まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

今年も残りあとわずか。

2007年12月30日 | 旅行記E・関西

29日に東京から大阪に帰省のため移動。「青春18きっぷ」を使用しての列車の乗り継ぎだったが、いややはり同じような動きをする人が多く、途中では「普段乗っている山手線の電車より混雑」という区間もあった。報道では成田空港の出国ラッシュや、新幹線の乗車率が200%近いということが流れるが、この「青春18」の客の大移動による混雑、最近はこの手の利用客が増えているのと、車両の短編成化により年々ひどくなっているように思う。

結局豊橋から名鉄特急に乗ったり、名古屋からは関西線経由、それも伊賀上野からは伊賀鉄道と近鉄の乗り継ぎという、「青春18」1回分より値段の高い寄り道をしながら結局1日が移動日ということになった。

Pc305635さて今日は朝から天気が変わりやすく、強風で実家の玄関前の植木が倒れたり、大雨が降ったかと思えばカラリと晴れたり、何とも移ろいやすいものだ。そんな中、大阪梅田のスカイビルに向かう。久しぶりに大阪の街並みを上空から眺めてみようというのである。

Pc305622梅田といえば大阪駅北に広がる梅田貨物ヤードの再開発の真っ最中。大阪駅の北を走っている道路もルートが変えられたり、確か側線やコンテナが積まれていた辺りも少しずつ更地になり、工事が始まっている。ドーム型の荷捌場や、貨物列車が発着するコンテナヤードが見られるのもあと何年かの話である。列車もほとんど運休とあってガランとしていた。

さてスカイビル。高層エレベーター空中庭園展望台に上がるのだが、実のところ私は高所恐怖症の気が大いにあり、外が眺められるエレベーターというのはあまり気持ちのよいものではない(ならば、上がらなければいいのだが・・)。

Pc305632Pc305630ようやくにして展望台へ。てすりにへばりつくようにしてそれでもカメラは構える。ちょっともやがかかっているようだが、青空が広がっており市街地のビルはもちろん、西は大阪湾に六甲の山々、東は生駒の山々、淀川の流れなど、やはりこの眺望はすばらしい。怖さをしばし忘れて、風に吹かれながらもの思いにふけるのであった・・・。

それにしても今年も残りあとわずか。いろいろと楽しいことや辛いこともあったが、まあこうしてよしなしごとを書くことは続けられました。訪問してくださった方には改めてお礼を申し上げます。また新しい年も、さまざまなことを伝えられればと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

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ムーンライトえちごと米坂線

2007年12月28日 | 旅行記B・東北

先日、駅の指定席券売機をいじっていたら、新宿発の「ムーンライトえちご」の指定席に空きがあった。「青春18」のこのシーズン、夜行快速の指定席など秒殺で売り切れるのだが、直前で誰かがキャンセルしたのだろう。

Pc235563ということで、夜の新宿駅に現れる・・・・と思いきや、自宅を出る時間が微妙に遅かったために、「ムーンライトえちご」を捕捉したのは次の池袋。ここで座席はほぼ満席になった。

Pc245566夜の高崎線を走り、日付も変わって高崎着。ここで30分ほど停車し、金沢行急行「能登」を先に通す。こういう国鉄特急型車両が同じホームで顔を合わせるのも今や珍しい光景である。ただ、「ムーンライトえちご」が満席なのに対し、「能登」はガラガラ。自由席の客は前の座席の向きを変えて熟睡のようだ。それに比べると満席の4列シートというのは眠るには苦しい。まあ、それをわかった上で乗っているのだが・・・。

ホームに出て写真を撮ったりしたものだから余計に目がさえ、この後は眠ったような眠らないような、はっきりしない一時を過ごす。いつしか雪が積もっている区間に差しかかったようで、外が白い。新潟の平野部はどうだろうか。

すると、高崎で終わったはずの車内放送が入る。「この先の越後中里で、不審者が線路に侵入しているとの情報が入りました。現在、係員と警察が確認しています」とのこと。越後中里といえば雪深いところ。そんなところに侵入するヤツなんているのかな・・・。と思っていると、「不審者が3人いた模様です。警察が身柄を確保しました」との放送。どういうヤツだったのか、翌日の新聞を見たわけでもないし別にどうでもいいことなのだが、ともかくこれで越後中里手前で30分近く足止めを食う形になった。

それでも快速運転の強みか、停車駅が少ないこともありその後遅れを取り戻し、結局新潟には定時の4時51分着。まだ真っ暗な新潟は雪ではなく雨模様。しかも風が強い。やはり冬の北国に来たのだなと実感する。

さてここからどうしようか。「ムーンライトえちご」に乗る前は、信越線で来た道を引き返すか、越後線で西へ向かうか思案していたたが、結局「ムーンライトえちご」の向かいに停車していた白新線経由の村上行きに反射的に乗る。乗客の半数以上がこの乗り継ぎで、ロングシートもほぼ埋まる格好になった。この人たちはおそらく村上から酒田行きに乗り継ぎ、羽越線から奥羽線を北上していくのだろう。

Pc245570窓を叩く風雨が強く、夜が明ける気配も全くないまま、ウトウトするうちに村上着。同じホームの前方に停まっている酒田行きに乗り継ぐ客が多い中、私はそのまま改札口へ。ここで折り返すことにし、今乗ってきた列車が発車するまでの間、駅前のコンビニで朝食を仕入れる。

