までの乗りつぶしをするという楽しみ方もあるのだろうが、やはり震災関係、特に西日本にいる者としてはなかなか被害を実感する機会がないところで、鉄道の通っている限りのところで、この目で何かを見てみたいという気持ちが起こったのも確かである。

時刻表で検討するに(それにしてもパスを買った大宮駅で時刻表とにらめっこしたが、節電による減光というのはやはり目には辛いこと)、津波の被害にあった三陸を目的地とするのであれば、南なら石巻(古川~小牛田~前谷地と乗り継ぎ。また松島からは代行バスがあるらしい)、または県北の気仙沼のいずれかというところである。石巻を目的地とするのであれば仙台にも少し立ち寄るだけの時間もできる。正直、迷うところである。

Dscn8753ただ、そんな迷いも案外早く解消した。大宮で午前中に鉄道博物館を見学後、お散歩の集合場所である池袋に向かう途中で赤羽で下車。すると駅前では東北地方の復興支援ということで、福島県産の野菜をはじめとして土地の産品を売り出すバザーが行われていた。その中で、義援金の募集とともに、被災地の写真パネルが展示されていたのを見る。

Dscn8754そこにあったのが気仙沼の写真。もう4年前になるが気仙沼を訪れた時に港町を歩いたのだが、見覚えのある建物が崩れ、漁船が陸に打ち上げられた震災直後の写真にうならされるものを感じた。あれからちょうど3ヶ月、街中はどうなっているのだろうか。

そのことを思い、翌12日の行き先は気仙沼ということにした。一ノ関から大船渡線が気仙沼までは復旧しており、それで向かえば現地には3時間あまり滞在することができる。別にボランティアをするわけでもなく、気仙沼に誰か知り合いがいるというわけでもなく、動機不純の野次馬的気分で訪れているだけではないか?という方もいらっしゃるだろうが、私なりに何か震災に近いところで何かを感じたいと思ったことは確かである・・・。

さてお散歩を楽しみ、その日の夜は池袋での懇親会。ホテルに戻ると結構いい時間になったが、次の日の動きを考えるとしんどいとは言っていられない。朝5時に池袋を出発、地下鉄で東京まで向かう。

Dscn8810_2さて東北新幹線のホームに上がると、日曜の朝にも関わらず結構な乗客の数。震災後の特別ダイヤということで指定席の数も減らしているのだが、やはり東日本パスの影響か、自由席には長蛇の列。震災後には一部区間の徐行運転で所要時間も20分程度延びているようだが、もうここまで来れば多少の遅れは気にすまい。とりあえず、早期に新幹線が復旧し、北への大動脈の確保、青森に至ってはディスティネーションキャンペーンでもっと観光客に来てほしいと呼び掛けているくらいだから、新幹線の精神的なよりどころというのはすごいものがある・・・・。

Dscn8814 車両には「つなげよう、日本」のステッカー。その文字が頼もしく見えるというのはちょっと大げさかな。実際に乗ってしまえば、これまで何回か東京から東北に向かって走る普段の新幹線の車内の光景である。朝が早かったので多少居眠りするが、東京ではどんよりしていた雲が北に向かうにつれて晴れ間が広がってきたのを見るのはよいものだ。

郡山を過ぎると、パッと見た感じでは普通の街並みであるが、ところどころ、瓦葺きの屋根に青いビニールシートをかぶせ、石で重石にしている家を見る。ここは震災で強い揺れにより家が持たなかったのだろう。ただそんな中仙台に到着した時には、これはいつもの仙台市内と変わらないなというイメージを持った。少なくとも普段の人々の生活に多少の落ち着きが出てきたのかなと思う。

Dscn8824 一ノ関に到着。ここで新幹線を降りる。先日世界遺産の暫定リストに登録された平泉への玄関駅ということで、外国人観光客の姿も見る。ここから「ドラゴンレール大船渡線」に乗車して、陸前の港町である気仙沼を目指すのであった・・・・。(続く)

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オリックス5割復帰は…ならず

2011年06月15日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
横浜ベイスターズ相手に引き分けというのをどう評価するかにもよるが、やはり同点からもう一押しできないのがソフトバンクや日本ハムに劣る要因かなと思う。

でもまあ、負けなかったのをよしとしなければならないのかな。オリックスVIPローンでも返済は厳しいと言われていた借金を一気にここまで返済したし、残りの中日2連戦に連勝すれば貯金までできるのだから。頑張れ!

