不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

しばらく休みます

2016年09月26日 | ブログ
拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

タイトルにありますが、しばらくブログの記事書き込みをお休みします。

今、何かを書く心境になく、気持ちが荒んでいる感じです。

別に変なことは考えてません。少し気持ちを落ち着かせようと思います。

野球は終わりましたが、どこかへ出かけたいという気持ちには変化はありません。まあちょっと、いろいろありますので。

数少ないながらも読んでいただいている方には申し訳ありませんが、しばらくお待ち下さい。
コメント (8)

第6番「宝亀院」~新西国三十三所めぐり・18(九度山・真田幸村ゆかりの地)

2016年09月24日 | 新西国三十三所
話は寺めぐりから離れるが、大相撲の秋場所で大関豪栄道が初優勝した。場所前は稀勢の里の綱取りが続いていたり、初日にその稀勢の里を破った隠岐の海の横綱大関撃破が話題となったが、上位陣の最後で隠岐の海を止めたのが豪栄道。白鵬の休場というところではあったがそのまま連勝し、14日目で優勝を決めた。おめでとうございます。

豪栄道は寝屋川出身。大阪出身の力士で幕内優勝したのは85年ぶり3人目である。優勝の瞬間は寝屋川でも大いに沸いた様子がテレビに映っていた。久しぶりに大阪のスポーツ、アスリート(相撲の力士はちょっと違うと思うが)で盛り上がったのではないかと思う。大阪の人間として嬉しいと思う。

・・・さて、豪栄道で大阪が盛り上がるところだが、今年は元々この人が注目されていたのではないかと思う。真田幸村。今回、高野山まで行った帰りに、関ヶ原の戦いの後で真田昌幸・幸村親子が配流された九度山に立ち寄ることにする。駅も真田幸村ゆかりの地としてPRに懸命である。赤備え、六文銭があちこちにこれでもかというくらい見られる。

橋本方面のホームには真田十勇士のパネルがお出迎え。真田十勇士は講談などで創作や脚色されたものとされているが、それだけにその世界で自由に活躍するキャラクターたちが揃っている。先日も中村勘九郎や松坂桃李らによる真田十勇士の映画が公開されたばかりである。

駅舎も真田一色である。ちょうど町歩きを楽しんできたハイキング姿の人たちが駅に戻ってきたところで、こういう人たちも今年は真田ゆかりの地を巡るのが楽しみになっているのだろう。

九度山という地名は真田ゆかりのものではなく、弘法大師までさかのぼる。弘法大師が政所としてこの地に伽藍を創建し、その後、讃岐から訪ねて来た大師の母がここに滞在した(女人禁制ということで高野山に上がることはなかったのである)。大師は修行のかたわら月に九度この地を訪れて母に顔を見せたという。ここでいう「九度」とは「9回」という意味ではなく「たくさん」ということだが、それだけ母を敬う心があったということである。その伽藍は「慈尊院」と呼ばれ、今は真言宗の別格本山、女人高野として信仰を集めている。高野山へ続く町石道の起点でもある。だから慈尊院までお参りするのが本来の九度山歩きなのだが、今回は時間のこともあり、その手前の真田関係だけとする。

駅前の商店街をはじめとした軒先に、赤色の兜の折り紙が吊るされている。その先には十勇士の名前と六文銭が書かれている。真田つるし飾りというそうだ。町の人たちの思い入れを感じる。また、あちこちの電柱には、真田十勇士と昌幸・幸村・大助という真田3代をキャラクター化したパネルが貼られている。それぞれ手には地元名産の富有柿を手にしているのが特徴で、一緒にアピールである。

真田庵というのに出会う。真田昌幸・幸村親子が住んでいたとされる屋敷の跡で、今は昌幸の墓がある寺になっている。本堂に当たる建物の軒先では真田グッズが並んでいる。また境内の一角には博物館がある。入館料200円は入口でお金を入れる方式だが、真田ゆかりのものとされている品々が並んでいる。

真田庵は以前からあった建物として、今年の大河ドラマに合わせてオープンしたのが、真田庵からすぐ近くにある九度山・真田ミュージアムである。大河ドラマの舞台となったところでは、いろんな形での期間限定のミュージアムが建てられ、それが地域観光の目玉になることがある。ここもその一つだろう。真田幸村の生涯で14年間という長い期間を過ごした地だけに、町としても気合いが入っている。大河ドラマに合わせて建てられたこの施設の中には、ドラマが終わると取り壊されるものがほとんどのように思うが、このミュージアムは建物としてしっかりしているので、来年以降もこのように展示するのか、あるいは別の活用をするのか。

出迎えるのは昌幸・幸村・大助の3代の人形。入場すると「まず、ここで記念写真を撮ります。その写真をカードにしたものを無料でお作りしますし、大型写真は別にお買い求めいただけます」との案内。写真を撮られるのはあまり好きではないのだが、まずは1枚パチリ。

その後は真田3代を時代ごとに紹介するコーナーである。武田家滅亡後の上田時代、関ヶ原後の九度山時代と来て、シアター室に入る。ここでは九度山蟄居から大坂の陣までの様子を、元NHKの松平定知アナウンサーのナレーションで再現映像に仕立てている。ギャラリー席の椅子が六文銭に並んでいるのはこだわりである。

続いては大坂の陣の様子のCG紹介。夏の陣では、私の地元藤井寺から羽曳野にかけて道明寺合戦というのがあり、幸村のほかに薄田隼人、後藤又兵衛という豊臣方の猛将たちが激戦を繰り広げた。

真田幸村という人も、歴史的に見れば大坂の陣というわずかな期間にパッと出てパッと散った人物である。歴史上の人物を見れば、産まれてから亡くなるまでの足跡を丁寧にたどって、その一生が長いドラマとして描ける人物もいれば、生涯のわずかな時間が時代を超えてずっとスポットを浴びせられる人物もいる。その代表的なものが真田幸村であり、大石内蔵助であると思う。上田合戦などで武功を挙げたとされる真田幸村はまだしも、特に大石内蔵助は、仕える主君が江戸城松の廊下で刀を抜きさえしなければ、その生涯は赤穂の昼行燈で、何ということもないただの家老で終わっていたはずである。その前に、昼行燈という呼び方すら後世に伝わることすらなかったであろう。

展示の最後は、真田十勇士を含めて後世まで語り継がれた様子の紹介。さまざまな形で取り上げられているし、先の記事でも触れた「戦国BASARA」もそう。その中で私がうなったのは、映画「真田幸村の謀略」のポスター。東映の時代劇・・・ではなくアクション映画に分類されているが、松方弘樹扮する真田幸村と十勇士が、萬屋錦之介扮する徳川家康に挑むというものである。「真田幸村の謀略」とか「柳生一族の陰謀」とか、「戦国自衛隊」だの、「激突 将軍家光の乱心」などという、舞台は戦国や江戸時代だが、歴史考証を思いっきり無視したド派手なアクション映画のシリーズがある。今ならツッコミどころ満載なのだろうが、単純に観る分には今でも面白いと思う。先日公開の「真田十勇士」はこの流れなのかな?

展示室から出たところには、大河ドラマ関連の展示。ドラマを観ていないので「ああそうか」というくらいのものだが、「真田丸」の題字や、出演者の衣装、サインなどが飾られている。これらは「企画展示」の扱いだったからドラマが終われば撤去されるのだろうが、それ以外のコーナーはしっかりした造りで、これはこの後もずっと真田関連のミュージアムとして観光の拠点にするのかなと思う。

今回の九度山見物はここまでとして、暑い中をまた町並みを歩いて駅に戻る。ちょうどやってきた列車に乗り、橋本から河内長野を経て帰宅する。

・・・それはさておき、大河ドラマのほうは関ヶ原の戦いも終わり、真田親子も九度山に蟄居ということになるそうである。それがちょうど9月25日の放映分だそうだが、ネットで見た記事では、ここでいきなり真田昌幸が亡くなり、年数が一気に飛ぶのだと言われている。幸村14年の蟄居生活も、大河ドラマにかかれば1話で終わるとか。なかなかドラマになるような話に乏しいのかもしれないが、14年を1話で飛ばすのはいくらなんでも・・・と思う。まあ、実際のオンエアはどのような形になることやら・・・。
コメント

第6番「宝亀院」~新西国三十三所めぐり・18(高野山奥の院へ)

2016年09月23日 | 新西国三十三所
高野山に来たのだから、やはり奥の院に行こうということで歩き出す。時間は12時を回っておりどこかで食事を・・・というところだが、あまり入りたくなるような店も見当たらないし、先にお参りを済ませようとそのまま歩く。途中、仏具店があり、経本を買い求める。これまで使っていたものよりコンパクトなものがあり、持ち歩きにもよいだろう。

多くある塔頭寺院の中で目を引くのは成福院。八角形の摩尼宝塔が目を引く。ここは太平洋戦争でのビルマ戦線での戦没者を祀る。前の住職が戦時中現地で僧侶をしていたことから、戦後になって戦没者の供養をするということを行うようになった。宝塔の中では戦没者の遺品もあれば、ミャンマーで信仰されている上座部仏教関連のものも展示されている。映画にもなった「ビルマの竪琴」もある。

アウン・サン・スー・チー氏のカレンダーなんてのもある。高野山にあって異国の雰囲気を感じさせるところである。

一の橋に到着する。ここから弘法大師御廟までは2キロほどの参道である。中の橋の駐車場まで直接バスやクルマで行くのが近道であるが、無数の墓碑、供養塔が並ぶ参道は、高野山独特の雰囲気があるところである。「聖域」を感じさせるというのかな。この日は平日ということでそれほど混雑しておらず、静かな雰囲気の中で歩く。菅笠、笈摺、金剛杖という四国遍路姿の人もいる。

御廟橋に着く。ここから先は撮影禁止である。また最近のはやりものを反映してか、「ポケモンGO」禁止の立て看板もある。私が四国八十八所めぐりに初めて渡った時は、ちょうど「ポケモンGO」が配信され話題になりだしたところで、「歩き遍路の道をずっと歩くと、どのくらいのポケモンがゲットできるのか、誰か実験リポートしないかな」と思っていた。ただやはり寺の境内は神聖なところだし、歩きスマホは何かと危ないのでそういう「実験」は行われないようだが。

