まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

大飯原発は再稼働するのかどうなのか

2012年05月31日 | ブログ
いよいよ6月。本格的に暑い季節になってきた。現在のところは、通勤時でもたまに上着を取るくらいで何とかしのげたが(さすがにネクタイをした時は少々しんどかった)、これからは来るだけで大汗をかくということになるかな。今年も平年より暑くなりそうな予報が出ている。


そうなると、ここに来て連日関西のニュースとなっている大飯原発をどうするのかというのが気になる。このところは、政府ものらりくらりではあるが再稼働に向けた動きを見せる中で、強硬に反対していた関西広域連合も微妙な温度差が出ている。後は福井の知事の判断にも委ねられるところだろう。


私の個人的な考えとしては、どちらかと言えば原発はやむ無しとして、万が一の時の責任の所在と補償をしっかりすること、ただゆくゆくは原発以外の発電手段にシフトすることを条件にするのであれば、再稼働にも取り組むのも仕方ないなというところである。


確かに、事故が発生すれば、というのはある。ただ、とりあえずは産業の混乱を回避することを考えるのが先かな、という思いがある。新聞によって社説論陣も分かれているくらいだから、特に無茶な意見ではないと思う。


ただどうだろう、今の感じでいけばよほど政府が強権を発動しなければ、この夏は再稼働見送り、来年への継続事項となりそうかな。

・・・となると、節電を求められることに。まあ、自宅の場合はピーク時の日中にはほとんど在室していないからあまり関係ないかもしれないが、問題は出社している時かな・・・。

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聞き書き「にっぽんの漁師」

2012年05月29日 | ブログ

鮮魚が売り物の居酒屋というのがある。また、鮮魚が売り、というほどでもないが、たいていの居酒屋に行けばちょっとした魚の造りとか、煮付けとか焼き魚くらいは置いているだろう。

ただ、その皿に並ぶ魚たちの出所は?・・・となると、そりゃどこかの海には間違いないにしても、果たしてその魚を獲ったのは誰か、そしてそれを日本のどこかに水揚げして、流通経路に乗せているのはどういう仕組みなのか・・・ということを考えた時に、四方を海に囲まれる好条件ながら、結構ヤバい状況になっている現在の日本の漁業の姿に思いを馳せることになる。

『聞き書き「にっぽんの漁師」』。塩野米松著、ちくま文庫版。

51ky0wk8gjl__sl500_aa300__3この一冊は平成12~13年というから、今から10年あまり前に、南は沖縄から北は北海道のオホーツクまで、全国の漁師たちの話を聞き書きしたものである。文書の端々に、漁師たちの話言葉というか、その土地ならではの息づかいのようなものすら感じられる。

ここに出てくる人たちというのはだいたいが大正末期から昭和の初期の生まれ。現在なら既にお亡くなりになっている方も多いのではないだろうか。そして、学校を出るや出ないやという年ごろから船に乗り、波乱万丈の人生の大部分を船の上で過ごし、現在に来てようやく落ち着いて物事を語れるようになった・・・そんな感じの人が多い。

現在だと魚群探知機をはじめとした機械化や、いろんな情報を細かく分析する技術が発達したおかげで、漁業もやりやすいものになったのではないかと思う。ただ、それに至るまでの自然相手の格闘とか、若いうちから借金をこしらえて言わばバクチのような人生を歩むのも悪くないというか、自らの腕にこだわりを持ち続けた人ばかりである。

聞き書きの中でたいてい出てくるのが、昨今の漁獲高の低下である。そして、安定した収入が必ずしも得られないということで自らの子どもには漁業をあえて薦めない、学校を出てサラリーマンとして就職してくれることを望む・・・そう願う漁師の多いこと。

その環境の変化も、技術の発達にともなう乱獲によるところが大きいということが繰り返し述べられている。一本釣りでやっていたのを巨大なはえ縄を敷いて、その中にやってきた魚を強引にすくい上げる方法に変える。そうすることで水揚げも上がり、ひいては自分のフトコロに返ってくるのだから。ただ、それが獲りすぎを招き、いつしかいつもの漁場に魚群を見ることがなくなった・・・という悲劇。

でもまあ、漁師的生き方というのはそういうものかもしれない。最近でこそ養殖とか蓄養とかいうことで資源を守ろうという動きがあるが、昔ながらの漁師たちはなかなか受け入れるものではないだろう。そしてその養殖も、結局は外国産の安い魚たちに押されている。冷凍技術も発達しているし。

いったい、この国の食物資源はどうなっていくのだろうか??

この一冊が出たのは今から10数年前のことであるが、現在に置き換えてみると状況が悪くなっていないか?それが心配である・・・・。

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夏仕様ですな

2012年05月27日 | ブログ
オリックスは横浜DeNAに快勝。帰宅してCSをつけてみればちょうど李大浩のホームランが飛び出したところで、そろそろ夏に向けてエンジンがかかってきたかと期待したいところ。期待の川端にもヒットが出たようで、こちらも夏に向けて打率をキープしてほしい。

さて、私は前日に神戸にいたのだが、すっかり油断して半袖で観戦していたものだから、日差しのキツイのにモロに腕と顔を焼かれてしまった。中でも腕は今日になっても熱を持った感じ。こんなに肌が弱かったかな?と思うくらいだ。

実は今日はとある方と昼間にお会いしていたのだが、顔と手元を見て「それ、どうしたんですか?」と心配された。これは酒焼け・・・というのは冗談として、変に中途半端に焼けているのも、あまり格好いいものではないなあ。

でも、暑いからと言って屋内に籠りっきりもよくないだろう。また身体も多少は焼いたほうがいいのかもしれない。熱中症には気をつけなければならないが、少しずつ夏に向けて身体を慣らしていかないと・・・。

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観戦記~勇者ユニでカープに連勝・・・ただ「宮島さん」も聞きたかった

2012年05月26日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

「晴れたる青空 われらのブレーブス 萌えたつ緑か われらのブレーブス・・・」

Dscn4623そんな青空と天然芝の鮮やかな緑がよく似合うほっともっとフィールド神戸。こちらで行われたオリックス・バファローズ対広島東洋カープの交流戦である。このところの「年中行事」として、交流戦のこのカードは楽しみにしているのだが、今年は昨年に引き続き「阪急ブレーブス復刻試合」として組まれている。

Dscn4550今年のテーマは「80s」。1980年代といえば私も物心つき、野球観戦も楽しむようになった時期である。阪急最後の優勝となった1984年から使用したユニフォームが復刻するということである。「ブレーブス」という名前が復活することについて待ち望んでいたファンも多いことだろう。

Dscn4592ということで神戸に向かう。地下鉄では赤いものに身を固めた人が多く、そして球場の周りにも赤、赤、赤・・・。そう、関西にもカープファンは結構いるものだし、この日のために広島から駆けつけたファンも多いのだが、同じ関西でも甲子園ではビジター席とやらに閉じ込められて思うような応援ができないとか。それが、ビジターにも優しいこのオリックス戦となると、カープファンの方が多いような、勢いがあるように見える。私が指定席のエリアに入った時はすでにレフトスタンドだけが9割方埋まっており、試合が始まる頃にはレフトからあふれた客がライトスタンドにも入ってきた。何だか、どっちのホームゲームなんだか・・・・。

