まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

養老鉄道で養老の滝

2007年10月31日 | 旅行記D・東海北陸

Pa27444110月から近鉄から分離して誕生した養老鉄道。桑名~大垣~揖斐の区間を結ぶ路線である。大手私鉄の一路線から、地元密着の鉄道としてどのように生まれ変わるのか。このたび大垣に出かけることがあったので、その前にこの路線に乗車することにした。近鉄時代もかなり昔に桑名から大垣まで乗っただけで、実質初めての訪問といっていいだろう。

Pa274443近鉄の桑名駅に降り立つ。養老鉄道の乗り場は従来通り大阪方面行きホームの片方。そこを柵で仕切り、乗り換え用改札口を設けている。養老鉄道の開業により、桑名駅はJR東海、近鉄、三岐鉄道北勢線(西桑名駅)、養老鉄道の4社の接点となったとともに、標準軌、狭軌、ナローゲージという3種のゲージを体験できる拠点でもある。

Pa274445一度近鉄の改札口を出て、近鉄の窓口で「養老鉄道休日フリーきっぷ」を購入。休日一日乗り放題で1000円。桑名から揖斐までの通し運賃が910円だから、購入価値は十分にある。これを提示して養老鉄道ホームに戻る。入っているのは近鉄の旧標準色である赤一色の塗装の車両。今のところ、近鉄と養老鉄道の違いは柵でしかわからない。それもそのはずで、車両・線路・駅施設は近鉄から借り受けるという「上下分離方式」とかいう経営方式という。借り物だからそれほど手をつけないということか。

さて、昼間の列車ということで乗客も少なくのんびりと発車。右手に揖斐川沿いの濃尾平野、左手には鈴鹿山系という風景。近郊ローカル線という風情でのんびりと走る。小さな駅に次々に停まり、その都度運転手がドアを開閉するワンマン列車。その駅も近鉄からの借り物のためか、まだ日が経っていないためか、駅名標の表示などは近鉄時代そのまま(多少帯びの色が違うくらい)である。

Pa274492Pa274491多度を過ぎて三重県から岐阜県に入り、桑名から40分で養老着。養老鉄道の線名でもあり、養老の滝の下車駅ということなので途中下車する。ホームの屋根には無数のひょうたんがぶら下げられている。木造の由緒ある駅舎も、養老という駅名に何だかぴったり合っているようだ。

養老の滝といえば孝子伝説で有名であり、滝つぼから涌き出た酒を父親に持って帰ったのに入れたのはひょうたんである。駅の中に喫茶店兼土産物店があり、飾り用のひょうたんが並べられていた。

Pa274455さてここから養老の滝に向かうわけだが、この列車で降りた客は地元の人ばかりのようで、滝に向かうのは私一人。養老の滝までは、養老公園の中を通り、川沿いの坂道を歩くこと40分。最後は急な石段を登り、ようやく滝つぼにたどり着く。華厳の滝、袋田の滝のような落差や豪快さにはやや欠けるが、何だか品があり、清らかな流れに見える。秋口とはいえ40分も歩けば暑く感じた後で、涼しさを感じる。うーん、もっと季節が後であれば紅葉を楽しめるスポットなのだそうだが、あいにくこの時期は季節としては中途半端だ。

Pa274463下山途中に養老神社というのがあり、この石段のたもとに涌き水が飲めるスポットがある。本来ならひょうたんにくべるところだろうが、あいにく持ち合わせがないのでペットボトルのお茶を空けてその後に水を汲む。冷たくて実にうまかった・・・。

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日本の特別地域・足立区

2007年10月25日 | ブログ

それにしても、エライ本を見つけてしまった。

「日本の特別地域・足立区」(昼間たかし編・マイクロマガジン社)というもの。「地域批評シリーズ」とかいうやつの第1弾だとか。そんなに特別地域なんかいな・・・・。

Cover_bかくいうまつなるも、最寄り駅に消費活動は葛飾区で行うが、住民票上では足立区民62万人の一人である。葛飾区には「こち亀」があるが、足立区の名前がそのままズバリ書名になっている本というのは、そう目にするものではない。

よく、東京は何もかもが画一的だ、という人がいるが、実際に住んでみると23区の間でもさまざまな表情があるし、東京都民の間ではそれぞれの区に対するイメージというのを持っているようである。

その中で足立区といえば、庶民的という言葉の反面、「貧乏」「ヤンキーが多い」「ガラが悪い」「犯罪が多い」「教育レベルが低い」「物価が安い」・・・などというイメージを持たれている。最近での「格差社会」の「下層社会」の象徴のようにいう人もいるとか。

この一冊は同じ東京23区でも全くイメージの異なる港区と杉並区との比較をする形で、さまざまな側面からそのイメージを科学的に立証・・・じゃなかった客観的に分析を試みたものである。先に記したマイナスイメージに対して否定できない面もあれば、「意外とそうでもないよ」といってみたりもするのである。

足立区民といってもここの生まれではなく、転勤で住むようになった者にはまだ足を踏み入れたことのない地域もあり、この一冊で町の概況というものを知ることになる。読み通してみて、まあ足立区も住めば都、まだ発展途上でこれから街の様子も変わるだろうな・・・というのが感想。

それにしてもこの「地域批評シリーズ」、後に続くのだろうか。何だか景気の悪そうなところが続きそうな予感がするなあ・・・・。次は夕張か??

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和解の酒?

