まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第26回中国四十九薬師めぐり~第48番「大樹寺」(八頭の有楽椿)

2023年06月30日 | 中国四十九薬師

6月11日、中国四十九薬師めぐりの満願に向けての1日である。順調に行けば午前中には無事満願となるところ。

宿泊した「鳥取グリーンホテルモーリス」にて、和洋とメニューが豊富なバイキング形式の朝食をいただく。8時前に出発。前日と同じく薄曇りである。

これから目指すのは八頭町にある第48番・大樹寺で、鳥取駅前からなら国道29号線を南に走るところだが、逆方向の国道9号線バイパスにて岩美町を目指す。前日訪ねた第47番・東源寺は寺の方が留守で(本堂の中に書き置きがあったが扉が閉まっていて)朱印をいただくことができず、まずはこちらに出向くことにした。

岩井温泉に到着。前日に続いて「ゆかむり温泉」にも惹かれるが、まずは寺である。境内に入るとクルマが停まっており、これなら在宅されているだろう。本堂の前でお勤めとして、庫裏を訪ねる。そしてインターフォンを鳴らすが、応答がない。あれ・・・またお留守か。前日ならまだしも、ここで朱印がいただけないとなるとこの日の満願が危うい。

さてどうしたものかとしばらく立っていると、寺に女性がやって来た。地元の方がお参りに来たのかなと見ていると庫裡のほうに来た。ちょうどお出かけか散歩から戻って来たタイミングで、無事に朱印をいただく。

ホッとして、改めて大樹寺を目指す。国道9号線から県道31号線に入る。カーナビの画面で、途中クネクネした区間があるのが気になるが、古来の但馬方面からの山陰道の一部で、矢印の先に「鳥取、国府」の文字があるのを頼りに進む。

・・・案の定、細道が続く。「県道」というより「険道」区間で、途中離合に苦戦した区間もあった。とはいえ、その筋の人からみれば何でもない区間なのだろうな・・。

十王峠を越え、国府に入ると道幅が広がる。殿ダムの人造湖も見える。

八頭町に入り、大樹寺への案内板が出た。最後は少し坂を上り、広い墓地と堂々としたお堂に出る。

正面に大木が伸びている。この木があるから大樹寺という名なのかなと思った。この木は有楽椿というそうで、樹齢400年ほどと推定される。有楽椿とは茶人大名の織田有楽斎が茶花として愛好したことからつけられた名前である。もっとも、大樹寺という名前はこの椿から取られたものではなく、大樹とは中国でいうところの将軍、為政者の意味だという。

大樹寺は記録が失われて創建時期などは不明という。戦国時代、秀吉の鳥取城攻めの前段で若桜城を攻め落としたが、その時に大樹寺も兵火に遭ったのではないかとされている。江戸時代に曹洞宗の寺院として再興し、有楽椿もその時に移されたものだろう。

本堂の扉が開いており、中でのお勤めとする。羅漢像のほかに、八頭高校書道部の一筆も掲げられている。こちらにも椿が描かれている。

本堂に隣接して納経所があり、無事に朱印をいただく。

さて、これで残すは第49番・森福寺である。このまま郡家方面に向かい、国道29号線に出る。因美線の東郡家駅近くだが、ちょうど若桜鉄道の「隼」ラッピング車両が通過していった・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~鳥取にて満願前祝い

2023年06月29日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは満願に向けた最後の夜ということになった。鳥取駅前の「鳥取グリーンホテルモーリス」にチェックインする。天然温泉ではないものの大浴場があり、朝食やリラックススペースも充実している。以前の中国観音霊場めぐりの最後にも宿泊したところである。

チェックインの前に近くの提携駐車場にレンタカーを停めたのだが、提携施設に以前は「鳥取大丸」とあったのが、「丸由(まるゆう)百貨店」という名前に変わっている。最近、地方の百貨店が相次いで閉店、縮小する中で大丸も閉店したのかと思ったが、多少事情は異なるようだ。ここは大丸の直営店ではなく、元々あった「丸由(まるゆ)百貨店」が大丸と資本提携して「鳥取大丸」という名前だったのが、その後大丸との資本提携を解消してライセンス契約のみ存続していたが、2022年にその契約も満了となり、大丸の名前が消えたという。

さて、この日(6月10日)の夜は中国四十九薬師めぐりの満願の前祝いとしての一献である。中国観音霊場めぐりの時もそうだったが、岡山に始まり、広島、山口、島根と来て最後は鳥取、日本海の海の幸、山の幸で最後を締めるのはよいものである。そして選んだのは「スーパー居酒屋鳥取だいぜん」。鳥取のあれこれが並ぶ店である。

まずはプレミアムモルツで乾杯。「飲み鉄」もいいのだが、ハンドルを握り終えた後の一杯というのも緊張からの解放ということでよいものである。

そして鳥取のうまいものをいろいろ。まずは長いもの短冊、あごちくわ。

造りの盛り合わせは1人前でもさまざまな味を楽しめる。

「超おすすめ」とあった「酒ノ津産さば麴漬あぶり焼」をいただく。酒ノ津とは鳥取市街から西、白兎神社からもう少し進んだところにある漁港で、塩サバで有名だという。そこのおすすめということで「麹漬あぶり焼」をいただいたが、サバの脂を楽しむなら、シンプルにしっかり塩焼きでもよかったかなというのが個人的な感想である。

焼き魚の部としてハタハタの干物をいただく。これも鳥取の定番といっていいだろう。

地酒の飲み比べセットとして、瑞泉、日置桜、辨天娘とメニューの上から下への3種類を選択する。さらに改めて、瑞泉の純米大吟醸の冷酒を。結構いきました。

さまざまに楽しんだ後だが、日の長い時季ということもあり外はまだ明るい。では二次会・・というところだが、「だいぜん」の隣にあり、前にも入ったことがある立ち飲み屋は満員御礼である。ホテルに戻って大浴場に入ってのんびりしてもよいが、ふと、山陰線の気動車に乗ってみようということで駅に向かう。

乗ったのは、鳥取19時ちょうど発の浜坂行き。キハ47の2両編成は1ボックスに1人いる程度の乗車率である。土曜日の夕方となるとこんなものかという感じである。

列車に乗るだけが目的ならどの方向でもよかったのだが、浜坂行きに乗ったのは、先ほど訪ねた東浜に降り立ってみようということからである。夜の砂浜の景色を(おそらく一人で)見てみたいと思ったのだ。東浜到着は19時37分、そして帰りの鳥取行きは20時22分発である。

まずは隣の福部までの長い駅間を走る。さすがに走るに連れて外も暗くなってくる。そんな中、気動車ののんびりした揺れを心地よく感じる。この日は鳥取まで列車で来たといっても新幹線~やくも~スーパーまつかぜという爆走列車が続いただけに、ローカル線の夜の風情もいいなということで・・・。

・・・外が暗くなったのに気づき、次の疱瘡を聞くと何と終点の浜坂。あら・・・思いっきり寝過ごしてしまった。こういう形で兵庫県にまで入るとは思わなかった。さすがに「だいぜん」で飲んだのが良い具合に回りすぎたか。19時51分、浜坂着。

この時間だがすでに駅前は真っ暗である。折り返しは20時07分の鳥取行き。まあ、東浜で下車した後で折り返すのと同じ列車なので、鳥取に戻る分には同じである。さすがに今から東浜に下車する気はなく、そのまま鳥取に戻ろう。

「お元気でまたおこし下さい」というホームの看板も、何か刺さるなあ・・・。

この時間からの鳥取行きとなるといよいよ乗客は少なく、同じ車両に乗ったのは私ともう一人だけ。ガラガラなのをいいことに窓を開けて、外からの風と気動車のエンジン音を存分に浴びることにする(はっきり言って酔っ払いの所業だが・・)。

東浜に到着。乗降客はいない。先ほど寝過ごさなければここで下車して一人過ごした後にこの列車に乗ったわけだが、この記事をまとめている現時点の思いとして、仮にあの時予定通り下車したとして、この列車が着くまで結構時間を持て余すことになったのではないかな・・。

21時05分、鳥取到着。ホテルに戻る。

大浴場に入った後はリラックススペースにてくつろぐ。マンガもずらりと並ぶし、(私は食べなかったが)夜鳴きラーメンのサービスもある。

さて翌日(6月11日)だが、まずは朱印をいただくことができなかった第47番・東源寺にもう一度向かい、その後で第48番・大樹寺、そして第49番・森福寺で満願となる。まあ、東源寺はどなたかいらっしゃるだろうというのが前提だが・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~東浜駅と浦富海岸

2023年06月28日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは第47番・東源寺まで回り、朱印がいただけなかったので翌日にもう一度訪ねるとして、この後は宿泊地の鳥取駅前に戻る。その前に「山陰ジオパーク」に属する浦富海岸に立ち寄ろうと、岩井温泉からそのまま北上して山を一つ越える。

目指すのは山陰線の東浜駅。山陰線で鳥取県の東端の駅で、隣の居組駅は兵庫県に入る。東浜に停車する列車は兵庫県の浜坂発着だが、JR西日本の福知山と山陰の支社の境界にあたる、つまりは近畿と中国地方の境界に位置することから、災害時の列車運行情報が出る際には「豊岡~東浜間運転見合わせ」「鳥取~東浜間運転見合わせ」といった具合に表示される。実際は「豊岡~鳥取間運転見合わせ」で、現地に行けばそうした案内になるのだが、地域単位、支社単位の視点だとこうした発表になることがある。