灯籠堂で手を合わせ、さらにその奥にある弘法大師御廟ではお勤めを行う。やはり高野山の象徴とも言えるところで、大勢の人が手を合わせ、般若心経を唱えていた。そして再び灯籠堂に向かい、地下法場に下りる。この奥にある霊窟で今も弘法大師は修行をしているとされている。肖像画があるのだが、薄暗い中、輪郭が見えるか見えないかというくらいのものである。ここは地下空間ということもあり、静かに手を合わせるのがお参りの流儀だという。

これで奥の院めぐりは終了だが、今回は奥の院の朱印はいただいていない。四国の納経帳ではもちろん最後にいただくものだし、今回持参している新西国めぐりというのは、元々は聖徳太子の和の道をベースとしているものである。余白のページに何かいただくとすれば、聖徳太子に深く関係しているが、西国や新西国には加わっていない、あの世界的にも有名な寺がふさわしいのかなと思う。このため、今回は納経所は素通りして、参道を歩いて中の橋まで行く。さすがに腹が減ったので、駐車場そばの食堂でうどんをいただく。

帰りは中の橋から路線バスの臨時便で一気に高野山駅まで戻り、そのままケーブルカーに乗って極楽橋駅まで戻る。行きにずっと歩いて来た道も、バスとケーブルカーではあっという間で、やはり快適。

発車を待つ間に、橋本方面から観光列車の「天空」がやって来た。展望車両である緑の車両はテレビ番組でもよく紹介されるが、後部の自由席車両の塗装が凝っている。アニメ・ゲームの「戦国BASARA」仕様となっていて、描かれているのは真田幸村と猿飛佐助。理由は言わずもがなであろう。今年の大河ドラマ「真田丸」の主人公は真田幸村であることから、関西では大阪、そして九度山がPRに力を入れている。南海電鉄も時折大胆な塗装の車両を走らせる鉄道で、真田丸関係ではこの「戦国BASARA」の他にも「赤備え」の塗装の車両がある。

だとすれば、(大河ドラマは観ていないが)せっかくの機会なので、帰りはまだ訪れたことがない九度山に立ち寄ってみよう。こちらも赤備え、六文銭がお出迎えのようで・・・。
コメント

第6番「宝亀院」~新西国三十三所めぐり・18(これが本堂?)

2016年09月22日 | 新西国三十三所
女人堂まで歩いて上った後は、高野山上の平坦な道のりを歩く。この日は平日(今回、会社の代休にて出かけている)ということもあり、大勢の観光客でごった返すとまでは行かない。ただ夏休みなので子ども連れや、外国人観光客の姿はそれなりに見られる。

金剛峯寺を目指して歩く。さまざまな塔頭寺院が並ぶ。金剛峯寺や奥の院までのバスなら通過するだけだが、今回は歩きなのでそれらを止まって見ることができる。その一つに「浪切不動尊 別格本山南院」と書かれた石柱がある。浪切不動明王を本尊とするこちらは、「近畿三十六不動」の36番目の札所。観音めぐり、弘法大師めぐりの他に不動めぐり・・・他にも「西国四十九薬師」という薬師めぐりもあり、またいずれこれらを順番に片づけることがあるかなというところだ。

不動明王は年1回しか開帳されないとかで拝観はできないが、本堂の天井には「鳴き龍」という大きな龍の絵が描かれている。この目の下で手を打つと、天井と床が共鳴して音が響く。2枚の硬い板が平行していることで鳴る仕組みである。これと似たものを、しまなみ海道の多々羅大橋で体験したことがあるが、音がうまく反射するように精緻に造られていることの現れだそうだ。

金剛峯寺に到着。昨年の冬に、西国の番外ということで納経帳、納経軸に朱印をいただいた遍照殿を拝観。四国のお礼参りだろうか、笈摺姿で般若心経を唱える人も見かける。襖絵、庭園を見た後、しばし広間で休憩する。

目指す宝亀院へは、壇上伽藍を抜けて行くとちょうどよい。根本大塔に入ってお勤めをした後で向かう。

道路沿いに「宝亀院」の立て看板があり、目印になっている。ただし看板の後ろに見える建物は別の塔頭寺院であり、宝亀院はこの道の突き当りを右に曲がったところ。ちょっと奥まった場所にある。何とも小ぢんまりとした建物である。

山門をくぐると正面に「弘法大師御衣替霊場」とある。これが本堂か。お堂というよりは、本坊の土間のような感じである。ともかくお勤めをということで一通りの所作を終える。私の後で、孫らしいのを連れたお爺さんが入って来る。こちらは笈摺に四国の輪袈裟姿で、声高らかに般若心経を唱える。その後もさまざまな祈りの言葉を並べており、聞いていてこちらの気持ちも明るくなる。

「御衣替霊場」と呼ばれるのにはこのような言い伝えがある。弘法大師が入定して86年目のある夜、嵯峨天皇の枕元に弘法大師が立った。天皇はこれを受けて、観賢僧正を勅使として高野山に向かわせたところ、御廟に大師が現れたが、髪やヒゲはボサボサに伸びており、衣も汚れていて破れてボロボロだった。そこで僧正は井戸を掘り、その水で新しい衣を染め、大師の汚れた衣を着替えさせた。

嵯峨天皇は改めて勅願を行い、観賢僧正がこの井戸の場所に開いたのが宝亀院である。「宝亀」という名前は弘法大師が産まれた時の年号から取られている。衣替えの伝説は今でも受け継がれており、弘法大師の命日である3月21日には新しい衣を宝亀院の井戸水で染め、大師御廟にお供えする行事が行われている。弘法大師は衣を着替えて、また1年間の修行に入るとされている。暗くてよく見えなかったが、ここで祀られている弘法大師像は、嵯峨天皇の夢枕に立ったのと同じように、髪が伸びて衣もボロボロになった姿である。

霊水とされるその水は一般の人もいただくことができる。ただこんこんと湧き出ているわけではなく、井戸の横にある蛇口をひねって出すもの。ちょっと飲んでみるが、井戸水は井戸水である。霊水というにはムードがちょっとどうかなと思う。

他には大きな錫杖が立てられている。四国八十八所の大先達が寄進したもので、3度揺らすと四国を回ったご利益を受けられる。今、実際の八十八所めぐりに取りかかっているが、ここで錫杖を揺らして先に一周してしまうことにする。

小さいながらもいろいろな歴史があるなと感じ、横の納経所で朱印をいただき、宝亀院を後にする。文字は「御衣観音」とある。

・・・これは後で気づいたのだが、土間みたいな本堂だと思っていたのは、あくまで弘法大師のお堂であり、本物の本堂はその奥にあった。弘法大師のお堂の脇を抜けて行くので気づかなかったのだが、これは大きなミスである。観音霊場である観音はそちらの本堂にいるわけで、四国八十八所めぐりで言えば、大師堂だけ拝んで終わりにしたようなものである。山上とはいえ暑い中を歩いて判断力が鈍っていたか、元々注意していなかったか(本堂は奥にあるのに、案内表示がなかったからわからなかった・・・との言い訳はある)。札所めぐりの時、そこまでのアクセスは結構あれこれ考えるくせに、肝心の札所のことはそこまで細かく予習していなかったと反省。まあ、高野山にはまた行くこともあるから、その時にもう一度立ち寄って、今度はきちんと本堂もお参りするとしよう。何でも、本堂の横には、ボヤキ漫才、「責任者出てこ~い!」で有名だった人生幸朗の墓もあるとか。「手前の弘法大師だけ拝みやがって、ワシとこの本堂にお参りせんとはどういうこっちゃ。バカモ~ン! 責任者出てこ~い!!」と怒られそうだ。(その前に、なぜ宝亀院で人生幸朗?)

さて、新西国の次の行き先を決めるくじ引きとサイコロ。

1.赤穂(花岳寺)

2.龍野(斑鳩寺)

3.加古川(鶴林寺)

4.太子町・当麻寺(叡福寺、西方院、当麻寺)

5、滝野(光明寺)

6.高槻(安岡寺、神峯山寺)

6つの選択肢のうち4つが播磨の国というところで出たのは「5」の滝野。中国道の滝野社インターというくらいしかキーワードが浮かばないのだが、どんなところだろうか。列車で行くなら加古川線だし、中国道経由の西脇行きの高速バスで行くという手もある。9月の連休あたりにでも行こうか。

今回はすぐ横にある宝物館はパスして、そのまま奥の院に向けて歩くことにする・・・。
コメント

第6番「宝亀院」~新西国三十三所めぐり・18(極楽橋から不動坂を歩く)

2016年09月19日 | 新西国三十三所
このところ夏の静岡紀行と四国八十八所めぐりの記事を長々と書いてきたわけだが、その裏では新西国三十三所めぐりも継続している。前の書き込みから1ヶ月以上経っているので、「前がどこで今度はどこだったか」というのをおさらいしておくと、前回は阪急宝塚線シリーズということで、豊中の萩の寺と、川西の満願寺を回っている(それと合わせて中山寺にも行っている)。そこでのくじ引きとサイコロの結果、新西国で次に行くのが第6番の宝亀院と決まった。

宝亀院という名前だけ聞くと、果たしてそれはどこやねん?ということになるが、それがあるのは高野山である。金剛峯寺の、奥の院を中心に多くの塔頭寺院が建つ高野山だが、そのうちの一つが宝亀院である。新西国は昭和の初めに京阪神の新聞の読者による人気投票と、聖徳太子の和の道をベースに選定されたというが、数ある高野山の塔頭の中でここが選ばれたのは、何か歴史的ないわれがあったはずである。和歌山県の新西国札所は第5番の道成寺と、ここ宝亀院の2ヶ所だけである。まあ、新西国の札所はおよそ半数が兵庫県に存在するという背景はあるが。

