まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第6番「南法華寺(壷阪寺)」~西国三十三ヶ所巡り・6(高取城跡)

2014年10月31日 | 西国三十三所
西国三十三ヶ所巡りの壷阪寺。そこに行く前に土佐街道沿いの高取の城下町を歩く。これからいよいよ高取城跡に向けて歩く。

南北朝時代の越智氏により建造され、その後筒井氏、本多氏などの支配を経て、江戸時代には家康の旗本だった植村氏が高取藩の大名に昇格する形で支配した。幕末には大名屋敷も山麓に下りてきたが、それまでは山の上にあったのである。本格的な山城になったのは戦国時代で、関ヶ原の戦いの前の戦いでは徳川方の本多氏は西軍の攻撃に耐え、幕末には天誅組の襲撃を退けた歴史がある。

標高583メートルも高いが、麓との比高350メートルというのもすごい。その高さを登るわけで、土佐街道からの登山道は5キロあるという。先日お参りした槇尾山施福寺の参道など子どもみたいなもので、伏見稲荷の一ノ峯よりも厳しい。

高取の町並みを抜け、植村家の長屋門を過ぎる。それでもまだ家や畑が続く。田舎の里山といった風情で、地元のお年寄りがのんびり歩く姿も見られる。

上小島の砂防公園に着く。ここで集落が途切れ、道幅が狭くなり、登りを感じさせる。山上にはトイレも何もないので、ここでしばし休憩する。

ここから山道だが、舗装道が続く。郵便のバイクも上から下りてくる。周りは木々が生い茂る。思わず、昔にテレビCMで流れていた「タカスギ~タカスギ~、カーッ、タカスギ~!」のメロディーが頭に浮かぶ。

そんな舗装もフッと途切れる。この先車両は入れないとの看板が立ち、木の階段が見える。先ほど壷阪山の駅に降り立ったハイカーの一段もここで休憩していたが、それを横目に先に歩く。

ここからはひたすら登る。やはりきつい。七曲りとか、一升坂とかいう名前はチラリと見るが、息が上がる。こんな坂、城攻めではなく日常で登らなければならないとは。ここまで来ると、「タカスギ~」の歌を頭に浮かべる余裕はない。

こうした山城も、ここ数年の豪雨のせいか、崩れているところもある。登山道も、その筋の方々には屁とも思わないだろうが、素人には「どこを踏んだらええんや?」と言いたくなる箇所が結構ある。だから山城で、天然の要塞なんだろうが。もう、登るのに精一杯で写真など撮る余裕もない。

途中には登城のスポットとして知られている猿石というのがあるのだが、登っている中でその石には気付かなかった。また脇道を行けば国見櫓と言って、大和盆地を一望にできるところもあるが、そこに行こうと足が向くだけの余裕がない。あかんな・・・こう余裕がないのでは。

ただそんな山道も、石垣に出会うとこの先頂上が近いなとホッとする。舗装道が途切れたところから40分くらいかかったか、いよいよ、城郭らしさを感じさせるところまで上がってきた。あともう少し。

そして城内に入った。山城というから最初は千早城のような「砦」をイメージしていたのだが、石垣の数々は立派なものである。山という天然の要害がありながら、その上にこれだけの石垣を築き上げたのは一体何の作用かと思う。家康の旗本家という由緒があるためなのか、諸大名の城の無断での増改築を禁じた江戸幕府にあって、高取城はいちいち許可を得ずとも工事ができたそうである。それが積み重なって、江戸期の平城も顔負けの強固な山城が出来上がったわけである。

城内を散策する。その地に行ったことがないので、司馬遼太郎の言う「アンコールワットのような」という比喩に実感は沸かないのだが、山城ならではの野性味というのは感じる。かつては竹田城もそうだったのだろうが、観光で食い荒らされたような感じが痛い。訪れるのがハードな分、混雑するということもなく、山城でかつての夢の跡をゆっくり偲ぶことができる。

本丸跡には三角点がある。本丸でもあり、山の頂上でもあるという証である。ここではハイカー姿の二人連れがどっかりと腰を据えて、ビールを飲みつつ自前のコンロで湯を沸かしてラーメンでもゆでようかという感じである。こういうのもかつての殿様風情で、より美味しく感じるだろう。

かく言う私は殿様風情とはいかないが、ちょうど12時のチャイムが麓に鳴り響く中、おにぎりでの昼食とする。周りには吉野・大峰の山々が広がる。紅葉にはまだまだ時期が早いが、登城というよりは一つの登山を果たしたなということで満足である。

さてここから下山する。本日の目的地である壷阪寺に向かうのだが、今度は道が悪い中での下り坂に苦労する。上りより下りのほうが膝などへの負担がきついと言われており、私も先日の施福寺で、下り参道の途中で膝の後ろにピリッと電気のようなものが走り、足を引きずるようになったことがある。今回はそのような感じもなく、少しずつ下りていく。壷阪口まで来ると車道に出る。この先、昔ながらの登城道を行くのなら山道を続けて歩くことができるが、大事を取って車道を歩く。クルマも2、3台くらいしか行き来しない、のんびりした道である。

下りの途中で登山道への案内があり、五百羅漢があるという。壷阪寺の奥の院に似たような役割があるようで有名である。山道に入るとまだ新しい感じの観音像が並んでいるが、これは最近建てた永代供養用のもの。本物の五百羅漢は、「これだけいれば絶対に自分に似た石像を見つけることができる」らしいが、年月のせいか顔も原型をとどめておらず、そんなものかと手を合わせる。

ここからはあえて再び険しい山道を下り、どうには壷阪寺を見下ろすところまで出る。山麓にそびえる、これも寺というよりは砦か城としてもいいのではというくらいの伽藍が見える。同じ西国三十三ヶ所の中にあっても、青岸渡寺以上の迫力があるのではないだろうか。私も、城下町の端から登りはじめ、山頂を経て壷阪寺に出るまで3時間かかった。

その札所の一つに当たる寺で何があったかはまた別の話として・・・・。




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河川敷での初ゴルフ

2014年10月27日 | ブログ
「球打ちをやらないか?」

先日、高校時代の同級生からの誘いである。今は仕事で東京におり、たまたま実家に用事があって帰省し、1日空くことになったとのこと。「球打ち」と言っても、バッティングセンターでなければビリヤードでもなく、ゴルフである。

彼とプレーするのは初めて。彼は平均くらいで回る腕前で私より上なのだが、別にコンペでもなく、練習ラウンドのつもりで行くことにした。

で、彼が予約したのは淀川の河川敷にある「高槻ゴルフ倶楽部」。パブリックコースであるし、京阪の枚方市駅から10分足らずの枚方大橋のバス停からすぐのところ。私はパブリックも河川敷のコースは初めてで、どんなものか楽しみである。

お互いバッグは事前に発送しており、枚方市駅で待ち合わせてバスに乗り込む。天候も良く、動けば暑くなるだろうな。

ここは受付が2つあり、ロッカーの無料貸し出しやバッグの受け渡しを行う事務所と、プレー代金支払いやカートの貸し出しを行うコースでの窓口がある。プレーする服装でバッグを自分で担いでくるような人は、直接コースの受付に行けばよい。既に多くの人がコースの順番待ちの間、練習を行っている。プレーせずとも、練習場として利用することもできそうだ。

私の手元には、先月の職場でのコンペで、ブービー賞でいただいたタイトリスト社の54°のウェッジが新たに加わっている。実際にボールに当てるのはこの日が初めてで、どう使うか試すいい機会である。

コースはもちろん自分でカートを引いて歩くのだが、ここには電動式のカートがあり、押しながら進む。いや押すと言うよりは引っ張られる感じかな。スピードの強弱もつけられ、これは結構便利だ。

さて河川敷と言えばフラットなコースのイメージがある。確かにその点では打ちやすいのだが、ホールによっては両側が狭かったり、グリーン前にバンカーが長く横たわっていたり。またラフも見た目より深い。結構クセはある。同行者も少し戸惑っているようだ。

ショートホールも、ショートなのに195ヤードのところがあれば、距離は短いが池越えのすぐのところにカップが切られていて、その奥は三段のグリーンになっているところもある(私はそのホールで、第1打を上段グリーンまで飛ばしてしまい、折り返しのパットでボールに勢いがつきすぎて池に落としてしまった)。簡単そうで、結構攻め方を問われる。

でもまあ、パブリックならではの気楽さもあるし、前後左右見てもビギナーや私のようなヘボゴルファーも十分楽しんでいる感じだ。この日プレーした彼とはお互い気を使わなくていいので、私もいい意味で力が抜けていたように思う。ドライバーは相変わらず課題だが、54°のウェッジも試すことができたし(結構な高級品で、これを使わせていただくのはありがたいこと)、ミドルでパーも取ることができた(うち1つは、グリーン外からのチップイン)。通常のコースではなくあくまで参考記録だが、自己新のスコア。もちろん、相手とは大きく差をつけられたが。

