まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

飯田線の鈍行列車と国道を行くマイカーで競争

2010年09月30日 | 旅行記C・関東甲信越

9月20日の9時36分、岡谷の駅前を出発。・・・と早速駅前の交差点で信号に引っかかる。

飯田線の554M列車と豊橋まで競争しようというこのチャレンジ。手持ちの小型時刻表を見ると主な駅の発車時刻は、岡谷9時36分、辰野9時52分、伊那市10時27分、駒ヶ根10時52分、飯田12時03分到着19分発、天竜峡12時49分、中部天竜14時09分、本長篠14時57分、新城15時17分、豊川15時43分、そして終点豊橋が15時54分着というもの。天竜峡まではほぼ飯田線と並走するが、天竜峡から愛知県に入った東栄あたりまでの、ちょうど飯田線の「秘境駅」が並ぶゾーンでは国道は離れる。さてどういうことになるか。途中有料道路は使わず、走行もムチャに飛ばすのではなくあくまで「道路の流れ」に乗ること、途中昼食はちゃんととることというのがルール。

岡谷では多少出遅れたものの、その後の県道は順調に走る。辰野駅近くに差し掛かったところで9時52分と、列車が5分ほど停車するそのすきに追いつく。

Dscn3196_2 ここで初めて飯田線の踏切を渡る。正確に言えば辰野から南が飯田線ということになり、ここからが本当の競争である。

ローカルな区間ともなれば信号の数も減り、また順調に進む。飯田までの伊那谷は中央自動車道も通るルートで、地形から見ても開ける要素というのはある。鉄道ファンならどうしても中央線が走る木曽谷がメインとイメージするのだが・・・。

Dscn3197 伊那市に入る。この辺りから天竜川が近づいてくる。ここで国道から少し脇に入り、伊那市駅へ。せっかくなので駅舎の写真を撮る。ここで10時23分と、列車を4分リードする。

Dscn3198 伊那市の駅前商店街を抜け、そのままの脇道を走る。また線路が近づいてきたなと思ったら、そこは下島駅。ホーム1本切りの小さな駅である。

Dscn3199 ここでカンカンカン・・・という踏切の音。10時32分ということで、ここであの豊橋行きがやってくる。ここはせっかくなので列車の写真を撮ることにする。列車の運転手は、まさかこの男が豊橋まで並走するなどとは思っていないだろう(もっとも、運転手自体飯田辺りで代わるのだろうが)。

さて再び列車が先行することに。中央アルプスと南アルプスを両側に見る駒ヶ根に入る。ただこの辺りは雲が広がっていてアルプスの絶景を見るというまでは行かなかった。大田切駅に列車が停まっているのがチラリと見え、ここでまた逆転である。

Dscn3201 田切駅を過ぎた辺りから交通量も少なくなり、また安定した走りを続ける。この辺りの小さな駅に列車が停まっていく中、信号もほとんどない国道を行くマイカーはほとんど停まらずに走る。ここで少しずつ差を広げることにする。

収穫にはまだ早いリンゴ畑が広がる中を過ぎ、飯田の市街地に入る。20分以上差がついたようだ。ということで、国道沿いのラーメン屋に入って昼食とする。

「飯田線との競争」といえば、飯田市街を舞台にした伊那上郷~飯田~下山村のオメガカーブを列車が進む間に、それを自分の足で走って競争するというのが知られている。元々はマンガで取り上げられたネタだったそうだが、私は旅と鉄道の雑誌でこれあるを知った。この「競争」は結構有名なそうで、ネットを見ていると数多くのチャレンジャーが列車との競争に「勝利」していたり、「探偵ナイトスクープ」(私はこの番組は一切観ないのですが)でも取り上げられたとか。

Dscn3202 そんなチャレンジャーとは全く別な世界のヒマ人の競争。別に勝ったからどうというものではないが、半分を終えたところでマイカーが大きくリードという展開。さてこれからの山岳・秘境駅区間でどのような展開になるか・・・?

コメント

飯田線の鈍行列車と国道を行くマイカーが競争したら・・・

2010年09月27日 | 旅行記C・関東甲信越

話を信州旅行に戻す。

19日はBCリーグの試合観戦後、国道18号線に面したルートインホテルに投宿。ホテル併設の居酒屋「はなの舞」で夕食とする。チェーンの居酒屋ではあるが信州の地酒や地鶏料理などもあり、結構楽しむことができた。

さて翌朝。長野市内は雨の朝。この後の県北の天気予報はあまりよろしくないようだ。実を言えば20日の行程をどうしようか迷っていた。BCリーグの試合ということであれば上越市の高田公園(ちなみに私がBCリーグの試合を初めて観戦したのがこの球場)で前日と攻守ところを変えて新潟対信濃の対戦があるが、天気がよろしくなさそうなのと、試合終了後に北陸自動車道を延々と6~7時間は走らなければならないということでさすがに断念。

ということで南下する。前日は夜だったので見えなかったがホテルの近くは川中島の一大決戦の場で、犀川と千曲川に挟まれた八幡原あたりを走ると気持ちが高ぶる。そういえば昨夜の信越決戦も武田対上杉と擬せないこともないが、長野県の人たちって武田信玄に対してはどのような思いを抱いているのだろうかと思う。少なくとも山梨県と違って、「郷土の英雄」ではないよな。信州の豪族たちをことごとく征服した侵略者に映るのか、そこのところはどうなんだろう。

Dscn3189 長野インターから雨の中勾配を上り、前日通った姨捨サービスエリアを過ぎる。雲のかかった善光寺平もまた風情があるようでよろしい。

そんな天候も山を越えて松本市内に入ると晴れ間も見えてきた。天候の悪いのは日本海側だけだったようだ。結局岡谷インターまで乗る。

Dscn3190 そこでやってきたのはJR岡谷駅。中央線と飯田線が出会う(飯田線の境目は2つ先の辰野であるが)ジャンクションである。時刻は9時半。

ここの駅に降り立ったのはあることをするため。この後関西に向かって帰るわけだが、ただ帰るのでは面白くないと、ある「競争」をすることにしたのだ。それは、「豊橋まで走る飯田線の列車と、国道を行くマイカーではどちらが早く着くか」というもの。

今年の夏休みの旅行で上諏訪から豊橋まで飯田線を通しで走る544Mというのに通しで乗車したが、その折に「これだったら、クルマで走るのとどっちが速いかわからないな」という感想を持った。ならば実際にそれを実験してみよう。本来は列車の始発である上諏訪まで行くのが筋だろうが、そこはまあ、飯田線の区間ということで岡谷を出発点とすることにした。

Dscn3192 544Mは岡谷発9時36分、終点の豊橋には15時54分に到着する。一方のクルマは国道153号線~151号線を軸とするようだ。カーナビの到着予想時刻では16時25分ということで断然飯田線有利。ただ途中でショートカットするところもあるし、カーナビの予想時刻は途中で早まることもあるので、どっちがどうなんだか。

Dscn3194 岡谷駅前の送迎用駐車場にクルマを入れ、自由通路の跨線橋へ。ここで、上諏訪からやってきた544Mの姿を捉える。夏に乗ったのと同じ、海坊主のような前面を持つ313系の3両編成である。

