まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

御愛読に感謝

2013年03月31日 | ブログ
拙ブログをご覧の皆さん、これまで御愛読いただきありがとうございます。

2006年4月に現在のブログを立ち上げ、早くも7年が経ちました。

なかなか思うようにいかないこともありました(記事にはしてませんが、先日も今後の人生に影響しそうな辛いことがありました)が、皆さんの支えで何とかここまで来られました。ありがとうございます。

4月から8年目に入りますが、今後ともご声援のほどよろしくお願いします。



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賀名生梅林と南朝の皇居跡

2013年03月30日 | 旅行記E・関西

29日はNPBプロ野球が開幕。オリックス・バファローズは千葉でのロッテ戦。

いや、開幕投手に金子千尋というのは思えず「え?」と驚いたし、新生バファローズをアピールするならば開幕は西ではないのかと訝しんだ。その金子、8回1失点と好投。先発陣にとってはプラスになったことである。

ただどうも救援陣が・・・試合展開上ストッパーを9回に出さざるを得ず、延長で勝ち越した後を抑える投手のコマが足りない。こういう時に馬原がいればな、とないものねだりをしても仕方がないが、そのポジションを任せられるだけの若手投手の台頭を期待したい。

・・・さて、大阪でも桜が満開というところで、季節が一つ逆戻りするようだが五新線訪問記の続き。

五新線跡を歩き、西吉野温泉につかった後は再び奈良交通のバスで賀名生に到着。ここでも1時間半以上のフリータイムとなる。

Dscn9440梅林散策の前に、まずは南朝の皇居跡を訪ねてみる。先ほど五新線を歩いた時に橋の上から茅葺き屋根の民家を見たのだが、それが跡地である。もっとも南朝の天皇がこの民家にいたわけではないが、門には幕末の天誅組の吉村寅太郎の筆による「皇居」の扁額がかけられている。

Dscn9467吉野、五條、十津川・・・南朝とか尊王とか、そちらよりの「歴史の香り」が漂う土地である。隣接する歴史資料館で後醍醐天皇ゆかりの品や、日本最古とも言われている日の丸の旗を見る。

ただこうして賀名生の集落を見ると、やはり「落ちのびた」という表現がピタッとくる。歴史としては「南朝」と言われているが、吉野といい、ここに「朝廷」があるというのはやはり苦しいなと思う。地下政権とでもいうのかな。

Dscn9455さてこの日のツアーの目玉の一つである賀名生の梅林はちょうど見ごろで、多くの行楽客が梅林を散策していた。南朝の公家たちも梅を愛でる歌を詠んだとかで、その頃から梅林の賑わいはあったのだろう。歴史あるスポットである。

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Dscn9464中には山桜も交じり、静かな山村にも春の訪れを感じさせる。

Dscn9472散策するなら山の上をどこまでも上がるようになるので引き返し、もう一度、五新線の賀名生バス停を見に行く。城戸方面から数人のハイカーがやってきた。やはりこのコースはハイカーにはよく知られているのかもしれない。

Dscn9476河原に降りて橋脚を見上げ、この路線に気動車が走る姿をイメージする。実際に走るとなるとせいぜい2時間に1本くらいか、あるいはもっと少ないか。いずれにしても鉄道を開通させたところで早晩廃止になっていたことだろう。

Dscn9475南朝と未成線・・・どこか敗者の美学のようなものを感じさせる賀名生。梅林の鮮やかさとも絡み合ってなかなか味わい深い一時となった。

集合時間となり、早めに揃ったところで出発。帰りのバス車内ではウトウトする人も多かった。私もしばし目を閉じる。ただそんな中でも最後まで笑わせてくれるのがバスガイド役の奈良交通バス運転手。五新線の専用道や十津川方面の路線に乗務しているというから、またいつの日か、今度は運転手として見てみたいものである。

大和八木に到着。一日の行程も終了となりここで解散である。で、せっかく大和八木に来たのだからどこかで一人お疲れさん会をやろうと思う。奈良というと居酒屋のイメージがなかなかなく、八木の駅前をぶらつくもチェーン居酒屋くらいしか見当たらない。

Dscn9486そのうちのどこかでもいいかな、と思ううちに見つけたのが、近鉄の高架下にある「如意」という店。小ぢんまりとした店だがすでに一杯である。テーブルやカウンターにも「予約席」の札がある。ただ「ここは20時からの予約なんで、それまででしたらどうぞ」と空けてもらう。地酒、焼酎は奈良の銘柄から全国のものまで豊富に取り揃え、料理も下は280円から上は1900円まで幅が広い。値段ごとにメニューが分かれているのがわかりやすく、鮮魚も多く扱っている。

Dscn9479大和地鶏のたたきにビールで疲れを癒す。ハイキング、ウォーキングが好きな方の中には、その後の一杯が楽しみという方も多いだろう。この日はいつもの鉄道やドライブとは違った面白さがあったように思う。鉄道遺産を見るのも一味違った発見がある。また出かけてみたいものである・・・。

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五新線と西吉野温泉

2013年03月28日 | 旅行記E・関西

Dscn9402五新線のバス専用道の賀名生バス停から再びのウォーキング。賀名生の梅林やかつての皇居跡は帰りに見物する時間があるので楽しみである。歩く道は一見普通の道路に見えるが、周りの道路との位置関係を見るとやはりここは軌道だったのだなと思う。

Dscn9407向加名生に到着。ここではバス停の前でおそらく五條市の関係者だろうか、参加者にはちみつのジュースをふるまったり、五條市のパンフレットを配っている。現在の五條市は西吉野や大塔といった町村を合併して広域にわたっている。

Dscn9405このバス停の手前に立派なお宅があり、紅白の枝垂れ梅が花を咲かせている。ここがバスガイド役の奈良交通の運転手が言っていたHさんのお宅だろうか。小ぢんまりとした賀名生の景色によく似合っていると思う。

Dscn9408Dscn9410このところの春の陽気のためか、梅だけではなく沿道の山桜も咲き誇っている。樹齢はどのくらいだろうか。いつの日か鉄道が開通することを祈念して、沿道に植えたものだろうか。もうこの路線に鉄道が来ることはないが、こうして歩く人たちの心を和ませることである。どこの路線だっただろうか、国鉄バスの車掌が自分の勤める路線の沿道に生涯をかけて2000本の桜の木を植えたというエピソードがあるが、沿線の人か国鉄バスの関係者かはわからないが、この山村の春を彩ろうというその気持ちに感動するのであった。

Dscn9413専用道大白川のバス停を過ぎると橋梁に出る。今度は国道168号線を下に見る。これまでドライブで国道を走る時に橋梁をくぐるのでこれがあるのは知っていたが、こうして上から国道を見るというのも何だか妙な感じがする。国道は川に沿ってのジグザグ走行や山越えのカーブと勾配に悩ませられるが、こちら鉄道はゆったりとした造りで勾配を稼ぎ、トンネルに入る。ただ、現在となっては常に修復や改良工事で多額の費用が使われている国道のほうが快適な走行ということになるのだろう。

ここでまたトンネル。こんどは1キロほどの長いもので、また真っ暗な世界が広がる。先ほどの周遊バスはここまで来ないので、トンネルの真ん中を歩く。ここでもまた大きな水たまりができているが、もうここまで来れば驚かない。

Dscn9417こちらのバス停は「ホーム」を長めにとっており、なんと近くのテニスコートや料理屋の看板が壁にかけられている。ただどうだろう、平日で1日5本、土日祝日にいたっては朝7時の1本しか来ないバス路線である。今となっては宣伝効果はゼロに等しいだろうが、これもかつての本数もそれなりにあった国鉄バス時代の遺物ということになる。ここでスタッフが「あと20分もすればゴールですよ」と声をかけてくる。

Dscn9425桜の見どころ(さすがにここはまだ少ししか開花していなかったが)という西吉野の水力発電所にダム湖を見て、6つ目のトンネルを抜けると前方の道路が広がる。左手には駐車場、そして右手には国鉄時代のかつてのローカル駅舎と言ってもいい建物が出る。ここが今回のゴール地点である城戸駅跡である。ホームが片面式が2本、あとは側線に気動車の1両でも停められるかという造りである。かつての西吉野村の中心部がこの城戸あたりである。