ここで折り返すのは、坂町から米坂線に乗ろうということからだ。先の列車で坂町で降りてもよかったのだが、それこそ駅のほかには何もなさそうなところで1時間半以上待たされるのもつらい。そのために村上折り返しとしたのだ。同じような行動を取った人が何人かいて、坂町駅の小さな待合室で時間をつぶす。石油ストーブで暖を取るというのも久しく経験していないなと思いつつ。

Pc245578そろそろ空が白くなってきて、架線のない1番線に2両の気動車がやってきた。米沢方がキハ52、後ろがキハ47ということで、迷わずキハ52のほうに乗る。新潟から同じような行動を取っていた人も全員キハ52の4人がけ座席を占める。そう、米坂線に乗りに来るというのは、今や絶滅寸前となったこの形式の車両に乗ることがお目当て。先日まで盛岡地区にもいたようだがそこからも撤退し、JR東日本ではここだけになったということもある。

あれだけ強かった雨も、米沢行きが出るころにはほとんど降らず、荒川沿いに力強く走る。前方には朝日山地の山々。頂上のあたりは雪が積もっているが、こちら沿線では雪はほとんどなく、新潟と山形の県境に若干の根雪が見られた程度。この時期の平年としては少ないのかこんなものなのか。

Pc245582Pc245580山形県の奥深い小国の町を抜け、平野が開けると飯豊町。羽前椿駅で10分ほど停車する。行き違い設備はあるのだが時刻表を見ても対向列車の来る気配はなく、どういう理由での停車なのだろう。ともあれ外に出て駅舎や車両の写真を撮る。日本の四季折々の原風景を町のPRにしているようで、駅の周りにも広々とした水田地帯が広がる。

Pc245576この辺りの農村の車窓は、広々とした水田があり、その一角に農家があり、家の周りを防風林が囲むという風景。ともすれば一軒の農家が島のようにも見える。風が強いからそのようなつくりになっているのだろうか。

Pc245586山形鉄道との分岐駅、今泉着。ここでも24分着。かといって米坂線の列車との行き違いもなく、なぜそんなに長く停めるの?というところ。また改札から駅前に出たがこれといった商店もなく、また車内に引き返す。そろそろ夜行であまり眠っていない反動が来そうな時間だ。でもまあ、今日は米坂線に乗ったことでお目当ての半分以上は終わったようなもので・・・。

Pc245587坂町を出ること3時間近くにして、ようやく米沢着。こちらでは何両もの気動車が密集しており、その中には同じキハ52の国鉄塗装車も混じっていた。そちらにカメラを向ける人もちらほらと・・・。

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日暮里・舎人ライナー

2007年12月25日 | ブログ

このところ通勤の地下鉄千代田線の中で「日暮里・舎人ライナー 平成20年3月20日開業」のポスターを見ることが多くなった。

山手線・京浜東北線・常磐線・京成電鉄の路線が集まる日暮里。ここから、これまで鉄道の空白地帯であった足立区西部の舎人地区までの9.7キロを約20分で結ぶというもの。2005年のつくばエクスプレス開業とともに、これまで東京23区の中で鉄道の便が悪いとされてきた足立区にとっては、利便性の向上につながるとされている。

同線を運行する東京都交通局では、沿線の荒川・足立両区の出身者・在住者を「地元出身応援団」として起用し、路線のPRを行っている。そのメンバーというのが、片岡鶴太郎(荒川区出身)、元大関・栃東(足立区出身・在住)、谷川真理(荒川区在住)、雛形あきこ(足立区出身)という4名。開業までこの4名がリレー形式でPRするとかで、私がよく見るポスターというのが、西新井にある玉ノ井部屋の栃東のものだった。それで余計に目についたのかもしれない。

山手線直結ということで、これまでと比べて都心との利便性が向上するのは間違いない。ただネックなのは、新しい路線につきものの運賃の高さ。同じ区間を走る路線バスが200円なのに対して、終点までで320円だしね・・・。さて、どちらを取るか。

つくばエクスプレスの開業により、「これからこの地区が発展するきっかけとなった」と分析する向きもある。この舎人ライナーの開業が地元にとってプラスのものになるかどうか。同じ区民として(といっても方向が全然違うのだが)注目していきたいところである。

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人材派遣業が相次いでプロ野球撤退

2007年12月23日 | ブログ

人材派遣業大手のグッドウィルが、港湾荷捌き業務への違法派遣で事業停止処分を受けたこともあり、西武球団に対して西武ドームと2軍の命名権の返上を申し入れ、西武球団もこれを了承する見込みとか。

グッドウィルはこれまでにも日雇い労働者からの不透明な「天引き」や、「コムスン」の介護報酬の不正請求問題で事業売却に追い込まれたりと、何かと問題のあったところだが、本業の事業停止というのは今後会社の存続にも関わることではないだろうか。

また、今年は同じ人材派遣業のフルキャストがこちらも違法派遣の問題もあり、宮城球場の命名権を返却することになった。

日本のプロ野球の球団名にはその時々に「元気な」企業の名前が出てくるものだが(最初は新聞社と鉄道会社ばかりだったのが、昭和後期から平成にかけては食品、流通、金融業、そしてIT関連企業の楽天とライブドアが新規参入を争う)、球場名とはいえフルキャストとグッドウィルという人材派遣業が表に出てきたのも、ある意味この業界が勢力を拡大してきたことの現れであろう(球場のビール売りやら何やらはみんなこれらの会社から派遣で来ているのかなと思ったりして。グッドウィルならmobito.comかな)。