さて、6時間を超える競争の行方は? 9時36分、岡谷駅前を出発である・・・・。

コメント

初秋のゴルフで爽快に

2010年09月26日 | ブログ

26日、元々は京セラドーム大阪でのオリックス・バファローズ対千葉ロッテマリーンズの対戦を観に行こうと思っていたのだが、そこに入ってきたのは職場同僚からの「ゴルフに行かないか」とのお誘い。かねてから一度お手合わせをという話のあった取引先の人も交えて、とはいうものの接待ゴルフだのコンペだのという改まったものではなく、あくまで1組だけ、プライベートで回ろうというもの。

そして訪れたのは奈良市郊外の某カントリークラブ。天候もよく、風も心地よい。少し前まで猛暑だったのが嘘のような高原ムードである。

それにふさわしくフェアウェイもたっぷりと取られており、ここまで幅が広ければいかに私といえどもOBを気にせず打つことができる。500ヤード越えのロングホールというのに、ティーグラウンドからグリーンがほぼ一直線に見えるというところもある。池や谷といったハザードもほとんどない。初心者でも思い切ってプレーすることができるのではないか。

ただここまで広かったからかえって力んでしまってミスショットが出たりするのがゴルフの難しいものである。私を誘ってくれた方も特に後半はスコアメイクに苦しんだりした。

そんな中、パーティーの4人では最下位となったが、これまで何度かラウンドに出た中では最もよいスコアが出た。そりゃ、普通ならOBとなるところがフェアウェイに乗ってしまうからといってしまえばそうだが、ゴルフはパットも含めてのことなので素直によしとしていいだろう。

次は11月、今度は職場と取引先が集まってのコンペである。前回は全体の最下位だったので今度は順位を少しでも上げないとな・・・・。

コメント

姨捨駅に行ってみよう

2010年09月25日 | 旅行記C・関東甲信越

さて下の記事では木曽は赤沢自然休養林を走る森林鉄道の話をした。その後は旧中仙道の国道19号線を走る。途中、木曽義仲の出身地とされる日義にある道の駅で昼食として(「日義」という名前は、「朝日将軍・木曽義仲」から取ったとか)、結局宿場町には立ち寄ることなく塩尻にやってくる。

おそらくこの先、松本市内あたりでの渋滞も予想されるし、今回は松本市街は通り抜けるだけなのでここから長野自動車道に乗る。進行左側には北アルプスの山々が見える・・・はずだがあいにくと雲が広がっていて思うような景色を眺めることはできない。もっともハンドルを握っていたのではゆっくり写真など撮ることはできないのだが。

さてここまで遅ればせながらも順調に来たようである。ここでどこかに立ち寄ってもいいかなと思いふと思いついたのは、姨捨駅から善光寺平を見物するというもの。ここは「日本三大車窓」の一つにも数えられており、また姨捨駅近くの棚田というのは「田毎の月」ということで「月見の名所」としても知られている。2年前の秋には夜の姨捨を訪れ、駅ではなく姨捨サービスエリアから善光寺平の夜景を眺める機会があった。さすがに月夜・・・とはいかなかったが。

Dscn2975 姨捨駅にクルマで乗り付けるには、カーナビでは南からでは麻績インター下車で峠越え、もしくは善光寺平に降り立った更埴インターから坂道を登るよう示される。しかしここで裏ワザが。姨捨サービスエリアにクルマをつける。

ここで一度善光寺平を眺めた後、ここで高速を降りる。正規のインターチェンジではないが、ETC搭載車を対象としたスマート出口というのがあり、売店の横から抜けられるようになっているのだ(長野方面は出口専用、松本方面は入口専用)。

何が起こったのかという感じでカーナビもオロオロとする中で細道を下り、あっという間に姨捨駅構内の線路が見えてきた。カーナビの裏をかく、鵯越の坂落しのような運転に(大げさか)高笑い。

Dscn2976 こうしてやってきた姨捨駅。瀟洒な建物だが無人駅だったと記憶しているが、この日来てみると内装がやけにきれいになっていた。どうやら観光案内の拠点としてボランティアの係の方がいらっしゃるようで、執務スペースも休憩室として開放されていた。

Dscn2985 またホームにも変わったところが、ホームの一部を善光寺平のほうに少し広げ、展望スペースになっている。ここに立てば善光寺平もスイッチバックの線路もよく見える。先ほどのサービスエリアと比べて高度は低いものの、駅からだと建物の障害物も邪魔にならず、逆にくっきりと眺望を楽しむことができる。結構多くの人がホームにいるが、列車に乗るという出で立ちの人はほとんどおらず、多くがクルマでやってきて立ち寄り、棚田のあぜ道も散策するというところだろうか。

Dscn2978 頃合はちょうど棚田の収穫シーズン。鮮やかな黄金色に育った稲がまさに刈り取られる時期。今年は全国的な猛暑ではあったが、水の確保さえきちんとできれば稲の生育にとってはよかったということだろうが。野菜の高騰は伝えられたがコメの凶作については報道されてなかったからそういうことかな。

Dscn2991Dscn2992 しばし眺めるうちに長野行きの列車がやってきた。姨捨駅に少し停車し、すぐに逆走して待避線へ。そしてまた進行方向を戻して、姨捨駅の横の線路を走る。棚田と列車。一足早い秋の車窓風景である。

Dscn2980まあ、列車に乗らずして列車の風情を語るなどというのは特に原理主義的な「その筋」の方から見れば言語道断の所業で、いつ駅のホームで線路に突き飛ばされてもおかしくないのだが、やはり絵になる景色というのはよろしいものである。まあ、時間を作って立ち寄ったということで許してくださいな。

Dscn2996 この後は善光寺平までの勾配を一気に下り、千曲川に近く、川中島合戦の行われた八幡原にも近い長野オリンピックスタジアムでの「信越対決」の観戦に臨んだ・・・。(続く)

コメント

木曽の赤沢森林鉄道

2010年09月24日 | 旅行記C・関東甲信越

先の連休の「無茶ぶり」についてしばらくおつきあいのほどを。

19日は夜に長野オリンピックスタジアムでのBCリーグ観戦に出向いたが、それまでの間、あちこち途中に立ち寄りをしながら出かけようという計画であった。連休中は高速道路の渋滞も予想されており、またいくつか訪れればいいなとザックリとイメージしていたのだが、そのためにはやはり早朝の4時には尼崎を出たいなと。

・・・しかしながら起床したのは、朝の5時。完全に寝坊した。いや世間一般から見れば(特に日曜日の朝ということを見れば)十分早いと思うが、普段仕事の日でも5時半には起きているから、ちょっといただけない。仕度朝食の後出発したのは朝の6時。

一時の猛暑から比べれば涼しく感じる中、名神高速を東へ。小牧から中央自動車道に入る。土岐あたりで混雑する。何でまたこんなところで、と思う。

9時すぎに中津川インターで下車。ここから、国道19号線、かつての中仙道に沿って走る。左手に木曽川の流れを見る。少し脇道に入れば妻籠、馬籠という有名な宿場町があるが今回は脇目もふらずにひたすら走ることに。