Dscn4555一方のオリックス側。阪急復刻ユニを着る人の姿がやはり目立つ。売れ筋は福本、山田、そしてブーマーといったところだが、中には蓑田とか上田監督なんてのも見える。こういう名選手が揃っていた球団だったことを改めて思い起こす。私も記念にうちわやタオルを購入したが、さすがにユニフォームは・・・着る気持ちが起こらなかった。おそらく近鉄復刻試合の時には一も二もなく買い求めるのだろうが。

Dscn4557選手たちも出てくる。こうして間近に見てみると、シンプルだが現在でも十分通用するデザインではないかと思う。新加入のスケールズなどを見ると、「かつてブーマーの他にもう一人、こんな外国人選手がいなかったかな?」と頭を巡らせる。

Rscn4703そして試合前には、長くマスコットとして人気であったブレービーも登場。かつてこの中に入っていたのが、山田、福本、星野、田淵、山本浩二といった後の大物選手が指名された史上に残るドラフトで、巨人の1位指名を受けた故・島野修さん。選手としては活躍できなかったが、そのパフォーマンスでNPBでマスコットを定着させた功績は大きい。

この日、イニングの合間に80年代の名選手たちの功績を紹介する映像が流れたり、ファン投票により阪急の優勝シーンの映像(藤井寺球場!)も流れたのだが、ブレービーはブレービーとして、「中の人」のこともちょっとは紹介してあげればよかったのに、と思う。

うーん、近鉄復刻ならマスコットはどうなるんだろうか。バッファ君の実物が登場するか、それとも藤井寺球場のスタンドに出没していた、傘をさして牛の着ぐるみを着たおっちゃんが復刻するか・・・・(個人的には後者を見てみたい)。

Dscn4613始球式には、「阪急最後の最多勝投手」ということで紹介された山沖之彦氏が登場。キャッチャー日高、バッター大引に対して長身を生かしたフォームで投げ込む。

Dscn4620さて試合。オリックスは寺原、広島は前田健太。早速、レフトスタンドから三塁側、そしてバックネット裏にかけて赤いメガホンが揺れる。そのプレッシャーか、あるいは久しぶりの登板からか、寺原のコントロールが定まらない。先頭の梵を歩かせる。続く東出が送って広島が先制のチャンス。

Dscn4628そして丸がセンターへの緩い当たりのヒット。梵が一気に本塁を狙うが、ここはセンターの野中からいい返球が来た。キャッチャーの齋藤もしっかりとブロック。先制点を許すとズルズルと行きかねない展開だけに、このアウトは大きかった。続くニックを三振に取り、何とかピンチをしのぐ。

Dscn4637前田健太。ナマで観るのは初めてである。前回の登板では自らは途中まで無得点に抑えてリリーフ陣に後を託したが、9回2死からのまさかの逆転負けを喫した。私も購読している二宮清純氏の携帯サイトに「カープ・アイ」というコーナーがあり、二宮清純氏と上田哲之氏がカープ論を展開しているのだが、その中で上田氏が「普通ならば前回の試合をひきずるだろうが、一人のマエケンファンとして、彼がおそるべきプロ魂を見せてくれたらうれしい」としている。私の後ろにいたカープファンも「今日は何があっても完投しようとするんやろうな」と予想している。連敗中のチームにあっては、やはり頼るべきはこのエースということになるだろうか。

オリックスは初回に先頭のスケールズがヒットで出塁、野中が送ってカープと同じ展開になるが、バルディリス、李大浩、後藤が相次いで凡退。こちらも得点に結びつかない。

Dscn46192回には寺原が岩本に二塁打を許し、またもや先制のピンチを迎えるが、廣瀬が強攻策でピッチャーゴロ。後続も退けてしのぐ。「いよいよう打てん選手ばっかりやな」と、後ろのカープファンのぼやきが始まる。ここまでのカープの不調は極端な貧打からくるもので、ファンとしてもやきもきするところだろう。私も、チームとしてはオリックスに勝ってほしいが、カープの得点時に流れる「宮島さん」は聞きたいなというのがある(この4月にマツダスタジアムで観戦した時も、0封で「宮島さん」が一度も流れなかったし・・・)。

その後は寺原、前田とも悪いなりに投球をまとめてきた。寺原は徐々に球速が上がってきたし、前田も直球は今一つながらスライダーなど変化球を多用して勇者打線を抑える。

試合が動いたのは4回裏、先頭のバルディリスがセンター前にポトリと落ちるヒットで出塁。李大浩に後藤は凡退したが、北川のショートライナーが思ったより伸びて梵のグラブの上を通過。これで二死ながら一・二塁とチャンスが広がり、ここで迎えるのは交流戦に入り存在感を見せてきたルーキー・川端。先ほどは簡単に三振に打ち取られたが、チャンスになり何かやりそうな予感。

Dscn4663高めのボールを引っぱたくと打球がレフトへ。やや前に守っていたためにレフトの頭上を超える形となり、先制のタイムリーとなった。難敵・マエケンからの先制というのは「行ける!」と期待が持てそうなところ。

Dscn4672続く5回もスケールズの死球をきっかけにチャンスをつくり、バルディリスがセンター前にタイムリー。これで2対0。打ったバルディリスは二塁を狙おうとして挟殺プレーとなったが、徐々に上がってきた寺原の調子を思うとこの2点目は大きい。ブレービーのパフォーマンスもノリがよくなってきた。

Dscn4693こうなるとカープは苦しくなる。初回の本塁封殺がここに来て重くのしかかっているようだ。後ろのカープファンもぼやきを通り越して呆れている様子。展開によっては石井啄、前田智の出番もあるのだろうが、そのチャンスもなかなか作れない。7回表には大量のジェット風船が飛び、私も「1点は返してほしいな」という気持ちであったが無得点。

Dscn47007回裏、阪急ブレーブスの応援歌に乗せての風船である。昨年の阪急復刻では序盤の一回りでブレーブス当時の選手応援歌も鳴らしていたし、この日も選手が打席に入る際にはエレクトーンの生演奏という当時の演出を行っていたのだが、今年は選手応援歌はなし。何か演奏の著作権とか絡んでいるのだろうか。それと、このところライトスタンドから旗やら横断幕が上がらなくなったが、これも何かあるのだろうか。

Dscn4711寺原は7回までで、8回からは平野が登板。こうなるとますます「宮島さん」が流れる確率は下がるのだが、天谷が二塁打を放ち、梵の内野ゴロで三塁へ。チャンステーマが流れる中、打席には東出。

Dscn4723東出も何とか1点をということで必死に食らいつきファールで粘る。「でも、打球が全然前に飛んでないんやなあ」と後ろのカープファンが言った時、ハーフスイングを取られて三振。