Dscn9427さらに前方に近代的なコンクリート橋が続き、その先のトンネルに続いている。この城戸トンネルは現在では閉鎖されているが、おそらく立派に造り込まれているだろうと想像する。そのトンネルの入口まで行くとロスタイムになるし、地元の人が西吉野温泉方面への誘導で立っている。城戸トンネルのほうに足を向けるとすぐに警告が出され、止められることだろう。

ここからもう1キロほどを歩いて終点の西吉野温泉に到着する。温泉旅館が何軒か並ぶ静かな山間の温泉である。夜の賑わいスポットがあるわけではないが、こういうところに誰かと訪れて、星空でも見ながら夜を語り合う・・・などというのが似合うように思う。

Dscn9429食堂のところにスタッフが立っているが、私はここを通過。このツアー、オプションで昼食をこの食堂でとることができるようになっており、釜飯やらうどんやらが出ていたようだが、私を含め何人かの参加者はそこを通り過ぎ、その先の日帰り温泉「きすみ館」に到着する。ここは逆に食事施設がなく、昼食は持参したものを休憩コーナーでいただくというものである。私は八木の駅で柿の葉すしを調達していたのでこちらをいただく・・・とその前に入浴。塩分の濃い泉質で、ちょっと湯を嘗めるとしょっぱさが伝わる。南北朝の時代には天皇も立ち寄ったと伝わる温泉であるが、山間ではなかなか得られない塩もここから得ていたという言い伝えもあるという。

10キロ以上を一気にあるくのは久しぶりで、湯につかってしばしゆっくりする。先の食堂での食事組も最後はここに集まってくるのだが、直行組はそれに先んじて湯につかるというのもいいものである。入浴後はビールがなく(まあ、ここに来るとすればほぼ100%クルマだろうし)、ノンアルコールと柿の葉すしをつまむ。1時間半ほどの休憩はゆったりした一時である。

Dscn9430食事組も出そろったところで賀名生に向けて出発する。食堂の横に往路と同じ奈良交通のバスが待機しているとのことである。美しく咲く桜を見た後で、今度は梅林(何だか季節が逆戻りしたようにも見える)というのも面白い。

先ほど歩いて来たバス専用道の高架区間を右手に見てバスは走る。改めて未成線の五新線を見るに、仮にこのまま巨額の費用を突っ込んで阪本、果ては新宮まで鉄道を走らせた場合、その維持が大変だろうと思う。ましてや五條、十津川というあたりは日本有数の豪雨地帯で、過去何度も国道が寸断されたところである。ここに鉄道を敷設しても、土砂災害で不通・・・が代名詞のようになり、結局は廃止ということになるのかもしれない。未成線の時点で工事が中止となったのはまだ地元財政への影響が少ない分だけよかったのかな。

Dscn9426今回は廃止路線の上を歩くということがメインだったが、なかなかない貴重な体験、そしてローカル線考ができた。その後この五新線の跡地がどうなるのか、どういう姿になるのかを見てみたいところである・・・・。

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五新線跡を歩く

2013年03月26日 | 旅行記E・関西

再び五新鉄道のハイキングツアーの話。

Dscn9371国道168号線から分岐するバス専用道。集落の間をまっすぐに伸びる。先ほどバス内でガイドを務めた奈良交通の運転手の話では、極力最短距離で阪本、新宮を目指すという計画であったから直線も長くとっており、カーブや勾配も緩やかであるためにハイキングコースとしては歩きやすいとのことである。また、あくまでバス専用道であり、一般車両の乗り入れは禁止されているため(ただ、地元の人が一部生活道路として使っているとのことである。もっとも、一般車が故意か過失かは別としてバス専用道を走行したら道路交通法に引っかかるのか、詳しいことはわからないが)、クルマが前後から来ることを気にせず歩けるというのも面白い(歩行者が歩くのは認められているのかな)。

周りはのどかな田園風景が広がる。仮に鉄道が開通したとすれば、大阪からでも気軽に訪れることのできるローカル線といったところだろうか。

Dscn9365歩くうちに交差点に出会う。角には黄色の柵が置かれている。ちょうど線路と道路が交差する踏切のようである。もちろん線路は敷かれていないが、角にはミラーがあったり警報ランプが設けられている。バスが通過する際はランプが回るようで、その時は道路側のクルマが停車してバスを通すことになっている。

Dscn9362「専用道霊安寺」というバス停に出る。専用道は鉄道で言えば単線の幅しかなく、こうした停留所で初めて行き違いができる。パッと見た目では行き違い設備のある鉄道駅に見えなくもない。五條方面の乗り場には簡単な屋根つきのベンチがあり、地元のお年寄りが談笑している。ハイキングの我々を見て「どこから歩いて来たん?」と声をかける。

Dscn9364このお年寄りたち、バスを待っているのかな・・・・と時刻表を見るが、その本数がすごい。平日は朝と夕方で合計5本、休日に至っては朝の1本だけである。そしてこの日は休日で、朝7時台のバスはとっくの昔に行っておりもう運行はない(だから、ハイキングツアーもできるのだろうが)。いったいこのお年寄りたちはバス停でバスを待つわけでなく、何をしていたのだろうか。暖かいし、クルマは来ないし、日向ぼっこにちょうどいい場所なのかな。国鉄~JRバスの頃は1時間に1~2本ほどの便数はあったそうだが、これもクルマ社会の影響や、沿線の人口減少により利用客が減り、そのため便数を減らす、利便性が悪いとしてさらに利用客が減る・・・という、ローカルバスにありがちな悪循環が見られる。

道はまっすぐ伸びる。ひたすら前を向いて歩く人、周りをじっくり見たり写真撮影をしながらのんびり歩く人、40人の参加者は思い思いのペースで歩いており列は縦にかなり伸びるが、それでも旗を持った先頭の人の姿が遠くに見える。だんだん、「列車の気分」が高まってきた。

Dscn9373Dscn9368道端には「JRバスの遺物」も見える。専用道への侵入や駐車を禁止するJRからの警告看板が放置されていたり、標識がさびついたまま残されていたりする。こういう遺物、廃線めぐりが好きな人にとっては面白いネタとなることだろう。

Dscn9378歩くうちに橋に出る。ガードレールはあるが普通の道路と比べて低く、膝くらいの高さしかない。端を歩くと落ちそうで結構スリルがある。バスも徐行運転となるそうだ。この第一丹生川橋梁、戦前の資材不足の時代に建設されたそうだがアーチが美しい。現在の高架橋と比べればその味わい深さが伝わってくる。

Dscn9380第一丹生川橋梁を渡るとトンネルが見える。その入り口の外観は道路ではなく鉄道の造りであることがうかがえる。この生子(おぶす)トンネル、長さは600mほどで、トンネルの出口の明かりも遠くに見えるが、中は真っ暗。道路のトンネルとは違い、鉄道のトンネルは中の照明は最小限、あるいはなくても支障がない。ハイキングの持ち物に懐中電灯とあったが、それが役に立つ。それがなければすぐ隣の人の顔もわからないくらいである。またトンネル内の水漏れが激しく、路面に水たまりができているし上からも水が垂れる。スタッフの人が比較的安全なルートを案内する。

歩く人のいくつかの懐中電灯の明かりがトンネルの中に光る中、後ろからエンジンのような音が聞こえてくる。え?クルマは走らないはずだし、専用道のバスの運転は今日は終わっているはず・・・それがエンジン音と前照灯がだんだん近づいてくる。思わず、トンネル内の退避スペースに身を寄せる。

Dscn9382そこにやってきたのはマイクロバスが2台。「周遊バス」という文字がちらっと見える。何だろうか。団体専用のバスだろうか。ただ、このトンネルをバスが走るとこんな感じなんだろうなというのが疑似体験できたようで面白い。