実は私も就職活動で、この両社とは別の人材派遣会社の面接を受けたことがあるのだが(結局不合格)、セミナーで聞いたのが「これからは企業のアウトソーシングが確実に増える。だからこの業界は伸びて行くのだ」ということ。

確かに、人材派遣の業界そのものはこれまで伸びてきている。長引く不況により企業が正規雇用を抑え、派遣やアルバイトで労働力をまかなってきたこと、また労働政策の面でも派遣可能な業種を拡大させてきたことによる。特に派遣の場合、企業自らが人材の募集をかけずとも、人材派遣会社が有能なスタッフを送り込んでくるし、人海戦術が必要な業務だと十把ひとからげで人間がやってくる。雇用の調整弁として何かと都合がよい。

ただ、伸びたのは人材派遣業と、人材派遣によりコスト削減に成功した企業である。その一方で、増加する一方の派遣労働者の待遇が置き去りにされている。収入も低く、身分も不安定で、それが少子化、年金未納の問題にもつながるという指摘だ。今になって人材派遣そのものをやめてしまえというわけにもいかないので、国としてもこれら派遣労働者の待遇改善をあわせた雇用政策の強化が求められる。

話は戻るが、西武ドーム→インボイス西武ドーム→グッドウィルドームと来て、次はどういう名前になるんだろうか・・・?

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何でこの時期にUFO論議?

2007年12月20日 | ブログ

新テロ特措法問題や、防衛庁問題や、あるいは消えた年金、薬害肝炎の和解問題など、年末に来てもまだまだ政治問題が山積みの政治であるが、そんな中で力が抜けてしまうようなニュース。

それが、UFO論議。

「UFOが来たらどうするんだ。情報収集は喫緊の課題である」と質した民主党のナントカという議員も議員なら、「政府見解としては存在を確認していないが、個人的にはUFOはいると思います」と回答した町村官房長官も官房長官だ。

現実の政治って、こんなにのんびりした議論(議論というほどのものでもないな)をしているのだな。

・・・それにしても、民主党のその議員が「喫緊の課題」というほどのものかな。野党も、もっと真正面から突っ込むべき問題があるだろうし、政府ももっといろんなところではっきりとした「見解」を出すべき問題があるんじゃないでしょうか・・・・。

薬害肝炎の和解協議が打ち切りになったそうですね。

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郷土料理の人気投票というのがあるんですね。

2007年12月18日 | ブログ

いつものようにネットを見ていたら、「第3回郷土料理百選選定委員会の結果について」という記事に出会った。

これは何でも農林水産省の振興策とかで「食べてみたい!食べてみせたい!ふるさとの味」ということで、国民的に支持される郷土料理を「百選」として選ぶというものとか。その結果がまとまったとかいう記事だったのだが、こういう「百選」を農水省で公募したりしていたというのは初めて知った。今年は故・松岡氏やら赤城氏やらの「活躍」で、別の意味で注目された農水省だが、現場ではこういう面白い企画をやっていたりするものだな。

旅行を趣味としていると結構その土地の名物料理や郷土料理というのが気になる。実際にそれを味わったり、あるいは値段が高いといって敬遠したりいろいろあるのだが、こうした料理がその土地の代表であり顔というのであれば、それを土地の呼び物として観光振興につなげるのもよいことではないだろうか。

・・・で、その投票結果というのが公表されたのだが、

1位・・・いも煮(山形県)

2位・・・鶏飯(鹿児島県)

3位・・・きりたんぽ鍋(秋田県)

4位・・・馬刺し(熊本県)

5位・・・きびなご料理(鹿児島県)

・・・というのが上位で、これがずっと続く。もっとも公式には「99選」までしかなく、残りの1品は「ご自身の思い入れのある料理を選んでください」というものだ。

まあこれはあくまで投票の結果であって、ノミネートされたその百選たるや、それぞれの都道府県を代表する料理である。詳細は別途百選のホームページ(http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryouri100/)を参照いただくとして、結構その選択にうなづく方や、「これらを食べるために旅行しよう」という方も含めて結構納得できるものだろう。

地域産品に対して「地産地消」というのが各都道府県の合言葉のようになっているが、他の都道府県の人たちにもその味覚を堪能してほしいという思いはあるはず。やはりここは「有名料理を食べるのは俗な旅行者のすることだ」というアホな意見はおいといて、未体験のものも結構あるので、これからの楽しみとしたいものである・・・・。

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オリックス・大西と横浜・古木がトレード

2007年12月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

オリックス・バファローズの大西外野手と横浜ベイスターズの古木外野手のトレードが発表されたという。

オリックス側からすればなかなか面白いトレードではないだろうか。

古木といえば一時横浜の四番も務めていた実績もあり、最近くすぶっているがまだ27歳なんですな。大西も同じ年齢なのだが・・・。

下山やら相川もいれば、このオフは濱中を獲得したし、この先カブレラを獲ればともすれば北川の代打・・・なんてこともあったり、右の中距離~長距離打者というのはそれなりの頭数がいる。それに引き換え左の控え層となると、坂口、木元、岡田(はまだ実績不足か)といったところで、迫力に欠けるところがある。そこに左の古木というのはプラスになる。期待しすぎかもしれないが、濱中と定位置争いをやるくらいなら面白い。