ともかく、高野山である。この夏に四国八十八所めぐりを始めているが、高野山の奥の院といえば、八十八所全てを回った人が結願の報告に訪れるところでもある。中には、第88番の大窪寺にお参りしたその足で高野山にやってくる人もいるそうだ。一方で、今回宝亀院を訪れて、そこだけではいさようならと高野山を下りるのももったいない。そこで、やはり奥の院にも行くことにする。ただその名目は「このたび四国八十八所めぐりを始めて、少しずつ回ってるんで、まあこれからもよろしくお願いしますわ」というものである。

さて、今回行ったのは今からおよそ1ヶ月前の8月26日である。まだ昼間の最高気温が35度を超えようかという残暑厳しい時である。藤井寺から高野山までとなると、河内長野まで近鉄、そこから南海に乗り継ぐのが近道である。河内長野から急行の橋本行き(といっても河内長野からは各駅に停まるのだが)に乗り、橋本に到着。

ここから極楽橋行きの各駅停車に乗る。この区間は特急「こうや」号や観光列車「天空」が知られるとして、これから乗るのは各駅停車でも3列(1列+2列)のクロスシート車である。山岳区間を担当する車両である。これはいい。実は今回、先に九度山で途中下車して、真田幸村関係のスポットを歩いた後に高野山に上ろうかとも思っていてが、そのまま極楽橋まで乗ることにする。各駅に停車していきながら、少しずつ高度を上げるのを楽しみにする。天気がいい分、また暑くなりそうだ。

極楽橋に到着。高野山へはこのままホームを歩いてケーブルカー乗り場に行く。ケーブルカーなら5分で山上の高野山駅に着き、そこからバスに乗る。今回の目的地の宝亀院は金剛峰寺の壇上伽藍の南側、宝物館の西側に位置する。

ただ、このままケーブルですんなり上がるのもどうかなと思う。そこで来る前に考えていたのが、ケーブルカーを使わずに山上に上がること。山登り・・・とまでは言わないにしても、何か歩いてみたいなという思いがあった。極楽橋駅から不動坂というルートを通り、山上の女人堂までおよそ2.5キロ、1時間のウォーキングコースがあるという。一本道なので迷うこともないそうだ。

ということで、極楽橋駅で下車する。ここまで来た人は99.99%がロープウェーとの乗り継ぎ客ではあるが、ごくたまに下車する客もいるようである。とは言え、周囲には町並みや民家があるわけでもない、いわゆる秘境駅である。そのためか、改札口は自動だがICカードには対応しておらず、出る時は窓口に言って精算処理してもらう。改札口横にはウォーキングコースの地図もあり、杖の貸し出しも行っている。今回、高野山に行く、また極楽橋から歩くという算段をしながらも、金剛杖は持参していない。ここは借りたほうがいいのかなと思い1本取り出す。山上の女人堂、高野山駅などで返却可能とある。

折り返しの列車が極楽橋を出発し、ケーブルカーも出た後で人の気配がない中、駅の外に出る。6月にクマの目撃情報があったとかで、クマに注意の立札があちこちにある。杖には一応鈴はついているが、果たしてクマ除けになるだろうか(え?お前がクマじゃないのかって?? 誰がじゃ)。

道に出ると赤い橋がある。ここが極楽橋である。橋の両側には地蔵が祀られており、ここから伸びるのが不動坂である。京・大坂から続く高野街道の最後の急坂で、昔ながらの道として残っている。他に歩く人もおらず、私一人で挑むことになる。まずはケーブルカーの線路を横に見て上る。外から見てもケーブルカーが結構な勾配を上っているのがわかる。

道は舗装されており、ところどころ滑りやすいところもあるが、歩くのはそれほど苦にはならない。勾配もそれほど極端とは思わないが、途中で休むことなく上り勾配がずっと続く感じで、途中休むポイントがみつけにくい。途中、昔ながらのつづら折れの山道を行くコースもあるが、ここはそのまま現在のウォーキングルートを歩く。

極楽橋駅から30分ほどで清不動堂に出る。お堂があり、道端には丸太で作ったイスもある。ここからもう一上りするが、今度は昔ながらの山道を歩いてみることにする。女人堂への道案内の標識がそちらを指している。こちらもところどころキツい区間があったり、倒木が横たわったりというところもあったが、思ったよりは長くなかった。

高野山駅からのバス道の合流点に出る。休憩も入れたのでここまで1時間である。高野山駅から女人堂までの道路は路線バス専用で、マイカーだけでなく歩行者も進入禁止である。だから歩いて上るには不動坂を1時間かけて上ってくることになる。もっとも、高野山駅までケーブルカーで上がってきて、その後だけ歩きたいという場合はどうするのだろうか。

かつては女人禁制だった高野山金剛峯寺にあって、女性が立ち入ることができたのは女人堂までである、以前は高野山の七つの入口の全てに女人堂があったそうだが、現在残っているのはバス停もあるこちらのみ。まずは歩いて上がってくることができたことに手を合わせ、杖はここで返す。その杖入れ、金属の網カゴで作られているためか、ゴミ箱と間違えて空き缶などが捨てられている。これもどうかと思うのだが・・・。

山上まで上がったのだからと、この先奥の院まで歩くことにする。宝亀院へは、その途中での立ち寄りということで・・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~四国アイランドリーグ観戦(徳島対香川@オロナミンC球場)・後

2016年09月18日 | 四国八十八ヶ所
鳴門・オロナミンC球場での試合観戦。徳島・卯名根口(うなねぐち)、香川・田中の先発で始まる。

初回、香川先頭の井戸川はレフトフライ。するとここでマウンドに内野陣が集まる。何事かと思うが投手交代。先発して一人で交代とは、何かアクシデントでもあったのか。ただ、野手やコーチも血相を変えてマウンドに集まったという感じでもなく、元々何らかの理由であらかじめ一人で交代というのがあったのかもしれない。

次いで登板したのがブランセマ。こちらは先発要員であり、実質この投手がこの試合の先発と言っていい。豪快なフォームからバシバシ速球で押してくるが、死球とヒットで二死二・三塁のピンチを迎える。ここは5番・宗雪を空振り三振に切って取る。

1回裏の徳島の攻撃は、2番の陳品捷(チェン・ピンジェ)の二塁打と橋本の四球で一死一・二塁として、4番の小林がライト前にタイムリーを放ち1点先制。ここで5番に台湾の「至宝」張泰山を迎える。スタンドに向かってVサインを送り、バッターボックスに入る姿も自信満々に見えるが・・・あっさりと打ち上げて凡退。この日張泰山は残念ながら4打席凡退という結果だった。

続く渡辺のところで田中が暴投。三塁まで進んでいた橋本が生還して2点目。太鼓と鐘が鳴ってスタンドが沸く。

初回は両投手の立ち上がりが不安だったが、2回以降はテンポよく試合が進む。ヒットや四球はたまに出るが、いずれも後続を断ってお互い得点を許さない。

このオロナミンC球場のネット裏席だが、上部には銀傘ではなくバックネットが上まで伸びてスタンドを覆っている。ファールボールが何度も打ち上がり、ネットの上に落ちるがそこで止まるこなくネットの上を転がってグラウンドに戻ってくる。よく計算されたものだ。

試合が動いたのは5回裏。ヒットと死球で無死一・二塁。1番の平間がここでバントするも、捕手から三塁-一塁と転送されてダブルプレー。二塁にランナーは残ったものの最悪の結果である。これでまたチャンスが潰えたかと思ったところで、続く陳が左中間へ大きな当たり。これが三塁打となって3点目が入る。この陳も台湾代表経験があり、今季はアメリカのマイナーリーグに所属していたが、アイランドリーグの後期に新加入となった。前期にいたハ・ジェフンがスワローズに途中入団したことを受け、張泰山の推薦もあって獲得したという。

7回表、香川が反撃に出る。ここまで好投のブランセマから沢坂のヒットと代打・古川の二塁打で一死二・三塁として、続く伊東の投ゴロの間に1点返す。続く井戸川の三塁ゴロが悪送球となってもう1点入り、3対2となる。ここで三塁側ベンチから西田監督が抗議に出たが、何だったのだろうか。走者アウトなら抗議もわからないでもないが、エラーでセーフだったのだし。走塁妨害か何かを主張したのだろうか。

7回裏はジェット風船が上がる。写真にある赤いTシャツ姿の子どもたちはカープ女子・・・ではなく、試合前、イニングの合間にグラウンドでダンスを披露していた鳴門のダンススクールの子どもたち。ネット裏の席にいたのが、先に書いたように上もネットで覆われているため、風船だけ飛ばしに一塁スタンドにやってきたのだ。徳島のチームカラーの青の風船が青空に舞う。

7回裏は徳島が二死一・三塁とするが陳が凡退して追加点ならず、一方8回表は香川が2人目の橋本、山藤から二死満塁と同点・逆転のチャンスを作るが、古川が遊直で無得点。9回表には徳島抑えの木下が登場して、このまま3対2で試合終了かなと思った。

ここで香川が粘り、一死から四球とヒットで一・三塁と一打同点のチャンスを作る。続く板倉をファールフライに打ち取って二死。後一人で徳島勝利というところで、松澤がファールで粘る。その粘りが勝ったか、木下がまさかの暴投。最後で3対3の同点となった。暴投となった次の球を松澤が打ち上げて凡退。逆転は許さず、試合は9回までなので徳島の負けはなくなったが、9回二死から追いつかれたことでスタンドは「あ~あ」という感じだった。

9回裏は、8回から登板した香川3人目の富田が徳島打線をあっさりと抑えて試合終了。香川の選手がグラウンドでハイタッチしていたから、引き分けとはいえ徳島が負けたような雰囲気だった。この日の試合の観客は600人ほど。

試合終了後は徳島の監督、選手たちがお見送り。独立リーグでは当たり前の光景である。せっかくなので中島監督、途中好投のブランセマ、そして張泰山から納経帳にご朱印・・・もとい選手名鑑にサインをしてもらう。やはり一番人気は張泰山で多くのファンが寄って来るが、いずれも気さくに応じていたのが印象的だった。

