まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

観戦記 オリ姫デー → オリ悲鳴デー

2016年04月30日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
ベタなタイトルですみません。

大型連休に入り、プロ野球としては書き入れ時。オリックス・バファローズは29日~5月1日までの3連戦のみが主催試合であるが、ここに「オリ姫デー」、「オリ達デー」、「オリっ子デー」とイベントシリーズを並べてきた。このうちどこに行くかということだが、私の予定のこともあり、29日の「オリ姫デー」に、いつもの鈍な支障さんをお誘いして、おっさん二人での観戦とする。

この企画は昨年から始まったものだが、昨年はネイビーをベースにピンクのラインをあしらったもので、これはこれで締まった感じであった。

それが今年は・・・このチェック柄。街でファッションとして着るにはまだいいかもしれないし、グラウンドに出た選手たちも「着こなし」としてはいいが、どうも「戦う集団」としては迫力に欠ける。このチームは以前からあれこれ限定ユニフォームを出しているが、昨年の夏の陣の地球儀ユニフォームに今年の宇宙ユニフォームなど、このところ路線が逸脱し過ぎているようにも思う。当の「オリ姫」たちはどう思っているのだろうか。

試合前は「オリ姫」対「イーグルス女子」による対決ということで、障害物リレーがグラウンドで行われる。実は先に第1ラウンドがドームの外で行われていたようで(大声対決)、イーグルス女子が先勝ということだった。

そしてこのリレーだが、グラウンドを2周するもの。最初はイーグルス女子が大きくリードしたが、途中でじわじわと追いつき、最後はオリ姫が逆転。これで1勝1敗となり、この後は5回終了後に綱引き対決があるという。

さて試合、バファローズの先発は今季初めての松葉。イーグルスがエースの則本なのに対して完全に谷間である。また、先の試合での伊藤に続き、T-岡田、中島が1軍に昇格。「名前だけ見たらいけそうなのに、何でやろうね」と支障さん。

初回、2番の聖澤にヒットを打たれるものの、続く銀次を投ゴロ併殺として三者凡退。まずはいい立ち上がりである。

初回の攻撃。先頭の西野はレフト前のポテンヒットかと思ったが、突っ込んできたレフトの福田が後ろに逸らす。西野は一気に三塁へ。続く安達の当たりをショートの吉持がはじき(記録はヒット)、ラッキーな展開で1点先制。

そして続く糸井がライトスタンドへの完璧な当たり。相手エースから初回に一気に3点と、松葉に大きなプレゼントとなった。

イーグルスの反撃は3回。嶋の二塁打、岡島のヒットで一死一・三塁となり、聖澤がセンターに弾き返して1点返す。続く銀次は一・二塁間の打球。ライト前ヒットかと思ったが西野がよくさばいて二塁フォースアウトを取る。しかしその間に一人生還して3対2となった。

一方のバファローズ打線は、2回以降打線がさっぱり。則本の剛球に三振、あるいは力のない打球。4回にはT-岡田が死球で出塁するも、続く中島は凡打。そして伊藤の時に盗塁を試みる。ヘッドスライディングするも楽々アウト。何かを変えようとした作戦なのだろうが、それにしてもなぜここで? まあ、伊藤の打率が関東のほうの市外局番なら仕方ないのかな・・・。

5回が終了し、グラウンドではオリ姫対イーグルス女子の最終対決の綱引き。30秒間の勝負だが、ここはズルズルとイーグルス側に引っ張られ、あっさりと勝負が決まる。これでバファローズが負けたら「イベントのせいや」となりかねない。

松葉は6回、ウィーラーのヒット、松井稼の四球で二死一・二塁のピンチとされ、続く福田もショートへの内野安打。ただここは三塁をオーバーランしたウィーラーがタッチアウトとなり、思わぬ形でピンチをしのいだ。このまま7回8回まで行ってほしかったが、ここが限界と見て松葉はこの回での降板となった。

7回は岸田が登板。先頭の後藤がヒットで出塁し、続く嶋はバントが決められず三振となるが後藤が盗塁成功。代打の茂木の内野ゴロで三塁に進み、岡島にタイムリーが出て同点。せっかくの松葉の投球もこれで台無しとなった。この日限定のピンクの風船を持っていたファンからは「あ~あ」の声。

勝ち越しを目指す7回、先頭のT-岡田がヒットで出塁。しかし次が中島ではバントもできず、空振り三振。伊藤も強攻するが二塁へのライナー。T-岡田も帰塁できずダブルプレーとなる。何かこう、ちぐはぐな・・・。

8回は塚原が登板。聖澤のヒットをきっかけに一死一・三塁となり、松井稼を敬遠気味に歩かせて一死満塁とされる。これはもう逆転かなと思ったが、桝田、後藤を続けてファウルフライ。ヒヤヒヤものだが、この時点で2桁安打と、流れはイーグルスに来ている。味方が追い付いて則本の投球も勢いを増したように見え、8回裏も簡単に三者凡退に打ち取る。初回の失点も味方の守備が影響したもので、失投は糸井の一発だけという内容だった。

9回、同点の場面ながら平野が登板。しかし先頭の嶋が二塁打。茂木がバントで三塁に進め、岡島がこの日3安打目となる2本目のタイムリーを放つ。あっさりと4対3。スタンドは悲鳴というのか、「また中継ぎ抑えが・・・」と呆れ顔である。

こうなるとイーグルスは抑えの松井裕が登板。こちらは平野とは全く対照的で、糸井、モレル、小谷野から三者三振。終わってみれば則本の好投、打線も13安打(岡島、聖澤だけで6安打)で逆転、松井がシャリと抑えるという、河北新報が景気のいい見出しをつけそうな内容である。

ヒーローインタビューは決勝タイムリーの岡島。ここのインタビュアーは最初から噛むし、途中で「チームも10桁安打が出ましたね」などと言うし、別にインタビュアーのせいではないが、最後も締まらない試合となった。

試合後は反省会ということでミナミに移動して、九州料理の店へ。支障さんと「復興支援」と称して熊本の馬刺しや辛子レンコン、白岳などいただき、試合の総括やらバファローズのチーム状態への憂慮など、大いに放談したのであった・・・・。
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客番「観心寺」~新西国三十三所めぐり・8(楠公ゆかりの寺院)

2016年04月29日 | 新西国三十三所
金剛寺からバスで河内長野に戻る。当初予定していたより1時間早く動いており、時刻は12時半過ぎ。ここで昼食にしてもいいのだが、次の観心寺もバスで15分ほどのところにある。先に行ってしまおう。

金剛寺方面のバスは1時間に1本だったが、観心寺を通るバスは近隣の住宅地や金剛山に向かう系統があり、10~20分に1本ある。途中住宅地を抜けるが、結構勾配が急である。

バス停に到着してしばらく歩くと山門に出る。その前にあるのは楠木正成の銅像。日本史の教育というのは時代によって教え方(評価)が異なることがあるが、南北朝時代はその点でよく知られる。戦前は楠木正成を忠臣と崇め、足利尊氏を逆賊としていたのが、戦後になると一転して、楠木正成は土豪あがりで現実主義者だとか、足利尊氏こそ天皇を奉じつつ新しい武家社会を築こうとしたのだとか、時代によって評価が分かれている。それが落ち着いたのが、NHKの大河ドラマ「太平記」の辺りではないかと思う。楠木正成を武田鉄矢が演じていたが、セリフ回しがどこか金八先生の世界のように思えた。また、学研の歴史まんがでその頃出版された楠木正成では、河内弁をしゃべっていた。実際は河内の気のいいおっちゃんで、ある時代に必要以上に神格化されてしまったのも本人は「なんでやねん」と思っているかもしれない。

それはいいとして山門をくぐる。入ったところには、正成が幼い頃に学問を修めたという中院がある。地元の人たちが境内を案内するというのがあったが、お勤めもあるのでそれは遠慮して、まっすぐ伸びる石段を上り金堂に行く。