Dscn9387沿道に梅林が現れる。賀名生の梅林も近いところである。もし列車が走れば車窓に梅を見物することができてそれもまた一興かなと思う。この五新線に車両を走らせるとすればどのくらいの大きさになるだろうか。ただ道路の幅やトンネルの高さからすれば、バス1台が通るのがやっとである。戦前から戦後にかけての計画と建設ならば、現在でいえばレールバスくらいのサイズの小型車両がやっとだろう。気動車でも何両も連なって・・・というのは厳しいかな。

Dscn9389専用道神野のバス停の先、専用道の遥か上を立派な橋脚が横たわる。これは国道168号線ではなく、農道。谷のこちらと向こうを立派な橋で渡したということである。こういう農道にすら巨額の建設予算がつくのも時代の表れだろうか。一方で、10年以上前に運行をとりやめたJRの看板も放置されたままだし、道路整備もされていないためアスファルトにひびが入ったり、穴ぼこができていたりというバス専用道の荒れよう・・・。

Dscn93962つ目のトンネルを懐中電灯片手に通り抜けると集落が見えてきた。ここが賀名生である。南北朝時代、3代の天皇が過ごした地であり、『神皇正統記』を書いた北畠親房の終焉の地。なぜこんなところに皇居を構えたのかと、今こうして訪ねてみると不思議に思う。攻め込まれにくいところではあるが、ここから打って出るというのは難しいだろう。それとも、ここから十津川を経て熊野本宮、さらには南へ抜けて東国に通じるというルートに位置することも関係するのだろうか。

Dscn9397賀名生のバス停に先ほどトンネルでやり過ごしたバス2台が停まっている。これは五條市が運行している無料コミュニティバスのようだ。梅や桜の見ごろのこの時期、1日3往復のバスを運行して観光客の利便性を図っているとのこと。うーん、これに乗れば「専用道をバスで走る」ということも経験できるということか。この賀名生は鉄道が開業していれば駅になる予定だったところで、他の停留所よりも敷地がゆったりと取られている。映画『萌の朱雀』でもバス停のシーンとしてこの賀名生バス停が使われている。

Dscn9401この先城戸までのハイキングコースはまだまだ続く・・・・。

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阪神粉砕で景気よく「出陣」

2013年03月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

Dscn953624日は今季初の観戦ということで大正ドームに向かう。オープン戦も最終戦、次の金曜日には公式戦の開幕であるが、今年はWBCの余韻が残るせいか、国内の開幕といってもまだファンの気持ちと体がついていけてないところがある。

相手は阪神。私はいつもの観戦位置である内野上段席に陣取る。下段は結構入っているようだが、指定席は一塁オリックス側にもかかわらず阪神ファンの姿も目立つ。大正ドームも我がとこの本拠地やと思っているのだろう。こういう客は排除できないのだろうか。

Dscn9527オープン戦とはいってもタレントが始球式に来る。この日は菊地亜美さんという人だったが、「アイドリング16号」という肩書?らしいがどういう活動をしているのやら。またネットで検索しないといけないな・・・。

Dscn9518開幕を控え、両チームとも野手はほぼベストメンバー。セ・パの違いということで、オリックス側は指名打者を置く10人野球に対し、阪神は9番に投手を置く9人野球。その阪神の先発は大物ルーキー・藤浪。ちょうど一週間後の開幕3戦目での先発が濃厚で、この日が最後の調整となる。オリックス打線は安芸での練習試合で藤浪に抑えられた(T-岡田に至っては三球三振)こともあり、このタイプの投手をどう攻略するかが見所である。

Dscn9530その前に、オリックス先発は2年目の海田。今年はプロ初勝利だけでなく、左の先発の中心的な役割が求められる。移籍の八木、中山、前田というところが出遅れているため、ここでローテーション入りを確実なものにしたい。

ただ、立ち上がりからボール先行で苦しむ。先頭の西岡にセンター前に運ばれ、その後二塁へ進塁。鳥谷のところで三塁盗塁を試みて失敗し、これでピンチを脱したかに見えたが鳥谷、新井良に連続四球。続く福留を打ち取って何とか無失点で切り抜ける。

Dscn9567そして藤浪のマウンド。ナマで見るのは初めてだが、改めて背が高いなと思うし、マウンド捌きも落ち着いている。初回は坂口、川端、糸井と簡単に退ける。

Dscn95562回裏、李大浩がレフトへうまく運ぶものの続く後藤が併殺打。6番に下がっているT-岡田は高めの150キロの速球に力のないスイングで空振り三振。このところ同じ高卒ルーキーの日本ハム・大谷の陰に隠れた形になっているが、やっぱりものが違う、敵ながらすごいなと思わせる。

Dscn9561一方の海田もボール先行だが少しずつ落ち着きを取り戻す。3回には大和に二塁打、鳥谷にレフト前ヒットを許すが、ここは川端が落ち着いてバックホーム。齋藤のブロックもよく俊足の大和がアウト。このプレーは大きかった。

Dscn9564試合が動いたのは打順が2巡目に入った4回裏。坂口がライト線に二塁打。川端がきっちりと送り、迎えるは糸井。スポーツ紙で「侍の洗礼」と表現されたように一・二塁間を鮮やかに抜くタイムリー。あっという間に先制点。この後李大浩の四球でチャンスを広げるが、ここで藤浪、T-岡田を変化球で空振り三振に切り、1点で食い止める。それにしてもT-岡田、普段は対戦しないとして、藤浪に苦手意識を持ったかな。前試合から3連続三振だし・・・。

Dscn9569海田は5回まで投げ、結局無失点で切り抜けた。シーズンに入りコントロールが安定するか。それでも悪いなりに抑えられたのは収穫だと思う。一方の藤浪も5回に2三振を奪い、こちらも負けていない。

Dscn95886回の阪神の攻撃中、藤浪がなかなかウォームアップに出ないので5回で交代かと思ったが、途中で出てきて結局6回もマウンドに上がる。これがオリックスの猛攻の始まりとなった。川端が二塁打、糸井にはストレートの四球。ここで李大浩がセンターに弾き返し、追加点が入る。続く後藤にもヒットが出て満塁。そして打席にはT-岡田。

Dscn9598これは先輩の意地だろうか、三遊間を破る2点タイムリーとなった。これで4対0となり、藤浪はこの回一死も取れずに降板。これまでは内容がよかったのにこの回にきてバタバタっと失点したのはどういうことだろうか。3巡目ともなると相手が慣れてくるのか。まあその辺りは、明日になればテレビ、新聞という関西マスゴミが詳しく解説してくれることだろう。

この後2番手の鶴からバルディリスのタイムリー、山本の内野ゴロの間に得点を重ね、この回打者10人で5点。いい形で打線がつながった。

Dscn96047回表、ジェット風船片手にオリックス打線の猛攻を呆然と見ていた阪神ファンからやけくそのような風船飛ばしが行われる。オリックスはルーキーでBCリーグ・福井の森本。ただ先頭のマートンに四球。

Dscn9607ここで代打で登場するのは日高。オリックスからFAで阪神に移籍したが、これには一塁側からも大きな拍手が送られた。慣れた球場ということか、左中間に鮮やかなタイムリー。阪神にようやく1点が入り、三塁側、レフトスタンドからようやく歓声が上がる。六甲おろしも流れる。日高に打たれるというのも皮肉なものだが、投げたのは一緒にプレーしていないルーキーの森本。ここはしっかりしないと。

7回表終了。6対1ということで試合としてはオリックスの勝ちは見えてきたが、ここで席を立つ。試合後の「ファンと選手の出陣式」のイベント参加だが、当選メールには8回表までにスタンドを出て外の集合場所に集まるようにとの指示があった。

このイベント、300人のファンがグラウンドで「花道」をつくって、開幕を迎える千葉に送り出そうというものである。集合場所で当選メールの確認が行われ、ライト後方の関係者入口に移動する。グラウンドの用具やら何やらが置かれているところに4列に並ぶ。2列ずつで一塁側と三塁側のファウルラインに並び、選手を見守ろうということである。ちょうど真上がライトスタンドで、応援の鳴り物やらスタンドの歓声も聞こえてくる。ちょうど8回もオリックス打線が阪神の抑え・久保に襲いかかり、3点を追加したようである。

