まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

佐渡金山は産業遺産

2010年07月30日 | 旅行記C・関東甲信越

少し更新を休んだ後の佐渡旅行記再開。

小木からレンタカーを走らせること約1時間、やってきたのはかつての佐渡の中心地・相川。カーナビの進路は相川の市街地に入るまでに山のほうにショートカットする道を選ぶ。

Dscn1407 やってきたのはまだ新しい木の感じがする佐渡奉行所。江戸当時の建物を復元して観光客に開放している。最盛期にはこの金山の辺りに5万人の人口を抱えていたというが、その支配の拠点がこの奉行所である。玄関から入り、詰所やら役所など数々の部屋(といっても襖で仕切られているのだが)を回る。広すぎて迷うくらいである。島にこれだけの武家の役所があったとは、「佐渡に島流し」のイメージとは大いに異なるところ。

Dscn1410 敷地内には勝場(せりば)という、鉱石を粉々にして漉して、金銀を含む砂を取り出すという工程が行われた場所も復元されており、当時の道具も再現されて体験学習棟のようなつくりになっている。係の人がグループ客に作業の様子を道具を使いながら説明していた。

Dscn1416 さて、ここから坂道を2キロほど上ると、佐渡で一番の観光地・佐渡金山である。これまでは駐車場もガラガラで停めるのも苦労しなかったが、さすがにここではクルマの数も観光バスの数も多い。

ここで鉱山見学ということになるのだが、2つのコースがあるという。一つが江戸時代の宗太夫坑、そしてもう一つが明治時代の道遊坑である。確か前回入ったのは宗太夫坑だったと思うが、一般観光客、そして時間のない客にはこちらがお勧め、道遊坑は時間のある客向けという案内がある。一般に観光バスなどでやってくる客は、江戸時代の風情を残し案内もしっかりしている前者だけを見るようだ。

Dscn1426 私もここに来るまでは道遊坑の存在を知らなかったのだが、近代産業の遺産としての佐渡金山が見られるというのであればここは多少時間を使っても見学しようという気になる。結局両方の坑道に入る共通券を買い求め、まずは宗太夫坑へ。外は太陽が照りつけて暑いが、坑道は気温が一定に保たれており急に涼しく感じる。

Dscn1427 江戸時代のこととて、もちろん手掘りである。それでも地中の奥深く、時には「たぬき掘」という、たぬきくらいしか通れない幅の坑道も脇にあり、その様子を再現した人形たちが風情を今に伝えてくれる。ここで多くの無宿人が連れてこられて労働に従事したというが、その頃から「佐渡へ島流し」というイメージができたのだろうか。

Dscn1437坑道で涼み、地上の資料館も見学。採掘された後の金の精錬、最後の小判作りまでの工程がジオラマで再現されており、金、金とありがたみを感じる。

Dscn1447 慶長の大判を初めとした大判小判を見ると知らず知らずの間に口元もゆるむようだ。

ここでは重さ12.5kgの金塊を直径15cmほどの穴から見事取り出してみよう、というチャレンジコーナーがあり、見学客たちが挑戦していた。この穴の大きさが曲者で、男性だと金塊を何とかつかんでもそこから抜け出せないとか、女性だと手はスッポリ入るが金塊を持ち上げられないとか・・・。

Dscn1445 ここで一人の女性が健闘。何と両手が穴に入り、そこから何とか金塊を取り出そうと持ち上げてみるが、おしいところで力尽きた。過去にここから金塊を取り出した人はいるんだろうか・・・?

Dscn1451 さて、一旦外にでてまた坑道の入口へ。今度は明治の道遊坑に入る。・・・とこちらは一転して見学客もほとんどいない。最近になって開放された坑道ということもあるし、佐渡金山といえば江戸時代でおしまいというイメージも手伝っているのかもしれない。

Dscn1455 ただパンフレットによれば、佐渡金山というのは1989年、平成元年まで現役の鉱山として採掘が行われており、全採掘量78トンのうち明治以降が37トンということで、年度あたりの採掘量から見れば明治以降のほうが断然多いということになる。

Dscn1461_7 やはり明治以降の富国強兵策の中で、通貨においても金本位制を取って諸外国とも対等に渡り合えるようにということでさまざまな技術が投入された。坑道にはトロッコも走っていたようである。

Dscn1414 その採掘のすさまじさを示すのが「道遊の割戸」である。こうして山の下から眺める分にはちょうど山の真ん中を勝ち割ったように見えるが、これを手掘りでやったのだから江戸時代の人たちの執念のすさまじさを物語っている。

Dscn1463 ただ、今回私にとっての新たな発見がその割戸の根の部分。道遊坑を抜けると、そこにたどる遊歩道を歩いてたどり着ける。これがパックリと大穴が開いている。この大穴の部分は近代化以降、地下からどんどん採掘を行ったために陥没したという。いずれにしても人間の欲というのか、執念を物語る遺産である。

Dscn1467 坑道を出たところには機械工場の跡があり、トロッコやら採掘機械などが並べられている。こういう近代の鉱山の遺産を見ると思わずうなってしまう。ただ残念なのは一般の見学客は時間の関係かこちらにはほとんどおらず、いかにも「その筋」という人たちが目立つ。坑道だけにまさに「穴場」と言ってもいいだろう。

Dscn1465 佐渡金山は世界遺産への登録を目指しているという。もちろん江戸時代から続く鉱山の歴史を後世に伝えようというものだろうが、個人的にはあまり俗化してほしくないというところからどこもかしこも世界遺産というのはどうかなという気がする。それはさておき、もっとこの「近代以後の佐渡」というのも歴史的にもっとスポットライトを当ててもいいのではないかと思う。

事前にもっと近代遺産のことを知っていれば、さらに山の上のほう、あるいは相川の町から港のほうに向けて残る近代遺産にも行ってみるところだったが、残念ながらそろそろ時間切れ。今にして思えばもったいない気もするが、これはまた今度、その時佐渡が世界遺産になっているかどうかはわからないが・・・・。

相川を出て、これから大佐渡の外周、外海府を目指すことにする・・・・。

コメント

宿根木と千石船

2010年07月27日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn1365_2 18日、佐渡の朝は早い。宿屋の部屋にまぶしい太陽が差し込んだので目覚めたが、まだ5時前。それでも太陽はすでに高い位置にあり、まるでもう7時か8時くらいの感じである。前日は何時頃に寝ただろうか、よく眠ったような、眠っていないような曖昧な気分である。ただ朝食まではまだ2時間半もある。テレビをつけて見るような見ないような時間をボーっと過ごす。

8時に出発。宿泊者の中には連泊するような人もいるようで、カギだけをフロントに出してそのままバイクにまたがるという御仁もいる。

さて、この日の16時に両津を出るフェリーで新潟に戻るということで、15時半までがレンタカーの利用時間である。それまでの時間で小木から相川を経て佐渡の北端まで行き、東海岸を下って両津に至るという行程である。時間があるように見えて、佐渡は大きい島だからやや急ぎ足になるかもしれない。

Dscn1370 最初に向かったのは、小木の集落から3キロばかり西に言った矢島・経島(ふみじま)。島といっても陸続きになっている景勝地である。ここでも小木のたらい舟体験ができるというが、2、3軒の民宿のほかは狭い路地に数件の民家がある小さな集落の向かいにある。

Dscn1372 朝から太陽がギラつく中、島に続く遊歩道を歩く。入り江になったところの水の色が特に鮮やかで、海の底まで見通せる。何と言う魚か知らないが群れをなして泳いでいたり、クラゲの透き通る姿も見える。このまま水に浸かりたいなという気にもなるが、まだまだ先は長い。

Dscn1380 続いてやってきたいのが、さらに3キロほど進んだ宿根木(しゅくねぎ)。ここは江戸初期、佐渡金山が幕府によって開発された頃に廻船業、船大工の集落として開かれた集落である。小木からの県道がヘアピンカーブを描いて坂を下る、そのカーブの内側のわずかな空間に家屋が密集する集落である。この箱庭のような不思議な空間に降り立つ。

Dscn1376 集落の入口は駐車場もある広場になっているが、そこからは迷路のような路地が続く。まだ朝早くということで、家の中からは一家で朝食を取っている声も聞こえる。

Dscn1393 船大工の町ということで家の造りも独特である。壁というのは舟の板を合わせて張られている。これは日本海側の漁村によく見られる造りで、これも北前船などの行き来による文物の往来の中で広まった造り方かもしれない。

Dscn1386 また屋根の瓦の代わりに石を置いているのは風で吹き飛ばされるのを防ぐ意味合いがあるのだろう。小川にかかる石橋の石材ははるか遠く、尾道から千石船で運ばれてきた御影石という。技術と文物の交流があったことをうかがわせる。

Dscn1392 その中で1軒の民家の扉が開けられており、「ご自由にどうぞ。見学料200円」という箱が置かれていたので金を入れて上がってみる。囲炉裏も残されており、梯子段を使って2階にも上がることができる。確かに外から見れば古くて情緒があって・・・という造りには見えるが、やはり中に入ると薄暗いものを感じる。また冬などは鬱蒼とした気分になりはせんかと、余計なことを心配してしまう。

Dscn1384 それでも宿根木は街並み保存地区として、伝統的な造りを将来に受け継ごうという動きもあるようだ。民家の中には「江戸時代からこのまんま?」と思うようなものもあれば、近年改装したとおぼしき、それでも真新しい板を用いて宿根木の雰囲気をそのまま残そうというものもある。集落が生きているのを感じる。