P7072652_2その一方で、水口の引退、的山の金銭トレードに続き、またも「近鉄」出身者がチームを去るのも、あれから3年経てば選手も大きく入れ替わるとはいえ、何だか寂しいものだ。2007年のバファローズのガイドブックの選手紹介では「いてまえイズムの継承者」として紹介されていただけにね(外野でショボいエラーをした時に思い切りヤジったことがあるが・・・)。

新天地でも応援歌のごとく「打撃道昇り詰めろ 誇り高き師(故・鈴木貴久氏)を胸に」活躍してほしいものだ。

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佐世保・スポーツクラブ銃乱射事件

2007年12月15日 | ブログ

昨夜は会社や取引先の人たちと深夜まで飲み、本当であれば天気もよいので早朝から出かけようと思っていたがさすがに早起きすることができず、近くのスポーツクラブで汗をかいてアルコールを落とすことにした。ただ今日に限ってはクラブの前で思わず辺りを見渡したりする。

というのが、昨夜長崎・佐世保で発生したスポーツクラブ「ルネサンス」での銃乱射事件。昨夜はこのニュースを見ておらず、朝のテレビ番組で知った次第。散弾銃を乱射しながら男が乱入し、2名死亡、6名負傷させ、そして翌朝自らも銃で命を絶ったという事件である。銃乱射で多数の死傷者が出るのは米国の話かと思っていたが、これは日本での出来事である。2名の犠牲者のご冥福、6名の負傷者のお見舞いを申し上げます。

最初は「なぜスポーツクラブで?」という疑問もあったようだが、犯人は複数の知人を当日クラブに呼び出しており、犠牲になった男性はその呼び出された知人の一人であったという。クラブであれば自然に集まってくるという考えがあったのか。そのうえ、インストラクターの女性や会員の子どもたちも巻き込まれたのである。犯人自身にしてみれば信仰していた教会でその一生を終えたのだから、そりゃ「満足」でしょうがね・・・・。

冗談やない。

男性を殺害するのが目的だったのか、あるいは自分が自殺するのに道連れにしたかそれは今後明らかにされることだろうが、問題はなぜこのような事件が引き起こされたのかである。銃を何丁も持っていたというが、銃所持の許可やその後のチェック体制というのには問題がなかったか。果ては本人が仕事をクビになってから異常行動が見られるようになったとの報道もある。

何だかいろんな要素をはらんでいるこの事件。またコメンテーターと称する有象無象・・・もとい先生方があーだこーだ言うのがどのテレビ局でも見られるのだろうな・・・。

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橋下弁護士が大阪府知事選に出馬表明

2007年12月13日 | ブログ

昨日あたりから報道を賑わせていたのが、橋下徹弁護士の大阪府知事選挙出馬表明の話題。最近何かとはやりの弁護士先生の政界進出である。

今でこそ東京に住んでいるが、元大阪府民としては知事選挙の行方は気になるところ。もっとも、選挙権を持ってから大阪に住んでいたときには府知事選挙が行われず、投票したことないのだが・・・。

従って、事務所費やら不透明なカネの流れがもとで出馬を断念した太田府知事は、「トラキチのオバハン」というくらいのイメージしか持っていない。阪神が優勝した時には御堂筋パレードに出るんだとか縦ジマのユニフォームを着て道頓堀川に飛び込むとかいって大騒ぎしたくせに、近鉄が優勝した時には何ら祝福をしなかったというヤツである。まあ出馬断念、大いに結構やないかと思うのである。

自民党は橋下弁護士を応援し、民主党は別の大学教授を応援するということで「相乗り」候補というわけではないが、まあ、橋下弁護士が圧勝するのではないですか。今のところ政策ビジョンがないとか、マニフェストは堺屋太一が書くのではないかとも言われているが、大阪の人はそんなマニフェストがどうというよりは、これまでとは違う何かをやってくれそうな人物に期待するものだろう。

とはいうものの大阪の知事選挙の投票率は大体低く、これも大阪らしいといえば大阪らしい。ただ、知事選そのものを盛り上げるのであれば、複数の候補者による「舌戦」を繰り広げないとね。今年の東京都知事選挙が結果はともあれ投票日前あれだけ盛り上がったのを見ると、もっといろんな人材が出てほしいところなのだが・・・・。

果たして、どのような結果になるだろうか。

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「海の懸け橋 昆布ロードと越中」

2007年12月11日 | 旅行記D・東海北陸

富山県内の各線を乗り歩いた後、高岡から富山に戻る。この日の宿泊は富山城の近く、総曲輪にあるドーミーイン。すっかり雨模様の富山駅前から富山地鉄の路面電車で移動。車内で、路面電車に立山線の一部区間に路線バスが乗り放題の1日券を買い求める。あわよくば、市内線も乗り倒そうという雰囲気だ。そのホテルは部屋、ベッドともに広く、なかなか快適に過ごせそうである。温泉大浴場もあるのがうれしい。

2003814_078荷物を置いて一息入れた後、今度は総曲輪から地鉄バスで富山駅前へ。駅前の「やっとるぞー五條」に入り、まずは本日の乗り継ぎ旅行の疲れを癒すことにする。普段はアルコールをたしなまない大和人さんもこの日ばかりはグラスビールを注文。

北陸独特の香箱ガニのつきだしに始まり、寒ブリ、バイ貝、南蛮エビなどの載った刺身の盛り合わせに、ホタルイカ、白えびなど、富山湾の味覚が並ぶ。富山の居酒屋に入ると、料理はそれなりの値段はする。東京の格安店より高いのでは?と感じるのだが、そこはモノが全然違う。そこは納得できるものだ。途中で「立山」の熱燗に乗り換えつつ、酒も入って気持ちが軽くなった大和人さんとも仕事のことで大いに語らう。