2007年10月22日 | ブログ

そろそろ秋も深まり、酒のほうもビール(発泡酒)から日本酒のCMが少しずつ増えるようになってきた。冬のビールということで今年20周年を迎えるサッポロ「冬物語」もあるのだが、やはり冬の酒のCMは日本酒のものである。

そんな中、黄桜酒造のCMとして今話題になっているのが、江川卓と小林繁の競演。言わずと知れた、あの「空白の一日」という言葉で語られる騒動の当事者二人である。阪神がドラフトで江川を指名、しかしそれが当時の「オズワルド」こと阪神・小津球団代表と巨人の密約、それに熱烈な巨人ファンであったコミッショナーの鶴の一声で江川は阪神にトレード、その相手に小林が指名されたという因縁話である。

それが、28年という長い年月を経ての「初競演」とか。何でも、この二人が会話をするのは初めてとかで・・・。

毎週テレビに出ている江川に比べ、近鉄コーチとして優勝を経験したものの、自己破産も経験し、今は一般人として生活しているという小林。

球場で顔を合わせても声をかけることはなかったとか、「お互いに避けてたのかな?」とか、当時を思い出すような感じで懐かしそうに会話をする二人。何でも事前にセリフが用意されたわけではなく、いわばぶっつけ本番のような形での会話を撮ったとか。

酒が取り持つ「和解」ということで、酒の楽しみのPRをしようというのがこのCMの狙いだが、確かに、こうして酒を酌み交わすとなれば、最適のキャスティングだろう。少なくとも友情ではないし、ライバル、というのとはちょっと違う。あの事件のために、それよりももっと大きな「因縁」という言葉でくくられるのだから。

この二人にいろんなものを重ねながら、CMを観る人も多いのではないだろうか・・・。

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「時刻表検定試験記念号」JR時刻表

2007年10月21日 | ブログ

来月行われる「第13回時刻表検定試験」。試験問題は「JR時刻表」の11月号をもとに出題されるので、事前に書店で購入するなどの準備が必要なのだが、今年についてはこちらが書店に出向く必要がない。

というのが、主催者から「記念号」の時刻表が送られてきたからだ。これは今回初めての試みで、第1種・第2種の両方の受験者に対しての特典である。まあ、従来なら同時申し込みの場合は受験料が1000円引きになっていたのが据え置きになったので、それほど手放しで喜ぶことでもないが・・。

で、届いたのがこんなやつ。

Pa214435まあ別に表紙がオリジナルだからといって、本文の記載が違うことはない(ちなみに裏表紙は全国の受験会場の案内地図)。

ただ、実際に旅行に持参をする場合、目立つことこの上ないだろうな。ちょいとこの表紙というのは周りから好奇の目で見られること必至である。何か、もうちょっとマシなデザインというのはなかったのかな・・・・。認定証のデザインをもとにするとか。

・・・・で、表紙の問題の答えって、どれだったっけ・・・・。

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日本シリーズは日本ハム対中日

2007年10月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

セ・リーグのクライマックスシリーズ第2ステージは、中日が巨人に3連勝して日本シリーズ出場が決定。これで、昨年に引き続きこの両チームが日本シリーズで対戦することになった。

昨年までのパのプレーオフでは、シーズン成績が2位でも3位でも、プレーオフを制すれば優勝という条件で、このために04年、05年とダイエー~ソフトバンクがシーズン成績1位だったにも関わらず、それぞれ2位の西武、ロッテにプレーオフで破れ、優勝できなかったということがあった。で、これではシーズン成績1位の価値が下がるというので、今年からシーズン成績1位があくまでリーグ優勝、そして、日本シリーズ出場をかけたポストシーズンシリーズということで、今年のような方式が取られたのだが・・・。

この方式だから、当然2位のチームがCSを制することだって十分ある。やはりこのことに違和感を覚えるファンもいるだろうし、日本シリーズ出場とリーグ優勝チームが別というのも初めてのこと。それだけに、落合監督が胴上げもビールかけもやらなかったのは「大人の配慮」だなと思った。「胴上げくらいしてもいいんじゃないの?」と私は思うのだが、「優勝チームに失礼」といわれれば、そうかなと納得する。選手のほうも「まだ通過地点。胴上げは日本シリーズを制してから」となれば、それも新たな目標ということでヤル気が続くことだろう。それに引き換え、その落合監督のインタビューを途中で中断し、CSの余韻も何もあったものではない日本テレビの対応は、本当子どもやね。

いや、パ・リーグファンの目から見て、セの感覚って、そんなものかもしれないな。日本ハムとロッテの最終戦後、敗れたロッテのバレンタイン監督はじめ選手たちが、札幌ドームに駆けつけたファンのところまで行って一礼し、その後で両チームの選手が抱き合って健闘をたたえあったというシーンがあったのだが・・・。

さて、日本シリーズは、ヒルマン監督の花道を飾らせようという日本ハムか、落合監督を胴上げしようという中日か。普段であればパの球団を応援するところだが、落合監督の胴上げ、そして中村ノリにビールかけをさせたい(近鉄優勝の時は米国同時多発テロの影響で自粛したから)ということで、中日を応援しようかな。

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世も末や・・・。

2007年10月17日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

本来であれば今日17日で、パ・リーグのクライマックスシリーズの最終戦、日本ハムとロッテのどちらが日本シリーズに駒を進めるかが決まる・・・はずなのだが・・・。

何と17日はサッカーの試合があるから、クライマックスシリーズも4連戦1休最終戦という日程なのだとか。何かこれ、どうにかならなかったのか。サッカーの試合といってもワールドカップならいざ知らず、何とかチャレンジカップとか、2線級の出る五輪の予選試合とかでしょ?何でこのために、プロ野球のイベントを不自然な形で中断するのかが私にはわからない。

もっとも、この変則日程のために、明日18日の最終戦は日本ハム・ダルビッシュ、ロッテ・成瀬という、リーグ1・2の投手の直接対決が実現するのだが・・・。まあ「まつなる」としては、「なるせ」にがんばってほしいところね。

さて、タイトルの「世も末」というのは、別にサッカーのためにクライマックスシリーズが変則日程になったことではありません。

スポーツニュースの記事をネットで追いかけていたら、「阪急百貨店にタイガースショップ登場」というのにぶち当たったことである。

いくら阪急と阪神の経営統合ということになったからといって、阪急であのタイガースのケバいグッズを売るんですか・・・・。ブルーウェーブやバファローズには一切触れなかったくせに、タイガースならええのか? 正直、阪急のプライドはどこに行ってしまったのかと思う。客が喜ぶなら何でもするのがサービス業の宿命なのだろうが、この一線だけは守ってほしかった。逆にいえば、そうするなら阪急梅田駅にマルーン色以外の塗装の電車を入れろと言いたい。

関西における阪急の地位低下を物語るニュースだと思いました・・・。

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北信越BCリーグは石川ミリオンスターズが優勝!