これまで山陰線の列車で通ったことはあるが、駅そのものを目的として、また外から出かけるのは初めてである。北近畿と山陰の境界駅はどんなところか。確か駅から近いところに海岸があったはずだ。

駅前の集落をたどり、駅舎に到着。すると何とも開放的な新しい建物が現れた。

もちろん無人駅なのだが、待合室はガラス張り、そして改札口のゲートの天井は鏡張りになっている。ここに立つと集落の向こうに海岸線を見ることができる。天井を鏡張りにしたのは周囲の景色と一体になれる感じを出すためだとか。

また、緑色に塗られた丸型ポストが建つ。この緑色といえば・・。

JR西日本がクルーズ列車「トワイライトエクスプレス瑞風」の運転を開始したのは2017年のこと。そのコースに浦富海岸が含まれることとなり、東浜駅が「瑞風」の立ち寄り駅となった。これに合わせて駅舎も建て替えられ、「瑞風」カラーのポストも置かれた。なお、この駅舎をデザインしたのは、「瑞風」を担当したインテリアデザイナーの浦一也氏。

駅から民宿、民家を抜けたすぐのところに砂浜が広がっている。東浜海水浴場で、浦富海岸の中でも水質が優れているという。こちらの海岸も「瑞風」の運転に合わせて遊歩道が整備されるとともに、海の見えるレストランも地元の人たちによって新たに開業している。また大波等で海岸がえぐられ、だんだん後退するのを防ぐために、壁となる「サンドパック」を設置する工事が進められている。砂浜もところどころ固められているのがわかる。

空には薄雲が張っていて青空は望めないが、風も心地よい。他に人もおらず、しばし一人波と対峙する。もう少し季節が進むと多くの人たちで賑わうことだろう。浦富海岸、山陰ジオパークといえばゴツゴツした岩や複雑な海岸線をイメージするのだが、こうした白砂もあるとは知らなかった。よく、「瑞風」をここに停めようと目をつけたものである。

駅を後にして、国道178号線に出る。次に立ち寄ったのは浦富海岸で、こちらも海水浴場である。この辺りから西が「山陰松島」と称される島や奇岩が続く一帯である。

この日は移動の関係で海沿いの道をレンタカーで走っただけだが、できることならこの景色は遊覧船に乗って海から眺めたほうが迫力あるし、「ジオパーク」を感じることができただろう。札所めぐりの一部は次回にまわして、今回は浦富海岸あたりに1泊しながらジオパーク見学というプランも考えたこともあったが・・。

このまま国道9号線バイパスまで出て鳥取市街に戻る。この日の宿泊は駅前の「鳥取グリーンホテルモーリス」。以前にも泊まったことがあり、(大浴場は天然温泉ではないが)居心地がよいところ。広めのシングルルームにてゆったり過ごす・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第47番「東源寺」(岩井温泉にて憩う・・)

2023年06月27日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは鳥取県の東の端、岩美町に入る。山陰ジオパークを構成する浦富海岸で知られる。この日(6月10日)の札所めぐりは第47番の東源寺で折り返して鳥取駅前に戻るので、帰りは海岸線をちょっと見物しようかとも思う。

国道9号線・鳥取バイパスから在来の国道9号線に入り、岩井温泉に向かう。1200年ほどの歴史を持つ山陰でも最古に属する温泉場である。カーナビは東源寺に近づくが、路地の突き当たりにある。手前に「ゆかむり温泉」の駐車場があり、ちょっとそこに停めさせてもらう。

境内に上がると、正面の愛宕山の下に戦没者の慰霊碑があり、左手に本堂がある。「本尊薬師如来」の札が掛けられている。

ここ東源寺だが、案内板に「岩井温泉の歴史と関わりを持つ寺である」と紹介されている。平安時代、左大臣藤原冬嗣の子孫に藤原冬久という人がいたが、家督を継ぐことのゴタゴタに嫌気がさして狂気のふりをして都を出てこの地にたどり着いたとも、幼い時から皮膚病を患って醜い容貌となったのをはかなんで放浪の旅に出たとも言われている。冬久はこの地で神女と出会い、神女が愛宕山の下で岩を掘ると温泉が湧き出て、それを浴びた冬久の病は全快した。冬久はこの恩に報いるために薬師如来を祀り、自身も都に戻らずこの地に湯治場を開いた。これが東源寺および岩井温泉の始まりだという。

これとは別に、慈覚大師円仁がこの地に立ち寄り、湯栄山如来寺と名付けたのが始まりということも書かれている。現在の東源寺という名前は、因幡の国の東端にあり、また第一番の温泉があることからつけられたそうだ。

境内はいたってシンプルである。本堂の扉が閉まっていたので外でお勤めとして、朱印は別かなと本堂とつながっている一段下の庫裏(というかご自宅)を訪ねる。

・・・しかし、インターフォンを鳴らすも応答がない。寺の駐車スペースにもクルマはなく、これは留守だろう。本堂のガラス扉越しに、書き置きの朱印が置かれている台も見えるのだが・・・。

待っていても仕方ないので、いったん寺を後にする。向かったのは岩井温泉の公衆浴場である「ゆかむり温泉」である。入浴料は380円と銭湯価格である(ただし、シャンプー・ボディソープは備えられていないので別払い)「ゆかむり」とは、頭に手ぬぐいを乗せ、柄杓で湯を叩いては頭に湯をかむるという独特の風習だという。その時に唄われたのが「ゆかむり唄」で、岩井八景や芸能、忠臣蔵などのバージョンがある。

浴槽には何人かの先客がいたが、さすがに現在にあっては湯を叩いて「ゆかむり唄」をうなる人もおらず、マナー良くおとなしく入っている。源泉かけ流しの浴槽と、ちょっとぬるめの浴槽の二つがあり、その両方を楽しむ。先ほど入った吉岡温泉ほどではないが、源泉の温度は約49℃と、やはり熱めである。

それにしてもこの日は、最初に訪ねた第44番・宝泉寺は吉岡温泉、そしてここ第47番・東源寺派岩井温泉と、因幡の国で歴史ある温泉と寺の組み合わせに出会ったことである。いずれも大規模な温泉旅館やホテルがあるわけでもなく小ぢんまりしたところだが、のんびりするには適しているように見えた。

そしてこれを取り持つ薬師如来・・・。

湯上がりにしばし休憩室でゆっくりした後、もう一度東源寺の庫裏を訪ねる。しかしインターフォンを鳴らしてもやはり留守のようだ。幸い、翌日もう1日あるので、第48番・大樹寺を訪ねる前にもう一度東源寺に来ることにしよう。東源寺から大樹寺へのルートは結構ハードそうなのだが・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第46番「最勝院」(池田氏の祈願寺)

2023年06月24日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐり、この日(6月10日)3ヶ所目となる第46番・最勝院に向かう。正面に鳥取城がある久松山を見て、その脇、雁金山との間の谷間にある坂道を上る。車道脇に「最勝院」の石標が見え、カーナビの案内もここで終了する。しかし駐車場が見当たらない。やむを得ず、レンタカーは隣接する寺の駐車場に停めさせてもらって石段を上がる。

最勝院が開かれたのは8世紀、法道上人によると伝えられる。元々は池田氏の祈願所として岐阜にあったが、その後池田氏の転封にともない播磨、備前を経て鳥取に移る。鳥取では当初寺町にあり、領内八ヶ寺の一つとして伽藍を有する巨大な寺院だったが、火災に遭い規模を縮小、そして明治になり現在地に移された。現在地でも伽藍が建てられたそうだが、1952年の鳥取大火災で焼失し、現在の建物はその後の再建とある。

境内に入る。ちょうど鳥取の中心部も見渡せるところに位置する。

さて正面の本堂らしき建物に向かうが、扉が開いていないのはともかくとして、中国四十九薬師の立て札や幟があるわけでもなく、建物を間違えたのかなと思った。改めて中国四十九薬師のサイトを見ると、掲載されている建物はどうやら別のようだ。

敷地の斜面に沿って広がる墓地の奥にお堂の屋根が見える。地図を見ると「木山堂」という文字があり、どうやらそこが札所の建物のようだ。墓地内の石段をさらに上る。

そして到着したのは木山堂。弘法大師の像もあり、実質的にはこちらが本堂といっていいだろう。また、先ほどの車道をずっと上れば木山堂のすぐ裏の駐車場まで来ることができた。

扉が開いており、中で自由に手を合わせることができる。正面には薬師如来の立像、不動明王、愛染明王が並ぶ。広間に腰を下ろし、ゆったりとお勤めとする。こちらの薬師如来は平成になって新たに造られたものという。

書き置きの朱印もこちらにあり、これで6ヶ所のうち前半の3つを回り終えた。用紙にも「最勝院木山堂」と書かれている。最勝院も先ほど訪ねた宝泉寺、座光寺ともども因幡薬師霊場の札所で、その第1番札所である。後でわかったが、この先訪ねる3ヶ所の寺院いずれも因幡薬師霊場も兼ねており、因幡薬師霊場より後に発足した中国四十九薬師に対しては、その代表として6ヶ所を選抜したようにも見える。

さて次は岩美町にある第46番・東源寺に向かう。そのまま谷間を突っ切り、鳥取バイパスに乗る。もう少し北に行けば鳥取砂丘があり、その名も「鳥取砂丘トンネル」というトンネルもある。先ほどの姫路方面とは別ルートで、京都への国道9号線、および豊岡方面への山陰近畿自動車道につながる。いずれにしても、鉄道の山陰線など眼中にない道路である。

岩美インターで下車して国道9号線を走る。道の駅を過ぎてしばらく走ったところで、「歓迎 岩井温泉」の看板に出会う。これから訪ねる東源寺は岩井温泉の近くにあるようで、またも薬師如来と温泉の出会いということになるのだろうか・・・?