Dscn9617そして試合終了。するとフェンスの扉が空き、グラウンドに入る。この位置からグラウンドに入るのは初めてで、何だかちょっと緊張する。ちょうど選手たちが試合後のアップをしていたところである。

Dscn9624Dscn9637一旦ベンチ裏に下がったが、しばらくすると一人、また一人と選手たちがベンチに出てくる。開幕を棒に振った金子や、開幕投手が決まった西の姿も見える。この角度で選手たちを見るのもそうできることではない。

Dscn9647選手たちが出揃ったところでグラウンドに登場。開幕を前にオープン戦終盤で少しずつ形になってきた試合運び。後は、公式戦でベストのプレーができるか。この日いい形で勝利したこともあり、選手たちもいい表情である。

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Dscn9663ファン代表の小学生からの激励作文が読み上げられ、メッセージの入った絵馬型の箱が選手会長の坂口に渡される。

Dscn9665この後は西、伊藤、坂口へのインタビューで今年の意気込みを聞く。これまで低迷が続き、戦力的に優勝候補と言われながら下位に沈んだことも多かったのだが、今年はどうだろうか。いや、今年こそは大丈夫・・・よね?

Dscn9676Dscn9678Dscn9681Dscn9682そして最後はファン300人が左右に分かれ、その間を選手全員がハイタッチをしながら通る。選手の表情もさまざまで、最大限に愛想を振りまく選手、あえて無表情を通す選手、それぞれあるが、どの選手からも今年にかける思いが伝わってきた。まずは千葉、そして仙台での遠征を乗り切り、いい形で本拠地に戻ってきてほしいものである。

Dscn9491下剋上等・・・!

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幻の五新鉄道ハイキングツアー

2013年03月24日 | 旅行記E・関西

五新鉄道(または五新線)というのがある。

かつて、奈良の五條から奈良南部の山間地を越えて和歌山の新宮まで鉄道を通そう、という計画があった。戦前から構想のあったことで、戦後その実現に向けて工事に着手、途中の阪本までは路盤やトンネルも建設された。しかしモータリゼーションの進展により採算が見込めないとして、結局列車は走ることなく工事は中断された。河瀬直美監督で尾野真千子さんも出演している映画『萌の朱雀』は、西吉野の山村を舞台に、この五新線の工事中断をきっかけに揺れ動く家族の姿を描いている。

Dscn6914路盤やトンネルはそのまま残り、それをバス専用道として活用する形で当初は国鉄~JRバスが路線バスを走らせた。現在、東日本大震災で被害にあった気仙沼線、大船渡線あたりで線路跡を専用バスが走ってるが、それの元祖のようなものである。ただこちらも並行する国道168号線が整備されたり、沿線人口の減少により乗客が減少。専用道を行くバスの本数も減り、JRバスは撤退。後を奈良交通が引き継ぐ形で、国道168号線を十津川、新宮方面に抜ける路線と、この専用道を行く路線の二つがある。五條の市街地に残る高架橋の跡とともに、往年の鉄道の姿を残す産業遺産のようなものといえる。

Dscn9339今年は奈良交通の大和八木から新宮までのバス路線開業50周年という。これを記念する形で、近鉄と奈良交通のタイアップで「幻の五新鉄道ハイキングツアー」というのが行われるというのを近鉄ホームページで知った。バスで大和八木から五條に向かい、バス専用道として残されている五條~城戸(じょうど)までの10キロほどを歩くというものである。これまで国道からこの路線を見ることはあったが、それを歩けるとは面白い。最近、廃線跡めぐり(この場合は未成線か)というのもいいなと思っていることもあり、早速営業所で申し込んだのだが40名定員のところ「キャンセル待ちです」との返事。一応キャンセル待ちで申し込んだが、こういう鉄道もの企画の人気の高さはすごいなと思う。行くのは難しいかな。

ところが、近鉄からキャンセルが出たとの連絡があった。コースとしては専用道のハイキングの後は西吉野温泉「きすみ館」での入浴、復路では賀名生梅林の散策もあるという。

Dscn9336さて当日、集合場所である大和八木駅に現れる。乗り込むのは八木~新宮間の路線バスと同じ型式の車両。路線バス車両といっても観光バスに近い造りであり、これをこのツアーのために貸切扱いとしている。

客層はいかにも「その筋」という人もいる一方で、多くはハイキング好きの中高年。ご夫婦での参加もある。鉄道そのものというよりは、普段なかなか一般人が歩くことができないコースを歩くのと、梅林散策がお目当てというところだろうか。

近鉄の添乗スタッフも乗り込み、満席となり出発。八木~新宮の路線バスは近鉄高田市駅、御所駅を経由して五條に向かうが、今回の貸切バスは京奈和道も使って直接五條に向かう。

Dscn9347添乗スタッフからこの日のコースや注意事項のアナウンスがあった後で登場したのは、バス内のガイド役のこの人。奈良交通のバス運転手で、今でも五新線のバス専用道のマイクロバスや、十津川に向かうバスに乗務しているとのこと。しゃべり口調がラジオパーソナリティの浜村淳に似て、沿線ガイドや五新線の歴史を語る中で面白いことを言っては乗客を笑わせる。その中で、五新線の沿線も梅の木が多く今が見どころで、沿線のバス停近くのHさんというお宅で丹精込めて育てている枝垂れ梅もオススメだとかいう話をしてくれる。それもまた楽しいだろう。

Dscn9352五條バスセンターで一度トイレ休憩を取り、吉野川を渡って県立病院を過ぎたところで停車。ここからが、バス専用道の始まりである。ここでバスを降り、それぞれがウォーキングの態勢に入る。城戸までは10キロあまりの道のり。私もその距離を続けて歩くのは久しぶりである。

Dscn9359坂を上がると途端に「これは線路があったな」と思わせるものがあった。いよいよここから未成線歩きである・・・・。

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新潟の一時

2013年03月22日 | 旅行記C・関東甲信越

新潟訪問の続き。

夜に今回の新潟行きの事案が済み、同行の人たちと新潟駅前のホテルに戻る。

「新潟にはそう来る機会もないし、せっかくだから新潟らしいものを食べよう」という同行の人たちの発案で、街に繰り出す。繰り出すといっても、これまで何回か訪れた中で、駅からすぐのところに郷土色豊かな店がゴロゴロ転がるくらいにあるレベルの高いところ。新潟は米、酒、魚に始まり、地元産の食材の豊かさでは全国トップレベルにあると思う。

2013031923530001_2そんなことを思ううちに、駅からすぐのところに「越後番屋酒場」というのを見つける。観光客、出張客を意識した店構えだが、価格は良心的。ここに即決して木戸をくぐる。

中は民芸調にしつらえており、なかなか風情がある。料理も豊富で結構迷うところだ。ただそれ以上にうならせるのが地酒の豊富さ。上越、中越、下越、魚沼、佐渡の各地からの厳選銘柄は100近い。全国的に有名な銘柄を含めて(出るのは昔ながらの本醸造だが)一杯580円均一でいただけるのはすごい。ただ幅か広すぎて、結局どれを注文すればよいのか迷ってしまう。まあそこは、月間の売れ筋ランキングが置かれていたりして、それを手がかりにいただくこともできる。今回3人で注文したのは越後山、八海山、〆張鶴、緑川、雪中梅といったところ。

2013031923110000この他に郷土料理、締めはへぎそばにコシヒカリのおにぎりというところで、話が弾む中であっという間に時間が過ぎる。注文しなかったが、この他に南蛮エビの量り売りとか、イカ徳利とか気になるメニューもあり、もし仮に公私問わず新潟を訪れることがあれば、もう一度のぞいてみたいと思う。

2013032000410001店を後にしてホテルに戻る。途中に立ち寄ったコンビニで、気になっていた一品を買い求める。サッポロビールが出している新潟限定ビール、風味爽快ニシテである。サッポロクラシックの新潟版というか、いやいやラベルの説明を見れば、新潟のビールが北海道に渡り、サッポロクラシックになったとか、結構面白いものである。

