まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回九州西国霊場めぐり~締めくくりは太宰府天満宮へ・・

2023年02月01日 | 九州西国霊場

九州西国霊場の「結願成就」として観世音寺を訪ね、太宰府市のコミュニティバスで西鉄太宰府駅に到着。ここまで来たのだから、九州西国霊場とは直接関係ないが、太宰府天満宮に参拝することにしよう。

太宰府駅前は多くの内外の観光客でごった返している。やはり九州という土地柄か、韓国語、中国語、その他東南アジアの言語が飛び交う。先般訪ねた京都の伏見稲荷には西洋人の姿も多く見られたが、九州、特に福岡は昔からの伝統か、アジアとの結びつきが強いように感じられる。平成から令和に代替わりする直前に来て以来だが、その時ほどまでではないものの、結構な賑わいである。

あちこちに九州国立博物館の展覧会の広告が並ぶ。その中にお目当ての「加耶展」もあるのだが、それを見て「あっ!!」となってしまった。私が九州西国霊場の結願に来たのが1月22日。しかし「加耶展」は1月24日からとあった・・・。

元々、「加耶展」は1月29日に来るつもりだった。この日に記念講演会があるというので事前に申し込んだのだが、応募多数のため抽選となり、落選のメールが届いた。このこともあったし、その他の理由もあって、ならば九州行きを1週前倒しにしよう・・ということで、1月21日前泊、22日に観世音寺を含めて太宰府エリアを回ることにしたのだが、「加耶展」の開催前になったとは、現地に来て初めて気づいたことだ。

今思えば、記念講演会は聴けなかったとしても九州行きは1月29日のままにしておくこともできた。ただこれは完全に自分の見落としなので、誰にどういうこともできない。また、他の展示もあるので九州国立博物館に行くだけでもプラスになると思うが、この時点でその気も失せてしまった。

なお、「加耶展」は3月19日まで開かれているが、はたしてその機会はあるだろうか。他の予定もあるし、九州八十八ヶ所百八霊場も次からは大分にシフトするし・・。

さて、太宰府天満宮である。この時の心情として「病気平癒」「身体健全」を願いたいところだが、あくまで学問の神様である。それはさておき、多くの参拝者とともに参道を進む。

そして太宰府天満宮の拝殿に着く。大宰府政庁から来ると天満宮はかなり外れた場所にあるが、ここに社殿が建てられた理由について、それほど考えたことはなかった。由来としては、大宰府で亡くなった菅原道真の遺体を安楽寺という寺に葬ろうとすると、その門前で牛車が動かなくなった。これは道真がここにとどまりたいのだとして、改めて廟を建てたのが始まりとされる。後に、都で疫病や異常気象により、藤原時平をはじめ多くの人が亡くなったのが道真の祟りによるものだとして、社殿も立派なものに建て替えられ、道真も復権する。

なおその後は安楽寺と合わせて神仏習合で信仰を集めていたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈により、安楽寺は廃寺とされた。太宰府天満宮にもそんな歴史があったとは。明治の廃仏毀釈を推進した連中にこそ、道真の祟りが落ちてもおかしくないものだと思うが・・。

九州西国霊場とはつながりがないが、せっかく来たので、坂本八幡宮と同じく番外編として、書き置きの朱印をいただく。これで完全に「結願成就」ということにしよう。

九州国立博物館には向かわず、時間はまだ早いが広島に戻ることにする。太宰府駅に戻り、西鉄二日市に戻る。すると、ちょうど外は雨が降り出したところだった。この日は天気が下り坂、予報には雨マークも出ていたのだが、ちょうど太宰府天満宮の参拝が終わるまでお天道様は持ってくれたようである。後は帰るだけなので、西鉄二日市からJR二日市までわずかな距離だが、路線バスで移動する。

二日市始発14時14分発の福間行き普通に乗る。先に出る区間快速でも間に合うのだが、始発から座って移動する。

九州西国霊場めぐりが結願となったので、このまま博多で一献というのもいいだろう。博多駅近辺なら昼飲みできる店などいくらでもあるはずだ。

ただ、この時はそのまま新幹線への乗り換えとした。このところありがちなのだが、日曜日は早めに帰宅して、月曜日以降に備えようという気になった。まあ、前夜鳥栖で一献したのを前祝ということにすれば・・。

乗ったのは15時26分発の「のぞみ170号」。博多始発の臨時列車である。自由席に向かったが、それでも1両に数人というガラガラぶりである。博多駅近辺での一献とはしなかったが、広島までの1時間、車内にてささやかに楽しむことにする。テーブルの上にあるのは、(博多駅コンコースで購入した)鳥栖の「焼麦」。九州西国霊場の締めは、おれでよかったかと・・・・(画像撮るの忘れた)。

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第15回九州西国霊場めぐり~第33番「観世音寺」(九州西国霊場・結願成就)

2023年01月30日 | 九州西国霊場

大宰府政庁跡、坂本八幡宮と回り、いよいよ観世音寺に参詣する。

観世音寺が開かれたのは古く、天智天皇が母・斉明天皇の追善のために発願したという。斉明天皇は百済救援のために出兵し、自らも筑紫まで遠征したが、その地で亡くなった。それから造営が進められたが、完成したのは奈良時代に入ってからのことである。後に鑑真が日本に渡り、日本における授戒の制度を整えた後は奈良の東大寺、下野の薬師寺とともに「天下三戒壇」の一つとされた。当時は大きな伽藍も有していたが、平安時代以降は寺の勢力も衰え、また何度も火災に遭ったことで建物も失われた。現在の建物は古いもので江戸時代の再建という。

まず、西にある戒壇院に向かう。戒壇院は聖武天皇の勅願により、鑑真により設けられた。案内板では「観世音寺・戒壇院」と記載されている。

正面の本堂は江戸時代の再建で、この時には禅宗様式で建てられている。なおこの時に戒壇院は観世音寺から独立したそうで、現在はあくまで別の寺院だという。そういえば、本堂の前に書置きの朱印が置かれていたが、その様式が九州西国霊場のものと違っており、「あれ?」と思ったものだ。戒壇院の本尊は東大寺と同じく廬舎那仏である。それはともかく、かつての観世音寺の一部ということでここでもお勤めとする。

さて、戒壇院で手を合わせていると、東の方向から何やら大きな叫び声が聞こえてくる。そして拍手も起きている。最初は、近くのグラウンドで運動会か、あるいは何かの集会でも行われているのかと思った。でも、1月下旬に運動会などないだろうし、この近くにグラウンドがあったかな。

戒壇院の横の通用口から観世音寺の境内に入る。するとそこには大勢の人だかり。そして、その向こうでは空手の道着姿の子どもや若者が集まっている。そして観世音寺の正面には「武神会館」と書かれた旗が掲げられている。

これを見た瞬間は、「せっかくの結願なのに、これではお参りできないではないか」と思った。本堂の前も立入禁止になっている。これは何の集まりかと調べてみると、「武神会」とは筑紫野市に本部がある空手道場で、この日(1月22日)は観世音寺にて奉納演武と成人式が行われていたそうである。朝に観世音寺を訪ねていれば、子どもたちを中心とした演武が見られたそうで、人だかりの多くは子どもの保護者たちのようだった。

先ほど、戒壇院の境内で聞こえた叫び声というのは新成人によるもので、両親への感謝や、これからの自分の夢について気合を入れて大きな声で語っていたそうだ。そして新成人は、周りの「バンザーイ」の掛け声とともに胴上げされ、最後は落とされて境内の砂(泥)を掛けられ、最後には師範、両親の元に駆け寄って抱き合って・・・という一連のお祝いの儀式が行われていた。

まったく関係ないことだが、新成人がこうして道場のみんなから祝福され、大人の仲間入りをする様子は、その昔、ここで授戒を受けて正式な僧侶として認められた若者たちも似たようなものだったかな・・と勝手に想像してみる(さすがに胴上げはなかっただろうが)。

最後に記念撮影を行って奉納演武は終了したが、まだ境内はごった返している。

本堂での参詣は後にすることにして、境内の一角にある宝蔵に向かう。かつて本堂(金堂)と講堂に祀られていた仏像の多くは、1959年に完成した鉄筋コンクリート造りの宝蔵に移されている。平安~鎌倉時代の作が多く、よりよいコンディションでの保存のためである。仏像を拝むのが目的なら、最初から宝蔵に来れば間近で拝観もできる。また朱印もこちらで受付しており、九州西国霊場が結願する旨を告げて、後で受け取ることにする。

宝蔵の2階に上がる。丈六(立像は約4.8メートル、坐像は約2.4メートル)の像が多く、九州西国霊場の本尊である聖観音像をはじめ、十一面観音像、馬頭観音像、不空羂索観音像、阿弥陀如来像などが並ぶ。台座、展示台と合わせると5メートル以上の高さであり、それらが何体も並ぶ姿は圧巻である。本尊がこちらにおわすということなので、この宝蔵の中にてお勤めとする。

また、宝蔵の完成にともない、本堂(金堂)や講堂から仏像が運び出され、宝蔵に搬入される様子の写真も展示されている。

大宰府といえばどうしても天満宮や九州国立博物館に目が行きがちで、最近は「令和」ゆかりの地として坂本八幡宮も有名スポットになっている。その間にあって観世音寺は目立たない存在かもしれないが、かつての国際都市である大宰府にあって、その仏教部門を引き受け、隆盛したであろう歴史はもう少し知られてもよいのではないかと思う(先ほど訪ねた大宰府資料館では、模型で当時の伽藍も表現されていたが)。

拝観を終え、朱印をいただく。通常の第33番・観世音寺の朱印のほかに、「結願成就」と書かれた朱印をいただいた。結願ということで、表彰状のようなものをイメージしていたのだが、こちらの朱印に、観世音寺の台紙をもう1枚いただいたのでそちらに貼り付ける。これも、いい記念になった。

もう一度金堂に戻ると、立入禁止のロープも撤去され、お堂の前に立つことができた。ここで改めて手を合わせ、結願とする・・・。

さて、2021年3月から始めた九州西国霊場も無事に結願となった。奈良時代の初め、仁聞菩薩と法蓮上人により開かれたとされる日本最古の霊場。種田山頭火も回ったことで知られている。BRTに転換される日田彦山線の彦山から始まり、中津の耶馬渓、宇佐八幡、六郷満山、別府の湯、臼杵の石仏などと合わせて回った大分県。噴火もあった阿蘇山に、宮本武蔵も修行した熊本の岩戸観音、復興途上の熊本城。大牟田の石炭遺産、カッパの田主丸の筑後地方。佐賀では清水の鯉料理、吉野ヶ里遺跡、有明海の景色も楽しんだ。そして長崎に入りオールスターゲーム、軍艦島、西九州新幹線、佐世保軍港。再びの佐賀ではイカ料理。そして福岡に戻り、糸島半島や美空ひばり観音、宗像の世界遺産を楽しみ、大相撲九州場所も。そして最後は大宰府で締めるという・・・札所めぐり以上に私なりの九州観光も楽しませていただいた。いろいろな列車、バスに揺られ、レンタカーで穴場を訪ね、夜の一献もできた。これまでには気づかなかった九州の面白さを感じられた貴重な体験だった。