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第26回中国四十九薬師めぐり~第45番「座光寺」(都と因幡のお薬師さん)

2023年06月23日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりは第44番・宝泉寺を回り終え、吉岡温泉から山陰道で鳥取インターまで向かう。このまま乗り続けると鳥取道に入り、因美線、智頭急行にも沿う形で姫路方面に抜けることができる。

鳥取インターで下車して、国道29号線につながる連絡道を走り、国道に出る手前で側道に入る。田んぼのあぜ道のような細道をたどると空地と墓地に出る。ここが座光寺である。背後の丘の上にはゴルフ練習場が広がる。

座光寺が開かれたのは平安中期、摂関政治の頃とされる。因幡の国司として都から赴任した橘行平という人物が、当地で病にかかった時、夢枕で霊木があるとのお告げがあり、浜辺に行くと薬師如来が打ち上げられていた。これを因幡の菖蒲浦にお堂を建てて薬師如来を祀り、薬師寺と称した。

後に行平が任期を終えて都に戻る際、この薬師如来も持ち帰り、自らの屋敷にて祀ったという。これが後に平等寺、因幡堂という名前となって現在にいたる。一方、因幡の薬師寺には薬師如来の台座と光背が残ったので、座光寺という名前になったという。後に、因幡の行平の屋敷跡に寺を移して復興したそうだ。この辺りの経緯は諸説あるらしいが、いずれにしても因幡の国司を務めた橘行平という人を通じて都と因幡の接点となった寺院といえるだろう。

ただ現在は国道から少し離れたところに寺だけがポツンと建っているように見える。、こちらも扉が閉まっていたので外でのお勤めとする。朱印は先ほどの宝泉寺にあったのと同じ引き出しつきの箱が、雨除けのためテレビ台の中に収められており、そのまま書き置きをいただく。ここも、宝泉寺と同じく因幡薬師霊場の札所の一つのようだ。

山陰道無料区間も活用して、思ったより早く2ヶ所を回ることができた。状況によっては、先に遠い岩美町にある第47番・東源寺を押さえようかとも思っていたが、時間に余裕があるので札所順の通りに第46番・最勝院に向かうことにする。

最勝院は鳥取城跡がある久松山の西側にあり、現在地からだと鳥取中心部の西側をたどる。千代川を渡り、かつての城下町の町割りの中を進む・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~第44番「宝泉寺」(寺ゆかりの吉岡温泉にてひとっ風呂)

2023年06月22日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりの最終シリーズは鳥取駅前にてレンタカーを借り、翌6月11日の夕方までの時間で6ヶ所を回る予定である。その中に岩美町の石井温泉にある第47番・東源寺や八頭町にある第48番・大樹寺など、結構広範囲にわたっている。時間的に、本日10日は東源寺まで、そして鳥取駅前にて宿泊し、翌11日に残り2ヶ所を回って満願ということになりそうだ。

11時前、鳥取駅から高架に沿って西に行ったタイムズレンタカーに向かう。マツダ系列ということで今回の乗車はコンパクトカーの「MAZDA2」だが、どうしても以前の国内向け名称の「デミオ」と呼んでしまう。

梅雨の中休みの快晴の下、まずは第44番・宝泉寺に向かう。カーナビで入力すると寺の名前というよりは吉岡温泉の温泉マークがヒットする。鳥取県内も多くの温泉があり、それなりに名の知られた吉岡温泉も鳥取駅から路線バスで30分ほどのところにあるが、後の行程を考えてのレンタカー利用である。

駅前から道なりに走って千代川を渡り、鳥取西インターから山陰道に入る。無料区間で、国道9号線~国道29号線のバイパス路線として交通量も多い。右手に湖山池を見て、吉岡温泉インターで下車する。

しばらく行くと吉岡温泉の集落に入る。温泉といっても派手な建物のホテル・旅館があるわけでもなく、宿泊施設も10軒ほどという小ぢんまりしたところだ。そのため、吉岡温泉は「鳥取の奥座敷」と呼ばれている。そんな中、公衆浴場の「一ノ湯」の建物に出る。と、ここでカーナビの音声案内が終了。

ふと前方を見ると石段があり、その上に寺らしき建物がある。ここが目指す宝泉寺である。駐車場は一ノ湯、宝泉寺共用のようで、まずはここに停めて石段を上がる。こういう立地ならば、せっかくなので参詣の後に一風呂あびることにしよう。

本堂の扉が閉まっているので外でのお勤めとする。宝泉寺という名前からして温泉に何らか関係がありそうだが、宝泉寺、そして吉岡温泉の縁起を見ると果たしてそうだった。

平安時代の中頃、この地に葦岡(よしおか)長者というのがいたが、長者の一人娘の顔に瘡が出て悲しんでいると、夢枕に薬師如来が出て、そのお告げに「柳の古木の下に霊泉が湧き出ており、それで顔を洗うと瘡が治る」とあった。長者がその通りにすると娘の瘡は全快し、そのお礼としてお堂を建てて薬師如来を祀り、人々に霊泉を施したのが宝泉寺、そして吉岡温泉の始まりとされている。また別の話では、宝泉寺は温泉開発のためにこの地を訪ねていた恵心僧都源信を開山として建立されたとされている。

いずれにしても、宝泉寺と吉岡温泉は一体であると見ていいだろう。そして薬師如来と温泉は結びつきやすいものだ。その宝泉寺は戦国時代に兵火に遭い、後に曹洞宗の寺院として再興されて現在に至る。

庫裏の玄関前に引き出しつきの箱があり、書置きの朱印をいただく。同じ箱には「因幡薬師霊場」の書置きの朱印も合わせて入っている。因幡薬師霊場は因幡エリアに広がる札所で30ヶ所で構成されているそうだが、1984年設立とあるから、中国四十九薬師霊場よりも早くに開かれた札所である。

お参りを終え、隣の一ノ湯に向かう。宝泉寺の縁起とも深くかかわっているとあらば、一風呂浴びて薬師如来のご利益をいただくことにしよう。一ノ湯は吉岡温泉会館という枕詞にもあるように同温泉を代表する浴場のようで、最近リニューアルしたようである。公衆浴場のほかにペット風呂、そして本場フィンランド式サウナ(要予約)も楽しめるとある。

受付の際、吉岡温泉に来たことがあるか尋ねられる。初めてだというと、ここの温泉は熱いので注意するように言われる。入り方として、一応ぬるい浴槽や露天風呂(それでも、一般的な浴槽並みの温度)があるので、そちらで体を湯に慣らしてから熱いほうに入ることを薦められる。そしてそのようにして入ると、何とか耐えられるほどの熱さである(湯上がりには多少肌が赤くなったが)。ちなみに浴槽に表示された温度は45℃ほどだが、これでも薄めているのか、吉岡温泉の源泉そのものは50℃以上あるという。

湯上がりは畳敷きの広間でしばし休憩。網戸を通して入る風が気持ちよい。

まずは因幡シリーズは快適なお参りとなり、次は第45番・座光寺である。吉岡温泉で折り返して再び鳥取市中心部方向へ・・・。

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第26回中国四十九薬師めぐり~今回でいよいよ満願目指して鳥取へ

2023年06月21日 | 中国四十九薬師

2021年に岡山県吉備中央町の大村寺から始めた中国四十九薬師めぐり。途中間隔が空いたり、1回の巡拝で1ヶ所だけ参拝・・ということもあったが、第26回のお出かけにしていよいよ満願となる。ちょうど2年がかりである。

今回は最後に残った鳥取県の因幡エリアの6ヶ所を一気に回ることにする。最初は、この6ヶ所を2回に分けて別のイベントとも絡めて回ろうとも考えていた。6月10日~11日の1泊2日として、10日はいったん大阪に行き、京セラドーム大阪での交流戦(バファローズ対ベイスターズ)をデーゲームで観戦した後、日本交通の高速バスで移動して鳥取に宿泊。そして11日にレンタカーにて3~4ヶ所を回るものである。野球と札所の両取りを狙ったが、その前週に名古屋に観戦に出ていることもあって、野球は次の機会にしようかと(一応、7月以降の観戦も考えているし、シーズンはまだ長い)。それよりも、今回で一気に満願を目指すにした。

さて、広島から中国地方の県庁所在地でもっとも遠い鳥取に行くのに最速なのは、新幹線で岡山に行き、智頭急行経由の特急「スーパーいなば」に乗り継ぐか、姫路もしくは上郡まで行き、関西からの「スーパーはくと」に乗り継ぐルート。たただ、岡山・兵庫方面から鳥取に入ると、前回コマを進めた倉吉と鳥取の間が途切れる。一応、中国地方一周も兼ねているので・・。

現地でレンタカーを借りるのと、広島からマイカーで遠路行くのとどちらがよいかと思ったが、結局、今回は中国四十九薬師めぐりの最後ということで、「鉄道で東中国一周」と決めた。正直張り込んだ。