…その一方で、ダルビッシュに勝ったからといってまた朝から阪神偏向の関西マスゴミのバカ報道に触れないといけないのかと思うと、会社に行くより辛いなあ…。

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池袋を楽しむ、池袋を見る(その2)

2011年06月14日 | 旅行記C・関東甲信越

お散歩だんらんの会の6月集会参加の続き。

Dscn8783 休憩となったジャマイカ料理店の前でなんなんさんを加えて10名となったところで再びの散歩。やってきたのは鬼子母神。「恐れ入谷の鬼子母神」という伝承のある神社である。都電の停留所の名前でもあるが、池袋から1キロほどのところにこんもりとした森が広がるのはよろしい。まさに「恐れ入谷した」。

ただその中で、神社に来て手を合わさない人が多かったのは私個人としては「あれ?」と思った。まあ信仰のことだし、私も熱心に拝んでいるとはいえないが、やはり神社にくればお参りをしたいなという気持ちがあるもので。ただ、安産、子育ての神ということでもあり、ほとんどが未婚者、独身者ということなればそちらの方面の神様にはお願いすることもないという話・・・?

Dscn8784 皆さんが感心していたのは高さが50~60メートルはあろうかというご神木の銀杏。樹齢600年はあるという。これ、秋になればどのくらい見事な色をつけるのだろうか(同時にギンナンの臭いもたまらんやろうな…と思うが)。東京都の銀杏のマークの由来もこれなのかな。

ここでまた中心部に戻り、サンシャイン通りへ。急に、若者を中心に人口密度が高くなった。前の記事の初めに、あたかも池袋がオッサン臭いかのような書き方をしたが、それを打ち消すことになる。ここで隊列がいったんバラけるハプニングもあったが無事合流でき、トヨタのショールームのあるアムラックスへ。

Dscn8786 プリウスに代表されるハイブリッド車やワンボックス車などを見て回る。

Dscn8789 その自由散策の中で見つけたのが、ITSという、走行中に道路情報や渋滞、事故、障害物落下などのトラブルをリアルタイムで知らせてくれるという、カーナビに連動させた機能があり、その体験をしながらシミュレーターでクルマをスムーズに走らせようというゲームがあった。子供向けだがそこは私も参加。さいとんさんがそんな私を見て「応援しましょう」と後から覗きこむ。

普段の運転感覚に近く、安全運転を心がける。この先の走行車線に障害物があるとか、見通しの効かないカーブの先に渋滞の最後尾があるので追突注意とか、そういうのを音声と文字で知らせてくれ、ハンドルを握っていて早めの対応ができる。これをうまく使えば事故も防止できるということで、クルマの運転においては自分の五感での危機管理がベースではないかと思うが、一つのツールとして広がればいいなと思う。

Dscn8792 さいとんさんと話すうちにコース感想。所要時間、燃費など合わせた総合で暫定7位という成績。微妙な成績に苦笑しながら、さいとんさんのご好意のシャッターに収まる。その間、他の人はベンチにて。あらあら、団体行動の列を乱してしまったかな?