これで中国、九州の観音霊場を回り、西日本の「百八観音霊場」をめぐるなら残りは四国三十三観音霊場となるが、こちらは今のところ考えていない。札所めぐりが多重になっているので、どこかを終わらせてからのことになるだろう。ただ、四国といえば本家の四国八十八ヶ所めぐりもあることで、下手すればその2巡目もやらざるを得ないのでは?とも思う。

また、九州では九州八十八ヶ所百八霊場もまだ序盤である。こちらも、この先どのくらいの時間がかかるかわからないが、より広い九州の魅力を楽しむことにしよう。

さて、これで一段落し、天満宮と九州国立博物館に向かう。ちょうど太宰府市のコミュニティバスが来たので、そちらに揺られることに・・・。

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第15回九州西国霊場めぐり~「令和」ゆかりの坂本八幡宮へ

2023年01月29日 | 九州西国霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでいったん田主丸に向かった後、本題の太宰府に向かう。久留米から鳥栖行きに乗り、そこから博多行きに乗り継ぐ。車内のドア脇に週刊誌の中吊り広告があるな・・とよく見ると、「佐賀空港」とある。空港の利便性をPRすべく、インパクトのある広告にしたものだという。

二日市に到着。JRとしては太宰府への最寄り駅であり、二日市温泉への玄関口である。一時は、こちらでの宿泊も考えた。駅のコインロッカーに荷物を預ける。この後は新幹線に乗るので、またこちらに戻ることになる。

西鉄の二日市に向かうが、バスもあるが徒歩でもそれほど離れていない。ちょうどJRと西鉄を結ぶグリーンベルトも伸びていて、それに沿って歩く。10分ほどで西鉄の二日市に到着した。

太宰府天満宮や九州国立博物館に行くのなら太宰府線に乗って太宰府に向かえばよいのだが、目指す観世音寺、そしてその前に大宰府跡や、「令和」ゆかりの坂本八幡宮にも行ってみたい。それなら、太宰府線に乗るより、天神大牟田線で1駅、都府楼前からアプローチしたほうがよさそうだ。

都府楼前で下車。「令和の里」という副駅名がつけられている。駅前には「令和」の記念碑も建てられている。元々、福岡のベッドタウンとして駅周辺にも住宅やマンションも建ち並んでいたところに、坂本八幡宮最寄りの駅ということで新たに「令和」の箔がついた形だ。

道案内に従って歩く。大宰府跡に近いことからか、近くの中学校の門もそれらしい姿である。改めて、歴史の町としてのPRをしているかのようである。

大宰府跡に到着。今は地元の人たちの憩いの場になっており、あちこちで家族連れが楽しんでいる。南大門からそのままメイン道路を進み、大宰府跡の石碑を見る。時代が少しずつ違うが、明治から大正にかけて順次建立されたものである。

平成から令和・・。この改元の前後、私は九州で過ごしていた。日付が変わるのを迎えるのは五島列島の福江島で、平成最後の日の入りと、令和最初の日の出を見ようというツアーに参加した。その前段で福岡入りし、夜まで自由行動だったので、太宰府エリアを訪ねた。その時は観光客でごった返していた。「令和」ゆかりの地となった坂本八幡宮も参拝客の行列ができていた。私も、菅官房長官(当時)の改元発表のように「令和」と書かれた額を掲げて写真を撮ってもらったものだ。

その坂本八幡宮だが、さすがに令和5年ともなれば当時のブームも落ち着いているようだ。「令和」の元となった万葉集の一文の「初春令月 気淑風和」。ある歌会の様子を表したものだが、その舞台が当時の大宰帥である大伴旅人の邸宅で、その場所が現在の坂本八幡宮の地と推測されることから、改元発表以降、大勢の人が訪ねるところとなった。私もその一人である。

テントにはその時と同じように記念撮影用の「令和」の額が置かれている。また、回っている札所以外の朱印にはそれほどこだわっていないのだが、せっかく訪ねたのだからと書き置きの坂本八幡宮の朱印をいただく。真ん中には「初春令月 気淑風和」の文字が入る。これも九州西国霊場めぐりの一つに加えることにする。

よく考えると、これまで日本に数多くの元号がある中で、その典拠が国内にあり、そしてその場所もある程度特定できるところというのも他にはないのではないか。現時点で、「令和」の次の元号がどうなるのかというのはまったくイメージできないが(その時には、ひょっとしたら元号そのものの存続の是非が問われているかもしれない)、「令和」の経緯からすれば、日本の古典に典拠を求めるのかなと思う。そうなれば、何十年か先にはまた別のところが賑わうことになるのかな・・。

大宰府展示館に向かう。「令和」の元となった大友旅人邸宅での梅花の宴を再現した人形や、大宰府政庁の模型が並ぶ。またここもかつての大宰府跡の一部として、発掘された姿や出土品なども展示されている。これだけ見れば立派な規模だし、大陸との玄関口として重要な拠点であったところだが、平城京、平安京の人から見れば「左遷」のイメージがどうしてもついて回るようである。

目指す観世音寺は大宰府政庁に隣接する位置に建っている。もう少し歩き、いよいよ、九州西国霊場の結願である・・・。

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第15回九州西国霊場めぐり~鳥栖にて前泊

2023年01月25日 | 九州西国霊場

九州西国霊場めぐりの結願を前に、鳥栖で宿泊する。「前泊」というのもこれはこれで楽しみである。どうせならもう少し太宰府に近いところで宿泊すればよいのだろうが、実は、今回のついでで、九州八十八ヶ所百八霊場の札所にも行くことを考えてのことである。

九州八十八ヶ所については順当に行けば次は大分の中津から宇佐へと回るところだが、久大線の田主丸にあって、以前のシリーズで本堂・本坊が改装中でお参りができなかった第5番・大師寺がある。また、少し足を伸ばすが、大分県に入った日田に1ヶ所ぽつんと第94番・不動寺がある。太宰府に行く前に2ヶ所とも訪ねるか、どちらか片方だけにするかも含めて、いったんそちらに向かうことにしている。そのため、南寄りで宿泊地を探した。当初は久留米で考えたのだが、その手前、交通の要衝である鳥栖は佐賀県である。そこで予約サイトで佐賀県に切り替えて検索したところ、鳥栖、神埼エリアにて複数のホテルがヒットした。

宿泊するのは駅の斜め向かいにあるルートインホテル。結局チェーンホテルやないかという声も聞こえそうだが、ルートインなら外れはない。なお今回、全国旅行支援を利用することができた。ちなみに、ルートインの横にはグリーンリッチホテルもあるのだが、何だか建物に灯りがともっていないようだ。公式サイトによると、新型コロナを理由として2023年3月末まで臨時休館中という。今の状況で2年も「臨時」休館って・・・そのまま休業ではないのかな。

ちょうど大相撲初場所の14日目で、しばらくテレビ桟敷にて相撲観戦。14日目を終えて、3敗で大関貴景勝と平幕琴勝峰、4敗で小結霧馬山と平幕阿武咲の状況となった。千秋楽の取組はこの後決まるのだが、結局3敗同士の直接対決ということになった(優勝の可能性にかすかな望みを持っていた4敗の2人はがっくりだろうが仕方ない)。なお、翌日の千秋楽結びの一番で貴景勝が琴勝峰に勝ち、一人大関の責任を全うする形での優勝を飾った。これで春場所は「綱取り」になるのかな。

さて、夕食の一献ということで外に出る。鳥栖というところは鉄道の町であるが、最近ではサガン鳥栖の本拠地「駅前不動産スタジアム」が駅前(駅裏)にあるし、この春には久光スプリングスの新たな練習拠点も完成する。

一方、駅前(駅表)には、かつてのJTの工場跡地に建つ大型ショッピングセンターのフレスポがある。結構な数のクルマがひっきりなしに出入りしている。ちょっとのぞいて見ると北海道展をやっていたので、ラーメンやらいかめしなどを買い求める。広島の人間が鳥栖に行って北海道の物産を買い求めるとは・・・(別に、広島で北海道展が行われないわけではないのだが、今回の土産に九州ものがなく北海道ものばっかりだったので)。

さて、北海道展で買ったものが入ったビニール袋をぶら下げて入ったのが、フレスポの敷地内にある「竹乃屋」。「博多ぐるぐるとりかわ」で知られる店である。家族連れを中心に賑わっており、あらかじめカウンターを予約しておいて正解だった(コロナ対策でカウンターは座席が間引かれていた)。

前菜、アテとして、ちくわサラダ、ごまサバをいただく。このあたりは九州の郷土料理である。

この店では日によって呼子直送のイカが出ることがあるそうだが、残念ながらこの日は入荷なし。その中でイカの沖漬を注文。これはこれで歯ごたえあり。

サーモンの刺身をごまだれに絡めた「まるでレバ刺し生サーモン」というのは、竹乃屋のオリジナルメニューだろうか。牛レバ刺しの店での提供が禁止になったのが2012年の6月だからもう10年以上経つが、サーモンでもその食感が出せるんやと感心した。ごまタレも大きな要素である。

そして串焼きの盛り合わせと、最後に待ってました「ぐるぐるとりかわ」が出てきた。鶏の皮を串にぐるぐる巻く焼き方は博多が発祥とされており、各店で味を競っている。何本単位で注文するかというところだったが、他の料理もあるので最少の5本盛りで。「竹乃屋」については、以前の九州西国霊場めぐりで店に入ったこともあるし、ペイペイドームにも出店していて野球観戦のお供にしたこともあった。そして今回、鳥栖でいただいた次第だ。焼き鳥は塩味派なのだが、「ぐるぐるとりかわ」についてはタレの味も大きなウエイトを占めていると思う。

さて、全国旅行支援を利用すると宿泊の割引に加えて、地域クーポンがついてくる。昨年までは、その県内の提携店で使える紙のクーポンをフロントでもらっていたが、今年に入ると、紙のクーポンではなくQRコードが入った用紙を渡される。まず、「region PAY」というアプリをダウンロードし、用紙に印刷されたQRコードを読み取ると、その地域のクーポンに、利用可能金額がチャージされる。利用する時は会計時に店のQRコードを読み取り、利用金額を入力して店の方に承認してもらう。全国旅行支援の再開に合わせてこの「リージョンペイ」を新たに導入した都道府県も大幅に増えたそうだ。

今回は佐賀県のクーポン「佐賀旅PAY」だったが、あくまで福岡県内を移動するのに九州新幹線、鹿児島線が鳥栖を通っているための宿泊であり、この先佐賀県のあちこちを回るわけではないので、おのずと鳥栖駅近辺で使うことになる。もっとも、先ほどの「竹乃屋」はクーポンの提携店ではなく、またフレスポ内の北海道展も現金のみの決済だった。そのため、駅前のコンビニでの買い物で消費した。地域支援が建前のクーポンといいつつ、全国チェーンのコンビニで利用することが、果たしてどれだけその目的にかなうものかよくわからないのだが・・。

ホテルに戻り、人工温泉の大浴場にてリラックスする。

そして部屋での二次会。チェックイン前に買っておいたのが、鳥栖駅の「焼麦(しゃおまい)」。これまでの九州西国霊場めぐりで、帰りの土産、新幹線車内でのアテとして何度も買っていたが、結願を前に、本場にて入手した。こちらをつまみつつ、結願の前祝とする・・。