それにしても、何だか不思議な空間だ。路地の向こうからひょいとマゲを結った人が出てきてもおかしくない感じ。

Dscn1401宿根木を後にして、少し戻って民俗博物館へ。大正時代の学校の木造校舎をそのまま利用して船大工道具や漁労用具が多数展示されている。佐渡でも中央部の国仲平野は土地もあり農耕も盛んであったが、小木のある南佐渡は水源に恵まれず、また水はけも悪かったために農耕は広がらず、ために漁業、あるいは廻船業で身を立てたり、山に入ったりという人が多かったという。

Dscn1394 ここのシンボルは、江戸末期に宿根木で建造された「幸栄丸」という船の実物大を復元した「白山丸」。全長23.75m、幅7.25m、512石積で帆を広げると約155畳分の大きさになるという。

Dscn1397 こうして近くで見る分には実にデカく感じる。しかし、これが広い日本海の海上にポツンと放り出された日には、天候の悪い日など心細く感じるのではないだろうか。船乗りたちはそれこそ命がけの航海であったかもしれない。千石船、北前船の往来で賑わったとか、船大工たちが多く住んで栄えたという言い方をするが、その富を得るためには大きなリスクも乗り越えなければならなかったことが感じられる。改めて当時の人たちのチャレンジ精神に感心する。

宿根木で少し長めの時間を過ごし、今度は小木から一気に島を北上して金山のある相川に向かう・・・・。

コメント

小木港での夜

2010年07月25日 | 旅行記C・関東甲信越

Dscn1339 17日の夜の宿となった「ホテルニュー喜八屋」。南佐渡の老舗の宿で政府観光登録の認証も持つ。通された部屋からは港の景色を見ることができる。前回直江津から佐渡に渡った時にはすぐにバスに乗ったから、初めての土地といっていい。

Dscn1340 宿泊したのは8畳(6畳+テーブル・ソファー・冷蔵庫のスペース)。昭和時代にタイムスリップしたかのような感覚であるが、それもまたよしか。

料金プランは1泊朝食つきのもので、夕食は自分でコースを選択するという。最初は小木の町に出て郷土料理を出す居酒屋に入って・・・とも思っていたが、ネットで調べても思うような店がなさそうで、宿の夕食「橘コース」を予約しておいた。食事は食堂でということで入浴後に向かう。

この日は10名くらいの団体客の他、カップル、家族連れなど合わせて40人ほどが宿泊。外国人の姿も見える。一人客は私と、もう一人中年の男性だけのようだ。団体客は宴会場での食事となり、その他は食堂で各テーブルに配膳されるというもの。

Dscn1344 これがこの日の「橘コース」。佐渡の魚介がこれでもかというくらいに並ぶ。イカ、紅ズワイ蟹、サザエ、南蛮エビがカルテットとして君臨。なるほど、これだけあれば街中に食べにでかけずとも佐渡の味覚を楽しむことができる。まさか、夏に蟹と格闘することになるとは思わなかった。佐渡に来てマゾになってしまいそうなラインナップ。

Dscn1345 これらの相手を務めるのが真野の酒「北雪」。少し甘口であるが魚の味を引き立ててくれる。冷酒ではあるが最後は蟹の甲羅に入れてすする。何とも絶妙な味がする。結局19時頃から始めて、1時間以上かけての食事ということになった。

食後、夜の小木の街を少し歩く。この時間ともなれば海からの風も涼しく感じる。小木はかつての北前船の風待ち港として栄えたところで、本町通りを中心に多くの廻船問屋や宿屋が軒を連ねていたという。

Dscn1352Dscn1360 夜ともなればもう閉まっている店も多いが、通りにはかつての屋号と一幅の絵が描かれた「田楽提灯」が灯されており、情緒を引き立てる。往時の賑わいに思いを馳せながら、ふらふら歩いて酔いをさます。

港に戻り、芝生広場でしばしくつろぐ。空を見上げれば満天とまではいかないが星も見える。何だか久しぶりに星空というのを見たような気がする。海からの風とも合わせて、ふと何だかもうこのまま宿に帰らず寝てしまってもいいかな、という気になる。しかしまあそういうわけにもいかず、部屋に戻る。ただもう疲れが出たのか、そのままテレビもつけずに横になったようである・・・・。

コメント (2)

佐渡の古刹と歴史に触れる

2010年07月24日 | 旅行記C・関東甲信越

両津港からレンタカーを利用する。17日は宿泊先となる小木までの移動である。両津から小木までは約50km。先の「1km20円」から計算すれば1,000円のコストということになる。もちろん、ただ移動するのではローカルバスよりもコスト高となってしまう。ということで、途中寄り道をしながらの移動となる。

両津港からすぐに広がる加茂湖を横に見ながら国仲平野を西へ。途中にはトキの繁殖実験を行っているセンターもあり、観光名所となっているが私にはあまり興味が起こらずそのまま通過。また途中には前回に来た時には入った能楽に関する資料館がある。能舞台がしつらえられており、ロボットが能を披露するという仕掛けもある。佐渡は能楽が盛んで、現在でも32の能舞台があるという。世阿弥が流されたからとも、佐渡奉行で金山の開発にあたった大久保長安が能をたしなみ、それを奨励したからとも言われている。

Dscn1288 島とは思えない豊かな水田が広がる中を走り、両津から20分ほどでやってきたのが清水寺。カーナビにデータを入力する時に「きよみずでら」と入れたのだが該当がなく、パンフレットをよく見るとその名は「せいすいじ」と読む。こんもりと茂る森の中、苔むした石段が続く。聞こえるのは私にたかってくる虫の羽音くらいのもの。

Dscn1295 そして現われたのがこの救世殿。どこかでこんな建物を見たことはありませんか・・・?

そう、京都の清水寺の舞台。それをぐっと小さくした造りである。建立は西暦808年とあり、何でも「佐渡の人も都の清水寺を参拝できるように」と、わざわざそれを模して建てたという。9年前の時はちょうど雪が積もっており実に都の風情を感じたものだが、今回夏の緑に覆われた「清水の舞台」も静寂さがまたよろしい。

Dscn1299 しばし境内に佇んだ後、今度は日蓮宗の古刹、塚原山根本寺へ。現在堂宇29棟、15000坪の敷地を持つ巨大な寺院である。元々は佐渡に流された日蓮がこの地で布教を行ったことで、日蓮宗の佐渡支部のようなところである。

Dscn1297 個人的には日蓮宗というとちょっとな・・・という思いもあるのだが、ここは佐渡の古刹、歴史の一ページであるということで静かに参拝する。この時期でもまだアジサイが花を咲かせており一服の清涼剤である。

Dscn1303畑野地区から真野地区に入る。この辺りが元々の佐渡の中心であったところで、佐渡国分寺などもある。その中で有名な古刹が妙宣寺。これも日蓮が佐渡に流された折に帰依した弟子が開いた寺という。

Dscn1302 ここで目を引くのが五重塔。江戸時代の建立で、高さ24mと法隆寺や四天王寺のように他を圧倒する建物というわけではないが、これも佐渡の仏教文化の奥深さを示すものである。

それにしても、清水の舞台あり、五重塔あり、日蓮宗の巨大な本堂があり、また能楽とも合わせて佐渡というのは都の文化を色濃く持っている。島というと文化的に後進的なイメージがあるのだが(実際に苦しんでいる離島も数多い)、こうして見ると島だからこそ海を通した遠方との文化交流があり、文物が容易に入ってきたのかなと思ったりもする。本土との距離も近すぎず遠すぎず、規模として一国を名乗るほどの大きさがあり・・・。

Dscn1328そんな佐渡の歴史を面白く紹介するのが真野にある「佐渡歴史伝説館」。順番に等身大の人形たちが歴史の場面を再現するというもの。

Dscn1312Dscn1324 その面々というのは順徳上皇、日蓮、世阿弥という、佐渡に流されてきた「オールスターキャスト」たち。彼らは言ってみれば当時のインテリというか、政治犯である。そういう人たちが追放されたところから「島流し」が強烈なイメージとして伝えられたのであろう。ただ、こういう人たちが佐渡に多くの文物をもたらしたのも事実である。

Dscn1319 それにしても、人形の表情というのがリアル。

Dscn1331 また佐渡は安寿と厨子王の伝説、夕鶴の舞台であったりと民話の舞台でもある。先のブログ記事で触れた阿刀田高の『ものがたり風土記』ではこうした佐渡の文化史にも触れられており興味深い。

Dscn1335 そして、こちらも政治との関連ということになるが、この歴史伝説館の土産物コーナーでは北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが働いているという。残念ながらこの日は姿を見なかったが、いろんな人の旅行記などを読むと結構店のほうにも出ていて、客寄せといっては言葉は悪いが観光客とも気軽に記念撮影に応じたりしてくれるそうだ。こちらも佐渡歴史伝説館のオールスターキャストの一員である。北朝鮮への拉致問題が進展しない中であるが(ここ数日は金賢姫の来日がテレビを賑わせて少し世論が喚起されているが)、佐渡の穏やかな景色を眺めていると、そんな平穏な日々の生活がある日突然束縛され、権利を奪われる拉致というものがいかに卑劣な行為であるかに思いを致す。

