まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回中国観音霊場めぐり~第5番「法界院」(朱印いただきの再訪問)

2019年10月31日 | 中国観音霊場

岡電バスで法界院参道口に到着する。ここから山門まではすぐ近くだ。少し古い写真だと山門の周りには田畑が広がっていて寺の石垣も見えるが、今は比較的新しい住宅が並ぶ。家のすぐ横や後ろが寺というのはどういう心持ちだろうか。

山門の天井にある奉納絵を見る。

石段を上がり、境内に入る。思わぬ形での再訪問となったが、やはり本堂、大師堂ではきちんと拝んでおこう。前日は西国先達研修会やら六角堂やら社会人野球で慌ただしかったし、今朝も早朝からの移動だったが、ここは気持ちを落ち着かせる。

前回はこの裏手の丘に広がる奥の院も回ったが、さすがに今回は見送りとする。

境内を一回りした後に納経所に向かう。窓口では女性の姿があり何やら片付けでもしているようだったが、納経帳も快く受け取ってくれた。ちなみに前回「私は留守番なので・・」と対応されたのとは別の方である。2ヶ月近く前のことをここで持ち出しても仕方なく、またごく普通に墨を走らせているので私もそのまま待ち、ありがたく受け取る。

ともかくこうして正規に納経帳が埋まった。やはりあの時に書き置きバインダー式のものを切り貼りして妥協しなくてよかった。

まずは宿題が片付いたようで、これで岡山県で残るのは第7番の円通寺である。最寄り駅の新倉敷からは11時40分発のバスで移動のため、まずは岡山から山陽線に乗ることに。法界院参道口のバス停からは10時24分発の岡山駅行きがあり、あと10分ほど時間がある。これに乗ればよいのだが、往路で天満屋バスターミナルや市街地を回り込むルートで30分ほどかかった。これだと岡山から山陽線で移動した後で、新倉敷でのバス乗り換えが慌ただしい。となると津山線に乗るか・・と思ったが岡山行きは出たばかりでしばらく来ない。

結果、歩いて法界院駅前まで出た。駅横の大通りにバス停があり、岡電バスの他の系統や宇野バスもある。確か宇野バスだと先に岡山駅前を通るので時間は短いはずだ。ちょうどすぐに宇野バスがやってきた。

予定より1本早い10時49分発の糸崎行きに乗ることができた。車両にはJ2のファジアーノ岡山のロゴとキャラクターが描かれている。ちなみにファジアーノとはどういう由来かと検索すると、イタリア語で雉の意味とある。やはり桃太郎関連なんや。

これまでの中国観音霊場めぐりは岡山駅が要衝だったわけだが、初めて岡山駅から西に進む。まだこの先広島、山口、島根、鳥取と山陽~山陰を回る距離は長いが、新たな気持ちである。

新倉敷に到着。この後で倉敷の美観地区を訪ねるというのは考えておらず、中国観音霊場めぐりとしては通過扱いになる。回る中で周辺の立ち寄りスポットも出てくるが、どこに行くかは私の主観や好みが入るのでいい加減なものである。

新倉敷の駅前に立つのは初めて。駅舎だけ見れば、これが在来線側ということを踏まえても、普通の郊外の駅にしか見えない。駅の周りも再開発されたようで店がごちゃごちゃする様子もない。駅は確かに新「倉敷」だが、実態は玉島という歴史ある町である。倉敷市は広い。美観地区だけが倉敷と思っている方もいるかもしれないが、先日訪ねた児島もそうだし、コンビナートの水島も倉敷。そして今いる玉島も入る。さらには、昨年の西日本豪雨で大きな被害に遭った真備や川辺も倉敷市である。

さて、1本早い列車で新倉敷に来たので余裕を持って駅前に出る。階段を下りたところにあるのは良寛と童たちの像。良寛といえば江戸時代の僧侶だが、確か越後の生まれではなかったか。それがなぜ新倉敷に?・・・というのは、これから訪ねる円通寺が大きく関わってくる。その辺りはこれから後の記事で出る予定だ。

ロータリーにあるデイリーヤマザキに入る。焼きたてパンが売りというので何品かを買う。円通寺を訪ねた後で昼食としよう。

11時40分発のバスは井笠バスの寄島支所行き。地図を見ると、倉敷市を抜け、浅口市の寄島地区にある支所だ。かなり西にあり、その先は笠岡、福山である。ローカルバスを巡る旅なら終点まで行って、その先笠岡や福山に抜けることができるか試すところだが、今回は10分の乗車で玉島中央町で降りる。新倉敷が元々玉島だった由来のところだ。

円通寺へはバス停から徒歩10分とある。その前に周囲の様子が気になるのだが、まずは寺に向かうことにする・・・。

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第7回中国観音霊場めぐり~前半は社会人野球の話ですが・・

2019年10月30日 | 中国観音霊場

10月27日は午前~昼に西国三十三所先達研修会に参加し、その足で西国第18番六角堂参詣で京都烏丸まで往復し、さらにそのまま大正ドームに向かった。夕方である。

目的は現在熱戦が繰り広げられている社会人野球日本選手権大会。私の勤務先企業が出場しており、この日の第3試合が初戦。職場で有志を募って観戦ということになり、私も参加した。ただ入場に時間がかかり、席に着いた時にはもう18時の試合開始直前。

相手は仙台の七十七銀行。仙台から応援団を集めるのも大変かと思い、ひょっとしたら関西近辺の地方銀行の関係者にも声をかけて応援に来てもらったのかなと、一緒にいた人とも話をする。

こちらは野球部の活動拠点はさいたま市だが、やはり全国に職場があるということで近隣からも多くの応援がある。また取引先も関係者席を区切ってご招待している。

試合は初回から着実に得点を重ね、中盤には大きなリードを奪う。得点が入るたびに応援団も一斉に喜びを爆発させるが、かれらも常に動き回っているので大変だ。

4番の2ランで先制、先発も8回まで力投。先発全員の14安打と相手の守備の乱れもあり、終わってみれば11対2で圧勝。次戦は31日に強豪NTT東日本戦だが、果たしてどうだろうか。

5回裏終了までで2時間という長い試合だったが、終われば3時間という試合だった。まだこの時間なら、帰宅して翌朝早くに出発するのにも支障はないだろう・・・。

と、ここまでが前半の話である。

翌28日は平日だが有給休暇をいただいた。まあ、それ以前の休日出勤の代休の意味もあるが。ここに中国観音霊場めぐりの日帰り岡山遠征を持ってきた。行き先は以前に朱印をもらいそこねた第5番の法界院と、岡山県最後となる第7番の円通寺である。前回、徳島・鳴門での独立リーググランドチャンピオンシップ観戦と岡山県の札所めぐりを2泊3日で組んだが、台風19号による交通機関の運休もあって日程を短縮した。このため上記の2ヶ所が残っていたが、今回で岡山県の8ヶ所を終えることにする。

コースとしてはまず法界院を訪ねた後、円通寺の最寄り駅である新倉敷に向かう。駅から寺までは4キロほどあるようだが、寺近くの玉島中央町まで本数は少ないがバスで行くことができる。

今回平日に行くことにしたのは交通ダイヤのためである。平日ダイヤだと地元藤井寺の始発も早く、大阪から乗る姫路行きの列車も5時58分発と、土日のお出かけで乗るより30分近く早くなる。そしてその先の乗り継ぎも早い便が利用できる。また、新倉敷から玉島中央町に行くバスも土日は本数が少ないが、平日は少し増える。もっとも、乗るであろう時間帯の便は土日、平日とも同じようだが。

青春18きっぷの時季でもないので、大阪市内から新倉敷までの乗車券を購入して大阪から乗り込む。朝6時過ぎだが快速の利用者は多く、途中駅で乗客は入れ替わるが常に立ち客もいる状態が続く。座った席から朝日に照らされた須磨の海や明石海峡大橋を見る。これを平日の朝に見るのも普段ないことで新鮮である。

姫路からはすぐの連絡で7時31分発の新見行きに乗り継ぐ。相生、上郡までは通勤通学で混雑していたが、県境を越える時は1両に数人という状態だった。青春18きっぷの時季は常に混雑する姫路~岡山だが、平日の午前中、普段の姿はこのようなものだろう。特殊な期間中に合わせて安易に車両を増やすというのも現実的ではなさそうだ。

9時08分、岡山に到着。前回法界院を訪ねたときは津山線で1駅、法界院駅まで移動して駅から歩いたが、このタイミングだと9時20分に岡山駅前を出る岡電バスの岡山理科大学東門行きの便に乗れる。

天満屋やベネッセといった岡山を代表する企業の前を通り、法界院駅前から前回歩いた通りを走る。法界院参道口で下車。

さて今回は持参の納経帳に墨書と朱印がいただけるのか。少し緊張する中で法界院の山門に向かう・・・。

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第18番「頂法寺六角堂」~西国三十三所めぐり3巡目・5(先達研修会の後の急遽参詣)

2019年10月29日 | 西国三十三所

西国三十三所の先達研修会を終えたその足で、阪急京都線の特急に乗る。着いたのは京都市街に入った烏丸である。

ここから歩いて5分で、第18番の六角堂に着く。新阪急ホテルを出てから1時間後のことだ。

研修会を終えたらどこかに行くつもりで出て、近場なら中山寺、勝尾寺、総持寺もある。ただ中山寺は3巡目の一番初めに訪ねているし、勝尾寺はバス乗り継ぎなので時間がかかる。総持寺は前回の参加後に訪ねていて、続けて同じところというのはどうか。それなら、距離は離れるが駅からのアクセスがよい六角堂はどうかということになった。

また、前週に行われた天皇陛下の即位礼の日に合わせてある札所に行こうと出かけたが、西国観音曼陀羅の八角形の台紙を荷物に入れるのを忘れたために行くのをあきらめ、結局淡路屋の即位記念弁当だけ買った・・ということがあった。実はこの時行こうとしたのが六角堂(と革堂)である。この日限定で皇室の紋にも使われている菊を用いた祝賀の生け花が飾られるというのをローカルニュースで目にしたこともある。時間的に行こうと思えば行けたのだが行かず、ちょっと六角堂に申し訳なかったなと、数日後ながら行くことにした。菊の花はもうないが。