さて翌22日、ホテルでの朝食を終え、鳥栖7時31分発、久大線の日田行きに乗車する。太宰府に向かう前にいったん久大線に入り、九州八十八ヶ所百八霊場の札所に向かうことに・・・。

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第15回九州西国霊場めぐり~いよいよ、結願に向かいます

2023年01月24日 | 九州西国霊場

2021年の3月から始めた九州西国霊場めぐり。福岡、大分、熊本、佐賀、長崎各県にある33ヶ所プラス特別霊場1ヶ所をめぐるこの札所も、結願となる第33番の観世音寺を残すのみとなった。旧国名でいえば、豊前、豊後、肥後、筑後、肥前と来て筑前で終わり。九州においては現在九州八十八ヶ所百八霊場めぐりを行っているが、この先大分、宮崎と進む中で、先行している九州西国霊場は結願しておこうと思う(何分、札所めぐりの多重債務状態なもので・・)。

観世音寺があるのはかつての大宰府跡に隣接するところ。観世音寺そのものは以前にも訪ねたことがある。ちょうど、元号が平成から令和に代わろうとするタイミングで、太宰府天満宮から「令和」ゆかりの坂本八幡宮に向かう途中に立ち寄った。その時は「由緒ある寺」と思ったものの、九州西国霊場を回ることは全く頭になかったので、改めてここが結願の地になるのかとうなることになった。英彦山に始まり、大宰府で終わる九州西国霊場。

あえてその結願の札所を残す形をとり、その機会をうかがっていたが、1月から、太宰府天満宮に近い九州国立博物館にて特別展「加耶」が行われると知った。そして、特別展の記念講演会が1月29日に行われるという。どうせならこの講演会に参加しようと、サイトから事前抽選に申し込んだ。これに当選したとして、観世音寺への参詣を1月29日に予定した。場合によってはどこかで前泊もありかなと。

ここまで、昨年末の話である。

年が明けて半月後、九州国立博物館の講演会の抽選発表である。17日にメールが来たのだが、その結果は残念ながら「落選」。これは仕方ない。まあ、講演会は聴けずとも、展示が観られればいいか。

ならば、九州国立博物館に29日に行くことにこだわる必要もなくない。実は年が明けてから、私のほうもいろいろ状況の変化があり、それなら前倒しでも行ける時に太宰府に行って結願しておこうと思う。そして、自身の予定とも合わせて1月21日の午後に広島を出発し、その夜は太宰府の近くに前泊。そして22日に観世音寺に参詣、そして九州国立博物館で「加耶」展を見学することにした(・・・当日になって、当初の予定通り1月28日~29日で行けばよかったものの、日程を早めたことが結局裏目になった。まあそのことは後で書くことに)。

さて、1月21日。午前中の所用を済ませて、広島発14時19分の「こだま849号」に乗る(「こだま」に乗るのは、日本旅行の「バリ得」のため)。500系で運行されており、それだけでも今となっては貴重なものなのだが、この列車に充当されるのは「ハローキティ新幹線」。500系の青、紫のラインをピンクを基調としたものに塗り替え、車両のいたるところ「ハローキティ」色にしたものである。

これまで、「ハローキティ新幹線」は駅の停車中や走行中で見たことはあったが、乗るのは初めてである。別に狙っていたわけではない。

だからといって「キティちゃ~ん♡」などとニヤニヤしながら車両にカメラを向けたり、1号車にある「ハローキティ」イベント車両に行ったりというのは、彼女や子ども連れならまだしも、アラフィフのおっさんが一人なら「キティ」ならぬ「キティガイ(キ○○イ」扱いである。

救いだったのは、室内はあくまで「普通の500系」に維持されていたこと。

それでも、途中の駅ではホームに出て、「ハローキティ」塗装車両の写真を撮っていたなあ。

時間帯のせいか列車じたいはガラガラのまま、16時11分、博多に到着。「こだま849号」はこのまま博多南線の列車となるが、ホームには行列ができている。博多まで乗って来た客よりも、むしろここから博多南まで乗る客のほうが多かった。

さてこの後だが、新幹線ホーム同士での乗り継ぎである。乗り継ぐのは、16時24分、博多始発の「さくら409号」である。こちらはN700系車両。

博多から新幹線に乗ってどこまで行くのか、目的地は太宰府だろうに・・というところだが、目指すのは次の新鳥栖である。もっというなら、在来線の鳥栖である。太宰府を目指すなら博多駅近辺、その気なら太宰府市、筑紫野市で宿を探すこともできたが、あえていったん南に行くことにした。そこはちょっとした思惑もあって・・・。今回、宿泊先を福岡エリア、筑紫野エリア、そして久留米エリアで探していたのだが、初めて宿泊する町を増やそうという思いもあった。そこで出たのが鳥栖である。宿泊検索だとまずは都道府県単位での検索のため、同じ鹿児島線、九州新幹線沿線でも、佐賀県にある鳥栖は外れるのだろう。これは盲点だったなあ。改めて、鳥栖で宿泊地を確保。

新鳥栖で下車する。コンコースでは、鳥栖を拠点として活動するJリーグのサガン鳥栖、そしてバレーボールの久光スプリングス関連が出迎える。

そこに隠れた形だが、鳥栖市出身の緒方孝市・元カープ監督の展示もある。

そのまま新幹線改札口から出て(「バリ得」のきっぷはここで全て回収)、そのまま在来線改札口を通る。やって来て列車にて、次の鳥栖で下車する。在来線の鳥栖が目的地なら、博多で在来線に乗り換えるのと、新鳥栖まで行って乗り換えるのと、はたしてどちらが合理的だったかなと思うが・・。

そのまま1駅3分乗車し、鳥栖に到着。鉄道のジャンクションの町での初めての宿泊である・・・。

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第14回九州西国霊場めぐり~大相撲九州場所千秋楽観戦記・3(そして優勝決定巴戦へ・・)

2022年12月23日 | 九州西国霊場

大相撲九州場所千秋楽は幕内の土俵入りである。この時間になるとさすがに館内も多くの客が訪れ、満員御礼となる。土俵入りはまずは東方から。2敗で単独トップの高安、そして3敗で追う大関貴景勝が最後に土俵に上がる。

続いては西方の土俵入り。先頭は平戸出身の若手・平戸海ということで館内から拍手が起こる。特に、私が座っていた席の右手には応援団らしき方々がいたのでより大きな拍手である。その次は期待の新入幕・熱海富士だがこちらは残念ながら大負けである。

そういえば、他の力士の写真はあるのに、優勝争いしている阿炎の土俵入りは撮っていなかったな・・。今思うと、高安が本割で勝ってすんなりと優勝を決めると踏んでいたのだろう。

本来ならここで横綱土俵入りのはずだが、照ノ富士は休場。この先、照ノ富士の土俵入りをナマで観る機会は訪れるだろうか・・。

場内は中入。正面の実況席には北の富士さん、向正面には舞の海さんの姿が見える。テレビ観戦だと中入の時間は結構あるように感じるのだが、現地だとその時間も館内のざわめきの中であっという間に過ぎるように思う。もう?というタイミングで中入後の取組の拍子木の音が響く。碧山と隠岐の海の一番から始まる。

遠藤の一番には今も永谷園の懸賞がかかる。永谷園は変わらず応援しているということだろうが、このところ、遠藤が大相撲の話題にのぼることもめっきり減ったように思う。

一山本と熊本出身・佐田の海の一番は7勝7敗同士。このところ、千秋楽の取組は14日目の打ち出し後に編成するので、7勝7敗同士の取組も結構多い。それだけガチンコ勝負をお楽しみに・・ということだが、この一番も激しい相撲で、佐田の海の押しに一山本が土俵下まで吹っ飛んだ。物言いがついたが、結果は佐田の海の勝ち。敗れた一山本は頭を打ったようで、最後は車椅子で花道を下がった。大事にならなければいいが・・。

照強と逸ノ城。名古屋場所で優勝した逸ノ城だが、場所中に、部屋のおかみさんに暴力をふるった疑いが報じられている。合わせて親方とも口をきかない、弁護士を通してしか話さない・・というトラブルが報じられていて、そのこともあってか今場所は成績が振るわない。その逸ノ城の対戦相手が、ここまで14戦全敗の照強。時間前の塩撒きは客席を喜ばせたが、相撲は一方的に敗れた。これで15戦全敗。千秋楽まで土俵に上がったのは本人のプライドだろう。その後、照強に関してもいろいろ報道が出ているようだが・・。

幕内前半の取組が終わり、小休止の後に登場したのが平戸海。ここまで10勝していることもあり、千秋楽の対戦は奄美出身の明生。九州勢同士の一番に、私の横の平戸海応援団も盛り上がる。熱戦となったが、最後は実力者の明生が突き出して勝利。それでも健闘に大きな拍手があった。

そして高安が登場。対戦相手は阿炎。高安が勝てばその時点で初優勝が決定する。これまで何度も優勝争いに顔を出しながら、そしてもうすぐ優勝というところで敗れてしまう・・・。兄弟子だった稀勢の里と同様、そのもどかしさも人気の一因である。さすがに今場所はスムーズに優勝を決めるだろうという雰囲気だった。懸賞の垂れ幕が何度も土俵上を回る。

しかしながら、阿炎が思い切りよく出て、そして高安はまたも硬くなって、阿炎がそのまま突き倒す。場内は歓声よりもため息のほうが多かったように思う。敗因はその後いろんな親方が解説していたが、ともかくこれで両力士が3敗で並び、結びの一番で貴景勝が勝てば優勝決定戦は3人の巴戦にもつれることとなった。最後の最後で、全く分からなくなった。

これより三役。東方からは霧馬山、北勝富士、そして貴景勝が土俵に上がる。

そして西方からは豊昇龍、正代、若隆景が登場。横綱不在の中、本来なら貴景勝と正代という大関同士の千秋楽結びの一番となるところ、ご承知のような成績なので・・。初場所は1横綱1大関となることが確定だが、照ノ富士は初場所も休場が濃厚で、千秋楽結びの一番でその横綱大関戦も組めないという事態である。

これより三役、まずは前半優勝争いをリードしていた豊昇龍が霧馬山を破る。終盤崩れたが関脇で11勝ということで、まずは大関昇進に向けての第一歩となった。

続いては正代と北勝富士という負け越し同士の対戦。北勝富士が押し出して正代は6勝9敗。大関陥落に花を添える一番となった(言葉の使い方としては誤っているが、皮肉を込めて)。これで来場所、御嶽海もできなかった関脇での10勝で復帰するとは思えない。

そして結びの一番は貴景勝と若隆景。若貴対決、上杉景勝と小早川隆景の一戦は懸賞の垂れ幕が何度も回る。スポンサーを読み上げるだけでほぼ時間いっぱいである。

勝負は意外にもあっさりと貴景勝がはたき込みで勝ち、これで高安、阿炎とともに3人による優勝決定巴戦となった。こうなると、番付順で貴景勝が優勝という予想も多くなるだろう。で、もし優勝したら来場所は綱取りか・・。

優勝決定戦を前に、まずは聡ノ富士による弓取式。確か今日、11時頃に相撲を取っていたよな。それから6時間以上間が空いて再び土俵に上がっている。職業=弓取式といってもいいくらいのキャリアを持つ。