Dscn2917上松から枝道に入る。これから向かうのは木曽の国有林の中にある赤沢自然休養林である。ただ道が細くなるにつれ、クルマの隊列が長くなる。その先頭には関西ナンバーの観光バス。いいのか、こういう細いところに乗り入れちゃって。途中少し道が広くなったところで観光バスは左に寄り後続車を通す。

Dscn2919 そしてやってきた赤沢自然休養林。ここは一般の観光名所としても今や有名となった森林鉄道が動態保存されている。運行を開始したのが1987年のことで、鉄道や旅の雑誌やネットでも数多く取り上げられているが、私は訪れるのは初めて。

Dscn2924 木曽の山中というところからして、元々は木材運搬を中心とした林業のための鉄道である。人員の輸送はあくまで林業に携わる人たちのためであったが、現在はその歴史を伝えることと、木曽での森林浴を楽しむ観光客のために運転されている。

Dscn2925Dscn2923 森林鉄道記念館では大正時代に導入されたSLボールドウィン号や今上天皇が皇太子時代に視察のために乗車されたという客車などが保存されている。こうして見ると実に軽便鉄道やなあ。鉄道模型のミニレイアウトで小型のSLや客車、貨車で軽便鉄道の風情を再現するのを見るが、まさにそのまま目の前にあるという感じ。

Dscn2930 次の出発は11時。先ほど追い越した観光バスからの客もやってくる。定員100人とあるが結構盛況である。係の人の説明では、往復乗車するか、帰りは歩くか(帰りのみの乗車はできない)のいずれかを選ぶことになるという。歩くといっても1キロほどで、おまけにバリアフリー対応をしているために遊歩道は勾配もほとんどなく楽に歩けるそうだ。

Dscn2935 さてディーゼル機関車に引っ張られた客車がやってくる。機関車と向かい合う最前列に陣取り、森林鉄道の出発である。

Dscn2941Dscn2942 時速10キロくらいだろうか、別に速く走る必要もなく森林の中をゆっくりと走る。

Dscn2946連休中ということで結構多くの人が森林浴と散策を楽しんでいる。川べりにこしかけて弁当を食べている人も。うーん、こういうことなら昼食がてらコンビニでおにぎりでも買ってくればよかったなあ。

Dscn2952 10分ほどで終点の丸山渡に到着。ただその10分というのは結構濃い時間のように思えた。現在はこうして自然と触れ合うスポットとして多くの人が訪れるようになったが、森林鉄道を単なるアトラクションとして見るのではなく、林業の歴史、産業の歴史の一つの生きた教材として、昔の過酷な林業の労働に思いを馳せることも必要だろう。

Dscn2956 さて復路はせっかくなので歩いて戻ることにする。乗ってきた客の多くは同じように歩いて折り返すようで、観光バスの団体さんもぞろぞろと歩き出す。

Dscn2958Dscn2962 歩く中、あれくらいゆっくりならば途中のどこかで走行シーンを撮影できると思い、適当な場所を探す。そして汽笛を鳴らしてやってきた森林鉄道。なかなかお目にかかれないシーンである。

Dscn2966 そしてまた歩くうち、今度は再び折り返し便としてやってきた列車に出会う。こちらも盛況である。こういう鉄道は乗るのももちろん楽しいが、外からその姿を見るのもよい。往復の少しの時間でその両方を味わえるのは面白い。果たして森林鉄道は盛況で、案内放送によれば一部の便は団体客で満杯、一般客は後続の便への乗車になるとのことだった。

Dscn2970 しばらくせせらぎとも触れ合ってみる。この時は日が差すとまだ暑いなと思わせる天気だったので、こうやって涼を取るのもよいものだ。昼食でもと思って売店をのぞくがやはりこういうところの値段は高く、食事は後に持ち越し。うーん、やはり途中で弁当でも買ってくればよかったかな。

これで今回の「BCリーグ観戦旅行」のオプションの一つを楽しむことができた。ただ時間的には正午を回っており、この後は長野まで延々と向かうことになりそうである。木曽福島や奈良井といった宿場町に立ち寄ろうということで早起きをしたかったのだが、どうも時間的にそういうわけにはいかなくなったようだ。やはり2時間の寝坊は痛い。やれやれ・・・。(続く)

コメント

野球知識検定を受験@大阪

2010年09月23日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

本日23日は「野球知識検定」の大阪開催日。8月にツィッター上でこういう検定があるのを知り、申し込んだ次第。この手の趣味に絡んだ検定を受験するのは昨年限りとなった「時刻表検定試験」以来のことである。

Dscn3266 今年が第1回となるこの検定、すでに今月11日には東京・千葉、20日には東京・福岡、そして本日が名古屋・大阪での開催となる。おそらく受験者のブログ記事なんてのも結構出ているのではないだろうか。

さて大阪会場は地下鉄本町駅すぐの大阪開館。雨の降る中150人くらいはいただろうか、20~50代くらいの男性が多かったが、後でわかったところでは最年少は8歳の男の子、最年長は78歳。女性も10数名参加。

Dscn3267 この検定は事前に「公式問題集」が発売されており、問題はその中から100問出される。70%以上正解で6級、90%以上正解で5級が認定される。私も事前に購入して目を通したのだが、野球のルールに関すること、プロ野球の選手名、記録、歴史、エピソードなど結構幅が広い。また高校野球や社会人野球、少年野球に独立リーグにメジャーリーグなど、NPB以外の問題も結構あり、文字通り「野球」に関する知識を問う検定となっている。

Dscn3268 そしてもう一つのこの検定の「売り」が、現在は試合興行を休止しているプロ野球マスターズリーグでも活動しているNPBのOBたちが「監督官」を務めるというもの。この大阪会場に姿を見せたのは、長池徳士、村田辰美、南牟礼豊蔵、山崎慎太郎、野田浩司の5氏。ホームページでは今月初めに告知されていたようだが当日初めて参加者を知った私は「おおっ」とうなる。いずれも阪急、近鉄、オリックスと在阪パ・リーグ球団で活躍した経験の方たちばかりで、パのファンとしてはうれしい限り。

まあ「監督官」といっても実際の問題配布や受験票のチェックは事務局の方が行い、OB5氏は前の机に座ってのゲスト出演である。ただ同じように問題用紙をもらって回答していたように見えた。

試験時間50分で100問。結構ハードなようだがそれこそ「知っているか知らないか」を問われる内容なのでサクサクと進む。中には公式問題集そのものの形式では出題されなかったが、問題集の間のコラムの記事から出題されたものもある。やはり教科書は隅から隅まで見ておかないとね。ただ若い世代の人たちにとっては昭和のプロ野球など遠い昔のことで、「勉強」も結構いったんではないかな。

Dscn3273 試験終了後は「監督官」たちとのトークショー。参加者からの質問に答えるというもので、現役時代の思い出や裏話などを結構笑いも入れながら話してくれる。特に南牟礼氏などは選手時代もムードメーカー的なところもあったせいか笑いも多かった。