ここは一人でも二人でも行けるし、公共交通期間の便も良いので、1日気軽に楽しむにはいいかもしれない。全く知らない方と相席でプレーするにはまだまだ練習しなければならないが、実践としてはいいかも。

次に彼と手合わせする時は、少しでも縮めておかなければ・・・。
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第6番「南法華寺(壷阪寺)」~西国三十三ヶ所巡り・6(土佐街道)

2014年10月25日 | 西国三十三所
いよいよ秋も本格的になってきた。ただ紅葉は・・・となるとまだ1ヶ月は早いようで、近鉄のパンフレットなどを見ていても、奈良、京都の紅葉スポットと言われる寺社でも、見頃は11月下旬~12月中旬というのが多い。

この夏から始めている西国三十三ヶ所巡りであるが、その札所にも紅葉の名所は結構ある。タイミングが合えばそういうのも見てみたいなと思う。

さて、この日曜日に続いて、天気もよいことから第6番の南法華寺を訪ねることにする。ん?南法華寺?・・・で分かりにくければ、壷阪寺である。元々は壷阪山南法華寺であるが、通称としての壷阪寺のほうが呼び方としても一般的である。このブログでも壷阪寺の呼び方に統一する。こちらは近鉄吉野線の壺阪山駅(「壷」と「壺」で書き方がややこしいが)からバスで行けるということで、近鉄沿線住民としてはアクセスしやすいところである。

ただ、壷阪寺の情報をネット等で見る中で、寺のさらに奥にある「日本三大山城」の一つ、高取城の存在が気になる。山城と言えば最近では但馬の竹田城が有名になり、あまりに大勢の観光客が訪れるものだから有料化したり、入城そのものを規制したりという騒ぎになっている。高取城は竹田城と比べれば知名度は低いが、城としての規模や「秘境」加減で言えばそれを上回るとのことである。作家の司馬遼太郎も「街道をゆく」シリーズの「大和・壺坂みち」(これは原文がそういう表記なので、このブログでもそのように書く)の一節で「最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコール・ワットに入った人の気持がすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた」と書いている。

壷阪寺は子どもの時に家族で出かけたことはあるようだが、高取城には訪れたことがない。私の西国三十三ヶ所も、1日で一つでも多くの札所を巡るというよりは、どうせ行くなら周辺の観光とか、美味いものなども絡めてみたいという思いがある。ということで、今回の壷阪寺も、高取城の登城とリンクさせてお参りすることにする。ルートとしては、そこは高取町の推奨コースである、まずは土佐街道からの表ルートで高取城の本丸跡まで上がり、下りに壷阪寺に行くことにする。通しで歩けば10キロほどの距離だが、そこに高低差が加わるからかなりの難所である。壷阪寺にバスで行くだけならどうということはないが、高取城も加えるとなると、先日の施福寺の石段など比べ物にならないくらいのハードなコースとなる。まあ、他の札所に行かないのであれば時間は十分にあるが。

ということで、藤井寺から吉野方面の列車に乗る。ちょうど反対側には大阪阿部野橋行きの列車が停まっており、飛鳥・吉野のペイントが施された車両だった。そこに壷阪寺の写真もある。

古市で吉野行きの急行に乗り換える。みかん狩りのために上ノ太子にも臨時停車して多くの客が下車するが、それでも車内には、ハイキング姿の中高年客が目立つ。何かの会で来ているようで、仲間内の会話がやかましいくらい賑やかだ。天気もよいし、日中の気温も暑くなく寒くなく、出かけるにはちょうどよい頃合いである。

それらのグループも含めて大勢の客が飛鳥で下車。1日を歴史散策で楽しむことだろう。西国三十三ヶ所の第7番・岡寺も飛鳥の散策エリアの中にあり、私も訪れる時は飛鳥観光とリンクさせることになる。それでもまだハイキング姿の客は残っており、その人たちと一緒に壺阪山で下車する。

さてここから高取城に向かうわけだが、その前に高取藩の城下町に当たる土佐街道を歩くことになる。土佐街道というとこの道はこの先高知まで続くのかと思うが、そうではなく、ここの地名が土佐というそうだ。何でも、かつての平城京の建設に土佐の国から狩り出された人たちが、建設後も国に帰ることができず(当時の考えでは、労役に狩り出されるのは都への片道切符を意味したそうだ)、そのままこの地に住むようになったとか。高取近辺には同じような他の旧国名と同じ地名も残っており、同様のことがあったのではと言われている。今でも当時の城下町から続く伝統的な街並みが残っている。

駅の建物から出てすぐのところで、「町家のかかし巡り」のPRのかかしが椅子に座っているのに出会う。町のPRとして、土佐街道沿いの商店などにかかしを展示するというもので、今年で第6回という。

10月1ヶ月間のイベントであるが、こういうことがあるとは初めて知ったことで、それならなおのこと町歩きも楽しいものになるだろう。スタンプラリーも行われており、ゴールにある観光案内所「夢創館」で投函すれば、抽選で地元の特産品が当たるとのこと。

土佐街道を歩く。かつての城下町ということもそうだが、今でも地元の人相手に商売している商店が並ぶ。実に落ち着いた感じである。

古い建物に多くの人が入っており、何かのスポットかなと思えば病院だったというのもあった。そして壷阪や吉野ということでイメージされる薬局もある。

その店の前などにいろいろなかかしが並んでおり、それを見るのも楽しい。かかしも日常の生活を描いたほのぼのとしたものがあるかと思えば、桃太郎とか、ドラえもん、ちびまる子ちゃんにサザエさんといったキャラクターものもある。高取城へのハイキング目的で来たとおぼしき人たちも、「全部撮ってたらきりないなあ」などと言いながら、しばし足を停めてかかしに見入る様子である。

街の駅では日本100名城の写真パネルが展示されている。ここで、高取城のかつての姿を再現したCGのパネルを見る。町が奈良産業大学に依頼したプロジェクトで、江戸時代に近代城郭として建てられ、明治初期に取り壊されるまで存在した天守閣をはじめとしたさまざまな櫓などのイメージ画像が作成されている。これだけを見ると本格的な城郭である。かつて「巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城」と言われたそうである。城壁の白さが雪のように見えたというほど、鮮やかなものだったのだろう。

かかし巡りの最後になる夢創館を通り過ぎれば、ここから本格的な上りになる。およそ4キロの道のり。果たして・・・・?





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ドラフト会議

2014年10月24日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
そういえば25日から日本シリーズが始まるのだが、阪神が進出している割には関西でも思ったほどに盛り上がっていないように思う。まあ実際始まれば大勢のファンで賑わうことだろうが。

そう思う要因の一つに、日本シリーズ前のドラフト会議というのがある。どうしても、あの注目選手はここに決まったというほうに関心が高くなる。何でまた、こういう日程になっているのだろうか。

普段アマチュア野球は観ていないので、注目選手と言っても報道される選手くらいしかわからないのだが、今年もパ・リーグに多く決まったのはファンとしてうれしいところである。

そんな中、バファローズは明治大学の山崎投手を単独1位指名。くじ運が悪いだけに、さまざまに戦略を駆使して読み勝ちでの単独指名が続いたのはよい。即戦力左腕というのも戦力として楽しみ。他の指名選手と合わせて、好事家の間では評価の高いドラフトのようだった。

ただ、ドラフトの評価は高くても、実際に活躍できるかどうかは別の話である。球団サイトで過去のドラフト指名選手の一覧を追ってみたが、ある年のごときはわずか数年で全選手が現役を退いたというのもある。改めて、人を採用する、そして育成するということの難しさを感じる。

一方で、個人的には私の勤務先企業の野球部選手が今年は指名されるのか、独立リーグ、特にBCリーグからの指名はあるのかが注目である。今年は、勤務先企業から久しぶりに指名選手が出た。スポーツサイトの「候補選手」には名前が出ていたが、扱いは「その他大勢」。それでも、入団後は化けるかもしれないという期待値込みかな。11月の大正ドームでの社会人野球日本選手権に出場するので、改めてどんな選手か観てみたい(社の応援ということで、自動的に観に行くことになる)。

またBCリーグでは、富山サンダーバーズの中村投手が、ソフトバンクの育成8位(育成で8位まで獲るのもすごい。さすが3軍まである球団だ)で唯一の指名。やはり個人レベルとなると、まだまだ四国アイランドリーグが一歩リードしているのかな。

各球団、ここからはFA、トレード、外国人での補強に入る。しばらくはそうした「人事」を楽しむことにする・・・。
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ペーニャ?