後醍醐天皇の勅願で正成を奉行として建立され、その後数度の修理を経ながら現存する国宝の建物である。4月17日、18日はこちらも国宝の本尊如意輪観音像が開帳されるのだが、私が来たのはちょうどその1週間後。まあ、そうタイミングが合うものではない。如意輪観音は金堂内にあるパネルを拝ませていただく。

金堂に並んで建掛堂というのがある。正成自身がここに三重塔を建立しようとしていたのだが、下の部分までできたところで湊川の戦いで討ち死にした。そのため「建てかけ」堂となったそうだ。

宝物館に向かう。こちらも観音像や薬師如来像など多数並ぶ。それらの多くに「重要文化財」という文字が手書きでさりげなく書かれている。重要文化財といえば、寺社によっては「それ一点勝負」で前面に出しているところが多いが、そこは観心寺、金堂に本尊が国宝なら、重要文化財は「その他大勢」のような扱いに見える。

この観心寺には北斗七星がある。時代は遡って弘法大師空海。この寺を訪れた時に、人の力ではどうにもならない災難から人々を救うためとして、北斗七星を勧請し、如意輪観音像を刻んだとされている。まあ、星そのものを置くことはできないから、境内に北斗七星状に星塚を配置し、それを巡ることで厄除けになるという。それを回って最後に弘法大師の像に出る。

境内の奥に正成の首塚がある。湊川で討ち死にした後、地元に戻される形で菩提寺である観心寺に葬られたものである。その横に「非利法権天」という石碑がある。正成の菊水の旗印に書かれた文字で、「非道は道理に勝てず、道理は法に勝てず、法は権力に勝てず、権力は天に勝てない」という意味だそうである。結局人は天命に逆らうことができないということだそうだ。それが後世には「天=天皇」として、「天皇が全てに超越する」という尊王思想につながり・・・そして戦前の日本史や修身の教科書につながったとされる。ただ正成は「ワシそこまで言うとらんがな。後のもんが勝手に言うとるだけやんけ」と思っているかもしれない。

境内を一回りして納経所に向かう。係の人は「新西国も昨年あたりからぽつぽつと回る人が増えてきましたな」と言う。新西国を回るバスツアーが新聞でも取り上げられたからだろうか。私もその一人である。

さてここで、次の行き先を決めるくじ引きとサイコロ。せっかくなので5月の連休のどこかで行きたいところだ。

1.西宮(神呪寺)

2.洛北(鞍馬寺)

3.京都市街(大報恩寺、誓願寺)

4.長岡京(楊谷寺)

5.高槻(神峯山寺、安岡寺)

6.太子町(西方院、叡福寺、当麻寺)

これまで兵庫県が多かったが、今回は東のエリアがずらりと並ぶ。特に京都府内が3つとも出るとは。そしてその中で・・・「2」。洛北である。連休に京都とは大混雑必至であるが、まあいいか。(京都といえばこの記事を書いている29日に新しくオープンする京都鉄道博物館にも行きたいところだが、それは混雑が少し落ち着いてからにしようかなと思う)

バスで河内長野駅に戻る。遅めの昼食ということで周りを見渡すと・・・目についたのはロータリーの居酒屋。朝からいろいろ歩いた後なのでまず一杯ということで。

この「おおきた」という店、料理はごく普通の居酒屋だが、地元の「天野酒」がいただける。「天野酒」といえば、豊臣秀吉も愛した「僧房酒」が有名である。ただ「僧房酒」は生産量も限られていて、抽選での販売だけだという。居酒屋でいただいたのは一般の吟醸だが、さっぱりした味である。

その「天野酒」を造る西條合資会社というのは河内長野駅からほど近いところにある。高野街道を2~3分も歩くと酒蔵に出る。これも河内長野の知る人ぞ知るスポットということで、これまで近くにいながら知らなかったところである。札所めぐりを通して、周辺の面白さも新たに見つけることもできる。これだからやめられない・・・・。
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第7番「金剛寺」~新西国三十三所めぐり・7(工事中の本堂と南北朝の歴史)

2016年04月27日 | 新西国三十三所
施福寺から歩いて1時間半で天野山金剛寺に着く。今度は「新西国三十三所」の札所である。西国三十三所は開創1300年を迎えようとしているが、「なぜこの寺院が札所になったのか」は解明されていない。そんな中で、昭和の初めに新聞の読者投票を元に選ばれた新西国三十三所。河内エリアの中で、歴史ある金剛寺はぜひとも入ってほしいと思った方が大勢いたということか。だとすると、同じく由緒ある観心寺が「客番」となったのはなぜか。投票で選ばれたとあるが、その過程についてどうだったのかは、ネットで見る限りではわからない。まあ、いろいろあったんやろうなあとしか推測できない。

バス停からすぐのところに山門がある。ここで立て看板があるのは、本堂の大修復工事の案内。平成21年から8年がかりというからとても長い。実は工事中というのを知ったのは、新西国を回ろうと決めた時。だからといって外すわけにはいかない。文化財を維持するには必要なことだし、修復の様子は金剛寺のホームページにも随時掲載されている。修復工事の中で改めて歴史的な発見もあるそうだから、学術的にも役立つことなのだろう。

門をくぐった右手に、納経所を兼ねた受付がある。拝観料を払う時に、係の女性から「ご覧の通り本堂が工事中でして、申し訳ありません。お参りは横の仮本堂でお願いしています」と丁重に言われた。いや、こちらはそれ承知で来ているので、却って恐縮する。

境内は開放的な造りなので、目の前の本堂もバッチリである。ただ、それが覆われている。見た感じでは、どこかの工場一棟に見える。工場の横に寺のお堂があるというようにも見える。

仮本堂の前でお勤め。奥には四国八十八所のお砂踏み巡礼の散歩道が延びているが、ここは入口までとする。やはり本堂が工事中なら、後はどうすることもできない。

それでもお勤めだけはしたということで、新西国の朱印帳を先ほどの係の人に差し出す。「あと1年ほどはこんな感じで、すみません」「大悲殿と書かせてもろてます。ご本尊の御影もつけときます」と、丁重な対応。こちらが(サイコロの出目で)工事現場に押しかけた形なのに、却って恐縮である。

寺院のエリアはこんな感じだったのだが、金剛寺の歴史的価値の高さというのは、南北両朝の御座所が同居しているのが大きいとされている。境内の横が正にそれ。南朝の後村上天皇の御座所だったところだが、ここは門が閉じられて中を見ることはできない。

境内とは別に窓口がある。ここは庭園と北朝の御座所と宝物館を担当していて、完全な別料金。同じ金剛寺の敷地であるが、寺と行座所は別の管轄のようだ。一瞬、エリアごとに拝観料・入山料を取る京都の某寺を思い浮かべる。とは言え、歴史を感じるならばこちらのエリアは必須で、中に入る。

緑が映える庭園を見ながら進むと、北朝の御座所の建物に着く。外は障子で仕切られているが、それを開けて中に入ることができる。北朝三代の天皇たちの行座所とされているが、実のところは北朝の天皇たちは南朝方に幽閉されていたそうである。南北朝の争い、結果を見れば北朝が勝ったように見えるが、その途中では正に南北入り乱れていて、南朝優位の時は北朝の天皇をそう扱った時もあったとか。それでも一応は御座所の扱いで、格調はある。

この他に宝物館で金剛寺の仏像や、楠木正成の書状、楠木家の胴丸などの展示を見る。南北朝時代というのは、その人のスタンス、主義主張によっていかようにも捉えられる時代と思うが、その中で第一級の史料とされているのが太平記である。今では岩波文庫でも全巻が入手できるとあって、かつて今昔物語にも挑戦したように、この太平記にも挑みたいなと思う。