中で「おっ」と思ったのが、「長池さんに質問します」ということで出た質問。1978年の日本シリーズ、ヤクルト・大杉のホームランをめぐる阪急・上田監督の抗議について、「あの時の采配や抗議について、選手としてどう見られてましたか」というもの。

Dscn3271 そこでの長池氏の答えは「第4戦のヒルトンの逆転ホームランが伏線にあった」というもの。阪急の2勝1敗で迎えた第4戦、8回まで5対4と阪急リード。最終回、阪急の先発今井雄太郎がランナーを許し、打者にヒルトンを迎える。ブルペンには山田久志が準備していつでもいける状態だった。ここで上田監督がマウンドへ。通常の上田采配なら、「下手投げの山田をヒルトンは打てない」と見てここで交代である。山田もそのつもりでマウンドに向かおうとした。

ところがここで上田監督が発したのは「今井、行けるか?」という言葉。

長池氏は「ピッチャーの心理として、監督に『行けるか?』と聞かれれば『もうダメです』とは言えないでしょ?」と他の村田氏、山崎氏、野田氏に振る。3人とも「そりゃ、『まだ行けます』と言いますよ」と答える。

ここで上田監督は情を出して今井を続投させ、それがヒルトンの逆転本塁打につながる。これでシリーズの流れが変わり、そして第7戦で後がなくなってのあの抗議につながったのだと。

「だから、非情な人が情を出しちゃったところがね」と長池氏が結ぶ。ただどうだろう、何事も非情で行くのが成功への道なのか、それでも情が出てしまうのが人間の難しさ、面白さというものだろうか。ビジネスでも同じようなことは言えないだろうか。そんなことを私の中でもいろいろ思い巡らせる。OBのナマの声というのは結構重いなあ。

ただそんな私の思いも「お時間の都合なので最後の質問で」という司会の声に張り切って手を挙げたおっちゃんの「今年は阪神と中日のどっちが優勝しますか?」という質問にガクっときてしまった。・・・・おいおい、もう今さらそんなことを、何もこの場で聞かんでもええやろ・・・。

Dscn3275果たして「もう中日でしょう」「今日(23日)の試合で負けたら阪神はだめでしょう」という答えが並ぶ。その中でやはり一味違う長池氏。「勝負というのは、最後にゲタをはくまでわからないんです。全部終わったらわかるでしょう」・・・なるほど。

Dscn3278 そしてこの後は5氏のサインボールが当たるクイズやジャンケン大会。そこで「本日女性の参加者の方」「最年長の方」などのお題があり、上記の参加者層の中身がわかった。ここでのクイズが結構難しく、おそらく今後の上級となればこの手の問題が結構出てくるんだろうなあ。

残念ながらサインボールが当たることはなかったが、検定終了後に残っていた5氏一人一人から公式問題集にサインをいただいた。いやこれだけでも記念に残る。最初は4000円の受験料、1500円の問題集は「高い」と思っていたが、OBと触れ合ったりマスターズリーグ復活への一助となるということであればこんなものかなという気になった。

結果は10月下旬に合格であれば認定証と共に送られてくる。今後上級試験の予定もあるとかで、次はどんな「監督官」が登場するのかも合わせて楽しみ。他地区への「遠征」も考えてもいいかな・・・・。

コメント

いったい何が起こったのか?

2010年09月22日 | ブログ

先の連休、18日は所用をすませた後にお出かけを・・・と思っていたのだが肝心なものを忘れたりなんかしたりして結局一日の予定が大幅に変更。続く19日はクルマで信州に出かけ、先の記事の通りにBCリーグの試合を観戦したのだが、これも当初の予定より2時間の寝坊で思ったほどの予定が消化できず。そして20日は一日がかりで尼崎まで帰還。

問題は翌日の21日。朝起きた時から身体にだるさを感じていたのだが、まあこれは連休の疲れかということで通常に出勤。ただ午前中に事務所であれこれと仕事をこなすうちにだんだんとだるさがひどくなり、関節の痛み、そして腹痛を覚えてトイレに何度も通う。身体も熱くなってきたようだ。昼の休憩時間も食事をせずに横になったのだが気分がましになるどころかよりひどくなってきたので結局やむを得ず早退を申し出る。

そして帰宅して検温したのだが、何とそこで38.6度を記録。うーん。

近所のコンビニで水、お茶、そしてサプリメントなど買い込み、ここは籠城戦とする。夏ではあるが押入れから毛布を引っ張り出し、そこに潜り込むというもの。

その後はどうだろう、大相撲の生中継を見たような気もするし、会社から携帯にメールが来たので返信もしたようだ。モノマネの番組もやっていたっけな・・・。その合間にもトイレには通っていたし、検温しても体温は最高で39度まで行ったような。何だかもうろうとして何が何だかよくわからない。

そして22日の朝。汗ぐっしょりになって目が覚めて検温すると37度まで下がる。これなら何とかなるかと出勤。仕事をするうちに気分も元通りになり(結局食事は21日の昼、夜、22日の朝、昼と取ることはなかったが)、午後には平熱に戻った。

それにしても1日の間で体温が2度5分も上がって下がるというのはどういうことだろうか。急激に高熱を発するのもどうかと思うが、病院にも行かず、解熱剤も飲まずに一晩寝るだけで元に戻るというのも・・・。

職場の人は「知恵熱やろ」「一連の採用活動の疲れが出たのでは」「ストレス溜ってんのとちがう?」「夏バテ」「月曜日症候群ってあるよね(実際は火曜日ですが)」などといろんな説を出していたが、どれも当たっているようで、その一方で自分ではやはり連休中の無茶な行動がツケになって出たのではないかとも思う。後者が原因ということであれば「社会人として自己管理がなっていない」と言われても仕方ないだろう。要反省。

自分の場合時折バカみたいに急な高熱を発し、一晩ひたすら眠るとストンと下がるということがたまにある。今回の場合、連休中に口にしたもので食中毒やアレルギーを引き起こすものはなかったはずなので、やはり季節の変わり目や何かあった時の身体の反応など、体質的なものがあるのか。どうも不思議な気がする。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉にもあるように、明日秋分の日を境にどうも気温も下がってくるようである。急に寒さを感じることもあるだろう。そんな時に体調不良を訴えないように管理をきちんとせねば・・・と思うのであった。

・・・で、その「連休中の無茶ぶり」についてはまた稿を新たにすることに。

コメント

「応援團」のパワーはすげえや・・・信濃猛打で爆勝!~BCリーグ観戦記@長野オリスタ

2010年09月20日 | プロ野球(独立リーグほか)

パ・リーグの優勝争い、CS進出争いも9月に入りますます激化。福岡ではソフトバンクと西武の直接対戦で西武が一気に優勝を決めるかという一方で、札幌では3位入りをかけて日本ハムとオリックス・バファローズが4連戦を消化、ロッテも鬼門・仙台での順位キープを目指す戦い。ただそれがより19日の結果にて余計に混戦となった。