2014年10月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
こういうことでこじれるのなら、もう退団してください。

球団側も、もう潮時と判断しているのでしょう。
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第4番「施福寺」~西国三十三ヶ所巡り・5(下)

2014年10月21日 | 西国三十三所
さてここから施福寺の山道にさしかかる。行く前にどのようなものかあれこれ考えていたのだが、一つ比較対象となるのが、京都の伏見稲荷の稲荷山である。年に3回、会社の商売繁盛の祈願で稲荷山の一番上にある一ノ峰まで上るのだが、あれが鳥居のトンネルを抜けて長い石段を上って40分~45分くらいかかる。それを思えば行けないことはない距離である。

そう思ってまずはコンクリートの坂道(時折階段状になっている)を上るが、これが結構急である。前傾姿勢を取らないとしんどい。これを5分ほど上ると迎え観音像があり、仁王門に出る。「ここから30分」という看板がある。先ほど西国三十三ヶ所のガイドブックを持っていた男性が口にした「徒歩30分」、そしてオレンジバスの運転手が言っていた「上りは30分で行けますな」というのは、どこからを指して言うのだろうか。

ともかく、仁王門をくぐると道は未舗装の石段となる。石段といっても石の形もばらばらで歩きにくい。その点、伏見稲荷の稲荷山の石段は結構きれいに整備されていた。まあ、昔の姿をそのまま止めているということで、それもよいだろう。ただ途中では崖にロープや鎖を張ったところもあり、それを手すり代わりに上るということになる。やはり傾斜がきつく、息が上がりそうになる。

私の上った9時過ぎは上りの人はほとんどいなかったが、下ってくる人はそこそこいる。オレンジバスは私が乗ってきたのが始発だから、クルマで下の駐車場にやってきたか、あるいは槇尾山口のバス停からハイキングを兼ねて歩いてきたか。こういうところですれ違うと自然に「お早うございます」「こんにちは」という声がお互いに出てくる。平地の寺の参道ではこういう挨拶は普通交わさないもので、やはりここは山なのだなと思う。途中、整備された石段も見る。少しずつではあるがこうした改良も行われている。そして「二丁」という石標を見つける。参道は全部で「八丁」あるという。これが上るにつれてカウントダウンされる。一丁がおよそ109mというから、八丁は872m。

ここまで上がるとあともう少しという気持ちになってくるし、木々の間から和泉平野を望むこともできる。

残りが一丁を切ったところの右手にお堂がある。この愛染堂は弘法大師が剃髪したところとの伝説があり、弘法大師像も建てられている。その脇には弘法大師の髪を納めたとされる御髪堂もある。実際にここで剃髪したかどうかはともかく、遣唐使からの帰国後、京に入るまでの2年はここに滞在して、真言宗の教義をあれこれとまとめていたとされている。

ここから最後の石段を上り、本堂のある境内に到着する。ここまで早足だったこともあってか、バス停から20分で到着した。手水の水が冷たい。境内はさほど混んでおらず、同じようにお参りの人もいれば、ハイキング、ウォーキングという感じの人もいる。静かな、小ぢんまりとした佇まいがよい。

早速お勤めである。納め札、蝋燭、線香とやって、一通りの読経である。同じタイミングで来ていた女性のグループ客も「次から次にやらなあかんこと多くて忙しいわ」と言いながら、般若心経を合唱する。そして朱印をいただく。私も今回から朱印帳と合わせて納経軸を出すから忙しい。

その納経軸に朱印をいただく時に、「軸の一番上段に書かれた寺は、その上部に菊の御紋を押すことができるのですが、どうしますか」と尋ねられる。うーん、それは初めて聞く、想定外の質問だ。菊の御紋といえば皇室のもので、西国三十三ヶ所を開いた花山法皇に因んだものだろう。私の持っているのは上段に1番・青願渡寺、2番・紀三井寺、3番・粉河寺、そして4番・施福寺が並んでいる。この4つの朱印の上に菊の御紋の印が押せるとのこと。納経軸の朱印500円のみでいける(ただし、粉河寺だけは100円増しとか)とのことで、ならばといただくことにする。帰宅後にネットであれこれ見たが、納経軸の三十三ヶ所および番外の3つの寺院の配置はいろいろとパターンがあるようで、先ほどの菊の御紋を押す札所および寺院の組み合わせにも諸説あるようだ。

先に納経軸に朱印と菊の御紋をいただき、朱印帳に朱印をいただく間に乾かすことにする。納経所の横には軸の朱印と筆文字を乾かすためのドライヤーがある。ドライヤーは初めてだ。熱風を出して当てていると、先ほど般若心経を唱えていた女性グループの一人から、「それ、熱風ですか?」と訊かれる。「あまり熱すぎると、後で茶色に変色するから、温度は低いか、あるいは冷風でもいいくらいですよ」と教えていただく。グループの一人は、オフィスの省エネや熱中症対策で使うような電池式の小型扇風機で笈摺に書かれた筆文字を乾かしていた。「秋から冬だったら空気が乾いているから早く乾くけど、夏場だとイヤですね」などと言っている。うう、小型扇風機ねえ・・・。確かに納経所が混雑している時など、ドライヤーの順番を待つ手間は省けていいかもしれない(それだけまた荷物が増えるが・・・)。まあ、それぞれ思い思いのスタイルで西国三十三ヶ所を巡っている様子が伺えたのも面白い。

さて帰りである。階段の下り口には、左に高野山、そして右に堺・葛井寺と書かれた江戸時代の石標がある。次に葛井寺である。クルマなら、国道170号線で河内長野、富田林を経由して行くのが最短ルートで、おそらく昔の徒歩巡礼道もそれに近いルートだったと思われる。下りは勢いに任せて一気に下る。ちょうど参詣客が増えてくる時間帯で、下から上る人たちの表情も苦しそうだ。その人たちに向けてかける「おはようございます」の声も、「オレは先に行って来たんやで」という優越感のようなものがこもっていやしないかと自分で思う。巡礼ツアーの添乗員らしき人も苦しそうな表情で上ってくる。おそらく、参加者の朱印帳やら納経軸やらもリュックに入れているから、余計に荷物が重くなっているはずだ。その後から、輪袈裟を掛けた先達とおぼしき人や、ツアー参加の人もぞろぞろと上ってくる。

帰りはもっと早く、15分くらいで下りることができた。ただ、最後の舗装された急な下り坂のところで、左膝の裏の辺りがピリッとする。たまに長く歩いたりするとこの部分が痛く、つった感じになるクセがある。怪我につながるわけではないのだが、しばらくは歩くのに足を引きずる形になる。しっかり、施福寺の洗礼(キリスト教ではないから洗礼はおかしいか)を受けてバス停まで戻る。オレンジバスの運転手の言った通り、1時間あまり後の10時発の便に間に合った。

天気が良いから槇尾中学校前のバス停まで歩こうかとも考えていたのだが、左膝がこの状態になったということで、無理をせずバスに乗り込む。行きに乗ってきた他の3人のうち2人は戻ってきていた。もう一人は登山の装備をしていたから、そのままハイキングを楽しんでいるのだろう。槇尾中学校前に戻り、5分の接続で泉大津駅行きの南海バスに乗り継ぐ。

40分ほどでJR和泉府中駅に到着して、ここで下車する。改札口の係員に申し出て、JRの駅スタンプをいただく。これで5ヶ所目となり、キャンペーンの最初のプレゼント応募の権利を得たことになる。まず一つの段階に到達した感じである。オレンジバスで一緒だった一人はこの後紀三井寺と粉河寺に、もう一人は葛井寺に向かうとのこと。私は足が痛いこともあり、時間は早いが、同じ藤井寺でも自宅に帰る。この時間だと、帰宅すればクライマックスシリーズファイナルの第5戦をテレビで見ることができる(やはり最後は野球かいな)。その試合が延長の末、日本ハムが3勝3敗のタイに持ち込んだ激闘だったのはご案内の通りである。

これで5番から始めた札所巡りも5番まで貫通し、次は6番の壺坂寺である。再び近鉄シリーズになるが、そこに行くならあの山城とセットで訪れてみたい。また山道を歩くことになるが・・・・
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第4番「施福寺」~西国三十三ヶ所巡り・5(上)

2014年10月19日 | 西国三十三所
今年のプロ野球クライマックスシリーズは正に異例づくめである。セ・リーグでは阪神が4連勝で巨人を圧倒して日本シリーズへの進出を決めた。一方のパ・リーグも、ソフトバンク王手で序盤にリードしたにも関わらず、延長で日本ハムに敗れて3勝3敗のタイ。ここでもセとパの対照が際立つ。下克上同士の日本シリーズとなると初めてのことで、批判的な声も大きいとは思うが、何年かに一度はこういうことがあってもいいのではないかと思う。

・・・そうなってくると、本当に「たられば」が多くなる。返す返すも、バファローズの「2厘の差」が後々ここまで大きなことになるとは改めて悔いが残る。それが、打った中田を褒めるべきとはわかっているが、ファーストステージの敗退にもなるし、その前に9月に1試合でも勝っていればと、また何だかやるせなさが残る。一方のセ・リーグにしても、カープが最終戦に勝つか引き分ければ広島開催だったのにとか、仮に甲子園での試合でも1点くらい取れればとか、いやいや9月の直接対決で巨人に勝っていれば逆転優勝もあり得たのにとか・・・。

