まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

NGB10

2013年01月30日 | ブログ

・・・さて、これはどういう意味だろうか、何を表しているか。

O0432062612386902045_2実はこれ、滋賀県長浜で毎年冬~春にかけての恒例である「長浜盆梅展」の、2013年のキャッチコピーである。「ボンバイテン」というのをAKB風に表記するとこうなるということで。おまけに「いくつになってもセンターはゆずれない」と、樹齢の長い盆梅のが競いあう様子を表現している。今年は総選挙でもやるつもりか。

そんな長浜盆梅展のポスター。いつも凝った作りでPRとしてはかなりレベルが高いということで楽しみなのだが、同時にいつも残念に思うことも。「今年もアントニオ猪木は出なかったな・・・」。

そりゃ、盆梅展、ボンバイテンという響きから、ボンバイエ・・・となるわけで。

同じことをイメージする人も結構多いのでは。「盆梅展 ボンバイエ」で検索すれば、そりゃあもういろんな人たちのブログ記事が出てくるわけで。その硬派は響きと比べれば、NGB10というのは何だかなあ・・・と思うMNR23。

それはさておき、冬の琵琶湖というのも凛とした風情あるし、長浜の街には北国街道沿いの古い町並み、鉄道資料館、黒壁スクエアなどいろいろ見所がある。鴨料理に鯖そうめんも。盆梅展ともども、大阪からちょいと旅行気分で1日を過ごすには格好のところだと思う。「冬の関西1デイパス」を使ってもモトがとれるところでもある。

この冬、久しぶりに訪ねてみたいものである・・・。

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大阪クラシック2013

2013年01月29日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

これはぜひとも行きたいところである。

オリックス・バファローズと福岡ソフトバンクホークス。この2チームが4月の大正ドームでの3連戦で、それぞれ近鉄バファローズと南海ホークスの復刻ユニフォームを着用して対戦することとなった。その名も「OSAKA CLASSIC 2013」。

これが「SAPPORO CLASSIC」ということになるとサッポロビールの北海道限定版ということになるが、当時の大阪のパ・リーグ球団同士の対戦が観られるとなると、チェックしておきたい。これまで片方ずつの復刻ユニ試合はあったが、こうやって両球団が協力してイベントができるというのも面白いと思う。結構、楽しみにしているファンも多いのではないだろうか。

おそらく、近鉄、南海の両球団に在籍した森脇監督だからこそ実現できたイベントなのだろうが、その場合、近鉄ユニの森脇監督も見てみたいし、南海ユニの森脇監督も面白い(秋山監督よりサマになってそう)と思う。

イベント内容はこれから発表されるそうだが、まず間違いなく「カズ山本」は始球式に来るだろうな・・・。後は鈴木啓示対門田博光の対戦とか、大石大二郎が1日限定で近鉄ユニを纏うとか、そういうのがあってもいいだろう。

さてそう来ると、いずれは「阪急対南海」戦もやってもらいたいものである。

いずれにも共通するのが、当時の球場の雰囲気、ヤジ合戦、「南海電車で早よ帰れ」、「いてまえ」などの、泥臭い雰囲気である。子どもの頃の藤井寺球場のヤジで、「南海電車はガタゴト電車、近鉄電車は二階建て」というようなフレーズがあったのを憶えている。この日くらいはいつもの応援ではなく、昔ながらのシンプルな応援、ダミ声のヤジ、紙吹雪や紙テープも解禁・・・という、どこまでも泥臭くやってもらいたいものである。まあ、そんなことしたら女性ファンは来なくなるかもしれないが・・・。

2月からはいよいよキャンプが始まる。オリックス、ソフトバンクともその日に向けて充実した稽古を積んでもらいたいものである・・・・。

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新春の厳島神社へ

2013年01月25日 | 旅行記F・中国

この間はオリックス対日本ハムのトレード話について書いたので、仕切り直しで旅行記の続きを。

Dscn8517山口・湯田温泉のホテル「喜良久」で朝風呂につかり、雑煮、お節料理、お屠蘇も楽しめるバイキング形式の朝食を済ませ、8時過ぎの気動車に乗車。久しぶりに山口市内を見物する、あるいは下関方面に向かう、ということも考えたが、何せ青春18きっぷで大阪まで戻らなければならない。当初の計画通り、新山口から山陽線で広島方面に向かう。

Dscn8520山陽線の岩国行は115系の3000番台。転換クロスシートのついた広島地区オリジナルの車両で、広島勤務時代には通勤の行き帰りによく乗ったものである。懐かしい。また山陽線のこの区間に乗るのも久しぶりである。

Dscn8531こちらに来てようやく瀬戸内海に出た。日本海と瀬戸内海、二つの海を見ることになったがやはり表情は全然違う。

岩国からは広島方面行きに乗車する。予想はしていたが車内は大混雑。そりゃ、日本三景、世界遺産の厳島神社へ向かう初詣客が多い。私も今回、厳島神社に向かう。出雲大社、太鼓谷稲成神社、そして厳島神社と島根、広島を代表する神社への参拝が目的となった今回の旅である。ただ、正月に厳島神社を訪れるのは初めて。広島勤務時代も、正月というのは大阪に帰省していたから。

Dscn8536青春18きっぷは宮島連絡船も対象となっており、そのまま桟橋に向かう。こちらも大行列だが、連絡船も3隻体制で10分ごとの運航。また車両甲板も開放して乗客を詰めると結構な人数が収まるものである。

Dscn8547宮島へは広電系の松大フェリーもあるが、JR連絡船は厳島神社の大鳥居に近いルートを通る。この、宮島の弥山と穏やかな瀬戸内の海に包まれた神社の光景というのはいつ来てもいいものである。また、行く時間によって潮が干潮か満潮か、鳥居が海に浮かぶように見えるか、あるいは鳥居の下まで歩いて行けるか、ネットで調べれば事前でもわかることだが、その日に現地に行ってどの景色に会えるかというのも楽しみである。今回は満潮とまで行かないまでも結構潮が満ちていた。干潮と満潮のどちらが良いかと聞かれれば、やはり絵になる満潮時かな。

Dscn8560下船して鹿の出迎えを受けるが、やはり参拝客の多さである。参道を歩くが、神社の入口のところで行列である。私が最後尾について後ろを振り返るとあっという間に行列が何メートルも伸びる。これでも2日だからまだ穏やかなほうで、元日はもっと大層な人出だったそうだ。厳島神社の構造からして、ここは入場制限をかけなければならないとのこと。

Dscn8564まあ今日中には参拝できるだろうな、とのんびり構えることにして、やっと行列が動き出した。行列がなかなか前に進まないのはもちろん人が多いからだが、その間に別の入口からツアーの団体客が割り込んでいくこともある。まあ時間が限られているから仕方がないのかな。

Dscn8576Dscn8572ようやく中に入る。中でも待つことになるが、そこは建物をじっくりと眺めることで過ごす。そうするうちにようやく中央の拝殿に至り、改めて新年に向けた祈願を行う(あ、でも厳島神社って、カップルで来ると別れるという嫌な言い伝えがあったよな・・・)。

Dscn8587拝殿から高舞台を挟んで鳥居を見る。この角度もいい。先端の灯籠と鳥居をセットで記念撮影する人も順番待ちの状態になっている。そんな中、高舞台の周りに人だかりができており、そのうち神社の人が灯籠のところにいる参拝客を追い立てにかかる。何でも、これから新春の舞楽を奉納するという。