さて、そんな一方で私はといえば・・・19日の夕方に長野のオリンピックスタジアムに現れる。

Dscn2997 こちらも後期日程が終盤となったBCリーグ。前期に2試合観戦したが後期はまだということもあるし、日程・場所的に手ごろに思えたこの日の信濃グランセローズ対新潟アルビレックスBCとの対戦にかけつける。上信越地区で2位新潟、3位信濃とい順位であるが、前後期とも群馬ダイヤモンドペガサスの地区優勝が近い中、年間成績による地区のプレーオフへの進出権をかけての対戦が続く。

Dscn2999 さてこの日は15時40分頃にオリンピックスタジアムに到着。ネット裏のチケットを買い求める。この日はネット裏エリア指定のチケットを購入した人にはおまけで生ビール1杯の引換券がついてくるという企画をやっていたのだが、さすがにクルマでの来場、涙をのんで(?)それは辞退する・・・。

その一方で、「オリスタでキャッチボール、芝生でのゴロ寝に参加してみませんか?」というアナウンスを聴く。よくこの手の企画だと「小学生とその保護者限定」というものだが、訊いてみると私のような「おひとりさま」観戦客でも誰でもOKだそうな。グラウンドの中に入るという経験はそうあるものではなく、引率のスタッフについて一塁側関係者入り口へ。

Dscn3003 そしてやってきましたオリンピックスタジアムの外野。

Dscn3006 この球場は人口芝を使っているが、最近主流の軟らかいタイプの人工芝を使っており、ふみ心地は非常によい。キャッチボールする子どもたちを気遣いながらフィールドを歩いてみる。いややはり、気持ちええもんですよ。特に開放的な屋外球場だし。さすがにゴロ寝はしませんでしたが・・・。

Dscn3016 時間的に両チームのメンバーが発表される頃。すると信濃のメンバー発表の時にグラウンドに現れたのは学ラン姿のバンカラ応援団。最初スタンドで見た時は地元のどこかの学校の応援団が来ていたのかと思ったが、彼らは「我武者羅応援團」という、何だろう、芸人ではないな、応援パフォーマンス集団というのか、そのメンバー6人が文字通り「応援」にかけつけたのだ。

Dscn3023 私たちがフィールドにいる間に彼らの試合前のパフォーマンスが披露され、結構近いところで、昔ながらの応援団の姿を楽しませてもらった。いや~面白い。

Dscn3032 またこの試合は坂城町の後援ということで、地元名産のねずみ大根などをPRすることも。我武者羅応援団の諸君も東京農大よろしくねずみ大根の張子を持っての応援を披露する。いいなあ、こういう硬派の応援団(だからパフォーマンス集団として興行が成り立つのだろうが)。

Dscn3056 さて試合。信濃ナインが守備につく際には我武者羅応援團の諸君とハイタッチ。がぜん気合が入る。

Dscn3085Dscn3068 信濃先発がここまでチームの勝ち頭・杉山、新潟が間曽(まそ)。

Dscn3076 試合は早くも初回から動く。1回裏信濃の攻撃、先頭の今村の四球、2番・脇田の2塁打などで一死満塁のチャンス。ここで5番に入っている信濃のプレーイングコーチで元オリックス・楽天の竜太郎がタイムリーを放ち1点先制。しかし後が続かず惜しい展開。

Dscn3097 ただ、この日は信濃のファンの他に強力な我武者羅応援團がついていた。配布されたパンフレットによれば、我武者羅応援團は信濃の試合イベントでやってきたが、その日の諏訪での試合、降水確率80%の予報を跳ね返して試合決行、そして信濃はサヨナラ勝ち、おまけにチーム6連勝のきっかけになったという、信濃にとって恐ろしいジンクスの持ち主という。

Dscn3106 3回裏、先頭の脇田が途中自打球を足に当てながらも耐えてヒットで出塁。その後一死1・3塁として再び竜太郎。おっつけたような打撃だが打球はグングン伸びて右中間スタンドへ。これで4対0と突き放す。その後も9番・田中の二塁打で追加点を奪い、この回打者10人を送り込む猛攻で5対0とする。

Dscn3127直後の4回表に新潟も清野の犠牲フライで1点を返すが、信濃の攻撃はこれにとどまらない。続く4回裏も一死満塁のチャンスをつくり、7番・市川、8番・友哉の連続二塁打、田中の犠牲フライで一挙5点追加。10対1となった。

Dscn3108う~ん、これも応援団のなせる技かな。2イニング連続しての打者一巡の猛攻って、そう見られるものではないぞ。

Dscn3137 また我武者羅応援團はイニング合間のパフォーマンスで「一塁ベース」や「審判団」「グラウンド整備の裏方さん」などにもきちんとエールを送り、こりゃもう気合入らないほうがおかしいってなもんである。

Dscn3141 一方の新潟、このままやられっぱなしというのも面白くない。6回、チームの4番でプレーイングコーチでもある元広島の青木が一振り。打球はバックスクリーン横に飛び込む3ランとなり、10対4と盛り返す。三塁側に数少ないながらかけつけた新潟ファンが沸いた瞬間。

Dscn3153 ただこの辺りで両チームの攻撃もおとなしくなったようである。信濃は7回まで投げた杉山の後を受け、8回からは抑えの飯田にスイッチ。新潟も終盤粘りを見せるものの得点には至らず、結局10対4で信濃の勝利となった。

Dscn3184Dscn3171 ヒーローインタビューには3ランを含む4安打の竜太郎をはじめ、勝利投手の杉山、2打点の市川、友哉、そして佐野監督が呼ばれる。この日の結果を受けて信濃にも上記の変則的な形ではあるが地区優勝チャンピオンシップへの出場の可能性が出たようで、各選手からも「絶対にあきらめない」との力強い言葉があった。

逆に後期優勝を狙う新潟としては前日に続いての痛い連敗。果たしてこれからどうなるのだろうか。巻き返しにも期待したいところである・・・。

コメント

白鵬54連勝

2010年09月18日 | ブログ

久しぶりに大相撲のことを書くような気がする。

秋場所7日目、ここまで連勝を伸ばしてきた横綱・白鵬が稀勢の里を破って54連勝。これで昭和最後の大横綱・千代の富士の53連勝を抜く連勝記録で、後は双葉山の69連勝を目指すのみとなった。このことについては素直に素晴らしいことだと思う。

双葉山の69連勝については書籍や映像で見ただけなので何とも言えないが、千代の富士の53連勝はテレビで観ていたのを覚えている。連勝記録が止まったのは当時ダメ横綱のレッテルを貼られていた大乃国(現・スイーツ親方)。「千代の富士危ない!」という実況とともに、大乃国が巨体を生かして千代の富士を吹っ飛ばした。昭和63年の九州場所、翌年の1月に昭和天皇崩御があったことで、結果的に「昭和最後の一番」ともなった。

また双葉山の時は、当時番付上位に多数の力士がいた出羽海一門が、インテリ力士・笠置山を中心として「一門の総力を結集して」打倒・双葉山に燃え、新鋭の刺客として送り込んだ(?)安芸ノ海が双葉山を倒した。

しかるに、現在の白鵬の場合はどうだろうか。「この力士なら番狂わせでもやってくれそうだ」と期待できる力士はいないし、かつての出羽海一門のように何か「総力を結集して」白鵬を倒そうという意気込みを持つ一門や部屋がない。朝青龍ならまだ対抗できたが、そういうのもいない。これなら69連勝は軽く超えるのではないかと思うが、果たしてその中での連勝記録というのは、記録としては素晴らしいが記憶に残るものだろうか。

果たして誰が白鵬の連勝を止めるか。私としては日馬富士あたりが曲者の技を見せてくれ、最後は投げの打ち合いで・・・・と思うのだがどうだろうか?