Dscn1336時刻も17時を回り、この日のドライブの最終コース。真野湾に出る。越の長浜と呼ばれる穏やかな海岸に出会う。

Dscn1341 後は順調に走り、18時に小木港に到着。佐渡の南の玄関口にあたり、かつては佐渡で採れた金の産出港としても賑わったところ。この日はここで宿泊とする。泊まるのは江戸時代の旅館から続くという老舗「ホテルニュー喜八屋」・・・。

コメント

佐渡への航路

2010年07月22日 | 旅行記C・関東甲信越

17日昼、新潟港の佐渡汽船ターミナルに現れる。これから佐渡へ島流し・・・もとい佐渡に渡るのである。

それにしても、佐渡といえば島流しというのは、いったいいつの頃から植えつけられたイメージなんだろうかと思う。9年前に初めて渡ったときは海も荒れておりフェリーも大いに揺れ、「こりゃ真冬の島流しやな」と思ったのだが、いざ渡ってみてその文化の奥深さや自然の醍醐味にその認識を改めることにもなったのである。

フェリーターミナルの窓口で1等のじゅうたん席の指定席券を受け取り、乗船名簿に記入して乗り込む。すでに乗船は始まっており、船内は自分のスペースを確保しようという客でごった返している。

私の指定席は桟敷スペースに毛布と枕がついて、一人ずつ横になれるようになっている。新潟から佐渡の両津港まで2時間半の航路である。ここで寝転がって行くこともできるのだが、気持ちが高ぶっていることもあるのか、寝るのがもったいない気がしてきた。2等との差額はあるもののそこは疲れた時にゆったりできる保険料、あるいは荷物を置いておくことのできるスペース代と割り切って、自由席扱いのデッキのほうに行く。混雑しているとはいってもベンチには十分にスペースがある。潮風に吹かれながら島を目指すのもいいだろう。

Dscn1220 佐渡汽船は観光だけではなく生活としての航路の役割も強い。この時は積込の光景を見なかったが、佐渡には全国からのJRコンテナをトレーラーに積んで渡すことができる(もちろん、鉄道運賃とは別に海上運賃と集配料金がかかるが)。

Dscn1261 また新潟~両津、直江津~小木というのは国道350号線の一部に指定されている。それだけ重要な路線なのである。

Dscn1227 12時35分にゆったりと出航。信濃川の河口にスーッと風が吹き込んでくる。うーん、海をバックにビールでも飲みたいところだが、今のところはこの後のこともあり控える。お楽しみは帰りの便に取っておこう。

Dscn1232 後部のデッキから後方の信濃川河口の景色を眺める。左手には先ほどのフェリーターミナルに朱鷺メッセ、そして右手には午前中見学した「みなとぴあ」新潟市立博物館を見る。特に先ほど佐渡観光の変遷についての展示を見ただけにムードが高まる。

Dscn1250 このフェリーにはまたお供が。カモメの群れである。船内にはかっぱえびせんが売られており、子どもたちが袋からえびせんを取り出してはカモメの方に投げてクチバシでキャッチする様子を楽しんだり、手に持ったえびせんを差し出して、カモメの方がそれをさらっていくというスリルを楽しんだりする。こういうカモメとの遊びは全国あちこちのフェリーで見かける光景だが、どこも決まってかっぱえびせんなのである。まあ、ポテトチップスやポップコーンではそうはいかないだろうな。えびせんということで、カモメにとっては潮の香りがする食物に感じるのかもしれない。

Dscn1241 さて少しずつ新潟の街並みが広がっていく。河口のあたりは水も濁っているように見えたが、沖合いに出るに連れて少しずつ鮮やかな青色に変わってきた。

Dscn1242Dscn1245最上階の甲板では記念撮影をしたり、寝転がったりして海上の景色を楽しむ人たち。これから皆レジャーに、海水浴にと佐渡での楽しい一時を待ち焦がれているかのようである。

Dscn1272 快晴ではあるがいつしか新潟市街の姿も水平線の向こうに消える。左手にはうっすらと見える二つの山。日本海に面した弥彦山である。右手は遥かな水平線である。海上から水平線を見渡すというのもなかなかできない体験である。この後は甲板やらベンチやら、あちらこちらに場所を変えて海の景色を楽しむ。もう、船室でゆっくりしようという思いはどこかに行ってしまった。

Dscn12541時間近く経って案内が入る。それに従って右手後方を見やると、派手な水しぶきを上げてこちらに近づいてくる物体。そう、佐渡航路のエースであるジェットフォイルである。

Dscn1255 新潟と両津との間を1時間で結ぶとあってその走りは見事なもの。これで本土と佐渡の距離が縮まったといってもよい。

Dscn1260しかしながら運賃の安さ、クルマでも乗船できる、船内で潮風に吹かれてのんびりしたり、カモメにかっぱえびせんをやったり・・・ということで、この日に限ってはカーフェリーのほうが人気のようである。ジェットフォイルの走りを見ることができるのもフェリーならではかな・・・。

Dscn1270さてそうするうちに少しずつ前方に島影が見える。いよいよ佐渡が近づいてきた。こうして見ると、日本海の沖合いによくこんな陸地ができたなあと感心するばかりである。

Dscn1280 ただこれで驚くのは早い。前方の陸地がだいぶくっきりとしてきたなと思うと、その後方に、何とも大きな屏風のような山脈がフェリーの行く手を阻むかのようにそびえる。手前が小佐渡、奥が大佐渡である。南北にこの二つの山地がある島。この視覚に驚く様子というのをかつて、阿刀田高著の紀行文『ものがたり風土記』で読んだことがあるのだが、その中では、そのまた昔に太宰治も短編の中で同じような驚きを持った様子を描いていることが紹介されている。旅人にとって佐渡というところは不思議な、単なる小島とは捉えることのできない何かがあるように思う。

Dscn1286 フェリーはその小佐渡と大佐渡の間の平野に位置する両津港を目指す。両津湾に入ったが、ここまで実に穏やかな航海であった。2時間半の航路は短くもなく長すぎもせず、ちょうどいい感じの時間帯であった。時計は15時を回り、前夜23時半に大阪を出てからもうかなりの時間が経過しているが、日はまだまだ高い。

フェリーから下車して、ターミナルに併設の渡辺産商レンタカーへ。これから明日の夕方、両津から新潟へのフェリーに乗るまでの間、レンカターを駆使して佐渡を回ることにしたのだ(だからフェリーの中ではビールを飲まず)。路線バスでもいいのだろうが、時間を有効に使うのとコースどりに自由度をつけることを考えれば割高になっても仕方がない。

観光客にとっては佐渡ではレンタカーが主な移動手段となっているようで、トヨタレンタカーやニッポンレンタカーなど全国ネットのレンタカーは早い時点で既に満車となっていた。検索範囲を広げて地元のレンタカー屋を当たってみてこの渡辺産商にホンダのフィットの空きがあったというわけだ。

料金体系が時間料金にプラスして、「走行距離1キロにつき20円。ただし満タン返しは不要。佐渡のガソリン料金は本土に比べてかなり割高」というもの。1キロ20円か。これはどうなんだろうな。フィットなら1リットルで15キロ走るとして、レンタカー料金は15キロ走ると300円。うーん、いくら何でもガソリン1リットル300円ということはなかろうに・・・。まあでも、来てしまったものは仕方ない。

時間は15時を回ったところ。この日の宿は小木に取っており、日の高い時期、途中時間の許す限りスポットに立ち寄りながらクルマを走らせることにする・・・・。

コメント

海峡を越えて~佐渡と新潟~

2010年07月21日 | 旅行記C・関東甲信越

話を海の日の連休初日に戻す。

16日夜に大阪を急行「きたぐに」で出発して到着した朝の新潟。この日の午前中はここで過ごすことになる。

今回出かける第一の動機は「きたぐに」に乗ることであった。で、次はどうするかというところであるが、白新線~羽越線で北上し、途中は米坂線か陸羽西線で内陸に行くもよし、そのまま秋田あたりまで行こうか。あるいは進路を逆にとって磐越西線で会津、あるいは長岡まで引き返して上越線あたりに行こうかなどと想像が膨らむ。

その中で結果選んだのは、新潟からフェリーに乗って佐渡に渡るというもの。佐渡には2001年の年末から正月にかけて一度渡ったことがある。あの時は厳しい冬で、大晦日に直江津から小木までフェリーで何とか渡ったものの、新潟からのフェリーが全面欠航となり、その夜泊まった(つまり、年越しをした)尖閣湾のユースホステルは他の客がキャンセルとなって宿泊が私一人だった・・・ということがあった。今回はフェリーに乗ってその時とは違う夏の佐渡を見てみようという気になったわけだ。

新潟港からは朝9時半に出るフェリーがあるのだが、新潟からの時間が慌しいのと、早い段階で指定エリアが満室との表示があったので見送り、12時35分に出航するカーフェリーの指定席を確保。それまでの間、新潟市内で過ごそうというものである。新潟にはこれまで列車の乗り継ぎや、夜の飲みで過ごしたことはあるが街中にはほとんど行ったことがない。半日の間街中に出るのも面白いかと思う。

そんな中ネットで検索していると、新潟市歴史博物館「みなとぴあ」で佐渡に関する企画展をちょうど17日からやっているとの情報。この後佐渡に渡るうえではこれはいい助走になりそうだ。これで、新潟での時間は「みなとぴあ」で過ごすことに決める。