さて頃合いもよく、そろそろ高速鳴門のバス停に向かう。再び鳴門駅まで歩いてバッグを受け取り、高速鳴門バス停のある小鳴門橋まで路線バスに乗る。今は京阪神方面からの鳴門の玄関口はJRの駅よりは高速バスの停留所のようで、コインロッカーつきの快適な待合室や観光案内もある。ここをベースに鳴門を見て回るというところだ。17時45分発のJRバスで鳴門を後にする。この日は大きな渋滞もなく、JR難波の湊町バスターミナルには通常ダイヤから10分早く着いた。

この先の四国八十八所めぐりの道のりはまだまだ長いが、その間にはこうした各地の球場めぐりを通して、いろいろな野球の姿と地元の人たちの楽しみを少しでも感じてみたいものである・・・。

(余談)
この試合を観戦した9月11日時点では、後期首位の愛媛を僅差で香川、徳島の2チームが追いかけていたが、15日の試合で愛媛の後期優勝が決定。愛媛は前後期制覇となったが、18日からのリーグチャンピオンシップは年間勝率2位の徳島と対戦することになった。先に3つ勝ったほうが独立リーグ日本一決定戦に進むことができるが、前後期優勝ということで愛媛に1勝のアドバンテージがある。さて、どういう結果になることやら注目である。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~四国アイランドリーグ観戦(徳島対香川@オロナミンC球場)・前

2016年09月18日 | 四国八十八ヶ所
前日の行程もそうだし、この日のこれからの行程もそうだが、カテゴリ「四国八十八ヶ所」に入れたものかどうか迷うところである(ブログの設定で、カテゴリが一つしか選べないので)。ただ、八十八所めぐりが第一の目的であることからこちらに含めることとする。

9月11日、四国アイランドリーグ観戦のために鴨島から鳴門に移動する。9時21分発の徳島行きで出発する。ここから徳島市内へのルートは、四国札所でいえば第13番大日寺から第17番井戸寺までをカバーする。次に来る時は、これらを1グループとして回ることになる。

蔵本は、徳島インディゴソックスが主に使用するJAバンク徳島球場の最寄駅である。徒歩10分というのは地方球場のアクセスとしては恵まれているところである。「こだわる。」という、チームスローガンの幟も立てられている。こちらの球場は以前に独立リーグ日本一決定戦の観戦で来たことがある。その当時はBCリーグのほうに注目していたので、対戦相手だった石川ミリオンスターズを応援。その試合で石川が勝ち、初めてBCリーグのチームが日本一になった瞬間を目の前で観ることができた。距離で言えば四国のほうが近いのにここ数年観戦しておらず、これも一つのプロ野球として、あるいは四国の人たちの楽しみの一つに触れるとして、八十八所めぐりで四国を訪れるのに合わせて球場を訪れようというのが、私の八十八所めぐりでの「こだわる」。

徳島の一つ手前の佐古で下車する。ここから高徳線~鳴門線直通の鳴門行きに乗り換える。結局今回の旅では、徳島中心部は素通りする。帰りは高速鳴門から高速バスで戻るので、前日の岡山~阿波池田回りと合わせた「循環ルート」である。

初めての八十八所めぐりだった7月には蓮の花が咲いていたのが、この9月にはレンコンの収穫時期だろうか。泥田に入って作業している人がいる。全く関係ないが、民進党の代表に蓮舫氏が選出され、幹事長に野田前首相が任命された時、野田氏は「蓮を支える蓮根になる」と抱負を語ったそうだ。確かに蓮の花や葉はきれいだが、その下というのは泥田である。どじょうの次は蓮根と、どこまでも泥臭いのをキャラにする野田氏である(野田氏の人柄はいいとしても、このタイミングで幹事長にせざるを得ないとは、民進党も人材がいない、育っていないのかなと思うが、それはまた別の話)。

池谷から鳴門線に入り、10時42分、終点の鳴門に到着。完全な行き止まり式の駅である。駅舎は昔の国鉄型という感じだが、空間には売店すらなくガランとしている。今はリュック、金剛杖の他に着替え等を入れる旅行バッグを持っているが、コインロッカーもない。ただここで窓口で目についたのが、手荷物預かりの案内。1個410円とある。金剛杖は球場に持っていくとして、旅行バッグだけ預かってもらう。「18時50分までに戻ってきてください」と言われるが、それは大丈夫だ。一応は観光の玄関駅を名乗っていて旅行者の利用もあるだろうから、こうしたサービスは安心する。

球場へは徒歩23分という案内がある。バッグを預けたので軽い感じである。中心部から撫養川沿いに差し掛かると、遠くに球場の照明塔も見える。地方球場にあっては、駅から徒歩23分というのはまだ近いほうに思う。

その途中でふと見かけたのが「中華そば」の看板。「いのたに」とある。徳島ラーメンの名店の一つである。ここにあるのは支店ということか。球場ではあまり食事は期待できず、コンビニで何か買ってから行こうかと思っていたが、ちょうどいいところに昼食スポットが出てきた。試合開始まで時間はまだまだあるから、先に食事とする。

カウンターでまず食券を買って長机の席に座る。店内には有名人のサイン色紙もズラリと並ぶ。いただいたのは中華そばに玉子をトッピングした一品で、とんこつ醤油が基本の徳島ラーメンにあって、こちらは醤油の味が勝っている印象である。それがしつこくない感じで美味かった。

かつては水運で賑わった撫養川を渡り、鳴門総合運動公園に着く。ここは鳴門・大塚スポーツパークという名前がつけられている。大塚といえば、あの大塚製薬である。地元企業による全面支援ということか。これから行く野球場は「オロナミンC球場」だし、徳島ヴォルティスの試合も行われる陸上競技場は「ポカリスエットスタジアム」、体育館は「アミノバリューホール」、武道館は「ソイジョイ武道館」と、それぞれの商品名をかぶせているのが面白い。ただ一方で、大塚製薬の自販機が見当たらないし、入場した後の臨時売店でポカリスエットを売っているわけでもない。この辺りはいろいろな「同業他社」との兼ね合いがあるのかな・・・と思う(注:四国アイランドリーグの公式スポンサーには、四国コカ・コーラとアサヒビールが名を連ねている)。

この日は徳島インディゴソックス対香川オリーブガイナーズの後期9回戦。徳島銀行のスポンサーデーであり、徳島県警察による「特殊詐欺防止キャンペーン」も行われている。入口では徳島県警の吹奏楽部による演奏や、啓発パンフレットやうちわの配布がある。

球場に入る。これから何枚か画像もアップするが人物が非常に小さいのはお許しいただきたい。持参のカメラが従来よりも小型のものだが、遠くのものを写すのには力不足であるというのに今回改めて気づいた次第である(写真よりも肉眼ではグラウンドは近く見える)。

ここで一旦、カバーに入れていた金剛杖を引っ張り出す。とりあえず球場に来て、一つのミッション達成ということで。球場に金剛杖を持ち込む奴はそういるものではないが、まあ、近くには第1番の霊山寺もあることだし、「そういうところも回ってきた後」ということで見ていただければ。別に誰からも何も尋ねられなかったが。

試合前には両チームの監督、コーチ、選手が一人ずつ紹介される。徳島の監督は日本ハム、近鉄で選手として活躍し、その後コーチ、台湾プロ野球の監督なども経験した中島輝士。そして香川の監督は、カープが前回優勝した25年前のチームで4番を務めていた西田真二。西田監督も愛媛、香川と監督歴が長く、これまでNPBに選手を送り込んできた実績がある。カープが低迷していた時期に、「この人を1軍監督にしてもいいのでは?」と思ったこともある。三塁側からは西田監督の現役時代の応援歌も流れる。

徳島には注目の選手がいる。張泰山(チャン・タイシャン)。台湾プロ野球の「至宝」と称されており、台湾プロ野球初の2000本安打を達成し、通算本塁打・打点も歴代1位。オリンピックやWBCでも活躍した選手である。ただ昨年シーズン後、40歳を迎えることもあり球団からはコーチ就任を打診されたが、まだまだ現役にこだわるとしてこれを固辞した。台湾他球団からのオファーがなかったところで、台湾の統一で監督をしたこともある中島監督から誘いがあった。徳島としても長打力のある選手がほしかったのと、やはり話題性である。四国アイランドリーグの試合を観戦した人のブログなどでは、徳島の球場にわざわざ台湾から追っかけてくるファンもいるとある。この試合でも「張泰山、全塁打!!」と叫んでいた台湾からの旅行者らしい客がいた。

四国アイランドリーグ、BCリーグとも選手を受け入れる幅が広く、元NPB、メジャー経験者も来れば、こうした台湾の至宝もあり、また野球がほとんど普及していない国出身の選手が在籍することもあり、結構面白い。昨年までバファローズにいたイタリア出身のマエストリも香川にいたし、今季香川から徳島に移籍したゾーゾーウーという投手はミャンマー出身である。BCリーグにも昔ジンバブエの出身という選手がいたような。

さて試合だが・・・例によってここまで長文となったので、いったん区切って次の記事にて・・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~第11番「藤井寺」

2016年09月16日 | 四国八十八ヶ所
前日にカープの優勝決定試合の中継を観た翌11日、この日はまず朝食前に藤井寺まで歩き、ホテルで朝食とした後で鳴門に移動。そして四国アイランドリーグの試合を観るという、とうとう「八十八所めぐり&アイランドリーグのコラボ」の日である。1週間ほど前の天気予報では11日は傘マークが出ていたが、その後予報が変わり、この日の朝は薄曇りだが雨の心配はなさそうだ。

6時15分、部屋にはバッグを残し、リュックと金剛杖を持ち出す。笈摺も着て外に出る。巡礼姿が似合わない外観のホテルだが、このアクセス鴨島は、前の札所にも広告看板を出していたし、藤井寺、そしてその先の焼山寺を回る遍路・巡礼の宿泊も多いことだろう。

