まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

吉野から慌ただしく折り返し

2017年02月28日 | 旅行記E・関西
「青の交響曲」で吉野に着いたのが11時26分。乗客の中には折り返しの便で往復乗車を楽しむ人もいるようだ。こちらにも「本日の空席状況」が掲示されていたが、2便、4便とも満席のようだ。私はどちらも予約していない。

吉野に来たのだから義経や南朝ゆかりのスポットや、修験道に関する寺社を回るのが本来の楽しみだろう。桜の咲いていない時季ならなおさらである。ただ、この日の私はそこまでの余裕がない。帰りに西国三十三所めぐりとして壺阪寺に行くことにしており、壷阪山駅から寺までの往復のバスの時間や滞在時間を考える必要がある。また、行きは特急に乗ったので帰りは鈍行の旅(走るのは阿部野橋行きの急行だが、橿原神宮前までは各駅に停まる)にしようかと思う。それらから乗る列車を13時07分発の急行としたが、これで1時間40分の滞在である。時間はそれなりにあるように見えるが、吉野の主要なところを回るとなると少ない。

また、観光エリアはロープウェイを上がった先にある。ちょうど乗り場に行くと出たばかりだった。次は15分待ちである。ちなみに、「青の交響曲」の乗車記念証の提示で吉野観光の特典が受けられるキャンペーンをやっていて、このロープウェイの乗車料金も割引になる。ここで15分待てばいいのだが、ふと、ロープウェイを使わずに上まで歩こうという気になる。このところあまり歩けていないし、また春になれば四国八十八所めぐりも計画しているので、ここは歩いてみよう。

ロープウェイ乗り場横の道を上る。他にも何人か上る人がいる。少し上ると七曲坂に出る。斜面に沿って桜の木があり、吉野の下千本のエリアである。その時季なら桜を眺めつつちょっとした運動にもなる。

道はカーブが続くが途中ショートカットする階段もあり、15分ほどで山上のロープウェイ乗り場に着く。次のロープウェイに乗るのとさほど変わらない時間で着くことができた。ここからもう少し坂を上り、黒門や銅の鳥居を過ぎる。春を待つシーズンオフらしく、道行く人も少なく、店もひっそりしている。吉野にはこういう時季もあることを感じる一時である。近く吉野町の町議会議員選挙があるようで、候補者たちのポスター掲示板がある。結構多く貼られているし、その掲示板に近いところの旅館の大将も立候補しているようだ。定員何人に対してこれだけの立候補がいるのか知らないが、こうした町なら票の取り合いも1票単位でシビアなのかなと思う。いずれにしても、町の活性化に向けてお疲れ様である・・・。

吉野のスポットで最も知られる金峯山寺に着く。他のところは難しいにしても、ここだけは行っておこう。まずは修復工事中の仁王門をくぐり、境内へ。

以前に吉野の地酒飲み比べ列車で来た時はちょうど秘仏本尊の金剛蔵王権現が公開されていて、同行の鈍な支障さんとともにその姿にうなったものだが、今回は何もない。ちなみに今年は4月1日~5月7日で公開とあり、ポスターやチラシで宣伝しているが、桜の時季と重なりごった返すのではないだろうか。「青の交響曲」もすでに近鉄系のクラブ某リズムが全部押さえているという話もある。

本堂蔵王堂に入る。「青の交響曲」の乗車記念証を提示すると、「こちらから一つどうぞ」と箱が出てくる。記念品ということで一つ引くと瓢箪のお守りが出てきた。

本尊が安置されている厨子の扉は閉められているが、外陣は畳敷でゆったりしている。せっかくなのでお勤めするか。壺阪寺にも行くので数珠と経本はある。前に来た時は札所めぐりなど考えてもなかった時期だが、今は違う。結構いろいろ意識する。正面には金剛蔵王権現の真言が掲げられており、最後はそれをたどたどしく唱える。ただ、納経帳にない寺社では朱印をいただかないことにしているので、金峯山寺の朱印はない。いただくなら神仏霊場会めぐりか、役行者霊場めぐりか。

吉野のスポットめぐりはこれだけにして、帰りもロープウェイに乗らずに坂を下る。駅に着くとちょうど列車待ちのまったりした時間帯で、しばらく列車待ち。そんな中「さくらライナー」が到着した。これが、私が乗る急行の少し前に発車する。今回はパスしたが、これに乗れば往復で特急車両の乗り比べができる。乗り心地ということなら「さくらライナー」のほうが特急専用車だけに良いのではないかと思うが、またいずれ「乗り比べ」をしてみたいものである。

「さくらライナー」の発車を見送った後、各駅停車の急行に乗る。吉野線は単線で、特急と急行が交互に走るダイヤである。そんな中で行き違いのための停車がある。そこは淡々とやり過ごすが、たまたま乗る分にはなかなかよくできたダイヤとしても、日常の利用客にとっては勘弁してほしいのかもしれない。こちらは特急の倍時間かかったような気がする。それでも、列車からホームに降り立とうという気までにはならない。

壷阪山駅に到着。これから寺に向けて4キロほど歩くが、せっかくなので麓の城下町を経由することに・・・、
コメント

近鉄特急「青の交響曲」で吉野へ

2017年02月27日 | 旅行記E・関西
10時10分、「青の交響曲」は阿部野橋を出発。その時は2号車のラウンジカーのソファー席に座っていた。普段通勤で通る駅も、こうした席から眺めるとずいぶん様子が違って見える。

ラウンジカーにいたのは、併設のバーカウンターが発車とともに営業開始となることからである。それを見越して乗車とともに陣取って、そのまま居続ける客がいると聞いたものだから、先に行ってみた。案の定、営業開始前からバーカウンターには行列ができている。乗車時間がもろに昼食時間帯に重ならないためか、弁当や重いメニューはなく、サンドイッチや柿の葉すしといった軽食や、スイーツが中心。一方で飲み物はいろいろあり、沿線のものとして河内ワインにチョーヤ梅酒、葛城や吉野の地酒飲み比べがある。ラウンジカーは食事というよりは、飲みや喫茶のための場所である。そこは、同じ近鉄でも「しまかぜ」と異なる。

で 、私が選んだのは葛城の梅乃宿酒造の純米大吟醸。酒の味というよりは、車内限定「青の交響曲」のラベルの一合瓶に、吉野杉で作った「青の交響曲」の一合枡というのに引かれた(結局は「飲み鉄」か)。で、一合枡になみなみと注いで写真を撮るのだが・・・列車の揺れで枡から酒が溢れ出る。下に敷いたトレイに結構こぼれる。これもまた旅の一興だが、そうなるのも通勤型車両の改造版の宿命か、それとも南大阪・吉野線だからか(笑)。「しまかぜ」のラウンジカーに乗ったことがないのでわからないが、それと比べてどうだろうか。

なお、「青の交響曲」の記念乗車票や、オリジナルのコースターはバーカウンターから自分で取る仕組みである。

まあ、ラウンジカーを体験できたし、この後も他の乗客たちがのぞきに来るので、席を譲る形で立つ。列車はそろそろ奈良県に入るところ。2号車の端にライブラリーがあり、吉野や大台ヶ原の写真集や飛鳥の史跡ガイド、果ては修験道に関するものもある。これらは車中でじっくり読むというよりは、これからの歴史、自然ゾーンへの雰囲気作りだろう。

座席に座る。車内は1-2列が基本だが、私が当てられた車椅子席は客室の端で、2席のスペースが1席になっているところ。このためかスペースがゆったり取られているように感じた。テーブルは壁側から倒すが、物を載せても先ほどのラウンジカーほどの揺れは感じない。固定テーブルを備えた「一人席」との比較はできなかったが、最後の一席の車椅子席も悪くない(もちろん、この席を必要とする方たちの席であることが前提)。

通路の向こうは真ん中にテーブルを置いた向い合わせの席。旅行が好きそうな奥様と、無理矢理付き合わされたような感じの旦那さんという感じの初老のご夫婦が座って大声でしゃべっている。通勤列車でそうされたらかなわんが、観光特急なら夫婦漫才にも聞こえる。もっとも、人生幸朗と宮川花子がコンビを組んだようなしゃべりで・・・。

列車は橿原神宮前から吉野線に入る。ここで下車する人、乗車する人がいる。ここからは単線で、ローカル線の風情が高まる。ただ、観光列車だからといってどこかで長く停まるとか、徐行運転するということはない。あくまで、定期運転の特急の1本が「青の交響曲」であるというダイヤである。

