まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回四国八十八所めぐり~松山でエビス顔

2017年11月30日 | 四国八十八ヶ所
太山寺、円明寺と回ってJR松山駅に戻る。ここで宿となるターミナルホテル松山へ。昼に荷物を預けた時に支払いは済んでいるので、そのまま部屋のカギと荷物を受け取って中に入る。

部屋は喫煙室だが角部屋が当てられていて、窓の外はちょうど市内電車の松山駅前である。電車がガタゴト走る音がよく聞こえる。それをうるさいと感じる人にはあまり居心地がよくないだろうが、私としては面白い。前回の松山宿泊はすぐ近くのホテルサンルートだったが、その時は予讃線の線路を見下ろす部屋だった。いずれもリクエストしたものではないが、そうした部屋割りも八十八所めぐりのおかげかなと、勝手にありがたく思う。

さて夕食として外に出る。わざわざ大街道、銀天街まで行かなくても、駅前の数少ない店でよしとする。前の時は2泊でそれぞれ違う地元チェーンの居酒屋に行ったが、今回は「大衆酒場」的なところに入る。松山駅の交差点の角にある「大衆酒場エビス」。

開店直後ということで私が一番乗り。店そのものは新しい感じだが、内装はしっかり大衆酒場の感じがする。ホッピーも店の推しの飲み物だ。

メニューは大衆酒場に付き物の一品がいろいろあるが、おすすめには瀬戸内の魚や地鶏が並ぶ。「媛っこ地鶏」のモモ肉を刺身でいただく。愛媛県のいくつかの地域で育った地鶏にこのブランド名がついていて、こちらで出されたのは宇和島の三間町産だという。三間町といえば四国八十八所めぐりでも龍光寺、仏木寺を訪ねていて、のどかな景色を思い出す。

ふぐの刺身もいただく。ふくさしとなると皿の上に薄切りを丸く乗せたものを想像するが、こちらで出たのは厚めに切られ、普通の魚の刺身のように盛られていた。歯応えを楽しめる。

これらに合わせるのはホッピー。グラスに焼酎を結構多めに入れてくれるのでちょっとキツメだが、松山でホッピーを濃くいただくというのが、ディープな一時に感じてしまう。

入った時は他に客はいなかったが、開店すれば立地条件の良さもありほぼ全ての蓆が埋まる。多くは観光客というよりは地元客のようで、隅のカウンターに座ったのは常連さんらしく、店員と気軽におしゃべりしていた。

この「大衆酒場エビス」には看板メニューとして「エビスセット」というのがある。自分で七輪の炭火で肉や野菜を焼くのだが、これが結構なボリュームである。ワンドリンクつきで1200円で、ドリンクが300~400円だから、それを差し引くとお得感が増す。客の多くがエビスセットを頼むために、あちこちから七輪の煙が出てくる。焼肉店と大衆酒場がごっちゃになった感じで、これは面白い。

炭火焼の味を楽しんだところでおしまいとして、その足で隣のスクエアにあるキスケBOXに向かう。もちろん、喜助の湯に入るためである。ターミナルホテル松山では割引入浴券を販売していて、タオルは部屋のものを持参することができる。二種類の成分の湯を楽しみ、入浴後は休憩室でくつろぐ。ここはすっかり私なりの松山での癒しスポットになった感がある。

ホテルに戻りゆったりする。翌26日は後回しになった第49番の浄土寺、第50番の繁多寺、そして第51番の石手寺と回り、道後温泉と松山城を訪ねる。なお大阪に戻るためのバスは、伊予鉄道の松山市駅前を14時30分に出発する。松山市内8ヶ所めぐりの最後はどのような形になるだろうか・・・?
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第13回四国八十八所めぐり~第53番「円明寺」

2017年11月29日 | 四国八十八ヶ所
山の中の大寺という感じの太山寺を後にして、次の第53番の円明寺(えんみょうじ)を目指す。距離は2キロほどで、先ほどバスで通った県道を道なりに行けばよいとある。今度は交通機関もないことからそのまま歩いて行くことにする。

太山寺の仁王門を後にして200メートルほど歩くと、県道に面した一の門に出る。一応門の建物はあるが、別に鎌倉時代からのものというわけではない。ただ改めて門から寺のほうを振り返ると、仁王門が小さく見える。これだけの規模、歴史のある寺なのに、松山の中でメジャーな観光地として紹介されていないのが奥ゆかしいと思う。松山の寺といえば、道後温泉にある石手寺の名前が挙がるが、順番が逆になるものの明日訪ねることにしている。

県道を歩くと交差点の一角にコスモス等の花が植えられてちょっとした憩いの場になっているところがあり、片廻というバス停がある。これは松山市駅から運転免許センターを結ぶ系統で、30分に一本くらいの本数がある。太山寺から歩いて10分くらいのところにあったから、太山寺へのアクセスにも使えそうだ。

ここからは平坦なルートで、淡々と歩く感じである。見る限り、他に歩いて札所を回っている人はいないようだ。この辺りは和気というところで、円明寺の近くには予讃線の伊予和気駅がある。「和気」と聞いて思い浮かべるのは奈良~平安時代の政治家である和気清麻呂だが、その一族と直接の関係はないそうだ。ただそうした地名が残っていることは、その当時からの歴史を感じさせる。

県道は右手に曲がるが、寺へは細くなった道を直進する。道の左手に円明寺の山門がある。先ほどの太山寺とは対照的に、和気の集落に溶け込んだような雰囲気がある。寺の周囲にも高い土塀があるわけでもなく、気軽に出入りできる雰囲気だ。山門をくぐると境内の中央に中門があり、正面奥に本堂がある。本堂の中の欄間に、左甚五郎の作とされる龍が彫られているそうだが、よくわからない。

円明寺はこれも聖武天皇の勅願で行基がこちらは阿弥陀如来を祀ったのが開創とされている。当初は近くの海岸に建てられたが、度重なる兵火のために衰退し、江戸初期に地元の豪族の手で現在地に移されたとある。札所といいつつも、町中の神社を思わせる雰囲気なのはそれと関係あるだろうか。

山門の近くにある大師堂でもお勤めとする。

この大師堂の左奥、いくつかの石柱が並ぶ奥にひっそりと立つのが「キリシタン灯籠」。江戸時代、キリスト教は禁止されていて、「隠れキリシタン」という信仰があったことは歴史の時間で習う話だが、長崎とか島原、天草とか、九州に多い印象である。これまで、観音像に似せたマリア像や、天神様だったかにキリストや十字架を埋めたものを史料で見たことはあるが、四国にこのような、灯籠というか墓石のようなものがあるとは知らなかった。後でネットで見たところ、愛媛県にはキリシタン関連の遺跡や遺物が結構あるそうで、西では伊予大洲、内子、東では伊予北条から今治にかけて見られるという。円明寺の大師堂のそばにひっそりと立つのは、弘法大師ならおおらかに守ってくれるかなという姿にも感じられる(もし、キリストと弘法大師がガチで議論したらどのような中身になるか・・というのは置いておく)。