スマホで検索すると、藤井寺までは30分ほどの道のり。駅からまっすぐ伸びる道の途中からスタートする形だ。周辺には近郊住宅や県営住宅の団地もあり、ちょっとした集落である。散歩やジョギングをする地元の人たちもいる。前回、なぜか地元の歩行者の姿をほとんど見なかったのだが、この辺りはそういう意味で開けた感じだ。この人たちは、毎朝のように巡礼姿の人とすれ違っていることだろう。

少し山の入口に差し掛かる感じ。途中、「旅館吉野」の前を通る。藤井寺、 そして遍路ころがし入口の最寄りの旅館である。歩きで回る人たちの巡礼記のブログなどでもよく触れられていて、評判の良い宿のようだ。私の巡礼スタイルでは泊まる機会はないのかと思うが、こういうところかと通り過ぎる。

藤井寺の山門に着く。前には広い駐車場があり、早くもこの時間でそれなりのクルマが停まっている。遍路ころがしに挑む人の中には車中泊をする人もいるとか(仮にここから歩いたとしたら、クルマはどうするのだろうか)。私には関係ないが、四国八十八所では「珍しく」駐車料金を取っている。西国三十三所ではほとんどが駐車料金を取っているのとは真逆である。関西と四国では交通事情、土地の事情が異なるのだが、こと四国に関しては、「駐車料金はお接待で」というのがあるのかもしれない。

私の地元藤井寺の葛井寺と同じく、境内に藤棚がある。もちろん9月に花は咲いていないが、この藤を見るために来る人も結構いるそうだ。

ようやく「藤井寺から藤井寺を目指す」今回の八十八所めぐりの目的地に来た。町中にある葛井寺と、山の麓でここから難所に入る藤井寺というのも対照的だが、いずれも昔ながらの寺の風情である。藤棚を仲立ちとするとか、何かこう、交流があってもいいように思う。

朝から巡礼姿の人がそこそこいる中、本堂、大師堂とお勤めする。それぞれ思い思いに般若心経を唱えている。

本堂のすぐ横に道が伸びていて、これが「焼山寺みち」、つまり遍路ころがしの入口である。そこでいろいろ書かれた立て札を見ていると、「おはようございます、お先に」と一人の男性が私の横をすり抜けて坂道に挑んでいった。この人はそのまま歩いて焼山寺を目指すことだろう。それを見送る私に、本堂横の弘法大師像が「お前は行かんのか?」と視線を送っているように見えた。

・・・うーん、次回はやはりここから遍路ころがしに挑まなければならないのだろう。昨夜の居酒屋の大将ともども、迫ってくるというのか・・・・。

そこは一旦置いておくとして、納経所に向かう。お参りの人がそこそこいたために、定刻の7時を少し前倒しで受け付けている。少し並んだ後で朱印をいただく。後にも列が続く中、ここで「藤井寺から来ました」と言っても取り合うほどのことはないだろう。

朝7時すぎにして、これで今回の札所めぐりは終了。笈摺を脱いでシャツ1枚になる。そしてホテルに戻るため、来た道を逆に歩く。途中、巡礼姿の人ともすれ違う。時間帯からすれば、この人は徳島から朝の列車で鴨島まで来て、駅からそのまま歩いて来たのだろうう。

ホテルに戻ってきた。汗もかいたのでシャワーを浴び、その後1階でクロワッサンを中心としたパン、サラダ、ゆで卵の朝食。うーん、遍路・巡礼の雰囲気とは真逆で、日曜の朝に散歩した人の朝食という感じだが、それもまた我流で面白い。食事しながら、会場に置かれた新聞を読むのもよい。スポーツ紙はもちろん、ローカル紙の徳島新聞も、1面中ほどでカープの優勝を写真つきで報じていた。さらにローカル・社会面では、カープで投手、コーチとして長く活躍した、松茂町出身の川端順さんのコメント記事があったり、徳島の繁華街にあるカープファン御用達の店でも地元の人たちが大いに盛り上がったという記事があった。おそらく他県のローカル紙でも同様の記事があっただろう。その県出身のカープOBとか、繁華街の盛り上がりとか。それだけ、この優勝というのは社会現象で、全国的に祝福されることだなと感じる。年末になると「今年の10大ニュース」といった番組が流れるが、今年はカープ優勝がかなり上位に入るのではないだろうか。

この日はゆったりしたもので、鴨島を9時20分の列車で出るものだから、日曜朝の張本さんのコーナーの最初を見てから出発。

また遠くない時期に、この駅前に降り立つ日が来るのだろうなと思いつつ・・・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~遍路ころがしに挑むか否か

2016年09月15日 | 四国八十八ヶ所
阿波池田の町歩きを終えて、徳島行きの列車に乗る。途中の穴吹まではワンマン運行、穴吹からは車掌が乗るという。この列車、8月の第2回の時に、第10番の切幡寺から阿波川島駅まで歩いた後に乗ったのと同じ便である。夕方になって、ようやく前の行程とつながることになる。

伊予街道の国道192号線、そして吉野川に沿って走る。阿波池田から1時間20分あまりで鴨島に到着する。まだ16時前だが、この日の行程は終わりで、ここで宿泊である。ようやく、今回の目的地である「徳島の」藤井寺最寄りの駅に着いた。ここは駅員のいる時間が限られていて、この時間はもう不在だった。構内に小型のセブンイレブンが入っている。

鴨島は第11番の藤井寺、そしてその後の第12番の焼山寺に続く「遍路ころがし」という坂道の玄関駅で、これらを歩いて踏破するベースキャンプのような位置づけとなっている。遍路ころがしに挑む前の日はここで泊まり、体調を整えて翌朝早くに出発していく人が多いそうだ。

駅前のロータリーには、歩き遍路を歓迎するかのような案内板がある。弘法大師も歩いた道として、切幡寺~藤井寺、そして藤井寺~焼山寺のルート図が表示されている。

その後ろには、「ノンキナトウサン」と書かれた記念碑らしきものがある。円の中には親父の絵。後で検索したところでは、曽我廼家五九郎という、明治から大正にかけて活躍した喜劇俳優を記念したものである。鴨島出身で、「ノンキナトウサン」というのは、主演映画の役名だとか。キャラクター的にデザインされることから親しまれた存在だったのかな。

この日の宿は、駅から5分ほど歩いて国道192号線との交差点にあるビジネスホテルアクセス鴨島。駅から藤井寺への道の途中にある。寺には、明日11日の朝イチにここから行くつもりだ。ホテルも四角い建物ではなく、小洒落たアパートみたいな外観である。少し早いがチェックインして、部屋でしばらく休憩。

そろそろ夕方となり、再び駅前に戻る。別に列車に乗るわけではなく、ここで夕食である。国道沿いにいろいろ店が集まり、駅前のほうがひっそりしているのだが、「あじろ」という店に入る。家族経営の店のようだ。

まだ客が少ない時間とあり、カウンター席に座ると主人が話しかけてくる。

「旅行ですか?」

「ええ、まあ一応寺めぐりということで・・・」

「そうですか。明日は焼山寺まで上るんですか?」

「いや、明日は藤井寺だけで・・・市内のほうに行って、家に帰らなければならないので・・・(本当は、明日は鳴門で四国アイランドリーグ観戦なのだが、市内のほうに行くのは一緒だから、嘘は言っていない)」

ここは豆腐料理が自慢の一つのようで、いただいたのは味噌田楽や、豆腐をベースにした「とうふたこ焼き」をいただく。たこ焼きは中に具材も詰まっていて、ソースもよく合っている。

他には、阿波牛のイリカス。要はホルモン炒めだが、油炒めというよりは、脂を抜いて炒ったものである。ある意味徳島の郷土料理だというのを初めて知ったが、河内の「かすうどん」のかすの部分の原型と言ってもいいだろう。うーん、藤井寺から藤井寺を目指す旅で、イリカスというのに出会うとは思わなかった。牛肉のそのような料理を目にすると、どうしても「」「路地」というキーワードが頭に浮かぶのだが、掘り下げて行くと当ブログのテーマから外れて行くのでここまでにする。

遍路ころがし。四国八十八所めぐり最大の難所とされていて、藤井寺から挑む昔ながらの山道(もちろん歩きでしか行けない)もそうだし、クルマでも徳島市内から神山町を経て上る道は狭く、カーブが続き、ガードレールもない難路である。

公共交通機関をベースとして、歩かざるを得ないところは歩くというのが、私の四国八十八所めぐりのベースである(だから、遍路を名乗る資格はないのだが)。この焼山寺にしても、完全な登山道で、私など行けるものではない。ちょうど途中まではバス乗り継ぎで行くことができる。徳島駅前から神山町の寄居中までバスで来て、そこから町営バスで焼山寺まで行ける。ただしこの焼山寺バス停というのは寺のはるか下で、そこから3キロ以上の歩きである。また、町営バスは一日3往復だけで、朝の1便は土日運休のため、使えるのはわずかに2本。公共交通機関やローカル線好きなら、本数が少ないこのバスルートをどのように攻略するのかが楽しみだし、腕の見せ所(注・歩くから足の見せ所かな)である。

・・・というルートをこの先に描いていたのだが、「あじろ」の主人はそれを見抜いているかのように声をかける。

「焼山寺へは遠いけど、休み休み歩けばええんや」

「焦って歩いて早く着いたはええけど、早すぎたらバスの時間まで長いで」など。

合間には「これはお接待で」と一品置いてくれながら、

「私もこれまで6周くらい回ってるけど、何でもいいのよ」と、最近の写真を見せてくれたり、「何か楽しみながら行けばええんよ。私もクルマでどこかに着けてそこから歩いたり、釣竿持って魚釣りしたり、これ(右手で飲むポーズ)も楽しみやし。全部やなくて、歩いたらおもろそうなとこだけ歩いたらええと思うし」など。料理を出してくれる奥さんも「楽しんで回ったらええんよ」と声をかけてくれる。

