まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

来季のオリックスは・・・

2010年11月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

久しぶりにこの球団のことを書いてみる。

今シーズン当初は「バファローズの名前も今季限り」という報道も出た(交流戦の時にそういう実況もあったそうだが)。私としては、もしそうなるのならまるっきり新しいチームとして、マスコットのネッピーやリプシーも変えることも必要だと思っていた。

それがシーズン途中での横浜ベイスターズの売却話に及んだときに「親からもらった名前と思って使っていきたい」というオーナーの話もあり、バファローズの名前は残ることになった。そして先日の報道ではマスコット、ユニフォーム、チームの色を大幅に変えるということが伝えられた。

今度こそ「新しいチーム」というカラーが出るかな。これまでどうも旧近鉄、旧ブルーウェーブという枠組みで捉えてしまうことがあったが、球団合併から6年経過したのだからもういい加減新しいチームとしての巻き返しを期待したい。

ただその中で主砲・カブレラの自由契約→退団というのは残念である。確かに複数年契約というのはリスクは高いが、年齢がたつにつれ必ずしも一発狙いの打撃ではなくなってきたし(今季の高打率、最高出塁率はその証)、まだまだやれると思う。また、客を呼べる選手だと思う。ただ、彼に単年契約を納得させるだけの交渉力がなかったということだろうか。代わりにイ・スンヨプを獲得したが、クリーンアップに据えるとして後藤光、イ・スンヨプ、T-岡田と左打者が続くのはいかがなものか。やはり右の長距離打者がほしいところである。

これで普通なら新外国人選手獲得・・・となるだろうが、いつしか「外国人は日本経験者か育成クラス」という補強になったこのチームである。そうなれば今季途中入団のカラバイヨあたりが「HR倍よ」というくらい活躍してほしいものだ。

これからシーズンオフに入るが、またこの新しいチームづくりにも目を向けたいものである・・・。

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ありがとうキハ28・58のカレンダー

2010年11月29日 | ブログ

先日津山から岡山までの区間で運転された「ありがとうキハ28・58」。私もいわゆる「その筋」の方たちの総会のような最終列車に乗車し、自分なりに最後の乗車ということでその乗り心地を味わうことができた。

さて、その列車について2011年版のカレンダーが発売されるということで、津山の観光協会のホームページから申し込んだ。それを本日受け取ることができ、早速部屋に展示する。

0_00000644_gazou1_nカレンダーは「みまさかスローライフ列車」(といいつつもその筋の客が大挙押しかけて大混雑となり、因美線にまで来て山手線のラッシュを味わうというハメになった列車だそうでどこが「スローライフ」やねん、ということだったらしい)として走ったこの車両の姿を追いかけたもので、駅での発着のシーンや、途中の山村の区間を走る姿が収められている。

それにしても、この塗装、この車体というのは日本の風土によく溶け込んでいるなと思う。北は北海道から南は鹿児島まで、どこにでも見かけた色だし、それがこの国の風景によく合っていたというのかな。

それがもうなくなるというのは惜しい話である。

まあ、鉄道写真のカレンダーというよりは日本の素朴な風景を写した写真集のカレンダーということで、来年1年楽しんでみたいと思う。

・・・一方でその前に、今年のオリックス・バファローズの12月のカレンダーを見てものすごく複雑な気持ちになったことだが、それはまた別の話として・・・・。

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千早ふる神代も聞かず竜田川・・・・

2010年11月27日 | まち歩き

百人一首の在原業平の歌にこういうのがある。

「千早ふる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くぐるとは」

Dscn6486 歌の意味は「山の紅葉が竜田川の川面に映る。その美しさは唐紅のくくり染めのようであり、この美しさは昔からの神様の代でも聞いたことがないほどのものである」というものらしい。

それが落語の世界、長屋の八五郎が娘からこの歌の意味を尋ねられ、どう答えてよいかわからないまま、学があるという横丁のご隠居さんに意味を尋ねてきた。しかしこのご隠居、所謂「知ったかぶり」で、本当は歌の意味など知らない。そこでとっさに思いついたのが・・・。

まあこの歌の「落語的解釈」は他の機会に譲るとして、まずは紅葉の名所として知られる竜田川である。実は関西圏の紅葉スポットを探すうちに、京都はテレビ中継も出るほどの人気、そして見頃だったが、結局その混雑ぶりがイヤで敬遠。ならばまだ奈良のほうがいいかなと。ネットを見るに「ちょうど見頃」とある。

昼頃にJRの王寺駅で下車し、ここから竜田大橋まで約2キロほどの距離を歩く。並走する国道25号線はどういうわけか上下線とも渋滞している。

Dscn6485_2 そしてやってきた竜田川。ちょうど紅葉も見頃を迎えており、数々の木々が真っ赤に染まった景色を訪れる者にアピールする。竜田川を挟んで両岸にもみじが植わっており、やや小ぢんまりとした公園内であるがなかなか趣きある。

Dscn6474 さすがに竜田川の川面に紅葉が映りこむとか、川を紅葉の落ち葉が流れるということはなかったが、これは結構穴場的に楽しめそう。

Dscn6458Dscn6482百人一首に歌われた竜田川にはもう一つ、「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」(能因法師)というのがある。それでも落語の影響で業平の「からくれないに水くぐるとは」のほうが有名で、その「とは」というのが落語では花魁・千早の本名が『とは』というのだとされている。

Dscn6464Dscn64801000年の昔の和歌がこういう形で息づくというのは悪くないとおもうのだが・・・・。それぞれの話の世界は180度、ガラリと変わる。落語の中とはいえ、あの歌をこのような花魁と大関とのラブロマンス(とまで行かないか)に仕立て上げてそれをご隠居さんの口からしゃべらせるという、落語の作家の構成力に改めてあっぱれである。

上流のほうに「竜田川酒店」というのを見つけ、ワンカップを仕入れる。そしてもとの下流に戻り、ためしに開けてみる。

Dscn6487実はちょいと趣向をこらして、ワンカップの中にもみじの葉を一枚入れるのである。特にもみじの葉に何かが施されているというわけではないが、何かこう、秋を満喫するという感じで・・・・。

Dscn6477なかなか面白い「竜田の川」訪問となったような感じが・・・・・。

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津山線「ありがとうキハ28・58」に乗車・後編

2010年11月25日 | 旅行記F・中国

Dscn6389 さて11月21日、いよいよ最終運転となった「ありがとうキハ28・58号」である。車内は多くの「その筋」の客たちが乗り込み、発車するや思い思いの行動をとる。あちこちで花咲く鉄道談義というのも、耳にして面白い人には面白いだろうし、興味ない人には全く何のことやら、気色悪い話をしているとしか聞こえないところである。これまでの「葬式鉄」歴を語るツワモノがいるかと思えば、岡山到着後は新幹線で東京に戻るんだとかいう輩もいるようだ。

Dscn6401 ・・・それらに対抗するわけではないが、ここは「飲み鉄」に徹することにしよう。津山駅の入場前に売店で購入したワンカップ大関をテーブルに並べる。急行列車、特に気動車ともなればワンカップがお似合いかと。それにスルメイカを肴にしてボックス席でちびりちびりと。ちょうど相撲の時間やなということで、携帯のワンセグでNHKの相撲中継を見る(途中で電波が途切れたが)。私にとってはマイペースであるが、周囲から見ればそういう私のほうこそ浮いた存在なんだろうな。

それにしても、鉄道ファンって酒を飲まない人が結構多いような気がする(勝手な思い込みかもしれないが)。いわゆる「その筋」は特に。まさに鉄道に関しては何らかの戒律があるのか、鉄道以外のことには何ら嗜好物をたしなまないとか??