Dscn8598Dscn8608雅楽の音色に乗って4人の男性が高舞台に上がる。奉納するのは萬歳楽。唐の時代、聖王の前に鳳凰が飛来して「聖王萬歳」と唱えたという伝説がある。その鳳凰の声や姿を舞楽にしたもの。しばらくその優雅さを観賞する。

Dscn8623厳島神社では何組もの人たちから撮影を頼まれる。普通のカメラならいいのだが、最近はスマホという人も多く、スマホを持っていない私としては不慣れで大丈夫かなと思う。画面のカメラボタンを押して、そこからちょっと間が空いてシャッター音がする感じで、タイミングがずれる気がする。それにしてもスマホの画質は結構いいみたいで、コンパクトタイプのデジタルカメラもだいぶ押されているという。カメラはスマホか一眼レフのいずれか、という日も来るかもしれない。

Dscn8627神社の裏参道も人だかり。まだ昼食をとっていないのだが、どこも行列である。広島に来たのだからと焼きカキをつまみ、土産物屋街でカキの鉄板焼とお好み焼をいただく。本当なら広島駅ビルと市内の新天地に好みの店があるのだが、今回は宮島口から鈍行乗り継ぎで帰るために立ち寄る時間がない。

Dscn8631観光地の中のこととて、この店のお好み焼も絶品とまではいかなくとも、まあこんなもんかという感じでいただいた。

Dscn8643そろそろ宮島を後に、連絡船に乗る。帰りも一本やり過ごすことになったが無事に本土に戻ってきた。ちょうど2駅岩国寄りの大野浦始発の糸崎行きがあり、残念だが広島はこれでスルーする。まあまた、今度はあの人と来れればいいか。ジンクスがあっても、せっかくの世界遺産なのだから厳島神社にも参拝したい。

広島時代に住んでいた五日市も過ぎ、広島から先の山陽線にも久しぶりに足を踏み入れる。セノハチ越え、西条辺りに来るともう日が落ちる頃だった。

糸崎の一つ前、三原で下車する。時刻表を見るに、本数の少ない岡山~姫路間の連絡も踏まえると、およそ1時間後に三原を出る姫路行に乗るのがいいかなということに。そこで、夕食の時間に当てることに。

Dscn8652三原といえばタコが有名なのだが、おあつらえ向きに駅前に「さかなや道場」がある。この「さかなや道場」は確かチェーン店で、マグロの形のハリボテが看板になっていたと思うが、ここは何とタコのハリボテ。糸崎や尾道といった漁港の札や、メニューにはタコ料理、広島カキ、そして広島の酒。もちろん居酒屋定番メニューも多いが、エリアによって郷土色を出しているのかな。

Dscn8651広島代表ということで千福に酔心、そして焼きカキやらタコ料理をいただく。最後は目の前で炊きたてのタコ飯。

広島カキとお好み焼はこの旅のお目当ての一つだったが、三原のタコは思わぬ出会い。こういうのがあるから、鈍行乗り継ぎは面白い。

その後は夜の闇の中、延々と列車に揺られることに。大阪に戻った時は宴の後のような気持ちになったが、過ごした日程はいろんなものに出会えて実によかったと思う。

やはりいいな、鉄道の旅は・・・。

旅行記に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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旅行記の続き・・・と行きたいところだが、やはりトレードの話。

2013年01月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

年末年始から続く長い旅行記もようやく最終日の行程。

・・・さてそのことについて書こうと思った矢先に、オリックス・バファローズ関連でびっくりニュースを目にしたのでそちらについて触れることに。

北海道日本ハムとのトレードが成立したというのだが、その内容がすごい。オリックス側が木佐貫、大引、赤田。そして日本ハム側が糸井、八木というものである。

1年ローテを守った木佐貫、そして正遊撃手にして選手会長に任命されたばかりの大引、スイッチヒッターの赤田と、現役外野手としての身体能力は1、2を争う糸井、そして左の先発が期待できる八木の交換。新聞記事としては「ポスティング移籍希望、契約でもごねた糸井の放出」ということになるのだが、オリックス側としてはびっくり。東野、平野、馬原に続く大物の加入である。

これって、2013シーズンはどういう布陣になるのだろうか。球団合併以降続く「多国籍軍」状態に余計拍車がかかるが、そこに生え抜きがどう挑んでいくかである。もっとも、新加入の選手たちが「期待値通り」に活躍できれば、の話であるが。

糸井にしたって、契約のゴタゴタで出たわけだし、オリックスには何の思い入れもない、まあメジャーに移籍するまでの腰かけで来るわけだから、仮にヤル気のない凡打でもしようものなら手厳しく野次ってもいいと思う。いやそうすべき。

今季、期待大きい一方でいつも以上に手厳しく見させていただきますよ・・・。

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SL列車に揺られておいでませ湯田温泉

2013年01月21日 | 旅行記F・中国

元日、15時前には小さな津和野駅の待合室はすし詰め状態だった。15時20分に発車する「SL津和野稲成2号」の客たちだが、列車入線の関係で改札口は15時05分から開けるという。まあ、列車は指定席だから座れるのだが乗客に焦りの表情が見えるのは機関車の撮影のことがあるからだろう。

Dscn8467改札を通る。中には元日に限り新幹線や特急を含むJR西日本の列車が乗り放題のフリーパスをかざす人もいる。新幹線を使えば大阪からでも日帰りでこのSL列車の往復乗車も可能であるが、実際にそれをやる人というのを見ると、ツワモノやなと思ってしまう。

Dscn8471私が指定されたのは最後尾の3号車。客車内は大正風というレトロ調になっているが、まずは網棚にバッグを上げてすぐに先頭の機関車に向かう。既に多くの人たちがカメラやスマホ、携帯を向け、その姿を記念に残そうとしている。記念撮影の子どもが機関車の前に立つたびに、後ろのほうから「チッ」という舌打ちが聞こえるのが気になるが・・・・(まだ罵声が飛ばなかっただけ平穏だったということか。場所と被写体によっては、「その筋」の人に首根っこつかまれてボコボコにされ、近くの川に簀巻きにされて流されてもおかしくない)。

Dscn8480記念撮影したいというのと、余計なものがない、きれいな写真を撮りたいという気持ち、両方わかる。ただどちらの肩を持つかと聞かれれば、後者。特に混雑している中というのは、子どもを機関車の前に立たせている時間、10数秒かもしれないが多くの人がシャッターを押せず迷惑に思っていることも、親御さんにはわかっていただきたいのである。一定のところから中に入らないのが、マナーってもんやないかな。

Dscn8482SLの後にはディーゼル機関車のDD51。これがC56を後ろから押していく。最近ではディーゼル機関車が客車を牽引するという光景も珍しいものとなったなと思う。無理に組まさなくても・・・とも思うのだが。

そろそろ発車時刻となり、機関車に群がっていた人たちも慌てて客車に戻る。SL独特のブォーっという汽笛と、ディーゼル機関車のホヮーっという汽笛が相次いで響き、ガタリと動き出す。それぞれ異なる機関車、汽笛でタイミングを取るのだがその連携もかなり息が合っていないと難しいのかな。

Dscn8487青空で雪もだいぶ溶けてきたとはいえまだまだ白い津和野の盆地を後にして、山越えに挑む。トンネルも多いことから「窓を閉めてください」とのアナウンスが流れる。もっともこういう山越えというのは、SLの煙もよく出るところ。それだけに撮影ポイントとなっており、沿線には多くの人たちが三脚を構えて並んでいる。先ほど津和野駅の奥の転車台で撮影していた人も少なからず沿線のどこかで迎え撃っていることだろう。