ふと、以前にこの線で体験したイベント列車を思い出す。拙ブログでも書いたが、「利き酒列車」に「さよならイベント」。前者は「さくらライナー」利用で、吉野までの間、弁当が配られて吉野の地酒の飲み比べ。後者は特急16000系の「デッキなし車両」の引退にともなうもので、復路では古市での撮影会もあった。いずれも団体貸切扱いで途中駅での乗降はできないが、長く停まることがあった。それでも苦情はなかったのではないかと思う。この「青の交響曲」も、そうした路線で行けばどうかと思ったのだが、どうだろうか。先を急ぐ客には定期列車を少し前に1本出すとか・・・。

列車は六田を過ぎて大和上市に近づく。右手には吉野川。ラウンジカーの営業終了のアナウンスも入る。通路向かいの人生幸朗旦那が「何やもう吉野着くんか!バカモーン!責任者出てこーい!」・・・と言ったわけではないが、確かに阿部野橋から「もう吉野?」という感じはした。まあ、吉野特急というのはそういうものかもしれない。だから観光特急も通勤型改造で充・・・あ、吉野に着いたな。

吉野は山に囲まれて終着駅風情が結構あるところ。阿部野橋から1時間あまりでこうした山奥に着くのも関西ならではと思う。「青の交響曲」では満席の乗客も、この時季のホームでは混雑を感じさせないくらいだ。まあ、吉野が混雑するのは何と言っても桜の時季だが。

これからどうするか。壺阪寺に行くつもりでリュックに先達納経軸やお勤め一式を入れているが、せっかく吉野まで来たのだから、すぐ引き返すのではなくとりあえず上に上がろう。普通はロープウェイだが・・・・。
コメント

近鉄特急「青の交響曲」初乗車へ

2017年02月26日 | 旅行記E・関西
先週のニュースで、JR西日本がこのたび新造した「トワイライトエクスプレス瑞風」のお披露目というのをやっていた。スイートとかロイヤルとか、展望車に食堂車にと豪華な設備を備えた列車。1泊2日のクルージングプランで一人ウン十万円するにも関わらず、ウン十倍という競争率。今年6月の運行開始となると、また改めて賑わうことだろう。

そんなニュースを見て、さすがに「瑞風」に乗るのは無理としても、私の地元、近鉄南大阪線・吉野線を走る列車があるではないかと改めて思った。昨年9月にデビューした「青の交響曲(シンフォニー)」。これまで、ホームに停まっているのは目にしたことがあるが、連日満席という情報もあってこれまで乗ることなく過ごしていた。ただ、「瑞風」を見て「青の交響曲」に乗りたいと思ったことは確かである。3月に入ると観光シーズンで席も取りにくいだろうし、私自身もなかなか動ける日が限られるので、2月中に乗ってしまうか。なお、「青の交響曲」の特急券は券売機で買うことはできず、窓口に行く必要がある。最近では阿部野橋駅の窓口に「本日の空席状況」を掲示しており、日常の行き帰りに目にすることがあるがだいたい「満席です」の表示である。

25日、所用で大阪市内に出ることがあり、ふと「当日なら満席だが、前日ならどうなのか」というくらいの気持ちで阿部野橋駅の窓口に立ち寄った。列車は阿部野橋~吉野間を1日2往復で、機会は4回あると考える。窓口で「明日(26日)、どれか空いているのありますか」と尋ねると、「順番に調べてみましょう」と係員が端末を操作する。すると最初の阿部野橋10時10分発の1便で、「車イス席ならご用意できます」との回答。一般客に売っちゃっていいのかなと思うが、ご用意できると言っているのだから、ご用意していただこう。料金は特急料金+特別席料金で720円。阿部野橋から吉野まで75分ほど、「瑞風」に比べればスケールは小さいにしても、お手軽に人気列車を体験できるのはうれしい。

往復とも「青の交響曲」に乗る客が多いのかもしれないが、午前の便を取ることができれば、帰りは別に普通の列車でもいい。吉野山をじっくり回ってもいいかなと思ったが、吉野線は途中飛鳥や壺阪山を通る。ならば、この機会に帰りは西国三十三所めぐりの2巡目でということで壷阪寺に行こうか。

26日の朝9時40分、阿部野橋駅に現れる。この後、自宅のある藤井寺を通過するわけで、吉野に行くのに一旦逆方向に出る形になるが、そこはやはり始発から乗りたい。

行き先表示に「青の交響曲」の文字が出て、3両編成の列車が9時45分頃に入線してくる。しばらく車内準備のため停車するが、その間にも写真を撮る人で賑わう。私も扉が開くまで、ぐるりと外観を眺める。

日常乗っている路線だから気づくが、この「青の交響曲」、一から新しい車両でできたわけではない。通勤型車両を改造したもので、列車の正面の面構えや、屋根の部分もその面影が残る。各車両の扉も通勤型車両がベースになっているように見える。まあ、一般型の車両を見事に改造して人気列車に仕立てた例は、JRならいくらでもあるわけで・・・。

車内準備ができて、扉が開く。ホームには「青の交響曲」らしくクラシック音楽が流れる。ネット検索によれば、ハイドンの「交響曲101番 第二楽章」のアレンジという。これから出発を待つわけだが、まずは1号車の座席に荷物だけ置いて、向かったのは2号車のラウンジカー・・・・。
コメント

プレミアムフライデー

2017年02月24日 | ブログ
・・・というのが導入され、2月24日がその第1回であった。月末の金曜日は午後3時退社として、空いた時間を飲食や買い物、旅行に充ててもらって消費拡大につなげようという取り組みである。

ただ、制度として導入し、実施を公表したのは130社ほどに止まるという。私の勤務先企業もむろん対象外。まだ、現在ある長時間労働をどう解消しようか、ただ一方で顧客対応をどうするのかで頭を悩ませている段階である。世の中、そういう会社もまだまだ多いのではないだろうか。

この制度が長時間労働解消策というより、消費拡大、景気回復の面で導入されたというのも、定着に向けて今一つ盛り上がらない要因ではないかと思う。何だか「制度を入れてみました」ということが目的であるかのように映る。まあ、定着しないだろう。

せいぜい、「世間はプレミアムフライデーらしいから、今日は早めに家に帰ろうか」とか、「プレミアムフライデーには、発泡酒ではなくプレミアムモルツとフライもんで一杯やろうか」というくらいのものだろう・・・。
コメント

フェイクニュース?

2017年02月23日 | ブログ
アメリカのトランプ大統領が大手メディアと何かと揉めていているようだが、メディアの側にもどうかなと思わせる点がいろいろあると思う。

これは大阪の話だが、今日出たとあるニュースで、「いったい何が正しいのか、マスコミは何をやっているのか」と不快に思ったことがある。ちなみに、関西マスコミのタイガース偏向報道のことではない。あれはもう論外。話にならない。

そのニュースは、元読売テレビアナウンサーの清水健氏に関するもの。今朝の朝日のニュースとして、「おおさか維新が清水氏を堺市長選に擁立」とあった。朝日以外にも複数のメディアで報じられていた。これを見て私は「やっぱりそうか」と思った、かねてから政界進出が噂されていたし、読売テレビを退社した「子どもとの時間を大切にしたい」という理由は嘘だったと。やはり維新との間に密約があったんやなと。

ただ、夕方になって、別のメディアが松井一郎代表の話として「全くありません」と報じて、清水氏の基金の事務局も否定して、「清水氏本人が講演の依頼主に謝罪に回っている」としている。

こうなると、何が正しいのかということになる。そもそも維新がそういう話を持ちかけたのか。持ちかけたけど断られたのか、あるいは、本人もいったんその気になったが、報道を受けて批判が多かったので火消しに走ったのか。果ては清水氏を傷つけただけなのか。マスコミのすることだし、相手は政治の世界なのでその辺りはどうとでも対応、言い逃れできることなのだろう。都合が悪くなれば「報道しない」自由があるし。

もし、清水氏の知らないところで勝手に報じられたことにより、清水氏に不快を感じてしまったのなら、清水氏には申し訳ないと思う。

私の生活に直接すぐ影響する出来事ではないし、数日もすれば何事もなかったかのように流れる話題だと思うが、所詮マスコミ、メディアというのはそんなもんだと改めて思う。最近、ニュース(というより、その流れ方)にちょっとウンザリしている・・・。
コメント

時短、時短といわれるが、こういう時短は必要なのか?