Dscn8793 続いてはいよいよサンシャイン60。実を言うと東京に3年半いながら、実物を近くで見るのは初めて。こうやって見上げると、昔キン肉マンの超人にこのビルをモデルにしたのがいたなあと思い出す。サンシャインとアシュラマンのタッグだったかな。

幹事の夏岳さんが「展望台に行ってもいいですが…皆さんどうします?」と切り出す。初めての私はぜひ行きたいが皆さんの反応は今一つ。うう、またしてもスタンドプレーになってしまうのか。前にも上ったからとか、今日は天気がもうひとつだとか、入場料が高いとか、いろんな意見がでる。ただそこは夏岳さんの大人の仕切りで、自由散策ということに。私の他の展望台組は、幹事ということで夏岳さんと、さいとんさんも勢いで加わった。超高速のエレベーターで一気に60階へ。

Dscn8798 その展望室からは東京の街並みが一望できる。天気が今一つとはいっても視界が効かないわけではなく、新宿副都心はほどよく見ることができ、東京スカイツリーも微かながらその姿形を捉えることができた。さらに一つ上がって屋上へ。風も心地よいし、こんなところにビアガーデンでもあった日にはもう大変だろう。

Dscn8801 サンシャインの展望台が高さ約250メートル。スカイツリーはその倍以上の高さ。いったいあの建物からの眺めはどんなことになるのだろうか。

しばし展望を楽しみ、沖縄物産展をのぞいていた組と合流。池袋駅まで戻る。途中、仕事帰りでの参加となったigarashiさんと落ち合い、一時最大の11名となる。

池袋駅東口で一旦解散。ここでさくらさんとはお別れとなり、残る10名で懇親会に向かう。ただ、当日まで状況が読めないためか店の予約ができておらず、何軒か当たっても土曜日のゴールデンタイムとあっては飛び込みで入れず。

そんな中で「西口ならまだあるのでは?」と誰かが言う。そこで移動し、果たして見つかった。それはチェーン居酒屋の元祖と言うべき「養老乃瀧」。夏岳さん、たけしさんといった人生の先達組には懐かしく、かつあまりよろしくないイメージ?の店になるとか。ただその当時と比べても経営努力があってのことか、出てくるものの味は悪くない。「意外といけるじゃないの?」と、先達組のお二方も満足の様子。

Dscn8806 こんな時間でも個室があり、ここで皆が思い思いの注文。飲む人は飲む、飲まない人も自分のペースで楽しむ。こういう、仕事などのしがらみもなく、本当にざっくばらんに楽しめる空間。それがこの会のすばらしいところである。こういう大人の付き合いはこれからも続けたいものである。

あっという間に時間は経過して、中締めの時間。ここで一度割り勘のために会計を締め、一旦は引き上げ、ただしその後も同じ店で飲み続けてもいいということになった。それで結局その後に残ったのは夏岳さん、igarashiさん、ひろやまさん、そして池袋宿泊の私。いずれも酒のほうには多少の腕の覚えがある面子で、今後のサークルの運営のことやら、独身男性が集まって今後の女性との接し方はどうなのかとか、さまざまに濃い路線からの話が出て話は尽きることはなかった・・・。

そのまま池袋駅前でお別れ。いやそれにしても、久しぶりの散歩、そして素晴らしいメンバーたちとの出会い。大阪にいて言うのも何だが、これらの人たちと会うだけでも高い旅費を使って東京まで遠征してくる甲斐があるというもの。おそらく次はもう季節が結構進んでからの参加ということになるだろうが、その時は会の皆さん、私を埋没させることのないようまた笑顔で迎えていただければ・・・・。(終わり)

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池袋を楽しむ、池袋を見る(その1)

2011年06月13日 | 旅行記C・関東甲信越

11日の「お散歩だんらんの会」の池袋集会のことを少し(同会の公式ホームページでは私は参加していないことになっているようなので、自分でその時のことを少し書いてみることにします)。

さて池袋と言えば東京の西北にある繁華街であるが、私の個人的なイメージとしては常に流行の最新を走るエリア・・・というものではなく、新宿や渋谷と比べれば地味だし、私が東京在住時代に活動範囲としていた山手線の東側から見ればにぎやかな存在だし・・・と、結構微妙なイメージである。

