まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

札幌初日の夜~北海道旅行記・3

2006年08月31日 | 旅行記A・北海道

夕張から千歳、千歳から快速に乗り継いで新札幌着。ここから地下鉄東西線に揺られて、札幌の中心、大通に着く。さらに南北線で中島公園へ。

P1010738 別にホテルがこの近くにあるというわけではないのだが、お目当ては「キリンビール園」。札幌の夜をどのように過ごそうかと思ううち、まずビールはかかせないとして、やはりジンギスカンかな・・それとも海の幸かな・・と迷ううち、そういえば今回の宿泊プランのおまけに、「キリンビール園」の割引券が入っていたことに気付く。北海道のビールといえばサッポロクラシックが有名だし、サッポロビール園もあるのだが、今日は一つキリンの顔を立ててやろうか。キリンの千歳工場か、まあ、仕事の上でお世話になってないこともないし・・・。

というわけで、キリンの照明が輝くビルに着く。するとどうだろう、入口ホールに置かれたソファー、あるいは臨時に置かれたパイプ椅子、いずれも人で賑わっている。予約をしていないのだがと告げると、40分くらい待ちという。この時期ならば仕方ないだろう。番号札をもらって、ソファーに腰を下ろして臨戦態勢とするか。その間に、もちろん予約をしているであろう団体客などがゾロゾロとやってくる。こういう時、個人の旅行はしんどい。

それでも思ったより客が回転したか、30分くらい待ちで順番が呼ばれる。中は落ち着いた感じのビアホール。さて、どうするかとメニューに目をやると、「ジンギスカンと三大カニ食べ放題100分」というのがある。もちろん、ビールも飲み放題。ジンギスカンとカニ、北の味覚の両雄並び立つというところか。よし、これで行こう。

一番搾りのジョッキに続き、ラム肉、焼き野菜、そしてカニの山、サーモン寿司とやってくる。カニは毛ガニ一杯、タラバの脚4本、ズワイの脚2本。さて、どういう順番でいこうか・・・。

P1010735 まず、鉄板が温まるまでタラバの脚にハサミを入れる。そして肉と野菜を入れる。ジョッキをグイッとやる。鉄板が音を立てる。ジョッキをグッとやる。肉が焼けてきた。かっ喰らう。どんどん焼けてきた。早く取らないと焦げてしまう。おっとそうするうちにカニがお留守になるな・・・脚にかぶりつく。毛ガニも甲羅をむいてやらないとな。ジョッキが空になったぞ。そんませーん、ジョッキお代わり。やっと鉄板が空いたな。また野菜を載せて、なかなか焼けんからな。カニ味噌もいただきましょうか。毛ガニまるごというのも初めてだから、これってどこまで食えるんかな・・。はいジョッキ来ました。え?一番搾りだけじゃなく、ハーフ&ハーフもいかがですか?はいはい、次はそれを頼みますよ。さーてまた肉が焼けてきましたな。今度はじっくりと焼いてみるか。今何分?まだ20分たってないか。そろそろアクセルゆるめるか・・・。

食べ放題はよいのだが、鉄板の上が実に忙しい。一人で何もかも用事をしなければならないしね。隣のテーブルのカップルでは、男がはさみを入れてタラバの身を取り出してやったり、また隣では鉄板奉行があれこれ仕切っているし・・・。

P1010736 カニも肉も一通り食べ、一皿ずつお代わりをしたところでお腹のほうがそろそろ一杯になってきた。それでも、カニなんかだいぶ身を残しているんではないかな。一箸つけたら「代わりをもてぃ」と言っていた昔の殿様みたいな食事。

仕上げはキリンということで、「生茶」に北海道限定の「ガラナ」も飲み放題。甘い炭酸は苦手なので「生茶」をぐびぐびとやり、これでご馳走様。さすがにこれ以上は入らず、二次会にラーメン・・・という元気もなく、再び地下鉄の人となる。

今日からの宿は、地下鉄でさっぽろ駅を素通りして北18条にある「ホテルサッポロメッツ」。地図で言えば北大が近い。25日の記事はこのホテルのフリースペースにあるパソコンから打ち込んだもの。

それにしてもこのホテル、シングルといえども広い。ベッドはシングルサイズだが、向かいにソファーベッドがあり、奥行きに作り付けの机と、別にテーブル、テレビ台あり。そして手前にはキッチンあり、なんと洗濯機に乾燥機つき。洗剤もフロントでサービスしてくれ、早速今日着ていたもの(着替えたもの)一式を洗う。ホテルの共用のコインランドリーは何回か利用したことがあるが、部屋の中に無料の洗濯機・乾燥機があったのは初めてだ。spれらを含めると、今住んでいる自室より広い。

明日も早起きである。乾燥機の音を聞きながら、早々に眠る・・・。(続く)

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夕張探訪~北海道旅行記・2

2006年08月30日 | 旅行記A・北海道

夕張の駅前から、町中を歩く。右手にはスキーのゲレンデが見える。財政再建団体に転落し、国のご厄介になった夕張市役所の前を通る。一連の報道で注目を集めた市役所である。もっとも、すぐに市民が路頭に迷うというわけでもなく、国のご厄介になりながら再建の道を歩むというのだが。夏の平日のこととて、町の中はひっそりとしていた。真上にある太陽が容赦なく照りつけてくる。

P1010720 近年の夕張の観光の目玉は「映画」なのだそうだ。映画祭をやってみたり、夕張市内でのロケを誘致したり、かつての炭鉱の町からの脱却を目指しての取り組みのようだ。本町の商店街(というほど大きなものではなかったが)を歩くと、普通の商店の2階部分に「ローマの休日」「七人の侍」「太陽がいっぱい」など、往年の名画の看板が並ぶ。昔のペンキ絵というのかな、時代を感じさせる。