しばらくの休憩があり、東方から3人の力士が登場。抽選により、まずは高安と阿炎という本割と同じ対戦となった。本割では阿炎が長いリーチを活かした突っ張りで高安を圧倒したが・・。

立ち合い、阿炎が左に動く。変化について行けず高安はバッタリ。そして高安はその場にうずくまったまま動けない。

阿炎も心配そうに見つめる中、呼出に肩をかつがれてようやく起き上がり、土俵下に下りたが心ここにあらずという表情である。立ち合いの当たりどころが悪くて脳震盪を起こしたのではとされている。

続いて、貴景勝が土俵に上がる。阿炎が勝てば優勝、貴景勝が勝てば高安との取組だが、先ほどの状態で高安が土俵に上がれるのか。ここは貴景勝が阿炎に勝ち、そのまま半自動的に優勝となるのだろう。

・・・と思ったが、今度は阿炎が猛烈な突っ張り。そしてそのまま突き出した。先ほどの変化を見た貴景勝が思い切り出られなかったという分析のようだが、いずれも阿炎の作戦勝ち。九州場所は何とも意外な形で、本人も思わなかったであろう形での優勝が決まった。・・・のはいいとして、阿炎の優勝が決まるとともに席を立つ人が結構多かったのが印象的だった。私の席の近くでも、高安の優勝を期待していたのか「つまらん」と半ば腹を立てた様子で席を後にした人もいた。

表彰式、神送りの儀式まで見ようと来たのだから、そのまま席にとどまる。土俵に天皇賜杯、優勝旗が運び込まれ、阿炎が若者頭の花ノ国(藤井寺市出身)とともに入場する。

国家演奏の後、八角理事長から天皇賜杯の授与。伊勢ヶ濱審判部長から優勝旗の授与。そして内閣総理大臣杯(代読は誰だったか)の授与である。

この後はインタビュー。阿炎といえば新型コロナウイルス感染拡大の中、ガイドラインに違反して接待をともなう飲食店に出かけていたとして出場停止の処分を受けていた。一時は引退届を出したものの預かりの扱いとなる中、幕下からここまで戻り、そして初優勝となった。出場停止の時はボロカスに言っていた人たちも、こうなれば手のひら返しである。入院中の錣山親方からのメールによる励ましも美談となる。まあ、これはこれでよかったのでは。

この後もさまざまな表彰が続く。テレビ中継だと北の富士さん、舞の海さんによる今場所の総括で、これまでの取組の映像が流れ、表彰式はその合間に映るくらいだが、土俵上では入れ替わり立ち替わりさまざまな人が上がる。せっかくなので列挙してみると・・・

モンゴル国総理大臣賞、アラブ首長国連邦友好杯、メキシコ合衆国友好盾、日仏友好杯、タイ日友好杯、ハンガリー国友好杯、チェコ国友好杯。NHK金杯、毎日新聞社優勝額、福岡市長賞、福岡県知事賞、大分県椎茸農協賞、宮崎県知事賞、(清酒)大関賞、八女茶振興会賞

友好国の相手の顔ぶれも昔からなのだろうが、ハンガリーやチェコといった、日本にそこまでなじみがあるわけでもない国からの友好杯が毎場所提供されるのはどういう経緯があったのかなと思う。それにしても、副賞の「〇〇1年分」というのは、耳にしても豪快で景気のいい話である。私も何かいいもので「〇〇1年分」というのをもらってみたい。

優勝力士表彰の次は2022年の最多勝力士表彰。今年は若隆景が57勝で受賞。春場所に初優勝したのも大きかったが、今年の6場所すべてで勝ち越した唯一の力士という安定感も見られた。ただ、大関挑戦となるとどうかな・・。

その後は三賞の表彰式。殊勲賞・高安、敢闘賞・阿炎、技能賞・豊昇龍ということで、今場所を沸かせた力士として順当な選出である。それにしても、同点で優勝決定戦に進んだはいいものの、そこで敗れたために何ももらえないというのも気の毒だと思う。さすがに、上に並べた各賞の一つを同点力士に回すわけにもいかず、三賞の一つで我慢するしかないのかな。そうなると、三賞の対象にならない大関が一番割が合わないかな・・。

表彰式が進むにつれて客席がまばらになる中、最後は、出世力士の手打式、神送りの儀式である。出世力士とは、今場所で前相撲に合格し、来場所で初めて番付に名前が載る力士のことである。今場所は8人の出世力士が土俵に上がり、三本締めの手打ちを行う。そして最後は行司を胴上げ。土俵祭でお迎えした神様を送り返すものだ。これをもって、神事の要素もある大相撲のすべての興行が千秋万歳となる。これは本場所に足を運ばなければ観られない行事である。

福岡国際センターを後にする。外はすっかり暗くなっていた。神送りの儀式を見るのは計算していたが、優勝が巴戦になるとは予想外で、思ったより遅く出た形である。新幹線のチケットは・・・まあいいや、後続の自由席に乗れば済むこと。国際センターの前からは博多駅行き、天神駅行きの西鉄バス臨時便乗り場が設けられる。ペイペイドーム福岡での試合後と同じような光景だ。ここまで残っていた人はさすがにそこまで多くなく、次に出る便でそれぞれ捌けそうな人数のようだ。そのまま大博通りを直進し、博多駅に到着・・。

さて今回初めて九州場所に出向いたが、来年の今頃も広島に住んでいるかどうかはさておき、アクセスもいいし、イス席でも結構土俵が近くに感じて、しかも他の場所に比べて割安感があるので、また来てもいいかなと思った。仮に2023年の九州場所を観戦したとして、その時の番付の顔ぶれはガラリと変わっているだろう。せめて、もう1人くらいは新しい大関が誕生しているといいのだが・・・。

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第14回九州西国霊場めぐり~大相撲九州場所千秋楽観戦・2(協会ご挨拶はじめ、千秋楽の光景を・・)

2022年12月22日 | 九州西国霊場

大相撲九州場所千秋楽の観戦記の続き。

十両の土俵入りが終わり、幕下上位5番の取組。こちらも熱の入った取組が続く。

十両の取組。最初に登場するのは新十両の對馬洋である。負け越しが決まっており、幕下への陥落も危ぶまれていたが、この日は幕下の藤青雲との取組。藤青雲は3勝3敗で、勝てば勝ち越し、ひょっとしたら幕下~十両の入れ替え戦になるかと思われたが、ここは對馬洋の勝ち。7勝8敗なら何とか踏みとどまれるかという成績である。

2番後には、3敗で十両優勝争いのトップの欧勝馬と、4敗の大奄美が対戦。ここは大奄美が押し出しで勝ち、4敗で並び優勝決定戦となることが決まった。

さらにこの後に登場する4敗の北青鵬、剣翔、そして天空海も勝てば優勝決定戦に進出である。しかし、この3人が相次いで敗れ、決定戦は欧勝馬と大奄美の2人が本割に続いての取組となった。

その間には、豊山と若手の栃武蔵の一番もあった。寄り切りで栃武蔵が勝ったのだが、驚いたことに場所後、豊山が引退を表明した。怪我の影響で理想とする相撲が取れなくなったためで、九州場所の負け越しが決まった時点で引退を決めていたそうである。時津風部屋の名大関の四股名を受け継ぎ、出世を期待されたが意外にも三役には上がれなかった。年寄株の空き状況のためかはわからないが、協会には残らずトレーナーの道を歩むという。お疲れさまでした。

十両の取組の途中で、初日と千秋楽に行われる協会ご挨拶がある。横綱照ノ富士休場のため、2大関、3関脇、4小結が土俵に上がる。八角理事長の挨拶に特別な文言はなく、淡々としたものだった。まあ、横綱以外の目立った休場はなく、無事に千秋楽を迎えられたことをよしとする。

炎鵬の取組。そしてこれを裁くのは鉄道ファン行司の木村銀治郎。声出し応援可能なら行事に一声かけるところである。取組は、炎鵬が巨漢の千代丸相手に上手く回り込んで送り出し。このところ十両に定着してしまった感はあるが、来場所は十両上位につけて、再入幕への挑戦となる。

十両の取組終了後、各段の優勝決定戦と表彰式が行われる。今場所は三段目と十両が優勝決定戦となった。まずは三段目、東方・日翔志(ひとし)、西方・一翔(かずと)の全勝同士の取組。何だかキラキラネーム同士の一番と思うが、日翔志の四股名は本名の下の名前である「日登志」に、所属する追手風部屋の力士に多い「翔」の文字をあてたもの。大学~実業団から入門した力士である。一方の一翔は本名の下の名前もそのままで、入門3場所目で順調に三段目まで上がった18歳の力士。まだ髷が結えない。この一番は先輩の貫禄か、日翔志の勝ちで三段目優勝。

続いて十両の優勝決定戦。先ほどの本割と同じく、大奄美と欧勝馬の対戦となった。また熱戦となったが、欧勝馬が押し出して十両優勝。元大関・琴欧州の鳴戸部屋から初の関取で、来場所は新入幕をうかがうことができそうだ。

そして各段の表彰式。十両・欧勝馬、幕下・玉正鳳、三段目・日翔志、序二段・朝志雄、序ノ口・尊富士の各力士が賞状と溜会からの表彰を受け取った。

続いて幕内土俵入り。ここまで、千秋楽ならではの行事も見たこともあり、もう一度「中入り」とする・・・。

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第14回九州西国霊場めぐり~大相撲九州場所千秋楽観戦・1(序ノ口から十両土俵入りまで・・)

2022年12月21日 | 九州西国霊場

九州八十八ヶ所百八霊場、九州西国霊場めぐりと組み合わせる形で訪ねた大相撲九州場所観戦。11月27日は千秋楽。福岡での観戦は初めてである。また千秋楽にしたのは、優勝争いがどのような形になろうとも、久しぶりに表彰式、そして最後の「神送りの儀式」まで見てみようと思ったからである。

九州場所が終わって半月以上経過し、冬巡業も終わった後での観戦記は情報としての新鮮味はないが、そこは何かの記録になればと思う。

大相撲本場所の朝は早く、朝8時に開場、8時半頃には序ノ口の取組が始まるのだが、千秋楽となれば幕下以下では7番勝負を取り終えた力士も多く、その分取組も少ない。そのため10時開場、10時25分取組開始である。この朝の2時間の差があったからこそ、小倉をゆっくり出発できたし、博多にて寺参りをすることもできた。

まずはロビーにて番付、そして天皇賜杯、優勝旗など各賞の展示を見る。なお、14日目を終えた時点で幕内の優勝争いは高安が2敗で単独トップ。これを貴景勝と阿炎が3敗で追う展開。そして高安の対戦相手はやはり阿炎となり、高安が勝てはその時点で優勝決定、敗れれば優勝決定戦、さらに貴景勝が勝てば巴戦となる。

さらに、記念撮影用として横綱、大関のパネルが出迎えるが・・・照ノ富士は休場、そして正代は2場所連続負け越しで大関陥落が決まり、そして陥落直後の御嶽海も1場所での復帰はならず・・・でさびしい顔ぶれである。

今回座るのは西のイス席。西からだと、東方から土俵にあがる力士を正面に見ることができる。また福岡国際センターは小ぶりな建物のため、東西のイス席は4列だけである。その4列目に座ったのだが、肉眼だと土俵が遠すぎて見えにくいということはない。イスB席3000円は、大相撲の観戦料金としては見合った価格だと思う。