まあ、思うところはたくさんあるが、それらのことも含めて、2014年のプロ野球は私にとっては印象に残るシーズンとしてこの先も記憶することだろう・・・。

この週末は大正ドームでクライマックスシリーズのファイナルステージを観戦する予定だったが、そこは見事に空いたことになり、9月の青岸渡寺以来の西国三十三ヶ所巡りを行うことにする。19日に訪れたのは和泉市にある槇尾山施福寺。

実は今回から、札所巡りに新たな「ミッション」が加わった。これまでは朱印帳にお参り後の朱印を受けていたのだが、ここに納経軸が加わる。

9月の青岸渡寺のバスツアー後のある日、三十三ヶ所巡りを始めているということで親と話をしていると、「朱印は集めているのか?」と訊かれた。朱印帳には書いてもらっていると答えると、「実はな・・・」と出てきたのがケースに収められた納経軸。見ると5番・葛井寺、6番・壺坂寺、そして7番・岡寺の3ヶ所に朱印が押されている。

訊くと、10年近く前に両親二人でやはり葛井寺を皮切りに三十三ヶ所巡りをやっていたそうである(その時は私は実家にいなかったので、初めて聞いた)。元々寺社巡りは好きなほうで、観光で行ったりバスツアーで花を愛でたりとで、あちらこちらに行くのは行っていたのだが、お経をあげるとか朱印をいただくということはやってなかった。そこでと始めたのだが、結局面倒になったのか続かなくなり、納経軸はタンスの奥深くに仕舞われた。それを、私の話を聞いて「これを渡すから、残りを完成させてくれ」ということになった。

ただこの納経軸、結構幅があるのである。行くのはいいが、リュックは一回り大きなものでなければ入りきらない。壺坂寺と岡寺には持って行く必要はないが、逆に青岸渡寺と紀三井寺と粉河寺にはもう一度行かなければならない。また熊野の奥まで行くのか・・・今度は鉄道で、泊りがけで、温泉つきで行ってやるぞ。

・・・で、施福寺である。

大阪と奈良の県境にある屯鶴峯から金剛山、葛城山などを経て槇尾山まで「ダイヤモンドトレール」という自然歩道が続いている。縦走コースとして関西のハイカーにも人気のスポットである。その山腹にある施福寺は、山道を上る西国三十三ヶ所で一、二を争う難所である。先月の青岸渡寺のバスツアーに参加した時にも添乗員や先達が「施福時、覚悟しておいてください」と脅しをかけていたところ。

欽明天皇の時代というから、ちょうど仏教が入りたての頃、行満上人という人の創建とされている。ただ何でまたこんな山の中に寺があるのかということである。いろんなサイトを見る中では、元々は葛城や金剛の修験道の修行の場として開かれていたのが、観音伝説やら何やらいろいろ入るうち、後付で創建は仏教伝来の頃にさかのぼるとして箔をつけたというところだろう。まあ、寺自体長い歴史の中で何度も火災に遭っており、記録も残されていない。

本堂へは山道を歩いて上るしか交通手段はない。そこに行くまでには、泉大津駅~和泉府中駅~和泉中央駅を経由する槇尾山口行のバスに乗る。しかしその槇尾山口のバス停というのは、山の麓の集落にある。そこから寺の上り口まではさらに5キロ先である。

その間を、南海オレンジバスというのが結んでいる。正確に言うと、槇尾山口ではなくその手前の槇尾中学校前というバス停から出ている。ネットで時刻表を調べると、平日・土曜日と比べて日曜日のほうが本数が多い。札所巡りの客を当て込んでのことだろう。ただ西国三十三ヶ所のアクセス案内を記したホームページやガイドブックなどを見比べても、このオレンジバスの存在がなく、あたかも槇尾山口で下車すればよいかのような記載も結構目立つ。昔の巡礼は皆歩いてたんや!と言われたらそれまでだが・・・。

ということで、JRのスタンプラリーとも兼ねて札所巡りをする者としては阪和線の和泉府中駅からバスに乗るのがベストなのだが、あえて行きと帰りで変化をつける意味で、往路はバスの起点である南海の泉大津駅に現れる。ここに来て朝晩冷え込むようになり、気温は10度を下回る。ただ日中は25度近くまで上がるという。こういう時は着る物に結構気を遣う。

槇尾山口までの所要時間はおよそ50分。途中、和泉府中や和泉中央からの乗客がある。ハイカー姿の人もいるし、西国三十三ヶ所のガイドブックを持った人もいる。そういう出で立ちの人は10人くらい。

「槇尾山へは、このバスの終点から歩いて30分ですね?」と運転手に尋ねる年配の男性客がいる。「いや、終点で降りてもだめですよ」と運転手が答えると、「いやでも、ガイドブックには終点から歩いて30分と書いてありますよ」と。結局運転手が指令に無線で連絡をして、オレンジバス乗り換えであることを聞き出す。これはガイドブックの記載が不親切だったのかもしれない。でも、絶対一人や二人はそういうことを訊く客はいるのだから、運転手も詳しい時間はわからないにしても、オレンジバスがあることくらい即答してやってもいいのにと思う。同じ「南海」とついていても、別会社だから関係ないということか。

槇尾中学校前のバス停に到着。ここで下車したのは、先ほど運転手に尋ねていた男性も含めて4人。さてそのオレンジバスは・・・と、対向車線側にちょっとしたスペースがあり、そこに表示があった。和泉市のこの辺りの循環バスの系統もあるようだ。次のオレンジバスは8時40分発。終点までは12分ほどで行く。

そしてやってきたのはバス・・・・ではなくワゴン車。12人くらい乗る感じか。運転席の後に料金箱があり、槇尾山まで300円とある。別に降りる時でいいのだろうが、一人の女性が先に300円入れるのを見て、私を含め他の人も同じように先に300円入れる。先の男性が「バス停からやはり30分くらいかかりますか。帰りのバスの時間は何時ですか?」と運転手に訊く。運転手は「10時、11時、12時とありますな、でも、上り30分、下りは20分あれば行けますから、10時のバスでも間に合いますよ」とあっさりと言う。はあ、三十三ヶ所一の難所というのに?

まずは山道を走る。なるほど、ここを歩くとクルマで移動するとではだいぶ違うところである。そして終点に到着。車止めがあり、その先へは車両は入ることができない。その横には「観光センター」という名の古びた食堂兼土産物店があり、開店の準備中である。以前は山を上がった境内にも茶店があったそうだが、それは取り壊されたとのことで、飲食物はここで買うようにとの貼り紙もある。

時刻は9時3分前。ここから、山上りを始める・・・・。










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BCリーグでの経験が生きるか

2014年10月16日 | プロ野球(独立リーグほか)
NPBプロ野球もクライマックスシリーズのファイナルステージ。ほんの数日前までは、ちょうど今頃オリックス・バファローズと広島東洋カープが戦っているはずの舞台だった。それがどうも拍子抜けである。

前の記事で人事についてヤケのようなことを書いたが、まだ戦いの最中というのに主力選手のFAだのメジャー流出だの、退団だのというキナ臭い報道がいろいろと出たことへのいら立ちもあった。所詮、そういう思いでやっていたのかとか。一方で、そうした「出る選手」に備えて、他球団のFA選手や外国人選手の調査も行っている。まあ今の時期はいろいろな駆け引きもあるのだろう。キラはペーニャの穴を埋めることができるのか。

選手の動向についてはまだまだ流動的だが、監督、コーチについては各チームともさまざまな人事が行われている。バファローズで言えば、今季打撃コーチを務めた長内コーチと、古久保バッテリーコーチの退団が発表された。長内コーチについては、「やはり広島の『カープ鳥』の経営のほうが忙しいのかな」と勘ぐってしまう。ただそれでネット検索すると、何と今年の夏、店で食中毒を出したとかで「営業禁止」の処分を喰らったとか。うーん、そうなるとやはり店の再建が先で、バファローズのコーチなど続けている場合ではないのかもしれない・・・(あくまで、素人が当てずっぽで書いていることなので)。ともかくも、お疲れ様である。

一方で、2軍の外野守備走塁コーチには、BCリーグの信濃グランセローズの辻竜太郎が就任することになった。元々はブルーウェーブから分配ドラフトでイーグルスに行った選手だが、私としては、BCリーグの信濃グランセローズの主力としてのイメージが強い。現に、NPBでのキャリアが6年だったのに対して、兼任コーチでもあったBCリーグでは7年間の選手生活だった。首位打者を獲得したこともあったし、通算打率も3割を悠に超えている。ただそれが、バファローズのコーチ就任の声がかかったこともあり、今季限りでの現役引退となった。独立リーグで長くやってきた経験が、若手の指導に生きればいいなと思う。