P1010722 もっとも、この映画の町が憧れとしているのは1950年代、60年代、70年代といった「古きよき昭和時代」である。ひょっとしたら、かつて炭鉱が賑わっていたときに町の映画館で実際に上映されたものかもしれない。その頃の恋愛やアクション(といっても剣術か西部劇だが)の作品が中心で、最近の、ストーリーがよくわからないラブストーリーや、ド派手なCGアクションに凝ったものとは一線を画する。

このあたりがかつての夕張の中心地だったようで、さらに歩くと工事中の一角に出る。このあたりにかつての夕張駅があったそうだ。引込み線も多数でており、ちょうど石炭の積み出しが行われたあたり。いまは道路拡張や、更地化や何やらで、言われなければそこに駅があったことはわからないだろう。

そのかつての夕張駅跡の一角、現在の夕張駅から歩くこと30分で、「石炭の歴史村」に着く。夕張のレジャーの中枢といってもいいだろうが、平日の昼間とて、客の姿もまばら。

P1010686 まず向かったのが石炭博物館。石炭という鉱石の成り立ち、夕張地区の地学史などが紹介されたのち、その昔、炭鉱で働いていた人たちの一日を追った写真展を見る。過酷な労働条件のもと、ヤマに生きた男たちの姿が伝わってくる。そして、そんな男たちが支えた夕張という町の姿。かつての栄華ぶりは、現在財政再建団体のご厄介になっているとはとうてい思えないくらいだ。

P1010691 そんな写真を懐かしがって眺める人たちがいた。「今のこどもたちなんて、石炭というものも知らんだろうね」「いや、石炭くらい知ってるでしょ?」「うん、でもこういう炭鉱なんて言葉、今時使わないもんね・・・」。確かにその通りかもしれない。石油、原子力、天然ガスなどに比べて「時代遅れ」の燃料に映るのだろう。そして、現在日本には炭鉱はない。それだけ、日常生活から石炭というものの存在感が薄くなっている。だからこそ、日本史の時間(政治経済の時間でもいいけど)で、こうしたエネルギーの歴史もしっかりと学校で教える必要があると思うのだが・・・。

P1010697 博物館での資料展示のあとは、長いエレベーターに乗って地下1000メートルの世界へと誘われる。もっとも、エレベーターがわざとそのように演出しているのであって、実際には20メートルくらいしか潜っていないが・・・。それでも、かつての坑道をそのまま展示コーナーとして再利用した通路には、時代ごとの炭鉱掘削の様子を人形で表現している。表情もなかなかリアル。

さらにこの後が、この石炭の歴史村の最大の売り、「まっくら体験」。ここまでの坑道には照明がついており、誰でも歩けるコースだが、ここからは本当の暗闇に入る。係の人からライトつきのヘルメットをもらい、いざ地中奥深く入っていく・・。

P1010704 ところどころ、人が近づくとセンサーが作動して明るくなるところもあるが、基本的には全て真っ暗。前の人の姿が見えなくなり、そして後ろから誰も来ていないという一瞬、センサーの灯りも消え、本当に真っ暗になる。物音一つしない。実に妙な心持ちをおぼえる。真っ暗といえば長野の善光寺の「戒壇めぐり」があるが、この石炭博物館はその比ではない。それはまだいいのだが、ところどころに人形が置いてあるのが怖い。ヘッドライトがいきなり人形の顔だけを捉えたら誰でもビックリするやないか・・・。

10分ほどの地下体験を終え、地上に出る。これまでいくつかの「観光坑道」を歩いたことがあるが、「まっくら」を売り物にされたのは初めて。これは一度体験する価値がある。

P1010717 この後、炭鉱生活館で、かつての炭住の再現模型などを見て、村内を歩いてSL館に出る。採掘した石炭を輸送したのはもちろん鉄道。夕張には国鉄のほかに、今はなき夕張鉄道、三菱石炭鉱業大夕張線といった、石炭輸送のための鉄道が敷かれていた。往年の機関車、客車も展示されている。夕張鉄道は夕張から栗山を経て、札幌近郊の野幌まで延びていた線。

P1010715_1 JRの時刻表を見ると札幌と夕張はえらく遠く感じられるが、実際には夕張から山を一つ越えれば石狩平野、それこそ札幌近郊に出た線だったそうだ。それに近いルートを走るバスに乗れば、札幌まで高速便で90分。案外近いものである。

このほか、歴史村の敷地内には映画のロケセットを再現した郷愁の丘ミュージアムというのがあるそうだが、石炭関連の施設を見たことで私としてはもういいかと思う。再びテクテクと歩いて、夕張駅に戻る。大汗をかいたので、駅横のホテルマウントレースイの付属である「レースイの湯」につかる。ぬるめの湯にじっくりつかり、露天でしばし風に吹かれる。直射日光は暑いが、こうして吹きぬける風が北国らしく爽やかに感じられる。駅前の湯といえばそうだが、現在の夕張駅は「ホテルの前に駅がある」という位置関係だが。

P1010726_1さっぱりしたところで、16時22分発の千歳行きに乗る。数分前に札幌に行くバスが出たが、もうここまでくれば多少の時間差は関係ない。のんびり行こう。

ただ、この千歳行き、ちょっとのんびりしすぎかな。新夕張で14分、そして追分では44分停車・・・。追分は先にも触れたように交通の要衝であるが、ホームに3つの気動車列車が並び、その間を特急や貨物列車が通過していったり、私もボックスで居眠りをしたり文庫本を読んだり・・・こういう「長時間停車」というのも鈍行の旅ならでは。

停車時間のうちにそろそろ日が西に傾く。南千歳までの草原地帯、周りにさえぎるものがほとんどなく、どこまでも西の彼方に沈む太陽がなぜか大きく見える。実に幻想的な風景。

それにしても夕張に行けたのはよかった。確かに財政再建団体のご厄介になるかもしれないが、そこで生活している人、あるいは「石炭の歴史村」で愛想良く接してくれた人、かつての炭鉱へのしがらみもあるのかもしれないが、やはりこの町が好きなんだなと思う。確かに一時のリゾート開発は失敗に帰した感もあるが、それを非難するのは都会人の論理というものだろう。やはり町の顔がほしい、少なくともそれを目当てに来てくれて、その中で「夕張は石炭の町だったんだよ」というのを知ってくれればいい・・・そんな雰囲気が伝わってきた。