Dscn8493一方で「乗り鉄」というか「飲み鉄」の私としては、実際に乗ってしまえば「昔ながらの客車でゆったりとしてよろしいですなあ」と、機関車より客車のムードのほうが気になる。「SLに引かれているんだぞ」と言い聞かせる一方で、「乗ってしまえば機関車は関係ないな」という気持ちも出てくる。ディーゼル機関車、あるいは電気機関車でも全然問題ない。

Dscn8492車掌が乗車記念証を配りに来た。元日ということで「謹賀新年」の文字と、雪の中のSL走行風景をデザインしたもの。これを携帯のカメラに収めて年賀状代わりにメール送信してみる。「ただいま中国旅行中・・・」とか入れて。

Dscn8496山口県に入ると雪もほとんどなくなり、山地というか盆地をひた走るようになる。車内はほぼ満席だが多くは寝ていたり、スマホ、携帯に夢中だったりという光景。そんな中で篠目駅に到着。ここで数分停車ということでまた機関車のところに人が群がる。機関車も時に煙を強く復出したり、サービスを見せてくれる。

Dscn8507この列車は新山口まで行くが、山口の市街地に入り、山口駅のその次の湯田温泉で下車する。客車から降り立ち、再びSLとディーゼル機関車が汽笛を響かせ合いながら発車する光景を眺める。この日の宿は湯田温泉。これまで山口市に来たことはあるが、湯田温泉は初めてである。

Dscn8511_2泊まったのは駅から10分ほど歩いた、温泉街の中心にあるホテル喜楽久。ビジネスホテルの値段で名湯湯田温泉に入れるということで利用客も多かった。今回の旅で天然温泉につかるのは初めて。列車移動のことだけを考えればSLでそのまま新山口まで行ってしまったほうが翌日も楽できるのだが、なかなか訪れる機会のない温泉ということで。

Dscn8513荷物を置いて外に出る。メイン道路脇にも足湯がありグループ客などで賑わう。その昔、狐が傷を癒していたのを見つけたのが湯田温泉の始まりというが、観光マップで見てもあちこちに足湯があるということで、ふらりと訪れても楽しめそうなところである。

ただ、旅館に泊まって食事を取るというのが湯田温泉の主な過ごし方ということか、ビジネスホテル式の宿に泊まった時の夕食が難儀である。観光マップにはそれなりに店の掲載もあるが、元日とあっては軒並み休み。まあそれが当たり前で、結局空いているのは全国チェーンの居酒屋ということになる。正月らしさも何もないがそちらに入る。同じような観光客も多く訪れるのか、店内のインテリアに「おいでませ」ということで狐の置物が観られたのは一つほっとする。

正月とは関係なく、かといって山口、山陰山陽に特にこだわった料理に出会うことなく、淡々と済ませた正月の夜。後はホテルに戻って、こちらの天然温泉に浸かった後でこの夜こそはとパソコンを開くのであった・・・・。

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SL津和野稲成号と懐かしい日本の原風景

2013年01月20日 | 旅行記F・中国

 

太陽がちょうど南側に回ったところで再び太鼓谷稲成神社の鳥居のところにたどり着く。先の記事に書いた、これから迎える「アレ」というのは、正月の元日~3日に限定で運転されるSL「津和野稲成号」である。

Dscn8400津和野からの折り返し便の指定席は確保していたが、街中にいるのだから新山口からやって来る便をどこかで見ることができればなと思ったのである。神社の境内だと雪景色の中、煙を吐いてやって来る全景を見ることができるのだが、もう少し近くで絵になりそうなところで見てみたい。そう思い、津和野川の土手に立つ。鉄橋を渡るところを撮ってみようというのである。<o:p></o:p>

 

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Dscn8411遠くで汽笛の音がし、煙が上がるのを見る。頃合を見計らって、蒸気が鉄橋に差し掛かったところでシャッターを押す。するとどうだろう、先頭のC56に続いて、赤いディーゼル機関車・DD51が続くではないか。そしてレトロ風の客車が3両。初詣客も列車に向けてカメラや携帯を向けるが、通ってしまえばあっという間のことである。このディーゼル機関車自体は私の好きな車種なのでいいのだが、SL列車としての見た目としてはどうだろうか。<o:p></o:p>

 

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Dscn8424津和野駅に出ると、到着後しばらくは記念撮影タイムということでホームに停まっていた。ここで先に青春18きっぷに日付を入れてもらい跨線橋からホームに向かう。C56は「ポニー」の愛称で親しまれた、どちらかと言えば小ぶりな部類に入る車体であるが、この山口線だけでなく、琵琶湖などあちこちのイベント運転に顔を出している。さすがにこれ1機では山口線の山越えが難しいということか、ディーゼル機関車の後押しによる運転である。<o:p></o:p>

 

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何人かの人と一緒に跨線橋の上で窓を開けてしばらく撮影していると汽笛が響き、ガタリと動き出した。気づいた時には既に遅く、窓から蒸気が容赦なく入ってきた。一瞬視界が全く利かなくなり、年明けからいたずらをされたようなものだ。<o:p></o:p>

 

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Dscn8442C56は折り返しの発車までは駅奥の側線で休憩するということで、転車台に差し掛かる。その様子を見に行こうと大勢の人たちが向かう。観光客もいれば「その筋」の人も。三脚や脚立を持って「今年もよろしくお願いします」と挨拶しあう光景も見られる。撮影を好む人たちも「初撮りはどこに出撃?」みたいな感じの交流があるのだろう。方角としては逆光となり結構眩しいのだが、先ほどまで煙を出して走っていた、暖かい状態のSLが転車台を回る光景はそう見ることができるものではない。<o:p></o:p>

 

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Dscn8463駅に戻り、津和野最後の立ち寄りスポットとして駅前の安野光雅美術館に向かう。年末が休館で元日から開館という施設。津和野出身の氏の多くの作品が収められている。この時は「絵のある自伝」や「風景と出会い」など、自身の津和野での思い出や風物を絵に託した作品の数々が展示されており、ちょっとユーモアを利かせたコメントも面白い。色調は淡いのだが、細部までしっかりと描かれた作品は思わずその世界に入ってしまいそうな気がする。<o:p></o:p>

 

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展示棟の他には昔の木造校舎をイメージした学習棟がある。ここでは氏のこれまでの作品を読むことができる。エッシャーのだまし絵のような「ふしぎなえ」(ひょっとしたら子どもの頃に読んだかもしれない)や「平家物語」、そして氏のライフワークとも言える「旅の絵本」のシリーズ。特に「旅の絵本」は、よく博物館で見るジオラマの絵本版とでも言おうか、行ったことはないのその国の街の賑わいが伝わって来るし、自分がその中に入って疑似体験をしているようにも思える。<o:p></o:p>

 

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旅から戻った後、NHKのEテレ「日曜美術館」で、現在取り組んでいる「旅の絵本」の日本編の制作を紹介しているのを見た。そこでイメージする日本の懐かしい風景というのが、氏の故郷である津和野である。番組ではこの美術館に設けられたアトリエでの制作風景や、津和野の風物に思いを馳せる氏のインタビューが紹介されていたが、何だか「おそらくこれが自分の最後の大きな仕事」と言っているかのように聞こえた。「旅の絵本」に描かれた「旅人」が最後は自分の原点である津和野、日本の風景に戻る。それを氏の集大成にしようというのかな。いや、こう勝手なことを言ってはまだまだご健在の氏には申し訳ないのだが・・・。<o:p></o:p>

 