2007年10月16日 | プロ野球(独立リーグほか)

今年発足したプロ野球独立リーグ「北信越BCリーグ」。優勝マジックを「1」としていた石川ミリオンスターズが、マジック対象の富山サンダーバーズに大勝、見事地元での優勝、初代BCリーグチャンピオンの座を獲得した。

ミリオンスターズ金森監督、コーチ・選手の皆さん、そして石川県の皆さん、初代チャンピオンおめでとう!

うーん、陰ながら富山サンダーバーズを応援していた私としては、ペナントレースを優位に進めながら終盤に崩れ、しかも目の前で優勝を決められたのは残念。ただ、各チーム72試合制の中で、71試合目で優勝が決まったのは、それだけもつれたということ。早くから石川と富山のマッチレースになったことについてはいろいろな声があるだろうが、初年度で優勝争いがもつれたのは興行としてはファンの関心を呼んだことであろう。

個人的に残念なのが、今年BCリーグを観戦した中で、ミリオンスターズだけ、生で観る機会がなかったこと。他の3チームは名鑑とプレーを見ながら選手の名前や特徴を覚える機会があったのだが・・・・。まあ、来年は群馬と福井にもチームができることだし、それらと合わせてミリオンスターズの試合を観る機会をつくりたいな。ちなみに、現在福井チームがチーム愛称を募集中とか。やはり郷土色を出すような愛称ということになるが、であれば越前ガニとか(エチゼンクラゲはやめときましょう)、鉄器とかメガネとか、永平寺とか・・・?ちょいと難しいお題ですぞ。

さてその前に、次の週末には四国アイランドリーグの覇者・香川オリーブガイナーズとのチャンピオンシップである。独立リーグ先輩の香川が意地を見せるのか、加賀百万石の期待を背負う石川が勝つのか。ちょうどNPBのクライマックスシリーズとかと重なる日程だが、プロ野球の新たな1ページとして、お互いのチームにがんばってほしいものである。

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鉄道博物館開業

2007年10月14日 | まち歩き

10月14日は、鉄道の日。そして、今年の鉄道の日に合わせて大宮に開業したのが、鉄道博物館である。昨年5月に閉館になった交通博物館の後継が、いよいよ開業である。JR東日本がCMを流したり、中の様子を紹介したテレビや雑誌などの影響、あとは鉄道ブーム(という言い方は嫌いなのだが)とやらの影響とやらで、開業前から話題になっていた博物館である。

Pa144243前身の交通博物館の最終日にも見学に訪れたのだが、鉄道博物館の開業初日に訪れるかどうか、実は迷っていた。むちゃくちゃ混むのは最初からわかっているし、もう少し落ち着いてからにしようとも思う。ただ鉄道の日ということで、どこかで鉄道に触れようと朝から出かけたのだが、あえて大宮とは逆方面の列車に乗った。ただ、やはり初日ならではの雰囲気というのを味わいたいなという思いが強くなり、途中で引き返して大宮駅に到着。

Pa144231鉄道博物館へは、大宮から出ているニューシャトルという乗り物で1駅なのだが、歩いても20分ほどで行けるようなので、大宮の車両センター沿いの道を歩く。途中でSLや電気機関車を屋外展示していたり、JR東日本の車両の写真パネルなどあり、歩いても退屈しない。むしろ、1駅分の運賃を払うより歩いたほうが楽しいのではないだろうか。

そして博物館に到着したのが、開館時間を回った10時20分頃。ゲートをくぐって行く見学客の姿が見えるが、その後ろには・・・・。

Pa144237こんな感じ。駐車スペースに行列、行列である。いやよくこれだけの人間が来たものだ。十重二十重という言葉がぴったり。博物館の建物は遥かに遠く、果たして入場できるのはいつのことやら。そう思う間もなくすぐさま私の後ろにも行列ができる。行列は予想できたことだが、それを上回るほどの人数。後で聞いたところでは徹夜組も多数出たとか。まあ、博物館の敷地は広く、収容人数はそれなりに多そうだから、今日のうちには入館できるだろう。電車の中で読むように持ってきた文庫本を読みつつ、列が少しずつ進むのに任せる。

Pa144241待つこと1時間半あまり、読みさしの文庫本を読みきった正午近くになりようやく順番が回ってきた。チケット売り場でICカードタイプの入場券を買い求め、これを改札機にタッチする。この改札機、Suicaに対応しているという。前身の交通博物館が、自動券売機で切符タイプの入場券を買い求める方法だったのと比べて、時代の移り変わりを感じる。(このICカードは、退出時に返還しなければならない)

館内も人、人、人で、何をするにも行列である。特に鉄道模型ジオラマや運転シミュレーターは子どもたちを中心に長い行列である。ミュージアムショップで買い物をするのにも順番待ち。まあ、私の見たいのは「実車」が中心なので、それを見られればよいか。

Pa144256まずは2階に上がり、実車の展示ゾーンを俯瞰する。ターンテーブルに乗ったC57を中心に往年の電車、機関車、気動車が並ぶ一大ショールーム。その周りを、大勢の見学客がカメラ構えて行ったり来たり。その様子を眺め、まずはここで日本の鉄道の歩みを記した年表に、その時代の鉄道部品や列車のヘッドマークほかの資料を見学する。