もっとも、大相撲の東西と、方位としての東西は必ずしも合わないようである。西方の席ということで、福岡国際センターの正面(南向き)から入って左手、西の方角に進むと、そこは東方だった。西方は逆で、東の方角である。席のシートには「西」のシールが貼られていたが、座席につけられたプレートは「東」である。ややこしい。

さて、拍子木が鳴らされ、勝負審判が入場し、序ノ口の取組開始である。東からはまだ髪を伸ばしているところで髷が結えない曽我という力士が登場。今年入門したばかりの16歳とあり、序ノ口でもなかなか勝てないようだ。この日も敗れて1勝6敗である(なお、別に私がこの力士のひいきでも何でもなく、この日最初の取組に出て来たのでプロフィールを見た次第である。頑張れ)。

そうかと思えば、序ノ口にしてはえらい老けた力士も登場する。森麗(もりうらら)。こちらは35歳とある。確か、序ノ口からずっと負け越した記録を持っていて、レビュー以来連敗続きで有名、人気になった競走馬「ハルウララ」にあやかって四股名をつけたのではなかったかな。

序二段の取組となり、結びの一番後の弓取式に登場する聡ノ富士が土俵に上がる。何と、森麗を大きく上回る45歳。しかも番付最高位は幕下の下位とあるが、弓取式の一芸をもって長く相撲界に貢献している力士である。相手をはたき込んで勝利し、夕方の弓取式に備える。

11時を回ると館内の売店、グッズコーナーも開店する。そして福岡国際センターの外にはキッチンカーが並び、ちょっとしたフードコートになっている。フードコートはチケットがない人でも自由に訪れることができ、逆に入場済の人は再入場受付でチケットを提示し、リストバンドをもらう。

ここで早めの昼食として、大相撲名古屋場所公認とあるちゃんこ鍋、そして中津のから揚げ、やはりということで生ビールをつける。天気もいい中、こうした昼食になるとは思わなかった。これはエディオンアリーナ(大阪府立体育会館)の敷地では無理やろうな・・。

館内に戻る。ちょうど月桂冠の300ミリリットル瓶が売店で売られていて、座席にていただく。後、今思い出したのだがそういえば「焼き鳥」はなかったかな・・。国技館名物の焼き鳥、コロナ禍以降東京へ出張する機会もなくなり、帰りの新幹線でつまむ楽しみがなくなったな・・と思い出す。

土俵は序二段から三段目にかけての取組が進む。少しずつ、土俵上の取組の力強さ、激しさも増してくる。

その一方で、競った一番が続き、物言いがついて土俵上での協議も相次ぐ。

さらに熱戦は続く。あくまで個人的な印象なのだが、幕下以下の取組のほうが立ち合いの変化や、安易な引き技、はたき込みなどが少なく、真っ向勝負が多いように思う。これから上位を目指す力士なら、安易に勝ちを拾いに行くのではなく、ともかく正攻法を身につけてほしいというところもあるのだろう。

再びトイレと買い物で席を外す。行列ができているので何かと見ると、「2023年ポスターカレンダー」の無料配布の整理券を配っていた。そのまま進むと売店担当の親方が次々に配っていたところ。ちょうど部屋のカレンダーの入り替えの時季で、こうした大相撲を添えるのも面白いだろう。

ポスターを受け取った後、後方からジャンパーを羽織った髷姿の元力士がやって来るのに気づく。周りに人だかりができているのを見ると、元白鵬の宮城野親方である。コロナ対策もあって「握手はダメ」と小声で言いながら、それでも何となくファンの人たちと触れ合いながら、持ち場である控室に向かう。1人限定で写真撮影にも応じる中、私もちょっと身体を触ったぞ(・・と書くと痴漢みたいだが)。引退してすでに1年以上経つが、やはり人気は健在だ。

取組が進み、十両の土俵入りである。東方の最初は長崎出身の對馬洋で、拍手が起こる。そういえばここまでの幕下以下の取組でも、力士の出身地紹介で九州の県名が読み上げられるとその都度拍手が起こる。福岡でも熊本でも、長崎でも宮崎でも変わらない。ご自身は九州のどこかの県の出身なのだろうが、それ以外の県でもしっかり拍手を送る人も結構多い。この辺りは九州ならではなのかな。

人気の炎鵬や、同じ宮城野部屋で将来が期待される北青鵬に続くのは天空海。前回の九州西国霊場めぐりで宗像の鎮国寺を訪ねた際、「天空海闢(てんくうかいびゃく)」の朱印の文字を「天空海関(あくあぜき)」と見間違えたことがある。千秋楽に勝てば十両優勝の可能性も残していた。

続いて西方の土俵入り。こちらは、元豪栄道の武隈親方と同じ寝屋川出身の豪ノ山が先頭。千代の国、豊山といった幕内経験豊富な力士も登場する。

・・・ここまで書いたところですでにかなり長い記事になった。いったん「中入」とすることに・・・。

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第14回九州西国霊場めぐり~第32番「龍宮寺」(さて、大相撲九州場所千秋楽へ)

2022年12月20日 | 九州西国霊場

11月26日、27日と九州の札所めぐりである。初日の26日は九州八十八ヶ所百八霊場めぐりとして北九州市内の4ヶ所を回り、小倉に宿泊。そして2日目は九州西国霊場めぐりに切り替える。九州西国霊場も残り2ヶ所で、今回はそのうち1ヶ所、第32番の龍宮寺を目指す。1日あれば太宰府まで行き、第33番・観世音寺にお参りして満願とすることもできるのだが、今回は大相撲九州場所の観戦との組み合わせである。最後1ヶ所だけ、楽しみに取っておくことに・・。

小倉駅前の東横インで簡易朝食をとった後、小倉から博多に向かう。新幹線ならあっという間だが、せっかく九州に来たのなら鹿児島線に乗ろう。「九州ネットきっぷ」なら事前予約で特急料金込みで1470円。在来線の通常運賃が1310円だから、160円追加で特急の指定席が利用できる計算だ。

乗車するのは、小倉7時41分発の「きらめき3号」。門司港~博多間の運転で、通勤利用を見込んで設定された列車である。車両は783系の「ハイパーサルーン」車両で、日中は佐世保・ハウステンボス行きの「みどり・ハウステンボス」に使われている。この形式に乗るのもずいぶん久しぶりである。

小倉~博多間は大分からの特急「ソニック」などが走るが、最速だと途中の停車駅が黒崎、折尾のみというのがある。ただ、「きらめき」は途中の通勤客も乗せるため、戸畑、八幡、赤間、東郷、福間にも停車する。日曜日なので通勤客はそれほど多くないが、途中の駅からも結構乗って来た。1両だけ設定の指定席も半分ほどの乗車率で、出張に出るのか、大きなキャリーバッグを手にしたスーツ姿のグループも見られた。

8時46分、博多に到着。まずはコインロッカーに荷物を預ける。

11月末、秋晴れの天候である。まず目指すのは龍宮寺だが、博多駅にほど近いところにある。最寄り駅なら地下鉄で1つ先の祇園だが、そこまでなら歩いても知れている。

そして龍宮寺に向かうべく大博通りを歩くが、地図を見ると龍宮寺の向かいには東長寺がある。九州八十八ヶ所百八霊場の第1番札所として、今年の5月に発心してお参りしたところである。前日、九州八十八ヶ所百八霊場も一区切りしたこともあり、挨拶を兼ねてお参りしよう。

弘法大師が唐から帰国し、最初に開いた密教寺院である。真言密教が東に長く伝わるようにという意味の東長寺、朝から地元の人たち、そして何かのツアーだろうか、本堂と五重塔をバックに記念撮影する団体もいる。まずは本堂にてお勤めとして、その後で福岡大仏も参詣する。1992年に完成した、日本最大の木造坐像の釈迦如来である。先ほどの団体も福岡大仏にお参りに来ており、その大きさに歓声をあげていた。

さて、龍宮寺である。大博通りを挟んで東長寺の真向かいにあるが、規模としては小ぶりである。別に寺の良さは境内の大きさで決まるものではないが、見ようによれば東長寺が流行っている一方、龍宮寺が貧乏な寺・・と思うかもしれない。

「三寶大荒神」の碑がある山門をくぐる。まず目にするのは三宝大荒神堂である。

龍宮寺が開かれた時期は定かではないが、龍宮寺という名前は鎌倉時代につけられたという。博多湾で人魚が捕らえられ、これは国家長久のよい知らせだとして勅使の冷泉中納言が訪れ、寺で人魚を供養した。そのことから寺の名前が「冷泉院龍宮寺」に改められたという。後に、豊臣秀吉が博多の町割りをした頃から「博多七観音」の一つとして信仰を集めたそうだ。

しかし江戸中期の火災で全焼。現在の建物は1984年に再建復興されたものだという。そうした歴史を見ると、別に龍宮寺は貧乏な寺でも何でもなく、博多の歴史を今に受け継ぐスポットであることがわかる。

・・・とはいうものの、境内に入ると墓地の面積が広く、奥に「聖観世音」と額のあるお堂があるとはいえ小ぶりなものである。

実質的な本堂はこちらの建物だろう。朱印はこちらでと案内も出ていたのでインターフォンを鳴らす。

玄関にて朱印を待っていたが、この龍宮寺は浄土宗とある。2024年は法然が浄土宗を開いて850年ということで、これはこれでさまざまな行事があるのだろう。

これで九州西国霊場は残り1ヶ所、王手、リーチがかかったが、満願となるのはもう少し後のことになる(さっさと、札所めぐりの多重債務を少しでも解消すればいいのにと思われるかもしれないが・・)。

大博通りを進む。大相撲九州場所の会場はこの先にある福岡国際センター。大相撲観戦は序ノ口最初の一番からと思っていたが、通常なら8時30分頃開始のところ、千秋楽は10時25分開始とある。朝の開始がゆっくりということで、小倉も比較的ゆっくり出発できたし、先ほど東長寺、龍宮寺にも参詣できた。

歩くうち、前方から寄せ太鼓の音が少しずつ大きく聞こえてきた。そして福岡国際センターに到着。力士、部屋あての幟も並ぶ。大相撲観戦じたいが2021年名古屋場所以来で、九州場所は初めてである。まずは館内に入ろう・・・。

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第13回九州西国霊場めぐり~香椎宮に参詣、そしてご利益は「日本一」!!