こうした街中の札所、あるようでなかなかない。今同時にやっている西国薬師や中国観音霊場も結構駅から歩かされる・・もとい歩かせていただくところが多く、たまにはこうした都市型の寺があってもよい。洛中のど真ん中、何といっても「へそ石」があるくらいだ。

正面の本堂にて手を合わせてお勤めである。他に先達用の輪袈裟をしている人は見かけなかった。

時間的に天皇賞の出走のようで、納経所でも係の人どうしが馬の話をしていた。気になる人は寺で競馬の話をするとはケシカランと思うだろうし、私もこれが山の上で修行しているのが似合いそうな寺でなされた会話なら違和感を覚えるところだが、なぜか六角堂ではすんなり耳に入ってきた。やはり街中の、札所というよりは生け花の総本山的な寺ということで、俗世間とも気さくな間柄のところならではと思う。

歴史的に聖徳太子や親鸞上人との関係が深いというのも庶民的な雰囲気を醸し出すように思う。境内の池というか水のところで白鳥がいるのもなかなか見られない光景である。

六角堂といえば、「本堂が確かに六角形をしている」のを上から見ることができるとして、隣接する池坊ビルのエレベーターが人気である。展望台があるわけではないが、これも都市型として一度体験することはお薦めである。

時刻は15時半を回ったところ。今からでも例えば第19番の革堂とか、第17番の六波羅蜜寺まで歩けば、何やかんやで数時間で西国三十三所の二つの霊場を回ることになる。確かに、札所めぐりだけならそうしたであろう。ただこの日は、ここからすぐに大阪に戻らなければならない。これは先ほど梅田を出る時からわかっていたことである。

再び烏丸から阪急の特急に乗り梅田に戻る。ここでJRに乗り換えて降り立ったのは大正。夕方の時間にわざわざ大正駅に来るというのは、この後大正ドームに向かうことを意味する・・・。

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西国三十三所先達研修会に参加

2019年10月28日 | 西国三十三所

10月27日、西国三十三所の先達研修会が梅田の新阪急ホテルで開かれた。毎年秋に開かれていて、今回で15回目である。先達としての意識を高めるとか、西国三十三所に関する情報交換、情報共有の場という位置付けで、また別の面ではファン感謝デーのようなものでもある。私は2016年初めにヒラの先達になってから今回2回目の参加である。隔年で平日開催と日曜開催が入れ替わるので、一昨年以来のことである。まあ、平日でも有給休暇が取れれば参加できるのだが。

会場は新阪急ホテルの紫の間。11時開始の30分ほど前に会場入りすると、すでにテーブル席の多くが埋まっている。前回と同じく、まだ席に余裕があった一番奥のテーブル席に陣取る。後方にはテーブルなしの椅子席もあるのだが、開始時刻となるとこちらもほぼ満席となった。周りを見ると皆さん共通のオレンジ色の輪袈裟をかけているが、「特任先達」のワッペンが縫い付けられたり、金色の名札をする姿が目立つ。私は今3巡目にようやく入ったところだが、こうした人生の先輩方に比べればまだまだガキである。

この日は446名の先達が出席とのことで、まずは開会挨拶で圓教寺の副住職が上がる。私の中では元プロ棋士の神吉宏充七段と勝手に呼んでいる方で、話がうまい。

続いては播州清水寺の僧侶による御法楽。ここで西国三十三所の勤行次第に沿ってのお勤めで般若心経を唱えるのだが、関係者も含めて500人近くが一斉に読経するというのもなかなかない光景である。外から見たらやはり異様に感じるのかな。

続いては『西国三十三所観音霊場記図会』と勉強会の案内。『図会』の勉強会は2年前から行われている。私も『図会』の書籍は購入して、勉強会に参加する機会はなかなかないということもあり、自分で読んでいるのだが、ただ第33番にはまだまだたどり着けない。この勉強会は1回の講座で一つの寺の章を読み、それについての歴史的解説がメインとなるが、講座に参加している人を対象に他にも読経やご詠歌を学んだり、フィールドワークということで外に出ることもあるそうである。教養の会やライフワークとしては面白そうだ。11月2日には「比較文化」ということつぁ四国八十八所の歩き遍路も日帰りで体験するそうだが、そうすると第1番から第6番、第7番辺りまでを歩くのかな。

そして特別講演。今回講師を務めるのは松尾寺の名誉住職である松尾心空猊下である。西国三十三所を徒歩で巡礼すること5回、かつては徒歩巡礼の「アリの会」というのを主宰されていた。松尾寺を訪ねた時にその記念碑があったのを覚えている。その他にも著作や講演活動もたくさんあり、現代における西国三十三所めぐりの「レジェンド」とも言える(レジェンドはさすがに言い過ぎかな)。1928年(昭和3年)生まれで数えで御年92歳というのも驚きで、さすがに登壇する時は付添いの手を借りていたが、講演はずっと立ったままでも平気だし、説明でホワイトボードを使う時にマイクから離れるのだが、声もしっかりとしている。これも徒歩巡礼の賜物だろう。

この日の記念に、松尾猊下の「人生往来手形」をいただいている。「松尾寺では1枚100円でお分けしているのを今回特別に無料ということで・・・・私がいただけるはずの45000円は世の中に『寄付』したと思って」として笑いを誘う。

演題は「巡礼の復活と終活」というもの。最近の事件や災害を引き合いに「四苦八苦」を取り上げ、これを乗り越える、解放させるのが巡礼であるとする。

笈摺の解説もあった。今西国や四国を回る時に着用するのは全部白色の白衣や笈摺だと思うが、長らくはこれに赤が入って区別がなされていたそうである。両親が健在なら両側が赤、片方の親が亡くなったなら真ん中が赤、そして両親とも亡くなったなら全て白という分け方。巡礼とは再び胎内に戻り、また生まれ変わる儀式ともとらえられていたそうで、第33番の華厳寺で満願となれば笈摺を納め、精進落としをしてまた世間に生まれ変わるということにつながるという。

他に松尾猊下の言葉として、四国八十八所の「同行二人」に対して「同行観音」とある。ただこれは「観音様といつも一緒に」ということではなく、「自分自身が観音様になる」という意味合いだという。また、浄土真宗の妙好人である浅原才市の歌の替え歌として「南無観音は観音(かみ)の息 わたしゃあなたの息にとられて 南無観世音」という歌をつくった。「観音力」という、大いなる生命の力、巡礼の智慧というのを現代の世の中でもう一度見直そうではないかというのが全体のテーマだった。

私の文章力では上手く説明できないのだが、さすがは法話や講演を数多くされていて、時折冗談や笑いも交えながらの話で聴きやすかった。またいつか松尾寺にも足を運ばなければと思う。

講演の後は、今年度の特任大先達の補任。今年は14名の方が該当し、欠席の1名を除いて壇上で栄えある称号を表彰された。

2年前の研修会の時にも先達の人数構成のことを書いたが、その時は全体で約8800名だった。それが現在の有効先達は11482名と、1万人を悠に超えている。2年で2600名以上が新たに先達に補任されたことになる。現在行われている西国三十三所開創1300年に関するさまざまな行事やPRが功を奏しているのではないかとしている。

記事が長くなるが、その構成について書いておく。

・先達     9107名

・徒歩巡礼先達   45名

・中先達     669名(先達で2巡=通算3巡)→私が今やっている3巡目が満願となればこれになる。

・徒歩巡礼中先達   4名

・大先達     911名(中先達で3巡=通算6巡)

・徒歩巡礼大先達   3名

・特任先達    370名(大先達で5巡=通算11巡)

・特任権中先達  121名(特任先達で6巡=通算17巡)

・特任中先達    78名(特任権中先達で6巡=通算23巡)

・特任権大先達   99名(特任中先達で6巡=通算29巡)

・特任大先達    75名(特任権大先達で5巡=通算34巡)

今回この場で補任された特任大先達の方々は、西国三十三所を通算34巡されたということだ。中には私よりも若い年格好の人もいて、西国三十三所に真摯に向き合っているのだなと感心するばかりである。私のように次に行く札所をサイコロで決めたり、他の札所めぐりとのついでで行ってみようかというのとはそもそもの姿勢が違う。

記念品の贈呈。今回は壇上に箱を設けて文字通りここでの抽選である。残念ながら私はハズレ。また記念品には新たな「商品」も含まれていた。西国巡礼の「奉納札」というもので、名刺サイズの納め札である。あらかじめ各札所の寺院名、本尊名などが書かれた33枚の札と、汎用で名刺代わりにもなるという札7枚がセットになったもの。札所でお勤めする際に、この札を両手に挟んで合掌し、本尊の真言を唱えた後に納札箱に奉納するという。今の3巡目では西国観音曼荼羅の八角形の台紙に朱印をいただくのをミッションとしているが、うーん、こういうのが出ると、「4巡目ではこの奉納札を各札所に納めてくること」という新たなミッションになりそうだ。憎いねえ。

次は一口法話。一乗寺の僧侶が登壇し、納経所を預かる立場の者として参詣者に「慈悲の心」を持ち、笑顔で接することが大切だという話があった。

最後に事務局がある紀三井寺の僧侶から、今後の取り組みについて案内された。その中に、「特任大先達のその先」というのがあった。上に書いたように通算34巡で特任大先達に補任されるわけだが、その先新たな目標があるのかという問い合わせはかねてから寄せられているとのことである。そこでこのたびさらに上位の称号を設けることにしたという。

今回は口頭での紹介だけで、詳細は2020年になってから発表されるそうだが、通算34巡プラス33巡=通算67巡で「喜達」、「喜達」プラス33巡=通算100巡で「真達」という先達の称号を設けるそうだ。それよりもっと驚いたのは、さらにプラス33巡=通算133巡で「ふみょう(普明?)」、さらにプラス33巡=通算166巡で「みょうじゅ(妙寿?)」という称号を出すという。ここに書いたのはあくまで耳にしただけのことで、ここに書いた文字すら合っているかどうかである。