うーん、明日は予定通り藤井寺参詣のみで鳴門に向かうとしても、次をどうするか。これまでは徳島から神山町でのローカルバス乗り継ぎにこだわっていたのが、鴨島駅前の居酒屋にて、「どうすれば遍路ころがしを踏破できるのか?」という心境になっていた。八十八所めぐりにおいて現地の人とこのことで会話したのが初めての中で、何やかんやで、ならば歩いてみるかという方に多少傾いてきた。実際にはさまざまな準備もいるが、気持ちの上で後押ししてくれているようにも思えた。

いろいろごちそうになってホテルに戻る。ちょうど東京ドームでのジャイアンツ対カープ戦が、国営放送で大野豊、小早川毅彦の解説で放送中である。試合はカープの勝利で、見事に25年ぶりのリーグ優勝を果たした。元・広島市民としてもうれしいこと。毎年「バファローズ対カープの日本シリーズ」を願っている中で、カープ優勝の陰でバファローズが最下位なのは非常にもどかしいのだが・・・。

長々とした記事が続いたが、これは言わば前段階。ようやく次の記事で、元々の目的地である藤井寺に到着する・・・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~たたえよ池高 輝く池高

2016年09月14日 | 四国八十八ヶ所
阿波池田の駅に降り立つ。以前、構内に祖谷そばのスタンドがあったと思うが、今はセブンイレブンが入っている。コインロッカーもあったのでバッグは預けて町中に出る。

阿波池田は四国の交通の要衝である。しかし、周囲を険しい山に囲まれていて耕作地としては豊かとは言えない。段々畑を切り開いて、険しい山の斜面に家が建つ景色というのが、祖谷地方にはよく見られる。

コメでは収入が得られないこともあり、栽培が奨励されたのがたばこ。江戸時代から「阿波葉」という葉たばこが栽培され、その後「阿波刻み」として製造も行うようになった。このたばこが評判となり、財を成した人は「うだつ」のある屋敷を建てた。

そのうちの一軒だった真鍋家の屋敷、蔵を資料館として公開しているのが、阿波池田うだつの家・たばこ資料館である。うだつの町並みといえば、ここから吉野川を下った脇町が有名で、伝統的な町並みとして保存されている。阿波池田も全盛期には100軒を超えるたばこの民間工場(近代化された工場ではなく、家内工業)があったが、大正時代からは国によるたばこの専売制により廃業、その後は専売公社~JTの池田工場で製造されていたが、その工場も廃止となった。工場跡はショッピングセンターになっている。

現在は縁がなくなったのかもしれないが、かつて池田の町が発展したのはたばこの歴史があってのこと。今は禁煙、分煙が広がり、たばこにはマイナスイメージが強いようだが、たばこ資料館は決して「負の歴史」ではなく、家内工業で地域経済を支えてくれた歴史を伝えている。

阿波刻みの昔の製法は、たばこの葉を重ねたものをカンナのような機械で削り取るもの。これは北海道の昆布をカンナで削って加工しているのがヒントだったとか。製造されたたばこは、平田船という小舟で吉野川を下り、徳島や大阪で売られた。また、香川に出るルートもあり、ここから北前船で北海道まで販路がつながっていたこともある。展示資料の一つに名刺があるが、裏にはロシア語表記もある。大陸まで販路を広げようとしていたのかな。

専売制後の展示もあり、四国八十八所の札所の写真をラベルにしたものもある。札所一つ回るごとに文字通り一服・・・があったのかな。

展示を見終わって玄関に戻ると、係の人から「一服どうですか?」と訊かれる。刻みたばこで栄えた池田のプチ体験ということで、煙管にたばこを詰めて一服というのができる。普段たばこを吸わないのだが、これはまあ、酒蔵でお猪口一杯試飲とか、神社でお神酒に口をつけるというくらいのもので、いきなり体に害を及ぼすものではないそうだ。私もこれまで扇子で煙管の真似事はしたことがあるが、実物を吸うのは初めて。吸ったものを肺まで吸い込むのではなく、口の中で止めるのだが、やはり苦い。今回は池田の歴史に触れるということでよしとするが、これを習慣にする気は全く起こらなかった。

たばこ資料館のある本町通りは、昔はうだつの町並みで賑わったそうだが、今は屋敷が解体されたり空地があったりでやや淋しげな雰囲気である。たばこ資料館からすぐのところに、このポスターが貼られていた。

そう、蔦監督。

蔦監督は、池田高校野球部監督として甲子園に名を刻んだ名将である。先日、甲子園歴史館で高校野球の名将をテーマとした企画展示が行われていて、行けなかったので電車の中吊り広告を見ただけだが、野球に力を入れている私学や都市部の学校の監督たちに比して、阿波の山中の公立高校を長年率いたその姿は目を引いた。その蔦監督のドキュメンタリー映画というのが、ポスターの「蔦監督」だが、監督のお孫さんが制作したものである。限定上映のため目にしていないが、いろんなところで語られている「蔦監督像」とは違った視点があるそうで、いずれ観てみたいと思う。

そしてこのポスターが貼られている家が、蔦監督が生前住んでいた家である。表札にも薄く「蔦文也」と書かれている。今は、どなたか住んでいるのだろうか。

ここまで来ると、OBでも何でもないが、池田高校に行ってみる。通りをしばらく歩いて、坂道を上ると池田高校の正門に出る。そこから中に入って右手に、池田高校の甲子園での活躍を伝える一角がある。本来なら部外者は立ち入るべきではないのだろうが、校舎の前まではオープンスペースのようである。

甲子園での優勝を讃える石碑がある。当時のメンバーの名前が並び、懐かしく思う方も結構いることだろう。

その優勝記念碑と対峙するように、蔦監督の石碑もある。そこに刻まれた「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」という蔦監督の言葉は名言だと思う。大阪や東京にいたのでは、なかなかこうした心境にはなれない。例えは無茶だが、蔦監督というのは、田中角栄に通じるものがあるのではないかと思う。

余談だが、徳島県というのは、全国で唯一「春夏通じて甲子園に私立高校が一度も出場したことがない」のだそうだ。徳島県は高校の数は少ないが、私立高校自体もさらに少なく、その中でも野球部のある学校が一つ二つあるというくらいだそうだ。池田高校は現在、伝統の徳島商業、最近安定して強い鳴門の陰に隠れた形にはなっているが、また復活を期待したいものである。

駅に戻る。駅前には「ホテルイレブン」というホテルがある。池田高校の「さわやかイレブン」にあやかった名前だろうか。

ここから徳島線に乗り換え、宿泊地の鴨島を目指す・・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~四国のへそを目指す

2016年09月13日 | 四国八十八ヶ所
琴平に到着したのは11時過ぎだが、朝食の時間が早かったのでここで昼食にする。阿波の国が目的地であるが、讃岐の国にいるということで、さぬきうどんを食べるとする。

琴平にもこんぴらさんの参道にうどん屋が何軒かある。ここで考えるのが、途中下車の時間が40分ほどしかないこと。店が混んでたりしていたら時間的に厳しい。そんな中で先ほど車内でスマホで検索したところ、温泉宿の琴参閣の裏手に「こんぴらうどん」の製麺所があり、そこで食べることができるようだ。参道にある店はいわゆる普通の食堂で、定食ものが中心だが、こちらは製麺所併設ということで、最近はやり?のセルフ式。これならささっと食べることができるし、(「こんぴらうどん」がその筋でどのくらいの名店なのかはわからないが)讃岐式の食べ方というのがいい。ということで、昼はそこにする。

駅前のロータリーに「祝十両優勝 天風関」の垂れ幕がある。天風はここ琴平の出身で尾車部屋の巨漢力士。先の名古屋場所で十両優勝を決め、この秋場所が新入幕である。香川といえば小豆島出身の琴勇輝も上位で頑張っている。いずれ香川出身同士が幕内で対戦する日が来るか。

駅前通りを歩いて琴電琴平駅を過ぎ、突き当たりの琴参閣から回り込む。「こんぴらうどん」の製麺所が見え、食堂部分は別にある。シンプルにしょうゆうどん(大)と天ぷらをチョイス。天ぷらがどうしても作り置き感があるのは仕方ないが、麺はちゃんと腰があってよろしい。本場の製麺所でいただくというのも良いかな。本当にうどんを極めているような人(私の会社にもいる)はどう評価するかだが、青春18で途中下車の短い時間で食べるぶんにはよい。駅を出た時は少し焦ったところもあったが、食べ終えて駅に戻ると、一本後の琴平着の列車はまだ来ておらず、次に乗る阿波池田行きの列車がもう停まっていたので、楽に席を取ることができた。

11時54分、琴平着の列車からの乗り換え客を入れても10人ちょっとで発車する。青春18利用が多い感じで、ハイキング姿の人や、自転車持ち込みの人もいる。私も金剛杖を(袋には入れているが)持ち込んでおり、周りから見れば変わったヤツに映っているかもしれない。

列車は四国の中心に向けて高度を上げる。讃岐財田で特急の通過待ちをして、次は坪尻。ここで香川から徳島に入る。

この坪尻、四国で1、2を争う秘境駅である。周囲には人家はおろか、クルマが通れる道もない。駅もわざわざスイッチバックで、特急を待避する信号所としてようやく存在意義があるところである。ただ、最近は「秘境であればあるほど訪れる人が増える」という妙なことになっている。先ほど車内で隣に座っていた客のように、秘境駅を訪れることが旅のジャンルの一つにまでなっている。

トンネルを抜けると、引込線上にある坪尻駅のホームが見える。先の列車で来たのか、ホーム上にはその筋の人の姿が複数見える。まずはそれを横に見て、先の引込線に入る。

ここで向きが替わるため、運転手が後部の運転台に移動する。そして坪尻に入線する。今度はここで下車する人もいる。

ここで運転手がもう一度元の運転台に戻って発車するところだが、「阿波池田方面から特急が通過するために3分停車」とのアナウンスが入る。これを聞いて、私を含めて車内から外の写真を撮っていた人たちが一斉にホームに出る。おかげで、ほんの一瞬だが駅舎の外に出ることもできた。阿波池田方面からの特急が通過すると、ホームに出ていた人たちはそれを合図にぞろぞろと車内に戻る。それでも2~3人はホームに残っていた。