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この日の雪景色を含め、四季折々に豊かな表情を見せる素朴な町。訪れる多くの観光客もその豊かさと懐かしさに引かれるのだと思う。SL「やまぐち号」や「津和野稲成号」が長年人気を保って津和野の町を走り続けるのも、それがよく似合うからだろう。また来たいと思うし、「旅の絵本」が出来上がるのも楽しみである。<o:p></o:p>

 

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そうこうするうちにSLの出発時刻が近づいてきた。駅に戻りロッカーからバッグを取り出した時には、小ぶりな待合スペースに人があふれていた・・・・。<o:p></o:p>

 

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新年の津和野歩き

2013年01月18日 | 旅行記F・中国

このブログの旅行記もようやく新たな年を迎えることになった(ここまで時間をかけ過ぎたので、多少は端折っていきたいのだが)。

太鼓谷稲成神社への初詣を終えて民宿に戻る。玄関も開いており、部屋のカギは受付に置いてあった。また外に出て冷えた身体をストーブとこたつで暖めて横になる。

Dscn8354翌朝、朝食は7時半とゆったりしたものである。正月らしく雑煮におせち料理も出た。まずは新年をいい感じで過ごせそうである。

Dscn8358初日の出は見ることはできなかったが、元日の津和野の空は明るい。昨夜から積もった雪をジャリジャリ言わせながら出立し、まずは駅のロッカーにバッグを放り込む。この日は午後まで津和野にいる予定で、まあゆったりと街歩きができる。路地では道路の雪かきをする姿が結構見られる。

Dscn8370元日といえば年末年始で休館する施設も多いが、観光地ということもあってか開いている施設もあるようだ。駅からてくてくと歩いてやってきたのは森鴎外記念館。昨年2012年は森鴎外の生誕150年だったという。ちょうど開館時間直後ということでスタッフの人たちもまだ雪かきをしていたが、私の来訪を見て受付にやってくる。年明け最初の見学客、ということでいいのかな。

Dscn8366前回来た時には鴎外の旧居は見たことがあるが、この施設はあっただろうか。はっきりと憶えていない。いろいろと回っている(と言われる)割には憶えていないことも多いものである。だから写真を撮ったり、最近ではこうしてブログ形式で残すというのもあると思う。

Dscn8368館内は軍医として、そして文学者として「二生を生きた」鴎外の生涯の足跡が数多くの写真、遺品、原稿で紹介されている。津和野の出身とはいえ、10歳の頃に上京して以来、一度も戻ることはなかった津和野。ただ、「石見人 森林太郎として死せんと欲す」という遺言にあるように、最後までこの穏やかな山地を思っていたところはあった。

森鴎外の作品をそれだけ読破した・・・ということはないが、伝統と革新、西洋と日本の両面を描き出すことのできる、日本の近代文学の先駆者として果たした役割は大きい。また読み返してもいいかなと思う。

Dscn8373記念館に隣接した旧居を見る。そこから仰ぎ見る雪をかぶった津和野城。その城も街を見下ろす厳しい存在ではなく、街の人たちを暖かく見守っているように見える。この小さな街から森鴎外や西周、伊沢蘭奢、そして安野光雅といった文化人たちが輩出されたというのも不思議に思えるが、小さいから何かと行き届いたというのがあるのかな、とも勝手に思ったりする。

Dscn8380Dscn8381先ほども参拝したばかりではあるが、もう一度太鼓谷稲成神社への石段を上がる。夜とは違った、昼の顔というのも見てみたい。白い雪と朱色の鳥居のコントラストが見ていて気持ちいい。さすがに参拝客の姿も多く、多くの人とすれ違うし、ちょっと前がつかえたりというのもある。それでも、盆地の全体を見下ろす眺めというのもいいものだ。

Dscn8382朝から晴れているせいか雪も溶けかけており、あちこちで水のしたたる光景を見る。境内もびしょびしょ。そんな中での再びのお参りに、「あんた、0時過ぎに来たんじゃない?」と神様に言われているような気がする。

Dscn8387神社に参拝したすぐ後でというのも節操ない話だが、再び殿町通りを抜け、やってきたのが駅の裏手にある乙女峠マリア聖堂。名前はロマンチックだが、その裏には明治初め、まだ廃藩置県が行われる前の津和野藩で起こったキリシタン殉教の悲劇がある。表通りにカトリック教会がある一方でこうした殉教の舞台があるというのも妙な感じがする。こちらは日当たりのこともあるのか、結構雪深い。何もなければ下から2~3分で上がれるところだが、歩くのに結構苦労する。手すりを使わなければ滑りそうだが、その手すりにも雪が積もっている。

それにしても、雪景色というのはなぜロマンを感じるのだろうか。普段見れば「お堂がありますなあ」で済んでしまいそうな景色も、雪をまとうと日常から脱した存在のように見える。まあ、こういう感想も、普段雪に出会うことのない地域に住む人間の思い上がりでしかないのだが。

Dscn8384ここまで歩いたところでちょうど昼時。線路際の古民家風の店でうどんと蕗のおむすび、豆茶の昼食とし、津和野の和紙の店を冷やかす。そろそろ昼ということで、「アレ」が津和野にやってくる時刻かな。それをどこで見ようか。太鼓谷稲成神社から見下ろすのもいいし、津和野川と合わせて間近で見るのもいいなと思ったり。そんな思いも合わせて、「アレ」の到着を待って、時計とにらめっこするのであった・・・・。

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津和野での年越し

2013年01月16日 | 旅行記F・中国

夕方前の津和野の町歩きを楽しみ、民宿「原田屋」に戻る。部屋に戻り、ストーブとこたつで暖まる。エアコンと違い、手足を直に温めるというのがいい。夕食の時間までテレビを見て過ごす。パソコンを開けるという手もあったのだが、持参の無線機器ではここは圏外で接続できない。ある程度予測できたこととは言え、ちょっと残念。テレビは日テレ、TBS、フジ系列が島根の局、テレ朝系列が山口の局(島根には同系列のテレビ局がない)という、島根といっても山口に近い津和野らしさ(津和野が山口県にあると思っている人も結構いるのでは)の面白さ。

さて夕食は食堂でいただく。私の他には東京方面からのご高齢の女性3人組、先ほど帰ってきた時に玄関で見かけた中年の一人旅男性、そして言葉づかいから広島あたりと思われるアツアツのカップル一組。このくらい小ぢんまりとした風情である。

Dscn8307今回注文したのは「酒蔵鍋」のセット。津和野をはじめ中国山地の酒どころで供される料理で、酒粕と味噌、出汁の中に思い思いの具材を入れたものである。煮え立つとほんのりと甘い香が漂うが、酒粕もそれほどまでに自己主張はせず、酒の飲めない方でも美味しくいただける味。これに、日本海と山陽を結ぶ交通の要衝であった津和野らしく、山海の味がふんだんに出てくる。ズワイガニのゆでたものもいただく。

Dscn8312隣のカップルも一眼レフカメラを持ち出して料理の写真を撮ったり、食べているお互いを撮りあったりしている。うーん、2食つきの宿の食事といえばそれ自体が楽しみに含まれており、こういうのを一緒に味わうというのがええんですな・・・。それを微笑ましく横で見ながら、酒蔵鍋と格闘。年越しそばということで割子のそばもいただく。

食後に入浴(こちらは家庭風呂で、さすがに温泉とはいかなかったが)し、すでに敷かれていた布団に横になる。電気の敷布が敷かれており、ストーブ、こたつとともに十分に暖まる。外はまた雪が降り出したようで、こういう雪国での年越しというのも普段味わえないことで、貴重なこととして楽しむ。まあ、テレビのほうはどのチャンネルに合わせるということもなく、気の向くままに変える。