予定では上位に補任されるために11巡分の日付が入る専用の納経軸を進呈されるそうで、特任大先達の先の称号を得るにはこれを3本コンプリートしなければならないことになる。これまで34巡と聞いただけでも気の遠くなるようなずっと向うの話しかと思っていたが、それが一気に5倍近くの166巡まで跳ね上がる。さすがに現時点で166巡という人はいないだろうし、札所会も思い切ったことをしたと思うが(逆ギレして、やれるもんならやってみろ?)、ただ特任大先達75名の中にはすでにガチで100巡以上回っているという人もいるはずで、その場合はこれまでの納経帳、納経軸を資料として個別に判定するという。

一連の行事が終わり、同じ部屋内で昼食である。参加者の年代に合わせてか和風の盛り付けだが、さすがは阪急の弁当である。般若湯の1本でもつけてくれればという内容で、美味しくいただくことができた。

さて時刻は終了予定の14時。せっかく西国先達の研修会に来たのだからということで、前回は阪急電車に乗って総持寺に向かった。今回はどうしようか。一応、どこでも行けるよう西国観音曼荼羅の八角形の台紙は全札所分持参している。

この時間からだと行けるところは限られるが、とりあえず阪急の大阪梅田からの特急に乗ることにした。目指すのは京都市内方面である・・・。

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東京オリンピックのマラソンが札幌に変更へ

2019年10月26日 | ブログ
早いもので今年も11月を迎えようとしている。11月となれば来年のカレンダーもさまざま店頭に並ぶことになり、また年末の挨拶ということで取引先どうしカレンダーのやり取りが始まることになる(最近は虚礼の廃止が進み、カレンダーを配るところも少なくなってはきているが)。

来年2020年は天皇のお代替わり、また東京オリンピックの開催によりいわゆる祝日の並びが変わるようだ。まず新たな天皇誕生日が2月23日で、2020年は日曜日に当たるため翌24日は振替休日となる。一方で上皇陛下の誕生日である12月23日は平日に変わる。また今年は改元の日で祝日だった5月1日は平日に戻り、5月3日の憲法記念日が日曜日のため、5月6日が振替休日となる。

オリンピック関連では、開会式の7月24日が2020年に限り、体育の日改め「スポーツの日」として祝日となり、現在10月の第2月曜日である体育の日は平日となる(再来年はまた戻す)。また、7月の第3月曜日である海の日は2020年に限り開会式前日の7月23日に移動。7月25日が土曜日のため、暦の上では7月23日~26日の4連休となる。さらに、8月11日の山の日も2020年に限り閉会式翌日の8月10日に移動。8月9日が日曜日のためここでも連休を作る形になった。つまりは、オリンピックの開会式、閉会式の前後に祝日を持ってくることで、少しでも交通機関の混雑や道路の渋滞を緩和しようという取り組みである。予定を立てる時はカレンダーをしっかり確認しなければ。

さてその東京オリンピックだが、ここに来てマラソンと競歩のコースを東京から札幌に変更することをIOCが提案し、どうやらその運びになりそうだということが言われている。IOCと、これに納得しない東京都の小池知事との協議がようやく行われたが、話し合いは平行線のまま。先日ドーハで行われた世界陸上のマラソンで多くの棄権者が出たことを受けて、猛暑の東京を走らせることに危ないものを感じたIOCが「アスリートファースト」の観点から札幌開催を提案したのに対して、小池知事は「午前3時スタート」とか「(どうせ東京でやらないのなら)東日本大震災の被災地での開催」などで対抗している。

これには賛否両論様々な意見が出ているが、私個人としてはやはり東京で開催するべきではないのかなと考える。さすがに午前3時スタートというのは現実的ではないが、TBSが特番の中でやっている「赤坂ミニマラソン」のように20時とか21時スタートくらいならまだ対応できなくなさそうだが。

7月~8月の東京は連日猛暑が続くにも関わらず、「その時季の東京は温暖で、アスリートが最大限の力を発揮する環境にある」と言ってオリンピックを招致した以上は、最後まで責任を持ってやらなければならないのではないかと思う。それができないのなら世界に向けて嘘をついたことを認め、謝罪しないと。こういう向きに対しては、「プロジェクトでも途中で失敗に気付いたらそれを認めて、改善策を取るではないか」とか「日本人の悪い癖で、だから太平洋戦争も泥沼化したではないか」とかいう極端な反論も多いのだが、日本が笑いものになるのも仕方がない。ただ、9月とはいえ本番のコースのテストも兼ねてMGCも行ったことだし、そこから得られたものを踏まえて今からでも打てる対策というのはないのだろうか。

この東京オリンピック、これまでもさまざまな不安要素や問題をはらんでいる(オリンピックとはそういうものかもしれないが)。今では過去の話になったものも多いが、例えば招致段階でのJOCによる贈収賄疑惑、新国立競技場のザハ氏のデザイン案の白紙撤回、大会エンブレムのパクリ疑惑、期間中のサマータイム導入の是非、トライアスロン競技での水質問題、当初をはるかに上回る開催費用・・・の割には中途半端な設備、期間中の宿泊問題、交通混雑、チケット問題・・・さまざまなことが表に出てきたが、その上でマラソン、競歩の開催地変更である。選手たちのことを考慮してのこととは言え、何ともお粗末な展開である。コンパクト五輪、復興五輪とか最初に景気のいいことばかり言ってたのが、いつしかぐちゃぐちゃになって、金ばかりかかって、その結果の責任の所在はうやむやという、このところの世の中の体質を反映しているように見える。

実際に走る選手とすれば立場上本音は言えないところで、東京にせよ札幌にせよ、決まったところで自分のベストを尽くすとしか言いようがないだろう。最後はそうした選手一人一人を応援するのみである・・・。
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ホークスが4連勝しても世間は誰も見向いてくれない。それが日本のマスゴミクオリティ。

2019年10月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

そういうこと。

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即位の礼記念駅弁

2019年10月23日 | ブログ

10月22日は天皇陛下の即位にともなう様々な儀式が行われ、国内外からの来賓も大勢招かれて盛大に祝われた。ニュースは朝から夜までほぼ即位関連一色だった。

さて私だが、この日は祝日ということもあり、即位関連のニュースは後でまとめて見られるからということで、即位の祝賀関連の行事も行われるという、西国三十三所のある札所にお参りしようと自宅を出た。しかし、巻物の先達用納経帳と輪袈裟は持って出たが、途中で西国曼陀羅用の八角形の台紙を忘れたことに気づいた。この台紙は現地でいただけるものではなくあらかじめ入手していたものを持参しなければならないが、取りに帰るのも面倒だし、このまま行ってもまた出直さなければならないので取り止めとした。

他に何か即位の礼の日記念になるようなものはないかと思っていたところ、そういえば駅弁の淡路屋が、即位を記念してこの日限定の幕の内弁当を発売するというニュースがあったのを思い出す。

淡路屋といえば神戸や新神戸の駅弁だが、大阪市内の百貨店内の直営店でも発売日するとのこと。そこでまずは梅田の阪神百貨店に向かったが、すでに売り切れだった。もう一軒、なんばの高島屋にも直営店があるとのことで立ち寄ってみるとまだ残っていた。ただ少し遅かったらこちらも売り切れになったことだろう。

帰宅していただく。掛け紙には「奉祝」の文字があり、天皇陛下が即位を宣言する高御座(たかみくら)がデザインされている。日付はもちろん「令和元年十月二十二日」である。

中身は日本の伝統的な幕の内弁当に沿ったもので、中央には梅干しの日の丸弁当、周りのおかずは日の丸をあしらったカマボコ、玉子焼き、焼き鮭、すき焼き煮、小芋、つくね、穴子煮など色とりどり。ビールだけでなく日本酒との相性もよく、これで勝手に両陛下の即位を祝う。

大阪では大阪メトロが新大阪駅で記念乗車券を発売して長蛇の列ができたとか、大阪城天守閣や天王寺動物園、大阪歴史博物館などが無料開放されたとのこと。

この日は台風からの温帯低気圧の影響で東京は朝から雨だったが、ちょうど儀式の時に雨が止み、皇居周辺で虹が出たそうだ。これを何か神がかったものとしてネット上は賞賛の声であふれ、新たな時代の明るい予兆として感動する声が多かった。

私個人としては改元当日のほうに新たな時代を感じたが、その後も悲しい事件・事故が起こるし、台風や豪雨の災害も発生するなど暗い話題が多かった。その中で正式に即位の儀式を迎え、これからが本当の新しい時代に入るのだなと感じられた。天皇陛下のお言葉通りの平和な明るい世になるよう、私も手を合わせるのであった・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~第6番「蓮台寺」

2019年10月22日 | 中国観音霊場

田の口浜から歩いて上った由加山。厄除けの石段を上がった末に着いたのは由加神社の看板である。それが「直進 ご参拝 ご祈祷 由加神社本宮」の看板があるかと思えば、「由加山蓮台寺境内図 瑜伽大権現厄除け祈祷受付中 厄除け石段を上がる」として左矢印が書かれた看板が競い合うように並んでいる。参詣者が迷わないかと思う。中国観音霊場めぐりで訪ねて来た私としては左に曲がって蓮台寺方面に向かうべきなのだろうが、ここは中心に鎮座する様子の由加神社がどんなものかまずはお参りしようと、直進の石段を上る。

石段を上がったところにも看板が出ており、「瑜伽大権現蓮台寺ご参拝の方へ」とあり、「由加神社と千三百年の歴史をもつ別格本山瑜伽大権現蓮台寺とは一切関係ありません」と、蓮台寺の正統性が強調され、蓮台寺総本殿は左へとの矢印が出ている。そこの観音めぐりのおっさん、逆らったら承知せんぞとでも言っているかのようだ。ただ一方では「由加神社本宮」というデカデカとした看板の矢印が右の神社を指している。看板の大きさでは由加神社のほうが圧倒しており、何も知らずにここに来たらまず右に行くやろうなと思い、それに負けたわけではないが、まずは由加神社に向かう。