味は爽快。ほんのり苦味はあるが後に残らない。新潟といえば地ビールの走りとも言えるエチゴビールがあるが、私の場合爽やかさを好むこともあり、風味爽快ニシテのほうを押してしまうかな・・・。

さて翌日。この日は午前中のそれなりの時間までは空き時間となった。ホテルでゆっくりしてもいいし、どこか散歩してもいいと言われてたのだが、こういう時は部屋に落ち着いていられない性分。朝食を早くに済ませて(新潟らしい食材が多く満足)、新潟日報を片手に新潟駅の在来線ホームに立っていた。

時刻表を検索すると、新潟から白新線で新発田、すぐの乗り換えで羽越線の普通列車で新津、そして快速くびき野で新潟に戻るという、短いながらネタの多い乗り鉄ができる。ということでまずは白新線から羽越線に直通する村上行きに乗車。村上といえば鮭の遡上する町として有名である。昨夜の越後番屋酒場でも郷土料理として村上の鮭があったが、人気メニューなのか遅い時間だったからかほとんど売り切れていた。新潟駅にて自分土産に鮭の酒ひたしを購入したことである。

乗るのは国鉄型の115系。祝日の朝ということで、長い編成だがガラガラである。出発すると新潟の車両区や貨物ターミナルが車窓に広がり、鉄道好きとしては、日本海側最大の拠点性を持つ新潟の一面を垣間見る。

2013032007460001阿賀野川の鉄橋を渡る。ここは日本4大公害病の一つ、新潟水俣病が発生した地域である。前日にこのことを思い出すことになったのだが、発生が確認されたのは1965年。もう半世紀近くになるが、今でも後遺症に苦しむ人はたくさんいる。新潟日報でも、国の基準では患者と認められない人たちについて独自に救済措置をとろうとする新潟の行政の動きを報じていた。一度発生した公害というのは解決に時間がかかる。その中にあって、今回の東日本大震災での福島第一原発の事故というのはとてつもなく長い時間がかかるということになる。孫の代までで解決することだろうか。

2013032008140000そんなことを思ううちに新発田に到着。一度改札を出る。新発田の銘酒「菊水」という看板が目立つ。菊水はアルミ缶の姿で街のコンビニでも見かける銘柄である。それだけを見て再び改札をくぐる。

2013032008210000次にやってきたのは羽越線の新津行き。羽越線といえば日本海縦貫線として貨物列車にとってはなくてはならない路線であるが、羽越線の起点である新津から新発田まで走る旅客列車は極端に少なく、長ければ次の列車まで2時間以上空くという区間である。それが今回は10分で新津行きがやってくる。それが新潟オリジナルカラーの国鉄型気動車キハ47。これはラッキーな出会いである。だだっ広い新潟平野をトコトコと走る。この広さ、この後再び合流した会社の人たちもうなっていたところである。途中で貨物列車とも行き違う。

2013032008550000新津に到着。羽越線、信越線、磐越西線が合流する鉄道の要衝で、駅の近くには鉄道資料館もあるし、現在も車両区があっていろいろな車両が停まっているのが見える。磐越西線を行くSLばんえつ物語用の客車もある。すると遠くでSLの汽笛が響く。残念ながら姿は見えないが、この日は運転するのだろう。またいつか、その勇姿を見られればと思う。

2013032009010000新潟に戻る。その列車としてやってきたのは快速くびき野。今や希少価値となった国鉄型特急485系。塗装は新潟カラーだが当時の原型をとどめており、乗れるだけでもラッキーである。しかも快速ということで特急料金も不要。乗客の中にはいかにも「これに乗ること」を目的としているとおぼしき姿も多い。この日の私はフォーマルな格好をしていかにも「用務客です」という顔をしていたつもりだが、見る人が見れば「こいつもその筋のヤツだな」という表情に見えたかもしれない。

新潟に到着。短いながらも見どころのあった寄り道。幸い集合時間にはまだ時間があり、駅地下の書店で地元に関する書籍を買い求めることもできた。さて、気分転換が図れたところで本来の業務に戻ることに・・・・。

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ファンと選手の出陣式

2013年03月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
久しく自宅パソコンのメールを確認していなかったのだが、昨日、新潟からの帰宅後に開けてみると、オリックス・バファローズからのメールが来ていた。

その内容は「ファンと選手の出陣式、ファンクラブ会員参加イベントの当選」というものだった。

オープン戦最終試合となる大正ドームでの阪神戦終了後に、開幕前の総決起集会のようなイベントが行われる。ファンからの激励メッセージや、選手からの決意表明が披露されたりして、最後はファン300人が花道を作って開幕の千葉に送り出す・・・というもの(開幕が千葉とは、いきなり会社の先輩I氏と直接対戦)。

その300人の一人に選ばれたということだが、この手のイベントに当選したのは初めて。グラウンドで写真を撮ったりサインを求めたりというのはだめらしいが(ハイタッチくらいはできるのかな)、せっかくの機会なんで大喝!!・・・もとい大激励をいれさせていただこう。

今季こそは順位争いでファンをしびれさせる戦いを期待したい・・・!


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新潟へ

2013年03月20日 | 旅行記C・関東甲信越

昨日19日、会社のとある事情にて新潟に向かうことになった。

大阪から新潟まで・・・となると、私のような乗り鉄などは「北陸線経由で」というのが頭に浮かぶ。ただかつての雷鳥や白鳥のような直通特急があるわけではなく、また夜行急行きたぐにも今はない。現在このルートで行くならサンダーバードと北越を乗り継いで7時間という行程。

もう一つ、東海道新幹線と上越新幹線を乗り継ぐというルートもある。ただこれでも5時間かかる。

そこで出てくるのが空路ということになる。便数こそ限られているものの、飛行時間はおよそ1時間。伊丹、新潟それぞれの空港へのアクセスをプラスしても3時間コースである。ビジネス、仕事ということを考えればこちらのほうが断然効果的である。

ということで昼に伊丹空港に向かう。伊丹から飛行機に乗るのも久しぶりだが、新潟まで空路で行くのは初めてのこと。同行の人たちと「どの飛行機だろうか」と見るに、停まっているのはプロペラ機。まさかあれでは。

2013031912540000_3まさしくその通りで、よく事故やトラブルが起こるとかであまりイメージのよろしくないボンバルディアのDHC8-Q400とかいう機種。搭乗ゲートから一度階段を降りて滑走路と同じレベルに立ち、そこからタラップを上って乗り込む。機体の維持管理費用を考えた場合、地方空港向け路線というのはこういう機種で十分まかなえるのだろう。座席はほぼ満席であった。

座席がちょうど翼のところで、プロペラが目に見えないくらいの高速で回転したり、離着陸の際の車輪の出し入れが間近で見られる。プロペラって何だかアナログな感じだし、こんなんで大丈夫かなと思ったのだが、それが大丈夫なのである。

この日は全国的に穏やかな天候。離陸後は京都市街や濃尾平野、そして乗鞍をはじめとした中部の山々を眼下に見る。山上にはまだまだ雪が残っており、それが幾層にも連なるのが美しく見える。仕事で出かけるのだからといつものカメラを持っておらず、それらの景色を画像に収めることはできなかったのが残念だが(携帯カメラで撮ることはできないので)、目に焼き付けることにする。

新潟上空は雲がかかっていたが、上空から見る広々とした田園風景と新潟港近くの工業地域の対照に鉄道風景とは違った新鮮さを感じ、信濃川の河口をまたぐ形で着陸。

新潟空港からはレンタカーで移動。途中で新潟の誇るスタジアムであるビッグスワンにハードオフエコスタジアムを見る。この地にNPBプロ野球の本拠地が来るかも・・・という話もあったが、実際建物を目の当たりにすると、常に興業が行われることを考えた時のアクセスとしてはどうかな、という思いがある。いくらクルマ社会だといっても、クルマに乗れない子どもたちもいるわけだから、鉄道によるアクセスも充実しないとしんどいのかな(といいながらも、サッカーの試合は常にスタンドが満席になるらしいから、交通の便はそれなりに整備されているのだろう)。