一通り見たところで、河内長野駅行きのバスの時間が近い。当初の机上計画より1時間早く進んでいる。まあそれはどうでもいいこととして、地元の人たちが乗り降りするバスで河内長野駅に戻る・・・・。
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第4番「施福寺」~西国三十三ヶ所2巡目・4(ちょこっとダイヤモンドトレール)

2016年04月26日 | 西国三十三所
和泉市の槇尾山にある施福寺を参詣した後、この日の本来の目的地である金剛寺に向かう。ただ、南海オレンジバスの時刻、またオレンジバスから南海バスへの乗り継ぎ時刻共に中途半端である。

そこで思いついたのが、このまま歩いて下山し、その足で金剛寺まで歩くというものである。

事前に施福寺についてネット検索する中で、昔の徒歩巡礼が次の札所である葛井寺までどこを通ったかというのが出てきた。先ほど上ってきたのを表参道とすれば、裏参道というのがあるそうである。これをたどると善正、南面利という集落を抜けて金剛寺に着き、河内長野や富田林を経て藤井寺に着く。正に国道170号線のルートに近い。ならばその裏参道を通るのはどうか。藤井寺といえば正に自宅に帰るルート。まあ、実際はバスと電車に乗るわけだが、その間だけ歩くのも面白いだろう。バスの待ち時間をボケ~と過ごすよりはいい。

ということで裏参道となるが、それらしき案内があるわけでもない。あるのは、「ダイヤモンドトレール」の案内板。ダイヤモンドトレールといえば、関西で山好きな方なら誰でも知っているルート。その南の起点が槇尾山で、金剛山などを経て屯鶴峰までの45キロの縦走ルートである。それでも健脚な方なら1日で制覇するというし、私の知人もマラソンのトレーニングに使っているくらいだ。

このダイヤモンドトレールを歩き、途中の追分から進路を北に取ると昔の徒歩巡礼のコースという。追分までは案内板では30分とあり、本当にごく一部なのだが、ダイヤモンドトレールという登山ルートに足を踏み入れることにした・・・瞬間に足を滑らせて転倒。こんなんでこの先大丈夫か。上りより下りのほうが気をつけなければならない。

道中、所々にお地蔵さんを見かける。これが施福寺までの丁数を示しているようだ。表参道のように石段があるわけでなく、普通の山道である。時折幅の狭い箇所もあるし、ここで足を滑らせたら下に落ちる所もあり、慎重になる。山に慣れた人なら何でもないところなのだろうが。

川のせせらぎが見え、追分に到着した。ダイヤモンドトレールのポイントである滝畑ダムへの矢印もあるが、ここからは川に沿う形で山道を下ることにする。そう書いている目印はないが、これが昔の葛井寺への巡礼道であろう。

川に沿うので方向は合っているだろうが、携帯の電波が届かず、現在地が特定できないまま歩く。そんな中で山道が消え、砂利道になる。建設会社のフェンスが見える。この辺りは採石場が多く、訪れたのが日曜なので休みだが、平日はダンプカーの出入りが頻繁にあるそうだ。そんな時に歩いていたら間違いなく邪魔者扱いだ。

さらに行くと石段に出る。ここが裏参道の出入口のようだ。とすると、先ほどどこかで別の道を歩いたか。まあ、ここから先は同じ道だから別にいいのだが。

さらに進むと府道に出る。61号線は「堺かつらぎ線」とも呼ばれている。その合流点にあったのが、施福寺に向かうドライバーへの注意喚起。カーナビで「施福寺」を選ぶと、こちらの裏参道に連れて来られるそうである。施福寺に上れないことはないが、表参道とは違って駐車場はない。改めて、槇尾会館に再設定するようにとの看板である。これだけ看板があるのは、それだけここに連れられるクルマが後を絶たないのだろう。

府道とはいっても、未舗装なのか整備中なのかよくわからない区間もある。国道でそうした区間を「酷道」と呼ぶ向きがあるが、それならこの府道はさしずめ「腐道」とでも言うか。工事中の区間や未舗装の道もあり、ごちゃごちゃしている。また採石場もあり、平日ならダンプカーが猛スピードで行き来するのかなと連想させる。

施福寺から一時間余りの歩きで、地元の住宅が並ぶ景色に変わる。携帯の電波も入り、現在地も確認できる。その中で、このまま金剛寺まで歩くのがベストとの判断が出る。国道170号線(旧道)から金剛寺までは、和泉と河内の国境を越えることもあり、アップダウンも大きい。そんな中、歩いて「国境」を超えたのもささやかな体験だろう。

施福寺からは合計1時間半余り。どうにか金剛寺に到着した。当初の予定から1時間早く着く形になった。ここから、この日のそもそもの目的である新西国のお参りである・・・・。
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第4番「施福寺」~西国三十三ヶ所2巡目・4(山登りと本尊特別公開)

2016年04月25日 | 西国三十三所
今年から始めている新西国三十三所めぐり。次の行き先は河内長野にある金剛寺、観心寺である。これらはいずれも河内長野駅からバスで行くところで、自宅のある藤井寺からは比較的近い位置にある。

そんな中、その辺りの地図を見ると目に留まったのが、西国三十三所の一つ、施福寺。和泉市にある、西国の中でも難所の一つとされている札所であるが、これが金剛寺から数キロ西南に行ったところにある。西国2巡目は札所の順番やサイコロの目とは関係なく、何かのついでに組み込むことにしているが、せっかくなので金剛寺に行く前に早出して出かけることにする。

前回施福寺を訪れた時は、わざわざ南海の泉大津駅まで出てバスに乗り、帰りはJRのスタンプ目的で和泉府中駅まで戻った。ただその後で、河内長野駅から光明池駅まで行くバスが出ており、途中の横山高校前で降りると、施福寺の門前に行く南海オレンジバスの起点・槇尾中学校前まで歩いてつなぐことができると気づいた。乗るオレンジバスの時間は同じだが、わざわざ泉大津や和泉府中に行くよりも1時間短縮できる。

ということで、朝の河内長野駅前に降り立つ。天気予報は晴れだが、朝はどんより曇っている。ただ、これは天気予報にもあった黄砂だろうか。日曜の朝ということで駅前は閑散としているが、そんな中で金剛山に向かうグループの姿が目立つ。

光明池駅行きのバスに乗り込む。この系統は1時間に1本の運行であり、途中で金剛寺(天野山バス停)も経由する。これで横山高校前まで行き、帰りもこれに乗って天野山で下車する形だ。

バスは昔ながらの町並みを行く。地図によれば国道170号線の旧道である。今は大阪外環状線が交通の中心で、ほとんどのクルマはそちらを通るが、旧道は今も生活道路として活用されている。それでも結構アップダウンがある。15分ほどで天野山を通過し、その後しばらくして和泉市に入る。

横山高校前に到着。先ほどから高校前と書いているが、その横山高校はかなり前に廃校になっている。それでもバス停にはその名を残している。バス停の改称くらいすぐできそうなものだが、なじんでいるし他に適当な名前が見つからなかったか。ここから10分ほど歩くと槇尾中学校前のバス停に出る。途中で、泉大津から槇尾中学校前に向かうバスに追い越されたが、それでもトータルで見れば河内長野回りの効果は大きかった。

そしてオレンジバスに乗る。前回もそうだったが、バスと言っても車両は10人ほどが乗れるワゴン車である。満員だったら・・・というのが懸念されていたのだが、先客は「山ガール」の3人組だけで、余裕で座ることができた。時間帯がまだ早いからだろう。

8時40分、槇尾山に向けて出発。集落を抜けて山の景色になる。10分ほどで門前に着くと、駐車場には結構な数のクルマが停まっている。施福寺の拝観は8時からであり、朝一番で参詣ということか。

まずはコンクリートの坂。この勾配が急で、前に来た時も後半の石段よりもきつく感じたものである。まずはこの坂を5分ほど登るが、その間にも結構な数の人が下りてくる。すれ違う時におはようございますと挨拶を交わす。参詣といっても巡礼姿や登山姿ではなく、手ぶらの人も多い。この辺りの人が散歩感覚で上って来たのだろう。