そうするうちに22時を回った。ここで再び重装備に身を固め、玄関でおかみさんに声をかけて外に出る。津和野には「日本五大稲荷」の一つとされる太鼓谷稲成神社がある。ここに年始のお参りにでかけようというのである。民宿だから夜間の出入りはよくないかなと思っていたが、玄関扉は開けておく(多分、誰か起きていると思う)、部屋の鍵は受付に置いておく、ということで送り出される。

Dscn8317太鼓谷稲成神社は海抜213メートルと、山の中腹に位置する。雪がちらつく中、歩く人もほとんどいない石段の参道に入る。鳥居が立ち並ぶ中を15分ほどかけて上り、23時過ぎに境内に到着する。

Dscn8323Dscn8325境内は初詣客の受け入れに向けて縁起物の支度に追われている巫女さんや、雑踏警備に向けて段取りの打ち合わせをする警備員さんたちの姿を見る。参拝客はまだぽつぽつといったところである。雪は降ったりやんだり、時には月を見ることができる。

Dscn8332この光景だけ見れば、NHKの「ゆく年くる年」の風情にも通じるかなと思う。

Dscn833623時半を回り、毎年参拝しているような感じの人たちが拝殿に並ぶ。私もそちらに向かう。雪は時に強く振るが、ちょうど拝殿の庇の下にあたるところでしのぐことができる。「いつもならこの時間でもっと行列ができとったよね」という会話も聞こえる。その行列は境内を一周して下の駐車場のところまで伸びるそうなのだが、この雪のせいで出足が鈍いのかもしれない。年越しまであと何分かな。待つ間、ネットワークの混雑に加担するとは知りながら、つい「あけおめメール」の準備をしてしまう。

Dscn8337そうするうちに境内を囲むくらいの行列ができ、時刻も0時に近づいた。並ぶ人もそれぞれ時計や携帯、スマホを見て時間を確認。特にカウントダウンのコールや、0時の合図もなく、「あ、0時なった」という感じで、先頭の客が賽銭を投げ入れる。その後は粛々と参拝が進む。私も賽銭を入れ、新たな年への希望に向けてお祈りを済ませる。その前、0時の瞬間にあの人に向けて送信ボタンを押したメール。何回か跳ね返されたが10分ほどで相手に送信することができた。

しばらくは年越し直後の境内の賑わいを眺め、再び石段で下山する。太鼓谷稲成神社の入口に別の神社があり、そこで「ついでに」という感じで賽銭を入れると、女性の神主さんが顔を出した。「御祓いしましょう」ということで、口開け客になるのかどうかはわからないが、私一人でサッサと御祓いを受ける。何だかプラスアルファでご利益が増すようないい感じ。

Dscn8347雪道を歩く。人通りの途絶えた殿町通りに出る。新雪をチャリチャリ言わせて踏みしめるのもいいものである。後は宿まで戻る。寒さに震える体をこたつで暖める。元日の天気は曇り、雨の予報。もとよりご来光を仰ぐというのは期待していなかったことだが、夕方近くまで津和野で過ごす予定の中では、何とか悪天候にならないことを願うのであった・・・・。

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雪の津和野を歩く

2013年01月14日 | 旅行記F・中国

大晦日の昼下がり、津和野駅に降り立つ。10何年ぶりかの訪問である。学生時代に1回、社会人になってすぐに1回だったが、その時はいずれも町外れにあるユースホステルに宿泊。今はもうやっていないのだが、風呂が五右衛門風呂だったり、1回目の時は安野光雅、2回目の時は森鴎外のファンだという女の子と出会ったりとか、若い旅の思い出もあった。そんなことを懐かしく思う。

Dscn8263今回は駅から歩いて5分ほどにある民宿「原田屋」にお世話になる。だが道路は一面の雪。ここまでバッグのキャスターをゴロゴロ転がしていたのだがこれでは無理。紐をかけて肩にかけ、雪が舞う中を歩く。

Dscn8262Dscn8264通されたのは4畳半の一人部屋。「暖房がストーブとこたつしかなくて」とおかみさんに恐縮されるが、普段自室では暖房をほとんど使用しない私としては、懐かしい日本らしさを感じてありがたい。ただ、せっかく明るいうちに着いたので町も歩いてみたい。バッグを置いて外に出る。あちこちの路地では玄関先の雪かきが行われている。

Dscn8266メインストリートを歩く。源氏巻を扱う店、「津和野の女 伊沢蘭奢のように」とのパネルを出す薬屋、昔ながらの商店が歩く。そろそろ年内の営業も終わりということで、仕舞支度をする光景が見られる。

Dscn8271そんな中で「華泉」「初陣」といった酒蔵に出会う。津和野も青野山ときれいな水が生み出す酒どころ。これまで来た時はのぞくこともなかったが、今回は酒蔵に入りいろいろ試飲し、300ミリの瓶を買い求める。これで年越しも万全(?)である。「一杯一杯復一杯」・・・この旅ではどうもこのフレーズが頭に浮かんでは消える。いかんな、どうも。

Dscn8285Dscn8283そしてやってきたのが殿町通り。観光バスの客も多く賑わっている。カトリック教会、なまこ塀、堀割の鯉・・・・雪を纏うと実に美しく見える。舞っていた雪もやんで青空が見えてきた。特にカトリック教会の佇まいは、一瞬北欧にでもいるかのような神秘さを感じさせるが、そのすぐ後には静かな城下町によく溶け込んだ、和の佇まいも感じる。

Dscn8290Dscn8291

Dscn8278雪の城下町、地元の人にとっては煩わしい雪だろうが、観光客としては冬の風情ある景色に出会うことができて、いい思い出である。一年の締めくくりにいい景色に出会え、新しい年が良いものになるかなと期待させるものであった・・・。

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益田・医光寺

2013年01月13日 | 旅行記F・中国

Dscn8204益田駅に降り立つ。こちらの駅舎は元の国鉄時代の主要駅、という風情を残している感じがする。ただ駅舎内にCDショップが併設されており、新譜の入荷情報やコンサートのポスターが貼られている。時間がちょうど昼ということでどこか昼食をとれるところがないか探してみるが、駅前の辺りはもともと飲食店がすくなく、あっても大晦日のこととて休業している。あらあら。

駅から少し離れた国道のほうに行けばイオンやチェーンの飲食店もあるようだが、まあいいか。

観光パンフレットなど見ると、益田は柿本人麻呂と雪舟ゆかりの地である。人麻呂の出生地、そして最期の地、そして雪舟終焉の地ということだが、いずれも歴史上有名なのに、その人生には謎が多いとされている。時間があるのだからどこか回ってみようと思う。雪舟が造ったという庭園がある医光寺に向かう。ここには「雪舟ライン」ということでバスが出ている。

Dscn8206まず出迎えてくれるのは木造の総門。戦国時代に益田にあった七尾城の大手門を移築したものである。そして「崇観禅寺」という立札のある本堂へ。受付で案内を乞うて中に入る。雪舟の肖像画や、子どもの頃に涙でネズミを描いた逸話を表現した木像などを見て、庭園へ。

Dscn8210Dscn8213鶴をかたどった池に、亀の形をした島を配置した回遊式の庭園。春の桜、初夏のツツジ、夏の緑、秋の紅葉、そして冬の雪が水墨画の世界を演出するようだが、冬で雪が降らない時は、枯れ枯れとした庭園である。ちょっと物足りないかなという気がするが、日常の表情と言うのはこういうものだろう。この枯れた風情というのも禅の精神に通じるような・・・気がする。