Dscn1197 さてその「みなとぴあ」であるが、新潟駅からだとバスで25分という案内。乗り場で待っていると、「次のバスは新潟市観光循環バス『ドカベン号』です」というアナウンス。

Dscn1202 これは新潟市内の観光名所を回るもので、バスの車体には新潟出身の漫画家・水島新司氏の代表作「ドカベン」のイラストが施されている。一方、反対回りのバスは同じく新潟出身の高橋留美子氏の「犬夜叉」のキャラクターが描かれた車両が走るという。やってきた「ドカベン号」にはパンフレットを持った観光客が10数人乗り込む。これから目指す「みなとぴあ」も大回りしながら経由するとあり、時間もあるのでこれに乗ってみる。

Dscn1200 新潟を代表する万代橋を渡り、白山公園や新津記念館、日本海タワー、水族館など新潟の市街地に点在するスポットを回る。車内の案内板でも各スポットの紹介画像が流れ、観光地としては地味な存在と言える新潟市内のPRに一役買っている。

大回りしたために40分ほどかかって「みなとぴあ」に到着。信濃川の河口に面し、ちょうど川の対岸にはコンベンションホールのある「朱鷺メッセ」や、これから乗車する佐渡汽船のターミナルもある。川の両岸は水上バスでも結ばれているのをここで初めて知った。大きなバッグを新潟駅のロッカーに預けてきたために、ちょっと時間がもったいないかな。

Dscn1204 その信濃川に面して建つ櫓の形をした建物。これが旧新潟税関で、建造当時の姿で保存されている。幕末に、横浜や函館などと並んで開港を認めることとなった新潟港。その賑わいを今に伝える建物である。建物内では往時の新潟の町並みの写真が多く展示されていた。

Dscn1205 同じ敷地内にある洋風の建物が新潟市歴史博物館。建造は最近であるが、明治から昭和初期まで使用された旧新潟市庁舎をモデルとして建てられたもの。信濃川の運河の風景にもよく溶け込んでいるし、対岸の朱鷺メッセとも調和した感じが漂う。

Dscn1208 博物館に入館。この日から始まった企画展は「海峡を越えて~佐渡と新潟~」というもの。新潟と佐渡とは旧国名では別の国であったが、江戸時代から廻船が行き交い、経済のつながりも深かったという歴史がある。近代になって佐渡が観光地として注目されるようになり、その玄関口として大きな役割を果たした新潟。この企画では新潟と佐渡の交流や観光の変遷を紹介し、佐渡の新たな魅力や新潟を含めた広域的な観光について考える機会にしようというもので開かれたそうだ。

初日の開館から間もない時間帯、一般の見学客は私だけのようだったが、館内では学芸員が20人くらいのグループを相手に講釈をしていたり、おそらくローカルニュースで紹介するのだろうかテレビのクルーが展示品の撮影を行っていた。何でもこのグループは博物館のファンクラブの会員さんとのことで、おそらくファンクラブの特典でこういう解説を聞けるというのがあるのだろう。学芸員の声が大きいものだから私の耳にも解説が入ってきて、ちょっとお得な感じがする。

館内の展示は佐渡の歴史を簡単に紹介した後、新潟~佐渡航路の変遷、観光地としての佐渡のPRの変遷が紹介されていた。もともとは日蓮が流されたことで日蓮宗の古刹が多いとか、順徳天皇が流されたりということで明治史観の中で「聖跡」のある島という位置づけがある中で、その次は佐渡金山、佐渡おけさ、さらには自然豊かな地としての魅力というものが前面に出されていった流れがある。最近ではトキのいる島、癒しの島としての自然環境がより強調されているようだ。

当時のパンフレット、佐渡航路の時刻表、埠頭の賑わいの写真などが紹介され、離島のわびしさを感じさせず、それでも日常の喧騒を忘れさせる魅力のある島としての佐渡の魅力をさまざまにうかがわせるものであった。これから佐渡に渡るのにムードは高まりますなあ・・・。

Dscn1209 さて企画展示だけではなく、通常展示も見ることにする。こちらは新潟の変遷を紹介しており、元々湿地帯「潟」が多かった新潟平野が穀倉地帯として、また港町として発展する様子を伝えている。明治半ばには日本で最も人口の多かった県であり、現在は日本海側最大の都市として君臨する新潟。

Dscn1214 そんな中で最もうなったのが、新潟のコメ作りの歴史を紹介する一角。稲刈りの様子を再現した人形があるのだが、田んぼには舟が浮かび、収穫をする人は下半身を水に浸かりながら稲を刈り取っている。

Dscn1216 かつて新潟平野は信濃川、阿賀野川という大河が注ぎ込む中で多くの「潟」があり、排水には悩まされたという。このために水の中での収穫をするという光景が戦後の一時期まで見られたとか。この様子をかつて司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で紹介していたのを覚えている。

さてそうこうするうちに早くも時間がなくなってきて、最後は駆け足での見学となった。ここにはまた来てみたいものである。

一度バスで新潟駅に戻り(直線距離ならばさほどでもないのだが、市内を大回りするために25分かかるようだ)、荷物をロッカーから引き出して今度は佐渡汽船ターミナル行きに乗車。外は日本海側の夏らしく太陽がカラリと照らす日差しのためにものすごく暑い。その空の下、バスを待つ長い列ができていた。

Dscn1218 満員のバスは20分ほどでターミナル到着。こちらも多くの乗船客でごった返していた。早速予約済みの乗船券を入手し、行列に加わる・・・・。

コメント

カラバイヨ・デビュー戦で本塁打!R50ナイトは熱かった・・・。

2010年07月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

7月19日の海の日、オールスター戦を前にした最後の3連戦である。この日行われたオリックス・バファローズ対楽天戦の観戦に出かける。この試合前まで5位のオリックスに対して最下位の楽天が0.5差に迫っており、負けたほうが最下位になるという状況。

Dscn1600 この日は「R50ナイト」ということで、50歳以上の方を意識したさまざまな趣向を凝らしての試合という。ということもあり、昨年から野球観戦でもご一緒している本物の「R-50」である鈍な支障さん、そして毎度おなじみ、この人と一緒に行くと必ずといっていいほど乱戦になるというジンクスのある大和人さんに声をかける。

内野自由席の上段に陣取る。前日まで「大阪夏の陣」というイベントが行われていたのだがあまりにも情けない試合展開で3連敗したせいか、子どもが明日(20日)の終業式を控えているせいか、3連休最後の夜ということでゆったりしようということか、あるいは西宮対広島戦がナイターで甲子園で行われているせいか・・・いろんな要素があって客の入りも今ひとつ。でもまあ、「R-50」世代の方にとっては「ワシらが若い頃にパ・リーグの試合を見に来たときはだいたいこんな感じでガラガラやった・・・いやもっと客少なかったで」とでも言われそうな感じ。外野席で流しそうめんをやったり、内野席の上の方でカップル(いやその当時の言い方をするならばアベックか)が愛の交歓をやっていたりというのもその当時の風景ですかな?

試合前の打撃練習中でのBGM。「R-50」ということで当時の歌謡曲やらフォークなぞが流れる。ただその選曲というのが「昭和枯れすすき」とか「悲しい色やね」とか、「雪国」とか「シクラメンのかほり」など、どちらかと言えばスローテンポの、哀調漂うナンバーばかり・・・。うーん、これから打線が奮起しなければという時に、何だか力の抜けそうな曲が多いというのはどういうことかな・・?

さてそんなスタンドの雰囲気を少しでも燃えさせようということでゲスト出演したのが、アニメ「巨人の星」で星飛雄馬の声をやった声優の古谷徹さんと、星明子役の白石冬美さん。白石さんが楽天のスタメンを発表し、古谷さんがあの口調で「4番、ファースト、カブレラ!!」などとやる。最後にオリックス「バッファローズ」とやるところが、当時の巨人の星、セ・リーグの立場から見たパ・リーグの近鉄「バファローズ」の認知度を表しているようで、それはそれで「R-50」やのう・・・と思う。ちなみにこの後、この巨人の星スタイルの選手アナウンスが5回裏まで行われた。

ちなみに私は巨人の星でも左門豊作に似ていると言われたことがあるんですが・・・まあ、それはどうでもいいことで。

Dscn1624Dscn1625後のR-50というのは、ビジョンに映る画像が、協賛企業のCMを除いてはこんなセピア色調で流されたこと。しかしこうして見ると、選手の表情というのが太平洋戦争の戦場に散った戦士たちの遺影のように見えてしまうのだが・・・・。

試合前からこんな感じのものだから、「こりゃ試合前からグズグズやな」「力抜けるで」「今日も荒れるか、ダレるか・・・?」と、それぞれが心配してしまう。

Dscn1621_2 この日は国歌斉唱、始球式はR-50世代代表?ということでトミーズ雅さんによるもの。

Dscn1623 その試合、オリックスは木佐貫、楽天はラズナーの先発。木佐貫の立ち上がりは相変わらず今ひとつで、ヒットと四球でピンチを招くが最後は何とかしのぐという投球。

Dscn1633 一方のラズナーも乱れた立ち上がりで、2番の荒金、3番の後藤と続けて死球を与える。早くも両チームの選手がベンチから出て来るという展開。早くも、この試合は何だかスンナリとは行かないなという予感。やはり我々この組み合わせで観戦するとそうなってしまうのか。ただこの後二死満塁とするも北川が討ち取られて無得点。