この後、境内の観音堂や不動明王像などに手を合わせて、最後に納経所でご朱印をいただく。これで53番まで来たが、途中の49~51番を飛ばしている。これは翌日に回ることにして、時刻は15時半近くとまだ早いが本日はここまでとする。

円明寺から3分ほど歩いて伊予和気駅に着く。改修工事中のようでフェンスが置かれている。ここで白衣を脱ぎ、金剛杖をケースにしまう。壁に、円明寺、太山寺、石手寺への道順を書いた紙が貼られている。八十八所めぐりで利用する人もそれなりにいるのかな。次に乗るのは15時34分発の伊予市行き。かつては貨物を扱っていたという側線のレールが残るホームから乗り込み、松山まで2駅揺られる。バスで松山駅に着いてから3時間あまりで2ヶ所を回ったことになる・・・。
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第13回四国八十八所めぐり~第52番「太山寺」

2017年11月28日 | 四国八十八ヶ所
JR松山駅から歩いて3分ほどの伊予鉄道大手町駅から13時02分発の高浜行きに乗る。終点の高浜の先には松山観光港があり、呉、広島へのフェリーが出ている。JR西日本ではこのフェリーを絡めて広島と松山を周遊するきっぷを発売している。今回は松山が目的地ということで、一時このきっぷの使用も考えてみたが、新幹線がのぞみの限定便ということで見送りとした。

車内は座れるくらいの乗車率だが、先頭部で前面展望を楽しむ。まずは市内電車との平面交差。全国的にも珍しい鉄道風景である。

続いては古町駅。高浜線と市内電車の接続駅だが、松山駅前を経由した市内電車の線路が左から近づいてきて、高浜線の線路を斜めに横切って、右側にあるホームに入る。これも珍しい光景である。

その後、国道を跨ぐ高架線や、JR予讃線との並走もあり、15分ほどで三津に到着した。太山寺へのアクセスとしてここで下車する。スマホの地図を見ると、終点の高浜から山登りで裏手から太山寺に行くこともできそうだ。

三津駅の近くには三津浜港があり、松山では古くに開かれた港町である。夏目漱石の『坊っちゃん』にも登場する。今は山口県の柳井との間のフェリーが出ている。三津の駅舎もそうした港町の観光を意識した感じのレトロ調の建物である。港町を歩くのも面白そうだが、今回はそのまま太山寺に向かう。

駅から太山寺までは地図だと3キロくらいありそうで、これを歩こうと思っていた。しかし駅舎を出ると目の前に「太山寺」と表示されたバスが停まっている。太山寺ループという、太山寺から三津の町中を循環する系統である。日中1時間に1本のバスだが、これだと10分で着くとのことで、これも公共交通機関遍路として乗ることにする。

しばらく町中を走った後で上りに差しかかる。ゴルフの打ちっぱなしがあり、「HIDEKI」という文字とともに、ゴルフの松山英樹選手の看板が掲げられている。この時は、松山選手に何か関係ある打ちっぱなしかなということで、バスで通過しただけで写真も何もないが、この記事を書く中でびっくりしたのが、松山出身の松山選手が幼少期にここで練習していたということである。種目は違うが、イチローが愛知で練習していたバッティングセンターの横を過ぎるようなものである。うーん、知らなかったとはいえバスであっさり通過はもったいなかったかな。知っていれば三津駅から歩いてせめて写真くらい撮っていたことだろう:・・・。

一の門のバス停から狭い参道に入り、太山寺の仁王門前が終点である。石段を挟んで、太山寺の石柱とバス停のポールが並び立つ。

太山寺の創建は飛鳥時代までさかのぼるという。豊後の真野の長者が船で難波に向かう途中、高浜の沖で嵐に遭った。そこで長者が観音様に祈りを捧げると山の上から光が射し込み、嵐が止んで無事に着陸することができた。山の上に行ってみると十一面観音を祀った小さなお堂があり、長者はこれに感謝して、豊後の匠たちを集めて立派なお堂を建てた。これが一夜のうちに組み上がったと言われている。後に聖武天皇の勅願で行基が十一面観音像を奉納し、その後の天皇たちも観音像を奉納している。

現存する建物で特に古いのは本堂と仁王門で、いずれも鎌倉時代、伊予の守護である河野氏の手によるとされている。まずくぐった仁王門は国の重要文化財である。

仁王門をくぐったら境内・・・ではなく、道路がまだまだ先に続く。俳句の町らしく道端に句碑もある。少しずつ坂が急になり、納経所がある本坊からもまださらに奥に上がる。最盛時は七堂伽藍と60以上の塔頭寺院があったというから、山全体が寺だったのかもしれない。

坂を上りきると大日如来や弘法大師像が見える。石に願い事を書いてお供えするというのもある。ここで最後の石段を上がり、三の門をくぐるとようやく本堂に着く。

本堂、堂々とした建物である。こちらは何と国宝に指定されている。鎌倉時代の建立で、どこか武家らしい雰囲気が感じられる。まずはこちらでお勤めとする。境内には白衣、笈摺姿の人も目立つ。多くはクルマなのだろうが、そこへ10人ほどの笈摺姿の学生らしいのがやって来た。金剛杖にリュックで、太山寺を含めたウォーキングも兼ねているのかな。

続いて石段を上がり大師堂にお参り。瀬戸内海に面した山の上ということで、修行にも適したところだったのかなと思う。

その奥に観音像が立っている。足元の案内では「身代わり観音」とある。2001年3月24日、松山沖を震源とする芸予地震が起きた。当時私は広島で勤務していて、地震があったのは覚えている。職場では別にどうという被害はなかったが、帰宅すると棚から落ちたコップの破片が散らばっていた。まあ、整理整頓ができていなかっただけのこと。

この観音像は元々太山寺の奥の院がある山の頂上に立っていた。しかし芸予地震の時に台座から落下した。芸予地震が地震の規模としては大きく、それも地震が少ない瀬戸内で起こったことは、当時広島でもショックなこととして伝えられたが(広島では呉のほうで被害あり)、地震の大きさの割には被害は少なかったとされている。その理由を地元の人たちは「この観音様が身代わりになったからだ」として、この観音像を改めて太山寺に安置した(山頂には「2代目」が建てられているそうだ)。私の部屋の被害がコップが割れたので済んだのも観音様のご加護ということかな。そういうことがあったのか。四国八十八所めぐりをするまで、太山寺という存在すら知らなかっただけに、改めて勉強になった。