今季限りでの引退といえば、同じ信濃グランセローズの大塚晶文監督(投手兼任)もそうだった。彼も来季は中日の2軍投手コーチ就任となった。報道では中日入りを「古巣復帰」と言われていたが、やはり大塚と言えば近鉄の投手というのが私のイメージである。いつの日か、親会社は変わってしまったが、もう一度「バファローズ」のユニフォームを着てほしい。

BCリーグの監督といえば、石川ミリオンスターズを長く率いて、BCリーグ勢として初めて「独立リーグ日本一」にも導いた森慎二監督も古巣西武の2軍コーチに就任した。BCリーグの監督やコーチには当初は指導者経験が豊かな人物が結構いたのだが、四国アイランドリーグも含めて、独立リーグは「指導者としての最初のキャリア」になることも増えている。そして、そこで経験を積むことで、今度はNPBに指導者として呼ばれるケースもある。NPB入りを目指してプレーする選手が多い中、指導者側もNPB復帰を目指しての修行の場である。BCリーグや四国アイランドリーグで、選手育成と勝利と地域活性化という3つのテーマをこなしてきた経験は、まずはNPB2軍の指導者としてふさわしいだろう。後は、独立リーグの選手、コーチ、監督を経たうえでのNPB1軍の監督第1号は誰になるかというところである。

一方で、BCリーグは信濃、石川のほかに福井、新潟でも監督が交代する。また、来季参入の武蔵、福島の新球団の監督・コーチをどうするかというのも目が離せない。将来のNPB監督を目指しての、まずは指導者としての第1歩のステージに立てるのは誰だろうか。

また来年、注目したいものである・・・・。
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終わった・・・・・。

2014年10月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
平野佳、金子、FAでどこへなりとも消えていただいて結構。

西宮でも東京でも福岡でも、好きなところに行ってくださいや。

糸井もメジャーに行くのなら行けばよかろう。

ペーニャも退団、ヘルマンも来季の契約は厳しいだろう。

Bクラスに戻ったと思って、またゼロからやり直しや・・・・。
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「行こう、この先へ。」崖っぷちからの勝利~クライマックスシリーズ第2戦観戦記

2014年10月13日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
クライマックスシリーズ・ファーストステージの第2戦である。前日の第1戦を落としたバファローズは苦しい展開で、負ければその時点で終わり。「リベンジ10・2」ということで福岡でホークスを倒すどころか、ファイターズに足元をすくわれる形になってしまう。

そんな中での第2戦。この試合は必ず行こうと、順位が決まる前に予約していた。そして今回、やはり重要な試合となるとこの人と一緒にということで、野球と旅行と酒の大先輩である鈍な支障さんをお誘いする。クライマックスシリーズでは普段の公式戦とは違った座席区分となっており、いつも観戦ポイントとしている内野上段席も、通常なら自由席のところ、シリーズについては中央よりは座席指定となっている。おまけに、前売りでも座席の指定はできず、またチケットの受け取りも「ローソン クライマックスシリーズ」とうたっているのに、セブンイレブンでしか受け取れないという有様。それはさておき、事前発券で入手したのは、普段観戦しているよりもバックネット寄り。このエリアだと他球場なら結構なお値段がするが、そこは大正ドーム価格で、ファンクラブ前売料金で1600円。

座席指定ならゆっくりと行けばいいのだろうが、そこはやはり早くから出かけてしまう。いつもの、内野自由席の入場口から入ることになるが、公式戦よりも客の出足は早い。ゲート前のエリアは人で埋まる。後で合流した鈍な支障さんも、私を探すのに結構手間取った。

普段の公式戦は入場してもどこかまったりした雰囲気があるのだが、さすがポストシーズンとなると異様な雰囲気である。何だか空気が違うというのかなあ。その中で両チームの練習を見るが、日本ハム側が陽、中田も快音と飛ばしているし、前日投手として先発出場した大谷もティー打撃をこなしている。その一方でオリックス側のアップから守備練習を見るが、選手層の薄さを感じる。ペーニャも糸井もヘルマンもいない。前日ペーニャが出なかったのは故障のためとのことで、出場選手も抹消されたという(これで、仮にファイナルステージに進出しても日数の関係で出場できないとのこと)。糸井が故障なのは仕方ないが、ヘルマンも欠場とは??練習では三塁には縞田一人。先発起用となると、いよいよ攻撃が弱いものになる。こうして見ると、選手層の厚さで見れば、日本ハムのほうが一枚上手ではないかと感じた。バファローズ・・・正直、野手は薄い。采配の可否は別として、前日の試合で安達を5番で起用せざるを得なかったのが層の薄さを物語っていると言える。

先発メンバーの発表。4番には前日と同じくT-岡田が入る。三塁にはヘルマンがちゃんと出てきて、7番での起用となる。安達も2番起用で、やはりこの辺りが適格な打順であろう。

この日はバームクーヘンで有名な「マダムシンコ」の冠試合ということで、来場者抽選プレゼントもマダムシンコ絡みだし、挙句始球式もマダム信子氏が務めた。クライマックスシリーズであるが、ドーム外の入場券売り場ではそのロゴはなく、「マダムシンコデー」の看板が大々的に飾られ、特設の販売ブースも出ていた。シーズンのスポンサーだし、冠試合だから仕方ないのだろうが、どこか違和感を覚える。

さて試合。オリックス先発は、日本ハムとは今季4勝1敗のディクソン。以前拙ブログで、「この投手が優勝のカギを握る」と書いたことがある。勝ち越せばそれだけ優勝に近づくが、負け越すようなことがあればしんどいと。公式戦の結果は9勝10敗と1つの負け越し。別にディクソン一人がどうのこうのというわけではないが、これが10勝9敗だったらなあ・・・と振り返るばかりである。

そのディクソン、初回に先頭の西川にヒットを許し、続く中島のバントでピンチを迎える。陽は三振に打ち取ったが中田に四球。そして小谷野のライトへの当たり。ライトの川端が追いついたかに見えたが、ゴルフで言うスライス気味の打球でボールが流れたのか、川端のグラブをはじく。これが二塁打となり日本ハムが2点先制。いきなり、この2点が重くのしかかった。

日本ハムの先発は上沢。怖いものなしでどんどんと投げ込んでくる。時折混ざる緩いボールが厄介だ。初回、3人の打者に対して10球で3アウトを取ったのに始まる。おまけにこの日トップに入った平野恵も走塁時に故障してベンチに下がる。ますます、選手がいなくなる。それもあってか上沢は序盤から好投を見せる。気づけば5回裏終了まで一人のランナーも出さない。オリックスの打者もたまにいい当たりが出るが、それが野手の正面を突いたりと不運な面もある。このまま2対0で敗れ去るのか・・・どうせなら「CS初の完全試合!」というのもありかな。中盤まで、そんな絶望的な雰囲気だった。後ろの男性客もヤケ酒が入って完全に酔っ払いモードである。

ディクソンは初回の2失点以降は粘りの投球で三振も取り、6回途中までマウンドに上がる。しかし先制打の小谷野に安打が出たところで交代。まずは比嘉が来るか、それとも左打者が続くから、意表をついて松葉か、中山か左腕を出すか。

・・・そこで出たのは、前日四球連発で乱調の佐藤達。これにはドーム内もどよめき。あえて不調の投手を、それも公式戦の順序を前倒しにして6回から出すとは。この時は続く近藤を抑えて無失点で切り抜ける。

6回裏。ここまで一人のランナーも出せなかったが、一死から駿太が四球を選んで初めての出塁。続く途中出場の伊藤はバントで二死二塁。ここで迎えるのは平野恵に替わって出場の原拓也。ここでセンター前の当たりが出る。チームの初安打がタイムリーとなり、2対1と追いすがる。

これで追い上げムードとなり、7回表を迎えたところでやれやれとトイレに立つ。するとその中で通路からため息が聞こえてくる。席に戻ると、ミランダが「打った瞬間にそれとわかる」特大の本塁打を放ったとのこと。せっかくの1点差が遠のく3対1。それも打たれたのが佐藤ということで、確かに最優秀中継ぎ投手であるが、前日といいこの日といい、思いっきり不安な面を露呈したところである。佐藤はその後もヒットと敬遠気味の死球で一死満塁とされ、陽を迎えたところで比嘉に交代。

それやったら最初から比嘉でよかったのではと思うが、ランナーを背負った場面で文字通りの「火消し」ができるのは比嘉しかいないというのも事実。今年のブルペン陣は充実とか言われているが、その多くは最初から予定されたイニングの頭から出てくるものではないだろうか。比嘉はここで陽、中田を連続三振に取り、スタンド全体の雰囲気も盛り上がってきた。

