まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~築上町にて一泊、しかし・・・

2023年02月28日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

2月18日、午後から山陽道~九州道~東九州道を通ってやって来たのが福岡県の築上町。翌日、大分県に入って中津から宇佐にかけて九州八十八ヶ所百八霊場を回るが、その前泊のためである。九州一周のコマも北九州から福岡東部に進んだ形だ。廿日市から乗り、築城で下車するまでの高速料金は軽自動車、ETCと休日割引で3260円だった。自分で運転することをどう捉えるかだが、ガソリン代を加えても思ったより安く移動できた。

この日の宿泊は国道10号線沿いにある「ホテルAZ福岡築上」。九州を回るなら、このホテルチェーンに今後もお世話になることだろう。築城駅からは少し離れているし、周りに一献できる店があるわけではないが、クルマ移動ならちょうどよさそうだ。

今回はホテル併設のレストランでの夕食つきプランとした。バイキング形式で、もう990円追加するとアルコールの飲み放題(90分)もできる。周りに一献できる店はなくても、このプランがあれば安心。ただ、実際に来て見るとホテルの向かいに「ルミエール」という福岡を中心としたディスカウントストアがあり、チェックインの前に入ってみると刺身や総菜も豊富だったので、二次会用としていろいろ買い求めた。

ただ、せっかくなので食べ飲み放題で合計2000円弱のホテルのレストランにも行こう。フロントで夕食券を出して、呑み放題を希望するとレストラン内でビール用のジョッキを渡される。

ビールサーバー(もっとも、中身はキリンの淡麗)に注ぎ、おかずとして枝豆、サラダ、なんこつつくね、豚の生姜焼きなどを取る。他は麻婆豆腐や焼きそば、カレーといったところで、これは人によって受け止め方は様々だと思う。安くても腹にたまるとも言えるし、ホテルのバイキングとしてはショボいと思う人もいるだろうが、ほどよい時間のせいか、若い人を中心に結構多くの利用があった。この辺りの現場で働いているとおぼしき若者のグループが、土曜の夜だから小倉にでも遊びに行こうかという相談をしている。ただ、駅まで歩くにはちょっと遠い、かといってこの辺りではタクシーはなかなかつかまらないなどと言っている。さてどうしようか・・。

アルコール飲み放題は淡麗のほか、日本酒もあればウイスキー、甲類・麦・芋焼酎もある。水や炭酸水、ウーロン茶などはソフトドリンクのサーバーで出るから、プレーンハイやハイボールを作ることもできる。何やかんやで990円分は飲めた。

さて、ホテル向かいのスーパーで買ったものである。中津に近いということでから揚げも買ったのだが、それはいったんおいておくことにして、売り場に「中津漁港直送」の看板にひかれて買った刺身のパックを開けることにする。大分県産のクロ(メジナ)と鹿児島県産のムロアジである。ムロアジといえば、関東の方ならあの干物「くさや」に使われる魚としてご存知という向きも多いだろう。伊豆諸島でも獲れるが、漁獲高が多いのは宮崎、鹿児島だそうだ。

先ほどレストランで肉料理を味わい、二次会でスーパー購入の魚をいただく。外での一献ではなかったものの、充実したホテル内での飲食となった・・。

さて、この後はゆっくり休み、翌日も雨模様が気になるが朝食を済ませて国道10号線にてまずは中津に向かうことにしていた。その後、宇佐まで目的通りすすみ、さらに杵築、日出まで行こうと考えていた。夕方まで大分県を回り、国東半島に戻って竹田津19時発の周防灘フェリーで徳山に渡るつもりにしていた。19日の帰宅は遅くなるし、フェリーの航送料金も高いが、ぐるり回るのも結構疲れるし、行き帰りで変化をつけようというのもあった。

・・・しかし、夜遅く、そろそろ眠ろうという頃合いに大阪の実家から電話が入った。今年の正月明けから入院していた父親の状態が危ないとのこと。そしてしばらく後に再び連絡があり、幸い、病院の方たちの措置により命はとりとめ、病院からの連絡でかけつけた母親や私の姉夫婦もいったん自宅に戻ったという。

夜の時間帯、福岡の南東部に、それもクルマで来ている。仮に早い時間から連絡があった場合、飲んでいるから当然クルマは動かせない。ホテルの駐車場にクルマを放置して築城駅から日豊線~新幹線に乗ろうにも、この時間はもう無理。

いずれにしても、この日は翌日の九州八十八ヶ所百八霊場めぐりは無理と判断し、とりあえず早めに広島に戻ることにした。朝食もパスして、まだ真っ暗な朝5時すぎにホテルをチェックアウトする。外は前日からの雨。

そんな中、対向車線の東九州道であおられ、4車線の九州道に入ってほっとする。まだ暗闇の関門橋を渡り、山口県の中部まで来てようやく空が明るくなり、佐波川サービスエリアに立ち寄った後、朝9時前に帰宅。その日は何か連絡があれば動けるように自宅にこもることになった。コロナ禍による病院の方針として、家族といえども病人に付き添うことはできず、何かあった時の病院からの連絡を待つばかりなのだという。私もそのまま動かず、幸いこの日は連絡はなかった。

・・・それから10日ほど。予断を許さない状況は変わりないようだが・・・。

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第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~まずは前泊で出発

2023年02月27日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州の札所めぐりとして九州西国霊場、そして九州八十八ヶ所百八霊場を回っている。このうち九州西国霊場は、2年近くかかったが第33番の大宰府・観世音寺にて結願となった。

そして九州八十八ヶ所百八霊場は福岡県の東部を回り、次からは大分県に入る。大分県は中津から佐伯まで14の札所が点在し、内陸の日田にも1ヶ所ある。日田にどのタイミングで行くか、九州をぐるりと回り、再び福岡県に戻った時に行くか。なお、日田に行くなら豪雨災害のため長く不通となり、鉄道での復旧を断念してBRTに転換することになる日田彦山線には乗ってみたい。

まずは中津から宇佐、そして杵築にかけてのルートである。日豊線および国道10号線に沿ったところで、九州西国霊場でも通ったところである。列車とレンタカーの組み合わせもよいし、雪の影響もないだろうから自分の軽自動車で行くのもいいだろう。また、広島から北九州回りで行くのもいいし、途中の徳山と国東半島の竹田津を結ぶ周防灘フェリーを利用する手もある。