Pb175105この中で注文した一品に「牡蠣の昆布焼き」というのがある。秋から冬にかけての味覚として牡蠣はポピュラーなものだが、この料理は昆布を下に敷いて皿代わりにして、その上に牡蠣を載せ、七輪で焼くというものである。牡蠣と昆布の風味の組み合わせが絶妙で、本来そのような食べ方がマナーにのっとったものかはわからないが、牡蠣を食べた後に昆布までバリバリとかじったものである。

この「昆布を使った」というのが話の昆布ならぬミソで、富山では昆布の消費量が多く、このような昆布料理が多いのは周知のところ。北前船、昆布、生薬というのが、富山の近代史を語る中では欠かせないものである。なぜ北海道原産の昆布が富山で多量に消費されるようになったのか、「富山の薬売り」はその原料をどのように手に入れていたのか、近代の物流や商流に大きな影響を及ぼした北前船との関係は・・・というのは、私がかねてから興味あるところである。

Pc115495_2そのメカニズムを著したのが、富山の北日本新聞の連載記事を一冊にまとめた『海の懸け橋 昆布ロードと越中』(編者 北日本新聞社編集局)である。富山駅のKIOSKで売っていたのを買い求めたのだが、新聞記事の連載ということでそう難しくなく、現在の富山の水産業のことも絡めて記述されているので、なかなかに示唆に富むものである。

Pb175107とまあ、昆布やら酒やらでお腹も満ちたところで、「二次会」は富山の市内電車の乗車とする。富山駅前から再び路面電車で終点南富山まで行き、そこからまたも元京阪の電車に乗車して富山駅前に戻り、またホテルに戻るのに路面電車に乗ったりと、600円の一日乗車券の元をわずかな時間で回収。それにしても、電鉄富山駅に元京阪の電車がフルに顔を揃えたのは圧巻だったなあ・・・・。

ということで「時刻表検定試験」の前日をこのように過ごし、翌日は富山から急行型列車のボックスシートを占領して、金沢入りしたのであった・・・・。(終わり)

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伏木と雨晴海岸

2007年12月08日 | 旅行記D・東海北陸

富山紀行の続き。

Pb175057如意の渡しを渡り終えた私と大和人さん。「富山散策フリーきっぷ」のエリアはここまでなので、再び如意の渡しで対岸に戻るという手もあるが、お互いに「北陸フリーきっぷ」に「周遊きっぷ北陸ゾーン」を持っているものだから、氷見線に乗ることにする。如意の渡しからコンテナヤードの広がる伏木の駅は近い。この伏木はかつて大伴家持も着任した越中国府のあったあたりで、北前船の時代を経て、そして今はウラジオストクへの定期旅客船(夏季)も出るなど、環日本海エリアの拠点である。

昼間の時間帯ということで本数は少なく、次の氷見行きまで時間がある。ならばしばらく駅周辺を散策することにしよう。港町ならではの古い町並みが残る。

Pb175059目指したのは駅前から延びる坂道を上がる勝興寺。高台にあがれば港の様子も見られるだろうということからだ。その途中に「伏木気象資料館」というのを見つけた。かつての測候所の建物を保存しているもので、その外観には風情がある。

Pb175060_2ただそれより驚いたのが、その敷地前に立っていた案内板。日本語、英語・・・これはまあ当たり前。韓国語、中国語・・・最近はこの両国からの観光客も多いしな。ロシア語・・・やはり彼の国と海を隔てて接している富山らしい看板やな。で、スペイン語。・・・スペイン語?船乗りを意識してのことかな。ということで、「6ヶ国語による案内板」という非常に珍しいものを見ることになった。それも、国際空港のロビーや、京都などのような外国人の大勢訪れる観光地ではなく、日本海に面した小さな資料館の前で。これには二人ともうなるしかない。

Pb175062そしてやってきた勝興寺。かつては一向宗の中でも大きな力を持った寺院で、江戸時代も前田家の保護のもと権勢をふるったという。以前訪れたときは本堂の修復中だったが、この日は青空の下、その威容を現していた。何でも重要文化財の指定を受ける本堂の中では、京都、奈良の寺院を含めて第8位の大きさとか。せっかくなので本堂にあがり、改めてその大きさを実感する。また本堂前の銀杏も鮮やかに色づいており、青空と黄色のコントラストが見事だ。先ほどの資料館の案内板といい、勝興寺の本堂といい、伏木ではうなってばかりである。

Pb175072本当はもっと港町の風情や万葉集の歴史館も見たいところだが、氷見線の時間もあるので駅に戻る。やってきたのはワインレッド色のキハ47。いよいよ、国鉄型気動車のお出ましである。

伏木の昔ながらの風情の街並みを抜けると、右手に海が広がる。これが雨晴海岸である。せっかくなので雨晴の駅で降りてこの海岸を見物しよう。同じようにここで下車する観光客が多い。で、線路を渡り海岸に下りる。

Pb175078Pb175080この日は天候に恵まれていたのだろう。海岸からは岩礁の向こうに立山連峰が広がる風景を見事に見ることができた。それだけ空気が澄んでいたということかな。しばらく海岸を散策する。この風景がこの冬の「青春18きっぷ」のポスターに使用されているのを見たのは、この少し後のことである。