・・・いやいや、そんなことよりも目の前のことに集中しなければ・・・・。

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個人情報保護士認定試験

2013年03月17日 | ブログ

・・・17日は朝からガヤガヤ、今週のスケジュールもいろいろと動きそうな感じである。

そんな中であるが、午前中は「個人情報保護士認定試験」なるものを受験してきた。

「個人情報保護士」というのは個人情報保護法に関する知識を有するとして認定する資格であるが、別に国家資格ではなく、財団法人全日本情報学習振興協会が認定するもの。履歴書に書いてどうなるかというところだが、かつて受験した「時刻表検定2級」よりは実用度はあるだろう・・・。

これを受験しようと思ったのが、かつてこれに関する実務に従事していたことがあり、今になって「その時、こういう仕事をしていたという証みたいなものがあれば」ということである。テキストを購入し、過去問題を解くと「あの時言われていたのはこういうことだったんだな」というのを思い出すことがある。ただ情報システムに絡む専門用語となるとなかなか憶えにくい。

手ごたえは・・・・まあ、合格発表は1ヶ月後なので、それを待つことにしよう。

これよりも受験の優先度が高い、こちらは国家資格となる某試験は4月に受験予定。まあ、これに向けての前哨戦(オープン戦)ということで考えよう。

・・・オープン戦で思い出したが、どうしたよオリックス・バファローズ・・・・。

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梅田貨物駅が廃止

2013年03月15日 | ブログ

3月16日はJRのダイヤ改正。このところJRのダイヤ改正といえば、新しく登場するものよりは廃止されるものへの注目度が高いようで、今回であれば東北・上越新幹線の200系が引退するとか、関西では特急こうのとりで使用されていた国鉄型特急が引退するということもある。

さて、関西ではもう一つこのダイヤ改正を機になくなるものがある。それは梅田駅。

Dscn9217梅田駅といっても地下鉄や阪急、阪神のそれではなく、JRの梅田駅。JRといってもJR貨物であるが、大阪駅のすぐ北側に広がる巨大なヤード。大阪駅周辺の再開発計画にあって最後のエリアとされるところである。関西の貨物輸送の中心地として機能してきたのだが、今後は既存の大阪貨物ターミナルに加え、新設された吹田貨物ターミナル、そしてパワーアップした百済貨物駅にその機能を分散させ、80年以上の貨物運転に幕を下ろす。

大阪ステーションシティの真横に広がる昭和の風景。この数年で少しずつ切り取られ、新たなビルや道路に変身したが、とうとうその本丸にも手が付けられる。緑地帯にするとか、将来のリニア運転に備えた新駅構想もあるというが、今後どうなるだろうか。

Dscn9234実は私、この貨物駅構内で少しの間勤務していたことがある。鉄道貨物というのは好きな分野であり、今でもその思いは持ち続きているのだが、正直「それを仕事にする」ということについては、あまりいい思い出がない(たまたま、その時の職場の雰囲気がそうだったのかもしれないが)。でも今にして思えばそんな期間も懐かしいものに思うし、時代の移り変わりとはいえ、そのものがなくなってしまうというのは惜しい気がする。梅田から吹田、百済に移転した後、列車ダイヤ的にはさまざまなプラスになるのかもしれないが、駅までの発着(通運業者が行うコンテナ貨物の集荷、配達)にあたってはマイナスになりやしないかというのが心配である。庭先から庭先までの所要時間が却って伸びるようでは果たしてどうだろうか。そのあたりのオペレーションも気になるところである。

Dscn9231しばらくは残留コンテナがあったりするのだろうが、これからどういう姿に生まれ変わるのか。大阪の一等地の今後というものに期待したいものである・・・・。

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武生に来たらボルガライス

2013年03月14日 | 旅行記D・東海北陸

えちぜん鉄道で三国港を訪問し、復路は再び、福井鉄道の田原町駅のホームへ。本来なら未乗車区間である勝山までの路線に乗ってもよかったのだが、今回は日帰り旅の中で福井鉄道の復路乗車も楽しむということで、そのまま戻ってきた。

この駅は「たわらまち」と読むのだが、たわらまち、たわらまち・・・俵万智ということで、武生育ちで歌人の俵万智さんのペンネームの由来ではないかとよく言われる。ただあくまでもこれは本名だとか。そういう本名もなかなかないと思うが、自分のフルネームが駅名標や店の看板になっていたら結構ドキッとするものだろう。

Dscn9311田原町からの越前武生行きは、往路で乗車した200形の色違い。この塗装は結構長い間、福井鉄道のシンボルカラーだったと思われるもの。また乗降用のステップを上がり、ボックス席へ。今度は福井市街に入り、市役所前電停から左にカーブを取り、福井駅前へ。ここで運転手が後部車両に移動して逆走し、再び市役所前へ。田原町方面のホームに入る。また運転手が移動し、今度は渡り線を通って先ほど停車したばかりのホームに着く。今度は左にカーブを取らず、道路に面した軌道を武生方面へと走る。やはりちょっと、まどろっこしいかな。

福井駅前からはバッチリとメイクを施した高校生くらいの女の子が乗車し、私の隣のボックス席に座る。それ以外にも若い女性の姿が多い。また途中の駅では隣のボックスの女の子の友達もやってくる。同じようなヘアスタイルで、お揃いのTシャツを中に着ている。1台のスマホからイヤホンを片方ずつつけ、何やらリズムを獲っている。その中の会話で「サンドーム」という単語も。

Dscn9316これは鯖江ドーム・・・もといサンドームで何かあるのかなと思う。女子高生にいきなりおっさんが声をかけるのもいやらしいので携帯で調べると、この日の夜はサンドームでファンキーモンキーベイビーズのライブがあるようだ。彼女らも「今日は暑いねえ」と言いながらTシャツ1枚になったのだが、背中に描かれていたのはファンモンのロゴ。往路で「裏5大ドームツアーは・・・」などと思っていたのだが、いやいやサンドームはファンモンだけでなく結構いろんなアーティストもライブを開いているようで、小ぶりながらもスタンドが低くて見やすい、演者と観客の一体感がより深く味わえるということで、ライブ会場としては評判が高いようである、裏5大ドームと侮ってはいけないようである。

その女の子たちも含めてサンドームの駅で乗客のほとんどが下車した。同じようにライブに行くのだろう。後は閑散となった。左側にJRの線路が寄り添ってきて、越前武生に到着。

当初の思いでは、ここから敦賀まで普通列車で移動し、敦賀の海鮮料理店「まるさん屋」に行こうかというところであったが、あいにくと普通列車は出発したばかりである。次まで1時間近くあるので、しばらく駅前をぶらつくことにする。観光案内の地図で、駅から近いところに「蔵の辻」という一角があるという。

Dscn9327武生、今は合併で越前市となっているが、もともとの越前の国府というのはこちらにあったそうだ。紫式部にもゆかりがあるとかで、駅前通りにも何となく古風さ?が漂うように感じる。

Dscn9322蔵の辻はかつての蔵をリニューアルして料理屋やギャラリーとして商売している一角。商店街を見ても昔ながらの建家が残っていたりもする。時期的に雛人形が街角ギャラリー的に飾られているのも好感が持てる。小京都や小江戸として紹介された話は聞いたことがなく、越前の刃物の町として知っている武生だが、初めて歩く中でこういう景色に出会えたのは意外だった。

Dscn9319そんな武生の町だが、所々にこんな文言が。

「武生に来たらボルガライス」

こんなのを、幕末の志士だか、「漢」の香りが伝わる劇画の男性が訴えかけてくる。お前は誰だ、そしてボルガライスって何だ・・・?