そして今回、2月18日の午後出発で、自分の軽自動車で行くことにした。このところよくやる「前泊」である。週末の2日をフルに使えればよいのだが、諸事情で土曜日の午後、あるいは夕方以降に出発して目的地の近くで宿泊、そして翌日の朝から札所めぐりをするものだ。宿泊費はかかるが、翌朝少しはゆっくりできるし、宿泊したことのあるスポットも増える。

18日、午前中に所用を済ませた後の13時半頃に出発。18日から19日の午前中にかけて、九州から中国地方にかけては雨の予報である。廿日市インターから広島岩国道路~山陽道で西に向かう。

下松サービスエリアで1回目の休憩。その後山口県を横断するが、結構強い雨が続く。昨年の夏、クルマで九州八十八ヶ所百八霊場を回った帰りに中国道を走ったが、強い雨の中だったのを覚えている。そのうえで勾配やカーブの多い区間。途中では反対車線で交通事故があり、通行止めになっていた。

壇之浦パーキングエリアにて2回目の休憩。壇之浦パーキングエリアといえば、「水曜どうでしょう」の「サイコロの旅2」の中の「壇ノ浦レポート」を連想する。連夜の深夜バス移動での疲労困憊、そして寒さから来る「ね、ね、寝れないんだよ~」。

壇之浦パーキングエリアは最近リニューアルしたそうで、新しい建物には海峡を眺めるレストラン、そして様々なモノを扱い土産物店がある。今回クルマ移動ということもあり、多少荷物が増えても構わないので関門の名産をいろいろ買い求める。

雨の中だが、展望デッキに出てみる。関門橋を左手に、そして海峡から門司港の街並みを右手に見る。ただこの天候、大願の門司港ですらくっきりとは見えない。

関門橋を渡る。自分のクルマで関門橋を下関側から渡るのは初めて(これまでは関門トンネルばかりだったので)。

しばらく九州道を走り、北九州ジャンクションから東九州道に入る。途中には一般国道自動車専用道路も含まれるが、そのまま大分を経て宮崎の清武まで結ばれている。いずれは日南~志布志~加治木を経て鹿児島まで東回りで結ばれる予定である。

・・ただ、しばらくは4車線だったがすぐに2車線区間、対面通行区間が続く。私はこれが苦手である。一般道ならそれほど気にならないのだが、高速道路の2車線となるとすぐにあおられてしまう。この時もそうだった。一応、制限速度を心持ち上回るペースは維持するのだが・・高速道路だと横に除けようがない。

目的のインターである築城(ついき)で下車する。福岡県東部の平野が広がるところで、この先には航空自衛隊の築城基地もある。なお、築城インターがあるのは築上町(ちくじょうまち)で、平成の大合併の時、築城町と椎田町が合併してできた町名である。

なお、日豊線の駅は築城(ついき)である。小倉までは普通列車で約45分。一つ小倉側の新田原で折り返す列車が結構あるのが惜しいところだ。

在来の国道10号線に出て、この日の宿泊である「ホテルAZ福岡築上」に到着。広島を出発して、途中渋滞もなく、途中2回休憩を入れても3時間半あまりで到着した。翌日は大分県の札所を回るのだが、その手前の地にちょうど夕方に着き、夜はのんびり過ごすことに・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~松江道経由で広島に戻る

2023年02月25日 | 中国四十九薬師

松江駅から広島行きの高速バスに乗車する。結局今回で一気に島根県コンプリートとはならず、次回、米子とのセットで訪ねることにする。この時点で一応予定は組んでおり、その通り行くことができれば、また鉄道旅行の要素が強くなるはずだ。

バスの時間までもう少し時間があれば、高架下の飲食店で軽く一献できたのだが、ちょっと中途半端な時間だったので土産物だけ買い求め、駅横のホール「松江テルサ」のロビーにて寒さをしのぐ。

16時00分発の便は予約時点で結構埋まっており、窓側の席は確保したのだが、発車直前で改めて予約サイトをみるとほぼ満席となっている。4人掛けで隣に相客がいると窮屈に感じるのだが、致し方ない。隣は若い男性で、道中ウトウトしたり、スマホで漫画を見たりしているから特に気をつかうこともなかったのだが。

松江駅を出発し、しばらく宍道湖に沿って走る。こちらからだと夕日の名所・嫁ヶ島を見ることができる。

松江玉造インターから山陰道に入る。この先は広島の西風新都インターまで全高速である。山陰道に入るとすぐに宍道湖サービスエリアがあり、山側からでも宍道湖を見渡すことができる。ここに玉造バス停がある。

木次線をまたぎ、宍道インターの先で松江道に入る。広島と松江を結ぶメインルートであり、高速バスの本数も確保されている。芸備線~木次線の直通急行が走っていたのもずいぶん昔のことである。先ほど、レンタカーで川べりを通って来た斐伊川も渡る。

また、三刀屋木次インターから先は、地域の生活道路の位置づけでもあり無料区間となっている。

ここから山の中に入る。さすがに沿道には雪も残っているが、道路上ではほとんど見当たらない。この日の交通規制がどうだったかはわからず、冬用タイヤでなくても走行できたのかもしれないが、まあ、それは結果論である。以前松江道を高速バスで通った時は雪が多く、タイヤチェックのために途中のインターでいったん降ろされたこともある。また、冬になると全国のどこかで発生する立ち往生も、ノーマルタイヤ車が要因になることも多く、その啓発も進められている。

道の駅たたら場壱番地が島根県最後の停留所で、大万木山トンネルを通って広島県に入る。

三次東で中国道に合流し、江の川パーキングエリアで休憩。ここまで来ればもう安心で、後は少しずつ暗くなる中、広島市街に戻る。

広島バスセンターに到着。時刻は19時すぎ、それほど遅くならないうちに戻ることができた。

さて、中国四十九薬師めぐりは38番まで進み、島根県の1ヶ所、そして鳥取県の10ヶ所に入る。中国観音霊場と比べても、西は米子、伯耆大山から東は八頭町や岩美町まで広がっており、また広島からもっとも遠い県ということでそれなりに回数が重なりそうだ。ただその分、鳥取県のさまざまなスポットも一緒に回るということで・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~第37番「延命寺」(斐伊川に向かう)

2023年02月24日 | 中国四十九薬師

日御碕にある第36番・神宮寺を出て、第37番・延命寺に向かう。途中、出雲大社の西側を通り、正面の勢溜の鳥居を横から見る。好天に恵まれたこともあり、出雲大社にも大勢の人が参詣に訪れており、バス乗り場や周辺の商店にも人の姿が目立つ。