日の短い季節、津山駅を出るとすぐに暗くなる。外を見れば小さな駅のネオンが飛び込んでくる。こうして駅をすっ飛ばすのはかつての急行を髣髴とさせるものだろう。ちょうど東の空には満月に近い円い月が出ており、夜の美作から備前へと走りぬける急行型気動車を映し出す。

Dscn6405車内改札で乗車証明書が配布された。

Dscn6342 津山駅では記念の入場券も売られており、こちらもいい記念となる(それにしても、巧みに立ち回って乗車証明書を何枚もせしめた輩がいるのはやはりな・・・。それも投機対象か)。

Dscn6411 18時03分、唯一の停車駅となる金川に到着。8分停車ということで、到着するやいなや列車から飛び出し、ホームから跨線橋を駆け抜ける大勢のファンたち。対向式のホームということで、反対側ホームから列車の全体図を撮影しようということである。暗いということで三脚を持ち出す人もいる。

Dscn6414 夜空に浮かぶ気動車というのもなかなか絵になる。

Dscn6419 金川を出発するといよいよ次は終着の岡山である。「50年近い歴史に幕を閉じようとしています」という車掌のアナウンスも聞こえる。車内からも「まだ走れるのに」「残念ですね」という声が聞こえてくる。

そして車窓にベネッセ岡山本社の建物が見える頃、オルゴールが鳴って岡山到着を告げる。ゆっくりと岡山駅のホームに進入する。向かいのホームでもカメラを構える人が多い。

Dscn6424 18時46分、岡山駅に到着。最後の姿を撮影しようとホームに群がる人たち。・・・とはいうものの昨今の新幹線やブルートレインの廃止時のようにホームに立錐の余地なく群がるというほどではなく、これは岡山だからか車両のためか、あるいは夜になったからか、当初予想していたのと比べれば落ち着いた感じである。ごく普通に津山線を利用しているであろう女の子も余裕で携帯で車両の撮影をやっていたくらいだから。

Dscn6435 キハ28・58は10分くらい停車し、そして車両区に去っていく。中には拍手を送る人もいたが、最近この手の場面で展開される「ありがとう!!」とかの歓声や、撮影を邪魔する人に対する罵声などは聞こえず、静かな幕引きとなった。「もうちょっとみんな見送ってあげればいいのに」と話す人も。

Dscn6443 さて、これで半日の仕事?を終えたような心持。まだ時刻は19時前である。ということで、岡山に来れば私にとって定番の居酒屋ということで、駅前高島屋横の「鳥好」へ。日曜の夜でも次から次へと客がやってくる大衆酒場。

Dscn6439 カウンターに陣取り、乗車後の疲れを癒す一杯を注文。ただ、あれこれ注文したり、料理が来る前にトイレに行ったり、席につくとジョッキをあおったり、最初なかなかバタバタしていた様子で、隣に腰掛けていた年配のご夫婦から「結構忙しそうですね」と声をかけられる。

Dscn6442 しばらく飲んでいると、入口すぐの長テーブルに予約の団体さん。それがまあ、西洋人の団体さんである。何の団体だろうか。日本人の幹事らしい人が注文を取りまとめ、中国人の店員にオーダーするのも正にインターナショナル。それにしても日本酒で手酌するのもやけに慣れた手つきだし、串のやきとりも普通にかぶりついているし、実は岡山在住の長い人たちなのかもしれない。それにしても、この店に来るたびに必ずといっていいほど西洋人を見る。ガイドブックにでも紹介されているのかしらん。

その団体さんのほうを見ていると、「娘がおったらなー、ああいう人たちともいろいろ話できるんじゃが」と、隣の奥さんがポツリ。ご夫婦は岡山で娘さんは倉敷に住んでいるとのことだが、カナダへの留学歴もあり英語が堪能だとか。うーん、私のほうこそ「そういう娘さんが隣におったらなー」ってなもんである。

ご夫婦も先にお開きとなり、私も時計を見るうちにそろそろ時間が近づいたのでお開きとする。時計を見ていたのは列車の都合。

Dscn6444 岡山から乗車するのは20時44分発のこだま号。これが今やこちらも数少なくなった国鉄型・100系新幹線である。少し前までは山陽新幹線のこだま号で広く使われていたが、500系の「都落ち」に伴いその数は年々減っている。

Dscn6446 これに隣の相生まで乗車。自由席特急券も950円で済むし、鈍行の本数も少ない区間を一気にクリアすることができる。急行型気動車の次は国鉄型新幹線。なかなかお後がよろしいようだ。

こういう「お別れ乗車」、指定券は取れないし大勢の人に囲まれて疲れる感じであるが、それでもまあ、やはり乗車するのは思い出になる。おもえらくはもう少し静かな風情の中で楽しみたいのだけど・・・・それはさすがにぜいたくか。

この日で引退したキハ28・58は津山駅横の扇形機関庫にて保存されるという。シーズンの土日に予約制で公開しているのだがまだ訪れたことがない。いずれ津山を再訪し、今度はホルモン焼きうどんとともに楽しみたいものである・・・・。

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津山線「ありがとうキハ28・58」に乗車

2010年11月24日 | 旅行記F・中国

・・・いわゆる「葬式鉄」という言われ方というのは好きではないんですが。

先日の11月20日と21日の2日間に渡って、津山線岡山~津山間に「ありがとうキハ28・58」なる臨時列車が運転された。これは、かつての国鉄からの急行型気動車として急行はもちろん、ローカル線運用まで幅広く使用されたキハ28・58型が現役を引退するということでの最終運転であった。

私も、JR乗りつぶしを志すようになってから、ついぞ「急行」として乗ることはほとんどなかったと思うが、あちこちのローカル線でこの型式に乗車した記憶がある(一番初めは片町線の木津~長尾の非電化区間だったような)。その後さまざまに塗装を変えて全国を走っていたのに出会ったことがあるが、いつしか時代の流れか次々に一線を退き、そして中国地方からもついに引退することとなった。

昨今のいわゆる鉄道ブームとか、年を追うごとに加熱しマナーの悪い不逞の輩を続出させるこの手の「葬式鉄」というのは好きではないし、もちろん指定席など瞬殺で完売になるが、何だかこの車両については最後を見届けたいなという気持ちがあった。せっかくの機会なのだからやはり乗ってみたいなと思う。

・・・ということでネットオークションを追っかけていたのだが(1ヶ月前の発売初日に大量に購入し、それを小出しにして高値で販売し巨額の利益を得る輩がいるのは困ったものだが)、一応「予算範囲内」で通路側の席ながら落札することができた。それでも定価の何倍かはする値段で、一般の方からは「そこまでする意味があるのか」と言われても仕方ないところ。まあおそらく売却する人は鉄道に何の思い入れもない、投機目的で購入している輩なんだろうけどね。

結局入手したのは2日間で1往復ずつする最終日・21日の津山~岡山。津山の発車が17時過ぎということで、日が短くなりつつあるこの時期には途中の車窓は望むべくもない。まあ本当の最後ということで乗ることに意味があるのかもしれない。

さて、21日の夕方に津山に着けばいい計算である。どうせなら大阪から姫路、そして姫新線を途中下車しながら津山に行けば面白いのだろうが、午前中にゆっくりしたかったのと、携帯電話が不調でこれは機種変更やなということでショップで手続きを・・・ということもあり、それは断念。

Dscn6328 ということで代わりに乗車したのは大阪駅からの中国ハイウェイバス津山行。13時発の津山駅行き特急バスの便指定券を確保。大阪駅に現われたが、バスが着くや運転手にチケットを見せると「2号車に行って」と言われる。

Dscn6331 その接客に不快な感じがしたので「何でや?」と詰め寄ると、「2号車のほうが空いているし、津山駅まで行く客を優先に回すので早く着く」という言い方をする。確かに、2号車に案内された客のほうが少なかったような。おまけに、定時の2分前にはもう発車したし・・・。

Dscn6336 本来であれば停留所の新大阪駅、千里ニュータウンも通過し、定刻より早く走行する。中国道に入り、一応途中の所定の停留所には停まるがそれでも定刻より早い。途中、加西SAで10分間の中入り。

私は最前部の座席に陣取っていたが、通路向かい側の男性客も時折バスの前窓に向かってカメラを構える。ひょっとしてこの人も同じように津山にアクセスしているのかしら・・・?