Dscn4725結局前田は8回裏も登板。やはりこの試合は完投にこだわり、打線の奮起を期したことだろう。連打でピンチを迎え、打席には北川。さあもう1点・・・・と期待したところ、初球を投じる前にバルディリスが飛び出して牽制アウト。北川が一瞬見せた不満そうな表情。これが後で何か響かなければいいのだが。それにしてもバルディリス、2回もタッチアウトになったらあきまへんがな。

Dscn4731そして9回は岸田が登板。最後はニック、岩本と2者連続で三振に切って取り、結局2対0のまま試合終了。勇者ユニで臨んだ「阪急対広島」は、「阪急」の連勝ということで、これでオリックスは交流戦5勝3敗と、勝ち先行になってきた。

Dscn4740お立ち台は寺原と川端。交流戦5勝のうち3勝が川端のバットによるものだから、ドラフト8位入団ながら何か勝負強さというのを持っているのかな。これからどこまで伸びるか、ぜひともロッテ・藤岡らの新人王争いに割って入ってほしいところである。

交流戦は次の横浜、名古屋で折り返し。借金返済にはまだまだほど遠いが、何とか浮上のきっかけにしてもらいたいものだ・・・・。

(余談)

交流戦の初年度(つまり、オリックス・バファローズとしての初年度)から、2006年を除き毎年観戦しているオリックス対広島のカード。過去の対戦は・・・。

2005年 オリックス14-16広島(神戸)

2007年 オリックス2-1広島(広島)

2008年 オリックス3-4広島(大阪)

2008年 オリックス11-3広島(広島)

2009年 オリックス1-6広島(マツダ)

2010年 オリックス6-1広島(マツダ)

2011年 オリックス2-3広島(大阪)

2012年 オリックス2-0広島(神戸)

ここまで観戦成績は4勝4敗、しかも交互に勝つという展開に・・・。

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旧友はありがたきもの

2012年05月26日 | ブログ
日付が変わってしまったが、25日はたまたま旧友と会食する機会があり、大いに盛り上がったことである。

その方は人生の先達とでも言おうか、たまたまこの日辺りでどうかという、私の勝手な願いにも快諾していただいた。本当に、ご無理言ったし受け入れてくれたこと自体が感謝。仕事の上でのしがらみというのがないのも、また素晴らしいところ。

先達だから、後輩に厳しいこともビシバシ言うことはある。あとは、そこからどう本人が立ち上がるか。結構、見られてるポジションではある。

これからどうなるかは、まつなるを含めた一人一人の心構え次第である。改めて、自己啓発、自己管理に努めていきたいものだが・・・。


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東京スカイツリー

2012年05月23日 | ブログ
5月22日に開業した東京スカイツリー。開業初日は天候の悪いなかでも結構な人が訪れたとかで、昨日から今朝にかけてはその話題一色な感じの報道だった。

またこう来ると「東京のことやろ?」としてちょっと引くというか、あえて無視する態度を取るのが関西中華思想の情けないところ。まあ、365日、阪神の話題を追いかけて大本営発表してりゃ儲かる構造のマスゴミには何を言っても意味ないですが(今日の交流戦初白星で、そら明日の朝刊は優勝したかのようなバカ騒ぎよ)。


そのスカイツリー、高さを「武蔵」に合わせた634メートルというのはこだわりあっていいなと思うが、5月22日開業というのは何か意味があるのだろうか。別に土曜とか日曜でもよかったのでは?


東京といえば、私も年に1~2回、遠征を兼ねて参加させていただいている「お散歩だんらんの会」というのがあるが、代表である旅の侍さんによれば、少なくとも今年度は会として散歩の目的地としないことを早々に固めていた。まあ、展望台からの眺めはテレビで散々流されているし(それでもナマの景色を見たいと思うのは人情)、大混雑を考えての判断である。


一年も過ぎれば多少は落ち着くのだろうが、どうせ行くなら地元の墨田区や荒川区といった下町風情も合わせて楽しめるような、そんな東京行になればと思う。いつの日かを楽しみにしておきたい・・・・。

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狙え新人王!

2012年05月22日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
今日の試合を大正ドームで観戦していたオリックス・バファローズのファンの皆さんにとっては、今シーズン最高の試合ではなかったでしょうか。

一方、虎バン主義などとおこがましいキャッチフレーズの某局をはじめとした関西のマスコミは、明日の朝などはこの世の終わりという報道か、それともこの試合はなかったかのような姿勢に走るか。いずれにしても、阪神を倒すというのは実に痛快なもので・・・。

残念ながら携帯サイトでの確認となったが、先制したのはルーキーの川端。満塁のチャンスで回った打席で、初球をレフトスタンドへ。プロ1号がド派手な満塁弾!

川端と言えば先週のヤクルト戦でも延長戦の満塁で走者一掃の二塁打が記憶に新しいが、この一打と今日のホームラン、それまでもそこそこ打っていたし、守備はこれからとしてもレギュラー定着と言っていいだろう。絶対何か持ってる。

こうなれば新人王を狙ってほしいものだ。

後は、阪神相手ではあるが金子の完封、李大浩の3試合連続弾と、まあ、最下位のチームにも金環日食とは言わないが少し光が差してきたかなと。その火付け役が川端だったのなら、これから期待が持てそうである。

明日も頑張れ!!

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旭天鵬初優勝

2012年05月20日 | ブログ

場所前は史上初の6大関ということで話題になったのが、こういう幕切れになるとはね・・・。

夏場所の千秋楽は旭天鵬が栃煌山を優勝決定戦で下し、入門20年にして初優勝。モンゴル出身力士の草分け的存在で、これまでにも数々苦労があったこととは思うが、それがこういう形で結ばれるとはね。相撲ファンも「この力士が優勝するのなら」という暖かいコメント、声援が多かったのが微笑ましく感じた。

それにしても情けないのは大関陣である。場所前、お互いが切磋琢磨して「大関同士の争いで生き残って初めて白鵬への挑戦権が得られる」などと言われていたのだが、それが結局は星のつぶし合い。それがレベルの高い中での星のつぶし合いならまだしも、結局2ケタ勝ったのは稀勢の里だけ。これも独走優勝争いが結局逆転負けだから。今場所はたまたま白鵬が序盤から崩れたが、そこにつけ込むことができなかったのは何をやっとんねんという話。新大関の鶴竜も結局見せ場がなかったし、琴欧洲が千秋楽の栃煌山との取組を前にして休場したというのも何だかマユツバものである。

番付はその年のランキングとは違うので何とも言えないが、大関という制度も、それができた江戸、明治時代のようにはいかなくなっているのも時代の流れなのかなとすら感じてしまう。来場所こそは、大関の意地というか、優勝争いの先頭に立つくらいの勢いと気迫を見せてほしいものである・・・・。