Pa144323ただそれよりも楽しみなのは、「実物」だろう。それも車両の頭だけちょん切ったというものではなく、1両まるまる。いずれも昨今のステンレス軽量車両ではなく、鋼鉄の、ゴツゴツしているが力強そうな連中ばかりを取り揃えている。

Pa144276Pa144320電車、客車タイプの車両には実際に乗り込んで、座席に座ることができる。これもこの博物館の売り物の一つ。これだけ多い見学客も一つの車両に何時間も居座るというわけではないので、いろんな座席を試すことができる。その座席、実際に座ってみると何だか今の車両のほうが硬く感じるように思う。

Pa144282本日は開業日ということでマスコミの取材も多く、車両の中でレポートを送っていたり(数秒のコメントだが何回もやり直ししていたぞ)、見学客にインタビューする光景も見られた。ひょっとすれば私の後姿もテレビに映っていたりして・・・?

Pa144315それにしても、いろんな車両に実際に乗り込んでみたが、本当にこれに乗ってどこかに行きたくなるような気がする。車両のメカニズムのことはあまり興味がないのだが、やはり鉄道趣味の中でも「乗ること」が好きなんだろうなと自分で思う。

Pa144307貨物列車のコーナーもあり、EF66系に牽引されたコンテナ車に冷蔵車を発見。コンテナが現在の標準型の19DやUF15Aのほかに「国鉄コンテナ 戸口から戸口へ」の旧型も混じっていたのはご愛嬌だが、仕事で貨車の実車にも触っていたこともあり、やはりうれしいもんである。これだけのものが見られるならば、並んだ甲斐があったというもの。

Pa144246このほかにも展示物はいろいろ見て回ったが、初日の雰囲気ということもあり今日のところは本当にさらりと見たという感じだ。2時間以上館内にいたが、とてもじゃないが展示物をじっくり見られたということはなかった。どうしても実車展示のほうに目が行き、その周りにもあった資料関係もほとんど見ていないし、鉄道技術に関するゾーンはほとんど触れていない。まあ、開業したてということもあり、これから折を見てまた来ればよいことである。鉄道に関する書籍や資料を収めたライブラリーもあるとか。

この鉄道博物館、大宮という、元々鉄道を中心として発展してきた街にふさわしいスポットである。鉄道に特化したことで、交通博物館にあった自動車や航空機、船舶、さらには人力車に駕籠といった、鉄道以外の乗り物がどこかに行ってしまったが、ここはこれでいいのだろう。

Pa144338初日まずは十分に楽しんだ後、せっかくなのでニューシャトルに乗車。上越新幹線の高架沿いに走る路線であることは車窓から知っていたが、乗るのは初めて。時折新幹線に抜かれたりすれ違ったりして、終点の内宿まで往復し、大宮駅に戻る。

Pa144344その大宮駅では、案内放送と張り紙で「本日の鉄道博物館の入館はできません」という案内が繰り返しなされていた。あまりに多くの客が押しかけたため、11時30分に新たな客の受け入れを中止したのだという。そういえば、12時に館内に入ったときに後ろの行列が短くなっていたように思ったが、11時30分までに敷地に入っていなかった人は行列に加われなかったということである。昼から来ようなどという考えではどうも無理のようだ。それにしても、ここまでの騒ぎになるものか。入れなかった人たちが暴動を起こしてやせんかと気になるなあ・・・・。

また、ゆっくり来るとしよう。

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青海川駅へ

2007年10月14日 | ブログ

長岡から信越線の直江津行きに乗車。丘の上にそびえる寶徳山稲荷大社の神殿を仰ぎ見(一度、長岡が実家という方に連れて行ってもらったことがあるのだが、商売気丸出しの巨大な神社です)、内陸の山を越えて柏崎に向かう。沿線にはまだ屋根にブルーシートがかけられている家も点在する。

20057_01120057_00620057_008柏崎はこのまま通過し、2つ先の青海川で下車する。「日本一海に近い駅」ということで、CMやドラマのロケ地となったことのある駅として有名だが、先の新潟県中越沖地震で、この駅が土砂で埋まってしまったニュース映像は、この記事を読む皆さんの記憶にも新しいところだろう(その後2ヶ月近く不通となった)。私もそのロケーションが好きで何度か途中下車したことある駅だけに、その後どうなったかを見てみようというのが目的である。

列車は青海川駅に到着。ホームには同じような駅見物の客の姿も見られる。列車が直江津方面に去って改めて駅を見渡すと・・・・。

うーん、こんな姿になってしまったか・・・。

Pa074120上段の写真は2年前に訪問した時のものだが、それと比べてえらく変わり果てた表情になってしまった。斜面がやけにスッキリしたように見えるが、それだけの土砂が崩れたということだ。丘の上に家が見えるが、よく崩れ落ちなかったものである。

Pa074115また駅舎も取り壊され、今は3畳ほどのスーパーハウスがポツンと建つだけ。果たして、新しい駅舎を建てる予定はあるのだろうか。またホームも新たに造り直したため、海に面して立っていた「おうみがわ」の駅名標も撤去されている。あの駅名標のバックに海という組み合わせが好きだったこともあり残念だ。

Pa074128駅の周りはどうだろうか。一部崩れたり、ガラス扉に「危険」の張り紙がされた家屋を見る。また、この集落をまたぐ国道の巨大な橋脚があるのだが、幸いにしてこの橋脚には被害はなかった。もしこれが折れたりしたら大惨事を引き起こしていただろう。駅の横から小道を登るとこの国道に行き着くのだが、地震で斜面が崩れたために立ち入れなくなっている。