太山寺は聖徳太子も訪ねたことから、法隆寺夢殿をモデルとした聖徳太子堂もある。ここは必勝祈願のしゃもじをお供えするようだ。聖徳太子は百済救済のために軍を出していて、その時に伊予に来たとされている。道後温泉が聖徳太子の頃からというのと通じている。結局諸事情でこの時は朝鮮半島まで派兵されなかったが、松山の海側というのが外への拠点になっていたこともうかがえる。

これで境内を回ったとして、今度は坂道を下って納経所がある本坊に向かう。ご朱印をいただき、由緒ある太山寺へのお参りはこれでおしまい。次は第53番の円明寺だが、太山寺から比較的近いところということでそのまま歩いて向かうことに・・・・。
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第13回四国八十八所めぐり~まずは松山行き

2017年11月27日 | 四国八十八ヶ所
11月25日の朝、JR難波駅上の湊町バスターミナルに現れる。今回はJR高速バスの利用ということで、7時05分発の便を利用する。

徳島から数えて13回目ともなれば大阪から四国へのアクセス、また四国から大阪へ戻る手段もさまざまな種類が出てくる。四国に入ってしまえば、札所を回る順番やルートというのはある程度決まったものになるが、私の場合は「どうやって四国に行くか」の計画のほうを楽しんでいるなと感じることがある。なるべく、行き帰りでルート、交通手段は変えたいところで、瀬戸内側に来るとその組み合わせもこれまで以上にいろいろ出るのではないかと思う。

今回の車両は西日本JRバスのグランシート車。前々回、前回と松山からの復路で利用している車両だが、往路で松山にバスで向かうのは初めて。これを早割で購入しており、定価6900円のところがネットでのカード決済で4900円となる。この早割は2席限定のものだが、前回、松山からの帰りで同じように購入したが、パソコン操作のミスか、3列シートの真ん中が当たってしまった。早割では他の空席への変更ができないということでそのまま真ん中の席に座って戻ったが、今回はきちんと窓側の席が確保できた。

朝のバスターミナルは各地へ向かう高速バス、また到着した夜行バスが頻繁に出入りしており、私が乗る7時05分の松山行きの乗り場では、その前に5分おきに続けて高松行きが2本出発し(JRバスとフットバス)、さらにその前は徳島行きが出て行った。ラッシュ時のようである。

3列シート、プライベートカーテンがついた車両である。夜行バスなら標準設備のカーテンが日中の便にもつくということで、移動中のプライバシーを保つというのが売りだが、朝の便だし、カーテンは別にいいかなと思う。周りの景色が少しでも見えればよいかなという感じで、カーテンを閉めているのは乗客の半分くらいのものだった。

土曜日の朝だが大きな渋滞もなく、神戸から明石海峡を渡る。朝日が海によく映えている。天気予報では25日、26日とも雨の心配はほぼなさそうとのことである。

最初の休憩場所である室津パーキングエリアに到着する。これまでトイレの改築工事が行われていたが無事に完成しており、真新しい。ここで10分休憩であるが、グランシート車の場合は、プライベートカーテンを引いている乗客に配慮して、出発前の人数確認は行わないというアナウンスがある。こういうことを言われると、休憩時間でも長々と買い物して乗り遅れてはいけないと、トイレを済ませるとそのまま戻ってしまう。アナウンス通り、時間が来ると静かにドアが閉まる。

鳴門海峡を渡る。橋の上からだとよく見えないが、ちょうど渦潮が見られる時間か、観潮船が回っている。高松道から徳島道への乗り継ぎも以前に通ったルートである。徳島の札所の案内が出ると、四国めぐりを始めた当初のことを思い出す。

徳島道に入り、少しウトウトしたところで吉野川サービスエリアで休憩のため停車する。路面が少し濡れていたのは一雨降っていたか。山の中で紅葉も進んでいるようで、カメラやスマホを向ける人もいる。ただ、あまり見とれて乗り遅れてはいけない。駐車場に戻ると、グランシート車両がもう1台停まっている。高知行きとの表示があるが、大阪から高知行きの始発は松山行きよりも20分早く出たはずである。渋滞でもしていたのだろうか。

なお、ここで時間になり発車しようとすると、おばさんが一人前から走ってきた。松山行きで間違いないのだが、公衆電話で話をしていてテレホンカードが出てこなくなったと言っている。運転手が気づいたからいいものの、もし乗り遅れたらどうなってしまうのだろうか。料金を払えば後続の便に乗せてくれる・・・ことはないか。団体旅行のバスなら添乗員がサービスエリアを走り回って客を捜すのだろうが、高速バスの乗り遅れはやはり自己責任ということか。JRバスにわざわざ訊くことでもないだろう。

川之江のジャンクションから松山道に入る。途中、三島川之江インターに停車して、下車する人もいる。地図で見れば川之江と伊予三島の両駅の中間にある。この辺りもいずれは回ることになるが、高速バスでのアクセスも頭に入れておくことにする。

この後は川内インターにも停車して、松山インターから市街地に入る。クルマの量は結構多いが流れていて、渋滞という感じはしない。「途中渋滞もなく若干早く着いております」という運転手のアナウンスの通り、目的地のJR松山駅には12時39分の定刻より10分ほど早く到着した。

この後は札所めぐりということで、順番がいったん先に飛ぶが、海側の三津にある52番の太山寺に向かう。その前に大きな荷物を預けようと駅のコインロッカーに向かうが、どうやら満杯のようだ。

普通ならここでがっかりするところだが、今回はそのようなことはなかった。駅からすぐのターミナルホテル松山がこの夜の寝床だが、フロントが24時間開いていて、チェックイン日の荷物預かりができるとあった。果たしてフロントを訪ねると快くバッグを受け取っていただき、「受付もできますよ」と言われたので宿泊代も先に支払う。まだ昼なので部屋には入れないとしても、これは手間が省ける対応だった。

昼食は軽いながら地元らしいものとして、駅構内の「かけはし」で名物のじゃこ天うどん。別皿でじゃこカツもいただく。また、四国八十八所めぐりとしては今回で松山駅ともお別れかということで、持ち帰りにじゃこ天単品も購入する。翌日の朝食にも充てる。

昼を回ったところで、これから札所めぐり。まずは三津を目指すとして、伊予鉄道高浜線の大手町に向かう・・・。
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第13回四国八十八所めぐり~松山市内プランニング

2017年11月24日 | 四国八十八ヶ所
私の四国八十八所めぐりシリーズは今回で第13回。前回は松山市内に入った48番の西林寺まで行き、伊予鉄道の久米駅で終了となっている。今回目指すエリアは久米駅近くの49番浄土寺からである。