Dscn6340 16時前に津山駅に到着。早速、駅の周囲に刀を差した不逞浪人・・・もとい、カメラをぶらさげた不逞の輩、私的に「その筋」と呼んでいる連中がゴロゴロしている。APECの警備よりよほど厳重に警戒すべき連中だと思う。

そしてホームに行くとすでに「その筋」の客が陣取り合戦。それにしても、いわゆる「撮り鉄」の連中って何でそこまで排他的で、会話も一般人が聞き取り不能な隠語だらけなんだか。その風貌、会話、雰囲気・・・いずれ取っても相容れるものではない。こういう輩が線路に立ち入ったり「鉄ヲタ以外立ち入り禁止」などとほざくのである。写真撮影にいいかなと思った場所がそんな輩ばっかりなのですぐに嫌気が差し、別の場所で、「ここなら穏やかそうな人が多いな」というところに陣取る。

Dscn6352 さてキハ28・58は朝方に岡山から津山まで走り、日中は津山の車庫で休憩をしていた。それが発車を前に点検を行い、そろそろ運転手が乗り込むかなという感じでウォームアップをしている。やはりいいですね、このクリーム地に赤の窓枠塗装というのは。かつての国鉄の優等列車の基本といえばこの塗装パターンだしね。JRになってからは各社のイメージに合わせた塗装で走っていたが、やはり落ち着くのはこの組み合わせかな。

Dscn6368 その編成も車庫から引き込み線を回り、発車となる1番線へ。ホームにはあふれ返るほどの人が出ており、また出発記念式典のステージも準備されている。

Dscn6378 この入線時がもっともカメラ部隊が多かったような。私も人垣の間からカメラを向けたが・・・なかなか写せるものではない。

Dscn6388 津山の駅長やら商工会議所の人たちが挨拶する中、「乗車するから」と間を抜けさせてもらい車内へ。

Dscn6399 最近の近郊型のようにロングシートに改造されることなく、ボックス席がズラリと並ぶ。私が指定券を購入したのはキハ28のほうだが、こちらはシートも昔ながらの姿を残しているという。

Dscn6395 さて乗車したのは見るからに「その筋」の客ばかり。車内は○○組の総会も顔負けの「殺風景の、むさ苦しい、誰か刺されてもおかしくないな」という雰囲気である。まあその会話の聞き苦しいこと!「彼らはこういう車内だからはじめて生き生きと会話ができるんだ」と思えば、憐みの情を覚えますがね。

ボックスはほぼ埋まるが、私の隣の窓側席もそうだったがところどころ空席が見られる。これはどういうわけだろうか。投機に失敗して結局紙くずになったか??

・・・これからがキハ28・58のラストランである・・・・。

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わたらせ渓谷を客車が行く

2010年11月23日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn6253_5わたらせ渓谷鉄道の終点・間藤から一駅、古くからの駅舎が残る足尾駅に降り立つ。するとそこにもバッジをつけた団体さんで賑わっている。静かな駅舎の佇まいを味わおうなどというのは甘い考えだったかな。

Dscn6266 さて、ここで下車したのはこの後発車する「トロッコわたらせ渓谷鉄道」号に乗ろうというもの。14時25分の発車で、本来ならトロッコ整理券を購入しなければならないのだがこの日満席という。まあ、1両はこの団体が貸切利用していたし、私も急に思い立っての利用だから仕方ない。ただ、トロッコ車両ではなくその前後に連結された普通客車であれば当日アテンダントから整理券を購入して乗車することができる。

Dscn6264 私としてはトロッコは以前に乗ったことがあり、その時も今や珍しい存在の12系客車に乗れたことが面白かったので、今回も普通客車で十分である。いやむしろそちらのほうがいいかと・・・。最後部の車両に陣取り、窓を開ければトロッコと同じく風を感じることができる。同じように観光で来ている人が多いものだから誰も何も言わない。

Dscn6277 遠くで汽笛が鳴ったような感じがして、そろりと発車。うーんいいね、この客車列車の乗り心地。コトンコトンとレールの継ぎ目を刻む音がいいリズムである。

Dscn6290 先ほど気動車で通ってきた渓谷の区間であるが、こうして客車の窓を開け放って眺めるとまた一味違って見える。

Dscn6304 窓からちょっと顔を出して前方の写真を撮ってみる。今ではなかなかできない貴重な経験である。こういうことができるのもわたらせ渓谷鉄道ならではかな。

Dscn6299 草木トンネルに入る。するとトロッコ車両ではこのように天井のイルミネーションが点灯し、何とも不思議な光景が広がる。

Dscn6300 一方のこちら普通客車。いやあ、こちらは夜汽車に乗っているかのような感覚。数少ない経験ではあるが、学生時代に客車列車で運転された夜行快速に乗ったことを思い出す。これはトロッコでは味わえない汽車旅の風情満点。結構ねらい目かもしれない。

Dscn6312 後は客車の揺れるのに身を任せるだけ。そろそろ沈み行く上州の渓谷、田園風景を眺めるだけ。

Dscn6317 大間々までの1時間半はあっという間に過ぎた感じがした。ここで気動車に乗り継ぎ、相老に到着。ここからまた東武線で東京に戻ることにする。

相老という駅名を見て思い出したのが、もう30年近くも前の旅行だろうか、「相老から蕨岱」という、国鉄の五十音順で最初に来る「あいおい」からおしまいの「わらびたい」まで、レールウェイライター・種村直樹が読者たちと鈍行列車を乗り継いで行く旅行記。その当時は各地には客車列車、それに鈍行の夜行列車も健在で、今の鉄道旅行も面白いのだがそれから見ても羨ましくなるような行程である。私ももう10年早く生まれていればと思う。

・・・とまあ、そんなことを思い出すのも久しぶりに客車列車に乗ったからだろうか。

Dscn6321 さて東武特急「りょうもう」で降り立ったのは夕方の北千住。東京在住時代は通勤経路であり、東京の北東のターミナルである。新幹線の時間を逆算しつつ、駅からちょいとわき道に入った居酒屋で一献。もつ焼きもいただくことができた。

Dscn6325今回訪れた東京の下町とスカイツリーの眺め、そしてわたらせ渓谷。よき人情とよき景色を楽しむことができた1泊旅行であった。

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秋のわたらせ渓谷鉄道へ・2

2010年11月22日 | 旅行記C・関東甲信越

わたらせ渓谷鉄道の旅の続き。

水沼から乗った気動車は2両編成であるが、某旅行会社の旗を持った人、そのバッジをつけた人で山手線状態。いくらローカル線とはいえ、ここまで人気が集中する昨今の鉄道旅行というのは果たしてどうよ?と言いたくなる。ローカル線のことを書くのを飯のタネにする人も増えてきており、果たしてそれがいいことなのかよくないことなのかよくわからない。まあ、そういう「その道のプロ」で、ローカル線について文章を書く、写真を撮影する、その他等等で何らかの収入を得ている人はそれに該当する。ローカル線に客を呼び込んだ功績は賞賛に値するが、一方でローカル線に慢性的な混雑を招き、どうしようもないド素人がボックス席を占めるに至ったとして功罪相半ばと思いたい。誰とは言いませんが「鉄道紀行作家」だの何だのを「肩書き」にしている人、あなたのことです。