そのまま、正面の参道をクルマで通り抜ける。歩行者も結構車道にはみ出している。

さて、このまま直進すると、かつての国鉄~JR大社線の大社駅がある。せっかくなので大社駅を見ようか。

・・・そう思って角を曲がったのだが、その正面に巨大なフェンスが立ちはだかった。あらあら、どういうことか。

大社駅は2021年2月から2025年12月の予定で保存修理工事が行われているとのこと。これはここに来るまで全く知らなかったことで、改めてネット検索した。総事業費は10億円近くかかるとの記事もあった。駅舎の修理や改装なら全国で行われていることだが、大社駅は廃線となった路線の終着駅で、現役の駅舎ではない。それでも巨額の費用をかけて修理を施すのは、重要文化財に指定されていることもあるが、出雲の人たちにとって大切な、思い出あるスポットであることがうかがえる。また完成の時を楽しみにしよう。

途中、立派な野球場もある浜山公園の中を抜け、国道9号線を渡り、国道184号線を東に向かう。途中、出雲市役所の前を過ぎる。出雲市の駅はもう少し南にある。

斐伊川の右岸に出る。山陰線の踏切を渡り、川に沿って進む。反対側の左岸には県道26号線が走り、三刀屋、木次方面のルートになっている。広島~出雲市間の高速バスもあちらを走る。

細い道が続く右岸のルートは、阿宮という集落に差し掛かる。その中にあるのが延命寺。道の向かいが空き地になっていて、ここが駐車場のようだ。看板には「修験道場」の文字も見える。

延命寺が開かれた時期は定かではないが、遅くとも鎌倉時代後期には建てられていたようで、当初は長福寺という名前だったそうだ。その後、地元の葛西氏の祈願所となり、一時衰退したが、江戸時代に松江の松平氏により修験道場と定めた。後に長福寺から延命寺に名前を改め、現在に至る。

正面の本堂の外側からお勤めとする。

また、境内の反対側に敷地があり、毎年火渡りの護摩供養が行われるそうだ。

離れに納経所の札が出ており、そちらに近づき声をかける前に、住職らしき方が奥から出てきて窓を開ける。中国四十九薬師の書置きの朱印を所望すると、「ご祈祷済ですので」と用紙を差し出される。そちらをいただいた後、住職は本堂のほうに回り、正面の扉を開ける。そして本尊に向かって何やら唱える。おそらく、一人の巡拝者が延命寺を訪ねて薬師如来に祈ったことの念押しということか、代わりに祈っていただいたとか、そういうことだろう。

さてここから松江駅方面に向かうが、ここまで来ると出雲市街には戻らず、そのまま斐伊川をさかのぼったほうが近道のようだ。やがて出雲市から雲南市に入り、松江自動車道の下をくぐり、国道54号線に出る。自分のクルマなら国道54号線でそのまま南に下ればそのまま広島に戻れるのだが、レンタカーのため松江市方面に北上する。

国道9号線に出て、午前中以来の宍道湖に出る。今度は南岸を走る。並走するのは今度は山陰線だ。

このまま、東松江にある第39番の安国寺に行けるかとカーナビで検索したが、レンタカーの返却時間がぎりぎりになりそうとの結果だった。帰りの広島行きバスを後の便にしようかとも思ったが、後の便は通路側しか空いていない。そこまでして遅らせることもないかなと、安国寺は次の機会にして、そのまま松江駅に戻ることにした・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~第36番「神宮寺」(日御碕をめぐる)

2023年02月23日 | 中国四十九薬師

一畑薬師、出雲大社と来て、ここから中国四十九薬師の札所がある日御碕に向かう。札所の名前は神宮寺で、名前からして元々は日御碕神社と神仏習合で一体だった寺だと推察される。

稲佐の浜から日御碕への道は日本海にほど近く、この日は穏やかな眺めが広がる。途中に温泉旅館がある。出雲を回るにあたり、目の前に日本海が広がるこの宿に泊まることも検討した。結局松江駅前の宿泊となったが、こうして現地に来てみると、旅の良い思い出になりそうなところだなと思った。

日御碕が近づくと、神社を遠くに見ることができるスポットがある。入江に面したその境内は、出雲大社とはまた違った存在感である。

まずは神宮寺を目指すとして、日御碕灯台、そして神社への分岐とは反対の方向に進む。神宮寺がすぐそこという案内板が見えたが、寺はあっても境内にクルマは入れないようだ。路肩に停められないこともないが、少し先にコミュニティセンターの敷地が広がる。一応、日御碕への観光客向けにも駐車場として案内しているようなので、そちらに駐車して歩いて戻る。ちょうど窪地に建っているように見える。

境内も実にコンパクト。奥に本堂があるが、曹洞宗の寺院ということで祀られているのは釈迦如来。中国四十九薬師としては、その手前にある小ぢんまりとした薬師堂である。

薬師堂の扉に手を掛けると開いたので中をのぞく。方丈ほどだろうか。この中でお勤めができるようになっている。

寺の言い伝えによると、神宮寺は平安時代、村上天皇の勅願で日御碕神社の境内に伽藍が建てられたのが始まりとされる。その後、江戸時代に火災で焼失したこともあったが、江戸時代末期には早くも廃仏毀釈の声もあり、日御碕神社の境内から離れた現在地に移ったという。もっとも、薬師堂に祀られている薬師如来像が伝教大師作と伝えられていて、日御碕神社の本地仏、そして一畑薬師の姉仏ということから保護されたそうだ。そして明治の廃仏毀釈の時代も乗り越えて、神宮寺として現在に至る。

その神宮寺薬師堂だが、その維持については厳しい状況のようだ。薬師堂の外と中には瓦志納のお願いの張り紙がある。中国四十九薬師霊場会としても何とかしたいところだが、寺としては檀家だけでなく、信者、篤信家からの浄財をもって維持したいという意思を示している。

薬師堂の中に朱印の台紙が置かれている。瓦一枚にもならないが、納経料に少し色をつけて箱に納める。

この神宮寺を踏まえたうえで、日御碕神社に向かう。出雲大社の「祖神(おやがみ)」として崇敬を集めている。日の出を守護するのが伊勢神宮、そして日の入りを守護するのが日御碕神社と言われているそうだ。出雲大社と比べれば知名度は低いだろうが、知る人ぞ知るスポットである。