P1010750 ちなみに、翌日購入した「北海道新聞」には、夕張市内の施設の今後の方向性として、「ホテルマウントレースイは存続、石炭の歴史村は採算の取れない遊園地の乗り物を縮小すること」という内容の記事が書かれていた。なるほどね。

さて夕張からの気動車は、2時間かけてようやく終点・千歳着。ここからは札幌市街を目指す。いよいよ、札幌最初の夜だ・・・・。(続く)

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北の大地に降り立つ~北海道旅行記・1

2006年08月29日 | 旅行記A・北海道

しばらく、先日の北海道旅行記(札幌ドーム観戦記こみ)を書きます。3日間の行程だが何回に分かれるか・・・。

北海道へは鉄道で・・・というのは実にロマンチックな行程に思えるのだが、いかんせん、行きに1日を費やすだけの時間というのがなく、往復空路利用となる。まあ、そのほうがホテルつきの格安プラン(私の選んだコースで、2泊3日往復空路+ホテルルームチャージで40000円を切った)が利用できるし、道内の滞在時間が長くなるからいいのだが。

P1010669_1 8月25日(金)、早朝の羽田空港に向かう。夏休みのこととて朝からチェックインの客で混雑している。ここから一路、新千歳空港に向けて飛び立つ。

この日の東日本は好天に恵まれ、羽田を飛び立った飛行機は雲のほとんどない本州を北上する。真下には東北の山々、田沢湖、そして陸奥湾が見え、あとは海上を直線で新千歳空港に向かう。もちろんこちらも雲が全くといっていいほど見えない快晴。気温も21度くらいという・・・が、直射日光が当たるせいか、蒸し暑さというのは感じないが、それでも暑く感じる。風が吹くと実に涼しいのだが、風がないと暑い。ちょっと過ごしやすいような、過ごしにくいような天候である。

P1010671 さて北海道で3日過ごすわけだが、今回の大きな目当ての一つが、札幌近辺のJRローカル線の乗りつぶしである。まだまだ北海道には未乗車区間が多い。

新千歳空港から一旦千歳まで出て、苫小牧行きに乗る。南千歳から南側は未乗車。空港近辺の広々とした原野、畑作地帯を快走する。このあたりは駅間の距離がなかなか長く、普通列車といえどもスピードを上げて軽やかに走り抜ける。

P1010674苫小牧着。ここからは室蘭本線の岩見沢行に乗り換える。待ち時間があるので改札をくぐり、駅の両端をつなぐコンコースに出る。苫小牧といえば、先日「決勝戦での延長再試合」を戦った駒大苫小牧高校である。地元新聞の記事も貼られていたし、「感動をありがとう」の文字もいたるところに見られる。学校自体は町の中心部からはやや離れているそうだが、これまで工業都市、商業港の町としての存在だった苫小牧という名前が一気に全国区になったのは間違いない。エースの田中投手、日本ハムと巨人がこの秋のドラフトで狙っているようだが、果たしてどこの球団に行くのだろうか。(そりゃ、興行的には地元球団に行ったほうが話題にはなるわな)

P1010676 しばらく駅前を回り、「ほっきめし」とサッポロクラシックを買い求めて気動車に乗る。北海道でビールとくれば、やはりクラシック。サッポロビールの北海道限定のビールと聞けば、それだけ特に美味く感じるのはどういうことだろうか。決して、本州で売られている黒ラベルが不味いというわけではないのだが。

この室蘭本線、今でこそ1日数往復の気動車が走るだけだが、かつて石炭輸送が盛んだったころは、石狩各地の石炭がこの線を通り、室蘭や苫小牧から積み出されていったそうだる。その名残だろうか、広々とした敷地に堂々とした複線がほぼ直線に敷かれている。その中を1両の気動車がぶっ飛ばしていく。北海道の気動車には冷房がないので、窓を開ける。走行中、強い風がビュンビュン車内に入ってくる。しかしこういう経験、今ではなかなかできない。周りを見ると「青春18」か周遊きっぷか、とにかくそういう乗り放題系の切符の利用客とおぼしき旅人姿が多い。同じように、「北海道ならでは」の経験をしている。

追分着。ここで半数が下車。この室蘭本線に、札幌・千歳方面と道東を結ぶ石勝線が交わるジャンクション。追分という駅名の由来も、交通の要衝としての意味合いがあるという。

P1010678 ここでその石勝線に乗り換え。といっても、これまた1両の気動車。先ほどの平野部とはうってかわって山の中に入る。30分余りで新夕張着。ここで、この気動車の乗客のほとんどが次の夕張行きに乗る。かつての夕張線、今は石勝線の一部というのがこの夕張行きである。

清水沢のあたりから、青いトタン屋根の木造住宅が目に付く。一方、いろんな公園やら、それに接した高層の公営住宅も目に付く。そろそろ、夕張の町中のようだ。

夕張といえば、かつては九州の筑豊と並ぶ石炭の大生産地。このあたり一帯に多くの「炭住」の長屋が建てられたそうだ。しかし、炭鉱の閉山により町の規模はどんどん縮小され、炭住長屋も次々となくなっていった。今残っている建物には、果たして人が住んでいるのだろうか。その一方で、公営住宅をどんどん建てることで、少しでも人の流出を食い止めようとしているのもうかがえる。ちょうど過渡期になるのかな?

