2月18日、午後から山陽道~九州道~東九州道を通ってやって来たのが福岡県の築上町。翌日、大分県に入って中津から宇佐にかけて九州八十八ヶ所百八霊場を回るが、その前泊のためである。九州一周のコマも北九州から福岡東部に進んだ形だ。廿日市から乗り、築城で下車するまでの高速料金は軽自動車、ETCと休日割引で3260円だった。自分で運転することをどう捉えるかだが、ガソリン代を加えても思ったより安く移動できた。
この日の宿泊は国道10号線沿いにある「ホテルAZ福岡築上」。九州を回るなら、このホテルチェーンに今後もお世話になることだろう。築城駅からは少し離れているし、周りに一献できる店があるわけではないが、クルマ移動ならちょうどよさそうだ。
今回はホテル併設のレストランでの夕食つきプランとした。バイキング形式で、もう990円追加するとアルコールの飲み放題(90分)もできる。周りに一献できる店はなくても、このプランがあれば安心。ただ、実際に来て見るとホテルの向かいに「ルミエール」という福岡を中心としたディスカウントストアがあり、チェックインの前に入ってみると刺身や総菜も豊富だったので、二次会用としていろいろ買い求めた。
ただ、せっかくなので食べ飲み放題で合計2000円弱のホテルのレストランにも行こう。フロントで夕食券を出して、呑み放題を希望するとレストラン内でビール用のジョッキを渡される。
ビールサーバー(もっとも、中身はキリンの淡麗)に注ぎ、おかずとして枝豆、サラダ、なんこつつくね、豚の生姜焼きなどを取る。他は麻婆豆腐や焼きそば、カレーといったところで、これは人によって受け止め方は様々だと思う。安くても腹にたまるとも言えるし、ホテルのバイキングとしてはショボいと思う人もいるだろうが、ほどよい時間のせいか、若い人を中心に結構多くの利用があった。この辺りの現場で働いているとおぼしき若者のグループが、土曜の夜だから小倉にでも遊びに行こうかという相談をしている。ただ、駅まで歩くにはちょっと遠い、かといってこの辺りではタクシーはなかなかつかまらないなどと言っている。さてどうしようか・・。
アルコール飲み放題は淡麗のほか、日本酒もあればウイスキー、甲類・麦・芋焼酎もある。水や炭酸水、ウーロン茶などはソフトドリンクのサーバーで出るから、プレーンハイやハイボールを作ることもできる。何やかんやで990円分は飲めた。
さて、ホテル向かいのスーパーで買ったものである。中津に近いということでから揚げも買ったのだが、それはいったんおいておくことにして、売り場に「中津漁港直送」の看板にひかれて買った刺身のパックを開けることにする。大分県産のクロ(メジナ)と鹿児島県産のムロアジである。ムロアジといえば、関東の方ならあの干物「くさや」に使われる魚としてご存知という向きも多いだろう。伊豆諸島でも獲れるが、漁獲高が多いのは宮崎、鹿児島だそうだ。
先ほどレストランで肉料理を味わい、二次会でスーパー購入の魚をいただく。外での一献ではなかったものの、充実したホテル内での飲食となった・・。
さて、この後はゆっくり休み、翌日も雨模様が気になるが朝食を済ませて国道10号線にてまずは中津に向かうことにしていた。その後、宇佐まで目的通りすすみ、さらに杵築、日出まで行こうと考えていた。夕方まで大分県を回り、国東半島に戻って竹田津19時発の周防灘フェリーで徳山に渡るつもりにしていた。19日の帰宅は遅くなるし、フェリーの航送料金も高いが、ぐるり回るのも結構疲れるし、行き帰りで変化をつけようというのもあった。
・・・しかし、夜遅く、そろそろ眠ろうという頃合いに大阪の実家から電話が入った。今年の正月明けから入院していた父親の状態が危ないとのこと。そしてしばらく後に再び連絡があり、幸い、病院の方たちの措置により命はとりとめ、病院からの連絡でかけつけた母親や私の姉夫婦もいったん自宅に戻ったという。
夜の時間帯、福岡の南東部に、それもクルマで来ている。仮に早い時間から連絡があった場合、飲んでいるから当然クルマは動かせない。ホテルの駐車場にクルマを放置して築城駅から日豊線~新幹線に乗ろうにも、この時間はもう無理。
いずれにしても、この日は翌日の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは無理と判断し、とりあえず早めに広島に戻ることにした。朝食もパスして、まだ真っ暗な朝5時すぎにホテルをチェックアウトする。外は前日からの雨。
そんな中、対向車線の東九州道であおられ、4車線の九州道に入ってほっとする。まだ暗闇の関門橋を渡り、山口県の中部まで来てようやく空が明るくなり、佐波川サービスエリアに立ち寄った後、朝9時前に帰宅。その日は何か連絡があれば動けるように自宅にこもることになった。コロナ禍による病院の方針として、家族といえども病人に付き添うことはできず、何かあった時の病院からの連絡を待つばかりなのだという。私もそのまま動かず、幸いこの日は連絡はなかった。
・・・それから10日ほど。予断を許さない状況は変わりないようだが・・・。