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あるべきようは・・・・

2012年05月19日 | 旅行記E・関西

「阿留辺畿夜宇和」という言葉がある。

これは何もオリックス・バファローズの「大坂夏の陣」に出てくる「暴君竜」とか「兵州男」というものではないが、族の兄ちゃんたちが好む「夜露死苦」と同じく当て字である。つまり、「あるべきようわ(は)」。

この言葉は鎌倉時代の華厳宗の高僧・明恵上人によるものという。「あるべきようは」とは、「この世にあるべきようにあろうとすることが大切である」ということを解いたものである。こう聞くと「あるがままに生きる」というお気楽な言葉なのかと思うが、実はそうではなく、時により事により、その時その時ごとに『あるべきことは何か』と自らに問いかけ、その答えを自ら導き出して生きよ、というものである。これは当時広まりつつあった法然の浄土宗の教えに対するアンチテーゼとして示されたとか。その道理には当時の執権であった北条泰時が感銘を受け、それが武家の教えとして「御成敗式目」にも組み込まれたという。

Dscn4534またなぜこのような言葉を出したのかということだが、話は先の有田川に戻る。この有田川は明恵上人の生誕地。先の鉄道交流館でパンフレットを見たのが、その上人の名前のついた「かなや明恵峡温泉」。自然の中の立ち寄り湯ということで、交流館から川に沿って走ること10分で到着。湯船につかって心地よさそうな顔をしている坊さんのイラストが看板。華厳宗などというと厳しい教えのように思うが、やはり坊さんだって湯船につかったほうが気持ちいいだろう。

コミュニティバスも走っていたようだが、バス停の看板にはカバーがかけられており、路線変更に伴い運転休止の旨が書かれていた。さすがにタクシーで来るとなると結構料金がかかりそうだ。

Dscn4535有田川の景色によく溶け込んだ建物、内湯と露天風呂がある。この日は少し暑さすら感じたが、山間の風を受けて心地よい。こうやってその時の行程でふと立ち寄り湯にも来ることができるのが、ドライブも捨てがたい理由である。

休憩所で少しのんびりとして、そろそろ帰途につくことにする。途中、有田市内に入り、みかん農園経営のⅠ氏の「みかん御殿」の近くを通る。後でメールをしてみたのだがこの日は畑の草刈のようだった。ちょうどみかんの花が咲く頃で、また冬には美味しい果実がたくさんできることを期待したい。

そのまま順調に走り、和歌山市に戻る。そこでふと寄り道したくなったのが、和歌山マリーナシティ。何か海産物でも・・・と思ってのところ。夕方ということで鮮魚コーナーはそろそろ店じまいのようだ。せっかく来たのと、帰宅までにはまだ距離があるので腹ごしらえをしようというもの。

Dscn4537残っていたまぐろの寿司にビール・・・ではなくノンアルコールを買い求め、潮風を受けながら一息。釣りやデートを楽しむ人たちの姿も多い。

それならば、と海べりまで行ってみる。ここも「恋人の聖地」認定スポットである。ただこの時間は恋人より釣り人のほうが目立つし、通路の上にはなぜか小魚が打ち上げられたりしている。まさか自分で上がってきたものではないだろうが。

Dscn4546日暮れにはまだまだ時間があるが、そろそろ夕焼けモード。朝の白崎海岸に始まり、夕方の和歌の浦。途中には古い街並みに鉄道、温泉と混ざり、なかなか濃い時間だったと思う。遊びのドライブに「あるべきようは・・・」と固く考えることもないと思うが、これも漫然と走るよりはいろいろと組み立てた方が面白いということと考えるか。

これから海が似合う季節。和歌山にもまた訪れてみたいものである・・・・。

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有田川町鉄道交流館~鉄道ありやなきや?

2012年05月17日 | 旅行記E・関西

Dscn4464湯浅の町からカーナビで場所を特定できなかったスポット(一応、その場所の住所も入力したのだが、それでも受け付けてくれなかった)、まあ、ちょっと回らなかったのはカーナビのせいということにして、ようやくたどり着いたのが金屋口。有田鉄道のバス、タクシーの営業所ということでようやくカーナビに乗っかってきたというところである。

Dscn4467そうして訪れたのが、有田川町鉄道交流館。ここは、湯浅、藤並からこの金屋口までかつて鉄道を走らせていた有田鉄道の跡地である。2002年をもって廃線ということになったのだが、地元の人たちの熱意によって鉄道に触れることのできるスポットができたということである。

有田鉄道というのがあることは、子どもの頃に「私鉄大百科」だったか、全国の私鉄の路線紹介をしたミニ百科事典のような本で見て知ったことである。同じ和歌山には野上電鉄とか紀州鉄道とか、国鉄から分岐したミニ路線があったなというのを子どもながらに知ったことで、その1ページに1両の気動車を真横から写した画像というのが、「何だかのんびりしていていいな」と思ったものである。

Dscn4475それがこの有田鉄道のキハ58003という車両。かつては富士急行に在籍していたというが、車両の塗装は国鉄の急行型そのもの。現在はこの塗装はおろか、旧国鉄のキハ58という車両も全て現役引退してしまったのだが、こうして間近に接することができるのも興奮ものである。

Dscn4488有田川町の町おこしということなのだろうが、かつての鉄道路線を何らかの形で残す試みは素晴らしいと思う。交流館に入るには200円の入場料がかかるが、そこに入ると鉄道模型やかつての備品の展示など、小ぶりながら充実している。鉄道模型は交流館のものでも持ち込み車両でも運転できるそうだが、デフォルメはあるもののかつての有田鉄道の雰囲気や沿線スポットがレイアウトの中に組み込まれているのがいい。また、室内の2辺を使ってのHOゲージによる沿線の模型も結構造りこまれいている。こういうのを見るに連れ、ぜひ乗りたかったなという思いで一杯である。国鉄型気動車からレールバスに変わっても2002年までは有田川沿いを走っていたわけで、その気になれば十分乗れた路線である。

Dscn4473模型以外の展示について、もっと有田鉄道のありし日の姿を紹介する史料的なものがあればよかったと思う。貨車とかレールバスが置いてあるのもいいが、文書的なものとか往年の賑わいを捉えた写真とか。ただ、それを上回る「史料」というのが目の前のキハ58003。これが毎月第2、第4の土日には構内を走るという。動態保存というのは面白く、これがあるために急遽和歌山方面のドライブを決めたということもある。

Dscn4509この気動車も1日4回運転するということだが、時間があるので少し周囲を歩く。有田川の土手に沿って5分も歩くと、かつての金屋口の駅前に出る。簡易な造りの駅舎、その隣は有田鉄道の営業所やバスターミナルが広がる。保存会の人たちが作業をしているようで駅舎の中には入ることができないが、駅前の閉店したオークワとか、細々と商売をしているような古い造りの酒屋の建物などを見る。バスの時刻表を見たが、JRの藤並駅まで13分ほどで到着するという。まあ道路の混雑がどの程度なのかは知らないが、これでは無理に鉄道で維持するほどのものでもなかったのかと思う。バス会社が今でも「鉄道」を名乗るのも(ここ有田に限ったことではなくいくつか事例はあるが)、ちょっと妙な感じがする。まあ、紀州鉄道などは大阪駅の近くに堂々とビルを掲げているのだが・・・・。