P1010729 終着、夕張着。ただ、ホーム1本きりのさびしい終点。駅のすぐ真横には巨大なホテル「ホテルマウントレースイ」がそびえる。ホテル前のロータリーの一角に駅があるというような位置関係だ。

時間は12時22分、太陽が真上にあって強い光を浴びせてくる。単純に引き返すのであれば12時30分には出るのだが、せっかく来たのだから少し見物したい。ましてや、ここは日本の近代史、産業史に大きな役割を果たした夕張である。そして最近では財政再建・・・いや、ここでそれをいうのはやめておこう・・・・。ということで、列車をずらすことに。

ホーム1本だけの夕張駅を後にして、しばらく歩くことにした・・・・。(続く)

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オリックス、Bクラス確定

2006年08月27日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

札幌から戻ってきました。

そう、今日は札幌ドームでの日本ハム対オリックス戦を観戦しておりました。そもそも、このタイミングで札幌に行こうと思ったきっかけが、この試合があるためだったのだ。

で、札幌ドームの印象や観戦記はまた書くとして、結果としては3対1で日本ハムの勝利。これで日本ハム7連勝で2位のソフトバンクに0.5ゲーム差。一方でオリックス・バファローズはといえば・・・・これで今季70敗目。ブルーウェーブ時代から通算しても7年連続のBクラスが確定した。

まあ、これが両チームの実力や勢いの差なんだろうな。

シーズン前は清原、中村の両主砲の獲得で「これで長打力不足は解消や」、JP(パウエル)に代わる外国人投手としてデイビー、セラフィニと日本で実績のある投手を獲得し「これでJP(パウエル)の抜けた穴を補って余りある」。またこれに絡む谷、村松の両ベテランの復調や、ルーキー平野が前評判通りの活躍を見せて・・・と、話題は満載だったはず。そして、序盤戦は一時首位にも立つなど、「今年はちゃうで」とファンとして喜んでいたのが交流戦の前まで・・・・。

それが、元々故障を抱える両主砲が交互に休場するようになり、その連鎖反応か、次々と主力が倒れていく。控えの選手だけでは苦しい試合が続き、その後は低空飛行。そして、昨年は最後まで争ったプレーオフ進出権争いからも早々と脱落。気がつけば楽天に追いつかれるかもしれないという状態。

これで完全に残り試合が「消化試合」と化した。プロで順位がつく以上、結果として受け止めなければならない。でもね、プレーオフの順位争いをしている上位3チームに一泡ふかせるくらいの意地は見せてやらないと。

残り1ヶ月、気持ちを確かに持って戦ってほしいものである。

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札幌にいます。

2006年08月25日 | 旅行記A・北海道

今日25日から2泊3日の行程で北海道に来ています。現在、この書き込みは宿泊先である札幌市内のホテルのインターネットサービスからの入力。

「携帯電話も持っているんだから、モブログでやればいいのに」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、旅行記は旅行記で腰をすえてまとまって書きたいもので、今夜は旅行の報告のみ。今日もいろんなことがありましたが、それは帰ってからの楽しみとしましょう。

やはり夏の北海道は、東京と違って快適ですな・・・・。

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この夏の危ないもの・・・

2006年08月24日 | ブログ

ここ数日、家庭に備え付けたシュレッダーで子どもが指をはさむという事故が続けて報道されている。中には両手10本のうち9本を切断した子どももいるとか。

「あんなの刃物ですよ」と識者はいう。

「最近、個人情報保護法の影響で、情報というのに敏感になってますからねー。最近電器屋に行ったらシュレッダーばっか置いていてー、しかも聞いたことのないメーカーのばっかなんですよー。挿入口も余裕で指入るしー。メーカーに責任あるんじゃないのー?」

朝からこんな談話ばっかり聞かされたら「このオッサン、ホンマにシュレッダーで指つめたろか」とイライラしてくる。

私も仕事上、個人情報の取り扱いをいかにすべきかというのを担当しているから、当然、使用後の紙はそのまま裏コピーに使うのはもうやめて、シュレッダーで処分・・・てなことを言っている。しかし、同じシュレッダーでも、企業でまとまった量の紙を裁断するのと、家庭で紙を裁断するのでは元々その量からして違うだろうという気がする。企業で使うことを前提として挿入口の高さや幅を考えているものを、そのまま一般家庭で同じように使うということが、そもそもの違いではないだろうか。一時みたいに、そんなにDMが送られるわけでもないでしょうし(一応、法の規定がある程度は効いているから)、まさか個人情報とは関係のない、ごく普通のチラシとかまでシュレッダーに突っ込んでるんではなかろうかな。よくわかりませんが。

シュレッダーは危ない。大人でもネクタイが巻き込まれたり、指を突っ込む事故はある。そんな危険なものを何の気なしに家庭においておいて、子どもの注意もせず、責任はメーカーに押しつける。確かにメーカーにも落ち度はあるのかもしれないが、それは子どもにとって危ないということは、親が教えるものではないかな?冒頭の識者とやらは、メーカーのせいにすれば視聴者のウケがいいからと思ってそういうことを言っているのだろうね。まあ、それが商売なら仕方ないか。

この夏は他にも「危ないもの」が出ましたね。エレベーター、公営プール・・・。

いずれも、被害に遭うのは子ども。大人のつくったもので、子どもが痛い目に遭う。

子どもには非はないからね・・・・それだけに、大人たちが守ってやらなくてはね。

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「大化改新の謎」

2006年08月22日 | ブログ

先日の大阪帰省の帰り、近鉄の橿原神宮前駅を通る。名古屋まで近鉄を乗り継ごうというつもりで。この駅の構内に書店があり、何か道中のお供にと立ち寄る。場所柄、飛鳥時代はじめ古代を中心とした歴史もの、あるいは奈良や飛鳥のガイドブックなどが揃っている。

その中で目についた一冊。これを買い求めて、近鉄+名鉄+青春18のコラボレーションのお供としよう。

Taika_1  「大化改新の謎 闇に葬られた衝撃の真相」。関裕二著、PHP文庫版。(PHPなら全国の書店で手に入るやろ・・・というツッコミは入れないでください)

「大化改新」といえば、蘇我入鹿暗殺の起きた年である西暦645年から、「大化改新、むしごろし」という年号の語呂合わせでも有名である。正に、中大兄皇子と中臣鎌足のコンビが、権力をほしいままにしていた蘇我氏の悪党・入鹿を殺したからこそ、旧態依然とした豪族社会が天皇中心の光輝く国家になった第一歩・・・・というのが通常の解釈である。