すっかり晩秋から冬の気配となった11月25日~26日の日程で、松山宿泊ということで予定を組む。札所の他に、道後温泉や松山城といった、いわゆる松山観光の大所も行っておきたい。また、松山までのアクセスは前回がJRの特急「しおかぜ」だったので、今回は変化をつける意味で高速バスで、しかもJRではなく私鉄系(阪急・伊予鉄)のバスで伊予鉄の松山市駅に着くということにする。当初は、25日の朝からバスに乗って昼過ぎに松山に入るとしてプランを考えていた。まずは午後の半日で松山城、道後温泉という観光地を回る。翌26日に久米駅から49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺を回り、もう一度道後温泉やら松山の繁華街を回った後で帰途につく。松山市内8ヶ所のうち、海側の三津浜にある残り2ヶ所を次回に回す・・・というもの。

ただ、松山行きが近づくに連れていろいろな考えが出てくる。次回に回すとした2ヶ所である52番太山寺、53番円明寺についても、今回で一緒に回ってしまってよいのではとも思う。別に先を急ぐものではないが、松山シリーズの次の今治シリーズも楽しみである。ただこれも1泊2日で回るとなると、2日目の松山出発のリミットが14~15時台ということもあり時間的に厳しいかもしれない。

地図や時刻表とにらめっこするうち、これら5つを一つのエリアとして、回る順番を入れ替えてしまおうということにした。四国については札所順に回るのとしていたが、すでに徳島、高知の一部の札所で順番をシャッフルしたことがある。寺の名前は省略するが、11番まで行った後は、16番~17番~12番~18番~19番、20番~21番、22番~24番~25番~26番~23番~13番~14番~15番と、3回のシリーズでエリアを細かく分けて回っている。今回プランニングとしたのは、25日の午後半日で海側三津浜の52番太山寺と53番円明寺を回り、翌26日に久米駅から49番浄土寺~51番石手寺と訪ねるというものである。石手寺に行った後で、道後温泉や松山城を少しくらい楽しむ時間は取れるだろう。このため、松山までのアクセスはJRバスでJRの松山駅に出ることにした。円明寺へ行った後、最寄りの予讃線伊予和気駅から松山駅に戻るのがちょうどよい感じというのがその理由である。合わせて、当初予定していた市街地のホテルも松山駅前に変更した。一方で、帰りは伊予鉄の松山市駅からとなるわけだが、今回はちょっと意表を突くようなコース取りをしてみた。それが当たりになるかどうかは、行ってから、いや帰る時のお楽しみである。

前回、9月の台風で延期して10月に行ったが全般的に雨模様だった。果たして今回は天候に恵まれるだろうか・・・?
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大丈夫か?横綱の皆さん

2017年11月23日 | ブログ
大相撲中継をなかなかリアルタイムで見ることができないので、ニュースのスポーツコーナーとか、一部の取組はネット動画とか、あるいは早朝にNHKでやっているダイジェスト版を見ることがあるが、本当にこの九州場所は土俵外のことでお騒がせである。

もっとも土俵の中も何だか締まらない感じだ。4横綱時代と言っても、4人が4人とも・・・。

鶴竜・・・今場所またも全休。次に出場する場所が進退のかかる場所と言われているが、それはいつのことやら。

日馬富士・・・例の暴行事件。このところ、話題の中心が相撲協会対貴乃花親方の確執に移っているようだが、真相はわからない点が多々ある。警察は書類送検の方向だが、協会としてはどのような処分を科すか。

稀勢の里・・・怪我で苦しんでいるのはわかるが、結局攻めのバリエーションがないため、出場しても勝てない。このままだと史上最短の在位となりかねない。

白鵬・・・そんな場所で勝ち続けるのはさすが第一人者だと思うが、嘉風戦で敗れた後の「物言い」はいけない。また、他の土俵上での態度のことも蒸し返されて、一部から「だからモンゴルは・・」と叩かれる。

4横綱がライバルとしてレベルの高い相撲を楽しみにしていた人も多い中でこのざまでは。また、それに次ぐ大関も、照ノ富士は陥落で復帰できないし、豪栄道は相変わらず、高安も一時の勢いは感じられない。

こうなると今の三役から幕内上位の若手力士にファンの期待も集まるかな。「もうあなたたちの時代じゃないんです」と言ったらビール瓶やカラオケのリモコンで殴られるか。

一年終わりの九州場所は順当に行けば白鵬の優勝となるのだろうが、来年はどのような勢力図になっているだろうか。ましてや、白鵬がそこまで現役で迎えたいとする東京オリンピックの時は・・・?
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第7番「国分寺」~近畿三十六不動めぐり・8(天神橋筋を楽しむ)

2017年11月21日 | 近畿三十六不動
太融寺、国分寺というところを回り、この後はお楽しみということで天神橋筋に向かう。日本で一番長いとされる商店街のアーケードを歩く。時刻は11時を回り、飲食店も開き始めて賑やかである。

向かったのは「天満酒蔵」。アーケードの中にある老舗の大衆酒場であるが、久しぶりの訪問である。メニューも迷うぐらい豊富にあるし、安い。ここで昼食ということで一杯いただく。こういうのも、札所めぐりの楽しみということで・・(記事には書かなかったが、前回寝屋川の成田山を訪ねた時は、その後の京阪電車で絶対的な「関所」である京橋にて、同じような大衆酒場に行ったことである)。今回はいただかなかったが、メニューに鯨料理(刺身、鉄板焼、ベーコン、竜田揚げ)もあるのが個人的におすすめの一つである。

心持ちも良くなってさらに商店街を南に歩き、大阪天満宮にやって来た。11月19日、七五三の週末である。境内には多くの家族連れがお参りに来ていて賑わっている。拝殿は七五三の祈祷専用になっているが、それでも順番待ちの長い行列が続く。なお賽銭箱が境内の中ほどに出されていて、七五三以外の参拝はここから行うようになっていた。

境内の一角には猿回しが出ていた。訪ねた時はちょうど最後の芸のところで、1メートルほど離れた台の間をジャンプして集まった観客からの拍手を受けていた。猿回しの女性と籠を持って回ってきたので、なにがしかのお金を入れる。秋の神社の賑わいを少しばかり楽しんだ。

天満宮に来たのは、天満宮が目的地というよりは、その脇にある天満天神繁昌亭での落語のため。繁昌亭にはこれまで何回か来たことがあるが、今回は「札所めぐりとの組み合わせ」を狙って昼席に来た。繁昌亭は前売り優先で、座席指定ではないが購入順に整理番号が振られる。当日は10番区切りで入場する。私がネットで予約したのが前々日のことで、番号は200番に近かった。昨今の落語人気、また朝のドラマも「わろてんか」である。繁昌亭も繁昌のようだ。まあ、事前予約なら席は保証される。