狛犬だけでなく鳥居も備前焼でできている。

中国観音霊場は数ヶ所しか回っていないが、神仏習合、神仏分離の歴史の跡が見られるスポットが多く感じる。この由加神社本宮と蓮台寺というのもそうした歴史があるそうだ。古くは山岳信仰ということで、磐座(巨大な岩)への信仰があったとされている。奈良時代に行基が十一面観音菩薩と、瑜伽大権現として信仰された阿弥陀如来、薬師如来を祀る神仏習合の山となった。その後兵火で焼かれた時代もあったが再興され、江戸時代には岡山藩の池田氏の祈願所となった。あれ、池田氏といえばその時代に廃仏毀釈を行った池田光政という人物がいたのではないかと思うが、瑜伽大権現についてはそのままだったのかな。前の記事でも触れたように、由加山とこんぴらさんとの「両参り」が盛んになったのも江戸時代のことである。

明治時代の神仏分離により、由加山は由加神社と蓮台寺に分離された。その後太平洋戦争を経て国家神道もなくなった後、形式的には分離していたが、蓮台寺の僧侶が由加神社の本殿で祈祷を行うなど、蓮台寺が中心となって仕切っていた。それは明治以前の神仏習合の形式に近いとも言えた。それが1997年になって、由加神社が宗教法人としての独自の活動を始めた。その経緯は不明とされているが、それ以降、由加神社と蓮台寺が対立した状態ということである。ホームページが別々にあり、蓮台寺が「yugasan.jp」、由加神社が「yugasan.or.jp」と微妙に異なる。ただこれだと、こっちのつもりでお参りしたのが実は逆だったということになりやしないか気になるところだ。そういえば駐車場もそれぞれが別に設けている様子だった。

ともかくまずは由加神社にお参りしよう。本殿は江戸時代初期の建築ということで、やはり歴史的に見てこの建物が由加山の中心なのかなと思う。扁額にも「大権現」とあるし、由加山とこんぴらさんの両参りのPRもされている。この日も1時間おきに祈祷の受付をしており、お宮参りで訪ねたらしい人の姿も見える。かつて寄進された石灯籠や、ご神木の楠も伸びている。

こちらから見て本殿の左手にある稲荷明神の背後に大きな岩がある。これが元々の磐座だろうか。

本殿の向かいには参詣者、祈祷者用の休憩所がある。案内図では、窓の向こうの遠くにこんぴらさんの象頭山が見えるとあるが、この日は霞んでいてそれらしい山容が薄く見えるか見えないかという眺めである。もし見えれば「両参り」も実感が湧くものになることだろう。

この奥に大師堂があり、その先に「中国観音霊場第六番」の石柱がある。さらに石段を上がると観音堂、そして多宝塔もある。位置関係を見れば、由加神社本宮の本殿を囲むように蓮台寺の諸堂がある形である。神社と寺が一体だった歴史が見て取れる。

では観音堂で中国観音霊場のお勤めとするかと経本を取り出そうとすると、「十一面観音は総本殿にお祀りしています」との札がある。大師堂でも「弘法大師像は総本殿にてお祀りしています」とあった。いずれも「歴史保存のため」とかいう文字があった。由加神社との対立の中で、建物はどうしようもないとしてせめてご本尊だけでもと蓮台寺が引き上げたのだろうか。観音堂と神社拝殿は構造上は通路でつながっているように見えるが、立ち入り禁止となっている。

由加神社の鳥居を出て蓮台寺の総本殿に向かう。境内には江戸時代に池田氏が建てたという客殿があり、その向こうに1998年に建てたという総本殿がある。時期的に由加神社が独自の活動を始めた頃である。由加神社側も「葬式・法事の方は蓮台寺へ」と小さく案内しているところだ。

総本殿は「由加山で祀っている全ての尊格を迎えた」という建物で、瑜伽三尊である十一面観音、瑜伽大権現、弘法大師を中心としている。1階には瑜伽大権現を守護するという巨大な不動明王像が祀られている。

瑜伽三尊は2階に祀られているそうで、自由に履物を脱いで上がることができる。何十畳もある外陣の広間があり、中央に瑜伽大権現、右に十一面観音、左に弘法大師が祀られている。いずれも厨子に入っているのでその姿を見ることはできないが、蓮台寺としては元々の建物を追い出される形で不本意かもしれないがここでゆっくりとお参りができるのがよい。先ほどしようと思ってやめたお勤めはここで行った。

中国観音霊場の納経帳はこちらの総本殿で受付が正解。もし神社のほうで納経帳を提示していたらどんな注意を受けただろうか。

蓮台寺のホームページに境内図があるが、先ほどの観音堂や大師堂、多宝塔は「奥の院」として紹介されている一方で、由加神社は本殿すら描かれていない。一方の由加神社のホームページでは、蓮台寺のエリアの建物は描かれているものの白黒で、総本殿の辺りは「葬式・法事殿」と記されている。これも神社と寺の対立の図である。大権現もこうした対立をどう思っているのだろうか気になる。

新たな神仏習合の形として出ているのが、関西の有名寺社で結成されている「神仏霊場巡拝の道」である。別に今ある仏教と神道の宗派を一つにしようというものではなく、かつての神仏同座、神仏和合の精神の復活をめざし、神仏を同時に拝んでいた精神風土を現在に取り戻そうというものである。この蓮台寺と由加神社にしても、どういう経緯で対立となったかはわからないとされているが、もう少し歩み寄ればよいのにと思う。

中国観音霊場めぐりで訪ねた木山神社・木山寺はまだそれぞれが離れているから感じなかったが、ここ由加神社・蓮台寺は神仏分離、対立が濃く出ているという意味ではかえって新鮮にも見えた。部外者から見れば、上るだけで大変な同じ山の上にあるのだから仲良くやってくださいとしか言いようがないのだが、あるいはわざと対立を演出しているように見えなくもない。

さてここで山を下りることにする。上りが1時間あまりで、下りはバス停で多少余裕ができるかなと早めに下りてみる。来た道を戻ると、行きは急な上りだった三十丁~二十丁の区間が、帰りは急な下りになる。普通に歩くとかえってブレーキをかけるのがしんどく、重力に任せて走るように下る。何かにつまずいたらそのまま転がってしまいそうだ。そのため思ったよりも早く三十丁の道標まで戻って来た。このまま田の口浜に戻ってもよいのだがバスの時間まで30分近くある。ならば少し道を変えて駅の方向に向いて歩く。こちらも酒蔵があり、バス通りに出ると学生服のメーカーの工場の前を通り、少し離れてコンビニがあったのでしばらく休憩する。

バスで児島駅に戻り、14時40分発の「マリンライナー38号」で岡山に出る。さすがに居酒屋が開いている時間ではないため、少し時間をつぶした後、15時56分発の「こだま742号」に乗る。この先いつまで乗れるかという500系車両だ。相生、姫路で通過待ち停車をした後、まだ日があるうちに新大阪に戻って来た。

中国観音霊場めぐりは岡山が円通寺と、朱印がまだの法界院が残り、ここまで当初思っていたより時間がかかっているが、さすがに次回で回ることができるかと思う。その時は岡山エリアのみにするか、少し時間的にハードだが広島県に入ってしまうか。日帰りで行うか1泊するか。新幹線を使うか鈍行で行くか。今度こそ岡山のミシュラン居酒屋で打ち上げなるか。これから本格的な秋を迎えて出かけるには適度な気候となり、楽しみである・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~由加山への「両参り」巡拝道

2019年10月20日 | 中国観音霊場

児島から下電バスに乗車する。下電とはかつて茶屋町から児島を経て下津井まで走っていた軽便鉄道である。今は四国に渡るメインルートは瀬戸大橋で、その前は宇野から高松の連絡船だったが、歴史を見てみると鷲羽山の麓の下津井が玄関港だった時代があり、ここから船で讃岐に渡ってこんぴらさん参りというのが盛んに行われた。こんぴらさんの玄関口琴平も、国鉄(JR)、高松琴平電気鉄道(琴電)のほかにかつては琴平参宮電鉄(琴参)、琴平急行電鉄(琴急)という合わせて4本の鉄道が高松、坂出、多度津から伸びていた。こんぴらさんはそれだけ多くの人がお参りする、また長い歴史の中で人々を受け入れてきたスポットであることがうかがえる。

さてこれから向かう中国観音霊場第6番の蓮台寺だが、由加山(ゆがさん)という山の上にある。山の名前としては「瑜伽山」というのが正式な表記だそうだが、ここはシンプルに由加山と書く。児島が干拓前の島だった昔から山岳信仰の対象とされており、奈良時代に行基がこの山に阿弥陀如来と薬師如来を「瑜伽大権現」として祀ったとされる。日本三大権現の一つとされている(また「日本三大」と書くと、例によって残りの二つはどこなのかという話になり、またその組み合わせも諸説出てくる)。

山の標高じたいは300メートルないくらいだが、これを歩いて上るとなると話は変わってくる。一応、児島駅から由加山行きのバスは路線図に乗っている。ただこのダイヤは1日わずか2往復。しかも、朝と夕方に1往復ずつで、終点の由加山では折り返しの数分しかない。おまけに土日祝日、年末年始は運休・・・これにどうやって乗れというのか。ということで結局歩いて上ることになる。四国の数々の遍路ころがしから見れば大した距離でもないのだろうが、それにしてもこの中国観音霊場めぐりは公共交通機関が不便で歩かされることが多い。

乗っている王子ヶ岳登山口行きの途中に由加登山口というバス停があるが、その一つ先の田の口浜で下車する。目の前は小さな港で漁船がもやっており、遠くに瀬戸大橋の姿も見える。

目の前に鳥居と狛犬が並ぶ。この狛犬は土褐色をしているが、備前焼でできているのだそうだ。この鳥居が由加山の玄関口を示すそうで、昔からの参道とされている。これは後で知ったのだが、歌川広重の「六十余州名所図会」にも田の口を描いたものがあり、そこではこの鳥居は海の上にあり、遠くを舟が行き来する様子が描かれている。

石灯籠がある。海を向いた面には「金毘羅大権現」、そして山を向いた面には「瑜伽大権現」の文字がある。これだけ見れば海のほうにこんぴらさんがあって、山のほうに由加山があることを示すだけだが、この二つの大権現には古くからつながりがあるそうだ。庶民が寺社参りの名目で旅することが増えた江戸時代、伊勢参りとともに盛んになったのがこんぴら参りである。その讃岐に渡るルートとして、下津井やこの田の口などから舟が出ていた。その途次に由加山もお参りする風習ができて、いつしか「両参り」として盛んになった。二つを合わせてお参りすることでご利益が増すというものである。広重の名所図会の一シーンに田の口浜や由加山が出てくるのも、それだけ知られたスポットだったことだろう。