仁王門をくぐると石段の山道。この頃から日も差すようになり、緑によく映えている。前日の雨で石が濡れているが、日の光を反射して朝らしい景色を出している。

弘法大師の剃髪所の跡を過ぎると本堂は近く、門前のバス停から20分あまりで到着。やはり2回目ということもあり、前回ほどのしんどさは感じなかった。その時は10月の半ば、紅葉にはまだ早い季節だったが、今回は緑が鮮やかになる季節である。

さて本堂にてお勤めを・・・と見るに、内陣の特別拝観とある。例年は5月1日~5日の期間で内陣に入ることができるが、今年は西国三十三所の開創1300年イベントとして、3月下旬から内部拝観が行われている。納経所の人からもどうぞと勧められ、拝観料500円で中に入る。前回は外からだけだったので初めてのことである。この時期に施福寺を組み込んだのは、この特別拝観もあった。

観音札所であるが、寺の本尊として中央に安置されているのは弥勒菩薩。十一面千手千眼観音はその脇にいる。まずはここで般若心経のお勤め。

その奥というのが、普段の内部拝観では見られないところで、まずは巨大な方違観音に出会う。こうして祀られるのは日本唯一だという。方違というのは、「凶と出た方角を悪い方角にしない」ことだそうで、例えば南が悪い方角だとすれば、一旦南東の方角に行き、その後で西に行くとか。この観音にお願いすれば、そうした方角を違えるご利益があるという。この他にも、50~60年に一度しか公開しないという馬頭観音も見られる。いずれも貴重なものであるが、「見仏記」のお二人は施福寺に来たことはあるのかな?

裏手には他にも竹生島から移された弁財天像や、空海と最澄の両方の像が安置されている。弘法大師にゆかりのある施福寺だが、いつの頃かを境として今は天台宗に属している。まあ、西国巡りをする分には真言、天台両宗を問わないが、どんな歴史があったのかと思う。

ありがたく拝観させていただいた後、先達用の巻物の納経帳に朱印をいただく。

金剛山方面を望む展望スペースでしばらく休憩する。本堂で拝観したこともあり、今から元来た道を下っても、オレンジバスまで一時間近く待たなければならない。ならば、槇尾中学校前や横山高校前まで歩くか。また、次のオレンジバスに乗っても、今度は天野山(金剛寺)に向かうバスも一時間に一本で、これも横山高校前で一時間近く待つことになる。プランニングでも、ここは結構悩ましいところだった。

ならば・・・ということで、来る前にほんの少しだけ考えていたプランを試してみることにした。これは関西の山好きの方ならすぐわかることだろうが・・・・。
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葛井寺 藤まつり

2016年04月23日 | 西国三十三所
4月19日から始まっている葛井寺の藤まつり。

本格的な見頃にはもう数日だろうが、さすがは藤の寺である。普段はさほど参詣者がいるわけではないが、この日は藤見物の人の姿もそこそこ見られた。また、西国巡礼のバスツアー客も来ていたようである。

そろそろ春から初夏に向けて季節が動こうとしている・・・。
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「今年のGWは、西国三十三所のお宝に会いに行こう!」

2016年04月21日 | 西国三十三所
今年は熊本の地震もあり、GWという雰囲気ではないのかもしれない。多くの観光客を乗せる九州新幹線もこの時期にはまだ復旧していないだろうし、熊本や大分だけでなく、九州全体の観光にも大きな影響が出るだろう。例年観光客動員がトップとなる博多どんたくも、今年はどうなるだろうか。

そんな中、GWを利用して復旧のボランティアという方もいるだろう。ただ、現地には行けても滞在は厳しいのではと思う。食糧や寝床は当然自分で確保しなければならないし、給油はちゃんと並ばなければならない。ましてや弁当も現地で調達するなど論外。そういう状態の下でもボランティアに携わろうという皆様には頭が下がる。

・・・さて、タイトルの話である。西国三十三所の札所会が、「今年のGWは~」と異例のPR。2018年に西国三十三所が開創1300年を迎えるということで、前後合わせて5年間をイベント期間としている。3月下旬からあちこちの札所で関連行事があるが、まずはこのGWを書き入れ時としている。この期間限定で特別拝観や本尊の開帳を行ったりする札所も多い。

これはこれで行く価値があることだが、仏像マニアでもなければ、「見仏記」のお二人のように仏像への執着心はないので、ありがたいとは思うが「絶対必須」とまでは思えない。私の場合は、行き帰りの道中や、行った先の大まかな風情を楽しむ傾向があり、特別拝観は「偶然当たればいいな」というくらいのものである。むしろ、西国三十三所を徒歩でリレーして法灯をつなぐという徒歩巡礼のほうに興味がわいている。地元5番の葛井寺に来るのはいつぐらいか。せめて次の壺阪山まで参加できないかな?などと、今から楽しみである。

まあその前に、新西国三十三所である。サイコロの出目により、次に行くのは河内長野の金剛寺と観心寺。ただ、そこに行くのなら、合わせてあそこにも行かなければなと思うところで・・・。
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関西のマスコミが被災地での対応で叩かれてますな

2016年04月19日 | ブログ
熊本での地震はまだ余震が続き、今日も震度5などというのがあったそうだが、一方では熊本空港での到着便受け入れや、オスプレイによる物資輸送といった明るい話題も出ている。

その一方で、マスコミ関係者の被災地での行いがネットで叩かれている(テレビでは何も伝えられてないが)。

それは「関西テレビの中継車がガソリンスタンドの行列に割り込んだ」とか、「毎日放送のアナウンサーが現地で弁当を調達したのをTwitterにアップした」とかいうものである。

これらの現場を見たわけではなく、実際はどういう状況だったのかは当事者しか知らないことだろう。

これは個人的な思いだが、この熊本地震において、マスコミに対するネットでのバッシングが、東日本大震災の時と比べて目につくように感じる。まあ、私もこのブログではマスコミをマスゴミと言ってみたり、特に関西のそれに対しては、西宮の球団への偏向報道が気にくわないとしてみたりする。今回言われている行為自体はちょっとしたことだと思うが(別に犯罪をしたわけでもない)、それがここまで大きくなる。

・・・とすると、いかに震災時のマスコミのふるまいが世間から批判の目にさらされているかというのが鮮明になったことである。東日本大震災の時にもさんざん言われたのに、5年経ってもなんらか変わりない。むしろ、質が低下していないか。報道の自由とやらを振りかざして、傍若無人なふるまいをする。もう、会社というか、業界自体がそんな構造なのだろう。

その中で、関西のテレビ局が叩かれるのにあきれる。そもそも、九州の出来事になぜ関西のマスコミ? まあ、東京のキャスターがスター気取りで被災地から中継するのも気にくわないが、全国放送で視聴率稼がなければスポンサーからしばかれるのなら仕方ないと、まだ同情できなくもない。

で、関西?