Dscn8218また堂内には17世紀に彫られたという十六羅漢像が安置されている。中には一部が朽ちて欠けてるものもあるが、いずれも表情は結構豊かで、夜中に一人でこの堂内にいると、これらが動き出すのではないかと思わせる。

Dscn8220バスは頻繁に走っているようだが、山口線の列車まで時間があるし、帰りは駅まで歩くことにする。途中の萬福寺というところで雪舟の石像に出会ったり、益田川という水量豊かな川に沿って歩く。途中で大きな石碑を見る。1983年の7月に山陰集中豪雨というのがあり、益田でも600ミリを超える豪雨になったとか。この益田川の堤防も決壊して多くの被害が出たが、その復旧と言うことで堤防の強化や上流のダム建設などを行ったことを記念したものという。そういう出来事があったのかと思う。

そのまま昼食場所が見つからずに駅前まで戻ってきたが、幸い一つ路地を入ったところにスーパーを発見。年越しや正月の食材を買い求める地元の人たちで賑わっていた。私もここで弁当や惣菜、地酒の瓶を買うことができた。これで昼食と宿での年越しも心配なくなった。

Dscn8221予定より1本早く、14時03分発の山口線の列車に乗る。2両のキハ47はガラガラで出発。柿本人麻呂を祀る神社をちらっと見て、市街地から山間部に向かう。すると急に空が暗くなり、雪が舞うようになった。

Dscn8226Dscn8245そしてあっという間に、昨日今日で積もったとは思えない雪景色となった。思わず目がパチリとする。益田を出てこんな感じなら、津和野に着く頃には結構な量となるだろう。冬の旅用にブーツを履いてきたのだが、ようやくそれが効果を発揮することになってきた。地元の人に対しては不謹慎に思われるが、雪が見られるということでワクワクした気持ちである。

Dscn8261津和野に到着。駅前も積雪である。この夜は市街地の民宿に泊まるのだが、早めにチェックインしてしばらく雪の小京都を歩くことにする・・・・。

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山陰の海を車窓に

2013年01月12日 | 旅行記F・中国

12月31日、松江駅からこの日初めて青春18きっぷを使用する。

2日宿泊したグリーンリッチホテル、大浴場もあれば朝食もついておりなかなかよかった。朝食には30日が島根産の十二穀米、31日が出雲割子そばがでてきた。一足早い年越しそばになるかな。

Dscn8115この日は山陰本線で益田まで向かい、山口線に乗り換えて津和野まで行く。山陰本線のこの区間に乗るのも何年振りだろうか。山陰本線の時刻、益田での待ち時間、津和野の到着時刻、いろいろ検討する。その中で米子発益田行の快速アクアライナーで9時01分に松江を出発するのが後の展開が楽である。ただ確実に座席を確保したいのと、早くに駅にやってきたため、一度別の列車で一つ手前の東松江に向かう。コンテナ貨物駅(ただしトラック代行)を向こうに見て、2両の気動車を捕まえる。ただ長距離の快速とはいえワンマン扱い。乗ろうとした扉が開かず、慌てて1両目後部のドアに向かう。乗った時は立ち客も出たが、松江で多くが下車。私の読み通り進行右側のボックス席を確保することができた。

Dscn8118出発すると宍道湖が見える。ただこの大晦日は「年越し低気圧」の予報が出ており、外の風もきつそうである。宍道湖も強風が吹き荒れており、荒波が立っている。これだけ大きな湖だとパッと見た目は海とは変わらない。おまけに雪も降ってきた。まあ、雨よりは雪のほうが、旅をする分にはまだ動きやすいかな。これから島根県を横断するわけだが、宿泊地となる津和野の天気はどうだろうか。

出雲市に到着。ここから浜田までは快速として主な駅しか停車しない。山陰本線という、汽車旅の醍醐味を味わえる路線は各駅停車でじっくりと行くのがよい。というわけで、出雲市でこの快速を降りて、30分後に出る各駅停車に乗り換えた・・・というのであればプロの鉄道旅行家にも認められるのだろうが、それはしなかった。理由としては、せっかく座り心地のいい車両の海側の座席を確保しているというのに、レールバスのようなロングシート車に身を移す必要もないだろうというのと、終点の益田というのは通っただけで、どんな街なのか見てもいいかなと思ったということ。

Dscn8125Dscn8122小田駅を通過すると日本海が広がる。天候は目まぐるしく変わり、雪が舞うと思えば晴れ間もさす。この快速くらいのスピードであっても、その寒々しいながらも素朴に広がる海の景色の楽しさは十分に満喫できる。気づけばずっと海のほうにカメラを向けていた。

Dscn8136世界最大級の砂時計があるサンドミュージアムや、鳴き砂で有名な琴ヶ浜のある仁万を通過する。この辺りで、斜め後ろからは大田市から乗ってきた爺さんの演説(?)が聞こえる。島根県の農業がどうとか、「私が国民学校に行っていた時分は・・・」などと、相席になった女性客に話しかけている。悪い人ではないのだが、相槌を打つのには苦労しているようだ。

Dscn8144一方隣のボックスでは、席が空いているにも関わらず反対方向を向いて並んで座るカップル。松江から乗ってきたのだが、旅行にしては身軽だし、どこまで行くのだろうか。海に興味を示す様子もなく、仲良さそうに眠っている。そう言えばこの旅を見送ってくれたKさんも今日から旅行に出ている。その行き先、おそらく雲もほとんどない快晴だろう。その一方で波高い日本海。いやはや、日本の気候の多様性を感じる。

Dscn8140温泉津に到着。先ほどの演説の爺さんはここで下車。温泉津と言えば鉄道紀行作家・西村健太郎氏の著作「週末夜汽車紀行」でも著者のルーツに関連する地として訪れており、山陰本線の旅においても途中下車して温泉につかっている。それを読むと、石見銀山の世界遺産登録後も変わらぬ風情(というよりはその恩恵に与らなかった)を残すという温泉津にも訪れたくなるのだが、今回は通過。

Dscn8147長い鉄橋で江の川を渡り、日本製紙の巨大な工場を遠くに見る江津に到着。列車が駅に着く際、駅前にJRバスの車両が見えた。行き先表示に「社会実験」という文字が見えた。2012年10月から12月末日(まさにこの旅の日)の間、三江線の区間に通常の列車に加えて路線バスを増発し、三江線の利便性の向上につなげようという取り組みが行われた。まあ、「列車の本数が少ないから利用しない」⇒「それなら便数を増やせば利用客も掘り起こせるだろう」という試みを、列車だと何かとコストや手順がかかるので、簡易にバスで行おうというものである。

Dscn8151ただ、松江のホテルで読んだ地元紙によれば結果は厳しい見通しで、多少便数を増やしたからといって利用客の増加につながると言われれば難しいという結論になりそうとのことである。私も広島時代に三江線に乗りに行ったが、その時も乗車していたのはほとんどが「その筋」の人だったと思う。沿線には何もないわけではなく、江の川の流れにちなんだスポットや温泉もある。ただ、それを活かすのも難しそう。逆に、「バスでも十分輸送をまかなえるでしょ」ということで、最悪廃止・・・という流れが加速しないかが心配である。2013年になって、JR西日本と自治体はどのように判断するか。

Dscn8158波子と書いて「はし」という小駅がある。快速はここに停車し、結構下車がある。松江から乗っていたカップルもここで下車。駅の周りには何もないように見えるが、実は山陰最大の水族館である「しまね海洋館アクアス」の最寄駅(徒歩約8分)ということだった。それにしても県庁松江から快速で2時間・・・完全に1日コースである。