こんぴらさんは全国的にも有名で私もお参りしたことがあるが(ただ、四国八十八所めぐりの際には訪ねていない)、由加山の存在を知ったのは初めてである。地元岡山県では厄除けスポットとして知られており、岡山県内の初詣客の数も毎年上位に入るところだが、中国観音霊場めぐりで初めて知った場所である。

由加山へと続く昔ながらの道標もあり、これをたどって上ってみることにしよう。田の口浜からは一里の道のりだという。昔ながらの格子造りや蔵を残す建物も並ぶ。酒造会社の建物もある。また明治時代以降は繊維産業で栄えた児島ということで、そうした関連の建物もある。下津井と比べると港としての規模は小さく、別に観光スポットとしてPRしているわけではないが、なかなか風情があるところである。

昔から祀られている弥勒菩薩、薬師如来、地蔵菩薩の祠にも手を合わせる。

三十丁の道標が出てくる。数字で書かれた道標は昭和になってからできたもので、由加山の遊歩道ルートとして整備したものである。ここから急勾配が続き、四国の遍路道を思い出させる。それでも道標が一つ一つ出てくるので、それがカウントダウンされるのを励みに上って行く。田の口浜の向こうに霞んでいるが瀬戸内海や瀬戸大橋が見えるのもよい。

細い道を十八丁のところまで行くと上の集落が出てきた。ここで少し休んでまた細い道を進む。勾配も緩くなり、いつしか畑の中をおじゃまする。十二丁のところで広い道路に出た。ここに由加山行きのバス停があるが、案内の通りのバスの本数である。集落の人が児島の町に出るための便だが、乗る人はいるのだろうか。

十一丁のところに弘法大師を祀る祠があり、手を合わせる。ここまで来れば先が見えてきた。いったん下りると播州龍野の商人が寄進したとある大きな鳥居に出る。由加山も近くなったようだ。

この鳥居をくぐるとまた上り、もう一度下る。前方に石段が見えてきた。由加神社の入口である。田の口浜からゼイゼイ言いながらここまでおよそ1時間で着いた。

厄除けの石段が続き、参道はさらに伸びる。昔からの門前町のようである。そしてやって来たのが由加神社。あれ蓮台寺は?というところだが、この先、また「神仏習合」「神仏分離」の複雑な歴史があるエリアのようである・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~四国八十八所2巡目をやるか?

2019年10月18日 | 中国観音霊場

熱戦から一夜明けた10月14日、この日はようやく中国観音霊場めぐりの本番である(それでもまだ四国にいるが)。

前夜はホテルに戻ったのが0時近くということもあり、夜食用に買っていたものは結局冷蔵庫で一晩過ごすことになった。それを朝食とする。このため朝から鯛の刺身と鳴門わかめ、フィッシュカツ、徳島ラーメン(カップ)という豪華なものである。

目的地である第6番の蓮台寺の最寄り駅は瀬戸大橋線の児島である。距離で見れば隣の上の町、あるいはその次の木見が最寄りとも言えるが、今回は児島から路線バスに乗る予定である。鳴門から児島へは鳴門線~高徳線~瀬戸大橋線と乗り継いでいく。今はJRの「秋の乗り放題パス」の利用期間ではあるが、あれは3日連続で使うルールで、今回の旅にはマッチしない。結局鳴門~池谷~高松~岡山~大阪という普通乗車券を前日に用意した。これなら高徳線の特急「うずしお」や新幹線も特急券を買えば乗ることができる。今回は岡山からは新幹線に乗ろうと思う。

鳴門から児島への列車、児島からの路線バスを組み合わせていくつかのパターンを考えていた。もし起きられなかったらゆっくり出発してもいいかなと思っていたが、そこは体内時計でスムーズに起きることができた。そして上に書いた豪華な朝食を部屋で取った後で(刺身が冷凍寸前になっていたが)、鳴門駅の始発列車である6時34分発の徳島行きに乗る。2両編成で、クラブ活動でもあるのか高校生の姿がほとんどである。

鳴門名物のレンコン畑やサツマイモ畑の中を抜け、池谷に到着。ここで高徳線の高松行きに乗り換える。こちらも2両だがガラガラ。

次の駅は板東。四国八十八所の第1番霊山寺の玄関駅である。向かいの徳島方面のホームに菅笠と金剛杖を手にした人もいる。朝の7時に板東から徳島行きの列車に乗るとは、前日で第88番から第1番に戻っての満願となり、近くの民宿にでも泊まっていたのかな。

次の阿波川端、板野と進むうちに、少し前まで区切りのブツ切りでやっていた四国八十八所めぐりのことを思い出してくる。ここまで来たからか、ふと児島に行く前にこの周辺の寺を少し回って、八十八所めぐりの「2巡目」を始めようかという思いが頭をもたげてくる。いやいや、今は四国よりも札所数は少ないが総距離は長い中国観音霊場めぐりの最中だ。ここで四国に再び手を出したら収拾がつかなくなる。

ここで書いてしまうと、四国には別に四国三十三観音霊場というのがある。そして中国、九州の観音霊場めぐりと合わせて「百八観音霊場めぐり」を構成している。現時点では四国や九州の観音霊場巡拝は考えていないが、もし四国を訪ねるなら無視することはできないだろうなという思いはある。

板野に到着。ここで特急に抜かれたり列車の行き違いのため20分停車する。急ぐなら特急に乗ることができ、その先児島からのバスも1時間早い便に乗れるが、そこまで急ぐわけでもないのでこのまま鈍行で向かうことにする。いったん駅舎の外に出る。朝の7時すぎ、そういえばこの時間に板野駅に降り立ち、第4番の大日寺に向けて歩いて行ったなあ。

阿波大宮から大坂峠を越えて香川県に入る。瀬戸内の海をちらりと見ながら進む。

駅ごとに乗客が増え、いつしか五剣山や屋島といった香川の独特な形状の山を見る。また八十八所めぐりのことを思い出す中で、もし「2巡目」をやるなら逆打ちもどうかという自問が出てくる。さらに、前回とはなるべく違う季節に行ってみるとか・・。

9時10分、高松に到着。13分の乗り継ぎで「マリンライナー18号」に乗るが、その前に「アンパンマントロッコ号」が発車する。瀬戸大橋をトロッコで走るのは面白そうだが、アンパンマン列車なので大人が一人で乗るのはちょっと・・。

JR四国の稼ぎ頭といっていいマリンライナーは予讃線を快走し、坂出から瀬戸大橋を渡る。これでようやく中国地方に到着する。

9時53分、児島着。ジーンズの町として有名なところで、駅ホームの自動販売機やエレベーターもデニム柄である。他にも階段やコインロッカーにもジーンズがデザインされている。駅前のアーケードにもジーンズがぶら下がっている。普段シーンズを履かないので、こんなものかなということでそれらを見やる。

児島駅から10時10分発のバスで蓮台寺に向かう・・。
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第6回中国観音霊場めぐり~観戦記・独立リーググランドチャンピオンシップ第3戦徳島対栃木@鳴門・白熱の一戦

2019年10月17日 | 中国観音霊場

第3戦は予定から1時間15分遅れの19時15分にプレイボール。ちょうど三塁側スタンドの向こうに満月が見える。

徳島の先発は竹内。今季は年間通算で最多勝タイの8勝を挙げ、昨年に続いてNPBのドラフト候補となっている。このグランドチャンピオンシップでも先週の第1戦(小山)に先発したが勝ちを逃している。振りかぶる前に左足を左右に動かして砂を払う仕草を見せる。しかし力みからか、直球が最速152キロをマークするも1回表はボール先行となる。一死から2番青木がセンター前ヒットで出塁し、続く西岡は四球で出塁。初回から三塁側応援団の熱気が上がる中、ここは竹内が後続を何とか抑えて無失点で乗り切る。

そして1回裏、栃木の先発は比嘉。こちらは年間通算で6勝。徳島は先頭の小柄ながらパンチ力のある平間が、ショートへの内野安打で出塁。続く球斗が送って、こちらもNPBのドラフト候補と期待される岸が打席に入る。先制点が期待されるがレフトフライで凡退。

4番の瀬口の当たりはショート内山が追い付くもはじいてレフト前へ。記録はヒットとなり徳島が1点先制する。続く吉田もライト前ヒットで一・三塁となる。

ここで6番川端がレフト前へのクリーンヒット。2対0となり一塁ベース上で笑顔を見せる。両チームが初回から塁上を賑わせたところで、その攻防だけで40分かかる。さてこの試合は何時まで行われるやら。

2回表、初回にトランペットの音色を響かせていた三塁側応援団が不意にアカペラの声援に変わる。またその裏、阿波踊りで使う鐘を鳴らす昔ながらのスタイルの一塁側応援団からも鐘の音が消える。どうやら球場ルールで20時を回ると鳴り物応援ができないようだ。

先制点をもらった竹内は2回は飛ばす。直球が再び152キロをマークするなどして二者連続で空振り三振を取る。これで乗って来るか。

2回裏、徳島先頭の横溝の打球をショート内山がファンブル。今度はエラーがついた。続く友居のバントはフライとなったが、運よくサード佐藤の頭上を越えて内野安打となった。この辺り、試合前の準備不足で栃木の守備も苦しんでいるようにも見える。

ここで平間の思い切ったスイングは風にも乗ってライトの頭を越す。無死ということで二塁ランナーのスタートが遅くなり、ランナー二人はそれぞれ三塁、二塁でストップ。長打を確信した平間が前のランナーが止まっているのを見て慌てて一塁に戻り、辛うじてセーフとなった。無死満塁と追加点のチャンス。

ここで球斗の内野ゴロの間に1点追加で3対0。なおもチャンスで岸を迎えるが、強い当たりはセカンドへのライナー。二塁ランナーが戻れず併殺となった。無死満塁で1点止まりはちょっともったいなかった。