ところが、である。この著作の中では、著者が「日本書紀」の記録や、そのほか日本、あるいは朝鮮半島・中国を取り巻く情勢を改めて振り返ってみて、「大化改新」とは、それまで聖徳太子や蘇我氏が推し進めていた「全方位外交」、あるいは新たな土地・冠位制度を否定する、「百済一辺倒」の外交、天皇自らが政治を行う「天皇一極政治」を唱える一派の起こしたクーデターだった、というのが結論である。むしろ蘇我入鹿のほうが開明派であり、「大化改新」後即位した孝徳天皇も蘇我氏よりの開明派であったとする。その裏で、狭いモノの見方しかできない中大兄皇子がそれらの要人を次々と葬り、結局ジコチューな政権しか建てられなかったということを述べている。

そしてこの作品の中でもっともうなった説。「中臣鎌足は、当時百済から亡命してきた豊璋王である」というもの。つまり、朝鮮半島において当時微妙な存在であった百済を支持する中大兄皇子派と、新羅、高句麗、そして隋(唐)それぞれとも対等な外交関係を築き、「アジアの中の日本」の存在感を高めようとする蘇我氏との勢力争いだったというもの。

「日本書紀」という書物が鎌足の息子、藤原不比等の編によったため、その記述が中大兄皇子に有利に、いや、中臣(藤原)氏に有利なように書かれたという裏話を割り引いても、この関氏の説はなかなかに信憑性がある。

ただ、あまりに対象となる時期が古いために、いずれにしても決定的な物的証拠が出てこないのだけどね・・・・。

こういうことがあるから、歴史の授業というのは決しておろそかにしてはならないのだなあ。今の常識では、蘇我は悪、藤原(あるいは天皇家)は善、という図式になってしまうから。教科書に書かれている歴史というのはたいてい、一方的な(勝者の側からみた栄光の)歴史でしかないしね。果たしてこれまでの通説と、関氏の説のどちらが正しく当時の歴史を今に伝えているか。ともすれば日本の官僚システムにとっても大きな示唆のある一冊かもしれない・・・・。

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決勝戦再試合

2006年08月21日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

夏の甲子園の決勝戦、早実対駒大苫小牧。史上2度目の「決勝戦での引き分け再試合」の結果、見事早実が勝利。駒大苫小牧の夏3連覇を阻んだ。

残念ながら試合中継を見ていなかったのだが、1戦目、2戦目とも締まった試合だったようだ。本塁打の大会記録が更新されたり、終盤に来ての大逆転が続いたりと、何かと打撃面で話題にのぼることが多かった大会であるが、最後に来て大会を代表する早実・斎藤、駒大苫小牧・田中の両投手が見せてくれた。

最近の高校野球は打撃優位だ。ボールもよく飛ぶ材質のものを使っているし、金属バットということで球筋にうまくスイングの軌道を合わせられれば飛距離も増す。また攻撃側の投手研究、配球の研究も進んでいる。さらに、打撃練習はピッチングマシンの球速を上げたり、打撃投手に1メートル手前から投げさせて速球に対応する練習も可能だ。

これに引き換え、野球というスポーツがある限り、投手は投げるしか練習方法はない。そりゃ、下半身を鍛えて重いボールが投げられるようになるとか、変化球の磨きをかけるとかいう道筋はあるのだが、いくら「10回のうち7回は相手打者を討ち取る」という数字があったとしても、残りの3回で攻略されるのが投手である。だから、継投策で逃げるとか、1イニング限定のクローザーという「分業制」で対抗する。これが近代野球の図式。

そういう傾向の中、全試合を一人で投げきり、しかも終盤に来ても球速に衰えがなかった斎藤投手というのは、その意味では実に力のある、タフな投手である。クールなルックスの中に熱く強い気持ちも持っており、プロ向きの性格ではないだろうか。本人にプロ志望があるかどうかにもよるが、この秋のドラフトでかかるのではないかな。

一方の駒大苫小牧も、不祥事によるセンバツ辞退を乗り越えて、堂々の試合展開であった。これまで幾多の強豪校と呼ばれる学校があったが、その中にあってもよく映えるのではないか。

こうした高校野球の盛り上がり、熱戦に引き換え、プロ野球は・・・・。この間も両軍合わせて14人の投手が出てきて、9回までの試合だったのに4時間20分かかったなんて試合もあったし。出てくる投手もダラダラした連中ばかりだったし・・・。まあ、長いペナントレースの中にはそういう試合もあるのだが、「1試合にかける執念」では高校野球に負けているかもしれない。

やはりファンサービスがどうの、サイン会がどうのという前に、パワー、テクニックの素晴らしさというものを見せてほしい。「ファンの歓声のために」って、ファンサービスでの歓声とちゃうからね。

さて、高校野球は終わり、夏も後半に差し掛かる。もっとプロの連中にも、残暑を吹き飛ばす熱戦、好ゲームを繰り広げてほしい。

「やっぱ、プロはちゃうな」「これぞプロっちゅうもんや」

こんな会話をしたいものである。

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東海道昼特急

2006年08月20日 | 旅行記E・関西

先日の18日、大阪に帰省した。日本の都市間輸送ということについて、東京~大阪間というのは実にいろんな交通手段、ルートがあるわけで、いろいろと乗り比べてみるのも楽しみの一つといえるだろう。

P1010647_2 今回はその中でJR高速バス「東海道昼特急」号を選択した。高速バスといえば夜行バスがメインであるが、そこをあえて「昼間」に走るというもの。時刻表上の所要時間は東京駅から大阪駅まで8時間15分とある。(ちなみに、「東海道昼特急」の兄弟分として、新宿発の「中央道昼特急」というのもある)