Pa074134海岸に出る。この日の海は実に穏やかで、姿をすっかり変えた陸地とは対照的に変わらぬゆったりした風景だ。

青海川の駅には昔から駅訪問ノートが備えられていたのだが、9月の営業再開に合わせて新しいノートが用意されていた。中を見てみると、変わり果てた姿に驚いたというコメントが多数。中には、「もうこの駅がドラマの舞台になることもないだろうな」というものも。

Pa074132ういう書き方は不謹慎かもしれないが、この風景というものも、中越沖地震の象徴というか、記憶にとどめるために目に焼き付けておく必要があると思う。今も斜面の補強工事を行っているし、駅舎もいずれ新しいものが建つのだろうが、中越沖地震があったことを後々まで語り継ぐ「何か」があってもよい。

下りの長岡行きで青海川駅を後にし、柏崎で下車。駅前のイトーヨーカドーの中にある書店に立ち寄る。ここで、中越沖地震の報道写真集があったので購入。売り上げの一部が義援金となるということだ。改めて写真を見て、被害の大きさを認識する。うーん、長岡から信越線で来るのではなく、少し早起きしてでも越後線に乗ったほうがよかったかな。より被害が大きかったのはあちらの地域だったし。

東京で中越沖地震に関するニュースはもうほとんど聞かれることはなくなったが(たまに、刈羽原発に関することくらい)、まだまだ復興の道半ばである。これからもみんなで支援しなければ・・・・。

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黒川紀章氏、急死

2007年10月13日 | ブログ

それにしても、びっくりした。

今年の都知事選、参議院選にも出馬したばかりというのに、突然のニュースである。

報道では、これまでの激務で体が限界に来ていたとか、自分の最期を予期しつつも選挙に出馬したとか。そんな裏側もあったのか。

P2251191最近ではそんな選挙活動やテレビ出演のパフォーマンスが注目されていたが、そもそもは世界的に有名な建築家であるが、単に建物を設計するというだけではなく、その根底にある「メタボリズム」(メタボリック症候群とは違いますよ)、「共生」といったキーワード、思想というものもこれまでに高く評価されている。

その思想をもとに海外での都市建設、都市開発にも実際取り組んでおり、その手法がもし東京でできるものなら面白いと、先の都知事選では実は黒川氏に1票を投じたものである。

国内にも氏の手による建造物がたくさんあるので、また旅先で訪問するとするか。カプセルホテルに泊まってみるのも一興かと・・・・。

ご冥福、お祈りします。

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SLばんえつ物語

2007年10月12日 | 旅行記B・東北

会津若松駅に向かう。会津若松は風情ある城下町で時間を取って見物したいところだが、今回は完全に素通りとする。お目当ての列車はここから新潟に向けて走る「SLばんえつ物語」号である。全国に定期的にSL列車を走らせている区間がいくつかある中、この「ばんえつ物語」などは、今や「SLやまぐち号」並み、いやそれ以上に定着しているのではないだろうか。ようやくにして初めての乗車である。

Pa064034さて、2番線からの発車とあるのでそちらに向かうと、こちらのホームの隣、4・5番線のほうに多くの客の姿。そこから発車する列車は当分ないはずだが、とよく見るに、4・5番線のさらに向こうに「ばんえつ物語」号が待機している。みんな、そちらで写真を撮っているのだ。C57 180号。「シゴナナ」と呼ばれているそうだが、やはりこうしてSLと向かい合うと、昨今のステンレス車両がいかに安っぽいものかを感じてしまう。

Pa064047時間となり、汽笛を鳴らして「ばんえつ物語」は2番線への入線のため動き出す。一度ホーム先まで動いた後、客車を先頭にして入線してくる。ホームには大勢の鉄道ファンや子ども連れがカメラの放列。

Pa064048さて「ばんえつ物語」号、シゴナナを先頭に、7両の客車をつなぐ。中央には大きな窓の展望車両があり、そのほかは大正時代風に改装された12系客車。ホームには大勢の乗客がいるように見えたが、この日の指定席はガラガラのようで、1人または1グループでボックス1つを占めることができるくらい。ちなみに私の指定席は後ろから2両目の2号車で、この辺りとなるとSLの蒸気などほとんど感じることがない。ただ、電車や気動車と違って「客車」に乗ること自体が今や貴重な経験である。遠くのほうで聞こえる汽笛と、近くで感じる独特の振動を楽しむ。

Pa064077喜多方までは会津の盆地を走るが、ここからは山間に入る。いつしか磐梯山の姿も遠くなり、周りは山林の風景。イベント列車ということで車掌による観光案内や、乗車記念の手帳の配布などが行われる。また車内には売店があり、「ばんえつ物語」のラベルの入った地ビールを購入。この前にクルマを運転していたのでようやくアルコール解禁だ。客車の揺れ、静かな阿賀野川の流れ(途中ダムでせき止められているから静かに見えるのだが)を楽しむ。

SL列車にはこれまでに何回か乗ったことがあるが、SL列車というのは外から見る分には絵になるのだが、いざ乗ってしまえば普通の客車列車である。これは乗ったときにいつも感じることである。乗る前はあれだけはしゃいでいた子どもも、もう退屈したのかゆったり座席で爆睡しているし・・・・。それに比べて元気なのが、このSLを撮影しようという連中。彼らは本当どこにでも現れる。この時期は黄金色の稲穂との組み合わせが絵になるようで、稲刈り前の田んぼのあぜ道にクルマを停めてカメラを向ける人、中には国道のシェルターの上に三脚を立てる兵など、いろいろいるものである。

Pa064066途中、野沢駅で10分ほど停車。ここでホームからの撮影タイムとなり、乗客が一斉に外に出る。運転席に入れるサービスもあり、子どもを運転席に座らせて写真を撮るお父さんの姿も多い。