繁昌亭の前ではすでに多くの人が開場を待っている。その中で落語家さんが一人出て太鼓を叩く。開場の触れ太鼓の音で順番に入る。200番近い私だったが、1階で無事に着席。

落語のネタはいろいろあり、大いに笑った。ところどころ、この数日世間を賑わせている大相撲のアノ事件に絡むのをネタに乗せてくるのは、やはりプロのセンスだと思うし、テレビではなく生ならではの笑いである。昼席の3時間、上方落語の面白さをたっぷり楽しめた。

さてここからの近畿三十六不動めぐり、付随したオプションもいろいろ入れてみたいものである・・・。
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第7番「国分寺」~近畿三十六不動めぐり・8(摂津の国分寺、ここにあり)

2017年11月20日 | 近畿三十六不動
「国分寺」といえば、奈良時代に聖武天皇の勅願により、国家鎮護を目的として各国に建立された寺院である。

いわゆる当時の「国営」というものだが、東大寺のように寺自体が長く勢力を保ち現在に至るものもあれば(東大寺は全国の国分寺の頂点であるとともに、大和の国分寺でもあった)、武蔵国分寺のように現在は市の名前としても残っているものがある一方で、多くは朝廷の力が弱くなるとともに衰退したり廃寺になったものもある。また、後に復興したものもある。ちなみに、四国各国の国分寺は、現在いずれも八十八所の札所にその名がある。各国の「国府」「国分寺」「一の宮」をたどると、その国の往時の構図が見えてくるようで面白そうだ。おそらく、こうしたところを回るのをライフワークにされている方もいるだろう。

さて、前置きが長くなったところでこれから目指すのは近畿三十六不動の一つである国分寺。ここは摂津の国分寺である。元々は大化の改新の頃、長柄寺という名前で開かれたが、聖武天皇の国分寺建立の時に、摂津ではこの長柄寺を国分寺に改めた。以後、朝廷からの保護を受けていたが何度も兵火にさらされ、大坂夏の陣の時に全焼した。それからおよそ100年後に、快圓という僧の手で復興した。ただ明治の廃仏毀釈で寺の規模も縮小されたため、現在は小ぢんまりとした寺だという。

天神橋筋六丁目から都島通を数分歩く。特に標識看板が出るわけでなく、スマホの地図をたどって、一本入った筋の公園の向かいに門が見つかる。聖武天皇勅願の文字もある。

来年2018年は、先に挙げた快圓が国分寺を再興してちょうど300年とある。その記念ということか、鐘楼など一部の建物が修復工事中である。それを請け負っているのが、聖徳太子の四天王寺の時から続く日本最古の建設会社である金剛組というのに、この寺の歴史を感じさせる。

国分寺も周りを住宅地に囲まれていて、そこにお堂が密集している。法事か何かで喪服姿の人たちが来ていたが、乗用車3台が入ると境内のスペースはいっぱいになる。

本来の正門は閉じているのでその南側から入り、まず正面の霊明殿にお参り。こちらは阿弥陀如来を祀る。方角でいえば西から東向に建っている。ここは阿弥陀如来が本尊なのかなと思う。その左脇に弘法大師像があり、大師像の前には江戸中期の元号である「明和」と書かれた灯籠が立つ。大師像が四国のあちこちにある写実的な姿ではないのが、逆に古くから立っているものなのかなと想像させる。

その隣は昭和金堂。国分寺は太平洋戦争の大阪空襲でも焼かれていて、その後の建物である。こちらは薬師如来とチーム薬師が祀られていて、後で気づいたが国分寺としては薬師如来が本尊である。確かに、昭和金堂の真ん前が閉じられていた正門であるし、聖武天皇勅願の国分寺なら、当時の信仰からいえば薬師如来がメインである。・・・このことにその場で気づかなかったのは、私の札所めぐりもまだまだ勉強が足りない。

で、今回は不動めぐりである。昭和金堂の右手前に新しい感じの護摩堂がある。扉の間から覗きこむと、護摩堂の中ではなく後ろに不動明王の顔が見える。これはと護摩堂の横を回り込むとちょうど裏手に不動明王の像が立っていた。

「みのり不動尊」と呼ばれている。実りを与えてくれるというので、これが近畿三十六不動の一つに選抜されたものである。後ろに銀杏の木が立っていて、ちょうど鮮やかな黄色の葉をつけ、地面にも銀杏のじゅうたんができつつあるが、この銀杏は太平洋戦争の空襲で生き残った木だという。このみのり不動尊の前でもう一度お勤めとする。

これでおしまいにして、入ってきた石柱横の納経所に向かう。これまで近畿三十六不動のご朱印、墨書は書き置きとか、中には印刷物というのが目立ったが、ここでは用紙はあらかじめバインダーサイズのものだったが、一から墨書していただき、ご朱印も目の前で押された。普通にご朱印をいただくのと同じ手順である。それだけのことだが、ここまでで初めてのパターンだったので思わずうなってしまった。

短いながらもいろいろあった国分寺を終えて、向かいの公園でサイコロとする。くじ引きアプリでの出走表は・・・

1.豊中宝塚(不動寺、中山寺)

2.生駒(宝山寺)

3.比叡山(無動寺)

4.泉佐野(七宝瀧寺)

5.神戸北(鏑射寺)

6.竹田(不動院)

ここまでサイコロは4回連続で「5」を出している。そのパターンなら次は神戸の北に行くわけで・・・出たのは「3」。初めて違う目が出た・・・のは変化としてよかったが、京都を飛ばしていきなり比叡山とは・・・。確か、比叡山延暦寺では、JR西日本の歴史旅のキャンペーンをやっていたのでは。延暦寺は目的地ではないが、無動寺に行くならセットにせざるを得ないだろう。そのキャンペーンは12月10日までだということで、行くなら早くに行かなければならない。

朝から2ヶ所を回って時間は11時。当然、これで終わりということはなく、この後は来た道を天神橋筋六丁目まで戻る。ここまで来れば後は番外編ということで・・・。
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第6番「太融寺」~近畿三十六不動めぐり・7(今度は不動めぐりで・・)

2017年11月19日 | 近畿三十六不動
近畿三十六不動めぐりも、これまで6ヶ所を回って次にサイコロで当たったのが大阪市内のキタエリア。第6番の太融寺、第7番の国分寺というところだ。このエリアは今年の5月に新西国三十三所めぐりで訪れており、その時は太融寺と、長柄の鶴満寺という組み合わせだった。ここまでの近畿三十六不動めぐりは都市型寺院が多かったが、今回も町歩きということになる。今の時季だと京都の紅葉は見頃だろうなと思いつつ、大阪市内も何かあるだろうと期待する。19日、太融寺~国分寺と回り、その後はとある「お楽しみ」ということで出かける。