2017年02月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
昨年の電通社員の自殺問題を契機に、世の中では長時間労働が大きな社会的問題になっている。これまでにも長時間労働、労働時間短縮について時にクローズアップされたことはあるにしても、私が社会人として過ごしているこの20年あまりの中で、ここまで大きく取り上げられるのは初めてではないかと思う。私の周りもそんな感じである。ただ、実際問題としては仕事量と人手のバランス、業界の構造、あるいは社会全体にも関係することであり、単に時短します・・・というだけで終わることでもないと思う。

・・・時短といえば、試合時間を短縮しようという動きがちょくちょく出てくるプロ野球。長時間労働問題からガラリと話題は変わるが、プロ野球の選手をある意味労働者と考えればつながっている(というのはこじつけ。プロ野球選手は個人事業主、請負業という見方もある)。

今、メジャーリーグで検討されている「敬遠の申告制」。申告すれば、4球投げなくても自動的に敬遠四球として一塁に歩かせるというものだが、これを日本にも導入しようかという話が出ている。その理由が、試合時間の短縮。要は時短である。

ただ、それで時短になるのかな?1試合に1回あるかないかの局面で、短縮も1~2分くらいのものでしかないだろう。その程度とわかっていて「時短」と言ってほしくない。逆に、時短は建前であり本音は別のところにあるのだろうと邪推してしまう。敬遠四球も無駄球で、肩を消耗するとでも?

そもそも、野球の試合で時短を求めている人というのはどのくらいの割合なのだろうか。私個人としては、球場にお金を払って観戦するのは、「その日その時間を買っている」という意識がある。長い試合でも見所があれば安いと思うし、逆に終わりが早くてもあっさりした試合なら物足りなさを感じる。試合の内容の濃淡も要素の一つかなと思う。今はどうせ地上波の中継も少ないし、BSやCSで観戦するぶんにはさほどストレスにならない。

もし時短で見直すところを挙げるならば、もう一度「15秒ルール」の適正な運用に向けて時間を費やして検討するとか、タイムによる中断を制限するとか、細かなところだが考える余地はあると思う。野球は「間」のスポーツであることを考えると、あまり時間、時間で追うのもどうかと思う。

言っても野球なのだし、普段の生活で時間に追われているのだから、せめて球場にいる時くらいは時間を気に楽しめばよいと思うのだが・・・。
コメント

今年の福良監督は・・・

2017年02月20日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このカテゴリーの記事を書くのも久しぶりかと思う。

先の週末は遠出をせずに、自宅での休養としていたが、CS放送にてバファローズのキャンプ、練習試合の様子を観ていた。そろそろキャンプも終盤で、私もぼちぼち野球のほうにも目を向けていかなければというところである。

さて、スマホでニュースを見る中で、今年のバファローズでのキャンプでは、福良監督の「怒」が取り上げられていた。選手名はここでは挙げないが、キャンプ直前に体調を崩した選手に「怒」、体重オーバーの選手に即2軍行きを命じる、バントや小技か決められない選手たちに昼食抜きで居残り練習を命じる・・・など。

「怒」の対象となったのは期待の若手選手たちだが、何年経っても伸びてこない選手もいる。監督にはもどかしさがあったのだと思う。昼食抜きで居残り練習させることには「古くさい」という批判もあるようだが、言われる選手たちもしっかりしてほしい。

ここで、「怒」と書いてきたが、子どものしつけや部下の指導でよく言われるのが、「怒る」と「叱る」の違いである。「怒る」は感情の赴くまま、その感情を相手にぶつけること。これに対して「叱る」は相手の気持ちを考え、「良い方向に導こう」という教育的な態度が含まれる。似たような言葉だが、この違いがわかっているかどうか(わかっていても、つい感情的に「怒って」しまうのが人間だが・・・)。福良監督の一連の対応、選手との細かなやり取りはわからないので何とも言えないが、「叱る」であると信じたい。マスコミ的には、「怒る」のほうが見出しとして使いたいのだろうが。

一昨年途中の監督代行を含めると実質3年目で、進退を問われる年になるだろう。昨年のような完全最下位から巻き返さなければならないことは最も感じていると思う。それには、今回「叱られた」選手たちもそれに応えて出てこなければ。もう少し、気持ちを前に出して目立とうとしなければ・・・。
コメント

第31番「花岳寺」~新西国三十三所めぐり・27(大石神社と坂越牡蠣の名店)

2017年02月19日 | 新西国三十三所
花岳寺の山門から南下する。昔の城下町の面影を残す一帯である。

突き当たりに堀と石垣があり、左へ曲がると櫓がある。赤穂城の大手門跡である。赤穂城は、浅野家が松の廊下事件でお家断絶となった後は森家が幕末まで治めたが、明治になって取り壊された。昭和になって少しずつ整備されるようになった。赤穂城には何回か来たことがあるが、最初は小学生の頃、ちょうど大河ドラマ「峠の群像」(緒形拳が大石内蔵助役)をやっていたからか、両親に連れられて来た。その時、大阪城のような天守閣がないのに子ども心にがっかりしたのを覚えている(城跡というのは多くがそういうものだと知るのはもう少し大きくなってからだった)。

大手門をくぐるとまた普通の平地となり、大石神社に向かう。かつて大石家の邸宅があった場所に建つ。赤穂義士の討ち入りの後、地元の人たちが小さな祠を建てて拝んでいたのを、明治になって正式な神社として建てることが許可されたものである。

鳥居をくぐると四十七士の石像が両側から出迎える。その間には「大願成就」の幟が並ぶ。大石神社の一番の御利益とされている。

そして神門に着くと大石内蔵助、主税親子の石像が並び、門をくぐる。この神門は太平洋戦争中に神戸の湊川神社から移されたものである。湊川神社といえば楠木正成を祀る。戦時中、楠木正成、忠臣蔵・・・神社というのは大なり小なりそうなのかもしれないが、この組み合わせは、そちら系の色が濃く出てるなと感じさせる。

また訪れたのが建国記念の日ということで、拝殿では建国祭が行われていた。拝殿の中には協賛会というのか、大石神社のいわゆるシンパの方たちがいるようだが、式典の進行の様子はスピーカーで外にも聴こえる。来賓で兵庫県議会議員や赤穂市議会議員が挨拶していたが、その中には現在の東アジア情勢とか、自衛隊の海外派遣について触れる場面もある。建国記念の日というのは大なり小なりそうなのかもしれないが、大石神社というのは、そちら系の色が濃く出てるなと感じさせる。

こちらにも宝物館や木像館があるので見学する。先の花岳寺と比べると、四十七士を神として祀っているからか、討ち入りについてよりフォーカスされているなと感じる。

木像館に入る。浅野内匠頭、そして四十七士それぞれの木像というよりは彫刻が並ぶ。それぞれに、こうした場面や情景を想像して作成したという説明書がある。数少ない史料からその人間性まで表現しようというのだからなかなかのものである。

この後で大石家の庭園を見て、大石神社を後にする。城跡内を歩き、次に向かったのが歴史博物館。館内撮影禁止のために画像はないが、まずは赤穂といえば・・・ということで製塩の歴史が紹介される。瀬戸内が製塩に適していたことの説明だが、塩をなめてもいないのに、口の中がしょっぱく感じるのは妙である。昔ながらの製塩は、今は歴史体験の中でしか接することができないのだが・・・。同じく2階は赤穂義士関係の紹介で、その中で歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に関する展示が目立つ。今、その舞台とされて設定されている「太平記」を読んでいるが、高師直についてボロカスに書かれているのが、忠臣蔵の吉良上野介に(同じ高家として)見事にリンクしているのにうなるばかりである。いや逆か。いずれにしても、そこに目をつけて歌舞伎の話にしたのはすごいなと思う。

9時すぎに播州赤穂駅に着き、博物館を出たのが11時15分頃。少し早いが昼食とする。再び大手門に出て、駅方面に向かう途中に一軒の店がある。店の前に行列ではなく人だかりがしているのは、順番待ちの紙に名前を書いてから待っている人たちである。店の名前は「かましま」。赤穂の牡蠣で知られる坂越の網元である。坂越に水産会社の拠点はあるが、数年前に赤穂の観光客で賑わう通りに店を出している。