朝の東京駅。太陽が照りつけ、暑い。帰省ラッシュのピークは過ぎたようだが、東京駅の八重洲口には旅行カバンを手にした大勢の客がいる。改札があり、2階の指定席に陣取る。バスのこととて立ち上がって歩くには体をかがめなければならないが、一旦シートに腰を落ち着けるとそれなりの広さはあるし、リクライニングも余裕。また前のほうの席なので、少し目をやれば前方の展望もバッチリだ。

P1010632 8割くらいの入りで発車。残りは途中の停留所から乗ってくるとのことで、満員御礼である。若い一人旅やカップルの姿が目立つが、旅のベテラン風なおっちゃんとか、いかにも節約術のうまそうなご婦人とか、幅広い層に利用されているようだ。ちなみに京都深草以降、大阪までの料金は6000円。新幹線の半額以下である。

P1010636 よく晴れた東京の街を抜ける。国会議事堂を見て首都高速~東名高速へ。上り車線は通勤ラッシュか、ところどころ渋滞している箇所があるが、東京を出る下り線は順調そのもの。ただ、途中の停留所があるため、空いているからといってスピードを出して早く進むというわけにはいかない。

通常では途中、足柄SA、浜名湖SA、養老SAの3ヶ所で20分ずつの休憩を取るのだが、夏休み中で混雑が予想されるため、足柄SA→鮎沢PA、浜名湖SA→三方ヶ原PAに休憩場所を変更する旨のアナウンスがある。いずれも一つ手前のPAだ。

P1010639 順調に東京、神奈川と走り抜け、足柄山中、静岡との県境に近い鮎沢PAで最初の休憩。なかなかきれいな感じの建物である。ここで富士山の地下水を使っているというミネラルウォーターを仕入れる。静岡県に入り、御殿場付近ではうっすらとではあるが富士山の姿が見える。完全な夏山の姿。ウーン、でも富士山はやはり頭の上に雪がかぶっているほうがしっくりくるような気がするな。

このまま順調と思われた途端、急にバスのスピードが落ちる。前方を見ると渋滞ができている。何でも、この先の沼津~富士間で乗用車2台の事故があり、そのために5キロほど渋滞しているとか。

P1010641 「渋滞を抜けるのに50分ほどかかる見込みです。お急ぎのところ申し訳ございません」というアナウンス。まあ、本当に急ぐ人は「昼特急」には乗らないと思うが・・・それでも所定よりロスが出るのは面白くない。「私が乗るといつもどっかで事故やってんだよねー」という声も聞こえる。まあ、バスに乗る以上は「事故渋滞」のリスクを計算しておいたほうがよさそうだ。私も座席に持ち込んだ文庫本に目をやり、渋滞の抜けるまでの時間を過ごす。

やはり40分くらいモタモタした後、ようやくにして事故現場を通過。ここからは一気に解放されたがごとく再びの快走。こうしている間に東京を出てから3時間が経過。新幹線ならとうに新大阪に着いている時間。

P1010642 以後は特に渋滞区間もないようで、駿河湾を目の前に見たり、茶畑の中を走ったり、鉄道(在来線)の沿線と比べれば車窓の変化には乏しいが、それでも静岡らしい風景の中を走る。

三方ヶ原にて休憩。事故渋滞の影響で現在40分程度の遅れ。20分の休憩が15分に縮まったが、時間的に昼食時であるのでここで食料を調達。売店がデイリーヤマザキであり、焼きたてのパンやら握りめしを買い求める。高速道路のこととて、「車窓の友にちょいと一杯・・」ができないのが残念だが。

浜名湖を渡り、三ケ日インターで乗務員が交代。あとは後半戦、名古屋の郊外を走りぬけ、小牧から名神高速に入り、小雨の関ヶ原を越えて滋賀県へ。そして逢坂の関をくぐれば京都である・・・。ここまでの道中、数多くのトラックと抜きつ抜かれつで走ってきた。ローカルな高速道路とは違い、やはり東名~名神は日本の大動脈である。

京都を過ぎたあたりから、隣の席の女性がバッグからメイク道具を取り出し、顔のお手入れとお絵描きを始めた。数分後、見事に「変身」。その後、カチャカチャと携帯メールを打っていた。彼氏が大阪駅で待っているのかな?

吹田インターで高速を下り、千里中央から新御堂筋へ。いよいよ、大阪入りである。そして、新大阪駅の下をくぐったのが17時過ぎ。結局、東京を出てから9時間かかったことになる。新幹線なら一度新大阪まで行き、折り返して東京に戻り、もう一回新幹線でやってくるより多くの時間がかかった。

それでも、こういう1日の過ごし方というのも悪くない。東京と大阪の間の距離感というのもまた変わるような気がする。車内でぼんやり、普段の煩わしさから解放された気持ちにもなれるのだ。

P1010648 17時20分頃、大阪駅の桜橋口着。そろそろ夕方であるが、独特の蒸し暑さ・・・。やはり東京より暑い。そんな中、下車した客たちが三々五々、駅や地下街のほうに散らばっていく。

東海道昼特急、なかなかの面白い選択肢といえるだろう。また乗ってみたい。ただ、往復ともとなるとちょっと・・・というのがホンネかな。(というわけで、大阪からの戻りは近鉄特急+名鉄特急+青春18きっぷによる在来線乗り継ぎ・・・だったが、結局途中の乗り継ぎを入れて10時間かかることになった・・・)

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根室沖で漁船拿捕

2006年08月17日 | ブログ

お盆の帰省ラッシュもひと段落、世間から少し遅れての夏休みとなる。慌しく大阪に帰省して、またすぐに東京に戻るという忙しい日程。親と友人(帰省のたびに「今回はこのグループ」と決めている)の顔を見に行くようなもの。

おそらくその道中記(のほうが長い)を何か書くことになるだろう・・・。

根室沖で漁船が拿捕され、乗組員一人がロシアの巡視艇に銃殺されたという。拘束された乗組員たちは国後の「ムネオハウス」に現在身柄を移され、ロシア政府に訴追されるとか。

久しぶりに「北方領土」「拿捕」という言葉を聞く。北朝鮮による拉致・ミサイル問題、靖国参拝、竹島問題、尖閣諸島、ガス田開発問題・・・・日本と周囲の国々との問題を抱える中で、より根の深いはずの北方領土問題がしばし話題に上らなかったのだが、また、というか、まだこういう事件が起こるものである。

ただ、今の政権ではロシアに対して何もできないのが情けない。(というか、もう任期も残り少ないし、靖国にも参拝したし、もうどうでもいいやと思っているのだろう)

漁船1隻救ってやることもできない政治って、どうよ?