まずは拝殿にて手を合わせ、境内を一回りする。現在の境内は江戸時代に整備されたものだそうだ。

その中に、昭和天皇の御歌の記念碑がある。島根県で国体が開かれたのに合わせて参拝した時のもので、「秋の果ての碕の浜の みやしろに をろがみ祈る 世のたひらぎを」とある。令和の今も変わらぬ祈り、願いである。

ここまで来たら、日御碕灯台まで行こう。神社を後にして港に向かうと、ウミネコの鳴き声が響く。目の前の経島(ふみしま)はウミネコの繁殖地として知られており、ちょうどこの時季、越冬するウミネコたちが集っている。島の高台に鳥居が見えるが、かつてはここに日御碕神社の下の宮が置かれていたそうだ。

坂道を上り、海の幸を扱う食堂や土産物店の間を抜けると灯台に出る。上がることもできるが、まあ、それは遠慮して、しばらく岩場を散策する。灯台の一帯は遊歩道が整備されている。

さすがは日の入りの名所ということで、展望台もある。季節によって変わる日の入りの場所の案内もある。

松江から始まり、一畑薬師、出雲大社を経て日御碕まで。神仏と自然に触れる一時であった。ここで折り返しとして、今度は出雲市の南にある第37番・延命寺に向かう・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~出雲大社と稲佐の浜(回る順序逆だった・・)

2023年02月21日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりの札所には参加していないが、島根でお薬師さんといえばここは外せないだろうと、勝手に「番外、特別札所」に決めた一畑薬師に参詣した。その後、日御碕にある第36番・神宮寺に向かうのだが、その手前に鎮座するのは出雲大社。さすがに素通りするわけにはいかないだろう。

出雲大社には何回か参拝しているが、クルマで来るのは初めてである。出雲大社の正門であり、記念撮影のスポットでもある二の鳥居(勢溜の大鳥居)の前を過ぎ、道なりに境内の西へと進む。そして駐車場に着き、何とか空きを見つけてクルマを停める。名高い神社だが駐車料金が無料というのが、出雲らしい大らかさを感じさせる。

そしてこの駐車場を出て少し歩くと神楽殿に出る。さらに横に進めばもう拝殿である。一畑電車やバスで訪ねたなら勢溜の大鳥居から参道をてくてく歩き、それはそれで大社への参拝のムードも高まるのだが、駐車場が結構近いのには驚いた。まあ、これでご利益に差があるとは思わないが・・・。

神楽殿といえば、これでもかという大きな注連縄である。長さ約13メートル、重さ約5トンとあるが、これだけの注連縄を作る材料を集めるのも大変だろうなあ。

意外な形で出雲大社の境内に入ったが、せめて「ムスビの御神像」は見ようともう一度外に出る。そして、改めて一応正面から入り、拝殿にて二礼「四拍手」一礼でのお参りとする。

この後、八足門から本殿に向かって手を合わせ、ぐるりと回る。「神有月」に八百万の神が宿舎とする摂末社や、本殿の背後を護るように建つ素鵞社などに手を合わせる。拝殿、本殿の正面から手を合わせてそのまま境内を後にする人が多いのだが、こうして本殿の周りを一通りめぐる人もそれなりにいる。

アラフィフ・・というか、今年ちょうど50歳となる私。いまさら出雲大社に願掛けして「縁結び」・・・というつもりは毛頭なく、長い歴史を持つ神社に手を合わせるだけである。改めて神楽殿に来たが、代々出雲国造の家柄で出雲大社の権宮司を務める千家国麿さんと、高円宮家の典子女王が結婚したのは、出雲と大和の末裔同士ということで注目されたなあと思い出す。

この先札所めぐりが続くが、まだ時間は早いが欠食を防ぐために昼食としよう。ここに来たなら出雲そばだろうと、神楽殿から駐車場に向かうすぐのところにある「松の屋」に入る。

そして割子そばを注文。味は・・・そばの評価というのは私にはわからないのだが、不味くはなかったし、「ここで出雲そばをいただきました」・・と記念になる店といえる。ただ、途中で変化をつけてもよかったかな。

そして、前日の宿泊でもらった「全国旅行支援」の地域クーポンも門前の土産物店の買い物の足しにする。出雲大社の御神酒でもある「八千矛」も買い求める。

・・・さて、出雲大社から改めて日御碕に向かうのだが、まず出雲大社から西に1キロほど向かった突き当りにあるのが稲佐の浜。ここは国譲り、国引きの神話で知られる浜だが、初めて訪ねる。名前は知っていたが、こういうところだったか。

砂浜の前にあるのは弁天島。ここで砂をいただき、出雲大社の素鵞社にてお清めの砂と交換するのが、いつしか出雲大社参拝の一つの作法になったそうだ。八百万の神が神有月に出雲に到着する玄関口が稲佐の浜で、そこから「神迎えの道」を通って出雲大社に赴くのだそうだ。

だとすると、出雲大社に参拝した後に稲佐の浜に着き、そこで砂をいただくというのはまったく逆の行いのようだ・・。まあ、だからといってもう一度出雲大社に引き返すつもりもなく、ここはそういう場所だったのだなと知ることができてよかった・・ということにする。

改めて、この先にある日御碕を目指そう・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~一畑薬師へ(札所ではないが、やはり外せないでしょう)

2023年02月20日 | 中国四十九薬師

2月12日。松江の朝は多少冷え込んでいるものの晴れの天気である。冬の山陰シリーズでこうした天候になるとは思わなかった。

ホテルでの朝食、朝風呂を済ませた後出発する。向かったのは松江駅の北にある日産レンタカー。この日のコースとして、中国四十九薬師めぐりの札所、出雲大社に加えて、一畑薬師も訪ねることにした。それなら一畑電車に乗ればよいことだが、駅からのアクセスの悪さは以前に経験済で、他のスポットと一緒に回るならレンタカーという選択肢となる。乗るのはマーチ。朝8時すぎの出発で、帰りは松江駅16時発の広島行き高速バスを予約している。

まずは宍道湖の北岸に出る。ちょうど公園になっており、朝の散歩を楽しむ人の姿も見られる。路肩に駐車場があり、ちょっと下車して宍道湖畔の景色を眺める。

この後も宍道湖に沿ったドライブが続く。「宍道湖七珍」ということで、昨夜の一献のことなども思い出すのだが、松江近辺といえばどこに行ってもしじみである。ホテルのバイキング形式の朝食の味噌汁もしじみ入りである。飲食店、土産物店でもさまざまな商品があり、ネット通販でも数百グラム単位で販売されている。宍道湖のしじみは全国の出荷量の約4割を占めるというが、宍道湖広しといえども、そこまでしじみがたくさん生息するものかなと思う。