Dscn8161浜田に到着。ここまで来ると空もかなり明るくなってきた。浜田で昼食を兼ねて途中下車も考えたがそのまま乗りとおす。乗客もかなり減った。浜田から益田までは再び各駅に停車する。

Dscn8181Dscn8199この先の折居の辺りの海岸線も美しい。これが春や夏ならキラキラと輝いて見え、小さな駅にふらりと途中下車して2時間でも3時間でも佇んでみたくなる景色である。またそういう季節に来てみたい。

松江からおよそ3時間、12時08分に益田に到着。津和野に向かう山口線の列車まで時間はぽっかり空いている。昼食時でもあるし、県西部のこの街を少し歩いてみようかと思う・・・・。

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松江・2日目の夜

2013年01月11日 | 旅行記F・中国

日御碕を訪れた後で出雲大社前駅に戻る。こちらまで戻ると雨も小降りとなり、先ほど強い海風にさらされた私をあざ笑うかのようである。

Dscn8036列車の発車まで時間があったので、駅横に保存されている一畑電車のデハニ50を見に行く。これを体験運転するということは叶わなかったが、こちらでは内装を開放しており、昭和初期の名車と触れ合うことができる。朝に松江からやってきた時ものぞいてみたのだがまだ扉が開いておらず、このタイミングということになった。

Dscn8081Dscn8084今でこそ鉄道ブームだとか、映画「RAILWAYS」で登場するところから一般の観光客にも人気の一畑電車であるが、鉄道旅行作家のあの故・宮脇俊三氏が編集者と全国のローカル私鉄を訪問した紀行文の「時刻表おくのほそ道」では、1980年代初めのルポとは言え、おそらくデハニ50と思われる車両や出雲大社前駅の建物はオンボロにこき下ろされている。時代によって何が乗客に受け入れられるかわからないし、鉄道紀行作家の書くことが必ずしも後の世にマッチするものではないということを現しているようである。

Dscn8087洋風のステンドガラスもはめ込まれた駅舎で待つうち、多くの観光客が入ってきた。外の雨はやんだとは言え風は強く感じる。窓越しにデハニ50を眺めることができる駅併設のカフェもカップル客中心に賑わっている。

Dscn8093ここからもう松江に戻るわけだが、乗るのは急行の出雲大社号。元京王の車体を一畑オリジナルに塗色し、内装のシートは元小田急ロマンスカーのそれを一部使用している。

Dscn8095Dscn8096車内は1列×2列の構造になっているのも、特別な車両であるとのアピールだろう。2列シートの元特急車両の座席に腰かける。なかなか座り心地のいいものである。

松江しんじ湖温泉駅に到着。ここでいったんバスで松江駅前に戻る。この日もどこかで海産物を中心とした夕食になるが、さすがにホテルから店案内のパンフレットを持ってきた。これを見る限りでは松江駅前でも「探せばある」という感じである。

Dscn8106その中で選んだのが、宿泊とは別のホテルアルファーワンの1階にある「丸善水産」という店。ちょっと値が張りそうだが、松江らしいものの品揃えのアピール度は高そうである。

 

Dscn8101私が店に入った時はカウンターにも十分空席があったが、すぐ後から次々に客が来て満席に。えらい人気の店のようである。目の前には境港水揚げという松葉ガニが活きたまま生け簀の中を右に左に這っている。10杯はいるかな。1杯捌くと4千円ということもあり今回は見送り、カニの動きを目で楽しむ。そんな中、私の目の前で3杯くらいは掬われた。地元の人の忘年会、あるいはグループ旅行の客用だろうか。

Dscn8099代わりにいただいたのが、寒ブリに宍道湖七珍の一つでもある白魚の造り。白魚はツルッとした感じだが歯応えは十分にある。なかなか味なものだ。

Dscn8103そしてしじみ。しじみのガーリック醤油というのがあったので注文すると、コンロに乗った小鍋にしじみがどっさり。何匹いるのかな。オルニチンは体にいいと呪文のように言い聞かせながら中身をほじくり出すのも結構間が持つものである。その後の汁も、しじみのエキスが染み出ているようで美味しく感じた。

Dscn8105そして最後に(このメニューが目についたのがこの店を選んだ決め手)「松江おでん」をいただく。ローカルなおでんといえば名古屋や静岡、姫路当たりが思いつくが、松江というのは初めて聞いた。

店内のメニューによれば、日本海の魚介類の出汁をベースに、具材の上からは岩海苔、水菜、そしてゴマを振りかけるのが特徴という。結構あっさりした味だが、岩海苔がいい香りを出している。なかなか、悪くない感じだ。

Dscn8111この日は「一杯一杯復一杯」の李白は飲まなかったが、松江の味というのもいいなと連夜感心することになった・・・・。

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強風の日御碕へ

2013年01月09日 | 旅行記F・中国

まだまだ続く中国(地方)旅行記ですが、気長にお付き合いのほどを。

Dscn8038出雲大社に参拝し、古代史の博物館や旧大社駅を見学した後の時間である。せっかくここまで来たのだからと、島根本土の北西端に当たると言ってもいい日御碕を訪れることにする。旧大社駅近くのバス停から乗車する。車内は立ち客も出るほどであったが出雲大社でほとんど下車し、残ったのは私を含めて5人。出雲大社の先は日本海である。強い風が吹き、波も荒れる中、海岸線に沿ってバスは走る。これも冬景色として面白いところである。

Dscn8058終点の日御碕に到着。ここには10世紀に造られた日御碕神社がある。バスを降りると強風と雨が出迎える。上半身をガードし、折り畳みではあるが傘をさして参拝する。朱塗りの建物が鮮やかなのと、海に近いというだけで関係があるのかどうかはわからないけど、「わだつみ」という言葉が頭によぎる。出雲大社とはまた違った趣である。ここも縁結びに関係あるかどうかはわからないが、バスを降りた私以外の4人の乗客のうち2人は一人旅の女性。いずれも日御碕神社では実に真剣な面持ちでお祈りをしていた。由緒正しい神社なら、参拝すると清々しい気持ちになる。

Dscn8066・・・と思うのは一瞬のことで、風がきついのがたまらない。それでもせっかくここまで来たのだからと、灯台まで歩くことにする。丘に上がると歩いても10分くらいで着くということもある。

Dscn8078途中でウミネコの繁殖地でもある経島を左手に見て、やってきたのは日御碕灯台。ただ私が来るのをとうに承知していたと言わんばかりに、急に風が強くなってきた。そして雨も降ってきた。

Dscn8077幸いに上着は厚いものだし、下のパンツも少々雨に濡れても乾かせば大丈夫というもの。それでも折り畳み傘を差すが・・・・ブンという音がして強風が襲うと、ものの見事に傘の骨が折れた。下手すれば複雑骨折かというくらいに。

Dscn8063本当は岬のその先にある海の景色を存分に楽しみたかったのだが、こうなれば致し方ない。骨の折れた傘を片手に、半ば濡れネズミのような出で立ちでバス停のほうに戻る。ただバス停まで戻っても、待ち時間は30分以上ある。バス停も雨をしのげそうなところは少し離れた公衆トイレくらいしかない。

そこでしばらく待つかと思うと、「お兄さ~ん!」という声がかかる。道を隔てた向かいの土産物屋兼食堂というところ。「バスまで30分ありますから、どうぞ入っていってください」と声をかけられたのにつられて、中に入る。ハキハキした感じのおば様が出迎えてくれる。「お茶でも出しましょうか?あ、せっかく日御碕にいらっしゃったから、生から焼くイカはどうですか?後ねえ、サザエはここでしか食べられないよ。ビール飲みます?それともお酒のほうがよろしいですか・・・?」これだけのことを早口に言われる。これで最後に「ビールにします?それとも、ア・タ・シ・・・?」と言われたらテーブルをひっくり返すところだったが。