ひょっとして、ロシアと話ができる国会議員って、あのムネオセンセイだけだったりして・・・?

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小泉首相・靖国参拝

2006年08月15日 | ブログ

今日8月15日は「終戦記念日」である。朝テレビをつけると、「小泉首相が間もなく靖国神社に参拝する」という報道で、どの局も首相官邸前やら靖国神社やらに中継を出し、首相の動向を追っていた。またコメンテーターどもの連中の方々の皆様も、賛否両論、朝から賑やかなことである。

「公約を果たすべきだ」「南の島で散った遺族のために祈りをささげてほしい」「中国・韓国の感情に配慮すべきだ」「A級戦犯が合祀されている靖国には参拝するな」・・・いろんな意見が飛び交うのがこの靖国神社である。戦争とのかかわり、あるいは歴史観の違いから、いろんな意見が出てくるのはやむを得ないだろう。一つの宗教、一つの歴史観だけがずっと国民を支配してきた民族とは違うのだから。

私はといえば、「前々から参拝する、適切に判断する」といっているのだから、まあ、この首相なら一度は行くだろうなという思いで、特に興奮するわけでもなく批判するわけでもなく眺めていた。そういう歴史観の中で育ってきた人なんだから。そして、首相の行動に賞賛の声を浴びせる新聞や一般大衆がそれだけいるということだから、首相の行動自体がおかしいとは思わない。「国民を代表して、戦没者に哀悼の意をささげる」というのも首相の仕事の一つだろうし。

また、伝統的に「罪を憎んで人を憎まず」という倫理観を持つ日本人としては、「A級戦犯」だけを分けるというのもある意味忍びないし、これまでそういう歴史はなかったはず。歴史を見ても、いくら天下の罪人といえども、墓はちゃんとつくられたし、神社に祀られている者すらいる。東京裁判で死刑に処せられた戦犯たちもやはり戦争の犠牲者である、当時の靖国の関係者がそう思ったとしても不思議ではないだろう。

いずれにしても、明治以降の近代史、そして太平洋戦争後の現代史、これをきちんと教えることが大切なのではないだろうか。あ、それも客観的にね。「新しい歴史教科書」も参考資料としてはよいのではないか。教育の現場では「左より」の歴史観が植えつけられる恐れがあるからして。その中で、国民一人一人が「どうあるべきか」を考え、その考えのもとに、あくまで一人一人の意思で政党を支持したり、選挙での投票行動につなげる、そういうことをするべきではないだろうか。

英才教育で英語や数学を子どものうちから教えようという動きがある。それはそれで結構なのだが、日本の言葉(国語)、それに自国の歴史・地理というのも系統立てて教育してほしい。日本史を単なる「年号の暗記科目」としか教えないのでは、歴史から何かを学ぼうという子どもが育つわけがない。

この騒動も一時のものにせず、広く議論すべきことであろう。

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世田谷文学館・ウルトラマン展

2006年08月13日 | まち歩き

東京の西・世田谷に向かう。東京の北東部に住んでいる人間から見て、23区のちょうど反対側に位置する世田谷というのは、文化的な、ハイカラなイメージというのがある。東急・小田急・京王の3私鉄が通っている。

Pic_0146 今日はその内、京王線は芦花公園で下車。ここから南に5分ほど歩いたところに「世田谷文学館」がある。「図書館」というよりは、文学をテーマにした展示を行っている、博物館のような、資料館のような。いや、やはり「文学館」という言葉がしっくりくる。

世田谷まで来たのは、この世田谷文学館で「不滅のヒーロー・ウルトラマン展」なるものが行われているのだ。

初代ウルトラマンが初めてテレビで放映されたのが、1966年のこと。そして今年2006年が「40周年」にあたるとか。考えてみれば息の長いシリーズである。初代ウルトラマンに始まり、ウルトラセブンとか、ウルトラマンタロウとかいろんなのがいて、そして今やっているのがウルトラマンメビウスだったかな。

私も子どものころ、再放送でやっていたのを見たり、怪獣の消しゴムを集めたり、「大百科」のような本を買って読んでいたっけ。そして今でも、ウルトラシリーズのことを扱っているサイトなどをのぞいて、「あの怪獣が出たのはこんなストーリーだったのか」と、この年になって「へえ~」と思うこと多数。

Pic_0144_1 さて世田谷文学館。ウルトラマンの人形に迎えられて展示室に入る。過去のシリーズの紹介や、当時の脚本、撮影現場の写真、怪獣の「設計図」(着ぐるみの中に入った人間も描かれている)など、さまざまな資料や当時の撮影の苦労話、裏話など多数。うなるものが多い。

同じ「40周年」でも、池袋のほうではウルトラマンや怪獣のショーをやっていたりしているようだが、こちら文学館では資料展示が中心で、子ども連れも多かったがどちらかといえば私たちと同世代か、もっと年輩の方の姿が目立つ。考えてみれば、40年前に小学生で「ウルトラマン」をリアルタイムで見ていた人も、50前後の親父だもんな。それだけ、時代を経ても色あせることのないヒーローだし、また多くの人たちの心に残っているのだろう。また、これまで何代も登場した「ウルトラマン○○○」の中で、怪獣も含めて最も人気があり、一般におなじみなのが「初代ウルトラマン」というのも、それだけしっかりした作品づくりがなされたということか。

Pic_0143 この世田谷、円谷プロがあったり、またスタジオ撮影やロケ撮影も行われていたということもあり、いわば「ウルトラマン発祥の地」。だから、世田谷でのイベントというわけである。