Dscn4497Dscn4515再び交流館に戻り、アイドリング中の気動車に乗り込む。ちょっとくすんだ紺色のシート、栓抜きのついた窓側のテーブル、「JNR」の文字が入った扇風機・・・かつて乗った「急行型」そのものの車内である。これはもううなるしかない。

Dscn4500客室の中央に張り紙がされている。この車両、昭和の風情を描く映画『ALWAYS』のロケになったという。気動車の中で小雪さんと吉岡秀隆さんが向かい合って会話するというシーンがあり、そのロケ現場がこの有田川鉄道交流館だったという。車内にはお二人と監督のサイン色紙も飾られている。『ALWAYS』、鉄道の描写もあるとかでレンタルDVDでも観たいなと思いつつ、シリーズ通してその機会がない作品である。いつか観てみよう。

Dscn4522日中の4回に運転するという気動車。時間になると子ども連れとか、「その筋」の人とかがどこからともなく集まってくる。そして出発。窓を全開にして、気動車のエンジン音を久しぶりに楽しむ。本当、このまま藤並でも湯浅でも、何なら紀伊半島を一周してもいいくらい。

Dscn4526ただあくまで動態保存の一環としての運転の気動車。100メートルほど走るとここで停車し、向きを変える。あくまで動態保存。逆走して交流館の横を過ぎ、到着したのは旧金屋口駅。折り返しまでの5分間、ホームに降りることができる。先ほどは「立ち入り禁止」のロープに阻まれた空間であるが、これはいい。

Dscn4530今にして思えば小ぶりな終着駅である。ただ、鉄道がやってくるこの安心感というのは何なのだろう。わずかの時間であったが、しばしのタイムスリップを楽しむことができた。うーん、でも逆にいえば、鉄道を楽しむということは今となってはこういう「過去の世界」でしかできないことなのかなと、鉄道を取り巻く厳しい現実も感じるところである。どこかの駅から終着駅までの「盲腸線」に果たして将来はあるのかと、現在各地で走っている路線の行く末にも思いを馳せることに。

Dscn4479端から端まで500メートルにも満たない区間ではあるが、昼下がりの一時を過ごすには格好のスポット。今回はクルマでの訪問となったが、路線バス、コミュニティバスも使いようによってはのんびりとした一時を過ごすのにうってつけ。ちょっと坂を上ればコンビニもあるので、そこで食材を仕入れるのもいいかなと。ハンドルを握っていなければ、かつての急行型気動車の車内でのワンカップ酒・・・というのもあり。

Dscn4478この日の大きな目的も果たせたかなという思いもあり、この後は当初予定しておらず、その存在もここに来て初めて知ったというスポットに足を延ばすことに・・・・。

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醤油と味噌の町・湯浅

2012年05月16日 | 旅行記E・関西

白崎海岸から再びクルマで移動。海岸べりを走ったり、みかん畑の中を走ったりの道中である。ふと向こうから、こちらでみかん農園を営んでいるⅠ君が軽トラで現れそうな感じである。

Dscn4445やってきたのは湯浅の町。漁業の町でもあるが、それ以上に日本の醤油発祥の地というのを売り物にしているところである。鎌倉時代に中国から伝えられた金山寺味噌をベースとし、その上澄みがもともとの醤油のルーツという。味噌に醤油が有名というと、何だか口の中にしょっぱいものが漂いそうなイメージである。それに紀州の南高梅を合わせると大変なことになりそうだ。

Dscn4414
駐車場がなかなか見つからず、結局駅前の有料駐車場に停める。ここから街並みの散策である。駅そのものも木造風で、国鉄時代の風情をとどめているようだ。だいたい駅から徒歩15分圏内に昔ながらの建物保存地区が残る。

Dscn4415またかつては熊野古道の通り道としても賑わっており、道しるべも残る。昔の家屋が休憩所として(移築されたのかな?)あり、そこでパンフレット等を手に入れる。ポツポツと散策の客もいるようである。

Dscn4431Dscn4426その後はパンフレットを片手にぶらつく。クルマも頻繁に往来する生活道路の側面もあるが、一方では人がすれ違うのもやっとという路地裏もある。ただ町全体がそれほど観光俗化しておらず、生活する人にはなかなか不便も多いのだろうがごく自然な表情を見せてくれる。古い建物が多いといっても、それが土産物屋ばかりだった・・・・というのでは面白さも半減するようだ。

Dscn4438昔の銭湯を民俗資料館として開放している建物がある。道後温泉を意識したという深い掘りの大理石の浴槽などを見た後は、昔の商家のコレクションの数々に出会う。ボランティアの方があれこれと説明してくれる。

Dscn4448そうするうちにやってきたのが北町通り。ここは川に近く荷の積み出しが容易ということなのだろう、醤油や味噌の醸造元が並ぶ。味噌は太田久助吟製、そして醤油は角長が老舗という。醤油を求めに角長に入る。道向かいの蔵にはかつての醸造道具なども展示されており、日本の醤油発祥の地にあって、かつその伝統を一番に受け継いでいるという自負を感じさせる。せっかくなので土産用としてたまり醤油にひしおを購入。帰宅後にひしおを嘗めてみたが、現在でこそ醤油の大手メーカーは龍野や野田、銚子といったところの本拠地があるが、「ウチが日本の元祖なんやで」と言わんばかりの個性の強さを出していたように思えた。

Dscn4452店の裏手に堀が残されている。山田川の河口にほど近く、ここから各地に出荷されていったことも伺える。また、現在は車道となっているがかつては有田鉄道の線路もあったようで、湯浅の醤油・味噌に有田のみかんも集積し、全国に流れて行った拠点であったことも伺える。

Dscn4460町並み自体は自然に古く残っており好感は持てる。道に面して瀟洒な造りの建物が見えるかと思えば、路地裏に入ると明治時代の落語に出てきそうな長屋が並んでいたりする。少し離れたところから見るとなんだか傾いて見える建物もある。人が住んでいるのかな?表札もでていないけど・・・と思いながら歩くと、突然木の戸が開いて若いお姉ちゃんが出てきたりする。確かに観光ずれはしていないように見えるが、筋を一本入ると日中は人影も見えず、何だか歩いているこちらが怪しく見えてしまいそうなところもある。あとは時折顔を出す自民党の二階俊博議員の恐い顔のポスター・・・・。

いろいろ歩き回った後で昼食とする。現在湯浅では「しらす丼」を町おこしにしているようで、町内に10数軒のしらす丼を出す店があるという。いいじゃない、しらす丼。

Dscn4462パンフレットを見て結局たどり着いたのが、駅前にある「かどや食堂」。夜は居酒屋もやってそうな雰囲気の店であるが、こちらでいただくことに。ちょっと値段の高い「生しらす丼」もあるが、ここはシンプルに通常のしらす丼で。しらすそのものの味も飾らない感じでよいのだが、そこに湯浅特製の醤油が垂らされている。うーん、これはいくらでも入りそうな味。醤油も、化学調味料を食っているような味とは全然違う。当初、この日のドライブの昼食をどうしようかと考えていたが、しらす丼の選択は合っていたと思う。もっと時間とお腹に余裕があれば、町内各店のはしごも面白かっただろう。