10日はまず新幹線で岡山に行き、特急「やくも」にて伯備線で米子に出る。米子から山陰線をたどって倉吉を経て鳥取に入り、レンタカー利用。そして鳥取駅前に宿泊。状況次第だが、翌11日も午後まで時間を取っており、「いなば」で岡山に出て新幹線で広島に戻る。そのため、乗車券は「広島市内~岡山(新幹線・在来線乗り継ぎ)~米子」、「米子~鳥取~上郡~岡山~広島市内」という2枚を用意した。後者のような面倒くさいルートも、その程度なら「e5489」でも事前に購入することができた。

その代わり、西広島5時30分の始発に乗り、広島6時ちょうどの始発「のぞみ74号」に乗ることが条件である。そこまでやらんといかんのか・・と思うが、やらんといかんのです。朝の始発なら自由席でも十分空席があり、岡山7時05分発の「やくも1号」の特急券も乗り継ぎ割引が適用される。

岡山の在来線ホームに出る。入線した「やくも1号」は「ゆったりやくも」塗装。「やくも」には赤とクリームの旧国鉄特急塗装もあれば、薄紫の「スーパーやくも」塗装もあるが、そもそも現在の381系が置き換わるのも遠くないことである。乗ってしまえば塗装はそれほど関係なく、全国的に希少な存在となっている旧国鉄特急車両に乗れることじたいが貴重なことである。

早朝ということもあってか、私の乗った最後尾・7号車の指定席の乗客は私のほかにもう1人だけ。倉敷では他の車両に乗車があったようだが、全体的にガラガラである。伯備線に入り、高梁川に沿って振り子が左右に揺れる。根が鈍感なのか、振り子式車両で気分が悪くなる「ぐったりはくも」ということもなく・・。

「ツタヤ図書館」を併設する備中高梁で7号車のもう1人の乗客が下車し、車両は私だけになった。ローカル列車ならともかく、特急列車で1両「貸切」となったのは長い乗り鉄趣味の中でも初めてである。この先で、湘南色の115系ともすれ違う。確か1編成しか残っていないはずだが、山陽線、伯備線、瀬戸大橋線~宇野線と神出鬼没である。

中国四十九薬師で伯備線といえば、わざわざ岡山に前泊して、岡山から「サンライズ出雲」の「ノビノビ座席」に乗ったのが印象的である。前夜東京から夜通し走ってきた列車の、岡山で前の客が下車したその後に乗り込み、松江まで過ごした。ゴロンと横になって二度寝したのも面白かった。ただ、こうして朝一番の列車の新鮮な空気を独占するのはそれ以上のぜいたくな時間である。

鳥取県に入る。根雨では、旧国鉄特急色の「やくも」とすれ違う。

霧が出て大山の姿はほんの微か見えただけだが、この日の鳥取県の天気は晴れの予報。この先も楽しみである。

9時15分、米子到着。次に乗るのは9時51分発の「スーパーまつかぜ6号」で、乗車券もここで切っているのでいったん改札の外に出る。

米子駅は駅舎の新築工事が終盤に差し掛かっていて、新しい建物の外観も見ることができる。オープンはこの7月下旬ということで、次に米子を訪ねる時には楽しみである。

新駅舎になった後も、境線ホームの「ゲゲゲの鬼太郎」の各キャラクターは変わらず出迎えてくれることだろう。

「スーパーまつかぜ6号」が到着。益田発鳥取行きということで、島根・鳥取両県の端から端まで走る列車である。もっとも、山口線に入り新山口まで行き来する「スーパーおき」もある。米子で乗客が入れ替わったが、引き続き指定席も半数以上が埋まっている。

米子から鳥取への区間は、右手に大山、左手には時折日本海がわずかに見えるところ。途中には風力発電設備が何基も立っているが、風車は回らず停止している。たまたまこの時停まっていたという様子でもなく、これまでの札所めぐりでこの一帯を訪ねた時も同じように停止していた。何やかんやでもう稼働しないのかな。

途中倉吉に停車し、ここから先で中国地方一周が続くことになる。

10時58分、鳥取に到着。結局広島から5時間かけての行程となったが、ここから中国四十九薬師めぐりである・・・。

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神仏霊場巡拝の道~近鉄特急「あをによし」で2タイプの座席を楽しむ

2023年06月19日 | 神仏霊場巡拝の道

5月27日、神仏霊場巡拝の道の2ヶ所を回り、近鉄の京都駅にやって来た。大阪に戻るのに、観光特急「あをによし」に乗るためである。

2022年4月にデビューした「あをによし」。このところの近鉄特急の車両は、「しまかぜ」や「ひのとり」のような新型車両があるかと思えば、「青の交響曲」や「かぎろひ(団体用)」といったかつての車両を改造したものの往年の外観をとどめているものもあり、バラエティに富んでいる(「青の交響曲」にいたっては、一般車両を改造したものである)。そして「あをによし」は後者に該当し、かつてのエース12200系を改造した列車である。

車内はサロンシート、ツインシートの2種類で、いずれも複数での利用を想定している。しかしながらツインシートに限り、おとな1人+ことも1人の特急料金で1人利用が可能である。

ツインシートもそれぞれでテーブルの形状が異なっており、片方は四角形のテーブルで向かい合わせに着席するのに対し、もう片方は三角形のテーブルで、斜めに着席する。この角度にすることで車窓もより広く見ることができ、斬新だと思う。京都発の場合、まずは進行方向左側がこの座席で、奈良で運転方向が替わった後は進行方向右側となる。近鉄奈良線で生駒トンネルを抜けると、大阪平野を見下ろす側の車窓を楽しむことができる。同じ乗るなら、こちら側のシートに座ってみたい。そしてネットで三角形タイプのツインシートを予約できたのでラッキーと思っていた。

さて、「あをによし」を楽しみに京都に着き、チケットレスのため座席番号を確認しようとしてスマホから予約サイトを開くと・・・何と特急券の購入区間が京都~奈良までとなっていた。予約時は当然京都~大阪難波間と思い込んでいて確認していなかったようだ・・。

あわてて再度京都~大阪難波で検索したが満席。しかし、奈良~大阪難波で検索すると四角形タイプのツインシートに幸運にも空きがあった。これで、途中座席の移動があり、特急料金も余分にかかるが、同じ列車で大阪まで乗り通すことができる。むしろ、1回の乗車で両方のタイプのシートが体感できるので結果オーライ。

「あをによし」という名前から奈良・平城京をイメージした列車で、紫は高貴な色、側面の花柄は正倉院の「螺鈿紫蘭五弦琵琶」をモチーフとしている。また車内も木目調で整えられ、ところどころに天平文様があしらわれている。京都~大阪難波間は朝夕の1往復だけだが、その間に京都~奈良間に3往復設定されている。京都~奈良間で合計4往復設定されているのは関東方面から奈良への観光客を取り込む狙いがあるそうだ。

シートに腰を下ろす。シートは近鉄として初めて家具メーカーに発注したとのこと。「しまかぜ」や「ひのとり」のプレミアムシートとはまた違った落ち着きを感じる座り心地である。奈良までの乗車時間は短いが、その間だけでも贅沢な空間でくつろいでもらおうというコンセプトがうかがえる。16時40分(土日休日ダイヤ)、京都を発車。

ここからは「飲み鉄」もいいでしょう。売店では「あをによし」関連のグッズやスイーツに交じり、クラフトビールや奈良・京都の地酒も置いている。先ほど京都駅でもある程度買い込んだので、ここは「あをによし」のイラスト入りラベルのクラフトビールをいただく。

まずは京都線の区間を行く。車内を見渡すとツインシートを1人で利用する人はそれほどおらず、たいていは正常の2人利用、あるいは親子連れでの利用である。窓に向かって斜めに腰かけている分、視野も広がるし、かといって横向きに座るよりも疲れが少ないように感じる。でもまあ、斜め前に誰かいたほうがええわな・・。

丹波橋に停車後、宇治川を渡る。そのまま京田辺市内を快走し、大和西大寺に到着する。まずはこのまま進んで奈良に向かう。

こちら側からだと平城京跡に復元された第一次大極殿を見ることができる。京都・大阪方面から近鉄奈良線で奈良を訪れる観光客にとって、この景色はプロローグ、盛大なお出迎えだろう。この大和西大寺から奈良にかけての区間は、大和西大寺駅付近の高架化や、線路の平城京跡の外への移設・地下化の計画が持ち上がっているのだが、先の統一地方選挙で新しく当選した奈良県の山下知事は、この計画の見直しを表明している。交通渋滞と景観問題をどうとらえるかであるが、大和西大寺駅付近の高架化は進める一方、平城京跡を迂回して地下化する構想については待ったをかけている。この、平城京跡を線路が突っ切っている景色も奈良の観光スポットの一つという見方もあり、これについては地元でもおおむね好意的にとらえられてるようである。

新大宮から地下に入り、奈良に到着。やはり奈良で半分くらい乗客が入れ替わるようで、京都~大阪難波まで乗り通すのは乗り鉄的要素が強い(JR、阪急、京阪と比べて時間も費用もはるかにかかる)。

ここで座席を引っ越す。特急券購入ではうっかりしたが、1回の乗車で2つのタイプの座席を楽しむことができる。こちらは向かいのシートとの距離も近く、膝を突き合わせる感じである。相客と近しいならこちらのほうがいいかもしれない。

生駒を過ぎ、生駒トンネルを抜ける。大阪平野の眺めは反対側の車窓だが、そこは席を立ってそちら側から見る。時刻は17時半を回っているが、5月末のこの時季はまだ明るい。これが日の短い季節ならちょうど薄暮の景色を眺めることになり、それも「あをによし」の別の楽しみであろう。