Dscn8704私の池袋といえば西武電車の乗り換え駅であったり、やたら風俗店が多かったり、昔ながらの飲み屋さんも多く、また店員は中国からの留学生が結構いたり・・・という、どちらかと言えば奔放猥雑、大阪で言えばミナミから天王寺にかけての雰囲気に似たようなところがあると思う。だからというわけではないが、10日の夕方に宿泊を池袋に移動した後は、19時にもなれば満席となってしまう大衆酒場にてホッピーにやきとんをつまんでいた。おまけにその後は多摩の酒を「角打ち」で飲ませるという酒屋に入り、たまたま隣で立ち飲みしていたお兄さんとしばし意気投合したり・・・と、まあそんな過ごし方をしていた(池袋では「東急スカイ池袋」というホテルに連泊したが、滞在型らしく結構ゆったりしていたし、落ち着いた感じで次もぜひ泊まりたいと思った)。

さて11日、午前中は大宮まで出かけ、先の記事にある「JR東日本パス」を購入。その後は鉄道博物館を見学して昔ながらの車両に触れ、池袋にやってきた。

今回の参加者は会主である旅の侍さんをはじめ、今回のプランニングと幹事を担当する夏岳さん、その他はたけしさん、ひろやまさん、あやさん。そして初参加というのがみやざわさん、さいとんさん、さくらさん。これだけの大賑わい、幸いにも予報の雨もやんできての出発である。私にとっては前のお三方以外は皆初対面であるが、まあよろしくお願いします。

Dscn8756 まず向かったというか、通りすがりとなったのが立教大学。昔ながらの学舎に年代物のツタがからまるキャンパス。この日もセミナーが行われているようで学生社会人でごった返している。参加メンバーの中にはこちらのOBもいらっしゃるようだが、私も一度だけ旅行主任者の資格試験の会場ということで来たことがある。やはり東京六大学、その中にあってキリスト教系統の学校ということで上品なキャンパスに見える。

Dscn8759 さて今回の散歩は別に立教大学を訪れるのが目的ではなく(池袋における立教の位置づけは大きいと思うが)、その裏手にある「江戸川乱歩の旧邸」がお目当て。これもストーリーテラーとして、推理小説やホラーにも絡んだ仕事をしている夏岳さんにとってはこだわりのスポットであったことだろう。ただ残念なことに門の中には入れず。平日に曜日を決めて開放しているとかで、土曜日の本日は全く人の気配もなく残念である。

Dscn8760気を取り直して池袋駅方面へ。すると「ここなんですよ」と言いながら夏岳さんが入ったのはホビーショップ。ここが「ゲームズワークショップ」という店舗の一つだそうだが、中に入るとボードの上に見事な「合戦風景」が広がっている。係の人から説明を受ける。ゲームのルールとしては、サイコロやコンパスで軍の進むべき道を選び、相手軍をやっつけるか司令塔を奪うというもの。ただそれぞれの合戦や軍にはストーリーがあり、キャラクターにも特徴がある。

Dscn8763それにしても小さいながら精巧だし、キャラクターも立っている。遊ぶ楽しみのほか、塗装をする楽しみもあり、子どもの頃にプラモデルを組み立てた経験がある人ならわかる面白さがある。それぞれ手に取ってその精巧ぶりにうなるばかり。

Dscn8764 次に訪れたのが消防署とも一体となった地域防災館。ちょうど震災から3ヶ月、地震などの非常時への備えについても関心が高まっている時である。もっともこちらは災害や救助についての体験を行う施設で、もしそれを行おうとすれば事前の予約が必要だし所要時間もかかるとか。非常食のセットや通報シミュレーション装置を見るくらいにとどめる。