試合が動いたのは3回表。楽天が渡辺、聖澤の連打で1・3塁として高須が犠牲フライ。しかしその裏、オリックスも荒金が3塁打。後藤四球でカブレラが久しぶりの打点となるタイムリーを放つ。T-岡田四球で満塁とした後、続く北川が押し出しとなる死球。さらにこの後鈴木にも四球が出て、結局2安打で3点。そりゃラッキーかもしれないが、見ているほうとしては疲れる・・・。

Dscn16584回裏にはカブレラが久々のソロアーチ。これで4対1となり、序盤から毎回ランナーを背負う苦しい投球の木佐貫にも援護となる試合展開。一方のオリックスもランナーを出すもののラズナーの前に追加点はなかなか奪えず。それにしてもここまで時間がかかり過ぎる。

やはりこの日は荒れる展開なのか、5回表に楽天が4対2となる鉄平のタイムリーが出た後の6回表。楽天がリンデン、ルイーズの連続二塁打で1点を返し、渡辺の四球と盗塁で一死2・3塁。

Dscn1669 続く聖澤の打球はセカンドへ。後藤がつかんでバックホーム。そこに「半ばアウト承知、タックルしてキャッチャーがはじけばもうけもの」で突っ込んできたルイーズ。あっ!という瞬間にルイーズは捕手の鈴木に体当たり。体格に差のある鈴木が吹っ飛ばされたがボールは放さず、これで同点のピンチを防ぐ。

Dscn1678この後しばらく鈴木は起き上がれず、一時は担架も出動して場内騒然となったが、少しして鈴木も立ち上がる。細い体でのガッツプレーに惜しみない拍手を送る。

Dscn1680 ただこれに木佐貫が応えられない。続く高須にいい当たりを許し、2人帰って5対4と楽天が逆転。これには支障さんと大和人さんも「ホンマに今日はどないなるねん」と呆れ顔。

これで楽天のムードと思われたのだが、その裏にうならせるプレーが生まれる。

Dscn1681 途中から出場のカラバイヨ。独立リーグ・BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスで圧倒的な長打力を見せ付けて群馬の前期地区優勝に貢献したスラッガー。先日オリックスに入団したばかりというのに、もう一軍登録。一方でそのあおりを食う形で2軍に落とされた坂口の心中やいかに・・・?

Dscn1683_2 前の打席では直球と変化球の組み立てについて行けずに空振三振。この打席もどうかなと思ったが、楽天の3番手・山村の甘く入ったスライダーを振りぬくと打球は一気にレフトスタンドへ。もちろんNPBでの初安打初打点、初本塁打である。これで同点。いや~、カラバイヨをナマで見ることはなかったが、BCリーグのファンとしてこれはうれしい限り。ぜひこれを機会に、群馬の地方紙である上毛新聞あたりでもカラバイヨを通してオリックスを取り上げていただき、群馬でもオリックスに興味を持ってくれるファンが増えるといいのになと勝手に思ったりする。

ラッキー7、楽天の球団歌が流れる頃にはもう21時を回る。いやいやここまで長い試合になるもんやな。時計の針が気になる。ましてやこれまで支障さん、大和人さんと訪れた試合ではどちらかのチームが2ケタ得点をやるとか、一方で投手がアップアップなのに打線がグダグダで得点が取れず、結果だけ見れば「僅差の投手戦」としてくくられかねない試合ばかり。それがこの日はジンクス通りの展開となっているだけにあきれる。

Dscn1697 同点の展開で8回、カブレラ、T-岡田の連打、北川の四球で、この回3イニング目となった楽天の3番手・川岸を攻める。ここでスカッとした当たりを放ったのがバルディリス。レフトへの走者一掃となる2塁打を放ち8対5となる。さすがにこれで勝負あったか・・・?

9回は岸田が登場。勝ち負けでいえばオリックスの勝利だろうが、気になるのは試合終了の時間。実はこの後でグラウンドに降りることができるドームツアーに申し込んでいるのだが、試合終了が22時を回るとツアーは中止という。ドームツアーに行けるか、はたまたドームツアーを中止に追い込むほど私たちのジンクス(プラス新たな伝説)があるのだろうか・・・?

Dscn1709 結局楽天の反撃もここまでで、4時間16分という長時間の試合を制したのは8対5でオリックス。お立ち台にはバルディリスと、もう一人カラバイヨが選ばれた。何せNPB2打席目にしてそのパワーを見せ付けてくれたのだから・・・。高知・群馬にいただけあって日本語もそれなりに解し、コミュニケーションには問題がないのだろう。

さてこの後がドームツアー。当初の案内では「試合終了が22時を過ぎるとイベントは中止する」と言っていたのだが、その後22時20分まで延長。ただその試合終了も結構焦るものがあった。時計の針はどんどん進んで行き、その20分にも間に合うかということもヒヤヒヤものである。一時は「この展開ならドームツアーも中止やな」と思っていたが、結局はやるのである。ならばということで支障さんに大和人さんを伴って下段に下りる。

Dscn1725 ドームツアー。先ほどまで熱戦が繰り広げられていたところである。ダイヤモンドをゆっくり一周してみたり、マウンドに上がったり打席に立ったり、ベンチに座ったりヒーローインタビューを受けてみたり、最後は外野の芝生の上に寝転がったり・・・。

Dscn1742 「こういうところでプレーしているんやな」とお二人とも感心しきりで、一般1200円で体験できるこういうイベントもいいなあと思う。さらに、まだグラウンドの記者席で後片付けや原稿送信を行っていた記者さんたちの姿に接することもでき、支障さん、大和人さんとも「裏側を見れたようで楽しいなあ」と喜んでいただいた。「大阪夏の陣」を避けてこの「R-50」狙いでお誘いしたのがいいほうに出た。お二人ともR-50の企画そのものにはいろいろとツッコミどころがあったというコメントであるが、懐かしい雰囲気でよかったと言っていただいた。特に本物のR-50の支障さんもコストパフォーマンス含めて大満足のご様子。

試合が終わったのが22時20分、ヒーローインタビューの後でドームツアーが始まったのは22時30分を回っており、グラウンドを満喫して終わったのが23時10分。いや、イベント込みとはいえここまで長時間を野球場で過ごすというのもこの組み合わせならではである。

パ・リーグの試合なのに「巨人の星」ワールドはいかがなものかと思った場面もあったが、こういう年齢層をターゲットにしたイベントはありと思う。帰宅したら日付が変わっていたのはもうご愛嬌、というか印象に残る試合。ぜひとも来年以降も続けてほしいものである・・・。

コメント

急行「きたぐに」で新潟への週末夜汽車紀行

2010年07月19日 | 旅行記C・関東甲信越

久しぶりに夜汽車に乗ってみたい・・・先般読んだ「週末夜汽車紀行」の影響からか、そんな気持ちで「青春18きっぷ」の有効期間前の海の日の連休に出かけることにした。

かつては関西からも東京、北陸、九州に向けていろんな夜行列車が出ていたものだが、現在は「日本海」、「きたぐに」、そして「サンライズ出雲・瀬戸(東京行が停車)」くらいとなった。これも時代の流れを思わせるところである。現在残っている列車にしたところで、数年先にはどうなっているかわからない。

そして「週末紀行」の雰囲気を出すのであれば、仕事を終えた金曜日の夜に出発したい。となれば、大阪を17時47分に出る「日本海」は早すぎる。そこで、深夜23時27分に出る「きたぐに」にターゲットを絞る。

Dscn1162 「きたぐに」はA寝台、B寝台、グリーン車、そして普通自由席とバラエティーに富んでおり、絶滅寸前の「急行」、583系使用・・・と今や希少価値のある列車である。学生の時、3段のB寝台、自由席、グリーン車で東北方面へのアクセスとして乗ったことがあるが、そういえば社会人になってからは大阪にいない期間が長かったこともあり乗る機会がなかった。自由席で行こうかどうしようか迷ったのだが、やはり横になりたいということで3段のB寝台を確保。

さて16日の夜、本来の「週末夜汽車紀行」ならば会社からそのまま駅に直行(途中で飲んでもいいが)するのが筋だろうが、私の場合クルマでの通勤ということもあり会社から一旦帰宅して夕食と入浴を済ませ、22時30分頃に大阪駅に現れる。コンコースは飲み会帰りのサラリーマンと、これから出かけるであろう団体さんが行き交う中でごった返している。大きなリュック姿の人が目立つが、おそらくこれから「きたぐに」で富山あたりまで行くのだろう。

ホームに上がる。寝台券を持っているが、待合室が後ろのほうにあるために一度そちらへ。この日は2両増結で12両編成という。なかなか景気がよさそうだ。このうち後ろ4両が自由席となる。さぞや行列ができているかと思いきや、各乗車口に荷物が3~4個ずつくらいある程度。その後もポツポツとやってくるが、これだったら大阪口ではゆったりと座れそうかな。

23時過ぎに案内放送があり、神戸方から583系車両がゆっくりと入線。久しぶりの「きたぐに」乗車に心がはずむ。

Dscn1163Dscn1151_2 指定された寝台に荷物を置き、改めて外から編成を眺める。青い客車ではない独特の塗装であるが、「KITAGUNI EXPRESS」の文字やら、昔ながらの「B寝台」の案内板、「急行」の方向幕など、普段とは離れた世界に誘ってくれる感じがする。