並ぶのが嫌いなので、普段であれば人だかりを見ただけでパスするところである。ただこの日は、遠くまで来たのだし、この後も夕方までは予定が空いているので、待つことにした。そうする間にも、駅からの歩きやクルマでの来店で、待ち客は増えていく。表には、これまで取材で来た関西のテレビ番組絡みの色紙や写真が並ぶ。結構広く知られているようだ。

相当長く待つから別にどこかに行ってもいいのだろうが、何が起こるかもわからないので店の前にいる。読もうとしてなかなか進んでいなかった「太平記」を持っていてよかった。これでページ数が結構稼げた。結局、私の名前が呼ばれて店に入ったのは、順番待ちの紙に名前を書いてから2時間後。うーん、これって、先ほど播州赤穂駅に降り立って、花岳寺、赤穂城跡、大石神社、そして博物館までのルートに要した時間と変わらない。それほどまでに人気なのかなと思う。それなら、駅から先に直接「かましま」に来て順番取りしてからルートを回ったほうが効率が良かったりして。

入口横のミニカウンターに通される。メニューにはさまざまな牡蠣料理が並び迷うところだが、店のおすすめは「忠臣蔵御膳」。生牡蠣1個、焼き牡蠣2個、カキフライ3個。これにオイカバ丼(オイスターに蒲焼きのたれをまぶした丼)、牡蠣入りの吸い物。牡蠣好きにとっては一通りいただけるセットである。坂越の牡蠣は身が大きく、シーズンだからかより美味しくいただく。焼き牡蠣がもう少し焼きが強いほうがよかったが。

これと合わせたのが「坂越ロール」。牡蠣入りのお好み焼きである。薄い生地で目玉焼きと牡蠣をくるむ焼き方である。おやつ感覚で食べる感じだ。

牡蠣そのものは本場の味で良かった。ただ、シーズンとは言え「2時間並ぶ」ということに見合うものだったかと聞かれれば、うーんと考えてしまう。ちなみに「かましま」は年中牡蠣が食べられる店としても知られているようだ。夏なんかはどういうメニューになるのだろうか。岩牡蠣とかになるのかな。

食事を逐えると14時を回っていた。夕方に大阪に戻る必要があり、赤穂線から新快速に乗り継ぐ。大雪の影響は滋賀県内でもあるようで、敦賀行きが米原止めに変更されていた。

この冬は当初は暖冬の予報ではなかったかと思う。ただ雪が降るところは例年の数倍と極端に降る。やはりこれも異常気象なのかなと思うのである・・・・。
コメント

第31番「花岳寺」~新西国三十三所めぐり・27(赤穂浅野家の菩提寺と大石家の守り仏)

2017年02月18日 | 新西国三十三所
話が変わって新西国めぐり。客番も含めて38ある札所も3分の2が終了している。結構観光で有名でも実は行ったことがなかったり、存在じたい初めて知ったところも多い。別に期限を切っているわけではないが、満願に向けて楽しみたいところである。

さて、27ヶ所目となるのは赤穂の花岳寺。兵庫県の西の端である。ちょうど播州赤穂駅と赤穂城跡、大石神社の間にあり、駅から徒歩圏内である。ここに行くなら赤穂城跡、大石神社と合わせてのいわば「忠臣蔵」の日帰り旅のようなものだ。そもそも、花岳寺も忠臣蔵とはつながりが深い。また、この2月という時季には、赤穂の名物である「アレ」もいただきたいところだ。

2月11日の建国記念の日、いざ播州赤穂まで討ち入り、もといお出かけということで、「冬の関西1デイパス」を購入する。天王寺から播州赤穂となれば、通常の往復運賃より安くなる。このパス、遠方に行くなら往復で元が取れるので使いでがある。朝の6時台に大阪を出る列車は快速で、西明石からは各駅に停車するので結構時間がかかる。

姫路のえきそばで朝食とした後、姫路発の播州赤穂行きに乗り継ぐ。この日、鳥取や兵庫北部は記録的な積雪で、山陰線では列車が1日立ち往生したり、大阪からの特急も運休したりと散々な状態である。こちらからは出かけることができないが、あちらに出かけていた人が帰って来られない状況である。城崎温泉ですら、帰りの列車に乗れず立ち往生した宿泊客がたくさんいたようである。・・・という状況だが、瀬戸内側のローカル列車は普通に動いている。同じ兵庫でも、城崎温泉と赤穂では対照的である(そうしたところが兵庫県の多様性の一つであり、嫌いではない)。

9時12分に播州赤穂着。改札を出たところから忠臣蔵一色である。現在国営放送でやっているドラマのポスターもある。

また、「忠臣蔵を大河ドラマに」のポスターや駅前の横断幕もある。2020年放映分を目指しているとのことだが、これまで何回もテーマとなっているのにまた?という感じである。周りの武士たちにスポットを当てたドラマは大河でなくても時代劇で取り上げられているし、よほど斬新な切り口でなければヒットしないのではと思う。吉良上野介を主役にするのもどうかと思うし・・・。

ともかく花岳寺に向けて歩く。途中、松の廊下事件を知らせる急使が息継ぎをしたとされる井戸を過ぎ、門前町のような小さな商店街を抜けると山門である。

花岳寺の歴史は他の札所に比べると新しく、江戸初期に常陸の笠間から赤穂に国替えとなった浅野長直が浅野家の菩提寺として建てたのが始まりである。まずはお参り前に手水に向かうが、水琴窟がある。大石内蔵助も水琴窟を愛でたそうだ。義士の人形に水をかけると、それが流れて独特の音を出す。

横には鐘楼があり、「鳴らずの鐘」と呼ばれる。討ち入りを果たした義士たちが翌年に切腹をしたことを聞いた赤穂の人たちは、花岳寺の鐘を打ち続けて冥福を祈ったが、あまりに打ち過ぎたので鐘が鳴らなくなったという。その後造り替えられて今は普通に鳴るが、伝説が残っている。

そして正面の本堂に向かう。新西国のご詠歌の額が掲げられ、浅野家、そして大石家の家紋が入った幕をくぐって中に入る。寺というより屋敷の玄関に立った感じがする。天井には安政の頃に赤穂の画家が描いた虎の絵がある。結構大きくて写真に収めきれない。ともかくここでお勤めを行う。

本堂の横に拝観受付と納経所がある。奥には宝物館や義士たちの墓があるので見ておくことにする。拝観と一緒に納経帳を出すと、中にいる間に筆を入れておくと言われた。それだけでなく、拝観順路について詳しく説明してくれた。その中で教えられたのが、本堂に祀られているのは釈迦如来であり、新西国の千手観音は中の義士木像館に祀られていること。で、その千手観音は全長10センチほどだが、大石家の守り仏だったという。曹洞宗の寺で新西国の観音霊場に「選抜」されたのは、やはり忠臣蔵関連だったということか。

まずは宝物館に入る。撮影禁止なので画像はないが、浅野家代々の藩主の肖像画や、大石内蔵助、主税親子をはじめとした義士たちの所蔵品、直筆の書画、手紙などが展示されている。

そして義士木像館。正面に祭壇があり、確かに小さな千手観音が祀られている。これは仏壇に飾っておくというより、大石家では代々戦の時に懐に入れていたのだろう。内蔵助が討ち入りの時に身につけたかどうかはわからないが。そして、両側には表門隊、裏門隊の木像が並ぶ。義士の三十三回忌から百回忌にかけて彫られたという。どことなく人形を思わせる表情が素朴な感じがする。ここが新西国の観音ということならばと、もう一度お勤めを行う。両側から義士たちに見守られているようで妙な感じだ。

続いて本堂裏の墓地。ここには歴代の浅野家藩主や、義士の家族たちの墓石がある。浅野家をはじめとして武士階級の人たちの寺だったのかな。ただ、浅野内匠頭の墓石はない。

これとは別に義士たちの墓がある。討ち入りへの処分の意味で、三十七回忌までは墓を作ることが許されなかった。その後で、浅野内匠頭を中心に、両脇に大石内蔵助、主税親子、そして周りを義士たちが役職順に並ぶという墓地ができた。戒名の間に、切腹を意味する刃の文字が入る。ただし、唯一切腹を免れた寺坂吉右衛門の墓石にはそれがない。

なかなか見所があった花岳寺。「しっかりお参りいただけましたか?」と納経帳を受け取る。まだ10時だが、ここで今回の新西国めぐりは終了。境内の休憩所で次の札所選びである。