宍道湖、そして一畑電車の線路とは15キロほど並走し、一畑薬師に続く交差点に出る。灯籠をモチーフにした看板もある。松江市街からクルマで来るとこうした景色になるのだな。

そのまま一畑口駅の前を過ぎ、石灯籠から一畑薬師へ続く取付道路に出る。日陰に多少雪が残るくらいで、通行には問題ない。遠くに宍道湖、そしてその対岸を見渡すこともできる。

そして駐車場に到着。朝の9時前ということもあってか、他にはクルマが1台あるだけだ。ともかくお参りをしよう。

参道には「ゲゲゲの鬼太郎」の「目玉おやじ」がモデルとなって仏教の教えを説いた像が並ぶが、その手前に「島根半島四十二浦巡り」という文字の石碑がある。これは初めて見るものだが、昨年(2022年)に除幕されたばかりという。

「島根半島四十二浦巡り」とは、西の出雲大社から東の三保神社までの浦々と神社を巡り歩くもので、江戸時代半ば頃から行われていた信仰習俗である。一畑薬師はその結願の地だという。戦後にいったん廃れたが、2000年代に入り学者や神社関係者の手で復興がなされた。現在では認知度も高まり、島根半島の信仰の歴史とジオパークを体感できるとして、ウォーキングコースも整備されているそうだ。なかなか半島の北部まで行くこともないのだが、四十二浦すべてとはいかなくてもいくつか見てみるのも面白そうだ。

一畑薬師は中国観音霊場の札所として訪ねたことがあるが、あくまで寺の本尊は薬師如来で、島根県、いや中国地方全体で見ても有名なところだが、中国四十九薬師には含まれていない。薬師めぐりのシンボルとなってもおかしくないくらいだが、何か理由があってのことだろうか。

石段を上がり境内に入る。

本堂の前で手を合わせるが、そのままお堂の中に入ることができるようだ。以前は祈祷の最中だったので中に入ることはなかったが、今回は他に参詣の人もなく、扉を開けて中に入る。

内陣、外陣には多くの人形が奉納されている。ひな人形もあればぬいぐるみ、キャラクターの人形も多い。毎年3月8日に人形供養を行うそうで、それに向けての奉納である。

せっかくなので堂内でのお勤めとする。ちょうど貸し出し用の、一畑薬師での経本が置かれていたので広げてみる。唱えるのは「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」という薬師如来の真言と、「南無一畑薬師瑠璃光如来」である。

観音堂に向かう。こちらでは「百八観音霊場」のお砂踏みができる。中国、四国、九州の各観音霊場が合わさったこの霊場、中国に続いて先日九州西国霊場が結願となった。四国が残る形になったが、観音霊場めぐりのために四国に行くことについては今のところ考えていない。四国の札所めぐりとなると四国八十八ヶ所を無視するわけにもいかず、かといって2巡目をやるとなるとまた大変なことになりそうで・・。

納経所に向かう。中国四十九薬師の札所ではないが、ここは番外、特別霊場と自分の中で位置づけて、書き置き式の朱印をいただく。用紙のサイズも違う納経バインダーに最終的に綴るかどうかはまた考えよう。

最後に、薬師堂の井戸で汲んだ御霊水を使った一畑のお茶湯をいただき、寺を後にする。さすがに他の参詣者の姿も見えるようになり、門前の店も開店準備を始めていた。

一畑口の駅前まで戻るとちょうど松江、出雲それぞれに向かう列車が発車するとことで、近くの踏切で出雲大社前行きの通過を待つ。さすがに相手は電車だけに、この後並走しても追いつくのは難しいだろう・・。

しばらく宍道湖沿いに進むがそのうち別れ、平田の町並みを経由して出雲大社へと向かう。何度か参拝しているが、クルマで訪ねるのは初めてである・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~松江にて一献

2023年02月19日 | 中国四十九薬師

2月11日、まずは中国四十九薬師の1ヶ所を回ったところで夕方のチェックインである。 泊まるのはグリーンリッチホテル松江駅前。 このホテルにはかなり前に一度泊まったことがある。

一般タイプのシングルルームに入る。 しばらく部屋で休むことに。

夕方になり、今回は松江駅前で一献とする。 

松江には「宍道湖七珍」というのがある。 それぞれの頭文字を取って「すもうあしこし」(相撲足腰)」と呼ばれる。 「すずき、もろげえび、うなぎ、あまさぎ、しらうお、こい、しじみ」の7つだが、7つ全てを味わうとなると結構値段が張るようだ。それぞれの旬もあるし。この中でもっとも身近に味わえるのはしじみかな。

山陰を中心にチェーンが広がる「炉端かば」もあるのだが、今回は別の店を予約をしていた。「日本海の幸 漁火」である。土曜日の夜ということで満員御礼のようである。カウンターの角の席に通される。

店名に「日本海の幸」とあるように、海の幸はいろいろある。まずはおすすめということで刺身の盛り合わせ、そして赤天を注文。刺身の一品に「琴浦サーモン」というのがある。鳥取県中部の琴浦町で、大山から湧き出る地下水を使って養殖したサーモンだという。

「宍道湖七珍」の代表として、しじみの酒蒸し。二日酔い予防としても重宝されるしじみ、最初から酒と一緒にしてエキスを存分に味わうのもご当地料理である。

一方、山の幸もさまざまある。大山鶏や石見ポーク。また奥出雲はキノコの生産がさかんで、今回は舞茸の天ぷらをいただく。

日本酒もいただこう。島根の地酒も多数揃っている中で選んだのは「李白」。その中の「やまたのおろち」である。「古事記」のヤマタノオロチ退治の話では、スサノオノミコトが8つの酒樽を仕掛け、そこにヤマタノオロチが誘い込まれ、酒を飲んで酔っ払って寝込んだところでスサノオノミコトが斬りつけたとある。後の研究で、ヤマタノオロチに飲ませたのは果実酒ではなかったとか、さまざまなことが言われているが・・。