3回表、栃木が反撃開始。竹内は2回とはまた別人のようで、先頭の野崎に死球を与える。一死後、青木のところで暴投、四球。続く西岡のところでも暴投で一死二・三塁となる。西岡は浅いセンターフライに倒れたが、4番のルーカスがレフトへのクリーンヒットを放って2点が入る。序盤から3対2と接戦になってきた。

3回裏、栃木は2人目の秋山が登板。徳島は毎回ヒットで出塁するも追加点が取れない。4回は一死二・三塁のチャンスを作るが球斗がショートゴロで本塁タッチアウト、期待の岸も空振り三振に倒れる。また5回も一死一・三塁とするが後が続かない。一方の竹内も4回、5回は立ち直り、3対2のまま5回裏が終了した。

この時点で2時間あまり経過した21時20分。ハーフタイムには地元の「松茂キッズ」が、大黒摩季さんの「熱くなれ」に合わせてのダンスを披露する。「熱くなれ」は徳島の今年のチームスローガンだ。子どもたちも遅い時間に大変だが、まあ、明日も祝日で学校は休みだからいいか。また、試合終了後にはグラウンドで海陽町の餅屋から提供の餅投げがあるとのアナウンスがあり、誰でも参加できるというが、このペースで行けば何時になることやら。ここまで来たのだ。仮に日付が変わっても餅投げをやるというのならとことんまで付き合うぞ(単に、鳴門に泊まっていることを言いたいだけだが)。

6回表、先頭の西岡がセカンド内野安打で出塁。その後二死二・三塁となり、打者谷津のところで竹内がまたも暴投。3対3の同点となった。6回裏は栃木3人目の前田が無失点で抑える。この時点で22時を回る。試合時間からして延長戦はなく9回で試合終了となるのは確実としても、そこにたどり着くのは何時になるやら。餅投げは大丈夫か。

7回表は栃木のラッキー7。球団歌の「金色の勇者」が流れる。この時「福井球団存続を」の手作り横断幕が登場する。前の記事でも触れたが、福井ミラクルエレファンツの行方も気になるところである。この記事を書いている時点では運営企業は何とか見つかりそうとの報道はあるが・・。

竹内は7回は二者連続見逃し三振を取る。結局この回まで投げて奪三振7、被安打4、失点3ながら、四死球5、暴投3はちょっといただけない結果だった。

7回裏、徳島のラッキー7で球団歌の「藍の勇者」が流れ、藍ではないが水色のジェット風船が飛ぶ。インディゴ(藍)とゴールデン(金色)の対戦、球団歌のテンポも対照的である。

徳島は栃木4人目の橋詰から無死一・三塁のチャンスを作り、川端がスクイズを試みるもフライとなって失敗。その後二死二・三塁として横溝がライトへのヒットを放って5対3と勝ち越しに成功する。

8回表は森が登板。西岡にこの日2本目となるヒットが出るが無失点で完全に徳島の勝ちムードになった。

そして9回表は徳島抑えの戸田が登板。三者凡退として5対3で徳島が勝利して、グランドチャンピオンシップは2勝1敗で徳島が独立リーグ日本一に王手とした。公式記録では19時18分開始、23時10分終了、観客は1012人とあった。

ヒーロー賞は7回に決勝タイムリーを放った横溝が受けた。左に移っているのはスタジアムMCを担当する吉本興業の徳島県住みます芸人の中山女子短期大学さん。インタビューの最中、栃木の選手たちはベンチにてミーティングである。まあ、台風の影響がある中で長距離移動して、到着してすぐに試合だった。それでもいい試合をしたこともあり、最後には台風被害にあった栃木県へのエールということで、一塁側からも「ガンバレガンバレ栃木!」のコールが起きた。

さすがに23時を回ったことで餅投げは中止となり、代わりに球場外でのお見送りの際に選手が餅を「配る」ことになった。「祝」の文字が書かれた袋に入った餅のケースを選手が掲げている姿は餅屋そのものである。選手が配るというよりはご自由にお取りくださいのスタイルである。

この試合中、ファウルボールが偶然にも私のいるところに飛んできた。この試合では徳島や四国アイランドリーグの選手名鑑が売っていなくて、納経帳にご朱印もといサインをいただくものをどうしようかと思っていたが、せっかくなので試合球に書いてもらおう。

降板直後に打線が勝ち越したので勝利投手となった竹内、そして牧野監督(元オリックスほか)、ミラバル投手コーチ(元日本ハム)のサインをいただく。平間や岸といったドラフト候補の野手のサインもあればと思ったが、照明も暗い中で姿を見つけることができなかった。

時刻は23時半近くということで、選手やファンはまだ残っているがそろそろ球場を後にする。往路と同じ撫養川沿いの遊歩道を歩くが、この時間は街灯もなく暗い。こんな時間まで何をやっているのかと苦笑しつつホテルまで戻る。冷蔵庫には夜食用としてスーパーで買い求めたタイの刺身や鳴門わかめなどがあるが、もういいか・・・。

後日談その1。独立リーグチャンピオンシップはこの試合で徳島が2勝1敗で日本一に王手としたが、翌14日の鳴門での第4戦は栃木が5対4で勝利して2勝2敗のタイ。勝負は15日の徳島での最終戦までもつれたが、4対3で徳島が勝利。2年ぶり3回目の独立リーグ日本一となった。MVPは竹内。第5戦は1回表からリリーフで登板し、その後9回まで投げ切って日本一を引き寄せた。これで17日に行われるNPBのドラフト会議に向けて大きなアピールとなったようだ。

後日談その2。NPBのドラフト会議が行われた。1巡目で数球団が指名すると注目の選手たちでは、大船渡高の佐々木はロッテ、星稜高の奥川はヤクルト、明治大の森下は広島が交渉権を獲得した。オリックスに関しては・・・・まあ置いといて。

1巡目で独立リーグの選手が指名されることはまずない中で、埼玉武蔵の松岡が西武3位で指名。また徳島の先発のもう1本の柱の上間が西武7位で指名された。徳島からはさらに岸(西武8位)、平間(巨人育成1位)という注目の野手コンビも指名を受けた。徳島としては最高の結果だろう。他に四国では香川の畝が広島育成3位で指名されたが、これは広島の畝投手コーチの息子という縁があったのかな。

その一方で、徳島の竹内が指名されることはなかった。NPBのスカウトや、「ドラフトへの評価が難しい投手」と見ていた目の肥えた野球ファンから見ればやはり何かが物足りなかったということだろう。第5戦で独立リーグ日本一を手繰り寄せた投球は素晴らしかったのだろうが、もしこの第3戦で四死球やら暴投がなくピシャリと抑えていれば評価もより高まったのかもしれない。いずれにしてもNPBの壁は高いことが示された結果だが、また来年NPB目指して修行の日々となるのかどうか。

・・・独立リーグの話題はここまでとして、翌日は旅の元々の目的である中国観音霊場めぐり。朝ちゃんと起床できるかどうか・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~観戦記・独立リーググランドチャンピオンシップ第3戦徳島対栃木@鳴門・試合前

2019年10月16日 | 中国観音霊場

大塚国際美術館前のバス停から徳島バスで移動する。海岸沿いの景色のよいところを走り、小鳴門橋を渡って鳴門の市街地に入る。関西方面の高速バスが発着する高速鳴門のバス停はこちらが最寄りで、下車する人も多い。その後少し走って鳴門駅前に到着する。

13日の宿は駅の西にある「ネクセル鳴門」。実は同じ鳴門で別のホテルを予約していたのだが、この台風の影響でキャンセルが出たようで、より安価なこのホテルに泊まることができた。例年10月の連休は徳島で「マチ★アソビ」というイベントがあり宿の確保が困難になるため、周辺の鳴門や阿南まで宿が満杯になる。もっとも今年は台風のために四国に渡ることじたいキャンセルする人が多かったのか、普段の数倍の値段をふっかけていた徳島駅周辺のホテルも前日や当日になって安値(定価?)で受け付けることになったようだ。

鳴門駅舎から線路の終端部を回り込んで西側に向かう。目の前にある地元スーパーで夜食を買い求める。試合はナイターで行われ、飲食ブースも出るとはいうものの、おそらく鳴門や徳島名物というのは期待できない。鳴門に来たら魚も食べたいと思いながらも、試合終了後の22時を過ぎても一杯やれるのは駅前の魚民くらいのようだ。

ならばということで夜食さがしにスーパーの鮮魚コーナーをのぞく。鮮魚コーナーは海沿いの町の色がよく出るポイントである。果たして、徳島産のタイやキビレ(チヌの仲間)の刺身、鳴門の生わかめなどが普通に並んでいた。合わせてフィッシュカツ、徳島ラーメンのカップといった徳島郷土の味を買い求め、そのままホテルの部屋に持ち込む。部屋は小ぢんまりとしたものだが十分な広さだ。

荷物を軽くして改めて駅前の商店街を抜けて球場に向かう。駅から球場は徒歩20分ほどだが、さすがに10月ともなれば撫養川の川面を流れる風も心地よく、遊歩道を歩くのも気持ち良い。

球場が近づくと前方から市街地、駅方向に向かってぞろぞろ歩く集団とすれ違う。着ているユニフォームからして、ちょうど同じ敷地にあるポカリスエットスタジアムで行われていたJ2の徳島ヴォルティス対ファジアーノ岡山の試合が終わった帰りのようだ(試合は2対1で徳島の勝利)。サッカーは観るがこれから行われるインディゴソックスの試合までは・・・という人が多いのかな。ましてこの夜はラグビーワールドカップの日本対スコットランド戦も無事行われることになったし。

さて試合があるオロナミンC球場は3年ぶりの訪問となる。この鳴門・大塚スポーツパークにはポカリスエットスタジアム、オロナミンC球場のほかにソイジョイ武道館、アミノバリューホールといった、大塚製薬の商品名がつけられた施設が並ぶ。昼間訪ねたのも大塚国際美術館であるし、鳴門には渦潮の町やお遍路の町などのキャッチフレーズが並ぶが、その中に大塚製薬の町というのを加えてもいいだろうな。

案内には16時30分開門、18時試合開始予定とあったが、現地に来てみるとチケット発売開始は16時30分だが、開門は17時、試合開始は19時にそれぞれ繰り下がった。台風19号の影響で栃木の選手の移動が遅れるためだそうだ。独立リーグの選手は遠距離でもバス移動が基本で、栃木をいつ出たか知らないが、高速道路も広い範囲で通行止めが続いていたために遅れとなったわけだ。