1.高槻(安岡寺、神峯山寺)

2.貝塚(水間寺)

3.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

4.京都市内(誓願寺、大報恩寺)

5.龍野(斑鳩寺)

6.比叡山(横川中堂)

そして出たサイコロの目は「2」。この水間寺は有名だが実は行ったことがない。ようやく、その機会が訪れた。

さて、先に「今回の新西国めぐりは終了」と書いたが、別にすぐに大阪に帰るわけではない。せっかく赤穂に来たのだから・・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~高知駅前にて

2017年02月16日 | 四国八十八ヶ所
のいちから乗った列車は土讃線に入り、15時19分に高知に到着。高知駅に列車で降り立つのも久しぶりで、今の高架駅になってからは初めてである。数年前に野球のオープン戦を観に来た時もクルマで高知入りしていた。駅名標には高知ファイティングドッグスのキャラクターも描かれており、私のミッションである「巡拝とアイランドリーグ観戦」の高知編をいつ行うかが楽しみである。日程は3月になって発表されるようだ。

さて、この日は17時10分発のJR高速バス・高知エクスプレス号で大阪に戻る。それまで2時間をどう過ごすか。頭に浮かんだのはひろめ市場だが、2時間で行って戻って来る自信はない(笑)。まあ今回は帰りに高知駅に立ち寄った形なのでその辺は次回以降とするが、とりあえず駅前に出る。ちょうどここで雨が降ってきた。

駅前には土佐が生んだ維新の志士たちとして、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の像が並ぶ。また広場には「龍馬伝」をテーマにしたイベント施設もあり、見物する人も多い。

ただ、私は彼らよりも、観光案内所に立てられていたこの方のパネルのほうにうなっていた。「酒場放浪記」でおなじみの吉田類さん。仁淀川の出身で、酒飲み県の高知が生んだ偉大なる酔っぱらいである。ここで浮かんだのが、芸人・永野の「◯◯に捧げる歌」。言うなれば、「龍馬より~普通に~吉田類が好き~!!」。

・・・ということはさておき、バスに乗るのがもろに夕食の時間帯ということで、時間は早いが駅前で食事とする。駅の高架下に「庄や」がある。チェーン店だが、それぞれの土地のメニューも別枠で用意されているので、手っ取り早く、かつ手堅く味わうには便利である。鰹の塩たたき、どろめ、ウツボの唐揚げなどいただく。まあ今回はオープン戦のようなものだ。

そろそろ時間となり、バスターミナルに向かう。湊町バスターミナルまで5時間の道のりである。うれしいのは、昼行便なのに3列シート。隣を気にせずゆったりできる。

バスははりまや橋のバスターミナルと、高知インター南に停車する。そのはりまや橋もバスの窓越しに見ることができたのでよしとする。

一方で驚いたのが、はりまや橋の交差点。確か、交差点には西武百貨店があったはずだが、そこには郷ひろみさんがキャラクターの某パチンコ店がデンと構えている。あらあら。高知の一等地といえる場所に、よりによって賭博かいな。ひろめ市場のような酒飲みスポットを誘致すればよかったと思うのだが、現実はパチンコ店くらいしか名乗りを挙げなかったのだろう。まあ、この辺りはこれから高知市内を回る時に観察したいと思う。

高知インターから高速に入る。外も暗くなり、後は走るのに任せるだけだ。シートでゆったりくつろぐことにする。バスはこの後、吉野川サービスエリアで休憩、そして淡路島の室津パーキングエリアでも休憩したが、吉野川では外に出たものの、室津ではそのままシートに座っていた(移動の記述が往路に比べてあっさりしているが・・・)。

帰りも大きな渋滞はなく、途中の高速舞子も下車客がなく通過して、結局定刻より10分早く湊町に到着した。

今回で高知東部は回り終えた。これから高知中部、そして西部と続くが、公共交通機関で回るには徳島以上に時刻表を読み解く力が要るように思う。またそれらを楽しみに、春以降の四国めぐりを味わいたいものである・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~第28番「大日寺」

2017年02月14日 | 四国八十八ヶ所
のいち駅・・・駅名はひらがなだが漢字で書くと野市である。かつては野市町だったが、2006年に周辺の町村との合併で香南市となっている。駅のキャラクターは「のいちんどんまん」というもので、野市で行われる「ちんどんコンクール」をテーマにしたキャラクターとある。そういうイベントがあるのかとネット検索するが、数年前に「事業見直し」で中止されているという。キャラクターにもそうした時代の移り変わりがあるのかな。

ここから大日寺へは2キロほど、30分ほど歩くことになる。待合室で再び白衣を着けて歩き始める。この大日寺も駅からほぼ直線のところにある。

今回大日寺を訪ねるに当たってのプランニングで、ある施設に行こうかどうか迷っていた。ちょうど大日寺に行く途中の道沿いにある「龍馬歴史館」というところである。昔、珍スポットを訪ねる旅行記で、坂本龍馬の生涯の各場面を200体の蝋人形で再現したところとして紹介されていたのを読んだことがあった。ただ現在は、その旅行記を読んだ当時と経営者が変わっており、「アクトランド」という名前で、龍馬歴史館以外にも、世界の偉人の蝋人形を集めた偉人館や、クラシックカーの博物館、アフリカンギャラリー、「ゲージツ家」のKUMAさんこと篠原勝之さんのコンテナギャラリーなど、さまざまなものが集まったテーマパークである。これなら見物するのも悪くないと思うが、値段を見て驚く。龍馬歴史館が1500円で、その他は建物1つにつき1000円。1日フリー券でも5000円と、結構な値段がする。その価格を見ると、そこまでの金を払って入るまでのことはあるかな・・・とためらう。

そんな気持ちを持ちながら、アクトランドの前に差し掛かる。その外観を見て、これはちょっと入りづらいなと思った。駐車場も結構なクルマが停まっていたから人気のスポットなのかもしれないが、やはり構成が家族向けというか、小さい子ども向けなのかなという印象だった。実際に子どもが遊んでいる姿も多かった。もっとも、アクトランドに関する記事をいろいろ見ると、子どもたちが遊んでいたのはアスレチックゾーンで、こちらは無料なのだという。そしてアクトランドに来る人の多くはこの無料ゾーンが目当てで、さまざまな博物館ゾーンの客足は伸び悩んでいるとか。それは入館料の高さ関係してるように思うのだが・・・。

行きは一旦素通りして先に大日寺に向かう。ふと、大日寺の参道と記された石柱と、その先に石段がある。やれやれ、また石段上りかと数十段を上がる。すると坂道の車道に出て、数十メートルで大日寺の山門に到着した。山門は仁王像がおらず簡便な造りである。

大日寺・・・四国では3つ目の名前である(一つ目は徳島の板野町にある第4番、二つ目は徳島市の一宮にある第13番)。香南市にある第28番の大日寺は、聖武天皇の勅願により行基が大日如来を本尊として開創したところである。江戸時代には土佐藩の勅願寺として保護されたが、明治の神仏分離令で廃寺扱いとなり、後に再興した。神仏分離令で廃寺とは、午前中に訪れた神峯寺と同じで、この辺りはそうした歴史を持つ寺が続くのかなと思う。本尊の十一面観音が金剛頂寺に避難していた神峯寺とは違い、こちらの大日如来は大日堂と呼ばれた本堂に安置されていたので難を逃れたという。

正面の本堂は平成になってから再建されたものだという。四国の札所では珍しく、靴を脱いで本堂の中に入ることができる。これまでも本堂の外陣に入ってお参りした札所はいくつかあるが、靴を脱いで畳に座ってというのは初めて。大日如来像を見ることができるが、本尊の開帳は50年に一度ということで、これは御前立ちである。

続いて本堂左手の大師堂に向かうと、境内にぞろぞろと白衣姿の団体が入ってくる。そして本堂の中に入っていく。中には靴を脱ぐのが面倒なのか、入口に腰かけている人もいる。これ、少しタイミングが遅れたら私一人お参りしているところに入って来ることになったわけだが、そういう場合、先達はどのような対応をするのだろうか。私が出るまで待つのか、そのままぞろぞろ入ってきて後ろから読経をかぶせてくるのか。そのあたりのルールをご存知の方がいれば教えていただければ。