前日は雨模様だったが、この日は寒さを感じるものの天候は戻った感じである。そんな中、地下鉄谷町線の東梅田から地上に出る。ここから太融寺までは歩いて数分のところにある。

前回来た時も感じたが、周りの景色と由緒ある寺院の組み合わせが面白い。寺院が多い京都ならこういうのもありふれたシーンなのかもしれないが、大阪、それもキタエリアにこういうところがあるのだなと感じさせるところだ。扇町通りとの角に、「太融寺」の石柱と並んで「一願不動明王」の石柱が立つ。今回はこの不動明王がメインである。

西門から境内に入る。不動明王がメインといっても、やはり観音像が祀られている本堂を素通りするわけにもいかない。まずはこちらにお参りする。日曜日の午前中という独特の雰囲気の中、地元の人らしい方が気軽に境内に入って手を合わせる。若い人も、近道代わりに境内をスタスタと歩くが、本堂の前ではちょっと頭を下げる。それが自然な感じに見えた。ビル街とラブホテル街にまずはここの外陣の畳の上でお勤めを行う。

そして不動明王が祀られている一願堂に向かう。こちらはパワースポットとして手を合わせる人が多いが、周りを建物に囲まれていて、不動明王像が暗く見えるのが残念である。一願不動明王という、願いを一つだけ叶えてくれるという不動明王として信仰を集めている。ここで聖不動経を含めてのお勤めを行い、願い事をさせていただく(それは何かというのは秘密)。

この不動明王というのは戦後に造られたものだそうで、戦前のものはすぐ後ろにある奥の院に祀られているそうだ。その奥の院は滝が落ちており、これも大阪のキタエリアの中にあるとは思えない光景である。

納経所は本堂と一願堂の間にある。近畿三十六不動のバインダー型の納経帳を提示して、綴じ込み式のご朱印をいただく。この近畿三十六不動めぐりでは、札所順ばらばらで回っていることもあり、いただいたご朱印は綴じずに自宅で保管して、巡拝の時はバインダーだけを持って来ている。これを見せると納経所の方も「はいはい」という感じで専用の紙を出してくる。これまで回ったところでは、ご朱印、墨書ともども予め印刷したと思われるものが出たこともあったが、太融寺では、墨書は予め書いたのか印刷したのかは別として書置きのものだったが、ご朱印はその場で押していただく。日付の墨書きとご朱印の後でドライヤーをかけていただいたうえで渡される。こうしたのは初めてで、それだけのことだがありがたく感じる。

この後は境内を一回りして、淀君の墓や庭園にある横綱玉の海の慰霊碑などを見て、次の国分寺に向かう。

国分寺は地下鉄天神橋筋六丁目駅の近くにあるが、太融寺からでも歩いて行ける距離だ。秋晴れ・・・というより冬晴れに近い空の下を歩く。途中の扇町公園を横切る。紅葉・・・とは少し違うが、桜の木の葉も色づいているし、イチョウの黄色も鮮やかだ。日曜日、公園のあちこちで休日を楽しむ親子連れも目立つ。関西テレビの建物の横にはボルダリングができるコーナーもある。

レトロな町並みと、隠れ家的な店が混在していて独特の存在感を出している中崎町の辺りを過ぎる。そういえば以前、昔の町家をカフェ風に改装した家を訪ねたことがあった。それはいわゆる婚活サークルのことで、そうした町家でお話をしましょうというものだった。今となってはそういうことは一時的なことで現在は遠くなった話だが、それも懐かしいものだと思う。また機会があれば、この辺りをぶらつくのもいいかもしれない。

天神橋筋六丁目に到着。ここまで来れば国分寺は近い・・・。
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不可解なことも多い日馬富士事件

2017年11月16日 | ブログ
この数日、いろいろと報じられている日馬富士事件。メディアによってはトップ扱いのところもある。

日が経つに連れていろいろな証言や、関わった人物の動きが明らかになってはいるが、一方で不可解なことや「怪行動」とされることも出てきており、メディアには格好のネタだろう。少し前には連日騒いでいた座間市の9遺体発見事件のことなど吹っ飛んだ感じがある。まあ、熱しやすく冷めやすいのは昔からのことだが・・・。

私も前の記事で日馬富士事件に触れたが、いろいろな謎が出るようなら、余計な詮索はせずに見守るしかないのかなと思う。横綱を処分するのか、あるいは引退するのかもまだ先のことだと言うし。

すっかり陰に隠れた感じの本場所、伊勢ヶ浜部屋では日馬富士に続いて照ノ富士も休場で、これで今場所後の大関復帰はなくなった。同じ部屋で関取最年長の安美錦が5戦全勝というのが唯一の救いだろうか・・・。
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あかんやろ・・・相撲

2017年11月14日 | ブログ
大相撲の九州場所が始まり、休場明けの横綱、大関たちの復調と、若手力士の活躍が期待される場所のはずが・・・。

そこに降ってわいたのが、横綱日馬富士による暴行疑惑。被害者は同じモンゴル出身の貴ノ岩で、巡業中のモンゴル力士たちの酒の場で、ビール瓶で頭を殴り怪我をさせたとある。貴ノ岩が初日から休場し、日馬富士が精彩のない相撲が続いた裏にこういうことがあったとは、非常に残念である。

酒の席での貴ノ岩の態度に腹が立ったから・・・と言われているが、平手ならともかくビール瓶とは、明らかに怪我をさせよう、下手したら殺してやろうという行動である。もっとも、事が明らかになる前は、貴ノ岩の休場の原因は稽古場でのかわいがりが過ぎるとか、いつぞやの時津風部屋での暴行の再発かと言われていたそうで、それもどうかと思うが・・。

それにしても、このタイミングで明らかになったのががっかりである。事件は10月の下旬とのことで、それだけでも大きな問題だが、仮にその時に事実関係を明らかにして、日馬富士と伊勢ヶ浜親方に厳正なペナルティを科していれば、ひょっとしたら収束に向かったかもしれない。それが、場所が始まってから、マスコミのスクープによってとなると、相撲協会全体が知ってて隠蔽した、貴ノ岩には何とか言いくるめて休場にして収めようとした、加害者が横綱などということが明らかになったら・・・と、組織として最悪の対応をしたことになる。いつぞやの暴行、八百長、賭博などの不祥事のこともすっかり風化して、今は相撲も人気があるからという驕りではないか。

これから横綱、部屋、そして相撲協会がどのような対応をするのか。

何をやっとんねん・・・。
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三江線に乗りに行くかどうするか