これが追い風となったのが7回裏。二死二・三塁のチャンスを迎えて上沢をマウンドから降ろす。ここでヘルマンが、代わったばかりのクロッタから左中間への大きな当たりを放つ。2者が生還し、一気に3対3の同点となる。これまでイライラ感が充満していたスタンドからも大きな歓声が上がり、私を含め周りの観客もハイタッチを交わしていた。

ただ、これでは終わらない。8回表、4人目の馬原が一死一・二塁とされて、迎えるのは代打・稲葉。今季限りでの引退を表明してはいるが、クライマックスシリーズ、果ては日本シリーズまではまだ現役である。「ここで出塁する、いや外野まで打球が飛んで得点につながるかな」「それがつながるのが、スターのスター選手たる所以ではないのかなと思う。

・・・で、その予感は当たってしまう。センター前への当たりを放つ。センターの駿太も懸命のバックホームを試みるが、ボールも逸れて二塁ナンナーの生還を許す。これで4対3と日本ハムが勝ち越しに成功する。日本ハムベンチの盛り上がりも最高だし、勝ち進むというのがいかに厳しいものであるかというのを突き付けられる。現在のバファローズの控え層から見て、こういう時に「この一発で流れを変えてしまう」という選手がいないのも現実である。正直、ここでさすがに敗戦、クライマックス敗退を覚悟した。

そんな8回裏。一死から原が四球で出塁。その後二死二・三塁となり打席には糸井。ただここで日本ハムバッテリーは計算通り敬遠で歩かせる。迎えるのはここまで上沢の前に3三振のT-岡田。

「これ、彼の今後の野球人生を左右する打席になるでしょうね」と私。ここであっさり凡退しようものなら、この試合の結果はほぼ決まる。そうなるとクライマックスのファーストステージで敗退だし、T-岡田についても「ハートの弱い、ここ一番で打てない元本塁打王」のレッテルを張られる。それを払拭するには・・・。

その瞬間、豪快な当たりが飛び出した。打った瞬間にそれとわかるライトへの当たり。一気に6対3と逆転する。もう、周りの人たちともタッチしまくり。私の目にも涙が浮かんだ。野球観戦の中で涙を浮かべたのはいつ以来だろうか。

最後は平野佳が締めて、見事な逆転勝ち。これでスタンドのボルテージも最高潮に達した。

これで福岡に行けるかどうか、泣いても笑っても残り1試合である。一時は崖っぷちに追い込まれたが、まだまだ望みはある。私は現地観戦ができないのだが、大正ドームでの試合活動を予定されている方には、力の限り応援していただきたいものである・・・・。









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クライマックスシリーズ初戦

2014年10月11日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
今日は昼間は仕事の関係で出社、夜は職場の歓送迎会ということで、携帯サイトからの結果だけだが、バファローズもカープも残念な結果に終わった。

特にバファローズの場合は、金子も中盤に捕まり、これまで支えてきた中継ぎ陣も佐藤が崩れた。また打線も平野が復帰したが、ペーニャが謎の欠場。相手の攻守に阻まれた(というよりも、諸氏の観戦記事ブログを読む限りでは暴走のようだったが・・・)。

何だか嫌な負け方である。これではあかん。

これで、本当に後がなくなった。ここは日本ハム得意のディクソンに託すしかない。クライマックスシリーズは唯一となるが、明日は私も生観戦にて、彼らの雄姿と粘りを見守りたい・・・。
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第1番「青岸渡寺」~西国三十三ヶ所巡り・4(下)

2014年10月11日 | 西国三十三所
もう一月前のことになるが、西国三十三ヶ所第1番・青岸渡寺へのバスツアー。大阪から6時間を経過してようやく那智の滝に着いた。先ほど、「那智の滝周辺はトイレの数が少ないから」とすぐ下のかまぼこセンターで休憩を取ったのだが、その分滝や寺での見学時間に充てられないのかと思う(そのゆったりした時間の中で用を足せば・・・)。

那智の滝は、入口から石段を下りて見物してまた戻って・・・で20分しか持ち時間がない。なるべく早くと石段を下りる。

この日は比較的水量も多いそうで、滝らしい眺めが広がる。やはり那智の、熊野のシンボルである。できれば滝壺拝所まで行き手を合わせたいところだが、そこまでの時間がない。おまけに、参加者の記念写真を撮るので集まれと言われる。別に買うまでのことはないが、もしこのツアーに参加して写真を購入された方がいらっしゃれば、「こいつか」と見ていただければ(まあ、拙ブログをご覧になることはないだろうが)。

あくまで、三十三ヶ所の巡礼であり、観光ツアーではないのだ。滝には寄るのが精一杯なのである。

そして、青岸渡寺の石段の下にバスが着いたのは14時半。ここで1時間20分ほどの参詣時間となる。

ここでは参加者が揃って本堂でお勤めをする。つまり、朝にバスの中で唱えた開経偈やら般若心経。やはり、それが目的である。ただ、これまで手探りでお参りしてきたことを思うと、一度先達について流れを体験するのはいいだろう。

青岸渡寺の境内までは400段以上の石段を上がる。金剛杖を持った先達について行くが、「脚に自信のある若い方は、先に行ってや~。で、蝋燭と線香は先に上げて、皆揃うの待っててなあ~」と言われる(別に私の方を見ていたわけではないが)。ならばと、そんなに速いわけではないが、石段を先に上る。そして、ツアー参加者の中ではおそらく一番乗りで青岸渡寺の境内へ。途中、那智大社と青岸渡寺の二股に分かれるところがあるが、そこを鳥居をくぐって那智大社の方に行く人もいたようだ。

何やかんやで人数が揃う。

ちょうど、同じツアーの京都発の組とタイミングが重なり、ならば一緒にお勤めとなる。天王寺・三国ヶ丘発組の女性先達も、ここに来て泉州のおばちゃんらしく、大声で豪快にリードする。京都組が心なしか押されていたような。

朝から長かったが、お勤めを一通りこなしてようやく落ち着くことができた。やれやれ。これで、バスの発車まで自由時間。

ちょうどお勤めの時に、多くの朱印帳やお軸をボストンバッグに入れて上ってきた添乗員が皆のご朱印を代行で対応していた。他にも朱印を受ける人が多いため、寺側も4人で対応していた。これは第1番札所ならではだろうが、これまで朱印帳を持っていなかった人が新たに買い求めることも多いとか。そのため、ここでは予め青岸渡寺の朱印が入った状態の朱印帳がある。それを買った人は日付だけ書いてもらう。先に4人で対応と書いたが、そのうち1人は、「日付だけの方はこちらへどうぞ~!」と、スーパーの呼び込みみたいな感じで手招きしていた。いろいろあるもんやな。

で、朱印帳を添乗員に預けなかった私は、リュックを背負い、手にはJRのキャンペーンのガイドブックを持って並ぶ。最も無愛想な感じの方が対応する列だったが、私の番にはサラサラと書いていただき、「スタンプの場所わかりはる?」と訊かれる。本堂の階段の脇にあったので先に押したのだが、ツアーの客ではなくわざわざ列車を乗り継いでやってきた個人客と認めたようだ。散華もポンといただく。これで、最も遠い札所をクリア(・・・実は、満願前にもう一度来なければならなくなったのだが、この時は知るよしもなく)。

1時間20分の滞在時間と言っても、石段の往復やお勤めやご朱印となると、自由時間はそうあるものではない。中にはお勤めには参加せず、自由時間と割り切って境内を散策していた人もいた。私も三重の塔と那智の滝の構図を撮影したり、那智大社にも参拝したが、やはりバタバタ感は拭えなかった。まあ、1日でいろんなものがついて税込3980円の格安ツアーなのだから、仕方ない。本式にゆったり回るなら日帰りは絶対無理なスポットなのだから。

さて帰りである。泉州おばちゃん先達が「これから無事に帰れるようにということで」、夕方のお勤めの音頭を取る。

その最中、対向車線でクルマが派手に事故していたのを見る。パトカーやら救急車が出動して対応に当たっていたが、その横を読経中のツアーバスがすれ違うというのも、一足早く供養しているようで妙な感じである。

再び熊野川に向かう。途中で、青岸渡寺の散華と、ご詠歌護符が配られる。散華はともかく、ご詠歌護符というのは、先達と一緒に行かなければ札所寺院からはいただけないものである。先達同行だからこのご詠歌護符もいただけるというのが、バスツアーの売りの一つなのだろう。またその一方で「次回10月にもツアーをやりますんで、ぜひご参加ください!」という添乗員と先達からのPRが激しい。

熊野古道の中辺路に入り、立ち寄ったのは近露の道の駅。往路もそうだったが、ここから紀伊田辺に出て渋滞に巻き込まれることを考えると、ここである程度の食糧と「燃料」は仕入れておいたほうがよい。・・・とまあ、それを積み重ねると、ツアーの参加料よりあちこちのスポットで買い物に費やしたお金のほうが高いのではないかと思うのだが。