納経所は境内の奥にある本坊に併設されている。奥の院への参道補修のための寄付をよびかける貼り紙がされていた。

その奥の院、かなり奥にあるのかと思うと本坊から100メートルほどだという。それならばと行ってみることにした。奥の院には薬師如来が祀られているが、これが弘法大師が楠の立木に爪で彫ったとされる「爪彫薬師」と呼ばれている。首から上の病に霊験があるとされていて、願いが叶うと御礼に穴の開いた石を奉納するという。お堂の横にはその石が積み上げられている。

またここには弘法大師の頃から絶えず湧き出ているという加持水がある。これもまた、神峯寺と共通点である。先ほどの神峯の霊水は飲んでしまったが、ここではひしゃくにひとくち含むに止める。ちょうど先の団体がやってきた。先達は爪彫薬師の由来を説明した後、「ここもお大師さんの水がありますが、これから今日最後に行く神峯寺にはもっと美味しい水がある」と案内する。こちらは逆打ちのツアーなのかな。

元の石段を下りる。次の第29番・国分寺への遍路道の案内札が出ているが、そのまま来た道をのいち駅方面に引き返す。途中、アクトランドの前を通り、入るかどうか一瞬考えたがそのまま駅まで戻った。

次は14時53分発の高知行きである。後免でごめん・なはり線は終着し、ここからJR土讃線に入る。今回の巡拝地であるごめん・なはり線シリーズはこれで終了で、次の国分寺は後免駅からバスまたは徒歩で行くことになる。次からは土讃線の特急にも乗ることになるのかな。いよいよ、高知シリーズも中部に入ってくる・・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~安芸の武家屋敷

2017年02月13日 | 四国八十八ヶ所
シーズンオフということで、拙ブログでもこのところ野球のことを書いていないのだが、2月はプロ野球のキャンプ時期である。今年はWBCがあるということで(私の勤務先企業も日本代表のスポンサーである)、出場選手たちの早い調整が注目されている。オリックス・バファローズからは平野投手が選ばれているが、終盤の勝負どころでの登板があるかというところである。

・・・さて、記事の最初に野球の話を持ってきたのは、四国八十八所めぐりで下車した安芸といえば阪神のキャンプ地である。今は一軍は沖縄でキャンプをするようになり、安芸は二軍のみのキャンプ地だが、キャンプ時季となると関西からも大勢のファンが訪れる。今回、1月末というタイミングで私がごめん・なはり線シリーズを直前の体調不良の中「強行」したのも、その期間を避けようという理由からである。

ホームの外れにある側線には気動車が停まっており、そのうちの1両が、本家阪神電車にも見られない黄色のタイガース列車。以前にごめん・なはり線に乗った時にこれに出くわしたことがあり、何ともあきれ返ったのを覚えている。ただ一方で、今回乗ることがないかなと楽しみにしていたこともある。タイガース列車に、バファローズとアイランドリーグのステッカーを貼った金剛杖を持って乗り込むのもしゃれが利いている。ただ、この時間で側線にいるとなるとこの日の稼働はなさそうだ。

改札を出る。これから武家屋敷を目指すが、およそ2キロほどある。好都合にもコインロッカーがあり、リュックは中に入れる。金剛杖はさすがに入らないのでそのまま持参。

駅前には安芸の観光案内の看板があり、弘田龍太郎の紹介がされている。作曲家として数々の童謡を手掛けた人である。また童謡つながりで、作詞家・三木露風の出身地である兵庫県たつの市とは姉妹都市の関係にあるそうだ。

駅の北側の道を杖を突いて歩く。最初は幅が広い道も、昔ながらの集落に入ると狭くなる。ところどころに水切り瓦の造りの家が点在する。農家とか商店のようだが、結構広い範囲に分布しているようだ。

それが急にふっと、格式を思わせるような家々になる。ここからが、土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる土佐藩の武家屋敷群となる。安芸は中世から安芸氏が支配し、その後長宗我部元親を経て、関ヶ原の戦い以降は山内氏の治世に入った。山内氏は長宗我部氏の流れを汲む武士団の反乱に遭ったこともあり、支配を強めるために自身の家臣を上士として土佐の要所に配置し、長宗我部など在郷の武士たちを郷士として差別化した。安芸の土居廓中は、山内氏の家老である五藤氏が形成したものである。

安芸の観光のシンボル的存在である野良時計を外から見た後で、武家屋敷群に入る。瓦で固められた外塀もあるが、生垣で囲まれた屋敷もある。武家屋敷群といっても現在も普通に居住している家がほとんどである。

それらを回るうちに安芸城跡に出る。かつては安芸氏の本拠地だったが、山内氏の土佐藩では家老の五藤氏の屋敷が置かれた。ちなみに、安芸出身で有名な岩崎弥太郎の生家は、土居廓中にはない。それは岩崎家が上士ではなく郷士の家だからだ。逆に、坂本龍馬もそうだが、明治維新や日本の近代化に貢献した人というのが郷士層から出ているということである。

安芸城跡の中に郷土資料館があるが、ここは入らなかった。時間的に、そろそろ昼食をというところである。そこで入ったのが、安芸城跡に近い「廓中ふるさと館」。観光客向けの店だが、ここにしようと決めたのは、安芸の名物であるちりめん丼がメニューにあること。駅のパンフレットにもちりめん丼の店が紹介されているし、海のほうに行けばテレビの旅番組の常連の店があり。まあ、ここは「安芸でちりめん丼をいただいた」ということで。

やって来たのは、ゆでたちりめんじゃこに紫蘇、大根おろしにゆずポン酢をかける一品。これはこれでなかなかのものだった。あとでしまったと思ったのが、かき揚げのちりめん丼のほうがよかったかなと。これは普通のちりめん丼の上にちりめんのかき揚げが乗ったもので、二通りの味が楽しめそうだったので。

これで再び30分歩いて駅に戻る。少し時間があるので、駅に併設された「ぢばさん市場」に入る。安芸や高知の土産物、さらには地元産の農産物や魚、昼食用の弁当や寿司、パンなども豊富に売られている。観光客だけでなく地元の人たちもレジに並ぶ。タイガースグッズもあれこれ並ぶ。

駅の窓口ではごめん・なはり線のグッズが販売されていて、その中に「とうのはま へんろ君」のお守りというのがある。午前中に降りた唐浜駅のキャラクターだが、それをお守りにしている。また、お守りも神峯寺にご祈祷してもらったものという。四国八十八所めぐりのこれまででお守りやお札を納経所で購入したことはないのだが、鉄道の駅で、こうしたところのお守りが頒けられるのも新鮮である。これからの四国八十八所めぐりでも持ち歩くことにする。

乗るのは12時35分発の快速の高知行き。これは次の大日寺最寄りののいち駅に停車するのでいい。発車を待っているとホームの向かいに奈半利からの列車がやってきた。「しんたろう1号」で、オープンデッキつきの車両である。安芸でこちらの快速列車に接続し、12時49分に発車する。あれも一度乗ったことがあるが、オープンデッキで開放的な潮風を受けることができる面白い車両である。時間はあるのだから急いで快速で移動せずにあちらに乗りなおそうかとも思ったが、そうするうちにドアが閉まった。

発車すると次は球場前。この時はまだだったが安芸キャンプの開催地で、球場にかけての道には阪神タイガース歓迎の幟が並び、取材関係者とおぼしきクルマも何台か停まっている。

ごめん・なはり線は高架で建設されたところがほとんどで、だから海岸線の眺めがよい。歩き遍路の方の中にはあえて砂浜を歩く人もいるそうである。夜須駅前の道の駅「ヤシィ・パーク」も大勢のドライブ客で賑わっている。ただ曇り空は続いており、これならオープンデッキ車両に乗っても寒く感じるだけかなと思う。

13時、のいちに到着。高架駅には駅員はいないが売店が併設されている。また駅前には大型ショッピングセンターや郊外店が並んでおり、高知に近いこともあってだいぶ街中に入って来たなと感じさせる・・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~第27番「神峯寺」

2017年02月12日 | 四国八十八ヶ所
唐浜駅から歩いて1時間20分、ちょうど8時に神峯寺に到着した。

お参りの前にトイレに行ったが、入り口には立派な烏枢沙摩(うすさま)明王像がいる。便所の浄めの功徳があるとされ、最近では「トイレの神様」としても知られるようになった。後で納経所に行った時、この明王のお札がズラリ並べられていた。