2017年11月13日 | ブログ
JR各社でこのところ路線の維持にかかる経費を公表して行政の支援を求めたり、あるいはどうにもならなくなって廃止となる路線が出てきている。公共交通全体を見直す時期に来ているともされている。

さてここに来て一部で?話題となっているのが、JR三江線。2018年3月での廃止が決まっている。広島の広島の三次と島根の江津を江の川沿いに結ぶ路線で、陰陽連絡線の一つとして計画されたが、全線開通は1975年だから、私の年齢より若い。ただ、全線開通の当時は国鉄の赤字ローカル線が問題となりだした頃で、三江線も当初から厳しいとされていた。民営化に向けて廃止対象にも挙げられたが、代替道路が整備されていないという理由で廃止は免れた。しかし、利用客が少ない状況は変わらず、またたびたび自然災害で長期不通ということもあった。沿線もローカルバス増発や観光PRなどやっていたが、ついに廃止ということになった。

私は三江線はJR乗り潰しのこともあったが、広島在住時代に2~3回乗った程度のこと。当時のダイヤだと、早起きして広島から三次まで北上して三江線に乗り、江津からの戻りは山口線、あるいは木次線でも夜遅くの日帰りで戻ることができた。後は、クルマで沿線の立ち寄りをしながら江の川沿いに線路を見たとかいうもの。

人の心理か、「これが最後」と言われると多くの人が押しかけることがある。鉄道路線の廃止はその傾向が強いようで、乗車や撮影で押しかける人を「葬式鉄」と呼ぶことがある。私もこれまでに身に覚えがあることだ。

三江線についてはどうするか。三次または江津へのアクセスや、三江線ダイヤの少なさもあり、3月となるとそれこそ大変な混雑になるのではないか。まあ、3月は元々忙しいので行くことは難しい。だとすれば、この冬かなと。大阪からだと日帰りは無理で宿泊が必要で、時間が取れるかどうかだが、チャンスがないわけではないし、四国めぐりの1泊2日をパスして島根に向かうという手もある。。

混雑覚悟でプランニングするか・・・?
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第28番「明王院」~近畿三十六不動めぐり・6(成田山で七五三参り)

2017年11月11日 | 近畿三十六不動
近畿三十六不動めぐりの6ヶ所目は寝屋川の「明王院」というところに行く。明王院??という名前を聞くと「そんなところあったかなあ」と思われる方がほとんどだと思う。

「明王院」というのは近畿三十六不動霊場のホームページでそのような記載があるからそう書いたまでで、つまりは成田山不動尊の大阪別院である。「大阪の成田山」と聞けば多くの方がご存知ではないかと思う。ということで、京阪電車に乗って最寄りの香里園駅に現れる。成田山のほうが一般的な呼び方になっているから、この記事でもそのように書いていく。

京阪電車に乗ると、各車両の端にこのようなお札が掲げられているのにお気づきの方も多いと思う。また、町中を走るクルマの後部に成田山のステッカーが貼られているのを見かけることもあるだろう。交通安全祈願ということで言えば大阪ではもっとも知られている寺院ではないかと思う。また、毎年の節分祭にはNHKの朝ドラのヒロインや芸人、地元出身の力士が豆まきをすることでも知られている。

成田山といえば千葉の成田山新勝寺が起源であるが、関西でも古くから信仰されていたそうである。そして大正、昭和となり、成田山の大阪別院建立の声が高まり、新勝寺もこれを認める。その場所は大阪から見て表の鬼門、京都から見て裏の鬼門ということで寝屋川の香里の地が選ばれ、1934年(昭和9年)、京阪がかつて経営していた香里園遊園地の跡地の一部を寄進することで建立された。そして地域の発展と鉄道輸送の安全を祈願したのが、大阪の成田山の起こりである。建立の年代や経緯がはっきりしている寺院というのも、伝説や伝承に由来を求める札所が多い中では珍しいと言える。

成田山に来るのは初めてではない。というか、ここ数年、年に3回のペースで参詣している。私の勤務先企業のことで、期首(4月、10月)と年始(1月)には災難消除、安全の祈祷ということで祈祷を受けている。いわば「公式参拝」。その時は朝7時半からの護摩供を受けた後、そのまま京阪電車に乗って伏見稲荷へ移動、こちらでは商売繁盛の祈祷を受けるのがセットになっている。今回は私の個人的な不動めぐりで、そうした形で来るとなると初めてである。別にその後どこかに行くわけでもないので、11時半からの護摩供に行くつもりで出てきた。なお本堂内で行われる護摩供は、祈祷を申し込んだ人でなくても本堂の中に入って一緒にお祈りすることができる。

成田山には香里園駅からバスの便があるが、歩いても15分ほどで着く。いつもの参詣の時に通っている住宅地の中を抜け、山門にいたる。こうして昼前に来るのも初めてで、やはり朝とは雰囲気が違う。停まっているクルマは駐車場のものではなく、祈祷を受ける人達である。

雰囲気が違うといえば、フォーマルスーツを着た人や晴れ着姿の子どもたちが境内のあちこちに目立つ。あっと思ったのは「七五三参り」・・・。なるほど、ちょうどその時季だったということに気付かなかった。七五三か・・・私もかなり前、5歳の時に、地元の天満宮に連れて行ってもらったな(その時のことは全然覚えていないのだが、親に言わせればふくれっ面をしていたそうだ)。

この日の護摩供は七五三の特別祈祷ということで、30分置きに行われている。七五三でなくても本堂には入れるので中に入り、外陣の後ろのほうに座っていると、次々に親に手を引かれた子どもたちが入ってくる。僧侶が一人一人にご真言を唱えて頭をなでた後、祭壇の周りに座る。全員が座ったところで祈祷の開始。僧侶が祈願文と願主の名前を読み上げるが、それらは子どもの名前である。たまに、いわゆるキラキラネームが交じってくる。

祈祷の次第はこの経本の中にあるのだが(札所めぐりをするようになってから、会社での祈祷の折に購入した)、通常ならこれをがっつり一通りやって、聖不動経から三十六童子、般若心経に最後は諸々の仏や神の真言を唱えるのだが、何せ30分サイクルでやらなければいけないからだいぶ端折っていた。また、読経の最中にどうしてもぐずったりゴソゴソする子どももいる。これは仕方ないかな。

祈祷を終えて七五三の家族とともに本堂の外に出る。護摩供に入って参詣としては形になっているが、予定外の出来事で私の中ではちょっと消化不良に思うところもあった。ふと、本堂の外の大賽銭箱の前を見ると、経本を持ってモゴモゴとやっている人が数人いる。ならばということで、私もその横に立って、次の護摩供が始まるまでの時間でお勤めとする。これで落ち着いた。