改めて醤油と味噌を湯浅土産とし、昼食を終えたところで次なる目的地に向かう。ただ、カーナビに載っておらず、目的地のあたりを少しぐるぐると回り、別の目標物でようやく見当がついてたどり着いたところであるが・・・・。

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紀伊由良・白崎海岸

2012年05月13日 | 旅行記E・関西

また海を見たいと思う。先日は初夏を思わせる日本海だったので、今度は瀬戸内海か太平洋を、という気持ちがあった。その中でクルマのリハビリを兼ねて向かったのは阪和道。このまま和歌山へ南下し、さらに海南湯浅御坊道路を広川インターで下車し、到着したのは白崎海岸。

この海岸は、有田でみかん栽培を行っている大学の同級生・Ⅰ君宅を同級生連中で訪ねた時に案内してもらったことがある。その時の独特の景色と海の美しさを覚えており、何だかまた来たくなった。公共交通機関だとかなりアクセスが悪いので、クルマ利用ということになる。

Dscn4393自宅からはちょうど2時間で到着。北西からの風が強く、涼しいどころか寒さすら感じる。それでも、白い岩に打ち寄せる波の美しさは前回同様である。ここはダイビングのスポットとしても有名なところで、海に入るための階段も設けられている。

Dscn4396潜りか・・・・いろいろ珍しい海の魚に出会ったり、自然に触れる醍醐味というのがあって面白いものだろう。マリンスポーツを楽しむといえば、何だかイケてるなという気がするし。ただ泳ぎに自信がなかったり、眼鏡を外さなければならないということで海に潜ったところで視界が効かないとなれば、私にはない世界なのかな、と思う。

Dscn4395だから海岸べりを下を向いて歩くのだろうが、風の影響、潮の流れでいろんなものが打ちあがっている。中でも、漢字で書かれたこのペットボトル。これを見てふと思ったのが、柳田國男の『海上の道』で、伊良湖岬の浜辺に打ち上げられた椰子の実を見て、民族学的視点から海上の道のスケールの大きさに感動し、友人の島崎藤村にその話をしたところ、藤村はそれにインスピレーションを受けて、あの『椰子の実』という、異国にて故郷に思いをはせるという内容の見事な詞を書き上げた・・・というエピソード。

Dscn4397私自身、日本海ならハングルや漢字で書かれたものの漂着をちょくちょく見たことがあるが、太平洋側で漢字のペットボトルを見たことはなかったように思う。中国上海からのペットボトルに『椰子の実』のような情緒は感じられないものの、大陸とのつながりという点では面白い。まあ、東日本大震災の津波で流されたボールやバイクが遥か彼方のアラスカやカナダに漂着するというニュースもある。海流というのは地球全体で見れば何年がかりで循環しているのだろうか。そういうことに思いをはせるのも面白い。

Dscn4404海岸の名前である白崎、はるか万葉の時代から読まれた景勝地であり、現在は夕陽百選の一つとしてカップルにも知られたスポットである。一方でダイビングやキャンプのスポットを見るに、そのエリアを奇岩がぐるりと囲む形になっており、なかなかワイルドである。アクションものとか戦隊もののロケとかで使えそうかな。岩の成分は石灰岩というが、どれだけの年月を経て独特な形が出来上がったのか。

前回は上がらなかった展望台に上がる。南には日の岬、いくつもの漁船が浮かぶ紀伊水道の向こう側は薄っすらとではあるが四国も見える。地図で見れば阿南市というから、かなり南のほうではある。すぐに渡れそうに思うが、普段からも風が強く、また台風の通り道でもある。その航海が結構難渋をしたというのは「土佐日記」の頃からも変わらないのだろう。

Dscn4402Dscn4407海を見て気持ちも癒されたところで、次の目的地に向けて走ることにする・・・。

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おしい!広島県

2012年05月10日 | ブログ

確か先の連休の時だっただろうか。大河ドラマの影響もあり例年より多くの観光客が訪れたという広島の宮島・厳島神社。ただ、そのシンボルである大鳥居が無残にも工事用のフェンスに覆われていたということで、結構物議を醸したようである。

その様子をニュースで観ていたのだが、見方によっては姫路城の改修と同じく、「今だけの滅多に見られない光景に出会えてよかった」というコメントもあった一方で、やはり「何でこの時期に工事をやるのかな」という不満の声が大きかった。工事自体は前から決まっていたかのような言い方もされていたが、やはりここは、せめて連休中を避けるべきではなかったかと思う(実際工事はしていないわけだし)。

そのニュースの後のアナウンサーのコメントが「現在、『おしい!広島県』というキャンペーンをやっているそうなんですが、これは本当に『おしい』出来事ですね」と言っていた。「おいしい」ではなく「おしい」か。そういうキャンペーンがあるのかと(先月広島に行った時には全然気づかなかったが)思った次第。

そしてその後、通勤帰りにJRの環状線に乗っていると、車両まるごと「おしい!広島県」に彩られた車両に乗り合わせた。

Dscn4158内容は、広島県出身の有吉弘行さんによる「おしい!広島県発足宣言」という中吊り広告があり、その隣やらあるいはドア横でいろんな広島名物が紹介されるというもの。そのラインナップたるや、厳島神社にもみじ饅頭、お好み焼きに平清盛に広島東洋カープ、カキに鞆の浦に三原タコ、流川の夜のネオン・・・かつて広島県民であった私からみれば実に誇るべきものだと思うし、十分全国的に有名なものばかりという印象である。

・・・ただ、それが「おしい」らしい。確かに広島県というところは、日本のありとあらゆるものが一通り揃う県であると思う。世界遺産を初めとして、スポーツならカープにサンフレッチェもあるし、魚介類もあれば山の方に行けば山菜に牛肉もある。ただ、三拍子は揃っているものの、他の都道府県を圧倒的に引き離すシンボル的なものとなるとちょっと弱いような気がする。野球でいうなれば、走・攻・守の三拍子揃った玄人好みの選手がいて、初回から足を絡めて引っ掻き回すのは得意だが、絶対的エースが剛球で抑え込むとか、いてまえ打線のようにミラクルを起こす強力打線があるわけでもなく、なかなか頂点にはたどりつかない・・・・。そんな「玄人好みだがもう一つ一般的な人気がでない」という姿が、広島野球と広島県と相持って「おしい!」ということなんだろうなあ。

本当に「あと何かピース1つ足りない」と思うことがある。実力はあるのだが国民的人気にはならない。そういえば音楽、芸能の世界でもそうかなと思う。もっとも、広島系の方は結構頑張っていると思うが、それでもテレビの中では「おしい!」役回りだったりすることが多いが。先の有吉もそうだし、あとはアンガールズとかね。

とはいうものの、なんだかんだいって、同じ中国地方の政令指定都市である岡山にはないものがあり、やはり「中国の中心は広島かな」と思わせる。

この自虐的なキャンペーンを一つの糧にして、中国地方における広島の活性化、さらには復権に何とかつなげてほしいものである。

みんな来んさいや!絶対、ええとこあるけえな・・・・!