後はこのまま淡々と走り、鶴橋、大阪上本町を経由して17時59分、大阪難波に到着。阪神なんば線と合わせて次々列車が発着するホームなので、「あをによし」もすぐに回送列車として発車する。いろいろあったが、ようやく近鉄の新たな名物列車に乗ることができた。

さて、本題である神仏霊場巡拝の道は、忌中が明ければ大阪21番・水無瀬神宮から再開予定である。これからもさまざまな祈りが続くことである・・・。

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大阪23番「神峯山寺」~神仏霊場巡拝の道・53(6年ぶりの「拝仏」)

2023年06月17日 | 神仏霊場巡拝の道

神仏霊場巡拝の道、大阪23番の神峯山寺に向かうべく、JR高槻駅から高槻市営バスの原大橋行きに乗車し、駅から北に広がる住宅地を行く。

今は代が替わって家も売りに出されたそうだが、かつて高槻市のこのエリアに、私の父親の2人の叔父がそれぞれ家を構えていて、それぞれ存命の時、父親はちょくちょく顔を出していた。弟(私から見て叔父)と一緒に出かけ、帰りにはJR高槻で飲んでから帰ったとか帰らなかったとか。

また、千手観音を本尊とする安岡寺の近くも通る。これから向かう神峯山寺ともども、新西国三十三所の札所として訪ねたことがある。

住宅地を抜け、里山に近い景色が広がり、神峰山口のバス停に到着。新西国で神峯山寺を訪ねた時バス停からどのくらいの距離だったかがうろ覚えなのだが、案内板では徒歩15分~20分ほどかかるという。「拝仏」の予定の時間ぎりぎりになりそうだ。

このバス停から神峯山寺、ポンポン山を経由して西国三十三所の札所である善峯寺までトレッキングコースとなっており、この先、寺の境内を含めてトレッキング姿の人を結構見かける。

前回来た時は途中ショートカットする参道を歩いたが、今回はそのまま車道を歩く。すると牛地蔵というのがある。その昔、この辺りは京と大坂を結ぶ難所の一つで、荷物の運搬に使われた牛の苦労をねぎらうために祀られたとある。

で、その横には石の鳥居。さて、どうするか。

先の総持寺の記事で、「忌中には神社に行ってはいけない」ということに触れた。神聖な場所に穢れを持ち込むのを嫌うためである。一方、仏教寺院にはそのような考えはない。そのため、今回の神仏霊場めぐりは当初の目的地である水無瀬神宮をパスして、近隣の寺院2ヶ所に絞ったのだが・・。

神峯山寺は役行者が開き、光仁天皇の子息である開成皇子を中興の祖とするが、修験者の修行の場であった。また神仏習合の歴史も長い。その名残として鳥居は残っているが、ここはあくまで神峯山寺という寺院であるとして、そのまま鳥居の下をくぐる。さて、これはタブーを犯したことになるのだろうか。

そのまま進むと石柱の間にしめ縄を渡し、樒を垂らした勧請掛(かんじょうがけ)というのを見る。その昔、大坂の商人たちは樒の垂れ具合で米相場を占っていたそうで、豪商・鴻池善右衛門も神峯山寺の本尊毘沙門天を篤く信仰していたという。この勧請掛も神社的な色合いが強いように思うのだが、これも神仏習合の名残といえる。

新名神高速道路を見下ろす。前回来た時はまだ工事中だったが、2017年の開通により、名神高速の宝塚近辺の渋滞緩和に寄与している。

「日本最初毘沙門天」の札が掛かる仁王門をくぐる。神仏霊場めぐりとしての本尊も毘沙門天である。

時間がぎりぎりだったが、境内をもう少し進んで受付に声をかける。横手の入口から庫裏に回るよう案内され、応接間に通される。

さてここからの「拝仏」だが、本堂での毘沙門天への祈祷料込で2500円。前回訪ねた2017年の時の記事を読み返すと2000円とあった。まあ、貴重な文化財の維持、また諸々の物価高騰といった状況の変化がくみ取れる。

おそらく、前回にご案内いただいた副住職であろう。後について本堂に向かう。まずは祈祷ということで声明から始まり、私の名前での祈願文、そして本尊毘沙門天はじめ諸仏の真言が入り、般若心経で締める。

祈祷が終わると神峯山寺、そして諸仏の説明がある。役行者が葛城山で修行していた時、北方の山から光が発せられたのに霊感を受け、この地にやって来た。そこの霊木で4体の毘沙門天を刻み、お堂を造ってその1体を祀った。これが神峯山寺の縁起とされる。もう3体は神峯山寺の奥の院だった本山寺、京都の鞍馬寺、そして信貴山の朝護孫寺の本尊として伝えられている。なお、神峯山寺の毘沙門天は12年に一度、寅年の新年に御開帳という。寅年といえば昨年だったから、次の御開帳は2034年の正月である。

続いては内陣の奥に入り、先ほどの毘沙門天の厨子の後ろに祭壇がある。こちらには双身毘沙門天が祀られている。歴代住職の持仏で、先ほどの毘沙門天よりも強い力を持ち、どんな願いごとも叶えるとされるが、その祈願の作法は秘宝とされており、拝む者自身が毘沙門天と一身になるとでも言おうか。間違えば自身の命にもかかわってくるというから強力なものだ。

さらに奥の防火扉が開けられる。中央の厨子には兜跋毘沙門天が祀られている。こちらは戦勝を祈願して、楠木正成や松永久秀らも拝んだとされる。また江戸時代には商売繁盛の神として、鴻池善右衛門も篤く信仰した。これら3種の毘沙門天を本尊とする。

兜跋毘沙門天の隣には阿弥陀三尊が祀られている。平安時代、摂津に橘輔元という者がいたが、7度の火災で家財を失い、また自身も病にかかるという苦しみを受けた。そこで神峯山寺の阿弥陀如来を拝んだところ全快した。ちょうど阿弥陀信仰が広まりつつある時で、輔元は融通念仏宗を開いた良忍上人のもとで出家し、後に良恵上人として融通念仏宗の第二祖となった。神峯山寺は天台宗だが、こうした縁で平野の大念仏寺を本山とする融通念仏宗ともつながりが深い。

他にも聖観音像、神峯山寺中興の祖・開成皇子像などが並ぶ。

一通りの「拝仏」を済ませ、応接間に戻り茶菓子の接待を受ける。先ほど祈祷していただいた御札も受け取る。そして副住職とのお話である。「今日はどのようなお参りで・・」というところから始まり、神仏霊場巡拝の道となると「ほほう」という反応だった。もう6年も前のことだし、先方は覚えてらっしゃらないだろうが、神仏霊場めぐりはどうかと勧めたのはこの方である。その時は、150あまりの札所の分厚い納経帳を手にするとは具体的ン考えていなかったが、ようやくここに来ることができた。

「実は2週間ほど前にも広島から神仏霊場で拝仏に来られた方がいまして・・」と言われる。聞けばその方は時刻表でガチガチにプランを組み、1回でできるだけ多くの札所を回ろうと一生懸命だったそうだ。それに比べれば私はのんびりしたもので、他のイベントと絡めてみたり(今回は、近鉄特急「あをによし」にも乗る)、また次の行き先はあみだくじで決めるといった具合である。

副住職にお礼を言い、再び外の受付に回って神仏霊場の毘沙門天の朱印をいただく。順序が逆だが、この後で先ほど祈祷を受けた本堂や、その他の建物を見て回る。改めて山深いところ。先ほど副住職から「天台宗は結構山の中の寺が多くて、行くの大変でしょう?」と言われたことだ。

先ほど通り過ぎた塔頭寺院の化城院に向かう。こちらでは2011年2月27日から1日も欠かさず「毘沙門不動護摩」が執り行われている。連続1000日を迎えた2013年11月22日からは新たに落成した化城院にて継続しており、現在は通算5000日を目指してカウントが進んでいる。「拝仏」が午後からだったので午前中は総持寺の温泉でのんびりしていたのだが、あのまままっすぐ神峯山寺に来ていたら本日の護摩供に間に合ったかもしれない。

寺を後にしてバス停まで戻る。トレッキング姿の4人がバスを待っていた。

高槻駅に戻り、JR京都線にて京都に向かう。途中、今回元々の目的地だった水無瀬神宮のアクセスとなる島本も過ぎる。神峯山寺であみだくじを行って行き先をリセットすることも考えたが、忌中明けに参拝すればよいかとそのままにしておく。

京都駅に到着。国内外かろの観光客でごった返している。JRから近鉄乗り場に移動して、いよいよ「あをによし」に乗車する。ただここであるミスというかボケに気づくことに・・・。

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大阪22番「総持寺」~神仏霊場巡拝の道・52(父の追善にて・・)

2023年06月16日 | 神仏霊場巡拝の道

4月30日に「のぞみ」で京都まで出て、平安神宮と聖護院に参詣した後で京セラドーム大阪に野球観戦に出向いた神仏霊場巡拝の道。これまで回った札所は1年で50ヶ所を超え、思ったよりも早いペースで来ているのではないかと思う。札所が固まっているエリアが多いことや、公共交通機関で訪ねるのが難しいところはレンタカーでつなぐことが効果的である。帰省や野球観戦とも絡めている。

さて、次の行き先は5月27日、大阪21番・水無瀬神宮である。大阪府の北東部の島本町にあり、最寄り駅は阪急京都線の水無瀬、またはJR京都線の島本である。大阪北東部の神仏霊場の札所はほかに大阪22番・総持寺、大阪23番・神峯山寺がある。新大阪側から総持寺、神峯山寺、そして水無瀬神宮とJR京都線でたどり、京都駅から近鉄で大阪難波に出るルートを計画する。