コメント

旭川駅に名前を刻むプロジェクト

2010年09月16日 | 旅行記A・北海道

今年の10月10日、北海道の旭川駅が新たに高架駅として生まれ変わることになった。

そして、その記念事業の一環として「旭川駅に名前を刻むプロジェクト」というものが立ち上がり、このたびの新駅舎の完成を記念して「登録証」が送られてきた。

・・・・実をいうと、この私も一口2000円のこのプロジェクトに参加していたのである。

Dscn5843 話は昨年の12月。これまで続けてきた国鉄~JRの乗りつぶしであるが、その全線乗りつぶしを達成したのが、この旭川駅でのことであった(最終区間は函館線の深川~旭川。夜中に通過した区間はカウントしないという自己ルールによりそうなった)。ちなみにブログでの記事はこちら

達成後、「この駅でJR完乗を果たした記念を残したい」と思っていたのだが、インターネットでこのプロジェクトの存在を知った。北海道の人でなくても応募できるとのことで、JR完乗記念に永く名前が残るのもいいかなということで応募する。その時に頭に浮かんだフレーズは「旭川"スタルヒン"球場」。

Dscn29161そのプロジェクトの「登録証」がこちら。きちんと私の登録番号と名前が記載されている。これだけ長いこと鉄道旅行を趣味にしていて、公の場で名前が出るというのは初めてのこと。いや実にいい思い出になる。

そうすれば一刻も早く自分で見たいというのが人情だろうが、さすがに開業日である10月10日には行けない。早くとも寒くなってからになるだろうが、見てみたいものである。この冬の楽しみにとっておこうかな・・・?

もしこのブログを読んでいらっしゃる方で「ここにあったよ!」と本人より先に発見した方いらっしゃれば、ぜひ。

コメント

『イルカを食べちゃダメですか?』

2010年09月15日 | ブログ

今年話題となった映画が「THE COVE」。イルカの追い込み漁の様子を追いかけた「ドキュメンタリー映画」ということだが、その撮影手法、取り扱うテーマとその主張についてさまざまな物議を醸し、混乱を避けて上映を中止した映画館も出たという一連のニュースは記憶に新しい。・・・とはいうものの、映画自体は観たことないんだけどなあ・・・。

Dscn2229 そのイルカ追い込み漁の舞台としてクローズアップされたのが、「くじらの町」として知られる和歌山の太地町である。

クジラ料理については捕鯨問題にそれなりの興味を持つ者として、例えば旅先であるとか、町の居酒屋でもクジラ料理があれば必ずといっても注文しているし、関西はクジラが身近な食材なのか、近所のスーパーでも比較的容易にクジラの刺身が手に入る。ただ、イルカとなるとどうしても水族館でショーをやる、どちらかといえば「愛玩動物」の部類に入るかなと思う。

イルカについてはそんなイメージを持つ人も多いだろうし、「イルカを食べる」といえば日本人でも抵抗を示す人が結構多いのではないだろうか。ただこれが、くじらの町である太地では昔から自然に食されてきた食材である。

7ns_32450565 『イルカを食べちゃダメですか? 科学者の追い込み漁体験記』(関口雄祐著 光文社新書)は、太地でのイルカ追い込み漁を追いかけた科学者のルポである。元々はイルカの行動学の研究目的で水産庁の調査員として太地にやってきたのが、イルカの漁師と接するうちに生活の中にイルカやクジラがある彼らの生き方に共感し、太地という町にハマっていく中で見聞きしたことを著したものである。

Dscn2209 太地はクジラやイルカのいる町として町の観光資源となっているし、実は私もこの8月15日、盆休みではなく普通の日曜日の休みを利用して猛暑の中、クルマで太地を訪れた。そこで「くじらの博物館」や南氷洋の捕鯨船を見学し、クジラ料理満載の「くじら御膳」をいただいたりした。味は・・・・刺身の盛り合わせが冷凍庫からそのまま出してきたような感じで、本場にしてはもう少し調理のしようがあるのではないかというものだったが、まあクジラの町でクジラ料理を食べられたのはそれなりに意味があったと思う(土産は大和煮の缶詰)。ただ、イルカはメニューになかったな・・・。

Dscn2199 そんな中だが、博物館を見ても今ひとつ昨今の捕鯨問題についての強いメッセージが伝わってこなかったように思う。イルカやクジラのショー目当ての家族連れが多い感じで、捕鯨の歴史のコーナーを見物していた人はほとんどいなかった。何だか消化不良の感じがしたのを覚えている(同じ太地にある、「落合博満野球記念館」のほうが私にはインパクトがあった)。

その太地の人たちのメッセージや生き方というのを、おそらく外部出身だからこそさまざまな観点で捉えることができたのだろう。本書では役所の出すような「正史」的な書物にはないナマの歴史を感じ取ることができる。太地の人たちのメッセージをわかりやすく代弁してくれているような。

もちろんイルカ漁や捕鯨問題における西洋諸国からのバッシングについても触れている。昨今の反捕鯨団体の暴力的な行動にもきっぱり反対の立場だ。ただその一方で、こと捕鯨になるとやけにナショナリズムになりがちな向きについても一定の抑えを効かせている。そのことがよく現われているなと思ったのが次の一節。

「コトバにこだわると、『日本には捕鯨文化がある』と『捕鯨は日本の文化である』との違いは大きい。(中略)多くの国に捕鯨をする文化があり、日本にもある。これが正しい。『捕鯨は日本の文化』とするのは、捕鯨は日本を代表する文化、あるいは日本固有の文化としたい思惑があるように感じる」

捕鯨に関する国際会議での日本の主張というのは、『捕鯨は日本の文化である』というトーンで行われているのではないだろうか。捕鯨を大切にしたいということはアピールすべきだし、強く主張しなければならないのはわかるが、これが逆の意味で他の国の態度を硬化させているのかもしれない。

Dscn2228 ここは原点に立ち返り、捕鯨という、人間の営みの中で行われてきたものに対してそれを最低限の枠内で保護するとか、それぞれ異なるバージョンの文化を継承していこうとかいうトーンで語ることも必要ではないだろうか。でなければ、いつまで経っても解決策が見つからないのでは。

うーん、太地に行くならせめてこの一冊を読んでから出かければよかったかな。また、「くじらの博物館」をはじめ、観光客にも気軽に手にできるように並べてほしいところ。

一度、イルカを食べてみたいものだ。どんな味なんだろうか。

コメント

選挙って・・・・?