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丹後浪漫からオフ会へ

2012年05月09日 | 旅行記E・関西

天橋立から丹後半島の伊根へと向かった1泊旅行。伊根から傘松公園下のバス停まで戻り、ここからはまた海路で天橋立駅に戻ることにする。

Dscn4344往路はモーターボートに乗ったのだが、帰りはちょうど時間がよかったこともあり、普通の観光船に乗車する。座席よりも後部甲板のほうが人出が多い。一方のモーターボート乗り場であるが、そちらにも結構な行列ができている。

Dscn4343観光船に乗ると海の風を楽しむことができるのもメリットであるが、ここでもまたカモメにトンビが寄ってくる。それにかっぱえびせんをやるのも楽しみということである。ただ、伊根の観光船に比べると天橋立のカモメはおとなしいのか、それほど船の周りに寄ってくるということもなく、えびせんをくちばしでダイレクトキャッチするということもなく、左手に松並木を見ながら淡々と進む。うーん、天橋立は日本三景にあってもやはり高いところから眺めてこそ面白く、絶景であると感じさせるところであると思う。

Dscn4351再び智恩寺に参拝する。本堂にあたる文殊堂には行列ができていた。やはりそれだけ知恵にあやかりたいのかな・・・と思う。ただ、「三人寄れば文殊の知恵」というのはよく言い得た成語であると思う。このタイミングでここに参拝したのはよかった・・・と、この数時間後に何やら実感することになったのだが、それは後の話として。

前泊効果もあり、渋滞も避けて満足気の行程をこなすことができた。予定していた列車には1時間以上間があるが、ここからどこかに出かけるのももういいかなという気持ちである。1本早い列車で出立するという手もあるが。

そんな中、駅の中をのぞいてみると「丹後浪漫号」の表示があった。ここから福知山ではなく西舞鶴に向かうのであるが、そちらに行って福知山に戻っても予定の特急に間に合うことがわかった。それならば、「丹後浪漫号」に乗って宮津線の乗りとおしというのもいいかな。

Dscn4359ということでホームに出てみると、停車していたのはかつて特急としても使われていたタンゴエクスプローラー号車両。ハイデッカー式の座席が並ぶ3両編成の列車。その海側の座席を確保する。こちらの列車にも結構な乗客があった。

天橋立を出発すると、早速左手に宮津湾の車窓が広がる。宮津の駅前までクルマの列が続いている。なるほど、これが丹後半島の先まで影響を及ぼす渋滞ということか。クルマでの移動や旅行も時間の制約がなく、思い立ったスポットに足を延ばせる利点があるが、こういう渋滞を目の当たりにすると「やはり鉄道やな」と思うものである。

宮津の次の栗田では、無人のホーム1本しかない駅にも関わらず大勢の乗車があった。某旅行社の旗を持った添乗員の誘導で、空いている席に座っていく。昨今のローカル線ブームにあやかってか、一部区間のローカル線車窓を楽しもうというものだろう。こういう形での乗車というのも、鉄道会社から見ればまあ「あり」なんでしょう。・・・もっとも、こういう光景、『週末鉄道紀行』の著者あたりが見ると激怒するかもしれないな。原理主義者から見ればそういう中途半端な乗り方など許せないことだろうから・・・・。

Dscn4369栗田を過ぎ、海に沿っていくつかのトンネルを抜けるうち、奈具海岸を見下ろせるポイントで一旦停車。波も穏やかで、長年の風雪に耐えてきた岩場も見応えがある。しばらくの時間であるが、岩場の風景を楽しむことにする。車両の窓が開けばなおよかったのだが・・・。

Dscn4375森鴎外の『山椒太夫』にもなった安寿と厨子王の物語でも知られる丹後由良を過ぎる。こちらの海岸もなかなかの見応えがあり、本格的な夏ともなれば海水浴で賑わうのだろう。夏の海水浴、冬の海の幸・・・日本海ならではの楽しみではある。

Dscn4380その丹後由良を過ぎると、由良川を渡る長い鉄橋に出る。ここでは一旦停車こそないものの、徐行運転で通過していく。橋脚のすぐ下を流れる由良川。このところの雨の影響で水嵩も増しているようである。そして左手に見える河口部分。この鉄橋も宮津線の大きな見どころの一つ。

この後は山間部に入り、四所で団体客が下車していく。ちょうどバスと添乗員が駅前で出迎えている。うーん、これもバス(クルマ)の利点ということになるのかな。

Dscn4386西舞鶴に到着。ここからは再びJRの旅となる。ちょうど丹後から丹波へと抜ける山間部で急に雲がどんよりとし、三色の雲が上空を覆うようになった。そうするうちに雨、おまけに駅に停まった時には白い粒になっていた。どんだけ寒いのか。

Dscn4387ただ大きな崩れにはならずに福知山まで戻り、ここから当初の予定どおり特急こうのとりに乗車する。今度は指定席の指定通りの席に座ったが、思うに、なぜ自由席がフリーストップの座席で、指定席が少し動くとバタンと戻ってしまう、シート幅も狭い簡易リクライニングの座席なのかと考え込む。でも指定席の乗車率は3分の2ほどで、私の隣には相客も来なかったから、それはそれでよしとしなければならないか。

・・・・ということで福知山線で南下し、大阪に着いたのが18時55分。普段なら乗った列車の最後の写真でも撮ろうかというところだが、この時は一直線で改札を出て、地下道に入り、そしてまた地上に上がった。

そう、「この行事があるために最初からの旅行の行き先を変え、かつ代替えの日帰り旅行も何とか少しでも間に合うような行程として、その産物で前泊もあり」ということになったオフ会である。幸い予定から5分程度の遅れで合流することができ、改めて乾杯ということに。最大なら男女5名ずつ10名まで集まろうかという同士ではあるが、結局は男女3人ずつの6名ということに。

この日の集まり、こういう形で飲みとなるのは初めて同士である。4月のある日、とある集まりでたまたま顔を合わせた人ばかり。その時2時間くらい席を共にし、その後にお茶をしたところで一気に意気投合。これは「とあること」を目的とし、意識をしている人たち同士の集まりということで話の共通点もできたこともあるだろう。しがらみのないところでの情報交換とかアドバイス、あとはお互いに異性の視点からの話も聴けるというところも大きい。また、そういうことを積極的にやっていこうという考えの持ち主が多かったのも確か。

それが「連休中にみんなで会おうよ」という、Aさんを中心とした声かけがあり、ならばということで私も旅程を変更して参加することになった。その中で結構濃い話、面白いこと、真剣なこと、痛い話・・・・いろんなことが飛び交った。結局時間制限のある最初の店を出てからも足りないということで場所を移し、そこでもいろいろなこと。聞く方にも話す方にも熱が入る。