そして「李白」である。その名は言わずと知れた唐の詩人で、大の酒豪として知られた人物だが、松江の酒にこの詩仙の名をつけたのは、松江出身で二度首相を務めた若槻礼次郎。穏健派として知られる人物だが大の酒好きで、帝国議会での演説時のグラスに入っていたのは水ではなく酒だったとか、後にロンドン軍縮会議に臨んだ時には「李白」の樽を持ち込んで日夜思案していたとか、酒にまつわるエピソードも多い。

その「李白」に合わせるのはするめの麴漬け。これは日本酒によし、ご飯のおともによし。

もう一種、「高正宗」をいただく。隠岐の島の隠岐酒造の一品。隠岐の島か・・・これまで渡ったことがないな。交通の便とか、日程が取りにくいとか何やかんや言っているが、島根県は出雲、石見だけではなく隠岐も一つの国だった。自然、歴史さまざま魅力あるところで、ぜひ一度訪ねなければと改めて思うのであった・・。

本当はもっと他にもいろいろ食べたかったのだが、一人ということで種類は限りがある。少々名残惜しさも感じつつ店を後にする。

ホテルに戻り、大浴場へ。「二股炭酸カルシウム温泉」である。二股とは北海道の十勝にある温泉で、地下から湧き出した温泉石灰華(湯の華)を用いた人工温泉。これはこれで効能あるものだが、今思えば、松江という温泉どころに来たのだから、駅からは多少離れていても、松江温泉を使ったホテルにすればよかったかなと思う。

それはともかくこの日はゆっくり休み、翌日は札所めぐりの続きで、宍道湖の北岸から南岸をぐるり回ることに・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~国宝松江城

2023年02月18日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐり、常栄寺を訪ねた後は国宝松江城である。大手門跡で堀尾吉晴像が指すのが天守閣である。平山城だが、そこまで急な坂や石段があるわけでもなく気軽に訪ねることができる。

そして天守閣の前に出る。その前には武将が一人陣取り、観光客と言葉を交わしたり、記念撮影に応じている。「まつえ若武者隊」の方である。「若武者」にしては風格があるように見えるが・・。

松江城は全国に12ある現存天守の一つである。先般訪ねた姫路城のようは華麗さはないものの、落ち着いたたたずまいである。今回は中に入ってみよう。

松江城を築いたのは堀尾吉晴だが、その後は跡取りがなく改易、京極氏の時代を経て、徳川家康の孫である松平直政が城主となる。以後、松平氏の治世となり、その中には「不昧公」と呼ばれる松平治郷がいる。この「不昧公」という呼び名、私は初めて目にした時「不味公」と見えたものだ。「まずい公」はまずいなあ・・・。

明治となり廃城令が出され、松江城も櫓や門が解体され、天守閣にも売値がついたが、解体を惜しんだ地元の豪農や旧藩士らにより買い戻され、何とか解体を免れた。戦火に遭うこともなく、現在も当時の姿を残している。

松江城が国宝に指定されたのは2015年と最近になってからである。様々な研究の中で江戸時代初期、慶長年間の建造であることが明確になったことと、優れた技法で建造されたことが評価されてのことという。姫路城のように何層にもわたる巨大な柱はないが、2層分の短い通し柱を多用して天守を支える構造である。また、柱の体裁を整える「包板」も多く張られている。

最上階から松江の町並みを見る。宍道湖を見やることもできる。こうした眺めも国宝に指定された一因といえるのではと勝手に思う。

天守閣を出て、城周辺には武家屋敷や小泉八雲の旧邸宅もあるが、そのまま松江駅に戻る。この後で第39番・安国寺に移動しようかとも思ったが、結局翌日以降にするとして、駅近くの「グリーンリッチホテル松江」にチェックイン。しばらく客室にてのんびりと・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~第38番「常栄寺」(松江城下・寺町の札所)

2023年02月17日 | 中国四十九薬師

新山口からの「スーパーおき2号」で松江に到着。この日はまず、札所番号は飛ぶが第38番・常栄寺に行くことにする。

その前に昼食である。この日は松江駅前に宿泊で、夕方の一献の店も予約しているのだが、駅高架下の飲食店街に向かう。こちらでは何軒かの酒場が昼からの通し営業を行っている。その中で入ったのは「庄や」。「大衆酒蔵」の看板が目を引く。この時間帯はランチメニューが主体で、居酒屋メニューは一部のみだが、それでも観光客らしき人が昼から一献傾けている。

こちらでは刺身定食をいただく。そして、浜田の赤天もつける。そして、これから寺参りの前だが、ビール一杯くらいいいでしょう・・・。刺身も何種類もあり、結構いける。

目指す常栄寺は松江駅から徒歩10分とある。場所は寺町という、文字通り寺が並ぶ一帯である。松江城から宍道湖にかかる橋の南側である。松江城と松江の町は江戸時代初めに堀尾吉晴により築かれたが、町割りを行う際、橋の南東側に松江城の出城として寺を集めた。今はコンクリート造りの寺も多いが、各宗派揃っているようである。

その並びに「曹洞宗 常栄寺」の表札がある。曹洞宗といえば「不許葷酒入山門」だが、まあ、ビールの一杯は・・。

常栄寺は元々は室町時代に理光庵という名前で開かれたが、毛利隆元の菩提を弔うため、父の毛利元就が常栄寺として伽藍を建て、隆元の位牌を安置したという。常栄寺という名前は隆元の戒名から取ったそうだ。ただその頃、毛利氏と出雲の尼子氏はまだ戦いの最中ではなかっただろうか。その隆元の位牌が松江の寺にあるのも不思議なものだ。

現在の本堂は江戸時代後期の再建とのこと。扉が開いており、中に入ってのお勤めとする。

書き置きの朱印はなかったので、隣の庫裏のチャイムを押して寺の方に出てきていただく。

これで松江駅に戻り、山陰線で1駅、東松江に行けば第39番の安国寺に行くこともできる。ただ、ここまで来たら橋を渡った先にある国宝松江城にも行ってみよう。安国寺は翌日に出雲市を回った後に時間があれば行くし、今回無理なら次に回してもいいかなというところだった。

寺町を抜けて松江大橋を渡る。宍道湖と中海がつながるところであり、松江城の天然の堀でもある。

堀川めぐりの遊覧船乗り場に出る。この辺りも繁華街で、以前に中国観音霊場めぐり(プラス「WEST EXPRESS銀河」)で松江に泊まった時は、この辺りの店で一献とした。その時はコロナ禍の影響で休業したり、「島根・鳥取県民以外入店お断り」という張り紙の飲食店も目についたが、もう今はそういう対応の店などないだろう。

