12月19日、思わぬところで東京五輪の聖火と対面することがあったので、記事が長くなった。改めて、三次もののけミュージアムに入館する。
三次もののけミュージアムは、正式には「湯本豪一記念日本妖怪博物館」という、おどろおどろしい名称である。日本妖怪博物館はともかく、湯本豪一というのはどんな人なのか。今もご健在の民俗学者にして、妖怪研究家という。妖怪に関するさまざまな史料の蒐集を行っていて、そのコレクションは5000点を超えるという。これを三次市に寄贈することになり、妖怪の博物館が誕生した。
妖怪、お化け関連といえば同じ中国地方の境港にある水木しげる記念館が人気だが、あちらが水木しげるの劇画によってさまざまな妖怪が紹介されているのに対して、三次もののけミュージアムは、江戸時代以降を中心に、人々の暮らしの中で描かれてきた当時の姿を史料として紹介しているのが特徴である。もののけミュージアムの紹介文によると、古来人間は、自然現象による災害や疫病など人知を超えた現象を「もののけ(妖怪)」に由来するものとして、畏れ、時には敬いながら共存してきたとある。単に怖がるというより、ある種「神」のような存在と言ってもいいだろう。
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まずいろいろと出てくるのが「百鬼夜行」。深夜に徘徊する鬼や妖怪の群れのことで、古くは平安時代の説話集にも出てくる。それがさまざまな絵巻物で表現されている。妖怪の列伝といったところで、現在にも伝わるものも多い。
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他には、饅頭のような形の頭を持つ「人面」や、ユーモラスに造られた妖怪たちの根付もある。根付も精巧に造られていて、中には手足が動いたり、目が飛び出したりするからくりを仕込んだものもある。
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また、妖怪を立体的に表すものも。
もっと古い時代のものなら、源頼光とそれに従った「四天王」たちが酒呑童子や土蜘蛛、鵺を退治したとか、妖怪を題材にした作品は数多く残されている。
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そうした妖怪も、人々は全く拒絶したわけではなく、何やかんやで日常の中で受け入れてきた長い歴史がある。さまざまな形で残されていたり、衣装や娯楽に登場させるのもその一面である。
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また企画展では、京都にある国際日本文化研究センター(日文研)が所蔵する妖怪関連の史料も数多く紹介されている。
その中の一つに「諸病諸薬の戦い」という、江戸後期の錦絵がある。文字通り、さまざまな薬たちが力を合わせて、妖怪の姿に描かれた諸病を退治するというものである。正に現在のコロナ禍の状況である。現在なので、電子顕微鏡に映し出されたあの丸型のウイルスのニュース画像が流れるが、一昔前までは病の正体は得体が知れない、正に妖怪、もののけのようだというのが普通だったことだろう。
さて、企画展とは見学順が逆になるが、三次が「もののけ」の地としてPRするようになったのは、別に多くの史料を寄贈した湯本豪一氏が三次の出身だからということではない。そこには「稲生物怪録」という、江戸時代に書かれた妖怪物語の存在がある。
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今から270年ほど前の江戸時代中期、三次の町内に当時16歳の稲生平太郎という人物がいた。そのもとに突如怪物姿の魔王が現れる。それから1ヶ月ほどの間、平太郎はさまざまな妖怪によって脅かし続けられるが最後まで耐え抜いた。平太郎は成人後に稲生武太夫という広島藩の武士になるのだが、その時の体験談を聞いた同僚の柏生甫という人が書いたのが「稲生物怪録」である。それが内容の奇抜さから多くの文人たちの興味を引き付け、絵巻物になり、江戸時代の国学者である平田篤胤もこれを広めた。時代が下るにつれてさまざまに脚色され、講談や小説、漫画の題材にもなった。水木しげるも「稲生物怪録」をテーマにした作品を描いている。これも一つの民俗学の流れといっていいだろう。
それにしても、妖怪が次々に平太郎のもとに現れたのはなぜだろう。連日次から次へと奇怪な現象が起こるというのは一体・・? それに耐え抜いた平太郎という人物も大したものである。もののけならぬ、もののふである。