これも、JNNとかFNNが総力を結集して報道するのだ!!として応援に駆り出されたのなら同情できる。ただ、毎日放送のそれは何様かと思う。昼のローカル番組でもっともらしい顔してレポートしていたそうだが、わざわざ、今、毎日放送独自で取材して、それを関西ローカルで放送する意味があるのか。

こいつらのせいで、「やはり関西人は」とか「これだから関西は」という、あらぬ方向に批判が向けられている。「阪神淡路大震災を忘れたのか」とも。実に情けない・・・。
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在来線特急、走らせられないかな・・・

2016年04月18日 | ブログ
14日以降熊本や大分で続く地震。今でも余震が続いているし、行方不明の方もいる。避難所も日につれて人が増えている。被災された方には、改めてお見舞い申し上げます。

そんな中、現地の鉄道の状況が気になる。南阿蘇村では線路が土砂崩れで埋まった。南阿蘇村と聞いて、てっきり南阿蘇鉄道のことと思った。下手したら、豪雨被害で廃止を余儀なくされた高千穂鉄道みたいにならないかと。それが実は豊肥線だったが、そうなるとなおのこと、九州を横断する交通が大変なことになったと思う。

また一方では、九州新幹線もあちこちで高架橋の損壊が見られるなど、長期運休となるようだ。5年前の東日本大震災の翌日に全線開業した九州新幹線が地震の被害とは、何とも切ない。

熊本の鉄道も多くの被害を受けたが、そんな中で鹿児島本線が熊本まで再開した。これは明るい話だと思う。物資輸送に貨物列車も使える。熊本貨物から現地にどのように輸送するか、ルートや車両の確保は厳しいと思うが、東日本大震災でも鉄道貨物輸送がいい意味で注目されたことがある。ぜひともアピールしてほしいものである。

また、新幹線がダメなら、ぜひ在来線特急を一時的に復活させてはどうかと思う。5年前までは普通に特急有明が走っていた路線。ボランティアを含めて人の移動にも大きく寄与するのではないかと思う。新幹線だけが特急ではない。

・・・と書いてはみたが、所詮は九州の外にいる乗り鉄の発想でしかない。そんなのができたといって、蓋を開ければ乗り鉄が指定席を買い占め、沿線には撮り鉄が群がるだけ。結局地元には寄与しない・・・のかな。

もっと、地域の人たちに本当に届く、そして実になる復旧・復興を、その人たちの立場で考えなければなあ・・・・。

そうですよね? 国会(で下らん揚げ足取りばかり繰り広げる)議員の連中各位ども。
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観戦記・今季初の神戸での試合だが・・・

2016年04月16日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
16日は神戸でのバファローズ対ライオンズ戦。7日の試合が雨天中止だったこともあり、この日が今季の神戸での初めての試合である。

先日の水曜日の試合は仕事の代休ということもあり、急遽観戦に訪れたが、この試合は最初からの予定で券を取っていたための観戦である。ということで、天気もいいし、本来なら絶好の野球日和である。

・・・ただ、熊本地震である。

14日夜の地震の時は、地震の被害も局地的なもので、一時的な出来事と感じていた。15日の夜も、バファローズが初の3連勝だし、明日こそは金子の初勝利が見られるかなと、翌日の観戦を楽しみにしていた。

・・・そして、日付が16日に変わった夜中である。携帯に入ったメールで起こされた。大きな地震の際、会社から配信される安否確認である。

それからテレビを見ていたが、時間が経つにつれて深刻な被害が次々と明らかになる。前日とはえらい違いだ。津波や原発事故はないというものの、その代わり土砂崩れもひどく、南阿蘇村などは交通も寸断。死者も30人を超えている。また、時間が経っても現地では大きな揺れがまだ続いているというのが、阪神淡路や東日本の時と違った不気味さがある。おまけに、16日夜から大雨になる予報。

・・・こんな状態で野球(観戦)どころではないだろう。正直、行くかどうしようか迷った。ただ、自宅にこもっていても地震のニュースを繰り返し見るだけだし、かと言って自分が何かことをするわけでもない。情報はスマホを随時確認するとして、結局出かけた。ブログをご覧の方の中からは、こんな時に何をしているのかと批判が出るかもしれない。

球場に到着。球場の内外はいつも通りだが、どこか空気が重いようにも感じるし、ファンの出足も鈍いようにも思える。バファローズのここまでの成績もあるだろうが、やはりこうした遊びの外出を控えた人も多いのではないだろうか(特に、前売券ではなく当日券を買う人は)。

通路には義援金の募金箱があったり、バックスクリーン上には半旗が掲げられていた。スタメン発表後に両チームの外野席で選手の応援歌メドレーをするが、最後にバファローズ側は「頑張れ熊本」、ライオンズ側からは「負けるな熊本」のコールが起こる。また、スタンド全体で犠牲者への黙祷が捧げられた。そういえば、大正ドームの試合前に流れていた「HAPPY & GOOD」の演出映像もなかったな。福良監督は別に何も悪くないのだが、やはりこれは控えたほうがいいという判断だろうか(もしバファローズが勝った場合、お立ち台でこのコールはどうするのかというのは気になるが)。

さてバファローズ先発の金子だが、立ち上がりからボールが先行する。先頭の秋山に三塁打を許し、その後ダブルスチールで先制を許す。

一方打線は、ライオンズ先発の十亀から初回にモレルがタイムリーを打ってすぐに同点。開幕からずっと四番だがこのところ不振だっただけに、勢いづきそうだ。

4回にはメヒアがバックスクリーンへの一発を放って突き放すが、金子は悪いなりにもその後の得点を許さない。

すると5回、バファローズは二死一・三塁からボグセビックがライトへタイムリーを打って同点とし、さらに吉田正、原の連打が出て4対2と逆転に成功する。やはり連勝の勢いが続いているようだ。中島がいなくなった代わりの原の起用が当たっている。

しかし、勝ち投手の権利を得た直後の6回、メヒアがエラーで出塁。その後栗山のタイムリーでメヒアが一気に本塁まで帰って来た。これで1点差。その後は抑えたが、さすがに6回で降板かと思った。しかし次の7回も行き、さすがに8回からは塚原や岸田というところに任せるかと思ったがそのまま登板する。納得行くところまで投げさせようとしたのだろう。

ところが、鬼崎のヒット、中村の四球でピンチを招き、先ほどタイムリーの栗山にもライト前に運ばれる。ここは鬼崎のスタートが遅れたため三塁止まりとなったが、それでも満塁。そして上本の打球が安達のグラブをかすめてセンター前に転がり、4対4となる。

結局金子はここで降板し、塚原にマウンドを託す。またしても今季初勝利とはならなかった。

その塚原もピリッとせず、浅村の内野ゴロで勝ち越され、坂田には左中間への二塁打。これで7対4とされる。この時点で席を立つ客も多かった。

結局、十亀の後を受けた牧田、高橋、増田の前に点を取ることができず、そのまま7対4でライオンズの勝利。勝ち星は牧田、ヒーローインタビューは栗山となった。

こういう状態、熊本の被害の拡大が報じられる中での試合(観戦)となったが、最後まで観たものの、バファローズの敗戦は別として、何かもやもやしたものを感じている。やはり気がかりである。このところ毎年のようにどこかで大きな災害が起きているが、私が特にこんな気持ちになったのは、広島の豪雨災害の時以来かと思う。

熊本は山海に、また歴史的に魅力あるスポットが多いところ。ぜひまた訪れたいところなのだが、まず今は何よりもこれ以上の被害や犠牲者が増えないことを願うばかりである。まだ行方不明、安否確認が取れていない人も多いそうで、一刻も早く無事が確認できるといいのだが・・・。

改めて、謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。
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第22番「天上寺」~新西国三十三所めぐり・6(六甲山上から御影へ)

2016年04月15日 | 新西国三十三所
先日の新西国三十三所めぐりの後。

この日は朝ゆっくり目に出たし、マヤ遺跡のある旧点がを歩いたこともあり、天上寺の参詣を終えると13時半を回っていた。ここからどうするか。行きに乗っていないからと言って摩耶山のロープウェーに乗るのももったいない。ここは六甲山上を移動しよう。幸い、レジャーきっぷは山上のバスが一日乗り放題である。

掬星台からやってきたのは阪急バス。ケーブルカーの六甲山上を経由して、そのままグネグネした道を阪急六甲駅まで下りる系統だが、レジャーきっぷで乗れるのはケーブルカーの六甲山上駅まで。下りはケーブルカー利用となる。

六甲山上の尾根を走る。この辺りは歩道も整備されており、歩く人の姿も結構見られる。本格的な登山はするつもりがないが、こうした道をずっと歩くのもいいかもしれない。歩道はガチガチに舗装されているわけでなく土が見えるから、足への負担も軽減されそうだ。