Pa064099この長時間停車は、新潟県に入った津川駅でも行われる。こちらは給水ポイントとなっており、ホームからポンプで水をくみ上げ、さらに石炭をくべる作業を見ることができる。ただ単純に列車行き違いのために停車するのではなく、こうした「人力」を目の前にすることが却って新鮮な光景に映る。

それにしても、SLの走行線区として磐越西線というのは、よいところに目をつけたものである。シゴナナの基地である新津というのが鉄道の町としての設備を取り揃えているのと、会津若松、喜多方といった有名観光地や、磐越の山間の豊かな自然を擁し、また首都圏からでも新幹線で容易にアクセスできる(往復して日帰りも可能)ため訪れやすい・・・という条件。あまり東京から近すぎるとムードが今ひとつだし、かといって岩手や青森などとなると遠すぎる。非電化区間が多いのも、写真を撮った時に架線が写らず絵になりやすいというのも要因だろう。

だんだん日が短くなりつつある時期のこととて、この津川駅でちょうど日が落ちる。後は夕暮れの中を淡々と走るだけだ。時刻はまだ18時だが、何だか「夜汽車」のような雰囲気だ。銀河鉄道すりーないん、っちゅうやつかな。

Pa064107さてすっかり日も暮れ、シゴナナの本拠地である新津到着。終点はこの先の新潟だが、私はここで下車。宿泊地が長岡ということもあっての乗り換えだが、ここで発車風景を眺める。夜なので蒸気がよりくっきりと目立つ。汽笛一声、車軸が少しずつ動き、やがてホームから客車が去っていく。この「客車がホームを去る」という光景も今やめったに見られるものではなく、そのテールランプをいつまでも見送るのであった。

さてこの日は普通列車で長岡まで移動し、久しぶりに宿泊する。前に来たときは駅から少し行った小さな居酒屋で地元のおっちゃんと意気投合し、2次会でそば屋に連れて行ってもらったことがある。その店が今も営業していれば探し当てることも可能なのだが、この日は外に出ず、コンビニで酒と食糧を購入してホテルでのんびり。総合旅行業務取扱管理者試験の参考書をここで広げる・・・・。

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日中線記念館

2007年10月09日 | 旅行記B・東北

「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」というのがある。JR全線の普通・快速列車が3日分乗り放題というもので、いわば「青春18きっぷ」の秋バージョンともいえるもの。今年もこのきっぷを購入したのだが、有効期間が短いこともあり、「青春18」ほどには広く一般には浸透していないようである。駅のポスター掲示も控えめなもので、私が購入した上野駅ですらポスターやパンフレットを見ることがなく、「本当にこのきっぷは売っているのか?」と、窓口に行くのを少しためらったほどだ(実際にはスンナリ購入できたが)。

さてこのきっぷで上野から東北線を北上する。宇都宮、黒磯と乗り継ぎ、汽車旅派が多く見られた列車で郡山着。今回のターゲットはここから西の磐越西線である。この線からも急行型車両がいなくなり、仙台・福島でよく目にするクロスシート車が、会津の「赤べこ」のイラスト入りで待機している。

・・・・ということだが、この日は磐越西線の列車には乗らず、郡山駅近くからレンタカーで出発する。何だか「JR乗り放題きっぷ」の効力を削ぐ感じだが、考えようによっては、浮いたお金でレンタカーに乗る、観光地へのバス移動のロスタイムと費用をレンタカーでカバーするというふうにも見える。

Pa063973そんな理屈をつけながら、郡山の市街地を抜け、国道49号線で猪苗代湖に出る。本来なら千円札の野口英世の記念館でも見学するところだろうが、いかんせん本日はレンタカーの利用時間が6時間と短い。また、野口英世という人物にもあまり敬意を表する気にはなれないので、これはパスする。湖に磐梯山が見られれば、それでよい。曇ってはいるが山の姿はくっきりと見える。

Pa063981またちょうど湖畔の水田では稲刈りの最中で、黄金色の広々とした水田が広がるのを見る。秋の風景である。

Pa063988この後、猪苗代から山道を登り、裏磐梯は五色沼へ。風光明媚なことで知られるこのエリアだが、訪れるのは初めて。紅葉にはまだ早すぎる時期だが、緑がよく映えた毘沙門湖でしばし憩う。先ほどの穏やかな稜線とは打って変わって荒々しい感じの磐梯山。その山をいただく静かな湖でボートを漕ぐカップルというのも絵になる。

Pa063992この五色沼から桧原湖畔を経由し、そのまま西に進み山を下ると、喜多方の郊外に出る。ここからさらに北上し、会津加納の町に入る。そして道端に現れたのが「日中線記念館」の看板だ。大きな木と、瀟洒な感じの建物が出迎えてくれる。

Pa064004この日中線、かつて「野岩羽線」構想の中にあり、会津から出羽を結ぶ計画の一環として建設された路線。戦争もありいつしかその構想も消え、また喜多方から日中への路線としても、モータリゼーションのあおりを食らい、1984年に廃止となった路線である。国鉄の赤字合理化、分割民営化が叫ばれる中で多くの路線がこの頃から廃止やら第三セクター転換となったが、日中線はその中でも早いほうに属していた。その時の終着駅・熱塩駅を整備して、記念館として地元の人たちに守られている。

実は今回このエリアをこうして回ろうと思ったきっかけの一つが、雑誌『鉄道時間』に紹介されていたこの記念館の記事。日中線という路線があったことは昔から知っていたが、終着駅・熱塩が、廃線後間もなく記念館になったというのはほとんど初めて知ったこと。ただバスで行くよりはクルマのほうが便利で、それであれば裏磐梯から回ろうとしたのがこの日の計画。

Pa064000現役時代の日中線には乗る機会がなかったが、待合室も当時のまま整備されている。また元の駅務室ではかつての写真や切符、行き先案内板などが展示されており、当時の様子をうかがうことができる。