・・・そして、渋滞のほうは案の定そうなってしまった。紀伊田辺から北上するが、本当にジワジワとしかバスが動かない。もうこうなれば和歌山を過ぎるまでは同じような状況だろうから、ゆったりまったり過ごすことにする。さすがに先達からの言葉もなく、宴の後のようなどんよりした雰囲気である。

途中、紀ノ川サービスエリアで最後の休憩。やはり土産ということで何かしら買ってしまう。おかげでリュックもパンパンになる。ここからは高速道路の流れも順調で、まずは三国ヶ丘駅に立ち寄る。ここで半数が下車。泉州のおばちゃんパワー満載の先達さんもここで下車である。

後は惰性で天王寺に到着。時刻は22時近く。やはりバスだと往復で15時間コースである。それだけ、やはり遠いのである。那智は・・・。

朝に鮮やかにその姿を見たあべのハルカス。夜景の灯りも落ちるころに到着。パンパンに膨れ上がったリュックを背負って近鉄に乗り、自宅に到着する。

問題はその翌朝。

カメラに収めた画像をパソコンに保存して、ブログにアップしようということでリュックをあさる。ところが、いつもなら入っているはずのカメラがない。中身を全部取り出しても、ないものはない・・・。これはバスの中に忘れたか、それとも阿部野橋駅に置き忘れたか。ただゆっくり考えると、土産物やら何やらでリュックがパンパンになり、バスの車内で整理をしていた。その時に、座席の下に転がり落ちてそのままになったのかもしれない。

手元にないことは確定したので、土日祝日はメールのみの営業という阪急交通社のメールアドレスに状況を送信する。一方で、近鉄の忘れ物センターに電話するが、カメラの届け出はないとのこと。

・・・1日モヤモヤとした気分で過ごしたが、阪急交通社から電話があり、バス会社のほうで見つけてくれて預かっているとのこと。本人着払いになるが、それでよければバス会社から送るとの言葉をいただく。そしてそこから日数を置いて、ようやくカメラとの再会を果たした。

いろいろあったバスツアーであるが、値段の安さや移動コストを考えれば人気があるのもうなづける。ただ、この人気も「第1番札所」のイメージが強く働いている。添乗員も先達も「第2回となるとお客さんが半分になるんです。そして第3回にはさらにその半分なんです」と、しきりに次回ツアーのPRを展開していた。第2回は紀三井寺、粉河寺、そして施福寺を回るのだが、「施福寺・・・正直、きついです。皆さん覚悟しておいてください。今からエレベーターやエスカレーターはやめて、階段で脚を鍛えておいてください」と、添乗員が脅しにかかる。

私の次の西国三十三ヶ所巡りは施福寺(時期未定)なのだが、西国一、二を争う難所だとか。果たして、どうなるか・・・。

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どうなるクライマックスシリーズ

2014年10月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
7日でNPBプロ野球の公式戦の全日程が終了した。改めて順位表を見ると、昨年とAクラスとBクラスがそっくり入れ替わったパ・リーグ、昨年と順位が全く同じだったセ・リーグ。何だか、両リーグの体質がモロに出ているなと思う。

ただつくづく、ホークスとバファローズはゲーム差なし、勝ち星は上回っているが勝率で2厘差をつけられた。数字というのは非情なものである。

非情といえばカープもそうだ。今年は序盤の快進撃(バファローズとの交流戦を「首位対決」で観られたのは良かった)や、カープ女子という言葉も広がったが、最後は自滅での3位転落。同じ3位でも、終盤の勢いで勝ち取った昨年とは違い、優勝争いから脱落しての3位というのが微妙なところ。

そして、棚ぼた2位で首が繋がった和田監督に対して、野村監督が辞任する。まあ、カープファン諸氏のブログを見る限り野村監督に否定的な声も多かったのも事実。2年連続のAクラスは頑張ったと思うが、これで良かったのだろう(逆に和田監督続投にブーイングが起きている(辞め時を逃した)ことについては伏せておく) 。

今年のクライマックスシリーズはそんな野村監督の勇退の花道になる。どうせなら日本シリーズまで出てこいやと願う。

そして、ファーストステージは大正と西宮で、それも同日同時刻に開催される。ならば、関西マスゴミは西宮に大挙して、大正はそれなりの扱いかな。第1戦で仮に金子が完封しても、翌朝の新聞は勝っても負けても阪神が一面に来るだろう。

でもまあ、にわかで大正に来る阪神ファンが西宮に回帰するだろうから、観客は減るがその分バファローズファンがいつものペースで観戦できるし、マスゴミからのプレッシャーも軽減されるのでは。バファローズにとっては、案外隠れたプラス要素になるかもしれない。

さて、どうなるかな・・・?
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第1番「青岸渡寺」~西国三十三ヶ所巡り・4(上)

2014年10月05日 | 西国三十三所
西国三十三ヶ所巡りも、4ヶ所目にしてようやく「第1番」札所の青岸渡寺に行くことになった。

青岸渡寺と言われてピンと来ない方でも、世界遺産である熊野古道、那智の滝、那智大社のあるところにある寺と言えばわかるだろうか。私も那智は何回か行っているが、横にある青岸渡寺は言葉は悪いが「そう言えば、そんな寺もあるな」という感じで軽く手を合わせるというくらいのものであった。それが今回の三十三ヶ所巡りでは、栄えある?第1番である。

那智は古くから神仏習合の修験の場として開かれたところで、三十三ヶ所に由来のある花山法皇がここで修業をしていたと言われることや、江戸時代に江戸の人が伊勢、熊野などを回り、その後で三十三ヶ所を巡礼するという時の道順で1番目に当たるというところから第1番となったとされている。

以前の記事でも書いたが、大阪から青岸渡寺まで列車と路線バスの乗り継ぎだと交通費がかかる。それと、さまざまな特典があるということで、ここだけは阪急交通社のバスツアーに参加することにした。JRの三十三ヶ所巡りのキャンペーンのスタンプは青岸渡寺の境内にも置いてあるようだ。恐らく同じような事情でJRで行かない人たちへの配慮だろうか。

さて、バスツアー当日となった9月の連休。集合場所である天王寺公園前の広場に向かう。天王寺発着のバスツアーの集合場所の定位置となっているようで、いろいろな旅行会社のツアー参加者で賑わっている。伊勢神宮へ向かうとか、熊野古道ツアーに向かうとか。その中で、阪急交通社の男性添乗員が青岸渡寺へのツアーの集合受付を行っている。やはりこういうのに参加するのは結構ご年配の方が多いようで・・・。

受付で座席の指定を受けて、バスに乗り込む。私の隣は同じくらいの年恰好の男性。結構あちこちの札所を自力で回っているようだが、さすがに青岸渡寺だけは時間と費用を考えてバスにしたとのことである。

このバスは天王寺・三国ヶ丘発着ということで、阪神高速の堺線でいったん堺で降り、三国ヶ丘駅で残りの参加者を乗せる。添乗員発表では38人というから、バスの座席もほぼ埋まっている。中には金剛杖を持ち、菅笠に笈擦(おいずる)という白装束姿の女性も見える。えらい熱心な方がいるもんやなあと見ていると、バスの最前列に座る。この方が添乗員とは別にバスに乗車して、この日のツアーを案内する「先達」さん。三十三ヶ所を全て回り結願となった人は、朱印帳などで結願の確認証明を受け、それを持って申請すると「先達」の資格が得られる。後は結願の回数に応じて先達のランクも上がっていく仕組みになっている。三十三ヶ所の有段者とでもいうのかな。ただ、先達という言葉の一般的な意味からしても、巡礼や札所に関する正しい知識を持ち、参拝者の模範になること、お参りでは先頭に立って皆の案内をすること、それらの活動を通して多くの人を巡礼に誘う・・・という役目がある。単にスタンプラリーやJR乗りつぶしの達成者というだけでは、真の意味での先達にはなれない(別に、先達になるのに資格試験や面接があるわけではないが)。

今度は阪神高速湾岸線から阪和道などを乗り継いで、一路和歌山を目指す。・・・目指すと言っても半島の裏側である。バスの運転手も2人体制である。

ツアーとしてはシリーズの「第1回」ということから、添乗員と先達の両方からいろいろと案内や解説がある。また、第1回参加の特典として、三十三ヶ所の地図、勤行次第、納め札、数珠玉が配られる。その中で添乗員から「納経・ご朱印はこちらで代行します。ただし、お一人につき朱印帳、納経軸、笈擦それぞれ各一点まで。お金と品物を一緒に預かります」というのがあった。朱印を代行していただくのはよいが、JRのキャンペーンに関する散華は、納経所でないともらえない。添乗員に代行してもらって大丈夫なのかという思いと、やはり自分で書いてもらいたいなというのがあったため、それは見送る。別に個人で朱印をもらうのも構わないそうだ。