17時の開門時には100人は並んでいた。入場して一塁側上段の席に陣取る。確か3年前もこの辺に座っている(防球ネットが切れる目線)。一塁側の徳島ファンは地元だから多いとしても、三塁側の栃木ファンも結構な数が来ているのがわかる。応援団も鳴り物つきで何人もいるし、横断幕も何枚も貼られている。また試合前には栃木の運営を手掛けている人材会社のエイジェックのTシャツを着た人も30人ほどやってきて声援を送る。この辺りの支社の社員たちかな。さすがBCリーグの中でも観客動員や応援団の熱気が上位と評されるチームらしい。

BCリーグといえば、この数日前に残念なニュースがあった。福井ミラクルエレファンツを運営する福井県民球団が、2020年度の加盟更新の申請を行わないと発表した。これを受けてリーグは10月中に何らかの方向を示すとしており、球団運営に携わる企業やスポンサーを募るとか、リーグが出資してチームを存続させるとか言われているが、最悪の場合はチームの解散、選手は各球団に分配ということもあり得る。確か福井は前の運営会社の時に一度チーム解散の危機があり、福井新聞社が中心となって現在の形で存続となったが、経営は相変わらず厳しく、観客動員も減少が続いている。新規参入組ながらエイジェックという全国に展開する企業の支援を受けて積極的な経営をしている栃木とは対照的に、福井は有力企業も少ないし、スポーツに金を出して応援という向きも少ないのかもしれない。

ネットの書き込みでも、ミラクルエレファンツとは直接関係ないが、スポーツについて他の北陸・信越(石川、富山、新潟、長野)各県と比べて、サッカーのJのチームが福井だけないとか、大相撲の関取が福井だけいないとか、ネガティブなものも目につく。また一方では、現在問題となっている高浜町から関西電力幹部への不透明な金の流れのニュースを引き合いに出して、「関西電力に支援してもらえ」「3億2000万円あれば十分お釣りが来るだろ」などという内容のコメントも出ている。まあこれはヤジのようなものだが。

ただ、四国を含めて他の球団も同様の悩みを抱えているはずで、対応を間違えると他の球団にも連鎖しかねない問題であり、独立リーグそのものの存続にも関わるかもしれない。まずは10月中に出るという福井の動向を見守りたい。

話をオロナミンC球場に戻す。スタジアム上空は青空だったがすっかり日が暮れた。これから気温も下がるのだが風は依然として強く、羽織るものを持って来ればよかったと思う。手持ちのマフラータオルを首に巻いてカバーする。これでどうやらしのげそうだ。

18時を回ってようやく栃木の選手たちがグラウンドに姿を現す。グラウンドでの打撃練習やノックの時間もなく、慌ただしく外野でアップをしたり、ファウルグラウンドでキャッチボールやバッティングをして体をほぐしている。本当に先ほど到着して、そのまま試合に臨む形である。

そんな状態だが試合前のセレモニーが始まる。国歌斉唱の後、この試合は徳島県プレゼンツとして、徳島県の飯泉(いいずみ)知事、鳴門市の泉市長が登場。徳島・牧野監督、栃木・寺内監督に地元産品を贈呈する。その後は飯泉知事の挨拶。挨拶の中に入る「栃木ゴールデン『ブレイヴス』」という発音が印象的だった。昨年観戦した香川対群馬のチャンピオンシップでは、群馬の選手も含めて一人ずつ紹介があったり、全員の記念撮影もあったのだが、この日はなかった。元々予定がなかったのか、それとも時間が押していて取りやめになったのか。

試合開始はさらに繰り下がって19時15分とアナウンスされた。栃木の選手に少しでも配慮したものだろう。それに応える形で栃木の選手たちは引き続きアップをして試合に備える。その中に元NPB、メジャーの西岡の姿もあり、彼がバッティング練習を始めるとフェンス際でカメラを構える姿が目につく。この選手がいるから栃木の試合を観ようという人もいるもので、ロッテや阪神のマーク姿の人もちらほらいる。

この日は満月も見える試合。先発は徳島がエースでNPBドラフト候補の竹内、栃木が比嘉。鳴門市の泉市長の始球式の後で19時15分試合開始。試合の様子はこの次の記事で・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~大塚国際美術館

2019年10月15日 | 中国観音霊場

カテゴリは中国観音霊場めぐりだがそこまでの寄り道のほうが長くなりそうな今回の巡拝。高速バスで降り立ったのは鳴門市にある大塚国際美術館の前である。入館料3300円のところ、事前にホームページで購入すると3160円となる。スマホにQRコードが表示され、これをかざせばOKだ。なおこの前売りチケット、極端にいえば窓口の前でスマホで購入手続きをしても割引が適用される。

入口から長いエスカレーターを上るとエントランスとなるが、ここがB3階である。美術館はこの先2階まである。日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412㎡)を持つ。見学コースは全長で4キロほどあり、作品をじっくり見るなら1日、いや本当に好きな人なら1日あっても足りないほどと言われている。今回は昼間の時間、3時間ほどで一通り回ろうと思うが、それだと本当に駆け足コースなのだという。まあ、普段美術品に接することもなく、世界の名画と言われるものにも無頓着な私なので、そのくらいでちょうどいいのかもしれない。

床面に見学ルートが矢印で示されているので道に迷う心配はない。まず入るのが、美術館でもっとも絵になる(今ならインスタ映えする)ところのシスティーナ・ホール。バチカン市国にあるミケランジェロが描いた礼拝堂の天井絵が忠実に再現されている。天井絵の詳しいことは知らなくてもまずそのスケールで圧倒される。

このホールではさまざまなイベントが行われることがあり、(観ていないので初めて知ったが)2018年の紅白歌合戦では米津玄師さんがこの場所で曲を披露した。ファンにとっては聖地の一つになったようで、米津さんが描いた「Lemon」のジャケット絵には大勢の人がカメラやスマホを向けている。

同じフロアでは古代から中世にかけての壁画や聖堂絵がさまざま並ぶ。それぞれに解説がつけられているが、一読しただけではその中身が入って来ない。その昔高校の世界史や倫理の時間で習ったであろうギリシャやローマの人物たちも出てくるが、当時そうしたカタカナの人名を覚えるのが苦手だったし、古代の哲学やキリスト教世界のことを理解していないと絵の世界もよくわからない。

こちらのスクロヴェーニ礼拝堂(再現)では本物の結婚式を挙げることもできるそうだ。

聖書の一節を描いた作品も数多くある。中世のコーナーだけでなく、B2階に上がったルネサンスやバロック時代のコーナーの至るところにキリストやマリア、その他聖書の登場人物が出てくる。まあ、同じ舞台、場面でも描く人の世界観や腕前の差というのは出てくるもので、それらを見比べるくらいでちょうどいいかなと思う。原画の細かなテクニックについてはわからないが。

それでも、西洋史や美術の教科書で見たような作品や、さすがに私でも知っている作品も少しずつ出てくる。本物が所蔵されている美術館でも常時公開されているとは限らず、それこそ何十年に一度の御開帳でしか観ることができない作品も多いことだろう。またそうした作品は仮に鑑賞できても写真を撮ることなどまずない。それがここ大塚国際美術館ではOKである。有名な作品には次々とスマホが向けられるし、作品と一緒に記念撮影する人も多い。

ご存知の方も多いと思うが、大塚国際美術館の特徴は、古代から現代までのありとあらゆる西洋名画を特殊技術で陶板に模写して再現したものを展示していることである。原画が持つ本来の価値を損なうことなく、2000年以上にわたってそのままの色と姿で残るとしており、日本にいながらにして世界の美術館を疑似体験することができる。その中にはシスティーナ・ホールのように室内ごと原寸大に再現したものもあれば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の修復前、修復後の対比展示、実際に睡蓮の花が咲く池を周りに配したモネの「大睡蓮」というのもある(この辺り、鑑賞コースの順番とこの記事での掲載順はばらばら)。

これら陶板名画は次の行程で制作される。まず原画の所有者や著作権者から許諾を得て、現地調査と原画の撮影を行う。ここで色の分析を行い、転写紙に印刷して陶板に転写する。これを陶板に焼き付け、細部を仕上げて完成する。この技術は大塚オーミ陶業というところのもので、滋賀県の信楽で作業されているそうだ。信楽の陶業・・・といえばタヌキの置物で有名な信楽焼だ。そういえば以前に信楽に行った時に、資料館でこの陶板名画の技術が紹介されていたのを見学したことがある。

現在は平板だけではなく、3Dプリンタの技術を駆使して立体的なものも制作できるそうだ。日本のもので火焔の縄文式土器や、弘法大師坐像も展示されている。

また10月からのNHKの朝ドラマ『スカーレット』(戸田恵梨香さん主演)は信楽が舞台だそうで、展示コーナーの一角にはドラマのポスターも掲げられている。

有名な作品、有名でなくても私が見てうなった作品、いろいろある。それをランダムに並べてみる。やはり時代が下ってくると、描かれるのもキリスト教世界だけでなく民衆の生活や、人間の内面をストレートの表現したもの、観ていて心が和む風景など、バリエーションが広がってくる。作品の一つ一つのタイトルと作家名はあえて書かないので、詳細は図録やネット検索でご参照のほどを・・。

・・・かと思えば最後の現代美術のコーナーでは、またよくわからない抽象画というのか、単なる線と丸の集まりでしかない絵のようなものも出てくるから、よくわからない。

途中で昼食を挟むのももったいなく、ともかく全コースを回ることにした。それで3時間かかったが、いずれにしても今回は「初めて大塚国際美術館に行ってきました」という足跡だけが残ったように思う。

大塚国際美術館の主旨としては、ここで再現された多くの作品を鑑賞してもらい、やがて海外で実物を見ることにつながればというのがある。大塚グループとして地元に還元したいとの思いもあったそうだ。私も今回は実に駆け足だったが、それでもいいのかもしれない。個人的には日本の作品も陶板で再現してほしいなと思ったのだが・・。