そして松江城の大手門跡に到着。そして堀尾吉晴が右手で指すその先には・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~「スーパーおき」で里山と日本海の眺望を楽しむ

2023年02月16日 | 中国四十九薬師

広島から松江に向かうのにわざわざ新山口を経由する今回の中国四十九薬師めぐり。まあ、伯備線経由で行くのもわざわざ岡山を経由するわけだから、そこにはほとんど違いはないと言えるが。言えるのは、最短距離で行くなら高速バス一択で、芸備線~木次線で行こうものなら松江に着く前に日が暮れてしまう・・・。

新山口8時53分発の「スーパーおき2号」米子行き。「スーパーおき」といえば、2021年に「西日本どこでもきっぷ」で、「すーぱーおき3号」に鳥取から新山口まで5時間あまり乗り通したことがある。山陰線で鳥取・島根両県を端から端に走り抜け、さすがに乗りごたえがあった。今回はその半分を少し過ぎた距離・時間であるが、山口と松江という2つの県庁所在地を結んでみようと思う。

さて、中国四十九薬師めぐりの札所順なら、まずは第36番の神宮寺を訪ねるところだろう。この神宮寺は出雲の日御碕にあり、路線バスも出ている。ただ、その手前には出雲大社もあり、仮に「スーパーおき2号」を出雲市まで乗ったとして、11日の午後はそこを訪ねて終わりだろう。そこで出雲市で手ごろな宿が取れれば何の問題もなかったが、それに見合ったところはなかった。幸い、松江で手ごろな宿が予約できたのでそのまま松江に向かい、翌日は松江からレンタカーで出雲大社、日御碕を含めて宍道湖周辺を一周することにした。

「スーパーおき2号」は2両編成。指定席と自由席が1両ずつで、幸い、山陰線で日本海側となる窓側の席を確保できた。新山口発車時点で指定席はほぼ満席との案内、自由席のデッキに立つ客もいて盛況である。もっとも、私の横は途中から乗って来るのか空席だった。新山口から山陰線にかけて指定席を取ろうとすると満席だが、内訳を見れば山口線だけ、あるいは山陰線だけ利用する客もいることだろう。

車内には九州言葉も飛び交う。あちらのほうからの観光客のようで、松江・出雲のガイドブックを広げている。九州方面から山陰へは山口線経由が近道だ。

新山口を出発し、13分で湯田温泉に到着。自由席を中心にここで下車する客が意外にも多かった。「特急券をお持ちでないお客様は駅の改札で料金をお支払いください」という案内もあった。新幹線から山口線に乗り継いだが、山口線の特急券を持っていないとか、本数が少ない中たまたま乗ったのが特急だったとか、そういう客が結構いるのだろう。

次の山口に到着(駅名標は「SLやまぐち号」向けに設けられたもので、別に山口が取り残されているわけではない)。ここから、山口線の里山の景色に差し掛かる。宮野から篠目にかけての上り勾配である。「SL(DL)やまぐち号」なら、勾配をクリアする中で煙も勢いよく出るところ、撮影の名スポットが続く。ただそこは気動車特急の「スーパーおき」。多少速度を緩める程度で力強く上っていく。

そして山口線ののどかな景色の中へ。2月11日という時季だが、この週末は山陽側、山陰側いずれも晴天が広がるという。冬の山陰の札所めぐり、以前の中国観音霊場の時は寺に向けて雪中行軍をしたこともあり、よくぞこの日に晴れてくれたとうれしく思うのだった。

船平山を過ぎ、島根県に入る。見えるのは津和野の町並みである。津和野城の石垣、太鼓谷稲成神社、そして石州瓦の町並みが広がり、観光案内も流れる。こちらでの下車客もあった。

ここからが長い島根県である。国道9号線、清流高津川に沿って益田に出て、山陰線に入る。

車内放送でも、この先はスピードが上がる分、揺れが大きくなるので注意するようにとある。山陰線じたいは今やローカル線の扱いとはいえ、さすがに特急の走る区間は路盤も安定しているようだ。果たして、先ほどの山口線よりはスピードも増した。

この先、浜田までの区間は日本海の絶景が楽しめるところ。2月とはいえ、冬型の気圧配置でなければ晴天も広がる。こうした景色を眺めながら行くのなら、わざわざ遠回りした甲斐があったというものだ。

浜田からは、中国地方一周のつなぎである。中国観音霊場の時は江津まで旧三江線の廃線跡をたどりながら出て、国道9号線だった。その時は結構な雨だった。今回は晴れのまま進んでいく。惜しむらくは、今回も石見銀山を含む大田市が素通りとなったこと。当初は、広島から石見銀山を経由して大田市に入ろうというプランも考えてみたのだが、こちらはこちらでまた単独で訪問しなければ・・。

この先もしばらく日本海沿いに走った後、出雲市に到着。中国四十九薬師の札所順ならここで下車して、出雲大社経由で日御碕の神宮寺に行けるのだが、翌12日のお楽しみとする。幸い、翌日も晴れの予報である。

宍道湖に出る。こちらも穏やかな眺めである。

12時35分、松江に到着。広島を出発して4時間半、高速バスよりは時間がかかったが、大回りした割には余分にかかった時間は1時間少しである。新山口まで新幹線で一気に移動したのが大きかったかな。

さてこの後、松江の札所をめぐることにする・・・。

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第23回中国四十九薬師めぐり~目的地は出雲、松江

2023年02月15日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐりはシリーズ第23回。第21回でいったん島根県に入り、浜田、そして邑南町口羽にある第35番・延命寺まで進んだ。そして第22回は後回しにした第33番の円政寺を回り、これで中国地方一周も石見国を終えて、今回は出雲シリーズである。

札所は出雲市に第36番・神宮寺、第37番・延命寺。そして松江市に第38番・常栄寺、第39番・安国寺と2ヶ所ずつある。それぞれ出雲シリーズ、松江シリーズとしてもよいし、一気に4ヶ所回って島根県をコンプリートしてもいい。もっとも、冬ということで、ノーマルタイヤしかない軽自動車での中国山地越えは難しいところだ。かといって春まで待つのも・・。

公共交通機関で行くとして、予定日に充てた2月11日~12日の2日間でどう回るか考えてみる。出雲市駅または松江駅間の高速バスの利用や、特急「やくも」の国鉄型塗装に乗ってみることも考える。ただ、お目当ての「やくも」は早々に指定席が満席になっていた。