2022年11月16日 | 九州西国霊場

10月30日、鎮国寺、宗像大社でパワーをいただいた東郷から香椎まで戻り、今回最後の目的地である香椎宮に向かう。

当初のプランでは夕方まで福岡近辺を回る予定にしており、最初に元寇防塁を見学したこともあって元寇の激戦地の一つだった海の中道や志賀島、筥崎宮にも行こうかと思っていた。ただ、この日はもつれにもつれた日本シリーズの第7戦が行われる。この試合に勝てばバファローズの日本一が決まるということで、試合開始までには帰宅してテレビ桟敷で観戦とする。

香椎宮を取ったのは歴史ある神社ということもあるし、先ほどの宗像大社もそうなのだが、小倉~博多間の鹿児島線は何度も乗っているが、沿線のどこかに訪ねたことがほとんどなかったということもある。志賀島にはだいぶ昔に訪ねたが香椎宮には参詣したことがなかった。

香椎宮へのアクセスだが、鹿児島線の香椎からだと少し遠いが徒歩圏内だし、西鉄には前日レンタカーを返却した香椎宮前もある(さらに離れているが、西鉄でもアクセスできるというアピールだろう)。その中で最寄りの駅となると、香椎線で1駅乗った香椎神宮である。ちょうど香椎線の13時17分の宇美行き「DENCHA」が出発を待っている。

1駅3分、香椎神宮に到着する。JRになってから開かれた駅だそうで、ホーム1本だけの簡易な造りだが、それなりの数の利用はありそうだ。その一方で、天神に直通する路線バスも出ている。

駅から3分ほどで鳥居の前に出る。先ほどの宗像大社とはまた違った趣である。こちらも七五三のお参りの家族連れがちらほらといる。

香椎宮の祭神は仲哀天皇、神功皇后である。この二人は夫婦だが、仲哀天皇は熊襲討伐のため遠征した筑紫にて亡くなり、その霊を祀るために神功皇后みずから香椎に祠が建てたという。奈良時代に仲哀天皇、神功皇后の霊廟として整えられ、平安時代頃からは神社としての扱いになったという。また、二人の間の子が応神天皇で、八幡宮の祭神であることから、この三者全て合わせると、国家安寧、世界平和、家運隆昌、子授け、安産、厄除け、交通安全、武運長久・・・と、何でもありである。現在にいたるまで信仰を集めるのもうなずける。

拝殿にて手を合わせる。ちょうど本殿は改装工事中だった。

また、境内には武内神社がある。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇も含む何代もの天皇に仕えた武内宿禰が祭神である。記紀の記述によると武内宿禰は300歳近くまで生きたとあり、そのために不老の神として信仰されている。まあ、この300歳というのも神話の世界で、実際はどうかわからないが、ひょっとしたら複数の人物がしこ名のように「○代目武内宿禰」という形で代々仕えたとかいうことがあったのかもしれない。

境内に「ugiihsak」と書かれた看板が目につく。うぎいさく? うぎいしゃく? どう読むのかわからないが、境内でアートに関するイベントが行われている。改めて文字を見ると、「kashiigu(香椎宮)」を逆に並べたものと気づく。

メイン会場が勅使殿で、鑑賞無料ということでのぞいてみる。

和室、洋室、浴場を舞台として、空間を利用した作品が並ぶ。香椎宮近辺の風情をモチーフとしたものもある。ただ、これのよさをどう評価すればよいのか、おっさんの感性ではついていくのが難しい。入場時にアンケート用紙を渡されて感想を求められたが、地域の盛り上がりについては肯定したものの、作品に関する設問には答えることができなかった。

また、屋外展示では絵馬殿や武内神社下の森をセットにした作品もある。丸太に腰かけて鑑賞するのがお勧めだとか。ちょうど日が差し込んでおり、風も心地よい。

香椎宮を後にする。少し待てば香椎線の列車がやって来るようで、再び香椎神宮駅に戻り、1駅乗って香椎に戻る。

今回の九州西国霊場めぐりはこれでおしまいとして、そのまま博多に移動する。

博多から乗り込んだのは予定より3時間前倒しで博多駅から15時07分発「こだま856号」である。車内では遅い昼食とおやつを兼ねて、毎度購入の鳥栖の「焼麦」をあてに一献だ・・。

九州西国は残り2ヶ所で、第32番は祗園にある龍宮寺、そして第33番、大宰府跡に隣接する観世音寺で結願となる。次でいよいよ一つの札所めぐりが完結できそうだ。

無事、日本シリーズ第7戦の試合開始に間に合う時間に帰宅した。そして試合はまたも接戦となったが、5対4でバファローズが勝利、見事に日本一を勝ち取った。場所が福岡というのはさておき、さまざまな神様仏様がご利益を授けてくれたのかなとも思う・・・。

さて、ここからは記事アップ時の余談だが、ライオンズでFA宣言した森選手のバファローズ入団が決まった。宣言当初からバファローズ移籍が有力視されていたので、まあ、正式に決まったかという感じである。チームが強くなれば、こうして移籍先として選択する選手も出てくるものである。期待が大きい反面、これまでのチームのムードが崩れないか、また誰かが人的補償で出ることになるなとちょっと複雑な気持ちもあるが、そこは本人も含めて大人同士、プロなのだからうまくやってくれるだろう・・と思いたい。

あ、でも福岡県内の寺社としては、来季こそはホークスのV奪回にこそご利益を授けるべく頑張るのだろうな・・・。

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第13回九州西国霊場めぐり~宗像大社・辺津宮へ参拝

2022年11月15日 | 九州西国霊場

10月30日、鎮国寺の参詣を終えて宗像大社に向かうが、その前に手前にある「海の道むなかた館」に立ち寄る。道の駅とは趣が異なり、宗像の世界遺産に関する紹介がメインである。

世界遺産の登録証が誇らしげに掲げられている。

これから参拝する宗像大社は、正しくはその一つである辺津宮である。海を渡った大島にあるのが中津宮、そして九州本土からおよそ60キロの海上に浮かぶ沖ノ島にある沖津宮と合わせて宗像三社である。中でも沖ノ島は島そのものが御神体とされており、かつては年に一度の大祭の日に限って一般人(ただし男性のみ)が禊を行ったうえで上陸することができたが、世界遺産登録後は宗像大社が特別に許可した者以外は立ち入れないことになったという。世界遺産に登録されると多くの観光客が訪ねて地域が活性化して・・という狙いもあったかもしれないが、沖ノ島についてはそれを危惧して逆に上陸を厳しくし、島を保護する方針を取っている。軍艦島と同じようなものかな。

「海の駅むなかた館」では、その沖ノ島についても上空からの映像や、ところどころではCGによる再現も使いながら、かつて祭祀が行われ、今に残る遺跡について大画面で紹介してくれる。

また、沖ノ島はその位置条件や、古来から「神宿る島」として人工的なものが入ることがほとんどなかったことから、自然がそのまま残されている。そのために動植物も独自の種類のものが生息しており、そちらの面でも貴重な場所だという。そして、沖ノ島の遥拝所として大島の中津宮があり、そして九州本土で日常的にお参りできる辺津宮がある。

宗像大社は天照大神から産まれた三女神を祭神としており、辺津宮はイチキシマヒメが祭神とされている。日本最古の神社の一つとされており、神功皇后も三韓征伐の成功を祈ったし、弘法大師も遣唐使の航海の安全を願った。現在も海上・交通安全の神として多くの参拝者が訪れる。ちょうどこの日(10月30日)も七五三の時季ということで、着飾った子どもを連れた家族連れで賑わっていた。

まずは拝殿にて手を合わせる。古来、宗像氏が大宮司を務めていたが、現在の社殿は宗像氏の後に小早川隆景が再建したものという。

順路に沿って、第二宮、第三宮に向かう。それぞれ沖津宮、中津宮の分社とされており、ここに来れば宗像三神を拝んだことになるそうだ。

それにしてもこれらの建物、どこかで見た造りだなと調べてみると、かつて伊勢神宮にあったもので、1973年の式年遷宮の際に宗像大社に贈られたという。伊勢神宮の式年遷宮にあたっては、旧の社殿となった建物もあちこちの神社で再利用されるケースが多いと聞いていたが、実際に見ると風格を感じる。

参道はさらに続き、高宮祭場に着く。社殿が建てられる以前から祭祀が行われていた場所で、現在も遺構として保存されており、現在も大祭の時には儀式が行われるという。辺津宮でもっとも神聖な場所とされており、近年はパワースポットとして訪ねる人が多いという。

神社といってもさまざまなスタイルがあり、ところによっては巨大な鳥居や社殿で参拝者を圧倒させる感じの神社もあるが、宗像大社については草木や岩などに神が宿る自然崇拝の色合いが強いように思う。

最後に神宝館に向かう。沖ノ島の古代の祭祀遺跡からの出土品はこちらで保存展示されている。沖ノ島には行けないが、こちらに来るだけでもその歴史は十分学べそうだ。まずはエントランスで沖ノ島の信仰と自然についての映像を見る。

沖ノ島で出土したものは約8万点に上り、それらがすべて国宝に指定されているそうだ。国宝8万点とはすごいが、現在の全国の国宝の数を見るともっと少ない。時代により国宝の定義も異なるし、ひょっとしたら沖ノ島関連はひとまとめにして国宝になっているのかもしれないが、いずれにしても貴重なものには間違いない。そのくせ、意外にも館内展示物の撮影はOKだという。

沖ノ島で祭祀が行われるようになったのは古墳時代、4世紀後半とされている。前日訪ねた「伊都国」より時代は下るが、日本と朝鮮半島の交流が盛んになった時代背景もあり、その経路上にあった沖ノ島の巨岩の上で祭祀が行われた。時代が下るにつれて少しずつ緩やかな場所に移ったが、9世紀末頃までは祭祀が行われていたとされる。大和~奈良~平安と時代が移り変わる中、朝廷の力があった年代と重なることである。また、9世紀末といえば「白紙(894)に戻す遣唐使」にもあるように、遣唐使が廃止され、日本国内も内向きになった頃と重なる。

朝廷の影響は少なくなったが、それ以降も沖ノ島では神事が続けられており、宗像大社の信仰も受け継がれた。そして、世界遺産への登録である。

館内では企画展として唐津焼の展示が行われていた。

これで宗像大社・辺津宮の参詣を終えて、バスで東郷駅に戻ることにする。ただ、昼間はバスの本数も限られていて、宗像大社前12時17分発の便まで30分ほど待つことになった。しばらく、境内のベンチにて日向ぼっこだ。

帰りのバスに乗り、東郷駅に到着。この日も昼食抜きとなるが、快速にて香椎に戻る。広島に戻る前にもう1ヶ所、駅舎のイメージにもなった香椎宮に参詣することに・・・。

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第13回九州西国霊場めぐり~第31番「鎮国寺」(弘法大師ゆかり、九州八十八ヶ所結願寺)

2022年11月14日 | 九州西国霊場

10月30日、前日宿泊した和白から香椎で西鉄~JRと乗り継いで、東郷駅に到着する。これから路線バスで九州西国霊場の第31番・鎮国寺に向かうが、同じエリアには宗像大社もある。宗像大社は、世界文化遺産「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の一つであり、東郷駅のホームにも「世界文化遺産」の文字が見える。

東郷駅8時34分発の神湊波止場行きに乗る。観光客らしい姿も目立つ。宗像大社へ向かう人もいるだろうが、終点の神湊からは大島行きのフェリーに接続してるようだ。大島には沖ノ島を遥拝する宗像大社の中津宮があり、そちらを目指すのか、駅の観光ポスターでフェリーの時刻を確認する人もいた。

路線バスは住宅地から釣川沿いの田園地帯を走り、10分あまりで宗像大社前に到着。鎮国寺もここが最寄りのバス停なので下車する。まずは当初の目的地である鎮国寺に向かい、宗像大社はその後に参拝することにしよう。鎮国寺は釣川の対岸の高台の上にあるが、宗像大社に接しているだけに、かつては神仏習合の歴史があったのかな。実際に行ってみると果たしてそうだったと知る。