少しは美術の経験値がプラスになったかなという思いで、美術館を後にする・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~カテゴリは中国地方ですが・・・。

2019年10月14日 | 中国観音霊場

10月12日から13日にかけて日本列島に接近、上陸した台風19号。12日に伊豆半島に上陸し、13日朝にかけて関東地方を通過して太平洋へと抜けて行った。12日夜は各局も台風情報の特別番組を流していたが、その中でもさすがはNHKである。12日の朝からずっと台風情報で、夜通し各地の放送局から代わる代わるレポートが入っていた。日付が変わるくらいまでテレビをつけていたが、さすがに夜通し見るわけにもいかず、情報はまた翌朝まとめて見ることにした。

そして13日、台風19号は関東から東北にかけて大きな被害をもたらした。記録的な集中豪雨となり各地で土砂災害、河川の氾濫が発生した。東京23区でも多摩川が氾濫したそうだが、もっとも被害が大きかったとされるのが長野の千曲川で、広い範囲で集落に泥水が流れ込んだ。一瞬、昨年の西日本豪雨の映像が再放送されたのかと思った。また衝撃だったのは北陸新幹線の車両基地が冠水し、新幹線車両10編成にダメージが起きた。影響は長期間になりそうだ。

また多くの死者・行方不明者も報告され、時間が経つに連れて死者数が増え、この記事を書いている14日夜の時点では11の県でとうとう50名を超えた。ここ数年と同じく今年も各地で豪雨、台風による被害が発生したが、表現は悪いがここに来て「ラスボス」が猛威をふるったと言えるだろう。この数年単位で見ると、日本各地、順番にどこかしらで大規模災害の影響を受けているように感じる。

さてそんな中出発する。今回はあくまで中国観音霊場めぐりではあるが、その前に四国に渡ることにしている。当初の予定では12日に徳島に渡り、その夜は独立リーググランドチャンピオンシップの第3戦(徳島)を観戦して宿泊、13日は高松経由で本州に渡り、中国観音霊場第6番の児島の蓮台寺、第5番の岡山の法界院(朱印のみ)と回り岡山宿泊。14日に第7番の新倉敷の円通寺を回って岡山県の札所めぐりを完了させるものだった。しかし12日は台風のため山陽新幹線、在来線、そして大阪から四国に渡る高速バス、フェリーもほぼ全面運休となった。グランドチャンピオンシップも12日の試合が早々と中止になったのであきらめも早い。13日に鳴門に渡るようにして前日だが市内のホテルを確保することができた。また中国観音霊場も児島の蓮台寺だけにして、円通寺は次の機会とする。法界院にはまたご縁がなさそうだが仕方がない。

鳴門に行くなら高速バスで高速鳴門で降りる、また徳島まで行って鳴門線に乗るという手がある。変わった手で和歌山から徳島に南海フェリーで渡ろうかとも思ったが、台風は過ぎたが海上の波が強いということで午前中の便は前日に引き続き運休するという。

ふと、鳴門の球場には夕方に行けばいいのだから、それまで鳴門でまだ行ったことがない人気スポットに行くことにしよう。大塚国際美術館である。公共交通機関なら徳島駅、鳴門駅から鳴門公園行きの路線バスがあるが、美術館のホームページを見ると、大阪から乗り換えなしでアクセスできるとある。

それが、大阪~徳島・阿南を結ぶ海部観光バスである。大阪~徳島間の高速バスはJR系、私鉄系としのぎを削っているが、近年第3勢力として存在感を出しているのが海部観光。元々は観光バスの会社だったが高速バスに参入、東京便に豪華な車両を投入していることでも知られている。その大阪便が、美術館の開館日に合わせて停車するという。大阪からの所要時間は2時間で運賃は3000円。13日の9:30に大阪駅を出発する便もまだ空席があり、12日に運休した代わりに1台増車して走らせるとある。席は当日行かないとわからないがともかく行ってみよう。

海部観光バスの発着地は大阪駅の桜橋口の高架下。JRバスや阪急・阪神バスのようにきちんと番線で仕切った乗り場があるわけではなく、近隣のホテルや商業施設への送迎バスが発着する一角である。発車の10分くらい前に行くとすでに予約客の行列ができていた。乗客が名前を告げるとタブレットで座席を確認し、1号車、2号車と振り分けていく。

車内は長距離バスによくある3列シート。で、今回割り当てられたのが最前列の真ん中。本音では横の景色が見える窓側がよかったのだが、まあ前日ふと思い立って予約したものだし、全面展望は見放題ということでどっかりと腰かける。

阪神高速の淀川左岸線の大開から入る。最近、この入口から湾岸線に向かうルートが目立つ。そして湾岸線から有料道路を通り、京橋から神戸線に合流する。明石海峡大橋も風はやや強いものの速度規制はなく、概ねダイヤ通りに走っているようだ。

定番の室津パーキングエリアで休憩する。海部観光の1号車、2号車の他にも高松行き、松山行き、団体ツアーバスと結構な顔ぶれだ。乗り間違いに注意(運転手がいくら促しても、号車を間違えて入って来て慌てて引き返す人というのは一定数いるものだ)。

大鳴門橋を渡り、鳴門北インターで高速を降りる。そして定刻から10分弱の遅れで美術館に到着する。何台かの観光バスが待機するとともに、入口には大勢の客が並んでいる。美術館の駐車場は数百メートル離れているため、無料のシャトルバスが数分おきに出ているそうだ。人気のほどがうかがえる。

美術館の見学の所要時間は人によって幅があり、本当に真剣に回ったら1日では足りないという。この後の鳴門市街への移動を考えたら15時くらいまでが持ち時間で、とすると3時間弱となる。果たしてどんな感じで歩き回ることになるだろうか・・・。

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第6回中国観音霊場めぐり~台風19号のため旅程変更

2019年10月12日 | 中国観音霊場

10月12日、本来であれば中国観音霊場めぐりの岡山県満願のために西に向かうところだった。ただ猛烈で強い勢力の台風19号の接近、上陸である。広い範囲で影響が出ており、今年も改めて「大規模な自然災害が起きた年」として記憶されるのだろう。

例によって長くなるが、札所めぐり遠征のプランニングで一つの記事となる。

今年岡山の西大寺から始めた中国観音霊場めぐり。岡山県の札所は児島の蓮台寺、新倉敷の円通寺、そして前回朱印をいただけなかった法界院が残っていて、10月の連休を利用して回ることにしていた。

そこに絡んできたのが、野球の日本独立リーグチャンピオンシップ。昨年は四国八十八所めぐりと絡めて、高松で行われた香川オリーブガイナーズ対群馬ダイヤモンドペガサスの試合を観戦した。今季は四国アイランドリーグの試合は観ていないが、徳島インディゴソックスが年間チャンピオンになった。一方のBCリーグは栃木ゴールデンブレーブスが初の年間チャンピオンとなった。その対戦後半の四国ラウンドが12日から徳島で行われる。9月に組み合わせが決まった時点で、岡山に行くついでに徳島に行けないかプランニングすることにした。どうせなら両方組み合わせてしまおう。

10月の連休、徳島の宿は取りにくい。「マチ★アソビ」が開かれているためである。3年前、四国八十八所で阿波の札所めぐりをした時に宿の確保に苦労したのを思い出す。その時は直前まで粘って徳島駅前の東横インに連泊できたので、また同じように探すかと構えた。一方で、12日は岡山に泊まり、13日の午後から徳島に移動することも考えた。もっとも13日は試合がないかもしれない。3つ勝てば日本一決定のため、前週の栃木での試合でどちらかが連勝して、12日の徳島の試合でそのまま勝てばチャンピオンシップも終わりである。

宿のほうは根気よくネットをチェックして、12日、13日それぞれで岡山、徳島、そして鳴門のホテルを押さえた。徳島に泊まれなくても鳴門ならまだ移動範囲だ。後はチャンピオンシップの流れで、またホテルのその後の空きを見て最終的なコースを決めることにした。その後発表された試合要項では、四国ラウンドは12日が徳島の蔵本、13、14日が鳴門で行われるとなった。

そして迎えた10月5~6日、栃木(小山)でのチャンピオンシップ2試合。結果は徳島、栃木が1勝ずつ。これで12日の徳島での第3戦でにどちらかがストレート勝ちで独立リーグ日本一になることはなくなり、少なくとも13日の鳴門での第4戦までは行われることが決まった。

ただここで発生したのが台風19号。まだ南の海で台風になる前から警戒されていて私も気になっていたが、時間が進むに連れて勢力が強くなり、進路が見える中で日本列島直撃として注意が呼びかけられるようになった。東海から関東のどこかに上陸する予報が出て、特に先の台風15号で被災した千葉県などはダブルパンチではと心配される。

台風15号の混乱があったためか、早い時点で対策の呼び掛けがある。人が集まるイベントも対応が早く、ラグビーワールドカップの12日の試合の中止が決まり、対戦する両チームに勝ち点2を与える措置が取られた。それにより決勝トーナメント進出と予選敗退が決まるという非情な結果にもなった。またNPBのクライマックスシリーズも12日の東京、所沢の試合が中止となった。さらに、東海道新幹線や関東の鉄道も12~13日に計画運休の対応。鉄道の運休は関東だけでなく、関西でも12日に山陽新幹線を含め広い範囲で運休との案内があった。昨今の危機管理への姿勢を踏まえると致し方ないのかなと思う。

台風19号についてさまざまな危険予知がある中で、私も12日は西に向けて出発するのを断念した。独立リーグのチャンピオンシップも10日の時点で12日の徳島の試合が早々と中止となることが発表され、13日の鳴門での試合が四国ラウンド初戦の第3戦となった。

中国観音霊場めぐりはどうするか。徳島行きはあきらめて児島と新倉敷だけ回るかとも考えたが、ここはこの時しかない独立リーグを観ようと思う。結果、13日は台風も過ぎて天候も回復すると踏んで、大阪から鳴門に移動して観戦、鳴門宿泊。14日に岡山に移動して、児島の蓮台寺か新倉敷の円通寺のいずれかを参詣、法界院は時間があればついでに立ち寄る・・・ということにした。

この記事を書いた後の13日、果たしてどのような動きになるだろうか・・・。

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