雨晴駅に戻り、待合室に飾られた雨晴海岸の写真の数々を見る。特に秋から冬にかけての晴天の日には、海面からたちのぼる霧に、立山連峰から顔をのぞかせる朝日の組み合わせが美しいとか。特に元旦には初日の出の瞬間を撮影しようと大勢のカメラマンが訪れるとか。ここで大和人さんが何やらお守りを買っている。雨晴という名前が縁起がいいというので、開運、勝ち運のお守りというのがあるそうだ。

Pb175099雨晴海岸を後にし、防風林の中を抜けると氷見駅着。伏木が商業、工業の港なら、ここ氷見は氷見ブリをはじめとした日本海有数の漁港である。ただそろそろ時間も夕方であるし、不思議に雨晴を出てから、あれだけ青空が広がっていたのが急に風が強くなり、天候も怪しくなってきた。氷見は駅舎の写真だけ撮ってそのまま折り返す。すると、雨粒が落ちてきた。うーん、「雨晴らし」ならぬ「雨降らし」海岸になってしまったな・・・。

再び雨晴海岸を通ると、先ほどあれだけいた観光客が誰もいなくなっており、また立山連峰もその姿を消した。結局このまま高岡に戻ることにする。この氷見線だが、高岡大仏や瑞龍寺などの歴史のある町並み、貨物ヤード、工場の敷地の中を通ったかと思えば、先ほど通ってきた伏木の町、雨晴海岸、防風林、氷見漁港など、全線短い距離ながら実に変化に富んだ路線である。そういえばこの前「好きな鉄道路線は?」と聞かれたことがあるのだが、この氷見線を挙げるのを忘れていたな・・・。

Pb175103この後、先に乗らなかった万葉線の中伏木~高岡駅前間を乗るために、高岡駅前の停留所に向かう。この万葉線も、高岡駅前を出てしばらくは道路の上を走るが、専用軌道に入ったかと思えば小矢部川の長い鉄橋を渡ったり、工場の引込み線のようなところを走るなどなかなか忙しい。結局中伏木はそのまま素通りし、中新湊まで行ったところで反対側からライトレール型の車両がやってきたのでそれを捕捉し、折り返す。

結局、「富山散策フリーきっぷ」1000円の元は十二分に取り、これらの線に初めて乗車した大和人さんも大満足の様子。暗くなった高岡駅に戻り、急行型のボックスシートを占領して富山に戻る。高岡から富山までのわずかな距離でも特急2本に抜かれたが、その分のんびりした汽車旅の風情を味わうことができた・・・。(続く)

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宮地克彦・ソフトバンク育成担当に就任

2007年12月07日 | プロ野球(独立リーグほか)

今季、北信越BCリーグの富山サンダーバーズで「プレーイングコーチ」として活躍した宮地克彦選手が、サンダーバーズを退団し、福岡ソフトバンクホークスの育成担当としてNPBに「復帰」することがこのたび発表された。

P9083462発足したばかりのBCリーグの看板選手といってもいいだろう。将来のNPB入りと地域活性化のために練習・試合をこなしてきた若い選手にとってはお手本だっただろうし、「リストラ選手の再挑戦」といった視点から応援するファンも多かった(何せ、ソフトバンクに入団する前の西武も自由契約になっていることだし・・・)。

Pc075493公式ページに寄せられた本人のコメントでは、「来年も富山でやるかNPBに戻るかで悩んだ」とのこと。現役の選手としてではなく、育成担当という指導者としての復帰というのは複雑な気持ちだろう。ただ、この富山で若手の先頭に立ってプレーしてきた姿を、ホークスの関係者はきちんと評価したのではないだろうか。独立リーグは選手だけでなく指導者の育成の舞台でもあるといっていいだろう。この経験を生かして、ホークスでもイキのいい選手を育ててほしいものだ(最近、このチームの若手が伸び悩んでいるようにも見えるので・・・)。

P9083412宮地選手のNPB復帰とは裏腹に、少し前のことだが新潟アルビレックスの後藤監督が「解任」されたのも事実。当初は来季の続投が発表されていたが、何せ勝率2割台とくれば、いかに「フロントとの野球観の違い」と説明されても、成績不振の責任を取らされたのは事実。やはり厳しいものだ。後任は四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズの初代監督で、優勝経験もある芦沢真矢監督。台湾プロ野球でもコーチを務めており指導者経験は豊富。こちらのチームも、来年どこまで巻き返せるかが注目である。

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県営汽船と如意の渡し

2007年12月04日 | 旅行記D・東海北陸

岩瀬浜から3人の乗客を乗せたバスは、富山港を後に富山新港に向かう。大型店舗や倉庫の並ぶ一角である。このバスは射水市内の乗客をライトレール経由で富山に運ぶためのものなので、富山市内では他の停留所に停まらない。もっとも、この3人が射水市内で下車するわけでもなく、実質ノンストップで走る。

Pb175032いくら旅の道連れがいるといっても24時間のべつ幕なしでしゃべるわけではないので、このバスでは静かに過ごす。この車内からある人に携帯からメールを送ろうとしたのだが、周りには山のない平坦なところなのに、なぜか送信できない。うーんとうなるうちふと外を見ると、ロシア語で何やら書かれた看板のある工場だか倉庫だかの前だった。うーん、やはり東側諸国の陰謀が何かこのあたりに渦巻いていて、妨害電波を発信しているのか・・・?