Dscn6184 さて、やや機嫌が悪い状態で水沼の次の花輪で何とか下車。ここで1時間あまりの途中下車の時間がある。それを利用して向かったのは、歩いて3分ほどの旧花輪小学校記念館。

Dscn6187 この小学校、昭和6年に建てられた木造校舎で、最近までは現役の校舎として使われていたが惜しまれつつも廃校、現在は記念館として建物が登録有形文化財となっている。

Dscn6189木造校舎か・・・私の経験でいえば、地元の小学校に辛うじて木造校舎が残っており、確か1年間だけそこで学んだ記憶がある。後は図書室になっていたか。他の建物が鉄筋で、「何でこんなボロい校舎やねん」という感想を持ったような。

ただ、それが懐かしいとか、古きよき時代を伝えるものであるとか、大人になれば感じ方が異なるのが不思議なものである。これはローカル線の車両とか沿線風景にも言えるのだろうか。もっとも、人によってはそれは幼い頃のトラウマとして、決して二度と思い出したくない、辛いものでしかないものだったと感じる人もいるだろう。懐かしいなどという感傷はあまり表に出さないほうがいいのかもしれない。

Dscn6190 ここでは地元出身の名士2人を顕彰する目的がある。まず一人目は「近代産業の父」として、日本鋼管(現JFE)を設立した今泉嘉一郎、そして「うさぎとかめ」や「金太郎」など、おなじみの童謡の作詞家である石原和三郎。その年表を紹介するとともに数々の教育史料を教室に飾っている。

Dscn6194 そして企画展示で行われているのが、約100年前の足尾鉄道から国鉄足尾線、そして現在のわたらせ渓谷鉄道に至るまでの歴史を追いかけたもの。当時の駅の備品やら、桐生出身の写真家・斉藤利江さんによる沿線の表情を長年に渡り写しまわった作品の数々が展示されている。

Dscn6196 赤字ローカル線だ何だと言われつつも、近代産業を支えた路線として、そして近年では地元の人たちにとってなくてはならない路線であるとして見直されていること、それらを含めての100年の紹介である。

じっくり見て回るうちに予定の時間はあっという間に過ぎ、次の列車でさらに北上。

Dscn6213 神戸駅着。ここが団体さんの拠点駅である。トロッコ列車もやってくる時間帯であるし、駅ホームにはかつての東武特急の車両を利用したレストラン、そしてここからバスに乗れば沿線の一番人気のスポット、水彩画家の星野富弘美術館に着く。あれだけいた乗車もここで約半分が下車する。

Dscn6229 ここから5キロ以上の距離の草木トンネルを抜け、渡良瀬川の川幅もぐっと狭まって渓谷ムードを演出する。車内に残った人も席を替えるなどして川の流れを食い入るように見つめている。

Dscn6234 そうするうちに足尾の鉱山住宅の長屋群やら、現在では使用されない精錬工場の廃施設が車窓に飛び込んでくる。今でこそ「わたらせ渓谷」と言って首都圏を中心に大勢の観光客を集めているが、元々は今後草木も生えないだろうと言われていた足尾鉱毒事件の舞台である。私なども「わたらせ渓谷鉄道」と言われれば足尾近辺の風景をイメージする。もっとこういう観光にも力を入れていいのではと思うのだが・・・。

Dscn6246 その銅山観光はこれまで数回訪れたことがあるので今回はパス。ということで通洞、足尾という中心部の駅をそのままやり過ごし、終点の間藤に到着。

間藤。ここは足尾線の終点であるとともに(かつては貨物線がこの先に延びていたが)、「乗り鉄」としてはぜひ訪れたいところである。

Dscn6248 それは、「時刻表2万キロ」や「最長片道切符の旅」などで知られる、その筋にとっては神様のような存在である故・宮脇俊三が国鉄を初めて全線乗りつぶしたのが間藤だったという縁がある。もっともそれは「偶然最後にそこが残った」ということのようだが・・・。

Dscn6249 私も昨年12月に旭川でJR全線を乗りつぶしたのだが(この12月の東北新幹線青森開業、そして来年3月の九州新幹線全通により一度そのタイトルも返上ということになるが)、やはり最後はあっけらかんとしたもので、そうすぐに実感が湧くというものではなかった。その日にブログに書き込んだり、友人諸氏にメールをおくることで実感が湧いたというところかな。

Dscn6244 記念コーナーを眺めながらそんなことを思い出しつつ、折り返しの列車に乗る・・・。

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秋のわたらせ渓谷鉄道へ

2010年11月21日 | 旅行記C・関東甲信越

13~14の週末は「お散歩だんらんの会」のオフ会で東京下町を訪れ、京成立石から四ツ木、そして鐘ヶ淵から東向島、曳舟を歩いた。東向島で懇親会を楽しみ、その後は宿泊先である浅草に移動。

Dscn6146 この日はつくばエクスプレス浅草駅の上にあるホテル京阪浅草に宿泊。昨年オープンしたばかりということでインテリアも結構感じよい。当初の予定では、翌14日は浅草界隈をぶらつき、久しぶりに浅草演芸ホールで落語を聴き、帰りに神谷バーで一杯やる・・・・というものだった。浅草ムードに一日浸かろうというのかな。

ただ前日に散歩する中で、「せっかく遠征してきたのだから、もう少し先へ足を伸ばそうか」という気持ちになってきた。浅草にいるのだから、ここを起点とする東武沿線。うーん、日光に行くか(ただ、昨日の散歩の中で「日光の紅葉はもう終わってるよ」と言われたが)、蔵の街・栃木では祭りもやっているようだし・・。

そんな中ふと頭に浮かんだのは、わたらせ渓谷鉄道の訪問。この鉄道、最近は首都圏から気軽に訪れることのできるローカル線として、すっかり鉄道旅行の定番となっている。おそらく混雑必至だろうが、久しぶりに乗りに行くのもいいだろう。前回はあじさいの時期だったが、今回は紅葉を楽しめるか。

Dscn6148 ということで、翌朝は7時過ぎにはホテルを出る。東武浅草駅までの道すがら、門前町の間に伸びるスカイツリーを眺める。この対照もまた面白いものだ。

Dscn6152 東武浅草からは特急「りょうもう」に乗る。日光・鬼怒川に向かうスペーシアとは違った、実直な足利武士の感じのする特急である。

Dscn6157 隅田川を渡るとすぐ左側にスカイツリー。すぐ真横を通るが窓から見上げても先端が見えない。改めてえらいものをこしらえるもんやなと感心する。

Dscn6158 あいにくの曇り空ではあるが、関東平野を北上する。いつしか埼玉県を過ぎ、群馬県、栃木県と走り、再び群馬県に入る。浅草から1時間40分で到着したのは相老駅。わたらせ渓谷鉄道はここで乗り換えとなる。起点はJR両毛線の桐生であり、桐生~相老が今回乗車できないのは残念だが、まあよしとしよう。

Dscn6161 ここで乗り換えとなるが、ホームには団体客、グループ客があふれている。さすが、今や「超」をつけてもいいくらいの人気ローカル線である。その客たちがホームに臨時に出ていた切符売り場に並ぶ。果たして列車の時間に間に合うかヒヤヒヤ。何とか一日フリーきっぷを入手。

Rscn6164 相老9時36分発の間藤行きに乗車。2両でやってきたが桐生からもすでに大勢の乗客があり、そこに相老での乗り換え客が加わったものだからまさに山手線状態となった。