Dscn1168 寝台に戻る。今夜は増結するくらいだから客の入りもよさそうで、下段はほぼ満杯、中断はおろか、上段にまで上がる客もいるようだ。

Dscn1154 改めて下段から中段、上段と見てみると、上段は屋根裏に寝ているようだし、中段は落ち着かない感じだし、やはり下段がいいかなと思う。ただその下段も高さが60cmくらいしかなく、腰掛けて背中を丸めてみても頭が入らない。ただ窓のスペースが確保されており、そちらによりかかるようにすると中段のベッドと窓の間のスペースに頭を入れることができ、座って外を眺めることもできる。

Dscn1166 遅い時間ではあるが、夜汽車ムードということで窓枠に何がしかを並べる。定刻となり、電車らしくソロリと発車する。

何やかんやいって狭いスペースではあるが、カーテンで仕切ればそこは自分だけの空間となる。ベッドの照明を消すと外の景色が浮かび上がり、行き交う列車の灯りも鮮やかに見える。こいつはいい感じだ。

24時ちょうど、京都到着。ここからも寝台に乗ってくる客が多く、おそらく自由席もそれなりに乗車していることだろう。湖西線の列車とほぼ同時に出発し、しばらく並走したがトンネルに入るまでにあっさりとかわされ、後はゆっくりと走るのみである。

この後、大津まで来たところで(まだ残っていたが)納杯ということにして眠ることにする。寝台に横になるのも久しぶりで眠れるかどうか気になるところだったが、しばらくしたら意識がなくなったらしい。気づいたら30分停車の金沢であった。ホームに出てみようかなとも思ったが、別に買うものもないしまあいいかということでまた眠る。

次に目覚めたのはカーテンを半分開けていた窓から差し込む太陽。駅に停まったようなので外を見ると入善だったか泊だったか、まだ富山県内である。時刻は5時過ぎ、夏の夜明けは早い。

鉄道唱歌のオルゴールが鳴り、朝の案内放送が入った直江津で本式に目覚める。5時56分着。ここで下車する人が結構いる。信越線の長野行き、ほくほく線の越後湯沢行きに乗り継ぐようである。

Dscn1173 ここで20分停車。ということで、朝の「きたぐに」の撮影タイムとなる。この連休から申し合わせたように全国的に梅雨明けとなり、朝の光がまぶしい。

Dscn1183 さてここから柏崎までが日本海を望む車窓が広がるのだが、あいにく私のいる寝台は山側。自由席をのぞいてみたがまだ1ボックスを占領している客がおりそこに入るのもためらわれる。朝の身支度ついでにデッキに立ち、扉から外を眺める。夏の空、夏の海・・・海の色が濃い。海に近い青海川を通過したのを見届けて寝台に戻る。

Dscn1192 7時14分、長岡に到着。ここでも下車客が多い。ここで自由席のボックスの空きが出たこともあり、そちらに引っ越す。寝台は一人ずつの区画が仕切られているのはいいが、朝になり、下車するまでの時間が長いということであれば座席車のほうがいい。来る前に寝台と自由席のどちらにしようか迷ったが、途中での引越しで両方を体験することに。見渡す限りの水田が広がる。果たして今年のコシヒカリの実りはどうなっていくのだろうか。

Dscn1194 新津に到着。磐越西線・羽越線の分岐駅である鉄道の要衝。ふと側線を見ると黒い物体が。おっと、SLばんえつ物語に使用されるC57ではないか。新津で3分停車するということで、ホームに出てその姿をカメラに収める。ここからは快速列車となり、8時29分新潟に到着。

Dscn1195 前日夜に大阪を出発して9時間の道のり。雲もほとんどない快晴である。これからの道中が楽しくなりそうな予感・・・・。(続く)

コメント

成田の競争力は増す・・・のか

2010年07月15日 | ブログ

「オレの知り合いが今度の連休に新しい線に乗りに行くようなことを聞いたんやけど、どこに行くんやったっけなあ??思い出せん。あんた鉄道詳しいから知ってるやろ」

先日、会社の上司にこう尋ねられてはたと考える。いや、鉄道に詳しいやろと急に言われても・・・。

「何でも、東のほうらしいけどな」

それでひょっとしたらということでパソコンを叩いてみると、果たしてそうだった。

7月17日、現在の北総線を延長させる形での新線「成田スカイアクセス」が開通する。こういう計画があることは知っていたのだが、関西に戻ってから京成線とはすっかりご無沙汰になったこともあり、「あれって、今年の話やったんや」ということで驚く。私の中ではもう1~2年先の話かと思っていた。

山本寛斎氏がデザインを手がけたという新型車両により、日暮里~成田空港間はこれまでの最速51分から36分に大幅に短縮され、「都心から遠い」と不評であった成田空港へのアクセスが改善されるという。また、同じく成田空港への路線を持つJRもこれに対抗して、成田エクスプレスの特急料金割引のサービスも開始するとか。

ただどうだろう、ニュース記事によれば、成田空港の利用者のうち大宮や横浜といった東京近郊の駅にも伸びている成田エクスプレスのシェアは10%、現在のスカイライナーは8%に過ぎないのだという。これには料金不要の快速などの利用者が含まれているのかどうかはわからないが、京成といえば普通の成田空港行きなどにも大きなスーツケースを持った外国人の姿をよく見かけるイメージ。都心から遠い空港への移動にかかる費用を少しでも安く上げようということか。

実態は空港利用者の4割がリムジンバス利用という。そりゃ、細かなネットワークがあり、乗り換えもいらないし、エリアによっては主要ホテルまでそのまま連れて行ってくれる利点がある。今回の成田スカイアクセスの開業により、鉄道がどこまでシェアを拡大することができるか注目である。開業したのはいいが乗っているのは「その筋」の人ばかり・・・・ということのないように。

それよりももっと心配なのが、「国際ハブ空港をどないするねん」ということ。成田の「空港としての魅力」は国際的に見てどうなんだろうか。ハブ空港ということでは西宮の、もとい韓国の仁川やらシンガポール、クアラルンプールやらのほうが優れているということもある。アクセスの改善は一つのアピールにはなるが、そもそもこの空港を今後どうして行くのかという方向性が見えない。政治のほうも、一時「羽田のハブ空港化」を打ち出して千葉県の森田健作知事がえらい怒ったということがあったが、最近そういう話題はどこかに立ち消えてしまったようで。それはそうと前原大臣、一時期に比べてずいぶん目立たなくなりましたぞ。

「この国をどう組み立てていくのか」を考える上では、道路行政と合わせて鉄道、空港、港湾というインフラをどう整備するかは避けて通れないと思う。これからの実のある議論を期待したいものである・・・・。

コメント

そろそろ青春18きっぷの時期

2010年07月13日 | ブログ

このところ鉄道ブームとやらに乗ってあれこれ登場している鉄道ものの書籍。雑誌の数も昔に比べていろいろ出ているが、その多くは数号発行して廃刊、休刊という有様。一部には異論もあるだろうが、やはり鉄道、特に「汽車旅」ものについては過当競争というか、結局は「そんなんもう当たり前だし新鮮さがない」ということで飽きられたというか。特に人気ローカル線ともなれば今や乗車率は朝の山手線並みという列車もあり(鈍行列車のくせに30分前に並ばないと着席できないとか)。

さて最近見かけたのが「鉄道ひとり旅ふたり旅」(エイムック1980)。旅行作家である芦原伸氏を編集長に、他の雑誌でも見かけたライター、写真家による文章で綴り、さらりとした感じで仕上がっている。このくらいライトな感じがいいのだろうが、そのくらいのライトさでいいのかという気もする。

その第2号には、大都市を基点とした青春18きっぷのモデルコースが紹介されている。このきっぷをテーマにした書物も今やうんざりとするほど出ており、モデルコースもいろいろと紹介されているほど。こういうのを見ると、「もう、その時期なのだな」と思う。

次の海の日の連休にはまだ使えないのが残念だが、時間はたっぷりとある(はず)。ひたすら遠くを目指してもよし、近場で途中下車を繰り返すもよし。また時刻表を駆使してプランを練るのが楽しみである・・・・。

コメント

参議院議員選挙について

2010年07月11日 | ブログ

本日の参議院議員選挙。今朝は朝6時40分くらいに投票所である近所の小学校に出向く。7時の投票開始を前に楽勝で「一番乗り」を果たす。

以前に東京で一番乗りをやった時は私ともう二人が先に会場に入れられ、投票箱2つの中身が空であることを確認した後、そのことを証明する紙に住所氏名を書くということがあった。ただ今回はそのような儀式はなく、7時になると並んだ順番にまず選挙区の投票用紙が渡され、候補者名を書き終えた何人かが投票箱のところに行くと係の人が「じゃあ、中これで見ていただいたということで閉めますね」ということを言って蓋を閉め、「じゃあどうぞ」というもの。別に一番でなくとも、5人くらいが箱を取り囲んだかな。ちなみに選挙区と比例が同じ箱で口が二つに分かれているというタイプで、入れ間違えやしないか一瞬迷う。ところによっていろいろなやり方があるものだ。