改修工事中の橋を渡った後、案内板に従って山門に出る。ここから100段あまりの石段を上がり、境内の一角に出る。ちょうど朝の時間帯、寺の皆さんが掃除の最中である。

なお、クルマで坂道を上がって来ると仁王像が出迎えてくれる。

境内で目についたのがこの像。武丸正助の像とある。宗像の農民で、親孝行で勤勉実直な人物だったという。地元に伝わる話として、こういうものがあるそうだ。ある日、正助が外に出ようとすると、雨が降ると思った父親から下駄を履いていくよう言われた。しかしその一方、晴れると思った母親からは草履を履いていくよう言われた。そこで親孝行の正助は、両親の言いつけを守るために、片足に下駄を、片足に草履を履いて出た。それが親孝行の話として広まり、後に時の福岡藩からは褒美として田んぼをいただき、税も免除されたという。現在も宗像における歴史上の人物として親しまれているそうだ。

・・・うーん、現在の価値観でいうなれば、これは果たして親孝行なのかな?と思う(私がひねくれているだけなのだが)。話としてはとんちが効いたものだとは思うが、実際に正助がその格好で私の前に現れたなら、「お前アホちゃうか?」と(口に出すかどうかは別として)思うことだろう。今だったら、両親それぞれのアドバイス(お節介?)はあるにしても、最後は自分で判断することが求められるのだろう。

話を寺に戻す。鎮国寺が開かれたのは弘法大師が唐から帰国した時とされる。唐に渡る途中に暴風雨に遭遇した際、弘法大師が海の守護神である宗像三神などに祈ったところ、不動明王が現れて剣で波を左右に振り払い、暴風雨を鎮めたため、無事に渡ることができたという。波切不動の話として知られるところである。そして帰国後に宗像大社に参詣し、近くの岩窟にて修行を行ったところ、「この地こそ鎮護国家の根本道場にふさわしいところ」というお告げを聞いた。そこでお堂を建てたのが鎮国寺の始まりという。また、宗像三神の本地仏として大日如来、釈迦如来、薬師如来を祀った。

境内の中央に本堂らしい大きなお堂があるが、こちらは不動明王を祀る護摩堂である。本堂はその奥の小ぶりな建物である。納経所は護摩堂にあるので後で訪ねるとして、まずは本堂に向かう。

本堂は江戸時代、福岡黒田藩による再建という。自由に上がってお参りできる。中には5体の仏像が祀られていることから五仏堂とも呼ばれている。中央に大日如来が鎮座し、その両脇に釈迦如来、薬師如来が祀られている。これら3体は弘法大師の作と伝えられている。そしてこちらから見て一番右にあるのが伝教大師作と伝わる如意輪観音で、九州西国霊場の本尊である。一番左にある定朝作の阿弥陀如来とも合わせた超強力な布陣である。

この如意輪観音が祀られていることから九州西国霊場の一つになったわけだが、弘法大師ではなく伝教大師作というのが、真言宗のこの寺にあって微妙な立ち位置だと思う。なお、鎮国寺は私が現在序盤を回っている九州八十八ヶ所百八霊場の第88番・結願の寺であり、奥の院は第108番の札所である。そのため、いつになるかは全く見通せていないが、いずれもう一度この寺にて手を合わせ、九州八十八ヶ所百八霊場の結願を喜ぶことになる。

本堂の脇に大師堂がある。こちらにも手を合わせる。

奥の院へ続く参道がある。せっかくなので行ってみよう。先ほどの開けた境内から一転した石段の山道で、両脇には四国八十八ヶ所の本尊が並ぶ。奥の院までどのくらいあるだろうか。

そのまま山頂までだったら大変だなと思うが、5分ほどでお堂が見えてきた。こちらが弘法大師が修行したという岩窟で、現在はその岩窟は内陣として、石造の不動明王像が祀られているとある。

扉が開いているが中は暗がりではっきり見えない。電灯が引かれていないという。外で手を合わせようとした時、中から「どうぞおあがりください」という声がしてびっくりする。一瞬、弘法大師が声をかけたのかと思ったがもちろんそんなことはなく、寺の方か、篤信の方か、一人の男性が不動明王を前にじっと座っている。瞑想中に私がお邪魔した形かな。席を勧められて私もしばらく座ってみたものの、あまり居心地がよいものではない。そこそこに引き上げる。そんなことでは修行にもならないな・・。

境内に戻り、最後に護摩堂に上がる。こちらは戦後の建物で、法要や祈祷はこちらで行われるため、外陣も畳敷きの広間となっている。改めてこちらでもお勤めとする。

護摩堂内の納経所で九州西国霊場の朱印を求めると、「場所わかりました?」と訊かれる。ここ護摩堂ではなく、隣の小ぢんまりした本堂の、そして右端に如意輪観音が祀られているので、それを知らずに朱印を求める人もいるのだろう。

待つ間に朱印のサンプルを見ると、「天空海関」と墨書された限定朱印があるのを見つける。ただその時は、「天空海(あくあ)が何でまた福岡の寺で朱印になっているのか?」と思った。「天空海(あくあ)」とは大相撲・立浪部屋所属の関取。ただ出身は茨城県のはず。この時は(アホな話だが)九州場所が近く、この近くに立浪部屋の宿舎でもあるのかなと思っていたが、立浪部屋つながりなら豊昇龍や明生のほうが人気あるよな。

後でこの文字について確認したが、書かれていたのは「天空海『闊』」という言葉だった。「あくあぜき」ではなく、「てんくう・かいかつ」と読む。大空と海が果てしなく広がる、またそのように度量が大きく、何のわだかまりもないことを例えた言葉だそうだ。・・私もアホな連想をしたものだ(寺の人に訊かなくてよかった)。なお、「天空海」のしこ名の由来は、地元茨城の水族館「アクアワールド」と、茨城の空、海の景色からだという。キラキラネームとも揶揄されるが雄大なしこ名で、ちょうど九州場所も始まっており、この「天空海関」にも頑張ってほしいものだ。

これで参詣を終える。境内では売店やワゴン販売の開店準備が進み、機械でシャボン玉も吹かれている。福岡県内の7つの寺で「しゃぼん玉お寺めぐり」というのが行われていて、これまで九州八十八ヶ所百八霊場めぐりで「かえる寺」の如意輪寺や「こがえる寺」の正法寺で出会ったが、鎮国寺もその一つだったとは。

これで鎮国寺を後にして、石段を下りる。次はかつて鎮国寺と神仏習合の関係だった宗像大社に参拝する・・・。

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第13回九州西国霊場めぐり~和白にて1泊、日本シリーズ第6戦

2022年11月12日 | 九州西国霊場

10月29日、1日レンタカーで糸島市、福岡市と回った後、西鉄貝塚線で和白までやって来た。JR海の中道線と接続している駅である。この両線、元々は同じ「博多湾鉄道」という会社の路線だったという。九州西国霊場めぐり、福岡市内での宿泊は天神でも博多でもなく、和白ということになった。

2つの鉄道が接続する駅で、西鉄、JRともここで列車行き違いが可能な駅のため全体ではそれなりの広さの駅だ。しかし、ターミナル駅という雰囲気ではなく、それぞれ小ぢんまりした駅舎があるだけ。また、駅前にはロータリーや大型店が広がるわけでもなく、住宅と個人商店、コンビニが混在し、マンションも建ち並ぶ普通の住宅街である。

住宅地を抜けると県道があり、福岡和白病院の大きな建物もある。その並びにあるホテルAZがこの日の宿泊地である。九州一円を中心にチェーンがあり、今後、九州八十八ヶ所百八霊場でも利用する場面が出るだろう。

宿泊地を和白にしたのは、翌日(10月30日)のコースもある。宗像市にある第31番・鎮国寺と、すぐ近くにある宗像大社に参拝するのだが、福岡市の中心よりは多少近づいておこうと思っていた。本来なら宗像市内で手頃なホテルがあればよかったのだが、駅から離れた国道3号線沿いとか、海辺のリゾートホテルとかだったので福岡市の東部にした次第である。それにしても、客室数509とはホテルAZの中でも結構大規模で、エレベーターから客室までの距離も長い。ホテルAZということで、長期現場出張の方や、学生のクラブ活動の宿泊者も結構多い。

そして恒例の一献だが、事前の調べでは和白駅近辺は店の数が少なく、グルメサイトを見ても、徒歩20分ほどのところにある鹿児島線の福工大前駅周辺ならまだあるかなという印象だった。だからというわけではないだろうが、ホテルにはバイキング形式のレストラン(朝食会場を兼ねている)と、ファミレスのジョイフル(ただし、当日は改装工事中のため休業)があり、そして同じ敷地内には「しゃぶしゃぶ温野菜」、「かまどか」、「資さんうどん」がある。

この中で一献なら、居酒屋の「かまどか」がよさそうで、締めは「資さんうどん」かな(さすがに、一人しゃぶしゃぶ食べ放題はしんどそう)。まあ、道を挟んでファミリーマートもあるので、足りないものがあればそこで買い物をすればよい・・・と書くと、何やかんやでこのホテル回りで賄うことができることに気づく。宿泊地に和白を選んだのはそれほどはずれというわけでもなさそうだ。穴場。

そんな中、店が少ない分、宿泊者を含めて客が集中するのではと思い、「かまどか」の席を予約しておいた。ただ、その一方で気になるのが日本シリーズ第6戦である。いったんは、居酒屋をキャンセルしてコンビニで飲食物を買い込んでテレビ中継を見ようかとも考えたが、せっかくなら居酒屋料理も楽しみたい。テレビは途中から見ることにして、予約時間より早め、開店直後の時間に店に行った。

「かまどか」は別に和白オリジナルの店ではなく、なぜかホテルAZに併設されていることが多いチェーン店だそうだが、鶏料理や釜めしなどがおすすめとある。さすがに釜めしは時間がかかるので、この日は居酒屋料理メインとする。

掘りごたつのテーブルに陣取り、あれこれと注文する。単品飲み放題が当日でも注文できたので、アルコールはそちらに任せる。

秋バージョンの「厳選おつまみ」として、鴨の西京焼き、茄子の焼き浸し、鰹のユッケ風という一皿が出る。しっかりしている。

鶏料理メインということなら、焼き鳥の盛り合わせは欠かせない。

他には、ブリの胡麻和え。とろレバのネギまみれ。それぞれこってりした風味をいただく。

揚げ物では、鶏半身揚げをいただく。素揚げにしたもので、注文した時は全部食べられるか心配したが、手頃な大きさにもカットされており、各種スパイスもあり無理なくいただくことができた。

そんな飲食の最中に日本シリーズの試合開始。スマホの一球速報で試合を追いかける。とりあえず、序盤は両チーム無得点で進んでいるようだ。

他にもさまざまな料理があり、腰を据えればより楽しむことができたと思うが、日本シリーズも気になるので「かまどか」を出た。なお、向かいの「資さんうどん」をのぞいてみると、時間帯のせいか待ち客も数組いる満員御礼状態だった。そんなに人気なのだなと苦笑して、二次会の飲食物はコンビニで調達として、後は部屋にて日本シリーズを観戦することに。