ただ、ここまで多くの妖怪が登場しているとはいえ、昨今の怪談やホラー作品のように誰かを呪い殺すとか、怨霊がどうだとかというのとはちょっと違うようにも思う。この違いも時代によるものかな。
展示室を後にした売店で、現代の小説家であり妖怪研究者の一人である京極夏彦氏の訳による「稲生物怪録」の文庫本(角川ソフィア文庫)が売られていたので購入した。「遠野物語」とはまた違った世界が広がるのだろう。これから読んでみることにする。
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この後は三次のかつての商業町エリアを歩く。観光客を意識してか道に石畳を敷き詰めたり、これは古くから残る卯建の家々が並ぶ。この辺りはかつて江の川の水運で栄え、備後の小京都とも称されるところである。三次人形を店頭に飾る店も見かける。
これでかつての五日市地区を出て、巴橋を渡って十日町地区に入る。そろそろ昼食の時間である。
この日のお目当ての一つとして、三次では「ワニ」を食べようと思っていた。ご存知の方も多いと思うが、ここでいう「ワニ」とは、アリゲーターでもクロコダイルでもなく、サメの一種、ワニザメのことである。「古事記」で因幡の白ウサギが毛をむしられたとか、先般訪ねた中国観音霊場の鰐淵寺では寺の縁起として仏具を咥えて淵から上がったとか、山陰には「ワニ」に関する伝承が残る。
その昔、山間部では魚は貴重なもので、その中にあってワニの身は腐りにくいために重宝された。現在では魚の保存技術や流通ルートも整っているので、中国山地の真ん中でも漁港直送の新鮮な魚が手に入るが、ワニも郷土料理として残されている。ただ、三次といえどもワニが食べられる店は限られていて、三次駅から東に10分ほど行ったところにある郷土料理店に行くつもりにしていた。以前の広島勤務時も、ワニは食べることがなかった。
歩く最中、ネットでの紹介記事を思い出すと「スーパーにも並ぶ」とある。三次駅まで戻り、その郷土料理店に行くまでに、中国地方に広がるイズミのゆめマートがある。地元の大手スーパーなら鮮魚コーナーに並んでいるかもしれない。試しにのぞいてみよう。
大勢の買い物客で賑わう食品コーナーに入り、鮮魚コーナーに行くと、果たして「ワニ」の刺身が他の切り身に交じって普通に置かれていた。一応「地元名物」というポップも置かれていたが、ラベルに書かれていたのは「静岡産」。静岡から三次まで輸送するコストも結構かかるのではと思うが。
・・・ふと、これからわざわざ郷土料理店に行かずとも、サクではなく切られて売られているので、これを買って食ってしまえばよいのでは・・?という気持ちが沸いてきた。値段も料理店より安いし(おそらく、そうした料理店でもワニそのものは山陰ではなく他の地区から運ばれたものだろう)・・。バーターではないが、他の食材と一緒にカゴに入れてレジで精算する。
この買い物では箸と醤油がつかなかったのだが、そこは一計を案じる。同じフロアにフードコートがあり、そこのテーブルで飲食ができる。一角のセルフうどん店でうどんと天ぷらを買い、天ぷらの皿にちょっと多めに醤油をかける。この醤油でワニの刺身の醤油もまかなう。何だかやってることがセコイが、そこはフードコートでの飲食の延長ということで・・。
はい、先ほどビールも一緒に買ったので、三次のフードコートでワニを肴に昼飲み・・・という、旅の恥は何とやらという形になった。
その中でいただいたワニだが、まあ、赤身と白身の中間のような味である。決して不味くはないのだが、ではこれが毎日の食卓に上るとなると・・ちょっと勘弁してほしいなというくらいの位置づけである。中国地方の山間にやって来て、郷土の味としていただくというのがちょうどいい付き合い方だろう。
今回は機会がなかったが、ワニ料理ということで、店によってはワニのフライとか、ワニバーガーとか、アレンジした一品が置かれているとのこと。また一方、私としては、サメのほうのワニはクリアしたので、今後機会があれば、アリゲーター、クロコダイルのほうのワニもいただいてみたい。あちらはもっと肉の食感がするのだろう。ネット通販ではそっちのワニ肉を扱う店もあるのだが、試すにはちょっと勇気がいるかな・・。
次に乗る福塩線の列車までは時間もあるし、こうしたショッピングセンターなので人の目もそれほど気にならない。昼食後もしばらくこの建屋内でブラブラしたので、長い待ち時間も何とかクリアすることができた。
少し時間に余裕がある中で、そろそろ駅に戻ることにする。三次はまた機会があれば、夜の部込みで訪ねたい(芸備線で帰れる距離にはある)ところである・・・。