さて、20時からの各局の開票速報を見る。事前の取材や出口調査によるものか(ちなみに、私はまだ一回も出口調査なるものにはお目にかかったことがないのだが)、番組が始まると開票作業前というのにもう続々と「当選確実」が出てくる。元近鉄の4番・石井浩郎氏も秋田選挙区で早々と当選確実が出たようだ。

私の地元の兵庫選挙区は自民と民主の現職が当選の見込みで、民主の「小沢ガールズ」の候補が伸びないというのも含めてほぼ予想通りの展開。無風といえば、無風だったかな・・・。

今回の結果で「ねじれ」国会ということになるが、前回の「ねじれ」ではそのために国会内の駆け引き、強行採決など、ろくなことがなかった。まあ今回の結果で民主党が密かにやろうとしていた政策(ネット上では「売国」と書かれていた)が抑制されるのは歓迎だが、やらなければならないこと、政策として何か国民のために一歩進まなければならないことがストップするというのは最悪である。数の論理で何事も片付けるのではなく、徹底して議論を図ってほしい。それで給料もらっているんでしょ。

個人的に気になったのが投票率の低さ。選挙特番のはじめのほうでは投票率が40%前後、多いところでも50%ないという報道で、「あれだけ連日話題になっていて何で?」と思わせた。まあその後、駆け込みで投票に行く人も多いから数字は伸びるのだろうが、それでも60%行かないというのは、国政通常選挙としてどうかと思う。やはり関心のない人、あるいは「誰が投げても一緒」ということで棄権する人が多いのだろう。それはもったいない話。

それだけ、政治のほうに魅力がないのだろう。相変わらずの政治とカネの問題、連日ドタバタを繰り広げたり、マニフェストに書いたことを簡単に反故にしたり・・・・。ホンマに、こういう内輪の話はやめていただいて、この国をどのように正していくのか、国益をどう盛り立てていくのかの真剣な議論を期待したいものである。

コメント

参議院議員選挙ですが・・・

2010年07月10日 | ブログ

明日11日は参議院議員選挙の投票日。ただその前にサッカーのW杯だとか、大相撲の騒動だとかの報道ばかりが先行し、選挙といっても焦点は「消費税」ばかり。何だか影が薄いような感じ。本当はもっと関心を持たなければならない問題が多々あると思う。ちなみに、私の中では「消費税」に関するウエイトはかなり低い。個人的に争点とは考えていない。

ただそんな中でもネット記事やツィッターでは選挙に関する話題があれやこれやと語られており、いろんな争点についても触れられていることもあってこちらのほうでさまざまな情報を得たり、いろんな方の意見などを参考にさせていただいた。今や、情報を得るといえばテレビよりはネットではないだろうか。新聞・・・もその記事本文がネットで掲載され、それに対して多くの人たちがあれやこれやと議論を行っているのだから(ただ、ネットで強いのは産経と毎日のようですが)。

さて、私の住む兵庫選挙区は定数2に対して民主が2人、あとは自民、共産、みんなの党、新党改革、幸福各1という立候補。昨年の総選挙では「公明対新党日本」という、何ともまあいびつな選挙戦に悩まされたもの(どちらにも入れたくないという意味で)だが、今回は選択肢が多少広がっているということでまだ考えようはある。

また、「一人2票」ということからして、比例区をどうしようかというものがある。2票とも同じ系統にするか、1票ずつ分けさせるか、そこは思案のしどころ。

そんな中、いよいよ投票日が明日ということになってようやく私の中で「投票先」が決まったようだ。今回はこうしよう・・・・。

明日の投票には「人生通算3度目」の「投票所一番乗り」を目指すか。まあ、起きてみての話だが・・・・。

コメント

オリックス、BCリーグの主砲カラバイヨを獲得

2010年07月09日 | プロ野球(独立リーグほか)

この前セギノールを獲得したのにと思ったら何ともまあ手の早いことでびっくりした。

オリックス・バファローズが戦力補強のために、独立リーグのBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスに所属しているカラバイヨ選手を獲得したという。バファローズファンであり、BCリーグにも注目している私としては、何ともびっくりなニュース。

そのカラバイヨ、前年は高知ファイティングドッグスでも長打でリーグ制覇、独立リーグ日本一にも貢献し、今季は前年度BCリーグチャンピオンの群馬に移籍して、ここでも7月現在37試合出場、打率.364、本塁打15、打点46の成績。本塁打、打点はリーグのダントツトップで、打率も同じ群馬の井野口に次ぐ2位(ちなみに、本塁打のリーグ2位は元ソフトバンクで現在石川に在籍する本間の4本)。先日、「BCリーグにスラッガーがほしい」というリクエストを来場アンケートに書いたのだが、外国人選手ということなればレベルの違う選手が既にいたということだ。

BCリーグの選手といえば1年間のプレーを通して秋のNPBのドラフト指名を待つ・・・というのがスタイルであるが(もっとも、「地域貢献」を第一として、必ずしもNPBに選手を送り込むことを命題とはしていない運営方針を貫いているのだが)、こういう移籍はありなんやなと思った。ドラフトに関する規制だの何だのって、結局日本人選手に適用されることで、今回のようなケースは「空白の一日」ではないが、プロ選手の位置づけの盲点をついたようなものか。

P4260163さすがに今季群馬まで試合を観に行くことはできず、カラバイヨのプレーをこれまでに見たことはないのだが、二つのリーグで好成績を挙げているということは日本野球への適応力は高いのだろう。群馬でも選手として人気のある存在なのだろうか?? オリックスは即戦力というより育成も視野に入れての獲得というが、いよいよ故障で戦力が足りなくなった際には今季の出場もあり得るだろう。

BCリーグも後期が始まったばかりの出来事で、群馬・秦真司監督の「群馬初のNPB選手ということで光栄」とのコメントもあるが、本音のところはどうなのかなと思う。「何もリーグ途中で引き抜くことはないだろう」と思っていたりして。他には移籍金に関する契約というのはあるのだろうか、BCリーグの運営方針として今後同様のケースがあった場合どうするのかというのは気になる。

それでもまあ、選手として期待したいところ。一野球ファンの勝手な思いとして、同じく今年福井から入団した前田が先発に入り、カラバイヨが主軸を打つ・・・・BC出身者がNPBで活躍する光景というのを見てみたいものである・・・・・(ウエスタンリーグでもいい)。

コメント

宇高航路、それから・・・

2010年07月08日 | 旅行記F・中国

Dscn1057 4日、真夏の太陽が照りつける高松築港に降り立つ。高松といえば昨年の大晦日から今年への年越しを駅前の全日空ホテルで過ごした。四国の玄関である港町である。

さて高松の滞在もわずかで本州に戻ることにする。ルートはいくつかあるのだが、ここは久しぶりの「宇高航路」を選択。

Dscn1059 宇野~高松の国鉄の連絡船が就航してから今年で100年という。しかしその中で時代は移り変わり、瀬戸大橋の開通で鉄道連絡船は廃止、宇高国道フェリーと四国フェリーの2社体制での運航も高速道路の料金値下げの影響で存続が危ぶまれている。一時は今年限りの廃止を宣言したが各方面からの慰留により取り下げたということもある。

かくいう私もこのところは四国に渡るのにマイカーを使ったり高速バスを使ったりということばかりで、フェリーの撤退やむなしの状況に加担しているのは確か。ただ今日は本州から四国への移動も和歌山からのフェリーを使ったことだし、ここは宇高航路に乗ってみることにしよう。それにしても何年ぶりだろうか・・・?

Dscn1060 携帯電話でダイヤ検索すると次の出航は15時25分発の国道フェリーということで、歩いて5分の乗り場にやってくる。コンビニの前にある券売機で乗船券を買い求める。乗船口にいるのは20人ほど。

瀬戸内のフェリーというのはどこか「渡し舟」の感覚があり、やってくる船も鉄骨が目立ち、クルマも人も手軽に乗り降りできるつくりになっている。25分発のフェリーも25分にやってきて、そのまま2~3分ほどですぐに折り返し出航していく。

Dscn1068_5Dscn1081 暑いけど瀬戸内のフェリーは甲板がいいだろう。人気のない甲板にあがり、高松のパノラマを楽しむことにする。

Dscn1083 やはり潮風に吹かれての・・・(もういいって)。

Dscn1084 1時間の船にあって、女木島、男木島、そして海に沿って個性的な建物が目に付くのは直島。瀬戸内に広がる島並みを眺めるのは楽しい。まさにクルージング気分である。

Dscn1097 フェリーも質素なつくりではあるが、こうやってのんびりした一時を過ごすのはよい。今や高松から1時間で岡山まで行ってしまう状況であるが、フェリーにはフェリーのよさがある。苦しい経営であることはよく分かるのだが、何とかフェリーの長所を生かす形での存続というのを願いたいものである。

Dscn1104 またこの夏、これらの島々を舞台にして「瀬戸内国際芸術祭」なるものが行われる。島巡りとアート巡りを組み合わせる形で瀬戸内の素晴らしさを知ってもらおうというイベントである。先ほど乗ってきた琴電やこのフェリーにも告知ポスターが飾られている。果たしてどこまでの話題を提供することになるか。

Dscn1103 このイベントを支えるボランティアスタッフに「こえび隊」というのがあるそうだ。ツィッター上でも「こえびスタッフ」という方の書き込みを見るし、週末ごとにあちこちの島を訪れて地域の清掃活動をはじめとした受け入れ準備を行っているという。イベントが始まると道案内も行うのだろう。現代アートはよくわからんというところもあるが、この夏を島訪問で過ごすというのも面白いかなと、今から期待できる。船内では彼らの活動の一つであるPR紙「こえび新聞」も置かれており、これを見てコースを検討するのもいいかも。