さて本堂に向かうが、納経所からさらに石段を上がる。最後の最後まで上りだが、両脇は地形を活かした庭園のようで眺めはよい。また石段の途中で振り返ると、本坊も昔の武家屋敷を思わせる造りでなぜか見入ってしまう。山の上に立派なものである。

石段を上りきると弘法大師像が出迎えてくれる。「みちびき弘法大師」といい、片足を踏み出して躍動感がある。八十八所それぞれにいれいろな大師像があり、特徴があって面白い。

お堂が2つ並んでいて、手前が経堂、そして奥が本堂で、十一面観音像を祀る。四国ではきちんとろうそく、線香をあげているのでろうそくに火をつけようとするが、ライターが上手く作動しない。そういえばガスも少なかったかなと思い何回かボタンを押すがどうもいけない。するとクルマで回っている感じの男性から「僕の使ってください。差し上げますんで」と、小型のライターを差し出された。思わぬ心遣いに感謝。ただ、出発前に装備の点検はしておかないと反省。

先の記事で、神峯寺は元々神社が由来で十一面観音は神仏習合で祀られていたが、明治の神仏分離令で廃寺扱いになったと触れた。この十一面観音も、廃寺になった際は室戸の金剛頂寺に預けられ、寺の再興とともに戻ったそうである。この神仏分離、廃仏毀釈、明治政府はなぜこのような政策を行ったのか疑問に思う。

明治といえば、政治家ではないが安芸出身で三菱財閥の創始者の岩崎弥太郎がいる。その母親が、弥太郎の立身出世を願って21日間、毎日20キロ離れた安芸からこの「真っ縦」を上り、神峯寺に祈願したそうである。ならば寺のどこかに三菱マークでもあると面白いかと思ったが、さすがに見つからなかった。

少し石段を上がって大師堂に行く。大師堂の前に、まだ新しい感じの大師像がある。その奉納記念の石碑があり、香川の庵治の石で大師像を作成したと記されているが、発起人には四国だけでなく滋賀県の人が多いのに気づく。滋賀で何か神峯寺に入れ込んでいるグループでもあるのだろうか。

ともかくお参りを終えてやれやれ。この先に神峯神社への坂があるが、大師堂で引き返した。今思えば、そもそも神峯寺は神社が由来で、そこに行かなければ本来の歴史に触れたことにならないだろう。いつしか、本堂と大師堂に行けばそこはクリア・・という感覚になっていたことである。これは仕方ないのかな。ただ、他の札所もそうだが、もし次に訪れる機会があれば、もう少し周りのスポットに気をつけて、押さえるべきところは押さえるようにしたい。

この時はそのまま石段を下り、納経所に向かう。駐車場代はここで支払うようで交通手段を訊かれるが、歩きと答えると「ご苦労様でした」と返される。

これで一段落して、再び石段の横に向かう。ここには水子地蔵が祀られているが、その脇に「神峯の水」という湧き水がある。霊水とされており、ここまでの上りで空になったペットボトルに汲む。山の上ながら絶えず流れ出る霊水というのにも感心する。

さてこれから戻り。唐浜9時58分発の安芸行きがあり、これを目標にと出発したのが8時40分。まあ、帰りは下りなので間に合うとは思うが・・・。山門を出ようとすると、白衣姿の人たちと次々にすれ違う。団体のようだ。駐車場にはマイクロバスやタクシーが何台か停まっている。さすがに普通の観光バスではあの山道は無理のようだ。ただ私も、帰りは自然の山道ではなく自動車道を下る。下りは下りで結構キツい。膝の後ろにビリっと来ることのないよう注意しながら歩く。

舗装道路と昔ながらの遍路道との分岐を過ぎたところで、前方から歩いてくる人とすれ違う。前日の路線バスで見かけた、金剛杖を2本持ち、四国八十八所なのに南無阿弥陀仏の笈摺を着たお兄さんである。金剛杖を2本ともリュックにくくりつける荒業で上ってくる。前夜は同じホテルなはりに泊まっていたはずで、奈半利を1本後の列車で出たのかな。挨拶しても無表情ですれ違った。

この後、坂道をかなり下ったところで前から来る人に「オハヨウゴザイマス」と声をかけられる。こちらは荷物もほとんどない身軽な出で立ち。ただ姿は西洋人である。前日、室戸から元橋までバスに乗り、慣れた感じでバス代を払っていた人。リュックはどこかに預けたのだろう。他の遍路ころがしの道は前後の札所に続いているが、「真っ縦」は同じ道を往復する。

9時35分頃に唐浜駅に戻ることができた。ちょうど列車がホームに入って来たが、これは奈半利行き。同じ車両が折り返して来るまでしばらく休憩とする。次の大日寺に向かうのいち駅までの間は一旦白衣を脱ぐ。

折り返しで安芸行きがやって来た。再び背の高い転換クロスシートに腰かける。ここから安芸までは海岸近くも走る。ただこの日は曇っていて、黒潮もどんよりしているように見える。

安芸に到着。高知行きがホームの向かい側に停車していて、大日寺に向かうなら乗り換えであるが、ここで一度改札を出る。せっかく高知東部の中心地に来たし、観光地もあるので寄り道としよう・・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~神峯寺の「真っ縦」に挑む

2017年02月09日 | 四国八十八ヶ所
明けて1月29日、まだ外は暗い。念のため持参の体温計で熱を測ると36度台前半。前日が移動しながらいい休養になったようで、これから.歩くぶんには問題なしとする。心配なのは天気で、高知県は午後、夕方から傘マークが出ていた。

この日は第27番の神峯寺、そして第28番の大日寺を回る。まず目指すのは神峯寺で、奈半利からごめん・なはり線で3駅の唐浜からの歩きである。ものの本やネット、ブログ記事では駅から1時間半の歩きとあるが、神峯寺まではひたすら上りのようだ。途中から昔からの遍路道があるが、上りが続くことから「真っ縦」と呼ばれているそうである。「土佐の遍路ころがし」との言い方もあるそうだ。遍路ころがし・・・阿波徳島でもそうした山道に出会ったことである。その中でやはりえげつなかったのが藤井寺~焼山寺の5時間コースだったなというのを思い出す。

歩き遍路の方のブログなどでは、奈半利から神峯寺まで歩いて10キロ、その後も歩いて夕方に安芸に到着するのが標準的なルートのようだ。さすがに安芸までは無理としても、何なら神峯寺まで歩いてもいいかなという気持ちで、朝の6時にホテルを出発する。前日はリュックにしまっていた白衣を着けて、金剛杖も取り出す。改めて、金剛杖に貼り付けている四国アイランドリーグのキャラクターたちに「頼むぞ」と念じる。

・・・ということで歩き出したのはいいが、国道に出るまでだけでなく、国道に入ってからの暗さに戸惑った。大阪の感覚ではいけない。とは言え、金剛杖で足元を確かめながら歩くのもどうかと思う。少し待てば明るくなるのだが、この時はこの時点で神峯寺まで歩くのをあっさりあきらめた。ともかく奈半利駅まで何とかたどり着き、6時31分発の列車に乗ることにする。結果的にごめん・なはり線の全線に乗れるのだからよしとする。

暗い中、高架のホームに気動車が停まっている。今日はいくつかの駅で途中下車するためごめん・なはり線の1日乗車券を買おうと思ったが、窓口は営業時間外でシャッターが下りていた。これはうかつだった。駅員がいる駅といっても、始発から最終までいるわけではない。前日、奈半利駅には来ていたわけで、その時に購入しなかったのは失敗。仕方なく普通に購入して列車に乗り込む。1両の後免側がロングシート、奈半利側が転換クロスシートだが、このクロスシートの背もたれが高く、座高の高い私もすっぽり収まってしまう。大阪の新快速の車両よりも座り心地がよい。

10分ほどで唐浜に到着。ようやく周りが見えてきた。ビニールハウスが目立つ。さまざまな青物野菜が栽培されているそうで、この先の安芸はハウス栽培の茄子が特産品だという。

駅前はロータリーになっていて、遍路の姿をしたキャラクター「とうのはま へんろ君」が出迎えてくれる。ごめん・なはり線の各駅には地元の見所や名物、歴史をモチーフにしたキャラクターがある。いずれもアンパンマンの作者だったやなせたかしさんのデザインだ。この「とうのはま へんろ君」のテーマは、もちろん神峯寺である。