というのも、5月27日の京都発大阪難波行きの観光特急「あをによし」の特急券が取れたためである。2022年4月に従来の車両をリニューアルして登場した「あをによし」。京都~奈良間のほか、京都~大阪難波間も直通で1往復することもあって連日人気で、たまたまこの日の京都~大阪難波のツインシートを取ることができた(ちなみに、ツインシートを1人で利用する場合は、おとな1人、こども1人分の合計の特急料金がかかる)。大阪難波発は入線すると慌ただしく発車するが、京都発は折り返し運転でしばらく停まっているので、車両を眺める時間もゆっくり取れる。

・・・そのように計画していたところ、5月10日に今年に入ってから入院・療養を続けていた父親が逝去した。

途中転院もあったが、集中治療室に入っていたし、今年に入って倒れて以降、ほとんど意識も戻らなかったそうである。また、病院のコロナ対策もあり、遠方に住む私は入院以来一度も面会できなかった。各地の札所めぐりの中で病気平癒も願っていたが、寿命には逆らえなかった。ただ、良い悪いはわからないが、意識が戻っても後遺症で寝たきりだとか、重度の介護施設に入所して・・ということを思えば、本人も楽になったのではないかと思う。

その後家族葬を終え、手続きも残っているところだが、私も日常の生活を戻しつつあるところで、27日は大阪に帰省がてら、上記の神仏霊場めぐりを行うことにした。

しかしながら、四十九日を終えるまでは、仏教寺院の参詣は何ら問題ないが、神社の参拝は避けるよう言われている。神社の考え方では、四十九日前の忌中に神社に参拝するのは、神聖な場所に「穢れ」を持ち込むとしてタブーとされている。一方、仏教寺院のほうでは、四十九日は故人が極楽浄土に行くまでの期間で、その間の追善供養という意味で参詣することは問題なし、むしろ極楽浄土に行けるよう毎日でも手を合わせてお勤めをして・・と言われるくらいだ。

だからというわけではないが、今回は神社である水無瀬神宮はパスして、それ以外の総持寺(高野山真言宗)、神峯山寺(天台宗)を訪ねることにしよう。高野山真言宗は父親の宗派であるし、神峯山寺では宗派は違うが「拝仏」といって、事前の申込で祈祷、ならびに僧侶の案内で本堂内陣の仏像拝観ができる。父も喜ぶことだろうと、お出かけを自分で正当化しているようだが・・。

5月27日、朝の「ひかり」で新大阪に到着。JR京都線の普通に乗り換えて、JR総持寺に到着する。JR西日本の西国三十三所めぐりキャンペーンのデジタルスタンプを押す。このキャンペーンも2024年3月までだが、まだまだ数が残っていて果たして回り切れるかどうか。駅のデジタルスタンプを集めるだけなら何とかなるだろうが・・。

そのまま歩いて総持寺の山門に着く。西国三十三所めぐりでも何度か来ているか、神仏霊場も兼ねている。

山門の間から本堂が見える。気持ちが改まる。

開けた境内に入り、まずは本堂に向かってのお勤めである。

本堂の後方には「ぼけ封じ十楽観音」の観音像と西国、四国の本尊が並び、お砂踏み霊場となっている。

かつての神仏習合の名残か、寺の境内には諸仏のお堂のほかに、鎮守社や稲荷社などの祠も残る。先ほど、忌中には神社に参拝してはいけない、ただし寺の参詣は問題ない・・と書いたが、寺の境内にある祠の扱いはどうなるのかな。そもそも、神仏習合の時代、忌中の扱いはどのようなものだったのかな(より細かな取り決めがあったらしいが・・)。

大師堂の前には別に新たな弘法大師像が祀られている。ちょうど高野山の遥拝所にもなっている。南無大師遍照金剛・・。

納経所にて、西国三十三所の4巡目を先達用納経帳に、そして神仏霊場の朱印を専用納経帳にいただく。新たにいただいた神仏霊場の墨書もピンピンとした書体である。

さてこの後は高槻まで出て、バスで神峯山寺に向かうのだが、「拝仏」の予約の時刻まで間がある。JR高槻駅からのバスの時刻を調べたうえで余裕があるので、JR総持寺駅を挟んで反対側に出て、安威川を渡ったところにある「極楽湯」に向かう。露天風呂、寝湯、炭酸風呂などで気分をリフレッシュさせる。また湯上りには、中2階の休憩スペースが静かで、エアコンの風も心地よく、つい長居してしまった。1階にレストランも併設されているが、また昼食抜きでの移動となる。

JR京都線で移動して高槻に到着・・・。

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「奥出雲おろち号」に乗り、さらに追いかけて堪能する

2023年06月15日 | 旅行記F・中国

5月21日、出雲坂根から備後落合まで「奥出雲おろち号」で往復したその復路編。木次線ホームから発車する際、国鉄OBで備後落合駅のボランティアガイドを務める永橋則夫さんが手を振って見送る。「奥出雲おろち号」が備後落合に姿を見せるのも、あと半年ほどだ。

復路はトロッコ車両の窓側(窓はないが)で、おじいさんとお孫さん2人と相席である(この後、「おばば」が運転するクルマが国道を並走し、それに向かって手を振っていた)。復路も満席表示だったが、一角がすっぽりと空いている。三井野原から団体客が乗って来るそうだ。

備後落合からは機関車が牽引する。本来の客車列車としての構図である。ディーゼル機関車から発せられる熱気と煤煙が後方に伝わって来る。途中のトンネルでは煤煙が結構来る。ここは先ほどまで外していたマスクが役立つ。

また、沿線に伸びる草木も容赦なく入り込む。思わず身をすくめることもしばしば。ただ、反対側の窓枠に広がる緑の景色は一つの屏風でも見ているようで、ある意味「緑のトンネル」を行くがごとくである。「おろち号」は11月末で運転を終了するが、その時は紅葉を見ることができるだろうか。

三井野原で団体客が乗車し、ほぼ満席となった。団体客はそれぞれ弁当を手にしており、早速広げる人もいる。ちょうど昼の時間帯だし、スイッチバックを体感しながらの食事も乙なものだな・・と見ていると、トンネルで強風と煤煙が入って来たのに悲鳴があがる。この先、出雲坂根まではトンネルも多く、食事はむしろ出雲坂根を発車してからのほうがよさそうだ。

座席が展望の広がる側とあって、座ったままで景色を楽しむことができる。道の駅で手を振る人も、往路の時より増えているように見えた。

そしてシェルターの向こうの行き止まりでいったん停車し、進行方向が変わる。機関車から運転士がやって来て、車内から拍手も起こる。そしてそのまま、出雲坂根駅に入線する。「おろち号」の一番の見どころであるスイッチバックを往復した後で、私の乗車もここまでである。

「おろち号」はしばらく停車するため、乗客のほぼ全員がいったん列車の外に出る。まずは駅舎側ホームに停まっていた梵語落合行きの気動車が発車する。こちらは沿線の桜をイメージしたピンクの塗色である。

気動車が出発した後は、機関車を先頭にした「おろち号」の全体を見ることができる。やはりこの構図のほうが列車らしい。自然、多くの人がカメラやスマホを向ける。

また停車中、焼き鳥やそば、「おろち号」グッズを買い求める人、「延命水」を汲む人などで、出雲坂根駅もこの日一番の賑わいを見せる。

せっかくなので「おろち号」の出発を見送ろうと、駅から数十メートル先の踏切脇に陣取る。発車時刻となり、機関車の警笛が響く。やはり機関車が先頭だと、昔ながらの客車列車を彷彿とさせ、見栄えもよい。沿線で「おろち号」を撮影した写真もブログやネットなどで数多く見るが、機関車が手前に来る構図が多いように思う。

さて、これで「おろち号」にも乗ることができた。これにて私としては一応「お別れ乗車」とするつもりだが、なんやかんやで「最後にもう1回」があったりして・・。

ここでクルマにて「おろちループ」で備後落合方面に戻るところだが、ふと、逆に「おろち号」を追いかける形で出雲横田方面にクルマを走らせる。もう少し、列車が走る姿を見たいと思った。

こちらは一応法定速度だが、相手はのんびり走る客車列車である。途中で追いつき、追い越した。

撮り鉄ではないので撮影スポットなど事前に調べていないのだが、あるところの踏切手前で列車が見渡せそうなのでそちらに向かう。間もなく「おろち号」がやって来た。カメラの腕はともかく、のどかな景色をバックに懐かしい列車が走るのを沿線で見送るのもよいものだ。

この後もう一度追い越し、その走りを目にする。国道では「おろち号」をカメラに収めた後、三脚やカメラを手に急いでクルマに乗り込み、急いで走らせるその筋の本職たちの姿も目立つ。

続いて、出雲坂根の次の八川に到着。昔ながらの木造駅舎の向こうにちょうど「おろち号」が到着したところだった。八川からは国道と木次線が離れることもあり、ここで発車を見送り、列車の追っかけも終わりとする。

八川といえば駅に隣接する「八川そば」が有名だが、久しぶりにこのエリアを訪ねたということで、駅舎じたいがそば屋になっていることで有名な亀嵩駅に行ってみよう。10何年ぶりかの訪問である。

亀嵩駅の「扇屋そば」は1973年創業。私と同い年だ。駅務室のスペースを改装して駅舎そのものをそば屋にしたことで、また松本清張の「砂の器」の舞台にもなったことで人気を集め、現在にいたる。