射水市内に入ると「密航者注意」の看板が目立つ。この看板がやたら目立つのが北陸地区である。やはり大陸から船を漕ぎ出すとたどり着くのがちょうどこの辺りということで、まあそれが環日本海交流といわれるお互いの近さでもあるのだが、その片方では彼の国による拉致被害というのもあるわけで、何ともいいがたいところだ。

船岡という集落に入り、新港東口着。折り返しのバスには、ここから富山へ向かう人たちが結構待っていた。やはり、昼間の時間だと富山から帰るには早すぎるし、私たちが乗ってきたのは実質この人たちのお迎えのようなものだったか。ここから富山県営の渡船に乗る。

Pb175036この渡船、富山新港の開港に伴いこの一帯を走っていた富山地方鉄道射水線が廃止されたことにより、その代替として開かれたもの。道路に準ずる扱いなのか、料金は無料である。また一時は24時間運航していたとのことだが、最近は深夜の運航にかかる経費削減のため、深夜は乗り合いタクシーでの代替とか。

先ほどの女性や、地元の自転車乗りの生徒などを乗せて出航。富山新港の河口を渡る。短い区間だが潮風に吹かれるというのはいいものだ。後ろを振り返ると立山連峰が相変わらずその姿をのぞかせている。

Pb175038ただ、海のほうに目を向ければ、コンクリートの高架橋の橋脚が目立つ。これは富山新港近辺の道路交通の便を図るための新しい橋の建設工事である。うーん、確かに通行には便利なのだが、せっかくの眺望が妨げられるようで惜しい。また、その橋が開通すればこの渡船はどうなるか。まあ、各地を見渡せば、大きな橋のたもとの短い区間で運航していると線はまだまだあるし、第一、地元の歩行者や自転車の往来を考えれば、高架の橋を通らせるくらいなら、船のほうがまだ安全である。だから「有料化」の話は出るかもしれないが、渡船そのものは残るのではないだろうか。

Pb175044_2わずか5分ほどで越の潟着。目の前が高岡までの万葉線電車の越ノ潟駅である。やってきたのは前面に猫の顔を描いた車両。先ほどのライトレールと異なり、数十年ものの路面電車である。11月とはいえ、好天のためかえって暑いくらい。路面電車の窓を開け放しての走行である。途中から乗ってきた地元の子どもたちも、路面電車がよほど珍しいのか大はしゃぎ。窓から顔を出している子どももいたが、見ていてかなら危なそうだった。

Pb175047路面電車に揺られ、中伏木着。貨物線の線路跡もあり、何だか殺風景なところだ。そしてここから乗るのが、目の前を流れる小矢部川を渡る如意の渡し。河口ではあるが対岸は目の前である。この如意の渡し、越中の国府を目の前にして、東側の守りの固めでもあるし、川を介した物流というのもあったことだろう。そのためか関所のようなものがあり、あの源義経が東国へ落ち延びる際、この如意の渡しの川守が義経ではないかと怪しむ。そこで出たのが武蔵坊弁慶で、疑念を晴らすために義経をさんざんに打ち据える。その時の傷が元で義経が亡くなった・・・とそこまでいうのは冗談として、あの「安宅の関」のエピソードの元祖はこの如意の渡しでの一幕ではないかという説がある。どちらも言い伝えとか芝居の話かもしれないが、それだけ、関所とこの渡しが当時同じような役割を果たしていたということには変わりがないだろう。

Pb175052さてその如意の渡しだが、乗り場に掛けられた時刻表では日中15分ごとのようで、あいにく前の便が行ってしまった直後のようだ。ただしかしよく見ると、「定時運航は7時と19時の2便」「その他は時刻表を目処に運航」と、かなり大雑把というか、いい加減な時刻表である。そういえば以前に乗ったときもそうだった。時刻表の時間になっても船が現れず、しびれを切らして川べりに出たら、その瞬間に待ってましたとばかりに対岸から船が出てきたのである。これも「時刻表を目処に運航」ということだったか。その時は気づかなかったなあ。

さて今回はその逆で、私たちの姿を認めると対岸から船がやってきた。その様子からして、乗客のいない昼間は客がなければ運転していないのだろう。

この如意の渡しのすぐ上をまた工事中の橋脚がある。これも、射水地区と伏木、氷見を短絡する橋という。こうなるとやはり橋が開通した時のこの如意の渡しの行く末だが、「今はいろんなこと言われてるけどねえ・・・。その時にならんとわからんよ」と船頭の言葉。ただこちらも、観光的要素もあるので存続するのではないかな。そんなことを思いながら下船する。

Pb175055如意の渡しはこちら伏木側が本拠地のようで、ちょっとした公園にもなっている。その中にあるのが、如意の渡しで弁慶が義経を打ち据えるところを描いた銅像。小矢部川、さらには立山連峰をバックに写真が撮れる場所なのだが、ここで建設中の橋脚が邪魔をする。地元交通のためには橋を掛けるのも一つの手段であるが、やはりもう少し何とかならなかったのかなとも思う。

さて、富山散策フリーきっぷは如意の渡しと万葉線まで有効。このまま引き返すという手もあるが、せっかく来たのだから近くの氷見線伏木駅まで歩き、お互いJRのフリーきっぷ、周遊きっぷを持っているのだからと、終点の氷見まで行こう。ただ、氷見行きの列車まで少し時間があるので、こちらも日本海の物流拠点、いや越中の国府があったのだからもっと古い時代からの港町である伏木駅の周りを歩くことにする・・・・。(続く)