ここから神峯寺までは4キロということで、少し奈半利側に戻る。鳥居があり、「神峯神社」の額が掲げられている。これから目指す神峯寺は標高450メートルの山の上である。元々は神功皇后が朝鮮半島に出兵する時に戦勝を祈願して天照大神を祀ったのが起源とされるほどの古い神社である。奈良時代になって行基が十一面観音を祀ったのを神宮寺の本尊として、長く神仏習合の歴史が続いたが、明治の神仏分離令で一旦廃寺、後に再興したという歴史がある。

ということは、これから歩くのは海岸に近い唐浜からの山登りである。まずは集落を抜けるが、舗装道路を少しずつ高度を上げていくのがわかる。西国の岩間寺に向かう坂道を思い出す。途中、「二十二丁」と記された道標に出る。

少し開けたところに出る。前方に小高い山が見える。まさかあれが神峯寺ではあるまいなと思ったが・・・案の定そうだった。

ただ一方で後ろを振り返ると、曇っていてはっきりとはわからないが水平線が見える。海岸に面した松並木もある。

40分ほど歩き、残り1.3キロ地点のところまで来たところで、これまで舗装道路だけだったのが、自然の山道が分岐している。昔からの遍路道の案内もある。こういう表示が出るということは、歩きならこちらを進めという意味である。ここからが「真っ縦」の本番かと思い、荷物を下ろして少し休む。

この「真っ縦」というのはひたすら真っ直ぐに上ることから来ているのだろう。金剛杖を頼りにしばらくエイサエイサと上ると、先ほどの車道に出る。そして車道を横切ってまた自然の山道に入る。これを何回か繰り返す。昔の遍路道はほぼ直進だが、車道のほうがカーブの連続である。「水曜どうでしょう」の四国八十八所めぐりの企画で、大泉洋がクルマに酔う場面があったと思うが、神峯寺に続く坂道ではなかっただろうか。

残り九丁だからか「九丁公園」というのがある。この一角もそうだが、途中いくつかこのようなオブジェがある。仏像に見えないこともない。よく見ると「同行二人」という文字が浮かんで見える。なかなかしゃれが利いている。

1.3キロといいながら30分ほどかかり、駐車場に着いた。朝の8時前ということでクルマも2~3台しか停まっていない。またここまで歩きの人とすれ違ったり、追い越したりということもなかった。

駐車場からもう一上りして、ようやく神峯寺の山門に到着した。鮮やかに塗られた仁王像が出迎えてくれる。「真っ縦」は確かにその瞬間のしんどさはあったが、やはり「遍路ころがし」の厳しさとしては、焼山寺への上り、そして鶴林寺~太龍寺の下り&上りのほうがきつかったかなと思う。少しずつ息を整えてお参りである・・・。
コメント

第7回四国八十八所めぐり~奈半利にて一泊

2017年02月08日 | 四国八十八ヶ所
室戸からローカルバスに乗って、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終点である奈半利駅に到着した。時刻は16時前で、ここから宿泊地であるホテルなはりまでは1キロ弱戻る形になる。その途中で町歩きをしようというのである。

奈半利は、奈良時代には早くも野根山街道というのが整備されている。室戸岬を経由せずに山越えで野根(東洋町)を結ぶルートで、現在でこそ国道55号線が海沿いを走っているが、当時の室戸岬は最果てで波も荒く、人の通るところではなかったそうだ(だから、弘法大師が厳しい自然の中での修行の修行の地に選んだのだろう)。また奈半利は、紀貫之の『土佐日記』にも、那波の泊として登場する。古くから港町であっただろう。

また産業では製材、製糸業、捕鯨で栄えたという。今、伝統的な建物として残っているのは主に製糸業で財をなした家だそうだ。町のところどころに土佐漆喰、水切り瓦のある建物があり、それらを見て回ったが、パンフレットも何もない状態だったので、有名とされる建物を見逃しているかもしれない。家が点在しているのは、伝統的な町並みで知られる吉良川に比べるとマイナーである要因かと思う。

水切り瓦の建物も目につくが、やはり津波に対する意識のあるところと感じさせるのは避難所。国道沿い、そして商店街の中にも避難所がある。そのうちの一つに上がってみる。途中に扉があり、非常時はこれを突き破って上がるようにとある。屋上は家屋の4階くらいの高さだろうか。また、国道沿いには津波のハザードマップが看板で掲げられており、避難所の位置も明示されている。

ホテルなはりに到着。国道から少し山側に入ったところにある。部活の合宿だろうか、ジャージ姿の高校生らしいのが目立つ。玄関前には、遍路の菅笠をかぶったまぐろのモニュメントがある。歩き遍路の利用が多いことはあるが、まぐろとは。実は奈半利はまぐろの遠洋漁業の基地でもあり、カツオや鯨が土佐の名物と言われる中にあって、まぐろが名物である。このホテルなはりも、まぐろ漁船の修理業者である株式会社カゴオというところが、元々は船員向けの宿舎だったのをホテルに改装して営業している。

部屋は3階で、ごく普通のビジネスホテルである。この高さなら多少の津波なら大丈夫とは思うが、室内のしおりでは、万が一の時にはホテルの裏手にある山に避難するようにとある。

ビジネスホテルに泊まった時の楽しみとして夜の居酒屋を探すことがあるが、このホテルなはりではわざわざ外に出る必要はない。レストランがあり、奈半利名物のまぐろをメインとした料理が楽しめる。また、温泉ではないそうだが檜の内風呂と露天風呂を楽しめる。大浴場は離れになっていて、浴衣にスリッパで向かう。合宿の生徒たちで賑やかだが、私も湯船に浸かる。前の日は発熱で風呂をパスしていたので、余計に気持ちよく感じる。もう、大丈夫だ。

そして食事。合宿の生徒たちは広間で別に夕食が出されていて、レストランはゆったりしていた。ここでは奈半利まぐろ定食をいただく。まぐろの刺身をメインとしつつ、珍しいものに「皮酢」と「わた天」というのがある。皮酢はまぐろの皮の部分の湯引きを酢の物にしたもので、わた天は内臓をナゲット風に揚げたもの。いずれもなかなか一般に出回るものではなく、地元ならではのものである。

箸袋の裏に何やら歌詞があった。「おいらの船は300トン」。最初にこれを見た時には、ホテルなはり、またはホテルを経営している株式会社カゴオのPR曲か何かかと思った。ただ検索したところでは、奈半利や室戸のご当地ソングなのだという。部屋に戻って動画サイトで見ると、漁師歌というか、演歌のような曲が流れてきた。特に誰のヒット曲というよりは、いろいろな人が唄っているようだ。

  奈半利出たなら 鮪を追って
  燃える赤道 南方航路
  おいらの船は300トン 
  昔親父も 来て働いた
  海はみどりのインド洋
  アーエンヤコラセ エンヤコラセ

注・歌詞の最初の「奈半利出たなら」の部分は、場所によっていろいろアレンジされるようだ。

・・・まぐろ漁船というといろいろなイメージがあるだろう。この歌詞のように男のロマンを感じさせるものもあれば、借金を返済するためにあえて厳しいまぐろ漁船に乗り込んで・・・という後ろ向きのイメージもある。また最近では、重労働の割には収入につながらないとして日本人の成り手がおらず、遠洋漁業のまぐろ漁船の船員の多くが低賃金ですむ東南アジアの人たちで、それで何とか賄っているという現状もあるそうだ。その一方では、まぐろの乱獲で資源の減少に対する危機感があるとか、「近大マグロ」のような養殖技術が進むということもあり、果たしてこれから「まぐろを食べる」ということについてはどのようなことになっていくのだろうか。これまでまぐろで支えられた奈半利の人たちにとっても他人事ではないだろう。

・・・ということを考える私の相手をするのは、奈半利にも近い安田の酒である土佐鶴。カツオの酒盗を加えると、もうこれで十分だ。ともかくこの瞬間については、上に書いたようなことなど深く考えず、美味しくいただけたことに感謝である。ちなみにまぐろ関連のメニューは他にもあるし、値段は張るがまぐろづくしのコースや会席料理もある。一方で、まぐろ以外の普通の定食もいろいろあるので、さまざまな使い方ができる。

この日はとりあえず出発して、奈半利までたどり着いて体調も回復した。明日はまた早朝からの出発ということもあり、部屋でテレビでも見ながらゆっくりする。途中、ローカル枠のCMで、キリンビール高知支社の「たっすいがは、いかん!」というセリフを耳にして「高知に来たのう・・・」と感慨にふけったりしながら・・・・。
コメント