待合スペースに置かれたモニターでは、丹波哲郎、加藤剛出演の映画「砂の器」のダイジェスト版が流れていた。犯人と被害者との会話中の「カメダ」が「(雨後)亀田」ではなく「亀嵩」というのが事件解決への第一歩になったのだが、この記事をパソコンで打っている時も、「亀嵩」と入力しようとして、「かめだ」までで思わず変換キーを押してしまい、一時「亀田」と表示された。

普通に温かいかけそばを注文してもいいのだが、やはり出雲ということで出雲スタイルの割子そば注文する。さらにおかずもついた定食スタイルとする。欲張りに5段重ねにしたものだから、重ねてもよし、テーブルに広げても豪華に見える。その一方でそばそのものは素朴な味わいだ。

・・とそこに、先ほど見送った「奥出雲おろち号」がホームに入って来た。そば屋の座敷越しに車体を見ることに。事前予約で、亀嵩駅の「そば弁当」を車内で味わうことができるが、この列車では利用客はいなかったようだ。

土産用のそばも買い求め、亀嵩を後にする。出雲三成の駅前まで来て、国道432号線を走って島根と広島の県境を越える。そして庄原市に入った「道の駅たかの」にていったん休憩。クルマで来ていることもあり、冷凍のイノシシ肉や地元野菜などを買い込む。

松江道に入り、三次東インターから中国道に合流して広島市内に戻る。ここまで順調だ。

三次方面から中国道を経由して帰宅する場合、広島ジャンクションで山陽道に合流して五日市インターに進むのだが、この日(5月21日)はG7広島サミット開催にともなう交通規制の最中。五日市方面の車線は封鎖されていて、逆の広島インター方面に誘導される。

このまま広島インターまで行くのかと思ったが、合流直後の沼田パーキングエリアにあるETCレーンから外に出られるようだ。ここからなら時間のロスは最小限に抑えられそうだ。

下道に出てからもいつも通りの込み具合で、そのまま帰宅できた。G7広島サミット、交通規制が市民への生活に重大な影響を及ぼすとして不満の声も多く挙がっていたが、いざ蓋を開けてみると事前に騒がれていた割には交通もスムーズだったという印象だった。ただこれも関係者の皆さんの尽力があってのこと。後は、ウクライナのゼレンスキー大統領も飛び入り参加したサミットの成果が世界にどのようなプラスの影響をもたらすかだと思うが・・・。

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出雲坂根の「延命水」と「奥出雲おろち号でのスイッチバック

2023年06月12日 | 旅行記F・中国

G7広島サミット開催中の5月21日、広島をクルマで抜け出して木次線の出雲坂根にやって来た。駅前には駐車スペースがあり、ここにクルマを停めて、「奥出雲おろち号」で備後落合まで往復する。それまで1時間以上あるのだが、しばらくは駅でのんびりすることにしよう。

ここ出雲坂根は「延命水」で知られている。木次線の列車の停車中に汲むこともできるが、多くはクルマ、バイク等で訪ねる。駅舎横の水汲み場のほかに、道路脇により多く湧き出ている一角があり、大きなペットボトルやポリタンクに汲むならこちらからが適している。これだけ垂れ流して大丈夫かとちょっと気になるが、私も今回クルマでということで2リットル入りの空のペットボトルを2~3本ほど積んできており、こちらでありがたくいただくことにする。

さて、駅舎横では「奥出雲おろち号」の客を迎えるための準備が進んでいる。名物の焼鳥や、出雲そばの弁当、仁多米のおにぎり、地元野菜の惣菜などが並べられる。缶ビールもある。「奥出雲おろち号」に乗車するならビール片手に「飲み鉄」というところだが、今回はクルマなもので・・。

そば弁当とおにぎりを買って、先に国道沿いの東屋のテーブルでいただく。ちょうど風が吹き、暑くもなく寒くもなく、心地よい気候の中である。

その後は駅内をぶらぶらする。急勾配を克服するために建設されたスイッチバックだが、今は1日数本の列車が行き交うだけである。ただ、このスイッチバックがあるから木次線が観光スポットになっているのも確かである。「奥出雲おろち号」の運転が終了した後は、山陰線の観光列車「天地」が木次線を走るそうだが、運転は出雲横田までで、このスイッチバック駅までは来ない・・。

列車の時刻が近づくと見物客の姿も少しずつ増えてきた。クルマなら出雲坂根で「おろち号」の発車を見送り、そのままおろちループを上って、道の駅の展望台からスイッチバックを上ってきた「おろち号」を再び眺めることも十分できる。

「おろち号」が出雲坂根に着くところを外から見るのは初めてである。構内踏切の横で到着を見ることにしよう。

出雲横田方面から、改造して運転台がついた客車を先頭に入線してきた。トロッコ車両、座席車両に乗客は散らばっているが、乗車当日は満員御礼のようであった。やはり団体客が目立つ。しばしホームが賑わう。

私のほかにも同じく出雲坂根から乗る客もちらほら見かける。ドライブがてら来たのであろう、子ども連れの場合、片方の親や祖父母が一緒に乗り込み、もう片方の親などがクルマで追いかけて目的地の駅で出迎える・・という光景も見られる。

さて、私の割り当てられたボックス席だが、ここまで乗って来た他の客の荷物で占められていた。復路もあるのであえてそこに無理に座らず、幸い空いていた先頭部に陣取る。ここでスイッチバックを思いっきり体感しよう。

出雲坂根で1回目の方向転換のために数分停車した後、客車側が最後部に、今度は機関車がけん引する形でスイッチバックの2段目を上る。駅が少しずつ遠ざかり、高度を上げていく。

ポイントを覆うシェルターを過ぎたところで停車。2回目の方向転換として、運転手が再び客車側の運転台に来る。そして3段目へゆっくりと進む。

いくつかのトンネルを抜け、景色が開ける。右手におろちループ、道の駅を見る。あちらからも多くの客が手を振っている。ここは最徐行で通過する。

三井野原に到着。ここで下車する団体客もあった。

スイッチバックも体感できたし、トロッコの座席を通り過ぎてもう1両のリクライニングシート車に向かう。こちらは控え車両として、トロッコと同じ番号の座席を利用できるが、実態は空いている好きなところに着席している。昭和から平成のはじめにかけての「客車列車」を体感できるとあって、これはこれで貴重なものである。

先ほどのトロッコ車両の端に、「おろち号ラストラン! あと186日」(乗車した5月21日時点)というボードが掲げられていた。計算すると今年の11月までという意味である。この記事を書いている時点ではカウントダウンももう少し進んでいる。そして最後ということで、6月、7月の一部日程では追加の特別運転も行われる。この特別運転についてはツアー客専用ということで、別途申込が必要とのことだが、軒並み満員御礼だろう。

旅程の都合で三井野原で下車する客もいるが、この先の備後落合までの区間もカラマツ林などの自然が豊かで、のんびりした田園風景を楽しむことができる。

12時36分、備後落合到着。数時間前はほとんど人の気配もなかったが、数十人とはいえ「おろち号」から降り立った客で賑わいを見せる。

国鉄OBの永橋則夫さんによる備後落合駅のボランティアガイドも行われる。折り返し時間は20分ほどだが、駅の風情を一通り味わうならこのくらいでも十分である。

さて出雲坂根からの復路はトロッコ車両の窓側の席を確保しており、今度はトロッコで風を受けることにしよう・・・。

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G7広島サミット中に「奥出雲おろち号」に乗りに行く

2023年06月09日 | 旅行記F・中国

木次線を走る観光列車「奥出雲おろち号」。赤字にあえぐ木次線の利用促進として1998年から運転されている列車で、機関車が牽引する客車列車、開放的なトロッコ車両、そして出雲坂根のスイッチバックなどで人気だったが、車両の老朽化を理由に2023年度をもって運転終了が決まっている。

「奥出雲おろち号」は前回、そして今回の広島勤務あわせて何回か乗っているが、運行終了が発表された後、これが最後かなということで2022年に自分としては「お別れ乗車」したつもりだった。ただ、いよいよ最終の2023年度に入り、やはりもう一度くらい乗ってみようという気になった。運転終了までまだおよそ半年あるから、まだまだ廃止間際の熱狂とまではいかないだろう。

とはいえ、運転終了が近いということでどの運転日も軒並み満席で、JR西日本の予約サイト「e5489」もバツ印が続く。個人客というよりは団体客が押さえているのが大きいようだ。

ただそんな中、5月21日の出雲坂根~備後落合間の1席が取れた。またしばらくして、逆の備後落合~出雲坂根の1席も取れた。これはラッキーだ。2020年に2回目の広島勤務になって以降「おろち号」には2回乗車しているが、広島からわざわざ奥出雲・木次に前泊して備後落合まで往復した。出雲坂根発は11時45分発で、「奥出雲おろち号」の最後の区間のみだが、スイッチバックを含めたクライマックスを体験できるので十分だ。出雲坂根までなら、広島から当日の朝クルマで出発しても十分間に合う。

5月21日の「おろち号」の往復指定が取れたのは偶然だが、この日空いていたのはG7広島サミットが関係しているのかなと思った。サミットは5月19日~21日の開だが、その前後1日ずつも合わせた期間中は広島近辺の高速道路、都市高速を対象に大規模な交通規制が敷かれるということで、団体客含め、広島方面からのお出かけを控える向きがあったのかもしれない。