Pa064013そしてホームに出る。「あつしお」の駅名標はあるが、昔は引込み線やら側線があった場所は一面の芝生。南に目をやると踏切があり、その向こうにはかつての線路跡がサイクリングロードとして伸びている。そして北に目をやると、かつてこの線で活躍したラッセル車に、客車1両が展示されている。

Pa064008客車の中に入る。ノスタルジックな風情のある客車だ。同じ風景を見るに、クルマで走ってきたのと、こうした客車から眺めるのとでは全然印象も違ってくることだろう。

Pa064018この記念館、実に手入れも行き届いており、駅舎も朽ちるに任せるのではなく「現役当時もこんな感じだったんだろうな」と思わせるもの。ここで待っていれば列車が来るんではないかという気持ちにもさせる。ここだけが時間が世間の何十倍もゆったりと流れているように思えた。古くから維持してきた地元の人たちの熱意の賜物であろう。

さて、日中線記念館見学の後は、かつての線路に沿うように走る県道を南下し、喜多方の中心部に向かう。ここまで約20分ほど。なるほど、県道が併走し、所要時間もさほど変わらないということであれば、日中線としても苦しかったことだろう。最初から出羽まで路線が伸びていればわからなかっただろうが。

中心部は人やクルマの数が多く、ようやくコインパーキングを見つけて駐車する。観光客のお目当ては蔵めぐりもさることながら、やはりラーメンであろう。私もそうで、昼食には喜多方ラーメンを食べようと決めていた。

Pa064024・・・で、どこにしようかと訪れたのが、やはり喜多方一の有名店「坂内食堂」。13時を回っているが路上にまで続く長い行列。レンタカーの返却の時間もあり、ここで一杯食べればもう会津若松に向けて走らなければならない。しかしこの行列で時間は大丈夫か・・。

Pa064023ただ客の回転が思ったより早く、ようやくに席につくことができた。調理場の様子を見ると、もう次から次へと調理しており、目が回りそうな忙しさだ。ここで名物の肉そばを注文。トンコツベースながらあっさりしたスープに、素朴さを感じる。さすがに蔵めぐりや酒の醸造元めぐりはできなかったが、ラーメンをいただけたことを良しとしよう。

クルマを黄金色の水田の中を走らせ、会津若松着。レンタカーはここで乗り捨て、再び列車の旅に戻る。さて、次のお目当て、というか、これに間に合うように会津若松入りした列車は・・・・。(続く)

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総合旅行業務取扱管理者試験

2007年10月08日 | ブログ

本日8日は、「総合旅行業務取扱管理者」の試験日ということで、受験会場である、大沢親分の母校の(そういえば長嶋茂雄の母校でもありましたな)立教大学へ。この大学を訪れるのは初めてだが、大勢の受験者とともにキャンパスの門をくぐる。

実はこの試験、2年前にも受験したことがある。その時は東京在住にも関わらず仙台での受験で申請し、山形やら石巻、松島などを回った後に受験したというもの。で、残念ながら不合格だった・・・・。今回は受験地こそ東京にしたものの、前日には柏崎で北信越BCリーグの試合を観戦していたりするのだから、まあ、やっていることは同じようなものだ。

午前中の法令、約款、そして午後からの旅行実務の2時限を受験。国内旅行業務取扱管理者の資格を持っていれば法令と国内旅行実務が免除されるとか、前年の不合格者でも、国内・海外旅行実務について合格点をクリアしていれば、翌年(今年)の同科目の受験が免除されるとか、アドバンテージの要素はあるのだが、例年合格率は20%に満たないという。なお、この「20%」という数字は、実際に受験した者に対する割合で、当日の欠席者は含まれない。前回受験したときも不思議に思ったのだが、本日の試験会場でも2割程度の受験席が空席になっていた。出願した人たちはどのような気持ちで過ごしているのだろうか。

時刻表検定試験のように、時刻表本文に書いてある解答をいかに早く見つけ出し、実務に応用するかというよりは、やはり「暗記」が重要な要素を占める試験である。だから覚えていればスッと解答が出るが、覚えていなければ完全にカンである。だから所定の時間より迷うことなく、さっさと終わらせることができた。現時点では正答ももらっていないので、答え合わせはしない。

・・・で、結果というか手ごたえは・・・・まあ、その話は置いておきましょう。

PS→「トーマスクック時刻表検定」というのがあったら、どのくらいの人間が受験するだろうか・・・・?

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がんばれ柏崎~北信越BCリーグ観戦記

2007年10月07日 | プロ野球(独立リーグほか)

Pa074151JR信越線で、柏崎の隣、茨目という小さな駅に下車する。ここから北陸自動車道に沿って歩くこと10分で、佐藤池野球場に着く。北信越BCリーグ、新潟アルビレックスBC対富山サンダーバーズ戦の観戦である。

Pa074175北信越BCリーグの試合を観るのは3試合目だが、試合そのものもさることながら、こうしたいろんな球場を回る面白さというのもある。柏崎にあるこの球場、かつて「佐藤池」という池があったのを埋め立てた造成地にあり、ほかのスポーツ施設と合わせた総合運動公園の一角にある。照明設備はないものの、両翼98m、中堅122mという広い球場である。球場前にはテントが設けられ、飲食物の売り声が景気よく響く。

Pa074156柏崎といえば、今年の7月に起こった新潟県中越沖地震の被害が大きかった地域である。仮設住宅も設けられる一方、沿線にはまだ屋根や斜面を覆うブルーシートが目立っており、まだまだ復興への道半ばである。そんな中、柏崎で行われたこの日の試合。最初から公式戦の日程には入っていたのだが、「中越沖地震復興チャリティーゲーム」と銘打っての開催である。正規の入場料金は取らない代わりに、チケット手渡し時に「ぜひ義援金をお願いします」といいうものである。新潟アルビレックスの選手全員からのメッセージが寄せられた、新潟日報の特別版も配られた。