その第6戦、バファローズではシリーズ2回目の先発となる山﨑福が5回無失点の好投を見せる。そして直後の6回表に杉本のタイムリーで先制。その後、第5戦にベンチから外した宇田川、山﨑颯らの好投もありリードを保ち、9回表にマクガフの悪送球、西野の犠牲フライで2点を追加し、3対0でバファローズが勝利した。これで日本シリーズ3連勝で日本一に王手がかかり、拍手喝采!!。

・・・ということは、翌30日に日本一が見られるかもしれない。それなら第7戦は試合開始からしっかりテレビ桟敷で観戦しなければ・・・行程の一部はカットして早めに帰宅しようと思う。

さて翌30日も快晴で迎える朝。ちょうど窓から見えるのは立花山だろうか。徐々に明るくなり、ちょうど山頂付近から太陽が顔をのぞかせる。この日、何かよいことがあるような予感がする。

レストランにてバイキング形式の朝食とした後、西鉄の和白から香椎まで乗る。この後、JRで鎮国寺、宗像大社への最寄り駅である東郷まで移動するのだから海の中道線に乗ればよさそうなものだが、ダイヤの関係と、西鉄、JRそれぞれの香椎駅を利用しようということからである。

2つの香椎駅と聞いて連想するのが、松本清張の「点と線」。心中に見せかけた2つの殺人が行われたのがこの香椎の海辺で、国鉄、西鉄それぞれの香椎駅も登場する。もちろん、作品当時と現在では町の様子はすっかり変わり、当時の海岸も今は埋め立てられているそうだが、名作の舞台として今も知られている。

JRの香椎駅は、香椎宮の社殿をイメージした部分もある。香椎宮には帰りに訪ねるつもりで、コインロッカーに荷物を預ける。

鹿児島線の快速に乗車。まずは東郷を目指すことに・・・。

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第13回九州西国霊場めぐり~第30番「正覚寺」(油山に美空ひばりの観音像)

2022年11月11日 | 九州西国霊場

10月29日、雷山千如寺を後にして、次の正覚寺に向かう。県道49号線で「伊都国」を横断するルートである。伊都は現在の糸島半島の「糸」にもつながるし、「怡土」という文字が当てられることもある。

糸島市から日向峠を越えて福岡市に戻って来た。この後は福岡大学の横を過ぎる。地下鉄の七隈線も走っている。

周りに「油山」という文字が増えてきた。油山ゴルフクラブ、油山市民の森などの案内も見える。油山とは福岡市の城南区、早良区、西区にまたがる山で、標高597メートある。これから目指す正覚寺はその中腹にあり、地元では「油山観音」の名前で知られているようだ。道端の案内板にもそう標記されている。先ほどの千如寺に続き、今回は山から山へとめぐるルートだ。

上り坂が続き、油山観音の看板が出てきた。このままもう少し走ると直接境内へと続く進入路があったのだが、この時はそれに気づかず、山門跡とおぼしき石段を通り過ぎた空き地にクルマを停めた。他にも何台か駐車しており、ここも正覚寺の駐車場かと思ったのだが、果たしてどうだったか。

このおかげで、昔からの参道である石段から入ることになる。

入口には種田山頭火の歌碑がある。山頭火は昭和7年にこちらを参拝したとあり、「けふは霰(あられ)にたたかれて」と詠んでいる。参拝したのが冬の1月で、「曇って寒かった」とある。そのうえで山登りに苦労したようだが、その分山の水が美味しく、樋に口をつけて腹いっぱいに飲んだという。

そのまま石段を上り、山道を少し進むと境内に出た。石でできた山門がある。「新羅式石門」とあり、明治時代、古代朝鮮から渡来した石門造の技法で建立されたという。

その奥が本堂である。境内の片隅にひっそり建っているようで、最初はこれが本堂とは思わなかったが、他にそれらしき建物がないので、ここがそうかとお勤めとする。

その前が開けており、クルマもここまで上がって来ることができる。広場からは福岡の市街地、福岡空港、博多湾の景色が広がり、思わずうなるところである。

正覚寺は、千如寺と同じく、奈良時代に天竺から渡来した僧侶である清賀上人により開かれたとされる。清賀上人が、この山に咲く椿の実から油を搾る製法を伝えたことから、山の名前も油山になったそうだ。その後、巨大な伽藍を有していたが戦国時代の兵火で焼失し、江戸の元禄年間に再興した。

それにしても、先ほどから美空ひばりの歌声が流れ続けている。境内にはちょうど介護老人ホームに入居しているらしきお年寄りのグループが介護士とともに訪ねており、日向ぼっこしながら昔懐かしい曲に耳を傾けている様子である。

そこにあるのはその名も「ひばり観音」。扉からのぞき込むと、美空ひばりの写真と、それがモデルとなった観音像が祀られている。

この「ひばり観音」は福岡市在住の彫塑家の手によるもので、美空ひばりが亡くなった後、ラジオから流れてきた「悲しい酒」を聴き強く感動して、その気持ちを像に表そうとしたとある。元々は石膏でできた像だったが、後にこの像をもとに高岡の鋳物師が銅像に作り上げ、今の観音像となった。観音像といえば慈悲、優しさ、愛情に満ちた表情が連想されるが、「昭和の歌姫」もまさか自分が没後に観音像として祀られるとは思っていなかったことだろう。

「ひばり観音」のお堂には、100円を入れると美空ひばりの曲が流れる仕掛けがある。先ほどから歌声が流れていたのはここからだ。そうだな、もし100円入れるとするならば、「川の流れのように」かな・・。

庫裏にて朱印をいただく。もちろん、九州西国霊場の本尊である聖観音の朱印だが、「ひばり観音」の朱印というものがあっても面白いかなと思う。

これでこの日の札所めぐりは終わりとして、レンタカーを返却するために福岡市中心部を通過して香椎に向かう。都市高速を使えば時間短縮ができるが、返却時間には何とか間に合いそうなので下道で行く。県道の通称「油山観光道路」を北上すると地下鉄の六本松駅に出て、国道202号線に入る。ちなみに、「油山観光道路」をそのまま直進するとペイペイドームの前に出る。

福岡の中心部をクルマで走り抜けるのは初めてだ。今回、こうしたところに泊まることも考えたのだが・・。

千鳥橋から国道3号線に入り、ロードサイドの大型店が並ぶ中を抜け、西鉄貝塚線の香椎宮前駅に到着。こちらのニッポンレンタカーでクルマを返却し、そのまま西鉄に乗る。

この日宿泊するのは、同じ西鉄貝塚線の和白。JRの海の中道線の和白もあるが、乗り換えなしでたどり着けるのが良い・・・。

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第13回九州西国霊場めぐり~第29番「千如寺」(雷山の古刹に心洗われる)

2022年11月10日 | 九州西国霊場

10月29日、糸島半島から伊都国を経由して、ようやく九州西国霊場の目的地である千如寺に向かう。標高954メートルの雷山の中腹にあるとのことで、後半数キロは上り坂が続く。一応、筑前前原駅から糸島市のコミュニティバスが出ているが、土日祝日ダイヤだと1日3往復しかなく、着いたらすぐに折り返すか寺で3時間待ちのいずれかという運行である。これだとどうしてもクルマで行くことを選択してしまう。

駐車場に到着。駐車場はあくまで参拝者向けで、登山者は駐車しないよう看板が出ている。雷山は福岡近郊で登山者にも人気の山だそうで、登山口の駐車場は別途設けられているとのこと。その参拝者向け駐車場だが、クルマも頻繁に出入りする。

千如寺は聖武天皇の勅願により、天竺から来た僧の清賀上人により開かれたという。かつては霊鷲寺という名前で、雷山に多くの本山、僧坊を持ち繁栄していた。千如寺はそれらの総称だったという。また、雷山は水火雷電神を祀る曽増岐神社(上宮・中宮・下宮)があり、千如寺はその神宮寺でもあった。長く神仏習合の歴史を持っていたが、明治の神仏分離令により切り離され、中宮は雷神社という名前になり、中宮に祀られていた本尊の十一面千手千眼観音も現在の千如寺に移された。なお、千如寺は後ろに「大悲王院」とつけて呼ばれることも多い。

まずは境内横の入口から入り、仁王門に出る。今は外から入ることはできず、中からくぐって階段下から改めて見上げる。

改めて仁王門をくぐった正面に本堂がある。まずはここでお勤めとする。

境内がまだ奥に続いているので先に進む。突き当りにあるのが聖天堂で、歓喜天を祀っている。本堂や聖天堂は江戸時代からのものという。

ここから階段があり、上ったところが観音堂である。本尊の十一面千手千眼観音はこの観音堂に祀られており、九州西国霊場の表札、石碑も建っている。観音堂とあるが、実際はこちらが本堂である。もし、先ほど階段の下にあった「本堂」で満足してそこで引き返していたら残念なことになっていた。神仏分離で観音像を引き受けることになったから後からこのお堂を建てたのかな。

いったん、観音堂の外で改めてのお勤めとする。お堂の中からは僧侶による般若心経と太鼓の音が聞こえる。御祈祷でも行っているのかな。ただ、中の一般拝観も400円とあり、特別な申し込みがなくても入れそうだったので、横の入口から観音堂の中に入る。拝観料を納めると、そのまま外陣に進んでしばらく待つように言われる。

ある程度人数が集まっていたところでまとめて中の案内をしてくれるという。しばらく待ち、10人ほどが集まったところで僧侶がやって来て、千如寺の歴史や見どころについて解説をしてくれる。そこには先に触れた神仏習合・神仏分離の歴史もある。その他、災いから身を守る「サムハラ」の紹介もある。「禍を転じて福と化す」など、「十転化」の功徳があるという。

また、雷山、千如寺は九州でも指折りの紅葉の名所としても知られており、この日(10月29日)は特に混雑もなく駐車場もスムーズに入れたが、僧侶の話だと、紅葉の時季は渋滞して駐車場も1~2時間待ちになるそうだ。この記事が出ている頃、紅葉はどのような様子だろうか(さすがにまだ早いかな)。

内陣に入る。正面には本尊の十一面千手千眼観音が私たちを見下ろす。丈六(約4.8メートル)と立派なもので、鎌倉時代の作とされる。ここで皆さんの祈願をということで、案内の僧侶が般若心経、御本尊真言と一連のお勤めとする。先ほど観音堂の外で聞こえたのはこの読経で、実際に観音像と対面しての参詣にありがたさを感じる。

この後、本尊の十一面千手千眼観音、脇侍の持国天、多聞天の足元を通る。直接触ることはできないが、観音像の足元はこれまでの長い歴史で多くの人が触れて祈ったとみえてつるつるになっている。

内陣にはその他にも多くの仏像が祀られており、拝観順路は後ろの扉からいったん外に出る。奥には、国東の富貴寺を模した開山堂があり、清賀上人の像が祀られている。

その横の斜面には五百羅漢。かなり上のほうまで並んでおり、これも結構圧巻である。

観音堂を一回りして、出口の授与所にて九州西国霊場の朱印をいただく。

さらに奥には護摩供が行われる道場がある。少しばかり葉も色づいており、カメラを向ける人の姿も見える。青空によく映えている。

これで雷山千如寺を後にして、次は福岡市の正覚寺を目指す。しばらくは福岡市の外側を走ることに・・・。

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