2010年09月14日 | ブログ

まあ、ベターな選択ではなかったんでしょうか。

本日投開票された民主党代表選挙で菅首相が小沢氏を引き離して代表に再選ということになった。選挙戦当初は小沢氏が国会議員票で圧倒的有利、もし小沢氏が首相になれば「日本はアメリカの51番目の州から、中国の20何番目かの省になりさがってしまうのでは」と勝手に思っていたのだが、それがギリギリのところで回避された形でほっとしている。

それにしてもこの1ヶ月あまりの政治空白というのは残念なことで、新内閣にはこの空白を取り返す、本当にこの国をよくする覚悟を決めてほしい。代表選挙にエントリーする資格のなかった一国民としてはそれを願うことしかできない。

さて、ネット記事を見ていると「裏切り者探し」というのが行われているとか。

国会議員の投票は〇をつける方式ではなく記名方式。このため、「菅」ならくさかんむりの横棒を引く、「小沢」なら「小」の字の縦棒を引くのが最初の書き順。その時の手の動きをビデオなどで分析することで「どちらに投票したか」がわかるとか。これで、小沢陣営、菅陣営とも「裏切り者」を探すとか探さないとか、論功行賞が行われるとか行われないとか・・・。

この記事を見て一瞬「大相撲の理事選挙の話か」と思った。今年の理事選挙で大方の予想を覆して貴乃花親方が当選したが、その後であの手この手で「裏切り者探し」が行われ、当時の安治川親方が一時は退職届を書かされるという事態にまでなった。

選挙でより多くの支持者を集めようと動くのは当然だろう。ただやはり最後は投票する人自身が自分の考えにもとづいて(それは打算的なものも多分にあるだろうが)自分の意思で投票するのが選挙というものではないだろうか。それを裏切り者探しするとか、マスコミなどが怪しげな議員の投票行動を読むとかいうのは余計なお世話であろう。

「大相撲は時代を映す鏡である」という持論からすれば、やはり理事選挙でやっていること(やっていたこと)というのは日本の政治、社会がムラ社会でしかないことの表れかもしれない。それだけ日本の政治が古臭い感じがするわけだが、一方で何の縁もゆかりもない外国人にまで投票を認め、日本のリーダーが外国人によって選ばれるという事態も、日本の国技において外国人力士が上位の番付を占めているのに似た違和感を覚える。本当にどうなるんだろう、日本の政治と大相撲。

本当、飽きられる、呆れられるようなことだけはやめてくださいよ・・・・。

コメント

181系「はまかぜ」は11月6日限り

2010年09月12日 | ブログ

「その筋」の人にとってはもう既知のニュースなんでしょうが・・・。

来年の春で国鉄型気動車特急181系が「はまかぜ」の運用から外れ、第一線を退くことになった。それあるを見越して今年の冬に「はまかぜ」で山陰のカニを食べに行こうと動いたり(結局瞬殺で満席だったようで「北近畿」での往復となったのだが)したものだ。

ふとネットでJR西日本のニュース記事を見ると、「特急はまかぜ新型車両展示会のお知らせ」とあった。するとその中で「新型車両は11月7日日曜日から運転」とある。

するってえと裏を返せば、現在の車両は11月6日限りでおしまいということ。あらあら、来年の春ではなかったんかいな。

Dscn2200 その後いろいろと調べたところ、当初は「この冬のかにシーズンが最後」としていたのが、新型車両の完成が早くなったのだろう、それで「この冬のかにシーズンから新型」としたようだ。11月6日~7日というのはちょうど松葉がにの解禁の時期。ということは6日に「最終日」の181系で城崎や香住に向かい、7日に「初日」の新型車両で帰ってくる1泊旅行も可能。旅行会社ならばこういう「おいしい」パックツアーを組んでくることだろう。

まあ最終日や初日に無理にでかけなくてもいいが、そうとなれば最後にもう一度乗っておきたいなと思う。こういうのを「葬式鉄」というが、古きよき時代の姿を惜しむというのはありだと思う。

ということでターゲットは10月の連休。10月11日の朝に鳥取を出てくる「はまかぜ2号」で、4時間の通し乗車を行う予定。今のところ指定席はまだ空きがあるようだが、当日は混雑するんだろうな・・・。

ぜひとも鳥取の「居酒屋駅弁」も味わいたいところである。こうなれば「はまかぜ」に乗りに行くのか、鳥取に飲みに行くのかよくわからなくなるが・・・。

(写真は2009年夏乗車時のもの)

コメント

国鉄スワローズ1950-1964 400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団

2010年09月10日 | ブログ

先月に紀伊国屋書店の鉄道書コーナーをのぞいたところ、その前面にあったのが「国鉄スワローズ」の文字。

交通新聞社の新書シリーズは鉄道の技術面、文化面など一風変わった側面から鉄道のことを取り上げておりこれまでに何冊か購入したのだが、ここに来て「国鉄スワローズ」か。鉄道に興味があり、また一方でプロ野球ファンとなればこれは即決で「買い」である。

41xc5sv77hl__ss500_ プロ野球の歴史の中での「国鉄」の位置づけは、まさしくこのサブタイトルにあるような「愛すべき万年Bクラス球団」である。その後サンケイ、アトムズなどを経て現在の東京ヤクルトスワローズに通じるわけだが、こう書けばヤクルトファンには失礼かもしれないが、どこか弱弱しい感じだがさわやかで、シャープな野球・・・それが伝統のチームカラーかな。

本書は「全国の国鉄職員の士気高揚」として国鉄球団が設立された経緯、資金面に余裕のない中での選手獲得に始まり、歴代選手の活躍や素顔についてまとめたもの。これまでプロ野球の各球団をテーマにした書物はたくさんあるが、「国鉄」について、その本局の動きを絡めて取り上げた作品というのは滅多にない。

合間には引用史料として「国鉄スポーツ」なる新聞が登場したり、球団の全試合の結果や各年度の在籍メンバーの一覧までを紹介したのは資料的な価値がある。これらの球場名を見ると、かつては本当にさまざまな地方、球場で試合をしていたことがわかる。逆に現在の球場がフランチャイズ制や「地域密着経営」が定着しすぎて、本拠地の固定された球場でしかほとんど試合をしなくなったのは惜しまれる。ドサ回りではないが、もっとさまざまな球場で興行を行えばいいと思うのだけど(あ、それは球場めぐりのファンの思いでしかないか)。

「国鉄」といえばもう一つの特徴が、「金田正一のチーム」であること。球団創立のシーズン途中で入団していきなり8勝、その後国鉄で354勝を挙げることになる。シーズンの勝ち星の半分近くが金田だった年もあり。

その金田は国鉄球団の最終年、産経新聞に経営を譲渡した1964年限りで退団するのだが、本書の取材では「ホンマにいい球団だったのよ。弱かったけどな。国鉄総裁をはじめ本社の幹部も、現場の職員も、労働組合も、国鉄一家あげて応援してくれた。温かい球団だった」と振り返っている。自分は「国鉄の金田」という思いが今でも強いのだろう。

ちなみにこの1964年というのは東海道新幹線が開業した年。それと同時に国鉄が初めて赤字に転落した年。そして国鉄スワローズが消滅した年。その意味で鉄道にとっての転換点となった年と言えるだろう。