気が付けばそろそろ終電が近いということで、またの再開を期して分かれることに。私も最後まで出席し、一人の人と地下鉄に乗ってその中でも話し込んだのはよかったのだが、結局は最寄駅までの終電は逃した。最後は地下鉄をそのまま終点まで乗車し、そこからのタクシー利用という選択に。でもまあ、タクシー代には変えられない有意義な時間を過ごしたのは大きく、これからの励みにもなったかと。休日の過ごし方にも影響が・・・出ればいいな。

いずれ、そのあたりのことも拙ブログで触れることができればと思う・・・・。

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伊根の舟屋を巡る

2012年05月08日 | 旅行記E・関西

路線バスは伊根湾めぐりの拠点となる日出に到着。ちょうどすぐ伊根湾めぐりの観光船が出るというので急いで乗船券を購入して乗り込む。

伊根といえば海に面して広がる舟屋と呼ばれる独特の造りの家屋が残る街並みで有名である。これまで多くの旅行記でも取り上げられたところであり、今更私がどうのこうの言うところではない。私も過去に2回ほど観光船で見物したことがあるが、他では見られないこの佇まい、何度来てもいいかなと思う。

Dscn4212まずは観光船に乗るが、この観光船の大きな売りがカモメとの戯れ。乗り場、そして船内にかっぱえびせんが1袋100円で売られている。あちこちの観光船でカモメにやる餌といえばかっぱえびせんが相場のようで、カルビーさんも地味ながら安定した商売をしているなと思うところである。私も買い求め、何分の1かは自分用としつつも、カモメが舞う中に放り投げてくちばしでキャッチする様を楽しんだりする。

Dscn4221おっと、かっぱえびせんに夢中になり過ぎると、肝心の舟屋の建物を見逃してしまう。よく「観光船はなかなか舟屋の近くに寄らない」という声があるが、いかに伝統的な建物の保存地区とはいっても生活している人たちのプライバシーがあるからということで、あまり近くには寄らないという。それでも、何棟もの木造の家屋が寄り添うように、またそれぞれの個性を出すように並ぶ様というのは、日本広しといえどもなかなかあるものではないだろう。

Dscn4226Dscn4232いつしかカモメのことはどこかに追いやり、街並みのほうを食い入るように見つめていた。

Dscn4236Dscn4240こういう家屋を見ると、「台風の時などは大丈夫なのか」と思うのは当然だろう。ものの本では、伊根湾自体が南向きに入り組んでおり、入口に島があることで防波堤の役割を果たしていることから、台風の影響もさほど受けないとのこと。砂浜がなく、いきなり海底が深いというのもプラスになっているとか。

Dscn4257さすがによほど大型の台風なら浸水はあったかもしれないが、江戸から明治、大正、昭和にかけての古い家屋がしっかり残っているところを見ると、舟屋の構造というのはこの地に合ったものなのかなと改めて感じさせられる。

30分足らずで観光船は日出に戻る。普通であればこれで伊根観光は終わりで、次のスポットへということになるのだが、この日の私は時間がある。というか、伊根での時間をつくるために前泊したといってもいいくらいである。これまではなかった、伊根の街並みを陸側から見てみようと思う。歩いても行けないことはないのだろうが、ちょうど観光船乗り場にレンタサイクルがあるようだ。2時間400円で、借りる時に保証料として1000円を預けることになる。道を挟んだ車庫のガレージのシャッターを開けてもらって自転車を取り出し、伊根の集落に向かう。

Dscn4333こうして陸を走る分には舟屋の風情はわかりにくいものの、道の両側に木造の家々が並んで落ち着いた雰囲気が伝わる。最近の造りでは、母屋は山側にあり、海側の舟屋は1階は舟の置場であったり作業場であったり、果ては物干し場にもなる。そして2階が客間などの部屋として利用されていることが多いとのこと。やはりこういう場では海側が上座になるということかな。

Dscn4283レンタサイクルを走らせると、時折フリースペースのようなところが現れ、そこから間近に舟屋を海側から見ることができたりする。もっとも昨今は小型船といっても大きくなり、舟屋の1階に入れることができずに舟屋の前に停泊させるという家も結構あるようだ。

Dscn4332中には民宿を営む家もあるようだ。事前に予約すれば舟を出して舟屋を海から見せてくれるということもしてくれるようである。観光船のようなカモメとたわむれるという場面はないが、こちらのほうが本格的な案内も聞けそうだし、舟屋を間近に見られるのも面白そうだ。もし次に伊根を訪れる機会があれば、こうした民宿を利用するのもいいかな。漁船で舟屋を見て、「ええにょぼ」を抱きながらの一夜というのもいいな。あ、「ええにょぼ」といっても人間のことではなく、伊根の女性杜氏の手による地酒のことだが・・・・・。

Dscn4313自転車を漕ぎつつ、雰囲気のよさそうなところでは停止してカメラを構える。正直、地元の人たちにとってはこうして用もないのに集落に入り込んでくる観光客はどう映っているのかわからないが、観光客の目から見れば羨ましく映るものである。

Dscn4299集落の先端まで行って引き返す。そして急な坂道を上りやってきたのは道の駅。駐車場には時間待ちのクルマの長蛇の列ができており、その中を自転車で縫って走る。時刻はちょうど昼食時で食堂も順番待ち。

Dscn4301カンパチを中心とした刺身の盛り合わせにメバルだかの煮付けがついた舟屋定食というのを注文。走ったのでビール・・・と行きたいところだったが、自転車でも飲酒運転になるということでここは水で我慢する。

Dscn4308食後は展望台から伊根湾の全景を見渡す。こうして見ると実に穏やかな景色が広がっているのがわかる。そこを観光船、漁船が行きかうのも面白く、舟が生活の糧であり足でもあるこの集落の面白さが伝わってくる。ドラマの「ええにょぼ」の記念プレートもあり、「誰が出ていたっけな」「戸田菜穂と板東英二おったよな」「戸田菜穂って誰やったっけ?」「ほれ、一時アメリカに行った松井と噂になっとったやろ・・・」てな会話も聞こえる。

Dscn4320再び集落を抜けて伊根湾めぐりまで戻る。ここで自転車を返す。バスの時間までもう少し時間があるので今度は歩くことに。集落の中の経ヶ岬よりのバス停までバスを出迎える形となる。

今度は時間通りにやってきたバスだが、運転手が伊根湾めぐりのバス停で係員と話している様子では、宮津から天橋立にかけて渋滞が激しく、あちらから来るのに現在1時間近く遅れているとのこと。やれやれ、ここまで早い時間の移動だったので順調に来たが、下手をすれば大渋滞に巻き込まれて計画がズタズタになっていたかもしれない。

Dscn4337穏やかな海岸線を走る。帰りも傘松公園のところで下車することにしようか・・・・。

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