Dscn6166 アテンダントが切符を売りに来るのも一苦労である。

Dscn6172 幸い2両目最後部が空いており、ここにへばりついて後部から渓谷の様子を眺める。隣にやってきたご夫婦も「座ったって何も見えないよ。こっちのほうがいいよ」などと言っている。

さて今回のわたらせ渓谷鉄道訪問だが、どう乗り継いで行こうか。もちろん帰りの新幹線の時間もあるので、そのあたりを計算しなければならない。となると途中下車の回数も限られてくる。

Dscn6176 パンフレットにあった時刻表であれこれ検討した結果、水沼で下車。気動車が出発するのを跨線橋で見送る。

Dscn6178 ここでの目的は駅の温泉センター。フリーきっぷ利用客には割引もある。朝10時に開いたばかりということもあって比較的空いており、温泉での朝風呂とする。やや空気がひんやりしており、そこに熱い湯がよく合う。「旅に出てきたな」と感じさせる一時。

Dscn6179 次の列車の時間は11時17分発と少し時間があるので、ここで早めの昼食としよう。メニューを見ると「鹿御膳」なるものがあったのでこちらをいただく。鹿の刺身(冷凍)、竜田揚げ、そぼろごはんに桐生うどんという組み合わせ。鹿の肉、結構あっさりとしてます。内田百閒の随筆で「教え子たちを招いて馬の肉と鹿の肉で宴会をやった」という内容のものを思い出した。馬と鹿って・・・。

Dscn6180 これに生酒「赤城山」を加えて、午前中にして早くも「飲み鉄」モードである。そうするうちに列車の時刻が近づいてきた。

その列車だが、先ほど乗ってきた列車を上回る混雑ぶり。思わず「ちょっと、これ何やねん!」と口にしてしまう。旗を持った添乗員に連れられた、胸や腰にバッジをつけた団体もいる。あのね、そういう格好で普通の列車に乗りなさんなよ。あなたたちみたいなのがローカル線の雰囲気をぶち壊しているんでは・・・?

Dscn6182 まあわたらせ渓谷鉄道としては大勢の観光客が訪れるのがありがたいのだろうし、自身も余所者である私がそういうグチを言っても始まらない(じゃあ、お前が乗るなよと言われたら反論できない)のでしばらく我慢し、次の花輪で下車する・・・・。(続く)

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墨東綺譚?墨田を散歩

2010年11月19日 | 旅行記C・関東甲信越

お散歩だんらんの会」の「江戸っ子下町散歩」も荒川放水路を渡って葛飾区から墨田区へ。鐘ヶ淵の商店街に入る。

Dscn6102いきなり出迎えてくれたのは昔ながらの帽子屋さん。海釣帽、町会帽など、これでもかといわんばかりの帽子一本勝負。カワハギ釣り同好会の「剥」の一字の帽子がりりしい。何かこう、追剥をイメージさせるというか、よく外国人向けの店でよくわからん漢字をデザインした帽子やTシャツが売られているのに似ているというか。

「奥様公認の店」とある看板も立つ(安くて明朗会計、浮気の心配もないってことでしょうな)居酒屋も見ながら、旅の侍さんの先導でどんどんと細い道に入る。小さいながらも地元の人たち相手に商売が成り立っているのだろう。

Dscn6111そんな中、コーヒーブレイクということで訪れたのが「カフェ・エフォート」。町屋を改装したような風情のこじゃれた喫茶店である。

Dscn6107ここの売りは「水出しコーヒー」という。「水出しコーヒー」、何だか引かれるなということでそれぞれホットやらアイスやらを注文。確かに出されたコーヒーはいつも飲むようなあっさりしたものではなく、味が濃いというか、グッと凝縮された感じ。コーヒーの違いがわからない私ですら、いつもとは違う何かがあるなと思わせるものであった。

さて、「水出し」とはどういうことだろうか。特殊な水を使っているのか、豆が違うのかどうか。メンバーの皆さんも「そういえば・・・」ということで結構話になる。そこで、マスターを呼んでそこのところの話を聞いてみることに。

Dscn6108普通にコーヒーを入れるのなら湯を使うことでそのほうが早く入れることができるが、この「水出し」は常温の水を使用して、8時間かけてゆっくりと抽出するとか。そうすることで加熱や冷却による味の変化もなく、豆の本来のうまみ成分をじっくりと引き出せるという。大胆にも、ちょうど「水出し」中の容器を出していただいての解説である。

解説を聞くうちに、何だかこれって日本酒の醸造にも似た感じがするし、ビールならまさに「一番搾り生」だろう。そら美味いわ。ちなみにここでの私のコーヒー代、旅の侍さんにおごっていただきました。ありがとうございます。

Dscn6112この時期は日暮れも早く、そろそろ暗くなる中差し掛かったのが玉ノ井いろは通り。まさにかつての墨東綺譚、昔ながらの賑わいを思わせる商店街である。

Dscn6114 その中にあって、「これは何?」と思わせる植物。見た目はアサガオ。それにしても秋にアサガオはないよな。おまけに木になっているし・・・。ちょうど交番の前に植わっており、まさにAPEC開催中で厳戒ムードの警官にメンバーが声をかけてみると、話好きそうな、いかにも「下町のお巡りさん」という人が出てきて、「これはエンゼルトランペット。今ぐらいのシーズンに咲く花で、ちょうどこのくらいの時間から花を咲かせて結構臭い(匂い?)を出すんですよ。まるで夜の町の女性みたいね」と言う。

ただ、メンバーによっては「結構この臭い来るよ!」という人と、「全然わからな~い」という人とが綺麗に分かれる。ちなみに女性メンバーは臭い分からず、分かったのはアラフィフの男性2人だけだったから、これって性別、年齢によって何か因果関係あるんだろうか。もっとも、アラフィフの一人の男性メンバーが後で言うには、女性メンバーのヘアスプレーの香りを花の臭いと勘違いしていたというのだから、ホンマにどうなんだか・・・。ちなみにこのエンゼルトランペット、漢字では「朝鮮木立朝顔」というそうな。

Dscn6115 ここで今回のゴールとなる東向島駅を一度通過し、向島百花園から鳩の街通り商店街へ。すっかり暗くなり、今度は商店街から洩れる灯りを楽しみに歩く。昔ながらの商店や惣菜を売る店があったかと思えば、昔の長屋を改装した喫茶店とか、靴下をリサイクルして人形をつくろうかというような店があったり、ペット同伴可能のカフェがあったり、結構変わった売り物の商店が目立つ。空き店舗の活用方法だろうが、若い人たちが活き活きして商売しているのを見るのは悪くない。

Dscn6119 そんな中、「鈴木荘」の二階に怪しげな影。これはライブハウスか?それとも怪しげなパーティーでも行っているのか?とメンバー一同ギョッとする。

Dscn6124 実はこれ、家屋を利用したアートなのだという。NPOが主催するところの「墨東まち見世2010」というイベントがあり、その一環として光の芸術家である池田光宏さんの「by the Window "墨東バージョン"」という作品を、実際の家屋を使って展示上映しているのだという。

Dscn6121 家の窓に浮かぶ影絵。これは映像を撮影したものを幻影として窓ガラスに上映しているもので、窓の向こうに本当に人間がいるかのような効果を持つ。まさに不思議な光景である。池田氏本人も路上に出て作品の紹介をしており、そこは会主・旅の侍さんが「取材」を試みていた。池田氏も数々の現代アート展覧会に出展しているが(昨年の「水都大阪2009」にも参加していたらしい)、こんな形で作品に接することができるとは。これからも活躍が楽しみである。