その金田の言葉通り、国鉄のファンというのは弱かったけどこのチームを「オレのチーム」として応援していたのだと思う。著者は「真面目な人の多い鉄道マンらしい」と表現していたが、そうさせるものがあるのだろうか。じゃあ私鉄はどうなんだか。

一方ではもう一つの国鉄野球として、各鉄道管理局から現在はJRの社会人野球につながる野球部の歴史についても触れている。

JRの野球部といえば昨今めざましい活躍を見せるのがJR九州。厳しい練習で知られる吉田監督の下、昨年の日本選手権では優勝、そして今年の都市対抗野球ではあと一歩のところで東芝に涙を呑んだが見事に準優勝。悲願の黒獅子旗を獲る日もそう遠くないであろう。私個人としては社会人野球に毎年顔を出している企業に所属しているために表立った応援はできないが、何とか栄冠をものにしてほしいと思う。

そしてもう一人、NPBで「日本一」を目指す元国鉄マンがいる。ロッテの西村監督である。鹿児島鉄道管理局の出身で(鹿児島駅の駅員さんをやっていたそうな)、ロッテ一筋で今年からはとうとう監督に就任、開幕から好調を維持して終盤までAクラスと、チームの立て直しに成功したのは周知のとおり。こちらも、私個人としてはオリックス・・・・まあ、いいか。

そんな歴史を追いかけた著者である、堤哲・毎日新聞編集員は最後にこう結ぶ。「日本野球史上、国鉄ほど愚直に野球を愛した会社はない」・・・・。

「愚直」。かつての「国鉄」にはこういう言葉が似合っていたかもしれないな。

鉄道ファンにも、野球ファンにもぜひ「歴史」を感じてほしい一冊である。

コメント

乗って楽しむ飯田線・2

2010年09月09日 | 旅行記D・東海北陸

上諏訪から豊橋まで走る飯田線の旅。飯田から後半戦となる。

Dscn2742 「鼎」という、何とも据わりのよさそうな名前の駅を過ぎ、飯田の町も少しずつ遠ざかる。ただそれでもまだ「長野県」である。北部の妙高だの飯山、野沢温泉だのから見て、長野県はどんだけ広いんやというところ。

Dscn2745 12時48分、天竜峡に到着。天竜川下りの玄関駅ということもあり、ハイカー姿の人たちを含め結構下車する人が多い。やはりこの猛暑の中、川下りに涼を求めようというところか。途中下車して天竜川と楽しむのもありかなと思ったが、今回は乗り通しのためにパス。

Dscn2748 さてここからが飯田線の見所である、天竜川の眺めがよい区間である。もちろん厳しい地形の中を行く。川と並走する分トンネルも多くなってきた。幸い私の座っていた進行右側に流れが広がるので座って眺める分には申し分ないが、反対側の乗客も身を乗り出したり、あるいはこちら側の扉のところまで来てその景色を楽しむ。

Dscn2757_2 この区間はいわゆる「秘境駅」の多いところ。まずはその一番手で、崖にへばりつくように造られた田本に到着。ここで下車する、いかにも「秘境駅にあこがれてやってきました」という出で立ちの女性が一人。「ここは秘境駅だよ」といって周りの客も落ち着かない。

Dscn2768_2 そして一番の賑わいを見せたのは、長野、静岡、愛知の県境に接するところにある小和田。かつては、現在の皇太子妃の旧姓と同じ名前ということで人気だったのが、このところはここも「秘境駅」としての人気である。

Dscn2770 ホームに着くと乗客の多くがドアに群がり、その駅を一目見よう、カメラに収めようと必死である。またここで下車する人、ここから乗車する人もおり、昨今の「秘境駅」は結構な賑わいである。前回飯田線に乗車した数年前まではこのようなことなどなく、やはり昨今の鉄道ブームとやらである。

・・・個人的な思いとしては、「秘境駅」という言葉を世に広め、自身はサラリーマンの身でありながら「秘境駅」で巨万の富を得ている(まさに「鉄道バブル」ですな)U氏の存在というのは功罪相半ばだと思う。そのせいで「何もない駅」が観光スポットとして旅行者で賑わい、ごく普通に存在する、一般の方が見て「何もない」と思う程度の駅はその筋から「こんなの秘境じゃな~い!」とソッポを向かれ、ごく普通のローカル線は「何の特徴もない三流路線」ということになった。これってどうなんだろう。鉄道旅行って、それでいいのか??・・・まあ、ええんでしょうな。

・・・かくいう私も小和田に到着した時にドアのボタンを押して開けて駅ホームの様子をカメラに収めている、U氏の商法に乗せられたただのおっさん。人のことが言えず余計にイヤになってくる・・・・。

Dscn2777 さて渓谷の区間を終えて中部天竜到着。少し前まで「佐久間レールパーク」という鉄道についての博物館があったところ。JR東海が名古屋に新たな博物館を造るということからの措置であるが、果たしてどんなものが出来上がるかが楽しみだ。また殺人的に混雑するんだろうが・・・。

愛知県に入り少しずつ平野が開けてきた。駅ごとにぽつぽつと乗車があり、3両の列車はいつしか名古屋近郊の路線と変わらないような近郊ムードの車内・客層となった。残り時間が少なくなり、そろそろお疲れ気分。ちなみに私の後ろと、通路を挟んで斜め後ろのカップルは岡谷からずっと乗りとおしてきたクチである。本当にお疲れ様。・・・あ、2人でいる時間がそれだけ長くなったからいいのか。

飯田線の各駅停車といえども、豊橋を前にして名鉄との共用線路となった下地、船町は通過。こだわりのある人はここに停車する区間列車を選ぶのだろうが、ここまでくればもうどうでもいい。

15時54分、豊橋到着。何はともあれ、伊那谷を走り抜けてきた列車にお疲れ様である。ここからは東海道線で大垣、米原と経由して関西に戻ることに。あとは太いレールに乗るだけなので、長い長い関東~信州への鉄道旅行ももう終わりのカウントダウンである。長い旅の余韻をかみしめながら西へと帰途に着くのであった・・・・。(終わり!)

(余禄)実をいえば、プランニングの段階である「冒険」をしようかと思っていた。15時54分に豊橋に到着した後、ダッシュで改札を抜け、コンコースから連絡通路を渡り16時ちょうどの豊橋鉄道三河田原行きに乗るというもの。これで田原まで行き、バスに乗り換えて伊良湖岬到着。ここから7分連絡で最終の伊勢湾フェリーで鳥羽まで渡り・・・・。見事に変化にとんだ、どこまでも「往路」という旅の最後である。現在は無事回避されたが、少し前までは「廃止」が決まっていた航路で、惜別の意味もある。

ただ現地にやってきて、「5分の接続で別の建物から出る電車にドタバタして乗るのもイヤやな」と思い、結局このプランは実行しなかった。後は、実際のところ間に合うものなのか。もしそのあたりの情報ご存知、あるいは体験済みの方がいらっしゃればぜひご助言を・・・。

コメント