ボルガと言えばロシアのボルガ河か。福井とロシアの繋がりがあるというのか。

ここは列車を遅らせて、これをいただくとするか。敦賀のまるさん屋はまた別の機会にするか、あるいはこの後の2軒目で行ってもいいか。 駅前に戻り、郷土料理を名乗る「大江戸」という店に入る。越前に来たのだからとおろしそばを注文し、合わせてボルガライスを注文する。

待つ間に携帯で検索してみると、ボルガライスとはこの30年ほどで武生に広がったB級グルメであるが、名前の由来や、なぜこの様式になったのか、結構謎に包まれているようである。 ただそのファンというか研究家というか、ボルガライスの集まり「日本ボルガラー協会」というところのサイトもある。代表がボルガチョフと名乗っており、これもすごい熱の入れようである。ここで、あの劇画の作者が武生出身の池上遼一氏であるとの解説に触れる。

Dscn9331で、ボルガライス。この店のはスタンダードなものらしく、シンプルなチキンライスの上に卵焼きを被せてオムライス風にして、豚カツを乗せてデミグラスソースをかける。トッピングはオニオンフライ。これだけで栄養満点高カロリー。もう、まるさん屋で福井の地酒で魚をつまもうという考えは吹っ飛んだ。ボルガライス1品で翌朝まで腹が持ちそう。これの相手は地酒より生ビールが似合う。感覚として、長崎のトルコライスを思い出す。飲み食いするうちに頭によぎるのは、ロシア民謡のボルガの舟歌。エーコラ、エーコラ・・・。

Dscn9329ボルガライス、そんな感じでコアなファン層を広げているようだし、武生駅の売店でもコンビニ仕様で売られていた。「洋食」という言葉が似合う一品である。

うーん、地味ながらなかなか味わい深い福井。関西から旅行気分で訪れることができる一方で、まだまだ知らないことが多い。これからも機会を見つけて足を運びたいものである・・・・。

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えちぜん鉄道と三国港

2013年03月12日 | 旅行記D・東海北陸

Dscn9269福井への鉄分補給の旅。福井鉄道に揺られてやってきた田原町。えちぜん鉄道とは三角型ホームの両側というか、境界があってないような、でもよく見るときちんと仕切りはあるよなという微妙な関係である。将来的にここを接点にして両鉄道の相互乗り入れを行おうという動きもあるようだが、「いや・・・別に・・・そこまでしてもらわなくても。相手のことが好きなのは好きなんですが」という、今一つ態度がはっきりしないカップルのような位置関係に見える。お互いに共通点もあれば、その一方でそれぞれ複雑な家庭事情があるようだし。果たして、結ばれることはあるのだろうか?

えちぜん鉄道の列車は出たばかりのようで、しばし待合室のベンチにたたずむ。昼近くなって気温が上がり、上着を着るのが暑く感じる。

Dscn9271やってきた三国港行に乗車。単行の電車の乗車率は良く、セミクロス式の座席は満席、ドアのところに立つ人も多い。私も先頭部に陣取って前方を眺める。

Dscn9275三国港に向かう路線は越前コシヒカリで名高い福井の平野部を突っ切るコースで、前方から見ると線路が直線に伸びるのがよく見える。だいたいがカーブやトンネルの多い日本の鉄道にあって、こういう車窓風景はなかなか見られるものではない。

Dscn9305えちぜん鉄道のイメージアップに貢献しているものの一つがアテンダント。この列車にも乗りこんでおり、乗客への案内や車内補充券の発行など忙しい。沿線の日帰りツアーの案内もこなす。アテンダント人気も高く、ネットで検索すればいろんな方のさまざまな美しい表情が出てくる。その筋の、コアなファンも多いことだろう。

車内放送などはきれいな標準語で話すが、途中の駅から乗ってきた地元の客と接する時には、「お客さま~あ」とか「次の~お、バスに乗られるんでしたら~あ」と、語尾を伸ばして繰り返す北陸独特の言葉遣いになる。それも地域密着のローカル鉄道らしい光景。一方で、明らかに外から来たと思われる乗客には標準語で接しており、その使い分けというのはやはりプロだなと思う(その筋のコアな方は、方言を使う○○ちゃんの姿に萌え~などとのたまってるんでしょう。気色悪う~)。

途中から乗ってきた親子連れにアテンダントが「どちらまで~え?」と声をかけたのに対し「あ、カニ祭りに行くんですがぁ」と答えた母親。「それなら~あ、終点の三国港までで~え、降りた向かい側の漁港でやってますよ~お」とアテンダントが案内し、三国港までの補充券を発行する。へ~え、三国港ではそんなんやってるんですな。どんなものかのぞいてみよう。

Dscn9279三国港に到着。私の好きな駅の一つである。確かに線路の向こう側の漁港で「カニ祭り感謝祭」の看板や幟が見える。ちょうど昼時ということもある。ここは立ち寄ってみることにする。ただ3月で越前ガニというのは旬を過ぎてやしないかというのが気になるが。

Dscn9285Dscn9284漁港の中は食事や海鮮、土産物がテーブルに並べられ、大勢の人たちがそれらを覗き込んだり、テーブルで舌鼓を打っているところだった。ちょうど甘えびの無料振る舞いがあるというので並んでみる。いただいたのはトレイに乗った甘えび3尾。結構身が引き締まっておりなかなか美味しい。甘えびはこの他に寿司になったり唐揚げや天丼になって売られていた。カニ祭りで甘えびねえ・・・。まあ旬のものかもしれないし、漁場もそろそろ冬から春に向けた衣替えの時期だろうし。越前ガニには出会えなかったが、改めて三国が漁業の町であることを認識させるイベントであったと思う。

Dscn9289では本式な食事をということで、海のほうに向かって歩いた食事処「はまさか」に入る。越前ガニは時価のような扱いで、普通に注文したら1人前でも福沢諭吉が飛ぶ。隣のご夫婦はそれをやっつけていたが、さすがの私も今回は遠慮し、普通に刺身の定食をいただく。まあこちらはこちらで、先ほどの甘えびも含め、寒ブリ、かんぱち、中トロ、イカなども入る豪華版。存分に美味しくいただくことができた。

食事後は、ちょうど「はまさか」の向かいにある「三国温泉ゆあぽーと」に入浴。目の前が九頭竜川の河口、そして三国の海岸というロケーションで、大浴場からもその景色を楽しむことができる。大きな湯船につかるのも久しぶりだが、しばし浴槽からの海岸風景を楽しむ。当初の計画ではこの後に芦原温泉にも行こうかと思っていたのだが、もうここまで来ると入浴は十分かなと思う。

Dscn9292入浴後はロビーで一休みするが、その後は海岸に出る。だまし絵で有名なエッシャーの父であるエッセルによって開発された九頭竜川の河口。その象徴が長く続く桟橋であるが、この桟橋を境にして冬の波が押し寄せる海岸と、どこまでも穏やかな九頭竜川の河口の眺めが分かれる。対照的な景色が隣り合うのも珍しいものに映る。

Dscn9294波と対峙しながら自分で自分に対してさまざまな問答を試みる。この旅の直前に辛いことがあり、気持ちのリセットも兼ねて訪れたわけだが、そんな、海と数分見合っただけで答えが出るというものでもないだろう。後は日常の生活に戻り、その中で自分なりの結論を導かなければならないものだと気づかされる。やはりまだ、人間としての何かが足りなかったのだろう・・・。

Dscn9288そんなことも考えつつ、再びえちぜん鉄道の客となる。三国港でゆっくりしたのと、この先また福井鉄道に乗って武生に向かうということもあり、少しでも進んだ方がいいだろう。ということで途中下車することなく、田原町まで戻ることに・・・・。

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東日本大震災から2年

2013年03月11日 | ブログ

3月11日・・・これは東日本大震災が発生した日ということで、忘れてはならない日の一つであると思う。私の勤務先でも(さすがにその時間とはいかなかったが)朝礼時に黙祷を捧げ、震災というのを忘れてはならない、関西でもいつ大災害が発生しないとも限らないのでその備えを怠らないということで訓示を受けた。

震災から2年ということでテレビでもさまざまな特集が組まれていたが、当時に比べれば現在は「風化」してるなという思いもある。別にその日にかこつけてということではないが、少なくとも何かを道標にして、きちんと振り返ること、現状を伝えることは必要だと思う。