Dscn1107 宇野港着。国道フェリーから少し歩いて宇野駅に到着。小ぢんまりとしているがしゃれた感じの駅舎が出迎えてくれる。宇野のある玉野市は漫画家・いしいひさいち氏の出身地で、彼の描くキャラクターがあちこちに見える。今日はこのまま列車に乗るが、芸術祭の行きがけにはいしいひさいち巡りもスケジュールに組み込まねば。

Dscn1108 17時05分発の岡山行きは湘南カラーの113系。晴れの国・岡山に上陸である。各駅停車のため、宇野から岡山まででも1時間かかる。ただ往年の宇高航路~宇野線というのも、近代史をたどるコースであり、今回の乗り鉄にふさわしいルートである。茶屋町からは乗客も増え、今や広島を追い抜いて中国の交通・経済の中心になりつつある岡山に到着。

Dscn1118_6 さて、岡山まで来れば人心地ついた感じ。そろそろ外も暗くなってきた。・・・ということで、駅前の居酒屋「鳥好」へ。店名に鳥とはついているが、瀬戸内の魚をはじめ、さまざまな居酒屋メニューを取り揃えた老舗。

Dscn1113 このところ岡山で時間ができるとここに立ち寄って料理を味わうことにしている。昔ながらの居酒屋風情を楽しむことができるのも大きい。

Dscn1114_3 ままかりやら岩がき、そして岡山名物の鰆もある刺身などを味わう。いや、日中が暑かったものだからこういう店はありがたい。

Dscn1133 店でゆっくりとした後に駅に戻る。次に乗るのは新幹線。今回はもちろん青春18きっぷではなく普通に乗車券を買っているが、岡山から20時44分発のこだま号がある。これで1駅、相生まで移動する。自由席で隣の駅までということで940円の追加となるが、やってくるのは100系の新幹線。100系といえば早晩引退が決まっている車両であり、2×2列シートに少し座ってみるのもいいだろう。

Dscn1134 1車両あたり10人もいないこだま号。これで宇高航路~宇野線~新幹線という往年のリレーが完成?した。

Dscn1140 それもわずかの時間で、次の相生で下車。播州赤穂からやってくる新快速に乗車して三宮に出る。さすがに朝からの移動の疲れと酔いが出てきたか、姫路までは覚えていたがその次は神戸だった。明石海峡大橋を見ることができずに残念。

そして三宮から阪急電車で塚口に戻る。22時を回っているがこのあたりはまだまだ乗客も多く、それほど遅い時間という感じがしない。ともあれこれでこの日は「一筆書き」紀行となり、関西~四国~中国のさまざまな乗り物を楽しむことができた。まずは夏の鉄道旅行として、暑くて疲れた中にも充実感を味わえるコース・・・。

コメント

徳島から高松へ抜ける

2010年07月07日 | 旅行記G・四国

南海フェリーでやってきた徳島。さて、目的地や宿泊地が徳島ということならばどっかりと腰を据えて、市内散策に出かけたり、最後は昨年に訪れて気に入った居酒屋に入って阿波の魚や阿波尾鶏、鳴門のワカメなどを味わうところであるが、この日は折り返し地点であり中継点であるというところ。時間からみて昼食を取るくらいの時間しかない。

時間的に昼食ということだが、徳島ということで徳島ラーメンでも食べようか。・・・といっても、どこかの店に詳しいというラーメン通でもないので、駅前の手ごろなところで済ませよう。

Dscn1009 そんな中見つけたのが、駅から見てロータリーの左手にある「麺王」。徳島ラーメンの特徴というのが醤油豚骨ベースのスープに、肉はチャーシューではなく豚バラ肉のあぶりというもの。店内には「駅前ラーメン激戦区」という見出しの地元新聞の切抜きが張られ、このあたりが県外からの観光客も巻き込んだラーメン激戦区であることを伝えている。まあもっとも、ラーメンは好きな食べ物だが「この店でなければ」というほどのイレコミを持っているわけでもなく、まあ美味しいのではないの?という感想を持って昼食を終了。

Dscn1020 さてこれからの行程であるが、とりあえず自動券売機で高松までの乗車券を購入する。結局徳島の町歩きはまた次の機会ということになった。高松まで1,410円。時刻表を見ると、徳島発12時16分の高松行きの鈍行がある。これでのんびり、高松まで揺られることにしよう。

Dscn1018 徳島県といえば、日本で唯一「電車の走らない県」である。ということは気動車があふれている県であり、県の代表駅である徳島駅ホームの横には気動車の留置線があり、いろいろなタイプの気動車が停まっている。できれば国鉄型のキハ40・47系に乗車したいところだが、やってきた高松行きは1200系というやつ。ボックス席とロングシートが千鳥状に並ぶ車内。ボックス席に陣取ると、その様子を車両反対側のロングシートに座った客がライブで見られるというものである。1両の気動車は出発時刻になると高校生や若者の客が集まってきて座席がほぼ埋まって発車。

Dscn1025 気動車といっても軽快な走りを見せ、吉野川を渡る。2つ目の吉成で早速8分の停車。上下列車の行き違い、特急列車の退避などを見せる。こういうローカル線の鈍行の旅というのも最近ではなかなか味わえないことで、これもまたよしと思う。どうせ急ぐ旅ではないし・・・。

そんな学生たちも勝瑞、池谷でほとんど下車し、1両の乗客は1ケタになった。ボックスシートの前の座席に足を伸ばしてくつろぐ。フェリーの桟敷もよいが、鉄道のボックス席独り占めというのもなかなか快適なものである。

Dscn1026 池谷の次の板東でも10分停車。本当は高松までの近距離切符しか持っていないのだが、ここは車両を降りて駅舎へ。ここは四国八十八ヶ所の1番札所・霊山寺の下車駅とある。ここに1番の札所があるというのは何だかいわれがあることなのだろう。

Dscn1028 無人駅であるが、駅舎内にはお遍路さんの作法を解説したポスターが貼られている。ただ私の乗っている列車にはお遍路さん風の人はおらず、何とも真夏の日差しが照りつける昼下がりの風情。でもいいなあ、こういう夏草を感じられるのって。

Dscn1033 板野でも下車があり、これで徳島から乗ってきた客は私一人になった。ここからげ県境越え。大坂越を過ぎ、トンネルを抜けるとふっと右手に青い海が広がる。次に見えるは播磨灘、そう瀬戸内海である。ここから少しの間、やや遠目に海を見て阿波から讃岐に入ったことを実感する。気のせいか、並走する国道沿いに「うどん」の文字が目立つようになった。

引田や三本松で部活動帰りの中学生、高校生らを乗せてがぜん車内は賑やかになる。高校生ともなれば車内でも落ち着いたものだが、中学生だとまだわんぱく盛り。さすがに暴れまわる生徒はいないが、時折大きな笑い声を立てて元気だ。これも昼下がりのローカル線の一こまといえるだろう。

Dscn1040 さてこのまま乗車していれば14時43分に高松に到着するところであるが、徳島から2時間乗っていると、何だかこのまままっすぐ着くのがもったいない気がしてきた。トイウコトで時刻表を見ると、途中の志度からは琴電の志度線が並走することがわかる。切符の有効区間を途中で放棄する形になるが、ここは変化球をつけるということで席を立つ。志度から信号を渡ってすぐの琴電駅にやってくる。

Dscn1043 しかし、ちょうど今高松は瓦町行きの電車が出たところ。次の便まで20分ある。少し駅前を歩くことにすると、この志度は江戸時代の科学者・平賀源内の生誕の地であることがわかる。記念館が設けられていたり屋敷跡が残っていたりする。残念ながらそれらに立ち寄る時間はないのだが、ある1本の細い道が「源内通り」を名乗っており、そこに源内の言葉を集めたミニ看板が飾られていたりする。エレキテルの発見、日本に「土用の丑の日にはうなぎを食べよう」というキャンペーンを張った源内であるが、街の人にとっては大きな誇りであることだろう。

Dscn1046 さて琴電志度駅にやってきたのは元京王の車両。それにしてもいや~、冷房車というのはよろしいもんですな。高松築港までは瓦町乗り換え含めて40分ほどの道のり。

Dscn1052 志度を出るとすぐに海岸線に出る。海を隔てて先に伸びている陸地は五剣山を中心とした半島で、その先端部が映画のロケでも有名な庵治の町並みである。いずれは出かけなければならないだろう・・・。

ローカル私鉄らしく民家の路地裏のようなところも通る。車掌が回って来ては途中駅からの乗客に乗車券を手売りする。紙の補充券に挟みを入れるという旧タイプ。一方で各駅にはICカード「イルカ」の読み取り機もあり、デジタルとアナログが見事に調和している。私鉄にはまだまだ各社ごとの個性というものを感じることができる。

Dscn1056 琴電のターミナルである瓦町に到着。志度線の線路はここで行き止まりとなっており、動く歩道もある長い通路を渡って高松築港行に乗り換え。ホームのすぐ横に高松城の石垣が見える築港駅に到着。少し変化球も混ぜながら高松に到着した。

さて高松からはどう動こうか・・・・。(続く)

コメント