常設展示では「文学に描かれた世田谷100年の物語」というのをやっている。徳富蘆花にはじまり、横光利一、寺山修司、萩原朔太郎、横溝正史、大藪春彦、林芙美子、大江健三郎・・・数えあげればきりがない。世田谷に居を構えた作家たち、あるいは世田谷を舞台にした作品の数々が、原稿や単行本込みで紹介されている。うーん、こういうのが多くある、またよく似合うというのが世田谷なのかなあ。

世田谷文学館、なかなかアカデミックなスポットである。

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いよいよお盆時期ですね・・・

2006年08月12日 | ブログ

世間はこの週末がお盆の帰省ラッシュ、あるいは国外への出国ラッシュとなる。朝からニュースで各地の混雑状況などが伝えられた。それにしても、高速道路の渋滞30キロ、40キロは当たり前、今日の報道では「渋滞100キロ」なんてのもあった。いったい、どこをどうすればそうなるのか。100キロ渋滞なら歩いたり、自転車で行ったほうが早いのでは・・・という気もするが、クルマで出かける人は渋滞も織り込み済みだろうし、お盆と年末年始の風物詩である。

さて、私の場合、今のセクションには「お盆休み」があるわけでなく、自分で休暇日を決めて休むというパターン。あえてお盆時期を外したので、この週末は普通の週末である。

日中に所用があり、上野に出かけた。上野駅は東京の北の玄関口とあって、駅構内、みどりの窓口などかなりの雑踏である。東京から出る人、あるいは地方から東京に遊びに来る人、さまざまだ。

P1010630 この週末は旅には出ないが、せめて旅気分を味わおうと、上野駅構内の駅弁コーナーへ。このコーナーでは上野駅の駅弁以外に、東北・上越地方の弁当も毎日入荷しており、居ながらにして地方の味が楽しめるのがポイント。駅弁はやはりその土地で味わうのが美味いのだろうが・・・。

今日の夕食ということで買い求めたのが、新潟の「焼きたらこトロ鮭弁当」950円。容器自体は小ぶりだが、歯ごたえあるたらこに脂の乗った鮭の切り身の取り合わせが、日本海の風味を感じさせてくれる。別に買い求めた新潟の地酒「吉乃川」とよく合う。

たまにはこういう旅気分も、悪くない。

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8月10日は「道の日」

2006年08月10日 | ブログ

8月10日は「道の日」なのだそうである。昭和61年(1986年)に国土交通省(というが、その当時だから運輸省と建設省のどっちだろうか?)がこの日を「道の日」と定めたとか。

東京でも新宿と汐留で「道の日」関連のイベントをやっており、チラシなど配っていたから初めて知ったようなものだ。道路を利用する会社に勤めていながら、これまでにこの日の存在を知らなかったのはちょっと恥ずかしいかな。(ちなみに、ここでアップしたのは「全国道路利用者会議」というところが主催したイベントのチラシです)

国土交通省のHPでは、

道路は国民生活に欠くことのできない基本的な社会資本ですが、あまりに身近な存在のため、その重要性が見過ごされがちです。そこで、道路の意義・重要性について、国民の皆さまに関心をもっていただくため、8月10日を「道の日」と制定しました。

とあり、なぜ8月10日なのかという理由は、

1.大正9年8月10日にわが国で最初の道路整備についての長期計画である第1次道路改良計画が実施されたこと

2.「道路ふれあい月間」*(8月1日~31日)の期間中であること(*平成13年度より「道路をまもる月間」から名称変更。)

とある。

Michinohi_sum2006 ウーン、「道路の意義・重要性について関心をもってもらう」というのはわかるとして、8月10日の理由というのが・・・いかにもお役所っぽい。せめて「江戸の五街道が開通した日」とか、「日本で初めて高速道路が開通した日」とかいうのなら、まだ身近なんだろうけどね。

道は道でも「鉄道の日」のほうは、10月14日、日本で最初の鉄道が開業した日、ということと、世間の鉄道ファンの連中の皆様方の熱い関心により賑わうのに比べ、「道路」のほうは地味。

あと、(これは新幹線なんかもそうだろうが)「道路」という言葉に「利権」という臭いを感じる人も多いのではないだろうか。そういえば小泉内閣の初期にテレビを賑わせたのが、「道路公団民営化」。石原大臣とか、猪瀬直樹さんとかと国道交通省の役人のバトルがありましたね・・・というのがだいぶ昔の出来事のように思える。

「道の日」の浸透、まだまだ時間がかかりそうである。目の前に走っている「道路」だけではなく、「人の道」とか「芸の道」、あるいは「恋の道」などという、そっちのほうの「道」も巻き込まないとピンとこないかな・・・・。

ちなみに、10月9日というのは「トラックの日」である。その意味は・・・・、もう、わかりますね。

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いよいよ台風上陸

2006年08月08日 | ブログ

台風7号がいよいよ東海地方に上陸間近、この後、東海から関東を抜ける予報という。今夜の仕事帰りの東京は、台風接近がウソのような静かな気象であったが、進路が遅いため今夜から明日いっぱいまで関東も暴風雨圏内とか。いよいよ、台風シーズンである。

台風といえば、その上陸数の多さに悩まされた2年前の夏を思い出す。その頃は今の会社でJRの貨物列車輸送に関する業務に従事していたのだが、毎週のようにやってくる台風で悩まされたものだ。そのたびに列車は全てストップし、その影響は当日に止まらず、その後1週間くらいは列車の間引き運転や滞留貨物をはかせなければということで混乱を極め、イライラが積もった時期である。思えば、「鉄道は災害に弱い交通機関である」というのが私の中で確信に変わったのもこの頃。本当に災害というのがイヤになった。

今年はこれからどのくらいの数の台風が上陸するのかわからない。全くやって来ずに、夏の水不足を引き起こすようなことがあってはならないし、かと言って、台風頻発でそのたびに列島全体が緊張しなければならないのはウンザリ。

なんとか被害は最小限に食い止められればと思う。

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