震災発生後に私が訪れた唯一の町が気仙沼である。震災から100日を迎えようというその時、津波の被害を受けてあらゆるものが流されてしまった港町と、何事もなかったかのような佇まいを見せていた高台の住宅・・・半径1キロない中、歩いて行ける範囲の中でモロに対照的な光景を見せられたものだが、あれからどのようになったかが今でも気になる。グラウンド・ゼロのように大漁旗やガラス玉で彩られたあの広場はどうなっているだろうか。自分なりに見てみたい、何かを感じたいという気持ちは今でもある。できれば(季節バラバラだが)、カツオにマグロ、ホヤにカキというのも味わいたい。

部外者が物見遊山で行ってもいいのかという気持ちもある。まあ、行くべきではないよね。

一方、テレビなど見ていると、2年が経過した今でも被災地では漁船が打ち上げられたままだったり、津波から残った建物は廃墟で後は更地とか、鉄道も線路がはがされてそのまま廃線になるとか、ちょっとは整地されたが何ら新しい展開が見えないという様子が伝わってくる。これってどうなんだろうか。どうしようもないことなのか。

もう2年というべきか、まだ2年というべきか。ただ確かなのは、残されている時間というのは「永遠」ではないということで・・・・。

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福井鉄道 侍車両と福井市街スイッチバック

2013年03月10日 | 旅行記D・東海北陸

越前武生駅に現れる。これから乗車するのは福井鉄道である。武生と福井の間をJRと並走する形で走るが、昼間は20分間隔での運転、また駅の数を増やしたり自転車置場や駐車場も整備したりして利用客の誘致を図っている。

この福井鉄道には一度だけ乗ったことがある。2007年の9月までさかのぼるのだが、福井鉄道貸切の旅というのに参加したのである。ある旅行サークルの設立20周年(当時)を記念したイベントで、福井鉄道を走る元名鉄車両を借り切っての全線乗車というものがあった。私は別のサークルつながりである方から誘われ、当日はゲストという形で参加。結局その後にそのサークルに入り、私の旅行記にもよく出ていただく鈍な支障さんと知り合い、また今は亡き大和人さんとは新たな共通項ができたというきっかけになったものである。

当時の記事を読み返すと、現在の越前武生はまだ武生新と名乗っていたことがわかる。

ということもあり、自分の旅で普通の乗客として乗るのは初めて。JRは全て乗ったというものの、私鉄や第三セクターとなると未体験ゾーンはまだまだ多い。均一化が進むJRとは異なり、地方ごとのカラーがまだまだ残るのが私鉄の面白いところである。田原町まで片道390円であるが、1日フリー切符が500円で発売とある。よし、今日は武生まで福井鉄道で往復することにして、こちらを購入する。

Dscn9255ホームに出る。前回の貸切列車で乗った元名鉄の車両もあるが、次に出るのはそれよりもごつい、塗装こそ白地に青と緑という福井鉄道カラーであるが、昔ながらの大型電車200形。ホームが低いため、ドアが開くとその下にステップが展開され、乗客はそれを上って車内にたどり着く。昭和35年製造で、どこかの私鉄のお古ではなく福井鉄道の自前というのが見る者をうならせる。

Dscn9313昭和35年といえば、三原監督率いる大洋ホエールズが「三原魔術」により前年まで6年連続最下位からリーグ優勝を果たし、最後は西本監督率いる大毎オリオンズとの日本シリーズを4連勝で制し日本一になったという年。後は安保闘争が最も激しかったり、社会党の浅沼委員長が刺殺されるとか、岸内閣から池田内閣に変わったりという、政治的にも激動の年だった。三原魔術とか安保闘争と言われればかなり昔の出来事のような気がするが、そんな年に製造され、まだ現役で走っているのだからすごい。3ドアセミクロスシートというのも当時としては画期的な構造ではなかったか。

Dscn9252ただ、駅内のポスターにもあったが、この3月以降に新型の低床車両がデビューするという。将来的には田原町で接続するえちぜん鉄道へ線路を伸ばして乗り入れも計画されているとかで、福井市街とその周辺を結ぶ公共交通の充実に役立てようというつもりだ。そうなると、この200形も引退ということになるのだろう。事前に何の情報も持っていなかったが、200形に乗るのは最初で最後ということになりそう。また濃い鉄分の補給である。

時間となり、昔ながらのウイーンというエンジン音を上げて発車。線路の衝撃もよく伝わってくる。ただスピードを出したかと思えばもう減速して次の駅に停車する。次は北府(きたご)。木造の駅舎に見覚えがあると思ったら、ここはかつての西武生駅で車両基地もある。前回は貸切列車終了後、構内のミニ撮影会のようなものもあった。カメラ片手にここで降りる人、また乗ってくる人がいる。

Dscn9259この後は専用軌道を走っていくが、駅間の距離が短いので走っては停まりを繰り返す感じである。なかなか大きい車両では持て余すのではないかと思うが、昭和35年生まれの車両が残り少ない車両人生を黙々と地元客に奉仕して過ごす様子というのが昔の武骨な侍をイメージさせる。昼間だからガラガラだが、朝夕の通勤通学の時間帯となるとこのくらいの大型車両が効力を発揮するかもしれないし。

Dscn9257多くの駅でパークアンドライドの設備が設けられ、また各駅の駅名標も名所の写真やイラストの入ったデザインのものになったり、新しく設置したと思われる多目的トイレがあったり、ローカル私鉄にあっても地元客に親しんでもらう、利用しやすい輸送サービスを提供しようという様子がうかがえる。そんな中で「サンドーム西」という駅に着く。サンドーム・・・ああ、鯖江ドームのことか。ただ現在はサンドーム福井と呼ぶそうな。

若い時の会話で、アーティストの「東京、大阪、ナゴヤ、福岡、札幌」の5大ドーム制覇ツアーというのが出た時に、「それならさしずめ、出雲、長浜、鯖江、前橋、大館あたりが『裏』5大ドームツアーですかな」と言ったことがあったが、裏5大ドームを回るツアーというのも結構コアな気がしたりして。

Dscn9314Dscn9260サンドームの先には古代の建物をイメージさせるシンフォニーホールの駅があったり、ベル前とは何ぞやと思うと大型ショッピングセンターの名称だったり、駅の配置もきめ細かい。そして市街地に入り、専用軌道から道路上を走る。乗っている分にしても、大型車両が道路の上を走るというのも複雑な感じだし、外から見れば何かの間違いで電車が道路に乱入してきたようにも見えるのではないだろうか。

Dscn9264そしてこの電車は複雑な動きをする。市役所前電停に停車して客を降ろすと運転手が後部車両に移り、逆方向に動き出す。電停の渡り線を通り、反対のホームに到着して信号待ち停車。信号が青になると、ここまで走ってきた線路を右手に見て左に分かれ、今度は商店ビル群と西武百貨店に挟まれた中を走り、繁華街に突っ込む感じで停車。ここが行き止まり式の福井駅前である。ここでも下車客が多く車内がガラガラとなったところで運転手が再び運転台を替わり、再び市役所前に出る。終点の田原町を目指すのに、盲腸線である福井駅前まで一度立ち寄るというところ。田原町を目指す客にはかったるいかもしれないが、それよりも福井駅前に乗り換えなしで着けるというのが多くの客に受け入れられるサービスということだろう。

ならば、市役所前の電停を少しずらして、武生方面から福井駅前に直接入れる新しい渡り線を造ればよさそうに思うのだが(ちょうど、広島電鉄の紙屋町みたいに)、スイッチバックによるロス時間も2~3分くらいのものであるし、今の状況で線路をもう1本引くのも費用対効果の面で「そこまでしなくても」というものだろう。地元の人たちはどう思っているかだが。

Dscn9266仕切り直しの形で市役所前から再び走り出し、終点田原町に到着。福井駅前への往復も含めて1時間の乗車であったが、なかなか面白いものだった。貸切のような特別なものでなく、一般の客として乗ったから感じた面白さもあっただろう。これは帰りも乗らなければ。

・・・とその前に、目の前にえちぜん鉄道のホームがある。福井まで鉄分補給に来たのだから、こちらにも乗ることにしよう・・・・。

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