六甲山牧場に到着。ここで下車する客も多い。牛の姿も見え、一瞬降りようかと思ったがそのまま乗る。

ケーブルカーの六甲山上駅に到着。ここで下車する。この先、高山植物園やオルゴール館等がある六甲山頂方面にはバス乗り継ぎとなる。夕方までは時間がある。

・・・ただここで、今から上に上がるのが面倒臭く思うようになった。先に挙げたスポットも、牧場も含めて家族やカップルで行くようなところで、男一人で行くのは何だか憚れるような。まだ寺参りや登山・ウォーキングのほうが、一人でも違和感なく見られる。

その一方で、灘方面に来たのだからいわゆる「灘五郷」を回るのも面白いかという思いが沸いてくる。私には、そちらのほうがいいかな。

ということで、早くもここで六甲山から下山することにする。ケーブルカーが出たばかりだが、待ち時間の間に近代化遺産にも認定されている駅舎や、ここからの景色を見る。やはり霞んでいて、この先もスカッと晴れるとはいかないようだ。

こちらのケーブルカーは2両仕立てである。中でも下側の車両は窓がなく、外の風が入ってくる構造で、面白そうなのでこちらに座る。ゆっくりと下る途中で、まだ花が残る桜に触れることができる。

六甲山下に着き、ここからは神戸市バスに乗り継ぎ。時刻は15時を回る。これから灘五郷と言っても、御影からさらに魚崎に移動となるが、菊正宗か、白鶴か。ただ、停留所や信号が意外に多く、思ったより時間がかかり、御影に着いたのは15時半を過ぎた頃。今から魚崎に行って資料館の見学というのもバタバタするだろう。まあ今日は摩耶山側を楽しみ、ケーブルカーの乗り比べをしたということで終わりにする。

ただ、せっかくなので帰る前に、初訪問の御影で打ち上げとする。酒蔵には行かなくても、タダの酒、もとい灘の酒を飲ませる店くらいあるか。液の北には阪神百貨店やテナントが入る駅ビルがあり、白鶴の直売店もあるが、飲み屋ではない。例えばガード下に行けば立飲み屋でもあるかなと覗いてみる。

日曜だからかシャッターを閉めている店も多いが、その中で暖簾を見つける。「銀狐」とあり、なかなか風情ありそうだ。タイムサービスでワンコインセットというのに引かれて中に入る。中央にコの字かたちのカウンターがあり、両側にはテーブルがあるが、ほぼ満員の賑わいである。

メニューも豊富で、さすがは灘の酒どころ。菊正宗や福寿、道灌ということで、等の名前があり、それぞれさまざまなタイプの商品がある。またカクテルやワイン、果てはキンミヤ焼酎まで揃う。アテも定番からオリジナルメニューまで。そのぶん、若干高めではあるが。

ここで冷やをいくつかいただきながら、テレビの大画面を見る。ちょうど甲子園の阪神対カープ戦。当然ながらタイガース贔屓の客が多い。

そんな中、中盤にカープ打線が爆発して一気に逆転する。私もここは場をわきまえて?ニヤリとするに止める。それよりも、あまり長居をすると、ちょうど帰りの阪神電車で甲子園から「黄色い人たち」の波に呑まれてしまう。さすがにそれは精神衛生上良くないので、さっさと退散することに。それでも、また来たいと思わせる店であった・・・。

新西国の札所のある場所は京阪神エリアに多いが、意外と最寄り駅近辺は訪ねていないものである。こうした町歩きも織り交ぜつつ、満願に至ればと思う・・・・。
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一日遅れ観戦記・今季チーム初本塁打とサヨナラ勝ち

2016年04月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
13日は仕事の代休をいただいたこともあり、急遽大正ドームに行く。前日まで5連敗、投打ともにボロボロという中で、いても立ってもいられない感じだった。天気は午後から雨の予報だが、もちろん試合開催には支障ない。ファンクラブ特典の自由席券を手に出かける。

平日ということで、17時の開門前でも行列はほとんどない。前のほうに固まっているのはシーズン券や招待券を持つ常連らしき人が多い。私も仕事帰りに毎日大正を通っているから立ち寄ればいいのだろうが、そこは、スタメン発表も含めて最初から最後まで観戦したいので、平日となるとこういう機会しかない。

で、陣取ったのは上段席の最前列のかぶりつき。この球場だとやはりこの位置が見やすく感じる。土日なら先客で埋まるが、そこは平日である。

17時過ぎに入場し、早くも30分にはスタメン発表である。ニュースで、投手コーチの担当替えと、打線の組み替えが示唆されていたが、1番に病気から復帰したばかりの安達を起用し、2番には今季無安打の小田を置く。1番で使われていた吉田は7番。このところ両外国人の当たりがパタッと灯っているのも気になるが。

バファローズ先発は東明。初回、中島と中田のヒットで二死一・二塁とされるが、近藤の当たりが三塁ライナーとなり、ピンチを脱する。

その裏、ファイターズ先発の中村に対して、大歓声の安達は初球で内野ゴロ。小田も凡退、糸井も見逃し三振。今季初登板・初先発の中村、ストレートは140キロ出るか出ないかだが、90キロ台のスローカーブを有効に使ってくる。打者もタイミングがとりづらそうで、カーブに泳ぐ場面も見られる。それでも2回に二死満塁のチャンスを作るが、山崎が凡退。連敗どころか、20イニング以上点が取れていない状態だけに、雰囲気が重くなる。

そんな中で孤軍奮「投」なのは東明で、ヒットは許すが要所は締める。大谷からも2打席連続で空振り三振を奪う。最近先発が崩れる試合が続いていて、本人も気合い入っていたと思う。

ただ5回、ファイターズがチャンスを作って中島がライト前に運んで1点先制。この時、ここからじわじわと行かれるのかな・・・と嫌な予感がしていた。1点が重くのしかかるように思えた。

その裏もあっさり二死となったが、安達のボテボテの内野ゴロが運よく内野安打になった。そして小田が四球で迎えるは糸井。

スタンドからは泳いだように見えた。しかし、リプレイを見るとカーブをしっかり引き付けて振り抜いていた。打球はライトに飛び、そのままスタンドへ。やっと出たチーム初本塁打。それも久しぶりの得点、おまけに逆転、打ったのがチームの顔ということでスタンドも大盛り上がり。流れがグッと来たように感じた。

これで勝ち投手の権利を得た東明に対して、ファイターズも6回先頭の中田が痛烈な二塁打。近藤は三振だが、続く大谷がライト前に運ぶ。中田が三塁を回るが、糸井からの返球を山崎が取る。そこに中田が突っ込んでタッチアウト。山崎がその後しゃがみこんだが、糸井、山崎両方に大きな拍手が起こる。一方で中田にはヤジが飛ぶ。

・・・ところが、この後で審判団が集まり、そしてグラウンド裏に消える。いわゆるコリジョンルールとやらの判定らしいが、何を勘違い協議する必要があるのか。仮に中田のプレーで得点が入ったのであれば、危険なプレーとして協議するのもわからないでもないが、ここで協議しているのは山崎のプレーがブロックで走塁妨害ではというもの。先ほどまでの歓声はブーイングに変わった。私も、審判に対してあれこれ「もの申した」。こんなので一々中断はおかしい。何が試合時間の短縮、スピードアップなのか。

結局、判定通りアウトとなったが、協議の10分というのは一体何だったのかと思う。東明は後続も打ち取ったがこの回で降板となった。たらればだが、この協議がなければ、東明はそのまま完投・・・とは言わないが8回まで投げられたのではないだろうか。

それでも7回にはレフト吉田の身体を張ったプレー。フェンスにぶつかりながらのファウルフライを捕り、気迫を見せる。もっともこの回で、次に打席に立った後で交代となった。