Pa074158試合前には、中島啓江さんによるミニライブ。毎年1月に阪神・淡路大震災の追悼無料コンサートを行っていることもあり、同じ災害からの復興を願うイベントとしてはうってつけ。あの大きな体(失礼!)だけあって、中越中に届けとばかりの豊かな声量で聴く者の心に響く。中島さんは試合前の国歌斉唱でもその声を披露してくれた。

Pa074166さて、こういう試合であればここまで勝率2割5分の新潟としては負けるわけにいかないが、対戦相手の富山としても新潟に花を持たせるわけにはいかない。富山は辛うじて1ゲーム差での首位を走るが、2位石川とのデッドヒート中。しかも残り試合は10試合を切っており、優勝に向けては1つも落としたくないところ。

Pa074169新潟の先発は左スリークォーターの矢野。立ち上がりに富山打線を3人で片付けると、地元の大声援に送られての新潟の攻撃である。富山先発の生出から、先頭の頓所がセカンド強襲安打を放ち、その後四死球で満塁。ここで6番・木ノ内がきれいにセンター前に弾き返し、2点先制。続く小野もレフトへ運び、新潟が幸先よく3点先制。早くも、3塁側に陣取った大勢の新潟ファンのボルテージが上がる。

新潟・矢野は2回、3回とランナーを3塁まで許すものの、左横手から繰り出されるストレートとチェンジアップの組み合わせで後続を断つ。ここで富山打線が1点でも2点でも返していれば、試合の流れはガラリと変わったのだが・・・。

Pa074195 その直後の3回裏。前日の信濃戦で14点取った打線が爆発。2死2塁から、またも木ノ内がセンター前へのタイムリーで4対0。続く小野が死球の後、8番古市がセンターオーバーの三塁打。これで6対0と一方的な新潟ペース。その後もタイムリーが続き8対0とし、仕上げは富山2人目の松本から、この回打者2巡目の3番・阿部が広い佐藤池球場でも文句なしの3ラン。この回打者11人で8点を挙げ、これで11対0。それだけ新潟の選手たちが燃えていたのだろう。どっちが首位にいるチームかわからないくらいだった。

Pa074184大量点をもらって、矢野の投球はさらに磨きがかかり、危なかったのは5回に町田に対して頭部死球(スッポ抜けだったので大事には至らなかったが)くらいで、完全にペースをつかむ。すると打線も6回裏にまた爆発。またまた木ノ内にもタイムリー二塁打、暴投2つ、仕上げは9番・米田がレフトスタンドに豪快な2ラン。これで16対0。今年もプロ野球の試合を多く観戦したが、ここまで大量点かつワンサイドの展開というのも初めて。完全に富山の選手たちが意気消沈してしまった感じだ。

Pa0742108回裏には米田のこの日2本目となるレフトへの一発が飛び出し、17対0。そして9回は矢野が3人で片付け、見事完封達成。新潟の18安打17得点はチーム史上最多で、猛打賞も頓所、阿部、木ノ内、米田の4人が獲得。新潟の選手たちの奮闘により、中越沖地震復興のチャリティーイベントとしては最高の形となった。

Pa074212そして印象的だったのが試合後のエール交換。北信越BCリーグではごく普通のこととして相手チームのコールを行うのだが、最後には両チームのファンから自然発生的に「ガンバレ・ガンバレ・柏崎!!」の3コールが起こった。こういうコールが自然に起こってくるところが、このリーグらしいなと思う。被災者の皆さんに、その思いが十分伝わればいいな。

Pa074226恐らく今シーズンの北信越BCリーグの観戦はこれで最後だが、富山が敗れ、2位の石川が勝ちこれで首位が入れ替わり、優勝争いはますます混沌としてきた。四国アイランドリーグを制した香川オリーブガイナーズとのチャンピオンシップに臨むのはどちらか。最後まで、楽しみである。

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ロッテ・ジョニー黒木が戦力外

2007年10月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

クライマックスシリーズ出場の6チームが決まり、いよいよ日本シリーズ出場に向けての熱戦が繰り広げられようとするその前の一時の静けさ。

古田や佐々岡、田中幸雄、水口、石井貴など、これまで球界を支えてきた名選手たちの引退が伝えられる一方、「○○選手に戦力外通告」という、非情なニュースが伝えられる時期でもある。どこかの本に書いてあったが、早い時期に戦力外通告されるというのは、それだけ本人が早くから次の道(現役続行を目指してトライアウトや他球団のテストを受けるというのも含めて)を探る余裕があるだけ、まだ球団の「親心」があるとか。

で、今シーズンも戦力外通告を受けた選手の名前が続々伝えられる中、とうとう、あの「ジョニー」こと、ロッテの黒木投手もその中に含まれることになった。

私と同じ1973年生まれ(この年生まれのプレーヤーはそうそうたるメンバーが揃っているのだ)ということと、あの気迫の投球スタイルというのにうならせるものがあり、黒木投手は好きな選手の一人だった。あの17連敗目を喫した、満塁本塁打を打たれた後の涙というのも印象的だったしね。

今のロッテ投手陣といえば清水、小林宏、渡辺俊、成瀬といったところで、これはこれで安定しているのだが、これが一世代前になると伊良部、小宮山、黒木という、いかにも「漢」が投げているなという感じがしたものだった。千葉のファンがあの熱狂的なスタイルを取るようになった原点というのは、やはり男が好むタイプ(ヘンな意味ではなく)であるこの3人にあるのではないかな。そういえば「ジョニ黒弁当」なんてのもあったよな・・・。

黒木投手本人は現役続行を希望し、12球団トライアウトはじめ、韓国、台湾、マイナー、独立リーグででもという意思があるとか。球威の衰えというのはあるのだろうが、きっとまたどこかのマウンドで、その勇姿というのをまた見せてくれることだろう・・・。

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