ふと、逆に山陰線を西からたどってみようという気になった。中国地方一周は浜田、そして内陸の口羽まで進んでいるが、高速バスや伯備線で行ったのではその間が切れる形になる。山陰線の海の区間も乗ってみたい。

そして現地の出雲、松江の4ヶ所のうち3ヶ所は駅からの徒歩、あるいはバスで訪ねることができるが、第37番の延命寺だけは出雲市から斐伊川を上ったところにあるが、コミュニティバスはあるものの現実には使えない。今回もまたレンタカーの世話になることに・・。

2月11日、「広島市内~松江」の乗車券、新幹線の自由席特急券、そして「新山口~松江」の「スーパーおき2号」の指定席特急券を手に広島7時56分発の「さくら541号」に乗る。指定席、自由席ともにほぼ満席で、次の停車駅・新山口まで自由席の3人掛けの通路側に座る。広島に先に到着し、「さくら541号」を先に通した形の8時00分発「ひかり591号」でも新山口からの「スーパーおき2号」に間に合うのだが、新山口での乗り換えに余裕を持たせるために、混雑する列車に乗った。「ひかり591号」は16両編成、自由席も5両あってガラガラだったのだが・・。

札所順なら出雲から順に進むのだが、今回はまず新山口8時53分発の「スーパーおき2号」で一気に松江に行くことにした。そして出雲の2ヶ所へは、翌12日に松江からレンタカーで訪ねるつもりである。

新山口から松江までは3時間半の行程である。日本海沿いに走ることもあり、ここは(札所めぐりの前だが)飲み鉄もありだろう。構内の売店であれこれ購入し、在来線乗り換え口から山口線のホームに向かう・・・。

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広島新四国八十八ヶ所めぐり~スカイレールに初めて乗車

2023年02月14日 | 広島新四国八十八ヶ所

広島新四国八十八ヶ所めぐりで西条を訪ねた帰途、山陽線の瀬野で下車する。ここに札所があるわけではないが、瀬野で接続している「スカイレールみどり坂線」に乗ってみることにする。隣接するのはみどり口駅である。

スカイレールとは、懸垂式モノレールとロープウェイを合わせたような交通手段で、ここ瀬野で、住宅団地「スカイレールタウンみどり坂」への交通手段として1998年に開通した。一応これも鉄道の一種といえるのだが、前回、今回の広島勤務時を通して乗ったことがなかった。所要時間も5分ほどで、瀬野駅と住宅地を結ぶだけだから、是が非でも乗らなければ・・というほどでもないかなと思っていた。

ところがここに来て、2023年末をもってスカイレールの営業を終了するとの報道が出た。採算面で合わないようで、今後は電気自動車を使った路線バスへの転換を検討しているという。広島の鉄道で「今後のあり方を考える」路線といえば芸備線や福塩線が連想されるが、まさかスカイレールが一足飛びに営業終了、しかも事前の協議もないままとは驚いた。だからというわけではないが、一度どんなものか乗ってみることにした。

ラッシュ時の最短では5分に1本運行されるが、日中は15分に1本。改札口に「ICカードはここにタッチ」とあるが、ICカードといっても手持ちのものは反応しない。どうやらスカイレール専用の定期券はICカード仕様のようだが、持っていないので券売機できっぷを購入する。印字されたQRコードをかざして中に入る。

「撮影マナー」の張り紙がある。営業終了の発表があって以来、ここにも「撮り鉄」が来ているのかもしれない。また、JRや私鉄のように路線が広がっていて不特定多数の人が利用するというよりは、みどり坂の住民の足としての路線であり、より一層周りに配慮してほしいというお願いである。この記事でもこの後いろいろ写真が並ぶが、果たして大丈夫だろうか・・。

ゴンドラは前後に座席が4つずつあり、その間の立ち客も10人乗れるかどうかというくらいのスペースである。学生たちを中心に満員だった。観光地のロープウェイより狭く、ラッシュ時、これ1台で通勤通学客をさばけるのだろうか。

時間となり発車する。路線距離1.3キロの間に160メートル上がるから、結構急勾配で、登山に近い感覚である。途中、カーブを描きつつ、眼下に住宅を見るのもなかなか面白い。ロープウェイと違って、一応上にぶら下がっている形なので風の影響もそれほど受けないそうだ。

途中、みどり中街に停車する。

もう少し進み、終点のみどり中央に到着する。見下ろすと結構上って来たものだと感じる。

駅を出た先も中央にスペースのある道路が続いており、建設当初は延伸も視野にあったのかなと思われる。

少し、駅の周りを散策する。架線下のスペースを利用した公園も整備されているが、特に住宅地に用事があるわけではないので、先ほどの折り返し便の出発、そして次の便が下から上がって来る様子を見た後、そのまま戻ることにする。

下りは親子連れ1組とお年寄り1名で、着席してみる。ちょっとしたアトラクションの気分がする。

そのままみどり口駅から通路を渡って瀬野駅に戻り、すぐやって来た山陽線の列車に乗る。スカイレールと山陽線の組み合わせは悪くない。

さて、スカイレールができた当時は日本唯一の新交通システムで、同じ広島にあるアストラムラインのような本格的な鉄道を造るよりも建設コストが安くついたこともあり、将来各地でこの手の交通システムができることも期待されたことだろう。また住宅地の名前にもあるように、スカイレールがあることで宅地開発が進み、スカイレールがあるから住宅を購入したという方も多かっただろう。

ただ、やはり採算面を問われると・・だろうか。この地区で住宅を構えるなら駐車場つき(何なら2台分)というのも当然で、結局何やかんやでクルマを利用する人も多いだろう。道路のほうは、瀬野の辺りは国道2号線の渋滞スポットだが、東広島バイパスの開通も間近である。ゴンドラ1台の定員が限られているなら、バスでも十分かもしれないし、そのバスも将来的には自動運転も考えられるだろう。

広島でもそれほど大きな話題になっているとは思えないが、営業終了は運営会社が発表したことで決定のようである。その日が近づくと、全国的な話題になるのかな・・・?

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じゃあ、辞めます。人生も

2023年02月13日 | ブログ
今までありがとうございました。さようなら・・・。
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退職するくらいなら

2023年02月13日 | ブログ

自殺したほうが、そのほうが楽だし、他人にも迷惑がかからないし、同情してもらえるし、いいよね。

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