8回。7回の塚原を受けて登板したのは佐藤達。まだ一軍にいたのか。そして8回を投げようというのか。福良監督の采配で、何とか自信を取り戻させようというところなのだが・・・。

・・・で、中田に見事な2ラン。これで東明の勝ちが消えたし、糸井の逆転3ランも霞んだ。この投手がいまだに一軍にいること自体不快だったのに、そしてまたやらかすか?辛うじて同点止まりだからよかったが、何を考えているのかと思う。佐藤には黄色い声のファンが多いからあまりもの申さなかったけど、、もう少し何とかならないものか。正直不快。

試合はこの後両チーム無得点で延長に入る。抑えに戻ったら平野が2イニングを何とかしのいだ後の10回裏、西野のヒット、山崎のバントで一死二塁。ここで安達に来たいが集まるが凡退。続く小田だが、ここまで無安打での打席。ここで代打に立てるヤツはいないのか。

その小田の打球。ライトに伸び、グラブの先を行った。何とも意外な打者でのサヨナラ勝ち。グラウンドでも選手がはしゃぐ。スタンドも最高の盛り上がり。

これでようやく連敗脱出である。本音のところでは、糸井の逆転3ランで勝負ありではないのかと思う。それが誰かのせいで一旦はぶち壊しにされたが、最後はサヨナラで、小田という若手が見出しになったのだからよかった。とにかく、勝ったのがよかった。

・・・で、これを受けて14日の試合がどうなったのかだが・・・・。
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第22番「天上寺」~新西国三十三所めぐり・6(安産祈願と法道仙人)

2016年04月13日 | 新西国三十三所
天上寺の山門に行く。道路に面してさまざまな「肩書」が並ぶ。私が目指す「新西国22番霊場」もそうだし、「仏母のみ寺」「女人高野」「安産腹帯発祥霊場」「神仏霊場兵庫4番」「関西花の寺10番」「神戸十三仏2番」など。果ては「摂津三十三所」に「摂津八十八所」などというものもある。それだけ多くの信仰を集める名刹である。中でも、釈迦の母である摩耶夫人は女性の難病や苦しみを救うとされ、子授け、安産、子育てにご利益がある。本尊は十一面観音で、だからこそ新西国の観音霊場に含まれるのだが、寺としては摩耶夫人の寺、安産祈願の寺としての色合いが強い。安産祈願に腹帯を授けるということがあるが、それもここ天上寺が発祥という。

山門をくぐり手水舎があり、その前に天竺堂がある。インドから贈られたという大理石の摩耶夫人像である。こうして見るとキリスト教のマリア像に似ているなと思う。

その向かいには「軍艦摩耶」の碑が立つ。太平洋戦争で出撃した巡洋艦の名前で、レイテ沖海戦で沈没し、300名以上が戦死した。その慰霊のための石碑である。毎年、レイテ沖海戦のあった10月23日には慰霊祭が行われているそうだ。

最後の石段をあがり、境内に入る。まず目に入ったのは、修復工事の奉賛依頼の看板。1976年に火災で全焼したことは前の記事でも書いたが、その後再建が進んでいるというもののまだ完全ではないそうだ。これは考えようだが、中腹の険しいところよりは、頂上近い今の場所のほうが、多様な造成、整備ができるのではないかと思う。

30年ほど前の再建とあって、名刹とあっても斬新な感じがする。本堂の前の庭も現代風のように見える。

そして本堂に入る。4月8日は釈迦の誕生日、灌仏会であるが、訪れた10日までは花祭りとして誕生仏を外陣に出して祀っている。私も誕生仏に甘茶をかけ、また甘茶の振る舞いもあったので飲む。それにしても甘茶って、なぜこんなにも甘いのか。本来は飲むものではないのかもしれない。

内陣には色鮮やかな仏像が並ぶ。本尊の十一面観音は通常秘仏のため見られないが、そのお前立ちの十一面観音や愛染明王、不動明王などが安置されている。ここでお勤めとするが、ちょうど安産のお礼参りの一家が来ていて、僧侶の読経が始まったところである。般若心経をはじめ、それぞれの仏の真言を唱える。私も自分の読経はちょっと遠慮して、僧侶の読経に委ねることにした。この次も今度は安産祈願の夫婦が訪れていたし、堂内の納経所では「何時にまた一組入っているから、その間に○○さんは昼休憩してもらって・・・」などという僧侶同士の会話も交わされる。

旧天上寺では奥の院に向かう山道に四国八十八所の祠があったが、今は建物の中にお砂踏みがある。一番から順番にご詠歌とご本尊の御影の掛け軸が並び、それを一つずつ踏みしめる。これを一巡したところに弘法大師のお札があるのでいただく。

そして出たところに、旧天上寺の模型がある。山の尾根に沿って多くの建物がひしめいていた様子がうかがえる。先ほど歩いて来たから少しは実感できるところで、もし直接ロープウェーやバスで訪れてこの模型を見たとしても、何とも思わないところだろう。まあ、逆に帰りは歩いて下りてみようかと思うくらいかもしれないが。

本堂の横には摩耶夫人堂があり、こちらも色彩豊かな摩耶夫人が祀られている。こちらにも手を合わせる。

この日は霞んでいて眺望がきかなかったが、晴れた日には掬星台からだと角度的に見えない淡路島や明石海峡大橋も見えるという。寺なので夜は閉まるから夜景を見る・・・とはいかないのだろうが。

他にもさまざまな像があるのだが、その中で存在感があったのがこちらの像。これこそが法道仙人である。もちろん伝説の人物なので石像も想像によるものだが、どことなく憎めないというか、いやいや人を食ったような顔にも見えるし。私の中では、本堂や摩耶夫人堂の中の仏像よりも、これまでいくつか回った中で初めて対面したこの仙人のほうが印象に残った。

天上寺の参詣はここまでとして、次の行き先決めである。今回は、法道仙人像の前でのサイコロ。

1.滝野社(光明寺)

2.阪急宝塚線(萩の寺、満願寺)

3.河内長野(金剛寺、観心寺)

4.兵庫(能福寺、須磨寺、太山寺)

5.西宮(神呪寺)

6.高槻(安岡寺、神峰山寺)

今回は滝野社を除くと比較的近場のスポットが並ぶ。そろそろ、大阪エリアが出てほしいところで、出た目は・・・「3」。河内長野である。ここだと藤井寺からも近い。

さて天上寺の参詣を終えた後だがどうするか。せっかく山上バスに乗ることができるきっぷを持っているのだから、このまま摩耶山を下りるのではなく、バスに乗って移動するとしよう。六甲山上の観光スポットはいくつもあるのだが・・・・。
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5連敗か・・・明日、緊急観戦します

2016年04月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
九州でコテンパンにのされて・・・(2試合で13対1、10対0かいな。散々な地方巡業となりましたな)、大正ドームに戻ったかと思うとこれまた無得点。これで5連敗、リーグ最速の2桁黒星。本塁打なしは仕方ないとしても、得点が取れない、タイムリーが出ないのはどうしようもない。

別に私に何の力があるわけでもないが、明日13日、仕事のほうで休みをいただいたこともあり、大正ドームのナイター観戦に出ます。

パフォーマンスとかはどうでもいいので、必死に食らいつけ。

5点取られたら、6点を取りに行く野球をしてほしい。やられて、やられっぱなしはあかん!
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第22番「天上寺」~新西国三十三所めぐり・6(マヤ遺跡を行く)

2016年04月12日 | 新西国三十三所
サブタイトルに「マヤ遺跡」とあるが、別に神戸から中米に行ったわけではない。来ているのは神戸の摩耶。これは別にシャレでもなく、神戸にも実は「マヤ遺跡」があるようだ。今回はそのことを書くとして・・・。