Dscn8079・・・結局ここで燗酒を頼んだ私って、一体何なんやろうか。それでも、一夜干しの焼きイカはほんのり甘みも感じるうまさだったし、サザエ焼きも身がたっぷりしていてよかった。雨に濡れた上着も乾かすことができたし、グズグズになっていた私の気持ちもカラリとしたものになってきた。

折り返しとなるバスが到着するとおば様は下車客に声をかける。若いカップルの客が「荷物を預かっていただけますか?」とやってきて、身軽になる。店を出ると強風の中、1本の傘の下でお互い身を寄せ合うカップル。その姿、実にお似合いである。恐らくさっきは出雲大社にお参りしたのだろう。それでも寒風吹きすさむ日御碕まで足を伸ばしてやってくるというところに、思わず「幸せになってな」とつぶやくのであった・・・・。

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出雲の古代史と旧大社駅に思いを馳せる

2013年01月08日 | 旅行記F・中国

出雲大社を参拝した後にやってきたのは、境内に隣接する島根県立古代出雲歴史博物館。年末も開館しているところで、その名前からしてさまざまなことに触れることができそうな予感がする。出雲大社を参拝するうちに雨も激しくなってきたので、雨宿りにもちょうどいいだろう。

Dscn8015出雲の古代史・・・一時は大和朝廷にも劣らない勢力を持った出雲、その豊かな文化を紹介するのがこの建物である。テーマは出雲大社、出雲国風土記、そして青銅器である。平成25年に遷宮祭を控える出雲大社であるが、その形というのは時代によって変わってきた。古来の出雲大社の本殿というのはもっと高い位置に坐していたという説が強くなっており、博物館ではさまざまな歴史家の説によって異なる復元(想像)模型が展示されている。それだけの想像力を掻き立てられる神社というのはそうあるものではない。

Dscn8018Dscn8024この他にも出雲国風土記で描かれた古代からの出雲の生活の様子がさまざまな出土品、アニメ、模型などで紹介されている。特に、昔の男女の出会いの場であった歌垣の様子を再現したアニメと模型には思わず見入ってしまった。まあそれはさておき、風土記は全国各地のものが編纂されているはずだが、現存するものでよく残っているのが出雲国風土記である。

Dscn8026Dscn8027これらをつなぎあわせると、古代の出雲の繁栄ぶりを結構細かく復元できる。また、遺跡から多数出土した国宝級の銅剣、銅鐸(複製もあるが)がズラリと並ぶのも、見るものをうならせる。中には卑弥呼が魏の国からいただいたものとされる道鏡もある。

Dscn8030ただ疑問なのが、出雲の支配者というのはどのような一族だったのかということ。確かに出雲にはスサノオや大国主大神というヒーローは登場するが、古代の豪族のナントカ氏というのは出てこない。まさか邪馬台国が出雲にあるということもないだろう。いやひょっとしたら私が不勉強なだけかもしれないのだが。

Dscn8035出雲の歴史が結構楽しめ、本腰を入れれば1日過ごせそうな博物館を出ると、時間はもう昼である。昼食ということで、門前の「えにし」という店に入る。立地の良さもあり、私の後は時間待ちという賑わい。ここで出雲の割子そばをいただく。素朴な味わいが何とも言えないし、割子を替える度に濃くなっていくそばつゆの風味も良い。5枚重ねがあっという間に胃袋に収まった。

Dscn8040この後は腹ごなしも兼ねて出雲市方面に歩く。1キロほどでやってきたのは、旧大社駅。国鉄~JRの大社線の終着駅。大社線は私も一度だけ乗ったが、その時は単純に往復しただけで、重要文化財にも指定された駅舎をちゃんと見たのは大社線が廃止になってからというものだった。

Dscn8054Dscn8047Dscn8053Dscn8051かつては、出雲大社と間違えてこの駅舎を拝んだ人もいたという冗談話もあった旧大社駅。今はさすがにそういう人はいないが、頻繁に観光客が歩いて、あるいはクルマでやってきて記念撮影をするのを見る。もうこの駅に鉄道がやってくることはないが、歴史の1ページとして(SLともども)保存してくれる人たちの温かさに触れることはできる。

そういえば、こんな感じで残る終着駅というのはどのくらいあるのかな。

機関車に何両もつながれた客車が威風堂々と終着駅に到着する光景・・・今となってはもう望むべからざることだが、せめてそれを彷彿とさせる、かつては栄光の歴史もあったこの駅舎だけはいつまでも残してほしいものである。

Dscn8055雨は降っているが、しばし恍惚として駅前に佇むのであった・・・。

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出雲大社に参拝

2013年01月06日 | 旅行記F・中国

Dscn7996「ばたでん」こと一畑電車でやってきた出雲大社。これが年明けてからなら参拝客でごった返すのだろうが、12月30日となると閑散としたものである。でもまあ、その分静かにじっくりとお参りできるのはよいだろう。

出雲大社に列車やバスで訪れるのはいつ以来だろうか。一畑電車の駅舎も外観の塗装が新しくなったり、カフェが併設されていたり、門前の通りもかなりきれいに整備されている印象である。

Dscn7999参道の松並木を歩く。玉砂利を踏みしめる音が耳に心地よく響く。中央部分は神様の通り道であるというのと、松の保全のために縄で仕切られており通れなくなっている。そんな参道を5分も歩けば境内の入口にやってくる。

Dscn8004Dscn8008そして境内へ。現在は平成の大遷宮に向けての工事中ということで、参拝は手前の拝殿で行うことになる。ちなみに平成25年5月が遷宮祭ということになる。平成25年は伊勢神宮、出雲大社と、日本の2つの大きな神社での遷宮が行われるが、これを機にまた神社ブームのようなものが起こることだろう。

拝殿といっても安っぽい造りではなく、大国主大神もこちらに仮に移っているわけなのでありがたみは変わらない。先ほど一畑電車のアテンダントの案内にあったように、二礼四拍手一拝の儀礼で、手を合わせる際には右手をちょっとずらして「節合わせ=不幸せ」とならぬようにする。

Dscn8005この拝殿、そして拝殿左側の神楽殿と改めて建物を見る。何度来てもうなるのがそのしめ縄の太さ。とくに神楽殿のしめ縄は長さ13メートル、重さ4.5トンと日本最大級という。いつ頃からか、「出雲大社のしめ縄に向けてお賽銭を投げ、それが刺さったら願いがかなう」という言い伝えがあり、以前に私もそれを試みて一発で刺さったということがある。ただどうもそれは出雲大社公認(?)の儀式でも何でもなく、しめ縄が傷むだけでなく、神様に対して失礼な行為に当たるということで、現在はしめ縄にはネットが張られている。

参拝を済ませた後、願い事を込めて絵馬を奉納する。初詣ではなく暮れのお参りではあるが、新しい年にはそれが成就するよう私も努めなければならないと、年の終わりに誓いを立てる。

Dscn8001これだけの格式ある出雲大社であるが、境内には心引き締まる厳かさがあるものの、伊勢神宮(特に内宮)のようなどこか俗人を寄せ付けない厳しさまでは感じられない。出雲の神様は心が大きいということをよく聞くが、そのことがよく現れた雰囲気が漂う。

この日は出雲大社近辺で日中の時間を過ごすことにしている。この後は出雲大社境内のすぐ横にある博物館を訪れることに・・・・。

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