この辺りの東武線の駅区間はごく短く、最後は曳舟駅に到着。ここで今回のお散歩は終了となり、一旦解散。ただここで私を含め6人が残り、散歩の後の二次会ということで再び東向島駅まで歩く。

Dscn6129 向かったのは、東武のガード下にある秋田料理店「酒呑童子」。この日は仕事の都合で参加していなかったが、メンバーの中に秋田にご縁のある方がいて、もし仕事帰りで顔を出してもらえれば・・・ということで、土曜日の夜ということもあり予約していたのだという。もっとも土曜日であるがさほど混んでおらず、むしろ平日のほうが賑わうのかなという店である。

ヒノキだろうか、巨大な木をそのままくり抜いたテーブルを囲む。秋田料理ということだが、「秋田料理とは何ぞや?」ということでメンバーもやや戸惑う様子で、ならばとそちら系統のメニューをあれこれ注文する。やはりハタハタときりたんぽがツートップである。ハタハタ・・・先日鳥取で食べることがあり、最近の水揚げはむしろ秋田を上回る勢いで「ハタハタ=鳥取?」というイメージに傾いていたのだが、ここで出された塩焼きは大きく、卵もたっぷりと乗った豪快なもの(写真撮るのを忘れた)。いや~、やはりハタハタは秋田のもんやな。

秋田といえば美味い米を使った日本酒のイメージが強いが、酒好きのメンバーのツボにはまったのは米焼酎「なまはげ」。「純米がないから」という消極的理由で米焼酎を注文したところ、「これは飲みやすい」と絶賛。これには、途中メールを送った秋田好きメンバーも「じゃんじゃん飲んで」とお喜びの様子。

Dscn6130 人数もいることからきりたんぽ鍋にしょっつる鍋をダブルで注文することもでき、まさに上機嫌。初参加の方もアラフィフ談義に大いに花を咲かせ、しっかりと溶け込んでくださったのが喜ばしい。私も、こういう仲間同士のつながりや楽しさがあるからわざわざ関西から遠征するだけの(とはいっても半年に一度のペースだけど)面白さがあると思っている。

さて、こういう時間はあっという間に過ぎ、明日朝早いから・・というメンバーが出たところからお開きとする。墨東か・・・また酒を飲みに来てもいいなと思わせるエリアである。

ここで東武線両方向に別れて解散。結局旅の侍さんと今夜の宿泊地である浅草までご一緒した。

Dscn6137 地下鉄駅で別れ、再び一人旅モードに。ふと吾妻橋に出て、夜空にそびえるスカイツリーを改めて眺める。こちら側から見ると結構近代的な風景に見えるのが面白い。しばし隅田川の夜風に吹かれる。

Dscn6145 ・・・・と思うのもつかの間、急いで横断歩道を渡り向かったのは「台東区浅草1丁目1番1号」。そう、神谷バーである。

Dscn6144 せっかくこちらまで来たのだからと、久しぶりにデンキブランを味わうことにする。時刻は21時20分、間もなくオーダーストップという時間帯。食券売り場でデンキブラン2杯分を注文。

この時間でも大人の社交場としての賑わいを見せる神谷バー、「ビールをチェイサーにして飲む」デンキブランである。決して辛くなく、甘いような旨いような微妙な味わいを楽しむ。今日出会った仲間たち、そしてかつてここでテーブルを囲んだ仲間たちのことを思い出しながら、やや駆け込みではあったがこれも下町の一こまとして味わう・・・。

Dscn6068今回の散歩、決してガイドブックに載るようなスポットではないが、下町にあってそれぞれの地域を活性化させようと頑張っている人たちの姿、そして若い人たちが自己表現の舞台として選んだ商店街の活性化の可能性、決して「街中の商店街はさびれる一方だ」というワンパターンの論調だけで語られるものではないということを感じた。私としても昔ながらの商店街を見直すというのかな、じっくり歩いてみれば面白いなと思う。そして、決して内輪だけにとどまらず、どんな人でも受け入れる東京という都市の多様性(関西には足りない部分だと思う)。その面白さを感じさせてくれる「お散歩だんらんの会」の存在。いろいろと思うところがあった。

ぜひまた、違った墨東綺譚を味わいたいものである・・・・。

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葛飾をお散歩

2010年11月17日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn6060 京成の青砥から押上線で京成立石駅へ。橋上の改札前に集まったのは「お散歩だんらんの会」のメンバー。会主の旅の侍さんをはじめ、初参加の方2名を含めて合計7名での散歩ということになる。

Dscn6061 今回は「江戸っ子下町散歩」と題して、京成立石を出発して四ツ木大橋で荒川放水路を渡り、東向島から東武曳舟にいたるというもの。葛飾から墨田へ、商店街をめぐり、スカイツリーに近づくというものである。

Dscn6064 ということで、立石駅を出発。立石駅の周りも下町らしい商店街が広がる。そしてまず向かったのはボクシングジム。そう、あの世界チャンピオン・内藤大助を輩出した宮田ジムである。世界チャンピオンを生み出すボクシングジムだからさぞかし近代的な建物で・・・と思うと案外そうではなく、外からもリングの様子が見える、庶民的な雰囲気である。

Dscn6066 ボクシングジムはこういうプロを養成するだけではなく最近はフィットネスクラブとしての人気もあり、ホームページを見るとダイエット成功者の声なども載っている(もっともジムのキャラクターの?猫は結構太い感じで横たわっていましたが)。そんな中に「警察官になれる!宮田ジムなら警察官になれる」という大胆なキャッチコピー。これはボクサーのキャリアサポート活動の一環という。なるほど、これまで警察官といえば剣道や柔道のイメージが強いが、ボクサーならタフでスタミナもあるしうってつけの職業かなと。

Dscn6067 ・・・ただそのすぐ下に「ドロボーが入りました!警察も捜査していますが情報求む!」という殴り書きの張り紙。おい!!警察官になれるといっていてドロボーに入られましたって、ボクシングジムの権威はどこへやら・・・。これはぜひ心ある者は宮田ジムに入って、警察官になってこのドロボーを捕まえなくちゃね。

Dscn6074 第1ラウンドから強烈なボディを食らったような感じで一同大笑いして、先へ進む。歩道脇の木々もそろそろ紅くなってきた中、次にやってきたのは葛飾が誇る世界企業のタカラトミー本社。人生ゲームにモノポリー、ミニカーにリカちゃん人形など、子どもから大人まで楽しめるおもちゃの世界。ショーケースには最新の商品が展示されており、参加者それぞれが童心に帰ったような気持ち。また近所には海外製のおもちゃを扱うお店もあり、おもちゃを通した「知育」を感じさせる商品がいっぱいである。いきなりゲーム機を与えるのではなく、やはり自分の手や頭を使って遊ぶおもちゃというものが情操教育にはいいのだろう。

ここからは庶民的な造りの葛飾区役所の脇から住宅地へ。高齢者向け支援住宅やら住宅展示場の横なども通りその価格について論じる場面もあったが、このあたりは飾らず、気取らずに住めそうな地域である。東京は何でも高いとか住みにくいとかいうイメージがあるが、それは本当の都心から来るイメージであって、同じ23区内でも少し外れてみれば結構住みやすそうな感じがする。

やはりこちらではメジャーなイトーヨーカドーを抜け(CMに出ていたAKBの板野友美さんのポスターが店内にないのは何で?とボヤいていた方がいましたが)、まいろーど四ツ木商店街へ。この商店街も結構猫の姿を見る。

Dscn6075 コースに「野球選手人形」とあったのだが、それがここ、食堂の「丸彦」。店のショーケースには何とメジャーリーガーのバブルヘッド人形がズラリ。イチローやメッツ時代の新庄、レッドソックス時代の野茂もいたりする。これは私にとってはおおっ!とツボにはまるところ。