摩耶山の天上寺を目指して、JRの摩耶駅から30分ほど歩いてケーブルカー乗り場に着く。ちょうど虹の駅行きが出たばかりで、次の便は20分後である。まあ、上り坂を歩いた後の休憩時間である。次の便に乗り込んだのは数人。それでも発車間際に7~8人の団塊くらいのグループが乗り込んできて賑やかになる。スーパーの袋にビールやら食べ物やら入れている。頂上で花見でもするのだろうか(というが、掬星台って花見スポットだったっけ?)。

ほどほどの乗車率になって出発。座席が下のほうを向いて座る構造なので、引っ張り上げられる感覚である。少しずつ高度を上げ、神戸の街並みも見えてくる。この日は雨ではないが春霞とでもいうのか、街の姿もうっすらとしている。カメラに収めるがうまく写らない。最大の勾配は54.7%というが、車内の案内放送では、ちょうどスキーのジャンプ台の勾配と同じくらいだという。ジャンプの葛西選手や高梨選手はこういうところを年に何十回、何百回と下っているのかと思うと、よくやるわと思う。姿勢を保って滑り、なおかつ遠くまで飛び、おまけに100m先できれいに着地するのだから。

10分ほどで虹の駅に到着する。頂上の掬星台、そして天上寺に行くにはここでロープウェーに乗り換える。次のロープウェーの出発時刻の案内もある。一緒に乗って来た人はそのままロープウェーに向かうが、私はこれまたレジャーきっぷの一部権利を放棄する。そう、歩いて登るのである。そしてその道中にあるのが神戸版「マヤ遺跡」で、その遺跡の正体は、今回の目的地である天上寺である。

これは、今回の札所めぐりの下調べの中で初めて知ったことである。頂上にある天上寺は新しく見えることから比較的最近創建されたか、あるいは再建された寺なのかなと思っていたが、言い伝えでは創建は大化の改新の頃まで遡る。孝徳天皇の勅願で、法道仙人によって開かれたとされる。・・・と、同じような台詞を前にも聞いた。前回訪ねた三木の伽耶院も同じような創建である。そしてこの法道仙人というのが、インドから紫の雲に乗ってやってきたとか、鉄の鉢を飛ばして人々から喜捨をいただいたとかいう伝説を持つ人物で、この辺りの結構な寺の創建にはこの人の名前が出てくる。まあ、法道仙人は伝説上の人物としても、いずれも山にある寺に関係することから、元々は修験道から発展した歴史を表しているとされている。

実は現存の天上寺というのは、ごく最近、1985年に今の地に建てられたものである。元々は摩耶山の中腹にあったのだが、1976年に火災で建物のほとんどが焼失してしまった。一部では、原因は賽銭泥棒による放火と言われているが、放火だとしても犯人は捕まらなかった模様である(犯人が捕まっていないのに、賽銭泥棒と断言できるのかも不思議であるが)。いずれにしてももう時効だろう。こうした歴史があることも初めて知ったのだが、当時は大きなニュースになったようだ。その後、多くの人たちの尽力により、結局頂上に移転させることで再建となり、中腹の建物群は焼かれたまま放棄された形になった。それが遺跡のように見えることから「マヤ遺跡」と呼ばれる所以である。神戸市もかつての境内を史跡公園として整備したり、建物跡の案内表示をつくるなど、「マヤ遺跡のハイキングコース」としてPRしているところ。

こうした「遺跡めぐり」(ところによっては「廃墟めぐり」)は面白いところだが、新西国めぐりを目指すのであれば、ここは山登りになっても行かなければならないだろう。新西国が発足し、1976年まではここが札所で大勢の人がお参りしたところである。そして、その上で頂上にある今の天上寺に行くことにする。案内では、虹の駅から旧天上寺を経由して掬星台まで45~50分くらいかかるとある。

・・・ということで「マヤ遺跡ハイキング」となるのだが、まずはロープウェーの駅から東側の展望台に出る。ここからだと木に隠れて屋根しか見えないが、摩耶観光ホテルがある。かつては豪華な内装を持つホテルだったそうだが、台風の被害などもあり廃業し、建物だけが残っている。廃墟や心霊スポットがお好きな方々には有名なところで、立入禁止なのだが侵入する人が後を絶たないそうだ。

ケーブルカーの虹の駅も、摩耶観光ホテルへのアクセス手段だったし、旧天上寺に参拝する人たちの玄関駅であった。かつては駅を降りてロープウェーに行くまでの間に「千万弗展望台」もあり、参拝客目当ての店も並んでいた。今は建物もないが展望台はベンチのある広場となっており、ハイキング姿の人たちが思い思い休んでいる。私はケーブルカーで来たが、それこそ下から歩いてくる人たちは結構いるものだ。関西でも人気のハイキングスポットだけのことはある。ということは、以前の人たちにとっては、天上寺というのは結構難所の部類に入るところだったのかな・・・。

ロープウェー駅を右手に見て、左手の道を取る。ここから参道らしく、ところどころに石段もあるし、建物に寄進した人たちの名前を彫った石柱が並ぶ。

さらに進むと「摩耶花壇」という建物跡に出る。かつてのレジャー施設だったそうだが、看板が折られながらも残っていて、文字も見てとれる。他にも眺望の良い場所の茶店跡など、かつては山登りと寺参りの両方を楽しめたスポットであったことがうかがえる。

ただそれでも少しずつ勾配が急になる。すれ違う人と「こんにちは」と挨拶するようになると、登山モードである。私の新西国めぐりでは初めてのことだ。

仁王門に出る。天上寺が全焼した時に唯一残った建物だという。マヤ遺跡の整備の一環で修復されており、かつてここに寺があり、ここからが境内だったことを示している。中の仁王は今の本堂にいて空っぽで、屋根もトタンである。

ここから長い石段が続く。以前は塔頭寺院もいくつかあったが、今はその様子はうかがえない。仏像や石仏もあっただろうが、それらは焼けたり壊れたりしたのだろう。

石段の途中に、摩耶の大杉というのがある。直径8メートルあり、立派に立っているように見えるが、これで枯死しているとか。後から来たグループが、「ハリーポッターかなんかに出てきそうやな」と話す。

参道から大杉に行く途中にはこのようなものもある。五右衛門風呂の釜だ。かつては住職が入っていたのだろうか。ただ山の上だと水の確保が大変そうだ。こうしたリアルな生活感あるものが出てくると、遺跡らしさが伝わってくる。

石段を上りきって広場に出る。正面奥の本堂を中心に、摩耶夫人堂、阿弥陀堂などの跡が並び、それぞれ案内板がある。ここもハイキングとしては休憩ポイントである。ネット検索で往年の写真を見ることができるが、つい40年前には立派に建っていたものがこうして跡形もなくなってしまうとは、火事は恐ろしいものだ。火が出たのは夜のことで、暗やみの中では消火もろくにできなかったことだろう。

さて、ここまで来れば掬星台まで上らなければならない。ちょうどというか、かつてはこの上に奥の院があり、合わせて四国八十八所のお砂踏みもできた。今は八十八の祠もボロボロになっていて、かろうじて番号が判別できるものがいくつか見られる程度だ。その途中に、かつてこの地を砦として戦った赤松円心の石碑もある。

奥の院を過ぎると摩耶山の頂上。案内通り、虹の駅から50分ほどで上りきった。そして掬星台に着いたが、もちろんこれまでクルマで来た時よりしんどかったが、実のあるものを感じた。その時のように同行者はいないが、弘法大師と同行二人?

残念ながら霞んでいて眺望は良くないが、それでも景色を眺め、摩耶駅で買ったおにぎりで昼食とする。本当は缶ビールの一本とでも行きたいが、この後は寺に行く(というか、そこが目的地)ためにお預け。周りを見ると、昼間のレジャーのグループ、クルマで来たとおぼしきカップル、そしてハイキングやノルディック、本格的な登山の出で立ちに大きく分けられる。この中で、天上寺が目的で六甲・摩耶に来ている人は何人いるのかなと思う。

まあそれも良しと、ここから下りに入る車道を歩いて、天上寺の山門に着く・・・・。
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