Dscn8771 続いては労働福祉会館にある郷土博物館へ。豊島区の歴史ということで古地図があったり、戦後の池袋のヤミ市を模型で紹介したりと。

Dscn8772 企画展示では昔の生活道具や家電製品があり、実際にそれらを使用していた?のが、今回参加最年長のたけしさんということになり、その時の様子などを語る。私たちとしては世代の違いを感じてしまうというのか・・・・。

Dscn8774 14時に始まった今回の散歩、ここまでで結構時間が押しているようで、夏岳さんが次へとせかす。道幅の狭い住宅地を歩くとやってきたのが自由学園。こちらの明日館が喫茶つきで内部を開放しているのだとかだが、あいにくとこの日は結婚式が行われていて中には入れないとのこと。聞くところでは、平日であれば問題ないのだが、土日は結婚式が行われることが多く(おまけに今は6月だ)、一般向けに公開しているのは月1回だけだとか。どうも今回は開いていないとか、予約が必要だとか、なかなかうまくいかないものである。

Dscn8777それでも、ちょうど式に臨む新郎新婦の後姿を垣間見ることができた。やはりウエディングドレスはきれいなものですな。どうぞ末永くお幸せに。その一方で「やはりドレスって着てみたいですか?」と女性参加者に向けて尋ねる人も。このお散歩だんらんの会も独身者の割合が高い。

実はこの明日館が喫茶休憩ポイントとして予定されていたのだが、これで計画を変更せざるを得なくなった。再び池袋の中心部に戻り、喫茶店探しとなる。ただ9人となると一度に入れるだけの店もなく、またあってももうすぐ貸切のため閉店というのも。なかなか難しいものだ。

Dscn8781 そんな中で旅の侍さんが運よく、というかダメもとで声をかけたのがこちらのジャマイカ料理店。ランチタイムであるが飲み物だけでもOKということで入ることに。店内はジャパニーズレゲエが流れ、あちらの国旗やアナログレコード、ジャケットなどが展示されており、陽気な気分にさせる。夜の飲み会でここを使えばもっと賑わったり、時には踊りも入っちゃうのではないかというところだ。まあそれは別の楽しみということで、参加者もティータイムで一息ついた様子。

ここで、遅ればせながらの参加のなんなんさんと合流して、再び散歩を始めることに・・・・(続く)。

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お散歩だんらんの会@池袋

2011年06月11日 | 旅行記C・関東甲信越
本日11日はサークル「お散歩だんらんの会」の月例集会に参加。今回は池袋界隈ということで、結構あれやこれや楽しむことができた。

それにしても、サークル活動にはいろんな価値観の人が参加するもの。酒の席でもいろんな話題が出たが、結局はそれぞれ大人の判断含めて対処するしかないのかなと…。

今回の様子についてはまた拙ブログにて書くつもりです…。

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JR東日本パス

2011年06月11日 | 旅行記B・東北
東日本大震災から3ヶ月。まだまだ多くの行方不明者、避難生活者、そして一向に次の展開が見えない福島原発。たまたま、この木曜金曜と東京に来ているが、節電モードはやはり重たい雰囲気に感じる。

そんな中で見つけたのが「JR東日本パス」発売のポスター。東北を含む全線が新幹線含めて1日乗り放題で1万円。今こそ東北へ…ということでの格安販売である。

この週末、日曜日は千葉マリンスタジアムに行こうとチケットも予約しているのだが天気は微妙。そんなこともありこの2日すごく迷っていたが、買いました。

別にボランティアをするわけでもなく、ただ「あの町はどうなっているのか」を見に行くだけで、不謹慎なこととは思うが、関西に住む者としてなかなか東北に足を踏み入れる機会がないため、これも一つの巡り合わせかと。

指定席がどの列車もほぼ満席とは同じような利用が多いのかなかなかの盛況のようだ。

運休区間もあり、時間の許す限りでどのエリアを訪れるかはこれから検討にて…。

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