ただ、少し考えれば想像できそうなものだが、指定席が取れた、クルマで行くぞといっても、交通規制の影響で当日現地に行けない・・という可能性もある。一時は、山陽線で三原、福山辺りに抜けて、そこからレンタカーで言うも坂根に行こうかとも考えたくらいだ。

そんな中、いざサミットが始まってみると、道路は5日間完全に封鎖されるのではなく、首脳らの移動に合わせ、時間や区間を区切っての規制だという。現実的な対応だ。私の職場はほぼ全員がマイカー通勤なのだが、渋滞を見越して期間中にリモートワークに切り替えたり、思い切って有給休暇にした人もいたが、どうしても出社せざるを得ない私の場合も、少なくとも朝の通勤時間帯はいつも通りの流れだった。これを見て、21日も早めに出て、中国道ではなく国道54号線で行けばよいかなと思った。

当日は快晴である。まずは国道54号線を走る。反対車線にはこれから広島サミットの警備に向かうとおぼしき警察車両が何台も続く。広島県警はともかく、他県からの応援部隊はどういうところに泊まっているのだろうか。

広島市を抜けて安芸高田市に入ると一気に霧が濃くなる。

再び晴天となり、国道54号線~国道183号線と順調に進み、まずは備後落合駅に着く。

ちょうど、木次線の9時20分発木次行き(木次方面への始発列車である)の発車時刻が近づいていた。ホームにいたのは1人だけ。それにしても、キハ120も結構派手なラッピングになっている。木次線の新たな観光促進の一つとして、4両の気動車にそれぞれ異なる配色のラッピングを施したそうで、今いる車両はグリーンと黄色(きすきいろ)の組み合わせで、沿線の棚田をイメージした志ラッピングだという。さらに、「次へつなごう、木次線。RAIL is BATON」の文字があしらわれている。木次線に、人、町、時をつなぐ願いを込めているそうだ。

一瞬、備後落合にクルマを停めてこの列車で出雲坂根まで行き、「奥出雲おろち号」に乗って備後落合に戻ってこようかとも考えた。ただその場合、出雲坂根での滞在があまりにも長くなるし、備後落合からの「おろち号」に乗れなくなる・・。結局、ほぼ無人の列車を見送ることになる。

これからクルマで出雲坂根に向かうべく、国道314号線に出る。木次線のあの走りなら、どこかで列車を追い越すことになるだろう。この道を通るのは、2回目の広島勤務以降では初めてである。

そして次の油木駅に着くと、果たして列車到着の2分前である。

しばらくホームに立っていると備後落合方面から警笛が響き、先ほどのキハ120が入って来た。手ぶらでデジカメだけ持っている私を見て「ここから乗る客ではないな」と運転手も判断したようで、特にどうという反応もなくそのまま走り出す。

その後再び列車を追い越し、広島からの県境を過ぎて三井野原に着く。今度は三井野原で列車を待つこともなく、そのまま「道の駅奥出雲おろちループ」に立ち寄る。

いい気候のためか、ツーリングのライダーも結構見かける。こちらでは「おろち号」関連グッズが並び、運転終了の列車を惜しんでいる。展望台から「おろち号」を見送るのもこの道の駅の売りの一つだったし、鉄道と道路がコラボして奥出雲のスポットとして観光客を集めてきただけに、名残惜しいことだろう。クルマで来ていることもあり、奥出雲の地酒のセットや仁多米なども買い求める。

道の駅に併設の「奥出雲鉄の彫刻美術館」に向かう。2009年にオープンした美術館で、ニューヨークなどで活躍した彫刻家の故・下田治氏(2000年没)の作品が並ぶ。鋼鉄がここまで美術作品になるとはとうなるばかりである。

下田氏は奥出雲の出身ではないが、奥出雲はかつて「たたら製鉄」が盛んだったところだけに、鉄をテーマとしてた何かがほしかったようだ。そんな中、夫人の理解、厚意をいただき、氏の多くの作品を展示することになったそうだ。

おろちループを下る。

そして出雲坂根駅に到着。この後、11時45分の発車まで時間はたっぷりすぎるほどある。しばし、この山間の小さい駅でなごむことにしよう・・・。

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第10回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~帰りは日豊海岸を北上

2023年06月08日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月6日~7日に訪ねた九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの大分~延岡シリーズの記事も長くなったが、ようやく帰途に就く。

行き帰りで変化をつけるため、延岡からは国道388号線を経由する。日豊海岸沿いに走るルートで「日豊リアスライン」の愛称もある。この地域は典型的なリアス式海岸で、地図を見ても半島と湾が入り組んでおり、複雑な海岸線となっているのがわかる。佐伯までの区間、東九州道も国道10号線よりはこちらの国道388号線に近いルートをたどっている。

雨が降り続いて景色もあまりよろしくないが、どこかで海を見よう。そこで「道の駅北浦」に立ち寄る。下阿蘇ビーチリゾート「浜木綿村」の中にある。

早速海岸に出る。天気がよければ海岸線も美しく、夏などは海水浴客で賑わうのだろうが、やはり雨なのは残念だ。正面に見えるのは島浦島。

ここ北浦は、かつて揚げ浜式の製塩がさかんだったそうだ。今でも昔ながらの製法で塩が作られており、「月の塩」というブランドで販売されている。「美味しい塩ができるのは満月の時」ということからつけられた名前だという。ためしに1袋購入。

国道388号線は北浦からはしばらく内陸部に入るが、できるだけ海沿いに走ろうと、北浦インターからいったん東九州道に入る。佐伯~延岡間の無料区間で、陣ヶ峰トンネルを抜けて宮崎県から大分県に入る。次の蒲江波当津インターで下車し、大分県側の日豊海岸に向かう。

波当津海岸、名護屋湾などの入り組んだ海岸に沿う。対岸に陸地が見えるが、そちらに着くまでに海岸沿いにぐるりと回り込む必要がある。

蒲江の中心部を抜け、「道の駅かまえ」にも立ち寄る。蒲江という地名だが、「時刻表2万キロ」などの鉄道紀行ものの第一人者・宮脇俊三の作品の一つに「日本探見二泊三日」というのがあり、1990年に蒲江を訪ねている。この時たどったルートが変わっており、東京を始発の新幹線で出発し、岡山から特急「南風」で土佐くろしお鉄道の当時の終点だった中村まで行き、バスで宿毛に着く。この日は宿毛で1泊し、翌朝のフェリーで豊後水道を横断して佐伯に渡り、バスでようやく蒲江に着いた。

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはこの先宮崎県に向かうが、九州へのアクセスにいったん四国を経由して豊後水道を渡るのも面白そうだ。

・・・これを受けて時刻表でシミュレーションしようとしたのだが、何と宿毛〜佐伯のフェリーは「運航休止中」とあった。理由は「燃料費高騰のため」とあるが、運航を中止したのは2018年10月のことで、現在のウクライナ情勢等による物価高騰よりも前からである。何なら、燃料費は2018年当時よりも高騰しているのではないだろうか。宮脇俊三の紀行文の時もガラガラとの記述だし、以前からずっと採算が取れなかったようだ。この航路が再開する可能性はほぼゼロだろう・・。

この先、畑野浦というところで深い入江沿いを走る。地図で見るとカエデの葉のように海岸線が入り組んでいる。ここで日豊海岸とはお別れし、佐伯の市街地に向かう。

さて、佐伯といえばかなり前の記事になったが、7日の朝に訪ねた第30番・大日寺の朱印をいただいていない。そのため、いったん延岡まで行って、その帰りにもう一度チャレンジしようというものである。

今度は境内の修行大師像の前で手だけ合わせ、納経所のインターフォンを鳴らす。ほどなく寺の方が出て来られ、無事に納経帳を預かってくれた。朝に来た時留守だったのでは?ということは口にしない。そして無事に朱印もいただき、これで大分県はコンプリートとなった。

佐伯中心部から少しはずれた上岡駅周辺に駐車場完備の大型店舗が並び、東九州道の佐伯インターは通過して国道10号線でレンタカーを借りた大分駅まで戻る。途中の国道10号線は臼杵や津久見を経由せず、内陸の豊後大野からのルートと合流する。さすがに大分市街が近づくと交通量も増えたが、目立った渋滞もなく無事に日産レンタカー大分駅前店に到着した。

当初の計画では大分駅に戻った後、駅前のどこかの居酒屋で大分県コンプリートの一献をしてから日豊線の特急に乗るつもりだったが、ずっと雨模様だし、明日(5月8日)からは仕事である(大型連休期間中も結構出社していたのだが・・)。ここは早い便で広島に戻ることにしよう。

乗ったのは17時44分発の「ソニック50号」。「白いかもめ」編成である。大分始発ということで乗った時は空席が目立ったが、延岡、宮崎方面からの「にちりん12号」が到着すると多くの客が乗り込んできた。指定席は満席とのアナウンスがあり、自由席もほぼ埋まった状態で発車。もっとも、次の別府で下車する客もそれなりにあり、自由席にも空席が出た。

大分での一献はなかったが、代わりに購入したのが「豊後水道味めぐり」。メインは6貫入りの押し寿司。焼き鯖、コハダ、海老、鯛、バッテラ、そしてサーモンが並ぶ。これに天ぷらや、製造元の「鮨由」の焼き印が入った卵焼きなどがつく。値段は結構するが、これも車窓のお供ということで・・。

別府の次の中津までの間で暗くなり、小倉に到着。新幹線で広島に戻る。これで、大型連休の旅を終えることができた・・・。

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