続いて先達から、「これは単なる観光のバスツアーではありません」と先にクギを刺された上で、「ツアーでは、行きはツアーの出発時、次いで札所でお参りする時、そして札所を回り終えて帰途に着く時、それぞれでお勤めを行います」とある。「今日は第1回ですので、いろいろと説明をさせていただいた上で行いますが、第2回からは出発したらすぐ行いますよ」と。・・・ということで、紀ノ川のサービスエリアでのトイレ休憩の後で、朝のお勤めを行うことになった。

紀ノ川では出発時間を過ぎても一人戻って来ないようで、添乗員、先達、運転手がサービスエリアを捜して回る。完全に集合時間を10分遅く勘違いしていたようだ。そういえばこの方、天王寺でバスに乗った時にも、座席指定にも関わらず適当に座っていて席の持ち主に注意されていた。うーん、絶対いるな。

さて気を取り直して出発である。ちなみにこの日は阪急交通社の青岸渡寺向けツアーは、天王寺・三国ヶ丘の他に京都、そして神戸出発の計3台が向かっているそうである。そんな中で読経である。先達のリードに従って読む。「開経偈(かいきょうげ)」、「懺悔文(さんげもん)」、「般若心経」、「延命十句観音経(3回)」、「ご本尊真言(3回・・・注:各札所それぞれのご本尊の真言であり、ご本尊のいないバス内ではオールマイティーに使える「南無大慈大悲観世音菩薩」である)」、「回向文」。結構あるが、全部で5~6分くらいだろうか。それでも、バスの車内で40名近くがお経を広げて読経しているって・・・傍から見たらシュールかもしれない。いやいや、そんなことを言っているようでは巡礼の旅にならないな。お経を挙げていれば、そのバスは事故することはない・・・だろう。

大阪から和歌山へ南下する阪和道、湯浅御坊道路というのは渋滞が起こることで知られている。連休の中日とあって和歌山方面に向かうクルマで結構混んでいる。まあ、今回はその中で西国三十三ヶ所巡礼の歴史や基礎知識、さらにはお参りの作法など、先達からいろいろと解説が聴けるので退屈はしない。納め札の書き方についても教えてくれる。もちろんこの手のバスツアーに参加するのは初めてなので比較はできないが、いろんな方のブログなどを見ると、先達の良し悪しによってツアーの印象や雰囲気も変わってくるようである。今回同行した方は、きちんとした話をされるし、特段悪い感じはしなかった。

三国ヶ丘を出て3時間で紀伊田辺に到着。ここで休憩を兼ねた立ち寄りスポットである中田食品に停車。梅を扱っているところで、さまざまな種類の梅干しや梅酒、梅味の菓子類などが並ぶ。バスツアーにつきもののお買い物タイムで、せっかく来たのだから私も梅干しを購入する。いろいろ試食したが、昔ながらの塩辛いのもあれば、蜂蜜など混ぜて甘くしたものもあり、いろんな嗜好に合った味がいろいろと出ている。

座席に戻ると昼食の弁当が座席の上に置かれていた。ここから中辺路に入るが「ここからカーブのきつい区間が多いので、なるべく早く召し上がってください」とのこと。富田川に沿い、だんだんと道も狭くなってくる。ただルートとしては熊野古道巡りで、通過するバス停にも「○○王子」というのが見える。

時折先達の解説も挟まるが、車内はだいぶぐったりとした雰囲気が出てきた。私も途中ウトウトをし始める。気が付けば熊野川沿いに走っている。熊野本宮からは下流に位置するところで、そういえば奈良の大和八木から新宮までの「日本一長い路線バス」に乗った時に通ったなと思い出す。ようやく新宮の市街地に出た時には13時を回っていた。

ツアーでは青岸渡寺に行く前に那智の滝に立ち寄る。さらにその前に休憩ということで、滝の手前にあるかまぼこセンターに立ち寄る。今度は練り物や水産加工品の買い物タイムである。私も普段はそんなに土産物を買わないのだが、この日に限ってはいろいろと買い込んでしまう。後でこれがアダとなる出来事があったのだが・・・。

2011年の台風12号では紀伊半島で大きな被害が出たが、ここ那智勝浦でも土砂崩れや家屋倒壊の被害があった。確かJRの線路も流されたのではなかっただろうか。先達の解説では「周りには空き地があったり、新しい感じの家が目立ちますが、これらは全部大雨で流されて、その後で新しく建てられたものです」とある。最近、毎年のようにあちらこちらで豪雨による大規模な水害、土砂災害が起こっている。あまり続くものだから、どこがいつ、どんな被害があったかまでいちいち憶えていない。ニュースもその後の復旧状況まではいちいち伝えないが、被災地にとっては深刻な問題である。観光の足は戻っているのだろうが、河川は現在もあちらこちらで改修工事中である。

さて、大阪から6時間かかり、14時となってようやく那智の滝に到着。いよいよ、ここからお参りである・・・。


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オリックス・バファローズまつり

2014年10月04日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
心斎橋に「スポニチプラザ大阪」というのがあるそうだ。スポーツニッポンが絡んでいるのかな、いわゆるイベントスペースである。

そこで、「オリックス・バファローズまつり」なるものが行われると、球団のホームページで告知があった。今シーズンの戦いをスポニチ紙面で振り返るとか、選手の直筆入りサインパネルほかグッズの販売も行われるとか。

ちょうど、昼に心斎橋にいることがあったのだが、その後でどんなものかのぞいてみることにした。大阪に住んでいながら、心斎橋というのはなかなか来ないところである。

会場に着くと中に人だかりができていたが、自動ドアは閉まっていた。なるほどそうか。少し中の様子をうかがっていると、「入りはります?立ち見でよかったらええですよ」と、スポニチのロゴをつけたおじさんが声をかけてくれ、手動に切り替わっていたドアを手で開けて入れてくれた。

中にはバファローズの球団旗と、「リベンジ10・2 もう一度福岡へ」というパネルがあった。数十人の人だかりの先にはステージがあり、そこではトークショーが行われている。

その中心にいたのは、元ブルーウェーブで、現在はバファローズの試合中継をCSで行っている「FOX TV」での解説を務めている野田浩司氏。イベントとしては当日入場整理券を配布しており、本来は整理券を持っている人しか入れないもののようだ。そこを入れていただけたのは完全にご厚意である。

ちょうど話の途中で、阪神からの松永とのトレード、現在も日本記録である1試合19奪三振の裏話、仰木監督やイチローのエピソードなど、パネラー役のスポニチの編集者、記者と笑いを混ぜながらの話である。当時のスポニチの紙面もパネルで紹介されており、1試合19奪三振を達成した翌日の1面は・・・競馬の予想記事だった。「馬に負けるとはねえ・・・」と。

後半のメインはやはりバファローズが優勝を逃したこと、そしてこれからのCSに向けての戦いである。野田氏の見立てでは、OBということを差し引いてもバファローズが有利というもの。ホークスの投手陣が終盤に崩れたことを指して、「投手陣の調子というのはそう簡単に戻るものではない」と言う。「あの試合がホークスの最終戦で、唯一大隣だけが残っていたのがホークス優勝の要因。もう何試合か残っていたら、間違いなくバファローズ優勝だった」と。

一方で気になるのが打線。特にペーニャが・・・というのがある。後は下位打線がちょっと弱いという指摘も。

またその前に突破しなければならないのがファイターズとのファーストステージである。これについては「初戦が金子対大谷として、ロースコアの試合になると思う。ただ、大谷を攻略できればその勢いでずっと行くのではないか」と。続く第2戦の先発は西か、ディクソンか。野田氏の予想は西(ちなみに私はディクソン)。

トークショー後からは参加者からの質問があり、その中には「同じ背番号21ということで、西に激励の言葉をかけてほしい」というのがあった。序盤の連勝、無失点記録は「あれが出来過ぎ。あんなのは一生に一度あるかないか」として、「後半戦悪かったし、李大浩の特大ホームランで泣いたけど、あれが底。最後は立ち直ってきているし、前半のような投球ができるだけの投手だから、CSでも期待できる」と。

最後は整理券の番号から、野田氏が選んだ番号の人にサイン色紙と、バファローズが今年初めて1面を飾った金子の激投の紙面がプレゼントされた。

もっとも、イベント終了後は希望者全員が野田氏のサインをいただけるということで、行列ができる。私も応援グッズは持っていなかったので、手帳の後の白ページにいただく。

CSは短期決戦だけに何が起こるかわからないし、6年前にバファローズが出場した時も2位ながら何の見せ場もなく日本ハムにあっさりと敗れてしまった。今季は投手陣が安定しているが、打線がどうだろうか。不調のペーニャも夜の仙台での試合では一発が出たし、2桁安打で快勝した。続く6日もいい形で公式戦を終了し、まずはファーストステージに向けたいいムードを作ってほしいものである・・・・。


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