いつもの参詣では次の伏見稲荷に向けて慌ただしく境内を後にするのだが、今回は時間があるので境内を少し見て回る。本堂の右奥にあるのが大師堂で、こちらが真言宗の寺院であることを改めて認識する。賑わっていた本堂に比べてこちらを訪ねる人はほとんどなく、お堂の中に上がって弘法大師像に手を合わせる。

また、四国八十八所のお砂踏みもある。こうしたお砂踏みを見ると、現在進行中の四国めぐりの位置を確認してしまう。現時点でちょうど半分を過ぎた48番まで来ているが、こうして祠がずらりと並ぶのを見ると、まだ残り40所あるのかというのがリアルな光景として現れる。

その後で再び正面に回ると、笑魂塚という石碑がある。これは恥ずかしながらこれまで全然気づかなかったものである。1959年、関西演芸協会が関西演芸界の物故者の供養と、芸道の発展を祈願して建立したものだという。こうして見ると成田山というのが幅広く信仰を集めていることが改めて実感できる。近畿三十六不動の選抜メンバーに入るのも当然かなと思う。

例のバインダー式のご朱印をいただいたところで、次の行き先決めである。

1.生駒(宝山寺)

2.竹田(不動院)

3.大原(三千院)

4.嵯峨(大覚寺、仁和寺、蓮華寺)

5.大阪キタ(太融寺、国分寺)

6.東山(聖護院、青蓮院、智積院)

京阪電車の広告や駅の案内にもあるが、11月、そろそろ紅葉が見ごろである。混雑は必至だろうが紅葉といえば京都、出目は郊外の竹田も入れると4つある。また生駒山も紅葉スポットである。そんなところで出たのは・・・・「5」。

ありゃりゃ・・・この中にあって大阪の都心部が出るか。またそれよりも、またしても「5」が出たのにがっくりである。これまで近畿三十六不動で4回サイコロアプリを操作しているが、これで4回とも「5」である。アプリのインチキかと・・・いやいや、不動明王の思し召しかと。確かに、それ以外のところで操作したら、他の目もランダムに出てくる。

大阪キタならばこのまま京阪で移動してその足で・・・も可能だが、あくまで1日で1エリアということにする。また大阪は大阪で楽しめるところもある。ということで次を楽しみに・・・。

※余談だが、いつぞやこのブログで、京阪の特急の「プレミアムカー」について書いたことがあるが、先日仕事の関係で京都に行くことがあり、アクセスが京阪だったものだから乗ってみた。平日の昼間ということでガラガラで、窓口で直近に出る列車の席は楽々確保できた。シートの座り心地はいいし、ゆったりとした時間が過ごせる。指定料金500円は正直運賃にょりも高いがそれだけの価値はあると思う。ぜひ、京阪間の移動で話のタネにおススメする。この時は勤務中だったのでやらなかったが、「プレミアムカー」には「プレミアムモルツ」でも買って乗り込むのも面白いかと・・・。
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座間市9遺体発見事件

2017年11月10日 | ブログ
このところ連日報道されているこの事件、ここに来て9人の遺体の身元が判明したということで新聞各紙でも1面に出ていた。被害者は15~26歳、女性8人と男性1人というが、何も中学校の卒業アルバムの写真をわざわざ掲載することはないのではと思う。氏名や住んでいる県、市の名前くらいは仕方がないとしても。ご遺族の方たちも、行方不明だった子どもたちの姿がこんな形で発見されたとはやりきれないだろう。

容疑者の容疑はまだ死体遺棄のみで、殺人の経緯はこれから取り調べが続くことになるが、本当の理由が何だったのかについては簡単にはわからないかと思う。一方で、それら一連のことを美談のように、同情を呼ぶかのように語ったり報じたり、ましてや手記にして出版するなどということはやめてほしい。

ただそれよりも、一人や二人ならまだあるかなと思うが8人もの女性が「死にたい」のつぶやきがきっかけで「死なされた」り、もう少しで被害に遭ってたかもしれない複数の女性のインタビューが流れるという、女性側の現状が怖いなと感じた。今回の容疑者は極端だとしても、多くの若い人たちがSNSでそうした声を挙げたり、またそれにつけこんで犯罪をしようという輩がいたりと・・・被害者、加害者とも予備軍はかなりの数に上る実態があるようで、そちらのほうが深刻である。政府はSNSの利用のほうに対策を求めようとしているようだが、根っこはそこではないのでは・・。

この年代の人たちと聞いて思い出すのは、先月、西国三十三所の先達研修会で聴いた「夜回り先生」こと水谷修さんの講演だが、行方不明になったり「死にたい」とつぶやく若い人たちに対して、家庭や地域、あるいは一人の大人としてどうケアすればよいのか、難しい問題を突き付けられた思いである(その講演では、「昔はお寺がそういう役割を果たしてましたよね~」と、出席の札所の住職たちの方を向いてチクリとしていたが)。

高齢者の年金や介護、また幼児教育の無償化といった施策も大切なことだが、こうした若い人たちのこころのケアというものにも力を注いでほしい。また合わせて、大人たち一人一人がどう考え、行動するか・・・。
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大和がFAでバファローズが有利と言われても・・・

2017年11月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
関西のマスコミでは、中村鋭一という人が亡くなったことを大々的に報じていた。改めて、このオッサン、まだ生きてたのかという感じである。私から言わせれば、関西における阪神偏向、阪神キ○ガイ報道という面で「悪の権化」みたいな奴で、何をそんなに崇め奉らなければならないのかということしかない。またこんなのが国会議員を長く務めていたということで、その後長く大阪からはタレント議員が続出したということで民度そのものが疑われたこと。まあ、ご愁傷様でした。

さて、そのタイガースから大和選手がFA宣言をして、バファローズが獲得に意欲ということのようだ。内外野広く守れるというのは魅力ではあるが、本人が望んでいるとされている出場機会、レギュラー保証という面ではどうだろうか。バファローズのショートには安達がいるし、ドラフトで福田も獲得した。セカンドにしても西野、大城というところがいるし、若手の宗も来季は伸びてくるか。要は、レギュラーを獲るには選手層の薄いバファローズと言えども、競争はある。要はそれに勝つだけの気持ちがあるかどうか。繰り返すが、守れる選手と言う意味では魅力はあるが・・・。

もし、「オリックスくらいやったら俺がレギュラーやろ」という「上から目線」でFAしたのなら、歓迎しない。まして、実力以上にチヤホヤされるタイガースの選手ということは割り引かなければならない。所詮、昔タイガースから同じように出た藤本という選手がいたが、その程度の扱いでしかないのではと思う。

FA選手を獲得すること自体悪いとは言わないが、バファローズにFAで来た選手が活躍しているかと訊かれれば・・・?
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