次の箸蔵からは地元の高校生も乗ってくる。ここからロープウェイで上がると、四国別格二十霊場の一つである箸蔵寺に行くことができる。別格二十霊場とは、四国八十八所とは別に、弘法大師が足跡を残した地で構成されていて、両方足すと「108」という煩悩の数と一致することから、合わせて回ることで煩悩を滅するとしてアピールしている。遍路、巡礼をする人の中にはコースに最初から別格二十霊場を入れて回る人もそれなりにいるようだが、今の私は、まずは基本の八十八所を公共交通機関で回ることが目標である。西国の番外や新西国の客番とはまた位置づけが違うようで、別格はまたこの先まで置いておく。

箸蔵から吉野川を挟んで阿波池田の町が見渡せる。ここを下りの大きなカーブで回り込んで町中に入っていく景色(およびその逆)は、私の好きな車窓の一つである。佃で徳島線乗り換えの客が降り、阿波池田に到着。

これから徳島線で鴨島に向かうのなら佃で乗り換えればいいのだが、阿波池田まで来た。次の列車までの時間を使って、駅周辺を歩くことに・・・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~まずは青春18の乗り継ぎにて・・・

2016年09月12日 | 四国八十八ヶ所
この記事のカテゴリーを果たして「四国八十八所」に入れたものかどうかだが、今回は青春18きっぷでの乗り継ぎ旅と四国アイランドリーグ観戦というのが前後にあって、その間に第11番藤井寺の参詣が入る状況で、まあそれでも八十八所めぐりが発端であり、メインということにする。ただ、これまでの2回の四国詣で以上に、紀行文として脱線した内容になることだろう。

さて今回は大阪から岡山回りで瀬戸大橋を渡り、土讃線の阿波池田から徳島線で藤井寺最寄りの鴨島まで行くというのが、初日の10日のルート。青春18きっぷの最終日ということで充当する。これまでに購入費用分の運賃相当額は乗っているはずで、実質往路の運賃はタダみたいなものだ。

プランとしては、大阪まで出た後で、6時25分発の快速で姫路7時56分着。姫路から8時01分発の岡山行きに乗り継ぐというものである。この時季特に混み合うのが姫路~岡山の区間である。青春18きっぷを持った乗客が押し寄せるのに対して、本数も姫路までより少なく、1列車も4両とか3両とかいう短い編成である。姫路から座って行こうと思えば30分前には姫路のホームで並ぶ必要があるが、6分の乗り継ぎというのは接続が良すぎてかえってしんどい。ただ、自宅からのアクセスの関係で、最も早くてこの時間になるのだから仕方がない。運賃・料金を払って相生から岡山までワープをしようかという考えもあるが・・・。

大阪発の快速は、野洲始発ということもあって結構乗った状態で到着。座ることはできたがこの先も乗客が増え、立ち客も多く出た。ただそんな中、加古川を過ぎてからだろうか、「先行列車遅れのためこの列車も遅れて運転している」との放送が入る。途中ウトウトもしていたから気づかなかったが、時計と時刻表を合わせると3分ほど遅れているようだ。ただこの先遅れは5分まで広がった。先に書いたように、姫路での岡山行きの接続は6分である。まあ、遅らせて接続はしてくれるのだろうが、ちょっと心配である。姫路に入る手前でも徐行、信号停止が続く。

姫路到着。岡山行きは接続を取って待っていたが、乗り換えは同じホームではなく、一度階段を下りて、また上った隣のホームである。12両の快速列車の客の半数以上が慌てて階段を下り、隣のホームへと急ぐ。目指す列車は4両編成で、もうすでに結構な乗客がいる。

そして乗り込んだ車内はびっしりである。通勤ラッシュのような光景で、結局乗り換えが完了した時は7分遅れで発車する。青春18とは関係のない地元の通勤通学の人たちにはいい迷惑なのかもしれない。

相生、上郡では少し下車がある。上郡では鳥取方面の智頭急行の列車が接続しているが、遅れのために乗り換え時間がわずかしかない。「急いでください」とのアナウンスが入り、後ろの車両に乗っていた人は走っていた。ただこの間も私はもちろん立ったままで、金剛杖で体を支えている。船坂峠を越えて岡山県に入ると、今度は岡山に向かう地元客が駅ごとに乗ってくる。車内はずっとラッシュ状態で、7分の遅れは途中で5分まで縮まったが、そのまま岡山に到着。

次は岡山9時54分発のマリンライナー19号に乗るために、宇野線、瀬戸大橋線のホームに向かう。もし先ほどの姫路からの列車が定時運行していれば、一本前のマリンライナー17号に乗れたかもしれないところ。もし乗れていればその先の行程が少し違ったものになっていたが、まあこれは「乗れたかもしれない」ということである。

隣の津山線ホームには、クリームと赤に塗り分けられた気動車が停まっている。旧国鉄風に手入れされたこの車両は「ノスタルジー号」というもので、内装も昔風にアレンジされている。津山線、因美線というところはこうした昔懐かしい風情を売りにしている。停まっていた車両はこの日快速「ことぶき」として運転されており、またこういうのに乗って津山にも行ってみたい。津山駅隣接の扇形機関庫もリニューアルされているし。

さてマリンライナーも多くの立ち客を乗せて発車する。新幹線から乗り継いできたと思われる団体客や(なぜ特急ではなく、快速のそれも立ちづめなのかと添乗員にこぼしていた)、青春18で四国へ乗り継ぎの客も多い。私の隣に座った客は紙に行程を書いてきていて、途中に「坪尻」とあるのが目に留まる。秘境駅の日帰り乗り歩きだろうか。

瀬戸大橋を渡る。鉄道で渡るのも久しぶりのことだ。天気も良く、日差しが海面で反射している。バスと比べて、海面をすぐ下に見ることができるのがよい。

坂出に到着。3分の連絡で高松からの琴平行きがあるので乗り換える。琴平から先の阿波池田行きにはもう一本後の列車でも間に合うが、少し先行しておこうと急ぎ乗り換える。

多度津から土讃線に入り、金蔵寺、善通寺と、四国八十八所に近い駅が並ぶ。香川県は札所順番で行けば最後のほうで、これらもいつの日か訪れることになる。この辺りまで来ればまた公共交通機関で回るのにも手頃なエリアとなるが、問題はその間だ。特に高知、愛媛となると交通機関が厳しそうだし、私の縛りである「八十八所めぐりプラス四国アイランドリーグ観戦」を達成するにはスケジュールをどうするか。

琴平に到着。駅舎は耐震補強工事中ということで、仮の改札口から出る。次の11時54分発の阿波池田行きまでは40分あまり。さすがにこの時間では金比羅詣では不可能。ただ待合室でじっとするのはもったいない。ならば昼食にしよう。今回の目的地はあくまで徳島県だが、せっかく香川に来たのだからと・・。
コメント

第3回四国八十八所めぐり~藤井寺から藤井寺を目指す

2016年09月10日 | 四国八十八ヶ所
時期的にいえば、静岡紀行の次は新西国三十三所めぐりの高野山編のことを書くところだが、ちょうど四国八十八所めぐりに出かけているので、なるべくリアルタイムに近いということで、滞在先から記事を書くことに(テレビでは、カープが優勝を決める試合を中継中)。

今回訪れるのは、徳島は吉野川市にある第11番の藤井寺。これは、大阪の藤井寺市民である私としては放っておけない。国分寺とか大日寺とかのようによくある名前ではないし、おまけに山号が「金剛山」である。別にどちらが正統派ということではなく全くの偶然(そもそも、大阪の寺は「葛井寺」だし)なのだが、ある意味楽しみではある。

四国八十八所の藤井寺は、徳島線の鴨島駅から歩いて3キロあまりという。この次の12番焼山寺までの道が「遍路ころがし」の異名を持つ山道で、歩きの人はある意味挑むのが楽しみなところだそうだ。ただ時間がかかるため、前日は麓の藤井寺近くの旅館や鴨島のビジネスホテルに泊まって、翌朝一番に山道に挑む人が多いそうだ。ただ、私としてはどうしようかというところである。公共交通機関なら徳島駅から反対側の神山町のバスで麓までは行けるし、13キロの山道というのは未知の世界だ。

焼山寺にどう挑むかはまた考えるとして、第3回の八十八所めぐりは、初日の10日は鴨島に宿泊、翌11日朝に藤井寺だけお参りするという計画となった。そうした理由は二つあり、まず一つは、一回分残っていて、かつ10日が有効期限の青春18きっぷを使うこと。このため、鴨島には徳島からではなく、瀬戸大橋を渡り、阿波池田から鴨島に向かうというプランとした。ますます遍路ルートから外れた四国への入り方だが、四国の交通の要衝にありながら遍路ルートに含まれていない阿波池田にも行ってみたい。

もう一つの理由は、私流の四国八十八所めぐりのミッションの一つである「各県で四国アイランドリーグの試合を観戦すること」である。鴨島や吉野川地区ではないが、11日は鳴門で徳島インディゴソックス対香川オリーブガイナーズ戦がある。後期公式戦も押し詰まっていて、このタイミングを外すと今季は行けず、その分徳島の札所を残すことになる。鴨島から徳島線~鳴門線と移動して、野球観戦後は高速鳴門からバスで戻るというもの。天気は、数日前は雨の予報だったのが、前日の今日の時点では晴時々曇と、おそらく大丈夫だろう。

汽車旅、野球観戦を絡めた札所めぐり。その行程は明日以降の記事にて・・・。
コメント

駿河湾フェリー~一気に帰阪

2016年09月09日 | 旅行記D・東海北陸
夏の3日間の旅もそろそろ終盤にさしかかる。土肥金山で観光見物は一通り終了して、清水に向かう駿河湾フェリーに乗る。14時40分に出航して、清水まではおそよ1時間の乗船である。清水からやってきた船舶は「富士」で、一昨日に乗った伊勢湾フェリーよりも大型である。

船室に荷物を置き、甲板に出る。デッキにはたこ焼きの屋台なんてのもある。ここで出航を待ち、先ほどまでいた土肥の温泉街、砂浜を眺める。船が出ると伊豆の西海岸の景色が少しずつ広がる。駿河湾といっても進行左手は外海、黒潮の海である。