Dscn6076 その中でさらにびっくりしたのは、2001年、今はなき大阪近鉄バファローズの最後の優勝の立役者となった2人、中村紀洋にタフィ・ローズのバブルヘッド人形。これは私も今でも実家のたんすにあるのだが、まさか葛飾の四ツ木でこれに出会うとは。すんません、一人ではしゃいでしまいました・・・。

Dscn6082 なかなか個性的な店や「何これ?」と思わせる看板もある中、結構ほのぼのとした商店街である。古い建物も結構残っている。

Dscn6087 次に参加者が引かれたのが、「ミルクショップワタナベ」。パッと見た目は雑貨屋さんのような駄菓子屋さんのような雰囲気だが、牛乳屋さんである。「牛乳屋のイメージを変えたい、地元をもっと盛り上げたい」というオーナーの気持ちから、地元のコミュニティルームとしての牛乳屋さんということになったとか。今となっては銭湯くらいでしか見ることのない瓶入りの牛乳を飲む人も。

Dscn6089 ここで旅の侍さんが全員に牛乳キャンディーを買い求め、参加者全員にプレゼント。ありがとうございます。

さてキャンディをなめながら商店街を抜ける。私もそんなに覚えているわけではないが、かつての商店街はわざわざ呼ばなくとも町のコミュニティゾーンとしての役割を果たしていたわけで、知らず知らずの間に店の人やお客同士のつながりというのがあったように思う。それが大規模量販店や郊外のショッピングモールなどの登場でガラリと変わり、昔ながらの商店街に元気がなくなったとよく言われている。ただそんな中で新しい試みによって活気を取り戻そうと取り組んでいる人もおり、応援したくなる。

やはり下町の人情かな、と結論づけるのはまだ早いか。

Dscn6093 四ツ木の商店街を抜けると荒川の土手である。ここで国道6号線(水戸街道)に出て、荒川を渡る長い四ツ木大橋へ。

Dscn6094 そしてここで出会ったのがスカイツリーである。ちょっと霞んで見えるのが残念。この日の午前中は上野の不忍池から見ていたのだが、ぐっと近づいた荒川からは周りの建物を圧倒する存在感を見せてくれる。今回の散歩、中盤の見せ所である。そろそろ日も西に傾きかける頃、「三丁目の夕日の人たちもこんな感じで東京タワーを見ていたのかな」と思いを馳せる。

Dscn6097やたらに外野の狭い(ライトの定位置がちょうど土手の歩道くらい)野球場を見ると、葛飾区から今度は墨田区に入る。散歩もここから後半戦となる・・・・。(続く)

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上野公園を散歩

2010年11月15日 | 旅行記C・関東甲信越

13日は「お散歩だんらんの会」の散歩オフ会出席のために上京。今回の集合は13時30分に京成線の立石駅であるが、どうせ東京に行くのだから午前中はプラスアルファで過ごそうと、ホテルつきプランをネットで旅行会社に申し込み、早朝ののぞみに乗車。今回は神戸・モリーママのラスクを手土産に持参。

Dscn6012 いつもであれば2人掛けの窓側のE席なのだが、今回のプランについては結構座席の埋まりが早かったようで、送られてきた特急券を見ると3人掛けのA席であった。ただどうだろう、普段座らない席ということで同じ新幹線でも車窓が違った感じに見え、静岡のあたり、熱海~小田原の区間で太平洋を望むことができて何だか新鮮な感じがしたものである。

さて東京到着。ちょうどこの週末は横浜でAPECが開催されており、その関係で東京でも警備が強化されていた。こういう時の恒例でコインロッカーにゴミ箱が使用停止という措置である。ただ東京駅の新幹線ホームにはゴミ箱が出ていたし、この日の寝床ということで一旦地下鉄の浅草まで行ったらコインロッカーは使うことができた(東武浅草は使用停止)。やはり観光客などの動きも見据えての個別の対応ということであろう。

東京に着くまでには午前中の時間の取り方としていろいろと考えていた。「観光アート」に関する書籍も読んでいたので現代美術館あたりにするか、いやいやかつての江戸文化を見ようと久しぶりの江戸東京博物館にするか、はてはこの夏に開通した京成スカイアクセスで成田空港まで行って戻ってくるか(そういう行動がこの国際会議開催中にあって怪しまれるのだろうが)。

とまあ、いろいろと考えたのだが結局は上野あたりをぶらつくことにする。東京在住時代も通勤ルートであり、休日もよく時間を過ごしていたこともあり結構懐かしい感じがする。

Dscn6023 まず向かったのは旧岩崎邸。三菱の創業者である岩崎弥太郎の長男・久弥が建築家コンドルに設計させたもので、現在は接取などで規模は小さくなっているものの、三菱の当時の繁栄ぶりをしのばせるスポットである。

Dscn6022 やはりこういう洋館を見るとため息が出る。中の撮影はできないが、イスラム様式も折衷した内装の数々は心を豊かにさせるような雰囲気がある。

Dscn6018 一方で普段の居室として使われた和館もあり、建物全体の折衷ぶりと、公私とともに和洋を巧みに使い分ける日本人の器用な精神性も見て取れる。ちょうど大河ドラマで岩崎弥太郎が取り上げられていることもあってか、多くの団体客が訪れていて賑わっていた。

この後は不忍池を一周。するとここで、ふと面白い景色に出会う。

Dscn6032 不忍池でボートを浮かべて遊ぶその向こうには、現在建設中の東京スカイツリー。現在高さは450mを超えたというが、ここからもこんなに大きく見えるのか。実はこの光景、私もよく閲覧しているブログ「とくとみぶろぐ」の執筆者・徳富政樹さんが撮影した写真を見て「おおっ!」と思ったものである。地元の人たちにはもう見慣れた光景なのかもしれないが、関西からやってきて、上野から押上まではそれなりに距離があるよなと思っている者からすればこんなにでかく見えるのかというところ。いや、自分の目で見て改めて東京の北東部の様子が変わっているなと感じるところであった。

Dscn6035 そんな驚きを持って不忍池を一周し、下町風俗資料館へ。今度はまた一昔前に時代が逆戻りし、先の旧岩崎邸とは違った庶民の生活を見ることができる。復元された長屋、そして大正から戦前、戦後にかけての庶民の暮らしにあったさまざまな道具を見る。

Dscn6044 洋館もいいが、こういう庶民の生活の歴史というのも見ていて面白いものである。これでちょうど午前の部も終了となる。

アメ横で昼食とした後、京成上野から普通に乗車。先のスカイアクセス開業で、「スカイライナー」の名称は山本寛斎デザインの新型特急に譲り、かつてのスカイライナーは車両ごと船橋回りの「シティライナー」として区間客相手の運行となった。

Dscn6050 とりあえず普通で青砥まで移動し、時間も多少あったので上下2階建てのホームから「スカイライナー」をはじめとした車両の撮影を楽しむ。青砥駅通過時は「スカイライナー」もゆっくり走っていたから、北総線内をよほど高速で駆け抜けるのだろう。

Dscn6055 羽田の国際線開業で、せっかくの成田のスカイアクセスもどうなることやら心配ではあるが、交通機関は多くの選択肢があったほうがよい。これからも頑張ってほしいものである。

行き来するバラエティに富んだ列車たちを見ていて飽きないのだが、そろそろ集合時間が近づいてきた。青砥から浅草線直通の普通に乗り換え、立石駅に到着・・・。(つづく)

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お散歩だんらんの会@葛飾・墨田

2010年11月13日 | 旅行記C・関東甲信越

本日13日は「お散歩だんらんの会」のオフ会参加のために上京。毎月1回開催している各地の散歩であるが、これに参加するのは5月の小田原での散歩以来のこと。

今回は京成立石駅を起点として、葛飾、墨田両区の下町風情あふれる商店街や住宅街を幅広く歩くことになった。面白い出会いもあり、想定していなかった発見もあり・・・。

なかなか充実した「関東遠征」になりそうである。

その道中記はまた記すとして、とりあえずブログに書いてみることにする・・・。

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確定拠出年金制度は損か得か?

