岡電バスで法界院参道口に到着する。ここから山門まではすぐ近くだ。少し古い写真だと山門の周りには田畑が広がっていて寺の石垣も見えるが、今は比較的新しい住宅が並ぶ。家のすぐ横や後ろが寺というのはどういう心持ちだろうか。
山門の天井にある奉納絵を見る。
石段を上がり、境内に入る。思わぬ形での再訪問となったが、やはり本堂、大師堂ではきちんと拝んでおこう。前日は西国先達研修会やら六角堂やら社会人野球で慌ただしかったし、今朝も早朝からの移動だったが、ここは気持ちを落ち着かせる。
前回はこの裏手の丘に広がる奥の院も回ったが、さすがに今回は見送りとする。
境内を一回りした後に納経所に向かう。窓口では女性の姿があり何やら片付けでもしているようだったが、納経帳も快く受け取ってくれた。ちなみに前回「私は留守番なので・・」と対応されたのとは別の方である。2ヶ月近く前のことをここで持ち出しても仕方なく、またごく普通に墨を走らせているので私もそのまま待ち、ありがたく受け取る。
ともかくこうして正規に納経帳が埋まった。やはりあの時に書き置きバインダー式のものを切り貼りして妥協しなくてよかった。
まずは宿題が片付いたようで、これで岡山県で残るのは第7番の円通寺である。最寄り駅の新倉敷からは11時40分発のバスで移動のため、まずは岡山から山陽線に乗ることに。法界院参道口のバス停からは10時24分発の岡山駅行きがあり、あと10分ほど時間がある。これに乗ればよいのだが、往路で天満屋バスターミナルや市街地を回り込むルートで30分ほどかかった。これだと岡山から山陽線で移動した後で、新倉敷でのバス乗り換えが慌ただしい。となると津山線に乗るか・・と思ったが岡山行きは出たばかりでしばらく来ない。
結果、歩いて法界院駅前まで出た。駅横の大通りにバス停があり、岡電バスの他の系統や宇野バスもある。確か宇野バスだと先に岡山駅前を通るので時間は短いはずだ。ちょうどすぐに宇野バスがやってきた。
予定より1本早い10時49分発の糸崎行きに乗ることができた。車両にはJ2のファジアーノ岡山のロゴとキャラクターが描かれている。ちなみにファジアーノとはどういう由来かと検索すると、イタリア語で雉の意味とある。やはり桃太郎関連なんや。
これまでの中国観音霊場めぐりは岡山駅が要衝だったわけだが、初めて岡山駅から西に進む。まだこの先広島、山口、島根、鳥取と山陽~山陰を回る距離は長いが、新たな気持ちである。
新倉敷に到着。この後で倉敷の美観地区を訪ねるというのは考えておらず、中国観音霊場めぐりとしては通過扱いになる。回る中で周辺の立ち寄りスポットも出てくるが、どこに行くかは私の主観や好みが入るのでいい加減なものである。
新倉敷の駅前に立つのは初めて。駅舎だけ見れば、これが在来線側ということを踏まえても、普通の郊外の駅にしか見えない。駅の周りも再開発されたようで店がごちゃごちゃする様子もない。駅は確かに新「倉敷」だが、実態は玉島という歴史ある町である。倉敷市は広い。美観地区だけが倉敷と思っている方もいるかもしれないが、先日訪ねた児島もそうだし、コンビナートの水島も倉敷。そして今いる玉島も入る。さらには、昨年の西日本豪雨で大きな被害に遭った真備や川辺も倉敷市である。
さて、1本早い列車で新倉敷に来たので余裕を持って駅前に出る。階段を下りたところにあるのは良寛と童たちの像。良寛といえば江戸時代の僧侶だが、確か越後の生まれではなかったか。それがなぜ新倉敷に?・・・というのは、これから訪ねる円通寺が大きく関わってくる。その辺りはこれから後の記事で出る予定だ。
ロータリーにあるデイリーヤマザキに入る。焼きたてパンが売りというので何品かを買う。円通寺を訪ねた後で昼食としよう。
11時40分発のバスは井笠バスの寄島支所行き。地図を見ると、倉敷市を抜け、浅口市の寄島地区にある支所だ。かなり西にあり、その先は笠岡、福山である。ローカルバスを巡る旅なら終点まで行って、その先笠岡や福山に抜けることができるか試すところだが、今回は10分の乗車で玉島中央町で降りる。新倉敷が元々玉島だった由来のところだ。
円通寺へはバス停から徒歩10分とある。その前に周囲の様子が気になるのだが、まずは寺に向かうことにする・・・。