このフェリー、「県道223号線」の標識がある。「223」とは・・・「ふじさん」である。「国道フェリー」の形で、海路が国道の一部に指定されているのはいくつか事例があるが、さすがは富士山を前面に押し出している静岡県である。フェリーを県道扱いとすることで、県内の観光面での連携を強める狙いがあるという。

天候が良ければ進行右手には富士山の姿が見えるはずである。駿河湾フェリーのホームページやPR写真には必ずといっていいほど、フェリーと富士山の組み合わせが登場する。ただこれも夏の景色のためか、富士山の頂上は見えない。それでも、朝方よりは稜線の上のほうまでは見えてきたのかなと思う。

デッキのあちこちを移動しながら、また船室で休みながら乗るうちに清水港が近づいてくる。静岡の漁業、流通を担う清水港もなかなかよいところである。今回は乗り換えだけだが、海産物や航海をテーマにしたスポットもあり、また訪れてみたいと思う。

清水港からは到着に合わせてシャトルバスが出ている。途中、エスパルスドリームプラザ、静岡鉄道の新清水駅を経由して、清水駅に到着する。時刻は16時を回っている。

この日は朝から青春18きっぷを利用しており、清水から乗り継ぎ乗り継ぎでも大阪に戻ることはできる。ただ自宅に戻るのが日付が変わるか、終電になるかというところだ。伊豆半島を半日回って、駿河湾フェリーにまで乗るとなるとこの時間になるのはわかっていたが、このまま戻るのもなあ・・・。後、忘れてはいけないのが、朝一に静岡駅のロッカーに荷物を預けていること。だから清水から列車に乗っても、静岡で一度途中下車する必要がある。

そこで考えたのが、新幹線での「ワープ」。もちろん青春18きっぷは使えなくて運賃と特急料金がまるまるかかるが、利用するのは一部の区間、静岡~浜松である。この区間を自由席で行くと、運賃1320円に特急料金が980円である。ちょうど青春18きっぷの1回分に相当するが、ロングシート区間をこれでワープできるし、その後の乗り継ぎでも1時間変わる。

静岡で下車して、ロッカーから荷物を引き取り、ついでに最後の「静岡麦酒」と「しぞ~か割り」を買ってから16時56分発の「こだま667号」名古屋行きに乗車する。汗をかいたシャツをトイレで着替えて、静岡旅の締めとして「静岡麦酒」を開ける。早めの夕食の意味合いもある。

一昨日宿泊した掛川に停車する。掛川城の天守閣も小さく見える。そして浜松に到着。今回も途中下車することなく、在来線のホームに出る。ここで豊橋行きに乗り継ぐわけだが、やってきたのは転換クロスシート車両。ほっとした。この後の豊橋~米原、米原~大阪は新快速なのでクロスシートに腰かけることができる。

豊橋からは米原行きのシートに揺られる。この三河の国というのもなかなか訪れることがなく、これから回ってみたいエリアの一つである。名古屋ではこの日試合のあったドラゴンズ、ベイスターズのユニ姿の客も乗る。大阪ではまず見ない組み合わせだ。

米原で新快速に乗り継ぎ、大阪に戻る。

今回の旅、藤井寺~橿原神宮前~大和八木~鳥羽~伊良湖岬~豊橋~掛川~金谷~千頭~接岨峡温泉~千頭~金谷~静岡~三島~伊豆長岡~修善寺~土肥~清水~静岡~浜松~豊橋~米原~大阪~天王寺~藤井寺と回ったが、実感としては往復というよりは限りなく「循環」ルートに近い。豊橋までは往路と復路で全くルートが違うし、浜松~掛川~静岡は、行きが在来線、帰りが新幹線という形である。また乗り物も新幹線、往年の特急、トロッコ、SL、フェリー、バスとさまざまだった。少しは静岡県も見ることができたが、東海地方はまだまだ訪れていないところもあるので、また機会を見て訪れたいところである・・・・。
コメント

土肥温泉で一攫千金?

2016年09月08日 | 旅行記D・東海北陸
修善寺駅から伊豆の西海岸にある松崎行きのバスに乗る。地元客のほか、観光やレジャー客の姿も見える。

伊豆半島に足を踏み入れるのも久しぶりで、今の大阪に戻ってからは初めてだ。東京時代は比較的近いので日帰りなどで訪れているし、その前の広島時代には、わざわざ人に会うためにやって来たこともある。今となっては「ようあんなことやったな」と思うくらいのことだ。今回、久しぶりなので伊豆をメインに回ろうかとも考えていたことがあり、半島内で一泊すればだいぶ行けるなと思っていた。その候補が、これから向かう土肥温泉だった。今回は日程の関係で宿泊しないが、清水へのフェリーに乗るための立ち寄りとした。

天城越えの手前で進路を西に取り、山深いところからカーブを何度となく曲がる。遠くに青く澄んだ駿河湾が見える。やがて町並みが広がり、土肥温泉街に入る。その温泉の停留所で下車する。

道路脇から海水浴場に出ることができる。夏休みの景色である。こういうところに来ても泳がない(泳げない)ので、突っ立って見ているだけだが、あまり長居して不審者と思われてもいけないのでそこそこに退散する。

ならば温泉・・・というところだが、結局はホテル、旅館の温泉なのである。途中下車してちょっとひとっ風呂とはいかないようだ。公衆の足湯もあるが何だか湯が枯れている感じだし、唯一浸かったのが、「手湯」。先の記事にも書いたが、沿線に温泉のあるところを通りはしたが、浴槽には一度も浸かることがなかった。何ともったいないことか。

ならば同じ西海岸でも他のところに行けばいいのだが、土肥温泉に来たもう一つのお目当てが、金山。土肥金山は、江戸時代に本格的に開発され、佐渡に次ぐ産出量を誇り、幕府財政を支えた。昭和40年の閉山後、一部を観光用に公開している。こうした鉱山も産業遺産としてあちこちにあり、私としては好きなジャンルで旅の目的地に選ぶことがある。

少し歩いて到着する。見学の前に昼食ということで、併設のレストランに行く。メニューはありきたりの定食やうどん、そばというところがメインだが、金山らしく、金箔を乗せた一品もある。金箔を食べたから栄養的にどうということではないが、ちょっとした贅沢感がある。貴重な鉱物資源を食用にしていいのかという心配もあるが、このくらいの金箔、小さな粒を叩いて延ばしてさらに細かくしたものの一部でしかないものだろう。

腹もできたところで入場する。門のところで門番の人形が「よう参られた」と挨拶し、庭を通って坑道の入口に向かう。公開されているのは、総延長100キロと言われるうちの400メートルほどで、見学スポットに差し掛かると音声案内が流れる。

江戸時代の採掘作業の様子も人形で再現されている。こうした採掘も、鉱山によっては昔ながらの手掘りだったり、近代以降の機械や機材を使った大量採掘だったり、それぞれ特徴があって面白い。ここ土肥金山は、栄えたのが主に江戸時代ということで、人形もちょんまげ姿だ。

坑道の奥には神社もある。山神社(さんじんじゃ)というが、鳥居が純金の金箔塗り。元々は山の作業の安全を願うのだろうが、この鳥居には金運アップのご利益があるとか。ありがたく触らせていただく。

坑道を出ると黄金館があり、今度は江戸幕府の金山奉行・大久保長安の人形が「よう参られた」と出迎える。ここでは土肥金山の歴史が紹介され、採掘後の選鉱や製錬の様子をジオラマで解説したり、小判の展示もある。佐渡では、金山では多くの囚人が働かされていたというが、土肥金山ではあまりそのような話は聞かないし、展示でもそのような紹介はなかったと思う。まあ、金の採掘がキツい仕事だとしても、佐渡と比べて温暖な気候の伊豆では、囚人の強制労働というのは合わなかったのかもしれない。

展示の最後には、現代の技術で造られた金塊がある。まずは12・5キロの金塊を、ケースに開けられた穴から手を入れて持ち上げるもの。この重さは片手だとつかんで少し持ち上げるのが精一杯。

そして展示の目玉が、ギネス認定の250キロの巨大金塊。時価だと12億円以上、金箔にすると畳7万枚以上の面積になるという。よくもまあ、これだけの金塊を造ったものだと思う。それだけの金を集めるのが大変で、展示でも紹介されていたが、金山では岩みたいだった塊からでも、実際に採れる金はほんの少しである。触れるだけでも恐れ多いものである。

展示の最後は砂金採り。ここは別料金である。今回、砂金採りまではいいかなと思っていたが、予定が前倒しで来ていて時間も余っているし、先ほどの12億円の金塊に目がくらんだこともあり、追加料金で挑戦することに。以前にも観光向けの鉱山の体験イベントで砂金採りは何回かしているので、要領はわかっているが・・・。

・・・それでも、欲を掻いては砂金もなかなか出てこない。逆に私の隣で採っていたご婦人は、器の回し方も覚束ない感じで、私には「お兄さん上手いですねえ」などと言っていたが、係の人が「じゃあ、こんな感じで砂を落としましょう」と手助けでシャカシャカやると、「ほら、5つほど皿の底に残ってますよ」と。別に係の人が何か手を加えたわけでもなく、これはご婦人へのご利益かなと。かく言う私、器の回しは慣れた感じに見えたのかもしれないが、結局は4粒。しかも、このうち1粒は、器から容器に移す最中に見失ってしまった。まあ、こんなものである。

土肥金山を後にして、フェリー乗り場まで歩く。訪れた20日の夜は、サマーフェスティバルとして海上花火の打ち上げがあるそうだ。うーん、もし土肥で宿泊する行程をくんでいれば、夜はそれを見物できたのだが・・・仕方ない。

土肥のフェリー乗り場に到着する。待合室にはクルマ利用、バス利用それぞれ混じっている。清水到着後は駅までの無料バスがあるので、クルマでなくても利用しやすい。

そして今回の旅で2回目フェリー移動・・・・。
コメント