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富山ライトレールと岩瀬の町

2007年12月03日 | 旅行記D・東海北陸

富山駅北口から外に出る。新幹線開業を見据えた駅の高架工事が行われており、北口は仮住まいのような駅舎。その一角に富山ライトレールの窓口がある。

Pb175000この日メインで使用するのが、「富山周遊散策1日フリーきっぷ」。残念ながら11月25日までの発売で現在は売られていないのだが、富山ライトレール、岩瀬浜~新港東口のライトレール接続バス、新港東口~越ノ潟の渡し船(これは元々無料なのだが)、万葉線、如意の渡し船というエリアが1日乗り放題で1,000円というもの。これを使用して、富山から順番に乗り継ごうというコースである。おまけに私は「北陸フリーきっぷ」、連れの大和人さんは「周遊きっぷ」の北陸ゾーン券を持っており、これに北陸本線や氷見線をつけることができる。時間の許す限り乗り回ることにする。

Pb175003その一番手が富山ライトレール。私もこの線に乗るのは3度目だが、地方都市における公共交通のありかたを考えさせてくれる路線と感じている。開業から1年半経過し、これまでのところは好評で、実際にライトレール方式の導入を健闘している自治体も多いとか。大和人さんとともに向かい合わせの座席を確保する。大きな窓やゆったりしたシートに、これが初めての乗車の大和人さんも感心しきりだ。

Pb175007しばらく道路上を走り、進行右手に伸びる旧富山港線の廃線跡を見てカーブ。旧富山港線の線路をベースにした区間を走る。ライトレール方式になって新たな停留所ができたり、ホームも低床になったのだが、それでもところどころに旧富山港線時代の名残の路盤やホーム跡や、キロポストが立っていたりする。旧富山港線は朝には急行用の大型車、客の少ない昼間は単行の気動車が走っていたが、元が私鉄だけあって駅の距離も短く、市民の気軽な足としての利用実績がある程度あったため、ライトレール方式の試金石としては条件が揃っていたということはある。他の自治体が導入しようとしても、果たして同じように行くかどうか・・・。

Pb175005富山から20分ほどで、岩瀬浜着。ここから出るフィーダーバスに乗り継ぐ人や、付近の散策に出る人も。構内の写真を撮っていた大和人さんが「ここに急行型車両を1両保存してもよかったのでは・・・」てなことを言う。

この先の新港東口行きのバスまでは時間があるため、折り返しの電車で東岩瀬へ。このあたり、フリーきっぷの強いところだ。ここからは岩瀬の町を歩くことにする。ちょっとぶらついてもバスの時間までに岩瀬浜駅に戻れるくらいのタイミングだ。

Pb175012旧北国街道に面した岩瀬の町並み。往年の港町の賑わいを今に伝える伝統的な建物が数多く残っており、静かな佇まいを見せている。ライトレール沿線の観光の目玉であり、ライトレール開業でこの町を訪れる観光客もポツポツと増えているようだが、小京都のように観光バスでごった返すほどではない。老朽化した建物をリフォームしたり、銀行が昔の木造建築風の建物に作り変えられたりという変化はあるが、あくまで昔からの普通の風情を今に伝えており、好感が持てる。

Pb175013港町岩瀬の歴史を伝える、廻船問屋・森家へ。北前船の寄港地として栄えた岩瀬だが、その中で米・昆布・生薬・綿花などの売買と輸送を一手に引き受けた商人たちの栄華を見ることができる。室内のあちこちに見られる意匠や、上方からもたらされた書画などである。

Pb175014この森家で、大和人さんにぜひ見せたいものがあった。どこにあったかなと探すうちに、土蔵へ抜ける通路で見つけた。それが「富山を中心として、南北を逆転させた地図」。ブログ掲載の写真は、決して上下さかさまに貼り付けたものではない。富山県が、国土地理院の承認を得て作成したものだが、これを見ると、富山と「大陸」の距離がグッと近く感じるのがわかる。北海道と朝鮮半島が同じくらいの距離であるとか、東京が富山の左上にポツンと存在するように見えるとか、「環日本海」というキーワードを頭に置くと新鮮な地図に見えてくるのだ。教育に従事している大和人さんにとって、生徒への話のネタ(といったら怒られるな。教材か)になるのではないだろうか。

Pb175023しばらく古い町並みを楽しんだ後は、常夜燈をイメージした富山港展望台へ。眼下には富山港の風景、そして遠くには晴天に映える立山連峰を見ることができる。改めて、山と海に囲まれた町並みを実感する。

ここからぶらつくと運河を渡り、岩瀬浜の駅に戻る。手ごろな散歩コースだが、残念ながら食事を取る時間がなかった。まあこの先新湊から氷見へ抜けるのだし、どこなとありつけるだろうという見通しだったのだが・・・。

Pb175027ふと駅前を見ると、何やらロシア語でこのような看板。カーテンが閉まっており、何の店だか会社なのだかよくわからない。ふた昔くらい前なら「ソ連や東側諸国の秘密組織か??」などとヘンな想像を働かせるところだが、それは冗談として、先に訪れた富山港展望台にもロシア語の案内があり、このロシア語が当たり前に転がっている光景を見るたびに、富山に来たのだなと実感する。東京ではよほどのところへ行かない限りロシア語の看板には遭遇しないものね。

新港東口行きのバスに乗り込んだのは私たち2人と、接続のライトレールから降りてきた女性の3人のみ。しかもこの人、私たちと同じフリーきっぷを持っており、実質地元の人間はゼロ。果たして、このバスはいつまで運行できるのだろうか・・・・。(続く)

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