2010年11月12日 | ブログ

この一週間はけっこうバタバタしていたなあ・・・。

私の勤務先企業では数年前から退職金制度に退職一時金制度と「確定拠出年金」制度との併用制度を採っている。ということでさまざまな運用商品の案内がありそれぞれの従業員が自分で商品を選んでそれを運用しているわけだが、「何のためにこういうことをするのか」「どう運用していいかわからない」という声が結構あったようである。

そういう声からか、ならば全社的に集合教育の形でのセミナーを行おうということになり、今年に入って全国の支店で運用機関から講師を招いてのセミナーが開かれた。私の勤務先支店も今週その順番が回ってきて、今週は各職場での講習に講師の方をお連れしての対応ということになった。

講師の方に話を聞くと、確定拠出年金を導入している各社を回ってセミナーを実施しているとのことで、多い人では月の半分が出張生活ということらしいが、このセミナーの費用は企業が持つのか、それともサービスで運用機関が出張してくれるのか、そこのところがよく分からないのだが(「もし運用機関が身銭を切っているのなら、そのセミナーにかかる費用をちょっとでも利回りのほうに投入してくれ」という雑談もありました)。

で、セミナーである。受講者からはいろんな反応がある。過去のセミナーであった反応についても事例として紹介するのは講師の技。ただ私が反応をいろいろと見るに、40代以降の人はその運用結果というのを結構気にしていて、若い人ほど無関心という傾向があるようだ。やはりことが退職金のことであり、若い人で「これから昇進して稼ごうか」という時にいきなり退職金の話はピンと来ないよな、やはり先が見えてきてそろそろ老後の心配もしなければという人のほうがより現実味を帯びてるしな、と思う。

確定拠出年金についてはネットでも運用状況が確認できるし、半年に一度文書が送付されてくる。私自身の運用状況を見るに、まあ赤字ですわ。景気の先行きが不透明な中で、ドメスティックにこだわって国内株式だの国内債券だのに運用しているからそういうことになるのかな。かといって外国モノもリスクが高そうだし・・・。講師の方は「それは現在の仮の数字であって、長期的な視点で見れば焦ることはありませんよ」と言いますがね。

だいたい、マネーゲームはあまり好きではないんですよ(プロ野球のFA戦線ではありませんが)。

算出方法に則って通常もらえるべき退職金が、増えるかもしれないし減るかもしれないしという性格のものになるというのはそもそもどういうところから生まれた発想なのだろうか。結局は企業がある種の企業防衛のために導入したようなものなのか。それって、従業員にとって損なことか?得なことか・・・?

答えは、今から20数年後に出る。

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白鵬は双葉山を抜き去るのか

2010年11月11日 | ブログ

今度の日曜日から始まる大相撲九州場所。注目はやはり白鵬の連勝記録で、先場所までで62連勝、このまま行けば7日目にタイ記録、そして中日8日目に70連勝の新記録がかかる。

そこまでどの力士と当たるか、そして7日目、8日目は誰と当たるか。通常だとまだ前頭の上位や三役と当たるところだが、ここは大関との対戦でもいいのではないかと思う。でもまあもっとも、今の大関では全然頼りにならないような・・・。

その白鵬、場所前にに双葉山の故郷である大分・宇佐を訪ね、復元された双葉山の生家や資料館を見て回ったという。私もかなり昔に訪れたことがあるのだが、「相撲道」というものを伝える、凛とした雰囲気のある展示だったのを覚えている。

連勝記録が九州場所というのも何かのめぐり合わせかもしれない。あるいは「第二の安芸ノ海」が登場するか。一時の騒動もそろそろ下火になってきたこともあり、久しぶりに土俵の上での取組に注目してみたいものである。

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「日本は世界4位の海洋大国」

2010年11月08日 | ブログ

・・・それにしても、ものすごくいいタイミングで出た一冊である。

尖閣諸島沖での漁船衝突事件、北方領土へのメドベージェフ大統領訪問、そして竹島問題、沖縄の基地問題・・・。日本の海、あるいは国境をめぐるさまざまな問題が噴出し、「日本の国土はどないなんねん?」と思わせるような問題がクローズアップされている。ここに来て政権の「外交・安全保障問題への取り組み」が支持不支持の決め手になっているのは新しい局面と言えるだろう。

51dbmjkmxsl__ss500_ 本書は尖閣問題などで最近情報番組でインタビューを受けることが多い山田吉彦・東海大学教授による「日本は世界4位の海洋大国」(講談社+α文庫)。あとがきには「2010年9月」とあるが、まさにこのところの国境問題を予見したかのようなタイミングでの出版である。

日本といえば「島国」「狭い国土」というイメージがあり、学校教育の場でも「農業史観」というものの影響だろうか、そのように教えている。外国との国境やら、海に向かった日本の歴史やら地勢やらを詳しく教えるという場面がないように思う。あるテレビ番組で、「日本の国境線はどこですか?」と街行く人にインタビューして地図に線を引かせたところ誰も正解しなかったというのがあったが、正直、唖然とした。これも日本の平和教育、ゆとり教育とやらの輝かしい功績であろう。

それはさておき、「領土」というものを「領海」や200カイリのエリアを含めて考えるなれば、日本の海洋面積は世界6位という。そして、それを海底の深さを含めた体積で考えれば世界4位ということになるとか。そしてその水域にはさまざまな天然資源や水産資源が含まれており、これまで培ってきた日本の技術力を持ってすればこれからこの国が豊かになる可能性を秘めているという。ただ日本人はあまりその有難みに気づいておらず、逆に資源ナショナリズムの風潮の中で日本の海の豊かさに目をつけた韓国、ロシア、中国、台湾があの手この手を使って我が領土の正統性を主張しているというのが最近の各国の動きであるという。

本書はその歴史的正統性の視点から領土問題を論ずるというものではなく、こういう動きが日本の海の豊かさを再認識させてくれたようなものだとして、改めて離島の産業復興や国境問題を逆手に取った振興策を提案している。ただどうだろうか、学者の意見ということもあるし、東京といういわば地政学的に守られている(逆にいえば大陸の風を感じることの少ない)土地にいる人たちに通じるのかなと。

その提案というのを見ると、「尖閣諸島沖のエネルギー開発の主導権を握り、あくまで『日本の尖閣諸島』として開発し、台湾、中国との取引を進めること」「竹島奪還の切り札として、五島列島沖にあって済州島と対峙する肥前鳥島を開発して韓国にプレッシャーをかけること」「北方領土問題については、エネルギー開発や経済援助の協力を行い、そして『四島一括返還』にこだわらず択捉島を除いた3島、そして択捉島の共同開発の推進を『0.5島』として『3.5島』の返還を求めること」というもの。そしてこれらはいずれも離島の振興策、海洋保護に積極的に乗り出すことにもつながるとしており、なかなか現実的な話ではないかと思う。

まあ海洋全般に関する話で、エネルギーのこと、領土問題のことについてはそれぞれ解説した書物が数多くあることだから譲るとして、平易な文章で読みやすく、本書を手にして一気に読み進めた。まず現状を知ること、そして日本の海の可能性について明るい展望(希望?)を持つこと。その意味では多くの人に受け入れられる一冊ではないかと思う。

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